0875◎選せん択じゃく註ちゅう解げ鈔しょう第一だいいち

◎(1)

一 題目だいもくは、 「▲選択本願念仏↓集」 と云いうは、 定じょう散さん八万はちまんの諸しょ行ぎょうを選えらび捨すてて念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを択えらび取とるが故ゆえに 「選せん択じゃく」 と云いう。

-是これ則すなわち選せん択じゃくの言ことばは正まさしく ▲¬大だい阿あ弥陀みだ経きょう¼ に出いでたり。 彼かの経きょうは ¬双巻そうかん経ぎょう¼ の同本どうほん異い訳やくなり。

-此この書しょの第三だいさんの本願ほんがんの章しょうに選せん択じゃくの義ぎを釈しゃくすとして、 四し十じゅう八はち願がんに於おいて各おのおの此この義ぎ有あるべき義ぎを釈しゃくせり。 先まず▲第一だいいちの無む三さん悪趣まくしゅ、 ▲第だい二にの不ふ更きょう悪趣あくしゅ、 ▲第三だいさんの悉皆しっかい金色こんじき、 ▲第だい四しの無有むう好醜こうしゅ、 この四箇しかの願がんに約やくして選せん択じゃくの義ぎを釈しゃくして、 次下つぎしもに▲第だい十じゅう八はちの念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がんをあげて、 委くわしく選せん択じゃくの義ぎを釈成しゃくじょうす。 「▲即◗ち今 ま選↢び捨 てゝ前◗の布施・持戒乃至孝養父母等の諸行↡を、 選↢び取◗る専称仏号↡を。 故ゆへ◗に云↢ふ選択↡と也」 と云いへる、 此この意こころなり。

-又また第だい十じゅう六ろくの名みょう号ごう付ふ属ぞくの章しょうに、 三さん経ぎょう并ならびに ¬般舟はんじゅ経きょう¼ の意こころにより、 釈しゃ迦か・弥陀みだ及および六方ろっぽうの諸仏しょぶつにわたりて▲八種はっしゅの選せん択じゃくを釈しゃくせられたり。 彼かの八種はっしゅの義ぎ、 皆みな諸しょ行ぎょうを選えらび捨すて念仏ねんぶつを選えらび取とると云いう義ぎを顕あらわすなり。 然しかれば則すなわち、 今いまの題目だいもくに付つきて広ひろく選せん択じゃくの義ぎを論ろんぜば、 八種はっしゅの選せん択じゃくに通つうずべし。

-略りゃくして要ようを取とらば、 第だい十じゅう八はちの選せん択じゃく本願ほんがんを以もって肝心かんじんとす。 其その本願ほんがんと云いうは念仏ねんぶつなり。 故ゆえに選せん択じゃく本願ほんがん念仏ねんぶつ集しゅうと云いうなり。

-「↑集しゅう」 と云いうは聚じゅなアツム り。 念仏ねんぶつを選せん択じゃくす0876るに取とりて経釈きょうしゃくの要文ようもんを聚あつめて、 往おう生じょうの大益だいやくを成じょうずるが故ゆえに集しゅうと云いうなり。

-されば此この集しゅうの一いち部ぶ始し終じゅう、 併しかしながら念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを以もって往おう生じょうの正しょう業ごうとする義ぎを釈成しゃくじょうすと意こころ得うべきなり。

(2)

一 「▲南无阿弥陀仏、 ↓往生之業 には念仏◗を為↠す先 き◗と」 と云いうは、 先まず名みょう号ごうを上あぐる事ことは、 上かみの題目だいもくに本願ほんがんの念仏ねんぶつを選せん択じゃくすと云いへども、 念仏ねんぶつの言ことばは、 観念かんねんにも口く称しょうにも通つうじ、 諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつの名みょう号ごうにも亘わたるべきがゆへに、 慥たしかに其その行ぎょう体たいを顕あらわして、 彼かの本願ほんがんの念仏ねんぶつと云いうは南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつなりと示しめすなり。

-次つぎに 「↑往おう生じょう之し業ごう念仏ねんぶつ為い先せん」 と云いへる、 正まさしく上かみの選せん択じゃく本願ほんがんの南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつをもて、 往おう生じょうの正しょう業ごうとすといふなり。 是これ則すなわち、 一往いちおうは定じょう散さんの諸しょ行ぎょう共ともに往おう生じょうの行ぎょうと見みえたれども、 彼かれは皆みな能顕のうけんの方便ほうべんと云いはれ、 名みょう号ごうの一法いっぽうのみ所顕しょけんの真実しんじつと成なりて、 下げ根こん最劣さいれつの為ためには念仏ねんぶつ独ひとり往おう生じょうの因いんとなる義ぎを顕あらわすなり。

 

  第一 教相章

(3)

一 標章ひょうしょうに 「▲道綽禅師立↢ てゝ聖道・浄土◗の二門↡を而捨↢ てゝ聖道↡を正◗く帰↢ する浄土↡に之文」 と云いうは、 ¬安楽あんらく集しゅう¼ を指さすなり。

-▽道どう綽しゃく禅ぜん師じは本もとは涅ね槃はん宗しゅうの人ひとなり。 而しかるにへい州しゅうの玄げん忠ちゅう寺じにして曇鸞どんらん和か尚しょうの碑ひの文もんを見みて、 忽たちまちに涅ね槃はんの広業こうごうをすてゝ偏ひとえに浄じょう土どの教きょう門もんに入いり給たまへり。 其それより以来このかた、 常つねに ¬観かん経ぎょう¼ を講こうじて人ひとを勧すすめ給たもうに、 へい州しゅうの晋陽しんよう・大原たいげん・汶水ぶんすい三県さんけんの人ひと、 七なな0877歳さい已い上じょうは皆みな彼かの勧かん化けを受うけて念仏ねんぶつを行ぎょうじ、 往おう生じょうを遂とげたり。 善導ぜんどう和か尚しょうも彼かの弟子でしなり。 されば浄じょう土ど宗しゅうに於おいて止事やんごとなき祖師そしなり。

-抑そもそも此この ¬集しゅう¼ に凡およそ十じゅう六ろくの章しょう段だん有あり。 皆みな是これ経釈きょうしゃくの明みょう文もんを引ひきて弥陀みだの利り生しょうの勝すぐれたる事ことを顕あらわし、 名みょう号ごうの一法いっぽうの凡ぼん夫ぶを救すくうべき道どう理りを明あかせり。

-▲其その中なかに此この ¬安楽あんらく集しゅう¼ を引ひきて初はじめに置おかるゝ事ことは、 聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんを明あかすこと分ぶん明みょうなるゆへに、 一代いちだいを料りょう簡けんし二に門もんを分別ふんべつして、 先まず一いっ宗しゅうの教きょう相そうを示しめさんがためなり。 此この故ゆえに当とう章しょうをば教きょう相そうの章しょうと云いうなり。

(4)

一 「▲問◗て曰、く 一切↓衆生◗に皆 な有↢り仏性 う↡。 遠劫 より已来 かた応↠し値あ↢ふ多た仏ぶち↡に。 何なに◗ゝ因、て 至↠ まで今◗に仍自 か◗ら輪↢廻 して生死↡に不ざ↠ るや出↢で↓火宅↡を」 と云いうは、 問といの意ころは衆しゅ生じょうには仏ぶっ性しょうあり、 随したがひて番々かわるがわる出しゅっ世せの仏ぶつにも定さだめて遇あいたてまつりけん。 而しかるに何なんぞ今いままで成じょう仏ぶつせずして生しょう死じに輪りん廻ねし、 娑しゃ婆ばを出いでざるやとの問といなり。

-「↑衆しゅ生じょうに仏ぶっ性しょう有あり」 と云いうは、 ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ (北本巻二七師子吼品南本巻二五師子吼品) の説せつなり、 「▲一切衆生◗に悉◗く有↢り仏性↡、 如来◗は常住 にして無↠し有↢ こと変易 く」 と云いへり。

-↑娑しゃ婆ばを火か宅たくに喩たとうるは ¬法華ほけ経きょう¼ (巻二譬喩品) の説せつなり、 「▲三界無↠し安、 きこと猶◗し如↢し火宅↡の、 衆苦充満 して、 甚◗だ可↢し怖畏↡」 と云いへり。

-答こたえの中なかに 「▲依↢大乗◗の聖教↡に」 と云いうは、 下しもに引ひくところの ¬▲大集だいじっ経きょう¼ と ¬▲大だい経きょう」 との意こころを指さすなり。

(5)

一 「▲由↧る去↢ こと大聖↡を遥遠↥ なるに」 と云いうは、 「大だい聖しょう」 は釈しゃ迦か如来にょらいなり。 釈しゃく尊そん涅ね槃はんの後のち、 正しょう像ぞうの0878二時にじ過すぎ、 末法まっぽうに至いたりて在ざい世せ遥はるかに相あい遥へだたるが故ゆえに、 聖しょう道どうの修しゅ行ぎょうは成じょうじがたしと云いうなり。

-「▲由↢る理深◗く解 り微み↡ なるに」 と云いうは、 「理り」 と云いうは、 聖しょう道どうの諸しょ宗しゅう皆みな理り観かんを以もって先さきとするが故ゆえに、 彼かの観かん其その意こころ深ふかきに依よりて、 智慧ちえ浅深せんたんなる凡ぼん夫ぶは解さとりがたしと云いうなり。

(6)

一 ▲¬大だい集じゅう月蔵がつぞう¼ の文もんを引ひくことは、 聖しょう道どうの修しゅ行ぎょうの成じょうじ難がたきことを証しょうするなり。 「↓我末法◗の時◗の中」 より 「↓未ジ ◗だ有↢ら一人◗も得◗る者 の↡」 と云いうまでは、 ¬経きょう¼ の意こころ也なり。 「↓当今◗は末法」 より下しもは、 道どう綽しゃくの私わたくしの釈しゃくなり。

-「▲↑我わ◗が末法◗の時とき◗の中うち」 と云いうは、 釈しゃく尊そんの滅めつ後ごに正しょう像末ぞうまつの三さん時じあり、 其その時じ分ぶんに於おいて又また二に説せつあり。 一説いっせつには正しょう法ぼう千年せんねん、 像法ぞうぼう千年せんねん、 末法まっぽう万年まんねんなり。 是これは ¬大だい悲ひ経きょう¼・¬倶く舎しゃ論ろん¼ 等とうの説せつなり。 一説いっせつには像法ぞうぼう・末法まっぽう前さきの如ごとし、 正しょう法ぼうは五ご百ひゃく年ねんなり。 是これは ¬摩耶まや経きょう¼ の説せつなり。 諸しょ宗しゅうの人にん師し、 是これ等らの説せつに付つきて各おのおの依え用ようすること区まちまちなり。 而しかるに道どう綽しゃく禅ぜん師じは如来にょらい滅めつ後ご一千いっせん六ろっ百ぴゃく年ねんの中うちに出しゅっ世せの人ひとなるが故ゆえに、 其その在ざい世せを指さして 「▲↑当今末法」 と云いへるは、 正しょう法ぼう五ご百ひゃく年ねんの説せつに依よると聞きこえたり。

-此この中なかに末法まっぽうの時ときには、 三さん乗じょう聖しょう道どうの行ぎょうを修しゅせんに得うべからずとなり。 彼かの ¬経きょう¼ (大集経巻五五月蔵分閻浮提品意) に五箇ごかの五ご百ひゃく年ねんを説ときて、 「▲第一だいいちの五ご百ひゃく年ねんは解げ脱だつ堅けん固ご、 第だい二にの五ご百ひゃく年ねんは禅ぜん定じょう堅けん固ご、 第三だいさんの五ご百ひゃく年ねんは多た聞もん堅けん固ご、 第だい四しの五ご百ひゃく年ねんは造ぞう寺じ堅けん固ご、 第だい五ごの五ご百ひゃく年ねんは闘とう諍じょう堅けん固ご也なり」 と云いへり。 此この説せつに依よるに、 彼かの在ざい世せは造ぞう寺じ堅けん固ごの時ときに当あたれり。 況いわんや夫それより後のちの闘とう諍じょう堅けん固ごの時じ分ぶんに於おいてをや。 故ゆえ0879に 「▲↑未有一人得者」 と云いうなり。

-問といて云いはく、 「▲起行修道」 と云いへるは聖しょう道どう・浄じょう土どを分わかつことなし。 「未有一人得者」 と云いへる、 何なんぞ聖しょう道どうに限かぎるべきや。

-答こたえて云いわく、 「起行修道」 と云いへる、 専もっぱら自じ力りきの修しゅ行ぎょう、 三さん乗じょうの修道しゅどうと聞きこえたり。 是これ則すなわち、 教行きょうぎょう証しょうの三みつの中なかに、 末法まっぽうには唯ただ教きょうのみ有ありて其その行証ぎょうしょう無なきが故ゆえなり。 浄じょう土ど門もんは他た力りきの得道とくどうなれば、 彼かの 「起き行ぎょう修道しゅどう」 の言ことばの中なかには摂せっすべからず。 随したがいて弥陀みだの教きょう法ぼうは、 末法まっぽう万年まんねんの後のち、 法滅ほうめつ百ひゃく歳さいの時ときまで利り益やくを施ほどこすべきものなり。 況いわんや末法まっぽうは利り物もつ偏増へんぞうの時じ分ぶんなるが故ゆえに、 「▲唯たゞ有↢て浄土◗の一門↡ のみ可↢き通入↡す路 ち」 と云いへり。 是これ尤もっとも道どう理りに叶かなへるものなり。

(7)

一 ▲¬大だい経きょう¼ の文もんは十じゅう八はちの願がんの意こころなり。 是これに付つきて不ふ審しんあり。 願文がんもんには 「▲十方衆生」 といひ、 今いまは 「▲一生造悪の機」 と云いう。 相そう違い如何いかんと云いうに、 是これは造悪ぞうあくの二機にきに亘わたるべき事ことは勿論もちろんなれども、 末法まっぽうには聖しょう道どうの修しゅ行ぎょうは立りゅうし難がたく、 念仏ねんぶつの得益とくやくは盛さかりなるべき事ことを成じょうずるが故ゆえに、 悪あく凡ぼん夫ぶの正しょう機きなることを顕あらわさんが為ためなり。 「▲縦令」 と云いへる言ことばは、 悪人あくにんにかぎらざる事ことを示しめすなり。

(8)

一 「▲若◗し拠よ↢ば大乗↡に、 真如実相・第一義空↓曽 つ◗て未 ズ ↠だ措を↠か心 ろ◗に」 と云いうは、 真言しんごん・天臺てんだい等とうの諸もろもろの大だい乗じょう、 其その教きょう相そう一往いちおう異ことなれども、 詮せんずる所ところは真如しんにょの理りを顕あらわすにあり。 「真如」 と云いひ、 「実相」 と云いひ、 「第一義」 と云いうは、 皆みな一法いっぽうの異い名みょうなり。 此この真如しんにょを解げ了りょうする事こと、 凡ぼん夫ぶは成じょう0880じ難がたきが故ゆえに 「↑曽未措心」 と云いうなり。

(9)

一 「▲若◗し論↢ ぜば小乗↡を、 ↓修↢入◗し↓見諦修道↡に、 ↓乃至那含・羅漢、 ↓断↢じ五下↡を除↢ きて五上↡を、 無↠く問↢ こと道俗↡を、 未 ズ ↠だ有↢ら其◗の分↡」 と云いう。 「小乗」 と云いうは、 声しょう聞もん・縁覚えんがくの二に乗じょうなり。

-其その中なかに今いま 「↑見諦修道」 と云いふは、 先まず声しょう聞もんの修しゅ行ぎょうの相そうに付つきて、 凡ぼん夫ぶは惑わくを断だんじ道どうを修しゅして彼かの位くらいに登のぼる事こと難かたしと云いへり。 其その声しょう聞もんの位くらいに於おいて四し向こう四果しかあり。 又また其その向こう・果かを分わかちて三道さんどうとす。

-是これは↓三界さんがい九地くじの八はち十じゅう八はっ使しの↓見惑けんわく、 八はち十じゅう一いち品ぼんの↓思し惑わくを断だんずる位くらいに取とりて↓四果しかを分別ふんべつし、 此この四果しかを又また↓三道さんどうと分わかつなり。

-↑三界さんがいと云いうは欲界よくかい・色界しきかい・無む色界しきかいなり。 此この三界さんがいを分わかちて九地くじとす。 九地くじと云いうは、 欲界よくかいの五ご趣しゅを一いち地じとし、 色界しきかいの四し禅ぜんを四地しじとし、 无む色界しきかいの四し空くうを四地しじとすれば九地くじなり。

-↑見惑けんわくと云いうは根本こんぽんの十じゅう煩悩ぼんのうなり。 一には貪とん、 二には嗔しん、 三には痴ち、 四には慢まん、 五には疑ぎ、 六には身見しんけん、 七には辺見へんけん、 八には邪見じゃけん、 九には見取けんしゅ、 十二は戒禁かいごん取しゅなり。 此この十じゅう煩悩ぼんのうは、 四し諦たいの理りに迷まどいて発おこす所ところの惑わくなり。 而しかるに四し諦たいの下したに具ぐ不具ふぐあり、 又また三界さんがいの内うちに有無うむ不ふ同どうなり。 これに依よりて、 欲界よくかいには三さん十じゅう二に使し、 色界しきかいと無む色界しきかいとには各おのおの二に十じゅう八はっ使し有あるが故ゆえに、 八はち十じゅう八はっ使しあるなり。

-↑思し惑わくと云いうは、 九地くじに各おのおの上々じょうじょう品ぼんより下々げげ品ぼんまで九く品ぼんあるゆへに、 九地くじには八はち十じゅう一いち品ぼんある也なり。

-▽↑四果しかと云いうは、 一には↓須しゅ陀だおん果か、 二には↓斯陀しだ含ごん果か、 三には↓阿那あな含ごん果か、 四には↓阿羅あら漢かん果か0881なり。

-↑三道さんどうと云いうは、 一には見道けんどう、 二には修道しゅどう、 三には無む学道がくどうなり。

-↑須しゅ陀だおん果かと云いうは、 此ここには預流よる果かと云いう。 始はじめて聖ひじりの流ながれに預あずかるゆへに、 預流よると云いうなり。 此この位くらいに四し諦たいを観かんじて証さとりを得うるに、 十じゅう六心ろくしんあり。 其その中なかに於おいて、 前ぜん十じゅう五ご心しんを預流よる向こうと云いう。 向こうと云いうは果かに向むかう意こころなり、 是これ見道けんどうなり。 此この位くらいに総そうじて頓とんに三界さんがいの八はち十じゅう八はっ使しの見惑けんわくを断だんじて、 第だい十じゅう六心ろくしんに預流よる果かを証しょうするなり。 是これより修道しゅどうなり。

-↑斯陀しだ含ごん果かと云いうは、 此ここには一来いちらい果かと云いふ。 欲界よくかいの九く品ぼんの思し惑わくの内うち、 五ご品ぼんを断だんずるを一来いちらい向こうと云いい、 第六だいろく品ぼんを断だんずるを一来いちらい果かと云いう也なり。 九く品ぼんの内うち、 残のこる所ところの三品さんぼんの惑わくに依よりて、 一度ひとたび欲界よくかいに来きたるがゆへに、 一来いちらいと云いうなり。

-↑阿那あな含ごん果かと云いうは、 此ここには不ふ還げん果かと云いう。 是これは欲界よくかいの九く品ぼんの思し惑わくを断尽だんじんする位くらいなり。 第七だいしち・八品はちほんを断だんずるを不ふ還げん向こうと云いい、 第だい九く品ぼんを断だんずるを不ふ還げん果かと云いう也なり。 欲界よくかいの煩悩ぼんのう、 悉ことごとく尽つきて欲界よくかいに還かえらざるが故ゆえに、 不ふ還げんと云いうなり。

-↑阿羅あら漢かん果かと云いうは、 此ここには無む生しょうと云いう。 三界さんがいの煩悩ぼんのうを断尽だんじんして、 生しょうとして受うくべきも無なきが故ゆえに、 無む生しょうと云いう也なり。 色界しきかいの初禅しょぜんの九く品ぼんの一品いちぼんより始はじめて、 無む色界しきかいの非ひ想そう非々ひひ想地そうしょの九く品ぼんの内うち、 第八だいはち品ぼんに至いたるまで、 七なな十じゅう一品いちぼんを断だんずるを阿羅あら漢向かんこうと云いう。 是これまでは修道しゅどうなり。 第だい九く品ぼんを断だんずるを阿羅あら漢かん果かと云いうなり、 是これ則すなわち無む学道がくどうなり。

-されば今いま 「↑見諦修道に修入す」 と云いうは、 四し向こう四果しかを指さすなり。 其その中なかに 「見諦」 と云いうは見道けんどう也なり。 四し諦たいの理りを見みる道どうなるが故ゆえに、 見道けんどうと0882も見諦けんたいとも云いうなり。 是これ則すなわち、 初はじめの向こうなり。 「修道」 と云いうは、 初しょ果か・二に向こう・二果にか・三向さんこう・三さん果か・四し向こうまでなり。

-「↑乃至那含・羅漢」 と云いうは、 云いう所ところの四果しかの内うち、 第三だいさん・第だい四しなり。 此この二果にかは上じょう位いなるが故ゆえに、 「見諦修道」 と云いうは初はじめを指さし、 「那含・羅漢」 と云いうは、 終おわりをあげて、 四し向こう四果しかを経へて三界さんがいの見惑けんわく・思し惑わくを断だんじ難がたく、 見けん・修しゅ・無む学がくの三道さんどうに入いりて道どう果かを証しょうし難がたしと云いうなり。

-↑「五下」・「五上」 と云いうは煩悩ぼんのうの名な也なり。 欲界よくかいの煩悩ぼんのうを↓五下ごげ分結ぶんけつと云いひ、 色しき・無む色界しきかいの煩悩ぼんのうを↓五ご上じょう分結ぶんけつと云いう。 欲界よくかいは五ご趣しゅ各別かくべつなれども、 一ひとつの散さん地じなるが故ゆえに総そうじて下げ界かいと云いひ、 色しき・无む色しきは二に界かい不ふ同どうなれども、 一ひとつの定じょう地じなるが故ゆえに合がっして上じょう界かいと云いう。 下げ界かいにも上じょう界かいにも各おのおの五いつつの煩悩ぼんのうあれば、 五下ごげ・五ご上じょうと云いうなり。 結けつと云いうは煩悩ぼんのう也なり。 有う情じょうを結縛けつばくして生しょう死じの獄ごくに置おくが故ゆえに結けつと云いう也なり。

-↑五下ごげ分結ぶんけつと云いうは、 一には身見しんけん、 我々がが所しょを執しゅうする心こころなり。 我がと云いうは有う情じょうなり、 我が所しょと云いうは此この我がが依え託たくする所ところなり。 即すなわち器き世せ間けんなり。 二には戒禁かいごん取しゅ、 因いんに非あらざるを因いんと計けいし、 道どうに非あらざるを道どうと計けいする意こころ也なり。 三には疑ぎ、 四には貪とん、 五には嗔しんなり。 此この五いつつの中なかに、 貪とんと嗔しんとの二に惑わくによりて欲界よくかいを超こえず。 たとひ超こえて上じょう界かいに生しょうずれども、 身見しんけんと戒禁かいごん取しゅと疑ぎとの三みつに依よりて又また還かえり下くだるなり。 倶く舎しゃ (玄奘訳巻二一睡眠品) に、 「由↠て二◗に不ず↠超↠欲、を 由↠て三みつ◗に復 た還◗て下」る と云いへるは此この意こころなり。 されば貪嗔とんじんをば守しゅ獄率ごくそつに喩たとへ、 残のこりの三みつをば防ぼう羅ら人にんに喩たとうる也なり。

-↑五ご上じょう0883の分結ぶんけつと云いうは、 一には色界しきかいの貪とん、 二には无む色界しきかいの貪とん、 三には色しき无む色しきの掉じょう挙こ、 四には色しき无む色しきの慢まん、 五には色しき無む色しきの无む明みょう也なり。 此この中なかに、 貪とんと慢まんとは常つねの如ごとし。 无む明みょうは痴ち也なり、 掉じょう挙こは散乱さんらんなり。 衆しゅ生じょうは皆みな五下ごげ・五ご上じょうの煩悩ぼんのうに依よりて三界さんがいを出しゅつ離りせざるなり。 而しかれば、 是これ等らの煩悩ぼんのうを断だんじて那な含ごん・羅ら漢かんに至いたる事こと叶かなひ難がたしと云いう也なり。

(10)

一 「▲縦◗ひ有↢ とも人天◗の果報↡を、 皆為↢に↓五戒・↓十善↡の能◗く招↢く此◗の報↡を。 然◗に持たも◗ち得う◗る者 の◗は甚◗だ希 なり」 と云いうは、 人にん中ちゅうに生しょうずることは五ご戒かいの力ちからに依よるが故ゆえに、 縦たとひ三界さんがいを出いづるまでは思おもいよらずして人天にんでんに生しょうぜんと思おもへども、 五ご戒かい・十じゅう善ぜんを持たもたざれば夫それも又また叶かないがたしと云いう也なり。

-「↑五ご戒かい」 と云いうは、 一には不ふ殺せっ生しょう、 二には不ふ偸ちゅう盗とう、 三には不ふ邪婬じゃいん、 四には不ふ妄もう語ご、 五には不ふ飲酒おんじゅなり。 「↑十じゅう善ぜん」 は、 ▲下しもの名みょう号ごう付ふ属ぞくの章しょうに見みえたり。

(11)

一 「▲是こゝ◗を以◗て諸仏◗の大慈、 勧 めて帰くゐ↢   せしめたまふ浄土ど↡」 と云いうよりは、 念仏ねんぶつ易い行ぎょう◗の義ぎ◗を顕あらはす。

-「▲縦令 タトヒ 一生造↠ツクル悪 ヲ」 と云いうは、 ¬観かん経ぎょう¼ の下げ三品さんぼんの機き、 常じょう没もつの凡ぼん夫ぶなり。 かゝる極悪ごくあくの機きなれども、 名みょう願力がんりきに依よりて滅罪めつざい得とく生しょうすとなり。

-「▲何◗ぞ不↢ して思量↡せ都◗て無↢き去ゆ◗く心 ろ↡也」 と云いうは、 聖しょう道どうの難なん行ぎょうなると浄じょう土どの易い行ぎょうなるとを相対そうたいして、 争いかでか本願ほんがんに帰きし往おう生じょうを願がんぜざらんと云いうなり。

(12)

一 「▲且しばら◗く如↢は有相宗↡の、 立↢ てゝ↓三時教↡を而◗も判↢ず一代◗の聖教↡を。 所謂◗る有空中是也なり」 と云いうは、 「有0884相宗」 と云いうは法相ほっそう宗しゅうなり。 諸法しょほうの因いん果がを決判けっぱんして、 大だい乗じょうの性しょう相ぞうを定じょう判はんするが故ゆえに、 有う相そう宗しゅうと云いう。

-「↑三時教」 と云いうは、 一には有う教きょう、 阿あ含ごん等とうの小乗しょうじょう声しょう聞もん・縁覚えんがく、 断惑だんわく証しょう理りの道どうを明あかす教きょうなり。 二には空くう教きょう、 諸しょ部ぶの般若はんにゃ、 諸法しょほう皆空かいくうの理りを説と◗く教きょうなり。 三には中ちゅう道どう教きょう、 非有ひう非ひ空くう中ちゅう道どうの理りを明あかせる教きょうなり。 即すなわち ¬華け厳ごん¼ 等とうの諸しょ大だい乗じょう経きょうなり。 如是かくのごとく有う空くう中ちゅうと次し第だいすることは、 説せつ時じの次し第だいには依よらず、 只ただ説せっ教きょうの浅深せんじんに付つきて是これを立たつるなり。 一代いちだいの諸しょ教きょう余あまたに分わかれたれども、 所説しょせつの意い趣しゅを云いうに此この三みつを出いでざるなり。

-¬唯識ゆいしき論ろん¼ を以もて本論ほんろんとせり。

(13)

一 「▲如↢ きは無相宗↡の、 立↢ てゝ二蔵教↡を以◗て判↢ず一代◗の聖教↡を。 所謂いはゆる↓菩薩蔵・↓声聞蔵是これ也なり」 と云いう◗は、 「無相宗」 と云いうは三論さんろん宗しゅうなり。 空くう寂じゃくの深じん理りを明あかして無む相そうの正しょう観かんを示しめすが故ゆえに、 無む相そう宗しゅうと云いふ也なり。 三論さんろんと云いう◗は、 ¬中ちゅう論ろん¼・¬百ひゃく論ろん¼・¬十じゅう二に門論もんろん¼ なり。

-「↑菩薩蔵」 と云いうは大だい乗じょうなり。 「↑声聞蔵」 と云いうは小乗しょうじょうなり。 一代いちだいの仏ぶっ教きょう、 教きょう相そう区まちまち也なりと云いへども、 大だい小乗しょうじょうを出いでざるなり。

(14)

一 「▲如↢ きは華厳宗↡の、 立↢ てゝ五教↡を而◗も摂↢す一切◗の仏教↡を。 所謂 る↓小乗教・↓始教・↓終教・↓頓教・↓円経是也なり」 と云いうは、 此この宗しゅうは所しょ依えの本ほん経ぎょうに付つきて名なを立たつるなり。

-「↑小乗教」 と云いうは、 阿あ含ごん等とうのもろもろの小乗しょうじょう経きょうなり。 又または愚ぐ法ほう声しょう聞もん教きょうと云いう。 「↑始教」 といふは、 ¬深密じんみつ¼ 等とう0885の諸しょ大だい乗じょう経きょうなり。 「↑終教」 と云いうは、 ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ 等とうなり。 「↑頓教」 と云いうは、 別べっして一いっ経きょうを指さすに非あらず。 諸しょ大だい乗じょう経きょうの中なかに、 衆しゅ生じょう即そく仏ぶつ、 一念いちねん頓とん成じょうの旨むねを明あかせるを以もて頓とん教ぎょうとす。 「↑円教」 と云いうは、 ¬華け厳ごん¼・¬法ほっ花け¼ なり。 大だい小しょう権実ごんじつの教きょうをもて、 此この五ご教きょうに摂せっするなり。

(15)

一 「▲如↢ きは法華宗↡の、 立↢ てゝ四教五味↡を以◗て摂↢す一代◗の仏教↡を。 ↓四教者、 所 は謂蔵・通・別・円是 れ也なり。 ↓五味◗と者は、 所謂 る乳・酪・生・熟・醍醐是也」 と云いう、は 天臺てんだい宗しゅうの教きょう相そうなり。 所しょ依えの経きょうに付つきては法ほっ花け宗しゅうと云いう。

-天臺てんだいと云いうは山やまの名ななり。 智ち者しゃ大だい師し、 天臺てんだい山さんにして此この宗しゅうを興こうぜらる、 故ゆえに天臺てんだい宗しゅうと云いう也なり。

-「↑四教と云は、 蔵・↓通・↓別・↓円是 れ也 り」 と云いうは、 蔵ぞうと云いうは↓三蔵さんぞう教きょう、 小乗しょうじょうなり、 界内かいないの事じ教きょうなり。

-▼↑三蔵さんぞうと云いうは、 一には修しゅ多羅たら蔵ぞう、 又または素咀そた覧蔵らんぞうと云いう。 定じょうを明あかす、 是これ経きょうなり。 二には毘尼びに蔵ぞう、 又または毘び奈耶なや蔵ぞうと云いう。 戒かいを明あかす、 是これ律りつなり。 三には阿毘あび曇蔵どんぞう、 又または阿毘あび達だつ磨ま蔵ぞうと云いう。 恵えを明あかす、 是これ論ろんなり。

-されば戒かい定じょう恵えの三学さんがくを顕あらわす教きょうなり。 是これは正まさしく†は声しょう聞もん・縁覚えんがくの為ため、 傍かたわらには菩ぼ薩さつを化けす。 声しょう聞もんは四し諦たいを観かんじて四果しかの位くらいに修しゅ入にゅうするなり。 四し諦たいと云いうは、 苦く・集じゅう・滅めつ・道どうなり。 四果しかと云いうは、 △前さきに記きするが如ごとし。 縁覚えんがくは十じゅう二に因縁いんねんを観かんじて自じ乗じょうの果かを得うるなり。 菩ぼ薩さつは六ろっ波羅ぱら蜜みつを行ぎょうじて八相はっそう成じょう道どうするなり。

-↑通つう教きょうと云いうは、 界内かいないの理り教きょうなり。 三さん乗じょう通つう0886じて修しゅ行ぎょうする故ゆえに、 通つう教きょうと云いうなり。

-↑別べっ教きょうと云いうは、 界かい外げの事じ教きょうなり。 只ただ菩ぼ薩さつのみ行ぎょうずるが故ゆえに、 別べっ教きょうと云いうなり。 五ご十じゅう二位にいを経へて無む明みょうを断だんじ、 中ちゅう道どうを証しょうして終ついに成じょう仏ぶつするなり。

-↑円えん教ぎょうと云いうは、 界かい外げの理り教きょうなり。 一色いっしき一香いっこう無非むひ中ちゅう道どうと談だんじ、 煩悩ぼんのう則そく菩ぼ提だい、 生しょう死じ則そく涅ね槃はんと達たっするなり。

-此この四し教きょう◗の中なかに、 初はじめの一ひとつは小乗しょうじょう、 後のちの三みつは大だい乗じょうなり。

-「↑五味と云は、 乳・酪・生・熟・醍醐是なり」 と云いうは、 此これ南なん州しゅうの北きたに因よりて雪山せっせんと云いう山やまあり、 其その山やまに忍辱にんにく草そうと云いう草くさあり。 牛うし是これを食じきして乳ちちを出いだす。 其その味あじ次し第だいに転てんず。 最初さいしょに出いだすをば乳にゅう味みと云いう、 是これ勝すぐれたる味あじなり。 次つぎに出いだすは酪らく味みなり、 是これは下げ品ぼんの味あじなり。 次つぎに出いでるは生しょう蘇そ味みなり。 次つぎに出いだすは熟じゅく蘇そ味み也なり。 此この四味しみは、 次し第だいに初はじめは淡あわく、 後のちは熟じゅくせり。 最さい後ごに出いでるをば醍だい醐ご味みと云いう。 総そうじて一代いちだい五時ごじの説せっ教きょうに喩たとえて、 五味ごみと云いうなり。

-一には華け厳ごん、 別べつ・円えん二に教きょうを説とく、 乳にゅう味みに当あたる。 二には阿あ含ごん、 三蔵さんぞう教きょうを説と、く 酪らく味みに当あたる。 三には方等ほうどう、 四し教きょうを説と、く 生しょう蘇そ味みに当あたる。 四には般若はんにゃ、 通つう・別べつ・円えんの三さん教きょうを説とく、 熟じゅく酥そ味みに当あたる。 五には法ほっ華け涅ね槃はん、 此この二部にぶは同どう味みの教きょうなり、 醍だい醐ご味みに当あたるなり。

-此この中なかに、 法ほっ華けには只ただ一ひとつの円えん教きょうを説とく、 涅ね槃はんには又また四し教きょうを説とけども、 共ともに第だい五時ごじの教きょうとして同おなじく醍だい醐ご味みなり。 一代いちだいの説せっ教きょう異ことなれども、 其その所説しょせつを云いうに四し教きょうを出いでず、 其その化儀けぎを云いうに五時ごじに摂せっするなり。

(16)

一0887 「▲如↢ んば真言宗↡の、 立↢ てゝ二教↡を而◗も摂↢す一切↡を。 所謂 る顕教・密教是也」 と云いうは、 「顕けん教ぎょう」 は釈しゃ迦か所説しょせつの一代いちだい顕けん露ろの諸しょ経きょうなり。 「密みっ教きょう」 と云いうは、 大日だいにち所説しょせつの秘ひ密みつ神呪じんじゅ等とう是これ也なり。 大だい小しょう・権実ごんじつの差別しゃべつありと云いへども、 密みっ教きょうの外ほかをば皆みな顕けん教ぎょうと立たつるに依よりて、 一切いっさいの仏ぶっ教きょう、 顕密けんみつ二に教きょうを出いでざるなり。

(17)

一 「▲今 ま此◗の浄土宗◗と者は、 若◗し依↢ らば道綽禅師◗の意↡に、 立↢ てゝ二門↡を而◗も摂↢す一切↡を所謂 る聖道門・浄土門是也」 と云いうは、 是これ正まさしく自じ宗しゅうの所しょ立りゅうなり。 上かみに諸しょ宗しゅうの立りっ教きょうを挙あげらるゝ事ことは、 一代いちだいを判属はんぞくすること一いち准じゅんならざる事ことを顕あらわして、 我わが宗しゅうの教きょう相そうを立りゅうするなり。

-所謂いわゆる諸しょ宗しゅうの所談しょだん異ことなりと云いへども、 此土しどの得道とくどうを明あかすは皆みな 「聖道門」 也なり。 是これ八はっ宗しゅう・九く宗しゅう等とうの意こころなり。 他土たどの得とく生しょうを訓おしうるは 「浄土門」 なり。 是これ今いまの 「三さん部ぶ経きょう」 の説せつなり。

(18)

一 「▲問◗て曰、く 夫◗れ立↢ ことは宗◗の名↡を、 本 と在↢ こと華厳・天臺等◗の八宗・九宗↡に、 未↠だ聞↧か於↢て浄土之の家↡に立↦  ことをば其◗の宗◗の名↥を。 然 るに今 ま号↢ するに浄土宗↡と、 有↢何◗の証拠↡か也」 と云いうは、 此この問といの意こころは、 華け厳ごん・天臺てんだい等とうの諸しょ宗しゅうに相あい並ならべて浄じょう土ど門もんを宗しゅうと号ごうすべからずと云いうなり。 意こころは宗しゅうと云いう証しょう拠こなくは、 所しょ立りゅうの二に門もんの義ぎ許ゆるし難がたしと云いうなり。

-而しかるに答こたえの意こころは、 「▲浄土宗◗の名、 其◗の証非↠ず一ひとつ」 と云いいて三さん箇かの証しょうを引ひけり。 ▲元がん暁ぎょうは華け厳ごん宗しゅうの祖師そし、 ▲慈じ恩おんは法相ほっそう宗しゅうの祖師そし、 ▲迦か才ざいは三論さんろん宗しゅうの祖師そしなり。 他た宗しゅうの人にん師しの釈しゃくを引ひきて、 自家じけの宗しゅうの名なを証しょうするなり。

(19)

一0888 「▲就↢て大乗◗の中↡に雖 ど↠も有↢ りと顕密・権実等◗の不同 う↡、 ↓今此◗の集◗の意、は 唯存↢ず顕大及以 び権大↡を。 故 がゆへに当↢ れり歴劫迂廻之の行↡に。 ↓准↠ じて之◗に思↠に之、を 応べ↠し存↢ず密大及以 び実大↡を。 然◗ば則◗ち今 ま真言・仏心・天臺・華厳・三論・法相・地論・摂論、 此等ら◗の八家之の意在↠り此◗に」 と云いう、は 大だい乗じょうに付つきて顕けん大だい乗じょうあり、 密みつ大だい乗じょうあり、 権ごん大だい乗じょうあり、 実じつ大だい乗じょうあり。 顕大けんだいと密大みつだいとを対たいするとき、 顕大けんだいはあさく密大みつだいはあふかし。 顕大けんだいの中なかに権大ごんだいと実大じつだいとを対たいするとき、 権大ごんだいはあさく実大じつだいはふかし。

-而しかるに今いま此この ¬安楽あんらく集しゅう¼ に立たつる所ところの二に門もんの中なかに、 聖しょう道どう門もんと云いへるは、 一往いちおうは先まず、 顕けん大だい乗じょうと権ごん大だい乗じょうとなり。 是これ等らの教きょうの意こころは、 歴りゃっ劫こう迂廻うえの行ぎょうなるが故ゆえなり。 密みつ大だい乗じょうと実じつ大だい乗じょうとは、 速疾そくしつ直往じきおうの義ぎを明あかすがゆへに、 其その意こころ異ことなれば彼此かれこれを等とうじて一門いちもんとはせずと也なり。 「↑今 ま此 の集◗の意、 唯たゞ存↢ず顕大及以び 権大↡ヲ。 故か ◗に当↢ れり歴劫迂廻之の行↡に」 と云いへる、 此この意こころ也なり。

-然しかるに再往さいおう是これを云いう時ときは、 迂廻うえの行ぎょうも直往じきおうの道どうも、 共ともに自じ力りきの行ぎょう、 此土しどの得道とくどうなれば、 皆みな総そうじて聖しょう道どう門もんの言ことばに摂せっすべしと也なり。 「↑准↠ じて之◗に思↠ ふに之、を 応↠し存↢ず密大及以び 実大↡を」 と云いへる、 此この意こころなり。

-今いま挙あぐるところの八はっ家けの中なかに、 真言しんごんは密大みつだいなり、 余よの七しち家けは顕大けんだいなり。 其その七しち家けの中なかに、 仏心ぶっしん・天臺てんだい・花け厳ごんは実大じつだいなり、 三論さんろん・法相ほっそう・地じ論ろん・摂しょう論ろんは権大ごんだいなり。 但ただ是これは天臺てんだい・花け厳ごん等らの教きょう相そうに依よりて是これを分わかてり。 三論さんろん・法相ほっそう等らの意こころは教きょうに於おいて権実ごんじつを論ろんぜざるなり。

(20)

一0889 「▲次◗に小乗◗と者は、 総 じて是小乗◗の経・律・論之の中◗に所↠の明◗す声聞・縁覚、 断惑証理、 入聖得果之の道也」 と云いうは、 「経」 と云いうは、 阿あ含ごん経ぎょうなり。 「律」 と云いうは、 四部しぶ律りつ・十じゅう誦じゅ律りつ等とうなり。 「論」 と云いうは、 ¬倶く舎しゃ¼・¬婆ば沙しゃ¼ 等とうの緒論しょろんなり。

(21)

一 「▲凡◗そ此◗の↓聖道門◗の大意者は、 不ず↠論↢ぜ大乗及以 び小乗↡を、 於↢て此◗の娑婆世界之の中な ↡に、 修↢ して↓四乗◗の道↡を得↢ なり四乗果↡を也。 四乗◗と者三乗之の外◗に加↢ふ仏乗↡を」 と云いうは、 「三さん乗じょう」 と云いうは声しょう聞もん・縁覚えんがく・菩ぼ薩さつなり。 法相ほっそう・三論さんろんには唯ただ三さん乗じょうを立たつる也なり。

-いま仏ぶつ乗じょうを加くわえて ▼「↑四乗」 と立たつるは天臺てんだいの意こころなり。 或あるいは三さん乗じょうといゝ、 或あるいは四し乗じょう◗と立たつれども、 みなこれ是これ聖しょう者じゃに付つきて道どう果かを論ろんずるが故ゆえに、 大だい小しょう・権実ごんじつ・顕密けんみつ・教きょう禅ぜん異ことなりと雖いえども、 皆みな聖しょう道どう門もんの中なかなりと云いう也なり。

-「↑聖道」 と云いうは聖しょう者じゃの道どうなり。 意こころは、 念仏ねんぶつ往おう生じょうは此この外ほかに凡ぼん夫ぶ出しゅつ離りの道どう也なりと云いはん為ためなり。

(22)

一 ¬十住じゅうじゅう毘婆びば娑論しゃろん¼ の文もんを引ひける中なかに、 「▲謂◗く五濁之の世於↢て↓無仏◗の時とき↡に、 求↢を↓阿毘跋致↡を為↠す難かた。 しと此◗の難なん◗に乃◗し有↢り多途↡。 粗言↢て↓五三↡を以◗て示↢す義◗の意↡を」 と云いうは、 「五濁」 と云いうは、 一には↓劫こう濁じょく、 二には↓衆しゅ生じょう濁じょく、 三には↓見けん濁じょく、 四には↓煩悩ぼんのう濁じょく、 五には↓命みょう濁じょくなり。

-↑劫こう濁じょくと云いうは、 劫減こうげんの時ときには諸悪しょあく加か増ぞうするが故ゆえに、 衆しゅ生じょうの身みの長たけ漸ようやくに短たん少しょうなり。 是これ此この濁じょくの験しるしなり。

-↑衆しゅ生じょう濁じょくと云いうは、 劫末こうまつの時ときは衆しゅ生じょうの十じゅう悪あく弥いよいよ盛さかんなるを云いう。 則すなわち衆しゅ生じょう濁じょく悪あくにして蛇じゃ竜りゅうの如ごとくな0890る也なり。

-↑見けん濁じょくと云いうは、 自みずからの悪あくをば善ぜんとし、 他たの是ぜをば非ひとする也なり。 其その見けんの邪じゃなる事こと、 棘きょく刺しの如ごとくなり。

-↑煩悩ぼんのう濁じょくと云いうは、 劫末こうまつの衆しゅ生じょうは其その心こころ悪あく性しょうにして、 貪嗔とんじん弥いよいよ競きおい起おこるなり。

-↑命みょう濁じょくと云いうは、 見けん・悩のうの二濁じょくに依よりて多おお◗く殺害せつがいを行ぎょうずる故ゆえに、 中ちゅう夭よう頻しきりにに来きたりて命いのち短促たんそくなり。

此この事こと ▲¬観かん経ぎょう義ぎ¼ の第だい二に并ならびに ▲¬法ほう事じ讃さん¼ の下げ巻かんに見みえたり。

-「↑無仏◗の時」 と云いうは、 前仏ぜんぶつ涅ね槃はんの後のち、 後ご仏ぶつ出しゅっ世せの前まえ、 二に仏ぶつの中ちゅう間げんを指さすなり。 此この時とき聖しょう道どうを修しゅ行ぎょうして、 不ふ退たいの位くらいに至いたること難かたしと云いうなり。

-「↑阿毘跋致」 と云いうは、 不ふ退たいの位くらいなり。

-「↑五三」 と云いうは、 少々しょうしょうと云いう言ことばなり。

(23)

一 「▲一◗に者は外道◗の相善乱やぶ↢る菩薩◗の法↡を」 と云いうは、 外げ道どうの邪見じゃけんを以もて、 菩ぼ薩さつの修しゅ行ぎょうを乱みだるなり。 鴦崛おうくつ摩羅まらが千人せんにんを害がいせんとせし時ときの如ごときの類たぐいなり。

「▲二◗に者は声聞◗は自利 して障↢大慈悲↡を」 と云いうは、 声しょう聞もんは自じ調じょう自度じどの行ぎょうを立たてて、 利他りたの行ぎょうなき也なり。 ¬荘しょう厳論ごんろん¼ (荘厳経論巻六随修品) には、 「▲雖↣も恒◗に処↢ すと地獄↡に、 不ず↠障↢へ大菩提↡を。 若◗し起↢ すは自利◗の心↡を、 是大菩提◗の障 なり」 と云いい、 ¬観かん経ぎょう義ぎ¼ の第一だいいち (玄義分意) には、 「▲二乗◗の狭劣、 にして闕◗て無↢が利他◗の大悲↡故◗に」 と云いへる、 此この意こころ也なり。

「▲三には無顧◗の悪人破↢す他◗の勝徳↡を」 と云いうは、 是非ぜひを顧かえりみざる悪あく性しょうの人にん、 大だい乗じょうの行ぎょう道どうを障さうる也なり。 身しん子しが乞眼こつげんの婆羅ばら門もんに遇あうて、 菩ぼ薩さつの道どうを退たいせしが如ごとし。

「▲四には顛倒◗の善果能壊↢す梵行↡を」 と云いうは、 人天にんでんの善ぜん果かに著じゃくして仏法ぶっぽうの修しゅ行ぎょうを妨さまたぐるなり。 妙荘みょうしょう厳王ごんおうの威い徳とくに耽ふけりて、 一いち乗じょう0891の行ぎょう徳とくを失うしないしが如ごとし。

「▲五には唯是自力にして無↢し他力◗の持↡つ」 と云いうは、 聖しょう道どうの修しゅ行ぎょうは観念かんねんに浅深せんじんあり、 行ぎょう業ごうに強ごう弱にゃくあれども、 皆みな自じ力りき励はげみて仏ぶつの他た力りきを憑たのまざるが故ゆえに、 五ご濁じょくの世よには自じ力りきの修しゅ行ぎょう其その力ちから弱よわくして成じょうじ難がたきなり。

「▲如↠き是◗の等◗の事じ、 触↠ るゝに目◗に皆 な是ぜ也」 と云いうは、 此この五箇ごかの難なん、 正まさしく眼めの前まえに有ありと云いう意こころなり。

(24)

一 「▲天臺・迦才同↠じ之◗に」 と云いうは、 天臺てんだいの ¬十じゅう疑ぎ¼ にも迦か才ざいの ¬浄じょう土ど論ろん¼ にも、 同おなじく今いまの ¬十住じゅうじゅう毘婆びば娑論しゃろん¼ の文もんを引ひきて難なん行ぎょう・易い行ぎょうを分別ふんべつするが故ゆえなり。

(25)

一 ¬西方さいほう要決ようけつ¼ の文もんに、 「▲釈迦啓↠ けて運◗を弘ひろ◗く益↢す有縁↡を」 と云いうは、 説せっ教きょうの時じ節せつ至いたり、 所しょ化けの機き縁えん熟じゅくして閻えん浮ぶに出しゅっ世せし、 一代いちだいの間あいだ広ひろく衆しゅ生じょうを利り益やくし給たまうを云いうなり。

-「▲教闡↢ヒラケテ随方↡に並◗に霑↢ふ法潤↡に」 と云いうは、 仏ぶっ教きょう根こん機きに応おうじて種々しゅじゅに儲もうくれば、 何いずれも分ぶんに随したがいてもと云いう。 是これまでは総そうじて一代いちだいの化け導どうをのぶるなり。

-「▲親まのあたり逢あふ↢ ものは聖化↡に、 道悟↢る三乗↡を」 と云いうは、 惑わく障しょうも無なく根こん性じょうも利りにして親したしく仏ぶっ化けを蒙こうぶる聖しょう者じゃの根こん機きは、 三さん乗じょうの道どう果かを得うと云いう也なり。 是これ則すなわち聖しょう道どう門もん◗の意こころ也なり。

-「▲福 く薄◗く因疎 ものをば勧 めて帰↢  しめたまふ浄土↡に」 と云いうは、 功く徳どくの福分ふくぶんうすく善根ぜんごんの勝しょう因いんおろそかなる者ものをば、 浄じょう土どに勧すすめ入いると云いう也なり。 此この機きは凡ぼん夫ぶなり。 是これ則すなわち浄じょう土ど門もんの意こころ也なり。

されば慈じ恩おんの意こころも、 聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんの義ぎを顕あらはすと云いうなり。

(26)

一 同おなじき後ご序じょの文もんに 「▲生むま れて居↢ して像季↡に」 と云いうは、 「像ぞう」 は像法ぞうぼう也なり、 「季き」 は末すえなり。 慈じ恩おん自みずから我わが0892在ざい世せを指さして、 像法ぞうぼうの末すえと云いう也なり。

-「▲去↠ こと聖◗を斯◗れ遥 なり」 と云いうは、 大だい聖しょう釈しゃく尊そん涅ね槃はんの後のち、 既すでに多おおくの年ねん紀きを送おくれる意こころなり。

-「▲道預↢ とも三乗↡に無↠し方のり↢契悟↡ するに」 と云いうは、 三さん乗じょうの教きょう門もんを説ときたれども、 其その悟さとりを得うること叶かなわずとなり。

-「▲人天の両位◗は躁動 して不ず↠安 から」 と云いう以下いげは、 聖しょう道どうの修しゅ行ぎょうを立たてて、 自利じり々他りたの行ぎょうを修しゅせんには、 久ひさしく人天にんでんに処しょして其その行ぎょうを立たつべきなり。 而しかるに 「人天にんでんの両りょう位いは躁動そうどうして安やすからずといふは、 ¬十住じゅうじゅう毘婆びば娑論しゃろん¼ に出いだす所ところの五箇ごかの難なんの如ごとく、 様々さまざまの障しょうげ多おおくして、 修しゅ行ぎょう退たいしやすきなり。

-▲智ち博ひろく情こころ弘ひろき上じょう根こんの機きは、 久ひさしく濁じょく世せに処しょして行ぎょう道どうを修しゅせんに得うべし。 識しき愚おろかに因いん浅あさき下げ根こんの機きは、 其その行ぎょう成じょうぜずして幽ゆう塗とに溺おぼれぬべしと云いうなり。 「幽塗」 と云いうは、 三さん悪道まくどう等らなり。

-▲故ゆえに如是かくのごときの障しょう難なん多おおき娑しゃ婆ばをば遠とおざかり、 成じょうじ難がたき自じ力りきの修しゅ行ぎょうを捨すてゝ早はやく浄じょう土どに生しょうじ、 仏力ぶつりきに扶たすけられて速すみやかに無む上じょう菩ぼ提だいに至いたるべしと勧すすむるなり。

(27)

一 「▲例 せば如↧し彼◗の曇鸞法師◗は捨↢ てゝ↓四論◗の講説↡を一向◗に帰↢し浄土↡に、 道綽禅師◗は閣↢ きて涅槃◗の広業↡を偏◗に弘ひろ ↦ めしが西方◗の行↡を」 と云いう、は 鸞らん師しは四し論ろん宗しゅうの学がく生しょうなり。

-「↑四論」 と云いうは、 一には ¬中ちゅう論ろん¼、 龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつの造ぞうなり。 二には ¬百ひゃく論ろん¼、 提だい婆ば菩ぼ薩さつの造ぞうなり。 三には ¬十じゅう二に門論もんろん¼、 又また龍りゅう樹じゅの造ぞうなり。 是これは三論さんろんなり。 是これに ¬智度ちど論ろん¼ を加くわえて四し論ろんと云いうなり。 彼かの論ろんも龍りゅう樹じゅの造ぞうなり。

-鸞らん師しは此この四し論ろんに通達つうだつして深じん義ぎを講こうぜられしかども、 後のちには菩ぼ提だい流支るし三蔵さんぞうの勧すすめ0893に依よりて一向いっこうに浄じょう土どに帰きし、 ¬往おう生じょう論ろん¼ の註ちゅうを記きして五祖ごその上じょう首しゅに居ごし給たまへり。

-道どう綽しゃく禅ぜん師じは本もとは涅ね槃はん宗しゅうの人ひとなり。 後のちには偏ひとえに西方さいほうの行ぎょうを弘ひろめられき。 委くわしくは△上かみに録ろくするが如ごとし。

-▲如此かくのごとき深じん智ちの碩徳せきとく、 なほ聖しょう道どうの修しゅ行ぎょうは当今とうこんの機きに不↢相応↡そうおうせずとて、 浄じょう土ど門もんに帰きせり。 況いわんや、 末代まつだい無智むちの道俗どうぞく、 理り深じん解げ微みなる。 諸しょ教きょうに於おいて其その証しょうを得えがたければ、 他た力りき往おう生じょうの門もんに帰きして称名しょうみょう念仏ねんぶつの行ぎょうを勤つとむべき者ものなり。

(28)

一 ▲聖しょう道どう家けの血けち脈みゃくを引ひきて、 浄じょう土ど宗しゅうにも血けち脈みゃくあるべしやと問といて、 有あるべき義ぎを釈しゃくせらるゝは、 念仏ねんぶつ往おう生じょうの門もんに於おいて殊ことに血けち脈みゃく相そう承じょう大切たいせつなる事ことを顕あらわす。

-其その故ゆえは、 ¬経¼ (大経巻下) に 「▲聞其名号信心歓喜」 とも説とき、 「▲聞名欲往生、 皆悉到彼国」 とも云いいて、 名みょう号ごうを聞ききて信心しんじんを生しょうじ、 信心しんじんを生しょうずる時とき即すなわち往おう生じょう決けつ定じょうするは、 尤もっとも相そう承じょうあるべき故ゆえに如此かくのごとく被挙あげらるる也なり。

 

  第二 二行章

(29)

一 此この章しょうは、 上かみの章しょうに聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんを分別ふんべつして、 其その中なかに聖しょう道どうを捨すてて浄じょう土どを選えらび取とるが故ゆえに、 ▲今いまの章しょうには其その浄じょう土どの一門いちもんに於おいて正行しょうぎょう・雑ぞう行ぎょうを分わかちて、 其その中なかに雑ぞう行ぎょうを捨すてて正行しょうぎょうを選えらび取とる也なり。

(30)

一 「▲善道和尚立↢ てゝ正雑二行↡を、 捨↢ てゝ雑行↡を帰↢ むる正行↡に之文」 と云いうは、 観かん経ぎょう義ぎの第だい四しをさ0894すなり。

-善道ぜんどう和か尚しょうは、 大唐だいとう相伝そうでんして弥陀みだ如来にょらいの化け身しんと云いう、 是これ常つねの義ぎなり。 又また ¬花け厳ごん¼・¬大だい集じゅう¼ の両りょう巻かんに、 釈しゃく尊そん善導ぜんどう大だい師しと成なりて衆しゅ生じょうを度どすべしと説とける文もんあるが故ゆえに、 釈しゃ迦かの再誕さいたんとも意こころ得うる也なり。 二に仏ぶつもとより一仏いちぶつなれば、 何いずれの義ぎも相そう違いなし。

-其その面授めんじゅを立たつる時ときは、 道どう綽しゃく禅ぜん師じの弟子でしなり。 然しかれども道どうに於おいて証しょうを得うる事こと師しにも超こえ、 凡ぼん夫ぶ往おう生じょうの宗しゅう義ぎを立たつる事こと古こ今こんに秀ひでたるが故ゆえに、 殊ことに今こん師しの釈しゃくを以もて一いっ宗しゅうの規模きぼとするなり。

(31)

一 「▲↓就↠て行◗に立↠と信◗を者は、 然◗も行有↢り二種↡。 一 つに者は正行、 二 つに者は雑行 なり」 と云いう、は 三心さんしんの中なかの深心じんしんの下したに、 ▲就人じゅにん立信りっしん・▲就じゅ行ぎょう立信りっしんの二ふたつの信心しんじんを立たてたり。

-其その中なかに就人じゅにん立信りっしんと云いうは、 能説のうせつの教きょう主しゅに付つきて信しんを立たてんと信しんずる也なり。 所謂いわゆる仏説ぶっせつを信しんじて余よの説せつを用もちいざるなり。 其その義ぎ具つぶさに下しもの三心さんしんの章しょうに有あるべし。

-「↑就じゅ行ぎょう立信りっしんと云いうは、 所説しょせつの行ぎょうに付つきて信しんを立りゅうするなり。 則すなわち今いまの文もん是これなり。 正行しょうぎょう・雑ぞう行ぎょう、 正しょう業ごう・助業じょごうの分別ふんべつ、 文もんに顕あらわれて見み安やすし。

(32)

一 「▲¬疏¼ の上の文に云、 今 ま此◗の ¬観経¼の 中なか◗の十声◗の称仏、は 則◗ち有↢て↓十願十行↡具足 すること」 と云いうは、 願がん行ぎょう具ぐ足そくして往おう生じょうすべき事ことを釈しゃくする文もん也なり。

-「願」 と云いうは行ぎょう者じゃの信心しんじん、 「行」 と云いうは所修しょしゅの行ぎょうなり。 而しかるに願がん行ぎょうと分わかつ時ときは各別かくべつなれども、 南无なも阿あ弥陀みだ仏ぶつの六ろく字じを称しょうするに願がん行ぎょう具ぐ足そくの徳とく有ある也なり。

-則すなわち 「▲言↢ふ南无↡と者は即◗ち是 れ帰命、 亦是発願廻向之義。 言↢ふ阿弥陀仏↡と者は則0895◗ち是 れ其◗の行。 なり以↢の斯◗の義↡を故◗に必◗ず得↢往生↡を」 と云いへる、 其その意こころなり。 意こころは、 「南无」 の二字にじは願がんなり、 「阿弥陀仏」 の四字しじは行ぎょうなるが故ゆえに、 六ろく字じの中なかに願がん行ぎょうを具ぐ足そくして必かならず往おう生じょうすと也なり。

-其それに取とりて今いま 「↑十願十行」 と云いう、は 一念いちねんの中なかに一ひとつの願がん行ぎょうあれば、 十じっ声しょうの中なかには十とおの願がん行ぎょうあるべしと也なり。 是これに准じゅんじて云いわば、 百ひゃく念ねんには百ひゃくの願がん行ぎょう、 千念せんねんには千せんの願がん行ぎょう具ぐ足そくすべき也なり。

(33)

一 「▲雑◗と者は、 是 れ純◗に非↢ず極楽之の行↡に。 通↢於人天及以 び三乗↡に、 亦 た通↢ず於十方◗の浄土↡に。 故ゆへ◗に云↠ふ雑◗と也。 ◆然◗れ者ば西方◗の行者須 ら↧くキ捨↢ てゝ雑行↡を修↦す正行↥を也」 と云いうは、 定じょう散さんの諸しょ行ぎょうは極楽ごくらくの正しょう因いんにあらず。 或あるいは人天にんでん有漏うろの果かを感かんずる業ごう也たり、 或あるいは声しょう聞もん・縁覚えんがくの果かを得うる因いんたり、 或あるいは菩ぼ提だい薩さっ埵たの位くらいに登のぼるべき善ぜんたり、 或あるいは十方じっぽう浄じょう土どに生しょうずべき行ぎょうなり。

-故ゆえに彼かれ等らの所しょ求ぐの為ためには諸しょ行ぎょうを行ぎょうずべし、 西方さいほうの往おう生じょうを望のぞまば西方さいほうの業因ごういんたる念仏ねんぶつを修しゅすべしとなり。

-定じょう善ぜんは十方じっぽう浄じょう土どの通因つういんなることは、 ¬観かん経ぎょう¼ の序分じょぶんに見みえたり。 通所つうしょ求ぐに 「▲為↠に我◗が広◗く説↧  たまへと無↢き憂悩↡処↥を」 と請しょうじて、 則すなわち通つう去こ行ぎょうに 「▲唯やゝ願 くは仏日、 教↠ へて我◗を観くわん↢   ぜしめたまへ於清浄◗の業処↡を」 と請しょうずるが故ゆえなり。

-三福さんぷく散善さんぜんの中なかに、 孝きょう養よう父母ぶも等とうの世せ福ふくは人にん中ちゅう天てん上じょうの福善ふくぜんなり。 受じゅ持じ三さん帰き等とうの戒福かいふくは小乗しょうじょう所修しょしゅの行ぎょう業ごうなり。 発ほつ菩ぼ提だい心しん・深信じんしん因いん果が・読誦大だい乗じょう等とうの行ぎょう福ふくは三さん乗じょうの修因しゅいん并ならびに十方じっぽう浄じょう土どの通因つういんなり。 故ゆえに純もっぱらに西方さいほうの正しょう因いんに非あらず。 縦たと0896ひ廻えして生しょうずる義ぎ有あれども、 真因しんいんに非あらざるが故ゆえに如是かくのごとく釈しゃくするなり。

(34)

一 正しょう雑ぞう二に行ぎょうに例れいせんが為ために純じゅん雑ぞうの二に門もんを立たてたるに、 余よの経きょう論ろんの証しょうを引ひきて云いう所ところの 「▲八蔵」・「▲四含」 等とうは、 一々いちいちの名みょう目もく、 再さい治ちの本ほんに見みえたり。

(35)

一 ▲¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ の文もんを引ひくことは、 上かみの ¬疏しょ¼ の文もんを引ひきて▲正しょう雑ぞう二に行ぎょうの差別しゃべつを釈しゃくすと云いへども、 ▲二に行ぎょうの得失とくしつを判はんずること今いまの ¬礼讃らいさん¼ の文もん分ぶん明みょうなるが故ゆえに、 重かさねて是これを引ひき具ぐせらるゝなり。

-所謂いわゆる専修せんじゅの者ものをば、 「▲十即十生、 百即百生」 と釈しゃくし、 雑修ざっしゅの者ものをば、 初はじめには 「▲百時◗に希◗に得え↢一二↡を、 千◗の時◗に希◗に得う↢五三↡を」 と判はんじ、 後のちには 「▲千中無一」 と釈しゃくせらるゝ、 是これ也なり。

-此この中なかに専修せんじゅには▲四し徳とくを出いだし、 雑修ざっしゅには▲十じゅう三さんの失しつを挙あげたり。

-先まず専修せんじゅの徳とくを讃さんずるに、 「1▲無↢ して外◗の雑縁↡得↢が正念↡を故」 と云いうは、 外げ邪じゃ異い見けんの人にんの、 雑ぞう行ぎょうを以もて障しょうげする縁えん無なくして念仏ねんぶつの正しょう念ねんを得うと云いうなり。

-「2▲与と↢仏◗の本願↡相応 するが故◗に」 と云いうは、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの本願ほんがんに相応そうおうするが故ゆえなり。 ¬大だい経きょう¼ に諸しょ行ぎょうを選えらび捨すてて、 念仏ねんぶつ◗を以もて往おう生じょうの本願ほんがんとするが故ゆえなり。

-「3▲不↠ るが違↠せ教◗に故◗に」 と云いうは、 釈しゃく尊そんの教きょうに違いせずとなり。 ¬観かん経ぎょう¼ に定じょう散さんの諸しょ行ぎょうを付ふ属ぞくせず、 念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを付ふ属ぞくするがゆへなり。

-「4▲随↢順 スルガ仏語◗に故」 と云いうは、 釈しゃ迦か◗の誠じょう説せつ及および諸仏しょぶつ証誠しょうじょうの実じつ語ごに随ずい順じゅんすとなり。 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ に 「▲汝等皆当↣に ベ シ信↢受◗す我◗が語ご及◗び諸仏◗の所説↡を」 と説とくが故ゆえ也なり。

-次つぎに雑修ざっしゅの失しつを挙あぐるに、 「1▲↓由↢が雑縁乱動 して失↢ するに正念↡を故◗に」 と、 「2▲与と0897↢仏◗の本願↡不↢ るが相応↡せ故◗に」 と、 「3▲与と↠教相違 するが故◗に」 と、 「4▲不↠ るが順↢ぜ仏語↡に故◗に」 と、 此この四よつは前さきの専修せんじゅの徳とくに翻対ほんたいして知しるべし。

-次つぎに 「5▲係念不↢ るが相続↡せ故◗に」 と、 「6▲憶を 想 う間断 するが故 へ◗に」 と、 「7▲廻願不↢ るが慇重いんぢう真実↡ なら故◗に」 と、 「8▲貪瞋諸見◗の煩悩来 りて間断 するが故◗に」 と、 「9▲无↠が有↢ こと慚愧悔過↡故◗に」 と、 「10▲不↣相続 シテ念↢報彼◗の仏恩↡を故◗に」 と、 「11▲心しん◗に生↢ じて軽慢↡を、 雖 ど↠も作↢ すと業行↡を常◗に与と↢名利り↡相応 するが故◗に」 と、 「12▲人我自◗ら覆 ひて不↣が親↢近◗せ同行善知識↡に故◗に」 と、 「13▲楽 ひて近↢ きて雑縁↡に、 自↢障々↣他 するが往生◗の正行↡を故◗に」 と、 此この九ここのつの失しつは、 第一だいいちの 「↑由↢が雑縁乱動 して失↢ するに正念↡を故◗に」 と云いへる中なかより是これを開かいせり。 大旨おおむね同おなじ事ことなれども、 分々ぶんぶんの義理ぎりに依よりて種々しゅじゅの失しつを出いだせるなり。 其その義ぎ文もんに有ありて見みつべし。

(36)

一 「▲何◗を以 ての故。に ↓餘此日このごろ自◗ら見↢聞 するに諸方◗の道俗↡を、 解行不同、 にして専雑有↠り異」 と云いうより以下いげは、 正まさしく専雑せんぞうの二に行ぎょうを相対そうたいして往おう生じょうの得とく否ひを決判けっぱんする也なり。

-「↑餘」 と云いうは、 和か尚しょうの自みずから我われと称しょうする言ことば也なり。 我われ諸人しょにんの修しゅ行ぎょうの相そうを見聞けんもんするに、 或あるいは専修せんじゅの行ぎょう者じゃもあり、 あるひは雑修ざっしゅの行ぎょう人にんもあり。 そのなかに専修せんじゅのものは百ひゃく即そく百生ひゃくしょうし、 雑修ざっしゅの者ものは千せん中ちゅう無む一いち也なりと云いう也なり。

(37)

一 「▲上 み在↢ りて一形↡に似↢如 ども小苦↡に」 と云いう以下いげは、 重かさねて念仏ねんぶつの功こうの小すこしきなると、 往おう生じょうの益やくの大おおきなるとを相対そうたいして、 称名しょうみょうを勧修かんしゅする也なり。

-念仏ねんぶつを勧修かんしゅするは、 凡ぼん夫ぶの懈け怠だい不ふ0898信しんの心こころに望のぞむれば小しょう苦くに似にたれども、 往おう生じょうの願望がんもうを遂とぐるは過か分ぶんの巨こ益やくなりと知しるべしと云いふ意こころなり。

(38)

一 「▲乃至成仏 して不ず↠逕↢生死↡を」 と云いうは、 生しょう死じに二に種しゅあり。 一には分段ぶんだん生しょう死じ、 二には変易へんやく生しょう死じなり。 分段ぶんだん生しょう死じと云いうは、 六道ろくどう四し生しょう、 死此しし生しょう彼ひの果か報ほうなり。 変易へんやく生しょう死じと云いうは、 菩ぼ薩さつの地位じいの増進ぞうしん也なり。 今いまは分段ぶんだん生しょう死じを離はなるゝを云いうなり。

-問とい◗て云いわく、 極楽ごくらくを願がんずるは仏ぶっ果かを成じょうぜんが為ためなり。 今いまの釈しゃくの如ごときは、 往おう生じょう即すなわち成じょう仏ぶつの義ぎにはあらざる歟か。 而しからば所しょ期ごの本ほん意い無なきに似にたり、 如何いかん。

-答こたえて云いわ、く 聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんを分別ふんべつする時とき、 聖しょう道どうは成じょう仏ぶつを期ごし、 浄じょう土どは往おう生じょうを願がんず。 是これ難なん行ぎょう・易い行ぎょうの差別しゃべつなり。

-別べつ時じ門もんの釈しゃくに、 「▲正報◗は難↠し期。し 一行雖 ど↠も精せい なりと未 ズ ↠だ剋。せ 依報◗は易↠し求。め 所以そ  へ◗に一願之の心 ろ のみ未 ズ ↠だ入◗ら」 (玄義分) と云いへる、 この義ぎ也なり。

-▼然しかれども穢土えどの修しゅ行ぎょうの如ごとくに長じょう遠おんの修しゅ行ぎょうを用もちいず、 彼土ひどは無為むい涅ね槃はんの界かいなるが故ゆえに、 自じ然ねんに無む生しょうの理りに契当かいとうし、 速疾そくしつに菩ぼ提だいの果かを得うるなり。

-¬礼讃らいさん¼ には 「▲十地◗の願行自然◗に彰 はる」 と云いひ、 ¬般舟はんじゅ讃さん¼ には 「▲道場◗の妙果豈 に為せ↠ んや賖はるか なりと」 と云いへる解げ釈しゃく等ら、 則すなわち此この義ぎを顕あらわす也なり。

(39)

一 私わたくしの釈しゃくに付つきて不ふ審しんあり。 前ぜん後ごの諸しょ章しょうの如ごときは、 所引しょいんの本文ほんもんに於おいては多た少しょうを論ろんぜず、 一処いっしょに是これをのせて末まつ後ごに私わたくしの釈しゃくをば設もうけたり。 而しかるに当とう章しょうには ▲¬疏しょ¼ の釈しゃくと ▲¬礼讃らいさん0899¼ の釈しゃくと各別かくべつに引↠之これをひきて、 私わたくしの釈しゃくを中ちゅう間げんに隔へだてたるは何なんの意こころぞと云いうに、

-是これを意こころ得うるに、 ¬疏しょ¼ の文もんは正しょう雑ぞう二に行ぎょうを分別ふんべつし、 正しょう助じょ二に行ぎょうを定じょう判はんするが故ゆえに其その文もんを受うけて、 初はじめには往おう生じょうの行ぎょう相そうを明あかし、 後のちには二に行ぎょうの得失とくしつを判はんじおはりぬ。

-其その中なかに今いまの ¬礼讃らいさん¼ の文もんは重かさねて二に行ぎょうの得失とくしつを挙あげて、 分ぶん明みょうに往おう生じょうの得とく不ふ得とくを釈しゃくし顕あらわすが故ゆえに、 無智むちの道俗どうぞくの為ために要ようが中なかの要ようなれば、 別べつに是これを引ひきて専修せんじゅを勧すすむるなり。

-意こころは愚ぐ鈍どん下げ根こんの輩やから、 広こうを求もとめずして略りゃくを欣ねがはん時とき、 意こころを此この文もんに留とどめて念仏ねんぶつの一いち行ぎょうを修しゅせしめんが為ため也なり。

本云

嘉慶三年 己巳 □月六日書写了

応永廿二年五月廿九日、 以或本書之。 先老御草随尋得令悦之、 忝謹以写之。

 一交了

伝領光覚(花押)
     記之

 

底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完し、 表記は現代仮名遣いとした。
は 底本では「©に¹は」。 ⒶⒷⒸにより削除。