*本願ほんがんしょうにん親鸞しんらんでん じょう

解説

 

一 出家学道

【1】 それしょうにん (親鸞)ぞくしょう藤原ふじわらうじ*あまつ児屋こやねのみことじゅういっびょうえいたいしょっかん *かまこのない大臣だいじん 玄孫げんそんこのえのたいしょう大臣だいじん ぞう大臣だいじん じゅいち*内麿うちまろこう ながおかの大臣だいじんごうし、 あるいはかんいんの大臣だいじんごうす。 ぞうしょういちじょう大臣だいじん*房前ふさざきこうのまごだいごんしききょうたてのそくなり 六代ろくだい後胤こういんひつのさいしょうありくにのきょう*だいまご*こう太后たいごうぐうの大進だいしん*有範ありのりなり。 しかあればちょうていつかへて*霜雪そうせつをもいただき、 *さんにわしりてえいをもひらくべかりしひとなれども、 興法こうぼういんうちにきざし、 *しょうえんほかにもよおししによりて、 *さいはるのころ、 はくじゅさんのりつなのきょう ときじゅ四位しいじょうさきの若狭わかさのかみしらかわのじょうこう近臣きんしんなり、 しょうにん (親鸞) のよう さきのだいそうじょう えんちんしょうこれなり、 *ほうしょう殿どののそく*月輪つきのわ殿どののちょうけい ぼうへあひしたてまつりて、 鬢髪びんぱつ剃除ていじょしたまひき。 範宴はんねんしょうごんのきみごうす。 それよりこのかた、 しばしば*南岳なんがく天台てんだい玄風げんぷうとぶらひて、 ひろく*三観さんがんぶつじょうたっし、 とこしなへに*りょうごんかわりゅうたたへて、 ふかく*きょうえんにゅうにあきらかなり。

天児屋根尊 記紀神話に出る神。 中臣氏 (宮廷のさいをつかさどった氏族)・藤原氏の祖神。
鎌子 藤原鎌足かまたり (614-669) のこと。
内麿公 藤原鎌足の五代の孫、 藤原内麿のこと。
房前公 (671-737) 藤原氏北家の祖。
五代の孫 有範は有国の六代の孫にあたる。 ここでは有範の父経伊つねただを省いた系図によったと考えられる。
皇太后宮大進 皇太后宮職の第三等官。
霜雪をも戴き 頭髪が白くなるまで朝廷に仕えるという意。 また、 天皇の側近く仕えるという意。
射山にわしりて 射山は上皇の御所をいう。 上皇に仕えて。
利生 しゅじょうやくすること。
九歳 養和元年 (1181)。
法性寺殿 藤原忠道ただみち (1097-1164) のこと。
月輪殿 じょう兼実かねざね (1149-1207) のこと。
南岳天台 中国天台宗の南岳大師慧思えし (515-577)・天台大師智顗ちぎ (538-597) によって説き示された奥深い教え。
三観仏乗の理 天台宗の根本的な教え。 くうちゅうの三種の観法によって生きとし生けるものがさとりをひらくとする教え。
楞厳横川の余流 えいざん横川 (しゅりょうごんいんはその中堂の称) に伝えられているげんしんしょうの流れ。
四教円融の義 天台宗の根本的な教え。 蔵・通・別・円の四教を立てて釈尊一代の経説内容を判別し、 その究極である円教の内容をさんたい円融の理で解説する。

二 吉水入室

【2】 だいだん

 *建仁けんにん第一だいいちれきはるのころ しょうにん (親鸞) じゅうさい 隠遁いんとんこころざしにひかれて、 源空げんくうしょうにん吉水よしみず禅房ぜんぼうにたづねまゐりたまひき。 これすなはちくだり、 ひとつたなくして、 なんぎょうしょうまよひやすきによりて、 ぎょうだいどうにおもむかんとなり。 しんしゅう紹隆しょうりゅうたいしょうにん (源空)、 ことにしゅう淵源えんげんつくし、 きょう理致りちをきはめて、 これをのべたまふに、 たちどころにりきせっしょう旨趣しいしゅ受得じゅとくし、 あくまで*ぼんじきにゅう真心しんしんけつじょうしましましけり。

建仁第一の暦 建仁元年 (1201)。 「建仁第三」とする異本がある。
凡夫直入 凡夫のままで真実ほうに往生せしめられること。

三 六角夢想

【3】 だいさんだん

 建仁けんにん三年さんねん *みずのとのい がついつかのひ*とらのときしょうにん (親鸞) そうげましましき。 *かの ¬¼ にいはく、 *六角ろっかくどう*救世くせさつ顔容げんよう端厳たんごんしょうそうかたちげんして、 *びゃくのう袈裟けさちゃくぶくせしめ、 広大こうだいびゃくれんたんして、 善信ぜんしん (親鸞)ごうみょうしてのたまはく、 「*ぎょうじゃ宿しゅくほうせつ女犯にょぼん じょうぎょくにょしんぼん いっしょうけんのうしょうごん りんじゅう引導いんどうしょう極楽ごくらく」 といへり。 救世くせさつ善信ぜんしんにのたまはく、 「これはこれわが誓願せいがんなり。 善信ぜんしんこの誓願せいがん旨趣しいしゅ宣説せんぜつして、 一切いっさいぐんじょうにきかしむべし」 と云々うんぬん。 そのとき善信ぜんしんゆめのうちにありながら、 どうしょうめんにして東方とうぼうをみれば、 *峨々ががたる岳山がくざんあり。 その高山こうざん千万せんまんおくじょうくんじゅうせりとみゆ。 そのときごうみょうのごとく、 このもんのこころを、 かのやまにあつまれるじょうたいしてききかしめをはるとおぼえて、 ゆめさめをはりぬと云々うんぬん。 つらつらこのろくひらきてかのそうあんずるに、 ひとへにしんしゅうはんじょうずい念仏ねんぶつこうひょうなり。 しかあればしょうにん (親鸞)のちときおおせられてのたまはく、 「ぶっきょうむかし西天さいてん (印度) よりおこりて、 きょうろんいまとう (日本)つたはる。 これひとへにじょうぐうたい (聖徳太子)広徳こうとくやまよりもたかくうみよりもふかし。 わがちょう欽明きんめい天皇てんのう*ぎょに、 これをわたされしによりて、 すなはちじょうしょうきょうろんとうこのときにらいす。 儲君ちょくん (聖徳太子) もし厚恩こうおんほどこしたまはずは、 ぼんいかでかぜいにあふことをん。 救世くせさつはすなはち儲君ちょくんほんなれば、 *すいしゃく興法こうぼうがんをあらはさんがためにほん尊容そんようをしめすところなり。 そもそもまただいしょうにん 源空げんくう もしけいしょせられたまはずは、 われまた配所はいしょにおもむかんや。 もしわれ配所はいしょにおもむかずんば、 なにによりてかへん群類ぐんるいせん。 これなほきょうおんなり。 だいしょうにんすなはちせいしんたいまた観音かんのんすいしゃくなり。 このゆゑにわれさつ引導いんどうじゅんじて、 如来にょらい本願ほんがんをひろむるにあり。 しんしゅうこれによりてこうじ、 念仏ねんぶつこれによりてさかんなり。 これ*しかしながら、 しょうじゃきょうによりて、 さらに*まい今案こんあんをかまへず、 かのだいじゅうがん、 ただ*いちぶつみょう専念せんねんするにたれり。 いまぎょうじゃあやまりて*きょうつかふることなかれ、 ただちに本仏ほんぶつ (阿弥陀仏)あおぐべし」 と云々うんぬん。 かるがゆゑにしょうにん親鸞しんらんかたわらに皇太こうたい (聖徳太子)あがめたまふ。 けだしこれ仏法ぶっぽうずうのおほいなるおんしゃせんがためなり。

癸亥 「辛酉」 とする異本がある。 辛酉は建仁元年にあたる。
寅時 午前四時頃。
かの記 ¬親鸞しんらん夢記むき¼ を指すか。 同書は現存しないが、 高田派専修せんじゅに 「親鸞夢記云…」 (真仏しんぶつ上人書写) と示す文書が伝わる。
六角堂 現在の京都市中京区六角通東洞院西入ルにあるちょうほう。 聖徳太子の創建と伝えられ、 当時は観世音菩薩の霊験所として知られていた。
救世菩薩 →かんおんさつ
白衲 白色の僧衣。
行者宿報…  「行者、 宿報にてたとひ女犯すとも、 われ玉女の身となりて犯せられん。 一生のあひだ、 よく荘厳して、 臨終に引導して極楽に生ぜしめん」
峨々 けわしくそびえ立っているさま。
御宇 御治世。 在位期間。
垂迹興法の願 人間の姿を現して仏法を興隆させようとする願い。
愚昧の今案 愚かで道理に暗い自分の考え。
一仏名 南無阿弥陀仏のみょうごうを指す。
脇士 阿弥陀仏の脇座に侍る観世音菩薩と大勢至菩薩。

四 蓮位夢想

【4】 だいだん

 *けんちょう八年はちねん ひのえたつ がつここぬかのひ*とらのときしゃくの*れんそうげにいはく、 しょうとくたい親鸞しんらんしょうにんらいしたてまつりてのたまはく、 「きょうらいだい弥陀みだぶつ 妙教みょうきょうずうらいしょうじゃ じょくあくあくかいちゅう けつじょう即得そくとくじょうかく」 。 しかれば、 祖師そししょうにん (親鸞) は、 弥陀みだ如来にょらいしんにてましますといふことあきらかなり。

建長八年 1256年。

五 選択付属

【5】 だいだん

 黒谷くろだに先徳せんどく 源空げんくう ざいのむかし、 矜哀こうあいのあまり、 あるとき恩許おんきょこうぶりて*製作せいさく見写けんしゃし、 あるとき真筆しんぴつくだしてみょうきたまはす。 すなはち ¬けんじょう方便ほうべんしん文類もんるい¼ のろくにのたまはく、 親鸞しんらんしょうにんせんじゅつ しかるに禿とくしゃくのらん*建仁けんにんかのとのとりれきぞうぎょうてて本願ほんがんし、 *げんきゅうきのとのうしとし恩恕おんじょこうぶりて ¬せんじゃく¼ (選択集)く。 おなじきとし*しょ中旬ちゅうしゅんだいにち、 ¬せんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう¼ の内題ないだい、 ならびに ª南無なも弥陀みだぶつ おうじょうごう 念仏ねんぶつほんº と、 ªしゃくのしゃくくう (親鸞)º と、 くう (源空)真筆しんぴつをもつてこれをかしめたまひ、 おなじきくう真影しんねいもうあずかり、 図画ずがしたてまつる。 おなじきねんうるう七月しちがつじゅんだいにち真影しんねいめい真筆しんぴつをもつて、 ª南無なも弥陀みだぶつº と ªにゃくじょうぶつ 十方じっぽうしゅじょう しょうみょうごう 下至げしじっしょう にゃくしょうじゃ しゅしょうがく ぶつこん現在げんざいじょうぶつ とう本誓ほんぜいじゅうがん不虚ふこ しゅじょうしょうねん必得ひっとくおうじょうº の真文しんもんとをかしめたまひ、 またゆめげによりて、 *しゃくくうあらためて、 おなじきひつをもつてかしめたまひをはりぬ。 ほんしょうにん (源空)今年こんねん*しちしゅんさん御歳おんとしなり。 ¬せんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう¼ は、 *ぜんじょう博陸はくりく 月輪つきのわ殿どの兼実かねざねほうみょうえんしょう 教命こうめいによりてせんじゅうせしめたまふところなり。 しんしゅう簡要かんよう念仏ねんぶつおう、 これにしょうざいせり。 るものさとりやすし。 まことにこれ希有けうさいしょうもんじょう甚深じんじん宝典ほうでんなり。 としわたわたり、 そのきょうこうぶるのひと千万せんまんなりといへども、 しんといひといひ、 この見写けんしゃるのともがら*はなはだもつてかたし。 しかるにすでに製作せいさく書写しょしゃし、 真影しんねい図画ずがす。 これ専念せんねんしょうごうとくなり、 これけつじょうおうじょうちょうなり。 よつて悲喜ひきなみだおさへてらいえんしるす」 と云々うんぬん

製作 著作。 ¬せんじゃくしゅう¼ を指す。
建仁辛酉の暦 建仁元年 (1201)、 親鸞聖人二十九歳。 吉水よしみず入室の年。
元久乙丑の歳 元久二年 (1205)、 親鸞聖人三十三歳。
初夏中旬第四日 四月十四日 (初夏は陰暦四月の別称)。
綽空 親鸞聖人が吉水のほうねん上人の門下であった頃の名。 ¬しゅうとくでん¼ 巻六や ¬六要ろくようしょう¼ によると、 この時、 名を善信ぜんしんと改めたという。
七旬三 旬は十年の意。
はなはだもつてかたし 甚だ少ない。

六 信行両座

【6】 だいろくだん

 おほよそ源空げんくうしょうにんざいしょうのいにしへ、 りきおうじょうむねをひろめたまひしに、 あまねくこれにこぞり、 ひとことごとくこれにしき。 *きんせいきゅうまつりごとおもくするみぎりにも、 まづ*黄金おうごん樹林じゅりんはなぶさにこころをかけ、 *三槐さんかい九棘きゅうきょくみちをただしくするいえにも、 ただちにじゅう八願はちがんつきをもてあそぶ。 しかのみならず*戎狄じゅてきともがら*黎民れいみんたぐい、 これをあおぎ、 これをとうとびずといふことなし。 せん*ながえをめぐらし、 門前もんぜん*いちをなす。 じょうずい*昵近じっきん緇徒しとそのかずあり、 すべてさんびゃくはちじゅうにん云々うんぬん。 しかりといへども、 まのあたりその*をうけ、 ねんごろにそのおしえをまもるやから、 はなはだまれなり。 わづかにりくはいにだにもたらず。 善信ぜんしんしょうにん (親鸞)、 あるときもうしたまはく、 「なんぎょうどうさしおきてぎょうどうにうつり、 しょうどうもんのがれてじょうもんりしよりこのかた、 *芳命ほうめいをかうぶるにあらずよりは、 あにしゅつだつりょういんたくわへんや。 よろこびのなかのよろこび、 なにごとかこれにしかん。 しかるに同室どうしつよしみむすびて、 ともにいっおしえあおともがら、 これおほしといへども、 真実しんじつほうとくしょう信心しんじんじょうじたらんこと、 自他じたおなじくしりがたし。 かるがゆゑに、 かつは*当来とうらいしんたるほどをもしり、 かつは*しょうおもいいでともしはんべらんがために、 おん弟子でしさんじゅうみぎりにして、 *しゅつごんつかうまつりて、 面々めんめんしゅをもこころみんとおもふ所望しょもうあり」 と云々うんぬんだいしょうにん (源空) のたまはく、 「このじょうもつともしかるべし、 すなはちみょうにち人々ひとびと来臨らいりんのときおおせられいだすべし」 と。 しかるに翌日よくじつしゅうのところに、 しょうにん 親鸞しんらん のたまはく、 「今日こんにち*しん退たい*ぎょう退たい御座みざりょうほうにわかたるべきなり。 いづれのにつきたまふべしとも、 おのおのしめしたまへ」 と。 そのときさんびゃくにん門侶もんりょみなそのこころざるあり。 ときに法印ほういんだいしょう*聖覚せいかく、 ならびにしゃくの*信空しんくうしょうにん法蓮ほうれん、 「しん退たい御座みざくべし」 と云々うんぬん。 つぎにしゃ*法力ほうりき 熊谷くまがい直実なおざねにゅうどう さんしてもうしていはく、 「善信ぜんしんの御房おんぼう執筆しゅひつなにごとぞや」 と。 善信ぜんしんしょうにんのたまはく、 「しん退たいぎょう退たいをわけらるるなり」 と。 法力ほうりきぼうもうしていはく、 「しからば法力ほうりきもるべからず、 しん退たいにまゐるべし」 と云々うんぬん。 よつてこれをせたまふ。 ここにひゃくにんもんぐんすといへども、 さらに一言いちごんをのぶるひとなし。 これおそらくはりき迷心めいしんかかはりて、 金剛こんごう真信しんしんくらきがいたすところか。 ひとみないんのあひだ、 執筆しゅひつしょうにん 親鸞しんらん みょうせたまふ。 ややしばらくありてだいしょうにんおおせられてのたまはく、 「源空げんくうしん退たいにつらなりはんべるべし」 と。 そのとき*門葉もんよう、 あるいは屈敬くっsけいをあらはし、 あるいは*うっいろをふくめり。

紫禁青宮の政 紫禁は天皇の御所、 青宮は皇太子の御所のこと。 ここでは朝廷の行う政治の意。
黄金樹林の萼 浄土の七宝樹林の華。
三槐九棘の道 三槐は三公さんこう (大臣)、 九棘はきゅうけい (公家) のこと。 ここでは朝廷の大臣と高官の行う政道の意。
戎狄 辺国の人々。
黎民 人民。 庶民。
轅をめぐらし 訪れるという意。
市をなす 人がたくさん集まるという意。
昵近の緇徒 親しくしている僧侶。
 教化。
芳命をかうぶる 仰せをいただく。
当来 来世。 来生。
浮生 はかないこの世。
出言つかうまつりて 質問を申しあげて。
信不退 阿弥陀仏の本願を信ずる一念に浄土往生がけつじょうするという立場。
行不退 念仏の行をはげみ、 そのどくによって浄土往生が決定するという立場。
信空 法蓮ほうれんぼうしょうべん (1146-1228) のこと。 藤原行隆ゆきたかの子と伝える。 はじめえいざん叡空えいくうに師事し、 その死後、 法然ほうねん上人のもとで専修せんじゅ念仏に帰依きえした。 その門流を白川門徒という。
法力 法力房蓮生れんせい (1141-1208) のこと。 俗名は熊谷くまがいろう直実なおざね。 源頼朝に仕える武士であったが、 出家して法然ほうねん上人の門に入った。
門葉 門弟。 門下の人々。
鬱悔 気分がふさいで、 はればれとしないこと。

七 信心諍論

【7】 だいしちだん

 しょうにん 親鸞しんらん のたまはく、 いにしへわがだいしょうにん 源空げんくう 御前おんまえに、 *しょうしんぼう*勢観せいかんぼう*念仏ねんぶつぼう以下いげのひとびとおほかりしとき、 *はかりなきじょうろんをしはんべることありき。 そのゆゑは、 「しょうにん信心しんじん善信ぜんしん (親鸞)信心しんじんと、 いささかもかはるところあるべからず、 ただひとつなり」 ともうしたりしに、 このひとびととがめていはく、 「善信ぜんしんぼうの、 しょうにん信心しんじんとわが信心しんじんとひとしともうさるることいはれなし。 いかでかひとしかるべき」 と。 善信ぜんしんもうしていはく、 「などかひとしともうさざるべきや。 そのゆゑはじん博覧はくらんにひとしからんとももうさばこそ、 まことに*おほけなくもあらめ、 おうじょう信心しんじんにいたりては、 ひとたびりき信心しんじんのことわりをうけたまはりしよりこのかた、 まつたくわたくしなし。 しかればしょうにん信心しんじんりきよりたまはらせたまふ、 善信ぜんしん信心しんじんりきなり。 かるがゆゑにひとしくしてかはるところなしともうすなり」 ともうしはんべりしところに、 だいしょうにんまさしくおおせられてのたまはく、 「信心しんじんのかはるともうすは、 りきしんにとりてのことなり。 すなはち智慧ちえ各別かくべつなるゆゑにしんまた各別あくべつなり。 りき信心しんじんは、 善悪ぜんあくぼんともにぶつのかたよりたまはる信心しんじんなれば、 源空げんくう信心しんじん善信ぜんしんぼう信心しんじんも、 *さらにかはるべからず、 ただひとつなり。 わがかしこくてしんずるにあらず。 信心しんじんのかはりあうておはしまさんひとびとは、 わがまゐらんじょうへは*よもまゐりたまはじ。 よくよくこころえらるべきことなり」 と云々うんぬん。 ここに面々めんめんしたをまき、 くちぢてやみにけり。

正信房 底本には 「聖信房」 とある。 正信房湛空たんくう (1176-1253) のこと。 はじめえいざん実全じつぜんに師事したが、 後に法然上人に帰し、 京都嵯峨さがの二尊院に住して念仏を広めた。 その門流を嵯峨門徒という。
念仏房 生没年未詳。 念阿弥陀仏のこと。 比叡山の僧であったが、 法然上人に帰依し、 晩年京都嵯峨の往生院 (現在の祇王寺) に住したという。
はかりなき諍論 思いもよらない論争。
おほけなくもあらめ 身のほどをわきまえないということもあるだろうが。
さらにかはるべからず 少しも異なったところのあるはずがない。
よも まさか。

八 入西鑑察

【8】 だいはちだん

 おん弟子でし*にゅう西さいぼうしょうにん 親鸞しんらん 真影しんねいうつしたてまつらんとおもふこころざしありて、 *ごろをふるところに、 しょうにんそのこころざしあることを*かがみておおせられてのたまはく、 「*じょうぜんほっきょう しちじょうへんきょじゅう うつさしむべし」 と。 にゅう西さいぼう鑑察かんさつむねずいして、 すなはちかのほっきょう召請ちょうしょうす。 じょうぜん*左右さうなくまゐりぬ。 すなはち尊顔そんげんかひたてまつりてもうしていはく、 「きょどくれいをなんかんずるところなり。 そのゆめのうちにはいしたてまつるところのしょうそう面像めんぞう、 いまかひたてまつる容貌ようぼうに、 すこしもたがふところなし」 といひて、 たちまちにずい感歎かんたんいろふかくして、 みづからそのゆめかたる。 そうにんらいじゅうす。 一人いちにんそうのたまはく、 「この*そう真影しんねいうつさしめんとおもふこころざしあり。 ねがはくは*ぜんふでをくだすべし」 と。 じょうぜんひていはく、 「かのそうたれびとぞや」 。 くだんそうのいはく、 「*善光ぜんこう本願ほんがん御房おんぼうこれなり」 と。 ここにじょうぜんたなごころあわひざまずきて、 ゆめのうちにおもふやう、 さてはしょうじん弥陀みだ如来にょらいにこそと、 よだちてぎょうそんじゅうをいたす。 また、 「*ぐしばかりをうつされんにりぬべし」 と云々うんぬん。 かくのごとく問答もんどう往復おうふくしてゆめさめをはりぬ。 しかるにいまこのぼうにまゐりてみたてまつる尊容そんようゆめのうちのしょうそうにすこしもたがはずとて、 ずいのあまりなみだながす。 しかれば、 「ゆめにまかすべし」 とて、 いまもぐしばかりをうつしたてまつりけり。 そう*にん三年さんねんがつ二十はつなり。 つらつらこのずいをおもふに、 しょうにん (親鸞)弥陀みだ如来にょらい来現らいげんといふこと*炳焉へいえんなり。 しかればすなはち、 ずうしたまふ教行きょうぎょう、 おそらくは弥陀みだ直説じきせつといひつべし。 あきらかに無漏むろとうをかかげて、 とほく*じょく迷闇めいあんらし、 あまねくかんほうをそそぎて、 はるかにかつ凡惑ぼんわくうるおさんがためなりと。 あおぐべし、 しんずべし。

入西房 伝未詳。 一説では常陸ひたち大門 (現在の茨城県常陸太田市) の道円どうえんのことであるという。
日ごろをふるところに 日頃を過していたところ。
かがみて かんがみて。 察して。
定禅法橋 伝未詳。 せん阿弥あみぶつ (袴殿。 かがみのえいの作者) と同一人物であるともいわれるが不明。
左右なく ただちに。
化僧 教化僧。 あるいはごんの僧の意を含むか。
禅下 定禅法橋のこと。
善光寺の本願の御房 ¬善光寺縁起¼ によると、 同寺は、 百済くだらから渡来した阿弥陀三尊像 (一光三尊像) を、 すい天皇十年 (602)、 ほんよしみつしなの自宅に安置し、 こうぎょく天皇元年 (642)、 さらにこれを同国水内群芋井郷 (現在の長野市) に移し堂宇を造営したのが起源であるという。 善光寺の本願の御房とは、 同寺の勧進聖で、 阿弥陀仏のしんとみなされていた。
御ぐし 御首、 御頭などと書く。 頭部。
仁治三年 1242年。 親鸞聖人七十歳。
炳焉なり 明らかなさま。

 

本願ほんがんしょうにん親鸞しんらんでん 

一 師資遷謫

【9】 だいいちだん

 じょうしゅうこうぎょうによりて、 しょうどうもん廃退はいたいす。 これくう (源空)しょなりとて、 たちまちにざいせらるべきよし、 *南北なんぼく碩才せきさいいきどおりまうしけり。 ¬けんしん文類もんるい¼ のろくにいはく、 「ひそかにおもんみれば、 しょうどうしょきょう行証ぎょうしょうひさしくすたれ、 じょうしんしゅうしょうどういまさかんなり。 しかるにしょしゃくもんきょうくらくしてしんもんらず、 *らく儒林じゅりんぎょうまどひてじゃしょうどうわきまふることなし。 ここをもつて、 *興福こうぶくがくじょう天皇てんのう いみな尊成たかひら*ばのいんごうす きんじょう いみな為仁ためひと*つちかどのいんごうす 聖暦せいれき*じょうげんひのとのうとし*仲春ちゅうしゅん上旬じょうじゅんこう奏達そうたつす。 しゅじょうしんほうそむし、 忿いかりをなしあだむすぶ。 これによりて、 しんしゅうこうりゅうたい源空げんくうほっならびにもんはいざいかんがへず、 *みだりがはしくざいつみす。 あるいはそうあらた姓名しょうみょうたまひておんしょす。 はそのひとつなり。 しかればすでにそうにあらずぞくにあらず。 このゆゑに禿とくをもつてしょうとす。 くう (源空) ならびに弟子でしとう諸方しょほうへんしゅうつみしてねん*居諸きょしょたり」 と云々うんぬんくうしょうにんざいみょうふじいの元彦もとひこ配所はいしょ*さのくに 幡多はた らんしょうにん (親鸞) ざいみょうふじいの善信よしざね配所はいしょ*えちごのくに こく このほかもんざいざいみなこれをりゃくす。 皇帝こうてい いみな守成もりなり*どのいんごうす 聖代せいだい*けんりゃくかのとのひつじとし*げつ中旬ちゅうじゅんだい七日しちにち*おかざきのちゅうごんのりみつのきょうをもつてちょくめん。 このときしょうにんみぎのごとく禿とくきて*奏聞そうもんしたまふに、 へい*叡感えいかんをくだし、 しんおほきにほうす。 ちょくめんありといへども、 *かしこにほどこさんがために、 なほしばらく在国ざいこくしたまひけり。

南北の碩才 奈良の興福こうぶくえいざんえんりゃくのすぐれた学者。
洛都の儒林 洛都は京都。 儒林は儒学者。
興福寺… 元久二年 (1205) 十月、 興福寺の宗徒が専修せんじゅ念仏のちょうを求めて九箇条からなる弾劾状 (「興福寺そうじょう」 と呼ばれる) を朝廷に提出し、 建永二年 (承元元年・1207) 二月、 法然ほうねん上人とその門弟が処罰された。 →興福こうぶく
後鳥羽院 後鳥羽天皇 (1180-1239。 在位1183-1198)。 承久三年 (1221)、 ほうじょう氏追討の院宣いんぜんを下して挙兵したが失敗し、 隠岐おきに配流された (承久の乱)。
土御門院 土御門天皇 (1195-1231。 在位1198-1210)。
承元丁卯の歳 1207年。
仲春 陰暦二月の別称。
みだりがはしく 無法にも。
居諸 月日。 歳月。
土佐国 現在の高知県。 ほうねん上人は実際には讃岐さぬき (現在の香川県) に留まった。
越後国国府 現在の新潟県上越市付近。 「国府」 は 「こくふ」 とも 「こふ (こう)」 ともいう。
佐渡院 じゅんとく天皇 (1197-1242。 在位1210-1221)。
建暦辛未の歳 1211年。 親鸞聖人三十九歳。
子月 陰暦十一月の別称。
岡崎中納言範光卿 式部少輔従三位範兼のりかねの子息。 ただし、 承元元年 (1207) に出家しており、 当時のしゃめん官は藤原光親みつちかであった。
奏聞 天皇に奏上すること。
叡感 (天皇が) 感心してほめること。
かしこ 越後 (の人々)。

二 稲田興法

【10】だいだん

 しょうにん (親鸞) えちごのくにより*常陸ひたちのくにえて、 *かさまのこおりいなだのごうといふところに隠居いんきょしたまふ。 *幽棲ゆうせいむといへども道俗どうぞくあとをたづね、 *ほうづといへどもせんちまたにあふる。 仏法ぶっぽうずう本懐ほんがいここにじょうじゅし、 しゅじょうやく宿しゅくでんたちまちに満足まんぞくす。 このときしょうにんおおせられてのたまはく、 「*救世くせさつごうみょうけしいにしへのゆめ、 すでにいまごうせり」 と。

常陸国 現在の茨城県。
笠間郡稲田郷 現在の茨城県笠間市稲田町。
幽棲を占む ひっそりとかくれ住む。
蓬戸を閉づ 幽棲の庵の戸を閉ざす。 人との交際を断つ。
救世菩薩の告命 「行者宿報…」 の偈を指す。

三 弁円済度

【11】だいさんだん

 しょうにん (親鸞) 常陸ひたちのくににして専修せんじゅ念仏ねんぶつをひろめたまふに、 おほよそほうともがらすくなく、 しんじゅんやからはおほし。 しかるに一人いちにんそう *山臥やまぶし云々うんぬん ありて、 ややもすれば仏法ぶっぽう*あだをなしつつ、 *けっ害心がいしんをさしはさみて、 しょうにん*よりよりうかがひたてまつる。 しょうにん*板敷いたじきやまといふ深山しんざんをつねに往反おうへんしたまひけるに、 かのやまにして度々どどあひまつといへども、 さらに*そのせつをとげず。 つらつらことの*しんあんずるに、 すこぶるどくのおもひあり。 よつてしょうにんえっせんとおもふこころつきて、 *禅室ぜんしつにゆきてたずねまうすに、 しょうにん左右さうなくであひたまひけり。 すなはち尊顔そんげんにむかひたてまつるに、 害心がいしんたちまちにしょうめつして、 あまつさへ後悔こうかいなみだきんじがたし。 ややしばらくありて、 ありのままにごろの*宿しゅくうつじゅつすといへども、 しょうにんまたおどろけるいろなし。 たちどころにきゅうせんをきり、 とうじょうをすて、 きんをとり、 *かきころもをあらためて、 ぶっきょうしつつ、 つひにかいをとげき。 思議しぎなりしことなり。 すなはち*みょうほうぼうこれなり。 しょうにん (親鸞) これをつけたまひき。

山臥 山伏 (修験道の行者)。 当時は 「山臥」 と書くことが多かった。
 怨み。 敵意。
結句 あげくのはて。 ついには。 とうとう。
よりより おりおり。 その時々。
板敷山 茨城県の筑波山地にある山。 当時、 筑波山地は修験道のぎょうとなっていた。
その節をとげず その目的を果たせない。
参差を案ずるに 行き違いを考えると。
禅室 ここでは親鸞聖人の住いのこと。
宿鬱 つもりつもった思い。
柿の衣 柿渋で染めた無紋の衣。 山伏などが着た。

四 箱根霊告

【12】だいだん

 しょうにん (親鸞) 東関とうかんさかいでて、 *せいみちにおもむきましましけり。 ある*晩陰ばんいんにおよんではこけんにかかりつつ、 はるかに行客こうかくあとおくりて、 やうやく人屋じんおく*とぼそにちかづくに、 もすでに*ぎょうこうにおよんで、 つきもはやれいにかたぶきぬ。 ときにしょうにんあゆりつつ*案内あんないしたまふに、 まことに*よわいかたぶきたるおきなのうるはしくしょうぞくしたるが、 いと*こととなくであひたてまつりていふやう、 「*しゃびょうちかきところのならひ、 *かんなぎどもの終夜よもすがらあそびしはんべるに、 おきなもまじはりつるが、 いまなんいささかよりはんべるとおもふほどに、 ゆめにもあらず、 うつつにもあらで、 *権現ごんげんおおせられていはく、 ªただいまわれそんきょうをいたすべききゃくじん、 このみちぎたまふべきことあり、 かならず慇懃いんぎんちゅうせつぬきんで、 ことに丁寧ていねいきょうおうをまうくべしº と云々うんぬんげんいまだめをはらざるに、 そう*こつとして影向ようごうしたまへり。 なんぞただびとにましまさん。 しんちょくこれ炳焉へいえんなり。 感応かんのうもつともぎょうすべし」 といひて、 そんじゅう*くっしょうしたてまつりて、 さまざまに飯食ぼんじきよそひ、 いろいろにちん調ととのへけり。

華城 花の都。 京都のこと。
晩陰 夕方。
 扉。 戸。
暁更 明け方。
案内 取り次ぎを頼むこと。
齢傾きたる 年老いた。
こととなく すみやかに。
社廟 (箱根権現の) やしろ
 神に仕える人。
権現 箱根権現のこと。 箱根神社 (神奈川県足柄下郡箱根町) の祭神。 当時、 流布していたほんすいしゃくせつ (日本の神を仏・菩薩の仮の現れとする説) によって、 権現 (仮の現れという意の称号) と呼ばれた。
忽爾 突然。
屈請 (尊い人を) 請い招くこと。

五 熊野霊告

【13】だいだん

 しょうにん (親鸞) きょうかえりておうをおもふに、 年々ねんねん歳々せいせいゆめのごとし、 まぼろしのごとし。 *ちょうあん洛陽らくようすみか*あとをとどむるにものうしとて、 *ふうよくところどころにじゅうしたまひき。 じょう西にしの洞院とういん*わたり、 これひとつのしょうなりとて、 しばらくきょめたまふ。 このごろ、 いにしへ*けつつたへ、 面受めんじゅをとげしもん、 おのおのよしみしたひ、 みちたずねてさんしゅうしたまひけり。 そのころ*常陸ひたちのくにかの西さいのこおりおおぶのごうに、 *へいろうなにがしといふ庶民しょみんあり。 しょうにんおしえしんじて、 もつぱらふたごころなかりき。 しかるにあるときくだんへいろう*しょられて*くまけいすべしとて、 ことのよしをたずねまうさんがために、 しょうにんへまゐりたるに、 おおせられてのたまはく、 「それ聖教しょうぎょう万差まんじゃなり、 いづれも相応そうおうすればやくあり。 ただし末法まっぽういまときしょうどうもんしゅぎょうにおいてはじょうずべからず。 すなはち ª末法まっぽうちゅう億々おくおくしゅじょう ぎょうしゅどう 未有みう一人いちにん得者とくしゃº (安楽集・上) といひ、 ª*ゆいじょう一門いちもんつうにゅうº (同・上)云々うんぬん。 これみな経釈きょうしゃく明文めいもん如来にょらい金言きんげんなり。 しかるにいまゆいじょう真説しんせつについて、 かたじけなくかの*三国さんごく祖師そし、 おのおのこのいっしゅうこうぎょうす。 このゆゑに、 禿とくすすむるところ、 さらにわたくしなし。 しかるに一向いっこう専念せんねんおうじょう*かんしゅう*骨目こつぼくなり。 すなはちさんぎょう*隠顕おんけんありといへども、 もんといひといひ、 ともにもつてあきらかなるをや。 ¬だいきょう¼ の三輩さんぱいにも一向いっこうとすすめて、 ずうにはこれをろくぞくし、 ¬かんぎょう¼ のぼんにもしばらく三心さんしんきて、 これまたなんぞくす、 ¬小経しょうきょう¼ の一心いっしんつひに諸仏しょぶつこれを証誠しょうじょうす。 これによりて論主ろんじゅ (天親) 一心いっしんはんじ、 しょう (善導) 一向いっこうしゃくす。 しかればすなはち、 いづれのもんによるとも、 一向いっこう専念せんねんりゅうすべからざるぞや。 *証誠しょうじょう殿でんほんすなはちいまのきょうしゅ (阿弥陀仏) なり。 かるがゆゑに、 *とてもかくてもしゅじょう結縁けちえんこころざしふかきによりて、 *こうすいしゃくとどめたまふ。 すいしゃくとどむるほん、 ただ結縁けちえん群類ぐんるいをして願海がんかいいんにゅうせんとなり。 しかあればほん誓願せいがんしんじて一向いっこう念仏ねんぶつをこととせんともがら公務くむにもしたがひ、 りょうしゅにも駈仕くしして、 そのれいをふみ、 そのしゃびょうけいせんこと、 さらにしんほっするところにあらず。 しかれば、 すいしゃくにおいて*ない虚仮こけたりながら、 あながちに*賢善けんぜんしょうじん威儀いぎひょうすべからず。 ただほん誓約せいやくにまかすべし、 *あなかしこ、 あなかしこ。 じんをかろしむるにあらず、 ゆめゆめ*みょうをめぐらしたまふべからず」 と云々うんぬん。 これによりてへいろうくま参詣さんけいす。 *みちほう*とりわきととのふるなし。 ただじょうもつぼんじょうにしたがひて、 さらに*じょうをもかいつくろふことなし。 行住ぎょうじゅう坐臥ざが本願ほんがんあおぎ、 *ぞう顛沛てんぱいきょうをまもるに、 はたして*無為ぶいさんちゃくくだんおとこゆめげていはく、 証誠しょうじょう殿でんとびらおしひらきて、 かんただしき俗人ぞくじんおおせられていはく、 「なんぢ、 なんぞわれを*忽緒こっしょして汚穢わえじょうにして参詣さんけいするや」 と。 そのときかの俗人ぞくじんたいして、 しょうにんこつとしてまみえたまふ。 そのことばにのたまはく、 「かれは善信ぜんしん (親鸞)おしえによりて念仏ねんぶつするものなり」 と云々うんぬん。 ここに俗人そくじん*しゃくをただしくして、 ことに敬屈けいくつれいあらわしつつ、 かさねてぶるところなしとみるほどに、 ゆめさめをはりぬ。 おほよそ奇異きいのおもひをなすこと、 いふべからず。 こうのちぼうにまゐりて、 くはしくこのむねもうすに、 しょうにん 「そのことなり」 とのたまふ。 これまた思議しぎのことなりかし。

長安洛陽 いずれも中国の都。 ここでは転じて京都を指す。
跡をとどむるに懶し 跡を残すのは気が進まない。
扶風馮翊 中国の地名から転じて右京と左京をいう。
わたり あたり。
口決 (親鸞聖人から) 直接授けられた教え。
常陸国那荷西郡大部郷 現在の茨城県水戸市飯富いいとみ町。
平太郎 ¬御消息¼ にでる中太郎と同一人物ともいわれる。 水戸市飯富町には真仏しんぶつがあり、 平太郎真仏を開基とする。
所務に駈られて… 領主の従者としての役務によって参詣するという意。 以下にも 「公務にもしたがひ、 領主にも駆使して」 とある。
熊野 本宮ほんぐう新宮しんぐう那智なちの熊野三山。 本宮の証誠しょうじょう殿でんはとくに尊崇された。
三国 インド・中国・日本。
肝腑・骨目 かなめとなるもの。
証誠殿 くま本宮ほんぐう主殿しゅでんの称。 ここではその祭神を指す。
とてもかくても どのようにしてでも。 どうあろうと。 どうあっても。
和光 こう同塵どうじんのこと。
内懐虚仮の身 内に虚仮 (うそいつわり) を懐く身。
賢善精進の威儀 賢者や善人らしくつとめ励む姿。
冥眦 神が怒ってにらむこと。
道の作法 熊野詣の道中には独特の厳しい作法が定められていた。
とりわき 特別に。
不浄をも刷ふ 潔斎けっさい (心身をきよめること) する。
造次顛沛に ちょっとした間にも。 いつも。
無為に 何事もなく。
忽緒して 軽んじて。
笏をただしくして 威儀を正して。 笏は礼服や朝服を着用の際、 右手に持つ細長い板。

六 洛陽遷化

【14】だいろくだん

 しょうにん (親鸞) *こうちょうさい みずのえいぬ ちゅうとうじゅんこうより、 いささか*れいまします。 それよりこのかた、 くちせいをまじへず、 ただ仏恩ぶっとんのふかきことをのぶ。 こえごんをあらはさず、 もつぱら称名しょうみょうたゆることなし。 しかうしておなじきだい八日はちにち *うまのとき *ほく面西めんさいきょうしたまひて、 つひに念仏ねんぶついきたえをはりぬ。 ときに頽齢たいれい*九旬きゅうしゅんにみちたまふ。 *禅房ぜんぼうちょうあんよくほとり おしこうみなみ万里までのこうよりひんがし なれば、 はるかにとうみちて、 洛陽らくようひがしやま西にしふもととり部野べのみなみほとり延仁えんにんそうしたてまつる。 こつひろひて、 おなじきやまふもととり部野べのきたほとり大谷おおたににこれををさめをはりぬ。 しかるにしゅうえんにあふ門弟もんていかんをうけしろうにゃく、 おのおのざいのいにしへをおもひ、 めつのいまをかなしみて、 れんていきゅうせずといふことなし。

弘長二歳壬戌仲冬 弘長二歳壬戌は1262年、 仲冬は陰暦十一月の別称。
不例 病気。
午時 正午頃。 じゃくの時刻を未時 (午後二時頃) とする史料もある。
頭北面西右脇 頭を北にし、 顔を西に向けて、 右脇を下にし横たわること。 釈尊がにゅうめつした時の姿。
九旬 旬は十年の意。
禅房 親鸞聖人の弟、 じんそうの里房であった善法ぜんぽうぼう

七 廟堂創立

【15】だいしちだん

 *文永ぶんえいねんふゆのころ、 ひがしやま西にしふもととり部野べのきた大谷おおたにふんをあらためて、 おなじきふもとよりなほ西にし吉水よしみずきたほとりこつわたして仏閣ぶっかくて、 影像えいぞうあんず。 このときにあたりて、 しょうにん (親鸞) 相伝そうでんしゅういよいよこうじ、 遺訓ゆいくんますますさかりなること、 すこぶるざいのむかしにえたり。 すべて門葉もんよう国郡こくぐんじゅうまんし、 ばつりゅう処々しょしょへんして、 いく千万せんまんといふことをしらず。 その*ほんぎょうをおもくしてかの報謝ほうしゃぬきんづるともがら*緇素しそろうしょう面々めんめんあゆみをはこんで年々ねんねんびょうどうけいす。 おほよそしょうにんざいしょうのあひだ、 どくこれおほしといへども、 *羅縷らるいとまあらず。 しかしながらこれをりゃくするところなり。

文永九年 1272年。
稟教 教えを受け継ぐこと。
羅縷 詳しく記述すること。

 奥書おくがきにいはく

 みぎえん図画ずえこころざし、 ひとへにおん報徳ほうとくのためにしてろんきょうげんのためにせず。 あまつさへまた*ごうめて*翰林かんりんひろふ。 そのていもつともつたなし、 そのことばこれいやし。 *みょう*けんけ、 いたみありはじあり。 しかりといへども、 ただ後見こうけん賢者けんじゃ取捨しゅしゃたのみて、 とうあん*びゅうかえりみることなきならんのみ。

紫毫 筆。
翰林 文章。
冥・顕 冥は目にみえないもの。 顕は目にみえるもの。
謬 誤り。

とき*永仁えいにんだいさんれき*おうしょう中旬ちゅうじゅんだいてん*晡時ほじいたりて草書そうしょへんへをはりぬ。

永仁第三の暦 1295年。
応鐘中旬第二天 応鐘は陰暦十月の別称。 中旬第二天は十二日。
晡時 午後四時頃。

                  こう 法眼ほうげん*じょう ごう康楽こうらく

浄賀 康楽寺流の絵師。 他にもそうしゅんえんじゃくなど康楽寺を名のる絵師は本願寺と深いかかわりを持っていた。

 *りゃくおうさいつちのとのうがつじゅうよっ、 あるほんをもつてにはかにこれを書写しょしゃしたてまつる。 先年せんねんひつのち一本いっぽんしょのところ、 じょう闘乱とうらんのあひだえんじょうきざみしょうしつ行方ゆくえれず。 しかるにいま*おもんぱからず荒本こうほんしるし、 これをとどむるものなり。

暦応二歳 1339年。
慮らず 思いがけず。

*康永こうえいさいみずのとのひつじじゅう一月いちがつふつふでめをはりぬ。

康永二載 1343年。

                *桑門そうもん しゃくそうしょう

桑門 僧侶のこと。

                 こう だいほうそうしゅん 康楽こうらく弟子でし