三(713)、 三心料簡および御法語

一

▲一 三心さんしん料りょう簡けんの事こと。

¬疏しょ¼ の第だい四しに付つく。 仰あおぎていはく、 まづ浄じょう土どには悪あくの雑まじわる善ぜんは永ながくもつて生しょうずべからずと知しるべし。 これをもつて 「義ぎ分ぶん」 (玄義分) には、 「定じょう即そく息慮そくりょ以い凝ぎょう心しん。 散即さんそく廃悪はいあく以い修善しゅぜん。 廻え之し二に行ぎょう求ぐ願がん往おう生じょう」 と。 文 また 「散善さんぜん義ぎ」 にいはく、 「▲上じょう輩はい上行じょうぎょう上じょう根人こんにん。 求ぐ生しょう浄じょう土ど断だん貪瞋とんじん」 と。 文

付ク↢¬疏¼第四ニ↡。仰云、先ヅ浄土ニハ悪ノ雑マジワル善ハ永ク以不可生知ルベシ。是以者「義分ニハ」、「▲定即息慮以凝心。散即廃悪以修善。廻之二行求願往生。」文 又「散善義ニ」云、「上輩上行上根人。求生浄土断貪瞋。」文

しかればすなはちいまこの至し誠じょう心しんのなかに嫌きらふところの虚仮こけの行ぎょうとは、 余よ善ぜん・諸しょ行ぎょうなり。 三業さんごうに精しょう進じんしてねんごろなりといへども、 内うちに貪瞋とんじん・邪じゃ偽ぎ等とうの血毒けつどく雑まじわるゆゑに、 雑毒ぞうどくの善ぜんと名なづけ雑毒ぞうどくの行ぎょうと名なづけて、 往おう生じょうすべからずといふなり。 これをもつて ¬礼讃らいさん¼ の専雑せんぞう二ふたつの行ぎょうの得失とくしつのなかに雑修ざっしゅの失しつをいはく、 「貪瞋とんじん・諸見しょけん煩悩ぼんのう来きたりて間断けんだんす」 と。 ゆゑにこれらの雑ぞう行ぎょうを廻えして、 ただちに報仏ほうぶつの浄じょう土どに生うまれんと欲おもふは、 もつとも不可ふかなりと嫌きらふ道どう理りなり。

然則今此至誠心ノ中所ノ↠嫌之虚仮ノ行ト者、余善・諸行也。三業精進雖モ↠懃ト、内ニ貪瞋・邪偽等ノ血毒雑マジワル故ニ、名ケ↢雑毒之善ト↡名テ↢雑毒之行ト↡、云往生不可也。是以¬礼讃ノ¼専雑二ノ行得失中ニ雑修ノ失云、「▲貪瞋・諸見煩悩来テ間断。」故ニ廻シテ↢此等雑行ヲ↡、直ニ欲フ↠生ト↢報仏ノ浄土ニ↡者、尤不可ト嫌フ道理也。

しかるに身しん口くの二に業ごうをもつて外ほかとなし、 意い業ごうをもつて一ひとつを内うちとせんとは僻事ひがごとなり。 すでに (散善義) 「雖すい起き三業さんごう」 といふ、 あに意い業ごうを除のぞかんや。 また虚仮こけとは狂きょう惑おうのものといふ事こと僻事ひがごとなり。 すでに (散善義) 「苦く励れい身心しんしん」 といひ、 また (散善義) 「日にち夜や十じゅう二時にじ急きゅう走そう急きゅう作さ、 如にょ炙しゃく頭ず然者ねんしゃ」 といふ。 文 いかんぞ仮け名みょうの行ぎょう人にんかくのごとからんや、 まさしくこれ雑ぞう行ぎょうのものなり。

然ニ以テ↢身口ノ二業ヲ↡為↠外、以↢意業ヲ↡一ヲ為ムト↠内者僻事也。既云↢「▲雖起三業ト」↡、豈除↢意業ヲ↡乎。又虚仮ト者狂惑ノ者ト云事僻事。既云↢「▲苦励身心ト」↡、又云↢「▲日夜十二時急走急作、如炙頭然者」↡。文 云何仮名之行人如ラム↠此哉、正是雑行ノ者也。

次つぎに選えらび取とるところの真実しんじつとは、 本願ほんがんの功く徳どくすなはち正行しょうぎょう念仏ねんぶつなり。 これをもつて 「義ぎ分ぶん」 (玄義分) にありていはく、 「弘ぐ願がんといふは ¬大だい経きょう¼ に説とくがごとし。 一切いっさい善悪ぜんあくの凡ぼん夫ぶ生しょうずることを得うるもの、 みな阿あ弥陀みだ仏ぶつの大願だいがん業力ごうりきに乗じょうじて増ぞう上じょう縁えんとせざるはなきなり」 と。 云々 これをもつていまの文もん (散善義) に 「まさしくかの阿あ弥陀みだ仏ぶつ因いん中ちゅうに菩ぼ薩さつの行ぎょうを行ぎょうじたまひし時ときに、 乃ない至し一念いちねん一いっ刹せつ那なも、 三業さんごうの所修しょしゅ、 みなこれ真実しんじつ心しんのなかに作なすによるべし」 と。 云々 阿あ弥陀みだ仏ぶつ因いん中ちゅう真実しんじつ心しん中ちゅう作さによるべし行ぎょうこそ、 悪あく雑まじはらざる善ぜんなるがゆゑに、 真実しんじつといふなり。

次所選取之真実ト者、本願ノ功徳即正行念仏也。是以在「義分」云、「▲言0714弘願者如↢¬大経¼説↡。一切善悪凡夫得↠生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増上縁也。」云々 是以今ノ文ニ「▲正ク由ベシ↧彼阿弥陀仏因中ニ行↢菩薩行ヲ↡時ニ、乃至一念一刹那モ、三業ノ所修、皆是 レ真実心ノ中ニ作スニ↥。」云々 由ベシ↢阿弥陀仏因中真実心中作ニ↡行コソ、悪不↠雑ハラ之善ナルガ故、云↢真実ト↡也。

その義ぎなにをもつて知しることを得う。 次つぎの釈しゃく (散善義) に 「およそ施為せい趣しゅ求ぐするところ、 またみな真実しんじつなり」 と。 文 この真実しんじつをもつて施ほどこすとは、 何者なにものに施ほどこすやといへば、 深心じんしんの二に種しゅの釈しゃく (散善義) の第一だいいちの 「罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶ」 といへる、 この衆しゅ生じょうに施ほどこすなり。 造悪ぞうあくの凡ぼん夫ぶすなはちこの真実しんじつによるべき機きなり。 いかんが知しることを得う。 第だい二にの釈しゃく (散善義) に 「阿あ弥陀みだ仏ぶつ四し十じゅう八はち願がん摂しょう受じゅ衆しゅ生じょう」 等とうと 云々。 かくのごとく心こころ得うべきなり 云々。

其義以何得↠知。次ノ釈ニ「▲凡所施為趣求、亦皆真実。」文 此ノ以↢真実ヲ↡施ト者、施↢何者 ノニ↡云ヘバ、深心ノ二種ノ釈ノ第一ノ「▲罪悪生死凡夫ト」云ヘル、施↢此衆生ニ↡也。造悪之凡夫即可キ↠由ル↢此真実ニ↡之機也。云何得↠知。第二ノ釈ニ「▲阿弥陀仏四十八願摂受衆生」等 云々。如此可↠得↠心也 云々。

深心じんしん (散善義意) のなかに 「反修はんしゅ余よ善ぜん」 といふ事こと、 余よ善ぜんをもつていふ事ことは余よ行ぎょうをもつて往おう生じょうすべしと答こたへんとするにあらず。 難なん破ぱの言ことばなれば指し南なんとするべからざるなり。

深心ノ中ニ「▲反修余善」云事、以余善云事以↢余行ヲ↡可ト↢往生為↡非ズ↠為↠答ヘムト。難破ノ言ナレバ不↠可↢指南ト↡也。

五ご種しゅの正行しょうぎょうのなかの観察かんざつ門もんの事ことは、 十じゅう三さん定じょう善ぜんにはあらず。 散心さんしん念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃの極楽ごくらくの有様ありさまをあひ像かたどりて欣ごん慕ぼなる心こころなり。

五種ノ正行中ノ観察門事ハ、非↢十三定善ニハ↡。散心念仏ノ行者ノ極楽ノ有様ヲ相像テ欣慕ナル心也。

回え向こう発願ほつがん心しん (散善義) の始はじめに、 「真実しんじつ深信じんしん心しん中ちゅう回え向こう」 といふ事こと、 これは三心さんしんのなかに回え向こうといふ心こころなり。 過去かこ・今こん生じょうの諸善しょぜんは、 三心さんしん以い前ぜんの功く徳どくを取とり返かえして極楽ごくらくに回え向こうせよといふなり。 まつたく三心さんしんの後のちに諸善しょぜんを行ぎょうずるといふにはあらざるなり 云々。

廻向発願心ノ始ニ、「▲真実深信心中廻向」云事、此ハ三心ノ中ニ回向云心也。過去・今生諸善者、三心已前ノ功徳ヲ取返シテ極楽ニ廻向セヨト云也。全三心ノ後ニ非↠云↢行諸善↡也 云々。

白びゃく道どうの事こと、 雑ぞう行ぎょうのなかの願がん往おう生じょうの心こころは白びゃく道どうなれども、 貪瞋とんじん水すい火かのために損そんぜらる。 なにをもつて知しることを得う。 釈しゃく (散善義) にいはく、 「もろもろの行ぎょう業ごうを廻えしてただちに西方さいほうへ向むかへとなり」 と。 云々 諸しょ行ぎょう往おう生じょうの願がん生しょうの心こころの白びゃく道どうと聞きこえたり。

白0715道事、雑行ノ中ノ願往生ノ心ハ白道ナレドモ、為↢貪瞋水火ノ↡被↠損ゼ。以何得↠知。釈云、「▲廻↢諸行業↡直向↢西方↡也。」云々 諸行往生ノ願生ノ心ノ白道ト聞タリ。

次つぎに専修せんじゅ正行しょうぎょうの願がん生しょうの心こころをば、 願力がんりきの道どうと名なづく。 なにをもつて知しることを得うとなれば、 「仰蒙ごうもう釈しゃ迦か発遣はっけん指し南なん西方さいほう、 又う藉しゃく弥陀みだ悲ひ心しん招しょう喚かん、 今こん信しん順じゅん二に尊そん之意しい、 不顧ふこ水すい火か二河にが、 念々ねんねん無む遺けん、 乗じょう願力がんりき道どう、 捨しゃ命みょう以後いご得とく生しょう彼ひ国こく」 (散善義) と。 文 以下いげの文もんこれなり。 正行しょうぎょうのもの、 願力がんりきの道どうに乗じょうずるがゆゑに、 まつたく貪瞋とんじん水すい火か損害そんがいせず。

次専修正行ノ願生ノ心ヲバ、名ク↢願力ノ道ト↡。以何得レバ↠知、「▲仰蒙釈迦発遣指南西方、又藉弥陀悲心招喚、今信順二尊之意、不顧水火二河、念々无遺、乗願力道、捨命已後得生彼国。」文 已下文是也。正行ノ者、乗↢願力ノ道ニ↡故、全ク不↢貪瞋水火損害セ↡。

これをもつて譬喩ひゆのなか (散善義) にいはく、 「西岸せいがんの上うえに人ひとりて喚よばひていはく、 汝なんじ一心いっしん正しょう念ねんにただちに来きたれ。 われよく汝なんじを護まもらん。 すべて水すい火かの難なんに堕だすことを畏おそれざれ」 と。 云々 合ごう喩ゆのなか (散善義) にいはく、 「西岸せいがんの上うえに人ひとありて喚よばふといふは、 すなはち弥陀みだの願がん意いに喩たとふるなり」 と。 云々 専修せんじゅ正行しょうぎょうの人ひとは貪瞋とんじん煩悩ぼんのうを恐おそるべからざるなり、 本願ほんがん力りきの白びゃく道どうに乗じょうぜり、 あに火か焔えん・水すい波はに損そんぜらるべけんや 云々。

是以譬喩ノ中ニ云、「▲西岸ノ上ニ有人喚言、汝一心正念直ニ来レ。我能護ラム↠汝ヲ。衆ニ不↠畏↠堕↢於水火難ニ↡。」云々 合喩ノ中ニ云、「言↢西岸ノ上有人喚↡者、即喩↢弥陀願意ニ↡也。」云々 専修正行ノ人ハ不可恐貪瞋煩悩也、乗ゼリ↢本願力ノ白道ニ↡、豈ニ容ケン↠被↠損ゼ↢火焔・水波ニ↡哉 云々。

二

一 「定じょう善ぜん」 のなかに、 「自余じよ衆しゅ行ぎょう雖すい名みょう是ぜ善ぜん、 若にゃく比ひ念仏ねんぶつ者しゃ全ぜん非ひ比ひ挍きょう也や」 といふ事こと。 諸しょ行ぎょうと念仏ねんぶつと比ひ挍きょうする時ときに、 念仏ねんぶつは勝すぐれ余よ行ぎょうは劣れつなりといへば、 いよいよ諍じょう論ろん絶たえざる事ことなり。 ただ念仏ねんぶつは本願ほんがんの行ぎょうなり、 諸善しょぜんは本願ほんがんの行ぎょうにあらざるなりといふ時とき、 真言しんごん・法ほっ花け等とうの甚深じんじん微み妙みょうの行ぎょうも、 まつたく比ひ挍きょうにあらざるなり。 この旨むねを存ぞんずること、 比ひ挍きょうの義ぎをばいふべきなり。

一 「定善」中ニ、「▲自余衆行雖名是善、若比念仏者全非比挍也」云事。諸行与念仏比挍スル之時ニ、云ヘバ↢念仏勝レ余行劣ナリト↡、弥諍論不絶事也。只念仏ハ本願之行也、諸善ハ非本願行也ト云時、真言・法花等ノ甚深微妙ノ行モ、全非↢比挍↡也。存コト↢此旨ヲ↡、可↠云↢比挍義ヲバ↡也。

三

一 無智むち者しゃも三心さんしん具ぐすといふ事こと。

一 无智者モ三心具ト云事。

一向いっこうの心しんにて念仏ねんぶつ申もうして、 疑うたがいなく往おう生じょうせんと思おもへば、 すなはち三心さんしん具ぐ足そくなり 云々。

一0716向ノ心ニテ念仏申シテ、無疑往生セント思ヘバ、即三心具足也 云々。

わたくしにいはく、 一向いっこうの心しんとは至し誠じょう心しんなり。 疑うたがいなくとは深心じんしんなり。 往おう生じょうしてんと思おもふ心しんは回え向こう発願ほつがん心しんなり。

私云、一向ノ心ト者至誠心也。无疑ト者深心也。往生シテムト思フ心ハ廻向発願心也。

四

一 余よ行ぎょうはしつべけれども、 せずと思おもふは専修せんじゅの心こころなり。 余よ行ぎょうめでたけれども、 身みにかなはねばえせずと思おもふは、 修しゅせねども雑ぞう行ぎょうの心こころなり 云々。

一 余行ハシツベケレドモ、セズト思ハ専修ノ心也。余行自出タケレドモ、身ニカナハネバエセズト思ハ、修セネドモ雑行心也 云云。

五

一 造悪ぞうあくの機きの念仏ねんぶつの事こと。

一 造悪ノ機ノ念仏事。

悪あくを造つくる身みなるがゆゑに、 念仏ねんぶつを申もうすなり。 悪あくを造つくらん料りょうに念仏ねんぶつ申もうすにあらずと心こころ得うべきなり 云々。

造↠悪ヲ身ナルガ之故、念仏ヲ申也。造ラム↠悪ヲ料ニ非↢念仏申ニ↡可↠得↠心也 云々。

六

一 善悪ぜんあくの機きの事こと。

一 ▼善悪ノ機事。

念仏ねんぶつ申もうさんものは、 ただ生うまれつきのままにて申もうすべし。 善人ぜんにんは善人ぜんにんながら、 悪人あくにんは悪人あくにんながら、 もとのままにて申もうすべし。 この念仏ねんぶつに入いるがゆゑに、 はじめて持じ戒かい・破は戒かいなにくれといふべからず、 ただ本体ほんたいありのままにて申もうすべしと 云々。

念仏申サム者ハ、只生レ付ノマヽニテ申ベシ。善人ハ乍↢善人、悪人ハ乍↢悪人↡、本ノマヽニテ申スベシ。此ノ入↢念仏↡之故ニ、始テ持戒・破戒ナニクレト云ベカラズ、只本体アリノマヽニテ申ベシト 云云。

これにつきて問とひていはく、 もと聖しょう道どう門もんの人ひとの持じ戒かいなるが浄じょう土ど門もんに帰きする時とき、 持じ戒かい・持じ斎さいを捨すてて専修せんじゅ念仏ねんぶつを修しゅする、 すなはち破は戒かいに成じょうずる過とがいかん。 答こたふ。 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ、 悪あくを犯おかさんと欲ほっする時ときに思おもふ。 念仏ねんぶつを申もうすはこの罪つみ滅めっすべしと存ぞんじて罪つみを犯おかすは、 まことに悪あく義ぎなり。 ただ真言しんごんに調じょう伏ぶくの法ほうといふ事ことあるに、 兼かねて後ご調じょうの法ほうを憑たのむゆゑなりといふ事ことあり。 そのやうに罪つみを犯おかさんとして、 兼かねて本願ほんがんの滅罪めつざいの力ちからを憑たのむ、 まつたく苦くるしからざる事ことなり 云々。

付之問云、本ト聖道門ノ人ノ持戒ナルガ帰スル↢浄土門ニ↡之時、捨テヽ↢持戒・持斎ヲ↡修スル↢専修念仏ヲ↡、即成ズル↢破戒ニ↡過トガ如何。答。念仏ノ行者、欲スル↠犯ト↠悪ヲ之時ニ思フ。念仏ヲ申ハ此罪滅スベシト存ジテ犯ハ↠罪ヲ、誠ニ悪義也。但真言ニ有ルニ↢調伏之法ト云事↡、兼テ憑ム↢後調之法ヲ↡故也云事アリ。其様ニ犯ムトシテ↠罪ヲ、兼テ憑ム↢本願之滅罪ノ力ヲ↡、全ク不苦事也 云々。

七

一 悪あく機きを一人いちにん置おきてこの機きの往おう生じょうしたるは、 いはれたる道どう理りなりけりと知しる程ほどに習ならひたるを、 浄じょう土ど宗しゅうを善よく学がくしたるとはいふなり。 この宗しゅうは悪人あくにんを手て本ほんとして善人ぜんにんまでも摂せっするなり、 聖しょう道どう門もんは善人ぜんにんを手て本ほんとして悪人あくにんをも摂せっするなり 云々。

一0717 ▼悪機ヲ一人置テ此ノ機ノ往生シタルハ、謂ハレタル道理ナリケリト知ル程ニ習タルヲ、浄土宗ヲ善ク学タルトハ云也。此宗ハ悪人ヲ為↢手本ト↡善人マデモ摂ス也、聖道門ハ善人為↢手本ト↡悪人ヲモ摂也 云々。

八

一 行ぎょう者じゃの生しょうずるところは心しんと行ぎょうとによる事こと。

一 行者ノ生所ハ依ル↢心ト行トニ↡事。

但たん念仏ねんぶつは極楽ごくらく国こくに生しょうじ、 但たん余よ行ぎょうは懈け慢まん国ごくに生しょうずるなり。 しかるに念仏ねんぶつ・余よ善ぜん兼けん行ぎょうのものにまた二にあり。 念仏ねんぶつの方かたに心こころ重おもくは余よ行ぎょうを雑まじふとも極楽ごくらくに生しょうじ、 余よ行ぎょうの方かたに心こころ重おもきは念仏ねんぶつを助たすくとも懈け慢まんに生しょうずべし 云々。

但念仏ハ生↢極楽国ニ↡、但余行ハ生↢懈慢国ニ↡也。然ニ念仏・余善兼行ノ者ニ亦有↠二。念仏ノ方ニ心重ハ雑トモ↢余行ヲ↡生↢極楽ニ↡、余行ノ方ニ心重キハ助トモ↢念仏ヲ↡生ベシ↢懈慢ニ↡ 云々。

九

一 わが身みに三心さんしんを具ぐすることを知しる事こと。

一 知ル↣我身ニ具コトヲ↢三心↡事。

¬大だい経きょう¼ の説せつのごとく、 歓かん喜ぎ踊ゆ躍やくの心こころすでに発おこしたらば、 三心さんしん具ぐせりと知しるべき瑞しるしなり。 歓かん喜ぎとは、 往おう生じょう決けつ定じょうと思おもふゆゑに喜よろこぶ心こころなり。 往おう生じょうを不ふ定じょうに歎なげく位くらいは、 いまだ三心さんしんを発おこさざるものなり。 三心さんしんを発おこさざるゆゑ歓かん喜ぎの心こころなし、 これすなはち疑うたがいを致いたすゆゑに歎なげく也なり 云々。

如↢¬大経ノ¼説ノ↡、歓喜踊躍ノ心 ロ既ニ発タラバ、可↠知ル↢三心具セリト↡瑞シルシ也。歓喜ト者、往生決定ト思故ニ喜ブ心也。往生ヲ不定ニ歎ク位ハ、未↠発↢三心ヲ↡也之者也。不↠発↢三心↡故无シ↢歓喜ノ心↡、是則致疑故歎也 云々。

十

一 一法いっぽうに万ばん機きを摂せっする事こと。

一 ▼一法ニ摂万機事。

第だい十じゅう八はち願がん (大経巻上) に 「十方じっぽう衆しゅ生じょう」 といふ、 十方じっぽうに漏もれたる衆しゅ生じょうなし、 わが願がんの内うちに十方じっぽうを込こめんとなり。 法ほっ照しょう禅ぜん師じ (五会法事讃巻本) いはく、 「かの仏ぶつ因いん中ちゅうに弘ぐ誓ぜいを立たつ、 名なを聞ききてわれを念ねんぜば総すべて来迎らいこうす、 貧びん窮ぐと富ふう貴きとを簡えらばず、 下智げちと高才こうざいとを簡えらばず、 多た聞もんと浄じょう戒かいを持たもつを簡えらばず、 破は戒かいと罪根ざいごん深ふかきを簡えらばず、 ただ廻え心しんして多おおく念仏ねんぶつせしれば、 よく瓦が礫りゃくをして変へんじて金こがねとならしむ」 と。 云々 この文もんの心こころは、 我わが身みの貧びん窮ぐにて功く徳どくを造つくらぬも、 下知げちにて法門ほうもんを知しらぬも、 破は戒かいにて罪ざい障しょうを犯おかすといへども、 すなはち廻え心しんして多おおく念仏ねんぶつすればと思おもふべしと 云々。

第十八願ニ云↢「十方衆生ト」↡、无シ↧漏タル↢十方ニ↡之衆生↥、我願ノ内ニ込コメムト↢十方ヲ↡也。法照禅師云、「彼仏因中立↢弘誓↡、聞名念我総来迎、不簡貧窮将富貴、不簡下智与高才、不簡多聞持浄戒、不簡破戒罪根深、但使廻心多念仏、能令瓦礫変成金。」云々 此文ノ心ハ、我身ノ貧窮ニテ不ヌモ↠造↢功徳ヲ↡、下0718知ニテ不ヌモ↠知↢法門ヲ↡、破戒ニテ雖↠犯ト↢罪障↡、便廻心多念仏スレバト思ベシト 云々。

十一

一 無智むちを本ほんとなす事こと。

一 ▼无智ヲ為本事。

いふこころは、 聖しょう道どう門もんは智恵ちえを極きわめて生しょう死じを離はなれ、 浄じょう土ど門もんは愚痴ぐちに還かえりて極楽ごくらくに生うまる。 ゆゑに聖しょう道どう門もんに趣おもむく時ときには、 智恵ちえを瑩みがき禁戒きんかいを守まもり、 心しん性しょうを浄きよむるをもつて宗しゅうとなす。 しかるを浄じょう土ど門もんに入いりての日ひ、 智恵ちえをも憑たのまず戒かい行ぎょうをも護まもらず、 心しん器きをも調ととのへず、 ただ甲斐かいなく無智むち者しゃになりていふに、 本願ほんがんを憑たのみて往おう生じょうを願ねがふなり 云々。 この状じょうを御おん自じ筆ひつに書かきて、 禅ぜん勝しょう房ぼうが田舎いなか下くだりする京きょうつとに取とらせむとてたまひたりと 云々。 またいはく、 源空げんくうが念仏ねんぶつ申もうすも、 一文いちもん不ふ通つうの男女なんにょに斉ひとしくして申もうすぞ。 まつたく年来としごろ修学しゅがくしたる智恵ちえをば、 一分いちぶんも憑たのまざるなり。 しかれどもかく知しりたればまたくるしからぬぞと 云々。

云ハ、聖道門ハ極テ↢智恵ヲ↡離レ↢生死ヲ↡、浄土門ハ還↢愚痴↡生↢極楽ニ↡。所以趣↢聖道門ニ↡之時ニハ、瑩↢智恵ヲ↡守↢禁戒ヲ↡、浄ムルヲ↢心性ヲ↡以テ為ス↠宗ト。然ルヲ入テ↢浄土門ニ↡之日、不↠憑↢智恵ヲモ↡不ズ↠護ラ↢戒行ヲモ↡、不↠調↢心器ヲモ↡、只云フニ↢無甲斐成無智者ニ↡、憑テ↢本願ヲ↡願↢往生↡也 云々。書テ↢此ノ状ヲ御自筆ニ↡、禅勝房ガ田舎下スル京ツトニ取ラセムトテ給タリト 云々。又云、源空ガ念仏申モ、一文不通ノ男女ニ斉シテ申スゾ。全年来修学シタル智恵ヲバ、一分モ不↠憑也。然ドモカク知タレバ又クルシカラヌゾト 云々。

十二

一 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ の 「一心いっしん不ふ乱らん」 の事こと。

一 ¬阿弥陀経¼「一心不乱」事。

一心いっしんとは、 何事なにごとに心こころを一ひとつにするぞといふに、 一向いっこう念仏ねんぶつと申もうすは、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの心こころとわが心こころと一ひとつになるなり。 天台てんだいの ¬十じゅう疑ぎ論ろん¼ にいふがごとし。 「世せ間けんに慕こいする人ひとの慕こいするものをよく受うけて機き念ねんあひ投おもむくかならずその事ことを成じょうずるがごとし」 と。 慕こいする人ひととは阿あ弥陀みだ仏ぶつなり、 恋こはらるヽものとはわれらなり。 すでに心こころを一向いっこう阿あ弥陀みだに発おこせば、 早はやく仏ぶつの心こころと一ひとつに成じょうずるなり。 ゆゑに 「一心いっしん不ふ乱らん」 といふ。 上かみの 「少しょう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねん」 に念ねんをうつさぬなり 云々。

一心ト者、何事ニ心ヲ一ニスルゾト云ニ、一向念仏申スハ、阿弥陀仏ノ心ト我心ト一ニ成也。如↢天臺¬十疑論¼云ガ↡。「如シ↣世間ニ慕コヒスル人ノ能ク受テ慕スル者ヲ機念相 投ヲモムク必成ズルガ↢其事ヲ↡。」慕スル人ト者阿弥陀仏也、恋ラルヽ者トハ我等也。既ニ心ヲ発セバ↢一向阿弥陀ニ↡、早ク仏ノ心ト一ニ成ズル也。故云↢「一心不乱ト」↡。上ノ「少善根福徳因縁ニ」念ヲウツサヌ也 云々。

十三

¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ の 「善ぜん男なん子し・善ぜん女人にょにん」 の事こと。

¬阿弥陀経¼「善男子・善女人」事。

これは名みょう号ごうを執しゅう持じするなるゆゑ、 「善男ぜんなん子し・善ぜん女人にょにん」 はといふなり。 下げ品ぼん上生じょうしょう一生いっしょう十じゅう悪あくの凡ぼん夫ぶの最さい後ごの一いっ称しょうの時とき、 善ぜん男なん子しと讃たたへらる。 まことに本ほん機きは五ご濁じょく悪あく世せ悪あく事じの衆しゅ生じょうなり。 これをもつて ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ に ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ のいまの文もんを釈しゃくして 「若にゃく仏ぶつ在ざい世せ、 若にゃく仏ぶつ滅めつ後ご一切いっさい造罪ぞうあく凡ぼん夫ぶ」 といふ。 云々 思おもひ合あはすべし。

此ハ執↢持スル名号ヲ↡成ル故、云↢「善男子・善女人ハ」↡也。如シ↢下品上生一生十悪0719ノ凡夫ノ最後ノ一称ノ時、被↟讃↢善男子ト↡。実ニ本機ハ五濁悪世悪事衆生也。是以¬観念法門ニ¼釈¬阿弥陀経ノ¼今ノ文云↢「▲若仏在世、若仏滅後一切造罪凡夫」↡。云々 可思合。

十四

一 定じょう機きの事こと。

一 定機事。

浄じょう土ど宗しゅうを弘ぐし、 大原おおはらにおいて談論だんろんせん時ときに、 法門ほうもん比くらべに互ご角かくの論ろんにて事こと切きれず、 機き根こん比くらべたらんには源空げんくう勝すぐれたりしなり。 聖しょう道どう門もんは法門ほうもんは深ふかしといへどもいまの機きには叶かなはず、 浄じょう土ど門もんは浅あさきに似にるともいまの根こんに叶かなひやすしといひし時ときに、 人ひとみな承しょう伏ぶくしきと 云々。

浄土宗ヲ弘シ、於↢大原ニ↡談論セン時ニ、法門比クラベニ互角ノ論ニテ事不ズ切レ、機根比クラベタラムニハ源空勝タリシ也。聖道門ハ法門ハ難↠深ト今ノ機ニハ不↠叶ハ、浄土門ハ似トモ↠浅今ノ根ニ易↠叶云シ時ニ、人皆承伏シキト 云々。

十五

一 前念ぜんねん命終みょうじゅう後ご念ねん即そく生しょうの事こと。

一 前念命終後念即生事。

前念ぜんねん・後ご念ねんとは、 これに命いのち尽つきて後のちに生しょうを受うくは時じ分ぶんなり、 行ぎょうの念ねんにはあらず。 往おう生じょうは称名しょうみょうなり、 称名しょうみょうは正定しょうじょう業ごうなり。 しかればすなはち称名しょうみょうして命終みょうじゅうするは、 正定しょうじょうのなかにして終おはるものなり 云々。

前念・後念ト者、此ニ命 チ尽テ後ニ受ハ↠生ヲ時分也、非↢行ノ念ニハ↡。往生ハ称名ナリ、称名ハ正定業ナリ。然則称名シテ命終スルハ、正定ノ中ニシテ終ハル者也 云々。

十六

一 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ の 「難信なんしん之し法ほう」 の事こと。

一 ¬阿弥陀経¼「難信之法」事。

これは罪悪ざいあくの凡ぼん夫ぶ、 ただ称名しょうみょうによりて往おう生じょうを得うといふ事ことを、 衆しゅ生じょう信しんぜざるなり。 これによりて釈しゃ迦か・諸仏しょぶつ、 切せつに証成しょうじょうしていふなり 云々。

此ハ罪悪ノ凡夫、依↢但称名ニ↡得ト↢往生↡云事ヲ、衆生不信也。依之釈迦・諸仏、切ニ証成云也 云々。

十七

一 無む戒かいの定じょう恵えは念仏ねんぶつすべしといふ事こと。

一 无戒定恵者可念仏云事。

これは無下むげの義ぎなり。 っとひ戒かい定じょう恵えの三学さんがくまつたく具ぐしたりといへども、 本願ほんがん念仏ねんぶつを修しゅせずは、 往おう生じょうを得うべからず。 戒かい定じょう恵えなしといへども、 一向いっこうに称名しょうみょうせば、 かならず往おう生じょうを得うべきなり 云々。

此ハ無下ノ義也。縦雖モ↢戒定恵ノ三学全具タリト↡、不↠修↢本願念仏ヲ↡者、不↠可↠得↢往生↡。雖0720无戒定恵、一向称名セバ、必可得往生也 云々。

十八

一 乃ない至し一念いちねん即得そくとく往おう生じょうの事こと。

一 乃至一念即得往生事。

われらは一念いちねんの機きにあらず、 乃ない至しの機きなり 云々。 また 「乃ない至し十念じゅうねん」 もかくのごとし。 われらは十念じゅうねんの機きにあらず、 乃ない至しの機きなり 云々。 釈しゃく (礼讃意) に 「上じょう尽じん形ぎょう至し十じっ声しょう一いっ声しょう等とう、 定じょう得とく往おう生じょう」 もまたかくのごとし。 われらは下至げし十じっ声しょうの機きにあらず、 上じょう尽じん形ぎょうの機きなり 云々。

我等ハ非↢一念ノ機ニ↡、乃至ノ機也 云々。又「乃至十念モ」如↠此。吾等ハ非↢十念ノ機ニ↡、乃至機也 云々。釈ニ「▲上尽形至十声一声等、定得往生モ」又如↠此。吾等ハ非↢下至十声ノ機ニ↡、上尽形機也 云々。

十九

一 五ご決けつ定じょうをもつて往おう生じょうすといふ事こと。

一 以↢五決定↡往生スト云事。

一いちに弥陀みだの本願ほんがん決けつ定じょうなり、 二にに釈しゃ迦かの所説しょせつ決けつ定じょうなり、 三さんに諸仏しょぶつの証誠しょうじょう決けつ定じょうなり、 四しに善導ぜんどうの経釈きょうしゃく決けつ定じょうなり、 五ごはわれらが信心しんじん決けつ定じょうなり。 この義ぎをもつてのゆゑに往おう生じょう決けつ定じょうなり 云々。

一弥陀本願決定也、二釈迦所説決定也、三諸仏証誠決定也、四善導経釈決定也、五ハ我等信心決定。以此義故往生決定也 云々。

二〇

一 若にゃく存ぞん若にゃく亡もうの事こと。

一 若存若亡事。

本願ほんがんに乗じょうずるを存ぞんといひ、 本願ほんがんより下おるるを亡もうといふなり。 乗じょうずるに二義にぎあり、 下おるるに二義にぎあり。 いはく悪業あくごうを造つくる時ときと、 道心どうしんを発おこす時ときなり。 造罪ぞうざいの時ときに下おるるとは、 かくのごとく悪あくを造つくる身みなればさだめて仏ぶつ意いに背そむくべしと思おもふはすなはち下おるるなり、 これを亡もうといふなり。 道心どうしん廃おこる時ときに下おるるとは、 かくのごとく道心どうしんを発おこして念仏ねんぶつ申もうすこそ仏ぶつ意いに叶かなふらめと思おもふをばすなはち下おるるにてあるなり、 これを亡もうといふなり。

乗ヲ↢本願ニ↡云↠存ト、下↢本願ヨリ↡云↠亡ト也。乗ズル有↢二義↡、下ヲルヽニ有↢二義↡。謂ク造ル↢悪業ヲ↡之時ト、発ス↢道心ヲ↡之時也。造罪ノ時ニヲルヽトハ者、如↠此造ル↠悪ヲ身ナレバ定可シト↠背ク↢仏意ニ↡思ハ即オルヽ也、此ヲ云↠亡ト也。道心廃ル時ニヲルヽトハ者、如↠此発テ↢道心ヲ↡申念仏コソ叶ラメト↢仏意ニ↡思ヲバ即ヲルヽニテ有也、此云↠亡ト也。

罪つみを造つくる時ときにも乗じょうじたりとは、 罪つみのつくらるるにつきても、 この本願ほんがんなからましかばいかがせん。 この本願ほんがんに乗じょうずるがゆゑに、 悪あくを造つくるといへども決定決けつ定じょうして往おう生じょうすべしと思おもふは乗じょうじたるなり、 これを存ぞんといふ。 また道心どうしんの発おこらん時ときにも乗じょうじたりとは、 かくのごとき道心どうしんいまに始はじまらず、 われ過去かこ生々しょうしょうにも発おこしけん。 しかれどもいまだ生しょう死じを離はなれざるゆゑ知しりぬ、 道心どうしんはわれを救すくはざりけりと。 ただ仏ぶつの願力がんりきのみしてわれをば助たすけ候そうろふべき。 されば道心どうしんはありもせよなくもあれ、 それをば顧かえりみず、 ただすべからく名みょう号ごうを称となふれば浄じょう土どに生しょうずと思おもふはすなはち乗じょうじたるなり、 これを存ぞんといふ 云々。

造ル↠罪ヲ時ニモ乗タリト者、罪ノツクラルヽニ付テモ、此本願ナカラマシカバ何カヾ為セム。乗↢此本願ニ↡之故、難↠造↠悪ヲ決定往生スベシト思フハ乗タル也、此ヲ云↠存ト。又道心ノ発ラム時ニモ乗タリト者0721、如↠此道心不↠始↢于今ニ↡、我過去生々ニモ発シケム。然ドモ未↠離↢生死↡之故知ヌ、道心ハ不ザリケリト↠救↠我ヲ。唯仏ノ願力ノミシテ我ヲバ助ケ候ベキ。サレバ道心ハ有リモセヨ無クモアレ、其ヲバ不顧、唯須ク称↢名号ヲ↡生ト↢浄土ニ↡思ハ即乗タル也、此ヲ云↠存ト 云々。

二一

一 平生へいぜい臨りん終じゅうの事こと。

一 平生臨終事。

平生へいぜいの念仏ねんぶつにおいて往おう生じょう不ふ定じょうと思おもへば、 臨りん終じゅうの念仏ねんぶつもまたもつて不ふ定じょうなり。 平生へいぜいの念仏ねんぶつをもつて決けつ定じょうと思おもへば、 臨りん終じゅうまたもつて決けつ定じょうなり 云々。

於↢平生念仏ニ↡往生不定ト思ヘバ、臨終ノ念仏モ又以不定也。以↢平生ノ念仏ヲ↡決定ト思ヘバ、臨終又以決定也 云々。

二二

一 一念いちねんの信心しんじんの事こと。

一 一念信心事。

信しんを一念いちねんに取とりて、 行ぎょうを一いち形ぎょうに尽つくすべし。 一念いちねんの往おう生じょうを疑うたがはば、 すなはち多た念ねんみな疑ぎ念ねんの念仏ねんぶつなり 云々。

取↢信於一念ニ↡、尽スベシ↢行於一形ニ↡。疑↢一念往生↡者、即多念皆疑念之念仏也 云々。

またいはく、 一いち期ごの終おわりの一念いちねんは一人いちにん往おう生じょうす、 いはんや一いっ生しょうの間あいだ多た念ねんの功こうを積つむ、 あに一度ひとたび往おう生じょうを遂とげざるや。 一念いちねんごとに一人いちにん往おう生じょうの徳とくあり、 いかにいはんや多た念ねんに一いちの往おう生じょうなからんや 云々。

又云、一期ノ終ノ一念ハ一人往生ス、況一生ノ間積↢多念ノ功ヲ↡、豈不↠遂↢一度往生ヲ↡乎。毎一念有↢一人往生ノ徳↡、何況多念ニ無↢一ノ往生↡哉 云々。

二三

一 本願ほんがん成じょう就じゅの事こと。

一 ▼本願成就事。

念仏ねんぶつはわれが所しょ作さなり、 往おう生じょうは仏ぶつの所しょ作さなり。 往おう生じょうは仏ぶつの御おん力ちからにてせしめたまふ物ものを、 わが心こころにとかくせんと思おもふは自じ力りきなり。 ただすべからく称名しょうみょうにつきたる来迎らいこうを待まつべし。

念仏ハ我所作也、往生ハ仏ノ所作也。往生ハ仏ノ御力ニテセシメ給物ヲ、我心ニトカクセムト思ハ自力也。唯須ク↠待ツ↧付タル↢称名ニ↡之来迎ヲ↥。

二四

一 ¬礼讃らいさん¼ の 「若にゃく能のう如にょ上じょう念々ねんねん相続そうぞく」 の事こと。

一0722 ▼¬礼讃ノ¼「若能如上念々相続」事。

¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ (巻下) には三心さんしん・五ご念ねん・四し修しゅを指さして、 「如にょ上じょう」 といふなり。 これによりてこれをいはば、 三心さんしん・五ご念ねん・四し修しゅのなかには正しょう助じょ二に行ぎょうを明あかし、 これを指さして念々ねんねん相続そうぞくといふなり 云々。

¬往生要集ニハ¼指↢三心・五念・四修ヲ↡、云↢「如上ト」↡也。依之云ハヾ↠之、三心・五念・四修ノ中ニハ明↢正助二行ヲ↡、指↠之云↢念々相続ト↡也 云々。

二五

一 外げの雑縁ぞうえんなし正しょう念ねんを得うるがゆゑにの事こと。

一 无↢外ノ雑縁↡得↢正念↡故事。

これは他たの大善だいぜんなるを見みて、 わが心こころに怯こう弱にゃくなきをいふなり。 たとひ法ほう勝しょう寺じの九く重じゅうの塔とうを見みるとも、 われは一寸いっすんの塔とうをも立たてずといふ疑ぎ心しんもなし。 また東大とうだい寺じの大仏だいぶつを拝はいすともわれは半寸はんすんの仏ぶつをも拝はいせずといふ卑下ひげの心こころなく、 称名しょうみょうの一念いちねんに無む上じょうの功く得どくを得えて決けつ定じょうして往おう生じょうすべしと思おもひ定さだめたるを、 外げ雑縁ぞうえん得とく正しょう念ねん故こといふなり。 かくのごとく信しんずるものの念仏ねんぶつは、 弥陀みだの本願ほんがんと相応そうおうし、 釈しゃ迦かの教きょうと相そう違いなく、 諸仏しょぶつの証誠しょうじょうに随ずい順じゅんするにてあるなり。 雑ぞう行ぎょうの十じゅう三さんの失しつはこの義ぎをもつて心こころ得うべきなり。

此ハ見↢他ノ大善ナルヲ↡、我心ニ无怯弱云也。仮令ヒ見トモ↢法勝寺ノ九重塔↡、我ハ不ズト↠立↢一寸ノ塔ヲモ↡云フ无↢疑心モ↡。又拝トモ↢東大寺ノ大仏ヲ↡我ハ不↠拝↢半寸ノ仏ヲモ↡云無ク↢卑下心↡、称名ノ一念ニ得↢无上ノ功得ヲ↡決定可シト↢往生す↡思定タルヲ、云フ↢外雑縁得正念故ト↡也。如此信ズル者ノ念仏ハ、与↢弥陀ノ本願↡相応、与↢釈迦教↡无ク↢相違↡、随↢順スル諸仏ノ証誠ニ↡ニテアル也。雑行ノ十三ノ失ハ以↢此義↡可得心也。

二六

一 請用念仏事。

一 請しょう用ゆうの念仏ねんぶつの事こと。

他たの請しょうに趣おもむきて念仏ねんぶつを修しゅするは、 三種さんしゅの利り益やくあり。 一いちには自じ行ぎょう勇ゆう猛みょうなり、 二には旦だん那なの願念がんねんを助たすく、 三さんは能衆のうしゅのために利り益やくをなすなり。 功く徳どくには体用たいゆうの二にあり、 体たいは自みずからに留とどまり用ゆうは他たに施ほどこす。 妙みょう楽らく大だい師し (輔行巻七) のいはく、 「善法ぜんぽうの体たいをもつて人ひとに与あたふべからず」 と。 以上 これは 「願がん以此にし功く徳どく」 の文もんを釈しゃくするところなり 云々。

趣↢他ノ請ニ↡修↢念仏ヲ↡者、有↢三種ノ利益↡。一ニハ自行勇猛也、二ハ助ク↢旦那願念ヲ↡、三ハ為ニ↢能衆↡成↢利益ヲ↡也。功徳ニハ有↢体用ノ二↡、体ハ留リ↠自ニ用ハ施ス↠他ニ。妙楽大師ノ云、「以テ↢善法体ヲ↡不↠可↠与↠人ニ。」已上 此ハ釈スル↢「願以此功徳ノ」文↡之所也 云々。

二七

一 ▼善人ぜんにんなほもつて往おう生じょうすいはんや悪人あくにんをやの事こと。 口く伝でんにこれあり

一 善人尚以往生況悪人乎事。口伝有之

わたくしにいはく弥陀みだの本願ほんがんは自じ力りきをもつて生しょう死じを離はなるべく方便ほうべんあり、 善人ぜんにんのためにをこしたまはず、 極ごく重じゅうの悪人あくにん・無む他た方便ほうべんの輩やからを衰あわれみてをこしたまへり。 しかるを菩ぼ薩さつ・賢げん聖じょうもこれにつきて往おう生じょうを求もとむ、 凡ぼん夫ぶの善人ぜんにんもこの願がんに帰かえりて往おう生じょうを得う。 いわんや在悪ざいあくの凡ぼん夫ぶ、 もつともこの他た力りきを憑たのむべしといふなり。 悪あしく領りょう解げして邪見じゃけんに住じゅうすべからず。 たとへば (選択集) 「為い凡ぼん夫ぶ兼けん為い聖しょう人にん」 といふがごとし。 よくよく心こころ得うべし心こころ得うべし。 初はじめに三日さんにち三さん夜や読よむにこれ余あまり、 後のち一日いちにちこれを読よむ、 後のち二夜にや一日いちにちこれを読よむ。▽

私0723云弥陀本願ハ以↢自力ヲ↡可↠離↢生死ヲ↡有↢方便↡、善人ノ為ニヲコシ給ハズ、衰テ↢極重悪人・無他方便輩↡ヲコシ給ヘリ。然ルヲ菩薩・賢聖モ付テ↠之求↢往生ヲ↡、凡夫ノ善人モ帰テ↢此願ニ↡得↢往生ヲ↡。況在悪ノ凡夫、尤可シト↠憑ム↢此他力ヲ↡云也。悪シク領解シテ不↠可↠住↢邪見↡。譬バ如↠云ガ↢「▲為凡夫兼為聖人ト」↡。能々可得心可得心。初三日三夜読余之、後一日読之、後二夜一日読之。▽