一六(256)、諸起請文

しょしょうもんだいじゅうろく 三通さんつうあり

0257没後起請文

もつしょうもんいち

しょう もつ二箇にかじょうこと

一 そう追善ついぜんこと

没後起請文一

起請 没後二箇条事。

一 葬家追善事。

みぎそうだい、 すこぶるそのぞんずるむねあり。 篭居ろうきょこころざしあらん遺弟ゆいてい同法どうぼうら、 まつたく一処いっしょぐんすべからざるものなり。 そのゆゑいかんとなれば、 またごうするにたりといへども、 あつまればすなはちとうじょうおこすといふ。 このことばまことかな、 はなはだ謹慎きんしんすべし。 もししからばわが同法どうぼうら、 わがもつにおいてはおのおのじゅうしおのおのしてせざらんにはしかじ。 とうじょうもとしゅうによるがゆゑなり。 ねがはくはわが弟子でし同法どうぼうら、 おのおのしずかに本在ほんざい草庵そうあんじゅうして、 ねんごろにわがしんしょう蓮台れんだいいのるべし。 ゆめゆめ一所いっしょぐんして、 じょうろんいた忿ふんおこすことなかれ。 おんこころざしあらんひと毫末ごうまつすべからざるものなり。

右葬家之次第、頗↢其ズル旨↡。有ラン↢篭居之志↡遺弟・同法、全不↠可↣群↢会一処↡者也。其故何レバ者、雖↣復似タリト↢和合スルニ↡、集レバ則起スト云↢闘諍↡。此言誠カナ哉、甚可↢謹慎↡。若然者我同法等、於テハ↢我没後↡各住各居シテ不↠如↠不ランニハ↠会。闘諍之基、由↢集会↡之故ナリ也。羨クハ弟子・同法等、各シテ↢本在之草庵↡、苦可↠祈↢我新生之蓮台↡。努々莫↧群↢居シテ一所↡、致↢諍論↡起コト↦忿怒↥。有↢知恩志↡之人、毫末不↠可↠違也。

ねてまた追善ついぜんだい、 またふかぞんずるむねあり。 ぶつしゃきょうとうぜん浴室よくしつだんとうぎょう一向いっこうにこれをしゅすべからず。 もし報恩ほうおんこころざしあらんひと、 ただ一向いっこう念仏ねんぶつぎょうしゅすべし。 平生へいぜいとき、 すでにぎょう化他けたにつきて、 ただ念仏ねんぶついちぎょうかぎる。 もつのち、 あにむしろ報恩ほうおん追修ついしゅのために、 自余じよ修善しゅぜんまじへんや。 ただし念仏ねんぶつぎょうにおいてはなほ用心ようじんあるべし。

又追善之次第、亦深↢存ズル旨↡。図仏・写経等善、浴室・檀布等行、一向不↠可↠修↠之。若有↢報恩志↡之人、唯一向↠修↢念仏之行↡。平生之時、既就↢自行化他↡、唯局↢念仏之一行↡。没故之、豈寧↢報恩追修↡、雑ヘン↢自余之修善↡哉。但↢念仏↡尚可↠有↢用心↡。

あるいはまなこづるのちいっちゅうそくよりこれをはじめ、 あるいはえてのちしちちゅう即日そくじつよりこれをはじむ。 まことひょうこころいたしておのおの念仏ねんぶつすべし。 ちゅういんあいだだん念仏ねんぶつすれば、 ややもすればけんとがしょうじ、 かえりて勇進ゆうしんぎょうかん。 およそもつだい、 みな真実しんじつしんもちゐて虚仮こけぎょうつべし。 こころざしあらんともがら遺言ゆいごんそむくことなからんのみ。

眼閉之後、一昼夜自↢即時↡始↠之、或気絶之後、七昼夜自↢即日↡始↠之。標↠誠至0258シテ↠心各可↢念仏。中陰之、不断念仏スレバ、動スレバ↢懈倦之咎↡、還カン↢勇進之行↡。凡没後之次第、皆用↢真実心↡可↠棄↢虚仮行↡。有↠志之、勿↠乖コト↢遺言↡而已。

一 房舎ぼうしゃ資具しぐはつぶつとうじょうろんすべからざること

一 不↠可↣諍↢論房舎・資具・衣鉢・遺物等↡事。

みぎいにしえいまるに、 ひともつにおいておおけんことあり。 そもそもこれじんあらそふによりてなり。 しかるあひだ、 あるいはざいきょうだいはたちまちに六親ろくしんなじみわすれ、 あるいはしゃくもん法孫ほうそんはにはかにいっこころざしへんず。 このこと見聞けんもんするごとに、 あへて安忍あんにんするにへず。 しかればすなはちわが弟子でし同法どうぼうこころざしあらんともがら、 あきらかにこのおもむきさっして、 わがもつにおいてじょうろんおこすことなかれ。

右聞↠古ルニ↠今、於↢人没後↡多↢喧嘩之事↡。抑↠諍フニ↢遺塵↡也。然、或在家之兄弟↢六親之昵↡、或釈門之法孫↢一器之志↡。毎↣見↢聞スル↡、敢不↠勝↢安忍スルニ↡。然則我弟子・同法、有↠志之、明カニシテ↢此↡、於↢我没後↡莫↠起コト↢諍論↡。

ただし弟子でしおおしといへども、 入室にっしつのものはわづかに七人しちにんなり。 いはゆる*信空しんくう感西かんさいちょうくう円親えんしんちょうそん感聖かんせい良清りょうしょうなり。 これらの諸人しょにん、 かしこにおいてはしゅっけんおんふかし、 われにおいてじゅんきょうとくのものなり、 たれのひと二世にせ恩徳おんどくわすれて、 一旦いったんじょうろんいたさんや。

但弟子雖↠多シト、入室七人也。所謂信空・感西・澄空・円親・長尊・感聖・良清也。此等諸人、於テハ↠彼世・出世間之恩深、於↠我至順・至孝之至篤也。誰↢二世之恩徳↡、致ンヤ↢一旦之諍論↡乎。

このなか信空しんくう大徳だいとくは、 これねん入室にっしつ弟子でしなり。 そのこころざしたがひにしてまことあり、 こんあらわさんがためにいささかぞくあり。 いはく黒谷くろだに本房ほんぼう 寝殿しんでん雑舎ざっしゃ白川しらかわ本房ほんぼう 寝殿しんでん雑舎ざっしゃ坂下さかしたえん一所いっしょらくちゅう一所いっしょ、 このほか本尊ほんぞん さんしゃく弥陀みだりゅうぞう定朝じょうちょう聖教しょうぎょう すりうつしろく十巻じっかんとう、 これをぞくしおはりぬ そのじょうべっにあり

中信空大徳者、是多年入室之弟子也。其志互ニシテ而有↠誠、為↠表↢懇志↡聊有↢遺属↡。謂黒谷本房 寝殿雑舎、白川本房 寝殿雑舎、坂下園一所、洛中地一所、此外本尊 三尺弥陀立像、定朝、聖教 摺写六十巻等、付↢属↡了 状在↢別紙↡

感西かんさい大徳だいとくは、 またこれ年来ねんらいじょうずいきゅう弟子でしなり。 そのおもひあひともにしてあさからず、 きゅうおんむくいんがために、 またいささかぞくするところあり。 いはく吉水よしみずのなかのぼう もと西山せいざん広谷ひろたににあり高畠たかはた一所いっしょ ただし売買ばいばいときはんこれをあた、 これをぞくしおはりぬ。

感西大徳、亦是年来常随給仕之弟子也。其相共ニシテ而不↠浅カラ、為↠酬↢給仕之恩↡、又聊有↠所0259↢付属スル↡。謂吉水↢西山広谷↡、高畠地一所 但売買之時半直与↠之、付↢属↡了

吉水よしみずひがし新房しんぼうはこれ円親えんしん大徳だいとくしょりょうなり。 これ本主ほんしゅなるがゆゑにろくじょうあまぜんそのようとなしてぞくす。 ならびにろくじょうしきも、 みづからぞくじょうきてこれをあたへおはりぬ。 しかりといへども源空げんくういちあいだは、 しんすべきのよし、 かのじょうせらる。 よりていまかさねてぞくするところなり そのじょうべっにあり

吉水新房是円親大徳所領也。是本主故六条尼御前為シテ↢其養子↡付属。并六条敷地、手自↢付属状↡与↠之。雖↠然源空一期之間、可キノ↢進止↡之、被↠載↢彼↡。仍所↢付属スル↡也 其状在↢別紙↡

ちょうそん大徳だいとくは、 にょぎょうきょのきざみ、 かくぼうならびにちょう一口ひとくち沙汰さたしこれをあたへおはりぬ。

長尊大徳者、故如行死去之刻、覚悟房并付帳一口沙汰与↠之了。

また白川しらかわへんにおいて一屋いちおくひまうけするのきざみ 価直かちこれをあたへおはりぬ、 またこの吉水よしみず西にしきゅうぼうは、 その本主ほんしゅ顕然けんねんなり、 ひとみなるところなり、 分配ぶんぱいするにあたはざるものなり。

又於↢白川辺↡買↢儲スルノ一屋↡之刻 価直与↠之了、又此吉水西旧房、其本主顕然也、人皆所↠知也、不↠能↢分配スルニ也。

仏堂ぶつどう もと大谷おおたににあり西にしぼうあまぜん西尊さいそん成乗じょうじょうぼうよりこれをふ、 こぼわたすところなり。

持仏堂 本在↢大谷↡、西尼御前、自↢西尊成乗房之手↡乞↠之、所↢コボ↡也。

このほか雑舎ざっしゃいちりょう潤色じゅんしょくくわふといへども、 みな西本さいほんぼうにつけておはりぬ、 先例せんれいいちにあらず、 白川しらかわぼう経回けいかいせんときろうならびに門等もんとうにおいて修造しゅぞうくわふといへども、 亭主ていしゅにつけてりおはりぬ。 嵯峨さがへん経回けいかいせんときあたらしくしょうごんあたらしく築垣ついがきかまふといへども、 またしゅにつけてりおはりぬ。 この吉水よしみず西にしぼう、 またかくのごとし。 ふるきをあたらしきをかまふといへども、 みな西にしぼう本主ほんしゅしおはりぬ。 左右さうにあたはざるものなり。

外雑舎一両、雖↠加↢潤色↡、皆付↢西本房↡了。先例非↠一、経↢回セン白川↡之時、雖↧於↢廊并門等↡加↦修造↥、付ケテ↢亭主↡而去。経↢回セン嵯峨↡之時、雖↧新↢荘厳↡新構↦築垣↥、亦付ケテ↢家主↡而去。此吉水西房、亦復如↠是。雖↢治↠旧↟新、皆付↢西本主↡了。不↠能↢左右↡者也。

このほかには房舎ぼうしゃなく、 またりょうなし、 自余じよ諸人しょにんぞくするにあたはざるものなり。

ニハ↢房舎↡、亦無↢領地↡、不↠能↣付↢属スルニ自余諸人↡者也。

およそつらつらことこころあんずるに、 これらの諸人しょにんは、 みなこれ年来ねんらい同室どうしつにして、 よくそのしんしょうる。 あるいはうち道心どうしんたくわほか忍辱にんにくぎょうじ、 あるいはうちどういだきてほか僻見へきけんわすれ、 生前せいぜんすでにじゅんこころあり、 もつあにほんぎゃくことあらんや。 しかればすなはちたとひかくのごときの遺誡ゆいかいことばなくとも、 こうことしんさらにもつてあるべからざるものをや。

ツラ↢事↡、此等諸人者、皆是年来同室ニシテ、能知↢其心性↡。或↢道心↡外行↢忍辱↡、或↢道理↡外↢僻見↡、生前既有↢至順之心↡、没後ンヤ↢反逆之事↡哉。然則縦トモ↢如↠此遺誡0260之詞↡、向後之事不審更以不↠可↠有者ヲヤ哉。

しかりといへどもひとこころときしたがひてさだまらず、 好悪こうあくまたもつてはかりがたきものなり。 らいほうひそかにもつてりがたし。 これによりていまこれらのことかんがみて、 きょくじょうそそぎてにはかにもつて遺誡ゆいかいするところなり。

雖↠然人心随↠時而不↠定、好悪亦以叵↠量者也。未来法暗以難↠知。因↠之今鑑↢此等↡、注↢委曲之状↡慥以所↢遺誡スル↡也。

もしこれらのしゅちゅうにおいて、 たがひにきょうもうこころおこして、 あるいは年来ねんらいしょうし、 あるいは親族しんぞくしょうし、 あるいは謀書ぼうしょかまへてわれはぞくたりといひ、 あるいは虚言きょごんかまへてわれは約諾やくだくこうむるといひ、 あるいは六人ろくにんかたらひひていま一人いちにんそむき、 あるいは三人さんにんかたらひひていまにんそむき、 ないそのなかばあひわかちてじょうろんりょうほうおこし、 ない一人いちにんぐんぬきんでて所分しょぶん一方いっぽうさふ。 かくのごときらのこと、 あるいはしんよりしておこり、 あるいはひとすすめによりておこらん。 かくのごときのねんこと、 みなもつてかた禁制きんぜいするところなり。

於↢此等衆中↡、互シテ↢競望之心↡、或称↢年来↡、或↢親族↡、或↢謀書↡我↠得タリト↢付属↡、或構↢虚言↡謂ルト↢約諾↡、或六人語↢今一人↡、或三人語↢今四人↡、乃至其半相分↢諍論於両方↡、乃至一人抜デヽ↠群サフ↢所分於一方↡。如↠此等事、或従↢自心↡而起、或↢人↡而起ラン。如↠是未然之事、皆以堅所↢禁制スル↡也。

庶幾こひねがはくくはわが弟子でし同法どうぼうたらんひと、 この禁遏きんあつそしるべからず。 もしこの遺誡ゆいかいそむきて、 濫妨らんぼういたさんともがらきたらば、 ただちに門弟もんていにあるべからず。 すでに門弟もんていにあらざれば、 これ何者なにものぞや。 よろしく怨敵おんてきといふべし、 また盗人ぬすびとといふべし、 親近しんごんするべからざるものなり。

庶幾クハラン↢弟子・同法↡之人、不↠可↠毀↢此禁遏↡。若↢此遺誡↡、至↢濫妨↡之出来ラバ、直可↠非↢門弟↡。既非↢門弟↡者、何者ゾヤ乎。宣↠云↠怨敵↡、亦可↠云↢盗人↡、不↠可↢親近↡者也。

およそぞくするところあるは、 みなひつをもつてこれをしょす。 もしひつをもつてしょうもんとするもの盗犯とうぼんしょすべし、 人面にんめんちくしょうといふべし。 このほか年来ねんらいにあらずといへども、 とう同法どうぼうもの三人さんにん、 いはゆるじゅん西せい直念じきねん欣西ごんせいなり。 そのしょうにんとなしてことさらにちゅうつらぬるところなり。

ルハ↠所↢付属スル↡、皆以↢自筆↡書↠之。若以↢他筆↡而為↢証文↡者、可↠処↢盗犯↡、可↠云↢人面之畜生↡。此外雖↠非↢年来↡、当時同法三人、所謂遵西・直念・欣西也。為シテ↢其証人↡故所↢註列↡也。

また西にしよりきたひがしよりきた法門ほうもんふものあり、 西にしひがし行方ゆくかたらず、 あしたきたくれひとはなはだおおし。 まことにもつていふにらざるものなり。 なほなほわがもつにおいて報恩ほうおんこころざしあらんひとかたくこの遺誡ゆいかいむねまもりて、 毫末ごうまつといふといへどもしつするべからず。

又西ヨリヨリ有↠問↢法門↡、西不↠知↢行方↡、朝往之人甚多。誠不↠足↠言フニ也。尚々於↢我没後↡有↢報恩之志↡人、固↢此遺誡之旨↡、雖↠云↢毫末↡不↠可↢遺失↡矣。

ぜん二箇にかじょうしょうかくのごとし。 もしそれ累劫るいこうえんわすれざらんものは、 この遺誡ゆいかいわすれざるべし。 またはんこうあつくせんものは、 すこぶるこの遺言ゆいごんあつくすべし。 これをもつて報恩ほうおんとなすべし、 他事たじあるべからざるなり。 ねがはくはわが同法どうぼう遺弟ゆいていとう、 わがもつにおいて、 たがひにみずみずとのごとくしてともにいしいしとのごとくすべからざるものなり。 あなかしこあなかしこ。 ゆめゆめあへてしつすることなかれ。 よりてことさらにもつて遺言ゆいごんす。

0261前二箇条起請如↠右。若↠忘↢累劫之縁、可↠不↠忘↢此遺誡↡。亦厚クセン↢半偈之功、頗↠厚↢此遺言↡。以↠此可↠為↢報恩↡、不↠可↠有↢他事↡也。羨クハ同法・遺弟等、於↢我没後↡、互シテ↢水↟水共不↠可↠如クス↢石↟石者也。穴賢穴賢。努努ユメユメ↢遺失スルコト↡。仍以遺言而已。

けんきゅうねんがつ八日はちにち  しゃく源空げんくう 在御判

建久九年四月八日  釈源空 在御判

 

・七箇条起請文

しちじょうしょうもん

 あまねく門人もんにんごうする念仏ねんぶつしょうにんとうぐ。

 ↧号スル↢豫門人↡之念仏上人等↥。

一 いまだいっもんしょうをもうかがはずして真言しんごんかんしたてまつり、 ぶつさつほうずることをちょうすべきこと

一 可↫停↪止未↠窺↢一句文章ヲモ↡奉↠破↢真言・止観↡、謗ズルコトヲ↩余仏・菩薩↨事。

みぎりゅうみちいたりては、 これがくしょうおさむるところなり、 にんきょうがいにあらず。 しかのみならずほうしょうぼうはすでに弥陀みだ本願ほんがんのぞけり。 そのほうまさにらくすべし。 あにあんいたりにあらずや。

右至テハ↢立破↡者、学匠之所↠経也、非↢愚人之境界↡矣。加之誹謗正法既除↢弥陀本願↡。其報当↠堕↢那落↡。ズト↢痴暗之至リニ↡哉。

一 無智むちをもつて有智うちひとたいし、 べつぎょうともがらひてこのみてじょうろんいたことをちょうすべきこと

一 可↫停↪止以↢無智身↡対↢有智↡、遇↢別行↡好コトヲ↩諍論↨事。

ひぎろんは、 これしゃたもつなり。 さらににんぶんにあらず。 またじょうろんところにはもろもろの煩悩ぼんのうおこる。 しゃはこれをおんすることひゃくじゅんなり。 いはんや一向いっこう念仏ねんぶつぎょうにんにおいてをや。

右論義者、智者之有也。更非↢愚人之分↡矣。又諍論之処ニハ煩悩起。智者遠↢離コト↡百由旬也。況ヲヤ↢一向念仏行人↡乎。

一 べつぎょうひとたいして、 愚痴ぐちへんしゅうしんをもつて本業ほんごうくべしとしょうして、 あながちにこれを嫌喧けんけんすることをちょうすべきこと

0262 可↫停↪止対シテ↢別行↡、以↢愚痴偏執↡称シテ↠当↣毀↢置本業↡、強嫌↩喧コトヲ↨事。

みぎ修道しゅどうならい、 ただおのおのぎょうつとめてあへてぎょうしゃせず。 ¬西方さいほう要決ようけつ¼ (意) にいはく、 「べつべつぎょうのものにはそうじてきょうしんおこすべし。 もしきょうまんしょうぜば、 つみることきわまりなし」 と。 なんぞこのせいそむかんや。 しかのみならず善導ぜんどうしょうこれをだいしたまふ。 いまだ祖師そしいましめらず、 あんのいよいよはなはだしきなり。

右修道之習、只各ヲノ↢自行↡敢不↠遮↢余行↡。¬西方要決¼云、「別解・別行ニハジテスベシ↢敬心↡。若ゼバ↢軽慢↡、得コト↠罪↠窮。」↢此↡哉。加之善導和尚大呵シタマフ↠之。未↠知↢祖師之誡↡、愚闇之弥イヨ也。

一 念仏ねんぶつもんにおいて、 かいぎょうなしとごうしてもつぱら婬酒いんじゅ食肉じきにくかんして、 たまたまりつまもるものをばぞうぎょうひとづけて、 弥陀みだ本願ほんがんたのものは、 造罪ぞうざいおそるることなかれとくことをちょうすべきこと

一 可↧停↦止於↢念仏門↡、号シテ↠無シト↢戒行↡専シテ↢婬酒食肉↡、適タマ↢律儀↡者ヲバ↢雑行↡、憑↢弥陀本願↡、説コトヲ↞勿レト↠恐コト↢造罪↡事。

みぎかいはこれ仏法ぶっぽうだいなり、 しゅぎょうまちまちといへどもおなじくこれをもつぱらにす。 これをもつて善導ぜんどうしょうは、 げて女人にょにんず。 この行状ぎょうじょうおもむき本律ほんりつせいにもぎたり。 じょうごうたぐいこれにじゅんずるにあらざれば、 そうじては如来にょらいゆいきょうしっし、 べっしては祖師そしきゅうせきそむけり。 かたがたるところなきものか。

右戒是仏法大地也、衆行雖↠区同ニス↠之。是以善導和尚、挙↠目不↠見↢女人↡。此行状之趣、過タリ↢本律ニモ↡。浄業レバ↠順↠之者、総ジテハ↢如来之遺教↡、別シテハケリ↢祖師之旧跡↡。旁ガタ無↠拠哉。

一 いまだ是非ぜひべんぜざるにん聖教しょうぎょうはなせつにあらずして、 ほしいままにわたくしのべみだりにじょうろんくわだてて、 しゃわらはる、 にん迷乱めいらんすることをちょうすべきこと

一 可↫停↪止未↠辨↢是非↡痴人、離↢聖教↡非ズシテ↢師説↡、恣↢私↡妄リニ↢諍論↡、被↠笑↢智者↡迷↩乱スルコトヲ愚人↨事。

みぎ無智むち大天だいてん、 このちょう再誕さいたんしてみだりにじゃぶること、 すでにじゅう六種ろくしゅどうどうず。 もつともこれをかなしむべし。

右無智大天、此再誕シテリニコト↢邪義↡、既↢九十六種異道↡。尤可↠悲↠之。

一 どんをもつてことにしょうどうこのみ、 しょうぼうらずして種々しゅじゅ邪法じゃほうきて、 無智むち道俗どうぞくきょうすることをちょうすべきこと

一 可↫停↪止以↢痴鈍↡殊↢唱導↡、不↠知↢正法↡説↢種種邪法↡、教↩化コトヲ無智0263道俗↨事。

みぎさとりなくしてとなることは、 これ ¬梵網ぼんもう¼ の制戒せいかいなり。 あんたぐいおのがさいあらわさんとおもひ、 じょうきょうをもつて芸能げいのうとなし、 みょうむさぼ檀越だんおつのぞみ、 ほしいままに自由じゆ妄説もうせつじょうじて、 けんひと誑惑おうわくす。 誑報おうほうとがことにおもし。 これむしろ国賊こくぞくにあらずや。

右無シテ↠解作コトハ↠師者、是¬梵網¼之制戒也。愚闇之欲↠顕ント↢己↡、以↢浄土↡為↢芸能↡、貪↢名利↡望↢檀越↡、恣ジテ↢自由之妄説↡、誑↢惑世間↡。誑報之過殊。是寧ズヤ↢国賊↡乎。

一 みづから仏法ぶっぽうにあらざる邪法じゃほうきてしょうぼうとなす、 いつわりてはんせつなりとごうすることをちょうすべきこと

一 可↫停↪止↧非↢仏法↡邪法↥為↢正法↡、偽コトヲ↩師範ナリト↨事。

みぎおのおの一人いちにんせつといへども、 もるところ一身いっしん衆悪しゅあくたり。 弥陀みだきょうもんけがし、 しょうあくみょうぐ、 ぜんのはなはだしきことこれにぎたるはなきものなり。

右各雖↢一人↡、↠積↢豫一身衆悪↡。汚↢弥陀教文↡、揚↢師匠之悪名↡、不善之甚コト↠過タルハ↠之者也。

ぜんしちじょう甄録けんろくかくのごとし。 一分いちぶんきょうもんがくせん弟子でしらは、 すこぶるしゅれ。 年来ねんらいあいだ念仏ねんぶつしゅするといへども、 聖教しょうぎょうずいじゅんしてあへてひとこころさかへず、 きこえおどろかすことなし。 これによりていまじっねん無為ぶいにして、 日月にちがつわたる。 しかるに近年きんねんいたりてこのじっねんより以後いご無智むちぜんともがら時々じじ到来とうらいす。 ただ弥陀みだじょうごうしっするのみにあらず、 またしゃ遺法ゆいほう汚穢わえす。 なんぞ炳誡へいかいくわへざらんや。

以前七箇条ケン録如↠斯。一分セン↢教文↡弟子等者、頗↢旨趣↡。年来之間雖↠修↢念仏↡、随↢順シテ聖教↡敢不↠サカ↢人↡、無↠驚コト↢世↡。因于↠今十箇年無為ニシテ、渉↢日月↡。而↢近年↡此十箇年ヨリ以後、無智不善輩時時到来。非タヾノミニ↢弥陀浄業↡、又汚↢穢釈迦之遺法↡。何ンヤ↠加↢炳誡↡乎。

このしちじょうほかとうきこえさいことおおしといへども、 つぶさに註述ちゅうじゅつしがたし。 そうじてかくのごときらのほうは、 つつしみておかすべからず。 このうへなほ制法せいほうそむともがらは、 これ門人もんにんにあらず、 眷属けんぞくなり。 さらに草菴そうあんきたるべからず。

七箇条外、不当之聞巨細事等雖↠多、具↢註述↡。総ジテ如↠此等之無方、慎不↠可↠犯。此上猶背↢制法↡之輩者、非門人↡、魔眷属也。更不↠可↠来↢草菴↡。

こん以後いご、 おのおのおよぶにしたがひて、 かならずこれをにんれらるるべし、 あひともなふことなかれ。 もししからざれば、 これおなこころひとなり。 かのとがすもののごとし、 同法どうほういかしょううらむことあたはざれ。 ごうとくことわり、 ただおのがこころにあるのみ。

自今以後、各↢聞及↡、必可↠被↠触↢之余人↡、勿↢相伴コト↡。若不↠然者、是同意人也0264。彼トガ↢作↡、不↠能↧瞋↢同法↡恨コト↦師匠↥。自業自得之、只在↢己而已ノミ

このゆゑに今日こんにち西方さいほうぎょうにんもよおして、 一室いっしつあつめてごうみょうす。 わづかに風聞ふうぶんありといへどもにはかにたれのひとらざれば、 沙汰さたするにりどころをうしなふ、 しゅうたんして年序ねんじょおくる、 もくすべきにあらざれば、 まづちからおよぶにしたがひて、 禁遏きんあつはかりごとをめぐらすところなり。 よりてそのおもむきろくして門葉もんようらにしめじょうくだんのごとし。

是故今日催シテ↢西方行人↡、集メテ↢一室↡告命。僅雖↠有↢風聞↡慥レバ↠知↢誰人↡、失↠拠↢于沙汰スルニ↡、愁嘆シテ↢年序↡、非レバ↠可キニ↢黙止↡、先↢力ブニ↡、所↠回ラス↢禁遏之計ゴトヲ↡也。仍録シテ↢其趣↡示↢門葉等↡之状、如↠件。

げんきゅう元年がんねん きのえのうま じゅう一月いちがつ七日しちにち 沙門しゃもん源空げんくう 御判

元久元年 十一月七日 沙門源空 御判

信空しんくう 法連ほうれんぼう 感聖かんせい 定生じょうしょうぼう 尊西そんさい 相縁そうえんぼう しょうくう ぜんぼう げん 勢観せいかんぼう

ぎょう西さい しょうれん 見仏けんぶつ 大和やまとのにゅうどう 道亘どうこう げんきょうぼう 道西どうさい きょう光房こうぼう じゃく西さい しん弥陀みだぶつ

しゅうけい 西縁さいえん ひょうごのにゅうどう 親蓮しんれん しょう善房ぜんぼう 幸西こうさい じょう覚房かくぼう じゅうれん 西さい ぜんじゃくぼう

仏心ぶっしん 源蓮げんれん 信願しんがんぼう 源雲げんうん 欣西ごんさい 唯願ゆいがんぼう しょう弥陀みだぶつ あんしょう

如進にょしん 導空どうくう しょう西さい どう じゅん西さい 安楽あんらくぼう れん 安蓮あんれん 如願にょがんぼう 道源どうげん

しょう弥陀みだぶつ 念西ねんさい ぎょうしゅ そんじょう 西さい ぎょうくう 法本ほうほんぼう 道感どうかん

西観さいかん そんじょう 禅忍ぜんにん 学西がくさい 玄耀げんよう ちょう西さい だい 西さいじゅう

実光ほうこう かくみょう 西さいにゅう えん 導衆どうしゅ しんしょうぼう 尊仏そんぶつ 蓮恵れんけい しょう法房ほうぼう

源海げんかい 安西あんさい きょうほう 詣西けいさい しょうえん 辨西べんさい 空仁くうにん れん

ねんしょう 尊蓮そんれん 尊忍そんにん 参西さんせい ぎょうぜん 忍西にんさい じゅう弥陀みだぶつ

きょう西さい 仙空せんくう 惟西ゆいさい 好西こうさい 祥寂しょうじゃく 戒心かいしん 顕願けんがん 仏真ぶっしん

西尊さいそん りょうしん しゃくくう 善蓮ぜんれん れんしょう 法力ほうりき 熊谷くまがい にち じょう西さい

弥陀みだぶつ じょうがん 覚信かくしん そんしょうぼう 弥陀みだぶつ 願西がんせい

信空 法連坊 感聖 定生房 尊西 相縁房 証空 善恵房 源智 勢観房

行西 聖蓮 見仏 大和入道 道亘 玄教房 道西 敬光房 寂西 真阿弥陀仏

宗慶 西縁 兵庫入道 親蓮 性善房 幸西 成覚房 住蓮 西意 善寂房

仏心 源蓮 信願房 源雲 欣西 唯願房 生阿弥陀仏 安照

如進 導空 昌西 道也 遵西 安楽房 義蓮 安蓮 如願房 道源

証阿弥陀仏 念西 行首 尊浄 帰西 行空 法本房 道感

西観 尊成 禅忍 学西 玄耀 澄西 大阿 西住

実光 覚妙 西入 円智 導衆 心性房 尊仏 蓮恵 証法房

源海 安西 教芳 詣西 祥円 辨西 空仁 示蓮

0265生 尊蓮 尊忍 参西 仰善 忍西 住阿弥陀仏

鏡西 仙空 惟西 好西 祥寂 戒心 顕願 仏真

西尊 良信 綽空 善蓮 蓮生 法力 熊谷 阿日 静西

度阿弥陀仏 成願 覚信 尊性房 自阿弥陀仏 願西

わたくしにいはく、 執筆しっぴつ法連ほうれんぼうなり。 大辨だいべん行隆ゆきたかそくなり

私云、執筆法連坊也。右大辨行隆息也

 

・送山門起請文

山門さんもんおくしょうもんさん

送↢山門↡起請文三

叡山えいざん黒谷くろだに沙門しゃもん源空げんくうけいしてもうさく。

とうじゅう三宝さんぼうほう善神ぜんじん宝前ほうぜん

叡山黒谷沙門源空敬白。

当寺住持三宝護法善神御宝前。

みぎ源空げんくう壮年そうねん昔日せきじつは、 ほぼ三観さんがんとぼそうかがひ、 衰老すいろういまときは、 ひとへにぼんさかいのぞむ。 これまた先賢せんげんせき、 さらに下愚げぐ所顕しょけんにあらず。 しかるを近日きんじつ風聞ふうぶんにいはく、 源空げんくうひとへに念仏ねんぶつおしえすすめてきょうぼうほうずと。 諸宗しょほうこれによりてりょうし、 しょぎょうこれによりて滅亡めつぼうすと

右源空壮年之昔日、粗窺↢三観トボソ↡、衰老之今、偏↢九品↡。又先賢之古跡、更↢下愚之所顕↡。然近日風聞云、源空偏↢念仏↡謗ズト↢余教法↡。諸宗依↠此陵夷、諸行依↠之滅亡スト

このむねつたくに、 心神しんじんきょうす。 つひにこと山門さんもんこへ、 しゅおよべり。 炳誡へいかいくわふべきのよし貫首かんしゅ申達しんたつせられおはりぬ。 このじょうひとつには衆勘しゅかんおそれ、 ひとつには衆恩しゅおんよろこぶ。 おそるるところは、 貧道ひんどうをもつてたちまちに山洛さんらくきんおよび、 よろこぶは、 謗法ほうぼうしてなが花夷かいそしまんことを。 もししゅきゅうだんにあらずは、 いかでか貧道ひんどうしゅうたんなぐさめんか。

伝↢聞クニ↡、心神驚怖。終事聞↢于山門↡、議及ベリ↢于衆徒↡。可キノ↠加↢炳誡↡之、被↠申↢達貫首↡畢。此条、一ニハ者恐↢衆勘↡、一ニハ者喜↢衆恩↡。所↠恐者、以↢貧道之身↡忽及↢山洛之禁↡、所↠悦0266者、銷↢謗法之名↡永止ンコトヲ↢花夷之誹↡。若非ズハ↢衆徒糾断↡者、争メン↢貧道之愁歎↡哉。

およそ弥陀みだ本願ほんがん (大経巻上) にいはく、 「ただぎゃくほうしょうぼうとをのぞく」 と。 念仏ねんぶつすすむるともがら、 いかでかしょうぼうほうぜん。 しんの ¬ようしゅう¼ (巻上) にいはく、 「一実いちじつどうきてげん願海がんかいる」 と。 じょうねがはんたぐい、 あにみょうほうてんや。 なかんづく源空げんくう念仏ねんぶつ余暇よかあたりて天台てんだい教釈きょうしゃくひらき、 信心しんじんぎょくせんながれらし、 渇仰かつごうごんかぜいたす。 旧執きゅうしゅうなほぞんず、 本心ほんしんなんぞわすれん。 かつはみょうかんたのみ、 かつは衆察しゅさつあおぐ。

弥陀本願云、「唯除クト↢五逆誹謗正法トヲ↡。」↢念仏↡之徒、争ゼン↢正法↡。恵心¬要集¼云、「聞↢一実↡入ルト↢普賢願海↡。」↢浄土↡之ンヤ↢妙法↡哉。就↠中源空当↢念仏余暇↡披↢天臺教釈↡、凝↢信心於玉泉之流↡、致↢渇仰於銀池之風↡。旧執、本心何。且↢冥鑑↡、且↢衆察↡。

ただしろう遁世とんせいともがらまいしゅったぐい、 あるいは草庵そうあんりてあたまり、 あるいはしょうそうのぞみてこころざしをいふついでに、 極楽ごくらくをもつてしょとなすべし、 念仏ねんぶつをもつてしょぎょうとなすべきのよし時々じじもつて諷諌ふうかんす。 これすなはちとしおとろへてれんぎょうにあたはず、 しょうどんにして研精けんさんへざるのあひだ、 しばらくなんなんにゅうもんきて、 こころみおうしゅどうしめす。 ぶっなほ方便ほうべんもうけて、 凡慮ぼんりょあにしんしゃくなからんや。 あへてきょう是非ぜひぞんずるにあらず、 ただひとへにかんおもふなり。

但老後遁世、愚昧出家、或↢草庵↡剃↠頭、或臨↢松窓↡言↠志之次、以↢極楽↡可↠為↢所期↡、以↢念仏↡可キノ↠為↢所行↡之、時時以諷諌則齢衰不↠能↢練行↡、性鈍ニシテルノ↠堪↢研精↡之、暫↢難解難入之門↡、試↢易往易修之道↡。仏智↢方便↡、凡慮ンヤ↢斟酌↡也。敢↠存ズルニ↢教之是非↡、只偏↢機之堪不↡也。

このじょうもし法滅ほうめつえんになるべくんば、 こうよろしくちょうしたがふべし。 もうひそかにまどふ、 衆断しゅだんよろしくさだむべし。 本来ほんらいどうこのまず、 天性てんせいきょうをもつぱらにせず。 このほか僻説へきせつをもつてずうし、 たんをもつてろうせば、 もつともきゅうだんあるべし、 もつとも炳誡へいかいあるべし。 のぞむところなり、 ねがふところなり。 これらのさい先年せんねん沙汰さたときしょうしんじおはりぬ。 そののちいまかわらず。 かさねてぶるにあたはずといへども、 厳誡げんかいすでに重畳じゅうちょうするあひだ、 せいじょうまた再三さいさんおよぶ。

条若可ンバ↠為↢法滅之縁↡者、向後宜↠従↢停止↡。愚朦窃、衆断宜↠定。本来不↠好↢化導↡、天性↠専↢弘教↡。此↢僻説↡弘通、以↢虚誕↡披露セバ、尤可↠有↢糾断↡、尤可↠有↢炳誡↡。所↠望也、所↠欣也。此等子細、先年沙汰之時進↢起請↡了。其後于↠今不↠変。雖↠不↠能↢重ルニ↡、厳誡既重畳スル、誓状又及↢再三↡。

じょうけんさいいち一言いちごん虚言きょごんをもつてしゃくもうけば、 毎日まいにち七万しちまんべん念仏ねんぶつ、 むなしくそのうしなひてさんざいし、 現当げんとう二世にせしん、 つねにじゅうしずみてながどくけん。 してふ、 とう諸尊しょそん万山まんざんほう証明しょうみょうけんしたまへ。 源空げんくう敬白けいはく

上件子細、一事一言以↢虚言↡設↢会釈0267↡者、毎日七万遍念仏、空↢其↡堕↢在三塗↡、現当二世依身、常↢重苦↡永↢楚毒↡。伏乞、当寺諸尊、万山護法、証明知見シタマヘ。源空敬白。

げんきゅう元年がんねん きのえの じゅう一月いちがつ七日しちにち  沙門しゃもん源空げんくう 在御判

元久元年 十一月七日  沙門源空 在御判

  わたくしにいはく、 執筆しっぴつさいしょう法印ほういん聖覚せいかくなり。

  私云、執筆宰相法印聖覚也。