一二(200)、類聚浄土五祖伝

▲類聚るいじゅ浄じょう土ど五祖ごそ伝でん第だい十じゅう二に

・曇鸞

第一だいいち位い ▼曇鸞どんらん法ほっ師し 六伝ろくでん

・曇鸞 続高僧伝

一 ¬続ぞく高僧こうそう伝でん¼ 第七だいしち (巻六) 解義げぎ篇へん にいはく、 「釈しゃくの曇鸞どんらん、 あるいは巒らんにつくる。 その氏うじを詳つまびらかにせず、 雁門がんもんの人ひとなり。 家いえ五ご台たい山ざんに近ちかし。 神じん述じゅつ霊怪れいかいにして民みん聴ちょうに逸すぐる。

一 ¬続高僧伝¼第七 解義篇 云、「釈ノ曇鸞、或アルヒハ為ツクル↠巒ニ。未↠詳ラカニ↢其ノ氏ヲ↡、雁門ノ人ナリ也。家近シ↢五台山ニ↡。神述霊怪クハイニシテ逸スグシル↢于民聴ニ↡。

時ときいまだ志し学がくならざるに、 すなはち往ゆきて尋たずぬ。 備つぶさに遣ゆい蹤しょうを覿みて、 心神しんじん歓悦かんえつして、 すなはち出しゅっ家けす。 内ない外げの経きょう籍せき、 つぶさに文もん理りを陶みがく。 四し論ろんの仏ぶっ性しょうにおいていよいよ窮きわめ研みがくところなり。 ¬大集だいじっ経きょう¼ を読よむに、 その詞義しぎ深密じんみつにしてもつて開かい悟ごしがたきことを恨うらみて、 よりて注ちゅう解げす。 文言もんごん半なかばを過すぎてすなはち気け疾しつを感かんず。

時未ダルニ↢志学ナラ↡、便往テ尋ヌ焉。備ツブサニ覿テ↢遣蹤ヲ↡、心神歓悦シテ、便即出家ス。内外ノ経籍、具ニ陶ミガク↢文理ヲ↡。而於テ↢四論ノ仏性ニ↡弥所ナリ↢窮0201研ミガク↡。読ニ↢¬大集経ヲ¼↡、恨テ↣其詞義深密ニシテ難コトヲ↢以開悟↡、因テ而注解ス。文言過テ↠半バヲ便感ズ↢気疾ヲ↡。

しばらく筆功ひっこうを停とどめ、 あまねく医い療りょうを行ぎょうず。 行いきて汾ふん州しゅう秦しん陵りょうの故こ墟きょに至いたるに、 城しろの東門とうもんに入いるときの、 上かみ*青せい霄しょうに望のぞむに、 たちまちに天門てんもんの洞とぼそ開ひらけるを見みる、 六欲ろくよくの階かい位い上じょう下げの重じゅう復ふく歴然れきねんとして斉ひとしく覩みる。 これによりて疾やまひ癒いえぬ。

権シバラク停↢筆功ヲ↡、周ク行ズ↢医療ヲ↡。行テ至ルニ↢汾州秦陵ノ故墟ニ↡、入ルトキノ↢城東門ニ↡、上カミ望ムニ↢青霄セウソラニ↡、忽ニ見ル↢天門洞トボソ開ケルヲ↡、六欲ノ階位上下ノ重復歴然トシテ斉シク覩。由テ↠斯ニ疾ヒ癒ヌ。

前作ぜんさくを継つがんと欲ほっし、 顧かえりみてしかもいひていはく、 命いのちはこれ危き脆ぜいにしてその常つねを定さだめず、 *本草ほんぞうの諸しょ経きょうつぶさに正しょう治じを明あかす。 長ちょう年ねん神仙しんせん往々ところどころに間けん出しゅつす。 心願しんがんの指さすところ、 この法ほうを修しゅ習じゅうせんと。 果か剋こくすでにおはりて、 まさに仏ぶっ教きょうを崇あがめんに、 また善よからずんや。

欲↠継ント↢前作ヲ↡、顧カヘリミテ而モ言テ曰ク、命ハ惟危脆クヰゼイ モロシ 不↠定↢其ノ常ヲ↡、本草ノ諸経具ニ明ス↢正治ヲ↡。長年神仙往々トコロドコロニ間出ス。心願ノ所↠指ス、修↢習ス斯法ヲ↡。果剋既ニ已テ、方ニ崇メンニ↢仏教ヲ↡、不ンヤ↢亦善↡乎。

江南こうなんの陶とう隠居いんきょといふもの、 方ほう術じゅつの帰きするところ広博こうはく弘瞻こうせんなり、 海内かいだい宗そう重じゅうすと承きく。 つひに往ゆきてこれに従したがはんと。 すでに梁朝りょうちょうに達たっする時とき大おお通どおりのなかなり。 すなはち名なを通とおしていはく、 北国ほっこくの虜りょ僧そう曇鸞どんらんことさらに来きたりて奉ぶ謁えつす。 時ときに所しょ司し*細作さいさくをせんことを疑うたがひて推勘すいかんす、 異詞いしあることなし。 事じをもつて奉ぶ聞もんす。 帝みかどのいはく、 これ国くにを覘うかがふものにあらず、 重じゅう雲うん殿でんに引いん入にゅうすべしと。 よりて千せんの迷道めいどうに従じゅうす。

承キク↢江南ノ陶隠居ト云者 ノ、方術ノ所↠帰スル広博弘瞻センナリ、海内宗重スト↡。遂ニ往テ従↠之ニ。既達↢梁朝ニ↡時大通ノ中也。乃通シテ↠名ヲ云ク、北国ノ虜リヨ僧曇鸞故 サラニ来テ奉謁エツマミスユル。時ニ所司疑テ↠為ンコトヲ↢細作ヲ↡推勘ス、無シ↠有コト↢異詞↡。以↠事奉聞ス。帝ノ曰ク、斯 レ非↢覘↠国ヲ者ニ↡、可シト↣引↢入ス重雲殿ニ↡。仍テ従ス↢千ノ迷道↡。

帝みかどまづ殿隅でんぐうにおいて、 縄床じょうしょうに却しりぞきて坐ざす、 衣きるに袈裟けさをもつてし、 覆おおふに衲帽のうぼうをもつてす。 巒らん、 殿でんの前まえに至いたりて*顧こ望ぼうするに承しょう対たいのものなし。 高こう座ざを施せ張ちょうし、 几き払ほつを安あんずるありて、 まさしく殿でんのなかにありてかたはらに余座よざなきを見みる。 ただちに往ゆきてこれに升のぼりて、 仏ぶっ性しょうの義ぎを竪たつ。 三みたび帝みかどに命めいじていはく、 大だい檀越だんおつ仏ぶっ性しょうの義ぎ深ふかし、 略りゃくしてすでに標ひょう叙じょす、 疑うたがいあれば問といを賜たまへと。 帝みかど衲帽のうぼうを却しりぞけてすなはちもつて数関しゅかん往復おうふくす。 よりていはく、 今日こんにち晩くれなんと向こうす、 明あけてすべからくあひ見まみゆべしと。 巒らん座ざより下くだる。 よりて前すすみてただちに出いでる。 誥こう曲きょく重ちょう沓とう二に十じゅう余よ門もんなれども、 一ひとつも錯しゃく誤ごなし。

帝先ヅ於↢殿隅ニ↡、却テ↢坐ス縄床ニ↡、衣キルニ以シ↢袈裟ヲ↡、覆フニ以ス↢衲帽ノウバウヲ↡。巒至テ↢殿ノ前ニ↡顧コ望スルニ無シ↢承対ノ者 ノ↡。見↪有テ↧施↢張シ高座ヲ↡、安ズル↦几キ払ホツヲ↥、正ク在テ↢殿ノ中ニ↡傍ニ無ヲ↩余座↨。俓タヾチニ往テ升ノボテ↠之ニ、竪タツ↢仏性ノ義ヲ↡。三ビ命ジテ↠帝ニ曰ク、大檀越仏性ノ義深シ、略シテ已ニ標叙ジヨス、有バ↠疑賜ヘ↠問ヲ。帝却シリゾケテ↢衲帽ヲ↡便チ以テ数関往復ス。因テ曰ク、今日向ス↠晩クレナント、明須クシ↢相ヒ見ユ↡。巒従↠座下ル。仍テ前テ直ニ出ル。誥曲重沓廿余門ナレドモ、一モ無↢錯シヤクアヤマリ 誤ゴアヤマリ。

帝みかどきはめて嘆たん訝がしていはく、 この千せんの迷道めいどうは、 従来もとより旧きゅう侍じせるもの往還おうげんするに疑阻ぎそす、 いかんぞ一ひとたび度どしてつひにすなはち迷まよふことなきや。 明みょう且たん大極だいごく殿でんに引いん入にゅうして、 帝みかど階きざはしを降おり礼らい接しょうして来きたれるゆゑを問とふ。 巒らんいはく、 仏法ぶっぽうを学がくせんと欲ほっするに年命ねんめいの促滅さいめつすることを恨うらむ。 ゆゑに来きたること遠とおく、 陶とう隠居いんきょに造いたりてもろもろの占せん術じゅつを求もとむと。 帝みかどのいはく、 これ世よに傲おごる隠遁いんとんのものなり。 このごろしばしば徴めせどもつかず、 往ゆきてこれに造いたるべしに任まかすと。 巒らん尋ついで書しょを致いたして問といを通つうず。

帝極テ嘆訝シテ曰ク、此ノ千ノ迷道ハ、従来モトヨリ旧侍セルモノ往還スルニ疑フ 阻ヘダテヲス、如何ゾ一ビ度シテ遂乃チ無ヤ↠迷コト。明且引↢入テ大極0202殿ニ↡、帝降ヲリ↠階キザハシ礼接シテ問フ↣所ユ↢由ヘヲ来ル↡。巒曰、欲ニ↠学ント↢仏法ヲ↡恨ム↢年命ノ促滅コトヲ↡。故ニ来コト遠ク、造イタテ↢陶隠居ニ↡求ト↢諸ノ占術ヲ↡。帝ノ曰ク、此傲ルヲゴル↠世ニ隠遁ノ者ナリ。比コノゴロ屡シバシバ徴メセドモ不↠就ツカ、任ス↢往テ造イタルベシ↟之ニ。巒尋ツイデ致シテ↠書ヲ通ズ↠問ヲ。

陶とうすなはち答こたへていはく、 去さる月つき耳みみに音おん声じょうを聞ききて、 この辰とき眼まなこに文もん字じを受うくるなり。 まさに頂ちょう礼らいして歳とし積つもるによりて、 ゆゑに真往しんおうをして礼れい儀ぎせしめ、 まさにしばらく藤とう蒲ほを整しょう払ほつし、 花か水すいを具ぐ陳ちんして、 襟きんを端ただし思しを斂おさめ、 警錫きょうしゃくを佇聆ちょれいするなり。 山所さんしょに屆いたるにおよびて、 接対せったい欣然きんねんとして、 すなはち仙法せんぽう十巻じっかんをもつて、 もつて遠おん意いに酬むくゆ。

陶乃チ答テ曰、去ル月耳ニ聞テ↢音声ヲ↡、茲辰コノトキ眼ニ受ナリ↢文字ヲ↡。将 サニ由テ↢頂礼シテ歳 シ積ニ↡、故ニ使メ↢真往ヲシテ礼儀セ↡、正ニ爾シバラク整↢払藤蒲ヲ↡、具↢陳シテ花水ヲ↡、端タヾシ↠襟キンヲ斂ヲサメ↠思ヲ、佇↢聆警錫ヲ↡也。及テ↠屆イタルニ↢山所ニ↡、接対欣キン然トシテ、便チ以テ↢仙法十巻ヲ↡、用モテ酬↢遠意ニ↡。

還かえりて浙江せんこうに至いたるに、 鮑郎ほうろう子し神じんといふものあれば、 一いっ鼓こして浪なみを湧わかせば、 七日しちにちにしてすなはち止とどまる。 波なみの初はじめに値あひて度わたることを得うるに由よしなし。 巒らんすなはち廟びょうの所ところに往ゆきて、 情じょうをもつて祈き告こくす。 かならず所しょ請しょうのごとくならばまさにために廟びょうを起たつべしと。 須しゅ臾ゆに神郎じんろう形かたちを見あらわす、 状かたち二に十じゅうのごとし。 来きたりて巒らんに告つげていはく、 もし度わたらんと欲おもはば、 明みょう且たんまさに得うべし、 願ねがはくは言ことばを食はまざることと。 明みょう晨しんに至いたるにおよんで涛なみなほ鼓怒こどす。 わずかに船せん裏りに入いれば、 怗然てんねんとして安静しずまり、 期ごによりて帝みかどに達たっして、 つぶさに由ゆ縁えんを述のぶ。 勅ちょくありて江神こうじんのためにさらに霊れい廟びょうを起たつ、 よりてすなはち辞じして魏ぎ境きょうに還かえる。

還テ至ルニ↢浙セン江ニ↡、有バ↢鮑ハウ郎子神トイフ者モノ↡、一鼓シテ湧セバ↠浪ヲ、七日ニシテ便チ止マル。値テ↢波初ニ↡無↠由↠得↠度。巒便チ往テ↢廟ベウノ所ニ↡、以↠情ヲ祈告ス。必如ナラバ↢所請ノ↡当ニ↢為ニ起タツ↟廟ヲ。須臾ニ神郎見アラハス↠形ヲ、状 チ如シ↢二十ノ↡。来テ告↠巒ニ曰、若欲ハ↠度ント者、明且当ニシ↠得、願ハ不コト↠食マ↠言ヲ。及デ↠至ルニ↢明晨ニ↡涛猶鼓怒ス。纔ニ入レバ↢船裏ニ↡、怗テン然トシテ安静リ、依テ↠期ニ達シテ↠帝ニ、具ニ述ブ↢由縁ヲ↡。有テ↠勅為ニ↢江神ノ↡更ニ起↢霊廟ヲ↡、因テ即辞シテ還ル↢魏境ニ↡。

名山めいざんに往ゆきて方ほうによりて修しゅ治じせんと欲ほっして、 行いきて洛らく下げに至いたるに中ちゅう国ごくの三蔵さんぞう菩ぼ提だい留支るしに逢あひぬ。 巒らん往ゆきて啓けいしていはく、 仏法ぶっぽうのなかにすこぶる長ちょう生せい不死ふしの法ほうのこの土どの仙せん術じゅつに勝すぐれたるものありやと。 留支るし地じに唾つばはきていはく、 これいかにといふ言ことばや、 あひ比くらぶるにあらざるなり。 この方ほうにいづれの処ところか長ちょう生せいの不死ふしの法ほうあらん。 たとひ長ちょう年ねんを得えて少時しばらく死しせずとも、 つひにはさらに三さん有ぬに輪りん廻ねするのみと。 すなはち ¬観かん経ぎょう¼ をもつてこれを授さずけていはく、 これ大仙だいせんの方ほうなり、 これによりて修しゅ行ぎょうせば、 まさに生しょう死じを解げ脱だつすることを得うべしと。

欲シテ↧往テ↢名山ニ↡依テ↠方ニ修治セント↥、行テ至ルニ↢洛下ニ↡逢ヒヌ↢中国ノ三蔵菩提留支ニ↡。巒往テ啓シテ曰ク、仏法ノ中ニ頗ル有↧長生不死ノ法ノ勝ル↢此土ノ仙術ニ↡者 ノ↥乎ヤ。留支唾テ↠地ニ曰ク、是何ニト云言コトバ歟ヤ、非↢相ヒ比↡也。此コノ方ニ何ノ処有ラン↢長生ノ不死ノ法↡。縦ヒ得テ↢長年ヲ↡少時シバラク不トモ↠死、終ニハ更ニ輪↢廻三有ニ↡耳。即以↢¬観経ヲ¼↡授テ↠之曰ク、此 レ大仙ノ方ナリ、依↠之修行セバ、当ニ↠得↣解↢脱コトヲ生死ヲ↡。

巒らん尋たずね頂ちょう受じゅして、 齎つつむところの仙方せんぼうみな火ひもつてこれを焼やく、 自じ行ぎょう化他けた流靡るみ弘ぐ広こうなり。 魏ぎの主しゅこれを重おもくして、 号ごうして神巒じんらんとす。 勅ちょくを下くだして并へい州しゅうの大巌だいがん寺じに住じゅうせしむ。 晩のちにまた汾ふん州しゅうの北山ほくざん石壁せきへきの玄げん中ちゅう寺じに移い住じゅうす。 時ときに介山かいざんの陰かげに往じゅうして、 徒とを聚あつめ業ごうをほしいままに、 いま巒公らんこう巌がいと号ごうするこれなり。

巒尋頂受シテ、所ノ↠齎ツヽム仙方並ミナ火ヲ以焼ク↠之ヲ、自行化他流靡弘広0203ナリ。魏主重シテ↠之ヲ、号シテ為↢神巒ト↡焉。下シテ↠勅ヲ令シム↠住↢并州ノ大巌寺ニ↡。晩ノチニ復移↢住ス汾州ノ北山石壁ノ玄中寺ニ↡。時ニ往テ↢介山之陰ニ↡、聚メ↠徒ヲ蒸ホシイマヽニ↠業ヲ、今号スル↢巒公巌ト↡是也。

魏ぎの興きょう和か四し年ねんをもつて、 疾やまいによりて平びょう遥ようの山寺やまでらに卒そっす。 春秋しゅんじゅう六ろく十じゅう有七ゆうしち。 終おわりに至いたる日ひに臨のぞみて、 幡ばん花け・幢蓋どうがい、 高たかく院いん宇うに映えいし、 香こう気け蓬勃ほうぼつして、 音おん声じょう繋鬧けいどうなり。 寺てらに預よ登とうするもの、 ならびに同おなじくこれを矚みる。 事じをもつて上じょう聞もんす。 勅ちょくしてすなはち汾西ふんせいの秦しん陵りょうが文谷ぶんろくに葬そうす。 塼塔せんとうを営建えいけんし、 ならびにために碑ひを立たつ、 いまならびに存ぞんぜり。

以↢魏ノ興クヰヨウ和クワ四年ヲ↡、因テ↠疾ニ卒ス↢于平遥ノ山寺ニ↡。春秋六十有七。臨テ↢至ル↠終ニ日ニ↡、幡花・幢蓋、高ク映シ↢院宇ニ↡、香気蓬勃ホウボツシテ、音声繋鬧ナリ。預↢登スル寺ニ↡者 ノ、並ニ同ク矚ミル↠之ヲ。以↠事ヲ上聞ス。勅シテ乃チ葬ス↢于汾西ノ秦シン陵ガ文谷ロクニ↡。営↢建シ塼セン塔ヲ↡、並為 メニ立ツ↠碑ヒヲ、今並ニ存ゼリ焉。

しかも巒らんは神じん于う高遠こうおんにして機き変へん方ほうなく、 言ごん晤ご思おもはざるに動うごきて事じと会えす。 心しんを調ととのへ気きを練ねり、 病やまいに対たいして縁えんを識しり、 名な、 魏都ぎとに満みちて、 もつて方ほう軌きとす、 よりて気け論ろんを出調しゅっちょうす。 また著作ちょさく王おう邵しょう、 文もんに随したがひてこれを注ちゅうす。 また浄じょう土どの十じゅう二に偈げを撰えらびて礼らいす、 龍りゅう樹じゅの偈げの後のちに続つづく。 また ¬安楽あんらく集しゅう¼ 両りょう巻かんを撰せんして、 等ひとしく広ひろく世よに流つたふ。 よりてみづから号ごうして有魏うぎの玄簡げんかん大だい士じとなすといへり」 と。

然モ巒ハ神于高遠ニシテ機変無↠方、言晤不ニ↠思動テ与↠事会ス。調ヘ↠心ヲ練↠気ヲ、対↠病ニ識↠縁ヲ、名満テ↢魏都ニ↡、用テ為↢方軌ト↡、因テ出↢調気論↡。又著作チヨサク王邵、随テ↠文注ス↠之ヲ。又撰テ↢礼浄土ノ十二偈ヲ↡、続ク↢龍樹ノ偈ノ後ニ↡。又撰テ↢¬安楽集¼両巻ヲ↡、等ク広ク流ツタフ↢於世ニ↡。仍自ラ号シテ為スト↢有魏ノ玄簡大士ト↡云ヘリ。」

・曇鸞 安楽集

二 ¬安楽あんらく集しゅう¼ 道どう綽しゃく の下げにいはく、 「▲曇巒どんらん法ほっ師し、 康存こうぞんの日ひつねに浄じょう土どを修しゅす。 ◆またつねに世せ俗ぞくの君くん子しありて、 来きたりて法ほっ師しを呵かしていはく、 十方じっぽうの仏国ぶっこくはみな浄じょう土どたり、 法ほっ師しなんぞすなはち独ひとり意こころを西にしに注とどむる。 あに偏見へんけんの生しょうずるにあらずやと。 ◆法ほっ師し対こたへていはく、 われすでに凡ぼん夫ぶなり、 智恵ちえ浅短せんぱくにしていまだ地位ちいに入いらず、 念力ねんりきすべからく劣れつなるべし。 草くさを置おきて牛うしを引ひくがごときは、 つねにすべからく心こころを槽櫪そうれきに繋つなぐべし。 あにほしいままにしてまつたく所しょ帰きなきことを得えんやと。 ◆また難者なんじゃ紛紜ふんうんすといへども法ほっ師し独ひとり決けっす。

二 ¬安楽集ノ¼ 道綽 下ニ云ク、「曇巒法師、康存之日常ニ修↢浄土ヲ↡。亦毎ツネニ有テ↢世俗ノ君子↡、来テ呵シテ↢法師↡曰ク、十方ノ仏国ハ皆為↢浄土↡、法師何ゾ乃独リ意ヲ注ムル↠西ニ。豈非↢偏見生ズルニ↡也。法師対曰ク、吾既ニ凡夫ナリ、智恵浅短ニシテ未ダ↠入↢地位ニ↡、念力須クシ↠劣ナル。如↢似ゴトキハ置テ↠草ヲ引ガ↟牛ヲ、恒須ク↠繋ツナグ↢心ヲ槽サウオケ 櫪レキシキイタニ↡。豈ニ得ンヤ↣縦放ニシテホシイマヽニ  全ク無コトヲ↢所帰↡。雖↢復難者紛ミダリ 紜ガハシスト↡而法師独リ決ス。

◆これをもつて一切いっさいの道俗どうぞくを問とふことなく、 ただ法ほっ師しと一面いちめんにあひ遇あふもの、 もしいまだ正しょう信しんを生しょうぜざるをば、 勧すすめて信しんを生しょうぜしむ。 もしすでに正しょう信しんを生しょうずるものは、 みな勧すすめて浄じょう国こくに帰きせしむ。 ◆このゆゑに法ほっ師し命終みょうじゅうの時ときに臨のぞみて、 寺てらの傍かたわらの左右さうの道俗どうぞく、 みな幡ばん花けの院いんに映えいずるを見み、 ことごとく異い香こう・音おん楽がく迎こう接しょうして往おう生じょうを遂とぐるを聞きくなり」 と。

是ヲ以テ無ク↠問コト一切ノ道俗ヲ↡、但与↢法師↡一面ニ相遇者 ノ、若シ未0204ダヲバ↠生↢正信ヲ↡、勧テ令ム↠生ゼ↠信ヲ。若已ニ生ル↢正信ヲ↡者 ノハ、皆勧スヽメテ帰シム↢浄国ニ↡。是故法師臨↢命終ノ時ニ↡、寺ノ傍ノ左右ノ道俗、皆 ナ見↢幡花ノ映ヲ↟院ニ、尽聞↣異香・音楽迎接シテ遂グルヲ↢往生↡也。」

・曇鸞 浄土論

三 ¬浄じょう土ど論ろん¼ (迦才巻下) 「▼沙門しゃもん曇巒どんらん法ほっ師しは、 并へい州しゅう汶水ぶんすいの人ひとなり。 魏ぎの末すえ高斉こうせいのはじめ、 なほ在あり。 神じん智ち高遠こうおんにして三国さんごく知ち聞もんす、 ほがらかに衆しゅ経きょうを暁あきらめ、 人外じんがいに独どっ歩ぽせり。 梁りょう国こくの天てん子し蕭王そうおう、 つねに北きたに向むかひて曇巒どんらん菩ぼ薩さつを礼らいす。 天親てんじん菩ぼ薩さつの ¬往おう生じょう論ろん¼ を注ちゅう解げして、 裁さいして両りょう巻かんをなし、 法ほっ師し ¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の奉ぶ讃さん七言しちごんの偈げ百ひゃく九く十じゅう五ご行ぎょうならびに問答もんどう一巻いっかんを撰せん集しゅうして、 世よに流る行ぎょうす。

三 ¬浄土論¼「沙門曇巒法師ハ者、并州汶水ノ人也。魏ノ末高斉ノ之初、猶 ヲ在リ。神智高遠ニシテ三国知聞ス、洞ホガラカニ暁↢衆経ヲ↡、独↢歩セリ人外ニ↡。梁国ノ天子蕭王、恒ニ向テ↠北ニ礼ス↢曇巒菩薩ヲ↡。注↢解シテ天親菩薩¬往生論ヲ¼↡、裁シテ成シ↢両巻ヲ↡、法師撰↢集シテ¬無量寿経ノ¼奉讃七言ノ偈百九十五行并ニ問答一巻ヲ↡、流↢行ス於世ニ↡。

道俗どうぞく等とうを勧すすめて往おう生じょうを決けつ定じょうし、 諸仏しょぶつを見みることを得えしむ。 つねに龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつを請しょうじて終おわりの開かい悟ごを臨のぞむ、 まことに所願しょがんのごとし。 この方ほうの報ほう尽つくる半はん宵しょうの内うちに聖しょう僧そうの像ぞうを現げんじ、 たちまちに室しつに来らい入にゅうしていはく、 われはこれ龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつなり。 すなはち説ときていはく、 すでに落おちたるの葉ははさらに枝えだに附つくべからず、 いまだ束つかねざる粟あわは倉くらのなかに求もとむべからず。 白びゃっ駒く隙すきまを過すぐ、 暫ざん時じも留とどむべからず。 すでに去されるもの反かえしがたし、 いまだ来きたらざるものいまだ追おふべからず、 現在げんざいいまいづくにか在ある。 白びゃっ駒く廻かえるべきことかたし。 法ほっ師し妙たえに言ごん旨しを達たっして、 これを知しり終おわりを告つぐると。

勧テ↢道俗等ヲ↡決↢定シ往生ヲ↡、得シム↠見コトヲ↢諸仏ヲ↡。恒ニ請テ↢龍樹菩薩ヲ↡臨ム↢終ノ開悟ヲ↡、誠ニ如↢所願ノ↡。此方ノ報尽ル半宵セウヨナカ 之内ニ現ジ↢聖僧ノ像ヲ↡、忽ニ来↢入シテ室ニ↡云、我是龍樹菩薩ナリ。便チ説テ曰ク、已ニ落タルノ之葉不↠可↢更ニ附↟枝ニ也、未ダ↠束粟シヨクハ不↠可↢倉ノ中ニ求ム↡也。白駒過グ↠隙ヒマヲ、不↠可↢暫時モ留↡也。已去サル者 ノハ叵シ↠反シ、未来未ダ↠可↠追、現在今何ニカ在アル。白駒難シ↠可コト↠廻ヘル。法師妙ニ達シテ↢言旨ヲ↡、知↠是告ト↠終。

すなはち半はん夜やの内うちに使し者しゃを発遣はっけんして、 あまねく諸村しょそんの白びゃく衣えの弟子でしおよび寺じ内ないの出しゅっ家けの弟子でしに告つぐ、 三さん百びゃく余よ人にんばかり一いち時じに雲うん集じゅうす。 法ほっ師し沐浴もくよくして新しん浄じょうの衣ころもを著ちゃくす、 手てに香こう炉ろを執とりまさしく西にしに向むかひて坐ざす。 門もん徒とに教きょう誡かいして西方さいほうの業ごうを索もとめし、 日ひはじめて出いづる時とき、 大衆だいしゅ声こえを斉ひとしくして弥陀みだ仏ぶつを念ねんずれば、 すなはち寿じゅ終じゅうす。

即半夜ノ内ニ発↢遣シテ使者ヲ↡、遍ク告グ↢諸村ソンノ白衣ノ弟子及ビ寺内ノ出家ノ弟子ニ↡、可バカリ↢三百余人↡一時ニ雲集ス。法師沐浴シテ著ス↢新浄ノ衣ヲ↡、手執リ↢香炉ヲ↡正ク向テ↠西ニ坐ス。教↢誡シテ門徒ニ↡索モトメシ↢西方ノ業ヲ↡、日初テ出ル時 キ、大衆斉シテ↠声ヲ念ズレバ↢弥陀0203仏ヲ↡、便即チ寿終ス。

寺てらの西にし五里ごりの外ほかに比丘びく尼に寺じあり、 ならびにこれ門もん徒となり。 明みょう相そう出いでて後のちに堂どうに集つどひて粥かゆを食じきす、 衆しゅを挙こぞりてみな空そらの内うちに微み妙みょうの音おん楽がくありて西にしより来きたりて東ひがしに去さるを聞きく。 中なかに智ち者しゃありて大衆だいしゅに告つげていはく、 法ほっ師し和わ上じょう一いっ生しょう人ひとに教おしへて浄じょう土どの業ごうを修しゅし、 いまこの音おん声じょう東方とうぼうに向むかふて去さるものは、 かならず多おおくはこれ法ほっ師しを迎むかへて来きたるなるべし。 食じきしおはりてあひ命めいじて法ほっ師しのいへるを覩みんと、 庭にわの前まえにしてあひ待まつ。 いまだ寺てらの庭にわを出いでざる間あいだに、 また音おん楽がく遠とおく空そらの中うちにありて西にしに向むかひて去さるを聞きく。 尼に僧そうらあひともにかしこに至いたりてすなはち無む常じょうを見みる、 これ経きょう論ろんによるにさだめて西方さいほうに生しょうずることを得うるなり」 と。

寺ノ西 シ五里之外ニ有リ↢比丘尼寺↡、並是門徒ナリ。明相出デヽ後ニ集テ↠堂ニ食ス↠粥ヲ、挙コゾテ↠衆皆聞ク↧空内ニ有テ↢微妙ノ音楽↡西ヨリ来テ東ニ去ルヲ↥。中ニ有テ↢智者↡告テ↢大衆ニ↡言ク、法師和上一生教テ↠人ニ修シ↢浄土ノ業ヲ↡、今此ノ音声向フテ↢東方ニ↡去ル者ハ、必応シ↧多クハ是迎ヘテ↢法師ヲ↡来ナル↥。食シ訖テ相命ジテ覩ムト↢法師ノ云ルヲ↡、庭前ニシテ相 ヒ待マツ。未↠出↢寺ノ庭ヲ↡之間ニ、復聞ク↧音楽遠ク在テ↢空中ニ↡向テ↠西ニ而去ルヲ↥。尼僧等相与トモニ至テ↠彼ニ乃見ル↢無常ヲ↡、此 レ依ルニ↢経論ニ↡定得↠生コトヲ↢西方ニ↡也。」

・曇鸞 瑞応伝

四 ¬瑞応ずいおう伝でん¼ にいはく、 「斉さい朝ちょうの曇巒どんらん法ほっ師し、 家いえは五ご台たいに近ちかし。 ほがらかに解さとりて諸しょ教きょうに明あきらかなり。 よりてこの土どの仙せん経ぎょう十巻じっかんを得えて、 陶とう隠居いんきょに訪たずねて仙せん術じゅつを学がくせんと欲ほっす。 後のち三蔵さんぞう菩ぼ提だいに逢あひて、 問とひていはく、 仏法ぶっぽうのなかに長ちょう生せい不死ふしの法ほうのこの土どの仙せん経ぎょうを得えたるに勝すぐれたるありや否いなやと。 三蔵さんぞう地じに唾つばはいて警いましめていはく、 この方ほういづれの処ところにか長ちょう生せい不死ふしの法ほうあらん。 たとへば延寿えんじゅを得うるとも年とし尽つくしてすべからく堕だすべし。 すなはち ¬無む量りょう寿じゅ観かん経ぎょう¼ をもて巒らんに授じゅ与よしていはく、 これ大仙だいせんの方ほうなり、 よりてこれを行ぎょうずれば、 長ながく解げ脱だつを得えて永ながく生しょう死じを離はなると。 巒らんすなはち火ひを須もちゐてつひに仙せん経ぎょうを焚やく。

四 ¬瑞応伝ニ¼云ク、「斉朝ノ曇巒法師、家ハ近シ↢五台ニ↡。洞カ解テ明ナリ↢諸教ニ↡。因ヨテ得テ↢此土ノ仙経十巻ヲ↡、欲ス↧訪テ↢陶隠居ニ↡学ト↦仙術ヲ↥。後逢テ↢三蔵菩提ニ↡、問曰ク、仏法ノ中ニ有ヤ↢長生不死ノ法ノ勝タル↟得ルニ↢此土ノ仙経ヲ↡否。三蔵唾ハイテ↠地ニ警イマシメテ曰ク、此方何ノ処ニカ有ラン↢長生不死ノ法↡。縦バ得トモ↢延寿ヲ↡年尽テ須ク↠堕ス。即将モテ↢¬無量寿観経ヲ¼↡授↢与シテ巒ニ↡曰ク、此 レ大仙方ナリ、依テ而行ズレバ↠之ヲ、長ク得↢解脱ヲ↡永離ル↢生死ヲ↡。巒便須↠火ヲ遂ニ焚ク↢仙経ヲ↡。

たちまち半はん夜やにおいて一ひとりの梵僧ぼんそうの房ぼうに入いるを見みる。 巒らんに語かたりていはく、 われはこれ龍りゅう樹じゅ菩ぼ薩さつなりと。 すなはち偈げを説ときて、 すでに落おちたる葉ははさらに枝えだに附つくべからず、 いまだ来きたらざる粟あわは倉くらのなかに求もとむべからず。 白びゃっ駒く隙すきまを過すぐるに、 しばらくも駐とどまるべからず。 すでに去さりぬるもの返かえりがたし、 いまだ来きたらざるはいまだ追おふべからず、 現在げんざいいまなんぞ在ある。 白びゃっ駒く廻かえすべきことかたしと。

忽於↢半夜ニ↡見ル↢一ノ梵僧ノ入ヲ↟房ニ。語↠巒ニ曰ク、我是龍樹菩薩ナリ。便説テ↠偈、已ニ落タル葉ハ不↠可↢更ニ附↟枝、未↠来粟ハ不↠可↢倉ノ中ニ求↡。白駒過↠隙ヲ、不↠可↢暫モ駐トヾマル↡。已ニ去ヌル者 ノ叵シ↠返 ヘリ、未ルハ↠来ラ未ダ↠可↠追、現在今何ゾ在ル。白駒難シ↠可コト↠廻。

法ほっ師しすなはち寿いのちの終おわりを知しりて、 弟子でし三さん百びゃく余よ人にんを集あつむ。 みづから香こう炉ろを執とりて西にしに面めんして、 門もん徒とに教きょう誡かして勧すすめて西方さいほうを崇あがめ、 日ひのはじめて出いづる時ときをもつて、 声こえを斉そろへて念仏ねんぶつす。 すなはち寿じゅ終じゅうして、 寺てらの西にし五里ごりに一ひとつの尼寺にじあり、 空くう中ちゅうの音おん楽がくの西にしより来きたり東ひがしに去さるを聞きく。 須しゅ臾ゆにまた西にしに去さり東ひがしより来きたるを聞きけり」 と。

法師乃知テ↢寿ノ終ヲ↡、集ム↢弟子三百余人ヲ↡。自0206執テ↢香炉ヲ↡面テ↠西ニ、教↢誡シテ門徒ニ↡勧テ崇↢西方ヲ↡、以↢日初出時ヲ↡、斉↠声ヲ念仏ス。便即寿終シテ、寺ノ西五里ニ有↢一ノ尼寺↡、聞ク↢空中ノ音楽ノ西ヨリ来リ東ニ去ルヲ↡。須臾ニ又聞ケリ↢西ニ去リ東ヨリ来ルヲ↡。」

・曇鸞 新修往生伝

五 ¬新しん修しゅう往おう生じょう伝でん¼ (巻上) にいはく、 「釈しゃくの曇巒どんらんは雁門がんもんの人ひとなり。 少おさなくして五ご台たいに遊あそぶ。 その霊りょう異いを感かんじてみづから誓ちかひて俗ぞくを出いで、 三さん乗じょう頓とん教ぎょう、 つぶさに文もん理りを陶みがく。 また嘗むかし疾やまいを抱いだきて汾川ふんせんに行いき至いたり、 にはかに雲陰くもかげ斗あと蓋おおふを見みる、 天門てんもんほがらかに開ひらけ、 六欲ろくよくの階かい位い上じょう下げの重ちょう復ふくす。 巒らんまさに瞬しゅん目もくして、 疾やまいすなはち随したがひて癒いえぬ。 巒らんこれにおいて後のち仏道ぶつどうに用心ようじんして、 つねに及およばざるがごとくす。 蒙もうを開ひら俗ぞくを誘いざなひき。 遠近おんごんを問とふことなし。

五 ¬新修往生伝¼云ク、「釈曇巒ハ雁門ノ人也。少シテ遊↢五台ニ↡。感ジテ↢其霊異ヲ↡自誓テ出デ↠俗ヲ、三乗頓教、具ニ陶ミガク↢文理ヲ↡。又嘗ムカシ抱テ↠疾 ヒヲ行↢至汾川ニ↡、俄ニ見ル↢雲陰斗アト蓋フヲ↡、天門洞ニ開ケ、六欲ノ階位上下ノ重復ス。巒方ニ瞬目シテ、疾 ヒ乃チ随テ癒ヌ。巒於↠是ニ後用↢心シテ仏道ニ↡、常ニ如ス↠不ガ↠及バ。開キ↠蒙ヲ誘キ↠俗ヲ。無シ↠問コト↢遠近↡。

▼はじめ巒らん好よき術じゅつ学がくをなす。 陶とう隠居いんきょ長ちょう生せいの法ほうを得うと聞ききて、 千せん里りこれに就つく。 陶とう、 仙せん経ぎょう十巻じっかんをもつて巒らんに授さずく。 巒らん躍然やくねんとしてみづから得えておもへらく、 神仙しんせんの術じゅつそれ必然ひつねんなりと。

初巒好キ為ナス↢術学ヲ↡。聞テ↣陶隠居得ウト↢長生ノ法ヲ↡、千里就ク↠之ニ。陶以テ↢仙経十巻ヲ↡授ク↠巒ニ。巒躍然トシテ自ラ得テ以為ヲモヘラク、神仙之術其 レ必然也ト。

◆後のちに洛らく下げに還かえりて、 菩ぼ提だい留支るしに遇あひ、 意こころすこぶるこれを得えて、 支しに問とひていはく、 仏道ぶつどうに長ちょう生せいを得うることありや、 つぶさによく老ろうを却しりぞけて不死ふしをなしてんか。 支し笑わらひて対こたへていはく、 長ちょう生せい不死ふしはわが仏道ぶつどうなりと、 旋かえりて ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ をもつてこれに授さずく。 いはく、 なんぢ誦じゅすべし、 これすなはち三界さんがいにまた生しょうずることなし、 六道ろくどうに往ゆくところなし。 盈よう虚この消しょう息そく、 禍か福ふくの成敗せいばい、 得えて朕きざすことなし、 その寿いのちとするや。 劫こう石しゃくありて河沙ごうじゃあり。 河沙ごうじゃの数かずは極きわまることあるとも、 無む量りょうの数かずは期ごなからん、 これわが金仙こんせん氏しの長ちょう生せいなりと。 巒らんその語ことばを承うけて驟とく深信じんしんを起おこし、 つひに所学しょがくの仙せん経ぎょうを焚やきて ¬観かん経ぎょう¼ をもつぱらにす。

後ニ還テ↢洛下ニ↡、遇↢菩提留支ニ↡、意頗得テ↠之ヲ、問↠支ニ曰ク、仏道ニ有↠得コト↢長生ヲ↡乎、具ニ能ク却ケテ↠老ヲ為テン↢不死ヲ↡乎。支笑テ而対テ曰ク、長生不死ハ吾ガ仏道也、旋カヘテ以↢¬観無量寿経ヲ¼授ク↠之。曰、汝可↠誦ス、此 レ則三界ニ無シ↢復生コト↡、六道ニ無シ↠攸トコロ↠往ユク。盈ヤウ虚消息、禍福成敗、無シ↢得テ而朕キザアトスコト、其ノ為ルヤ↠寿也。有↢劫石↡焉有↢河沙↡焉。河沙ノ之数ハ有トモ↠極コト、無量ノ之数ハ無ラン↠期、此 レ吾ガ金仙氏之長生也。巒承テ↢其ノ語ヲ↡驟ク起↢深信ヲ↡、遂ニ焚テ↢所学ノ仙経ヲ↡而専ス↢¬観経ヲ¼焉。

つねに ¬観かん経ぎょう¼ においてその理義りぎを得えて、 三福さんぷく業ごうを修しゅし、 九く品ぼんをあひ像かたどる。 それ寒暑かんしょの変かわりに疾しつ病びょうの来きたるといへども、 はじめの念ねんを懈おこたらず。 魏ぎ王おうその志こころざしの尚たっときことを憐あわれみ、 またその自じ行ぎょう化他けた流靡るひ弘ぐ広こうなることを嘉よみして、 号ごうして神巒じんらんとす。 勅ちょくして并へい州しゅうの大巌だいがん寺じに住じゅうせしむ。 いまだいくばくもあらずして汾ふん州しゅうの玄げん中ちゅう寺じに移い住じゅうす。

毎ツネニ於↢¬観経ニ¼↡得テ↢其ノ理義ヲ↡、修0207シ↢三福業ヲ↡、相↢像九品ヲ↡。雖↢夫寒暑シヨ之変疾病之来ル↡、不↠懈↢于始ノ念ヲ↡。魏王憐アハレミ↢其ノ志ノ尚コトヲ↡、又嘉シテ↢其ノ自行化他流靡弘広コトヲ↡、号テ為↢神巒ト↡。勅シテ住シム↢并州ノ大巌寺ニ↡。未ダ↠幾移↢住ス汾州ノ玄中寺ニ↡。

一夕いっせき鸞らんまさに持じ誦じゅするに、 一ひとりの梵僧ぼんそうの掀昴けんこうして来きたるを見みる。 その室しつに入いりていはく、 われは龍りゅう樹じゅなり、 所しょ居ごは浄じょう土どなり。 なんぢ浄じょう土どの心しんあるをもつてのゆゑに来きたりてなんぢに見まみゆと。 巒らんのいはく、 なにをもつてわれに教おしふるやと。 樹じゅのいはく、 すでに去されるは反かえるべからずして失しっせぬと。 巒らん所見しょけんの勝しょう異いをもつて、 かならず死し生しょうの期ご屆いたることを知しる。

一夕鸞正ニ持誦スルニ、見ル↢一梵僧ノ掀ケンノキニ 昴カウアガルシテ而来ルヲ↡。入テ↢其ノ室ニ↡曰ク、吾ハ龍樹也、所居ハ浄土ナリ。以テノ↣汝有ルヲ↢浄土之心↡故ニ来テ見マミユ↠汝ニ。巒ノ曰ク、何ヲ以教ル↠我ニ。樹ノ曰、已去ハ不↠可↠反而シテ失セヌ。巒以↢所見ノ勝異↡、必知↢死生之期屆イタルコトヲ↡矣。

すなはち弟子でし数すう百ひゃく人にんを集あつめ、 ことごとく教きょう誡かいを陳のべていはく、 それ四し生しょう没々もつもつにしてその止とどまること日ひなし、 地じ獄ごくの諸しょ苦くもつて懼おそれざるべからず、 九く品ぼんの浄じょう業ごうもつて修しゅせざることあるべからずと。 よりて弟子でしをして声こえを斉ひとしくし高たかく阿あ弥陀みだ仏ぶつを唱となへしめ、 巒らんすなはち西にしに向むかひて目めを冥ふさぎ、 頓顙とんそうして滅めつを示しめす。 この時とき道俗どうぞく同おなじく管絃かんげん・絲し竹ちくの声こえ西にしより来きたるを聞きく。 よく久ひさしくしてすなはち寂しずまりぬ」 と。

即集↢弟子数百人↡、咸陳↢教誡↡言、其 レ四生没々シテ其ノ止コト無↠日、地獄ノ諸苦不↠可↢以不↟懼、九品浄業不↠可↢以不アル↟修。因令↣弟子ヲシテ斉シ↠声ヲ高ク唱ヘ↢阿弥陀仏↡、巒乃西ニ向冥フサギ↠目ヲ、頓顙シテ而示↠滅ヲ。是時道俗同聞↢管絃・絲竹之声由↠西而来↡、良久乃寂シズマリヌ。」

・曇鸞 龍舒浄土文

六 ¬龍りゅう舒じょ浄じょう土ど文もん¼ (巻五) にいはく、 「曇巒どんらんはじめ陶とう隠居いんきょよりして仙せん経ぎょう十巻じっかんを得う。 巒らん欣然きんねんとしてみずから得とくしておもへらく、 神仙しんせんかならず致いたすべしと。 後のちに僧そう菩ぼ提だい流支るしに遇あひて、 問とひていはく、 仏道ぶつどう長ちょう生せいなりか、 よく老ろうを却しりぞけて死しせざるかと。 支しのいはく、 長ちょう生せい不死ふしはわが仏道ぶつどうといひて、 つひに ¬十じゅう六ろく観かん経ぎょう¼ をもつてこれを与あたへていはく、 なんぢこれを誦じゅすべき時ときは、 すなはち三界さんがいにまた生しょうずることなく、 六道ろくどうにところとして往ゆくことなし。 盈よう虚この消しょう息そく、 禍か福ふくの成敗せいばい、 得えて至いたることなし、 その寿いのちとするなり。 劫こう石しゃくありて河沙ごうじゃあり。 河沙ごうじゃの数かずは限かぎりあれども、 無む量りょうの数かずは窮きわまりなし、 これわが金仙こんせん氏しの長ちょう生せいなり。 巒らん深ふかくこれを信しんじて、 つひに仙せん経ぎょうを焚やきてもつぱら ¬観かん経ぎょう¼ を修しゅす。

六 ¬龍舒浄土文¼云、「曇巒初自リシテ↢陶隠居↡得↢仙経十巻↡。巒欣キン然トシテ自得シテ以為ヲモヘラク、神仙必可シト↠致也。後ニ遇テ↢僧菩提流支ニ↡、問云、仏道長生ナリ乎、能却テ↠老ヲ不↠死セ乎。支ノ云、長生不死ハ吾ガ仏道ト云テ也、遂ニ以↢¬十六観経¼↡与テ↠之云、汝可時ハ↠誦↠此ヲ、則三界無↢復生↡、六道無↢攸往コト↡。盈ヤウ虚消息、禍福成敗、無↢得而至コト↡、其ノ為ル↠寿也。有↢劫石↡焉有↢河沙↡焉。河沙之数ハ有ドモ↠限、無量ノ之数ハ無↠窮、此0208 レ吾ガ金仙氏ノ之長生也。巒深ク信ジテ↠之ヲ、遂ニ焚テ↢仙経ヲ↡而専ラ修↢¬観経¼↡。

寒暑かんしょの変かわりに疾しつ病びょうの来きたりといへども、 また懈け怠だいせず。 魏ぎ主しゅその志こころざしの尚たっときことを憐あわれみ、 またその自じ行ぎょう化他けた流る伝でん甚広じんこうなるを嘉よみして、 号ごうして神巒じんらんとす。 一日いちにち弟子でしに告つげていはく、 地じ獄ごくの諸しょ苦くもつて懼おそれざるべからず、 九く品ぼんの浄じょう業ごうもつて修しゅせざるべからず。 よりて弟子でしをして高こう声しょうに阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんぜしめ、 西にしに向むかひ目めを閉とじ、 頭こうべを叩たたきて亡もうじぬ。 この時とき道俗どうぞく同おなじく管絃かんげん・絲し竹ちくの声こえ西にしより来きたるを聞きく、 よく久ひさしくしてすなはち止やみぬ。」

雖↢寒暑之変疾病之来ト↡、亦不↢懈怠↡。魏主憐ミ↢其志尚コトヲ↡、又嘉シテ↢其ノ自行化他流伝甚広ヲ↡、号シテ為↢神巒ト↡。一日告↢弟子↡云、地獄ノ諸苦不↠可↢以不↟懼、九品ノ浄業不↠可↢以不↟修。因令↣弟子シテ高声ニ念↢阿弥陀仏↡、向↠西閉↠目ヲ、叩テ↠頭而亡ヌ。是時道俗同聞↢管絃・絲竹ノ之声従↠西而来ヲ↡、良久シテ乃止ミヌ。」

・道綽

第だい二位にい ▼道どう綽しゃく禅ぜん師じ 四し伝でん

・道綽 続高僧伝

一 ¬続ぞく高僧こうそう伝でん¼ の第だい二に十じゅう四し (巻二〇) 習しゅう禅ぜん篇へん にいはく、 「釈しゃく道どう綽しゃく、 姓せいは衛えい、 并へい州しゅう汶水ぶんすいの人ひとなり。 弱じゃく齢れいにして俗ぞくに処しょし閭りょ里り恭譲きょうじょうをもつて名なを知しる。 十じゅう四しにして出しゅっ家けして、 経詰けいきつを宗しゅう師しとす。 大だい涅ね槃はん部ぶひとへに弘ぐ伝でんするところなり、 二に十じゅう四し遍へん講こうす。 晩のちに瓚さん禅ぜん師じに事つかふ、 空くう理りに修しゅ渉しょうして、 すみやかに微み績せきを沾うるおす。 瓚さん、 清せい約やく雅素がそにして、 恵悟えご天てんを開ひらき、 道どう、 朔方さくほうに振ふるふて、 名なを晋しん土どに升あぐ。

一 ¬続高僧伝¼第廿四 習禅篇 云、「▼釈道綽、姓ハ衛エイ、并州汶ビン水ノ人ナリ。弱齢レイニシテ処↠俗ニ閭リヨ サ里リト 以↢恭譲キヨウジヨウヲ↡知↠名ヲ。十四ニシテ出家シテ、宗↢師トス経詰ヲ↡。大涅槃部偏ニ所ナリ↢弘伝↡、講ス↢廿四遍↡。晩事ツカフ↢瓚禅師ニ↡、修↢渉シテ空理ニ↡、亟スミヤカシバシバニ沾↢微績セキヲ↡。瓚清約雅素ニシテ、恵悟開↠天ヲ、道振フルフテ↢朔サク方ニ↡、升アグ↢名ヲ晋土ニ↡。

綽しゃく、 神じん味みを稟服ほんぶくし、 歳さい時じを弥み積しゃくして、 昔むかしの巒らん法ほっ師しの浄じょう土どの諸業しょごうを承うけて、 さらに権実ごんじつを甄簡けんかんし、 経きょう論ろんを捜さく酌しゃくし、 これを通つう衢くに会えして、 布しきてもつて化けをなし、 縁数えんしゅを剋念こくねんして幽ゆう明みょうを想観そうかんす。 ゆゑに霊相れいそう潜せん儀ぎを得え、 有う情じょう敬きょうすることを欣ねがふ。 つねに汶水ぶんすいの石壁せきへき谷こくの玄げん忠ちゅう寺じにありて、 寺てらはすなはち斉せいの時とき曇巒どんらん法ほっ師しの立たつるところなり。 中なかに巒らんの碑ひあり、 つぶさに嘉か瑞ずいを陳のぶ事こと別伝べつでんのごとし。

綽稟ホン↢服シ神味ヲ↡、弥↢積シテ歳時ヲ↡、承テ↢昔ノ巒法師浄土ノ諸業ヲ↡、便甄↢簡アラハスニシ権実ヲ↡、捜サグル↢酌経論ヲ↡、会シテ↢之ヲ通衢クニ↡、布テ以成↠化、剋↢念シテ縁数ヲ↡想↢観ス幽明ヲ↡。故ニ得↢霊相潜儀↡、有情欣↠敬スルコトヲ。恒ニ▼在↢汶水ノ石壁谷ノ玄忠寺ニ↡、寺ハ即斉ノ時曇巒法師ノ之所↠立也。中ニ有↢巒ノ碑↡、具ニ陳ノブ↢嘉瑞↡事如↢別伝↡。

綽しゃく、 般舟はんじゅ・方等ほうどう歳序さいじょつねに弘ひろむ、 九く品ぼん・十観じっかん時ときを分わかちて務つとめを紹つぐ。 むかし行ぎょう道どうの際さいにおいて僧そうあり、 念ねん定じょうのなかに綽しゃくの仏ぶつを縁えんずるを見みる、 珠じゅ数ずあひ量はかるに七宝しっぽうの大山だいせんのごとし。 また西方さいほうの霊相れいそうを覩みる、 繋け縟じょくして陳のべがたし。 これによりて盛じょう徳とく日ひびに増まし、 栄えい誉よ遠とおく及およぶ。

綽般舟・方等歳序常ニ弘ム、九品・十観分↠時ヲ紹ツグ↠務ツトメヲ。嘗ムカシ於↢行道ノ際ニ↡有↠僧、念定ノ之中0209ニ見↢綽ノ縁エンズルヲ↟仏ヲ、珠数相量ルニ如↢七宝ノ大山↡。又覩↢西方ノ霊相ヲ↡、繋縟ジヨクシテ難↠陳ベ。由↠此盛徳日ヒヾニ増シ、栄誉遠ク及ブ。

道俗どうぞく子し女にょ、 赴おもむくもの山やまに弥みてり。 つねに ¬無む量りょう寿じゅ観かん¼ を講こうじて、 二に百ひゃっ遍ぺんになんなんとす。 自他じたを導みちびき悟ごして、 もつて資し神じんの宅たくとするなり。 詞ことばはすでに明みょう詣けいにして説とくことはなはだ縁えんに適かなふ。 この事こと引いん喩ゆ、 聴きくもの遺抱ゆいほうなく、 人ひとおのおの珠たまを搯とり、 口くちに仏号ぶつごうを同おなじくす。 毎まい時じの散席さんせきに、 響ひびき林谷りんこくに弥みてり。 あるいは邪見じゃけん不ふ信しんのあひ抗こう毀きせんと欲ほっするもの、 綽しゃくの相そう善よきを覩みるに及およびて気きを飲のみて帰かえる。 その道どう物ものの情じょうを感かんずること、 かくのごとくするなり。

道俗子女、赴ク者弥ミテリ↠山ニ。恒ニ講ジテ↢¬無量寿観ヲ¼、将ナントス↢二百遍ニ↡。導キ↢悟シテ自他ヲ↡、用テ為↢資神ノ之宅トヤドリ↡也。詞ハ既ニ明詣ニシテ説コト甚適カナウ↠縁ニ。此事引喩、聴クモノ無↢遺抱ハウ↡、人各オノ搯トリツマグリ↠珠ヲ、口同クス↢仏号ヲ↡。毎時ノ散席ニ、響弥ミテリ↢林谷ニ↡。或ハ邪見不信ノ欲↢相抗カウ毀キセント↡者 ノ、及テ↠覩ルニ↢綽之相善キヲ↡飲テ↠気ヲ而帰ル。其ノ道感コト↢物 ノヽ情ヲ↡、為↠若↠此ノ也。

かつて貞じょう観がん三年さんねん四し月がつ八日ようかをもつて、 綽しゃく命いのちまさに尽つきなんとするを知しる、 事じ相そうを通告つうこくす。 聞ききて赴おもむくもの山寺やまでらに満みち、 ことごとく巒らん法ほっ師しの七宝しっぽうの船ふねの上うえにあるを見みる。 綽しゃくに告つげていはく、 なんぢ浄じょう土どの堂どう成じょうじぬ、 ただ余よ報ほういまだ尽つきざるのみと。 ならびに化け仏ぶつ空くうに住じゅうし天てん花げ下げ散さんするを見みる。 男女なんにょら裙襟くんきんをもつて承うけ得えたるに、 薄うすく滑なめらかにして愛あいしつべし。 また乾かん地じをもつて蓮れん花げを捕とらふるに、 萎しぼめざるもの七日しちに、 余よの善相ぜんそうに及およびてことごとく紀きすべからず。 みづから行ぎょう感かんひそかに通つうずるにあらず、 たれかよくこれに会かなはんものや。

曽テ以↢貞観三年四月八日ヲ↡、綽知↢命将ニ↟尽ナント、通↢告ス事相ヲ↡。聞而赴ヲモムク者 ノ満↢于山寺ニ↡、咸コトゴトク見↣巒法師ノ在ヲ↢七宝船ノ上ニ↡。告↠綽ニ云、汝浄土ノ堂成ジヌ、但余報未ダ↠尽耳。并見↢化仏住シ↠空ニ天花下散スルヲ↡。男女等以↢裙クン襟ヲ↡承ケ得ルニ、薄滑ニシテ可シ↠愛シツ。又以↢乾地ヲ↡捕ニ↢蓮花ヲ↡、不↠萎者 ノ七日、及テ↢余ノ善相ニ↡不↠可↢殫コトゴトク紀ス↡。自非↢行感倫ヒソカニ通ズルニ↡、詎タレカ能ク会カナハン↠此ニ者乎。

年とし七しち十じゅうに登のぼりしめて忽然こつねんとして齔きん歯しあらたに生しょうず、 もとのごとくまつたく歴れき異いなし。 しかのみならず報力ほうりき休く建こんにして容色ようしき盛じょう発ほつす。 浄じょう業ごうを談だん述じゅつするに、 理味りみ奔ほん流るす。 詞ことば包蘊ほううんを吐はき、 気き醇じゅん醴れいを霑うるおす。 ならびに人ひとを勧すすめて弥陀みだ仏ぶつの名みなを念ねんぜしめ、 あるいは麻豆あさまめ等とうのものを用もちゐて数しゅ量りょうをなし、 一ひとたび名みなを称となへるごとにすなはち一粒ひとつぶを度どす。 かくのごとくこれに率したがひて、 すなはち数しゅ百ひゃく万斛まんこくを積つむもの、 ならびに事じをもつて邀結ようけつして、 慮りょを摂せっし縁えんを静しずかならしめ、 道俗どうぞくその綏道すいどうに嚮むかひ、 風ふうを望のぞみて習しゅうをなす。

▼年登メテ↢七十ニ↡忽然トシテ齔キン歯新ニ生ズ、如↠本全無↢歴レキ異↡。加以シカノミナラズ報力休建コンニシテ容色盛セイ発ス。談↢述浄業ヲ↡、理味奔流ス。詞吐↢包蘊ウンヲ↡、気霑ス↢醇アツキ 醴レイイヅミヲ↡。并ニ勧テ↠人ヲ念シメ↢弥陀仏ノ名ヲ↡、或ハ用テ↢麻豆等ノ物ヲ↡而為↢数量↡、毎ニ↢一称↟名ヲ便度↢一粒ヲ↡。如↠是率シタガツテ↠之ニ、乃積↢数百万斛ヲ↡者、並以↠事ヲ邀結シテ、令↢摂シ↠慮ヲ静カナラ↟縁ヲ、道俗嚮ムカイ↢其綏スイヨキ道ニ↡、望↠風ヲ而成↠習ヲ矣。

また年としつねに自じ業ごうとして、 もろもろの木欒もくれん子しを穿うがちてもつて数法しゅほうとなして、 もろもろの四し衆しゅに遺おくる。 それをして称しょう念ねんせしめ、 しばしば禎端ていずいを呈あらわす。

又年常ニ自業トシテ、穿ウガツテ↢諸木欒レン子ヲ↡以為シテ↢数法ト↡、遺ヲクル↢諸ノ四衆ニ↡。教メ↢其0210ヲシテ称念セ↡、縷シバシバ呈アラハス↢禎テイ端ヲ↡。

つぶさに行ぎょう図ずを叙じゅすに、 ¬浄じょう土ど論ろん¼ を著しるすこと両りょう巻かん。 龍りゅう樹じゅ・天親てんじんを遠談おんだんし、 邇ちかくは僧巒そうらん・慧え遠おんに及およぶ。 ならびに浄じょう土どを遵したがひて宗しゅうしてあきらかに昌しょう言ごんを示しめす、 文もん旨し要ようを該かねもろもろの化け範はんに詳つまびらかなり、 寓県ぐうけんに伝でん灯とうして、 歳とし積つみていよいよ新あらたなり。 伝つたふるものにはそれ風神ふうじんを陶瑩とうけいし、 学観がくかんを研けん精しょうすることを重じゅうす。

具ニ叙↢行図ヲ↡、著シルスコト↢¬浄土論ヲ¼両巻。遠↢談シ龍樹・天親ヲ↡、邇クハ及ブ↢僧巒・慧遠ニ↡。並遵シタガツテ↢宗シテ浄土ヲ↡明ニ示↢昌言ヲ↡、文旨該カネ↠要ヲ詳カナリ↢諸ノ化範ハンニ↡。伝↢灯テ寓県ケンニシテ↡、歳積テ弥イヨ新ナリ。伝フル者ニハ重ス↧其陶↢瑩ケイシ風神ヲ↡、研ケン↦精スルコトヲ学観ヲ↥。

ゆゑにまたその行ぎょう相そうを述のぶるに、 綽しゃく浄じょう業ごうを宗しゅうとしてより、 坐ざするにつねに西にしに面おもてにす。 晨しん宵しょうに一ひとたび服ぶくして、 鮮絜せんけつを体たいとす。 儀ぎ貌みょう充じゅう偉いにしてならべり、 部ぶ焉えんを推おす。 顧こ眄めん風ふう生しょうにして、 舒顔じょげん引いん接じょうす。 六ろく時じに篤とく敬きょうして、 初はじめより行ぎょうを欠かかず。 接せっ唱しょう承じょう拝はい、 もとよりこのかた絶たえることなし。 わづかにも余暇よかあれば、 口くちに仏ぶつ名みょうを誦じゅすこと日ひに七万しちまんをもつて限かぎりとなして、 声々しょうしょうともに注つらなりて浄じょう業ごうを弘ひろむ。 ゆゑに有う識しきを鎔鋳ようとうして観門かんもんに師し訓くんたることを得う、 西にしの行ぎょう広ひろく流つたはることはすなはちその人ひとなり。

故ニ又述ルニ↢其ノ行相ヲ↡、自リ↣綽宗トシテ↢浄業ヲ↡、坐スルニ常ニ面ニス↠西ニ。晨宵セウニ一ビ服シテ、鮮絜センケツヲ為↠体トヲ。儀貌充ジユ偉ヰニシテ并ベリ、部推ス↠焉ヲ。顧眄メンカヘリミ風生ニシテ、舒顔引接ス。六時篤トクアツクアマネク敬シテ、初ヨリ不↠欠カ↠行ヲ。接唱承拝、生モトヨリ来タ弗ナシ↠絶。纔ニモ有レバ↢余暇カ↡、口ニ誦コト↢仏名ヲ↡日ニ以↢七万↡為シテ↠限、声々相ニ注テツラナル弘ム↢於浄業ヲ↡。故ニ得↧鎔ヨウ↢鋳タウシテ有識ヲ↡師↦訓タルコトヲ観門ニ↥、西行広ク流ツタハルコトハ斯シ其ノ人ナリ矣。

沙門しゃもん道どう撫ぶは名めい勝しょうの僧そうなり。 京けい寺じの弘ぐ福ふく名なを逃のがれて往おう赴ふして、 すでに玄げん忠ちゅうに達たっす。 その行ぎょう業ごうを同おなじくして、 浄じょう土どを宣通せんつうする、 所在しょざいいよいよ増ます。 いま惰夫だふありて、 口くちづから ¬摂しょう論ろん¼ を伝でんずるに、 唯心ゆいしんにして念ねんぜず、 縁えん境きょう乖そむかず。 これをもつて生しょうを招まねきて、 恐おそらくは想おもいを継つぎがたからん。 綽しゃく、 今年こんねん八はち十じゅう有ゆう四しにして神じん気き明みょう爽そうなり、 宗紹しゅうしょう存ぞんず」 と。

沙門道撫ブハ名勝ノ之僧ナリ。京寺ノ弘福逃ノガレテ↠名ヲ往赴シテ、既ニ達ス↢玄忠ニ↡。同↢其ノ行業ヲ↡、宣↢通スル浄土ヲ↡、所在弥イヨ増ス。今有テ↢惰シノ ダ イデ夫↡、口ヅカラ伝ズルニ↢¬摂論ヲ¼、唯心不↠念、縁境又乖。用テ↠此招テ↠生ヲ、恐難ン↢継想ヒヲ↡。▼綽、今年八十有四ニシテ而神気明爽サウナリアザヤカ 、宗紹存ズ焉。」

・道綽 浄土論

二 ¬浄じょう土ど論ろん¼ (迦才巻下) にいはく、 「沙門しゃもん道どう綽しゃく法ほっ師しは、 またこれ并へい州しゅう晋陽しんようの人ひとなり。 すなはちこれ前さきの高徳こうとく大巒だいらん法ほっ師し三世さんせい以下いげの懸孫けんそんの弟子でしなり。 ¬涅ね槃はん経ぎょう¼ 一いち部ぶを講こうじ、 つねに巒らん法ほっ師しの智ち徳とく高遠こうおんなることを嘆詠たんえいす。 みづからいはく、 あひ去さること千せん里りにして懸殊けんしゅなりし。 なほ講説こうぜつを捨すて浄じょう土どの業ごうを修しゅして、 すでに往おう生じょうせらる。 いはんやわが少しょう子しが知しるところ・解さとるところ、 多たとなしてこれをもつて徳とくとするに足たらんかと。 大業だいごう五ご年ねんよりこのかたすなはち講説こうぜつを捨すてて浄じょう土どの行ぎょうを修しゅす、 一向いっこうにもつぱら阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんじて、 礼拝らいはい供く養よう相続そうぞくして無む間けんなり。

二 ¬浄土論¼云、「沙門道綽法師者、亦是并州晋陽人也。乃是前高徳大巒法師三世已下ノ懸孫ノ弟子ナリ。講↢¬涅槃経¼一部↡、毎常ツネニ嘆↢詠ス巒法師智徳高遠コトヲ↡。自云、相去千里ニシテ懸殊ナリシ。尚捨↢講説↡修シテ↢浄土ノ業ヲ↡、已ニ見ラル↢往生セ↡。況我少子ガ所↠知・所↠解、足ンカ↢為シテ↠多ト将モテ↠此ヲ為スルニ↟徳ト。▼従↢大業五年↡已来即捨0211テヽ講説↡修↢浄土行↡、一向ニ専ラ念↢阿弥陀仏ヲ↡、礼拝供養相続シテ無間ナリ。

貞じょう観がん以い来らい有う縁えんを開かい悟ごせんがために、 時々じじ ¬無む量りょう寿じゅ観かん経ぎょう¼ 一巻いっかんを敷ふ演えんし、 并へい土ど晋陽しんよう・大原たいげん・汶水ぶんすい三県さんけんの道俗どうぞくを示誨じけす、 七才しちさい以い上じょう、 ならびに弥陀みだ仏ぶつを念ねんずることを解さとる。 上じょう精しょう進じんのもの小豆あずきを用もちゐて数かずとなして、 弥陀みだ仏ぶつを念ねんずること八十はちじっ石こくあるいは九く十石じっこくを得う。 中ちゅう精しょう進じんのものは五ご十石じっこく。 下げ精しょう進じんのものは二に十じゅう五ご石こくを念ねんず。 もろもろの有う縁えんを教おしへて、 西方さいほうに向むかひて涕てい唾だ便べん利りせず、 西方さいほうに背そむきて坐臥ざがせず。 ¬安楽あんらく集しゅう¼ 両りょう巻かんを撰せんして、 見みるに世よに行おこなふ。

◆貞観已来為↣開↢悟センガ有縁↡、時時敷↢演エンヒラク シ¬無量寿観経¼一巻ヲ↡、示↢誨ケヲシユ并土晋陽・大原・汶ビン水三県ノ道俗↡、七才已上、並ニ解ル↠念コトヲ↢弥陀仏↡。上精進ノ者 ノ用テ↢小豆↡為シテ数、念↢弥陀仏↡得↢八十石或九十石↡。中精進者ハ五十石。下精進者ハ念↢廿五石↡。教テ↢諸有縁↡、不↧向↢西方ニ↡涕唾便利↥、不↧背↢西方↡坐臥↥。撰テ↢¬安楽集¼両巻ヲ↡、見ニ行フ↢於世ニ↡。

去さりし貞じょう観がん十じゅう九く年ねんの歳さい次じ乙いつ巳し四し月がつ二に十じゅう四し日にちに、 ことごとく道俗どうぞくと別わかれを取とる。 三県さんけんの内うちの門もん徒と、 別わかれにつきて前ぜん後ごに断たたず、 数かずを記しるすべきことかたし。 二に十じゅう七日しちにちに至いたりて玄げん忠ちゅう寺じにおいて寿じゅ終じゅうす。 時ときに白びゃく雲うんあり、 西方さいほうより来きたりて、 変へんじて三道さんどうの日光にっこうとなる。 おのづから房ぼう中ちゅうにおいて徹てっ照しょう通つう過かすること終訖おわりてすなはち滅めっす。

去シ▼貞観十九年歳次乙イツ巳四月廿四日ニ、悉与↢道俗↡取ル↠別。三県ノ内ノ門徒、就↠別前後ニ不↠断、難↠可↠記↠数。▼至↢廿七日↡於↢玄忠寺ニ↡寿終。時有↢白雲↡、従↢西方↡来、変為ル↢三道日光ト↡。於↢自房中ニ↡徹照通過スルコト終訖 ヲハ ツテ乃チ滅ス。

後のちに墳ふん陵りょうに焼やく、 時ときにまた五ご色しきの光ひかりありて三道さんどうなり、 空くう中ちゅうにおいて現げんず。 映えいして日輪にちりんを遶めぐる、 繞めぐおはりてすなはち止とどまる。 また紫し雲うんあり、 三み度たび墳ふんの上うえにおいて現げんず。 終おわりを遺おくる弟子でし、 同おなじくこの瑞ずいを見みる。 もし経きょうに准じゅんじて断ことわらば、 ならびにこれ諸仏しょぶつ慈じ善根ぜんごんの力ちからよく衆しゅ生じょうをしてかくのごときの事ことを見みせしむるか。 また ¬華け厳ごん経ぎょう¼ の偈げの説せつに准じゅんずるに、 また光こう明みょうを放はなつことを見仏けんぶつと名なづく。 この光ひかり命終みょうじゅうのものを覚かく悟ごす。 念仏ねんぶつ三昧ざんまい必ひっ見仏けんぶつ、 命終みょうじゅう此後しご仏前ぶつぜんに生しょうずとなり」 と。

後ニ焼ク↢墳陵ニ↡、時ニ復有テ↢五色光↡三道ナリ、於↢空中ニ↡現ズ。映シテ遶↢日輪ヲ↡、繞リ訖テ乃止ル。復有↢紫雲↡、三度於↢墳ノ上ニ↡現ズ。遺ヲクル↠終ヲ弟子、同ク見↢斯ノ瑞ヲ↡。若准ジテ↠経ニ断コトハラバ、並是諸仏慈善根ノ力能令↣衆生ヲシテ見↢如↠此事↡。又准ルニ↢¬華厳経ノ¼偈説ニ↡、又放↢光明ヲ↡名ク↢見仏ト↡。此光覚↢悟ス命終者ヲ↡。念仏三昧必見仏、命終此後生↢仏前↡也。」

・道綽 瑞応伝

三 ¬瑞応ずいおう伝でん¼ にいはく、 「唐とう朝ちょう道どう綽しゃく禅ぜん師じは并へい州しゅうの人ひとなり。 玄げん忠ちゅう寺じに ¬観かん経ぎょう¼ を講こうずること二に百ひゃっ遍ぺん。 三県さんけんの七才しちさい、 ならびに然仏ねんぶつを解さとる。 みづから槵珠げんしゅを穿うがちて人ひとを勧すすめて念仏ねんぶつせしむ。 語ことばつねに笑えみを舎やどし、 かつて面おもて西にしに背そむかず。

三 ¬瑞応伝¼云、「唐朝道綽禅師ハ并州人也。玄忠寺講コト↢¬観経¼↡二百遍0212。三県ノ七才、並解↢然仏↡。自穿ウガチテ↢槵珠ヲ↡勧テ↠人念仏セシム。語常ニ舎↠笑ヲ、不↢曾テ面背カ↟西ニ。

善導ぜんどうに語かたりていはく、 道どう綽しゃく恐おそらくは往おう生じょうせざらんや、 願ねがはくは師し定じょうに入いりて仏ぶつに得とく否ひを為さだめよと。 善導ぜんどう入定にゅうじょうして仏ぶつの百ひゃく余よ尺しゃくなるを見みる。 問とひていはく、 道どう綽しゃく現げんに念仏ねんぶつ三昧ざんまいを修しゅす、 知しらず、 この報身ほうじんを捨すてて往おう生じょうを得えてんやいなやと。 また問とひていはく、 いづれの年月ねんがつにか生しょうずることを得えんと。 答こたへていはく、 樹きを伐きるにしきりに斧おのを下くだす、 縁えんなくはともに語かたることなし、 家いえに還かえるには苦くを辞じすることなし。 また綽しゃくをして懺さん悔げせしめよ。 一いちには経きょう像ぞうを浅処せんしょに安あん居ごして、 みづからは安穏あんのんの房ぼう中ちゅうに居こす。 二にには功く徳どくを作つくるに出しゅっ家けの人にんを使つかふ、 十方じっぽうの僧そうに対たいして懺さん悔げすべし。 三さんには修建しゅごんするに因あつまる含がん生しょうを傷しょう損そんす、 衆しゅ生じょうに対たいして懺さん悔げすべしと。

語テ↢善導ニ↡曰、道綽恐ハ不ンヤ↢往生↡、願師入↠定ニ為サダメヨ↢仏ニ得否ヲ↡。善導入定シテ見↢仏ノ百余尺ナルヲ。問曰、道綽現ニ修↢念仏三昧↡、不↠知、捨↢此報身↡得テンヤ↢往生ヲ↡否。又問曰、何ノ年月ニカ得ン↠生コト。答曰、伐キルニ↠樹連シキリニ下↠斧ヲ、無↠縁莫↢共ニ語コト↡、還ニハ↠家莫↠辞コト↠苦。又令↢綽シテ懺悔↡。一者安↢居シテ経像於浅処ニ↡、自居↢安穏房中↡。二者作ルニ↢功徳ヲ↡使ツカフ↢出家ノ人↡、対↢十方僧ニ↡懺悔ベシ。三者因アツマル↢修建スルニ↡傷↢損含生ヲ↡、対↢衆生↡懺悔スベシ。

また問とひたり、 終おわらん時ときいかなる瑞相ずいそうかある、 人ひとをして見聞けんもんせしめんと。 答こたへていはく、 亡もうぜん日ひわれ白びゃく毫ごうを放はなち遠とおく東方とうぼうを照てらす、 この光ひかり現げんぜん時ときわが国くにに来らい生しょうせんと。 果か亡日もうにちに至いたりて三道さんどうの光ひかりありて、 白びゃく毫ごう房内ぼうないを照てらす。 また曇巒どんらん法ほっ師しの七宝しっぽうの池いけのなかに見あらわる、 語かたりていはく、 浄じょう土どすでに成じょうずれども、 余よの報ほういまだ尽つきずと、 紫し雲うん墳ふんの上うえに三み度たび現げんず」 と。

又問タリ、終ラン時有↢何ナル瑞相↡、令↢人シテ見聞セ↡。答曰、亡ゼン日我放チ↢白毫↡遠照↢東方↡、此光現ゼン時来↢生セン我国ニ↡。果至テ↢亡日↡三道ノ光アテ、白毫照ス↢房内↡。又見↢曇巒法師ノ七宝池ノ中ニ↡、語曰、浄土已ニ成ズレドモ、余ノ報未↠尽、紫雲墳ノ上ニ三度現ズ。」

・道綽 新修往生伝

四 ¬新しん修しゅう往おう生じょう伝でん¼ (巻中) にいはく、 「釈しゃくの道どう綽しゃくは并へい州しゅうの人ひとなり。 家いえを棄すててよりこのかた名めい師しに歴訪れきほうす。 後のちに瓉ふん禅ぜん師じ理り行ぎょう兼著けんちょなることを聞ききて、 志こころざしを畢おわりしてこれに事つかふ。 尋ついで石壁せきへき谷こくの玄げん忠ちゅう寺じに憩いこふ、 寺てらはすなはち後魏ごぎの曇巒どんらん法ほっ師しの旧きゅう土どなり。 巒らんその寺てらにおいて久ひさしく浄じょう業ごうを薀あつむ。 その亡日もうにちに至いたりてしきりに祥しょう異いあり、 郡人ぐんにんこれを奇きと、 その事じを捃摭くんしゃしてこれを石いしに刻きざむ。 綽しゃくその文もんを読よみて、 いよいよ信しんを深ふかくす。

四 ¬新修往生伝¼云、「釈ノ道綽ハ并州人ナリ。棄テヨリ↠家已来歴レキ↢訪ス名師ニ↡。後ニ聞↢瓉禅師理行兼著コトヲ↡、畢 ワリシテ↠志ヲ事↠之。尋ツイデ憩イコフ↢石壁谷ノ玄忠寺ニ↡、寺ハ即後魏ノ曇巒法師ノ旧土也。巒於↢其寺↡久薀 ツム↢浄業↡。至テ↢其亡日ニ↡畳シキリニ有↢祥異↡、郡人奇ト↠之、捃クン↢摭シヤヒロフ シテ其事ヲ↡刻ム↢之於石ニ↡。綽読↢其文ヲ↡、弥イヨ深ス↠信ヲ。

¬涅ね槃はん経ぎょう¼ を講こうずること二に十じゅう余よ徧へん、 つねに巒らん法ほっ師しの智ち徳とく高遠こうおんなるを歎たんず。 なほ講説こうせつを捨すてて浄じょう土どの業ごうを修しゅし、 すでに往おう生じょうを得えたまへり。 いわんやわれ小しょう子しが解げするところ、 なんぞ多たとしてこれを恃たのんで徳とくとするに足たらんやと。 すなはち講説こうせつを捨すてて浄じょう土どの行ぎょうを修しゅす、 一向いっこうにもつぱら阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんずること、 日別にちべつに七万しちまん偏べんを限かぎりとなし、 礼拝らいはい供く養よう相続そうぞくして無む間けんなり。

講↢¬涅槃経¼↡二十余徧、毎ツネニ歎↢巒法師智徳高遠ナルヲ↡。尚捨↢講説↡修シ↢浄土業ヲ↡、已ニ得↢往生↡。況我小子ガ所0213↠解スル、何ゾ足↢為↠多ト而恃タノンデ↠此ヲ為↟徳ト。即捨↢講説↡修↢浄土行↡、一向専念↢阿弥陀仏↡、日別ニ七万偏ヲ為↠限ト、礼拝供養相続シテ無間ナリ。

有う縁えんを開かい悟ごせしめんがために、 つねに ¬観かん経ぎょう¼ を講こうずること二に百ひゃく余よ偏へん。 道俗どうぞくを示誨じけするに七歳しちさい以い上じょう、 阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんず。 教おしふるに小豆あずきをもつて数かずとなす、 上じょう者しゃは念ねんずること九く十じゅう・八はち十じっ石こくを得え、 中ちゅう者しゃは念ねんずること五ご十石じっこくを得え、 下げ者しゃは三さん十石じっこくなり。 もろもろの有う縁えんを教おしへて、 西方さいほうに向むかひて大だい小しょう便べん利り涕てい唾だせず、 西にしに背そむきて坐ざせず。 声々しょうしょうあひ注つらなりて浄じょう土どの業ごうを弘ひろむ。

為↣開↢悟メンガ有縁ヲ↡、毎ニ講コト↢¬観経¼↡二百余偏。示↢誨スルニ道俗ヲ↡七歳已上、念↢阿弥陀仏↡。教ルニ用↢小豆ヲ↡為↠数ト、上者ハ念コト得↢九十・八十石↡、中者念コト得↢五十石↡、下者三十石ナリ。教テ↢諸有縁↡、不↧向↢西方↡大小便利涕唾セ↥、不↢背テ↠西坐↡。声々相注ツラナツテ弘↢浄土ノ業↡。

つねに仏ぶつの空くう中ちゅうに住じゅうするを見み、 天てん華げ下げ散さんす。 大おおきさ銭ぜにのごとく、 その色いろ鮮せん白びゃくにして、 あまねく虚こ空くうに満みつ。 大衆だいしゅ手てをもつて花はなを承うくるに、 人々ひとびとみな七日しちにち萎しぼまずにあることを得う。 また ¬安楽あんらく集しゅう¼ 両りょう巻かんを撰せんして、 見みるに世よに行おこなはる。

毎見↣仏ノ住↢空中ニ↡、天華下散ス。大サ如↠銭ノ、其色 鮮センアザヤカ白ニシテ、遍ク満↢虚空ニ↡。大衆以↠手承↠花ヲ、人人皆得↢七日不ズ↟萎シユニ。又撰シテ↢¬安楽集¼両巻↡、見ニ行↢於世ニ↡。

唐とうの貞じょう観がん三年さんねん四し月がつ八日はちにち、 道俗どうぞくをその寺てらに集あつめて、 如来にょらいの降ごう生しょうを示しめすなり。 かつ鸞らんの空くう中ちゅうにおいて七宝しっぽうの船ふねに乗のれるを見みる。 その上うえによりて綽しゃくを指さしていはく、 なんぢ浄じょう土どにおいて堂どう宇うすでに成じょうぜり、 ただし惟おもんみれば報ほう命みょういまだ尽つきざるのみぞと。 また化け仏ぶつの化け菩ぼ薩さつと飄ひょう颻ようと空くうにあるを見みる。 衆しゅすなはち驚きょう歎たんして大おおきに信服しんぷくを生しょうず。 それ無む種しゅの闡提せんだいの人ひとなりといへども、 また率したがひこれに服ふくす。 ゆゑをもつて唐とうのはじめ并へい・汾ふんの諸郡しょぐん浄じょう業ごうを重じゅう漬しすること綽しゃくによりて盛さかんなり。

唐貞観三年四月八日、道俗ヲ集↢其寺ニ↡、示↢如来之降生↡也。且カツ見↧鸞於↢空中↡乗↦七宝ノ船↥。由↢其上ニ↡而指↠綽ヲ曰ク、汝於↢浄土ニ↡堂宇已ニ成ゼリ、但シ惟ヲモンミレバ報命未↠尽爾ゾ。復見↧化仏与ト↢化菩薩↡飄颻在ルヲ↞空ニ。衆乃驚歎シテ大生↢信服↡。雖↢夫 レ無種ノ闡提之人ナリト、亦率シタガイ服ス↠之ニ。以↠故ヲ唐ノ初并・汾ノ諸郡重↢漬シウルフスルコト浄業ヲ↡由↠綽ニ盛ナリ焉。

貞じょう観がん十じゅう九く年ねん四し月がつ二に十じゅう四し日にち疾やまいに遇あふ、 道俗どうぞく省しょう観かんするもの勝あげて記しるすべからず。 二に十じゅう七日しちにちに至いたりて終おわらんと欲ほっする時とき、 また聖しょう衆じゅ西方さいほうより来きたることあり、 両りょう道どうの白びゃっ光こう房ぼうに入いりて徹てっ照しょうし終訖おわりてすなはち滅めっしぬ。 また殯ひんせんと欲ほっする時とき、 また異い光こうありて空くう中ちゅうに現あらわれぬ、 殯ひんしおはりてすなはち止やみぬ。 また紫し雲うんあり、 塔とうの上うえにおいて三み度たび現げんず。 衆人しゅにん同おなじくこの瑞ずいを見みる」 と。

貞観十九年四月廿四日遇↠疾ニ、道俗省観スル者 ノ不↠可↢勝テ記ス↡。至↢廿七日ニ↡欲↠終ト時、又有↧聖衆従ヨリ↢西方↡来コト↥、両道ノ白光入↠房徹照シ終訖テ乃滅シヌ。又欲↠殯ヒンセントシメ 時、復有↢異光↡於↢空中↡現ヌ、殯シ訖テ乃止ヌ。復有↢紫雲↡、於↢塔上↡三度現ズ。衆人同見↢斯瑞ヲ↡。」

・善導

第だい0214三さん位い ▼善導ぜんどう禅ぜん師じ 六伝ろくでん

・善導 続高僧伝

一 ¬続ぞく高僧こうそう伝でん¼ の第三だいさん十じゅう七しち (巻二七) 遺身ゆいしん篇へん にいはく、 「近ちかごろ山僧さんそう善導ぜんどうといふ者ひとあり、 寰かん宇うに周しゅう遊ゆうして道津どうしんを求ぐ訪ほうす。 行いきて西さい河がに至いたりて道どう綽しゃく部ぶに遇あひ、 ただ念仏ねんぶつ弥陀みだの浄じょう業ごうを行ぎょうず。 すでに京けい師しに入いりて、 広ひろくこの化けを行ぎょうず。 ¬弥陀みだ経きょう¼ 数万すうまん巻かんを写うつすこと、 士し女にょ奉したがふものその数かず無む量りょうなり。 時ときに光こう明みょう寺じにありて法ほうを説とく。

一 ¬続高僧伝¼第三十七 遺身篇 云、「近ゴロ有↢山僧善導ト云者ヒト↡、周コト↢遊シテ寰クワン カド 宇ウクヘニ↡求↢訪ス道津ヲ↡。行テ至テ↢西河ニ↡遇↢道綽部ニ↡、唯行↢念仏弥陀ノ浄業ヲ↡。既ニ入↢京師シ ミヤコ ニ↡、広行↢此化ヲ↡。写コト↢¬弥陀経¼数万巻ヲ↡、士女奉シタガフ者其ノ数無量ナリ。時ニ在↢光明寺ニ↡説↠法ヲ。

人ひとあり導どうに告つげていはく、 いま仏ぶつ名みょうを念ねんぜばさだめて浄じょう土どに生うまれんやいなや、 導どうのいはく、 さだめて生うまれなんとさだめて生うまれなんと。 その人ひと礼拝らいはいしおはりて、 口くちに南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつと誦となへ、 声々しょうしょうあひ次つぎて光こう明みょう寺じの門もんを出いでて、 柳やなぎの樹きの表うえに上のぼりて、 合がっ掌しょうして西にしに望のぞみて倒さかさまに身みを投なぐ、 下くだりて地じに至いたりてつひに死しす、 事じ台省たいせいに聞きこゆ」 と。

有↠人告↠導ニ曰、今念ゼバ↢仏名ヲ↡定テ生ンヤ↢浄土ニ↡不ヤ。導ノ曰ク、定テ生ナント定テ生。其人礼拝シ訖テ、口ニ誦↢南無阿弥陀仏ト↡、声々相次テ出デヽ↢光明寺ノ門ヲ↡、上テ↢柳ノ樹ノ表ウヘニ↡、合掌シテ西ニ望テ倒サカサマニ投グ↠身ヲ、下テ至テ↠地ニ遂ニ死シス、事聞ユ↢台省セイニ↡。」

・善導 瑞応伝

二 ¬瑞応ずいおう伝でん¼ にいはく、 「唐とう朝ちょうの善導ぜんどう禅ぜん師じ、 姓せいは朱しゅ、 泗し州しゅうの人ひとなり。 少おさなきにして出しゅっ家けす。 時ときに西方さいほうの変相へんそうを見みる、 嘆たんじていはく、 いかにしてかまさに質みを蓮台れんだいに託たくし神じんを浄じょう土どに棲すましむべしと。 具ぐ戒かいを受うくるに及およんで、 妙みょう開かい律りっ師しとともに ¬観かん経ぎょう¼ を看みて、 悲喜ひきこもごもにしてすなはちいはく、 余よの行ぎょう業ごうを修しゅすは迂僻うひにして成じょうじがたし、 ただこの観門かんもんのさだめて生しょう死じを超こえんと。

二 ¬瑞応伝¼云、「唐朝善導禅師、姓ハ朱、泗州人也。少ニシテ出家ス。時ニ見↢西方変相↡、嘆ジテ曰、何シテカ当ニベシ↧託シ↢質ミヲ蓮台ニ↡棲スマシム↦神ヲ浄土ニ↥。及↠受↢具戒↡、妙開律師ト共ニ看テ↢¬観経ヲ¼、悲喜交シテ乃曰ク、修ハ↢余行業ヲ↡迂ウヨコサマニ僻ヒニシテ難↠成、唯此観門ノ定テ超ン↢生死↡。

つひに綽しゃく禅ぜん師じの所ところに至いたりて、 問とひていはく、 念仏ねんぶつまことに往おう生じょうを得えてんやいなやと。 師しいはく、 おのおの一ひとつの蓮れん花げを辨べんじて行ぎょう道どう七日しちにちせんに、 萎しぼまずはすなはち往おう生じょうを得えてんと。 また東とう都との英えい法ほっ師し ¬華け厳ごん経ぎょう¼ を講こうずること四し十偏じっぺん、 綽しゃく禅ぜん師じの道どう場じょうに入いりて、 三昧さんまいに遊あそびて嘆たんじていはく、 みづから恨うらむらくは多た年ねんむなしく文疏もんしょを尋たずねて身心しんしんを労いたわしくするのみ、 なんぞ念仏ねんぶつ不可ふか思議しぎなることを期ごせんと。 禅ぜん師じのいはく、 経きょうに誠じょう言ごんあり、 仏ぶつあに妄もう語ごしたまはんやと。

遂ニ至↢綽禅師所ニ↡、問曰ク、念仏実ニ得テンヤ↢往生ヲ↡否ヤト。師曰ク、各辨テ↢一ノ蓮花ヲ↡行道七日センニ、不↠萎者即得テント↢往生↡。又東都ノ英エイ法師講コト↢¬華厳経¼↡四十偏、入↢綽禅師道場↡、遊テ↢三昧ニ↡而嘆タンジテ曰、自ラ恨クハ多年空ク尋テ↢文疏ヲ↡労↢身心↡耳、何期↢念仏不可思議ナルコト↡。禅師ノ云、経有↢誠言↡、仏豈妄語タマハンヤ。

禅ぜん師じ平生へいぜいにつねに乞食こつじきを楽ねがふ、 つねにみづから責せめていはく、 釈しゃ迦かなほしすなはち分ぶん衛えしたまふ、 善導ぜんどう何人なんぴとなれば端たん居こして供く養ようを索もとめん。 乃ない至し沙しゃ弥みにてもならびに礼らいを受うけず、 ¬弥陀みだ経きょう¼ を写しゃすること十じゅう万巻まんがん、 浄じょう土ど変相へんそうを画がすること三さん百びゃく鋪ほ、 所見しょけんの塔とう廟びょう修しゅ葺しゅうせざることなし。 仏法ぶっぽう東とう行ぎょうしてよりいまだ禅ぜん師じのごとく盛さかんなるはなし」 と。

禅師平生ニ常ニ楽フ↢乞食ヲ↡、毎ニ自ラ責テ曰、釈迦0215尚シ乃分衛メグルタマフ、善導何人ナレバ端居シテ索モトメン↢供養↡。乃至沙弥ニテモ並ニ不↠受↠礼ヲ、写コト↢¬弥陀経¼↡十万巻、画コト↢浄土変相ヲ↡三百鋪、所見ノ塔廟無↠不↢修葺シフセ↡。仏法東行シテヨリ未ダ↠有↢禅師ノゴトク之盛ナルハ↡矣。」

・善導 新修往生伝

三 ¬新しん修しゅう往おう生じょう伝でん¼ (巻中) にいはく、 「釈しゃくの善導ぜんどう、 いづこの人ひとといふことを悉つまびらかにせず。 寰かん宇うに周しゅう遊ゆうし道津どうしんを求ぐ訪ほうす。 唐とうの貞じょう観がんの中うちに、 西さい河がの綽しゃく禅ぜん師じ方等ほうどう懺さんを行ぎょうじ、 および浄じょう土ど九く品ぼんの道どう場じょうにして ¬観かん経ぎょう¼ を講こうずるを見みる。 導どう大おおきに喜よろこびていはく、 これまことの入にゅう仏道ぶつどうの津要しんようなり、 余よの行ぎょう業ごうを修しゅすは迂僻うひにして成じょうじがたし、 ただこの観門かんもんのみすみやかに生しょう死じを超こふ、 われこれを得えたりと。

三 ¬新修往生伝¼云、「釈善導、不↠悉ツマビラカニ↢何許イズコノ人ト云コトヲ。周↢遊寰宇ニ↡求↢訪道津ヲ↡。唐貞観ノ中ニ、見↧西河綽禅師行↢方等懺↡、及浄土九品ノ道場ニシテ講ズルヲ↦¬観経¼↥。導大ニ喜テ曰、此 レ真ノ入仏道之津要ナリ、修ハ↢余ノ行業ヲ↡迂僻ウヒニシテ難↠成、惟此ノ観門ノミ速超フ↢生死↡、吾得タリ↠之矣。

ここにおいてあまねく勤つとめて精しょう苦くすること、 頭ず燃ねんを救はらふがごとし。 続つづけて京けい師しに至いたり、 四部しぶの弟子でしを激発げきほつして、 貴き賎せんを問とふことなく、 かの屠沽とこの輩ともがらまでまた撃きゃく悟ごせしむ。 導どう、 堂どうに入いるにすなはち▼合がっ掌しょう䠒跪こきして一心いっしんに念仏ねんぶつす。 力ちからの竭つくるにあらざれば休やすまず、 乃ない至し寒かん冷りょうにもまたすべからく汗あせを流ながすべし。 この相そう状じょうをもつて至し誠じょうを表あらわす。 出いでてはすなはち人ひとのために浄じょう土どの法ほうを説ときもろもろの道俗どうぞくを化けし、 道心どうしんを発おこさしめ浄じょう土どの行ぎょうを修しゅす、 暫ざん時じも利り益やくのためにせずといふことあることなし。

於↠是篤アマネク勤テ精苦スルコト、若ゴトシ↠救ハラガ↢頭燃ヲ↡。続テ至↢京師↡、激ゲキハゲマス↢発シテ四部ノ弟子ヲ↡、無↠問↢貴賎↡、彼ノ屠ト沽ノ輩マデ亦撃悟セシム焉。導入↠堂ニ則合掌䠒跪シテ一心ニ念仏ス。非レバ↢力ノ竭ルニ↡不↠休、乃至寒冷ニモ亦須ク↠流↠汗ヲ。以テ↢此相状ヲ↡表↢於至誠↡。出デヽハ即為↠人ノ説キ↢浄土法ヲ↡化シ↢諸ノ道俗ヲ↡、令↠発サ↢道心ヲ↡修↢浄土行↡、無↠有コト↢暫時モ不コト↟為↢利益↡。

三さん十じゅう余よ年ねん別べつの寝処しんじょなくして、 しばらくも睡眠すいめんせず。 洗浴せんよくを除のぞきて外ほかは、 かつて衣ころもを脱ぬがず。 般舟はんじゅの行ぎょう道どう・礼仏らいぶつの方等ほうとう、 もつておのが任にんとなす。 戒品かいぼんを護持ごじして繊毫せんごうも犯おかさず、 かつて目めを挙あげて女人にょにんを視みず。 一切いさいの名みょう利り心こころに念ねんを起おこすことなく、 綺詞きし戯げ笑しょうまたいまだこれあることなし。 所しょ行ぎょうの処ところには争あらそふて供く養ようを申のぶ、 飲食おんじき・衣え服ぶく、 四事しじ豊ぶ饒じょうなり。 みなみづから入いれずならびにもつて回施えせす。 好食こうじきをば大だい厨ちゅうに送おくりて徒しゅ衆とに供く養ようす、 ただ麁そ悪あくを食じきしてわづかに身みを支ささふることを得う。 乳にゅう・酪らく・醍だい醐ご、 みな飲噉おんだんせず。

三十余年無シテ↢別寝処↡、不↢暫ク睡眠↡。除↢洗浴ヲ↡外ハ、曾テ不↠脱↠衣ヲ。般舟行道・礼仏方等、以テ為ス↢己ガ任ジンタモテト↡。護↢持シテ戒品ヲ↡繊セン毫モ不↠犯、曾テ不↣挙↠目ヲ視↢女人↡。一切ノ名利無↢心ニ起↟念、綺詞戯笑セウ亦未ダ↢之有↡。所行之処ニハ争アラソツテ申ノブ↢供養↡、飲食・衣服、四事豊ブ饒ナリ。皆不↢自入↡並ニ将テ廻施ス。好食ヲバ送↢大厨チウニ↡供↢養ス徒衆ニ↡、唯食テ↢麁0216悪ヲ↡纔ニ得↠支コト↠身ヲ。乳・酪・醍醐、皆不↢飲噉ダンセ↡。

諸しょ有うの䞋しん施せもつて ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ を写うつすこと十じゅう万まん余よ巻かん、 画えがくところの浄じょう土どの変相へんそう三さん百びゃく余堵よとなり。 所在しょざいの処ところに壊こわれたる伽が藍らんおよび故ふるき塼塔せんとうらを見みれば、 みなことごとく営造えいぞうす。 燃灯ねんとう続明しょくみょう歳としどしにつねに絶たえず、 三さん衣ね瓶鉢びんぱつ人ひとをして持じ洗せんせしめず。 始し終じゅう改あらたむることなくしてもろもろの有う縁えんを化けす、 つねにみづから独ひとり行ぎょうじて衆しゅとともに去さらず。 恐おそらくは人ひとと行いかば、 世事せじを談論だんろんして修しゅ行ぎょうの業ごうを妨さまたげてんことを。

諸有ノ 䞋シンタテマツリ 施ホドコス将テ写↢¬阿弥陀経ヲ¼↡十万余巻、所ノ↠画浄土ノ変相三百余堵トナリカキツク 。所在之処ニ見↢壊タル伽藍及ビ故キ塼センカハラ塔等ヲ↡、皆悉営造ス。燃灯続明歳トシドシニ常ニ不↠絶、三衣瓶鉢不↠使↢人シテ持洗↡。始終無シテ↠改コト化ス↢諸ノ有縁↡、毎ニ自ラ独リ行ジテ不↢共ニ↠衆去ラ↡。恐クハ与↠人行カバ、談↢論シテ世事ヲ↡妨テンコトヲ↢修行ノ業ヲ↡。

それしばらくも礼謁らいえつを申もうすことあれば、 聞きこしむるに少しょう法ほうを説とく。 ある時ときは同おなじく道どう場じょうに預あずかりまのあたり教きょう訓くんを承うくることを得え、 あるいはかつて見聞けんもんせざるには教きょう義ぎを披ひ尋じんし、 あるいは▼展転てんでんして浄じょう土どの法門ほうもんを授さずく。 京けい華か諸しょ州しゅうの僧そう尼に・士し女にょ、 あるいは身みを高たかき嶺みねより投なげあるいは命いのちを深ふかき泉いずみに寄すて、 あるいはみづから高たかき枝えだより堕だし、 身みを焚たきて供く養ようするもの、 ほぼ四し遠おんに聞きこへて百ひゃく余よ人にんになんなんとする。 もろもろの梵ぼん行ぎょうを修しゅして妻さい子しを棄き捨しゃするもの、 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ を誦じゅして十じゅう万まんより三さん十じゅう万徧まんべんに至いたるもの、 阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんずること日ひに一万いちまん五ご千せんを得うるより十じゅう万偏まんべんに至いたるものあり、 および念仏ねんぶつ三昧ざんまいを得え浄じょう土どに往おう生じょうするもの、 数かずを知しるべからず。

其有レバ↣暫申コト↢礼謁ヲ↡、聞シムルニ説↢少法ヲ↡。或時ハ得↧同ク預↢道場ニ↡親マノアタリ承コトヲ↦教訓ヲ↥、或会テ不ルニハ↢見聞↡披↢尋教義ヲ↡、或ハ展転シテ授↢浄土法門ヲ↡。京華諸州ノ僧尼・士女、或ハ投↢身ヲ高嶺ヨリ↡或寄ステ↢命ヲ深泉ニ↡、或自ミ 堕↢高枝ヨリ↡、焚テ↠身ヲ供養スル者、略聞ヘテ四遠ニ↡向ナンナントスル↢百余人↡。諸修↢梵行ヲ↡棄↢捨スル妻子ヲ↡者、誦テ↢¬阿弥陀経ヲ¼↡十万ヨリ至↢三十万徧ニ↡者、念コト↢阿弥陀仏↡日ニ得ヨリ↢一万五千ヲ↡至↢十万偏ニ↡者アリ、及得↢念仏三昧↡往↢生浄土ニ↡者、不↠可↠知↠数。

あるもの導どうに問とひていはく、 念仏ねんぶつの善ぜん浄じょう土どに生しょうずるやと。 対こたへていはく、 なんぢが所念しょねんのごとくなんぢが所願しょがんを遂とげてんと。 対こたへおはりて導どうすなはちみづから阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんず。 かくのごとく一いっ声しょうするに、 すなはち一いちの道どうの光こう明みょうありて、 その口くちより出いづ。 十じっ声しょうより百声ひゃくしょうに至いたり、 光ひかりまたかくのごとし。 ▼導どう、 人ひとにいひていはく、 この身みは厭いとふべし、 諸しょ苦く逼迫ひっぱくす、 情じょう偽ぎ変易へんやくしてしばらくも休く息そくすることなしと。

或問↠導ニ曰、念仏之善生↢浄土↡耶。対曰、如↢汝所念↡遂ゲテン↢汝所願↡。対ヘ已テ導乃自念ズ↢阿弥陀仏↡。如是一声スルニ、則有↢一ノ道ノ光明↡、従↢其口↡出ヅ。十声ヨリ至↢百声ニ↡、光亦如↠此。導謂↠人ニ曰、此身ハ可↠厭、諸苦逼迫ス、情偽変易シテ無↢暫休息↡。

◆すなはち所しょ居ごの寺てらの前まえの柳やなぎの樹きに登のぼりて、 西にしに向むかひ願がんじていはく、 願ねがはくは仏ぶつの威い神じんしばしばもつてわれを接せっしたまへ、 観音かんのん・勢せい至しまた来きたりてわれを助たすけたまへ、 わがこの心しんをして正しょう念ねんを失しっせず驚きょう怖ふを起おこさず、 弥陀みだ法ほうのなかにおいてもつて退たい堕だを生しょうぜざらしめたまへと。 願がんじおはりてその樹きの上うえにおいて身みを投なげ自じ絶ぜつす。 時ときに▼京けい師しの士し大だい夫ふ誠まことを傾かたむけて帰きし信しんじて、 ことごとくその骨ほねを収おさめてもつて葬そうす。 高宗こうそう皇帝こうていその念仏ねんぶつするに口くちより光こう明みょう出いづるを知しりたまへり。 また捨報しゃほうの時ときに精しょう至いたりてかくのごとくなるを知しりたまふ。 寺じ額がくを賜たまひて光こう明みょうとなす」 と。

乃登↢所居寺前ノ柳ノ樹ニ↡、西ニ向願ジテ曰ク、願ハ仏ノ威神驟シバシバ以接タマヘ↠我、観音・勢至亦来助タマヘ↠我ヲ、令↫我ガ此ノ心ヲシテ不↠失↢正念↡不↠起↢驚怖ヲ↡、不↪於↢弥陀法ノ中ニ↡以テ0217生ゼ↩退堕ヲ↨。願ジ畢テ於↢其樹ノ上ニ↡投↠身ヲ自絶ス。時ニ京師ノ士大夫傾テ↠誠ヲ帰ノ信ジテ、咸ク収テ↢其骨ヲ↡以テ葬ス。高宗皇帝知タマヘリ↣其念仏スルニ口ヨリ出ルヲ↢光明↡。又知タマフ↢捨報之時ニ精至如ルヲ↟此。賜テ↢寺額ヲ↡為↢光明ト↡焉。」

・善導 新修往生伝

四 また (新修往生伝巻中) いはく、 「唐とうの往おう生じょうの高僧こうそう善導ぜんどう、 臨りん淄しの人ひとなり。 幼おさなくしてしのびて州しゅうの明勝みょうしょう法ほっ師しに投いたりて、 出しゅっ家けして ¬法ほっ華け¼・¬維ゆい摩ま¼ を誦じゅす。 たちまちにみづから思おもひていはく、 教きょう門もん一道いちどう・一いち途ずに入いるにあらず、 もし機きに契かなはずんは功こうすなはちいたづらに設もうけてん。 これにおいて大蔵だいぞう経きょうに投ゆきて、 手てに信まかせてこれを探さぐる、 ¬無む量りょう寿じゅ観かん経ぎょう¼ を得え、 すなはち喜よろこびて十じゅう六観ろっかんを誦じゅ習しゅうして、 つねに諦あきらかに思し惟ゆいす。 節まことを西方さいほうに抗あげてもつて冥契めいけいとし、 恵え遠おん法ほっ師しの勝躅しょうちょくを欣ねがひて、 つひに盧ろ山ざんに住じゅうしてその遺範ゆいはんを観みて、 すなはち豁念かくねんとして思おもいを増ます。

四 又云、「唐ノ往生ノ高僧善導、臨淄シノ人也。幼シテ投イタツテ↢密ビテ州ノ明勝法師ニ↡、出家シテ誦ス↢¬法華¼・¬維摩ヲ¼↡。忽ニ自ラ思テ曰、教門非↠入ルニ↢一道・一途ニ↡、若不ンバ↠契カナハ↠機ニ功即徒ラニ設マウケテン。於↠是投ユイテ↢大蔵経ニ↡、信マカセテ↠手ニ探サグル↠之ヲ、得↢¬無量寿観経ヲ¼↡、便喜テ誦↢習テ於十六観ヲ↡、恒ニ諦ニ思惟ス。抗アゲテ↢節マコトヲ西方ニ↡以為↢冥契メイケイ↡、欣テ↢恵遠法師ノ勝躅チヨクアト ↡、遂ニ住テ↢盧山↡観テ↢其遺範ハンヲ↡、乃豁クワク念トシテ増ス↠思ヲ。

それより名徳めいとくを歴りゃく訪ほうして、 はるかに妙みょう門もんを求もとむ。 功こう微すくなくして理り深ふかきことは、 いまだ般舟はんじゅ三昧ざんまいより出いでたるものはあらず、 命いのちをその道どうに畢おへといへり。 後のちに迹しゃくを終しゅう南なんの悟ご真しん寺じに遁のがれて、 いまだ数載しゅさいを逾こえざるに、 観想かんそう疲ひを忘わすれすでに深じん妙みょうを成じょうず。 すなはち定中じょうちゅうにおいてつぶさに宝閣ほうかく・瑶よう池ち・金こん座ざを観みるに、 あたかも目前もくぜんにあり、 涕てい泗し交きょう流るして、 身みを挙あげて地じに投なぐ。 すでに勝定しょうじょうを獲え、 方ほうに随したがひて物ものを利りす。

自後ソレヨリ歴リヤク↢訪シテ名徳ヲ↡、幽ハルカ求ム↢妙門ヲ↡。功微スクナクシテ理深コトハ、未ダ↠有↧出ル↢般舟三昧ヨリ↡者 ノハ↥、畢ヘト云ヘリ↢命ヲ其ノ道ニ↡。後ニ遁ノガレテ↢迹シヤクヲ終南ノ悟真寺ニ↡、未ダルニ↠逾コエ↢数載ヲ↡、観想忘↠疲ヒヲ已ニ成↢深妙ヲ↡。便於↢定中ニ↡備ツブサニ観ミルニ↢宝閣・瑶ヨウ池・金座ヲ↡、宛アタカモ在リ↢目前ニ↡、涕泗交ケウ流シテ、挙テ↠身投グ↠地ニ。既ニ獲↢勝定↡、随↠方ニ利↠物ヲ。

はじめ綽しゃく禅ぜん師じ晋陽しんように開闡かいせんすと聞ききて、 千せん里りを遠とおしとせず従したがひて津しんを問とはんと欲ほっす。 時ときに玄冬げんとうのはじめに逢あふ、 風かぜ落葉らくようを飄ひるがえして深じん坑きょうに填みち満みつ、 つひに瓶鉢びんぱつを挈ひっさげ遂したがへて、 中なかに入いりて安あん坐ざす。 一心いっしんに念仏ねんぶつして、 覚おぼへざるにすでに数日しゅにちを度わたる。 すなはち空くう中ちゅうに声こえあつて聞きけばいはく、 前すすみ行いくことを得うべし、 所在しょざい遊履ゆりまた罫かい礙げすることなけんと。

初聞テ↢綽禅師晋陽ニ開闡センスト↡、欲↧不↠遠↢千里↡従シタガツテ而問ト↞津。時逢アフ↢玄冬之首メニ↡、風飄ヒルガヘシテ↢落葉ヲ↡填ミチ↢満ミツ深坑キヤウニ↡、遂ニ挈ヒツサゲ↢遂シタガヘテ瓶鉢ヲ↡、入テ↠中ニ安坐ス。一心ニ念仏シテ、不ルニ↠覚ヲボヘ已ニ度ワタル↢数日ヲ↡。乃聞ケバ↢空中ニ声アテ↡曰ク、可↠得↢前スヽミ行コトヲ↡、所在遊履リ無ン↢復罫テイクエ礙ゲサワリニスルコト。

つひに坑あなを出いで進程しんていして綽しゃく禅ぜん師じの所ところに至いたりて、 夙しゅく心しんを展てん会えす。 ▼綽しゃく公こうすなはち ¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ を授じゅ与よす。 道どう、 巻かんを披ひらきてこれを詳しょうするに、 このごろ観みるところ宛在えんざいせり。 よりてすなはち入定にゅうじょうして七日しちにち起たたず。

遂ニ出↠坑アナヲ進程テイシテ至テ↢綽禅師所ニ↡、展↢会ス夙シユク心ヲ↡。綽公即0218授↢与¬無量寿経ヲ¼↡。道披テ↠巻詳スルニ↠之、比来コノゴロ所 ロ↠観宛エン在セリ。因即チ入定シテ七日不↠起。

ある人ひと導どうに問とひていはく、 弟子でし念仏ねんぶつす、 往おう生じょうを得えんやいなやと。 導どう一茎ひとくきの蓮れん花げを辨べんぜしめこれを仏前ぶつぜんに置おきて行ぎょう道どう七日しちにちせんに、 花はな萎い悴すいせずんばすなはち往おう生じょうを得えてんと。 これによりて七日しちにちするに、 果か然ねんとして花はな萎しぼみ黄きばまず。

▼或人問テ↠導ニ曰、弟子念仏ス、得ンヤ↢往生↡否。導令↠辨ベンゼ↢一茎ノ蓮花ヲ↡置↢之仏前ニ↡行道七日センニ、花不ンバ↢萎イ悴スイ↡即得テント↢往生↡。依↠之七日スルニ、果然トシテ花不↢萎黄バマ↡。

綽しゃくその深ふかく詣いたれることを歎たんじてよりて入定にゅうじょうしてまさに生しょうずることを得うべきかいなかを観みたまへと請しょうず。 導どうすなはち入定にゅうじょうして須しゅ臾ゆに報ほうじていはく、 師しまさに三みつの罪つみを懺さんずべし、 まさに往おう生じょうすべし。 一いちには師しむかし仏ぶつの尊像そんぞうを安あんぜんに簷庸えんようの下したに在おきて、 みづからは深房じんぼうに処しょす。 二にには出しゅっ家け人にんを駆使くしし策しゃく役やくす。 三さんには屋おく宇うを営造えいぞうして虫むしの命いのちを損そん傷しょうす。 師しよろしく十方じっぽう仏ぶつの前まえにおいて第一だいいちの罪つみを懺さんし、 四し方ほう僧そうの前まえにおいて第だい二にの罪つみを懺さんし、 一切いっさい衆しゅ生じょうの前まえにおいて第三だいさんの罪つみを懺さんすべしと。 綽しゃく公こうしずかに往おう咎ぐを思おもひ、 みないはくむなしからずと。 ここにおいて洗心せんしん悔け謝しゃすることおはりて導どうに見まみゆ。 すなはちいはく、 師しの罪つみ滅めっせり。 後のちにまさに白びゃっ光こうありて照燭しょうしょくすべし、 これ師しの往おう生じょうの相そうならんと。

▼綽歎タンジテ↢其深ク詣イタレルコトヲ↡因テ請↣入定シテ観タマヘト↢当ニ↠得↠生否ヲ↡。導即入定シテ須臾ニ報テ曰、師当ニ↠懺↢三ノ罪ヲ↡、方可↢往生↡。一者師嘗ムカシ安ゼンニ↢仏尊像ヲ↡在↢簷庸エンヨウノ下ニ↡、自ハ処ス↢深房ニ↡。二者駆ク使シ策シヤク↣役出家人ヲ↡。三者営↢造シテ屋宇ヲ↡損↢傷ス虫ノ命ヲ↡。師宣ク於↢十方仏前ニ↡懺↢第一ノ罪ヲ↡、於↢四方僧前↡懺↢第二罪ヲ↡、於↢一切衆生前↡懺ベシ↢第三罪ヲ↡。◆綽公静ニ思↢往咎ヲ↡、皆曰不ト↠虚ラ。於↠是洗心悔謝スルコト訖テ而見マミユ↠導ニ。即曰、師ノ罪滅セリ矣。後当ニ↧有↢白光↡照燭ス↥、是師往生之相ナラント也。

導どうの化け京輩けいはいに洽うるおし、 道俗どうぞく心こころを帰きするもの市いちのごとし。 後のちに所しょ住じゅうの寺じ院いんのなかにおいて浄じょう土どの変相へんそうを画えがく、 たちまちに催もよおしてすみやかに成じょう就じゅせしむ。 あるひとそのゆゑを問かたりて、 すなはちわれまさに往おう生じょうせんとす、 住じゅうすること三さん両りょう夕ゆうなるべきのみと。 忽然こつねんとして微み疾しつありて室しつを掩おおふ。 怡い然ねんして長ちょう逝せいす、 春秋しゅんじゅう六ろく十じゅう九く。 身体しんたい柔にゅう軟なんにして、 容色ようしき常つねのごとし、 異い香こう・音おん楽がく久ひさしくしてまさに歇つきぬ。 時ときに永えい隆りゅう二に年ねん三月さんがつ十じゅう四し日にちなり」 と。

導ノ化洽シ↢京輩ニ↡、道俗帰スル↠心ヲ者如↠市ノ。後ニ於↢所住寺院ノ中ニ↡画↢浄土ノ変相↡、忽ニ催シテ令↢速ニ成就↡。或人問カタツテ↢其ノ故ヲ↡、則吾将ニ↢往生セント↡、可キ↢住コト三両夕ナル↡而已ノミト。忽然トシテ微疾アテ掩フ↠室シチヲ。怡ヨロコブ然シテ長逝ス、春秋六十九。身体柔軟ニシテ、容色如↠常ノ、異香・音楽久シテ而方歇ツキヌ。時ニ永隆二年三月十四日。」

・善導 念仏鏡

五 ¬念仏ねんぶつ鏡きょう¼ (巻本) にいはく、 「善導ぜんどう闍じゃ梨り西さい京きょう寺じの内うちに在ありて、 金剛こんごう法ほっ師しと、 念仏ねんぶつの勝しょう劣れつを校量きょうりょうして、 高こう座ざに昇のぼりつひに願がんを発おこしていはく、 諸しょ経きょうのなかの世せ尊そんの説せつに准じゅんずるに、 然仏ねんぶつの一法いっぽう浄じょう土どに生しょうずることを得う、 一日いちにち・七日しちにち、 一念いちねん・十じゅう念ねん阿あ弥陀みだ仏ぶつ、 さだめて浄じょう土どに生しょうず。

五 ¬念仏鏡¼云、「善導闍梨在↢西京寺ノ内ニ↡、与↢金剛法師↡、校↢量シテ念仏勝劣ヲ↡、昇↢高座ニ↡遂発シテ↠願言、准ズルニ↢諸経ノ中ノ世尊ノ説ニ↡、然仏ノ一法得↠生↢浄土ニ↡、一0219日・七日、一念・十念阿弥陀仏、定テ生ズ↢浄土ニ↡。

これ真実しんじつにして衆しゅ生じょうを誑あざむかざれば、 すなはちこの堂どうのなかの二に像ぞうを遣つかはして総そうじて光ひかりを放はなたさせたまへ、 もしこの念仏ねんぶつの法ほう悪あくにして浄じょう土どに生しょうぜず衆しゅ生じょうを誑惑おうわくせば、 すなはち善導ぜんどうをしてこの高こう座ざの上うえにおいてすなはち大だい地じ獄ごくに堕だし、 長じょう時じに苦くを受うけて永ながく出いづる期ごあらざらしめたまへと。 つひに如にょ意い杖じょうをもつて一堂いちどうのなかの像ぞうを指さすに、 像ぞうみな光ひかりを放はなてり」 と。

此是真実ニシテ不↠誑↢衆生ヲ↡者、則遣シテ↢此堂ノ中ノ二像ヲ↡総放↠光、若此ノ念仏ノ法悪ニシテ不↠生↢浄土ニ↡誑↢惑セバ衆生ヲ↡、即遣↧善導ヲシテ於↢此高座上 ヘ↡即堕↢大地獄ニ↡、長時ニ受テ↠苦永ク不ザラ↦出期アラ↥。遂将モテ↢如意杖↡指ニ↢一堂ノ中ノ像ヲ↡、像皆放↠光。」

・善導 龍舒浄土文

六 ¬龍りゅう舒じょ浄じょう土ど文もん¼ (巻五) にいはく、 「善導ぜんどう貞じょう観がんの中うちに、 西さい河が綽しゃく禅ぜん師じの浄じょう土ど九く品ぼん道どう場じょうを見みたまふ。 ここにおいて篤あつく勤つとめ精しょう苦くすること、 頭ず燃ねんを救はらふがごとくにす。 つねに禅堂ぜんどうに入いり合がっ掌しょう胡跪こきして一心いっしんに念仏ねんぶつす。 力ちからを竭つくすにあらざれば休やすまず、 寒かん氷ぴょうといへどもまたもちゐて汗あせを流ながしてもつて至し誠じょうを表あらわすべし。 出いでてすなはち衆しゅのために浄じょう土どの法門ほうもんを説とき、 暫ざん時じも利り益やくのためならざることなし。 三さん十じゅう余よ年ねんしばらくも睡眠すいめんせず。 般舟はんじゅの行ぎょう道どう・礼仏らいぶつの方等ほうどう、 もつぱらおのが任にんとなす。

六 ¬龍舒浄土文¼云、「善導貞観ノ中ニ、見ミタマフ↢西河綽禅師ノ浄土九品道場ヲ↡。於↠是篤アツク勤精苦スルコト、若ニス↠救ハラウガ↢頭燃ヲ↡。毎ニ入↢禅堂ニ↡合掌胡跪シテ一心ニ念仏ス。非レバ↢力ヲ竭ツクスニ↡不↠休、雖↢寒氷ト↡亦須モチヰテ↣流シテ↠汗ヲ以テ表ス↢至誠ヲ↡。出デヽ即為↠衆ノ説↢浄土ノ法門↡、無↢暫時モ不コト↟為↢利益↡。三十余年不↢暫睡眠↡。般舟行道・礼仏方等、専ラ為ス↢己ガ任ト↡。

戒品かいぼんを護持ごじして繊毫せんごうも犯おかさず、 いまだむかしより目めを挙あげて女人にょにんを視みず。 意こころを名みょう利りに絶たちて、 もろもろの戯げ笑しょうを遠とおざかる。 所しょ行ぎょうの処ところは身みを浄きよめて供く養ようす、 飲食おんじき・衣え服ぶく余あまりあれば、 みなもつて回施えせす。 好食こうじきをば大だい厨ずに送おくりて衆しゅに供くし、 麁そ悪あくをばみづから食じきす。 乳にゅう・酪らく・醍だい醐ご、 みな飲噉おんだんせず。 あらゆる䞋しん施せもつて ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ 十じゅう万まん余よ巻かんを写うつし、 浄じょう土どの変相へんそう三さん百びゃく余よ壁へきを画えがく。 壊やぶれたる寺てらおよび塔とうを見みては、 みなことごとく修営しゅえいし、 燃灯ねんとう続明しょくみょう毎歳まいさいに絶たえず、 三さん衣ねの瓶鉢びんぱつ人ひとをして持じ洗せんせしめず。 始し終じゅう改あらたむることなし。 衆しゅと同おなじく行いかざることは、 恐おそらくは世事せじを談だんじて修しゅ行ぎょうの業ごうを妨さまたげんことを。 展転てんでんして浄じょう土どの法門ほうもんを授さずくるもの、 あげて数かぞふべからず。

護持シテ↢戒品ヲ↡繊毫モ不↠犯、未↣嘗ムカシヨリ挙テ↠目ヲ視↢女人ヲ↡。絶テ↢意ヲ名利ニ↡、遠ル↢諸ノ戯笑ヲ↡。所行之処ハ浄テ↠身供養ス、飲食・衣服有レバ↠余リ、並ミナ以テ廻施ス。好食ヲバ送↢大厨ヅニ↡供↠衆ニ、麁悪ヲバ自食ス。乳・酪・醍醐、皆不↢飲噉↡。諸有ユル䞋施用テ写↢¬阿弥陀経¼十万余巻ヲ↡、画↢浄土変相三百余壁ヲ↡。見テハ↢壊ル寺及塔ヲ↡、皆悉ク修営シ、燃灯続明毎歳ニ不↠絶、三衣瓶鉢不↠使↢人シテ持洗↡。始終無↠改コト。不コトハ↢与↠衆同ク行カ↡、恐ハ談ジテ↢世事ヲ↡妨ゲンコトヲ↢修行ノ業ヲ↡。展転シテ授ル↢浄土ノ法門ヲ↡者 ノ、不↠可↢勝アゲテ数フ↡。

あるひと導どうに問とひていはく、 念仏ねんぶつの善ぜん浄じょう土どに生しょうずるやいなやと。 答こたへていはく、 なんぢが所念しょねんのごとくなんぢが所願しょがんを遂とげんと。 ここにおいて導どう▼みづから阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんずること一いっ声しょうするに、 すなはち一道いちどうの光こう明みょうありて、 その口くちより出いづ。 十じっ声しょうよりもつて百声ひゃくしょうに至いたる、 光こう明みょうまたかくのごとし。

或人問テ↠導云、念仏之善生↢浄土↡否0220。答云、如↢汝所念↡遂↢汝所願↡。於↠是導自念コト↢阿弥陀仏↡一声スルニ、則有テ↢一道ノ光明↡、従↢其口↡出。十声ヨリ以至↢百声ニ↡、光明亦如↠此。

その勧かん化けの偈げにいはく、 漸々ぜんぜんに鶏けい皮ひ鶴かく髪はつと看々かんかんと行ぎょう歩ぶ躘りょう踵しょうす。 たとひ饒ゆたかな金こん玉ぎょく堂どうに満みつとも、 衰残すいざん老ろう病びょうを免まぬかれがたし。 これにまかせて千ち般たび快け楽らくすれども、 無む常じょうつひにこれ到来とうらいす、 ただ径けい路ろの修しゅ行ぎょうあり、 ただ阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんぜよ。

其勧化ノ偈ニ云、漸々ニ鶏ケイトリ 皮ヒハタヽキ 鶴カクシラガ 髪ハツトヲヒタリ看看カンカント行歩躘踵シヨウス。仮ヒ饒金玉満↠堂ニ、難↠免↢衰残老病ヲ↡。任是千チ般タビ快楽スレドモ、無常終是到来、唯有↢径路ノ修行↡、但念ヨ↢阿弥陀仏↡。

後のちに人ひとにいひていはく、 この身みは厭いとふべし、 われまさに西にしに帰かえりなんとすと。 すなはち寺てらの前まえの柳やなぎの樹きに登のぼりて、 身みを投なげて自じ絶ぜつす。 高宗こうそうその念仏ねんぶつの口くちより光こう明みょうを出いだし、 また捨身しゃしんの時とき精しょうの至いたりてかくのごとくなるを見みたまひて、 寺てらの額がくを賜たまひて光こう明みょうとなす。

後ニ謂テ↠人曰、此ノ身ハ可↠厭、吾将ニ↢西帰ナント↡。乃登テ↢寺前ノ柳ノ樹ニ↡、投↠身ヲ自絶ス。高宗見タマテ↧其ノ念仏ノ口ヨリ出シ↢光明ヲ↡、又捨身ノ時精至如ナルヲ↞此、賜テ↢寺ノ額ヲ↡為↢光明ト↡。

慈じ雲うん式しき懺主さんしゅの略りゃく伝でんにいはく、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの化け身しんなり。 長ちょう安あんに至いたりて滻水さんすいの声こえを聞きく、 すなはちいはく、 念仏ねんぶつを教おしふべしと。 三年さんねんの後のちに長ちょう安あんの城中じょうちゅうに満みちて念仏ねんぶつす。 後のちに法ほっ照しょう大だい師しといふひとあり、 すなはち善導ぜんどうの後ご身しんなり」 と。

慈雲式懺主ノ略伝ニ云、阿弥陀仏ノ化身ナリ。至↢長安↡聞↢滻水声↡、乃曰、可ト↠教↢念仏ヲ↡。三年ノ後ニ満テ↢長安城中ニ↡念仏ス。後ニ有リ↢法照大師ト云人、即善導ノ後身也。」

・懐感

第だい四位しい ▼懐え感かん法ほっ師し 二に伝でん

・懐感 大宋高僧伝

一 ¬大宋だいそう高僧こうそう伝でん¼ の第六だいろく 義解ぎげ篇へん にいはく、 「釈しゃくの懐え感かんは、 いづこの人ひとといふことを知しらす。 強棹ごうかんを秉へい持じし、 精しょう苦きして師しに従したがふ。 義ぎ神じんに入いらざればいまだもつて得えたりとせず。 四し方ほうの同おなじく好このむよりしてつきて霧市むしす。 ただし仏ぶつを念ねんずること小しょう時じにしてただちに安あん養にょうに生しょうずることを信しんぜず、 疑ぎ氷ひょういまだ泮とけず。

一 ¬大宋高僧伝¼第六 義解篇 云、「▼釈懐感、不↠知↢何許人云コトヲ↡也。秉ヘイ↢持強棹カンヲ↡、精苦シテ従↠師ニ。義不レバ↠入↠神ニ未ダ↢以テ為↟得リト。四方ノ同ク好ヨリシテ就テ霧市シス焉。唯シ不↠信↣念コト↠仏ヲ小時シテ逕タヾチニ生コトヲ↢安養ニ↡、疑氷未ダ↠泮トケ。

つひに善導ぜんどうに謁えっしてもつて*猶ゆう予よを決けっす。 導どうのいはく、 子し教きょうを伝つたへて人ひとを度どす、 信しんじて後のちを講こうぜんとやする、 渺びょう茫ぼうとして詣いたることなしとするやと。 感かんのいはく、 諸仏しょぶつの誠じょう言ごん信しんぜざれば講こうぜずと。 導どうのいはく、 もし所見しょけんのごとくならば、 念仏ねんぶつ往おう生じょうせしむること、 あにこれ魔ま説せつならんや。 子しもしこれを信しんじて心こころを至いたし念仏ねんぶつせば、 まさに証しょう験げんあるべしと。

遂ニ謁シテ↢善導ニ↡用テ決↢猶予ヲ↡。導曰、子伝↠教ヲ度ス↠人ヲ、為↢信ジテ後ヲ講トヤ↡、為ルヤ↢渺ベウカスカ茫バウトシテ無シト↟詣イタルコト。感ノ曰、諸仏ノ誠言不レバ↠信不↠講。導曰、若如ナラバ↢所見ノ↡、令ルコト↢念仏往生↡、豈是魔説ナラン耶。子若信ジテ↠之至↠心念仏セバ、当ニ↠有↢証験↡。

よりて道どう場じょうに入いりて三さん七日しちにちするに、 霊瑞れいずいを覩みず。 感かんみづから罪ざい障しょう深ふかきことを恨うらみて、 食じきを絶たちて命いのちを畢おへんと欲ほっす。 許ゆるさず、 つひに精しょう虔けんにして三年さんねん念仏ねんぶつせしめて、 後のちたちまちに霊瑞れいずいを感かんじ金色こんじきの玉ぎょく毫ごうを見みて、 すなはち念仏ねんぶつ三昧ざんまいを証しょうす。

乃入↢道0221場ニ↡三七日スルニ、不↠覩↢霊瑞↡。感自分恨テ↢罪障深コトヲ↡、欲↢絶テ↠食畢↟命ヲ。不↠許、遂ニ令テ↢精虔ケンニシテ三年念仏セ↡、後忽ニ感↢霊瑞ヲ↡見テ↢金色ノ玉毫ヲ↡、便証ス↢念仏三昧ヲ↡。

宿むかしの垢く業ごう重おもくしてみだりに衆しゅけんを構こうずることを悲ひ恨こんして、 懺さん悔げ発ほつ露ろしてすなはち ¬決けつ疑ぎ論ろん¼ 七巻しちかんを述じゅつす すなはち ¬群ぐん疑ぎ論ろん¼ これなり。 臨りん終じゅうにはたして化け仏ぶつありて来迎らいこうしたまふ、 合がっ掌しょうして西にしに向むかひて往ゆけり」 と。

悲↣恨シテ宿垢業重シテ妄ミダリニ構コトヲ↢衆ケントガヲ↡、懺悔発露シテ乃述ス↢¬決疑論¼七巻↡ 即¬群疑論¼是也。臨終果シテ有↢化仏↡来迎シタマフ、合掌シテ向↠西往リ矣。」

・懐感 瑞応伝

二 ¬瑞応ずいおう伝でん¼ にいはく、 「感かん法ほっ師し長ちょう安あんの千福せんぷく寺じに居こす。 博ひろく経きょう典てんを通つうずれども、 念仏ねんぶつを信しんぜず、 善導ぜんどう和か尚しょうに問とひていはく、 念仏ねんぶつの事こといづれの門もんにかあると。 答こたへていはく、 君きみよくもつぱら仏ぶつを念ねんぜよ、 まさにみづから証しょうあるべしと。 また問とふ。 すこぶる仏ぶつを見みるやいなやと。 師しのいはく、 言ごん語ごなんぞ疑うたがふべきかと。 三さん七日しちにちを遂とげて道どう場じょうに入いりたまふに、 いまだその応おうあらず。 みづから罪つみの深ふかきことを恨うらみて、 食じきを絶たちて命いのちを畢おへんと欲ほっす。 師し止とどめて許ゆるさず、 三年さんねん志こころざしをもつぱらにしてつひに仏ぶつの金色こんじきの玉ぎょく毫ごうを見みることを得う。

二 ¬瑞応伝¼云、「感法師居↢長安千福寺ニ↡。博通ズレドモ↢経典ヲ↡、不↠信↢念仏ヲ↡、問↢善導和尚↡曰、念仏之事在↢何門ニカ↡。答曰、君能ク専念ゼヨ↠仏、当ニ↢自有↟証。又問。頗ル見↠仏否ヤ。師曰、言語何ゾ可↠疑哉。遂ゲテ↢三七日↡入タマフニ↢道場ニ↡、未ダ↠有↢其応↡。自恨テ↢罪ノ深コトヲ↡、欲↢絶↠食畢ト↟命。師止トヾメテ而不↠許、三年専シテ↠志遂得↠見コトヲ↢仏金色玉毫ヲ↡。

三昧さんまいを証しょう得とくして、 すなはちみづから ¬往おう生じょう決けつ疑ぎ論ろん¼ 七巻しちかんを造つくる。 臨りん終じゅうに仏ぶつ迎こうす、 合がっ掌しょうして西にしより来きたる」 と。

証↢得シテ三昧↡、乃自造↢¬往生決疑論¼七巻ヲ↡。臨終ニ仏迎ス、合掌シテ西ヨリ来。」

・少康

第だい五位ごい ▼少しょう康こう法ほっ師し 三伝さんでん

・少康 大宋高僧伝

一 ¬大宋だいそう高僧こうそう伝でん¼ の第だい二に十じゅう五ご 読誦どくじゅ篇へん にいはく、 「釈しゃくの少しょう康こうは、 俗ぞく姓しょうは周しゅう、 縉雲しんうん仙せん都と山さんの人ひとなり。 母ははは羅ら氏し、 よりて夢ゆめみらく、 鼎てい湖こ峯ほうに遊あそぶ、 玉ぎょく女にょの手てに青しょう蓮れんをたてまつるを得う、 授さずけていはく、 この花はな吉きっ祥しょうなり、 なんぢが所ところに寄よりて、 後のち貴子きしを生しょうぜん、 ねんごろにまさに保ほ惜しゃくすべしと。 康こうを生しょうずる日ひに及およびて、 青しょう光こう室しつに満みち、 香かおり芙ふ蕖きょに似にる。

一 ¬大宋高僧伝¼第廿五 読誦篇 云、「▼釈少康ハ、俗姓ハ周シウ、縉シン雲仙都山ノ人也。母羅氏、因テ夢ラク、遊ブ↢鼎湖峯ニ↡、得↣玉女ノ手ニ奉ルヲ↢青蓮ヲ↡、授テ曰、此ノ花吉祥ナリ、寄↢於汝ガ所↡、後生ン↢貴子ヲ↡、切ネンゴロニ当ニ↢保惜ス↡。及↢生↠康ヲ之日ニ↡、青光満↠室、香似↢芙フハチス 蕖キヨハチスニ↡。

繃褓ほうほうの年としにおよんで、 眼まなこ碧あおきに唇くちびる朱あかく歯は白しろし、 仏ぶつの一相いっそうを得えたり、 つねに端たん座ざして笑えみを含ふくむ。 時ときに郷ごう中ちゅうに相そうを善よくする人ひと、 これを目みて、 この子こ恃じ相そうの才さい、 語ものいはずんばわれ知しらずといふなり。 年としはじめて七歳しちさいにして抱いだきて霊りょう山ぜん寺じのなかに入いりて、 仏ぶつの生しょう日にちに聖しょう容ようを礼らいす、 母はは康こうに問とひていはく、 識しるかいなかと。 たちまちに言ことばを発はっしていはく、 釈しゃ迦か牟尼むに仏ぶつと。 聞きくものみなこれを怪あやしむ、 けだし生うまれてよりこのかた言ごん語ごせざればなり。

◆迨オヨンデ↢繃褓エト之年ニ↡、眼碧ニ唇 ル朱ク歯白シ、得タリ↢仏之一相↡、恒ニ端座シテ含↠笑ヲ。時ニ郷ゴ 中ニ善スル↠相ヲ人 ト也0222、目ミテ↠之ヲ、此ノ子恃相ノ之才、不ンバ↠語モノイハ吾弗ズト云↠知也。年甫ハジメテ七歳ニシテ抱イダイテ入テ↢霊山寺ノ中ニ↡、仏生日ニ礼↢聖容ヲ↡、母問↠康ニ曰、識カ否。忽発シテ↠言ヲ云、釈迦牟尼仏。聞モノ皆怪シム↠之ヲ、尽シ生ヨリ来タ不レバ也↢言語↡也。

これによりて父母ぶもそれを捨すてて出しゅっ家けせしむ。 年とし十じゅう有ゆう五ごにして誦じゅするところの経きょうすでに五部ごぶを終おふ。 越えつ周しゅうの嘉か祥じょう寺じにおいて戒かいを受うけ、 すなはちこの寺てらにつきて毘尼びにを学がくす。 五夏ごげの後のち、 上じょう元げんの龍りゅう興こう寺じに往ゆきて、 ¬華厳ほけ経きょう¼・¬瑜伽ゆが論ろん¼ を聴きく。

◆由テ↠是父母捨テヽ↠其ヲ出家セシム。年十有五ニシテ所↠誦之経已ニ終フ↢五部ヲ↡。於テ↢越周ノ嘉祥寺ニ↡受↠戒ヲ、便就テ↢伊コノ寺ニ↡学↢毘尼↡。五夏ノ之後、往テ↢上元ノ龍興寺ニ↡、聴↢¬華厳経¼・¬瑜伽論ヲ¼↡。

貞じょう元げんのはじめ洛京らくけいの白はく馬ば寺じに至いたる、 殿でんに物ものの光ひかりを放はなつを見みる、 つひに探さぐり取とりていづれの経きょう法ぼうとかする、 すなはち善導ぜんどうの西方さいほうの化け道どうを行ぎょうぜる文もんなり。 康こう見みて歓かん喜ぎしてこれを呪じゅしていはく、 ▼われもし浄じょう土どと縁えんあらば、 惟ねがはくはこの軸じくの文もんよりこの光ひかり再現さいげんせよと。 誓ちかふところわづかに終おわりて、 はたしてかさねて閃ひらめきて爍かがやく。 中なかに化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつありて算かぞふることなし。 ▼つひに長ちょう安あんの善導ぜんどうの影堂えいどうの内うちに之ゆきて、 願ねがはくは善導ぜんどうを見みんと乞こふ。 真像しんぞう化けして仏身ぶっしんとなり、 康こうにいひていはく、 なんぢわが施せ設せつによりて、 衆しゅ生じょうを利り楽らくせば、 同おなじく安あん養にょうに生しょうずと。

◆貞元ノ初至ル↢于洛京ノ白馬寺ニ↡、殿ニ見ル↢物 ノヽ放↟光ヲ、遂ツイニ探グリ取テ為ル↢何ノ経法トカ↡、乃善導ノ行ゼル↢西方ノ化道ヲ↡文也。康見テ歓喜シテ呪テ↠之ヲ曰、我若与↢浄土↡有バ↠縁、惟此ノ軸ノ文ヨリ斯ノ光再現セヨト。所↠誓纔ニ終テ、果シテ重テ閃ヒラメテ爍カヾヤクタリ。中ニ有↢化仏・菩薩↡無↠算。遂ニ之ユイテ↢長安ノ善導ノ影堂ノ内ニ↡、乞↣願ハ見ント↢善導ヲ↡。真像化シテ為↢仏身↡、謂テ↠康ニ曰、汝依テ↢吾施設ニ↡、利↢楽セバ衆生ヲ↡、同生↢安養ニ↡。

康こう所しょ証しょうあるがごとく、 南みなみのかた江こう陵りょうの果か願がん寺じに至いたりて、 一ひとりの法ほっ師しに遇あふ。 康こうにいひていはく、 なんぢ人ひとを化けせんと欲おもはば、 ただちに新しん定じょうに往ゆきて、 縁えんかしこにありと。 いひおはりて見みえず、 ただ香光こうこうのみありて、 西にしに望のぞみて去さりぬ。

◆康如↠有↢所証↡、南ノ方至テ↢江陵ノ果願寺ニ↡、遇↢一ノ法師↡。謂テ↠康ニ曰、汝欲ハヾ↠化↠人ヲ、径タヾチニ往テ↢新定ニ↡、縁在リト↢於彼 コニ。言ヒ訖ヲワツテ不↠見ヘ、止タヾ有テ↢香光ノミ、望テ↠西ニ而去ヌ。

睦郡ぼくぐんに到いたるにおよんで、 城しろに入いりて乞食こつじきして銭ぜにを得えては、 小しょう児にを誘いざなへ掖ひきてよく阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんぜしむ、 一いっ声しょうにすなはち一銭いっせんを付つく。 後のちに月つきあまりを経ふるに絯がい繻じゅの䗳慕ねがふもの念仏ねんぶつす。 多おおくはすなはち銭ぜにを給きゅうす。 かくのごとく一年いちねんするに、 およそ男女なんにょ康こうを見みてはすなはち阿あ弥陀みだ仏ぶつといふ。

◆洎ヲヨンデ↠到↢睦ボク郡ニ↡、入テ↠城ニ乞食シテ得テハ↠銭ヲ、誘ヘ↢掖ヒイテ小児ヲ↡能ク念シム↢阿弥陀仏ヲ↡、一声ニ即付ク↢一銭ヲ↡。後ニ経ルニ↢月余ヲ↡絯ガイ繻ジユノ䗳慕ネガフモノ念仏ス。多者即給ス↠銭ヲ。如↠是一年スルニ、凡男女見テハ↠康則云フ↢阿弥陀仏ト↡。

つひに烏う龍ろん山ざんにおいて浄じょう土どの道どう場じょうを建たて、 壇だんを築つくこと三さん級きゅうす、 人ひとを聚あつめて午夜ごや行ぎょう道どうし、 唱しょう讃さん二に十じゅう四し契けい、 浄じょう郡ぐんを称しょう揚ようす。 つねに斉日さいにちに遇あふ、 所しょ化け三千さんぜんばかりの人ひとを雲うん集じゅうして座ざに登のぼり、 男女なんにょの弟子でしをして康こうの面門めんもんに望のぞましめ、 すなはち高こう声しょうに阿あ弥陀みだ仏ぶつを唱となふるに、 仏ぶつ口くちより出いづ、 しきりに十じっ声しょうを誦じゅすに、 十じゅう仏ぶつ珠たまを連つらねたる状かたちのごとし。 告つげていはく、 なんぢ仏身ぶっしんを見みればすなはち往おう生じょうを得えてんと。

◆遂ニ於↢烏龍山↡建↢浄土道場ヲ↡、築ツクコト↠壇ヲ三級キウコシス、聚↠人ヲ午夜行道シ、唱讃二十四契ケイ、称↢揚ス浄郡ヲ↡。毎ニ遇フ↢斉日0223ニ↡、雲↢集シテ所化三千許人ヲ↡登↠座ニ、令↣男女弟子ヲシテ望↢康面門ニ↡、即高声ニ唱ルニ↢阿弥陀仏↡、仏従↠口出、連シキリニ誦↢十声ヲ↡、十仏若シ↢連↠珠ヲ状ノ↡。告テ曰、汝見バ↢仏身↡即得テン↢往生ヲ↡。

貞じょう元げん二に十じゅう一年いちねん十じゅう月がつをもつて、 衆しゅに示しめして嘱累ぞくるいす、 ただ急きゅうに浄じょう土どを修しゅすことを勧すすむ、 いひおはりて跏趺かふして、 身みより光こう明みょうを放はなちて逝ゆきぬ。 天てんの色いろ斗と変へんして、 狂きょう風ふう四よもに起おこり、 百鳥ひゃくちょう悲ひ鳴めいす、 烏う龍ろん山ざんや一いち時じに白しろに変へんず。 いま墳塔ふんとう州しゅう東とうの台たい子し巌がんに存ぞんず。 歳とし久ひさしくしてただ方石ほうせきのみ余のこれり、 石いしの傍かたわらの土つち、 相伝そうでんして疾やまいを療りょうすと。 州しゅう民みんおよそ衆しゅ病びょうに嬰かかれる、 ことごとく香こうを焚たき土つちを取とりて、 服ぶくすに随したがひて多おおく差いゆ。 石いしの四し隅ぐう車くるまの轍あとのごとし。

◆以↢貞元廿一年十月ヲ↡、示↠衆嘱累ゾクルイス、止タヾ勧ム↣急ニ修コトヲ↢浄土ヲ↡、言畢テ跏趺シテ、身ヨリ放テ↢光明ヲ↡而逝ヌ。天色斗変シテ、狂風四ヨモニ起リ、百鳥悲鳴ス、烏龍山也一時ニ変ズ↠白ニ。今墳フン塔存ズ↢于州東ノ台子巌ニ↡。歳久シテ唯余レリ↢方石ノミ↡、石ノ傍ノ之土、相伝テ療スト↠疾ヲ。州民凡ソ嬰カヽレル↢衆病ニ↡、悉ク焚タキ↠香ヲ取テ↠土ヲ、随テ↠服ニ多ク差イユ。石ノ之四隅若ゴトシ↢車ノ轍アトノ↡。

漢かんの乾祐けんゆう三年さんねんに、 天台てんだい山さんの徳とく韶しょう禅ぜん師じ、 かさねてその塔とうを建たて、 いまに至いたりて高こう敞しょうなり、 時ときに後ご善導ぜんどうと号ごうす。

◆漢乾祐三年ニ、天臺山ノ徳韶禅師、重テ建↢其塔↡、至テ↠今高敞シヤウサカリ也、時ニ号ス↢後善導ト↡焉。

系けいしていはく、 康こうの述じゅつするところの偈げ讃さん、 みな鄭衛ていえいの声こえを附会ふえする、 変へんじて体たいして作つくる。 哀あいにあらず楽らくにあらず、 怨おんにあらず怒どにあらず、 中なかに処しょする曲きょく韻いんを得えたり、 たとへば善ぜん医いの錫しゃく蜜みつをもつて口くちに逆さからふる薬くすりを塗ぬりて、 嬰よう児にを誘いざなへて口くちに入いるるがごとし。 まことに大権だいごん入にっ仮けにあらずは、 なんぞよくこの方便ほうべんを運めぐらさんと、 無む極ごくを度どすものか。 仏ぶつを唱となへて仏ぶつ形ぎょう口くちよりして出いだす、 善導ぜんどうにこれと同おなじく仏ぶつ事じをなす、 ゆゑに小しょう縁えんにあらず」 と。

◆系ケイツグシテ曰、康ノ所ノ↠述偈讃、皆ミナ附↢会スル鄭テヽ衛ノ之声ヲ↡、変ジテ体シテ而作ル。非↠哀ニ非↠楽ニ、不↠怨ニ不↠怒、得タリ↢処スル↠中ニ曲韻ヲ↡、譬タトヘバ猶シ↧善医ノ以↢*錫蜜ヲ↡塗ヌツテ↢逆ル↠口ニ之薬ヲ↡、誘ヘテ↢嬰ヤウ児ヲ↡之入↞口ニ耳。苟マコトニ非ハ↢大権ゴン入仮ニ↡、何ゾ能運メグラト↢此方便ヲ↡、度↢無極ヲ↡者乎。唱テ↠仏仏形従↠口而出ス、善導ニ同ク↠此ト作ス↢仏事ヲ↡、故非↢小縁ニ↡哉。」

・少康 新修往生伝

二 ¬新しん修しゅう往おう生じょう伝でん¼ (巻下) にいはく、 「釈しゃくの少しょう康こう、 縉雲しんうん仙せん都との人ひとなり。 母ははは羅ら氏し、 夢ゆめに鼎てい湖この峯みねに遊あそびて、 玉ぎょく女にょの青しょう蓮れん花げをたてまつりてこれを授さずくるを得う、 かついはく、 この花はな吉きっ祥しょうなり。 これをなんぢに授さずく、 まさに貴子きしを生しょうずべしと。 康こうを生しょうずる日ひにおよびて、 青しょう光こう室しつに満みち、 香かおり芙ふ蕖きょに似にる。 年とし十じゅう有ゆう五ごにして ¬法ほっ花け¼・¬楞りょう厳ごん¼ 等とうの経きょう五部ごぶを誦じゅす、 毘尼びにを尋たずね究きわめて、 および ¬花け厳ごん¼・¬瑜伽ゆが¼ の諸論しょろんを聴きく。

二 ¬新修往生伝¼云、「釈少康、縉シン雲仙都ノ人ナリ。母ハ羅氏、夢ニ遊テ↢鼎湖ノ峯ニ↡、得↧玉女奉テ↢青蓮花ヲ↡授↞之、且曰ク、此花吉祥ナリ。授↢之ヲ於汝ニ↡、当↠生↢貴子↡。及テ↢生↠康日ヒニ↡、青光満↠室ニ、香似↢芙蕖キヨニ↡。年十有五ニシテ誦↢¬法花¼・¬楞厳¼等経五部ヲ↡、尋0224↢究毘尼ヲ↡、及聴↢¬花厳¼・¬瑜伽¼諸論↡。

▼貞元ていげんのはじめ洛らく下げの白はく馬ば寺じに至いたる、 殿内でんないに文もん字じのしきりに光こう明みょうを放はなつを見みる、 康こう測はかることあたはず。 前すすみてこれを探さぐり取とるに、 すなはち善導ぜんどうの昔むかし西にしの方かた化け道どうをなす文もんなり。 康こういはく、 もし浄じょう土どにおいて有う縁えんならば、 まさにこの文もんをして光こう明みょうふたたび発ほっすべしと。 所願しょがんいまだおはらざるに、 はたしてかさねて閃せん爍しゃくす。 康こういはく、 劫こう石しゃくは移うつすべくともわが願がん易かわることなからんと。

貞元ノ初至↢洛下白馬寺ニ↡、見ル↣殿内ニ文字ノ累シキリニ放ツヲ↢光明↡、康不↠能↠測ハカルコト。前テ而探リ↢取ルニ之ヲ↡、乃善導ノ昔 シ為↢西ノ方化道ヲ↡文也。康曰、若於↢浄土↡有縁、当ニシ↠使 シ ム此文ヲシテ光明再ビ発↡。所願未ダルニ↠已、果シテ重テ閃爍ス。康曰、劫石ハ可クトモ↠移而我願無ラン↠易カハルコト 矣。

つひに長ちょう安あんの善導ぜんどうの影堂えいどうに之ゆきて、 大おおいに薦献せんけんを陳ちんす。 まさに薦献せんけんを陳のぶる時とき、 たちまち▼善導ぜんどうの遺像ゆいぞうを見みれば、 空くう中ちゅうに昇のぼりて康こうにいひていはく、 なんぢわが事じによりて有う情じょうを利り楽らくせよ、 すなはちなんぢが功こう同おなじく安楽あんらくに生しょうじてんと。 康こうその語ことばを聞ききて所しょ証しょうあるがごとし、 南みなみのかた江こう陵りょうの果か願がん寺じに適ゆくに、 路みちにして一ひとりの僧そうに逢あへり。 いひていはく、 人ひとを化けせんと欲おもはば、 まさに新しん定じょうに往ゆくべしと。 いひおはりて隠おんす。

遂ニ之ユイテ↢長安ノ善導影堂ニ↡、大ニ陳ス↢薦セン 献ケンヲノベタテマツル↡。方ニ陳ノブル↢薦献ヲ↡時、倏見レバ↢善導ノ遺像ヲ↡、昇テ↢於空中ニ↡謂テ↠康ニ曰、汝依↢我事ニ↡利↢楽セヨ有情ヲ↡、則汝ガ之功同ク生テン↢安楽ニ↡。康聞テ↢其語ヲ↡如シ↠有ガ↢所証↡、南ノカタ適ユクニ↢江陵ノ果願寺ニ↡、路ニシテ逢ヘリ↢一ノ僧ニ↡。謂テ曰、欲ハヾ↠化ト↠人ヲ、当 ベ ニシト往↢新定ニ↡。言訖テ而隠ス。

睦郡ぼくぐんに到いたるにおよんで、 睦人ぼくにんなほ識しるものなし、 いまだその化けに従したがはず。 康こうすなはち銭ぜにを丐こふて、 小しょう児にを誘こしらへ掖ひきてこれを与あたへて約やくしていはく、 阿あ弥陀みだ仏ぶつまことになんぢが良りょう導どうなり、 よく一いっ声しょうを念ねんぜばなんぢに一銭いっせんを与あたへんと。 小しょう児にそれを務つとめて銭ぜにを得うるなり。 品ほんに随したがひてこれを念ねんぜしむ。 後のちに月つきあまりを経へて絯繻がいじゅ仏ぶつを念ねんじて銭ぜにを俟まつもの比々ひひとしてこれなり。 康こういはく、 十じっ声しょうを念ねんぜばすなはちなんぢに銭ぜにを与あたふべしと。 小しょう児にまたその約やくのごとくす。

洎ヲヨンデ↠到ルニ睦ボク郡ニ↡、睦人尚 ヲ無↢識ル者 ノ↡、未ダ↠従↢其化ニ↡。康乃丐コツテ↠銭ヲ、誘ラヘ↢掖ヒイテ小児ヲ↡与テ↠之ヲ約シテ曰、阿弥陀仏実ニ汝ガ良導ナリ、能ク念ゼバ↢一声ヲ↡与ヘント↢汝ニ一銭ヲ↡。小児務ツトメテ↠其ヲ得↠銭ヲ也。随↠品ニ念シム↠之ヲ。後ニ経テ↢月余ヲ↡絯繻ガイジユ念テ↠仏ヲ俟マツ↠銭ヲ者 ノ比比トシテ而是ナリ。康曰、可↧念ゼバ↢十声ヲ↡乃与フ↦爾 ジニ銭ヲ↥。小児亦如クス↢其約↡。

かくのごとく一年いちねんするに、 長少ちょうしょう・貴き賎せんなく、 およそ康こうを見みてはすなはち阿あ弥陀みだ仏ぶつといふ。 このゆゑに念仏ねんぶつの人ひと道どう路ろに盈みてり。

如↠是一年スルニ、無ク↢長少・貴賎↡、凡ソ見テハ↠康ヲ者則曰↢阿弥陀仏ト↡。以故コノ ヘニ念仏之人盈ミテリ道路ニ↡焉。

貞元ていげん十じゅう年ねんに、 康こう烏う龍ろん山ざんに出いでて浄じょう土どの道どう場じょうを建たつ、 壇だんを築きずくこと三さん級きゅうす、 人ひとを聚あつめて午夜ごや行ぎょう道どうす。 道どう場じょうの時ときごとに、 康こうみづから座ざに登のぼりて、 男女なんにょをして康こうに面むかはしめ、 声こえを賡ついで高たかく阿あ弥陀みだ仏ぶつを唱となへおはりて、 また声こえを賡ついでこれに和わす。 康こうの唱となふる時ときに至いたりて、 衆しゅ一仏いちぶつのその口くちより出いづるを見みる、 十じっ声しょうを連れん唱しょうすれば、 すなはち十じゅう仏ぶつありて聯珠れんじゅの状かたちのごとし。 康こうのいはく、 なんぢ仏ぶつを見みるやいなやと。 もし仏ぶつを見みるものはかならず浄じょう土どに生しょうじ、 その礼仏らいぶつの人ひと数千しゅせん、 またつひに見みざるものあり。

貞元十年ニ、康出↢烏龍山↡建↢浄土道場ヲ↡、築コト↠壇ヲ三級キウス、聚テ↠人ヲ午夜行道ス。毎ニ↢道場ノ時↡、康自登テ↠座、令↢男女ヲシテ面ムカハ↟康ニ、賡ツイデ↠声ヲ高ク唱↢阿弥陀仏↡已テ、又賡ツイデ↠声ヲ和ス↠之。至↢康ノ唱ル時ニ↡、衆見↧一仏ノ従↢其口↡出ルヲ↥、連↢唱レバ十声ヲ↡、則有↢十仏↡若シ↢聯0225珠ノ状ノ。康ノ曰、汝見ヤ↠仏否ヤ。如モシ見↠仏者 ノハ決生ジ↢浄土ニ↡、其礼仏ノ人数千、亦有↢竟ツヒニ不↠見者↡。

貞元ていげん二に十じゅう一年いちねん十じゅう月がつ三日さんにち、 道俗どうぞくに嘱ぞく累るいす。 まさに安あん養にょうにおいて増進ぞうしんを起おこし、 心こころ閻えん浮ぶ提だいにおいて厭えん離りの心しんを生しょうずべしと。 またいはく、 なんぢらこの時ときよく光こう明みょうを見みるは、 まことのわが弟子でしなりと。 つひに異い光こう数道しゅどうを放はなちて、 奄然あんねんとして世よを棄すつ。 塔とうを入いれて台たい子し巌がんにおいてす。 天台てんだいの徳とく韶しょう禅ぜん師じ、 かさねてこれを新あらたにす、 いまの人ひと多おおくその塔とうを指さして後ご善導ぜんどうとなす」 と。

貞元廿一年十月三日、嘱↢累ス道俗ニ↡。当ニシ↧於↢安養ニ↡起シ↢増進ヲ↡、心於↢閻浮提↡生↦厭離ノ心ヲ↥。又曰、汝曹此ノ時能見ハ↢光明ヲ↡、真ノ我弟子ナリ。遂放↢異光数道ヲ↡、奄然トシテ棄ツ↠世ヲ焉。入レテ↠塔ヲ於テス↢台子巌ニ↡。天臺ノ徳韶禅師、重テ新ニス↠之、今之人多ク指シテ↢其塔ヲ↡為↢後善導ト↡焉。」

・少康 龍舒浄土文

三 ¬龍りゅう舒じょ浄じょう土ど文もん¼ (巻五) にいはく、 「小しょう康こう、 貞元ていげんのはじめに洛らく下げの白はく馬ば寺じに至いたる、 殿でん中ちゅうに文もん字じのしきりに光こう明みょうを放はなつを見みる、 探さぐりてこれを取とるに、 すなはち善導ぜんどうの西方さいほう化け道どうの文もんなり。 康こういはく、 もし浄じょう土どに有う縁えんならば、 まさにこの文もんをしてふたたび光こう明みょうを発ほっせしむべしと。 いひといまだおはらざるに、 光ひかりすなはち閃ひらめきて爍かがやきたり。

三 ¬龍舒浄土文¼云、「小康、貞元ノ初ニ至↢洛下ノ白馬寺ニ↡、見↣殿中ニ文字ノ累シキリニ放ツヲ↢光明ヲ↡、探テ取ルニ↠之ヲ、乃善導ノ西方化道ノ文也。康曰、若於↢浄土↡有縁ラバ、当ニ↠使メ↣此文シテ再発↢光明↡。言ト未ダルニ↠已、光乃閃ヒラメテ爍タリ。

つひに長ちょう安あんの善導ぜんどうの影堂えいどうに至いたりて、 大おおいに薦献すいけんを陳のぶ。 善導ぜんどう空くう中ちゅうにおいていはく、 なんぢわが事じによりて有う情じょうを利り楽らくせよ、 すなはちなんぢの功こう同おなじく安あん養にょうに生しょうぜんと。 また一ひとりの僧そうに逢あふ。 いひていはく、 なんぢ人ひとを化けせんと欲ほっせば、 まさに新しん定じょうに往ゆくべしと。 いひおはりて隠かくれぬ。 新しん定じょうは今いまの巌ごん州しゅうなり。

遂ニ至テ↢長安善導ノ影堂ニ↡、大ニ陳↢薦献ケンヲ↡。善導於↢空中ニ↡曰、汝依テ↢吾事ニ↡利↢楽セヨ有情ヲ↡、則汝之功同生ン↢安養ニ↡。又逢↢一ノ僧ニ↡。謂テ曰、汝欲セバ↠化↠人ヲ、当ニ↠往↢新定ニ↡。言訖テ而隠ヌ。新定ハ今ノ巌州也。

かしこに至いたるに、 人ひとなほ識しるものなし。 康こうすなはち銭ぜにを乞こひて、 小しょう児にを誘しつらへこれに与あたへて約やくしていはく、 阿あ弥陀みだ仏ぶつはこれなんぢが本ほん師しなり、 よく念ねんずること一いっ声しょうせばなんぢに一銭いっせんを与あたふと。 小しょう児に務つとめてその銭ぜにを得う。 声こえに随したがひこれを念ねんず。 後のち月つきあまりに小しょう児に仏ぶつを念ねんじて銭ぜにを求もとむるもの衆おおし。 康こうすなはちいへり、 念仏ねんぶつ十じっ声しょうせばすなはちなんぢに銭ぜにを与あたへんと。 小しょう児にこれに従したがひてかくのごとくすること一年いちねんするに、 長少ちょうしょう・貴き賎せんとなく、 およそ康こうを見みるものはすなはち阿あ弥陀みだ仏ぶつを称となふ、 ゆゑをもつて念仏ねんぶつの人ひと道どう路ろに盈みてり。

至ルニ↠彼ニ、人尚無↢識ル者 ノ↡。康乃乞テ↠銭ヲ、誘ラヘ↢小児ヲ↡与テ↠之ニ約シテ曰、阿弥陀仏ハ是汝ガ本師ナリ、能念コト一声セバ与↢汝ニ一銭ヲ↡。小児務ツトメテ得↢其銭ヲ↡。随ヒ↠声ニ念ズ↠之ヲ。後月余ニ小児念テ↠仏ヲ求ル↠銭ヲ者 ノ衆ヲヽシ。康乃チ云ヘリ、念仏十声セバ乃与ン↢爾 ジニ銭ヲ↡。小児従↠之ニ如スルコト↠此ノ一年スルニ、無ク↢長少・貴賎ト↡、凡ソ見ル↠康ヲ者 ノハ則称↢阿弥陀仏ヲ↡。以↠故ヲ念仏之人盈ミテリ↢於道路ニ↡。

後のちに康こう烏う龍ろん山ざんにおいて浄じょう土どの道どう場じょうを建たつ、 壇だんを築つくこと三さん級きゅう、 人ひとを聚あつめて午夜ごやに行ぎょう道どうす。 康こう座ざに升のぼりて、 人ひとをして西にしに面むかはしめて、 康こうまづ阿あ弥陀みだ仏ぶつを唱となふ、 次つぎに衆人しゅにんこれに和わす。 康こう唱となふる時とき、 衆しゅ一仏いちぶつのその口くちより出いづるを見みる、 しきりに十じっ声しょうを唱となふれば、 すなはち十じゅう仏ぶつありて聯珠れんじゅの状かたちのごとし。

後ニ康於↢烏0226龍山ニ↡建↢浄土道場ヲ↡、築ツクコト↠壇ヲ三級キウ、聚テ↠人ヲ午夜ニ行道ス。康升テ↠座ニ、令メテ↢人シテ面ムカハ↟西ニ、康先唱↢阿弥陀仏ヲ↡、次ニ衆人和ス↢之ニ。康唱ル時、衆見↧一仏ノ従リ↢其口↡出、連シキリニ唱レバ↢十声ヲ↡、則有↢十仏↡若↢聯珠ノ状ノ。

康こういはく、 なんぢ仏ぶつを見みるやいなや。 もし仏ぶつを見みるものは決けっして浄じょう土どに生しょうずと、 その礼仏らいぶつの人ひと数千しゅせんなり、 またつひに見みざるものあり。 後のちに衆人しゅにんに嘱つぐ。 まさに安あん養にょうにおいて増進ぞうしんの心しんを起おこすべし、 閻えん浮ぶ提だいにおいて厭えん離りの心しんを生しょうずべしと。 またいはく、 なんぢらこの時ときによく光こう明みょうを見みるは、 まことのわが弟子でしなりと。 つひに異い光こう数道しゅどうを放はなちて亡もうず」 と。

康云、汝見ヤ↠仏否ヤ。如モシ見ル↠仏者 ノハ決テ生ズ↢浄土ニ↡、其ノ礼仏ノ人数千ナリ、亦有↢竟ツヒニ不↠見者↡。後嘱ツグ↢衆人ニ↡。当 ベ ニシ↧於↢安養↡起↢増進ノ心ヲ↡、於↢閻浮提ニ↡生ズ↦厭離ノ心ヲ↥。又云、汝等此時ニ能ク見ハ↢光明ヲ↡、真ノ我弟子ナリ。遂ニ放↢異光数道ヲ↡而亡ズ。」

当初そのかみ空くう上しょう人にんもろもろの殿でんのなかより
浄じょう土どの五祖ごその高こう妙みょうの徳とくを類聚るいじゅす
いま板印ばんいんに写うつし雕きざんで世せ間けんに弘ぐ通ずうす
流ながれを酌くみて源みなもとを討たづぬるものたれかこれを慕ぼ玩がんせざらん
当初 カミ空上人従↢諸殿之中↡
類↢聚ス於浄土五祖高妙ノ徳ヲ↡
今写↢雕キザンデ板印ニ↡弘↢通ス於世間↡
酌テ↠流ヲ討タヅヌル↠源者誰不ラン↣慕↢玩セ此ヲ↡ ▽

 

錫 底本では「食+易」