一二(200)、類聚浄土五祖伝

類聚るいじゅじょう五祖ごそでんだいじゅう

一二、類聚浄土五祖伝 曇鸞

第一だいいち 曇鸞どんらんほっ 六伝ろくでん

一二、類聚浄土五祖伝 曇鸞 続高僧伝

一 ¬ぞく高僧こうそうでん¼ 第七だいしち (巻六) 解義げぎへん にいはく、 「しゃく曇鸞どんらん、 あるいはらんにつくる。 そのうじつまびらかにせず、 雁門がんもんひとなり。 いえたいざんちかし。 じんじゅつ霊怪れいかいにしてみんちょうすぐる。

一 ¬続高僧伝¼第七 解義篇 云、「釈曇鸞、アルヒツク↠巒。未↠詳ラカニ↢其↡、雁門ナリ也。家近↢五台山↡。神述霊クハイニシテスグ↢于民聴↡。

ときいまだがくならざるに、 すなはちきてたずぬ。 つぶさゆいしょう覿て、 心神しんじん歓悦かんえつして、 すなはちしゅっす。 ないきょうせき、 つぶさにもんみがく。 ろんぶっしょうにおいていよいよきわみがくところなり。 ¬大集だいじっきょう¼ をむに、 その詞義しぎ深密じんみつにしてもつてかいしがたきことをうらみて、 よりてちゅうす。 文言もんごんなかばをぎてすなはちしつかんず。

時未ルニ↢志学ナラ↡、便往焉。ツブサ覿↢遣蹤↡、心神歓悦シテ、便即出家。内外経籍、具ミガ↢文理↡。而於↢四論仏性↡弥所ナリ↢窮0201ミガ↡。読↢¬大集経¼↡、恨↣其詞義深密ニシテコトヲ↢以開悟↡、因而注解。文言過↠半バヲ便感↢気疾↡。

しばらく筆功ひっこうとどめ、 あまねくりょうぎょうず。 きてふんしゅうしんりょうきょいたるに、 しろ東門とうもんるときの、 かみ*せいしょうのぞむに、 たちまちに天門てんもんとぼそひらけるをる、 六欲ろくよくかいじょうじゅうふく歴然れきねんとしてひとしくる。 これによりてやまひえぬ。

シバラ停↢筆功↡、周↢医療↡。行ルニ↢汾州秦陵故墟↡、入ルトキノ↢城東門↡、カミムニ↢青セウソラ↡、忽↢天門トボソケルヲ↡、六欲階位上下重復歴然トシテシク覩。由↠斯

前作ぜんさくがんとほっし、 かえりみてしかもいひていはく、 いのちはこれぜいにしてそのじょうさだめず、 *本草ほんぞうしょきょうつぶさにしょうかす。 ちょうねん神仙しんせん往々ところどころかんしゅつす。 心願しんがんすところ、 このほうしゅじゅうせんと。 こくすでにおはりて、 まさにぶっきょうあがめんに、 またからずんや。

欲↠継ント↢前作↡、カヘリミ、命危脆クヰゼイ モロシ 不↠定↢其↡、本草諸経具↢正治↡。長年神仙往々トコロドコロ間出。心願所↠指、修↢習斯法↡。果剋既、方メンニ↢仏教↡、不ンヤ↢亦善↡乎。

江南こうなんとう隠居いんきょといふもの、 ほうじゅつするところ広博こうはく弘瞻こうせんなり、 海内かいだいそうじゅうすとく。 つひにきてこれにしたがはんと。 すでに梁朝りょうちょうたっするとき大通だいつうなかなり。 すなはちとおしていはく、 北国ほっこくりょそう曇鸞どんらんことさらにきたりてえつす。 ときしょ*細作さいさくをせんことをうたがひて推勘すいかんす、 異詞いしあることなし。 をもつてもんす。 みかどのいはく、 これくにうかがふものにあらず、 じゅううん殿でんいんにゅうす。 よりてせん迷道めいどうじゅうす。

↢江南陶隠居ト云、方術所↠帰スル広博弘センナリ、海内宗重スト↡。遂従↠之。既達↢梁朝↡時大通中也。乃通シテ↠名、北国リヨ僧曇鸞 サラエツマミユル。時所司疑↠為ンコトヲ↢細作↡推勘、無↠有コト↢異詞↡。以↠事奉聞。帝非↢覘↠国↡、可シト↣引↢入重雲殿↡。仍↢千迷道↡。

みかどまづ殿隅でんぐうにおいて、 縄床じょうしょうしりぞきてす、 るに袈裟けさをもつてし、 おおふに衲帽のうぼうをもつてす。 らん殿でんまえいたりて*ぼうするにしょうたいのものなし。 こうちょうし、 ほつあんずるありて、 まさしく殿でんなかにありてかたはらに余座よざなきをる。 ただちにきてこれにのぼりて、 ぶっしょうつ。 たびみかどめいじていはく、 だい檀越だんおつぶっしょうふかし、 りゃくしてすでにひょうじょす、 うたがいあればといたまへと。 みかど衲帽のうぼうしりぞけてすなはちもつて数関しゅかん往復おうふくす。 よりていはく、 今日こんにちれなんとこうす、 けてすべからくあひまみゆべしと。 らんよりくだる。 よりてすすみてただちにでる。 こうきょくちょうとうじゅうもんなれども、 ひとつもしゃくなし。

帝先於↢殿隅↡、却↢坐縄床↡、ルニ↢袈裟↡、覆フニ衲帽ノウバウ↡。巒至↢殿スルニ↢承対↡。見↪有↧施↢張高座↡、安ズルホツ↥、正↢殿↡傍↩余座↨。タヾチノボ↠之↢仏性↡。三ジテ↠帝、大檀越仏性義深、略シテジヨ、有↠疑賜↠問。帝シリゾケテ↢衲帽↡便数関往復。因、今日向レナント、明須↢相↡。巒従↠座下。仍。誥曲重沓廿余門ナレドモ、一無↢シヤクアヤマリ アヤマリ

みかどきはめてたんしていはく、 このせん迷道めいどうは、 従来もとよりきゅうせるもの往還おうげんするに疑阻ぎそす、 いかんぞひとたびしてつひにすなはちまよふことなきや。 みょうたん大極だいごく殿でんいんにゅうして、 みかどきざはしらいしょうしてきたれるゆゑをふ。 らんいはく、 仏法ぶっぽうがくせんとほっするに年命ねんめい促滅さいめつすることをうらむ。 ゆゑにきたることとおく、 とう隠居いんきょいたりてもろもろのせんじゅつもとむと。 みかどのいはく、 これおご隠遁いんとんのものなり。 このごろしばしばせどもつかず、 きてこれにいたるべしにまかすと。 らんいでしょいたしてといつうず。

帝極嘆訝シテ、此迷道従来モトヨリ旧侍セルモノ往還スルニヘダテ、如何シテ遂乃↠迷コト。明且引↢入大極0202殿↡、帝キザハシ礼接シテ↡。巒曰、欲↠学ント↢仏法↡恨↢年命促滅コトヲ↡。故コトイタ↢陶隠居↡求↢諸占術↡。帝、此傲ヲゴル↠世隠遁ナリコノゴロシバシバセドモ不↠、任↢往イタルベシ↟之。巒イデシテ↠書↠問

とうすなはちこたへていはく、 つきみみおんじょうきて、 このときまなこもんくるなり。 まさにちょうらいしてとしもるによりて、 ゆゑに真往しんおうをしてれいせしめ、 まさにしばらくとうしょうほつし、 すいちんして、 きんただおさめ、 警錫きょうしゃく佇聆ちょれいするなり。 山所さんしょいたるにおよびて、 接対せったい欣然きんねんとして、 すなはち仙法せんぽう十巻じっかんをもつて、 もつておんむくゆ。

陶乃曰、去月耳↢音声↡、茲辰コノトキナリ↢文字↡。↢頂礼シテ↡、故使↢真往ヲシテ礼儀↡、正シバラク整↢払藤蒲↡、具↢陳シテ花水↡、タヾキンヲサ↠思、佇↢聆警錫↡也。及イタルニ↢山所↡、接対キントシテ、便↢仙法十巻↡、酬↢遠意↡。

かえりて浙江せんこういたるに、 鮑郎ほうろうじんといふものあれば、 いっしてなみわかせば、 七日しちにちにしてすなはちとどまる。 なみはじめひてわたることをるによしなし。 らんすなはちびょうところきて、 じょうをもつてこくす。 かならずしょしょうのごとくならばまさにためにびょうつべし。 しゅ神郎じんろうかたちあらわす、 かたちじゅうのごとし。 きたりてらんげていはく、 もしわたらんとおもはば、 みょうたんまさにべし、 ねがはくはことばまざることと。 みょうしんいたるにおよんでなみなほ鼓怒こどす。 わずかにせんれば、 怗然てんねんとして安静しずまり、 によりてみかどたっして、 つぶさにえんぶ。 ちょくありて江神こうじんのためにさらにれいびょうつ、 よりてすなはちしてきょうかえる。

ルニセン↡、有ハウ郎子神トイフモノ↡、一鼓シテセバ↠浪、七日ニシテ便マル。値↢波初↡無↠由↠得↠度。巒便ベウ↡、以↠情祈告。必如ナラバ↢所請↡当↢為↟廟。須臾神郎アラハ↠形↢二十↡。来告↠巒曰、若欲↠度ント者、明且当↠得、願コト↠食↠言。及↠至ルニ↢明晨↡涛猶鼓怒。纔レバ↢船裏↡、テントシテ安静、依↠期シテ↠帝、具↢由縁↡。有↠勅為↢江神↡更起↢霊廟↡、因即辞シテ↢魏境↡。

名山めいざんきてほうによりてしゅせんとほっして、 きてらくいたるにちゅうごく三蔵さんぞうだい留支るしひぬ。 らんきてけいしていはく、 仏法ぶっぽうなかにすこぶるちょうせい不死ふしほうのこのせんじゅつすぐれたるものありやと。 留支るしつばはきていはく、 これいかにといふことばや、 あひくらぶるにあらざるなり。 このかたにいづれのところちょうせい不死ふしほうあらん。 たとひちょうねん少時しばらくさずとも、 つひにはさらにさんりんするのみと。 すなはち ¬かんぎょう¼ をもつてこれにさずけていはく、 これ大仙だいせんほうなり、 これによりてしゅぎょうせば、 まさにしょうだつすることをべしと。

シテ↧往↢名山↡依↠方修治セント↥、行ルニ↢洛下↡逢ヒヌ↢中国三蔵菩提留支↡。巒往シテ、仏法有↧長生不死↢此土仙術。留支唾↠地、是何ニト云コトバ、非↢相比↡也。処有ラン↢長生不死法↡。縦↢長年少時シバラクトモ↠死、終ニハ輪↢廻三有↡耳。即以↢¬観経¼↡授↠之曰大仙ナリ、依↠之修行セバ、当↠得↣解↢脱コトヲ生死↡。

らんたずちょうじゅして、 つつむところの仙方せんぼうみなもつてこれをく、 ぎょう化他けた流靡るみこうなり。 しゅこれをおもくして、 ごうして神巒じんらんとす。 ちょくくだしてへいしゅう大巌だいがんじゅうせしむ。 のちにまたふんしゅう北山ほくざん石壁せきへきげんちゅうじゅうす。 とき介山かいざんかげじゅうして、 あつごうをほしいままに、 いま巒公らんこうがいごうするこれなり。

巒尋頂受シテ、所ツヽ仙方ミナヲ以↠之、自行化他流靡弘広0203ナリ。魏主重シテ↠之、号シテ為↢神巒↡焉。下シテ↠勅↠住↢并州大巌寺↡。ノチ復移↢住汾州北山石壁玄中寺↡。時↢介山之陰↡、聚↠徒ホシイマヽ↠業、今号スル↢巒公巌↡是也。

の興きょうねんをもつて、 やまいによりてびょうよう山寺やまでらそっす。 春秋しゅんじゅうろくじゅう有七ゆうしちおわりいたのぞみて、 ばん幢蓋どうがいたかいんえいし。 こう蓬勃ほうぼつして、 おんじょう繋鬧けいどうなり。 てらとうするもの、 ならびにおなじくこれをる。 をもつてじょうもんす。 ちょくしてすなはち汾西ふんせいしんりょう文谷ぶんろくそうす、 塼塔せんとう営建えいけんし、 ならびにためにつ、 いまならびにぞんぜり。

以↢魏クヰヨウクワ四年↡、因↠疾↢于平遥山寺↡。春秋六十有七。臨↢至↠終↡、幡花・幢蓋、高↢院宇↡、香気蓬勃ホウボツシテ、音声繋鬧ナリ。預↢登スル、並↠之。以↠事上聞。勅シテ↢于汾西シンロク↡。営↢建セン↡、並、今並ゼリ焉。

しかもらんじん高遠こうおんにしてへんほうなく、 ごんおもはざるにうごきてす。 しん調ととのり、 やまいたいしてえんり、 魏都ぎとちて、 もつてほうとす、 よりてろん出調しゅっちょうす。 また著作ちょさくおうしょうもんしたがひてこれをちゅうす。 またじょうじゅう撰礼せんらいす、 りゅうじゅのちつづく。 また ¬安楽あんらくしゅう¼ りょうかんせんして、 ひとしくひろツタ。 よりてみづからごうして有魏うぎ玄簡げんかんだいとするといへり」 と。

神于高遠ニシテ機変無↠方、言晤不↠思動与↠事会。調↠心練↠気、対↠病識↠縁、名満↢魏都↡、用為↢方軌↡、因出↢調気論↡。又著作チヨサク王邵、随↠文注↠之。又撰↢礼浄土十二偈↡、続↢龍樹↡。又撰↢¬安楽集¼両巻↡、等ツタ↢於世↡。仍自シテスト↢有魏玄簡大士↡云ヘリ。」

一二、類聚浄土五祖伝 曇鸞 安楽集

二 ¬安楽あんらくしゅう¼ どうしゃくにいはく、 「曇巒どんらんほっ康存こうぞんにちじょうじょうしゅす。 またつねぞくくんありて、 きたりてほっしていはく、 十方じっぽう仏国ぶっこくはみなじょうとなす、 ほっなんぞすなはちひとこころ西にしとどむる。 あに偏見へんけんしょうずるにあらずやと。 ほっこたへていはく、 われすでにぼんなり、 智恵ちえ浅短せんぱくにしていまだ地位ちいらず、 念力ねんりきすべからくれつなるべし。 くさきてうしくがごときは、 つねにすべからくこころ槽櫪そうれきつなぐべし。 あにほしいままにしてまつたくしょなきことをんやと。 また難者なんじゃ紛紜ふんうんすといへどもほっひとけっす。

二 ¬安楽集¼ 道綽、「曇巒法師、康存之日常修↢浄土↡。亦ツネ↢世俗君子↡、来シテ↢法師↡曰、十方仏国皆為↢浄土↡、法師何乃独ムル↠西。豈非↢偏見生ズルニ↡也。法師対曰、吾既凡夫ナリ、智恵浅短ニシテ↠入↢地位↡、念力須↠劣ナル如↢似ゴトキ↠草↟牛、恒須ツナ↢心サウオケ レキシキイタ↡。豈ンヤ↣縦放ニシテホシイマヽニ  コトヲ↢所帰↡。雖↢復難者紛ミダリ ガハシスト↡而法師独

これをもつて一切いっさい道俗どうぞくふことなく、 ただほっ一面いちめんにあひふもの、 もしいまだしょうしんしょうぜざるをば、 すすめてしんしょうぜしむ。 もしすでにしょうしんしょうずるものは、 みなすすめてじょうこくせしむ。 このゆゑにほっ命終みょうじゅうときのぞみて、 てらかたわら左右さう道俗どうぞく、 みなばんいんえいずるを、 ことごとくこうおんがくこうしょうしておうじょうぐるをくなり」 と。

↠問コト一切道俗↡、但与↢法師↡一面相遇、若0204ヲバ↠生↢正信↡、勧↠生↠信。若已↢正信、皆スヽメテシム↢浄国↡。是故法師臨↢命終↡、寺左右道俗、見↢幡花↟院、尽聞↣異香・音楽迎接シテグルヲ↢往生↡也。」

一二、類聚浄土五祖伝 曇鸞 浄土論

三 ¬じょうろん¼ (迦才巻下) 沙門しゃもん曇巒どんらんほっは、 へいしゅう汶水ぶんすいひとなり。 すえ高斉こうせいはじめ、 なほり。 じん高遠こうおんにして三国さんごくもんす、 ほがらかにしゅきょうあきらめ、 人外じんがいどっせり。 りょうこくてん蕭王そうおう、 つねにきたむかひて曇巒どんらんさつらいす。 天親てんじんさつの ¬おうじょうろん¼ をちゅうして、 さいしてりょうかんをなし、 ほっ ¬りょう寿じゅきょう¼ のさん七言しちごんひゃくじゅうぎょうならびに問答もんどう一巻いっかんせんしゅうして、 ぎょうす。

三 ¬浄土論¼「沙門曇巒法師者、并州汶水人也。魏末高斉之初、。神智高遠ニシテ三国知聞ホガラカ暁↢衆経↡、独↢歩セリ人外↡。梁国天子蕭王、恒↠北↢曇巒菩薩↡。注↢解シテ天親菩薩¬往生論¼↡、裁シテ↢両巻↡、法師撰↢集シテ¬無量寿経¼奉讃七言偈百九十五行并問答一巻↡、流↢行於世↡。

道俗どうぞくとうすすめておうじょうけつじょうし、 諸仏しょぶつることをしむ。 つねにりゅうじゅさつしょうじておわりかいのぞむ、 まことに所願しょがんのごとし。 このかたほうつくはんしょううちしょうそうぞうげんじ、 たちまちにしつらいにゅうしていはく、 われはこれりゅうじゅさつなり。 すなはちきていはく、 すでにちたるのはさらにえだくべからず、 いまだつかねざるしょくくらなかもとむべからず。 びゃっひまぐ、 ざんとどむべからず。 すでにれるものかえしがたし、 いまだきたらざるものいまだふべからず、 現在げんざいいまいづくにかる。 びゃっかえるべきことかたし。 ほったえごんたっして、 これをおわりぐると。

↢道俗等↡決↢定往生↡、得シム↠見コトヲ↢諸仏↡。恒↢龍樹菩薩↡臨↢終開悟↡、誠如↢所願↡。此方報尽セウヨナカ 之内↢聖僧↡、忽来↢入シテ↡云、我是龍樹菩薩ナリ。便、已タルノ之葉不↠可↢更附↟枝也、未↠束シヨク不↠可↢倉↡也。白駒過ヒマ、不↠可↢暫時留↡也。已↠反、未来未↠可↠追、現在今何ニカ。白駒難↠可コト↠廻ヘル。法師妙シテ↢言旨↡、知↠是告↠終。

すなはちはんうち使しゃ発遣はっけんして、 あまねく諸村しょそんびゃく弟子でしおよびないしゅっ弟子でしぐ、 さんびゃくにんばかりいちうんじゅうす。 ほっ沐浴もくよくしてしんじょうころもちゃくす、 こうりまさしく西にしむかひてす。 もんきょうかいして西方さいほうごうもとめし、 はじめていづとき大衆だいしゅこえひとしくして弥陀みだぶつねんずれば、 すなはち寿じゅじゅうす。

即半夜発↢遣シテ使者↡、遍↢諸ソン白衣弟子及寺内出家弟子↡、バカリ↢三百余人↡一時雲集。法師沐浴シテ↢新浄↡、手執↢香炉↡正↠西。教↢誡シテ門徒モトメ↢西方↡、日初、大衆斉シテ↠声ズレバ↢弥陀0203↡、便即寿終

てら西にし五里ごりほか比丘びくあり、 ならびにこれもんなり。 みょうそうでてのちどうつどひてかゆじきす、 しゅこぞりてみなそらうちみょうおんがくありて西にしよりきたりてひがしるをく。 なかしゃありて大衆だいしゅげていはく、 ほっじょういっしょうひとおしへてじょうごうしゅし、 いまこのおんじょう東方とうぼうむかふてるものは、 かならずおおくはこれほっむかへてきたるべし。 じきしおはりてあひめいじてほっのいへるをんと、 にわまえにしてあひつ。 いまだてらにわでざるあいだに、 またおんがくとおそらうちにありて西にしむかひてるをく。 そうらあひともにかしこにいたりてすなはちじょうる、 これきょうろんによるにさだめて西方さいほうしょうずることをすなり」 と。

西五里之外↢比丘尼寺↡、並是門徒ナリ。明相出デヽ↠堂↠粥コゾ↠衆皆聞↧空内↢微妙音楽↡西ヨリルヲ↥。中↢智者↡告↢大衆↡言、法師和上一生教↠人↢浄土↡、今此音声向フテ↢東方↡去、必応↧多クハ是迎ヘテ↢法師↡来ナル↥。食相命ジテムト↢法師ルヲ↡、庭前ニシテ。未↠出↢寺↡之間、復聞↧音楽遠↢空中↡向↠西而去ルヲ↥。尼僧等相トモ↠彼乃見↢無常↡、ルニ↢経論↡定得↠生コトヲ↢西方↡也。」

一二、類聚浄土五祖伝 曇鸞 瑞応伝

四 ¬瑞応ずいおうでん¼ にいはく、 「さいちょう曇巒どんらんほっいえたいちかし。 ほがらかにさとりてしょきょうあきらかなり。 よりてこのせんぎょう十巻じっかんて、 とう隠居いんきょたずねてせんじゅつがくせんとほっす。 のち三蔵さんぞうだいひて、 ひていはく、 仏法ぶっぽうなかちょうせい不死ふしほうのこのせんぎょうたるにすぐれたるありやいなやと。 三蔵さんぞうつばはいていましめていはく、 このほういづれのところにかちょうせい不死ふしほうあらん。 たとへば延寿えんじゅともとしつくしてすべからくすべし。 すなはち ¬りょう寿じゅかんぎょう¼ をもてらんじゅしていはく、 これ大仙だいせんほうなり、 よりてこれをぎょうずれば、 ながだつながしょうはなると。 らんすなはちもちゐてつひにせんぎょうく。

四 ¬瑞応伝¼云、「斉朝曇巒法師、家↢五台↡。洞ナリ↢諸教↡。↢此土仙経十巻↡、欲↧訪↢陶隠居↡学↦仙術↥。後逢↢三蔵菩提↡、問曰、仏法↢長生不死タル↟得ルニ↢此土仙経↡否。三蔵唾ハイテ↠地イマシメテ、斯法何ニカラン↢長生不死法↡。縦トモ↢延寿↡年尽↠堕。即↢¬無量寿観経¼↡授↢与シテ↡曰大仙方ナリ、依而行ズレバ↠之、長得↢解脱↡永離↢生死↡。巒便須↠火↢仙経↡。

たちまちはんにおいてひとりの梵僧ぼんそうぼうるをる。 らんかたりていはく、 われはこれりゅうじゅさつなりと。 すなはちきて、 すでにちたるはさらにえだくべからず、 いまだきたらざるあわくらなかもとむべからず。 びゃっすきまぐるに、 しばらくもとどまるべからず。 すでにりぬるものかえりがたし、 いまだきたらざるものはいまだふべからず、 現在げんざいいまなんぞる。 びゃっかえすべきことかたしと。

忽於↢半夜↡見↢一梵僧↟房。語↠巒、我是龍樹菩薩ナリ。便説↠偈、已タル不↠可↢更附↟枝、未↠来粟不↠可↢倉求↡。白駒過↠隙、不↠可↢暫トヾマル↡。已ヌル、未ルハ↠来↠可↠追、現在今何。白駒難↠可コト↠廻。

ほっすなはち寿いのちおわりりて、 弟子でしさんびゃくにんあつむ。 みづからこうりて西にしめんして、 もんきょうしてすすめて西方さいほうあがめ、 のはじめていづときをもつて、 こえそろへて念仏ねんぶつす。 すなはち寿じゅじゅうして、 てら西にし五里ごりひとつの尼寺にじあり、 くうちゅうおんがく西にしよりきたひがしるをく。 しゅにまた西にしひがしよりきたるをけり」 と。

法師乃知↢寿↡、集↢弟子三百余人↡。自0206↢香炉↡面↠西、教↢誡シテ門徒↡勧崇↢西方↡、以↢日初出時↡、斉↠声念仏。便即寿終シテ、寺西五里有↢一尼寺↡、聞↢空中音楽西ヨリルヲ↡。須臾又聞ケリ↢西ヨリルヲ↡。」

一二、類聚浄土五祖伝 曇鸞 新修往生伝

五 ¬しんしゅうおうじょうでん¼ (巻上) にいはく、 「しゃく曇巒どんらん雁門がんもんひとなり。 おさなくしてたいあそぶ。 そのりょうかんじてみづからちかひてぞくで、 さんじょうとんぎょう、 つぶさにもんみがく。 またむかしやまいいだきて汾川ふんせんいたり、 にはかに雲陰くもかげあとおおふをる、 天門てんもんほがらかにひらけ、 六欲ろくよくかいじょうちょうふくす。 らんまさにしゅんもくして、 やまいすなはちしたがひてえぬ。 らんこれにおいてのち仏道ぶつどう用心ようじんして、 つねにおよばざるがごとくす。 もうひらぞくいざなひき。 遠近おんごんふことなし。

五 ¬新修往生伝¼云、「釈曇巒雁門人也。少シテ遊↢五台↡。感ジテ↢其霊異↡自誓↠俗、三乗頓教、具ミガ↢文理↡。又ムカシ行↢至汾川↡、俄↢雲陰アトフヲ↡、天門洞、六欲階位上下重復。巒方瞬目シテ。巒於↠是後用↢心シテ仏道↡、常↠不↠及。開↠蒙↠俗。無↠問コト↢遠近↡。

はじめらんじゅつがくをなす。 とう隠居いんきょちょうせいほうきて、 せんこれにつく。 とうせんぎょう十巻じっかんをもつてらんさずく。 らん躍然やくねんとしてみづからておもへらく、 神仙しんせんじゅつそれ必然ひつねんなりと。

初巒好↢術学↡。聞↣陶隠居↢長生↡、千里就↠之。陶以↢仙経十巻↡授↠巒。巒躍然トシテ以為ヲモヘラク、神仙之術必然也

のちらくかえりて、 だい留支るしひ、 こころすこぶるこれをて、 ひていはく、 仏道ぶつどうちょうせいることありや、 つぶさによくろうしりぞけて不死ふしをなしてんか。 わらひてこたへていはく、 ちょうせい不死ふしはわが仏道ぶつどうなりと、 かへりて ¬かんりょう寿じゅきょう¼ をこれにさずく。 いはく。 なんぢじゅすべし、 これすなはち三界さんがいにまたしょうずることなし、 六道ろくどうくところなし。 ようしょうそくふく成敗せいばいきざすことなし、 その寿いのちとするや。 こうしゃくありて河沙ごうじゃあり。 河沙ごうじゃかずきわまることあるとも、 りょうかずなからん、 これわが金仙こんせんちょうせいなりと。 らんそのことばけて深信じんしんおこし、 つひに所学しょがくせんぎょうきて ¬かんぎょう¼ をもつぱらにす。

↢洛下↡、遇↢菩提留支↡、意頗得↠之、問↠支、仏道有↠得コト↢長生↡乎、具ケテ↠老テン↢不死↡乎。支笑而対、長生不死仏道也、カヘ以↢¬観無量寿経¼授↠之。曰、汝可↠誦則三界↢復生コト↡、六道トコロヤウ虚消息、禍福成敗、無↢得キザアトスコト、其ルヤ↠寿也。有↢劫石↡焉有↢河沙↡焉。河沙之数トモ↠極コト、無量之数ラン↠期、金仙氏之長生也。巒承↢其↡驟起↢深信↡、遂↢所学仙経↡而専↢¬観経¼焉。

つねに ¬かんぎょう¼ においてその理義りぎて、 三福さんぷくごうしゅし、 ぼんをあひかたどる。 それ寒暑かんしょかわりしつびょうきたるといへども、 はじめのねんおこたらず。 おうそのこころざしたっときことをあわれみ、 またそのぎょう化他けた流靡るひこうなることをよみして、 ごうして神巒じんらんとす。 ちょくしてへいしゅう大巌だいがんじゅうせしむ。 いまだいくばくもあらずしてふんしゅうげんちゅうじゅうす。

ツネ於↢¬観経¼↡得↢其理義↡、修0207↢三福業↡、相↢像九品↡。雖↢夫寒シヨ之変疾病之来↡、不↠懈↢于始↡。魏王アハレ↢其コトヲ↡、又嘉シテ↢其自行化他流靡弘広コトヲ↡、号為↢神巒↡。勅シテシム↢并州大巌寺↡。未↠幾移↢住汾州玄中寺↡。

一夕いっせきらんまさにじゅするに、 ひとりの梵僧ぼんそう掀昴けんこうしてきたるをる。 そのしつりていはく、 われはりゅうじゅなり、 しょじょうなり。 なんぢじょうしんあるをもつてのゆゑにきたりてなんぢにまみゆと。 らんのいはく、 なにをもつてわれにおしふるやと。 じゅのいはく、 すでにれるはかえるべからずしてしっせぬと。 らん所見しょけんしょうをもつて、 かならずしょういたることをる。

一夕鸞正持誦スルニ、見↢一梵僧ケンノキニ カウアガルシテ而来ルヲ↡。入↢其↡曰、吾龍樹也、所居浄土ナリ。以テノ↣汝有ルヲ↢浄土之心↡故マミ↠汝。巒、何以教↠我。樹曰、已去不↠可↠反シテセヌ。巒以↢所見勝異↡、必知↢死生之期イタルコトヲ↡矣。

すなはち弟子でしすうひゃくにんあつめ、 ことごとくきょうかいべていはく、 それしょう没々もつもつにしてそのとどまることなく、 ごくしょもつておそれざるべからず、 ぼんじょうごうもつてしゅせざることあるべからずと。 よりて弟子でしをしてこえひとしくしたか弥陀みだぶつとなへ、 らんすなはち西にしむかひてふさぎ、 頓顙とんそうしてめつしめす。 このとき道俗どうぞくおなじく管絃かんげんちくこえ西にしよりきたるをく。 よくひさしくしてすなはちしずまりぬ」 と。

即集↢弟子数百人↡、咸陳↢教誡↡言、四生没々シテコト無↠日、地獄諸苦不↠可↢以不↟懼、九品浄業不↠可↢以不アル↟修。因令↣弟子ヲシテ↠声↢阿弥陀仏↡、巒乃西フサ↠目、頓顙シテ而示↠滅。是時道俗同聞↢管絃・絲竹之声由↠西而来↡、良久乃シズマリヌ。」

一二、類聚浄土五祖伝 曇鸞 龍舒浄土文

六 ¬りゅうじょじょうもん¼ (巻五) にいはく、 「曇巒どんらんはじめとう隠居いんきょよりしてせんぎょう十巻じっかんらん欣然きんねんとしてみずからとくしておもへらく、 神仙しんせんかならずいたすべしと。 のちそうだい流支るしひて、 ひていはく、 仏道ぶつどうちょうせいなりか、 よくろうしりぞけてせざるかと。 のいはく、 ちょうせい不死ふしはわが仏道ぶつどうなりといひて、 つひに ¬じゅうろくかんぎょう¼ をもつてこれをあたへていはく、 なんぢこれをじゅすべきときは、 すなはち三界さんがいにまたしょうずることなく、 六道ろくどうにまたくことなし。 ようしょうそくふく成敗せいばいいたることなし、 その寿いのちとするなり。 こうしゃくありて河沙ごうじゃあり。 河沙ごうじゃかずかぎりあれども、 りょうかずきわまりなし、 これわが金仙こんせんちょうせいなり。 らんふかくこれをしんじて、 つひにせんぎょうきてもつぱら ¬かんぎょう¼ をしゅす。

六 ¬龍舒浄土文¼云、「曇巒初自リシテ↢陶隠居↡得↢仙経十巻↡。巒キントシテ自得シテ以為ヲモヘラク、神仙必可シト↠致也。後↢僧菩提流支↡、問云、仏道長生ナリ乎、能却↠老不↠死乎。支云、長生不死仏道ト云テ也、遂以↢¬十六観経¼↡与↠之云、汝可時ハ↠誦↠此、則三界無↢復生↡、六道無↢攸往コト↡。ヤウ虚消息、禍福成敗、無↢得而至コト↡、其↠寿也。有↢劫石↡焉有↢河沙↡焉。河沙之数ドモ↠限、無量之数無↠窮、0208金仙氏之長生也。巒深ジテ↠之、遂↢仙経↡而専修↢¬観経¼↡。

寒暑かんしょかわりにしつびょうきたりといへども、 まただいせず。 おうそのこころざしたっときことをあわれみ、 またそのぎょう化他けたでん甚広じんこうなるをよみして、 ごうして神巒じんらんとす。 一日いちにち弟子でしげていはく、 ごくしょもつておそれざるべからず、 ぼんじょうごうもつてしゅせざるべからず。 よりて弟子でしをしてこうしょう弥陀みだぶつねんぜしむ、 西にしむかじ、 こうべたたきてもうじぬ。 このとき道俗どうぞくおなじく管絃かんげんちくこえ西にしよりきたるをく、 よくひさしくしてすなはちみぬ。」

雖↢寒暑之変疾病之来↡、亦不↢懈怠↡。魏主憐↢其志尚コトヲ↡、又嘉シテ↢其自行化他流伝甚広↡、号シテ為↢神巒↡。一日告↢弟子↡云、地獄諸苦不↠可↢以不↟懼、九品浄業不↠可↢以不↟修。因令↣弟子シテ高声念↢阿弥陀仏↡、向↠西閉↠目、叩↠頭而亡。是時道俗同聞↢管絃・絲竹之声従↠西而来↡、良久シテ乃止ミヌ。」

一二、類聚浄土五祖伝 道綽

だい二位にい どうしゃくぜん でん

一二、類聚浄土五祖伝 道綽 続高僧伝

一 ¬ぞく高僧こうそうでん¼ のだいじゅう (巻二〇) しゅうぜんへん にいはく、 「しゃくどうしゃくせいえいへいしゅう汶水びんすいひとなり。 じゃくれいにしてぞくしょりょ恭譲きょうじょうをもつてる。 じゅうにしてしゅっして、 経詰けいきつしゅうとす。 だいはんひとへにでんするところなり、 じゅうへんこうす。 のちさんぜんつかふ、 くうしゅしょうして、 すみやかにせきうるおす。 さんしょうやく雅素がそにして、 恵悟えごてんひらき、 どう朔方さくほうふるふて、 しんぐ。

一 ¬続高僧伝¼第廿四習禅篇 云、「釈道綽、姓エイ、并州ビンナリ。弱レイニシテ処↠俗リヨト 以↢恭譲キヨウジヨウ↡知↠名。十四ニシテ出家シテ、宗↢師トス経詰↡。大涅槃部偏ナリ↢弘伝↡、講↢廿四遍↡。晩ツカ↢瓚禅師↡、修↢渉シテ空理↡、スミヤカシバシバ沾↢微セキ↡。瓚清約雅素ニシテ、恵悟開↠天、道フルフテサク↡、↢名晋土↡。

しゃくじん稟服ほんぶくし、 さいしゃくして、 むかしらんほっじょう諸業しょごうけて、 さらに権実ごんじつ甄簡けんかんし、 きょうろんさくしゃくし、 これをつうして、 きてもつてをなし、 縁数えんしゅ剋念こくねんしてゆうみょう想観そうかんす。 ゆゑに霊相れいそうせんじょうきょうすることをねがふ。 つねに汶水ぶんすい石壁せきへきこくげんちゅうにありて、 てらはすなはちせいとき曇巒どんらんほっつるところなり。 なからんあり、 つぶさにずいこと別伝べつでんのごとし。

ホン↢服神味↡、弥↢積シテ歳時↡、承↢昔巒法師浄土諸業↡、便甄↢アラハスニ権実↡、捜サグル↢酌経論↡、会シテ↢之↡、布以成↠化、剋↢念シテ縁数↡想↢観幽明↡。故得↢霊相潜儀↡、有情欣↠敬スルコトヲ。恒在↢汶水石壁谷玄忠寺↡、寺即斉時曇巒法師之所↠立也。中有↢巒碑↡、具↢嘉瑞↡事如↢別伝↡。

しゃく般舟はんじゅ方等ほうどう歳序さいじょつねにひろむ、 ぼん十観じっかんときわかちてつとめぐ。 むかしぎょうどうさいにおいてそうあり、 ねんじょうなかしゃくぶつえんずるをる、 じゅあひはかるに七宝しっぽう大山だいせんのごとし。 また西方さいほう霊相れいそうて、 じょくしてべがたし。 これによりてじょうとくひびし、 えいとおおよぶ。

綽般舟・方等歳序常、九品・十観分↠時ツトメムカシ於↢行道↡有↠僧、念定之中0209見↢綽エンズルヲ↟仏、珠数相量ルニ如↢七宝大山↡。又覩↢西方霊相↡、繋ジヨクシテ難↠陳。由↠此盛徳ヒヾ、栄誉遠

道俗どうぞくにょおもむくものやまてり。 つねに ¬りょう寿じゅかん¼ をこうじて、 ひゃっぺんになんなんとす。 自他じたみちびして、 もつてじんたくとするなり。 ことばはすでにみょうけいにしてくことはなはだえんかなふ。 このこといんくもの遺抱ゆいほうなく、 ひとおのおのたまり、 くち仏号ぶつごうおなじくす。 まい散席さんせきに、 ひびき林谷りんこくてり。 あるいは邪見じゃけんしんのあひこうせんとほっするもの、 しゃくそうきをるにおよびてみてかえる。 そのどうものじょうかんずること、 かくのごとくするなり。

道俗子女、赴テリ↠山。恒ジテ↢¬無量寿観¼、ナントス↢二百遍↡。導↢悟シテ自他↡、用為↢資神之宅ヤドリ↡也。詞明詣ニシテコトカナ↠縁。此事引喩、聴クモノ無↢遺ハウ↡、人各オノツマグリ↠珠、口同クス↢仏号↡。毎時散席、響テリ↢林谷↡。或邪見不信欲↢相カウセント、及↠覩ルニ↢綽之相善キヲ↡飲↠気而帰。其道感コト↡、為↠若↠此也。

かつてじょうがん三年さんねんがつ八日ようかをもつて、 しゃくいのちまさにきなんとするをる、 そう通告つうこくす。 きておもむくもの山寺やまでらち、 ことごとくらんほっ七宝しっぽうふねうえにあるをる。 しゃくげていはくいはく、 なんぢじょうどうじょうじぬ、 ただほういまだきざるのみと。 ならびにぶつくうじゅうてんさんするをる。 男女なんにょ裙襟くんきんをもつてたるに、 うすなめらかにしてあいしつべし。 またかんをもつてれんとらふるに、 しぼめざるもの七日しちに善相ぜんそうおよびてことごとくすべからず。 みづからぎょうかんひそかにつうずるにあらず、 たれかよくこれにかなはんものや。

以↢貞観三年四月八日↡、綽知↢命将↟尽ナント、通↢告事相↡。聞而ヲモム満↢于山寺↡、コトゴト見↣巒法師↢七宝船↡。告↠綽云、汝浄土堂成ジヌ、但余報未↠尽耳。并見↢化仏住↠空天花下散スルヲ↡。男女等以↢クン↡承ルニ、薄滑ニシテ↠愛シツ。又以↢乾地↡捕↢蓮花↡、不↠萎七日、及↢余善相↡不↠可↢コトゴト↡。自非↢行感ヒソカズルニ↡、タレカナハン↠此者乎。

とししちじゅうのぼりしめて忽然こつねんとしてきんあらたにしょうず、 もとのごとくまつたくれきなし。 しかのみならず報力ほうりきこんにして容色ようしき盛発せいほつす。 じょうごうだんじゅつするに、 理味りみほんす。 ことば包蘊ほううんき、 じゅんれいうるおす。 ならびにひとすすめて弥陀みだぶつねんぜしめ、 あるいは麻豆あさまめとうのものをもちゐてしゅりょうをなし、 ひとたびとなへるごとにすなはち一粒ひとつぶす。 かくのごとくこれにしたがひて、 すなはちしゅひゃく万斛まんこくむもの、 ならびにをもつて邀結ようけつして、 りょせっえんしずかならしめ、 道俗どうぞくその綏道すいどうむかひ、 ふうのぞみてしゅうをなす。

年登メテ↢七十↡忽然トシテキン歯新、如↠本全無↢レキ異↡。加以シカノミナラズ報力休コンニシテ容色セイ。談↢述浄業↡、理味奔流。詞吐↢包ウン↡、気霑↢醇アツキ レイイヅミ↡。并↠人シメ↢弥陀仏↡、或↢麻豆等↡而為↢数量↡、毎↢一称↟名便度↢一粒↡。如↠是シタガツテ↠之、乃積↢数百万斛↡者、並以↠事邀結シテ、令↢摂↠慮カナラ↟縁、道俗ムカ↢其スイヨキ↡、望↠風而成↠習矣。

またとしつねにごうとして、 もろもろの木欒もくれん穿うがちてもつて数法しゅほうとなして、 もろもろのしゅおくる。 それをしてしょうねんせしめ、 しばしば禎端ていずいあらわす。

又年常自業トシテ穿ウガツテ↢諸木レン↡以為シテ↢数法↡、ヲク↢諸四衆↡。教↢其0210ヲシテ称念↡、シバシバアラハテイ↡。

つぶさにぎょうじゅすに、 ¬じょうろん¼ をしるすことりょうかんりゅうじゅ天親てんじん遠談おんだんし、 ちかくは僧巒そうらんおんおよぶ。 ならびにじょう遵宗じゅんしゅうしてあきらかにしょうごんしめす、 もんようねもろもろのはんつまびらかなり、 寓県ぐうけんでんしょうして、 としみていよいよあらたなり。 つたふるものにはそれ風神ふうじん陶瑩とうけいし、 学観がくかんけんしょうすることをじゅうす。

叙↢行図↡、シルスコト↢¬浄土論¼両巻。遠↢談龍樹・天親↡、邇クハ↢僧巒・慧遠↡。並シタガツテ↢宗シテ浄土↡明示↢昌言↡、文旨↠要カナリ↢諸ハン↡。伝↢灯ケンシテ↡、歳積イヨナリ。伝フルニハ↧其陶↢ケイ風神↡、ケン↦精スルコトヲ学観↥。

ゆゑにまたそのぎょうそうぶるに、 しゃくじょうごうしゅうとしてより、 するにつねに西にしおもてにす。 しんしょうひとたびぶくして、 鮮絜せんけつたいとす。 みょうじゅうにしてならべり、 えんす。 めんふうしょうにして、 舒顔じょげんいんじょうす。 ろくとくきょうして、 はじめよりぎょうかず。 せっしょうじょうはい、 もとよりこのかたえることなし。 わづかにも余暇よかあらば、 くちぶつみょうじゅすこと七万しちまんをもつてかぎりとなして、 声々しょうしょうともにとどまりてじょうごうひろむ。 ゆゑにしき鎔鋳ようとうシテ観門かんもんくんたることを西にしぎょうひろつたはることはすなはちそのひとなり。

又述ルニ↢其行相↡、自↣綽宗トシテ↢浄業↡、坐スルニニス↠西。晨セウシテ鮮絜センケツ為↠体。儀貌ジユニシテベリ、部推↠焉。顧メンカヘリミ風生ニシテ、舒顔引接。六時トクアツクアマネクシテ、初ヨリ不↠欠↠行。接唱承拝、モトヨリ↠絶。纔ニモレバ↢余↡、口コト↢仏名↡日以↢七万↡為シテ↠限、声々相ツラナル↢於浄業↡。故得↧ヨウタウシテ有識↡師↦訓タルコトヲ観門↥、西行広ツタハルコトハナリ矣。

沙門しゃもんどうめいしょうそうなり。 けいふくのがれておうして、 すでにげんちゅうたっす。 そのぎょうごうおなじくして、 じょう宣通せんつうする、 所在しょざいいよいよす、 いま惰夫だふありて、 くちづから ¬しょうろん¼ をでんずるに、 唯心ゆいしんにしてねんぜず、 えんきょうそむかず。 これをもつてしょうまねきて、 おそらくはおもいぎがたからん。 しゃく今年こんねんはちじゅうゆうにしてじんみょうそうなり、 宗紹しゅうしょうぞんず」 と。

沙門道名勝之僧ナリ。京寺弘福ノガレテ↠名往赴シテ、既↢玄忠↡。同↢其行業↡、宣↢通スル浄土↡、所在弥イヨ。今有シノイデ夫↡、口ヅカラズルニ↢¬摂論¼、唯心不↠念、縁境又乖。用↠此招↠生、恐難↢継想ヒヲ↡。綽、今年八十有四ニシテ而神気明サウナリアザヤカ 、宗紹存焉。」

一二、類聚浄土五祖伝 道綽 浄土論

二 ¬じょうろん¼ (迦才巻下) にいはく、 「沙門しゃもんどうしゃくほっは、 またこれへいしゅう晋陽しんようひとなり。 すなはちこれさき高徳こうとく大巒だいらんほっ三世さんせい以下いげ懸孫けんそんでしなり。 ¬はんぎょう¼ いちぶつこうじ、 つねにらんほっとく高遠こうおんなることを嘆詠えいたんす。 みづからいはく、 あひることせんにして懸殊けんしゅなりし。 なほ講説こうぜつじょうごうしゅして、 すでにおうじょうせらる。 いはんやわがしょうるところ・さとるところ、 となしてこれをもつてとくとするにらんかと。 大業だいごうねんよりこのかたすなはち講説こうぜつててじょうぎょうしゅす、 一向いっこうにもつぱら弥陀みだぶつねんじて、 礼拝らいはいよう相続そうぞくしてけんなり。

二 ¬浄土論¼云、「沙門道綽法師者、亦是并州晋陽人也。乃是前高徳大巒法師三世已下懸孫弟子ナリ。講↢¬涅槃経¼一部↡、毎常ツネニ嘆↢詠巒法師智徳高遠コトヲ↡。自云、相去千里ニシテ懸殊ナリシ。尚捨↢講説↡修シテ↢浄土↡、已↢往生↡。況我少子所↠知・所↠解、足ンカ↢為シテ↠多↠此ルニ↟徳。従↢大業五年↡已来即捨0211テヽ講説↡修↢浄土行↡、一向念↢阿弥陀仏↡、礼拝供養相続シテ無間ナリ

じょうがんらいえんかいせんがために、 時々じじ ¬りょう寿じゅかんぎょう¼ 一巻いっかん敷演しゅえんし、 へい晋陽しんよう大原たいげん汶水びんすい三県さんけん道俗どうぞく示誨じけす、 七才しちさいじょう、 ならびに弥陀みだぶつねんずることをさとる。 じょうしょうじんの者もの小豆あずきもちゐてかずとなして、 弥陀みだぶつねんずること八十はちじっこくあるいは十石じっこくちゅうしょうじんのものは十石じっこくしょうじんのものはじゅうこくねんず。 もろもろのえんおしへて、 西方さいほうむかひててい便べんせず、 西方さいほうそむきて坐臥ざがせず。 ¬安楽あんらくしゅう¼ りょうかんせんして、 るにおこなふ。

貞観已来為↣開↢悟センガ有縁↡、時時敷↢エンヒラク ¬無量寿観経¼一巻↡、示↢ヲシユ并土晋陽・大原・ビン水三県道俗↡、七才已上、並↠念コトヲ↢弥陀仏↡。上精進↢小豆↡為シテ数、念↢弥陀仏↡得↢八十石或九十石↡。中精進者五十石。下精進者念↢廿五石↡。教↢諸有縁↡、不↧向↢西方↡涕唾便利↥、不↧背↢西方↡坐臥↥。撰↢¬安楽集¼両巻↡、見↢於世↡。

りしじょうがんじゅうねんさいいつがつじゅうにちに、 ことごとく道俗どうぞくわかれる。 三県さんけんうちもんわかれにつきてぜんたず、 かずしるすべきことかたし。 じゅう七日しちにちいたりてげんちゅうにおいて寿じゅじゅうす。 ときびゃくうんあり、 西方さいほうよりきたりて、 へんじて三道さんどう日光にっこうとなる。 おのづからぼうちゅうてっしょうつうすること終訖おわりてすなはちめっす。

貞観十九年歳次イツ巳四月廿四日、悉与↢道俗↡取↠別。三県門徒、就↠別前後不↠断、難↠可↠記↠数。至↢廿七日↡於↢玄忠寺↡寿終。時有↢白雲↡、従↢西方↡来、変為↢三道日光↡。於↢自房中↡徹照通過スルコト終訖 ヲハ ツテ

のちふんりょうく、 ときにまたしきひかりありて三道さんどうなり、 くうちゅうげんず。 えいして日輪にちりんめぐる、 めぐおはりてすなはちとどまる。 またうんあり、 たびふんうえげんず。 おわりおく弟子でしおなじくこのずいる。 もしきょうじゅんじてことわらば、 ならびにこれ諸仏しょぶつ善根ぜんごんちからよくしゅじょうをしてかくのごときのことせしむるか。 また ¬ごんぎょう¼ のせつじゅんずるに、 またこうみょうはなつことを見仏けんぶつづく。 このひかり命終みょうじゅうのものをかくす。 念仏ねんぶつ三昧ざんまいひっ見仏けんぶつ命終みょうじゅう此後しご仏前ぶつぜんしょうずとなり」 と。

↢墳陵↡、時復有↢五色光↡三道ナリ、於↢空中↡現。映シテ遶↢日輪↡、繞乃止。復有↢紫雲↡、三度於↢墳↡現ヲク↠終弟子、同見↢斯↡。若准ジテ↠経コトハラバ、並是諸仏慈善根力能令↣衆生ヲシテ見↢如↠此事↡。又准ルニ↢¬華厳経¼偈説↡、又放↢光明↡名↢見仏↡。此光覚↢悟命終者↡。念仏三昧必見仏、命終此後生↢仏前↡也。」

一二、類聚浄土五祖伝 道綽 瑞応伝

三 ¬瑞応ずいおうでん¼ にいはく、 「とうちょうどうしゃくぜんへいしゅうひとなり。 げんちゅうに ¬かんぎょう¼ をこうずることひゃっぺん三県さんけん七才しちさい、 ならびに然仏ねんぶつさとる。 みづから槵珠げんしゅ穿うがちてひとすすめて念仏ねんぶつせしむ。 ことばつねにえみやどし、 かつておもて西にしそむかず。

三 ¬瑞応伝¼云、「唐朝道綽禅師并州人也。玄忠寺講コト↢¬観経¼↡二百遍0212。三県七才、並解↢然仏↡。自穿ウガチテ↢槵珠↡勧↠人念仏セシム。語常舎↠笑、不↢曾面背↟西

善導ぜんどうかたりていはく、 どうしゃくおそらくはおうじょうせずんや、 ねがはくはじょうりてぶつとくさだめよと。 善導ぜんどう入定にゅうじょうしてぶつひゃくしゃくなるをる。 ひていはく、 どうしゃくげん念仏ねんぶつ三昧ざんまいしゅす、 らず、 この報身ほうじんてておうじょうてんやいなや。 またひていはく、 いづれの年月ねんがつにかしょうずることをんと。 こたへていはく、 るにしきりにおのくだす、 えんなくはともにかたることなかれ、 いえかえるにはすることなかれ。 またしゃくをしてさんせしめよ。 いちにはきょうぞう浅処せんしょあんして、 みづからは安穏あんのんぼうちゅうす。 にはどくつくるにしゅっにん使つかふ、 十方じっぽうそうたいしてさんすべし。 さんには修建しゅけんするにあつまがんしょうしょうそんす、 しゅじょうたいしてさんすべしと。

↢善導↡曰、道綽恐ンヤ↢往生↡、願師入↠定サダメヨ↢仏得否↡。善導入定シテ見↢仏百余尺ナルヲ。問曰、道綽現修↢念仏三昧↡、不↠知、捨↢此報身↡得テンヤ↢往生↡否。又問曰、何年月ニカ↠生コト。答曰、ルニ↠樹シキリ下↠斧、無↠縁莫↢共コト↡、還ニハ↠家莫↠辞コト↠苦。又令↢綽シテ懺悔↡。一者安↢居シテ経像於浅処↡、自居↢安穏房中↡。二者作ルニ↢功徳使ツカ↢出家人↡、対↢十方僧↡懺悔ベシ。三者アツマ↢修建スルニ↡傷↢損含生↡、対↢衆生↡懺悔スベシ

またひたり、 おわらんときいかなる瑞相ずいそうかある、 ひとをして見聞けんもんせしめんと。 こたへていはく、 もうぜんわれびゃくごうはなとお東方とうぼうらす、 このひかりげんぜんときわがくにらいしょうせんと。 亡日もうにちいたりて三道さんどうひかりありて、 びゃくごう房内ぼうないらす。 また曇巒どんらんほっ七宝しっぽういけなかあらわる、 かたりていはく、 じょうすでにじょうずれども、 ほういまだきずと、 うんふんうえたびげんず」 と。

又問タリ、終ラン時有↢何ナル瑞相↡、令↢人シテ見聞↡。答曰、亡ゼン日我放↢白毫↡遠照↢東方↡、此光現ゼン時来↢生セン我国↡。果至↢亡日↡三道アテ、白毫照↢房内↡。又見↢曇巒法師七宝池↡、語曰、浄土已ズレドモ、余報未↠尽、紫雲墳三度現。」

一二、類聚浄土五祖伝 道綽 新修往生伝

四 ¬しんしゅうおうじょうでん¼ (巻中) にいはく、 「しゃくどうしゃくへいしゅうひとなり。 いえててよりこのかためい歴訪れきほうす。 のちふんぜんぎょう兼著けんちょなることをきて、 こころざしおわりしてこれにつかふ。 いで石壁せきへきこくげんちゅういこふ、 てらはすなはち後魏ごぎ曇巒どんらんほっきゅうなり。 らんそのてらにおいてひさしくじょうごうむ。 その亡日もうにちいたりてしきりにしょうあり、 郡人ぐんにんこれをと、 その捃摭くんしゃしてこれをいしきざむ。 しゃくそのもんみて、 いよいよしんふかくす。

四 ¬新修往生伝¼云、「釈道綽并州人ナリ。棄テヨリ↠家已来レキ↢訪名師↡。後聞↢瓉禅師理行兼著コトヲ↡、リシテ↠志事↠之。ツイイコ↢石壁谷玄忠寺↡、寺即後魏曇巒法師旧土也。巒於↢其寺↡久↢浄業↡。至↢其亡日シキリ有↢祥異↡、郡人奇↠之、クンシヤヒロフ シテ其事↡刻↢之於石↡。綽読↢其文↡、弥イヨ↠信

¬はんぎょう¼ をこうずることじゅうへん、 つねにらんほっとく高遠こうおんなるをたんず。 なほ講説こうせつててじょうごうしゅし、 すでにおうじょうたまへり。 いわんやわれしょうするところ、 なんぞとしてこれをたのんでとくとせんにらんやと。 すなはち講説こうせつててじょうぎょうしゅす、 一向いっこうにもつぱら弥陀みだぶつねんずること、 日別にちべつ七万しちまんべんかぎりとなし、 礼拝らいはいよう相続そうぞくしてけんなり。

講↢¬涅槃経¼↡二十余徧、ツネ歎↢巒法師智徳高遠ナルヲ↡。尚捨↢講説↡修↢浄土業↡、已得↢往生↡。況我小子0213↠解スル、何足↢為↠多タノンデ↠此為↟徳。即捨↢講説↡修↢浄土行↡、一向専念↢阿弥陀仏↡、日別七万偏為↠限、礼拝供養相続シテ無間ナリ

えんかいせしめんがために、 つねに ¬かんぎょう¼ をこうずることひゃくへん道俗どうぞく示誨じけするに七歳しちさいじょう弥陀みだぶつねんず。 おしふるに小豆あずきをもつてかずとなす、 じょうしゃねんずることじゅうはちじっこくちゅうしゃねんずること十石じっこくしゃさん十石じっこくなり、 もろもろのえんおしへて、 西方さいほうむかひてだいしょう便べんていせず、 西にしそむきてせず。 声々しょうしょうあひつらなりてじょうごうひろむ。

為↣開↢悟メンガ有縁↡、毎コト↢¬観経¼↡二百余偏。示↢誨スルニ道俗↡七歳已上、念↢阿弥陀仏↡。教ルニ用↢小豆↡為↠数、上者コト得↢九十・八十石↡、中者念コト得↢五十石↡、下者三十石ナリ。教↢諸有縁↡、不↧向↢西方↡大小便利涕唾↥、不↢背↠西坐↡。声々相ツラナツテ弘↢浄土業↡。

つねにぶつくうちゅうじゅうするをてんさんす。 おおきさぜにのごとく、 そのいろせんびゃくにして、 あまねくくうつ。 大衆だいしゅをもつてはなくるに、 人々ひとびとみな七日しちにちえずにあることを。 また ¬安楽あんらくしゅう¼ りょうかんせんして、 るにおこなはる。

毎見↣仏住↢空中↡、天華下散。大如↠銭、其色センアザヤカニシテ、遍満↢虚空↡。大衆以↠手承↠花、人人皆得↢七日不シユ。又撰シテ↢¬安楽集¼両巻↡、見行↢於世↡。

とうじょうがん三年さんねんがつ八日はちにち道俗どうぞくをそのてらあつめて、 如来にょらいごうしょうしめすなり。 かつらんくうちゅうにおいて七宝しっぽうふねるをる。 そのうえによりてしゃくしていはく、 なんぢじょうにおいてどうすでにじょうぜり、 ただしおもんみればほうみょういまだきざるのみぞ。 またぶつさつひょうようくうにあるをる。 しゅすなはちきょうたんしておおきに信服しんぷくしょうず。 それしゅ闡提せんだいひとなりといへども、 またしたがひこれにふくす。 ゆゑをもつてとう初并しょへいふん諸郡しょぐんじょうごうじゅうすることしゃくによりてさかんなり。

唐貞観三年四月八日、道俗集↢其寺↡、示↢如来之降生↡也。カツ見↧鸞於↢空中↡乗↦七宝船↥。由↢其上↡而指↠綽、汝於↢浄土↡堂宇已ゼリ、但ヲモニミレバ報命未↠尽爾。復見↧化仏↢化菩薩↡飄颻在ルヲ↞空。衆乃驚歎シテ大生↢信服↡。雖↢無種闡提之人ナリト、亦シタガ↠之。以↠故初并・汾諸郡重↢ウルフスルコト浄業↡由↠綽ナリ焉。

じょうがんじゅうねんがつじゅうにちやまいふ、 道俗どうぞくしょうかんするものあげしるすべからず。 じゅう七日しちにちいたりておわらんとほっするとき、 またしょうじゅ西方さいほうよりきたることあり、 りょうどうびゃっこうぼうりててっしょう終訖おわりてすなはちめっしぬ。 またひんせんとほっするとき、 またこうありてくうちゅうあらわれぬ、 ひんしおはりてすなはちみぬ。 またうんあり、 とううえたびげんず。 衆人しゅにんおなじくこのずいる」 と。

貞観十九年四月廿四日遇↠疾、道俗省観スル不↠可↢勝↡。至↢廿七日↡欲↠終時、又有↧聖衆↢西方↡来コト↥、両道白光入↠房徹照終訖乃滅シヌ。又欲↠ヒンセントシメ 時、復有↢異光↡於↢空中↡現、殯乃止。復有↢紫雲↡、於↢塔上↡三度現。衆人同見↢斯瑞↡。」

一二、類聚浄土五祖伝 善導

だい0214さん 善導ぜんどうぜん 六伝ろくでん

一二、類聚浄土五祖伝 善導 続高僧伝

一 ¬ぞく高僧こうそうでん¼ の第三だいさんじゅうしち (巻二七) 遺身ゆいしんへん にいはく、 「ちかごろ山僧さんそう善導ぜんどうといふひとあり、 かんしゅうゆうして道津どうしんほうす。 きて西さいいたりてどうしゃくふ、 ただ念仏ねんぶつ弥陀みだじょうごうぎょうず。 すでにけいりて、 ひろくこのぎょうず。 ¬弥陀みだきょう¼ 数万すうまんかんうつすこと、 にょしたがふものそのかずりょうなり。 ときこうみょうにありてほうく。

一 ¬続高僧伝¼第三十七 遺身篇 云、「近ゴロ有↢山僧善導ト云ヒト↡、周コト↢遊シテクワン カド クヘ↡求↢訪道津↡。行↢西河↡遇↢道綽部↡、唯行↢念仏弥陀浄業↡。既入↢京 ミヤコ ↡、広行↢此化↡。写コト↢¬弥陀経¼数万巻↡、士女シタガ者其数無量ナリ。時在↢光明寺↡説↠法

ひとありどうげていはく、 いまぶつみょうねんぜばさだめてじょううまれんやいなや、 どうのいはく、 さだめてうまれなんとさだめてうまれなんと。 そのひと礼拝らいはいしおはりて、 くち南無なも弥陀みだぶつとなへ、 声々しょうしょうあひぎてこうみょうもんでて、 やなぎうえのぼりて、 がっしょうして西にしのぞみてさかさまぐ、 くだりていたりてつひにす、 台省たいせいこゆ」 と。

有↠人告↠導曰、今念ゼバ↢仏名↡定ンヤ↢浄土↡不。導、定ナント生。其人礼拝、口誦↢南無阿弥陀仏↡、声々相次デヽ↢光明寺↡、上↢柳ウヘ↡、合掌シテ西サカサマ↠身、下↠地、事聞↢台セイ↡。」

一二、類聚浄土五祖伝 善導 瑞応伝

二 ¬瑞応ずいおうでん¼ にいはく、 「とうちょう善導ぜんどうぜんせいしゅしゅうひとなり。 おさなきにしてしゅっす。 とき西方さいほう変相へんそうる、 たんじていはく、 いかにしてかまさに蓮台れんだいたくじんじょうましむべし。 かいくるにおよんで、 みょうかいりっとともに ¬かんぎょう¼ をて、 悲喜ひきこもごもにしてすなはちいはく、 ぎょうごうしゅすは迂僻うひにしてじょうじがたし、 ただこの観門かんもんのさだめてしょうえん。

二 ¬瑞応伝¼云、「唐朝善導禅師、姓朱、泗州人也。少ニシテ出家。時見↢西方変相↡、嘆ジテ曰、何シテカベシ↧託蓮台マシム↦神浄土↥。及↠受↢具戒↡、妙開律師↢¬観経¼、悲喜交シテ乃曰、修↢余行業ヨコサマニニシテ難↠成、唯此観門↢生死↡。

つひにしゃくぜんところいたりて、 ひていはく、 念仏ねんぶつまことにおうじょうてんやいなやと。 いはく、 おのおのひとつのれんべんじてぎょうどう七日しちにちせんに、 しぼまずはすなはちおうじょうてんと。 またとうえいほっ ¬ごんぎょう¼ をこうずること十偏じっぺんしゃくぜんどうじょうりて、 三昧さんまいあそびてたんじていはく、 みづからうらむらくはねんむなしく文疏もんしょたずねて身心しんしんいたわしくするのみ、 なんぞ念仏ねんぶつ不可ふか思議しぎなることをせんと。 ぜんのいはく、 きょうじょうごんあり、 ぶつあにもうしたまはんやと。

至↢綽禅師所↡、問曰、念仏実テンヤ↢往生↡否ヤト。師曰、各辨↢一蓮花↡行道七日センニ、不↠萎者即得テント↢往生↡。又東都エイ法師講コト↢¬華厳経¼↡四十偏、入↢綽禅師道場↡、遊↢三昧↡而タンジテ曰、自クハ多年空↢文疏↡労↢身心↡耳、何期↢念仏不可思議ナルコト↡。禅師云、経有↢誠言↡、仏豈妄語タマハンヤ

ぜん平生へいぜいにつねに乞食こつじきねがふ、 つねにみづからめていはく、 しゃなほしすなはちぶんしたまふ、 善導ぜんどう何人なんぴとなればたんしてようもとめん。 ないしゃにてもならびにらいけず、 ¬弥陀みだきょう¼ をうつすことじゅう万巻まんがんじょう変相へんそうすことさんびゃく所見しょけんとうびょうしゅしゅうせざることなし。 仏法ぶっぽうとうぎょうしてよりいまだぜんのごとくさかんなるはなし」 と。

禅師平生↢乞食↡、毎曰、釈迦0215乃分衛メグルタマフ、善導何人ナレバ端居シテモトメン↢供養↡。乃至沙弥ニテモ不↠受↠礼、写コト↢¬弥陀経¼↡十万巻、画コト↢浄土変相↡三百鋪、所見塔廟無↠不↢修シフ↡。仏法東行シテヨリ↠有↢禅師ノゴトク之盛ナルハ↡矣。」

一二、類聚浄土五祖伝 善導 新修往生伝

三 ¬しんしゅうおうじょうでん¼ (巻中) にいはく、 「しゃく善導ぜんどう、 いづこのひとといふことをつまびらかにせず。 かんしゅうゆう道津どうしんほうす。 とうじょうがんうちに、 西さいしゃくぜん方等ほうどうさんぎょうじ、 およびじょうぼんどうじょうにして ¬かんぎょう¼ をこうずるをる。 どうおおきによろこびていはく、 これまことのにゅう仏道ぶつどう津要しんようなり、 ぎょうごうしゅすは迂僻うひにしてじょうじがたし、 ただこの観門かんもんのみすみやかにしょうふ、 われこれをたりと。

三 ¬新修往生伝¼云、「釈善導、不↠ツマビラカ何許イズコト云コトヲ。周↢遊寰宇↡求↢訪道津↡。唐貞観、見↧西河綽禅師行↢方等懺↡、及浄土九品道場ニシテズルヲ↦¬観経¼↥。導大曰、入仏道之津要ナリ、修↢余行業迂僻ウヒニシテ難↠成、惟此観門ノミ速超↢生死↡、吾得タリ↠之矣。

ここにおいてあまねくすすめてしょうすること、 ねんはらふがごとし。 つづけてけいいたり、 四部しぶ弟子でし激発げきほつして、 せんふことなく、 かの屠沽とこやからまでまたきゃくせしむ。 どうどうるにすなはちがっしょう䠒跪こきして一心いっしん念仏ねんぶつす。 ちからくるにあらざればやすまず、 ないかんりょうにもまたすべからくあせながすべし。 このそうじょうをもつてじょうあらわす。 でてはすなはちひとのためにじょうほうきてもろもろの道俗どうぞくし、 道心どうしんおこさしめじょうぎょうしゅす、 ざんやくのためにせずといふことなし。

於↠是アマネ精苦スルコトゴトハラ↢頭燃↡。続至↢京師↡、ゲキハゲマス↢発シテ四部弟子↡、無↠問↢貴賎↡、彼マデ亦撃悟セシム焉。導入↠堂則合掌䠒跪シテ一心念仏。非レバ↢力ルニ↡不↠休、乃至寒冷ニモ亦須↠流↠汗。以↢此相状↡表↢於至誠↡。出デヽハ即為↠人↢浄土法↡化↢諸道俗↡、令↠発↢道心↡修↢浄土行↡、無↠有コト↢暫時コト↟為↢利益↡。

さんじゅうねんべつ寝処しんじょなくして、 しばらくも睡眠すいめんせず。 洗浴せんよくのぞきてほかは、 かつてころもがず。 般舟はんじゅぎょうどう礼仏らいぶつ方等ほうとう、 もつておのがじんとなす。 戒品かいぼん護持ごじして繊毫せんごうおかさず、 かつてげて女人にょにんず。 一切いさいみょうこころねんおこすことなく、 綺詞きししょうまたいまだこれあることなし。 しょぎょうところにはあらそふてようノのぶ、 飲食おんじきぶく四事しじじょうなり。 みなみづかられずならびにもつて回施えせす。 好食こうじきをばだいちゅうおくりてしゅようす、 ただあくじきしてわづかにささふることをにゅうらくだい、 みな飲噉おんだんせず。

三十余年無シテ↢別寝処↡、不↢暫睡眠↡。除↢洗浴↡外、曾不↠脱↠衣。般舟行道・礼仏方等、以↢己ジンタモテ↡。護持シテ戒品セン不↠犯、曾不↣挙↠目視↢女人↡。一切名利無↢心起↟念、綺詞戯セウ亦未↢之有↡。所行之処ニハアラソツテ↢供養↡、飲食・衣服、四事ナリ。皆不↢自入↡並廻施。好食ヲバ送↢大チウ↡供↢養徒衆↡、唯食↢麁0216↡纔得↠支コト↠身。乳・酪・醍醐、皆不↢飲ダン↡。

しょしんもつて ¬弥陀みだきょう¼ をうつすことじゅうまんかんえがくところのじょう変相へんそうさんびゃく余堵よとなり。 所在しょざいところこわれたるらんおよびふる塼塔せんとうらをれば、 みなことごとく営造えいぞうす。 燃灯ねんとう続明しょくみょうとしどしにつねにえず、 さん瓶鉢びんぱつひとをしてせんせしめず。 じゅうあらたむることなくしてもろもろのえんす、 つねにみづからひとぎょうじてしゅとともにらず。 おそらくはひとかば、 世事せじ談論だんろんしてしゅぎょうごうさまたげてんことを。

諸有 シンタテマツリホドコス写↢¬阿弥陀経¼↡十万余巻、所↠画浄土変相三百余ナリカキツク 。所在之処見↢壊タル伽藍及センカハラ塔等↡、皆悉営造。燃灯続明トシドシ不↠絶、三衣瓶鉢不↠使↢人シテ持洗↡。始終無シテ↠改コト↢諸有縁↡、毎ジテ不↢共↠衆去↡。恐クハ与↠人行カバ、談↢論シテ世事↡妨テンコトヲ↢修行↡。

それしばらくも礼謁らいえつもうすこと、 こしむるにしょうほうく。 あるときおなじくどうじょうあずかりまのあたりきょうくんくることを、 あるいはかつて見聞けんもんせざるにはきょうじんし、 あるいは展転てんでんしてじょう法門ほうもんさずく。 けいしょしゅうそうにょ、 あるいはたかみねよりげあるいはいのちふかいずみて、 あるいはみづからたかえだよりし、 きてようするもの、 ほぼおんこへてひゃくにんになんなんとする。 もろもろのぼんぎょうしゅしてさいしゃするもの、 ¬弥陀みだきょう¼ をじゅしてじゅうまんよりさんじゅう万徧まんべんいたるもの、 弥陀みだぶつねんずること一万いちまんせんるよりじゅう万偏まんべんいたるものあり、 および念仏ねんぶつ三昧ざんまいじょうおうじょうするもの、 かずるべからず。

其有レバ↣暫申コト↢礼謁↡、聞シムルニ説↢少法↡。或時ハ得↧同預↢道場マノアタコトヲ↦教訓↥、或会ルニハ↢見聞↡披↢尋教義↡、或展転シテ授↢浄土法門↡。京華諸州僧尼・士女、或投↢身高嶺ヨリ↡或↢命深泉↡、或堕↢高枝ヨリ↡、焚↠身供養スル者、略聞ヘテ四遠ナンナントスル↢百余人↡。諸修↢梵行↡棄↢捨スル妻子↡者、誦↢¬阿弥陀経¼↡十万ヨリ至↢三十万徧↡者、念コト↢阿弥陀仏↡日ヨリ↢一万五千↡至↢十万偏↡者アリ、及得↢念仏三昧↡往↢生浄土↡者、不↠可↠知↠数。

あるものどうひていはく、 念仏ねんぶつぜんじょうしょうずるやと。 こたへていはく、 なんぢが所念しょねんのごとくなんぢが所願しょがんげてんと。 こたへおはりてどうすなはちみづから弥陀みだぶつねんず。 かくのごとくいっしょうするに、 すなはちいちどうこうみょうあり、 そのくちよりづ。 じっしょうより百声ひゃくしょういたり、 ひかりまたかくのごとし。 どうひとにいひていはく、 このいとふべし、 しょ逼迫ひっぱくす、 じょう変易へんやくしてしばらくもそくすることなしと。

或問↠導曰、念仏之善生↢浄土↡耶。対曰、如↢汝所念↡遂ゲテン↢汝所願↡。対導乃自念↢阿弥陀仏↡。如是一声スルニ、則有↢一光明↡、従↢其口↡出。十声ヨリ至↢百声↡、光亦如↠此。導謂↠人曰、此身可↠厭、諸苦逼迫、情偽変易シテ無↢暫休息↡。

すなはちしょてらまえやなぎのぼりて、 西にしむかがんじていはく、 ねがはくはぶつじんしばしばもつてわれをせっしたまへ、 観音かんのんせいまたきたりてわれをたすけたまへ、 わがこのしんをしてしょうねんしっせずきょうおこさず、 弥陀みだほうなかにおいてもつて退たいしょうぜざらしめたまへと。 がんじおはりてそのうえにおいてぜつす。 ときけいだいまことかたむけてしんじて、 ことごとくそのほねおさめてもつてそうす。 高宗こうそう皇帝こうていその念仏ねんぶつするにくちよりこうみょうづるをりたまへり。 また捨報しゃほうときしょういたりてかくのごとくなるをりたまふ。 がくたまひてこうみょうとなす」 と。

乃登↢所居寺前↡、西向願ジテ、願威神シバシバ以接タマヘ↠我、観音・勢至亦来助タマヘ↠我、令↫我ヲシテ不↠失↢正念↡不↠起↢驚怖↡、不↪於↢弥陀法↡以0217↩退堕↨。願於↢其樹↡投↠身自絶。時京師士大夫傾↠誠ジテ、咸↢其骨↡以。高宗皇帝知タマヘリ↣其念仏スルニヨリルヲ↢光明↡。又知タマフ↢捨報之時精至如ルヲ↟此。賜↢寺額↡為↢光明↡焉。」

一二、類聚浄土五祖伝 善導 新修往生伝

四 また (新修往生伝巻中) いはく、 「とうおうじょう高僧こうそう善導ぜんどうりんひとなり。 おさなくしてしのびてしゅう明勝みょうしょうほっいたりて、 しゅっして ¬ほっ¼・¬ゆい¼ をじゅす。 たちまちにみづからおもひていはく、 きょうもん一道いちどういちるにあらざるに、 もしかなはずんはこうすなはちいたづらにもうけてん。 これにおいて大蔵だいぞうきょうきて、 まかせてこれをさぐる、 ¬りょう寿じゅかんぎょう¼ を、 すなはちよろこびてじゅう六観ろっかんじゅしゅうして、 つねにあきらかにゆいす。 まこと西方さいほうげてもつて冥契めいけいとす、 おんほっ勝躅しょうちょくねがひて、 つひにざんじゅうしてその遺範ゆいはんて、 すなはち豁念かくねんとしておもいす。

四 又云、「唐往生高僧善導、臨人也。幼シテイタツテ↢密ビテ明勝法師↡、出家シテ↢¬法華¼・¬維摩¼↡。忽曰、教門非↠入ルニ↢一道・一途↡、若不ンバカナ↠機功即徒ラニマウケテン。於↠是イテ↢大蔵経↡、マカセテ↠手サグ↠之、得↢¬無量寿観経¼↡、便喜誦↢習於十六観↡、恒思惟ゲテマコト西方↡以為↢冥契メイケイ↡、欣↢恵遠法師チヨクアト ↡、遂↢盧山↡観↢其遺ハン↡、乃クワクトシテ↠思

それより名徳めいとくりゃくほうして、 はるかにみょうもんもとむ。 こうすくなくしてふかきことは、 いまだ般舟はんじゅ三昧ざんまいよりでたるものはあらず、 いのちをそのどうへといへり。 のちしゃくしゅうなんしんのがれて、 いまだ数載しゅさいえざるに、 観想かんそうわすれすでにじんみょうじょうず。 すなはち定中じょうちゅうにおいてつぶさに宝閣ほうかくようこんるに、 あたかも目前もくぜんにあり、 ていきょうして、 げてぐ。 すでに勝定しょうじょうほうしたがひてものす。

自後ソレヨリリヤク↢訪シテ名徳↡、ハルカ↢妙門↡。功スクナクシテ理深コトハ、未↠有↧出↢般舟三昧ヨリ↥、畢ヘト云ヘリ↢命↡。後ノガレシヤク終南悟真寺↡、未ルニ↢数載↡、観想忘↠成↢深妙↡。便於↢定中ツブサルニ↢宝閣・ヨウ池・金座↡、アタカ↢目前↡、涕泗ケウシテ、挙↠身投↠地。既獲↢勝定↡、随↠方利↠物

はじめしゃくぜん晋陽しんよう開闡かいせんすときて、 せんとおしとせずしたがひてしんはんとほっす。 とき玄冬げんとうのはじめにふ、 かぜ落葉らくようひるがえしてじんきょうつ、 つひに瓶鉢びんぱつひっさしたがへて、 なかりてあんす。 一心いっしん念仏ねんぶつして、 おぼへざるにすでに数日しゅにちわたる。 すなはちくうちゅうこえあつてけばいはく、 すすくことをべし、 所在しょざい遊履ゆりまたかいすることなけんと。

初聞↢綽禅師晋陽センスト↡、欲↧不↠遠↢千里↡シタガツテ而問↞津。時↢玄冬之首メニ↡、風ヒルガヘシテ↢落葉キヤウ↡、遂ヒツサシタガヘテ瓶鉢↡、入↠中安坐。一心念仏シテ、不ルニヲボワタ↢数日↡。乃聞ケバ↢空中アテ↡曰、可↠得↢スヽコトヲ↡、所在遊↢復テイクエサワリニスルコト

つひにあな進程しんていしてしゃくぜんところいたりて、 しゅくしんてんす。 しゃくこうすなはち ¬りょう寿じゅきょう¼ をじゅす。 どうかんひらきてこれをしょうするに、 このごろるところ宛在えんざいせり。 よりてすなはち入定にゅうじょうして七日しちにちたず。

出↠坑アナテイシテ↢綽禅師所↡、展↢会シユク↡。綽公即0218授↢与¬無量寿経¼↡。道披↠巻詳スルニ↠之、比来コノゴロ↠観エンセリ。因即入定シテ七日不↠起。

あるひとどうひていはく、 弟子でし念仏ねんぶつす、 おうじょうんやいなやと。 どう一茎ひとくきれんべんぜしめこれを仏前ぶつぜんきてぎょうどう七日しちにちせんに、 はなすいせずんばすなはちおうじょうてんと。 これによりて七日しちにちするに、 ねんとしてはなばまず。

↠導曰、弟子念仏、得ンヤ↢往生↡否。導令↠ベン↢一茎蓮花↡置↢之仏前↡行道七日センニ、花不ンバスイ↡即得テント↢往生↡。依↠之七日スルニ、果然トシテ花不↢萎黄バマ↡。

しゃくそのふかいたれることをたんじてよりて入定にゅうじょうしてまさにしょうずることをべきかいなかをたまへとしょうず。 どうすなはち入定にゅうじょうしてしゅほうじていはく、 まさにつのつみさんずべし、 まさにおうじょうすべし。 いちにはむかしぶつ尊像そんぞうあんぜんに簷庸えんようしたきて、 みづからは深房じんぼうしょす。 にはしゅっにん駆使くししゃくやくす。 さんにはおく営造えいぞうしてむしいのちそんしょうす。 よろしく十方じっぽうぶつまえ第一だいいちつみさんし、 ほうそうまえだいつみさんし、 一切いっさいしゅじょうまえ第三だいさんつみさんすべしと、 しゃくこうしずかにおうおもひ、 みないはくむなしからずと。 ここにおいて洗心せんしんしゃすることおはりてどうまみゆ。 すなはちいはく、 つみめっせり。 のちにまさにびゃっこうありて照燭しょうしょくすべし、 これおうじょうそうならんと。

タンジテ↢其深イタレルコトヲ↡因請↣入定シテタマヘト↢当↠得↠生否↡。導即入定シテ須臾曰、師当↠懺↢三↡、方可↢往生↡。一者師ムカシゼンニ↢仏尊像↡在↢簷庸エンヨウ↡、自↢深房↡。二者使シヤク↣役出家人↡。三者営↢造シテ屋宇↡損↢傷↡。師宣於↢十方仏前↡懺↢第一↡、於↢四方僧前↡懺↢第二罪↡、於↢一切衆生前↡懺ベシ↢第三罪↡。綽公静思↢往咎↡、皆曰不↠虚。於↠是洗心悔謝スルコトマミ↠導。即曰、師罪滅セリ矣。後当↧有↢白光↡照燭↥、是師往生之相ナラント也。

どう京輩けいはいうるおし、 道俗どうぞくこころするものいちのごとし。 のちしょじゅういんうちにおいてじょう変相へんそうえがく、 たちまちにもよおしてすみやかにじょうじゅせしむ。 あるひとそのゆゑをかたりて、 すなはちわれまさにおうじょうせんとす、 じゅうすることさんりょうゆうなるべきのみと。 忽然こつねんとしてしつあつてしつおおふ。 ねんしてちょうせいす、 春秋しゅんじゅうろくじゅう身体しんたいにゅうなんにして、 容色ようしきつねのごとし、 こうおんがくひさしくしてほうきぬ。 ときえいりゅうねん三月さんがつじゅうにちなり」 と。

化洽↢京輩↡、道俗帰スル↠心者如↠市。後於↢所住寺院↡画↢浄土変相↡、忽シテ令↢速成就↡。或カタツテ↢其↡、則吾将↢往生セント↡、可↢住コト三両夕ナル而已ノミ。忽然トシテ微疾アテシチ。怡ヨロコブシテ長逝、春秋六十九。身体柔軟ニシテ、容色如↠常、異香・音楽久シテ而方キヌ。時永隆二年三月十四日。」

一二、類聚浄土五祖伝 善導 念仏鏡

五 ¬念仏ねんぶつきょう¼ (巻本) にいはく、 「善導ぜんどうじゃ西さいきょううちりて、 金剛こんごうほっと、 念仏ねんぶつしょうれつ校量こうりょうして、 こうのぼりつひにがんおこしていはく、 しょきょうなかそんせつじゅんずるに、 然仏ねんぶつ一法いっぽうじょうしょうずることを一日いちにち七日しちにち一念いちねんじゅうねん弥陀みだぶつ、 さだめてじょうしょうず。

五 ¬念仏鏡¼云、「善導闍梨在↢西京寺↡、与↢金剛法師↡、校↢量シテ念仏勝劣↡、昇↢高座↡遂発シテ↠願言、准ズルニ↢諸経世尊↡、然仏一法得↠生↢浄土↡、一0219日・七日、一念・十念阿弥陀仏、定↢浄土↡。

これ真実しんじつにしてしゅじょうあざむかざれば、 すなはちこのどうなかぞうつかはしてそうじてひかりはなたさせたまえ、 もしこの念仏ねんぶつほうあくにしてじょうしょうぜずしゅじょう誑惑おうわくせば、 すなはち善導ぜんどうをしてこのこううえにおいてすなはちだいごくし、 じょうけてながづるあらざらしめたまへと。 つひににょじょうをもつて一堂いちどうなかぞうすに、 ぞうみなひかりはなてり」 と。

此是真実ニシテ不↠誑↢衆生↡者、則遣シテ↢此堂二像↡総放↠光、若此念仏法悪ニシテ不↠生↢浄土↡誑↢惑セバ衆生↡、即遣↧善導ヲシテ於↢此高座↡即堕↢大地獄↡、長時↠苦永↦出期アラ↥。遂↢如意杖↡指↢一堂↡、像皆放↠光。」

一二、類聚浄土五祖伝 善導 龍舒浄土文

六 ¬りゅうじょじょうもん¼ (巻五) にいはく、 「善導ぜんどうじょうがんうちに、 西さいしゃくぜんじょうぼんどうじょうたまふ。 ここにおいてあつつとしょうすること、 ねんはらふがごとくにす。 つねに禅堂ぜんどうがっしょう胡跪こきして一心いっしん念仏ねんぶつす。 ちからくすにあらざればやすまず、 かんぴょうといへどもまたもちゐてあせながしてもつてじょうあらわすべし。 でてすなはちしゅのためにじょう法門ほうもんき、 ざんやくのためならざることなし。 さんじゅうねんしばらくも睡眠すいめんせず。 般舟はんじゅぎょうどう礼仏らいぶつ方等ほうとう、 もつぱらおのがじんとなす。

六 ¬龍舒浄土文¼云、「善導貞観タマフ↢西河綽禅師浄土九品道場↡。於↠是アツ勤精苦スルコト、若ニスハラウガ↢頭燃↡。毎入↢禅堂↡合掌胡跪シテ一心念仏。非レバ↢力ツクスニ↡不↠休、雖↢寒氷↡亦モチヰ↣流シテ↠汗↢至誠↡。出デヽ即為↠衆説↢浄土法門↡、無↢暫時コト↟為↢利益↡。三十余年不↢暫睡眠↡。般舟行道・礼仏方等、専↢己↡。

戒品かいぼん護持ごじして繊毫せんごうおかさず、 いまだむかしよりげて女人にょにんず。 こころみょうちて、 もろもろのしょうとおざかる。 しょぎょうところきよめてようす、 飲食おんじきぶくあまりあれば、 みなもつて回施えせす。 好食こうじきをばだいおくりてしゅし、 あくをばみづからじきす。 にゅうらくだい、 みな飲噉おんだんせず。 あらゆるしんもつて ¬弥陀みだきょう¼ じゅうまんかんうつし、 じょう変相へんそうさんびゃくへきえがく。 やぶれたるてらおよびとうては、 みなことごとく修営しゅえいし、 燃灯ねんとう続明しょくみょう毎歳まいさいえず、 さん瓶鉢びんぱつひとをしてせんせしめず。 じゅうあらたむることなし。 しゅおなじくかざることは、 おそらくは世事せじだんじてしゅぎょうごうさまたげんことを。 展転てんでんしてじょう法門ほうもんさずくるもの、 げてかぞふべからず。

護持シテ↢戒品↡繊毫不↠犯、未↣ムカシヨリ↠目視↢女人↡。絶↢意名利↡、遠↢諸戯笑↡。所行之処↠身供養、飲食・衣服有レバ↠余ミナ廻施。好食ヲバ送↢大↡供↠衆、麁悪ヲバ自食。乳・酪・醍醐、皆不↢飲噉↡。諸有ユル䞋施用写↢¬阿弥陀経¼十万余巻↡、画↢浄土変相三百余壁↡。見テハ↢壊寺及塔↡、皆悉修営、燃灯続明毎歳不↠絶、三衣瓶鉢不↠使↢人シテ持洗↡。始終無↠改コト。不コトハ↢与衆同↡、恐ジテ↢世事↡妨ゲンコトヲ↢修行↡。展転シテ↢浄土法門、不↠可↢アゲ↡。

あるひとどうひていはく、 念仏ねんぶつぜんじょうしょうずるやいなやと。 こたへていはく、 なんぢが所念しょねんのごとくなんぢが所願しょがんぐ。 これにおいてどうみづから弥陀みだぶつねんずることいっしょうするに、 すなはち一道いちどうこうみょうありて、 そのくちよりづ。 じっしょうよりもつて百声ひゃくしょういたる、 こうみょうまたかくのごとし。

↠導云、念仏之善生↢浄土↡否0220。答云、如↢汝所念↡遂↢汝所願↡。於↠是導自念コト↢阿弥陀仏↡一声スルニ、則有↢一道光明↡、従↢其口↡出。十声ヨリ以至↢百声↡、光明亦如↠此。

そのかんにいはく、 漸々ぜんぜんけいかくはつ看々カンカンぎょうりょうしょうす。 たとひゆたかこんぎょくどうつとも、 衰残すいざんろうびょうまぬかれがたし。 これにまかせてたびらくすれども、 じょうつひにこれ到来とうらいす、 ただけいしゅぎょうあり、 ただ弥陀みだぶつねんぜよ。

其勧化云、漸々ケイトリ ハタヽキ カクシラガ ハツヲヒタリ看看カンカン行歩躘シヨウ。仮饒金玉満↠堂、難↠免↢衰残老病↡。任是タビ快楽スレドモ、無常終是到来、唯有↢径路修行↡、但念↢阿弥陀仏↡。

のちひとにいひていはく、 このいとふべし、 われまさに西にしかえりなんとすと。 すなはちてらまえやなぎのぼり、 げてぜつす。 高宗こうそうその念仏ねんぶつくちよりこうみょうだし、 また捨身しゃしんときしょういたりてかくのごとくなるをたまひて、 てらがくたまひてこうみょうとなす。

↠人曰、此可↠厭、吾将↢西帰ナント↡。乃登↢寺前↡、投↠身自絶。高宗見タマテ↧其念仏ヨリ↢光明↡、又捨身時精至如ナルヲ↞此、賜↢寺↡為↢光明↡。

うんしき懺主さんしゅりゃくでんにいはく、 弥陀みだぶつしんなり。 ちょうあんいたりて滻水さんすいこえく、 すなはちいはく、 念仏ねんぶつおしふべしと。 三年さんねんのちちょうあん城中じょうちゅうちて念仏ねんぶつす。 のちほっしょうだいといふひとあり、 すなはち善導ぜんどうしんなり」 と。

慈雲式懺主略伝云、阿弥陀仏化身ナリ。至↢長安↡聞↢滻水声↡、乃曰、可↠教↢念仏↡。三年↢長安城中↡念仏。後↢法照大師ト云人、即善導後身也。」

一二、類聚浄土五祖伝 懐感

だい四位しい かんほっ でん

一二、類聚浄土五祖伝 懐感 大宋高僧伝

一 ¬大宋だいそう高僧こうそうでん¼ の第六だいろく 義解ぎげへん にいはく、 「しゃくかんは、 いづこのひとといふことをらす。 強棹ごうかんへいし、 しょうしてしたがふ。 じんらざればいまだもつてたりとせず。 ほうおなじくこのむよりしてつきて霧市むしす。 ただしぶつねんずることしょうにしてただちにあんにょうしょうずることをしんぜず、 ひょういまだけず。

一 ¬大宋高僧伝¼第六 義解篇 云、「釈懐感、不↠知↢何許人云コトヲ↡也。ヘイ↢持強カン↡、精苦シテ従↠師。義不レバ↠入↠神↢以為↟得リト。四方ヨリシテ焉。唯不↠信↣念コト↠仏小時シテタヾチニコトヲ↢安養↡、疑氷未

つひに善導ぜんどうえっしてもつて*ゆうけっす。 どうのいはく、 きょうつたへてひとす、 しんじてのちこうぜんとやする、 びょうぼうとしていたることなしとするやと。 かんのいはく、 諸仏しょぶつじょうごんしんぜざればこうぜずと。 どうのいはく、 もし所見しょけんのごとくならば、 念仏ねんぶつおうじょうせしむること、 あにこれせつならんや。 もしこれをしんじてこころいた念仏ねんぶつせば、 まさにしょうげんあるべしと。

シテ↢善導↡用決↢猶予↡。導曰、子伝↠教↠人、為↢信ジテトヤ↡、為ルヤベウカスカバウトシテシトイタルコト。感曰、諸仏誠言不レバ↠信不↠講。導曰、若如ナラバ↢所見↡、令ルコト↢念仏往生↡、豈是魔説ナラン耶。子若信ジテ↠之至↠心念仏セバ、当↠有↢証験↡。

よりてどうじょうりてさん七日しちにちするに、 霊瑞れいずいず。 かんざいしょうふかきことをこんして、 じきちていのちへんとほっす。 ゆるさず、 つひにしょうけんにして三年さんねん念仏ねんぶつせしめて、 のちたちまちに霊瑞れいずいかん金色こんじきぎょくごうて、 すなはち念仏ねんぶつ三昧ざんまいしょうす。

乃入↢道0221↡三七日スルニ、不↠覩↢霊瑞↡。感持恨↢罪障深コトヲ↡、欲↢絶↠食畢↟命。不↠許、遂↢精ケンニシテ三年念仏↡、後忽感↢霊瑞↡見↢金色玉毫↡、便証↢念仏三昧↡。

宿むかしごうおもくしてみだりに衆しゅけんこうずることをこんして、 さんほつしてすなはち ¬けつろん¼ 七巻しちかん すなはち ¬ぐんろん¼ これなりじゅつす。 りんじゅうにはたしてぶつありて来迎らいこうしたまふ、 がっしょうして西にしむかひてけり」 と。

悲↣恨シテ宿垢業重シテミダリコトヲ↢衆ケントガ↡、懺悔発露シテ乃述↢¬決疑論¼七巻 即¬群疑論¼是也。臨終果シテ有↢化仏↡来迎シタマフ、合掌シテ向↠西往矣。」

一二、類聚浄土五祖伝 懐感 瑞応伝

二 ¬瑞応ずいおうでん¼ にいはく、 「かんほっちょうあん千福せんぷくす。 ひろきょうてんつうずれども、 念仏ねんぶつしんぜず、 善導ぜんどうしょうひていはく、 念仏ねんぶつこといづれのもんにかあると。 こたへていはく、 きみよくもつぱらぶつねんぜよ、 まさにみづからしょうあるべしと。 またふ。 すこぶるぶつるやいなやと。 のいはく、 ごんなんぞうたがふべきか。 さん七日しちにちげてどうじょうりたまふに、 いまだそのおうあらず。 みづからつみふかきことをうらみて、 じきちていのちへんとほっす。 とどめてゆるさず、 三年さんねんこころざしをもつぱらにしてつひにぶつ金色こんじきぎょくごうることを

二 ¬瑞応伝¼云、「感法師居↢長安千福寺↡。博通ズレドモ↢経典↡、不↠信↢念仏↡、問↢善導和尚↡曰、念仏之事在↢何門ニカ↡。答曰、君能専念ゼヨ↠仏、当↢自有↟証。又問。頗見↠仏否。師曰、言語何可↠疑哉。遂ゲテ↢三七日↡入タマフニ↢道場↡、未↠有↢其応↡。自恨↢罪コトヲ↡、欲↢絶↠食畢↟命。師トヾメテ而不↠許、三年専シテ↠志遂得↠見コトヲ↢仏金色玉毫↡。

三昧さんまいしょうとくして、 すなはちみづから ¬おうじょうけつろん¼ 七巻しちかんつくる。 りんじゅうぶつこうす、 がっしょうして西にしよりきたる」 と。

証↢得シテ三昧↡、乃自造↢¬往生決疑論¼七巻↡。臨終仏迎、合掌シテ西ヨリ来。」

一二、類聚浄土五祖伝 少康

だい五位ごい しょうこうほっ 三伝さんでん

一二、類聚浄土五祖伝 少康 大宋高僧伝

一 ¬大宋だいそう高僧こうそうでん¼ のだいじゅう 読誦どくじゅへん にいはく、 「しゃくしょうこうは、 ぞくしょうしゅう縉雲しんうんせんさんひとなり。 はは、 よりてゆめみらく、 ていほうあそぶ、 ぎょくにょしょうれんをたてまつるをさずけていはく、 このはなきっしょうなり、 なんぢがところりて、 のち貴子きししょうぜん、 ねんごろにまさにしゃくすべしと。 こうしょうずるおよびて、 しょうこうしつち、 かおりきょる。

一 ¬大宋高僧伝¼第廿五 読誦篇 云、「釈少康、俗姓シウシン雲仙都山人也。母羅氏、因ラク、遊↢鼎湖峯↡、得↣玉女ルヲ↢青蓮↡、授曰、此花吉祥ナリ、寄↢於汝所↡、後生↢貴子↡、ネンゴロ↢保惜↡。及↢生↠康之日↡、青光満↠室、香似↢ハチス キヨハチス↡。

繃褓ほうほうとしおよんで、 まなこあおくちびるあかしろし、 ぶつ一相いっそうたり、 つねにたんしてえみふくむ。 ときごうちゅうそうくするひと、 これを、 このそうさいものいはずんばわれらずといふなり。 としはじめて七歳しちさいにしていだきてりょうぜんうちりて、 ぶつしょうにちしょうようらいす、 ははこうひていはく、 るかいなかと。 たちまちにことばはっしていはく、 しゃ牟尼むにぶつと。 くものみなこれをあやしむ、 けだしうまれてよりこのかたごんせざればなり。

オヨンデ↢繃之年↡、眼碧歯白、得タリ↢仏之一相↡、恒端座シテ含↠笑。時スル↠相0222↠之、此子恃相之才、不ンバモノイト云↠知也。年ハジメ七歳ニシテイダイテ↢霊山寺↡、仏生日礼↢聖容↡、母問↠康曰、識否。忽発シテ↠言云、釈迦牟尼仏。聞モノ皆怪シム↠之、尽ヨリレバ也↢言語↡也。

これによりて父母ぶもそれをててしゅっせしむ。 としじゅうゆうにしてじゅするところのきょうすでに五部ごぶふ。 えつしゅうじょうにおいてかいけ、 すなはちこのてらにつきて毘尼びにがくす。 五夏ごげのちじょうげんりゅうこうきて、 ¬華厳ほけきょう¼・¬瑜伽ゆがろん¼ をく。

↠是父母捨テヽ↠其出家セシム。年十有五ニシテ所↠誦之経已↢五部↡。於↢越周嘉祥寺↡受↠戒、便就↡学↢毘尼↡。五夏之後、往↢上元龍興寺↡、聴↢¬華厳経¼・¬瑜伽論¼↡。

じょうげんのはじめ洛京らくけいはくいたる、 殿でんものひかりはなつをる、 つひにさぐりていづれのきょうぼうとかする、 すなはち善導ぜんどう西方さいほうどうぎょうぜるもんなり。 こうかんしてこれをじゅしていはく、 われもしじょうえんあらば、 ねがはくはこのじくもんよりこのひかり再現さいげんせよと。 ちかふところわづかにおわりて、 はたしてかさねてひらめきてかがやく。 なかぶつさつありてかぞふることなし。 つひにちょうあん善導ぜんどう影堂えいどううちきて、 ねがはくは善導ぜんどうんとふ。 真像しんぞうして仏身ぶっしんとなり、 こうにいひていはく、 なんぢわがせつによりて、 しゅじょうらくせば、 おなじくあんにょうしょうずと。

貞元初至↢于洛京白馬寺↡、殿放↟光ツイグリ↢何経法トカ↡、乃善導ゼル↢西方化道↡文也。康見歓喜シテ↠之曰、我若与↢浄土↡有↠縁、惟此ヨリ光再現セヨト。所↠誓纔、果シテヒラメカヾヤタリ。中有↢化仏・菩薩↡無↠算。遂イテ↢長安善導影堂↡、乞↣願ント↢善導↡。真像化シテ為↢仏身↡、謂↠康曰、汝依↢吾施設↡、利↢楽セバ衆生↡、同生↢安養↡。

こうしょしょうあるがごとく、 みなみのかたこうりょうがんいたりて、 ひとりのほっふ。 こうにいひていはく、 なんぢひとせんとおもはば、 ただちにしんじょうきて、 えんかしこにありと。 いひおはりてえず、 ただ香光こうこうのみありて、 西にしのぞみてりぬ。

康如↠有↢所証↡、南ノ方↢江陵果願寺↡、遇↢一法師↡。謂↠康曰、汝欲ハヾ↠化↠人タヾチ↢新定↡、縁在リト↢於。言ヲワツテ不↠見タヾ↢香光ノミ、望↠西而去

睦郡ぼくぐんいたるにおよんで、 しろりて乞食こつじきしてぜにては、 しょういざなきてよく弥陀みだぶつねんぜしむ、 いっしょうにすなはち一銭いっせんく。 のちつきあまりをるにがいじゅ䗳慕ねがふもの念仏ねんぶつす。 おおくはすなはちぜにきゅうす。 かくのごとく一年いちねんするに、 およそ男女なんにょこうてはすなはち弥陀みだぶつといふ。

ヲヨンデ↠到↢ボク↡、入↠城乞食シテテハ↠銭、誘イテ小児↡能シム↢阿弥陀仏↡、一声即付↢一銭↡。後ルニ↢月余ガイジユ䗳慕ネガフモノ念仏。多者即給↠銭。如↠是一年スルニ、凡男女見テハ↠康則云↢阿弥陀仏↡。

つひにろんざんにおいてじょうどうじょうて、 だんくことさんきゅうす、 ひとあつめて午夜ごやぎょうどうし、 しょうさんじゅうけいじょうぐんしょうようす。 つねに斉日さいにちふ、 しょ三千さんぜんばかりのひとうんじゅうしてのぼり、 男女なんにょ弟子でしをしてこう面門めんもんのぞましめ、 すなはちこうしょう弥陀みだぶつとなふるに、 ぶつくちよりづ、 しきりにじっしょうじゅす、 じゅうぶつたまつらねたるかたちのごとし。 げていはく、 なんぢ仏身ぶっしんればすなはちおうじょうてんと。

於↢烏龍山↡建↢浄土道場↡、クコト↠壇キウコシ、聚↠人午夜行道、唱讃二十四ケイ、称↢揚浄郡↡。毎↢斉日0223↡、雲↢集シテ所化三千許人↡登↠座、令↣男女弟子ヲシテ望↢康面門↡、即高声ルニ↢阿弥陀仏↡、仏従↠口出、シキリ誦↢十声↡、十仏若↢連↠珠↡。告曰、汝見↢仏身↡即得テン↢往生↡。

じょうげんじゅう一年いちねんじゅうがつをもつて、 しゅしめして嘱累ぞくるいす、 ただきゅうじょうしゅすことをすすむ、 いひおはりて跏趺かふして、 よりこうみょうはなちてきぬ、 てんいろへんして、 きょうふうよもおこり、 百鳥ひゃくちょうめいす、 ろんざんいちしろへんず。 いま墳塔ふんとうしゅうとうたいがんぞんず。 としひさしくしてただ方石ほうせきのみのこれり、 いしかたわらつち相伝そうでんしてやまいりょうすと。 しゅうみんおよそしゅびょうかかれる、 ことごとくこうつちりて、 ぶくすにしたがひておおゆ。 いしすみくるまあとのごとし。

以↢貞元廿一年十月↡、示↠衆嘱累ゾクルイタヾ↣急コトヲ↢浄土↡、言畢跏趺シテ、身ヨリ↢光明↡而逝。天色斗変シテ、狂風ヨモ、百鳥悲鳴、烏龍山也一時↠白。今フン塔存↢于州東台子巌↡。歳久シテ唯余レリ↢方石ノミ↡、石之土、相伝スト↠疾。州民凡カヽレル↢衆病↡、悉↠香↠土、随↠服。石之四隅ゴト↢車アト↡。

かん乾祐けんゆう三年さんねんに、 天台てんだいさんとくしょうぜん、 かさねてそのとうて、 いまにいたりてこうしょうなり、 とき善導ぜんどうごうす、 げていはく、 こうじゅつするところのさん、 みな鄭衛ていえいこえ附会ふえする、 へんじてたいしてつくる。 あいにあらずらくにあらず、 おんにあらずにあらず、 なかしょするきょくいんたり、 たとへばぜんしゃくみつをもつてくちさからふるくすりりて、 よういざなへてくちるるがごときのみ。 まことに大権だいごんにっにあらずは、 なんぞよくこの方便ほうべんめぐらさんと、 ごくすものか。 ぶつとなへてぶつぎょうくちよりしてだす、 善導ぜんどうにこれとおなじくぶつをなす、 ゆゑにしょうえんにあらず」 と。

漢乾祐三年、天臺山徳韶禅師、重建↢其塔↡、至↠今高シヤウサカリ、時↢後善導↡焉。ケイツグシテ曰、康↠述偈讃、ミナ附↢会スルテヽ之声↡、変ジテシテ而作。非↠哀非↠楽、不↠怨不↠怒、得タリ↢処スル↠中曲韻↡、タトヘバ↧善医以↢錫蜜ツテ↢逆↠口之薬↡、誘ヘテヤウ↡之入↞口耳。マコト↢大ゴン入仮↡、何メグラ↢此方便↡、度↢無極↡者乎。唱↠仏仏形従↠口而出、善導↠此↢仏事↡、故非↢小縁↡哉。」

一二、類聚浄土五祖伝 少康 新修往生伝

二 ¬しんしゅうおうじょうでん¼ (巻下) にいはく、 「しゃくしょうこう縉雲しんうんせんひとなり。 ははゆめていみねあそびて、 ぎょくにょしょうれんをたてまつりてこれをさずくるを、 かついはく、 このはなきっしょうなり。 これをなんぢにさずく、 まさに貴子きししょうずべしと。 こうしょうずるにおよびて、 しょうこうしつち、 かおりきょる。 としじゅうゆうにして ¬ほっ¼・¬りょうごん¼ とうきょう五部ごぶじゅす、 毘尼びにたずきわめて、 および ¬ごん¼・¬瑜伽ゆが¼ の諸論しょろんく。

二 ¬新修往生伝¼云、「釈少康、シン雲仙都ナリ。母羅氏、夢↢鼎湖↡、得↧玉女奉↢青蓮花↡授↞之、且曰、此花吉祥ナリ。授↢之於汝↡、当↠生↢貴子↡。及↢生↠康↡、青光満↠室、香似↢芙キヨ↡。年十有五ニシテ誦↢¬法花¼・¬楞厳¼等経五部↡、尋0224↢究毘尼↡、及聴↢¬花厳¼・¬瑜伽¼諸論↡。

貞元ていげんはじらくはくいたる、 殿内でんないもんのしきりにこうみょうはなつをる、 こうはかることあたはず。 すすみてこれをさぐるに、 すなはち善導ぜんどうむかし西にしかたどうをなすもんなり。 こういはく、 もしじょうにおいてえんならば、 まさにこのもんをしてこうみょうふたたびほっすべしと。 所願しょがんいまだおはらざるに、 はたしてかさねてせんしゃくす。 こういはく、 こうしゃくうつすべくともわががんかわることなからんと。

貞元初至↢洛下白馬寺↡、見↣殿内文字シキリツヲ↢光明↡、康不↠能↠ハカルコト。前而探↢取ルニ↡、乃善導為↢西方化道↡文也。康曰、若於↢浄土↡有縁、当↠使此文ヲシテ光明再発↡。所願未ルニ↠已、果シテ閃爍。康曰、劫石クトモ↠移而我願無ランカハルコト

つひにちょうあん善導ぜんどう影堂えいどうきて、 おおいに薦献せんけんちんす。 まさに薦献せんけんぶるとき、 たちまち善導ぜんどう遺像ゆいぞうれば、 くうちゅうのぼりてこうにいひていはく、 なんぢわがによりてじょうらくせよ、 すなはちなんぢがこうおなじく安楽あんらくしょうじてんと。 こうそのことばきてしょしょうあるがごとし、 みなみのかたこうりょうがんくに、 みちにしてひとりのそうへり。 いひていはく、 ひとせんとおもはば、 まさにしんじょうくべしと。 いひおはりておんす。

イテ↢長安善導影堂↡、大セン ケンノベタテマツル↡。方ブル↢薦献↡時、倏見レバ↢善導遺像↡、昇↢於空中↡謂↠康曰、汝依↢我事↡利↢楽セヨ有情↡、則汝之功同テン↢安楽↡。康聞↢其語↡如↠有↢所証↡、南ノカタクニ↢江陵果願寺↡、路ニシテヘリ↢一↡。謂曰、欲ハヾ↠化↠人、当シト往↢新定↡。言訖而隠

睦郡ぼくぐんいたるにおよんで、 睦人ぼくにんなほるものなし、 いまだそのしたがはず。 こうすなはちぜにふて、 しょうこしらへきてこれをあたへてやくしていはく、 弥陀みだぶつまことになんぢがりょうどうなり、 よくいっしょうねんぜばなんぢに一銭いっせんあたへんと。 しょうそれをつとめてぜにるなり。 ほんしたがひてこれをねんぜしむ。 のちつきあまりを絯繻がいじゅぶつねんじてぜにつもの比々ひひとしてこれなり。 こういはく、 じっしょうねんぜばすなはちなんぢにぜにあたふべしと。 しょうまたそのやくのごとくす。

ヲヨンデ↠到ルニボク↡、睦人無↢識モノ↡、未↠従↢其化↡。康乃ツテ↠銭、誘ラヘイテ小児↡与↠之シテ曰、阿弥陀仏実良導ナリ、能ゼバ↢一声↡与ヘント↢汝一銭↡。小児ツトメテ↠其得↠銭也。随↠品シム↠之。後↢月余絯繻ガイジユ↠仏↠銭比比トシテ而是ナリ。康曰、可↧念ゼバ↢十声↡乃与↥。小児亦如クス↢其約↡。

かくのごとく一年いちねんするに、 長少ちょうしょうせんなく、 およそこうてはすなはち弥陀みだぶつといふ。 このゆゑに念仏ねんぶつひとどうてり。

如↠是一年スルニ、無↢長少・貴賎↡、凡テハ↠康者則曰↢阿弥陀仏↡。以故コノ ヘニ念仏之人テリ道路↡焉。

貞元ていげんじゅうねんに、 こうろんざんでてじょうどうじょうつ、 だんきずくことさんきゅうす、 ひとあつめて午夜ごやぎょうどうす。 どうじょうときごとに、 こうみづからのぼりて、 男女なんにょをしてこうむかはしめ、 こえいでたか弥陀みだぶつとなへおはりて、 またこえいでこれにす。 こうとなふるときいたりて、 しゅ一仏いちぶつのそのくちよりづるをる、 じっしょうれんしょうすれば、 すなはちじゅうぶつありて聯珠れんじゅかたちのごとし。 こうのいはく、 なんぢぶつるやいなやと、 もしぶつるものはかならずじょうしょうじ、 その礼仏らいぶつひと数千しゅせん、 またつひにざるものあり。

貞元十年、康出↢烏龍山↡建↢浄土道場↡、築コト↠壇キウ、聚↠人午夜行道。毎↢道場時↡、康自登↠座、令↢男女ヲシテムカ↟康イデ↠声唱↢阿弥陀仏↡已、又イデ↠声↠之。至↢康↡、衆見↧一仏従↢其口↡出ルヲ↥、連↢唱レバ十声↡、則有↢十仏↡若↢聯0225。康曰、汝見↠仏否見↠仏決生↢浄土↡、其礼仏人数千、亦有↢ツヒ不↠見者。

貞元ていげんじゅう一年いちねんじゅうがつ三日さんにち道俗どうぞくしょくるいす。 まさにあんにょうにおいて増進ぞうしんおこし、 こころえんだいにおいておんしんしょうずべしと。 またいはく、 なんぢらこのときよくこうみょうるは、 まことのわが弟子でしなりと。 つひにこう数道しゅどうはなちて、 奄然あんねんとしてつ。 とうれてたいがんにおいてす。 天台てんだいとくしょうぜん、 かさねてこれをあらたにす、 いまのひとおおくそのとうして善導ぜんどうとなす」 と。

貞元廿一年十月三日、嘱↢累道俗↡。当↧於↢安養↡起↢増進↡、心於↢閻浮提↡生↦厭離↥。又曰、汝曹此時能見↢光明↡、真我弟子ナリ。遂放↢異光数道↡、奄然トシテ↠世焉。入レテ↠塔テス↢台子巌↡。天臺徳韶禅師、重ニス↠之、今之人多シテ↢其塔↡為↢後善導↡焉。」

一二、類聚浄土五祖伝 少康 龍舒浄土文

三 ¬りゅうじょじょうもん¼ (巻五) にいはく、 「しょうこう貞元ていげんはじめにらくはくいたる、 殿でんちゅうもんのしきりにこうみょうはなつをる、 さぐりてこれをるに、 すなはち善導ぜんどう西方さいほうどうもんなり。 こういはく、 もしじょうえんならば、 まさにこのもんをしてふたたびこうみょうほっせしむべしと。 いひといまだおはらざるに、 ひかりすなはちひらめきてかがやきたり。

三 ¬龍舒浄土文¼云、「小康、貞元至↢洛下白馬寺↡、見↣殿中文字シキリツヲ↢光明↡、探ルニ↠之、乃善導西方化道文也。康曰、若於↢浄土↡有縁ラバ、当↠使↣此文シテ再発↢光明↡。言ルニ↠已、光乃ヒラメタリ

つひにちょうあん善導ぜんどう影堂えいどういたりて、 おおいに薦献すいけんぶ。 善導ぜんどうくうちゅうにおいていはく、 なんぢわがによりてじょうらくせよ、 すなはちなんぢのこうおなじくあんにょうしょうぜんと。 またひとりのそうふ。 いひていはく、 なんぢひとせんとほっせば、 まさにしんじょうくべしと。 いひおはりてかくれぬ。 しんじょういまごんしゅうなり。

↢長安善導影堂↡、大陳↢薦ケン↡。善導於↢空中↡曰、汝依↢吾事↡利↢楽セヨ有情↡、則汝之功同生↢安養↡。又逢↢一↡。謂曰、汝欲セバ↠化↠人、当↠往↢新定↡。言訖而隠。新定巌州也。

かしこにいたるに、 ひとなほるものなし。 こうすなはちぜにひて、 しょうしつらへこれにあたへてやくしていはく、 弥陀みだぶつはこれなんぢがほんなり、 よくねんずることいっしょうせばなんぢに一銭いっせんあたふと。 しょうつとめてそのぜにこえしたがひこれをねんず。 のちつきあまりにしょうぶつねんじてぜにもとむるものおおし。 こうすなはちいへり、 念仏ねんぶつじっしょうせばすなはちなんぢにぜにあたへんと。 しょうこれにしたがひてかくのごとくすること一年いちねんするに、 長少ちょうしょうせんとなく、 およそこうるものはすなはち弥陀みだぶつとなふ、 ゆゑをもつて念仏ねんぶつひとどうてり。

ルニ↠彼、人尚無↢識↡。康乃乞↠銭、誘ラヘ↢小児↡与↠之シテ曰、阿弥陀仏是汝本師ナリ、能念コト一声セバ与↢汝一銭↡。小児ツトメテ得↢其銭↡。随↠声↠之。後月余小児念↠仏↠銭ヲヽ。康乃ヘリ、念仏十声セバ乃与↡。小児従↠之スルコト↠此一年スルニ、無↢長少・貴賎↡、凡↠康則称↢阿弥陀仏↡。以↠故念仏之人テリ↢於道路↡。

のちこうろんざんにおいてじょうどうじょうつ、 だんくことさんきゅうひとあつめて午夜ごやぎょうどうす。 こうのぼりて、 ひとをして西にしむかはしめ、 こうまづ弥陀みだぶつとなふ、 つぎ衆人しゅにんこれにす。 こうとなふるときしゅ一仏いちぶつのそのくちよりづるをる、 しきりにじっしょうとなふれば、 すなはちじゅうぶつありて聯珠れんじゅかたちのごとし。

康於↢烏0226龍山↡建↢浄土道場↡、クコト↠壇キウ、聚↠人午夜行道。康升↠座、令メテ↢人シテムカ↟西、康先唱↢阿弥陀仏↡、次衆人和↢之。康唱時、衆見↧一仏↢其口↡出、シキリレバ↢十声↡、則有↢十仏↡若↢聯珠

こういはく、 なんぢぶつるやいなやと。 もしぶつるものはけっしてじょうしょうず、 その礼仏らいぶつひと数千しゅせんなり、 またにざるものあり。 のち衆人しゅにんぐ。 まさにあんにょうにおいて増進ぞうしんしんおこすべし、 えんだいにおいてえんしんしょうずべしと。 またいはく、 なんぢらこのときによくこうみょうるは、 まことのわが弟子でしなりと。 つひにこう数道しゅどうはなちてもうず」 と。

康云、汝見↠仏否↠仏↢浄土↡、其礼仏人数千ナリ、亦有↢ツヒ不↠見者↡。後↢衆人↡。当↧於↢安養↡起↢増進↡、於↢閻浮提↡生↦厭離↥。又云、汝等此時↢光明↡、真我弟子ナリ。遂放↢異光数道↡而亡。」

当初そのかみくうしょうにんもろもろの殿でんなかより
じょう五祖ごそこうみょうとく類聚るいじゅ
いま板印ばんいんうつきざんでけんずう
ながれみてみなもとたづぬるものたれかこれをがんせざらん
当初 カミ空上人従↢諸殿之中↡
類↢聚於浄土五祖高妙
今写↢キザンデ板印弘↢通於世間↡
↠流タヅヌル↠源者誰不ラン↣慕↢玩

 

 底本では「