0926西方指南抄中

、三昧発得記

しやうにんざいしやうときちゆ したまへりシルシタマヘリこれ ぐわいけんにおよばざれ、 ざうすべしと
 御生年おむとし六十有六 うしとしなり

建久けんきうねん正月一日シルスナリ

一日、 桜梅やまもゝ法橋ほふけう教慶けうけいのもとよりかへりたまひてのち、 ひつじさるときばかり、 恒例こうれい正月七日念仏ねむぶちぎやうせしめたまふ。 一日、 みやうさうすこしこれをげんじたまふ、 ねんにあきらかなりと 云云

二日、 水想しゐさうくわんねんにこれをじやうじゆしたまふ 云云 そうじて念仏ねむぶちしちにちうちに、 さうくわんなか瑠璃るりさう少分せうぶんこれをみたまふと。

二月四日のあした瑠璃るりぶんみやうげんじたまふと

六日、 後夜ごや瑠璃るり殿でんさうこれをげんずと

七日、 あしたにまたかさねてこれをげんず。 すなわちこの殿でんをもて、 そのさう影現やうげんしたまふ。

そうじて水想しゐさうさう宝樹ほうじゆほう宝殿ほうでんいつゝくわんはじめ正月一日より二月七日にいたるまで、 三十さむじふしちにちのあひだ毎日まいにち七万しちまん念仏ねむぶち退たいにこれをつ0927とめたまふ。 これによて、 これらのさうげんずとのたまへり。

はじめ二月廿五日より、 あかきところにしてをひらく。 眼根げんこんよりあかきふくろ瑠璃るりつぼ出生しゆつしやうす、 これをみる。 そのまへにして、 とぢてこれをみる。 ひらけば なわちす のたまへり。

二月廿八日、 やまうによて念仏ねむぶちこれを退たいす。 一万ゐちまんべんあるいはまんみぎまなこにそのゝち光明くわうみやうあり、 はなだなり。 またひかりあり、 はしあかし。 またまなこ琉璃るりあり、 そのかたち瑠璃るりつぼのごとし。 琉璃るりあかきはなあり、 ほうぎやうのごとし。 またいりてのちいでゝみれば、 はうみなはうごとにあかくあおき宝樹ほうじゆあり。 そのたかささだまりなし、 かうこゝろにしたがふて、 あるいは四五しごぢやう、 あるいは三十さむじふぢやう

八月一日、 もとのごとく、 六万ろくまんべんこれをはじむ。 九月廿二日のあしたに、 さうぶんみやうげんず、 しゆメグリ 七八しちはちだんばかり。 そのゝち廿三日の後夜ごやならびにあしたにまたぶんみやうにこれをげん ずと 云々

しやう二年二月のころ、 さうとういつゝくわんぎやうじゆぐわこゝろにしたがふて、 任運にむうんにこれをげんずと 云々

建仁けんにんぐわんねん二月八日の後夜ごやに、 とりのこゑをきく、 またことのおとをきく、 ふゑのお0928とらをきく。 そのゝち、 にしたがふてざいにこれをきく、 しやうのおとらこれをきく。 さまざまのおと。

正月五日、 さむせいさちおむうしろに、 じやうろくばかりのせい面像めんざうげんぜり。 これをもてこれをすいする、 西にしぶちだうにてせいさちぎやうざうよりじやうろくめんしゆつげんせり。 これすなわちこれをすいするに、 このさちすでにもて、 念仏ねむびち法門ほふもんしよしようのためのゆへに、 いま念仏ねむぶちしやのためにそのかたちをげんしたまへり、 これをうたがふべからず。

おなじ六日、 はじめてしよヰドコロよりはう一段ゐちだんばかり、 しやうアオキ瑠璃るりなりと 云々いまにおいては、 経釈きやうしやくによてわうじやううたがひなしと。 くわんもんにこゝろうるに、 うたがひなしといへるがゆへにといへり。 これをおもふべし。

建仁けんにん二年十二月廿八日、 たかはたけせうしやうきたれり。 ぶちだうにしてこれにえちす。 そのあひだれいのごとく念仏ねむぶちしゆしたまふ。 弥陀みだぶちをみまいらせてのち、 しやうよりすきとほりてほとけ面像めんざうげんじたまふ、 おほきさじやうろくのごとし。 仏面ぶちめんすなわちまたかくれたまひおわり 廿八日午時むまときことなり

ぐゑんきう三年正月四日、 念仏ねむぶちのあひだ三尊さむぞん大身だいしんげんじたまふ。 また五日、 三尊さむぞん大身だいしんげんじたまふ。

しやう0929にんのみづからのもんなり。

、法然聖人御夢想記

法然ほふねんしやうにんさう 善導ぜんだう御事おむこと

あるゆめにみらく、 ひとつ大山だいせんあり、 そのみねきわめてたか 南北なむぼくながくとおし、 西方さいはうにむかへり。 やまたいあり、 かたわらやまよりいでたり、 きたながれたり。 みなみ河原かわら眇眇べうべうとしてその辺際へんざいをしらず、 林樹りむじゆ滋滋しげしげとしてそのかぎりをしらず。

こゝにぐゑん、 たちまちに山腹さんぷくヤマノハラ のぼりてはるかに西方さいはうをみれば、 よりじやうじふしやくばかりかみのぼりて、 ちうにひとむらのうんあり。 以為おもへらくいづれところわうじやうにんのあるぞ。 こゝにうんとびきたりて、 わがところにいたる。

希有けうのおもひをなすところに、 すなわちうんなかよりじやくあうとう衆鳥しゆてうとびいでゝ、 河原かわら遊戯ゆげす、アソビタワブル いさごをほりはまたわぶ これらのとりをみれば、 凡鳥ぼむてうにあらず、 よりひかりをはなちて、 照曜せうえうきはまりなし。 そののちとびのぼりて、 もとのごとくうんなかいりおわり

こゝにこのうん、 このところにじゆせず、 このところをすぎてきたにむかふて、 さんにかくれおわり また以為おもへらくやまひむがしわうじやうにんのあるに。 かくのごとくゆいするあひだ、 しゆにかへりきたりてわがまへ0930じゆす。

このうんなかより、 くろくそめたるころもきたるそう一人ゐちにんとびくだりて、 わがたちたるところのしも住立じゆりふす。 われすなわちぎやうのためにあゆみおりて、 そうあしのしもにたちたり。 このそう瞻仰せむがうすれば、 しんじやうなかば肉身にくしん、 すなわちそうぎやうなりよりしもなかば金色こむじきなり、 仏身ぶちしんのごとくなり

こゝにぐゑんがふしやうていしてとふてまふさく、 これ誰人たれびときたりたまふぞと。 こたえいは われはこれ善導ぜんだうなりと。

またとふてまふさく、 なにのゆへにきたりたまふぞ。 またこたえのたまは ワレせうなりといゑども、 よく専修せんじゆ念仏ねむぶちのことをまふ はなはだもてたうとしとす。 ためのゆへにもてきたれなり

またとふてまふさ 専修せんじゆ念仏ねむぶちひと、 みなもてわうじやう いまだそのたうをうけたまはらざるあひだに、 忽然こつねんとしてゆめさめおわり

十八条法語

或人あるひと念仏ねむぶちしむを、 しやうにんたてまつりとひいは だいじふぐわん大綱たいまうぐわんなり。 「ねむ(大経巻上) といふは、 さむしやううちにかならずくわハタシすいトグルすべし。 りやう通計つげするに、 ひやくねんうちわうじやうすべきなり 云云。 これぼむわうじやうコヽロしやくなり。 極大ごくだいしやをもてキワメテオホキニオソキモノナリさむしやういでざるこゝろ、 かくのごとくしやくせり。

また0931 ¬弥陀みだきやう¼ の 「ほちぐわんとうは、 これさむしやうしようなりと。

またいは ¬弥陀みだきやう¼ とうじやうもんしゆつほんぐわいなり、 ¬法華ほふくゑきやう¼ しやうだうもんしゆつほんぐわいなり 云云のぞむところはことなり、 うたがふ たらざるものなり

またいは わがあんするところの一切ゐちさいきやうりちろんは、 これ ¬観経くわんぎやう¼ 所摂しよせふオサムルナリほふなり

またいは ざうとうよろづさち蔑如べちじよすべからアナヅルコトナカレトナリず。 わうじやう以後いご伴侶はんりよたるべきがゆへなりと。

またいは 近代きんだいぎやうにんくわんぼふをもちゐるにあたはず。 もし仏像ぶちざうとうくわんぜむは、 運慶うんけい康慶かうけい所造しよざうにすぎじ。 もし宝樹ほうじゆとうくわんぜば、 桜梅やうばいたうくゑくわとうにすぎじ。 しかるに 「ぶちこむ現在げんざいじやうぶち(礼讃) とうしやくしんじて、 一向ゐちかうみやうがうしようすべきなりいへり。 たゞみやうがうをとなふる、 三心さむしむおのづからそくするなりいへり。

またいは 念仏ねむぶちはやうなきをもてなり。 みやうがうをとなふるほか、 一切ゐちさいやうなきことなりいへり。

またいは しよきやうなかにとくところの極楽ごくらくしやうごむとうは、 みなこれ十八じふはちぐわんじやうじゆもんなり念仏ねむぶちくわんじんするところは、 だい十八じふはちぐわんじやうじゆもんなり。 ¬観経くわんぎやう¼ の 「三心さむしむ」、 ¬せうきやう¼ の 「一心ゐちしむらん」、 ¬だいきやう¼ のぐわんじやうじゆもんの 「信心しんじむくわん」 と、 おなじ流通るづの 「くわん0932やく」 と、 みなこれしん信楽しんげうしむなりいへり。 これらのしむをもて、 念仏ねむぶち三心さむしむしやくしたまへるなり云云

またいはぐゑん(玄義分意)いはく、

しや要門えうもんぢやうさんぜんなり。 ぢやうおもんぱかりやめしむこらすなり、 さんあくはいしてぜんしゆすなりと。 ぐわんは ¬だいきやう¼ のせちのごとし。 一切ゐちさい善悪ぜんあくぼむしやう

「釈迦要門定散二善。 定者息↠慮凝↠心なり、 散者廃↠悪修↠善なりと。 弘願者如↢¬大経¼ 説↡。 一切善悪凡夫得↠生」

といへり。 よがごときはさきの要門えうもんにたえず、 よてひとへにぐわんたのむなりいへり。

またいは だうくわしやう深心じむしむしやくせむがためにしむしやくしたまふなり。 ¬きやう¼ のもん三心さむしむをみるに、 一切ゐちさいぎやうなし。 深心じむしむしやくにいたりて、 はじめて念仏ねむぶちぎやうをあかすところなり

一〇

またいは わうじやうごふじやうじゆ臨終りむじゆ平生へいぜいにわたるべし。 ほんぐわんもんべちにえらばざるがゆへにといへり。 しむのこゝろ、 平生へいぜいけんにわたるなりへり。

一一

またいは わうじやうごふじやうは、 ねむをもてほんとす。 みやうがうしようするは、 ねむじやうぜむがためなり。 もしこゑを なるゝとき、 ねむすなわちだいするがゆへに、 じやうがう称唱しようしやうすればすなわちねむ相続さうぞくす。 心念しむねむごふしやうをひくがゆへなり

一二

またいは 称名しようみやうぎやうじやじやう念仏ねむぶちのときじやうをはゞかるべからず。 相続さうぞくえうとするがゆへに。 によりんほふは、 じやうをはゞからず、 弥陀みだくわんおむ一体ゐちたい不二ふになり。 これをおも0933ふに、 善導ぜんだうべちぎやうには、 清浄しやうじやう潔斉けちせいをもちゐる、 じむじやうぎやう、 これにことなるべきしむの 「ろんしよ諸縁しよえん↡」 (要集巻下) しやく永観ゐやうくわんの 「ろんしんじやうじやう↡」 (往生拾因) しやく、 さだめてぞんずるところある

一三

またいは 善導ぜんだうだい十八じふはちぐわん一向ゐちかう仏号ぶちがうしようねむしてわうじやうすといへり。 しむのこゝろ、 くわんねむしようねむとうみなこれをせふすといへり。 もし ¬要集えうしゆ¼ のこゝろによらば、 ぎやうじやにおいては、 このをあやまちてむと。

一四

またいは だいじふぐわんは、 しよぎやうひと引入いんにふして、 念仏ねむぶちぐわんくゐせしめむとなり

一五

またいは 真実しんじちしむといふは、 ぎやうぐわんわうじやうしむなり。 けうしよくなく、 へうなき相応さうおうしむなり雑毒さふどく虚仮こけとうは、 みやうもんやうしむなり

¬大品だいぼむきやう¼ (巻一序品)いはく、 「やうみやうもんすてよと。」

¬大品経¼ 云、 「捨↢利養名聞↡。」

¬大論だいろん¼ にこのもんじゆつするしたいはく、 「まさにごふ雑毒さふどくつべしといふは、 ゐちしやう一念ゐちねむなほこれをせば、 実心じちしむのなきさうなり。 ないほむじてぐゑかざるといふは、 りやう外相ぐゑさうほふなれども、 内心ないしむ真実しんじちにしてわうじやうぐわんずれば、 わうじやうぐべきなりと。」

¬大論¼ 述↢此文↡之下云、 「当↣業捨↢雑毒↡者、 一声一念猶具↠之、 无↢実心之↡相也。 翻↠内矯↠外者、 仮令外相不法、 内心真実願↢往生↡者、 可↠遂↢往生↡也。」

深心じむしむといふは、 りよなきしむなり利他りた真実しんじち といふとくしやうのち利他りたもんさうなり。 よてくはしくしやくせずと。

¬くわんりやう寿じゆきやうに¼、 「もししゆじやうあてかのくにむまれむとがんぜむもの三種さむしゆしむおこせばすなわちわうじやうす。 なんみつとする。 ひとつにはじやうしむふたつには深心じむしむみつにはかうほちぐわんしむなり。 三心さむしむすればかならずかのくにしやうず」 といへり。

¬観无量寿経¼、 「若有↢衆生↡願↠生↢彼国↡者、 発↢三種心↡即便往生。 何等為↠三。 一者至誠心、 二者深心、 三者廻向発願心なり。 具↢三心↡者必生↢彼国↡」 いへり

¬わうじやう礼讃らいさん0934に¼ 三心さむしむしやくしおはるにいはく、 「この三心さむしむすればかならずわうじやうるなり。 もし一心ゐちしむかけぬれば、 すなわちしやうずと。」

¬往生礼讃¼ 釈↢三心↡畢云、 「具↢此三心↡必得↢往生↡也。 若少↢一心↡、即不↠得↠生。」

しかればすなわちもとも三心さむしむすべきなり。

然則尤可↠具↢三心↡也。

ひとつじやうしむといふは、 真実しんじちしむなり。 礼拝らいはいぎやうず、 くちみやうがうとなふ、 こゝろ相好さうがうおもふ、 みな実心じちしむをもてせよとなり。 そうじてこれをいふに、 えむ穢土ゑどごんじやうしゆしよきやうごふ、 みな真実しんじちしむをもてこれをごむしゆすべし。

一至誠心者、 真実心也。 身行↢礼拝↡、 口唱↢名号↡、 意想↢相好↡、 皆用↢実心↡。 総而言↠之、 厭離穢土、 忻求浄土、 修諸行業、 皆以↢真実心↡可↣勤↢修之↡。

ほか賢善けんぜんしやうじんさうげんじ、 うちあくだいしむいだけり。 所修しよしゆきやうごふにちじふひまなくこれをぎやうずれども、 わうじやうず。 ほかあくだいかたちあらわし、 うち賢善けんぜんしやうじんねむじゆして、 これをしゆぎやうせば、ゐち一念ゐちねむといゑども、 そのぎやうむなしからず、 かならずわうじやうむ。 これをじやうしむなづく。

外現↢賢善精進之相↡、 内懐↢愚悪懈怠之心↡。 所修行業、 日夜十二時无↠間行↠之、 不↠得↢往生↡。 外顕↢愚悪懈怠之形↡、 内住↢賢善精進之念↡、 修↢行之↡者、 雖↢一時一念↡、 其行不↠虚、 必得↢往生↡。 是名↢至誠心↡。

ふたつ深心じむしむといふは、 深信じむしんしむなり。 これについてふたつあり。

二深心者、 深信之心也。フカクシンズルコヽロナリ 付↠之有↠二。

ひとつにはわれはこれ罪悪ざいあくぜんなり、 无始むしより已来このかた六道ろくだうりんして、 わうじやうえんなしとしんず。

一者信↧我是罪悪不善之身、 无始已来輪↢廻六道↡、 无↦往生縁↥。

ふたつには罪人ざいにんといゑども、 ぶちぐわんりきをもて強縁がうえんとすれば、 わうじやうしんず。 うたがひなくおもむぱかりなかれとなり。

二信↧雖↢罪人↡、 以↢仏願力↡為↢強縁↡、 得↦往生↥。 无↠疑无↠慮。

これについてまたふたつあり。 ひとつにはにんついしんつ、 ふたつにはぎやうついしんつ。

付↠此亦有↠二。 一就↠人立↠信、 二就↠行立↠信。

にんついしんつといふは、 しゆつしやうみちおほしといゑども、 おほきわかふたつあり。 ひとつにはしやうだうもんふたつじやうもんなり。

就↠人立↠信者、 出離生死道雖↠多、 大分有↠二。 一聖道門、 二浄土門。

しやうだうもんといふは、 このしやかいにして、 煩悩ぼむなうだんだいしようするだうなり。

聖道門者、 於↢此娑婆世界↡、 断↢煩悩↡証↢菩提↡道也。

じやうもんといふは、 このしやかいいとうて、 極楽ごくらくねがう善根ぜんごんしゆするもんなり。

浄土門者、 厭↢此娑婆世界↡、 忻↢極楽↡修↢善根↡門也。

もんありといゑども、 しやうだうもんさしおきじやうもんくゐするなり。

雖↠有↢二門↡、 閣↢聖道門↡帰↢浄土門↡。

しかるにもしひとあておほきやうろんひきて、 罪悪ざいあくぼむわうじやうずといはむ、 このことばくといゑども、 退心たいしむしやうぜず、 いよいよ信心しんじむす。

然若有↠人多引↢経論↡、 罪悪凡夫不↠得↢往生↡、 雖↠聞↢此語↡、 不↠生↢退心↡、 弥増↢信心↡。

ゆへはいかんとなれば、 ざいしやうぼむじやうわうじやうするはしやくそんじやうごんなり、 ぼむ0935妄説まうせちにあらず。 われすでに仏言ぶちごんしんじて、 ふかじやうごんす。 たとひ諸仏しよぶちさちきたりて、 ざいしやうぼむじやうむまれずとのたまふとも、 これをしんずべからず。

所以者何、 罪障凡夫往↢生浄土↡釈尊誠言なり、 非↢凡夫妄説↡。 我已信↢仏言↡、 深忻↢求浄土↡。 設諸仏・菩薩来、 罪障凡夫言↠不↠生↢浄土↡、 不↠可↠信↠之。

なにをもてのゆへに。 さちぶち弟子でしなり。 もしまことにこれさちならば、 仏説ぶちせちそむくべからず。 しかるにすでに仏説ぶちせちして、 わうじやうじとのたまふ。 しりまことさちにあらずといふことを。 このゆへにしんずべからずと。

何以故。 菩薩仏弟子。 若実是菩薩者、 不↠可↠乖↢仏説↡。 然已違↢仏説↡、 言↠不↠得↢往生↡。 知非↢真菩薩↡。 是故不↠可↠信。

またぶちはこれ同体どうたいだいなり。 まことにこれぶちならば、 しやせちたがふべからず。

また仏是同体大悲。 実是仏者、 不↠可↠違↢釈迦説↡。

しかればすなわち ¬弥陀みだきやう¼ (意) とかく、 「一日ゐちにち七日しちにち弥陀みだぶちみやうがうねむずれば、 かならずわうじやう」 といへるは、 六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶちしやぶちおなじむなしからずとこれを証誠しようじやうしたまへり。

然則 ¬阿弥陀経¼ 説、 「一日七日念↢阿弥陀仏名号↡、 必得↢往生↡」 者、 六方恒沙諸仏、 同↢釈迦仏↡不↠虚証↢誠之↡。

しかるにいましやせちそむきて、 わうじやうじとふ。 かるがゆへにしりまことぶちにあらずと。 これてん変化へんぐゑなり。 このをもてのゆへに、 しんずべからず。 ぶちさちせち、 なほもてしんずべからず、 いかにいはむやせちおや。

然今背↢釈迦説↡、 云↠不↠得↢往生↡。 故知非↢真仏↡。 是天魔変化。 以↢是義↡故、 不↠可↢依信↡。 仏・菩薩説、 尚以不↠可↠信、 何況余説哉。

汝等なんだちしふするところ、 大小だいせうことなりといゑどもおなじ仏果ぶちくわす。 穢土ゑどしゆぎやうしやうだうこゝろなり。 われしゆするところのしやうざふおなじからず、 ともに極楽ごくらくねがふ。 わうじやうきやうごふじやうもんこゝろなり。 しやうだうはこれなんぢえんぎやうなり、 じやうもんえんぎやうなり。 これをもてかれをなんずべからず、 かれをもてこれをなんずべからず。

汝等所↠執、 雖↢大小異↡同期↢仏果↡。 穢土修行聖道意なり。 我等所↠修正雑不↠同、 共忻↢極楽↡。 往生行業、 浄土門意。 聖道者是汝有縁行なり、 浄土門者我有縁行なり。 不↠可↢以↠此難↟彼、 不↠可↢以↠彼難↟此。

かくのごとくしんずる、 これをにんついしんつとなづく。

如↠是信ずる、 是名↢就↠人立↟信。

つぎぎやうついしんつといふは、 わうじやう極楽ごくらくぎやうまちまちなりといゑどもしゆいでず。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやうなり。 正行しやうぎやう弥陀みだぶちにおいてのしんぎやうなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちにおいてのぎやうなり。

次就↠行立↠信者、 往生極楽行、 雖↠区不↠出↢二種↡。 一者正行、 二者雑行なり。 正行者於↢阿弥陀仏↡之親行也、 雑行者於↢阿弥陀仏↡之疎行也。

まづ正行しやうぎやうといふは、 これについていつゝあり。 ひとついは読誦どくじゆいはく 「さむきやう」 をむなり。 ふたつにはいは極楽ごくらくしやうくわんずるなり。 みつには礼拝らいはいいは弥陀みだぶちらいしたてまつるな0936り。 よつには称名しようみやういは弥陀みだみやうがうしようするなり。 いつゝには讃嘆さんだんやういは弥陀みだぶち讃嘆さんだんやうしたてまつるなり。

先正行者、 付↠之有↠五。 一謂読誦、 謂読↢ 「三部経」↡ 也。 二謂観↢極楽依正↡也。 三礼拝、 謂礼↢弥陀仏↡也。 四称名、 謂称↢弥陀名号↡也。 五讃嘆供養、 謂讃↢嘆供↣養阿弥陀仏↡也。

このいつゝをもてがふしてふたつとなす。

以↢此五↡合為↠二。

ひとつには一心ゐちしむ専念せんねむ弥陀みだみやうがう専念せんねむして、 ぎやうじゆぐわせちごんとは念念ねむねむてざるは、 これを正定しやうぢやうごふなづく、 かのぶちぐわんじゆんずるがゆへに。

一者一心専↢念弥陀名号↡、 行住座臥不↠問↢時節久近↡念念不↠捨者、 是名↢正定之業↡、 順↢彼仏願↡故。

ふたつにはさきいつゝなかに、 称名しようみやうのぞきぐゑ礼拝らいはい読誦どくじゆとうは、 みな助業じよごふなづく。

二者先五中、 除↢称名↡已外礼拝・読誦等、 皆名↢助業↡。

つぎざふぎやうといふは、 さきしゆしやうじよぎやうのぞきぐゑのもろもろの読誦どくじゆだいじようほちだいしむかいくわんじんぎやうとう一切ゐちさいぎやうなり。

次雑行者、 除↢先五種正助二行↡已外諸読誦大乗発菩提心持戒勧進行等一切行也。

このしやうざふぎやうについて、 しゆ得失とくしちあり。

付↢此正雑二行↡、 有↢五種得失↡。

ひとつにはしんたいいは正行しやうぎやう弥陀みだぶちしんなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちなり。

一親疎対、 謂正行親↢シタシキ阿弥陀仏↡、 雑行疎↢ウトキ阿弥陀仏↡。

ふたつには近遠ごんおんたいいは正行しやうぎやう弥陀みだぶちごんなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちおんなり。

二近遠対、 謂正行近↢チカシ阿弥陀仏↡、 雑行遠↢トオシ阿弥陀仏↡。

みつにはけんけんたいいは正行しやうぎやうねむひまなし、 ざふぎやうねむ間断けんだんす。

三有間无間対、 謂正行係念无↠間、 雑行係念間断。

よつにはかうかうたいいは正行しやうぎやうかうもちゐざるにおのづからわうじやうごふとなる、 ざふぎやうかうせざるときわうじやうごふとならず。

四廻向不廻向対、 謂正行不↠用↢廻向↡自為↢往生業、 雑行不↢廻向↡時不↠為↢往生業↡。

いつゝにはじゆんざふたいいは正行しやうぎやうじゆんわうじやう極楽ごくらくごふなり、 ざふぎやうはしからず、 十方じふぱうじやうない人天にんでんごふずるなり。

五純雑対、 謂正行純往生極楽業也、 雑行不↠爾、 通↢十方浄土乃至人天業↡也。

かくのごとくしんずるは、 ぎやういてしんつとなづく、 これを深心じむしむなづく。

如↠此信者、 名↢就↠行立↟信、 是名↢深心↡。

みつかうほちぐわんしむといふは、 くわおよこむじやうしん口意くいごふしゆするところの一切ゐちさい善根ぜんごん真実しんじちしむをもて極楽ごくらくかうして、 わうじやうごんするなり。

三廻向発願心者、 過去及今生身口意業所↠修一切善根、 以↢真実心↡廻↢向極楽↡、 忻↢求往生↡也。

一六

またいは 善導ぜんだうしむさう すること善導ぜんだう色相しきさうとうくわんぼふ おば観仏かむぶち三昧ざむまいへり、 称名しようみやう念仏ねむぶちおば念仏ねむぶち三昧ざむまいへり。 しむ称名しようみやうくわんぼふがふして念仏ねむぶち三昧ざむまいへり。

一七

また0937いは しゆひとじやうもんにそのこゝろざしあらむには、 まづ ¬わうじやう要集えうしゆ¼ をもてこれをおしふべし。 そのゆへは、 このしよはものにこゝろえて、 なんなきやうにそのおもてをみえて、 初心しよしむひとのためによきなりいゑどもしかり真実しんじちそこほんは、 称名しようみやう念仏ねむぶちをもて専修せんじゆ専念せんねむくわんじんしたまへり。 善導ぜんだう一同ゐちどうなり

一八

またいは しゆひとじやうしゆにそのこゝろざしあらむものは、 かならず本宗ほんしゆこゝろすつべきなり。 そのゆへは、 しやうだうじやうしゆ各別かくべちなるゆへなりとのたまへり。

、法然聖人臨終行儀

法然ほふねんしやうにん臨終りむじゆぎやう

けんりやくぐわんねん十一月十七日、 とうちう納言なうごん光親みつちかきやううけたまはりにて、 院宣ゐんぜんによりて、 十一月廿日いぬときしやうにんみやこへかへりいりたまひて、 ひむがしやま大谷おほたにといふところにすみはべる おなじき 年正月二日より、 らうびやううへにひごろのしよく、 おほかたこの三年さむねんのほどおいぼれて、 よろづものわすれなどせられけるほどに、 ことしよりはみゝもきゝこゝろもあきらかにして、 としごろならひおきたまひけるところの法文ほふもんを、 時時ときどきおもひいだして、 弟子でしどもにむかひてだんしたまひけり。 またこのじふねんは、 みゝおぼろ0938にして、 さゝやきごとおばきゝたまはずはべりけるも、 ことしよりはむかしのやうにきゝたまひて、 れいひとのごとし。 けんことはわすれたまひけれども、 つねはわうじやうことをかたりて念仏ねむぶちをしたまふ。 またあるいはかうしやうにとなふることゐち、 あるいはまたのほど、 おのづからねぶりたまひけるも、 したくちはうごきてほとけ御名みなをとなえたまふこと、 せうしやうきこはべりけり。 あるときしたくちばかりうごきてそのこゑはきこえぬことも、 つねにはべりけり。 さればくちばかりうごきたまひけることおば、 よのひとみなしりて、 念仏ねむぶちみゝにきゝけるひと、 ことごとくきどくのおもひをなしはべりけり。

またおなじき 月三日いぬときばかりに、 しやうにんかむびやう弟子でしどもにつげてのたまはく、 われはもと天竺てんぢくにありてしやうもんそうにまじわりて頭陀づだぎやうぜしみの、 この日本にちぽんにきたりて天臺てんだいしゆいりて、 またこの念仏ねむぶち法門ほふもんにあえりとのたまひけり。 そのときかむびやうひとなかにひとりのそうありて、 とひたてまつりてまふすやう、 極楽ごくらくへはわうじやうしたまふべしやとまふしければ、 こたえて たまはく、 われはもと極楽ごくらくにありしみなれば、 さこそはあらむずらめとのたまひけり。

またおなじき 月十一日たつときばかりに、 しやうにんおきゐてがふしやうして、 かうしやう念仏ねむぶちしたまひけ0939るを、 聞人きくひとみななみだをながして、 これは臨終りむじゆときかとあやしみけるに、 しやうにんかむびやうひとにつげてのたまはく、 かうしやう念仏ねむぶちすべしとはべりければ、 人々ひとびと同音どうおむかうしやう念仏ねむぶちしけるに、 そのあひだしやうにんひとりとなへてのたまはく、 弥陀みだぶちぎやうやうしたてまつり、 みやうがうをとなえむもの、 ひとりもむなしきことなしとのたまひて、 さまざまに弥陀みだぶちどくをほめたてまつりたまひけるを、 人々ひとびとかうしやうをとゞめてきゝはべりけるに、 なほそのなか一人ゐちにんたかくとなへければ、 しやうにんいましめてのたまふやう、 しばらくかうしやうをとゞむべし、 かやうのことは、 ときおりにしたがふべきなりとのたまひて、 うるわしくゐてがふしやうして、 弥陀みだぶちのおはしますぞ、 このほとけやうしたてまつれ、 たゞいまはおぼえず、 やうもんやある、 えさせよと、 たびたびのたまひけり。

またあるとき弟子でしどもにかたりてのたまはく、 くわんおむせいさちしやうじゆまへにげんじたまふおば、 なむだち、 おがみたてまつるやとのたまふに、 弟子でしえみたてまつらすとまふしけり。 またそのゝち臨終りむじゆのれうにて、 さむじやく弥陀みだざうをすゑたてまつりて、 弟子でしまふすやう、 このおむほとけをおがみまいらせたまふべしとまふしはべりければ、 しやうにんのたまはく、 このほとけのほかにまたほとけおはしますかとて、 ゆびをもてむなしきところをさしたまひけり。 按内あんないをしらぬ人は、 このことをこ0940ゝろえずはべり。 しかるあひだ、 いさゝかしよをしるしはべるなり。

おほよそこのじふねんより、 念仏ねむぶちこうつもりて極楽ごくらくのありさまをみたてまつり、 ぶちさちおむすがたを、 つねにみまいらせたまひけり。 しかりといゑども、 おむこゝろばかりにしりて、 ひとにかたりたまはずはべるあひだ、 いきたまへるほどは、 よのひとゆめゆめしりはべらず。 おほかた真身しんしんほとけをみたてまつりたまひけること、 つねにぞはべりける。 またおむ弟子でしども、 臨終りむじゆのれうのほとけ御手みてしきのいとをかけて、 このよしをまふしはべりければ、 しやうにんこれはおほやうのことのいはれぞ、 かならずしもさるべからずとぞのたまひける。

またおなじ廿き ときに、 大谷おほたにばううへにあたりて、 あやしきくも西にしひむがしへなおくたなびきてはべるなかに、 ながさろくぢやうばかりして、 そのなかにまろなるかたちありけり。 そのいろしきにして、 まことにいろあざやかにして、 ひかりありけり。 たとへば、 ざうほとけゑんくわうのごとくにはべりけり。 みちをすぎゆく人々ひとびと、 あまたところにて、 みあやしみておがみはべりけり。

またおなじむまときばかりに、 ある弟子でしまふしていふやう、 このうへうんたなびけり、 しやうにんわうじやうときちかづかせたまひてはべるかとまふしければ、 しやうにんのたまはく、 あはれなる0941ことかなと、 たびたびのたまひて、 これは一切ゐちさいしゆじやうのためになどしめして、 すなわちじゆしてのたまはく、 「光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経) と、 三返さむべんとなへたまひけり。

またそのひつじのときばかりに、 しやうにんことにまなこをひらきて、 しばらくそらをみあげて、 すこしもめをまじろがず、 西方さいはうへみおくりたまふことろくしたまひけり。 ものをみおくるにぞにたりける。 ひとみなあやしみて、 たゞごとにはあらず、 これしようさうげんじて、 しやうじゆのきたりたまふかとあやしみけれども、 よのひとはなにともこゝろえずはべりけり。 おほよそしやうにんは、 らうびやうかさなりて、 ものをくはずしてひさしうなりたまひけるあひだ、 いろかたちもおとろえて、 よはくなりたまふがゆへに、 めをほそめてひろくみたまはぬに、 たゞいまやゝひさしくあおぎて、 あながちにひらきみたまふことこそ、 あやしきことなりといひてのちほどなく、 かほのいろもにわかにへんじてさうたちまちにげんじたまふときおむ弟子でしども、 これは臨終りむじゆかとうたがひて、 おどろきさわぐほどに、 れいのごとくなりたまひぬ。 あやしくも、 けふうん瑞相ずいさうありつるうへに、 かたがたかやうのことどもあるよと、 おむ弟子でしたちまふしはべりけり。

またおなじ廿き 三日にもうんたなびてはべるよし、 ほのかにきこえけるに、 おなじ廿き 五日むまの0942ときに、 またうんおほきにたなびきて、 西にしやまみづのみねにみえわたりけるを、 せうどもキコルモノトイフじふにんばかりみたりけるが、 そのなか一人ゐちにんまいりて、 このよしくわしくまふしければ、 かのまさしき臨終りむじゆむまときにぞあたりける。 またうづまさにまいりてかうしけるあまも、 このうんおばおがみて、 いそぎまいりてつげまふしはべりける。

すべてしやうにん念仏ねむぶちのつとめおこたらずおはしけるうへに、 正月廿三日より廿五日にいたるまでさむにちのあひだ、 ことにつねよりもつよくかうしやう念仏ねむぶちまふしたまひけることあるいゐちあるいはんばかりなどしたまひけるあひだ、 ひとみなおどろきさわぎはべる。 かやうにて、 さむになりけり。

またおなじき廿四日のとりときより、 廿五日のときまで、 しやうにんかうしやう念仏ねむぶちをひまなくまふしたまひければ、 弟子でしども番番ばんばんにかわりて、 いち六人ろくにんばかりこゑをたすけまふしけり。 すでにむまときにいたりて、 念仏ねむぶちしたまひけるこゑ、 すこしひきくなりにけり。 さりながら、 時時ときどきまたかうしやう念仏ねむぶちまじわりてきこえはべりけり。 これをきゝて、 ばうのにわのまへにあつまりきたりける結縁けちえんのともがら、 かずをしらず。 しやうにんひごろつたへもちたまひたりけるかくだいでうおむ袈裟けさをかけて、 まくらをきたにし、 おもてを西にしにして、 ふしながら仏号ぶちがうをとなへて、 ねぶるがごとくして、 正月0943廿五日むまときのなからばかりにわうじやうしたまひけり。 そのゝち、 よろづの人々ひとびときおいあつまりて、 おがみまふすことかぎりなし。

、聖人御事諸人夢記

一 しやうにん御事おむこと、 あまた人々ひとびとゆめにみたてまつりけること

ちう大進だいしん兼高かねたかまふすひと、 ゆめにみたてまつるやう、 或人あるひともてのほかにおほきなるさうしをみるを、 いかなるふみぞとたちよりてみれば、 よろづのひと臨終りむじゆをしるせるふみなり。 しやうにんことやあるとみるに、 おくにいりて、 「光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経) とかきて、 このしやうにんは、 このもんじゆしてわうじやうすべきなりとしるせりとみて、 ゆめさめぬ。 このことしやうにんおむ弟子でしどももしらずしてすぐすところに、 このしやうにんさまざまの思議しぎげんじたまふとき、 やまひにしづみて、 よろづぜんもしらずといゑども、 しやうにんこのもん三遍さむべんじゆしたまひけり。 かのひとのむかしのゆめにおもひあわするに、 これ思議しぎといふべし。 かのひとふみをもちて、 かのゆめのことをつげまふしたりけるを、 おむ弟子でしども、 のちにひらきみはべりけり。 くだんふみ、 ことながきゆへに、 これにはかきいれず。

0944 でうきやうごくにすみはべりけるはくあざならうまさいゑとまふすもの、 ことしの正月十五日の、 ゆめにみるやう、 ひむがしやま大谷おほたにしやうにん御房おむばうだううへより、 むらさきぐもたちのぼりてはべり。 あるひとのいふやう、 あのくもおがみたまへ、 これはわうじやうひとのくもなりといふに、 よろづの人々ひとびとあつまりておがむとおもひて、 ゆめさめぬ。 あくる、 そらはれて、 みのときばかりにかのだううへにあたりて、 そらのなかしきのくもあり。 よろづの人々ひとびと、 ところどころにしてこれをみけり。

一 三条さむでうがわに、 陪従べいじゆ信賢のぶかた後家ごけあまのもとに、 おさなきによあり。 まことに信心しんじむありて、 念仏ねむぶちをまふしはべりけり。 おなじ廿き 四日の、 ことにこゝろをすましてかうしやう念仏ねむぶちしけるに、 乗願じようぐわんばうまふすひじり、 あからさまにたちやどりてこれをきゝけり。 あけてかの小女せうによ、 この乗願じようぐわんばうにかたりていはく、 法然ほふねんしやうにんは、 けう廿五日にかならずわうじやうしたまふべきなりとまふしければ、 このひとまふさく、 なにごとにてかやうにはしりたまへるぞとたづぬるに、 この小女せうによまふすやう、 こよひのゆめに、 しやうにんおむもとにまいりてはべりつれは、 しやうにんのおほせられつるやう、 われはあすわうじやうすべきなり、 もしこよひなむぢきたらざらましかば、 われをばみざらまし、 よくきたれりとのたまひつるなりとまふしけり。 しかるにわがみにとりては、 いさゝかいたみおも0945ことはべり。 そのゆへは、 われいかにしてかわうじやうはべるべきと、 とひたてまつりしかば、 しやうにんおしへたまふことありき。 わがみにとりてたえがたく、 かないがたきことどもありき。 そのゆへは、 まづしゆつして、 ながくけんことをすてゝ、 しづかなるところにて、 一向ゐちかう後世ごせのつとめをいたすべきよしなりとはべりき。 しかるにけふのむまのときしやうにんわうじやうしたまふべきこと、 このゆめにすでにかなへりとまふはべりけり。

一 白河しらかわじゆんごうみやへんはべりけるかわまふ女房によばうのゆめにみるやう、 おなじ廿き 四日のしやうにんもとにまいりておがみければ、 へきにしきちやうをひけり。 いろさまざまにあざやかにして、 ひかりあるうへにけぶりたちみてり。 よくよくこれをみれば、 けぶりにはあらず。 うんといふなるものはこれをいふか、 いまだみざるものをみつるかなどおもひて、 思議しぎのおもひをなすところに、 しやうにんわうじやうしたまへるかとおぼえて、 ゆめさめぬ。 あけてあしたに、 そうじゆん西せいといふものにこのことどもをかたりてのち、 けふのむまのときしやうにんわうじやうしたまひぬときゝけり。

一 かまくらのものにて、 らい弥陀みだぶちまふすあまの、 信心しんじむことにふかくて、 にんにすみける。 おなじ廿き 四日の、 ゆめにみるやう、 よにたうときひじりきたれり。 そのかたち、 ゑざうの善導ぜんだうおむすがたににたりけり。 それを善導ぜんだうかとおもふほどに0946、 つげてのたまふやう、 法然ほふねんしやうにんはあすわうじやうしたまふべし、 はやくゆきておがみたてまつれとのたまふとみて、 ゆめさめぬ。 かのあま、 やがておきゐで、 あかつきくゐものなどいとなみて、 わりごといふものもたせて、 いそぎいそぎいでたちて、 しやうにんおむもとへまいるところに、 にんどもおのおのまふすやう、 けうはさしたるだいはべり、 これをうちすてゝいづかたへありきたもふぞ。 はやくけうはとまりたまふべしといひけれども、 かゝるゆめをみつれば、 かのしやうにんわうじやうをおがみにまいらむとて、 よろづをふりすてゝいそぐなり。 さらにとゞまるべからずといひて、 にんよりほのぼのにいでゝ、 ひむがしやま大谷おほたにばうにまいりてみたてまつれば、 げにもそののむまのときわうじやうしたまへり。 このゆめは、 しやうにんいまだわうじやうのさきにきゝおよべる人々ひとびと、 あまたはべりけり。 さらにうたがひなきことなり。 かへすがへすこのことふしぎのことなり。 おほよそ廿五日に、 しやうにんわうじやうをおがみたてまつらむとてまいりあつまりたるひと、 さかりなるいちのごとくはべりけり。 そのなかにあるひとのいふやう、 廿三日ののゆめにみるやう、 しやうにんきたりて、 われは廿五日のむまのときわうじやうすべきなりとのたまふとおもひて、 ゆめさめぬ。 このことのまことをあきらめむとて、 まいりたるよしまふしけり。 これならず、 あるいはきのふの、 このつげあ0947りといふものもあり。 あつまりたる人々ひとびとなかに、 かやうのことどもいふひとおほくはべり。 くわしくしるしまふしはべらず。

一 ひむがしやま一切ゐちさいきやうたにに、 大進だいしんまふすそう弟子でしに、 とし十六じふろくなるちご といふゆめに、 おなじ廿き 五日のみるやう、 西にしひむがしへすぐにとおりたるおほぢあり、 いさごをちらして、 むしろをみちのなかにしけり。 左右さうにものみるひととおぼしくて、 おほくあつまれり。 ゆゝしきことのあらむずるぞとおぼえて、 それもともにみはべらむとて、 みちのかたわらにたちよりてはべるほどに、 天童てんどうにんたまのはたをさして西にしへゆきたまへり。 そのうしろにまた法服ほふぶくきたるそうども千万せんまんにんあつまりゆきて、 ひだりかうをもち、 みぎのてにはけさのはしをとりて、 おなじく西にしへゆくを、 ゆめのなかにとふやう、 これはいかなるひとのおはしますぞといふに、 あるひとこたへていふやう、 これはわうじやうしやうにんのおはしますなりといふを、 またとふやう、 しやうにんとはたれびとぞととへば、 これはおほたにのしやうにんなりとみて、 ゆめさめぬ。 このちごそのあかつきそうにかたりはべりけり。 このちごしやうにんことおもしらず、 またわうじやうのよしおもきゝおよばざりけるに、 そらにこのつげありけり。

一 けんりやく二年二月十三日の惟方これかた別当べちたう入道にふだうまご、 ゆめにみるやう、 しやうにん0948葬送さうそうしたてまつるをおがみければ、 しやうにん清水きよみづのたうのなかにいれたてまつるとみて、 のちまた二日ふつかばかりすぎて、 ゆめにみるやう、 となりのばうひときたりていふやう、 しやうにん葬送さうそうにまいりあはぬことのゐこむにさふらへども、 おなじことなり、 はかどころへまいりたまへとまふすに、 よろこびてかのはかどころへあひしてまいりぬとおもふほどに、 八幡はちまんみやとおぼしきやしろの、 みとあくるところをみれば、 しやうたいおはします。 そのときはかどころへまいるに、 はたしやうたいとはなにおかまふすべきといふに、 かのとなりのひといふやう、 このしやうにん御房おむばうこそはしやうたいよといふあひだ、 いよだちて、 あせたりて、 ゆめさめぬ。

一 おなじき 月廿五日たつときに、 ねん弥陀みだぶちまふすあまの、 ゆめうつゝともなくてみるやう、 はるかにうしとらのかたをみやれば、 しやうにんすみぞめのころもをきて、 そらにゐたまへり。 そのかたはらにすこしさがりてしらさうぞくして、 唐人たうじんのごとくなるひとゐたり。 おほたににあたりて、 しやうにん俗人ぞくにんと、 みなみにむかひてゐたまへるほどに、 ぞくのいふやう、 このしやうにん通事つじにておはすといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。

一 おなじ廿き 三日ときに、 ねん弥陀みだぶち、 またゆめに、 そらはれて西にしのかたをみれば、 し0949ろきひかりあり。 あふぎのごとくして、 すゑひろくもとせばくして、 やうやくおほきになりて虚空こくにみてり。 ひかりなかに、 わらだばかりなるうんあり。 ひかりあるくもとおなじくひむがしやま大谷おほたにのかたにあたりて、 さむじたる人々ひとびとあまたこれをおがみけり。 いかなるひかりぞといふに、 あるひとのいふやう、 法然ほふねんしやうにんわうじやうしたまふよとまふすによりて、 おがみたてまつれば、 人々ひとびとなかに、 よにかうばしきかなといふひともありとおもふて、 これを信仰しんかうしておがむとおもへば、 ゆめさめぬ。

一 しやうにんわうじやうしたまへる大谷おほたにばうひむがしきしうへに、 たいらかなるところあり。 そのを、 けんりやく二年十二月のころ、 かのぬししやうにんにまいらせたりければ、 そのしよとさだめて葬送さうそうしたてまつりはべりけり。 そののきたに、 またひとばうあり。 それにやどりゐたるあまの、 先年せんねんのころゆめにみるやう、 かのはかどころのを、 天童てんどうありてぎやうだうしたまふとみはべりけり。 またおなじ房主ばうしゆ去年きよねんコゾトイフ十一月十五日ののゆめにみるやう、 このみなみのはかどころに、 しやう蓮華れんぐゑおいてかいせり。 そのはなかぜにふかれて、 すこしづゝこのばうへちりかゝるとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじばうおむなはべりけるも、 去年きよねんの十二月のころみるやう、 みなみにいろいろさまざまの蓮華れんぐゑさきひらけてありとみおはりてのち、 ことしの正月十日、 かの0950しよとさだめて、 あなをほりまうくるとき、 このばうはじめておどろきていふやう、 ひごろのゆめどものたびまでありしが、 たゞいまおもひあはするに、 あひたるよといひて、 ふしぎかりけり。

一 けんりやくぐわんねんのころ、 しやうにんつのくにのかちといふところにおはしけるとき祇陀ぎだりむゐちじやうにてはべりける西さいじやうばうといふそうの、 ゆめにみるやう、 祇陀ぎだりむひむがしやまにあたりて金色こむじきひかりをさしたりけるを、 あまたひとこれをみて、 あやしみとひたづねければ、 そばなるひとのいふやう、 これこそ法然ほふねんしやうにんわうじやうしたまふよといふとおもふほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝちしやうにんかちより大谷おほたににうつりゐたまふてわうじやうしたまひぬときゝて、 このそう人々ひとびとにかゝりしゆめをこそみたりしかとまふしけり。

一 華山くわざんゐんさき大臣だいじんいゑさぶらひに、 江内かうないといふものゝしたしき女房によばう三日みつかがあひだ、 うちつゞきさむまでゆめにみるやう、 まづ正月廿三日ののゆめに、 西山にしやまよりひむがしやまにいたるまで、 しきくもゐちちやうばかりになおくたなびきてはべりけり。 大谷おほたにしやうにん御房おむばうにまいりておがみたてまつりければ、 すみぞめのころも・けさをきたまへるが、 袈裟けさのおほはむすびたれて、 如法によほふきやうのけさのおのやうにて、 しやう0951ようかとおぼえて、 しやうにんいでたちたまふとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじ廿き 四日のみるやう、 昨日きのふしきくもすこしもちらずして、 おほいかだのやうにおほまわりにまわりて、 ひむがしがしらなるくも、 西にしがしらになりて、 なほくたなびけり。 しやうにんもさきのごとくしておはしますとみて、 ゆめさめぬ。 またおなじ廿き 五日にみるやう、 くだんくも西にしへおもむきて、 しやうにん七条しちでう袈裟けさをかけて、 臨終りむじゆほふのやうにてかのくもにのりて、 とぶがごとくして西にしへゆきたまひぬとみて、 ゆめさめぬ。 むねさわぎておどろきたるに、 わがくちも、 ころもゝ、 あたりまでも、 よにかうばしくはべりける。 よのつねのにもにず、 よにめでたくぞはべりける 。

一 あるひと、 二月二日ののゆめにみるやう、 しやうにんわうじやうしたまひてのち、 七日にあたりけるのゆめに、 あるそうきたりていふやう、 しやうにん御房おむばうは、 わうじやうでんいらせたまひたるおば、 しるやいなやととひはべりければ、 このひといふやう、 たれびとのいかなるでんいりたまへるにかとまふしはべりければ、 ゆびをもちて、 まへなるふみをさして、 このふみにいらせたまふなりとみて、 ゆめさめぬ。 そのゆびにてさしつるふみをみれは、 善導ぜんだうの ¬観経くわんぎやうしよ¼ なりけり。 これはちやうらくりち りうくわんゐちちう念仏ねむぶちまふしけるときのゆめなり。

0952 先年せんねんのころ、 ぢきしやうばうといふひとくままいりはべりけるに、 しやうにんいさゝかのことによりて、 さぬきへくだりたまふときゝてかうせむとするほどに、 ことにふれて、 はゞかりのみありて、 やまひがちにはべりければ、 このこと権現ごんげんにいのりまふしはべりけるに、 ぢきしやうばうがゆめにみるやう、 なむぢいづべからず、 臨終りむじゆのときすでにちかしとはべりければ、 かのそうまふすやう、 しやうにんことのきわめておぼつかなくさふらふなり。 はやくかうさふらひて、 さいをうけたまはりさふらふばやとおもひたまふとまふしければ、 権現ごんげんのしめしたまふやう、 かのしやうにんせいさち化現くゑげんなり、 なむぢしむすべからずと。 みおわりてのち、 いくほどをへずしてかのそうわうじやうはべりけること、 めをおどろかさずといふことなし。 このありさま、 よの人々ひとびとみなしれり。

一 天王てんわう松殿まつどの法印ほふいん御坊おむばう じやうそんたかでらにこもりゐて、 ひごろ法然ほふねんしやうにんといふひとありとばかりしりて、 いまだ対面たいめんにおよばず。 しかるに正月廿五日むまときばかりに、 ある貴所くゐしよより ¬弥陀みだきやう¼ をあつらえて、 かゝせらるゝことありて、 いだしふんづくえにて書写しよしやのあひだに、 しばらく脇息けふそくによりかゝりてそくするほどに、 ゆめにみるやう、 けんもてのほかに、 諸人しよにんのゝしるおとのするにおどろきて、 えむのはしにたちいでゝそらをみあげたれば、 普通ふつののりぐるまのわほどなるはち輻輪ふくりん八方はちぱうのさき0953ごとに雑色ざふしきはたをかけたるが、 ひむがしより西にしへとびゆくに、 金色こむじきひかりありてはうをてらすに、 すべてのものみえずして、 金色こむじきひかりのみてんにみちみちて、 にちくわう弊覆へいふくせられたり。 これをあやしみて、 ひとにこれをとふとおぼしきに、 かたわらのひとつげていはく、 法然ほふねんしやうにんわうじやうさうなりといふ。 くゐみやう渇仰かちがうのおもひをなすほどに、 ゆめさめぬ。 そのゝち、 しらかわのおむめのとのもとより、 おなじ廿き 七日におむふみをおくらるゝついでに、 おととひ廿五日のむまのときにこそ、 法然ほふねんしやうにんわうじやうせられてさふらへとまふされたるときさうすでにがふして、 いよいよずいのおもひをなしおはりぬといへり。

一 たむくにしらふのしやうに、 別所べちしよゐちじやうそうありけり。 むかし天臺てんだいさんがく遁世とむせいのちしやうにんくゐしたてまつりて弟子でしになりけるほどに、 たむよりのぼりて、 きやうでう坊門ばうもんとみのこうなるところじゆしけり。 あるひるねしたるゆめに、 そらうんそびきたるなかに、 アマ一人ゐちにんありて、 うちゑみていはく、 法然ほふねんしやうにんおむおしえによりて極楽ごくらくわうじやうさふらひぬるを、 にんさふらひつるとつげける。 そのゝちゆめさめて、 しやうにんでうにおはしましけるに、 やがてまいりて、 妄想まうざうにてやさふらひつらむ、 かゝるゆめをみてさふらふまふしければ、 しやうにんうちあむじて、 さるひともあるらむとて、 ひとにんへつかはさむ0954としけるが、 もくれければ、 つぎあしたにかのところへつかはして、 便びんになにごとさふらふとたづぬべきよし、 使つかひにおほせられけるに、 くだんこう昨日きのふむまときわうじやうせられさふらひぬとまふしたりけるを、 しやうにんまふされていはく、 かのこうは ¬法華ほふくゑきやう¼ せんどくせむとぐわんをおこしてさふらふが、 しちひやくばかりはよみてさふらふが、 のこりをいかにしてはたしとぐべしともおぼへさふらはぬとまふしさふらひしを、 としよりたるおむに、 めでたくよませたまひてさふらへども、 のこりおば一向ゐちかう念仏ねむぶちにならせたまへかしとて、 みやうがうどくをときゝかせられけるより、 ¬きやう¼ おばおきて一向ゐちかうせんしようして、 としつきをへてわうじやう極楽ごくらくくわいをとげけるにやとぞ、 おほせありけると。

康元かうげん二年丁巳正月二日

愚禿親鸞 八十五歳 校了

 

西0955方指南抄中

、七箇条起請文

一 あまねく門人もんにん念仏ねむぶちしやうにんとうつげたまはく。

一 普告↠于↢豫門人念仏上人等↡。

いまだゐちもんうかゞはず真言しんごんくわんし、 ぶちさちはうたてまつることをちやうすべきこと

可↱停↫止未↠窺↢一句文↡奉↪破↢真言・止観↡、 謗↩余仏・菩薩↨事。

みぎだうりふするにいたては、 がくしやうるところなり、 にんきやうがいにあらず。 しかのみならず、 はうしやうぼふ弥陀みだぐわん免除めんぢよせられたり。 そのほうまさにらくすべし。 あにあむいたりにあらずや。

右至↣立↢破道↡者、 学生之所↠経也、 非↢愚人之境界↡。 加之、 誹謗正法免↢除弥陀願↡。 其報当↠堕↢那落↡。 豈非↢痴闇之至↡哉。

一 无智むちをもて有智うちひとむかひ、 べちぎやうともがらあふてこのみてじやうろんいたすことをちやうすべきこと

一 可↫停↪止以↢无智身↡対↢有智人↡、 遇↢別行輩↡好致↩諍論↨事。

みぎろんは、 これしやなり、 さらににんぶんにあらず。 またじやうろんとおろはもろもろの煩悩ぼむなうおこる。 しやこれをおんすることひやくじゆんなり。 いはむや一向ゐちかう念仏ねむぶちぎやうにんにおいてをや。

右論義者、 是智者之有也、 更非↢愚人之分↡。 又諍論之処諸煩悩起。 智者遠↢離之↡百由句也。 況於↢一向念仏之行人↡乎。

一 べちべちぎやうにんむかふて、 愚痴ぐち偏執へんじふこゝろをもてまさに本業ほんごふ棄置きちし、 しゐてこれをけむくわんすべしといふことをちやうすべきこと

一 可↧停↦止対↢別解・別行人↡、 以↢愚痴偏執心↡傋↞当↧棄↢置本業↡、 強嫌↦キラヒキラフ ↥事。

みぎ修道しゆだうならひ、 おのおのつとむるにあえてぎやうしやせず。 ¬西方さいはうえうくゑち¼ (意)いはく、 「べちべちぎやうはすべてきやうしむおこせ。 もしまんしやうぜば、 つみむこときわまりなしと。」 なんぞこのせいそむかむや。

右修道之習、 各勤敢不↠遮↢余行↡。 ¬西方要決¼ 云、 「別解・別行者総起↢敬心↡。 若生↢軽慢↡、 得↠罪无↠窮。」 何背↢此制↡哉。

0956 念仏ねむぶちもんにおいて、 かいぎやうなしとがうしてもはら淫酒いむしゆしよくにくすゝめ、 たまたまりちまもものざふぎやうなづく、 弥陀みだほんぐわんたのものとい造悪ざうあくおそるゝことなかれといふことをちやうすべきこと

一 可↧停↦止於↢念仏門↡、 号↠无↢戒行↡専勧↢淫酒食肉↡、 適守↢律儀↡者名↢雑行↡、 憑↢弥陀本願↡者、 説勿↞恐↢造悪↡事。

みぎかいはこれ仏法ぶちぽふだいなり、 しゆぎやうまちまちなりといゑどもおなじくこれをもはらにす。 これをもて善導ぜんだうくわしやうあげ女人によにんず。 この行状ぎやうじやうおもむき本律ほんりちせいじやうごふたぐひすぎたり。 これにしゆんぜずは、 すべて如来によらい遺教ゆいけうわすれたり、 べちしては祖師そし旧跡きうせきそむく。 かたがたるところなきものか。

右戒是仏法大地也、 衆行雖↠区同専↠之。 是以善導和尚、 挙↠目不↠見↢女人↡。 此行状之趣、 過↢本律制浄業之類↡。 不↠順↠之者、 総失↢如来之遺教↡、 別背↢祖師之旧跡↡。 旁无↠拠者歟。

一 いまだ是非ぜひわきまへにんしやうげうはなせちにあらず、 おそらくはわたくしじゆちしみだりにじやうろんくわだて、 しやわらはにん迷乱めいらんすることをちやうすべきこと

一 可↫停↪止未↠辨↢是非↡痴人、 離↢聖教↡非↢師説↡、 恐述↢私義↡妄企↢諍論↡、 被↠笑↢智者↡迷↩乱愚人↨事。

みぎ无智むち大天だいてん、 このてう再誕さいたむしてみだりがわしくじやじゆちす。 すでにじふしゆだうどうじ、 もともこれをかなしむべし。

右无智大天、 此朝再誕猥述↢邪義↡。 既同↢九十五種異道↡、 尤可↠悲↠之。

一 どんをもてことにしやうだうこのみ、 しやうぼふしらずして種種しゆじゆ邪法じやほふときて、 无智むち道俗だうぞく教化けうくゑすることをちやうすべきこと

一 可↫停↪止以↢痴鈍身↡殊好↢唱導↡、 不↠知↢正法↡説↢種種邪法↡、 教↩化无智道俗↨事。

みぎさとりなくしてるは、 これ ¬梵網ぼむまう¼ の制戒せいかいなり。 黒闇こくあむたぐひおのれさいあらわさむとおもふて、 じやうけうをもて芸能げいのうとして、 みやうとむ檀越だんおちのぞむ。 おそらくは自由じゆ妄説まうせちなして、 けんひと狂惑わうわくせむ。 誑法わうぼふとがことにおもし。 このともがら国賊こくぞくにあらずや。

右無↠解作↠師、 是 ¬梵網¼ 之制戒也。 黒闇之類欲↠顕↢己才↡、 以↢浄土教↡為↢芸能↡、 貪↢名利↡望↢檀越↡。 恐成↢自由之妄説↡、 狂↢惑世間人↡。 誑法之過殊重。 是輩非↢国賊↡乎。クニノヌスビトヽイフ

一 みづから仏教ぶちけうにあらざる邪法じやほふときしやうぼふとし、 いつわりはんせちがうすることをちやうすべきこと

一 可↫停↪止自説↧非↢仏教↡邪法↥為↢正法↡、 偽号↩師範説↨事。

みぎ0957おのおの一人ゐちにんなりといゑども、 つめるところわが一身いちしんためなりとく。 衆悪しゆあくをして弥陀みだ教文けうもんけがす、 しやうあくみやうぐ、 ぜんはなはだしきことこれにすぎたることなきものなり。

右各雖↢一人↡、 説↣所↠積為↢豫一身↡。 衆悪汚↢弥陀教文↡、 揚↢師匠之悪名↡、 不善之甚无↠過↠之者也。

ぜんしちでう甄録けんろくかくのごとし。 一分ゐちぶん教文けうもんまなばむ弟子でしは、 すこぶるしゆしり年来ねんらいあひだ念仏ねむぶちしゆすといゑども、 しやうげうずいじゆんしてあえて人心にんしむたがはず、 きこへおどろかすことなかれ。 これによていま三十さむじふねん无為ぶゐなり。 にちぐゑちわたりちかわういたるまでこのじふねんより以後いご无智むちぜんともがら時時ときどき到来たうらいす。 たゞ弥陀みだじやうごふしちするのみにあらず、 またしや遺法ゆいほふ汚穢わゑす。 なんぞきやうかいくわへざらむや。

以前七箇条甄録如↠斯。 一分学↢教文↡弟子等者、 頗知↢旨趣↡年来之間雖↠修↢念仏↡、 随↢順聖教↡敢不↠逆↢人心↡、 无↠驚↢世聴↡。 因↠茲于↠今三十箇年无為。 渉↢日月↡而至↢近王↡此十箇年以後、 无智不善輩時時到来。 非↣啻失↢弥陀浄業↡、 又汚↢穢釈迦遺法↡。 何不↠加↢烱誡↡乎。

このしちでううちたうあひださい事等じらおほし。 つぶさにちゆじゆちしがたし。 すべてかくのごときらのはうつゝしんおかすべからず。 このうへなほ制法せいほふそむともがらは、 これ門人もんにんにあらず、 くゑんぞくなり。 さらに草庵さうあむきたるべからず。

此七箇条之内、 不当之間巨細事等多。 具難↢註述↡。 総如↠此等之無方、 慎不↠可↠犯。 此上猶背↢制法↡輩者、 是非↢豫門人↡、 魔眷属也。 更不↠可↠来↢草庵↡。

こむ以後いご、 おのおのおよばむにしたがふて、 かならずこれをれらるべし。 にんあひともなふことなかれ。 もししからずは、 これどうひとなり。 かのとがすごときのものは、 同法どうほふいかしやううらむることあたはず、 ごふとくことわり、 ただおのれりならくのみ。

自今以後、 各随↢聞及↡、 必可↠被↠触↠之。 余人勿↢相伴↡。 若不↠然者、 是同意人也。 彼過如↠作者、 不↠能↧瞋↢同法↡恨↦師匠↥、 自業自得之理、 只在↢己身↡而已。

このゆへに今日こむにちはうぎやうにんもよおして、 一室ゐちしちあつめがうみやうすらく、 わずかにぶんありといゑどもたしかにたれのひととがしらず、 沙汰さたによて愁歎しうたんす。 年序ねんじよおくる、 黙止もだすべきにあらず。 まづちからおよぶしたがうて、 禁遏きむあちはかりごとめぐらすなり。 よてそのおもむきろくして門葉もんえふしめじやうくだんのごとし。

是故今日催↢四方行人↡、 集↢一室↡告命、 僅雖↠有↢風聞↡慥不↠知↢誰人失↡、 拠↠于↢沙汰↡愁歎。 遂↢年序↡、 非↠可↢黙止↡。 先随↢力及↡、 所↠廻↢禁遏之計↡也。 仍録↢其趣↡示↢門葉等↡之状、 如↠件。

 ぐゑんきうぐわんねん十一月七日 沙門しやもんぐゑん

しん かむしやう 尊西そんさい しよう ぐゑん ぎやう西さい しやうれん 見仏けんぶち だうくわん 導西だうさい じやく西せい 宗慶そうけい 西さい0958えん 親蓮しんれん 幸西かうせい 住蓮じゆれん 西さい 仏心ぶちしむ ぐゑんれん 蓮生れんせい 善信ぜんしん ぎやう 已上 じやうひやくにん連署れんしよおわり

、起請没後二箇条事

しやう もちでうこと

一 さう追善ついぜんこと

みぎさうだい、 すこぶるそのさいあり。 篭居ろうきよこゝろざしあらむ遺弟ゆいてい同法どうほふ、 またく一所ゐちしよぐんすべからざるものなり。 そのゆへいかんとならば、 またがふするにたりといゑども、 あつまればすなわちとうじやうおこす。 このことばまことなるかな、 はなはだつゝしつゝしむべし。 もししからばわが同法どうほふ、 わがもちにおいて各住かくじゆかくしてはざるにはしかじ。 とうじやうもとゐなるゆへは、 しふのゆへなり。 ねがはくはわが弟子でし同法どうほふ、 おのおのしづか本在ほんざい草庵さうあむじゆし、 ねむごろにわがしんしやう蓮台れんだいいのるべし。 ゆめゆめ一所ゐちしよ群居ぐんきよすとも、 じやうろんいた忿怨ふんゑんおこすことなかれ。 おんしることあらむひとは、 毫末がうまちすべからざるものなり。

右葬家之次第、 頗有↢其採旨↡。 有↢篭居之志↡遺弟・同法等、 全不↠可↣群↢会一所↡者也。 其故何者、 雖↣復似↢和合↡、 集則起↢闘諍↡。 此言誠哉、 甚可↢謹慎↡。 若然者我同法等、 於↢我没後↡各住各居不↠如↠不↠会。 闘諍之基由、 集会之故也。 羨我弟子・同法等、 各閑住↢本在之草庵↡、 苦可↠祈↢我新生之蓮台↡。 努々群↢居一所↡、 莫↧致↢諍論↡起↦忿怨↥。 有↠知↢恩志↡之人、 毫末不↠可↠違者也。

かねてはまた追善ついぜんだい、 またふかぞんするむねあり。 ぶちしやきやうとうぜん浴室よくしちだんとうぎやう一向ゐちかうにこれをしゆすべからず。 もし追善ついぜん報恩ほうおんこゝろざしあらむひとは、 たゞ一向ゐちかう念仏ねむぶちぎやうしゆすべし。 平生へいぜいとき、 すでにぎやうくゑについて、 たゞ念仏ねむぶちゐちぎやうかぎる。 歿没ざんもちのち、 あに報恩ほうおん追修ついしゆために、 むしろ自余じよ衆善しゆぜんまじえむや。 たゞ念仏ねむぶちぎやうにおいてな0959用心ようじむあるべし。

兼又追善之次第、 亦深有↢存旨↡。 図仏・写経等善、 浴室・檀施等行、 一向不↠可↠修↠之。 若有↢追善報恩之志↡人、 唯一向可↠修↢念仏之行↡。 平生之時、 既付↢自行化他↡、 唯局↢念仏之一行↡。 歿没之後、 豈為↢報恩追修↡、 寧雑↢自余之衆善↡哉。 但於↢念仏行↡尚可↠有↢用心↡。

あるいはまなことぢてののちゐちちうそくよりこれをはじめよ。 じやうしんへうしておのおの念仏ねむぶちすべし。 中陰ちういむあひだ念仏ねむぶちゝざれ。 やゝもすればくゑんしやうじて、 おのおのかへりしんぎやうゝむ。 おほよそもちだい、 みな真実しんじちしむをもて虚仮こけぎやうつべし。 こゝろざしあらむともがら遺言ゆいごんそむくことなかれならくのみ。

或眼閉之後、 一昼夜自↢即時↡始↠之。 標↢誠至心↡各可↢念仏↡。 中陰之間、 不↠断↢念仏↡。 動生↢懈惓↡、 各還闕↢勇進之行↡。 凡没後之次第、 皆用↢真実心↡可↠棄↢虚仮行↡。 有↠志之倫、 勿↠乖↢遺言↡而已。

一〇、源空聖人私日記

ぐゑんしやうにんにち

それおもひみれば、 ぞくしやう美作みまさかくに廳官ちやうくわんうるし時国ときくにそくおなくに久米くめ南条なむでう稲岡いなおかしやうたむじやうなり。 長承ちやうしよう二年 みづのとうし しやうにんはじめて胎内たいないいでたまふしときふたつはたてんよりしてくだる。 奇異きい瑞相ずいさうなり。 権化ごんくゑ再誕さいたむなり。 ものたなごゝろあはせ、 ものみゝおどろかすと

夫以、 俗姓者美作国廳官漆間時国之息。 同国久米南条稲岡庄誕生之地也。 長承二年 癸丑 聖人始出↢胎内↡之時、 両幡自↠天而降。 奇異之瑞相也。 権化之再誕也。 見者合↠掌、 聞者驚↠耳 

保延ほうえん七年 かのととり はるころ慈父じふうちため殺害せちがいせられおはりぬ。 しやうにんしやうねんさいにして、 けう小箭こやくゐようてきあひだる。 くだんきずをもてそのかたきる、 すなわちそのしやうあづかりしよ明石あかしぐゑんないしやなり。 これによてかくおはりぬ。 そのときしやうにんおなじくにうちだい院主ゐんじゆくわんがく得業とくごふ弟子でしりたまふ。

保延七年 辛酉 春比、 慈父為↢夜打↡被↢殺害↡畢。 聖人生年九歳、 以↢破矯小箭↡射↢凶敵之目間↡。 以↢件疵↡知↢其敵↡、 即其庄預所明石源内武者也。 因↠茲逃隠畢。 其時聖人、 同国内菩提寺院主観覚得業之弟子成給。

天養てんやう二年 きのとうし はじめ登山とうざんとき得業とくごふくわんがくじやういはく、 だいしやう文殊もんじゆざう一体ゐちたいしんじやうすと。 ぐゑんがく西塔さいたう北谷きただにほふばうぜん得業とくごふ消息せうそくたまふてあやしみたまふにせうきたれり、 しやうにん十三じふさむとしなり。 しかふしてのち十七じふしちさいにて天台てんだい六十ろくじふくわんこれをはじむ。

天養二年 乙丑 初登山之時、 得業観覚状云、 進↢上大聖文殊像一体↡。 源覚西塔北谷持法房禅下、 得業消息見給奇給小児来、 聖人十三歳也。 然後十七歳天臺六十巻読↢始之↡。

きう0960あん六年 かのえむま 十八じふはちさいにはじめてしやういとまこちしやうして遁世とむせいせむとす。 法華ほふくゑしゆぎやうときげんさち眼前がんぜんはいしたてまつる、 ¬華厳くゑごむ¼ らんときじやきたる。 しんしやうにんこれをおそおどろきたまふ。 そのゆめにみらく、 われはこのしやうにんよるきやうろんたまふに、 とうみやうなしといゑどもしちうちひかりあてひるのごとし。 しん 法蓮ほふれんばうなり、 しやうにん同法どうほふ おなじくそのひかりる。 真言しんごんけうしゆせむとしてだうぢやういりさうじやうしんくわんくわんず、 ぎやうこれをあらはす。 じやう西門せいもんゐんにして説戒せちかいしちにちあひだ小蛇せうじやきたりちやうもんす。 だい七日しちにちあたり唐垣からがきうへにしてそのじやおはりぬ。 とき人人ひとびとあてるやう、 そのかしらわれなかよりあるいは天人てんにんのぼるをる、 あるいはてうづとる。 説戒せちかいちやうもんのゆへに、 蛇道じやだうほうはなれじきてんじやうしやうずるか。

久安六年 庚午 十八歳始師匠乞↢請暇↡遁世。 法華修行之時普賢菩薩眼前奉↠拝、 ¬華厳¼ 披覧之時蛇出来。 信空上人見↠之怖驚給。 其夜夢、 我者此聖人夜経論見、 雖↠無↢灯明↡室内有↠光如↠昼。 信空 法蓮房也、 聖人之同法 同見↢其光↡。 修↢真言教↡入↢道場↡観↢五相成身之観↡、 行顕↠之。 於↢上西門院↡説戒七箇日之間、 小蛇来聴聞。 当↢第七日↡於↢唐垣上↡其蛇死畢。 于↠時有↢人人↡見様、 其頭破中或見↢天人登↡、 或見↢蝶出↡。 説戒聴聞之故、 離↢蛇道之報↡直生↢天上↡歟。

高倉たかくら天皇てんわうぎよかいたまひき。 そのかいさうじよう南岳なむがくだいよりつたふるところいまえず、 けん流布るふかいこれなり。 しやうにん所学しよがく宗宗しゆしゆしやうにんかへ弟子でしおはりぬ。 まことだいくわんしよなりといゑども三反さむべんこれをけんするときもんにおいては明明めいめいにしてくらからず、 またぶんみやうなり。 しかりといゑども廿にじふこうをもて、 一宗いちしゆ大綱たいかうしることあたはず。 しかふしてのち諸宗しよしゆけうさううかゞふ、 顕密けんみちあうさとる。 八宗はちしゆほか仏心ぶちしむだるとうしゆぐゑんあきらかなり。 こゝにだい三論さむろんしゆ先達せんだちしやうにんそのところゆいしゆじゆちす。 先達せんだちそうじものいはずしてち、 うちいり文函ふんばこじふがふいだしていはく、 わが法門ほふもんにおいてはおもひなく、 ながくなんぢにぞくせしむと 。 このうへしよう讃嘆さんだんするに羅縷らるするにいとまあらず。 またざうしゆんそうあふ法相ほふさう法門ほふもんだんぜしときざうしゆんいはく、 なんぢまさに直人たゞびとにあらず、 権者ごんじや化現くゑげんなり。 0961深遠じむおんなることぎやうさう炳焉へいえんなり。 われゐちあひだやういたすべきむね契約けいやくせりき。 よて毎年まいねんやうもちおくる、 こんいたす。 すでにほんおはぬ。 しゆちやうじやけう先達せんだちずい信伏しんぷくせざるはなし。

高倉天皇御宇得↠戒。 其戒之相承、 自↢南岳大師↡所↠伝于↠今不↠絶、 世間流布之戒是也。 聖人所学之宗宗師匠四人、 還成↢弟子↡畢。 誠雖↢大巻書↡三反披↢見之↡時、 於↠文者明明不↠暗、 義又分明也。 雖↠然以↢廿余之功↡、 不↠能↠知↢一宗之大綱↡。 然後窺↢諸宗之教相↡、 悟↢顕密之奥旨↡。 八宗之外明↢仏心・達磨等宗之玄旨↡。 爰醍醐寺三論宗之先達、 聖人往↠于↢其所↡述↢意趣↡。 先達総不↠言起↠座、 入↠内取↢出文函十余合↡云、 於↢我法門↡者無↢余念↡、 永令↣付↢属于↟汝 。 此上称美讃嘆不↠遑↢羅縷↡。 又値↢蔵俊僧都↡而談↢法相法門↡之時、 蔵俊云、 汝方非↢直人↡、 権者之化現也。 智慧深遠形相炳焉也。 我一期之間可↠致↢供養↡之旨契約。 仍毎年贈↢供養物↡、 致↢懇志↡。 已遂↢本意↡了。 宗之長者、 教之先達、 無↠不↢随喜信伏↡。

すべて本朝ほんてうわたるところのしやうげうないでん目録もくろく、 みな一見ゐちけんくわへられおはぬ。 しかりといゑどもしゆつみちわづらいて身心しんしむやすからず。 そもそもはじめ曇鸞どむらんだうしやく善導ぜんだうかむさくよりりようごむ先徳せんどくの ¬わうじやう要集えうしゆ¼ にいたるまで、 あううかゞふことへんすといゑども、 拝見はいけんせしときわうじやうなほやすからず。 だい三反さむべんとき乱想らんさうぼむ称名しようみやうゐちぎやうにしかず、 これすなわちぢよくわれ依怙えこなり。 末代まちだいしゆじやうしゆつかいせしめおはぬ。 いはむやしん得脱とくだちにおいてをや。 しかればすなわちためひとためこのぎやう弘通ぐづせしめむとおもふといゑども、 時機じきはかりがたし、 感応かむおうりがたし。 つらつらこのことおもひ、 しばらくふしいぬところさうしめす。 うんひろくおほきにたなびき日本にちぽんこくおほへり。 くもなかよりりやうひかりいだす、 ひかりなかよりひやくぽうしきとりさんじて、 虚空こく充満じゆまんせり。 とき高山かうざんのぼりてたちまちにしやうじん善導ぜんだうおがめば、 御腰おむこしよりしも金色こむじきなり、 御腰おむこしよりかみつねのごとし。 高僧かうそういはく、 なんぢせうなりといゑども、 念仏ねむぶちこうぎやう一天ゐちてんみてり。 称名しようみやう専修せんじゆしゆじやうおよぼさむがゆへに、 われここにきたれり。 善導ぜんだうすなわちわれなりと 。 これによてこのほふひろむ。 年年ねんねんだいはんじやうせむ、 流布るふせざるところなけむと。

総本朝所↠渡之聖教乃至伝記・目録、 皆被↠加↢一見↡了。 雖↠然煩↢出離之道↡身心不↠安。 抑始自↢曇鸞・道綽・善導・懐感御作↡至↠于↢楞厳先徳 ¬往生要集¼↡、 雖↧窺↢奥旨↡二反↥、 拝見之時者往生猶不↠易。 第三反之時、 乱想之凡夫不↠如↢称名之一行↡、 是則濁世我等依怙。 末代衆生之出離令↢開悟↡訖。 況於↢自身得脱↡乎。 然則為↠世為↠人雖↠欲↠令↣弘↢通此行↡、 時機難↠量、 感応難↠知。 倩思↢此事↡、 暫伏寝之処示↢夢想↡。 紫雲広大聳覆↢日本国↡。 自↢雲中↡出↢无量光↡、 自↢光中↡百宝色鳥飛散、 充↢満虚空↡。 于↠時登↢高山↡忽拝↢生身之善導↡、 自↢御腰↡下者金色也、 自↢御腰↡上者如↠常。 高僧云、 汝雖↠為↢不肖之身↡、 念仏興行満↠于↢一天↡。 称名専修及↠于↢衆生↡之故、 我来↠于↠此。 善導即我也 。 因↠茲弘↢此法↡。 年年次第繁昌、 無↧不↢流布↡之所↥。

しやうにんいはく、 わが肥後ひごじやいはく、 ひと智慧ちゑ深遠じむおんなり。 しかるにつらつらしん分際ぶんざいはかるに、 このたびしやうしゆつすべからずと。 もし度度たびたびしやうしやうへだつ、 すなわち妄妄まうまうたるがゆへにさだめ仏法ぶちぽふまうぜるか。 長命ぢやうみやうほううけむにしか0962ずは、 そんしゆつまうあひたてまつらむとおもふ。 これにてわれまさに大蛇だいじやしんうけむと。 たゞし大海だいかいじゆせば、 中夭ちうえうあるべし。 かくのごとくおもさだめて、 遠江とおたうみくに笠原かさはらしやううちさくらいけといふところを、 りやうはなちぶみて、 このいけじゆせむとせいぐわんおはぬ。 そののち死期しごときいたて、 みづこふたなごゝろうちいれおはぬ。 しかるにかのいけかぜかざるになみにわかにて、 いけなかちりことごとくはらぐ。 諸人しよにんこれをて、 すなわちこのよししるしりやうまふす。 そのにちす、 かのじや逝去せいきよあたれり。 このゆへに智慧ちゑあるがゆへにしやうでがたきことをる、 道心だうしむあるがゆへにぶちしゆつまうあはむとぐわんずるところなり。 しかりといゑどもいまだじやう法門ほふもんしらざるがゆへに、 かくのごときあくぐわんおこす。 われそのとき、 もしこのほふたづたらば、 しんしんかへりみずこの法門ほふもんまふさまし。 しかるにしやうだうほふにおいては、 道心だうしむあらばおんしやうえんし、 道心だうしむなくはしかしながらみやうじゆせむ。 りきをもてたやすくしやういとふべきものは、 これくゐしようざるなり

聖人云、 我師肥後阿闍梨云、 人智慧深遠也。 然倩計↢自身分際↡、 此度不↠可↣出↢離生死↡。 若度度替↠生隔↠生、 即妄妄故定妄↢仏法↡歟。 不↠如↠受↢長命之報↡、 欲↠奉↠値↢慈尊之出世↡。 依↠之我将↠受↢大蛇身↡。 但住↢大海↡者、 可↠有↢中夭↡。 如↠此思定、 遠江国笠原庄内桜池云所、 取↢領家之放文↡、 住↢此池↡誓願了。 其後至↠于↢死期時↡、 乞↠水入↢掌中↡死了。 而彼池、 風不↠吹浪俄立、 池中塵悉払上。 諸人見↠之、 即注↢此由↡触↢申領家↡。 期↢其日時↡、 彼阿闍梨当↢逝去日↡。 所以有↢智慧↡故知↠難↠出↢生死↡、 有↢道心↡之故値↢仏之出世↡所↠願也。 雖↠然未↠知↢浄土法門之↡故、 如↠此発↢悪願↡。 我其時、 若此法尋得、 不↠顧↢信不信↡此法門申。 而於↢聖道法↡者、 有↢道心↡者期↢遠生之縁↡、 無↢道心↡者併住↢名利↡。 以↢自力↡輒可↠厭↢生死↡之者、 是不↠得↢帰依之証↡也

またしやうにん年来ねんらいきやうろんひらときしや如来によらい罪悪ざいあくしやうぼむ弥陀みだ称名しようみやうぎやう極楽ごくらくわうじやうべしとひろくこれをきたまふ。 教文けうもんかむがて、 いま念仏ねむぶち三昧ざむまいしゆじやうしゆつ。 そのときなむ北嶺ほくれい碩学せきがくたち、 ともにはう嘲哢てうろうすることきわまりなし。 しかるあひだぶん二年のころ天台てんだいしゆちう納言なうごん法印ほふいん顕真けんしんしやいと極楽ごくらくねがふて、 大原おほはらやま篭居ろうきよして念仏ねむぶちもんいれり。 そのとき弟子でし相模さがみきみまふすいはく、 法然ほふねんしやうにんじやうしゆりふす、 たづきこしめすべしと。 顕真けんしんいはく、 もともしかるべしと たゞわれ一人ゐちにんのみちやうもんすべからず、 処処しよしよしやしやうあつさだおはりてかの大原おおはら龍禅りうぜんしふして以後いごほふ0963ねんしやうにんこれをしやうず。 左右さうなく来臨らいりむおはぬ。 顕真けんしんえちきわまりなし。 しふ人々ひとびと

又聖人年来開↢経論↡之時、 釈迦如来、 罪悪生死凡夫依↢弥陀称名之行↡可↣往↢生極楽↡弘説↢給之↡。 勘↢得教文↡、 今修↢念仏三昧↡立↢浄土宗↡。 其時南都・北嶺碩学達、 共誹謗嘲哢無↠極。 然間文治二年之比、 天臺座主中納言法印顕真、 厭↢娑婆↡忻↢極楽↡、 篭↢居大原山↡入↢念仏門↡。 其時弟子相模公申云、 法然聖人立↢浄土宗義↡、 可↢尋聞食↡。 顕真云、 尤可↠然 。 但我一人不↠可↢聴聞↡、 処処智者請集定了而彼大原龍禅寺集会以後、 法然聖人請↠之。 無↢左右↡来臨了。 顕真喜悦無↠極。 集会之人々、

光明くわうみやうせんそうみやうへん東大とうだい三輪さんろんしゆちやうじやなり
かさでらだちしやうにんじゆかうじやうけい法相ほふさうしゆひとなり
大原おほはらやまほんじやうばうこの人人ひとびと問者もんじやなり
東大とうだいくわんじんしやうにんしゆじようばう重源ちようぐゑん
嵯峨さがわうじやうゐん念仏ねむぶちばう天臺てんだいしゆひとなり
大原おほはら来迎らいかうゐん明定みやうぢやうばう蓮慶れんけい天臺てんだいしゆひと
だいせんながれんくわうばう東大とうだいひと
法印ほふいんだいそうかい天臺てんだいさん東塔とうだう西谷にしだに林泉しむせんばう
法印ほふいん権大ごんだいそうしようしん天臺てんだいさん東塔とうだうひむがしだにほうばう
 ちやうしゆおほよそさむびやくにんなり

そのときしやうにんじやうしゆ義、 念仏ねむぶちどく弥陀みだほんぐわんむね明明めいめいにこれをときたまふ。 そのときいはく、 くちさだめらるほんじやうばう黙然もくねんとして信伏しんぷくおはぬ。 しふ人人ひとびとことごとくくわんなみだながす、 ひとへに帰伏くゐぶくす。 そのときよりかのしやうにん念仏ねむぶちしゆこうじやうなり。 法蔵ほふざう比丘びくむかしより弥陀みだ如来によらいいまいたるまで、 ほんぐわんおもむきわうじやうさいくらからず。 ときたまふときさむびやくにん一人ゐちにんとしてしやうだうじやう教文けうもんうたがふことなし。 ぐゑん0964これをときたまふしとき人人ひとびとはじめて虚空こくむかうごんいだひとなし。 しふ人人ひとびといはく、 かたちみれぐゑんしやうにんじち弥陀みだ如来によらいおうしやくさだめおはぬ。 よてしふしるしとて、 くだんてらにしてさむちうだん念仏ねむぶちごむぎようおはぬ。 けちぐわんあした顕真けんしん ¬法華ほふくゑきやう¼ のもん員数ゐんじゆについて、 一人ゐちにんべち弥陀みだぶちつけよと、 かの大仏だいぶちしやうにん教訓けうくんす。 そのときより南无なも弥陀みだぶちきたまへりおはぬ。

其時聖人浄土宗義、 念仏功徳、 弥陀本願之旨、 明明説↠之。 其時云、 口被↠定本成坊、 黙然而信伏了。 集会人人悉流↢歓喜之涙↡、 偏帰伏。 自↢其時↡彼聖人念仏宗興盛也。 自↢法蔵比丘之昔↡至↢弥陀如来之今↡、 本願之趣、 往生之子細不↠昧。 説給之時、 三百余人、 一人無↠疑↢聖道・浄土教文↡。 玄旨説↠之時、 人人始向↢虚空↡無↧出↢言語↡之人↥。 集会人人云、 ↠見形者源空聖人、 実者弥陀如来応跡歟定了。 仍集会之験、 於↢件寺↡三昼夜不断念仏勤行了。 結願之朝、 顕真付↢ ¬法華経¼ 之文字員数↡、 一人別阿弥陀仏名付、 彼教↢訓大仏上人↡。 自↢其時↡南无阿弥陀仏之名付給了。

高倉たかくらゐんぎよあんぐゑんぐわんねん きのとひつじ しやうにんよわいじふさむよりはじめてじやうもんいりしづかじやうくわんじたまふに、 しよ宝樹ほうじゆげんず、 つぎ瑠璃るりしめす、 後夜ごや殿でんこれをはいす。 弥陀みだ三尊さむぞんつねらいしたまふなり。 またりやうぜんにしてさむ七日しちにちだん念仏ねむぶちあひだとうみやうなきに光明くわうみやうあり。 だい五夜ごやせいさちぎやうだう同烈どうれちしてちたまふ。 あるひとゆめのごとくにこれをはいしたてまつる。 しやうにんのたまはく、 さることはべるらむや。 にんさらに拝見はいけんにあたはず。

高倉院御宇安元元年 乙未 聖人齢自↢四十三↡始入↢浄土門↡閑観↢浄土↡給、 初夜宝樹現、 次夜示↢瑠璃地↡、 後夜者宮殿拝↠之。 阿弥陀三尊常来至也。 又霊山寺三七日不断念仏之間、 無↢灯明↡有↢光明↡。 第五夜勢至菩薩行道同烈立給。 或人如↠夢奉↠拝↠之。 聖人曰、 猿事侍覧。 余人更不↠能↢拝見↡。

月輪つきのわぜんぢやう殿でん 兼実けむじちカネザネ ほふみやう円照えんせうくゐ甚深じむじむなり。 あるしやうにん月輪つきのわ殿どのさむじやうしたまふ。 退たいしゆつときよりかみたか蓮華れんぐゑふみあゆみたまふ。 くわう赫奕かくやくおほよそせいさち化身くゑしんなりと。

月輪禅定殿下 兼実 御法名円照、 帰依甚深也。 或日聖人参↢上月輪殿↡。 退出之時、 自↠地上高踏↢蓮華↡而歩。 頭光赫奕、 凡者勢至菩薩化身也。

かくのごときの善因ぜんいんしからしむるに業果ごふくわこれあらたなるところに、 南北なむぼく碩徳せきとく顕密けんみち法灯ほふとう、 あるいはわがしゆはうずとがうし、 あるいはしやうだうそねむとしようす。 こと左右さうよせて、 とが縦横じゆわうもとむ。 ややもすれば天聴てんていおどろかしもんかんするあひだりよほかにたちまちにちよくかむかぶりけいおこなはれおはぬ。

如↠此善因令↠然業果惟新之処、 南北之碩徳、 顕密之法灯、 或号↠謗↢我宗↡、 或称↠嫉↢聖道↡。 寄↣事於↢左右↡、 求↣咎於↢縦横↡。 動驚↢天聴↡諷↢諌門徒↡之間、 不慮之外忽蒙↢勅勘↡被↠行↢流刑↡了。

しかりといゑどもほどなく帰洛くゐらくおはぬ。 権中ごんちう納言なうごん藤原ふぢはら朝臣あそん光親みつちかぎやうとしてちよくめんせんくださる。 いぬけんりやくぐわんねん十一月廿日、 帰洛くゐらくしてきよとうざん大谷おほたに別業べちげふしめて、 とこしなへ西方さいはうじやう迎接かうせふつ。

雖↠然無↠程帰洛了。 権中納言藤原朝臣光親、 為↢奉行↡被↠下↢勅免之宣旨↡。 去建暦元年十一月廿日、 帰洛居卜↢東山大谷之別業↡、 鎮待↢西方浄土之迎接↡。

おなじき三年正0965月三日、 らうびやうそら蒙昧もうまいいたりす。 つところたのむところまことによろこばしきかな、 かうしやう念仏ねむぶち退たいなり。 あるときしやうにん弟子でしにあひかたいはく、 われむかし天竺てんぢくにあて、 しやうもんそうまじわりつね頭陀づだぎやうじき。 もとはこれ極楽ごくらくかいにあり、 いま日本にちぽんこくきたり天台てんだいしゆまなぶ、 また念仏ねむぶちすゝむ。 身心しんしむ苦痛くつなし、 蒙昧もうまいたちまちにぶんみやうなり。

同三年正月三日、 老病空期↢蒙昧之臻↡。 所↠待所↠憑寔悦哉、 高声念仏不退也。 或時聖人相↢語弟子↡云、 我昔有↢天竺↡、 交↢声聞僧↡常行↢頭陀↡。 本者是有↢極楽世界↡、 今来↠于↢日本国↡学↢天臺宗↡、 又勧↢念仏↡。 身心無↢苦痛↡、 蒙昧忽分明。

十一日たつときに、 たんがふしやうして念仏ねむぶちたえず。 すなわち弟子でしつげいはく、 かうしやう念仏ねむぶちおのおのとなふべしと。 くわんおむせいさちしやうじゆげんじてこのまへにいます、 ¬弥陀みだきやう¼ の所説しよせちのごとし。 ずいなみだる、 渇仰かちがうきもとほる。 じん虚空こくかいしやうごむまなこさいぎり、 転妙てんめう法輪ほふりんおんじやうみゝみてり。

十一日辰時、 端座合掌念仏不↠絶。 即告↢弟子↡云、 高声念仏各可↠唱。 観音・勢至菩薩・聖衆、 現在↢此前↡、 如↢ ¬阿弥陀経¼ 所説↡。 随喜雨↠涙、 渇仰融↠肝。 尽虚空界之荘厳遮↠眼、 転妙法輪之音声満↠耳。

おなじき廿日にいたるまで、 うんじやうはうたなびき、 円円ゑんゑんくもそのなかあざやかなり、 図絵づゑ仏像ぶちざうのごとし。 道俗だうぞく貴賎くゐせん遠近おんごん緇素しそもの感涙かむるいながす、 もの奇異きいす。

至↠于↢同廿日↡、 紫雲聳↢上方↡、 円円雲鮮↢其中↡、 如↢図絵仏像↡。 道俗貴賎、 遠近緇素、 見者流↢感涙↡、 聞者成↢奇異↡。

おなじひつじときたなごゝろあはせて、 東方とうばうより西方さいはうことろく弟子でしあやしみてとふいはく、 ほとけ来迎らいかうしたまふかと。 しやうにんこたえいはく、 しかなりと。

同日未時、 挙↠目合↠掌、 自↢東方↡見↢西方↡事五六度、 弟子奇而問云、 仏来迎たまふ歟。 聖人答云、 然也。

廿三、 四日うんやまず、 いよいよひろくおほきにたなびく。 西山にしやま炭売すみうり老翁らうおうたきゞになせふ大小だいせうらうにやくこれをる。

廿三、 四日紫雲不↠罷、 弥広大聳。 西山売↠炭老翁、 荷↠薪樵夫、 大小老若見↠之。

廿五日むまときばかりぎやうたがはず、 念仏ねむぶちこゑやうやくよはし、 見仏けんぶちまなこねぶるがごとし。 うんそらたなびく、 遠近おんごん人人ひとびときたあつまる、 きやうしちくんず。 見聞けんもん諸人しよにんあふしんず。 臨終りむじゆすでにいたりて、 かくだいでう袈裟けさこれをかけ西方さいはうむかふとなへいはく、 「一一ゐちゐち光明くわうみやう遍照へんぜう十方じふぱうかい念仏ねむぶちしゆじやう摂取せふしゆしや(観経)ていしやうちうなり。

廿五日午時許、 行儀不↠違、 念仏之声漸弱、 見仏之眼如↠眠。 紫雲聳↠空、 遠近人人来集、 異香薫↠室。 見聞之諸人仰信。 臨終已到、 慈覚大師之九条袈裟懸↠之向↢西方↡唱云、 「一一光明遍照十方世界、 念仏衆生摂取不捨」 。 停午之正中也。

さむしゆんいづれのときぞや、 しやくそんめちとなへたまふ、 しやうにんめちとなへたまふ。 かれは二月ちうじゆん五日なり、 これは正月じゆん五日なり。 はちじゆんいづれのとしや、 しやくそんめち0966となへたまふ、 しやうにんめちとなへたまふ。 かれもはちじゆんなり、 これもはちじゆんなり。

三春何節哉、 釈尊唱↠滅、 聖人唱↠滅。 彼者二月中句五日也、 此者正月下旬五日也。 八旬何歳哉、 釈尊唱↠滅、 聖人唱↠滅。 彼八旬也、 此八旬也。

おんじやうちやうほふだいそうじやう公胤こういんほふためにこれをしやうだうするとき、 そのゆめつげいはく、

園城寺長吏法務大僧正公胤、 為法事唱導之時、 其夜告夢云、

ぐゑん教益けうやくために 公胤こういんよくほうく かむすなわちつくべからず 臨終りむじゆにまづ迎摂かうせふせむと

ぐゑんほんしんは だいせいさちなり しゆじやう教化けうくゑのゆへに このかいきたること度度たびたび

ぐゑん教益けうやく公胤こういんのうせちほふ感即かむそくじん臨終りむじゆせん迎摂かうせふ
ぐゑんほんしんだいせいさちしゆじやう教化けうくゑらいかい度度どど

と。 このゆへにせいらいキタリけんミヘタマフだいしやうにんなづく。 このゆへにせいほめいはまく、 へんくわう智慧ちゑくわうをもてあまねく一切ゐちさいてらすがゆへに。 しやうにんたんじて智慧ちゑ第一だいゐちしようす、 碩徳せきとくゆうをもて七道しちだううるほすがゆへなり。 弥陀みだせいおごかしさい使つかひとしたまへり、 善導ぜんだうしやうにんつかわしじゆんえんとゝのへたまへり。 さだめてしり十方じふぱうさむ央数あうしゆかいじやうじやうくわしやうあふこうず、 はじめじよう済入さいにふだうさとる。 三界さむがい虚空こくぜんはちぢやう天王てんわう天衆てんしゆしやうにんたむじやうて、 かたじけなくすい退没たいもちく。 いかにいはむや末代まちだいあくしゆじやう弥陀みだ称名しようみやうゐちぎやうてことごとくわうじやうくわいとげむ、 ぐゑんしやうにん伝説でんせちこうぎやうのゆへなり。 よてこゝにきたれることはこれを弘通ぐづすゝめむがためなりと。

。 此故勢至来見名↢大師聖人↡。 所以讃↢勢至↡言、 无辺光、 以↢智慧光↡普照↢一切↡故。 嘆↢聖人↡称↢智慧第一↡、 以↢碩徳之用↡潤↢七道↡故也。 弥陀動↢勢至↡為↢済度之使↡、 善導遣↢聖人↡整↢順縁之機↡。 定知十方三世无央数界有情・无情、 遇↢和尚↡興↠世、 初悟↢五乗済入之道↡。 三界・虚空。 四禅。 八定。 天王・天衆、 依↢聖人誕生↡、 忝抜↢五衰退没之苦↡。 何況末代悪世之衆生、 依↢弥陀称名之一行↡悉遂↢往生素懐↡、 源空聖人伝説興行故也。 仍為↤来↠之弘↢通勧↣之↡。

南无なもしや牟尼むにぶち  南无なも弥陀みだ如来によらい
南无なもくわんおむさち 南无なもだいせいさち
南无なもさむゐちじよう妙典めうでん法界ほふかいしゆじやうびやうどうやくせむと。

一一0967、決成往生三機行相

くわしやうおむしやくによるに、 決定くゑちじやうわうじやうぎやうさうに、 みつのすぢわかれたるべし。 第一だいゐち信心しんじむ決定くゑちじやうせる、 だいしんぎやうともにかねたる、 第三だいさむにたゞぎやうさうばかりなるべし。

第一だいゐち信心しんじむ決定くゑちじやうせるといふは、 これにつきてまた二機にきあり。 ひとつにはまづしやうじんといふまたこれについて二機にきあり。 ひとつには弥陀みだほんぐわんえんずるに、 ゐちしやう決定くゑちじやうしぬと、 こゝろのそこより真実しんじちに、 うらうらと一念ゐちねむしむなくして、 決定くゑちじやうしむをえてのうへにゐちしやうそくなしとおもへども、 仏恩ぶちおんほうぜむとおもひて、 しやうじん念仏ねむぶちのせらるゝなり。 またしんえてのうへには、 はげまざるに念仏ねむぶちはまふさるべきなり このぎやうじやなかには、 信心しんじむえたりとおもふて、 そのうへによろこぶ念仏ねむぶちとおもへども、 いまだ信心しんじむ決定くゑちじやうせぬひともあるべし。 それおばわがこゝろにかむがへしられぬべきことなり。 たとひ信心しんじむはとづかずとも、 念仏ねむぶちひまなきかたよりわうじやうはすべし。 ふたつにはかみにいふがごとく、 決定くゑちじやうしむをえてのうへほんぐわんによてわうじやうすべきだうおばあおいでのち、 わがかたよりわが信心しんじむをさしゆるがして、 かく信心しんじむをえたりとおもひしらず、 われぼむなり、 ほとけけんのまへにはとづかずもあるらむと、 こゝろかしこくおもふて、 なほ信心しんじむ決定くゑちじやうせむがために念仏ねむぶちをはげむなり。 くゑち0968じやうしむをえふせてのうへにわがこゝろをうたがふは、 またくしむとはなるべからざるなり しやうじんるい、 かくのごとし。 これおばだいしんぎやうならべるぎやうさうとしるべし。

つぎだいといふは、 決定くゑちじやうしむをえてのうへによろこびて、 仏恩ぶちおんほうぜむがためにつね念仏ねむぶちせむとおもへども、 あるいはごふしゆヨノイトナミもさえられ、 またたいだいのものなるがゆへに、 おほかた念仏ねむぶちのせられぬなり。 このぎやうじや一向ゐちかう信心しんじむをはげむべきなり はげむにつきて、 またしやうじんだいのものあるべし。 しやうじんといふは、 つねほんぐわんえんぜらるべきなりえんずれば、 またねんにいさぎよき念仏ねむぶちまふさるべし。 この念仏ねむぶちさいじやう念仏ねむぶちなり これをあしくこゝろえて、 この念仏ねむぶちさいじやうにおぼゆれば、 この念仏ねむぶちわうじやうおもし、 またぐわんにもじようずらむとおもはむはわるし。 そのゆへは、 ほとけおむ約束やくそくひとこゑもわがをとなえむものをむかえむといふおむちかひにてあれば、 最初さいしよ一念ゐちねむこそぐわんにはじようずることにてあるべけれ。 またつねほんぐわんえんぜらるれば、 たのもしきこゝろもいでくべきなり。 そのときこのこゝろのよく相続さうぞくアヒツグナリせらるればとて、 それをもてわうじやうすべしとおもふべからず。 かくのごとくおもはゞ、 わくになるべきなり。 こゝろのゆがむときは、 わうじやうぢやうにおぼゆべきがゆへに0969、 たゞおもふべきやうは、 わがかたより一分ゐちぶんどくもなく、 ほんぐわんおむ約束やくそくにそなえしところの念仏ねむぶちどくしんのほむらにやけぬれども、 かのぐわんりきしゆしやうがく本誓ほんぜいのあやまりなきかたよりすくわれまいらせてわうじやうはすべしと、 返々かへすがへすもおもふべきなり だいのものといふは、 しゆヨノイトナミさまたげられもせよ、 ほんぐわんえんずることのまれにあるべきなり。 まれにはありといふとも、 いさゝかも一念ゐちねむにとるところの信心しんじむのゆるがずして、 そのときまた決定くゑちじやうしむのおこるべきなり。 信心しんじむ決定くゑちじやうなかるい、 かくのごとし。 これは第一だいゐち信心しんじむ決定くゑちじやうせるとしるべし。

いまかみにあぐるところのにん真実しんじち決定くゑちじやうしむをだにもえたらば、 しやうじんにてもあれだいにてもあれ、 ほんぐわんえんずるこゝろねは、 たとへば黒雲こくうんクロキクモ ひまより、 まれにてもつねにても、 いでむところのまんぐわちひかりをみむがごとくなるべし。 信心しんじむとくとくをば、 おのおのわがこゝろにてしりぬべし。 ことにふれて一念ゐちねむにとるところの信心しんじむゆるがずは、 仮令たとひよき信心しんじむとしるべし。 これもことわりばかりにて信心しんじむあり、 こゝろゆるぐべからずと、 まじなひつけむことえうあるべからず。 散心さんしむにつけても、 いさゝかにてもゆるぐこゝろあらば、 信心しんじむよはしとしるべし。 信心しんじむよはしとおぼえば、 だいはなほしんをはげむでほんぐわんえんずべきなり。 それになほかなは0970ずは、 かまへてぎやうさうにおもむきてはげむべきなり。 しやうじんは、 一向ゐちかうがうツネ所造しよざうニツクルぎやうトコロノ さうにおもむきてはげむべきなり。 ぎやうさうしやうじよぎやうを、 一向ゐちかう正行しやうぎやうにてもまた助業じよごふをならべむとも、 おのおのげうにまかすべきなり。

第三だいさむぎやうさうをはげむといふは、 かみにあぐるところのしんしやうじんだいの、 わが信心しんじむ決定くゑちじやうせるやうを、 こゝろによくよくあむじほどくときわれ信心しんじむ決定くゑちじやうせず。 やゝもすればきやうごふのおこるにつけ、 信心しんじむ間断けんだんするにつけて、 わうじやうぢやうにおぼゆるまではなけれども、 また決定くゑちじやうわうじやうすべしともおぼえぬは、 信心しんじむ決定くゑちじやうせざるなりとかむがへえて、 一向ゐちかうぎやうにおもむきてはげむをいふなり。 このだいのいでき、 念仏ねむぶちのものうからむときは、 おどろきてぎやうをはげむべきなり。 信心しんじむもよはく念仏ねむぶちもおろそかならば、 わうじやうぢやうのものなり。 このひとまたあしくこゝろえてぎやうをはげむは、 このきやうごふをもてわうじやうすべしとおもはゞわくになるべきなり。 いま念仏ねむぶちぎやうをはげむこゝろは、 つねに念仏ねむぶちあざやかにまふせば、 念仏ねむぶちよりして信心しんじむのひかれていでくるなり信心しんじむいできぬれば、 ほんぐわんえんずるなりほんぐわんえんずれば、 たのもしきこゝろのいでくるなり。 このこゝろいできぬれば、 信心しんじむしゆせられて決定くゑちじやうわうじやうをとぐべしとこゝろうべし。

0971れにつきて、 ひとうたがひていはく、 念仏ねむぶちをはげみて信心しんじむしゆしてわうじやうをとぐべきならば、 はげむところの念仏ねむぶちりきわうじやうとこそなるべけれ。 いかゞりきわうじやうといふべきや。 いまりきといふは、 しやうだうりきにすべからず、 いさゝかあたえていえるなるべし。 こたえて はく、 念仏ねむぶち相続さうぞくアヒツグナリて、 相続さうぞくよりわうじやうをするは、 またくりきわうじやうにはあらず。 そのゆへは、 もとより三心さむしむほんぐわんにあらず、 これりきなり。 三心さむしむりきなりといふは、 ほんぐわんのつなにおびかれて、 信心しんじむをのべてとりつぐぶんをさすなりとこゝろうべし。 いま念仏ねむぶち相続さうぞくして信心しんじむしゆマモルナリ むとするに、 三心さむしむなか深心じむしむをはげむぎやうじやなり相続さうぞく念仏ねむぶちどくをもちて、 かうしてわうじやうせば、 まことにりきわうじやうをのぞむものといはるべきなり。 また念仏ねむぶちはすれども、 つね信心しんじむもおこらず、 ぐわんえんずることのつねにもなければとて、 わうじやうぢやうにおもふべからず。 そのこゝろなけれども、 たゞりきぞんぜず、 すべてわくのこゝろなくしてつね念仏ねむぶちすれば、 わがこゝろにはおぼえねども、 信心しんじむのいろのしたひかりて相続さうぞくするあひだ、 決定くゑちじやうわうじやうをうるなり。 しるべし、 そのこゝろは、 たとへばつきのひかりのうすぐもにおほはれて、 まんぐわちたいはまさしくみえずといゑども、 つきのひかりによるがゆへに、 けんくらからざるがごとし。

ぎやう0972さうさむのやう、 かくのごとし。 せむずるところ、 信心しんじむよはしとおもはゞ、 念仏ねむぶちをはげむべし。 決定くゑちじやうしむえたりとおもふてのうへになほこゝろかしこからむひとは、 よくよく念仏ねむぶちすべし。 また信心しんじむいさぎよくえたりとおもひてのちの念仏ねむぶちおば、 別進べちしん奉公ほうこうとおもはむにつけても、 別進べちしん奉公ほうこうはよくすべきだうあれば、 念仏ねむぶちをはげむべし。 たいわがこゝろをよくよくあんじほどいて、 ぎやうにてもしんにても、 にしたがひてたえむにまかせてはげむべきなり かくのごとくこゝろをえてはげまば、 わうじやう決定くゑちじやうはづるべからざるなり

一二、鎌倉二品比丘への御返事

かまくらのぼむ比丘びくしやうにんおむもとへ念仏ねむぶちどくをたづねまふされたりけるにおむへん

おむふみくはしくうけたまはりさふらひぬ。 念仏ねむぶちどくほとけもときつくしがたしとのたまへり。 また智慧ちゑ第一だいゐちしやほちもん第一だいゐちなんも、 念仏ねむぶちどくはしりがたしとのたまひしくわうだい善根ぜんごんにてさふらへば、 ましてぐゑんなどはまふしつくすべくもさふらはず。

ぐゑん、 このてうにわたりてさふらふ仏教ぶちけう随分ずいぶんにひらきみさふらへども、 じやう教文けうもん震旦しむたんよりとりわ0973たしてさふらふしやうげうのこゝろをだにも、 一年ゐちねんねんなどにてはまふしつくすべくもおぼえさふらはず。 さりながら、 おほせたまはりたることなれば、 まふしのべさふらふべし。

まづ念仏ねむぶちしんぜざる人々ひとびとまふしさふらふなること、 くまがへの入道にふだう・つのとの三郎さぶらう無智むちのものなればこそぎやうをせさせず、 念仏ねむぶちばかりおば法然ほふねんばうはすゝめたれとまふしさふらふなること、 きわめたるひがごとにてさふらふなり

そのゆへは、 念仏ねむぶちぎやうは、 もとより有智うち無智むちをえらばず。 弥陀みだのむかしのちかひたまひしだいぐわんは、 あまねく一切ゐちさいしゆじやうのためなり無智むちのためには念仏ねむぶちぐわんとし、 有智うちのためにはぎやうぐわんとしたまふことなし。

十方じふぱうかいしゆじやうのためなり、 有智うち無智むち善人ぜんにん悪人あくにんかいかい貴賎くゐせん男女なむによもへだてず。 もとはほとけざいしゆじやう、 もしはほとけめちしゆじやう、 もしはしや末法まちぽふ万年まんねんののちに三宝さむぽうみなうせてのゝちのしゆじやうまで、 たゞ念仏ねむぶちばかりこそ現当げんたうたうとはなイノリトナルトナリ さふらへ。

善導ぜんだうくわしやう弥陀みだ化身くゑしんにて、 ことに一切ゐちさいしやうげうをかゞみて専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめたまへるも、 ひろく一切ゐちさいしゆじやうのためなり方便はうべんせち末法まちぽふにあたりたるいまのけうこれなり。

されば無智むちひとにかぎらず、 ひろく弥陀みだほんぐわんをたのみて、 あまねく善導ぜんだうおむこゝろにしたがひて、 念仏ねむぶち一門ゐちもんをすゝめさふらはむに、 いかに无智むちひとのみにかぎりて、 有智うちひとおばへだててわうじやうせさせじとはしさふらはむや。

しか0974らずは、 だいぐわんにもそむき、 善導ぜんだうおむこゝろにもかなふべからず。 しかればすなわち、 このへんにまうできてわうじやうみちをとひたづねさふらふにも、 有智うち無智むちろんぜず、 ひとへに専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめさふらふなり

かまえてさやうに専修せんじゆ念仏ねむぶちまふしとゞめむとつかまつるひとは、 さきの念仏ねむぶち三昧ざんまい得道とくだう法門ほふもんをきかずして、 後世ごせにまたさだめて三悪さむまくにおつべきものゝ、 しかるべくしてさやうにまふしさふらふなり。 そのゆへは、 しやうげうにひろくみへてさふらふ

しかればすなわち、 「しゆぎやうすることあるをみては毒心どくしむをおこし、 方便はうべんしてきおふて あだをなす。 かくのごとくのしやうまう闡提せんだいムマルヽヨリメシヒタリともがら、 頓教とんげう毀滅くゐめち してソシリホロボスながく沈淪ちむりむす。 だいじんごふ超過てうくわすとも、 いまださむをはなるゝことをえず」 (法事讃巻下) とときたまへり。

しゆぎやうあるをては瞋毒しんどくおこし、 方便はうべん破壊はゑしてきおいあだしやうぜむ。

かくのごときしやうまう闡提せんだいともがら頓教とんげう毀滅くゐめちしてなが沈淪ちむりむせむ。

だいじんごふ超過てうくわすとも、 いまださむしんはなるゝことをべからず。

大衆だいしゆ同心どうりむにみなしよほふつみ因縁いんねん懺悔さむぐゑすべしと」 (法事讃巻下) 文

けんしゆぎやう瞋毒しんどく方便はうべん破壊はゑきやうしやうおん
によしやうまう闡提せんだいはいくゐめち頓教とんげうゐやう沈淪ちむりむ
てうくわだいじんごふとくさむしん
大衆だいしゆ同心どうしんかいさむぐゑしよほふざい因縁いんねん↡」

このもんこゝろは、 じやうをねがひ念仏ねむぶちぎやうずるひとをみては、 毒心どくしむをおこし、 ひがごとをたくみめぐらして、 やうやうの方便はうべんをなして専修せんじゆ念仏ねむぶちぎやうをやぶり、 あだおな0975してまふしとゞむるにさふらふなり かくのごとくのひとは、 むまれてよりぶちしやうのまなこしひて、 ぜんのたねをうしなへる闡提せんだいにんのともがらなり。 この弥陀みだみやうがうをとなえて、 ながきしやうをはなれてじやうじゆ極楽ごくらくわうじやうすべけれども、 この教法けうぼふをそしりほろぼして、 このつみによりてながくさむ悪道まくだうにしづむとき、 かくのごときのひとは、 だいじんごふをすぐれども、 ながくさむをはなれむことあるべからずといふなり

しかればすなわち、 さやうにひがごとまふしさふらふらむひとおば、 かへりてあはれみたまふべきものなり。 さほどの罪人ざいにんまふすによりて、 専修せんじゆ念仏ねむぶちだいをなし、 念仏ねむぶちわうじやうにうたがひをなししむをおこさむひとは、 いふかひなきことにてこそさふらはめ。

おほよそえんあさくわうじやうときいたらぬものは、 きけどもしんぜず、 念仏ねむぶちのものをみればはらだち、 こゑきゝていかりをなし、 あくなれどもきやうろんにもみえぬことをまふすなりおむこゝろえさせたまひて、 いかにまふすともおむこゝろがはりはさふらふべからず。

あながちにしんぜざらむひとおばおむすゝめさふらふべからず。 かゝるしんしゆじやうをおもへば、 くわ父母ぶもチヽハヽくゐやう アニ ていオトヽ親類しんるいなりシタシキモノト おもひさふらふにも、 慈悲じひをおこして、 念仏ねむぶちかゝでまふし極楽ごくらくじやうぼむ上生じやうしやうにまいりてさとりをひらき、 しやうにかへりてはうしんひとおもむかへむと、 善根ぜんごんしゆしてはおぼしめすべきことにてさふらふなり。 このよしをおむこゝろえあるべきなり。

0976 異解いげ人々ひとびとどくしゆするには、 財宝ざいほうあひじよじやうタスケテトしておぼしめすべきやうは、 われはこの一向ゐちかう専修せんじゆにて決定くゑちじやうしてわうじやうすべきなり、 にんのとおきみちをわがちかきみち結縁けちえんせさせむとおぼしめすべきなり。 そのうへ専修せんじゆをさまたげさふらはねば、 結番けちばんせむにもとがなし。

一 人々ひとびとだうをつくり、 ぶちをつくり、 きやうをかき、 そうやうせむことは、 こゝろみだれずして慈悲じひをおこして、 かくのごときのざふ善根ぜんごんおばしゆせさせたまへとおむすゝめさふらふべし。

一 このよのいのりに、 念仏ねむぶちのこゝろをしらずして仏神ぶちしんにもまふし、 きやうおもかき、 だうおもつくらむと。 これもさきのごとく、 せめてはまた後世ごせのためにつかまつらばこそさふらはめ。 そのようなしとおほせさふらふべからず。 専修せんじゆをさえぬぎやうにてもあらざりけりとも、 おぼしめしさふらふべし。

一 念仏ねむぶちまふすこと、 やうやうのさふらへども、 ろくをとなふるに一切ゐちさいをおさめてさふらふなりこゝろにはぐわんをたのみ、 くちにはみやうがうをとなえて、 かずをとるばかりなり。 つねしむにかくるが、 きわめたる決定くゑちじやうごふにてさふらふなり念仏ねむぶちぎやうは、 もとよりぎやうじゆぐわしよ諸縁しよえんをえらばず、 しんじやうおもきらはぬぎやうにてさふらへば、 らくぎやうわうじやうとはまふしつた0977へてさふらふなり

たゞしこゝろをきよくしてまふすおば、 第一だいゐちぎやうまふしさふらふなりじやうをこゝろにかくれば、 しむココロじやうキヨキぎやうほふにてさふらふなり。 さやうにおむすゝめさふらふべし。 つねにまふしたまひさふらはむをば、 とかくまふすべきやうもさふらはず。 わがながらもしかるべくて、 このたびわうじやうすべしとおぼしめして、 ゆめゆめこのこゝろつよくならせたまふべし。

一 念仏ねむぶちぎやうしんぜぬひとにあひてろんじ、 あらぬぎやう異計いけ人々ひとびとにむかひて執論しふろんさふらふべからず。 あながちに異解いげがくひとをみては、 あなづりそしることさふらふまじ。 いよいよ重罪ぢうざいひとになしさふらはむこと便びんさふらふ 同心どうしん極楽ごくらくをねがひ念仏ねむぶちまふすひとおば、 せんひとなりとも父母ぶも慈悲じひにおとらずおぼしめしさふらふべし。 こむじやう財宝ざいほうのともしからむにも、 ちからをくわへたまふべし。 さりながらも、 すこしも念仏ねむぶちにこゝろをかけさふらはむおば、 すゝめたまふべし。 これ弥陀みだ如来によらいおむみやづかへとおぼしめすべくさふらふなり

如来によらいめちよりこのかた、 せうせうぎやうにまかりなりてさふらふなり。 われもわれもと智慧ちゑありがほにまふすひとは、 さとりさふらふべし。 せめてはろくきやうけうおもきゝみず、 いかにいはむや、 ろくのほかのみざるひと智慧ちゑありがほにまふすは、 のそこのかへるににたり。

随分ずいぶん震旦しむたん日本にちぽんしやうげうをとりあつめて、 このあひだかむがへさふらふなり念仏ねむぶちしんぜぬひとは、 ぜん重罪ぢうざいをつくりてごくにひさしくありて、 またごくにはやくかへるべ0978ひとなり。 たとひ千仏せんぶちにいでゝ、 念仏ねむぶちよりほかにまたわうじやうごふありとおしへたまふともしんずべからず。

これはしや弥陀みだよりはじめて、 恒沙ごうじやほとけ証誠しようじやうせしめたまへることなればとおぼしめして、 おむこゝろざし金剛こむがうよりもかたくして、 一向ゐちかう専修せんじゆ変改へんがいあるべからず。

もしろんまふさむひとおば、 これへつかはして、 たてまふさむやうをきけとさふらふべし。 やうやうのしようもんかきしるしてまいらすべくさふらへども、 たゞこゝろこれにすぎさふらふべからず。

またしやかいひとは、 よのじやうをねがはむことは、 ゆみなくしてそらとりをとり、 あしなくしてたかきこずゑのはなをとらむがごとし。

かならず専修せんじゆ念仏ねむぶち現当げんたうのいのりとなりさふらふなり。 これりやくしてかくのごとし、 これもきやうせちにてさふらふうち人々ひとびとにはぼむごふを、 ひとのねがひにしたがひて、 はじめおはりたえぬべきほどにおむすゝめさふらふべきなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

一三、本願体用事(四箇条問答)

或人あるひといは 弥陀みだぶち慈悲じひみやうがうぶちすぐれならびほんぐわん体用たいゆうこと

せち得仏とくぶち十方じふぱうしゆじやうしん信楽しんげうよくしやう国、 ない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく(大経巻上) 十方じふぱうしゆじやう」 といふは、 諸仏しよぶち教化けうくゑにもれたるぢやうもちしゆじやうなり。 このしゆじやうをあ0979われみおぼしめすかたに、 諸仏しよぶちおむ慈悲じひ弥陀みだぶちおむ慈悲じひにおなじかるべし。 これはそうぐわんやくす。 べちぐわんやくするときは、 弥陀みだぶちおむ慈悲じひぶち慈悲じひにすぐれたまへり。 そのゆへは、 このぢやうもちしゆじやうじふしやうゐちしやう称名しようみやうりきもて无漏むろほうしやうぜしめむといふぐわんによてなり弥陀みだぶちみやうがうぶちみやうがうにすぐれたまへるといふも、 いんほんぐわんにたてたまへるみやうがうなるがゆへにすぐれたまへり。 しからずは、 ほうしやういんとなるべからず、 ぶちみやうがうどうオナジトべし。

そもそも弥陀みだぶちほんぐわんいふはいかなることぞといふに、 ほんぐわんいふ総別そうべちぐわんずといゑども、 言総ごんそうコトバミナトイフテコヽべちにて、 ロハコトナルナリべちぐわんをもてほんぐわんとはなづくるなりほんぐわんいふことは、 もとのねがひとくんずるオシヘナリ なり。 もとのねがひといふは、 法蔵ほふざうさちむかしぢやうもちしゆじやうを、 ゐちしやう称名しようみやうのちからをもてしようしてむしゆじやうわがくにしやうぜしめむといふことなり。 かるがゆへにほんぐわんといふなり。

ほんぐわんについて体用たいゆうあるべし、 その差別しやべちいかんぞ。

こた ほんぐわんいふは、 いんに、 われほとけになりたらむときのをとなへむしゆじやうを、 極楽ごくらくしやうぜしめむとねがひたまへるゆへに、 法蔵ほふざうさちおむこゝろをもてほんぐわんたいとし、 みやうがうをもてはほんぐわんゆうとす。 これは十劫じふこふしやうがくのさき、 兆載てうさいゐやうごふしゆぎやうをはじめ、 ぐわんをおこしたまへ0980とき法蔵ほふざうさちやくして体用たいゆうろんずるなりいま法蔵ほふざうさちいんぐわんじやうじゆして、 くわ弥陀みだぶちとなりたまへるがゆへに、 法蔵ほふざうさちおはしまさゞれば、 法蔵ほふざうさちやくしてほんぐわん体用たいゆうろんずべきにあらず。 たゞしあたえてへば、 ほんぐわん体用たいゆうあるべし。 たいいふについて、 ふたつのこゝろあるべし。 ひとつにはぎやうじやをもてほんぐわんたいとし、 ふたつにはみやうがうをもてほんぐわんたいとす。 まづぎやうじやをもてほんぐわんたいとすといふは、 法蔵ほふざうさちほんぐわんに、 じやうぶちしたらむときゐちしやうしようしてむしゆじやう極楽ごくらくしやうぜしめむとぐわんじたまへるがゆへに、 いましんじてゐちしやうしようしてむしゆじやうはかならずわうじやうすべし。 こののうしようぎやうじやわうじやうするところをさして、 ぎやうじやをもてほんぐわんたいとすとはこゝろうべきなり。

われほとけなりたらむときしようせむものをしやうぜしめむとほんぐわんにはたてたまへるがゆへに、 みやうがうしようするものをやがてほんぐわんたいともこゝろうべしや。

こた これについてだちあるべし。 あたえ ヨ へば、 ぎやうじやまさし蓮台れんだいにうつりてわうじやうするところをもてほんぐわんたいとし、 うばふ ダチ へば、 わうじやうすべきぎやうじやなるがゆへに、 当体たうたいのうしようものをさしてほんぐわんたいとすべし。 ぎやうじやについてほんぐわんたい云時いふときは、 べちゆうなし。 蓮台れんだいたくして、 わうじやう已後いご増進ぞうしん仏道ぶちだうをもてゆうとす。 これは極楽ごくらくにてのことなり。 つぎ0981みやうがうをもてほんぐわんたいとすといふは、 これもじやうぶちときしようせむしゆじやうしやうぜしめむとぐわんじたまへるがゆへに、 しんじてとなへてむしゆじやうはかならずしやうずべければ、 みやうがうをもてほんぐわんたいいふなりみやうがうとなへつるしゆじやうわうじやうするは、 みやうがうゆうなり いまみやうがうをもてほんぐわんたいとすといふは、 法蔵ほふざうさちおむこゝろのそこをもてほんぐわんたいとすといひつるときは、 ゆうといはれつるみやうがうなり。 しかるを、 いまはまさしくみやうがうをもてはほんぐわんたいいふなり

体用たいゆうことによりてかはるなり。 たとへばともしびのひかりをもてこゝろうべし。 ともしびのあかくもえあがりたるはたいなり。 ともしびによりてあむヤミはれて、 みやうアカクナルるところのひかりゆうなり。 このひかりみやうなるをもてたいとするときは、 そのみやうなかこくびやくとう一切ゐちさいしきぎやうのみゆるはみやうゆうなり。 かくのごとくゆうをもてたいとも云事いふことつねことなり、 しるべし。 ぎやうじやわうじやうするをもてほんぐわんたいいふことは、 じちにはみやうがうしようせずしてわうじやうすべきだうなし、 みやうがうによてわうじやうすべし。 しかりといゑども、 かくのごときのことは、 約束やくそくによりて云時いふときは、 ぎやうじやわうじやうをもてほんぐわんたいともいはるべし。 みやうがうほんぐわんたい云時いふときは、 しようするぎやうじやわうじやうするはみやうがうゆうなり。 しかればぎやうじやは、 あるいはほんぐわんたい、 あるいはみやうがうゆうにも決定くゑちじやうすべきなり。 このだう0982によて、 ほんぐわんたいやくしてこゝろうれば、 ほんぐわんぎやうじやぎやうじやほんぐわんほんぐわんみやうがうみやうがうほんぐわんと、 たゞひとつ混乱こんらんするなり。 ゆうやくしてこゝろへつれば、 みやうがうぎやうじやぎやうじやみやうがうといはるべし。 せむずるところは、 たいなくはゆうあるべからず、 ゆうたいによるがゆへに。 ほんぐわんぎやうじや、 たゞひとつものにて、 ひとつとしてはなれざるなり。

法蔵ほふざうさちほんぐわん約束やくそくは、 じふしやうゐちしやうなり。 ゐちしようのゝちは、 法蔵ほふざうさちいん本誓ほんぜいしむをかけて、 みやうがうおばしようすべからざるにや。

こた 沙汰さたなるひとはかくのごとくおもひて、 いんぐわんえんじて念仏ねむぶちおもまふせば、 これをしえたるこゝちして、 ぐわんえんぜざるとき念仏ねむぶちおば、 ものならずおもふて念仏ねむぶち善悪ぜんあくをあらするなり。 これは按内あんないのことなり。 法蔵ほふざうさちこふゆいは、 しゆじやうねむほんとせば、 しきやうアガリじんタマシヒトブのゆへ、 かなふべからずとおぼしめして、 みやうがうほんぐわんたてたまへり。 このみやうがうは、 いかなる乱想らんさうなかにもしようすべし。 しようすれば、 法蔵ほふざうさちむかしぐわんしむをかけむとせざれども、 ねんにこれこそほんぐわんよとおぼゆべきは、 このみやうがうなり。 しかれば、 べちいんほんぐわんえんぜむとおもふべきにあらず。

ほんぐわん本誓ほんぜいと、 その差別しやべちいかんぞ。

こた われじやうぶちときしようせむしゆじやうしやうぜしめむといふは、 ほんぐわんなり。 もしむまるまじくはほとけにならじといふは、 本誓ほんぜいなり そう0983じて十八じふはちぐわん法蔵ほふざうさちのむかしのほんぐわんなり。 このぐわんにこたへたまへる仏果ぶちくわ円満えんまんいまは、 だいじふ来迎らいかうぐわんにかぎりてくゑしゆじやう方便はうべんはおはしますべきなりといふなり。 弥陀みだぶちみやうがうぶちみやうがうすぐれたまへり、 ほんぐわんなるがゆへなり。 ほんぐわんたてたまはずは、 みやうがうしようすともみやうせざれば、 ほうしやういんとなるべからず、 諸仏しよぶちみやうがうにおなじかるべし。 しかるを弥陀みだぶちは 「ない十念じふねむにやくしやうじやしゆしやうがく(大経巻上) とちかひて、 このぐわんじやうじゆせしめむがために兆載てうさいゐやうごふしゆぎやうをおくりて、 いますでじやうぶちしたまへり。 このだいぐわん業力ごふりきのそひたるがゆへに諸仏しよぶちみやうがうにもすぐれ、 となふればかのぐわんりきによりて決定くゑちじやうわうじやうおもするなり。 かるがゆへに如来によらい本誓ほんぜいをきくに、 うたがひなくわうじやうすべきだうじゆして、 南无なも弥陀みだぶちとなへてむうえには、 決定くゑちじやうわうじやうとおもひをなすべきなり。 たとへば、 たきものゝにほひのくんぜるころをにきつれば、 みなもとはたきものゝにほひにてこそありといふとも、 ころものにほひくんずるがゆへに、 そのひとのかうばしかりつるといふがごとく、 ほんぐわん薫力くんりきのたきものゝにほひは、 みやうがうころもくんじ、 またこのみやうがうころもゐち南无なも弥陀みだぶちとひきゝてむものは、 みやうがうころもにほひくんずるがゆへに、 決定くゑちじやうわうじやうすべきひとなり。 だいぐわん業力ごふりきにほひいふは、 わうじやうにほひなり。 だいぐわん業力ごふりきわうじやうにほひみやう0984がうころもよりつたわりてぎやうじやくんずといふだうによりて、 ¬観経くわんぎやう¼ には

「もし念仏ねむぶちひとは、 まさにしるべし、 このひとはこれ人中にんちうふん陀利だりくゑなり」

にやく念仏ねむぶちしやたうにん人中にんちうふん陀利だりくゑ

とけるなり。 念仏ねむぶちぎやうじや蓮華れんぐゑたとふことは、 蓮華れんぐゑぜむモノニソマラズトナリほんぐわん清浄しやうじやうみやうがうしようすれば、 十悪じふあくぐゐやくにごりにもそまらざるかたをたとへたるなり。 また

くわんおむさちだいせいさち、 そのしようとす」 (観経)

くわんおむさちだいせいさちしよう↡」スグレタルトモ

へり。 もんのこゝろは、 これもわうじやうにほひくんぜるぎやうじやは、 かならずわうじやうすべし。 これによて善導ぜんだうくわしやうも、 三心さむしむそくひとおば極楽ごくらくしやうじゆせふしたまへり。 極楽ごくらくしやうじゆいふは、 因中いんちう説果せちくわなり。 しやうじゆとなるだうあれば、 たうよりしてさちかたをならべ、 ひざをまじえてしようとなりたまふといふこゝろなり。 みやうじゆ已後いごは、 わうじやうして仏果ぶちくわだいしようとくすべきによて、

「まさにだうぢやう諸仏しよぶちいえしやうずべし」 (観経)

たうだうぢやうしやう諸仏しよぶち↥」

とときたまへり。 かるがゆへに、 一念ゐちねむじやう信心しんじむをえてむひとは、 わうじやうにほひくんぜるみやうがうころもをいくえともなくかさねきむとおもふて、 くわんのこゝろにじゆして、 いよいよ念仏ねむぶちすべしとへり。

西0985方指南抄中

康元かうげんぐわんねん ひのえたつ 十月十四日

愚禿親鸞 八十四歳 書写之

 

底本は高田派専修寺蔵康元元年、 二年親鸞聖人真筆本。