(930)十八条法語

或人あるひと念仏ねむぶちしむを、 しやうにんたてまつりとひいは だいじふぐわん大網たいまうぐわんなり。 「ねむ(大経巻上) といふは、 さんしやううちにかならずくわハタシすいトグルすべし。 りやう通計つげするに、 ひやくねんうちわうじやうすべきなり 云云。 これぼむわうじやうコヽロしやくなり。 極大ごくだいしやをもてキワメテオホキニオソキモノナリさんしやういでざるこゝろ、 かくのごとくしやくせり。

また0931 ¬弥陀みだきやう¼ の 「ほちぐわんとうは、 これさんしやうしようなりと。

またいは ¬弥陀みだきやう¼ とうじやうもんしゆつほんぐわいなり、 ¬法華ほふくゑきやう¼ しやうだうもんしゆつほんぐわいなり 云云のぞむところはことなり、 うたがたらざるものなり

またいは わがあんするところの一切ゐちさいきやうりちろんは、 これ ¬観経くわんぎやう¼ 所摂しよせふオサムルナリほふなり

またいは ざうとうよろづさち蔑如べちじよすべからアナヅルコトナカレトナリず。 わうじやう以後いご伴侶はんりよたるべきがゆへなりと。

またいは 近代きんだいぎやうにんくわんぼふをもちゐるにあたはず。 もし仏像ぶちざうとうくわんぜむは、 運慶うんけい康慶かうけい所造しよざうにすぎじ。 もし宝樹ほうじゆとうくわんぜば、 桜梅やうばいたうくゑくわとうにすぎじ。 しかるに 「ぶちこむ現在げんざいじやうぶち(礼讃) とうしやくしんじて、 一向ゐちかうみやうがうしようすべきなりいへり。 たゞみやうがうをとなふる、 三心さんしむおのづからそくするなりいへり。

またいは 念仏ねむぶちはやうなきをもてなり。 みやうがうをとなふるほか、 一切ゐちさいやうなきことなりいへり。

またいは しよきやうなかにとくところの極楽ごくらくしやうごむとうは、 みなこれ十八じふはちぐわんじやうじゆもんなり念仏ねむぶちくわんじんするところは、 だい十八じふはちぐわんじやうじゆもんなり。 ¬観経くわんぎやう¼ の 「三心さんしむ」、 ¬せうきやう¼ (巻下) の 「一心ゐちしむらん」、 ¬だいきやう¼ のぐわんじやうじゆもんの 「信心しんじむくわん」 と、 おなじ流通るづの 「くわん0932やく」 と、 みなこれしん信楽しんげうしむなりいへり。 これらのしむをもて、 念仏ねむぶち三心さんしむしやくしたまへるなり云云

またいはぐゑん(玄義分意)いはく、

しや要門えうもんぢやうさんぜんなり。 ぢやうおもんぱかりやめしむこらすなり、 さんあくはいしてぜんしゆすなりと。 ぐわんは ¬だいきやう¼ のせちのごとし。 一切ゐちさい善悪ぜんあくぼむしやう

「釈迦要門定散二善。 定者そくりよぎようしむなり、 散者はいあくしゆぜんなりと。 弘願者如↢¬大経¼ 説↡。 一切善悪凡夫得↠生」

といへり。 ごときはさきの要門えうもんにたえず、 よてひとへにぐわんたのむなりいへり。

またいは だうくわしやう深心じむしむしやくせむがためにしむしやくしたまふなり。 ¬きやう¼ のもん三心さんしむをみるに、 一切ゐちさいぎやうなし。 深心じむしむしやくにいたりて、 はじめて念仏ねむぶちぎやうをあかすところなり

一〇

またいは わうじやうごふじやうじゆ臨終りむじゆ平生へいぜいにわたるべし。 ほんぐわんもんべちにえらばざるがゆへにといへり。 しむのこゝろ、 平生へいぜいけんにわたるなりへり。

一一

またいは わうじやうごふじやうは、 ねむをもてほんとす。 みやうがうしようするは、 ねむじやうぜむがためなり。 もしこゑはなるゝとき、 ねむすなわちだいするがゆへに、 じやうがう称唱しようしやうすればすなわちねむ相続さうぞくす。 心念しむねむごふしやうをひくがゆへなり

一二

またいは 称名しようみやうぎやうは、 じやう念仏ねむぶちのときじやうをはゞかるべからず、 相続さうぞくえうとするがゆへに。 によりんほふは、 じやうをはゞからず、 弥陀みだくわんおむ一体ゐちたい不二ふになり。 これをおも0933ふに、 善導ぜんだうべちぎやうには、 清浄しやうじやう潔斉けちせいをもちゐる、 じむじやうぎやう、 これにことなるべきしむの 「ろんしよ諸縁しよえん↡」 (要集巻下) しやく永観ゐやうくわんの 「ろんしんじやうじやう↡」 (往生拾因) しやく、 さだめてぞんずるところある

一三

またいは 善導ぜんだうだい十八じふはちぐわん一向ゐちかう仏号ぶちがうしようねむしてわうじやうすといへり。 しむのこゝろ、 くわんねむしようねむとうみなこれをせふすといへり。 もし ¬要集えうしふ¼ のこゝろによらば、 ぎやうじやにおいては、 このをあやまちてむと。

一四

またいは だいじふぐわんは、 しよぎやうひと引入いんにふして、 念仏ねむぶちぐわんくゐせしめむとなり

一五

またいは 真実しんじちしむといふは、 ぎやうぐわんわうじやうしむなり。 けうしよくなく、 へうなき相応さうおうしむなり雑毒さふどく虚仮こけとうは、 みやうもんやうしむなり

¬大品だいぼむきやう¼ (巻一序品)いはく、 「やうみやうもんすてよと。」

¬大品経¼ 云、 「捨↢利養名聞↡。」

¬大論だいろん¼ にこのもんじゆつするしたいはく、 「まさにごふ雑毒さふどくつべしといふは、 ゐちしやう一念ゐちねむなほこれをせば、 実心じちしむのなきさうなり。 ないほむじてぐゑかざるといふは、 りやう外相ぐゑさうほふなれども、 内心ないしむ真実しんじちにしてわうじやうぐわんずれば、 わうじやうぐべきなり」 と。

¬大論¼ 述↢此文↡之下云、 「当↣業捨↢雑毒↡者、 一声一念猶具↠之、 无↢実心之↡相也。 翻↠内矯↠外者、 仮令外相不法、 内心真実願↢往生↡者、 可↠遂↢往生↡也。」

深心じむしむといふは、 りよなきしむなり利他りた真実しんじち といふとくしやうのち利他りたもんさうなり。 よてくはしくしやくせずと。

¬くわんりやう寿じゆきやう¼ に、 「もししゆじやうあてかのくにむまれむとがんぜむもの三種さんしゆしむおこせばすなわちわうじやうす。 なんみつとする。 ひとつにはじやうしむふたつには深心じむしむみつにはかうほちぐわんしむなり。 三心さんしむすればかならずかのくにしやうず」 といへり。

¬観无量寿経¼、 「若有↢衆生↡願↠生↢彼国↡者、 発↢三種心↡即便往生。 何等為↠三。 一者至誠心、 二者深心、 三者廻向発願心なり。 具↢三心↡者必生↢彼国↡」 いへり。 しかればすなわちもとも三心さんしむすべきなり。

¬わうじやう礼讃らいさん0934¼ に 三心さんしむしやくしおはるにいはく、 「この三心さんしむすればかならずわうじやうるなり。 もし一心ゐちしむかけぬれば、 すなわちしやうずと。」

¬往生礼讃¼ 釈↢三心↡畢云、 「具↢此三心↡必得↢往生↡也。 若少↢一心↡、即不↠得↠生。」 然則尤可↠具↢三心↡也。

ひとつじやうしむといふは、 真実しんじちしむなり。 礼拝らいはいぎやうず、 くちみやうがうとなふ、 こゝろ相好さうがうおもふ、 みな実心じちしむをもてせよとなり。 そうじてこれをいふに、 えむ穢土ゑどごんじやうしゆしよきやうごふ、 みな真実しんじちしむをもてこれをごむしゆすべし。

一至誠心者、 真実心也。 身行↢礼拝↡、 口唱↢名号↡、 意想↢相好↡、 皆用↢実心↡。 総而言↠之、 厭離穢土、 忻求浄土、 修諸行業、 皆以↢真実心↡可↣勤↢修之↡。

ほか賢善けんぜんしやうじんさうげんじ、 うちあくだいしむいだけり。 所修しよしゆきやうごふにちじふひまなくこれをぎやうずれども、 わうじやうず。 ほかあくだいかたちあらわし、 うちには賢善けんぜんしやうじんねむぢゆして、 これをしゆぎやうせば、ゐち一念ゐちねむといゑども、 そのぎやうむなしからず、 かならずわうじやうむ。 これをじやうしむなづく。

外現↢賢善精進之相↡、 内懐↢愚悪懈怠之心↡。 所修行業、 日夜十二時无↠間行↠之、 不↠得↢往生↡。 外顕↢愚悪懈怠之形↡、 内住↢賢善精進之念↡、 修↢行之↡者、 雖↢一時一念↡、 其行不↠虚、 必得↢往生↡。 是名↢至誠心↡。

ふたつ深心じむしむといふは、 深信じむしんしむなり。 これについてふたつあり。

二深心者、 深信之心也。フカクシンズルコヽロナリ 付↠之有↠二。

ひとつにはわれはこれ罪悪ざいあくぜんなり、 无始むしより已来このかた六道ろくだうりんして、 わうじやうえんなしとしんず。

一者信↧我是罪悪不善之身、 无始已来輪↢廻六道↡、 无↦往生縁↥。

ふたつには罪人ざいにんといゑども、 ぶちぐわんりきをもて強縁がうえんとすれば、 わうじやうしんず。 うたがひなくおもむぱかりなかれとなり。

二信↧雖↢罪人↡、 以↢仏願力↡為↢強縁↡、 得↦往生↥。 无↠疑无↠慮。

これについてまたふたつあり。 ひとつにはにんついしんつ、 ふたつにはぎやうついしんつ。

付↠此亦有↠二。 一就↠人立↠信、 二就↠行立↠信。

にんついしんつといふは、 しゆつしやうみちおほしといゑども、 おほきわかふたつあり。 ひとつにはしやうだうもんふたつにはじやうもんなり。

就↠人立↠信者、 出離生死道雖↠多、 大分有↠二。 一聖道門、 二浄土門。

しやうだうもんといふは、 このしやかいにして、 煩悩ぼむなうだんだいしようするだうなり。

聖道門者、 於↢此娑婆世界↡、 断↢煩悩↡証↢菩提↡道也。

じやうもんといふは、 このしやかいいとふて、 極楽ごくらくねがう善根ぜんごんしゆするもんなり。

浄土門者、 厭↢此娑婆世界↡、 忻↢極楽↡修↢善根↡門也。

もんありといゑども、 しやうだうもんさしおきじやうもんくゐするなり。

雖↠有↢二門↡、 閣↢聖道門↡帰↢浄土門↡。

しかるにもしひとあておほきやうろんひきて、 罪悪ざいあくぼむわうじやうずといはむ、 このことばくといゑども、 退心たいしむしやうぜず、 いよいよ信心しんじむす。

然若有↠人多引↢経論↡、 罪悪凡夫不↠得↢往生↡、 雖↠聞↢此語↡、 不↠生↢退心↡、 弥増↢信心↡。

ゆへはいかんとなれば、 ざいしやうぼむじやうわうじやうするはしやくそんじやうごんなり、 ぼむ0935妄説まうせちにあらず。 われすでに仏言ぶちごんしんじて、 ふかじやうごんす。 たとひ諸仏しよぶちさちきたりて、 ざいしやうぼむじやうむまれずとのたまふとも、 これをしんずべからず。

所以者何、 罪障凡夫往↢生浄土↡釈尊誠言なり、 非↢凡夫妄説↡。 我已信↢仏言↡、 深忻↢求浄土↡。 設諸仏・菩薩来、 罪障凡夫言↠不↠生↢浄土↡、 不↠可↠信↠之。

なにをもてのゆへに。 さちぶち弟子でしなり。 もしまことにこれさちならば、 仏説ぶちせちそむくべからず。 しかるにすでに仏説ぶちせちして、 わうじやうじとのたまふ。 しりまことさちにあらずといふことを。 このゆへにしんずべからずと。

何以故。 菩薩仏弟子。 若実是菩薩者、 不↠可↠乖↢仏説↡。 然已違↢仏説↡、 言↠不↠得↢往生↡。 知非↢真菩薩↡。 是故不↠可↠信。

またぶちはこれ同体どうたいだいなり。 まことにこれぶちならば、 しやせちたがふべからず。

また仏是同体大悲。 実是仏者、 不↠可↠違↢釈迦説↡。

しかればすなわち ¬弥陀みだきやう¼ (意) とかく、 「一日ゐちにち七日しちにち弥陀みだぶちみやうがうねむずれば、 かならずわうじやう」 といへるは、 六方ろくぱう恒沙ごうじや諸仏しよぶちしやぶちおなじむなしからずとこれを証誠しようじやうしたまへり。

然則¬阿弥陀経¼説、 「一日七日念↢阿弥陀仏名号↡、 必得↢往生↡」者、 六方恒沙諸仏、 同↢釈迦仏↡不↠虚証↢誠之↡。

しかるにいましやせちそむきて、 わうじやうじとふ。 かるがゆへにしりまことぶちにあらずと。 これてん変化へんぐゑなり。 このをもてのゆへに、 しんずべからず。 ぶちさちせち、 なほもてしんずべからず、 いかにいはむやせちおや。

然今背↢釈迦説↡、 云↠不↠得↢往生↡。 故知非↢真仏↡。 是天魔変化。 以↢是義↡故、 不↠可↢依信↡。 仏・菩薩説、 尚以不↠可↠信、 何況余説哉。

汝等なんだちしふするところ、 大小だいせうことなりといゑどもおなじ仏果ぶちくわす。 穢土ゑどしゆぎやうしやうだうこゝろなり。 われしゆするところのしやうざふおなじからず、 ともに極楽ごくらくねがふ。 わうじやうきやうごふじやうもんこゝろなり。 しやうだうはこれなんぢえんぎやうなり、 じやうもんわがえんぎやうなり。 これをもてかれをなんずべからず、 かれをもてこれをなんずべからず。

汝等所↠執、 雖↢大小異↡同期↢仏果↡。 穢土修行聖道意なり。 我等所↠修正雑不↠同、 共忻↢極楽↡。 往生行業、 浄土門意。 聖道者是汝有縁行なり、 浄土門者我有縁行なり。 不↠可↢以↠此難↟彼、 不↠可↢以↠彼難↟此。

かくのごとくしんずる、 これをにんついしんつとなづく。

如↠是信ずる、 是名↢就↠人立↟信。

つぎぎやうついしんつといふは、 わうじやう極楽ごくらくぎやう、 まちまちなりといゑどもしゆいでず。 ひとつには正行しやうぎやうふたつにはざふぎやうなり。 正行しやうぎやう弥陀みだぶちにおいてのしんぎやうなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちにおいてのぎやうなり。

次就↠行立↠信者、 往生極楽行、 雖↠区不↠出↢二種↡。 一者正行、 二者雑行なり。 正行者於↢阿弥陀仏↡之親行也、 雑行者於↢阿弥陀仏↡之疎行也。

まづ正行しやうぎやうといふは、 これについていつゝあり。 ひとついは読誦どくじゆいはく 「さんきやう」 をむなり。 ふたつにはいは極楽ごくらくしやうくわんずるなり。 みつには礼拝らいはいいは弥陀みだぶちらいしたてまつるな0936り。 よつには称名しようみやういは弥陀みだみやうがうしようするなり。 いつゝには讃嘆さんだんやういは弥陀みだぶち讃嘆さんだんやうしたてまつるなり。

先正行者、 付↠之有↠五。 一謂読誦、 謂読↢「三部経」↡也。 二謂観↢極楽依正↡也。 三礼拝、 謂礼↢弥陀仏↡也。 四称名、 謂称↢弥陀名号↡也。 五讃嘆供養、 謂讃↢嘆供↣養阿弥陀仏↡也。

このいつゝをもてがふしてふたつとなす。

以↢此五↡合為↠二。

ひとつには一心ゐちしむ弥陀みだみやうがう専念せんねむして、 ぎやうぢゆぐわせちごんとは念念ねむねむてざるは、 これを正定しやうぢやうごふなづく、 かのぶちぐわんじゆんずるがゆへに。

一者一心専↢念弥陀名号↡、 行住座臥不↠問↢時節久近↡念念不↠捨者、 是名↢正定之業↡、 順↢彼仏願↡故。

ふたつにはさきいつなかに、 称名しようみやうのぞきぐゑ礼拝らいはい読誦どくじゆとうは、 みな助業じよごふなづく。

二者先五中、 除↢称名↡已外礼拝・読誦等、 皆名↢助業↡。

つぎざふぎやうといふは、 さきしゆしやうじよぎやうのぞきぐゑのもろもろの読誦どくじゆだいじようほちだいしむかいくわんじんぎやうとう一切ゐちさいぎやうなり。

次雑行者、 除↢先五種正助二行↡已外諸読誦大乗発菩提心持戒勧進行等一切行也。

このしやうざふぎやうについて、 しゆ得失とくしちあり。

付↢此正雑二行↡、 有↢五種得失↡。

ひとつにはしんたいいは正行しやうぎやう弥陀みだぶちしんなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちなり。

一親疎対、 謂正行親↢シタシキ阿弥陀仏↡、 雑行疎↢ウトキ阿弥陀仏↡。

ふたつには近遠ごんおんたいいは正行しやうぎやう弥陀みだぶちごんなり、 ざふぎやう弥陀みだぶちおんなり。

二近遠対、 謂正行近↢チカシ阿弥陀仏↡、 雑行遠↢トオシ阿弥陀仏↡。

みつにはけんけんたいいは正行しやうぎやうねむひまなし、 ざふぎやうねむ間断けんだんす。

三有間无間対、 謂正行係念无↠間、 雑行係念間断。

よつにはかうかうたいいは正行しやうぎやうかうもちゐざるにおのづからわうじやうごふとなる、 ざふぎやうかうせざるときわうじやうごふとならず。

四廻向不廻向対、 謂正行不↠用↢廻向↡自為↢往生業↡、 雑行不↢廻向↡時不↠為↢往生業↡。

いつゝにはじゆんざふたいいは正行しやうぎやうじゆんわうじやう極楽ごくらくごふなり、 ざふぎやうはしからず、 十方じふぱうじやうない人天にんでんごふずるなり。

五純雑対、 謂正行純往生極楽業也、 雑行不↠爾、 通↢十方浄土乃至人天業↡也。

かくのごとくしんずるは、 ぎやういてしんつとなづく、 これを深心じむしむなづく。

如↠此信者、 名↢就↠行立↟信、 是名↢深心↡。

みつにはかうほちぐわんしむといふは、 くわおよこむじやうしん口意くいごふしゆするところの一切ゐちさい善根ぜんごん真実しんじちしむをもて極楽ごくらくかうして、 わうじやうごんするなり。

三廻向発願心者、 過去及今生身口意業所↠修一切善根、 以↢真実心↡廻↢向極楽↡、 忻↢求往生↡也。

一六

またいは 善導ぜんだうしむさう すること善導ぜんだう色相しきさうとうくわんぼふ おば観仏かむぶち三昧ざんまいへり、 称名しようみやう念仏ねむぶちおば念仏ねむぶち三昧ざんまいへり。 しむ称名しようみやうくわんぼふがふして念仏ねむぶち三昧ざんまいへり。

一七

また0937いは しゆひとじやうもんにそのこゝろざしあらむには、 まづ ¬わうじやう要集えうしふ¼ をもてこれをおしふべし。 そのゆへは、 このしよはものにこゝろえて、 なんなきやうにそのおもてをみえて、 初心しよしむひとのためによきなりいゑどもしかり真実しんじちそこほんは、 称名しようみやう念仏ねむぶちをもて専修せんじゆ専念せんねむくわんじんしたまへり。 善導ぜんだう一同ゐちどうなり

一八

またいは しゆひとじやうしゆにそのこゝろざしあらむものは、 かならず本宗ほんしゆこゝろすつべきなり。 そのゆへは、 しやうだうじやうしゆ各別かくべちなるゆへなりとのたまへり。