一二(972)、鎌倉二品比丘への御返事

かまくらのぼむ比丘びくしやうにんおむもとへ念仏ねむぶちどくをたづねまふされたりけるにおむかへりごと

おむふみくはしくうけたまはりさふらひぬ。 念仏ねむぶちどくほとけもときつくしがたしとのたまへり。 また智慧ちゑ第一だいゐちしやほちもん第一だいゐちわあなんも、 念仏ねむぶちどくはしりがたしとのたまひしくわうだい善根ぜんごんにてさふらへば、 ましてぐゑんなどはまふしつくすべくもさふらはず。

ぐゑん、 このてうにわたりてさふらふ仏教ぶちけう随分ずいぶんにひらきみさふらへども、 じやう教文けうもん震旦しむたんよりとりわ0973たしてさふらふしやうげうのこゝろをだにも、 一年ゐちねんねんなどにてはまふしつくすべくもおぼえさふらはず。 さりながら、 おほせたまはりたることなれば、 まふしのべさふらふべし。

まづ念仏ねむぶちしんぜざる人々ひとびとまふしさふらふなること、 くまがへの入道にふだう・つのとの三郎さぶらう無智むちのものなればこそぎやうをせさせず、 念仏ねむぶちばかりおば法然ほふねんばうはすゝめたれとまふしさふらふなること、 きわめたるひがごとにてさふらふなり

そのゆへは、 念仏ねむぶちぎやうは、 もとより有智うち無智むちをえらばず。 弥陀みだのむかしのちかひたまひしだいぐわんは、 あまねく一切ゐちさいしゆじやうのためなり無智むちのためには念仏ねむぶちぐわんとし、 有智うちのためにはぎやうぐわんとしたまふことなし。

十方じふぱうかいしゆじやうのためなり、 有智うち無智むち善人ぜんにん悪人あくにんかいかい貴賎くゐせん男女なむによもへだてず。 もとはほとけざいしゆじやう、 もしはほとけめちしゆじやう、 もしはしや末法まちぽふ万年まんねんののちに三宝さんぽうみなうせてのゝちのしゆじやうまで、 たゞ念仏ねむぶちばかりこそ現当げんたうたうとはなイノリトナルトナリ さふらへ。

善導ぜんだうくわしやう弥陀みだ化身くゑしんにて、 ことに一切ゐちさいしやうげうをかゞみて専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめたまへるも、 ひろく一切ゐちさいしゆじやうのためなり方便はうべんせち末法まちぽふにあたりたるいまのけうこれなり。

されば無智むちひとにかぎらず、 ひろく弥陀みだほんぐわんをたのみて、 あまねく善導ぜんだうおむこゝろにしたがひて、 念仏ねむぶち一門ゐちもんをすゝめさふらはむに、 いかに无智むちひとのみにかぎりて、 有智うちひとおばへだててわうじやうせさせじとはしさふらはむや。

しか0974らずは、 だいぐわんにもそむき、 善導ぜんだうおむこゝろにもかなふべからず。 しかればすなわち、 このへんにまうできてわうじやうみちをとひたづねさふらふにも、 有智うち無智むちろんぜず、 ひとへに専修せんじゆ念仏ねむぶちをすゝめさふらふなり

かまえてさやうに専修せんじゆ念仏ねむぶちまふしとゞめむとつかまつるひとは、 さきの念仏ねむぶち三昧ざんまい得道とくだう法門ほふもんをきかずして、 後世ごせにまたさだめて三悪さんまくにおつべきものゝ、 しかるべくしてさやうにまふしさふらふなり。 そのゆへは、 しやうげうにひろくみへてさふらふ

しかればすなわち、 「しゆぎやうすることあるをみては毒心どくしむをおこし、 方便はうべんしてきおふて あだをなす。 かくのごとくのしやうまう闡提せんだいムマルヽヨリメシヒタリともがら、 頓教とんげう毀滅くゐめち してソシリホロボスながく沈淪ちむりむす。 だいじんごふ超過てうくわすとも、 いまださんをはなるゝことをえず」 (法事讃巻下) とときたまへり。

しゆぎやうあるをては瞋毒しんどくおこし、 方便はうべん破壊はゑしてきおいあだしやうぜむ。
かくのごときしやうまう闡提せんだいともがら頓教とんげう毀滅くゐめちしてなが沈淪ちむりむせむ。
だいぢんごふ超過てうくわすとも、 いまださんしんはなるゝことをべからず。
大衆だいしゆ同心どうりむにみなしよほふつみ因縁いんねん懺悔さむぐゑすべしと」 (法事讃巻下) 文

けんしゆぎやう瞋毒しんどく方便はうべん破壊はゑきやうしやうおん
によしやうまう闡提せんだいはいくゐめち頓教とんげうゐやう沈淪ちむりむ
てうくわだいぢんごふとくさんしん
大衆だいしゆ同心どうしんかいさむぐゑしよほふざい因縁いんねん↡」

このもんこゝろは、 じやうをねがひ念仏ねむぶちぎやうずるひとをみては、 毒心どくしむをおこし、 ひがごとをたくみめぐらして、 やうやうの方便はうべんをなして専修せんじゆ念仏ねむぶちぎやうをやぶり、 あだおな0975してまふしとゞむるにさふらふなり かくのごとくのひとは、 むまれてよりぶちしやうのまなこしひて、 ぜんのたねをうしなへる闡提せんだいにんのともがらなり。 この弥陀みだみやうがうをとなえて、 ながきしやうをはなれてじやうぢゆ極楽ごくらくわうじやうすべけれども、 この教法けうぼふをそしりほろぼして、 このつみによりてながくさん悪道まくだうにしづむとき、 かくのごときのひとは、 だいぢんごふをすぐれども、 ながくさんをはなれむことあるべからずといふなり

しかればすなわち、 さやうにひがごとまふしさふらふらむひとおば、 かへりてあはれみたまふべきものなり。 さほどの罪人ざいにんまふすによりて、 専修せんじゆ念仏ねむぶちだいをなし、 念仏ねむぶちわうじやうにうたがひをなししむをおこさむひとは、 いふかひなきことにてこそさふらはめ。

おほよそえんあさくわうじやうときいたらぬものは、 きけどもしんぜず、 念仏ねむぶちのものをみればはらだち、 こゑきゝていかりをなし、 あくなれどもきやうろんにもみえぬことをまふすなりおむこゝろえさせたまひて、 いかにまふすともおむこゝろがはりはさふらふべからず。

あながちにしんぜざらむひとおばおむすゝめさふらふべからず。 かゝるしんしゆじやうをおもへば、 くわ父母ぶもチヽハヽくゐやう アニ ていオトヽ親類しんるいなりシタシキモノト おもひさふらふにも、 慈悲じひをおこして、 念仏ねむぶちかゝでまふし極楽ごくらくじやうぼむ上生じやうしやうにまいりてさとりをひらき、 しやうにかへりてはうしんひとおもむかへむと、 善根ぜんごんしゆしてはおぼしめすべきことにてさふらふなり。 このよしをおむこゝろえあるべきなり。

0976 異解いげ人々ひとびとどくしゆするには、 財宝ざいほうあひじよじやうタスケテトしておぼしめすべきやうは、 われはこの一向ゐちかう専修せんじゆにて決定くゑちぢやうしてわうじやうすべきなり、 にんのとおきみちをわがちかきみち結縁けちえんせさせむとおぼしめすべきなり。 そのうへ専修せんじゆをさまたげさふらはねば、 結番けちばんせむにもとがなし。

一 人々ひとびとだうをつくり、 ぶちをつくり、 きやうをかき、 そうやうせむことは、 こゝろみだれずして慈悲じひをおこして、 かくのごときのざふ善根ぜんごんおばしゆせさせたまへとおむすゝめさふらふべし。

一 このよのいのりに、 念仏ねむぶちのこゝろをしらずして仏神ぶちしんにもまふし、 きやうおもかき、 だうおもつくらむと。 これもさきのごとく、 せめてはまた後世ごせのためにつかまつらばこそさふらはめ。 そのようなしとおほせさふらふべからず。 専修せんじゆをさえぬぎやうにてもあらざりけりとも、 おぼしめしさふらふべし。

一 念仏ねむぶちまふすこと、 やうやうのさふらへども、 ろくをとなふるに一切ゐちさいをおさめてさふらふなりこゝろにはぐわんをたのみ、 くちにはみやうがうをとなえて、 かずをとるばかりなり。 つねしむにかくるが、 きわめたる決定くゑちぢやうごふにてさふらふなり念仏ねむぶちぎやうは、 もとよりぎやうぢゆぐわしよ諸縁しよえんをえらばず、 しんじやうおもきらはぬぎやうにてさふらへば、 らくぎやうわうじやうとはまふしつた0977へてさふらふなり

たゞしこゝろをきよくしてまふすおば、 第一だいゐちぎやうまふしさふらふなりじやうをこゝろにかくれば、 しむココロじやうキヨキぎやうほふにてさふらふなり。 さやうにおむすゝめさふらふべし。 つねにまふしたまひさふらはむをば、 とかくまふすべきやうもさふらはず。 わがながらもしかるべくて、 このたびわうじやうすべしとおぼしめして、 ゆめゆめこのこゝろつよくならせたまふべし。

一 念仏ねむぶちぎやうしんぜぬひとにあひてろんじ、 あらぬぎやう異計いけ人々ひとびとにむかひて執論しふろんさふらふべからず。 あながちに異解いげがくひとをみては、 あなづりそしることさふらふまじ。 いよいよ重罪ぢうざいひとになしさふらはむこと便びんさふらふ

同心どうしん極楽ごくらくをねがひ念仏ねむぶちまふすひとおば、 せんひとなりとも父母ぶも慈悲じひにおとらずおぼしめしさふらふべし。 こむじやう財宝ざいほうのともしからむにも、 ちからをくわへたまふべし。

さりながらも、 すこしも念仏ねむぶちにこゝろをかけさふらはむおば、 すゝめたまふべし。 これ弥陀みだ如来によらいおむみやづかへとおぼしめすべくさふらふなり

如来によらいめちよりこのかた、 せうせうぎやうにまかりなりてさふらふなり。 われもわれもと智慧ちゑありがほにまふすひとは、 さとりさふらふべし。 せめてはろくきやうけうおもきゝみず、 いかにいはむや、 ろくのほかのみざるひと智慧ちゑありがほにまふすは、 のそこのかへるににたり。

随分ずいぶん震旦しむたん日本にちぽんしやうげうをとりあつめて、 このあひだかむがへさふらふなり念仏ねむぶちしんぜぬひとは、 ぜん重罪ぢうざいをつくりてごくにひさしくありて、 またごくにはやくかへるべ0978ひとなり。 たとひ千仏せんぶちにいでゝ、 念仏ねむぶちよりほかにまたわうじやうごふありとおしへたまふともしんずべからず。

これはしや弥陀みだよりはじめて、 恒沙ごうじやほとけ証誠しようじやうせしめたまへることなればとおぼしめして、 おむこゝろざし金剛こむがうよりもかたくして、 一向ゐちかう専修せんじゆ変改へんがいあるべからず。

もしろんまふさむひとおば、 これへつかはして、 たてまふさむやうをきけとさふらふべし。 やうやうのしようもんかきしるしてまいらすべくさふらへども、 たゞこゝろこれにすぎさふらふべからず。

またしやかいひとは、 よのじやうをねがはむことは、 ゆみなくしてそらとりをとり、 あしなくしてたかきこずゑのはなをとらむがごとし。

かならず専修せんじゆ念仏ねむぶち現当げんたうのいのりとなりさふらふなり。 これりやくしてかくのごとし、 これもきやうせちにてさふらふうち人々ひとびとにはぼむごふを、 ひとのねがひにしたがひて、 はじめおはりたえぬべきほどにおむすゝめさふらふべきなり。 あなかしこ、 あなかしこ。