0943◎選せん択じゃく註ちゅう解げ鈔しょう第だい四し

  ◎第九 四修章

(128)

一 上かみの章しょうは安心あんじん、 ▲この章しょうは作さ業ごうなり。 安心あんじんのうへの作さ業ごうなるが故ゆえに、 上下かみしも次し第だいを成じょうずるなり。

-問といて云いわく、 安心あんじん・起き行ぎょう・作さ業ごうと云いふ、 つねの次し第だいなり。 なんぞ起き行ぎょうをあかさゞるや。

-答こたえて云いわく、 起き行ぎょうといふは五ご念門ねんもんなり。 五ご念門ねんもんと云いうは礼拝らいはい・讃嘆さんだん・観察かんざつ・作さ業ごう・廻え向こうなり。 しかるに深心じんしんの就じゅ行ぎょう立信りっしんのなかに▲五ご種しゅの行ぎょうをあげたり。 その五ご種しゅの行ぎょうとかの五ご念門ねんもんといさゝかことなれども、 その義ぎ大たい略りゃく同おなじ。

-又また四し修しゅのなかにもその心こころあり。 則すなわち第だい二にの无余むよ修しゅに 「▲所謂いはゆる専◗ら称↢ して彼◗の仏名↡を専念専想、し 専◗ら礼↢讃 して彼◗の仏及◗び一切◗の聖衆等↡を、 不ず↠雑↢へ余業↡を」 と云いひ、 又また第だい三の無む間修けんしゅに 「▲所謂相続 して恭敬礼拝、 称名讃嘆、 憶念観察、 廻向発願、 して心心相続 して不ず↧以↢て余業↡を来きた◗し間へだ↥て」 といふ、 これなり。 故ゆえに前ぜん後ごの文もんにゆづりて、 別べっして起き行ぎょうの章しょうを立たてざるなり。

(129)

一 ▲¬礼讃らいさん¼ の文もんにつらぬる所ところの四し修しゅは、 一には恭く敬ぎょう修しゅ、 二には无余むよ修しゅ、 三には无む間けん修しゅ、 四には長じょう時じ修しゅ也なり。

-長じょう時じ修しゅと云いうは、 三修さんしゅのおはりに 「▲誓ちか ひて不↢る中止↡せ、 即◗ち是 れ長時修0944 なり」 といへる、 これなり。

-三修さんしゅのおはり、 第だい三の无む間けん修しゅに二に種しゅの釈しゃくあり。 ↓はじめの釈しゃくは 「▲不ず↧以も↢て余業↡を来きた◗し間へだ↥て」 といへり、 これ間断けんだんなき義ぎなり。 「余業」 と云いうは雑ぞう行ぎょうなり、 されば雑ぞう行ぎょうをまじへずして専修せんじゅなるべしといふなり。 ↓後のちの釈しゃく◗は「▲不ず↧以↢て貪嗔煩悩↡を来◗し間まじ◗へ」 といへり、 これ間雑けんぞうなき義ぎなり。 これは懺さん悔げ念仏ねんぶつの心こころなり。

-二に重じゅうの釈しゃくのなかには、 ↑はじめの釈しゃくは下げ根こんの行ぎょう用ゆうなり、 ↑のちの釈しゃくは上じょう根こんの用心ようじんなり。 ▽¬要訣ようけつ¼ の釈しゃくも、 はじめの釈しゃくのこゝろをのべたり。

(130)

一 ▲¬要訣ようけつ¼ の釈しゃくには、 一には長じょう時じ修しゅ、 二には恭く敬ぎょう修しゅ、 三には无む間けん修しゅ、 四には无余むよ修しゅと次し第だいせり。 次し第だいにさだめなし、 をのをの一いち義ぎをあらわすなり。 一々いちいちの義理ぎりも言ことばにおいていさゝか加か減げんあれども、 その心こころ一ひとつ也なり。

(131)

一 ▲恭く敬ぎょう修しゅのなかに、 恭く敬ぎょうの体たいにをいて五いつつをいだせり。

-そのなかに 「▲有縁の聖人」 と云いうは、 いま 「有う縁えん」 とさすは弥陀みだの教きょうなり。 「聖人」 と云いうは智ち行ぎょう具ぐ足そくの人ひとなり。 これは総そうじて浄じょう土どの法門ほうもん弘ぐ通ずうの人ひとをさすなり。

-しもに 「▲有縁の善知識」 といふは師し範はんなり。 これは別べっして相そう承じょうの師しにあたれり。

-「▲同縁の伴」 と云いうは同どう行ぎょうなり。 和か尚しょうの余よ処しょの釈しゃくにも、 ¬法ほう事じ讃さん¼ (巻下) には 「▲同行相 ひ親したし んで願 くは莫↠れ退 ぞ くこと」 といひ、 ¬般舟はんじゅ讃さん¼ には 「▲同行相 ひ親したし んで莫↢れ相 ひ離↡ こと」 と云いへり。 或あるいは敬重きょうじゅうををしへ、 或あるいは親近しんごんをすゝむ。 をのを0945の一端いったんをしめすなり。

-「▲三宝」 といふは仏宝ぶっぽう・法宝ほうぼう・僧宝そうぼうなり。 これにをいて多た種しゅあり、 同体どうたい・別相べっそう・住じゅう持じなり。

-「▲同体」 といふは、 尽じん虚こ空くう遍へん法界ほっかいの一切いっさいの三宝さんぼうは三身さんしん同どう証しょうして一体いったい一身いっしんなるを、 同体どうたいの三宝さんぼうと云いうなり。

-「▲別相」 と云いうは、 内ない証しょうは同おなじけれども各おのおの別体べったいをしめして弥陀みだ・釈しゃ迦か・薬やく師し・弥み勒ろくとも証しょうするを別相べっそうの三宝さんぼうと云いうなり。

-この同体どうたい・別相べっそうは、 ともに冥みょうの三宝さんぼうなり。 凡ぼん夫ぶの眼見げんけんの境きょう界がい◗にあらざるがゆへに 「▲為 め↢に浅行◗の者 の↡ゝ不ず↠果はた↢さ依よ◗り修↡ ことを」 と云いうなり。

-「▲住持の三宝」 と云いうは顕けんの三宝さんぼうなり、 行ぎょう者じゃのためにしたしく依怙えことなる体たいなり。 「▲与ため↢に今◗の浅識↡の作↢す大因縁↡を」 と云いうは此この心こころなり。

-「▲雕ゑ↠り檀」 と云いうは木像もくぞうなり。 「▲繍ぬ↠ふ綺き◗を」 と云いうは画え像ぞうなり。 「▲鏤ちりば↠む玉◗を」 といふは又また形ぎょう像ぞうなり。 「▲図づ↠す繒かとり◗に」 と云いうはまた画え像ぞうなり。 「▲磨↠る石」 と云いうは石仏せきぶつなり。 「▲削けづ↠る土◗を」 と云いうは土ど仏ぶつなり。

-「▲三乗◗の教旨」 といふは、 一代いちだいの結けっ経きょう、 諸しょ宗しゅうの聖教しょうぎょう、 経教きょうきょうまちまちなれども、 総そうじていふに三さん乗じょうの道どうを明あかすがゆへなり。 これ法相ほっそう宗しゅうの心こころなり。 「三さん乗じょう」 と云いうは、 上かみの▲教きょう相そうの章しょうに載のするがごとし。

-「▲名句所詮」 と云いうは、 「名みょう句く」 と云いうは経きょう典てんの偈げ頌じゅ等とうなり。 経きょう典てんの詮せんずるところは衆しゅ生じょうの解悟げごの縁えんを生しょうずとなり。

-「▲聖僧」 と云いうは小乗しょうじょうの学者がくしゃ、 これ声しょう聞もん僧そうなり。 「▲菩薩」 といふは大だい乗じょう◗の行ぎょう人にんなり。 「▲破戒之の流ともがら」 と云いふは末代まつだい无む0946戒かいの比丘びくなり。 三宝さんぼうをうやまふとき、 破は戒かいをえらびて敬重きょうじゅうすべきに非あらずといへども、 末まっ世せには持じ戒かいの人ひとまれなれば、 破は戒かいの比丘びくまでも敬重きょうじゅうすべしと云いうなり。

(132)

一 「▲三 つ◗に者は无間修。 謂◗く常◗に念仏 して作↢す往生◗の心↡を。 於↢て一切◗の時とき↡に心しん◗に恒◗に思◗ひ巧◗め」 といふは、 心々しんしん相続そうぞくして間断けんだんなきなり。 ¬礼讃らいさん¼ の釈しゃくに、 この修しゅにをきて二ふたつの釈しゃくあるなかに、 △はじめの釈しゃくの心こころは今いまの釈しゃくに同おなじ。

(133)

一 「▲諸余◗の業行不↠れ令↢め雑起き↡せ。 所作之の業、 日別◗に須すべから↧く ベ  シ修↢ して念仏誦経↡を不↞る留↢め余課↡を耳」 といふは、 「諸しょ余よの業ごう行ぎょう」 といひ、 「余課よか」 といふ、 みな雑ぞう行ぎょうをあげて念仏ねんぶつのほかにこれを加くわへざれと云いうなり。

(134)

一 私わたくしの釈しゃくに四し修しゅをつらぬるに、 二に 「▲慇重修」 といへるは恭く敬ぎょう修しゅなり。 恭く敬ぎょうと慇重おんじゅうと、 そのことばことなれども、 その心こころ同おなじきなり。

(135)

一 「▲例 せば如 と↣し彼◗の精進◗の通↢ ずるが於余◗の五度↡に」 といふは、 檀だん・戒かい・忍にん・禅ぜん・智ちの五度ごどはその体たい定さだまれり。 精しょう進じんと云いうは別べつの法ほうなし、 余よの五度ごどを退転たいてん懈け怠だいせずして勇ゆう猛みょう精しょう進じんに修しゅするは、 すなはち精しょう進じん波羅はら蜜みつなり。 故ゆえに例れい知ちするなり。

 

  第十 化讃章

(136)

一 ▲当章しょうより以下いげの二に段だんは、 又また ¬観かん経ぎょう¼ の心こころなり。 上かみの▲三心さんしん・▲四し修しゅは、 念仏ねんぶつを信しん行ぎょうす0947る安心あんじん・作さ業ごうなり。 その念仏ねんぶつを聞もん経きょうに対たいして讃嘆さんだんするなり。 ▲所引しょいんの文もんは下げ品ぼん上生じょうしょうの文もんなり。

(137)

一 「▲作衆悪業」 といふ、 十じゅう悪あくを指さすなり。 十じゅう悪あくは上かみの▲三心さんしんの章しょうにのするがごとし。

-問といて云いわく、 「作衆悪業」 といへる、 ひろく諸悪しょあくに渡わたるべし、 随したがいて当所とうしょの釈しゃくも 「▲造作衆悪」 (散善義) と釈しゃくせり。 経釈きょうしゃくともに十じゅう悪あくといはず、 なんぞ十じゅう悪あくをさすといふべきや。

-答こたえて云いわく、 今いまの文もんに 「作衆悪業」 と云いへるは、 十じゅう悪あくなりと心こころ得うることは、 当品とうほんのくらゐを辨べん成じょうするに、 「▲即◗ち是 れ造↢ れる十悪↡を軽罪の凡夫なり」 (散善義) と釈しゃくするが故ゆえなり。 されば下げ輩はいの三品さんぼんは如↠次ついでのごとく十じゅう悪あく・破は戒かい・五ご逆ぎゃくの機きなるがゆへに、 軽きょう・次し・重じゅうの罪人ざいにんなり。 此この故ゆえに下しもの二ふたつの重じゅう罪ざいに対たいするに、 今いま 「作さ衆しゅ悪業あくごう」 と云いへるは十じゅう悪あくなりと心こころ得うるなり。

-是これ則すなわち、 十じゅう悪あくは衆罪しゅざいの根本こんぽんなるがゆへに、 十じゅう悪あくをさして衆悪しゅあくといふに相そう違いなきなり。

(138)

一 「▲方等経典」 と云いうは、 別べっして一いっ経きょうをさすにあらず、 総そうじて大だい乗じょう経きょうをさすなり。 「方等ほうどう」 は方広ほうこうなり、 方広ほうこうは大だい乗じょう也なり。 すなはち十じゅう二部にぶ経きょうのなかのそのひとつなり。

(139)

一 「▲十二部経」 と云いうは、 一代いちだいの諸しょ経きょうなり。 一切いっさい経きょうのなかより別べっして十じゅう二部にぶ経きょうをえらぶにはあらず。 諸しょ経きょうの説相せっそうを料りょう簡けんするに十じゅう二部にぶを出いでざるなり。 されば十じゅう二部にぶ経きょうと0948云いうは、 たゞ一切いっさいの経きょうをさすなり。

-その 「十じゅう二部にぶ」 といふは、 一には修しゅ多羅たら、 こゝには法本ほうほんといふ。 長じょう行ごうなり。

-二には祇夜ぎや、 こゝには重じゅう頌じゅといふ。 長じょう行ごう所説しょせつの法門ほうもんをかさねて頌じゅをもて宣説せんぜつするなり。

-三には伽陀かだ、 こゝには諷ふ誦じゅといふ。 二、 三、 四、 五の句くなり。

-四には和わ伽きゃ羅ら、 こゝには記き別べつといふ。 成じょう仏ぶつの記き等とうをさづくる、 これなり。

-五には優う陀那だな、 こゝには无む問もん自じ説せつといふ。 請しょうによらずして説とく所ところの経教きょうきょうなり。

-六には尼に陀那だな、 こゝには戒かいといふ。 戒かい行ぎょうをとける、 これなり。

-七には曰陀わだ伽か、 こゝには本ほん事じと云いふ。 弟子でしの宿生しゅくしょうの事ことをとくなり。

-八には阿あ婆多ばた、 こゝには譬喩ひゆといふ。 たとへをもて法門ほうもんを顕あらはすなり。

-九には舎しゃ陀伽だか、 こゝには本ほん生じょうといふ。 仏ぶつの因いん行ぎょうをとける、 これなり。

-十には毘仏びぶ略りゃ、 こゝには方広ほうこうといふ。 大だい乗じょうの義ぎなり。

-十一には阿あ浮陀ぶだ、 こゝには希有けうといふ。 未曾みぞ有うの法門ほうもんを説とくなり。

-十二には優婆うば提舎だいしゃ、 こゝには論ろん義ぎといふ。 問答もんどうをまうけて法門ほうもんを論説ろんせつすることなり。

-一代いちだいの経教きょうきょう多おおしと云いへども、 所説しょせつの義理ぎりは此この十じゅう二部にぶを出いでざるなり。 此この中なかに大だい小乗しょうじょうを分別ふんべつするとき、 大だい乗じょうには十じゅう二部にぶを具ぐし、 小乗しょうじょうには第だい十の方広ほうこうを闕けっして余よの十じゅう一いち部ぶ有あるなり。

-「▲首題名字」 と云いふは題目だいもくなり、 名みょう詮せん自じ性しょうの謂いいあるがゆへに、 首題しゅだいの名みょう字じをとなふれば、 部々ぶぶの諸しょ経きょうを読誦どくじゅ修しゅ習じゅうする功く徳どくにひとしきなり。

(140)

一0949 「▲然 るに望↢ むれば仏◗の願意い↡に者」 といふは、 第だい十じゅう八はちの願がんをさすなり。 すなはち念仏ねんぶつなり。

(141)

一 「▲雑散◗の業」を といふは雑ぞう行ぎょうなり。 雑善ぞうぜんなるがゆへに 「雑ぞう」 といひ、 餐受さんじゅの心しん浮ふ散さんする義ぎにつきて 「散さん」 といふ。 かるがゆへに雑散ぞうさんの業ごうといふなり。

(142)

一 「▲如↢き此◗の経↡の及◗び諸部◗の中なか、に 処々◗に広◗く歎 じて勧すゝ めて令↠ るを称↠せ名みな、を 将◗に為す↢要益↡と也」◗と云いうは、 この ¬経きょう¼ と云いうは ¬観かん経ぎょう¼ なり。 「諸しょ部ぶ」 といふは、 別べっしては ¬大だい経きょう¼ ・¬小経しょうきょう¼ をさす、 総そうじては傍ぼう依えの諸しょ経きょうをさすなり。

 

  第十一 讃嘆章

(143)

一 上かみの章しょうには十じゅう二部にぶ経きょうに対たいして念仏ねんぶつを讃嘆さんだんす、 ▲今いまの章しょうには雑善ぞうぜんに対たいして念仏ねんぶつを讃嘆さんだんす。 所嘆しょたんの念仏ねんぶつは同おなじといへども、 相対そうたいの法ほうその名なことなり。 又またかみは化け仏ぶつの讃嘆さんだんなり、 今いまは釈しゃく尊そんの讃嘆さんだんなり。 故ゆえに二ふたつの経きょう文もんによりて二ふたつの章しょう段だんをたつるなり。

(144)

一 ひくところの▲経きょう文もんは流る通ずうの文もんなり、 ▲¬疏しょ¼ の釈しゃくもすなはち当所とうしょの釈しゃくなり。 ¬経きょう¼ と釈しゃくとを引ひき合あわせて心こころ得うべし。

-¬疏しょ¼ の文もんに、 「▲一 には明 か↣す専↢念 することを弥陀みだ仏◗の名みな↡を」 といふは、 「▲若念仏者」 の文もんをさすなり。

-「▲二 には明↠讃↢  ずることを能念之の人ひと↡を」 といふより 「人中最勝人也▲」 といふにいたるまでは、 「▲是人中分陀利華」 の義ぎを釈しゃくするなり。

-「▲四 には明↧す専↢念 する弥陀◗の名みな↡を者もの、は 即◗ち観音・勢至常随影護、し 亦如↦   くなることを親友知識↥の也」 といふは、 「▲観世音菩薩0950・大勢至菩薩為↢其勝友↡と」 の心こころを解げする。

-「▲五 には明↧す今生既 で◗に蒙↢ ぬれば此◗の益↡を、 ↓捨命◗に即◗ち入↦諸仏之の家↥に」 といふより 「道どう場じょうの座ざあに賖はるかならんや」 といふにいたるまでは、 「▲当坐道場↓生諸仏家」 の文もんを釈しゃくするなり。

-経釈きょうしゃくの文もん段だんかくのごとし。

(145)

一 「▲分陀利」 といふは梵ぼん語ごなり、 こゝには翻ほんじて白びゃく蓮れん華げといふ。 華はなのなかには蓮れん花げ最さい勝しょうなり、 淤お泥でいに染ぜんせられざるがゆへなり。 色いろの中なかには白色びゃくしょく最さい勝しょうなり、 変へん壊ねの色いろにあらざるがゆへなり。

-故ゆえに此この花はなをもて念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃにたとふることは、 白びゃく蓮れん花げの衆しゅ花けにすぐれたるがごとく、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃの、 諸善しょぜんの行ぎょう人にんにすぐれたることをあらはすなり。

-又また法ほっ華けと念仏ねんぶつと体たいひとつなること、 この釈しゃくをもてしるべし。 かの ¬経きょう¼ (法華経) には蓮れん華げをもて妙みょう法ほうにたとへて 「妙みょう法ほう蓮れん花げ」 といひ、 この ¬経きょう¼ には蓮れん華げをもて行ぎょう者じゃにたとへて 「▲是人中分陀利花」 といふ。 所しょ行ぎょうの法ほうと能念のうねんの人にんと、 たとふるところの詮せんひとつなるなり。

(146)

一 「↑捨命◗に即◗ち入↢る諸仏之の家↡に。 即◗ち浄土是 れ也なり」 といふは、 弥陀みだの浄じょう土どなり。 「↑生諸仏家」 とゝきたるを釈しゃくしあらはすなり。

-これすなはち真身しんしん観かんには観仏かんぶつ三昧ざんまいの益やくをとくとして 「▲捨身他世生諸仏前」 (観経) ととき、 流る通ずうの文もんには経名きょうみょうをあぐとして 「▲浄じょう除じょ業ごっ障しょう生しょう諸仏しょぶつ前ぜん」 (観経) と云いえり。 これみな弥陀みだの浄じょう土どをさすことあきらかなり。 弥陀みだは諸仏しょぶつ0951の本ほん師し、 極楽ごくらくは十方じっぽうの本ほん土どなるがゆへに、 諸仏しょぶつの家いえといふなり。

(147)

一 「▲到↠ りて彼かしこ◗に長時じ◗に聞↠て法◗を歴事供養◗す」 といふは、 聖しょう道どうは成じょう仏ぶつを期ごし、 浄じょう土どは往おう生じょうを願がんずるにつきて、 往おう生じょうののち聞法もんぼう修しゅ行ぎょうして成じょう仏ぶつすべき義ぎを釈しゃくするなり。

-▲しかれども、 長じょう遠おんの修しゅ行ぎょうとをからず速すみやかに極ごく果かにいたるべきがゆへに、 「▲道場◗の座豈 に賖◗や」 といふなり。 この義ぎ、 上かみの正しょう雑ぞう二に行ぎょうの章しょうにこれを弁べんぜしがごとし。

(148)

一 私わたくしの釈しゃくの中なかに 「▲問◗て曰、く 既 で◗に以↢て念仏↡を名↢ けば上々↡と者、 何◗が故ゆへ◗ぞ不↠ して説↢か上々品◗の中 か↡至↢ りて下々品↡に而説↢く念仏↡を乎」 といふは、 この問といの心こころは、 さきに能念のうねんの行ぎょう者じゃを嘆たんじて上々じょうじょう人にんといへば、 所念しょねんの法ほうも上々じょうじょうの法ほうなりと聞きこへたり。 然者しからば、 尤もっとも上々じょうじょう品ぼんの中なかに説とくべし、 なんぞ下々げげ品ぼんの中なかに説とくやと問とうなり。

-▲答こたえの心こころは、 念仏ねんぶつの行ぎょう九く品ぼんにわたる上うえ、 下々げげ品ぼんにかぎらず上々じょうじょう品ぼんにもこれあり、 自余じよの諸品しょほんにもこれあり。 いかにいわんや、 下々げげ品ぼんは五ご逆ぎゃくの重じゅう罪ざいなるがゆへに、 かの重じゅう罪ざいを滅めっすることは念仏ねんぶつの力ちからなれば、 能のう治じ・所しょ治じ相応そうおうするによりて、 下々げげ品ぼんにこれをとくなりといふなり。

-問といていはく、 この問といに不ふ審しんあり。 念仏ねんぶつは下げ三品さんぼんにこれをとけり、 なんぞ下々げげ品ぼんにこれをとくやといふや。

-答こたえていはく、 最さい上じょう品ぼんなるべき法ほうをなんぞ最さい下げ品ぼんにとくやといはんがために、 かくのごとく問もんするなり。 最極さいごくをあぐと心こころ得えぬれば、 相そう違いなきなり。

(149)

一0952 「▲為↢に極悪最下◗の人↡の而説↢く極善最上◗の法↡を」 といふは、 「極悪ごくあく最さい下げの人ひと」 は五ご逆ぎゃくなり、 「極善ごくぜん最さい上じょうの法ほう」 は念仏ねんぶつなり。 高山こうざんの水みずは深谷けいこくにくだる能のうあり、 最さい上じょうの法ほうは最さい下げにかうぶらしむる功こうあるなり。

(150)

一 「▲例 せば如↧し彼◗の无明淵源之の病 ひ、は 非↢ ざれば中道↓府蔵之の薬 り↡に即◗ち不↞ るが能↠は治 すること」 といふは、 天臺てんだいには三観さんがんをもて三惑さんわくを破はするとき、 仮け観かんをもて見けん思しの惑わくを破はし、 空観くうかんをもて塵沙じんじゃの惑わくを破はし、 中ちゅう道どう観かんをもて无む明みょうの惑わくを破はするがゆへに、 三観さんがんの中なかには中ちゅう道どう観かん最さい勝しょうなり。 三惑さんわくのなかには无む明みょうの惑わく最さい重じゅうなれば、 深観じんかんをもて重じゅう惑わくを破はするゆへに、 かれをひきてこれを証しょうするなり。 やまひをもて惑わくにたとへ、 薬くすりをもて観かんに比ひするなり。

-「↑府蔵」 といふは六ろっ腑ぷ・五ご臓ぞうなり。 諸根しょこんを成立じょうりゅうするは六ろっ腑ぷ・五ご臓ぞうなれば、 人身にんじんにとりては府ふ蔵ぞうを肝要かんようとす。 さればいま府ふ蔵ぞうといふは肝要かんようといふ心こころなり。

(151)

一 ¬六ろっ波羅ぱら蜜みつ経きょう¼ には五ご蔵ぞうをたてゝ、 そのなかに陀羅だら尼に蔵ぞうのみ重じゅう罪ざいを消しょう滅めつすといへるゆへに、 ▲¬二に教きょう論ろん¼ にはこれをひきて、 真言しんごんの諸しょ教きょうにすぐれたることを証しょうせり。 しかるに今いまはこれをひきて、 念仏ねんぶつをかの陀羅だら尼に蔵ぞうにひとしめて、 念仏ねんぶつの力ちからの重じゅう罪ざいを滅めっする例れい証しょうとするなり。

-問といていはく、 今いま所引しょいんの文もんには、 重じゅう罪ざい消しょう滅めつの徳とくをば陀羅だら尼に蔵ぞうにをきて説とくがゆへに、 これを妙みょう醍だい醐ごにたとへて最さい第一だいいちとせり。 念仏ねんぶつの徳とくをば0953いまの文もんのなかにこれをとくことなし。 なんぞこれをひきて自由じゆに醍だい醐ごの妙みょう薬やくに准じゅんじて五ご逆ぎゃくを滅めっする准じゅん拠ことするや。

-答こたえて云いわく、 もとよりいまの文もんは例れい証しょうなり。 かの ¬経きょう¼ に総そう持じの徳とくを嘆たんずるをひきて、 念仏ねんぶつにひとしむるなり。 そのゆへは、 かの ¬経きょう¼ には五ご蔵ぞうをときて、 その四し蔵ぞうには五ご逆ぎゃく◗を滅めっする徳とくをとかず、 陀羅だら尼にの五ご逆ぎゃくを滅めっする功こうをあかせり。 いまの ¬観かん経ぎょう¼ には定じょう散さん・念仏ねんぶつをときて、 定じょう散さんには五ご逆ぎゃくを滅めっする力ちからをあかさずして、 念仏ねんぶつの五ご逆ぎゃくを滅めっすることをとけり。 またくいまの説相せっそうとおなじ。

-されば陀羅だら尼にも五ご逆ぎゃくを滅めっし、 念仏ねんぶつも五ご逆ぎゃくを滅めっす。 その徳とくおなじきがゆへに、 ともに妙みょう醍だい醐ごなりと例れい知ちするなり。

-滅罪めつざいの功く力りきにつきて、 陀羅だら尼にを妙みょう醍だい醐ごにたとふるは、 弘法こうぼう大だい師しの解げ釈しゃくなり。 いままたその功く用ゆうおなじきによりて、 これも妙みょう醍だい醐ごなりと比ひするは、 釈しゃっ家け聖しょう人にんの料りょう簡けんなり。 かれこれともに文もんのよんどころをえたるものなり。

-所引しょいんの文もんにつきて、 「▲第三 には法宝◗と者いふは」 といふより 「為↠彼れ◗が説↢く諸◗の陀羅尼蔵↡を▲」 と云いうにいたるまでは、 経きょう文もんなり。 「▲此◗の五蔵、は 譬 へば如↢し乳・酪・生蘇及妙醍醐↡の」 といふより 「速 か◗に証↢す涅槃安楽法身↡を▲」 といふにいたるまでは、 大だい師しの釈しゃくなり。

(152)

一 「▲素纜」・「毘尼」・「阿毘曇」 の三蔵さんぞうは、 かみの▲教きょう相そうの章しょうに註ちゅうするがごとし。

-「▲般若」 といふは、 こゝには智恵ちえといふ、 これ空くう恵えをあかせる教きょうなり。

-「▲陀羅尼」 とい0954ふは、 こゝには総そう持じといふ、 これ真言しんごんなり。

(153)

一 「▲修↢す静慮↡を」 といふは定じょうなり。 すなはち契かい経きょうにとくところこれなり。

(154)

一 「▲習↢ふ威儀↡を」 といふは律りつなり。 これ律蔵りつぞうにあかすところなり。 「▲一味和合」 といふは僧そうの儀ぎを明あかすなり。 ¬倶く舎しゃ¼ の性しょう相そうに、 「四人已上和合 せるを名↠く僧」と といへる、 これなり。

(155)

一 「▲分↢別◗し性相↡を、 修しう環くわん研けん覈きやく して究↢竟 すべきには甚深↡を」 といふは恵えなり。 もろもろの論蔵ろんぞうには世せ出しゅっ世せの諸法しょほうをあかして深じん義ぎを決判けっぱんす。 これを習学しゅがくして智解ちげをひらかしむるなり。

(156)

一 「▲離 な↢る於我法執著◗の分別↡を」 といふは般若はんにゃの徳とくをあかすなり。 畢ひっ竟きょう皆空かいくうと達たっしぬれば執著しゅうじゃくをはなるゝなり。

(157)

一 「▲或 ひ◗は有↢り滅↠ して軽きやう◗を而不↟る滅↠せ重ぢう◗を」 といふは、 あるひは 「▲小戒力微 して不ず↠消↢さ五逆之の罪↡を」 (散善義) といひ、 あるいは十じゅう二部にぶ経きょうの首題しゅだい名みょう字じをきける功く用ゆう、 たゞ千劫せんこうの極ごく重じゅう悪業あくごうを滅めっするがごとき、 これなり。

(158)

一 「▲或ひ◗は有↢り消↠ して一◗を而不↟る消↠せ二◗を」 といふは、 布施ふせは慳貪けんどんを治じし、 忍辱にんにくは嗔しん恚にを治じする等とうこれなり。

(159)

一0955 「▲↓九品の配当◗は是 れ一往◗の義。 なり乃至 若◗し約↠ せば品◗に即九々八十一品也なり」 と云いふは、 行ぎょう者じゃ◗の根こん性じょう不ふ同どうにして、 善悪ぜんあく二機にきあひわかれたることを釈しゃくするなり。

-「↑九品の配当」 といふは、 上々じょうじょうは読どく誦じゅ大だい乗じょう、 上中じょうちゅうは解げ第一だいいち義ぎ、 上じょう下げは発ほつ菩ぼ提だい心しん、 中上ちゅうじょうは修しゅ行ぎょう諸戒しょかい、 中々ちゅうちゅうは持じ八はっ戒斎かいさい、 中ちゅう下げは孝きょう養よう父母ぶも、 下げ上じょうは十じゅう悪あく軽きょう罪ざい、 下げ中ちゅうは破は戒かい次し罪ざい、 下々げげは五ご逆ぎゃく重じゅう罪ざいなり。 かくのごとく、 上中じょうちゅう二に輩はいには世せ戒かい行ぎょうの三福さんぷくをあて、 下げ輩はいの三品さんぼんには軽きょう・次し・重じゅうの罪業ざいごうをもたするは、 一往いちおうの義ぎなりといふなり。

-「▲五逆◗の廻心通↢ず於上々↡に」 といふは、 五ご逆ぎゃくは下々げげ品ぼんの悪業あくごうなれども下げ中ちゅうにも下げ上じょうにも通つうずべし、 乃ない至し上じょう上じょう品ぼんの読誦どくじゅ大だい乗じょうの機きにも通つうずべしとなり。

-「▲読誦◗の妙行亦 た通↢ず於下々↡に」 といふは、 逆ぎゃく次しに通つうずべき義ぎ、 さきに准じゅんじてこゝろうべし。 いはゆる読誦どくじゅは上々じょうじょう品ぼんの善業ぜんごうなれども、 上中じょうちゅうにも上じょう下げにも通つうずべし、 乃ない至し下々げげ品ぼんの五ご逆ぎゃく重じゅう罪ざいの機きにも通つうずべしとなり。

-「▲十悪軽罪破戒次罪各をのをの通↢ず上下↡に」 といふは、 十じゅう悪あくは下げ上じょう品ぼんの悪あくなれば、 上じょうといふは中ちゅう下げ已い上じょうの六品ろくぼんをさし、 下げといふは下げ中ちゅう・下々げげをさすなり。 破は戒かいは下げ中ちゅうの悪あくなれば、 上じょうといふは下げ上じょう以い前ぜんの七品しちほんをさし、 下げといふは下々げげをさすなり。

-「▲解第一義、 発菩ぼ提だい心しん亦 た通↢ず於上下↡に」 といふは、 解げ第一だいいち義ぎは上中じょうちゅうの善ぜんなれば、 上じょうといふは上々じょうじょうをさし、 下げといふはしもの七品しちほんをさすなり。 発ほつ菩ぼ提だい心しんは上じょう下げの善ぜんなれば、 上じょうといふは0956上々じょうじょう・上中じょうちゅうをさし、 下げといふはしもの六品ろくほんをさすなり。

-かくのごとく一々いちいちにたがひに通つうずれば、 九く品ぼんにまた九く品ぼんあるなり。 かるがゆへに 「▲一法に各をのをの有↢り九品↡。 若約↠ せば品◗に即◗ち九々八十一品也なり」 といふなり。

(160)

一 ▲迦か才ざいの釈しゃくをひくことは、 かみに善悪ぜんあくの業因ごういんたがひに通つうじて、 九く品ぼんに限かぎらず八はち十じゅう一いち品ぼんなるべきことを釈しゃくしつれども、 いまの釈しゃくのごとくとくならば、 なを八はち十じゅう一いち品ぼんにも限かぎらず千差せんしゃ万別まんべつなる義ぎをあらはすなり。

-「▲衆生起行」 といふより 「莫起封執▲」 といふにいたるまでは、 かの師しの釈しゃくなり。 すなはちその所造しょぞう ¬浄じょう土ど論ろん¼ の文もんなり。 「▲其◗の中◗に念仏◗は是 れ即◗ち勝行 なり」 といふ已下いげは私わたくしの釈しゃくなり。 これすなはち千殊せんしゅ万別まんべつの行ぎょうのなかに、 念仏ねんぶつすぐれたることをあらはすなり。

(161)

一 「▲故か ゆへ◗に引↢ きて芬陀利↡を、 以◗て為↢す其◗の喩 へ↡と」 といふは、 当とう章しょうにひくところの 「▲若◗し念仏 する者は、 当↠に ベ シ知。る 此◗の人 と◗は是 れ人中◗の芬陀利華 なり」 の文もんの心こころなり。

-「▲念仏◗の行者 には観音・勢至、 如↢ くして影 げ◗と与↟ ト ノ形 ち暫 ら くも不ず↢捨しや離り↡ し給は」 といふは、 「▲観世音菩薩・大勢至菩薩、 為な↢  りたまふ其◗の勝友う↡と」 の文もんの心こころなり。

(162)

一 「▲流なが↢す五種◗の嘉誉↡を」 といふは、 芬ふん陀利だりの五ご種しゅの名なに合あいぬるところの五ご種しゅの名ななり。 いはゆる好人こうにん・妙みょう好人こうにん・上々じょうじょう人にん・希有けう人にん・最さい勝しょう人にんなり。

-「▲蒙↢ ぶる二尊◗の影護↡を」 といふは、 「二に0957尊そん」 といふは、 いまは観音かんのん・勢せい至しをさすなり。 かの二に菩ぼ薩さつ、 勝しょう友うとなることをいふなり。

-「▲此 れ◗は是 れ現益也なり」 といふは、 いまのいふところの嘉誉かよと影よう護ごとらさすなり。

-「▲往↢生 して浄土↡に、 乃至成仏、す 此 れ◗は是 れ当益也なり」 といふは、 「▲当坐道場生諸仏家」 の心こころを釈しゃくするなり。

(163)

一 ▲¬安楽あんらく集しゅう¼ の文もんをひきて始し終じゅうの両りょう益やくをあげたるは、 これも雑善ぞうぜんに約対やくたいして念仏ねんぶつを嘆たんずる文もんなるがゆへにこれをひくなり。 文もんの心こころみやすし。

-このなかに ▲¬授じゅ記き経きょう¼ の入にゅう涅ね槃はんの義ぎをひきのせたるは、 始し益やくをあかさんがためなり。 いまは入にゅう不ふ入にゅうの義ぎを論ろんずるにはあらず。 その義ぎをば ¬疏しょ¼ の 「玄げん義ぎ」 に ▲¬大品だいぼん経ぎょう¼ をひきて報身ほうじん常住じょうじゅうの義ぎをもやぶらず、 入にゅう涅ね槃はんの文もんもさまたげなき義ぎを成じょうぜり。 おほよそいまの文もんのごときんば、 入にゅう涅ね槃はんの期ごあるべからず。

-そのゆへは 「▲一向◗に専↢念 して阿弥陀仏↡を往生 せる者もの、 ゝみ常◗に見↢る弥陀現在 して不ず↟と滅 たまは」 といへば、 入にゅう涅ね槃はんとみるは諸しょ行ぎょう往おう生じょうの機き見けんなりと聞きこへたり。 しかるに諸しょ行ぎょうは本願ほんがんにあらざるがゆへに往おう生じょうせずなりと心こころ得うれば、 決けつ定じょう往おう生じょうの機きは念仏ねんぶつの行ぎょう人にんなり。 しかれば、 一切いっさいみな現在げんざいしてみたてまつるべき義ぎ分ぶん明みょう也なり。

 

  第十二 念仏付属章

(164)

一0958 上の章しょうには雑善ぞうぜんに約対やくたいして念仏ねんぶつを讃嘆さんだんす。 かるがゆへに、 ▲いまの章しょうにはかの雑善ぞうぜんをば釈しゃく尊そん付ふ属ぞくせず、 たゞ念仏ねんぶつをもて阿あ難なんに付ふ属ぞくする義ぎを立りゅうするなり。

(165)

一 ▲所引しょいんの経きょう文もんはこれも流る通ずうの文もんなり。 ▲¬疏しょ¼ の文もんもすなはち当所とうしょの釈しゃくなり。

-「▲望仏本願」 といふは、 第だい十じゅう八はちの願がんをさすなり。 「▲一向専称」 といふは、 雑ぞう行ぎょうをまじへざることばなり。 されば十じゅう八はちの願がんの心こころは一向いっこうを本ほんとし、 専せん称しょうをさきとするなり。

(166)

一 私わたくしの釈しゃくに、 ▲定じょう善ぜん十じゅう三観さんがん・▲三福さんぷく・▲九く品ぼん等とうの善ぜんをあげて、 何いずれも殊しゅ勝しょうの利り益やくあるべきことを釈しゃくせらるゝは、 文もんに 「▲定散両門の益をとく」 といへるを釈しゃくするなり。 かの両りょう門もんの益やくのすぐれたることを顕あらわして、 如此かくのごとく定じょう散さんも殊しゅ勝しょうの法ほうなれども、 それをば付ふ属ぞくせず、 「▲実非雑善為比類」 (散善義) の念仏ねんぶつの一いち行ぎょうをもて付ふ属ぞくすと顕あらわさんがためなり。

-これすなはち諸しょ行ぎょうは本願ほんがんに非あらず、 念仏ねんぶつは本願ほんがんなるがゆへなり。 当とう章しょうのしたの釈しゃくに 「▲釈尊所ゆ↤以へ不↣る付↢属 したまは諸行↡を者は、 即◗ち是 れ非↢ ざる弥陀◗の本願↡に之故 へ也なり。 亦 た所ゆ↣以へ付↢属 したまふ念仏↡を者は、 即◗ち是弥陀◗の本願 なるが之故 へ也なり」 と云いへるは、 この心こころなり。

-かくのごとく心こころ得えぬれば、 文もんに当あたりて釈しゃくする時ときは、 定じょう善ぜんを讃さんずるには 「▲随↢ ひて其◗の所↟堪 ふる修↢ して十三観↡を可↠し得う↢往生↡を。 其◗の旨見↠ たり経◗に。 敢 へて无↢れ疑慮↡  すること」 といひ、 散善さんぜんを嘆たんずるには一々いちいちの善ぜんのしたに 「▲縦◗ひ雖 ど↠も无↢ しと余行↡、 以↢て孝養・奉事↡を為す↢往生◗の業↡と」 ともいひ、 「▲縦◗ひ雖 ど↠も无↢ しと余行↡、 以↢て四无量0959心↡を為す↢往生◗の業↡と」 ともいへるは、 をのをのその行ぎょうを釈しゃくするときの一往いちおう◗の義ぎなり。

-仏ぶつの本願ほんがんを尋たずれば、 たゞ念仏ねんぶつの一いち行ぎょうのみ往おう生じょうの業ごうなりと知しらるゝなり。 此この心こころをえて能々よくよく文もんをみるべきなり。

(167)

一 「▲初◗に三福 といふ者は、 経◗に曰、く 一 つに者は孝↢養◗し父母↡に、 奉ぶ↢事じ◗ゝ師長↡に、 慈心 にして不ず↠殺、せ 修↢す十善業↡を。 二 つに者は受↢持◗し三帰↡を、 具↢足◗し衆戒↡を、 不ず↠犯↢せ威儀↡を。 三 つに者は発↢し菩ぼ提だい心しん↡を、 深↢信◗し因果↡を、 読↢誦◗し大乗↡を、 勧↢進◗す行者↡を」 といふは序じょの散善さんぜん顕けん行ぎょう縁えん◗の文もんなり。

-「一 つに者は」 といへるは世福、 「二 つに者は」 といへるは戒福かいふく、 「三 つに者は」 といへるは行ぎょう福ふくなり。 その一々いちいちの義ぎしもに釈しゃくするがごとし。 この三福さんぷくを開かいして九く品ぼんの業ごうとす。 その義ぎまた▲しもに一々いちいちに合がっするがごとし。

(168)

一 「▲世間◗の孝養 とい者は如↢し孝経等◗の説↡の」 といふは、 かの書しょには天てん子し・諸侯しょこう・卿大けいたい夫ふ・士し・庶人しょじんの五ご等とうを立たてて、 各おのおのその品秩ほんちつによりてふるまふべき様ようを明あかせり。 さればいづれも分ぶんに随したがひて父ちちの業ぎょうをつぎ、 ことにをいて義ぎを行おこなうはみな孝行こうこうなり。 そのなかに父母ぶもに孝きょうするをもてその根本こんぽんとす。

-孝こうの字じにおほくの義ぎあり、 孝こうは好こうなり、 順じゅんなり、 畜ちくなり、 和かなり。 好こうと云いうは 「孝かう◗は人ひと之の高行かうかう」 といへる義ぎなり、 順じゅんといふは随ずい順じゅんの義ぎなり、 畜ちくといふは財産ざいさんをたくはへて親しんを養育よういくする義ぎなり、 これすなはちいまの0960孝きょう養ようのことばに叶かなへり。 和かと云いうは、 かほをやわらかにして父母ぶもに向むかひて其その意こころを悦よろこばしむるなり。

(169)

一 「▲出世◗の孝養◗と者は如↢し律◗の中 か◗の生縁奉事仕◗の法↡の」 といふは、 ¬四し分律ぶんりつ¼ の中なかに此このことを明あかせり。

-孝順きょうじゅん養育よういくの義ぎは外げ典てんとおなじ。 たゞしその報ほうをあかすに得脱とくだつの益やくをいだせり。 むかしの慈じ童女どうにょが因縁いんねんのごとき、 これなり。

-かの因縁いんねんといふは、 過去かこに波羅はら奈な国こくに慈じ童女どうにょといふものあり。 はやく父ちちにをくれてたゞ母ははのみあり。 慈じ童どう、 たきゞをうりて三さん十銭じっせんをえて母ははにあたへたりし功く徳どくによりて、 六ろく十じゅう万歳まんざいの快け楽らくをえたり。 又またあやまりて母ははのかみをぬきたりしとがにおりて、 地じ獄ごくにいりて鉄輪てつりんをいたゞきゝ。 慈じ童どう、 そのとき罪業ざいごうのむなしからざることをゝそれて、 忽たちまちに道念どうねんをおこし、 一切いっさい衆しゅ生じょうの所受しょじゅの苦くを我わが身みにうけんと誓願せいがんせしかば、 すなはち苦く報ほうをあらためて都と率そつに生しょうずとみへたり。

-このこと、 律りつの中なかに ¬雑ぞう法蔵ほうぞう経きょう¼ の説せつをひきて、 父母ぶもにすこしきの不ふ善ぜんをなせば大だい苦く報ほうをうけ、 さきの供く養ようをなせば无む量りょうの幅ふくをうることを明あかせるに、 此この因縁いんねんをのせたり。

(170)

一 「▲教↢ ふる仁・義・礼・智・信等とう↡を師也なり」 といふは、 世せ間けんの五ご常じょうををしふる師しなり。 この五ご常じょうは儒じゅ教きょうにこれをあかせり。

-儒じゅ教きょうと云いうは孔こう子しの教おしえなり。 この五いつつは人ひとのつねに0961行おこなうべき道みちなるがゆへに五ご常じょうといふなり。 「仁じん」 は仁恵じんけいの心こころ、 仁じん慈じの徳とくなり。 「義ぎ」 は厳律ごんりつの義ぎ、 正しょう理りの道どうなり。 「礼れい」 は礼れい譲じょうの行ぎょう、 恭く敬ぎょうの義ぎなり。 「智ち」 は照了しょうりょうの徳とく、 才儇さいけんの明みょうなり。 「信しん」 は誠信せいしんの徳とく、 廉れん直ちょくの心こころなり。

(171)

一 「▲教↢ ふる聖道・浄土二門等↡を師也なり」 といふは、 聖しょう道どうといふは真言しんごん・天臺てんだい等とうの八はっ宗しゅう・九く宗しゅうなり。 浄じょう土どといふは浄じょう土ど宗しゅう也なり。 或あるいは他た力りきの信心しんじんを相そう承じょうする師し範はん、 或あるいは経釈きょうしゃくの義理ぎりを指し授じゅする、 ともに師し長ちょうなり。

(172)

一 「▲慈心不殺◗と者は、 是 れ四无量心◗の中 か◗の初 め◗の慈无量也なり。 即◗ち挙↢て↓初 め◗の一↡を摂↢す↓後◗の三↡を也」 といふは、 「四し无む量りょう心しん」 といふは、 一には慈じ无む量りょう心しん、 二には悲ひ无む量りょう心しん、 三には喜き无む量りょう心しん、 四には捨しゃ无む量りょう心しんなり。 慈じ无む量りょう心しんといふは无む量りょうの衆しゅ生じょうを哀あわれみて楽らくをあたふる心こころなり。 悲ひ无む量りょう心しんといふは一切いっさいの衆しゅ生じょうを悲かなしみて苦くをぬく心こころなり。 喜き无む量りょう心しんと云いうは上かみの抜ばっ苦く与よ楽らくの二に種しゅの心しん成じょう就じゅするによりて歓かん喜ぎする心こころなり。 捨しゃ无む量りょう心しんといふは无む量りょうの衆しゅ生じょうにをきてかの抜ばっ苦く与よ楽らくの心こころを発おこすこと平びょう等どうにして怨親おんしんの差別しゃべつなきなり。

-されば 「↑はじめのひとつ」 といふは慈じ无む量りょう心しんなり、 「↑のちの三みつ」 といふは悲ひ无む量りょう心しん・喜き无む量りょう心しん・捨しゃ无む量りょう心しんなり。

(173)

一 「▲天臺 には即◗ち有↢り四教◗の菩提心↡。 謂◗く蔵・通・別・円是 れ也なり」 といふは、 四し教きょうの機き各々おのおのその0962教きょうを楽ぎょう求ぐして自じ乗じょうの菩ぼ提だいを期ごする心しんなり。 そのなかに、 前さき◗の三さん教きょうの菩ぼ提だい心しんはこの宗しゅうの本ほん意いにあらず、 円えん教ぎょうの菩ぼ提だい心しんをもて真実しんじつとす。

-その心しんにをきて↓縁えん事じ・↓縁えん理りの心しんあり。 この二ふたつの心しん、 ともに四弘しぐ誓願ぜいがんをもてその体たいとすれども事理じりの差別しゃべつあるなり。 四弘しぐ誓願ぜいがんといふは、 上かみの▲本願ほんがんの章しょうに記きするがごとし。

-↑縁えん事じの心しんといふは、 暫しばらく衆しゅ生じょうと仏ぶつとを別べつにし、 煩悩ぼんのうと菩ぼ提だいとを即そくせずして、 衆しゅ生じょうを度どして仏道ぶつどうをえしめんと思おもい、 煩悩ぼんのうを断だんじて仏ぶっ果かをえんとねがふこゝろなり。

-↑縁えん理りの心しんといふは、 一切いっさいの諸法しょほうは本来ほんらい寂じゃく滅めつなり、 有无うむにあらず断だん常じょうをはなれたり、 煩悩ぼんのう即そく菩ぼ提だい・生しょう死じ即そく涅ね槃はんなり。 されば衆しゅ生じょうとして度どすべきところもなく、 菩ぼ提だいとしてもとむべきところもなしと観かんず。 しかれども衆しゅ生じょうこの不ふ縛ばく不ふ脱だつの法ほうの中なかにをきてしかも自じ縛ばくをなし、 しかも自みずから脱だつをもとむ。 これにをきて大だい慈悲じひを発おこし四弘しぐを発おこして上じょう求ぐ・下化げけの願がんを成じょう就じゅするなり。

-「▲具◗に如↢し止観◗に説↡が」 と云いうは、 此この事こと委くわしくは彼かの第だい一巻いっかんに見みえたり。

(174)

一 「▲真言 には即◗ち有↢り三種◗の菩提心↡。 謂◗く↓行願・↓勝義・↓三摩地是 れ也なり」 といふは、 真言しんごんの行ぎょう者じゃこの三みつの心こころをおこして菩ぼ提だいを得うるなり。

-「↑行願」 の菩ぼ提だい心しんといふは、 一切いっさいの衆しゅ生じょうをみること己こ身しんのごとくして平びょう等どうに利り益やくせんと思おもう心こころなり。

-「↑勝義」 の菩ぼ提だい心しんと云いうは、 一切いっさいの諸法しょほうは自じ性しょうなしと観かんじて本ほん不ふ生しょう際ざいを達たっするなり。

-「↑三摩地」 の菩ぼ提だい心しんと云いうは、 一いっ0963切さい衆しゅ生じょうは普ふ賢げんの心しんを含蔵がんぞうして、 その心こころのかたちは月輪がつりんのごとくして、 そのなかに三さん十じゅう七尊しちそん歴然れきねんとしてこの心しん城じょうに住じゅうせりと観かんずるなり。 ¬菩ぼ提だい心しん論ろん¼ にこの菩ぼ提だい心しんを嘆たんじていはく、 「もし人ひと仏ぶつ恵えを求もとめて菩ぼ提だい心しんを通達つうだつすれば、 父母ぶも所しょ生しょうの身みをもて速すみやかに大覚だいかくの位くらいを証しょうす」 といへり。

-この三種さんしゅの菩ぼ提だい心しんの中なかに、 行ぎょう願がんと勝しょう義ぎとの二に種しゅの菩ぼ提だい心しんは如↠次ついでのごとく天臺てんだいに云いふところの縁えん事じ・縁えん理りの心しんにあたれり。 三さん摩地まじの菩ぼ提だい心しんは密みっ宗きょう不共ふぐの所談しょだん、 最さい上じょう勝妙しょうみょうの菩ぼ提だい心しんなり。

-「▲具◗に如↢し菩提心論◗の説◗の」 といふは、 かの論ろんを ¬菩ぼ提だい心しん論ろん¼ と云いへる、 ひとへにこの三種さんしゅの菩ぼ提だい心しんをとけるがゆへなり。 龍猛りゅうみょう菩ぼ薩さつの造ぞうなり、 龍猛りゅうみょうといふは龍りゅう樹じゅなり。

(175)

一 「▲又 た有↢り善導所釈◗の菩提心↡。 具 さ には↓如↢し疏◗に述↡ るが」 といふは、 「序分じょぶん義ぎ」に云く、 「▲言↢ふ発菩提心↡と者、 ↓此 れ明↧す衆生◗の欣ごん心趣↠ むきて大、に 不ず↠可↣ から浅◗く発↢す小因↡を、 自より↠は非↣ず広◗く発↢ すに弘ぐう心↡を、 何◗ぞ能◗く得え↦   んと云ことを与と↢菩提↡相 ひ会ゑ↥。  することを◆唯◗し↓願 くは我◗が身、 身同をな↢じ虚空◗に心しむ斉ひとし↢ くして法界↡に、 尽↢ さん衆生◗の性↡を。 我 れ以↢て身業↡を恭敬供養礼拝、 迎送来去運度 して令↠ めて尽、さ 我 れ以↢て口業↡を讃嘆説法、 して皆 な受↢ しめて我◗が化↡を言、 はく下 た◗に得道 せん者もの、 令↠ めん尽つく。さ 又 た我 れ以↢て意業↡を入定観察、 して分↢身 して法界↡に応↠ じて機◗に而度、 して无↢ らん一ひとり としても不ず と云こと尽つく。さ ◆我 れ発↢す此◗の願↡を。 運々増長 して猶◗し如↢く虚空↡の、 无↢く処 として不ざ↟ ること遍、せ 行流无尽 にして徹↢窮 して後際↡を、 身无↢く疲倦↡心しん◗に无↢ らん厭足 く↡。 ◆又 た言↢は菩提↡と即◗ち是 れ仏果之の名。 なり又言↠は心◗と者0964即◗ち是 れ衆生能求之の心。 なり故 がゆへに云↢ふ発菩提心↡と也」 と云いへり。

-この二に重じゅうの釈しゃくは、 ↑はじめの釈しゃくは下化げけ衆しゅ生じょうのこゝろ、 ↑下しもの釈しゃくは上じょう求ぐ菩ぼ提だいの心こころなり。

-又また 「散善さんぜん義ぎ」 に云いわく、 「▲唯たゞ発おこ↢ して一念↡を厭苦楽生 ずるは諸仏◗の境界、 にして速 やか◗に満み↢ てゝ菩薩◗の大悲願行↡を、 還↢り入◗て生死↡に、 普◗く度↢す衆生↡を。 故ゆへ◗に名↢く発菩提心↡と也」 といへり。

-これも三福さんぷくのなかの菩ぼ提だい心しんなれば、 まづは聖しょう道どうの菩ぼ提だい心しんなり。 しかれども、 「還げん入にゅう生しょう死じ普度ふど衆しゅ生じょう」 と云いへるは廻え入にゅう向こう利りの廻え向こうの心こころなれば、 浄じょう土どの菩ぼ提だい心しんに通つうずる義ぎあるなり。

-「↑如↢し疏◗に述の↡ ぶるが」 といふは、 これらの釈しゃくをさすなり。

(176)

一 「▲意気いき博遠はくえん にして詮測せんしき沖ちう邈ばく なり」 といふは、 広大こうだい甚深じんじんなりと云いうこゝろなり。 心こころは諸しょ宗しゅうに通つうじ一代いちだいにわたりて一切いっさいをかぬとなり。

(177)

一 「▲世間◗の因果◗と者は即◗ち六道◗の因果也 り」 といふは、 「六道」 といふは地じ獄ごく・餓鬼がき・畜ちく生しょう・修しゅ羅ら・人にん・天てんなり。 「因果」 といふは善悪ぜんあくの因いん果がなり。 上じょう・中ちゅう・下げ品ぼんの十じゅう悪あくは、 如↠次ついでのごとく地じ獄ごく・餓鬼がき・畜ちく生しょうの因いんなり。 この因いんによりて所得うるところの果かはすなはちかの三悪さんまく道どうなり。 下げ・中ちゅう・上じょう品ぼんの十じゅう善ぜんは、 如↠次ついでのごとく修しゅ羅ら・人にん・天てんの因いんなり。 この因いんによりて得所うるところの果かは則すなわち三さん善道ぜんどうの果か報ほうなり。

(178)

一 「▲出世◗の因果◗と者いふは即◗ち四聖◗の因果也なり」 と云いうは、 「四聖」 といふは四し乗じょうなり、 ▲教きょう相そうの章しょうにし0965るすがごとし。 「因」 といふは四し聖しょうの善因ぜんいんなり。 謂いわゆる声しょう聞もんの修因しゅいんは四し諦たい、 縁覚えんがくの修因しゅいんは十じゅう二に因縁いんねん、 菩ぼ薩さつの行ぎょう因いんは六ろく度ど、 仏ぶつ乗じょうの修因しゅいんは三観さんがんなり。 三観さんがんといふは空くう・仮け・中ちゅうの三諦さんたいなり。

(179)

一 「▲即◗ち是 れ五種法師之の中 か◗に挙↢て転読・読誦二師↡を、 顕↢す受持等◗の三師↡を」 といふは、 読誦どくじゅのことばのなかに五ご種しゅの行ぎょうを摂せっする義ぎを釈しゃくするなり。

-「五種」 といふは、 一には受じゅ持じ、 二には転読てんどく、 三には諷ふ誦じゅ、 四には解げ説せつ、 五には書写しょしゃなり。 このなかに転読てんどく・諷ふ誦じゅといふは、 つねにいふところの読誦どくじゅの行ぎょうなり。 文もんをよむを読どくといひ、 そらに誦じゅするを誦じゅといふなり。

(180)

一 「▲若◗し約↢ せば十種◗の法行↡に者、 即◗ち是 れ挙↢て披読・諷誦◗の二種◗の法行↡を、 顕↢ はす余◗の書写・供養等とう◗の八種◗の法行↡を也」 といふは、 これも読誦どくじゅのことばのなかに、 十種じっしゅの法ほう行ぎょうを摂せっする義ぎを釈しゃくするなり。

-「十種の法行」 といふは、 一には書写しょしゃ、 二には供く養よう、 三には受じゅ持じ、 四には開演かいえん、 五には施他せた、 六には聴ちょう聞もん、 七には披ひ読どく、 八には諷ふ誦じゅ、 九には思し惟ゆい、 十には修しゅ習じゅうなり。

(181)

一 「▲而しか◗も於↢て一代◗の所説↡に、 有↢り已結集◗の経↡、 有↢り未結集◗の経↡」 といふは、 在ざい世せの説せっ教きょうはたゞ仏ぶつの言ごん詞じをのべ給たまひしばかりなり。 文もんにあらはして経きょう巻かんをなすにをよばず、 在ざい0966座ざの機きはたゞちにその言説ごんぜつをきゝて得約とくやくしき。 しかるに如来にょらい滅めつ後ごに未み来らいの衆しゅ生じょうを利りせんがために記しるしをきたるを経きょうといふ。 かくのごとく記しるしをくを結けつ集じゅうといふなり。 結けつ集じゅうの人ひとは阿あ難なんなり。

(182)

一 「▲就つ↢ きて翻訳将来之の経↡に而◗も論↠ ずに之 れ◗を者」 といふは、 「翻訳」 といふは、 天竺てんじくのことばを唐とう土どのことばにやはらぐるをいふなり。 「将来」 といふは、 天竺てんじくより唐とう土どへわたるをいふなり。

-総そうじていはんときは、 このことばゝ唐とう土どより日に本ほんへわたるをもいふべきなり。 しかれども、 いまは西天さいてんより震旦しんたんに到来とうらいするなり。

(183)

一 「▲貞元入蔵◗の録」 といふは書しょの名ななり。 「貞元」 は唐とう土どの年号ねんごうなり。 貞元ていげん年ねん中ちゅうに一切いっさい経きょうの首題しゅだい・巻数かんしゅを記きせられし目録もくろくなり。

(184)

一 「▲問◗て曰、く 顕密旨むね異、 なり何◗ぞ顕◗の中 か◗に摂↠す密◗を乎」 といふは、 顕けん教ぎょうは釈しゃ迦か一代いちだいの所説しょせつ、 顕けん露ろ彰灼しょうしゃくの教きょうなり。 密教みっきょうは大日だいにち覚王かくおうの自じ証しょう、 秘ひ密みつ上乗じょうじょうの法ほうなり。 その旨むねはるかにことなり。 されば読誦どくじゅ大だい乗じょうといへる大だい乗じょうのことばゝ、 顕けん教ぎょうの大だい乗じょうをさすならば、 密教みっきょうをば摂せっすべからずと難なんずるなり。

-これは顕密けんみつの大だい乗じょう経きょう、 総そうじて六ろっ百ぴゃく三さん十じゅう七しち部ぶなりとあぐるに、 すなはち 「▲或 ひ◗は受↢持読↣誦 して遮那・教王及以および諸尊法等↡を以◗て為す↢往生◗の業↡と」 といひつる義ぎを不ふ審しんするなり。

-これをこたふるに 「▲非↠ず云 には↠摂↢ すと顕密之の旨↡を。 貞元入蔵0967録◗の中 か、に 同 じく編あみ↠て之而◗も入↢ たり大乗経◗の限 り。に 故か ゆへ、に 摂↢す読誦大乗◗の句↡に也」 といふは、 この答こたえのこゝろ、 顕密けんみつの二に教きょうに談だんずるところの義ぎを、 ひとしめて摂せっするにはあらず、 たゞ大だい乗じょう経きょうといふことばに顕密けんみつともに摂せっすべし。 これすなはち真言しんごんの三さん部ぶ経きょう等らをも ¬録ろく¼ のなかに、 おなじく顕けん教ぎょうの大だい乗じょう経きょうの烈れつにいれたるゆへなりとこたふるなり。

(185)

一 「▲問◗て曰、く 爾前◗の経◗の中 か◗に何◗ぞ摂↢ する法花↡を乎や」 といふは、 「爾前」 といふは法ほっ華け以い前ぜんなり。 されば五時ごじのなかに爾に前ぜんの四味しみと法ほっ華けと教きょう旨し各別かくべつなり。 なんぞひとつにこれを摂せっするやと問とうなり。

-▲答こたえの心こころは、 さきのごとく教きょうの浅深せんじんをば論ろんぜず、 たゞ大だい乗じょうのことばひろく通つうずべきがゆへに、 総そうじて読誦どくじゅ大だい乗じょうのことばに摂せっすといふなり。

-「▲非 ら↠ず論↢  ずるには権・実・偏・円等◗の義↡を」 といふは、 「権」 といふは爾に前ぜんなり、 方便ほうべんを帯たいするがゆへなり。 「実」 と云いうは法ほっ花けなり、 方便ほうべんをすつるがゆへなり。 「偏」 と云いうは前さき◗の三さん教きょうなり、 偏へん有う・偏空へんくう・偏へん中ちゅうに止とどまるがゆへなり。 「円」 と云いうは円えん教ぎょうなり、 円えん融にゅうの三諦さんたいを明あかすが故ゆえなり。 円えん融にゅうの三諦さんたいといふは、 空くう・仮け・中ちゅうの三諦さんたいたがひに相即そうそくして融通ゆうずうする義ぎなり。

(186)

一 「▲開かい↢ して前◗の三福↡を為す↢九品業↡と」 といふ以下いげは、 世せ戒かい行ぎょうの三福さんぷくをわかちて九く品ぼんの業ごうとするがゆへに、 序分じょぶんの文もんと品々ほんぼんの説せつとを合あわせて一々いちいちに配当はいとうするなり。

-この合福がっぷくの0968義ぎは ¬疏しょ¼ の文もんにいでたり。 かの釈しゃくをまもりて釈しゃくせらるゝなり。

-「▲上品上生◗の中 か◗に言↢は↓慈心不殺↡と者、 即当↢ れり上◗の世福◗の中 か◗の第だい三句↡に」 といふは、 世せ福ふくの文もんには 「▲一◗に者は孝↢養◗し父母↡に、 奉↢事◗し師長↡に、 ↓慈心 にして不ず殺せつ、せ 修↢す十善業ごう↡」 (観経) ととくがゆへに、 「↑慈心不殺」 は第だい三さんの句くにあたりたるを、 いまの 「↑慈心不殺」 とあひおなじと合がっするなり。

-「▲次 ぎ◗に↓具諸戒行◗と者、 即◗ち当 た↢る上戒福◗の中◗の第二之の句◗の具足衆戒↡に」 と云いうは、 戒福かいふくの文もんには 「▲二◗に者は受↢持◗し三帰↡を、 ↓具↢足◗し衆戒↡を、 不ず↠犯ぼん↢せ威儀↡を」 (観経) とゝくがゆへに、 「具足衆戒」 は第だい二にの句くに当あたりたるに、 「↑具諸戒行」 をもて合がっするなり。

-「▲次 ぎ◗に↓読誦大乗◗と者、 即◗ち当 た◗る上 み◗の行福◗の中 か◗の第三◗の句◗の読誦大乗↡に」 といふは、 行ぎょう福ふくの文もんには 「▲三◗に者は発↢し菩提心↡を、 深↢信◗し因果↡を、 ↓読↢誦大乗↡を、 勧↢進◗す行者↡を」 (観経) といふがゆへに、 「↑読誦大乗」 は第だい三さんの句くにあたるに、 いまの 「↑読誦」 を合がっするなり。

-「▲次 ぎ◗に修行六念◗と者は、 即◗ち上◗の第三福◗の中 か◗の第三◗の句之の意 ろ也 り」 といふは、 三福さんぷくのなかには修しゅ行ぎょう六念ろくねんの文もんなし。 しかれども義ぎをもてこれを合がっするに、 この 「六念」 は大だい乗じょうの行ぎょうなるがゆへに 「読誦大乗」 の句くに合がっす。 かるがゆへに 「第三福◗の中 か◗の第三句◗の意こゝろ也なり」 と云いうなり。 まさしき文もんなきによりて意こころ也なりといふなり。

-「▲上品中生◗の中 か◗に言↢は善解義趣◗と等ら↡者、 即◗ち是 れ上 み◗の第三◗の福◗の中 か◗の第二・第三◗の意 ろ也 り」 といふは、 「善解義趣等」 といへる等らの字じには、 「▲於第一義心不驚動、 深信因果不謗大乗」 (観経) の句くを摂せっするなり。 「善解義趣0969於第一義心不驚動」 を一ひとつにして、 第だい三福さんぷくのなかの第だい三さん句くの 「読誦大乗」 の句くに合がっし、 「深信因果不謗大乗」 を一ひとつにして、 おなじき福ふくのなかの第だい二句にくの 「深信因果」 に合がっする也なり。

-「▲上品下生◗の中 か◗に言↢は深信因果・発道心等↡と者、 即◗ち是 れ上 み◗の第三福◗の第一・第二◗の義也 り」 といふは、 「深信因果」 はおなじき福ふくのなかの第だい二にの句くとおなじ。 「発无上道心」 はおなじき第一だいいちの句くとおなじ。 かるがゆへにかくのごとく釈しゃくするなり。

-「▲中品上生◗の中 か◗に受持五戒◗と等ら いふ者は、 即◗ち上 み◗の第二◗の福◗の中 か◗の第二◗の句◗の意 ろ也 り」 といふは、 「等」 の字じには 「▲持八戒斎・修行諸戒」 (観経) の句くを等取とうしゅするなり。 多た少しょうことなりといへども、 みな戒かい行ぎょうなるがゆへに、 第だい二にの福ふくのなかの第だい二にの句くに云いふ所ところの 「具足衆戒」 に当あたるなり。

-「▲中品中生◗の中 か◗に言↢は或一日一夜受持八戒斎等↡と者、 又 た同 じき上 み◗の第二◗の福◗の意 ろ也 り」 といふは、 「等」 のことば 「▲持じ沙しゃ弥み戒かい、 具ぐ足戒そくかい、 威儀いぎ无む欠けつ」 (観経) の句くを摂せっするなり。 これもかみとおなじく第だい二にの福ふくの心こころなり。 謂いわゆる、 八戒はっかい・沙しゃ弥み戒かい・具ぐ足そく戒かいはみな第だい二にの句くの 「具足衆戒」 に合がっす。 「威儀无欠」 は同おなじき第だい三さん句くの 「不犯威儀」 の心こころなり。

-「▲中品下生のなかに言↢は孝養父母・↓行世仁慈等↡と者、 即◗ち上 み◗の初福◗の第一・第二◗の句◗の意 ろ也 り」 といふは、 「孝養父母行世仁慈」 をもて、 総そうじてかみの世せ福ふくのなかの 「孝養父母奉事師長」 の句くに合がっするなり。 いまの文もんには奉事ぶじ師し長ちょうはなけれども、 父母ぶもと師し長ちょうとその恩おんおなじく、 孝きょう養ようと0970奉事ぶじとその儀ぎ一ひとつなるがゆへに、 一双いっそうの世せ善ぜんなれば文もんに略りゃくせりといへども、 あひはなるべからざるなり。

-されば ¬疏しょ¼ の釈しゃくにも孝きょう養よう父母ぶもの四字しじを釈しゃくするとき、 「▲孝↢養◗し父母↡に、 奉↢順◗す六親↡に」 (散善義) といへり。 これ孝きょう養よう父母ぶものことばのしたに、 二に親しんにかぎらず尊そん重じゅうにつかふる義ぎを摂せっせりとなり。

-「↑行世仁慈」 といふは、 仁恵じんけいの徳とくなるがゆへに、 これも孝きょう養よう父母ぶも・奉事ぶじ師し長ちょうの徳とく行ぎょうをそなへん人ひとは仁にん慈じもあるべければ、 総そうじて第一だいいち・第だい二にの句くに合がっするなり。

-¬疏しょ¼ にはこの句くを合福がっぷくせざるは、 すなはち 「孝養父母」 の一いっ句くをもて第一だいいちの句くの 「孝養」、 第だい二にの句くの 「奉事」 に合がっすれば、 その二ふたつのなかに摂しょう在ざいせることをあらはすなり。

-次つぎに下げ輩はいの三品さんぼんをあげて、 結けっするに 「▲此◗の三品、は 尋常之の時 き唯造↢て悪業↡を雖 ど↠も不↠と求↢め往生↡を、 臨終之の時 き始 めて遇↢て善知識↡に即◗ち得う↢往生↡を。 若◗し准↢ ぜば上 み◗の三福↡に者、 第三◗の福◗の大乗◗の意 ろ也 り」 といふは、 この下げ三品さんぼんの行ぎょうは念仏ねんぶつなり。 しかるにこの念仏ねんぶつを、 もし三福さんぷくの中なかに摂せっせば、 第だい三さんの行ぎょう福ふくのなかの第だい三さん句くの 「読誦大乗」 の句くにあたれりといふなり。 かの三福さんぷくのなかにその文もんなしといへども、 義ぎをもて配当はいとうするがゆへに大だい乗じょうのこゝろなりと釈しゃくするなり。

-下げ三品さんぼんをば ¬疏しょ¼ には合福がっぷくせず。 これすなはち十じゅう一門いちもんの中なかに、 第だい六門ろくもんの法ほうは上じょう・中ちゅう二に輩はいは善ぜんなり、 下げ輩はいは悪業あくごうなるがゆへに合がっすべきにあらず。 念仏ねんぶつは第だい八門はちもんの法ほうなるがゆへに定じょう散さんの烈れつに0971あらざれば合がっせざるなり。

-いま私わたくしの釈しゃくに合がっするは、 定じょう散さん・念仏ねんぶつことなれども、 一往いちおう九く品ぼんの業ごうを分別ふんべつして三福さんぷく・九く品ぼんの開合かいごうをしめさんがためなり。 されば ¬疏しょ¼ の釈しゃくといまの釈しゃくと、 をのをの一いち意いを顕あらわすなり。

-「▲次◗に念仏 といふ者は、 専◗ら称↢ する弥陀仏名みな↡を是 れ也」 といふは、 上かみに二に行ぎょうあり、 一には定じょう散さん、 二には念仏ねんぶつと約束やくそくせしなかに、 定じょう散さんはすでにあかしをはりぬ、 この文もんより念仏ねんぶつをあかすといふなり。 これすなはち 「▲望仏本願」 (散善義) といへる本願ほんがんの体たいなり。

(187)

一 「▲例 せば如↣し法花◗の秀↡ たるが三説◗の上うへ↡に。 若◗し无↢ くは三説↡者、 何◗ぞ顕↢ はさん法華◗の第一↡  なることを」 といふは、 天臺てんだいのこゝろ、 已い今当こんとうの三説さんせつのなかにをきて ¬法ほっ華け¼ 第一だいいちなりといふことなり。

-かの ¬経きょう¼ (法華経巻一〇) の 「法ほっ師し品ぼん」 の文もんに、 「我◗が所説◗の諸経◗に而しか◗も於↢て此◗の経◗の中 か↡に法花最◗も第一」 といひ、 「已説・今説・当説、 而しか◗も於↢て其◗の中 か↡に此法花経最◗も為↢す難↠く信◗じ難↟ しと解」し といへる、 これなり。

(188)

一 「▲但◗し定散◗の諸善皆 な用◗て難↠し測◗り」 といふ以下いげは、 かさねて定じょう散さんの勝しょう利りを嘆たんじて、 しかも付ふ属ぞくせざることをあらはし、 念仏ねんぶつはかの二に善ぜんにすぐれたるがゆへに付ふ属ぞくの法ほうたることを釈成しゃくじょうするなり。

-先まず定じょう散さんを讃さんずるに種種しゅじゅの巨こ益やくをいだせり。 「▲依正之の観懸↠て鏡◗を而照臨◗す」 といふは、 序じょには 「▲当↫に ベ シ得う↠ ること見↢ こと彼◗の清浄◗の国土↡を、 如↪ くす執↢ りて明鏡↡を自みづか◗ら見↩ るが面像↨を」 (観0972経) といひ、 正宗しょうしゅうには 「▲如↧於↢て鏡 み◗の中 か↡に自みづか◗ら見↦ るが面像↥を」 (観経) ととくがごとき、 これなり。

-「▲往生之の願指さ↠ して掌◗を而速疾 なり」 と云いうは、 地じ観かんには 「▲除↢く八十億劫◗の生死之罪↡を、 捨↠ てゝ身◗を他世◗に必生↢ず彼◗の国 に↡ゝ」 (観経) といひ、 花座けざ観かんには「▲滅↢除◗す五万劫◗の生死之の罪↡を、 必定 して当↠に ベ シ生↢ず極楽世界↡に」 (観経) といひ、 真身しんしん観かんには 「△捨身他世◗に生↢ず諸仏◗の前まへ↡に」 (観経) といへるがごとき、 これなり。 必ひつ定じょうといふはたな心ごころをさす義ぎなり。 捨身しゃしんといひ、 命終みょうじゅうといふは速疾そくしつの義ぎなり。 多た生しょうをへざるがゆへなり。

-「▲或 ひ◗は一観之の力 ら能◗く袪のぞ◗く多劫之の悪あやまり ケン ↡」 といふは、 すなはちひくところの地じ観かん・宝楼ほうろう・花座けざ等とうにとくところの滅罪めつざい益やくなり。 そのほか像観ぞうかん・観音かんのん・勢せい至し等とうの観かんにもこれをとけり。

-「▲或 ひ◗は具憶之の功こう終◗に得え↢ たり三昧之の勝利↡を」 と云いうは、 地じ観かんには 「▲若◗し得え↢ つれば三昧↡を、 見↢ こと彼◗の国地↡を、 了々分明 なり」 (観経) といひ、 像観ぞうかんには 「▲於↢き現身◗の中 か◗に得う↢念仏三昧↡を」 (観経) とゝくがごとき、 これなり。

(189)

一 「▲然 るに世◗の人 と若◗し楽↢ ひて観仏等↡を不↠ るは修◗せ念仏↡を、 是 れ遠 くは非↠ず乖そむ↢  くのみに弥陀本願↡に、 亦 た是 れ近 くは違↢す釈尊◗の付属↡に。 行者宜↢く ベ シ商量↡す」 といふは、 かみに観仏かんぶつの益やくをときつれども、 つゐにいま結けつ成じょうするに、 一向いっこう称名しょうみょうのほか他たをまじふべからざる義ぎをのぶるなり。 これ末まっ世せ下機げきのためなり。

(190)

一 「▲次◗に散善の中 か、に 有↢り大乗持戒◗の行↡」 といふ已下いげは、 散善さんぜんのなかにをきて、 ことに四し0973ヶの行ぎょうを嘆たんじて、 しかもまた付ふ属ぞくの行ぎょうにあらざることをあらはし、 念仏ねんぶつの一いち行ぎょうの、 釈しゃく尊そん付ふ属ぞくの法ほう、 弥陀みだ撰せん択じゃくの本願ほんがんなることをしめして、 一向いっこう専せん称しょうの徳とくを讃さんずるなり。

-四しヶの行ぎょうをあげをはりて讃さんずる文もんに、 「▲以↢て此これら◗の行殆◗ど抑をさ↢ふ念仏↡を。 ◆倩つらつら尋↢ ぬれば経◗の意こゝろ↡を者、 不ず↧以↢て此◗の諸行↡を付属流通↥せ。 唯以↢て念仏◗の一行↡を即◗ち使し↤む付↢属流↣通◗せ後世↡に」 といへり。 これ散善さんぜんの中なかの四しヶの行ぎょうみな殊しゅ勝しょうの行ぎょうなりと云いへども、 念仏ねんぶつにをよぶべからざる義ぎを結けっするなり。

(191)

一 「▲釈尊所ゆ↤以へ◗は不↣る付↢属 したまは諸行↡を者、 即◗ち是 れ非↢ ざるが弥陀◗の本願↡に之故ゆへ也」 といふ已下いげは、 釈しゃく尊そん定じょう散さんを廃はいして念仏ねんぶつを付ふ属ぞくするゆへを釈しゃくし、 和か尚しょう諸しょ行ぎょうを廃はいして念仏ねんぶつを立りゅうするよしをあかして、 諸しょ行ぎょうの機き教きょう相応そうおうせざるむねをあらはし、 念仏ねんぶつの機き法ほう相応そうおうせることをあげ、 諸しょ行ぎょうと念仏ねんぶつとを相対そうたいして重々じゅうじゅう勝しょう劣れつを明あかすなり。

-これすなはちかの 「▲持是語者、 即是持无量寿仏名」 (観経) の義ぎを釈成しゃくじょうし、 「▲一向専称弥陀仏名」 (散善義) の理りを決けつ了りょうするなり。

 

底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完し、 表記は現代仮名遣いとした。