ぜほうひけ 是報非化 ¬観経¼ に説かれる阿弥陀仏浄土化土ではなく報土であることをいう。 浄影寺慧遠などの聖道諸師は阿弥陀仏の国土を応土あるいはぼんしょうどう居土ごど (凡夫しょうじゃが雑居する世界のこと) などと解釈した。 これに対し善導どうしゃくの ¬安楽集¼ の説示をうけて、 ¬大乗同性経¼ ¬大経¼ ¬大品般若経¼ などを用いて、 阿弥陀仏は本願の因に報いあらわれた因願酬報の身であるから報身であり、 その浄土も報土であると解釈した。 「玄義分」 には 「問うていはく、 弥陀の浄国は、 はたこれ報なりや、 これ化なりとやせんと。 答へていはく、 これ報にして化にあらず (問曰弥陀浄国為当是報是化也答曰是報非化)」 とある。 →古今楷定