しじょうしん 至誠心 ¬観経¼ に説く三心の一。 真実心のこと。 「散善義」 には 「至とは真なり、 誠とは実なり。 一切衆生の身口意業所修の解行、 かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、 内に虚仮を懐くことを得ざれ」 とある。 善導は、 三業所修の行も内外相応する真実心においてなさなければ、 雑毒の善となり往生はできなくなるとする。 なお、 親鸞は ¬観経¼ に隠顕を見て、 顕説けんぜつでは自力心おんしょうでは阿弥陀仏の真実心とする。 「信巻」 に引用される 「散善義」 の文には 「一切衆生の身口意業の所修の解行、 かならず真実心のうちになしたまへるを須ゐんことを明かさんと欲ふ。 外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、 内に虚仮を懐いて」 とある。 →賢善精進七補註7