じみょうしょう 持名鈔 2巻。 存覚の著。 元亨4年 (1324) 存覚35歳のとき、 了源の求めによって著されたものとされるが、 年次については異説もある。 題号に 「持名」 とあるように、 南無阿弥陀仏の名を持つことで、 一向専修の念仏を勧めることをその根本主張とする。
本末2巻に分かれ、 本巻においては、 まず生死を離れ仏道を求めるべきことを述べ、 求道心を確立すべきことを勧め、 次いで仏教に八宗九宗あるなか、 聖道門の教えを捨てて、 念仏往生の一門に帰すべきことが説かれる。 今の世は末法であり、 この末代相応の要法、 決定往生の正因は専修念仏の一行であるというのである。 この旨を浄土三部経や善導の釈によって詳論し、 それを法然、 親鸞が伝承していることが記されている。 また念仏の功徳について、 天台大師智顗や慈恩大師基の釈をもって説明し、 念仏一行が諸行よりすぐれている点を讃仰している。
末巻においては、 三問答をあげて浄土真宗の要義が述べられている。 第一問答においては、 親鸞の一流を汲む念仏者は神明につかえるべきでないことが教示されている。 第二問答においては、 念仏の行者が諸仏菩薩の擁護と諸天善神の加護を受けるというが、 それは浄土に往生させるために、 ただ行者の信心を守護したもうのみか、 あるいは今生の穢体をまもり、 もろもろの願いをも成就させんためかと問い、 仏・菩薩は信心をまもることを本意とするが、 さらに信心の行者もまもられ、 現世と後生に大きな利益を得ると論じている。 第三問答では、 信心と念仏の関係について論じ、 一向専修の念仏は信心を具足した他力念仏であるとして、 信心具足の念仏を勧めている。
古写本には本願寺派本願寺蔵康正3年蓮如書写本、 石川県専光寺蔵存如書写本、 新潟県浄興寺蔵応永32年書写本などがある。