いんじょうかじょう 因浄果浄 因が清浄であれば果も清浄であること。 ❶阿弥陀仏の成仏の因果をいう。 阿弥陀仏の因位は清浄な願と行によってなされたから、 その清浄願心によって成就した浄土も清浄であること。 ¬論註¼ には 「この三種の荘厳成就はもと四十八願等の願心の荘厳したまふところなるによりて、 因浄なるがゆゑに果浄なり」 (信巻引文) とある。 ❷衆生往生の因果をいう。 衆生が浄土へ往生する因である行信も、 往生成仏の証果も、 すべて阿弥陀仏の清浄願心より回向されるから、 衆生往生の因も果も清浄といわれること。 「証巻」 には 「もしは因、 もしは果、 一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるにあらざることあることなし。 因浄なるがゆゑに果また浄なり」 とある。