あくにんしょうき 悪人正機 阿弥陀仏の平等の慈悲を表す語。 正機とはまさしきめあて (対象) という意で、 阿弥陀仏の本願による救いは自らの力で迷いを離れることができないもの (悪人) のためにあることをいう。 ¬涅槃経¼ には慈悲のはたらきが悪人に焦点を合わせていることを父母の子に対する愛情に喩え、 「たとへば一人にして七子あらん。 この七子のなかに一子病に遇へば、 父母の心平等ならざるにあらざれども、 しかるに病子において心すなはちひとへに重きがごとし。 大王、 如来もまたしかなり。 もろもろの衆生において平等ならざるにあらざれども、 しかるに罪者において心すなはちひとへに重し。 放逸のものにおいて仏すなはち慈念したまふ。 不放逸のものは心すなはち放捨す」 (信巻引文) と説かれている。 このような悪人正機を示すものとして ¬歎異抄¼ 第3条が有名である。 ここでは、 世の人がいう 「悪人なほ往生す。 いかにいはんや善人をや」 の主張に対して、 「善人なほもつて往生をとぐ。 いかにいはんや悪人をや」 と示し、 悪人こそをめあてとする本願他力の意趣が明らかにされている。