一四(230)、浄土宗略要文

▲浄じょう土ど宗しゅう略りゃく要文ようもん第だい十じゅう四し  源空げんくう

一 聖浄二門

一いちに道どう綽しゃく禅ぜん師じの意こころは聖しょう道どう・浄じょう土どの二に門もんを立たてて一代いちだいの聖教しょうぎょうを判はんじ、 ならびに聖しょう道どうを捨すてて浄じょう土どに帰きす文もん

一ニ○道綽禅師ノ意ハ立テヽ↢聖道・浄土ノ二門ヲ↡判ジ↢一代ノ聖教ヲ↡、并ニ捨テヽ↢聖道ヲ↡帰↢浄0231土ニ↡之文

¬安楽あんらく集しゅう¼ (巻上) にいはく、 「問とひていはく、 一切いっさい衆しゅ生じょうにみな仏ぶっ性しょうあり。 遠劫おんこうよりこのかた多た仏ぶつに値あふべし。 なにによりてかいまに至いたるまで、 なほみづから生しょう死じに輪りん回ねして火か宅たくを出いでざるや。

◇¬安楽集¼云、「◇問曰、一切衆生ニ皆有↢仏性↡。遠劫ヨリ以来応↠値フナル↢多仏ニ↡。何ニ因カ至マデ↠今ニ、仍 ホ自ミ 輪↢回シテ生死ニ↡不ヤ↠出↢火宅ヲ↡。

答こたへていはく、 大だい乗じょうの聖教しょうぎょうによるに、 まことに二に種しゅの勝しょう法ぼうを得えて、 もつて生しょう死じを排はらはざるによる。 ここをもつて火か宅たくを出いでず。 何者なにものをか二にとなす。 一いちにはいはく聖しょう道どう、 二ににはいはく往おう生じょう浄じょう土どなり。

◇答曰、依ルニ大乗ノ聖教ニ↡、良ニ由↠不ルニ↧得↢二種勝法↡、以排ハ↦生死ヲ↥。是以不↠出↢火宅↡。何ナニ者ヲカ為↠二。一ニハ謂聖道、二ニハ謂往生浄土ナリ。

その聖しょう道どうの一種いっしゅは、 今いまの時ときに証しょうしがたし。 一いちには大だい聖しょうを去さること遥遠ようおんなるによる。 二にには理りは深ふかく解さとりは微みなるによる。 このゆゑに ¬大だい集じゅう月蔵がつぞう経きょう¼ にいはく、 わが末法まっぽうの時ときの中うちの億々おくおくの衆しゅ生じょう行ぎょうを起おこし道どうを修しゅせども、 いまだ一人いちにんも得うるものあらずと。

◇其ノ聖道ノ一種ハ、今時ニ難↠証シ。一由↧去ルコト↢大聖ヲ↡遥遠↥。二ニハ由↢理深ク解微ナルニ↡。◇是ノ故¬大集月蔵経¼云、我ガ末法ノ時ノ中ノ億々ノ衆生起シ↠行ヲ修ドモ↠道、未 ズ ト↠有↢一人モ得者↡。

当今とうこんは末法まっぽう、 これ五ご濁じょく悪あく世せなり。 ただ浄じょう土どの一門いちもんのみありて、 通つう入にゅうすべき路みちなり。 このゆゑに ¬大だい経きょう¼ にいはく、 若にゃく有う衆しゅ生じょう、 たとひ一いっ生しょう悪あくを造つくれども命終みょうじゅうの時ときに臨のぞみて、 十じゅう念ねん相続そうぞくしてわが名みょう字じを称しょうして、 もし生うまれずんば正しょう覚がくを取とらじと。

◇当今ハ末法、是五濁悪世ナリ。唯有テ↢浄土一門ノミ↡、可↢通入↡路ナリ。◇是故¬大経ニ¼云、若有衆生、縦令一生造ドモ↠悪臨テ↢命終ノ時↡、十念相続シテ称シテ↢我ガ名字ヲ↡、若不ンバ↠生者不↠取↢正覚↡。

また一切いっさい衆しゅ生じょうすべてみづから量はからず。 もし大だい乗じょうに拠よらば、 真如しんにょ実相じっそう第一だいいち義ぎ空くうかつていまだ心しんを措おかず。 もし小乗しょうじょうを論ろんずれば、 見諦けんたい修道しゅどうに修しゅ入にゅうし、 乃ない至し那な含ごん・羅ら漢かん、 五下ごげを断だんじ五ご上じょうを除のぞく、 道俗どうぞくを問とふことなく、 いまだその分ぶんあらず。 たとひ人天にんでんの果か報ほうあるとも、 みな五ご戒かい・十じゅう善ぜんのためによくこの報ほうを招まねく。 しかるに持たもち得うるものはなはだ希まれなり。

◇又復一切衆生都不↢自量↡。◇若拠ラバ↢大乗ニ↡、真如実相第一義空曽未↠措カ↠心ヲ。◇若論ズレバ↢小乗ヲ↡、修↢入シ見諦修道ニ↡、乃至那含・羅漢、断↢五下ヲ↡除↢五上↡、無ク↠問↢道俗↡、未↠有↢其ノ分↡。◇縦有トモ↢人天ノ果報↡、皆為ニ↢五戒・十善ノ↡能招ク↢此報↡。然ニ持得者 ノ甚希ナリ。

もし起き悪あく造罪ぞうざいを論ろんぜば、 なんぞ暴風ぼうふう駛雨しうに異ことならん。 ここをもつて諸仏しょぶつの大だい悲ひ勧すすめて浄じょう土どに帰きせしむ。 たとひ一いち形ぎょう悪あくを造つくるとも、 ただよく意こころを繋かけて専せん精しょうにつねによく念仏ねんぶつすれば、 一切いっさいの諸しょ障しょう自じ然ねんに消しょう除じょして、 さだめて往おう生じょうを得う。 なんぞ思し量りょうせずしてすべて去さる心こころなからんや」 と。

◇若論ゼバ↢起悪造罪↡、何ゾ異ナラン↢暴風駛雨ニ↡。是以諸仏ノ大悲勧テ帰シム↢浄土ニ↡。縦使一形造トモ↠悪、但能繋テ↠意ヲ専精ニ常ニ能ク念仏スレバ、一切ノ諸障自然ニ消除シテ、定得↢往生↡。◇何ゾ不シテ↢思量↡都無ヤ↢去ル心↡也。」

二 出世本意

二にに善導ぜんどう和か尚しょうの意こころ、 釈しゃく尊そん出しゅっ世せの本ほん意いただ念仏ねんぶつ往おう生じょうを説とく文もん

0232二ニ善導和尚意、云↣釈尊出世ノ本意唯説↢念仏往生ヲ↡之文

¬法ほう事じ讃さん¼ (巻下) にいはく、 「如来にょらい五ご濁じょくに出しゅつ現げんして、 随ずい宜ぎの方便ほうべんをもつて郡萌ぐんもうを化けす。 あるいは多た聞もんにして得とく度どすと説とき、 あるいは小しょう解げして三さん明みょうを証しょうすと説とく。 あるいは福ふく恵えならびに障さわりを除のぞくと教おしえ、 あるいは禅念ぜんねんして坐ざして思し量りょうせよと教おしふ。 種々しゅじゅの法門ほうもんみな解げ脱だつすれども、 念仏ねんぶつして西方さいほうに往ゆくに過すぎたることなし。 上かみ一いち形ぎょうを尽つくし十じゅう念ねん・三念さんねん・五ご念ねんに至いたるまで、 仏ぶつ来迎らいこうしたまふ。 ただに弥陀みだの弘ぐ誓ぜいの重おもきがために、 凡ぼん夫ぶをして念ねんずればすなはち生しょうぜしむことを致いたす」 と。

¬法事讃¼云、「▲如来出↢現シテ於五濁ニ↡、随宜ノ方便を以化↢郡萌↡。或説↢多聞ニシテ而得度スト↡、或説↣小解証スト↢三明↡。或教↢福恵双除ト↟障、或教フ↢禅念シテ坐シテ思量セヨト↡。種種法門皆解脱スレドモ、無↠過タルコト↣念仏往クニ↢西方ニ↡。上 ミ尽シ↢一形ヲ↡至マデ↢十念・三念・五念ニ↡、仏来迎シタマフ。直ニ為↢弥陀弘誓ノ重ガ↡、致ス↠使コトヲ↢凡夫ヲシテ念レバ即チ生ゼ↡。」

三 正雑二行

三さんに善導ぜんどう和か尚しょう正しょう雑ぞう二に行ぎょうを立たてて、 雑ぞう行ぎょうを捨すてて正行しょうぎょうに帰きする文もん

三ニ○善導和尚立テヽ↢正雑二行↡、捨テヽ↢雑行↡帰スル↢正行ニ↡之文

¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょうの疏しょ¼ の第だい四し巻かん (散善義) に上じょう品ぼん上生じょうしょうの三心さんしんのなかの深心じんしんを釈しゃくしていはく、 「就じゅ行ぎょう立信りっしんといふは、 しかるに行ぎょうに二に種しゅあり。 一いちには正行しょうぎょう、 二にには雑ぞう行ぎょうなり。

◇¬観無量寿経ノ疏¼第四巻ニ釈シテ↢上品上生ノ三心ノ中ノ深心ヲ↡云ク、「◇曰↢就行立信↡者、然ニ行ニ有↢二種↡。一ニハ者正行、二ニハ者雑行。

正行しょうぎょうといふは、 もつぱら往おう生じょう経きょうによりて行ぎょうを行ぎょうずるもの、 これを正行しょうぎょうと名なづく。 何者なにものかこれなるや。 一心いっしんにもつぱらこの ¬観かん経ぎょう¼・¬弥陀みだ経きょう¼・¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ 等とうを読誦どくじゅし、 一心いっしんに専せん注ちゅうしてかの国くにの二に報ほう荘しょう厳ごんを思し想そうし観察かんざつし憶念おくねんし、 もし礼らいするにはすなはち一心いっしんにもつぱらかの仏ぶつを礼らいし、 もし口くちに称しょうすにはすなはち一心いっしんにもつぱらかの仏ぶつを称しょうし、 もし讃嘆さんだん供く養ようするにはすなはち一心いっしんにもつぱら讃嘆さんだん供く養ようする、 これを名なづけて正しょうとなす。

◇言↢正行↡者、専依テ↢往生経ニ↡行ズル↠行ヲ者 ノ、是ヲ名↢正行↡。◇何者カ是ナル也。一心ニ専読↢誦此¬観経¼・¬弥陀経¼・¬無量寿経¼等ヲ↡、一心ニ専注シテ思↢想観↣察憶↤念彼ノ国ノ二報荘厳ヲ↡、若礼スルニハ即一心ニ専礼↢彼仏ヲ↡、若シ口ニ称ニハ即一心ニ専称↢彼仏ヲ↡、若讃嘆供養ニハ即一心ニ専讃嘆供養スル、是ヲ名為↠正。

またこの正しょうのなかにまた二に種しゅあり。 一いちには一心いっしんにもつぱら弥陀みだの名みょう号ごうを念ねんじて、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがに時じ節せつの久く近ごんを問とはず念々ねんねんに捨すてざるは、 これを正定しょうじょうの業ごうと名なづく、 かの仏願ぶつがんに順じゅんずるがゆゑに。 もし礼誦らいじゅ等とうに依よらばすなはち名なづけて助業じょうごうとなす。 この正しょう助じょ二に行ぎょうを除のぞきて以外いげの自余じよの諸善しょぜんをばことごとく雑ぞう行ぎょうと名なづく。

◇又就↢此ノ正ノ中ニ復有↢二種↡。◇一ニハ者一心ニ専念ジテ↢弥陀ノ名号ヲ↡、行住坐臥ニ不↠問↢時節ノ久近↡念念ニ不ル↠捨者、是名↢正定之業ト↡、順ズルガ↢彼ノ仏願ニ↡故ニ。◇若シ依ラバ↢礼誦等ニ↡即名テ為↢助業ト↡。◇除テ↢此ノ正助二行↡已外自余ノ諸善ヲバ悉名↢雑0233行ト↡。

もし前さきの正しょう助じょ二に行ぎょうを修しゅすれば、 心しんつねに親近しんごんし憶念おくねんして断だんぜざるを、 名なづけて無む間けんとなす。 もし後のちの雑ぞう行ぎょうを行ぎょうずれば、 すなはち心しんつねに間断けんだんす、 回え向こうして生しょうずることを得うべしといへども、 すべて疎そ雑ぞうの行ぎょうと名なづく」 と。

◇若修スレバ↢前ノ正助二行↡、心常親近シ憶念シテ不ルヲ↠断、名為↢無間ト↡也。若行ズレバ↢後ノ雑行↡、即心常ニ間断ス、雖↠可ト↢回向シテ得↟生コトヲ、衆テ名↢疎雑之行ト↡也。」

四 二行得失

四しに善導ぜんどう和か尚しょう正しょう雑ぞう二に行ぎょうの得失とくしつを判はんずる文もん

四ニ善導和尚判↢正雑二行ノ得失ヲ↡之文

¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「もしよく上かみのごとく念々ねんねん相続そうぞくして、 畢ひつ命みょうを期ごとなすものは、 十じゅうはすなはち十じっ生しょうし、 百ひゃくはすなはち百生ひゃくしょうす。 なにをもつてのゆゑに。 外げの雑縁ぞうえんなく正しょう念ねんを得うるがゆゑに、 仏ぶつの本願ほんがんと相応そうおうすることを得うるがゆゑに、 教きょうに違いせざるがゆゑに、 仏ぶつ語ごに随ずい順じゅんするがゆゑに。

○¬往生礼讃¼云、「若能如↠上ノ念念相続シテ、畢命ヲ為↠期ト者 ノハ、十ハ即チ十生シ、百ハ則百生ス。何以ノ故。無ク↢外ノ雑縁↡得ガ↢正念↡故、与↢仏ノ本願↡得ガ↢相応コトヲ↡故、不ガ↠違↠教ニ故、随↢順仏語ニ↡故。

もし専せんを捨すてて雑業ぞうごうを修しゅせんと欲ほっするものは、 百ひゃく時じに希まれに一いち二にを得えんや、 千せん時じに希まれに三さん五ごを得えんや。 なにをもつてのゆゑに。 すなはち雑縁ぞうえん乱動らんどうして正しょう念ねんを失しっするによるがゆゑに、 仏ぶつの本願ほんがんと相応そうおうせざるがゆゑに、 教きょうと相そう違いするがゆゑに、 仏ぶつ語ごに順じゅんぜざるがゆゑに、 係け念ねん相続そうぞくせざるがゆゑに、 憶想おくそう間断けんだんするがゆゑに、 回え願がん慇おん重じゅう真実しんじつならざるがゆゑに、 貪瞋とんじん・諸見しょけんの煩悩ぼんのう来きたりて間断けんだんするがゆゑに、 慚ざん愧ぎ・懺さん悔げの心しんあることなきがゆゑに」 と。

◇若欲↣捨↠専ヲ修ント↢雑業↡者 ノハ、百時ニ希ニ得ンヤ↢一二ヲ↡、千時ニ希ニ得↢三五ヲ↡。◇何以ノ故。乃由ガ↣雑縁乱動シテ失スルガ↢正念ヲ↡故、与↢仏ノ本願↡不↢相応↡故、与↠教相違スルガ故、不↠順↢仏語↡故、係念不↢相続↡故、憶想間断スルガ故、回願不↢慇重真実ナラ↡故、貪瞋・諸見ノ煩悩来テ間断スルガ故、無↠有↢慚愧・懺悔ノ心↡故。」

また (礼讃) いはく、 「余よこのごろみづから諸方しょほうの道俗どうぞくを見聞けんもんするに、 解げ行ぎょう不ふ同どうにして専雑せんぞう異ことなることあり。 ただ意こころをもつぱらにしてなさしむるものは、 十じゅうはすなはち十じっ生しょうす。 雑ぞうを修しゅして不至ふし心しんのものは、 千せん中ちゅうに一いちもなし。 これ二に行ぎょうの得失とくしつなり、 前さきにすでに辨べんずるがごとし」 と。

又云、「○餘比日自見↢聞スルニ諸方ノ道俗ヲ↡、解行不同ニシテ専雑有↠異。但使↢専↠意作↡者 ノハ、十即十生。修シテ↠雑ヲ不至心ノ者 ノハ、千中無↠一。此 レ二行ノ得失ナリ、如↢前ニ已ニ辨ズルガ↡。」

五 念仏往生

五ごに善導ぜんどう和か尚しょうの意こころ、 「三さん部ぶ経きょう」 ともにただ念仏ねんぶつ往おう生じょうを明あかす文もん

五ニ善導和尚ノ意、「三部経」共ニ唯明ス↢念仏往生ヲ↡之文

¬観かん経ぎょう疏しょ¼ の第三だいさんに (定善義) にいはく、 「自余じよの衆しゅ行ぎょうはこれ善ぜんと名なづくといへども、 もし念仏ねんぶつに比ひすればまつたく比ひ校きょうにあらざるなり。 このゆゑに諸しょ経きょうのなかに処々しょしょに広ひろく念仏ねんぶつの功く徳どくを讃さんじたり。 ¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の四し十じゅう八はち願がんのなかのごときは、 ただもつぱら弥陀みだの名みょう号ごうを念ねんじて生しょうずることを得うと明あかす。

¬観経疏¼第三ニ云、「○自余ノ衆行ハ雖↠名↢是 レ善ト↡、若比スレバ↢念仏ニ↡者全ク非↢比校ニ↡也。是ノ故ニ諸経ノ中ニ処処ニ広讃タリ↢念仏ノ功徳ヲ↡。◇如キハ¬無量寿経¼四十八願中↡、唯明0234↧専念ジテ↢弥陀ノ名号ヲ↡得↞生コトヲ。

また ¬弥陀みだ経きょう¼ のなかのごとき、 一日いちにち七日しちにちもつぱら弥陀みだの名みょう号ごうを念ねんじて生しょうずることを得うと。 また十方じっぽう恒沙ごうじゃの諸仏しょぶつ不虚ふこを証誠しょうじょうしたまふと。

◇又如キ↢¬弥陀経¼中↡、一日七日専念ジテ↢弥陀名号↡得↠生。又十方恒沙ノ諸仏証↢誠不虚ヲ↡也。

またこの ¬経きょう¼ の定じょう散さんの文もんのなかに、 ただ専念せんねん名みょう号ごう得とく生しょうを標ひょうす。 この例れい一いちにあらず。 広ひろく念仏ねんぶつ三昧ざんまいを顕あらわしおはりぬ」 と。

◇又此¬経ノ¼定散ノ文ノ中ニ、唯標↢専念名号得生↡。◇此ノ例非↠一ニ也。◇広顕シ↢念仏三昧ヲ↡竟。」

六 名号本願

六ろくに弥陀みだ如来にょらい、 ただ名みょう号ごうをもつて往おう生じょうの本願ほんがんとなしたまへる文もん

六ニ弥陀如来、唯以↢名号ヲ↡為タマヘル↢往生ノ本願ト↡之文

¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ にいふがごとし。 もしわれ成じょう仏ぶつせんに、 十方じっぽうの衆しゅ生じょう、 わが名みょう号ごうを称しょうすること下しも十じっ声しょうに至いたるまで、 もし生しょうぜずは正しょう覚がくを取とらじ」 と。

¬往生礼讃¼云、「▲如↢¬無量寿経ニ¼云↡。若我 レ成仏センニ、十方ノ衆生、称シ↢我ガ名号↡下至↢十声↡、若不↠生者不↠取↢正覚↡。」

善導ぜんどう和か尚しょう釈しゃくして (礼讃) いはく、 「かの仏ぶついま現げんに世よにましまして成じょう仏ぶつしたまふ。 まさに知しるべし、 本誓ほんぜいの重じゅう願がん虚むなしからず、 衆しゅ生じょう称しょう念ねんすればかならず往おう生じょうを得う」 と。

善導和尚釈シテ云、「▲彼ノ仏今現ニ在シテ↠世ニ成仏シタマフ。当↠知、本誓ノ重願不↠虚カラ、衆生称念スレバ必得↢往生ヲ↡。」

七 念仏利益

七しちに念仏ねんぶつ利り益やくの文もん

七ニ○念仏利益ノ文

¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の下げ巻かんにいはく、 「仏ぶつ弥み勒ろくに語かたりたまはく、 それかの仏ぶつの名みょう号ごうを聞きくことを得え、 歓かん喜ぎ踊ゆ躍やくして乃ない至し一念いちねんせん。 まさに知しるべし、 この人ひとは大だい利りを得えたりとなす。 すなはちこれ無む上じょうの功く徳どくを具ぐ足そくするなり」 と。

◇¬無量寿経ノ¼下巻云、「仏語↢弥勒ニ↡、其 レ有↠得↠聞↢彼ノ仏ノ名号ヲ↡、歓喜踊躍シテ乃至一念セン。当↠知、此ノ人ハ為↠得リト↢大利ヲ↡。則是具↢足スルナリ無上ノ功徳↡。」

善導ぜんどうの ¬礼讃らいさん¼ にいはく、 「それかの弥陀みだ仏ぶつの名みょう号ごうを聞きくことを得うることありて、 歓かん喜ぎして一念いちねんに至いたらんに、 みなまさにかしこに生しょうずることを得うべし」 と。

◇善導ノ¬礼讃¼云、「其 レ有テ↠得↠聞コトヲ↢彼ノ弥陀仏ノ名号ヲ↡、歓喜シテ至ンニ↢一念ニ↡、皆当ニ↠得↠生↠彼ニ。」

わたくしにいはく、 一念いちねんすでに無む上じょうの功く徳どくなり。 まさに知しるべし、 十じゅう念ねんはすなはち十じゅうの無む上じょう、 百ひゃく念ねんはすなはち百ひゃくの無む上じょう功く徳どくなり。 知しるべし。

私ニ云、○一念既ニ無上ノ功徳ナリ。当↠知、十念ハ即チ十ノ無上、百念ハ即百ノ無上功徳也。応↠知。

八 特留念仏

八はちに末法まっぽう万年まんねんの後のち、 余よ行ぎょうことごとく滅めっする時とき、 釈しゃ迦か如来にょらいことに慈悲じひをもつて念仏ねんぶつを留とどめて往おう生じょうせしむる文もん

0235八ニ○末法万年ノ後、余行悉ク滅スル時、釈迦如来特ニ以↢慈悲ヲ↡留テ↢念仏ヲ↡往生シムル之文

¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の下げ巻かんにいはく、 「当来とうらいの世よに経きょう道どう滅尽めつじんせんに、 われ慈悲じひをもつて哀愍あいみんして、 ことにこの経きょうを留とどめて止し住じゅうすること百ひゃく歳さいならん。 それ衆しゅ生じょうありてこの経きょうに値あふものは、 意こころの所願しょがんに随したがひてみな得とく度どすべし」 と。

◇¬無量寿経ノ¼下巻云、「当来ノ之世ニ経道滅尽センニ、我 レ以↢慈悲↡哀愍シテ、特留↢此経↡止住スルコト百歳ナラン。其 レ有テ↢衆生↡値↢此ノ経ニ↡者 ノハ、随テ↢意ノ所願↡皆可↢得度ス↡。」

善導ぜんどう和か尚しょうの ¬礼讃らいさん¼ にいはく、 「万年まんねんに三宝さんぼう滅めっせんに、 この ¬経きょう¼ 住じゅうすること百ひゃく年ねんせん。 その時ときに聞ききて一念いちねんせんもの、 みなまさにかしこに生しょうずることを得うべし」 と。

○善導和尚ノ¬礼讃ニ¼云、「万年ニ三宝滅センニ、此ノ¬経¼住コト百年セン。爾ノ時ニ聞テ一念センモノ、皆当↠得↠生↠彼 コニ。」

九 多善根

九くに念仏ねんぶつをもつて多た善根ぜんごんとし、 諸しょ行ぎょうをもつて少しょう善根ぜんごんとする文もん

九ニ○以↢念仏ヲ↡為シ↢多善根ト↡、以↢諸行↡為スル↢少善根ト↡之文

¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ にいはく、 「少しょう善根ぜんごん福徳ふくとくの因縁いんねんをもつてかの国くにに生しょうずることを得うべからず。 舎しゃ利り弗ほつ、 もし善男ぜんなん子し・善ぜん女人にょにんありて、 阿あ弥陀みだ仏ぶつを説とくことを聞ききて、 名みょう号ごうを執しゅう持じすること、 もしは一日いちにち、 もしは二に日にち、 もしは三日さんにち、 もしは四し日にち、 もしは五ご日にち、 もしは六日ろくにち、 もしは七日しちにち、 一心いっしん不ふ乱らんならんに、 その人ひと命終みょうじゅうの時ときに臨のぞみて、 阿あ弥陀みだ仏ぶつもろもろの大衆だいしゅと現げんにその前まえにまします。 この人ひと終おわる時とき、 心こころ顛倒てんどうせず、 すなはち阿あ弥陀みだ仏ぶつの極楽ごくらく国こく土どに往おう生じょうすることを得う」 と。

◇¬阿弥陀経ニ¼云、「不↠可↧以↢少善根福徳ノ因縁ヲ↡得↞生コトヲ↢彼国ニ↡。◇舎利弗、若有↢善男子・善女人↡、聞テ↠説コトヲ↢阿弥陀仏ヲ↡、執↢持スルコト名号ヲ↡、若ハ一日、若ハ二日、若三日、若四日、若五日、若六日、若ハ七日、一心不乱ナランニ、其ノ人臨テ↢命終ノ時ニ↡、阿弥陀仏与↢諸大衆↡現ニ在↢其ノ前↡。是ノ人終ル時、心不顛倒、即得↣往↢生阿弥陀仏ノ極楽国土ニ↡。」

善導ぜんどう (法事讃巻下) この文もんを釈しゃくしていはく、 「極楽ごくらくは無為むい涅ね槃はんの界かいなり。 随縁ずいえんの雑善ぞうぜん恐おそらくは生しょうじがたし。 ゆゑに如来にょらいをして要法ようぼうを選えらび、 教おしへて弥陀みだを念ねんずることもつぱらにしてまたもつぱらならしむ。 七日しちにち七しち夜や心しん無む間けんに、 長じょう時じの起き行ぎょうもますますみなしかなり。臨りん終じゅうに聖しょう衆じゅ花はなを持もちて現げんじたまふ、 身心しんしん踊ゆ躍やくして金蓮こんれんに坐ざす」 と。

◇善導釈シテ↢此文ヲ↡云、「◇極楽ハ無為涅槃ノ界ナリ。随縁ノ雑善恐クハ難↠生ジ。故使↧如来ヲシテ選↢要法ヲ↡、教テ念コト↢弥陀ヲ↡専ニシテ復 タ専ナラ↥。◇七日七夜心無間ニ、長時ノ起行モ倍マス皆然ナリ。臨0236終ニ聖衆持テ↠花ヲ現ジタマフ、身心踊躍シテ坐ス↢金蓮ニ↡。」

十 六方護念

十じゅうに六方ろっぽうの諸仏しょぶつ等ひとしく念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃを護ご念ねんしたまふ文もん

十ニ○六方ノ諸仏等ク護↢念シタマフ念仏ノ行者ヲ↡之文

¬観念かんねん法門ぼうもん¼ にいはく、 「また ¬弥陀みだ経きょう¼ に説とくがごとし。 もし男なん子し・女人にょにんありて、 七日しちにち七しち夜や、 および一いっ生しょうを尽つくして、 一心いっしんにもつぱら阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんじて往おう生じょうを願がんずれば、 この人ひと、 つねに六方ろっぽう恒ごう河が沙しゃ等とうの仏ぶつともに来きたりて護ご念ねんすることを得う。 ゆゑに護ご念ねん経ぎょうと名なづく。 護ご念ねんの意こころは、 またもろもろの悪あく鬼き神じんをして便たよりを得えしめず、 また横おう病びょう・横おう死し、 横おうに厄難やくなんあることなく、 一切いっさいの災さい障しょう自じ然ねんに消しょう散さんす。 不ふ至し心しんを除のぞく」 と。

◇¬観念法門ニ¼云、「又如↢¬弥陀経ニ¼説↡。若有テ↢男子・女人↡、七日七夜、及ビ尽シテ↢一生ヲ↡、一心ニ専念ジテ↢阿弥陀仏ヲ↡願ズレバ↢往生ヲ↡者、此人、常ニ得↢六方恒河沙等ノ仏共ニ来護念コトヲ↡。故名↢護念経ト↡。護念ノ意ハ者、亦不↠令↢諸ノ悪鬼神ヲシテ得↟便リヲ、亦無ク↣横病・横死、横有コト↢厄難↡、一切ノ災障自然ニ消散ス。除ク↢不至心ヲ↡。」

¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「¬十じゅう往おう生じょう経きょう¼ にのたまはく、 もし衆しゅ生じょうありて阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんじて往おう生じょうを願がんずれば、 かの仏ぶつすなはち二に十じゅう五ご菩ぼ薩さつを遣つかはして、 行ぎょう者じゃを擁よう護ごしたまふ。 もしは行ぎょうもしは坐ざ、 もしは住じゅうもしは臥が、 もしは昼ちゅうもしは夜や、 一切いっさいの時とき一切いっさいの処ところに、 悪あく鬼き・悪神あくしんをしてその便たよりを得えしめず。

○¬往生礼讃¼云、「¬十往生経¼云、若有テ↢衆生↡念ジテ↢阿弥陀仏↡願↢往生↡者、彼ノ仏即遣ハシテ↢二十五菩薩ヲ↡、擁↢護タマフ行者ヲ↡。若ハ行若ハ坐、若ハ住若ハ臥、若ハ昼若ハ夜、一切ノ時一切ノ処ニ、不↠令↣悪鬼・悪神ヲシテ得↢其ノ便ヲ↡也。

また ¬観かん経ぎょう¼ にのたまふがごとし。 もし阿あ弥陀みだ仏ぶつを称しょう念ねんして、 かの国くにに往おう生じょうせんと願がんずれば、 かの仏ぶつすなはち無む数しゅの化け仏ぶつ、 無む数しゅの化け観かん世ぜ音おん・勢せい至し菩ぼ薩さつを遣つかはして、 行ぎょう者じゃを護ご念ねんせしめたまふと。 また前さきの二に十じゅう五ご菩ぼ薩さつ等とうと百重ひゃくじゅう千せん重じゅうに行ぎょう者じゃを囲い遶にょうして、 行住ぎょうじゅう座臥ざがを問とはず、 一切いっさい時じ処しょ、 もしは昼ちゅうもしは夜や、 つねに行ぎょう者じゃを離はなれたまはず。

◇又如↢¬観経ニ¼云。若称↢念シテ阿弥陀仏ヲ↡、願↣往↢生彼ノ国↡者、彼ノ仏即遣ハシテ↢無数ノ化仏、無数ノ化観世音・勢至菩薩ヲ↡、護↢念行者ヲ↡。復与↢前ノ二十五菩薩等↡百重千重ニ囲↢遶シテ行者ヲ↡、不↠問↢行住座臥ヲ↡、一切時処、若ハ昼若ハ夜、常ニ不↠離↢行者ヲ↡。

いますでにこの勝しょう益やくの憑たのむべきあり。 願ねがはくはもろもろの行ぎょう者じゃ、 おのおのすべからく至し心しんに往おう生じょうを求もとむべし」 と。

◇今既有リ↢斯ノ勝益ノ可↟憑ム。願クハ諸ノ行者、各須↣至心ニ求ム↢往生ヲ↡。」

十一 慇懃付属

十じゅう一いちに釈しゃく尊そん弥陀みだの名みょう号ごうをもつて慇懃おんごんに舎しゃ利り弗ほつに付ふ属ぞくしたまふ文もん

十一ニ○釈尊以↢弥陀ノ名号ヲ↡慇懃ニ付↢属シタマフ舎利弗ニ↡之文

¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ にのたまはく、 「仏ぶつ、 経きょうを説ときおはりて、 舎しゃ利り弗ほつおよびもろもろの比丘びく、 一切いっさい世せ間けんの天てん・人にん・阿あ修しゅ羅ら等とう、 仏ぶつの所説しょせつを聞ききて歓かん喜ぎ信受しんじゅして、 礼らいをなして去さりぬ」 と。

◇¬阿0237弥陀経¼云、「仏説↠経已テ、舎利弗及諸ノ比丘、一切世間ノ天・人・阿修羅等、聞↢仏ノ所説↡歓喜信受シテ、作↠礼而去ヌト。」

善導ぜんどう ¬法ほう事じ讃さん¼ (巻下) にこの文もんを釈しゃくしていはく、 「世せ尊そんの説法せっぽう、 時ときまさに了おわりなんとして、 慇懃おんごんに弥陀みだの名みなを付ふ属ぞくしたまふ。 五ご濁じょく増ぞうの時とき疑ぎ謗ほう多おおし、 道俗どうぞくあひ嫌きらひて聞きくことを用もちゐず。 修しゅ行ぎょうすることあるを見みては瞋毒しんどくを起おこし、 方便ほうべん破壊はえして競きおひて怨あだを生しょうず。 かくのごときの生しょう盲もう闡提せんだいの輩ともがら、 頓とん教ぎょうを毀き滅めつして永ながく沈淪ちんりんす。 大だい地じ微み塵じん劫こうを超ちょう過かすとも、 いまだ三さん塗ずの身みを離はなるることを得うべからず。 大衆だいしゅ同心どうしんにみなあらゆる破は法罪ほうざいの因縁いんねんを懺さん悔げすべし」 と。

◇善導¬法事讃ニ¼釈↢此文ヲ↡云、「◇世尊ノ説法、時将ニ↠了、慇懃ニ付↢属弥陀名ヲ↡。五濁増ノ時多シ↢疑謗↡、道俗相嫌テ不↠用↠聞。◇見テハ↠有ヲ↢修行↡起↢瞋毒↡、方便破壊シテ競テ生↠怨。如ノ↠此生盲闡提ノ輩、毀↢滅シテ頓教ヲ↡永ク沈淪ス。◇超↢過ストモ大地微塵劫ヲ↡、未↠可↠得↠離↢三塗ノ身ヲ↡。大衆同心ニ皆懺↢悔スベシ所有破法罪ノ因縁↡。」

十二 光明唯照

十じゅう二にに弥陀みだの光こう明みょう余よの行ぎょう者じゃを照てらさず、 ただ念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃを照てらす文もん

十二ニ○弥陀ノ光明不↠照↢余ノ行者ヲ↡、唯照ス↢念仏ノ行者ヲ↡之文

¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ にいはく、 「無む量りょう寿じゅ仏ぶつに八万はちまん四し千せんの相そうあり。 一々いちいちの相そうに、 八万はちまん四し千せん随ずい形ぎょう好こうあり。 一々いちいちの好こうにまた八万はちまん四し千せんの光こう明みょうあり。 一々いちいちの光こう明みょう、 あまねく十方じっぽう世せ界かいを照てらして、 念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅして捨すてたまはず」 と。

◇¬観無量寿経¼云、「無量寿仏ニ有↢八万四千ノ相↡。一一ノ相ニ、有↢八万四千随形好↡。一一ノ好ニ復有↢八万四千光明↡。一一光明、遍照↢十方世界↡、念仏ノ衆生ヲ摂取シテ不↠捨タマハ。」

善導ぜんどう和か尚しょうの ¬礼讃らいさん¼ にいはく、 「弥陀みだの身色しんじきは金山こんぜんのごとし。 相好そうごうの光こう明みょう十方じっぽうを照てらす。 ただ念仏ねんぶつのみありて光こう摂しょうを蒙こうむる。 まさに知しるべし本願ほんがんもつとも強こわしとなす」 と。

○善導和尚ノ¬礼讃¼云、「弥陀身色ハ如↢金山↡。相好ノ光明照↢十方↡。唯有↢念仏ノミ↡蒙↢光摂↡。当↠知本願最モ為↠強ト。」

十三 唯歎念仏

十じゅう三さんに雑善ぞうぜんを讃ほめず、 ただ念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃを歎たんずる文もん

十三ニ○不↠讃↢雑善ヲ↡、唯歎ズル↢念仏ノ行者↡之文

¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ にのたまはく、 「もし念仏ねんぶつするものは、 まさに知しるべし。 この人ひとはこれ人にん中ちゅうの分ふん陀利だり華けなり。 観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつ・大だい勢せい至し菩ぼ薩さつ、 その勝しょう友うとなりて、 まさに道どう場じょうに坐ざし諸仏しょぶつの家いえに生うまるべし」 と。

◇¬観無量寿経¼云、「若念仏スル者 ノハ、当↠知。此人ハ是 レ人中ノ分陀利華ナリ。観世音菩0238薩・大勢至菩薩、為↢其ノ勝友ト↡、当↧坐シ↢道場ニ↡生↦諸仏ノ家ニ↥。」

同どう経きょうの ¬疏しょ¼ (散善義) にいはく、 「若にゃく念仏ねんぶつ者しゃより下しも生しょう諸仏しょぶつ家けに至いたるこのかたは、 まさしく念仏ねんぶつ三昧ざんまいの功く能のう超ちょう絶ぜつして、 実じつに雑善ぞうぜんを比ひ類るいとすることを得うるにあらざることを顕あらわす。 すなはちその五ごあり。 一いちには弥陀みだの名みなを専念せんねんすることを明あかす。 二にには能念のうねんの人ひとを指し讃さんすることを明あかす。 三さんにはもしよく相続そうぞくして念仏ねんぶつするものは、 この人ひとはなはだ希有けうなりとなす、 さらに物ものとしてもつてこれに方ならぶべきなし、 ゆゑに分ふん陀利だりを引ひきて喩たとえとなすといふことを明あかす。

◇同経ノ¬疏ニ¼云、「従↢若念仏者↡下至↢生諸仏家↡已来、正ク顕↣念仏三昧ノ功能超絶シテ、実ニ非コトヲ↢雑善ヲ得ルニ↟為コトヲ↢比類ト↡。即有↢其ノ五。◇一ニハ明↣専念コトヲ↢弥陀ノ名↡。二ニハ明↣指↢讃能念之人↡。三ニハ明↧若能相続シテ念仏スル者ハ、此ノ人甚為↢希有ナリト↡、更無シ↣物トシテ可↢以方↟之、故ニ引↢分陀利ヲ↡為スト云コトヲ↞喩ト。

分ふん陀利だりといふは、 人にん中ちゅうの好こう花けと名なづけ、 また希有けう花けと名なづけ、 また人にん中ちゅうの上々じょうじょう花けと名なづけ、 また人にん中ちゅうの妙みょう好こう花けと名なづく。 この花はな相伝そうでんして蔡さい花けと名なづくるこれなり。 もし念仏ねんぶつするものは、 すなはちこれ人にん中ちゅうの好人こうにんなり、 人にん中ちゅうの妙みょう好人こうにんなり、 人にん中ちゅうの上々じょうじょう人にんなり、 人にん中ちゅうの希有けう人にんなり、 人にん中ちゅうの最さい勝しょう人にんなり」 と。

◇言↢分陀利↡者、名↢人中好花↡、亦名↢希有花↡、亦名↢人中ノ上上花↡、亦名↢人中妙好花↡。此ノ花相伝シテ名↢蔡花ト↡是。若念仏スル者 ノハ、即是人中ノ好人ナリ、人中ノ妙好人ナリ、人中ノ上上人ナリ、人中ノ希有人ナリ、人中ノ最勝人也。」

十四 付属名号

十じゅう四しに釈しゃ迦か如来にょらい余よ行ぎょうを付ふ属ぞくせず、 ただ弥陀みだの名みょう号ごうを念ねんずるをもつて阿あ難なんに付ふ属ぞくしたまへる文もん

十四ニ○釈迦如来不↣付↢属余行ヲ↡、唯以↠念ズルヲ↢弥陀ノ名号ヲ↡付↢属タマヘル阿難ニ↡之文

¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ にいはく、 「仏ぶつ、 阿あ難なんに告つげたまはく、 なんぢ、 よくこの語ごを持たもて。 この語ごを持たもてといふは、 すなはちこれ無む量りょう寿じゅ仏ぶつの名みなを持たもつなり」 と。

◇¬観無量寿経¼云、「仏告↢阿難↡、汝、好ク持↢是ノ語↡。持↢是語↡者、即是持↢無量寿仏ノ名ヲ↡。」

同どう経きょうの ¬疏しょ¼ (散善義) にこの文もんを釈しゃくしていはく、 「仏告ぶつごう阿あ難なん汝にょ好こう持じ是語ぜごより以下いげは、 まさしく弥陀みだの名みょう号ごうを付ふ属ぞくして、 遐か代だいに流る通ずうせしめたまふことを明あかす。 上じょう来らい定じょう散さん両りょう門もんの益やくを説とくといへども、 仏ぶつの本願ほんがんに望のぞむるに、 意こころ衆しゅ生じょう一向いっこうにもつぱら弥陀みだ仏ぶつの名みなを称しょうするにあり」 と。

◇同経¬疏ニ¼釈↢此文↡云、「▲従↢仏告阿難汝好持是語↡已下、正明↧付↢属シテ弥陀ノ名号ヲ↡、流↦通於遐代ニ↥。上来雖↠説ト↢定散両門之益ヲ↡、望↢仏ノ本願ニ↡、意在リ↣衆0239生一向ニ専ラ称スルニ↢弥陀仏ノ名ヲ↡。」

わたくしにいはく、 このなかに、 「定じょう」 とは、 始はじめ日想にっそう観かんよりこのかた十じゅう三観さんがんこれなり。 「散さん」 とは、 初はじめの三福さんぷく業ごうと、 後のちの九く品ぼんの業ごうとこれなり。 この定じょう散さん二に善ぜんのなかに、 もろもろの往おう生じょうの行ぎょうを説とくといへども、 仏ぶつの本願ほんがんはただ名みょう号ごうにあり。 ゆゑに釈しゃ迦か如来にょらい、 ただ名みょう号ごうをもつて阿あ難なん尊者そんじゃに付ふ属ぞくしたまふなり。

▲私ニ云、此ノ中ニ、「定ト」者、始メ自↢日想観↡以来十三観是ナリ也。「散トハ」者、初三福業ト、後ノ九品ノ業ト是也。此ノ定散二善ノ中ニ、雖↠説↢諸ノ往生ノ行ヲ↡、仏ノ本願ハ唯在リ↢名号ニ↡。故釈迦如来、唯以↢名号ヲ↡付↢属阿難尊者ニ↡也。

十五 必具三心

十じゅう五ごに念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ、 かならず三心さんしんを具ぐすべき文もん

十五ニ○念仏ノ行者、必ズ可↠具↢三心ヲ↡之文

善導ぜんどう和か尚しょうの ¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ にいはく、 「かの国くにに生しょうぜんと欲ほっせば、 ¬観かん経ぎょう¼ に説ときたまふがごときは、 三心さんしんを具ぐしてかならず往おう生じょうを得う。 なんらをか三さんとなす。

善導和尚ノ¬往生礼讃¼云、「○欲↠生↢彼国ニ↡者、如↢¬観経ニ¼説ガ↡者、具シテ↢三心ヲ↡必得↢往生↡。何等ヲカ為↠三。

一いちには至し誠じょう心しん。 いはゆる身業しんごうにかの仏ぶつを礼拝らいはいし、 口く業ごうにかの仏ぶつを讃嘆さんだん称しょう揚ようし、 意い業ごうにかの仏ぶつを専念せんねん観察かんざつす。 およそ三業さんごうを起おこすにかならず真実しんじつを須もちゆ。 ゆゑに至し誠じょう心しんと名なづく。

◇一ニハ者至誠心。所謂身業ニ礼↢拝シ彼仏↡、口業ニ讃↢嘆称↣揚シ彼仏ヲ↡、意業ニ専↢念観↣察ス彼仏ヲ↡。凡ソ起スニ↢三業ヲ↡必須ユ↢真実ヲ↡。故名↢至誠心ト↡。

二にには深心じんしん。 すなはちこれ真実しんじつの深信じんしんなり。 自じ身しんはこれ煩悩ぼんのうを具ぐ足そくする凡ぼん夫ぶ、 善根ぜんごん薄はく少しょうにして三界さんがいに流る転てんして、 火か宅たくを出いでずと信しん知ちし、 いま弥陀みだの本ほん弘ぐ誓ぜい願がん、 および名みょう号ごうを称しょうすること下しも十じっ声しょう一いっ声しょう等とうに至いたるまで、 さだめて往おう生じょうを得うと信しん知ちして、 乃ない至し一念いちねんも疑ぎ心しんあることなし。 ゆゑに深心じんしんと名なづく。

◇二ニハ者深心。即是真実ノ深信ナリ。信↧知自身ハ是具↢足煩悩ヲ↡凡夫、善根薄少ニシテ流↢転シテ三界ニ↡、不ト↞出↢火宅ヲ↡、今信↧知弥陀ノ本弘誓願、及ビ称コト↢名号ヲ↡下至マデ↢十声一声等ニ↡、定テ得ト↦往生ヲ↥、乃至一念モ無↠有↢疑心↡。故名↢深心ト↡。

三さんには回え向こう発願ほつがん心しん。 所しょ作さの一切いっさいの善根ぜんごんことごとくみな回えして往おう生じょうを願がんず。 ゆゑに回え向こう発願ほつがん心しんと名なづく。 この三心さんしんを具ぐすればかならず生しょうずることを得う。 もし一心いっしん少かけぬれば、 すなはち生しょうずることを得えず」 と。

◇三ニハ者回向発願心。所作ノ一切善根悉ク皆回シテ願ズ↢往生ヲ↡。故名↢回向発願心ト↡。◇具スレバ↢此ノ三心↡必得↠生也。若少ヌレバ↢一心↡、即不↠得↠生コトヲ。」

十六 不簡下智

十じゅう六ろくに下智げち・破は戒かい等とうを簡えらばず、 弥陀みだの本願ほんがんによりてただ名みょう号ごうを念ねんずれば往おう生じょうを得うる文もん

十六ニ不↠簡↢下智・破戒等ヲ↡、依テ↢弥陀ノ本願ニ↡唯念ズレバ↢名号ヲ↡得ル↢往生ヲ↡之文

法ほっ照しょう禅ぜん師じの ¬五会ごえ法ほう事じ讃さん¼ (巻本) にいはく、 「かの仏ぶつ因いん中ちゅうに弘ぐ誓ぜいを立たつ。 名なを聞ききてわれを念ねんぜばすべて来迎らいこうせん。 貧びん窮ぐと富貴ふきとを簡えらばず、 下智げちと高才こうざいとを簡えらばず、 多た聞もんと浄じょう戒かいを持たもつを簡えらばず、 破は戒かいと罪根ざいごんの深ふかきとを簡えらばず。 ただ回え心しんして多おおく念仏ねんぶつせしむれば、 よく瓦が礫りゃくをして変へんじて金こがねとならしめん」 と。

○法0240照禅師ノ¬五会法事讃ニ¼云、「彼ノ仏因中ニ立↢弘誓↡。聞テ↠名念ゼバ↠我ヲ総テ来迎セン。不↠簡↣貧窮ト将↢富貴↡、不↠簡↣下智ト与↢高才↡、不↠簡↣多聞ト持↢浄戒↡、不↠簡↢破戒ト罪根ノ深トヲ↡。但使↢回心多念仏↡、能令ン↢瓦礫ヲシテ変ジテ成↟金。」

十七 時節延促

十じゅう七しちに浄じょう業ごうを修しゅ行ぎょうする時じ節せつ延促えんそくの文もん

十七ニ修↢行スル浄業ヲ↡時節延促ノ之文

¬観かん経ぎょうの疏しょ¼ の第だい四し (散善義) にいはく、 「上かみ一いち形ぎょうを尽つくし下しも一日いちにち・一いち時じ・一念いちねん等とうに至いたる。 あるいは一念いちねん・十じゅう念ねんより一いち時じ・一日いちにち・一いち形ぎょうに至いたる。 大たい意いは、 一ひとたび発心ほっしんして以後いご、 誓ちかひてこの生しょうを畢おふるまで退転たいてんあることなし。 ただ浄じょう土どをもつて期ごとなす」 と。

¬観経ノ疏ノ¼第四云、「▲上 ミ尽シ↢一形ヲ↡下至↢一日・一時・一念等↡。或ハ従↢一念・十念↡至↢一時・一日・一形↡。大意ハ者、一タビ発心シテ已後、誓テ畢↢此生ヲ↡無↠有↢退転↡。唯以↢浄土↡為↠期ト。」

建仁けんにん四し年ねん二に月がつ十じゅう七日しちにち、 黒谷くろだに上しょう人にん伊豆いず山さんの源延げんえんがために集あつめらるるところの要文ようもんなり。 わたくしにいはく、 二に月がつ二に十じゅう日にちに元げん久きゅうと改あらたむ。

建仁四年二月十七日、黒谷上人為 メニ↢伊豆山源延ガ↡所 ロノ↠被↠集之要文也。私云、二月廿日改ム↢元久ト↡。▽