0325観無量寿経釈 諸師解釈雖↠多、今正依善導、傍以↢諸師釈↡輔↢助善導↡ 云云

天臺黒谷沙門源空記

 

まさにこの ¬きょう¼ をしゃくせんとするに、りゃくして五意ごいあり。いちにはぜんさだむ、にはらいさんには釈名しゃくみょうにはぜんしゃくす、にはにゅうもんしゃく

↠釈ント↢此¬経¼↡、略シテ有↢五意↡。一ニハ定↢前後↡、二ニハ来意、三ニハ釈名、四ニハ釈↢二善義↡、五ニハ入文解釈。

定前後

いちじょうぜんとは、¬寿じゅきょう¼・¬かんぎょう¼ のぜんひそかにもつてさだめがたし。いまいちによるに、さきに ¬寿じゅきょう¼ のちにこの ¬きょう¼、もんありあり。

定前後者、¬寿経¼・¬観経¼之前後、暗難↠定。今依↢一意↡、先¬寿経¼後此¬経¼、有↠文有↠理。

まづもんとは、これにまたさんあり。いち華座けざかんもん (観経) にいはく、「法蔵ほうぞう比丘びく願力がんりきしょじょう」 と。いまこのもんによるに、さきに ¬寿じゅきょう¼ かのがんき、いまかれをして 「願力がんりきしょじょう」 といふ。ゆゑにりぬ ¬寿じゅきょう¼ はさき、この ¬きょう¼ はのちなり。ちゅうはいしょうもん (観経) にいはく、「なんびゃくぶつ法蔵ほうぞう比丘びくじゅうはち大願だいがん」 と。 さんに ¬双巻そうかんぎょう¼ (大経) じょうもんにいはく、「なんぶつにまうさく、法蔵ほうぞうさつすでにじょうぶつしてめつりたまうとやせん、いまだじょうぶつしたまはずとやせん、いまげんにましますとやせんと。ぶつなんげたまはく、法蔵ほうぞうさつ、いますでにじょうぶつしてげん西方さいほうにまします。ここをることじゅうまん億刹おくせつ。そのぶつかいづけて安楽あんらくといふ」 と。

先文者、此↠三。一華座観云、「法蔵比丘願力所成」。依↢此↡、前¬寿経¼説↢彼願↡、今指↠彼云↢「願力所成」↡。故¬寿経¼前、此¬経¼後也。二中輩下生云、「阿難白仏、法蔵比丘四十八大願。」¬双巻経¼上云、「阿難白↠仏、法蔵菩薩為↣已成仏而取↢滅度↡、為↠未↢成仏↡、為↢今現在↡。仏告↢阿難↡、法蔵菩薩、今已成仏現在↢西方↡。去↠此十万億刹。其仏世界名曰↢安楽↡。」

つぎありとは、¬寿じゅきょう¼ のなかにかのぶつ発心ほっしんしゅぎょうしょうほうく、いまの ¬きょう¼ にかのしょうせつにつきて、このじゅう三観さんがんといふ。ゆゑにりぬ ¬寿じゅ¼ ぜん ¬かん¼ なり。

リト↠理者、¬寿経0326¼中説↢彼仏発心修行・依正二報↡、今¬経¼付↢彼依正之説↡、云↢此十三観↡。故¬寿¼前¬観¼後也。

来意

らいとは、すでにかの ¬きょう¼ はさき、この ¬きょう¼ はのちなり。これによりてらいあるべし。かれぶついんくといへどもいまだぎょうじゃ修因しゅいんかんかず。ゆゑにつぎぶつ修因しゅいんかんぎょうじゃ修因しゅいんかんきたる。またかの ¬きょう¼ に三品さんぼんおうじょうくといへども、いまだぼんかず。いま三品さんぼんひらかんがためにぼんとなす、この ¬きょう¼ きたるなり。これにまた多義たぎあり 。「ぶつ」 とは

来意者、既¬経¼前、此¬経¼後也。依↠之可↠有↢来意↡。彼雖↠説クト↢仏因果↡未↠説↢行者修因感果↡。故仏修因感果、行者修因感果来。¬経¼雖↠説↢三品往生↡、未↠説↢九品義↡。今為↠開↢三品↡為↢九品↡、此¬経¼来也。此又有↢多義↡ 。「仏」者

釈名

さんには釈名しゃくみょうとは、¬かんりょう寿じゅきょう¼ のしゃくするなり。「かん」 とは、能観のうかんすなはちじゅう三観さんがんつうず。「りょう寿じゅ」 とは、所観しょかんきょうなり。すなはちだい一観いっかんなり。所観しょかんきょうじゅうさんありといへども、りょう寿じゅげてじゅうせっす。いはくりょう寿じゅとは、これかのきょうしゅ弥陀みだ如来にょらいしょうぼうしんなり。しょうぼうあればかならずほう宝樹ほうじゅほうあるべきがゆゑに、しょうげてせっす。またりょう寿じゅとは、これかのきょうしゅきょうしゅあればかならず眷属けんぞく観音かんのんせいとうあるべきがゆゑに、きょうしゅげてはんせっす。「きょう」 とは

ニハ釈名者、釈↢¬観無量寿経¼名↡也。「観」者、能観即通↢十三観↡。「無量寿」者、所観之境也。即第九一観也。所観雖↠有リト↢十三↡、挙↢無量寿↡摂↢余十二↡。謂無量寿者、教主弥陀如来正報之身也。有↢正報↡必可↠有↢依報之宝樹・宝池↡故、挙↠正摂↠依無量寿者、彼土教主、有レバ↢教主↡必可↠有↢眷属之観音・勢至等↡故、挙↢教主↡摂↠伴。「経」者

料簡定散二善

にはじょうさんぜんりょうけんすとは、おうじょうごうおおしといへども、じょうさんでず。ゆゑにすべからくしゃくすべきもんにいはく、さきにかならずこれをりょうけんすと。じょうぜんじゅうさんあり。いはく日想にっそうない雑想ざっそうかんなり 散善さんぜん三福さんぷくありぼんあり。三福さんぷくとは ぼんとは つぎじょうとはすなはちおもいをこころらす、ゆゑにじょうといふ。これにすなはちじゅうさんあり。さんとはすなはちあくはいしもつてぜんしゅす、ゆゑにさんといふ。また三福さんぷくぼんあり

ニハ料↢簡スト定散二善↡者、往生業雖↠多シト、不↠出↢定散↡。故須↠釈文云、前必料↢簡之↡。定善有↢十三↡。謂日想乃至雑想観也 。散善有↢三福↡有↢九品↡。三福。九品。次者則息↠想凝↠心、故云↠定。此即有↢十三↡。散0327即廃↠悪以修↠善、故云↠散有↢三福・九品↡

入文解釈

にはにゅうもんしゃくとは、善導ぜんどうこころによるに、この ¬きょう¼ にりょうしょ二会にえせつとなす。いちにはおうにはしゃ崛山くっせんなり。

ニハ入文解釈者、依↢善導御意↡、此¬経¼為↢両処二会之説↡。一ニハ王宮会、二ニハ耆闍崛山会也。

入文解釈 王宮会

おうにつきて、わかちてだんとなす。はじめ 「にょもん」 より 「うんけん極楽ごくらくかい」 にいたるこのかたは、これ序分じょぶんなり。に 「仏号ぶつごうだいにょぎゅうしゅじょう」 より以下いげぼんしょうもんいたる、これ正宗しょうしゅうなり。さんに 「せつ是語ぜご」 より 「諸天しょてん発心ほっしん」 にいたる、これ得益とくやくぶんなり。に 「なんびゃくぶつ」 よりしもだいとうかん」 にいたる、これずうぶんなり。じょうおう

付↢王宮会↡、分為↢四段↡。初自↢「如是我聞」↡至↢「云何見極楽世界」已序分也。二従↢「仏号韋提汝及衆生」↡已下訖↢于下品下生之文↡、正宗也。三従↢「説是語時」↡訖↢于「諸天発心」↡、得益分也。四従↢「阿難白仏」↡下訖↢于「韋提等歓喜」↡、流通分也。已上王宮会

つぎりょうぜんにつきて、また三分さんぶんあり。つぶさにはきょうもんのごとし。りょうぜん三段さんだんには別体べったいなし、かえりておうおうにつきて、だんあり。いちには序分じょぶんには正宗しょうしゅうぶんさんには得益とくやくぶんにはずうぶんなり。得益とくやくぶんをもつて正宗しょうしゅうぶんぞく

付↢霊山会↡、有↢三分↡。具ニハ如↢経文↡。霊山会三段ニハ無↢別体↡、還述↢王宮会↡ 。付↢王宮会↡、有↢四段↡。一ニハ序分、二ニハ正宗分、三ニハ得益分、四ニハ流通分也。以↢得益分↡属↢正宗分

入文解釈 王宮会 序分

じょにつきて通序つうじょあり別序べつじょあり。通序つうじょとは 「にょとう五句ごくなり 別序べつじょとはきょうしたがひて各別かくべつなり。¬浄名じょうみょうきょう¼ のごときは 。¬法華ほけきょう¼ のごときは こん ¬ぎょう¼ は闍王じゃおう造逆ぞうあくだいえん穢土えどごんじょうをもつて別序べつじょとしてこれをく。

付↠序有↢通序↡有↢別序↡。通序者「如是」等五句 。別序者随↠経各別ナリ。如↢¬浄名経¼↡ 。如↢¬法華経¼↡ 。今¬経¼以↢闍王造逆・韋提厭離穢土欣求浄土↡為↢別序↡説↠之。

入文解釈 王宮会 正宗分

はじめの正宗しょうしゅうにつきて、あり。いちにはじょうぜんぶんには散善さんぜんぶん

付↢正宗↡、有↠二。一ニハ定善分、二ニハ散善分。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善

じょうぜんにつきて、じゅうさんあり。いちには日想にっそうかんには水想すいそうかんさんにはそうかんには宝樹ほうじゅかんにはほうかんろくには宝楼ほうろうかんしちには華座けざかんはちには像想ぞうそうかんには真身しんしんかんじゅうには観音かんのんかんじゅういちにはせいかんじゅうにはかんじゅうさんには雑想ざっそうかんなり。

付↢定善↡、有↢十三↡。一ニハ日想観、二ニハ水想観、三ニハ地想観、四ニハ宝樹観、五ニハ宝池観0328、六ニハ宝楼観、七ニハ華座観、八ニハ像想観、九ニハ真身観、十ニハ観音観、十一ニハ勢至観、十二ニハ普観、十三ニハ雑想観也。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 日想観

いち日想にっそうかんとは、まずきょうもんさんじ、つぎようりてこれをしゃくすべし

日想観者、先讃↢経文↡、次取↠要可↠釈↠之

ひていはく、なんがゆゑぞるや。こたふ。これにさんあり。いちにはこれるに 「とうりょうらず、春秋しゅんじゅう二時にじる」 (定善義) こころ極楽ごくらくのまさしきかたらしめんとす。にはざいしょう軽重きょうじゅうらしめんとす。ざいしょうさんあり。「いちにはこくしょう黒雲こくうんふるがごとし。にはおうしょう黄雲おううんふるがごとし。さんには白障びゃくしょうびゃくうんふるがごとし」 と。(定善義) ぎょうじゃもしこのそうげんぜば、すべからくくざいしょうさんすべし さんには極楽ごくらくこうみょうとうげんずるとらしめんとす 道啼どうたいのごとし日想にっそうかんしゅするは、じきのぞ行住ぎょうじゅう坐臥ざがもし観想かんそうせしむれば、はじめの観想かんそうなんぞこれをじょうじゅせざらんや。

、何ルヤ↠日。答。有↢三意↡。一ニハ此観↠日「不↠取↢冬夏両時↡、取↢春秋二時↡」意、為↠令↠知↢極楽之正方↡。二ニハ為↠令↠知↢罪障軽重↡。罪障有↠三。「一ニハ黒障、如↢黒雲障↟日。二ニハ黄障、如↢黄雲障↟日。三ニハ白障、如↢白雲障↟日。」行者若想現、須↣懺↢悔罪障↡ 。三ニハ為↠令↠知↢極楽光明等現↡ 如道啼。修↢日想観↡、除↢食時↡行住坐臥若令↢観想↡、始観想何不↣成↢就之↡哉。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 水想観

水想すいそうかんとは、まづ ¬きょう¼ (観経) に 「水想すいそう」 とは、かみ日想にっそうのごとき、閉目へいもく開目かいもくにすなはち日輪にちりんる。いまこの水想すいそう、すなはち行住ぎょうじゅう坐臥ざがせつごんはず、閉目へいもく開目かいもくにまたみず観察かんざつするなり つぎ弘法こうぼうだいでんにいはく、「にゅう水想すいそうかん」 と。 つぎ日想にっそうのちみずかんずるよししゃくすべし。¬しょ¼ (定善義意) に 「ひていはく、つぎになんがゆゑぞみずるや。こたふ。日輪にちりんて、かのかいじょうあらわす。いまみずてかの瑠璃るり平正びょうしょうあらわす」 と。

水想観者、先¬経¼「水想」者、如↢上日想↡、閉目・開目即観↢日輪↡。今此水想、即行住坐臥不↠問↢時節久近↡、閉目・開目観↢察水↡也 。次弘法大師云、「入水想観。」可↠釈↢日想之後観↠水之由↡。¬疏¼「問曰、次ルヤ↠水。答。観↢日輪↡、表↢彼界長暉↡。今観↠水彰↢彼瑠璃地平正↡。」

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 地想観

さんそうとは、まづきょうもんつぎに ¬しょ¼ (定善義) 修観しゅかんほうしゃくす。ほうは 「すなはちじょうしょかひ、おもて西方さいほうけてしょう跏趺かふす、さきほう一同いちどうなり。すでにこころじゅうしおはりて徐々じょじょこころてんじ、かのほうおもふ、雑色ざっしきぶんみょうなり。

地想者、先経文。次¬疏¼釈↢修観法↡。法「即向↢静処↡、面向↢西方↡正坐0329跏趺、一↢同前法↡。既住↠心已徐徐転↠心、想↢彼宝地↡、雑色分明。

初想しょそうきょうおもふことをず、すなはちじょうがたし。ただ方寸ほうすんいっしゃくとうなり。あるいは一日いちにちにち三日さんにち、あるいはろく七日しちにち、あるいは一月いちがつ一年いちねんねん三年さんねんとうけんにち行住ぎょうじゅう坐臥ざがしん口意くいごうつねにじょうがっす。

初想不↠得↠想↢多境↡、即難↠得↠定。唯方寸・一尺等。或一日・二日・三日、或四・五・六・七日、或一月・一年・二年・三年等、無間日夜、行住坐臥身口意業常与↠定合。

ただまんともにて、よりてしつ聾盲ろうもうにんのごとくせば、このじょうかならずすなはちやすし。もしかくのごとくせざれば、三業さんごう随縁ずいえんしてじょうてんじ、おもひつひに波飛はひす。たとひ千年せんねん寿いのちつくすとも、法眼ほうげんいまだかつてひらけず。

唯万事倶捨、由如↢失意・聾盲・痴人↡者、此定必即易↠得。若レバ↠如↠是、三業随縁転↠定、想遂波飛。縦尽↢千年寿↡、法眼未↢会開↡。

もしこころじょうとき、あるいはまづあきらかにそうあらわるることあり、あるいはまづほうとう種々しゅじゅぶんみょう思議しぎなるものをるべし。しゅけんあり。いちには想見そうけん。なほかくするがごときゆゑに、浄境じょうきょうるといへどもいまだおお明了みょうりょうならず。にはもしないかくめっしすなはちしょうじゅ三昧ざんまいれば、所見しょけん浄境じょうきょうすなはち想見そうけんにあらず、きょうとなすことをず」 と。

心得↠定時、或先有↢明想現ルコト↡、或先可↠見↢宝地等種種文明不思議者↡。有↢二種見↡。一者想見。猶如↢知覚↡故、雖↠見↢浄境↡未↢多明了↡。二者若内外覚滅即入↢正受三昧↡、所見浄境即非↢想見↡、得↠為↢比校↡也。」

つぎにただこのかんによりておうじょうむねあるべし くわしくはきょうもんよ。かみ日想にっそう水想すいそうかんのうなし。つぎに ¬双巻そうかん¼ に七宝しっぽうくといへども、いまだかんおうじょうむねかず、ただかのそうていまだむねらず。しかるにいまこの ¬きょう¼ にいたとき、はじめてかんおうじょうむね。ゆゑにりぬおうじょうぎょう、ただかのぶつねんずるにああず、またかのかんずまたこれおうじょう極楽ごくらく業因ごういんなることを。つぎしも宝樹ほうじゅほうとうまたかくののとし。

依↢此観↡可↢往生之旨↡ 。委見↢経文↡。上日想・水想二観無↢功能↡。次¬双巻¼雖↠説↢七宝地↡、未↠説↢観地往生之旨↡、唯見↢彼相↡之未↠知↢此↡。然今至↢此¬経¼↡之時、始知↢観地往生之旨。故往生之行、唯非↠念↢彼仏名↡、観↢彼地↡往生極楽業因之事。次以↢下宝樹・宝池等↡亦復如↠是

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 宝樹観

宝樹ほうじゅかんとは、まづらい つぎきょうもんつぎしちじゅう行樹ごうじゅつぎ修観しゅかん逆順じゅんぎゃくつぎかんどくかみそうれいしてこれをるべし。つぎに ¬双巻そうかん¼ のなか七宝しっぽう行樹ごうじゅくといへども、いまだ樹観じゅかんおうじょうむねかず

宝樹観者、先来意 。次経文。次七重行樹義、次修観逆順之義、次観功徳、例↢上地想↡可↠知↠之。次¬双巻¼中雖↠説↢七宝行樹↡、未↠説↢樹観往0330生之旨

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 宝池観

ほうかんとは、まずらい 。「宝樹ほうじゅしょうなりといへどもすいなくはいまだからず。いちくうかいのため、しょうごんほうのためなり。こののためにゆゑにほうかんあり」 と (定善義) つぎにこのかんなかいけあり、これにじゅんじてよしあり 。またはっあり つぎ尋樹じんじゅじょう つぎかんじょう さきじゅんじてまたゆいしょうじゅ二義にぎあり。ゆいとは、閉目へいもく開目かいもくゆいしてこれをる、ゆいせざればず。しょうじゅとは、ゆいによらず つぎかんのうかんじゅんず。つぎに ¬双巻そうかん¼ のなかほうくといへども

宝池観者、先来意 。「宝樹雖↠精無↢池水↡未↠好。一為↢不空世界↡、二為↢荘厳依報↡。為↢此義↡故有↢宝渠観↡」。次観之中有↠池、有↢准↠之由↡ 。又有↢八池之義↡ 。次尋樹上下之義 。次観成之義 。准↠前有↢思惟・正受二義↡。思惟者、閉目・開目思惟見↠之、不↢思惟↡而不↠見。正受者、不↠由↢思惟↡ 。次観功能準↢地観↡。次¬双巻¼中雖↠説クト↢宝池

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 宝楼観

ろく宝楼ほうろうかんとは、まづらい 。「かのじょうほうありといへども、宝楼ほうろうなくは、かくまたへんなり」(定善義意) つぎかんじょうにまたあり。さきじゅんじてこれをるべし つぎかんのう しゃくもんるべしつぎに ¬双巻そうかん¼ に殿でんとうくといへどもなし

宝楼観者、先来意 。「彼浄土雖↠有リト↢宝池↡、無↢宝楼↡、宮閣無辺」(定善義意) 。次観成亦有↠二。准↠前可↠知↠之 。次観功能 可↠見↢釈文。次¬双巻¼雖↠説↢宮殿等↡無

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 華座観

しち華座けざかんとは、これにつきてあり。いちにはらいにはまさしく観相かんそうべんず、さんにはじゃしょうかす、にはやくかす、にはゆいしょうじゅ

華座観者、付↠此↠五。一ニハ来意、二ニハ正辨↢観相↡、三ニハ明↢邪正↡、四ニハ明↢利益↡、五ニハ思惟正受

いちらい あり。いちにはかみつういまべつにはかみほうしもしょうぼう

来意 。有↠二。一ニハ通依、今別依。二ニハ依報、下正報。

観相かんそうべんずとは、これすなはち大宝だいほうれんおうかんずるなり。これにつきて ¬きょう¼ によるにあり。いちにはようそうにはだいそうさんにはだいじょうにはちゅう宝幢ほうどういちようそうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「そのれん一々いちいちようひゃっ宝色ぽうじきをなさしめ、ないあまねくじょうおおふ」 と。 だいそうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「しゃりょうほう、もつてそのうてなとなす」 と。 さんにはだいじょうにはちゅう宝幢ほうどうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「そのだいじょうにおいて」 と。

辨↢観相↡者、観↢大宝蓮華王↡也。付↠之ルニ↠¬経¼有↠四。一ニハ華葉相、二ニハ華台相、三ニハ台上、四ニハ柱宝幢。一華葉相者、¬経¼云、「令↣其蓮華一一葉作↢百宝色↡、乃至徧覆↢地上↡。」華台相者、¬経¼云、「釈迦0331毘楞伽宝、以為↢其台↡。」ニハ台上。四ニハ柱宝幢者、¬経¼云、「於↢其台上↡。」

さんにはじゃしょうかすとは

ニハ明↢邪正↡者

やくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「万劫まんこうしょうつみ滅除めつじょし、かならずさだめてまさに極楽ごくらくかいしょうずべし」 と。 このもんにつきてやくあり。いちには滅罪めつざいにはおうじょう

利益者、¬経¼云、「滅↢除五万劫生死之罪↡、必定当↠生↢極楽世界↡。」 付↢此↡有↢二益↡。一ニハ滅罪、二ニハ往生

ゆいしょうじゅとは つぎ華座けざ在処ざいしょ、善導善導ぜんどう (法事讃巻下) のいはく、「弥陀みだしゅしんあたりてしたまふ。だいひとりはるかにもつともしょうとなす」 と。 しん (六時讃) ちゅうおうさいじょうじょう」 と。

思惟正受。次華座在処、善導、「弥陀化主当↠心坐。華台独廻最為↠精。」 恵心「中央最上地上。」

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 像想観

はち像想ぞうそうかんとは、これにつきてまたあり。いちにはらいには観相かんそうべんず、さんにはじゃしょうかす、にはやくにはゆいしょうじゅ

像想観者、付↠之亦有↠五。一ニハ来意、二ニハ辨↢観相↡、三ニハ明↢邪正↡、四ニハ利益、五ニハ思惟正受。

いちらいとは、かみにすでに想観そうかんす、いまはすべからくかの真仏しんぶつそのうえしたまふをかんずべし。しかるに初心しょしんひとただちに真仏しんぶつかんずることあたはざるがゆゑに、まずぎょうぞうかんず、あるいはひと初心しょしんひとなりといへども、ぎょうしたがひてまたただちに真仏しんぶつかんぜよ。ゆゑに ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ (意) なかに 「じきに真仏しんぶつかんず」 と。 そのむね ¬観仏かんぶつ三昧ざんまいきょう¼ とう

来意者、上既想↢観座↡、今↠観↣彼真仏坐↢其↡。然ルニ初心之人直不↠能↠観↢真仏↡故、先観↢形像↡、或人雖↢初心之人リト↡、随↢意楽観↢真仏↡。故¬観念法門¼中「直観↢真仏↡。」旨見↢¬観仏三昧経¼等

にまさしく観相かんそうべんずとは、これにつきてさんあり。いちには仏像ぶつぞうそうにはさつ像想ぞうそうさんにはしん像想ぞうそう

正辨↢観相↡者、付↠之↠三。一ニハ仏像想、二ニハ二菩薩像想、三ニハ多身像想。

いち仏像ぶつぞうそうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「まずぞうおもふべし。ひらき、いち宝像ほうぞうえんだん金色ごんじきのごとき、かのじょうしたまふをる」 と。 善導ぜんどう (定善義意) のいはく、「いち金像こんぞうにおいて、逆順ぎゃくじゅんにこれを観想かんそうし、頂上ちょうじょうよりそく千輻せんぷくりんいたる、これをづけてじゅんとす。千輻せんぷくりんより頂上ちょうじょういたる、これをづけてぎゃくかんとす。かくのごとき逆順ぎゃくじゅんにこれをかんずれば、ひさしからずしてかならずじょうじゅすることを」 と。 これすなはち弥陀みだ像想ぞうそうなり。

仏像想者、¬経¼云、「先当↠想↠像。閉↠目開↠目、見↧一宝像如↢閻浮檀金色↡、坐↦彼華上↥。」 善導、「於↢一金像↡、逆順観想之、自↢頂上↡至↢足下千輻輪↡、名↠之為↠順。自↢千輻輪↡至↢頂上↡、名↠之為↢逆観↡。如↠是逆順観↠之、不↠久カラ必得↢成就コトヲ↡。」 弥陀像想也。

観音かんのんせい像想ぞうそうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「このおはりて、またまさにさらにいちだいれんをなしてぶつへんけ。さきれんのごとく、ひとしくしてことなることあることなし。またいちだいれんをなしてぶつへんけ」 と。 これすなはちまづさつ華座けざかんずるなり。また ¬きょう¼ (観経) にいはく、「いちかんおんさつぞうひだり華坐けざしたまふとおもへ。また金光こんこうはなちて、さきのごとくことなることなし」 と。 これすなはち観音かんのん像想ぞうそうなり。またいはく、「いちだいせいさつぞうみぎ華坐けざしたまふとおもへ」 と。 これすなはちせい像想ぞうそうなり。さき仏観ぶつかんじゅんじて、さつにおいておのおのまず像想ぞうそうかんしゅすべし、かんじょうのちまたさつぎょうぞうかんずべし

観音・勢至像想0332、¬経¼云、「見↢此事已↡、復当↧更作↢一大蓮華↡在↦仏左辺↥。如↢前蓮華↡、等無↠有↠異。復作↢一大蓮華↡在↢仏右辺↡。」 先観↢二菩薩華座↡也。又¬経¼云、「想↣一観世音菩薩像、坐↢左華坐↡。亦放↢金光↡、如↠前無↠異。」 観音像想也。、「想↣一大勢至菩薩像、坐↢右華坐↡。」 勢至像想也。準↢前仏観↡、於↢二菩薩↡各先可↠修↢像想観↡、観成之後可↠観↢二菩薩形像

しん像想ぞうそうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「一々いちいちじゅにまたさんれんあり。もろもろのれんうえに、おのおの一仏いちぶつさつぞうあり、あまねくかのくにつ」 と。 このもんをもつてこれをあんずるに、像想ぞうそうかんただいちかぎらず、三尊さんぞんりょう三像さんぞうそうあり。れいせばしゃ像想ぞうそうかんのごとし 。そのむね ¬観仏かんぶつ三昧ざんまいきょう¼ にえたり

多身像想者、¬経¼云、「一一樹下復有↢三蓮華↡。諸蓮華上、各有↢一仏・二菩薩像↡、徧満↢彼国↡。」 以↢此↡安ルニ↠之、像想観不↠限↠一、三尊有↢無量三像想↡。例セバ如↢釈迦像想観。其旨見タリ↢¬観仏三昧経¼↡

さんにはじゃしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「しゅ多羅たらがつせしめよ。もしがっせずは、づけて妄想もうぞうとなす。もしがっすることあらば、づけてほぼ極楽ごくらくかい想見そうけんすとなす」 と。

ニハ邪正者、¬経¼云、「令↧与↢修多羅↡合↥。若不↠合者、名為↢妄想↡。若有↠合者、名為↣粗想見↢極楽世界↡。」

やくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「このかんをなせば、りょう億劫おくこうしょうつみのぞき、現身げんしんうちにおいて念仏ねんぶつ三昧ざんまい」 と。このもんやくあり

利益者、¬経¼云、「作↢是観↡者、除↢無量億劫生死之罪↡、於↢現身中↡得↢念仏三昧↡。」此↢二益↡

ゆいしょうじゅとは 善導ぜんどう (定善義) のいはく、「これすなはちぐんじょうさわおもくして、真仏しんぶつかんかなひがたし。これをもつてだいしょうあわれみをれて、しばらくこころぎょうぞうそそがしむ」 と。 またいはく、「じゅう三観さんがんなかに、このほう金像こんぞうとうかん最要さいようなり。もしひとおしへんとほっせば、すなはちこのほうおしへよ。ただ一法いっぽうじょうぜば、かんすなはちねんりょうするなり」 と。

思惟正受。善導、「乃群生障重シテ、真仏之観難↠階。是大聖垂↠哀、且遣↠注↢心形像↡。」 又云、「十三観、此宝華・金像等観最要。若欲↠教↠人、即教↢此法↡。但一法成者、余観即自然0333了也。」

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 真身観

仏身ぶっしんかんとは、これにつきてあり。いちには結前けつぜんしょう またらいづくにはまさしく観相かんそうべんず、さんにはじゃしょうかす、にはかんやくかす、にはゆいしょうじゅ

仏身観者、付↠此有↠五。一ニハ結前生後 亦名↢来意↡、二ニハ正辨↢観相↡、三ニハ明↢邪正↡、四ニハ明↢観利益↡、五ニハ思惟正受。

いち結前けつぜんしょうとは、ぎょうぞうかんずるは、もとこれ真仏しんぶつかんぜんがためなり。観像かんぞうすでにおはれば、しんかんぜよ。真像しんぞういでにこれありて、ぞうまことにきた。またあるいは初心しょしんねがひにしたがひてただちに真仏しんぶつかんぜよ、このゆゑにまたこれをかす

結前生後者、観↢形像↡、本是為↠観↢真仏↡也。観像既観↠真。真像有↢次之↡、像真来 。又或初心随↠楽観↢真仏↡、是明↠之

にまさしく観相かんそうべんずとは、これにつきてじゅうさんあり。いちにはしんりょうだいしょうには身色しんじきどうさんには毫相ごうそうどうには眼相げんそうだいしょうにはもうこうだいしょうろくには円光えんこうだいしょうしちにはぶつしょうはちにはしゃしょうにはそうしょうじゅうにはこうしょうじゅういちにはひかりしょうじゅうにはこうしょう遠近おんごんじゅうさんにはこうみょうしょうやく

正辨↢観相↡者、付↠此↢十三↡。一ニハ身量大小、二ニハ身色不同、三ニハ毫相不同、四ニハ眼相大小、五ニハ毛孔光大小、六ニハ円光大小、七ニハ化仏多少、八ニハ侍者多少、九ニハ相多少、十ニハ好多少、十一ニハ光多少、十二ニハ光照遠近、十三ニハ光明摂益

いちにはしんりょうだいしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「仏身ぶっしんたけろくじゅう万億まんおく」 と。 諸仏しょぶつしんりょうしたがひてじょうたんどうなり。しばらく七仏しちぶつしんりょうのごとし、またじょうたんどうなり。

ニハ身量大小者、¬経¼云、「仏身高、六十万億。」 諸仏身量随↠機長短不同也。且如↢七仏身量↡、長短不同也。

七仏しちぶつといふは、はじめに毘婆びばぶつしんりょうたけろくじゅうじゅんつぎ尸棄しきぶつたけじゅうじゅん前仏ぜんぶつよりいまげんずることじゅうじゅんつぎ拘留くる孫仏そんぶつたけじゅうじゅんげんずること前仏ぜんぶつよりじゅうじゅんつぎ拘耶くなごん牟尼むにぶつたけじゅうじゅん しゃこれをかんがふべしつぎしょうぶつたけじゅうろくじょうつぎしゃじょうろく当来とうらいろくたけ百丈ひゃくじょうのごとし 七仏しちぶつなか最高さいこう毘婆びばぶつなり。しかりといへどもわずかにろくじゅうじゅんといふなり。これそのしんりょうだいしょうなり。

云↢七仏↡者、初毘婆尸仏身量、長六十由旬。次尸棄仏身長四十由旬、前仏今減二十由旬。次拘留孫仏身長二十五由旬、減事前仏十五由旬。次拘耶含牟尼仏身長十五由旬 毘沙陀可↠勘↠之。次迦葉仏身長十六丈。次釈迦丈六。如↢当来弥勒身長百丈。七仏之中最高毘婆尸仏也。雖↠然云↢六十由旬↡也。身量大小也。

身色しんじきどうとは、しんりょうだいしょうどうなりといへども、七仏しちぶつおなじくこん法園ほうおん珠林じゅりんなり。道世どうせいしゃくして (法苑珠林巻八) いはく、「うやまひてたずぬらく、法身ほっしんびょうどうにしてこれれつあることなし。ただしたがごうことなるがゆゑにげんどうなり。これをもつてしゃ牟尼むにぶつしゅっ金色こんじきにして、もつぱら比丘びくみな赫容かくようる、じゅうろくしんろんじて灰色はいいろる。因業いんごうことなりとるも、ぶつつねに一色いちじきなり。るいしていはば、いはくまどひなきものなり」 と。 いま弥陀みだ如来にょらいえん檀金だんごん えん檀金だんごん紫磨しまごんどうなり

0334身色不同者、身量大小雖↢不同ナリト↡、七仏同紫金之法園珠林也。道世釈 (法苑珠林巻八) 云、「敬尋、法身平等無↣是有↢優劣↡。但随↠機業異故現化不同ナリ。是釈迦牟尼仏出世紫金色、而専比丘咸見赫容、十六信士論視灰色。因業見↠異ナリト、仏恒一色也。類比而言、謂無↠惑者焉也。」 今弥陀如来閻浮檀金 。閻浮檀金与↢紫磨金↡同異

さん毫相ごうそうだいしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「けんびゃくごうせん婉転えんでんすること、しゅせんのごとし」 と。 毫相ごうそうだいしょうとはしたがひておな。しばらくしゃびゃくごうのごとし、しょきょうにいはく、「一寸いっすんしゅう三寸さんすん」 と。

毫相大小者、¬経¼云、「眉間白毫、右旋婉転、如↢五須弥山↡。」 毫相大小者随同 。且如↢釈迦白毫↡、諸経云、「一寸、周囲三寸。」

には眼相げんそうだいしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「仏眼ぶつげんにょだい海水かいすい青白しょうびゃくぶんみょう」 と。 諸仏しょぶつ眼相げんそう随仏ずいぶつだいしょうどうなり けんひとだいをもつてしとす。¬西遊さいゆう¼ にいはく

ニハ眼相大小者、¬経¼云、「仏眼如四大海水、青白文明。」 諸仏眼相、随仏大小不同也 。世間人眼以↠大為↠好之。¬西遊¼云

にはもうこうだいしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「のもろもろのもうよりこうみょう演出えんすいす、しゅせんのごとし」 と。 善導ぜんどうしゃくして (定善義) いはく、「これもうこうだいしょうかす」 と。 あるひとしゃくしていはく あんにいはく、おそらくはこれ遍身へんしんこうか。遍身へんしんこうにおいて、諸仏しょぶつだいしょうどうなり。毘婆びばぶつのごとし 尸棄しきぶつ遍身へんしんこうひゃくじゅん。かくのごとく七仏しちぶつ身光しんこうだいしょうどうなり。

ニハ毛孔光大小者、¬経¼云、「身諸毛孔演↢出光明↡、如↢須弥山↡。」 善導釈云、「此明↢毛孔光大小↡。」人釈云 。愚案云、恐クハ遍身光歟。於↢遍身光↡、諸仏大小不同也。如↢毘婆尸仏↡ 。尸棄仏遍身光百由旬。如↠是七仏身光、大小不同也。

ろく円光えんこうだいしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「かのぶつ円光えんこうひゃくおく三千さんぜん大千だいせんかいのごとし」 と。 これすなはちかのぶつうなじ円光えんこうなり 。もろもろの円光えんこうだいしょうどうなり。毘婆びばぶつ円光えんこうひゃくじゅうじゅん尸棄しきぶつ円光えんこうじゅうじゅんしゃぶつじゅうじゅん拘留くる孫仏そんぶつさんじゅうじゅんしゃ円光えんこうしちしゃく

円光大小者、¬経¼云、「彼仏円光如↢百億三千大千世界↡。」 彼仏項円光也 。諸円光大小不同也。毘婆尸仏0335光百二十五由旬、尸棄仏円光四十五由旬、毘舎婆仏四十二由旬、拘留孫仏三十二由旬、釈迦円光七尺

しちぶつしょうとは、これ円光えんこうなかぶつなり。ぶつとは、かの真仏しんぶつ化作けさするところなり。いはくもとこれらの諸仏しょぶつかのになし、神通じんずうりきをもつてほん化作けさす、たちまちにこれあるがゆゑにづけてとなす。¬きょう¼ (観経) いはく、「円光えんこうなかにおいて、ひゃく万億まんおく由他ゆたごうしゃぶつあり」 と。 円光えんこうだいしょうしたがひてぶつしょうあり 随逐ずいちくねん、みなぶつなり。またこうしょうおおしんなり。またぞうおおぶつなり。

化仏多少者、円光化仏也。化仏者、彼真仏所↢化作↡也。謂本諸仏無↢彼土↡、以↢神通力↡化↢作之本無↡、忽有↠之故為↠化。¬経¼云、「於↢円光中↡、有↢百万億那由他恒河沙化仏↡。」 随↢円光大小↡仏有↢多少↡ 。随逐護念、化仏也。迎接多化身也。造画多化仏也。

はちしゃしょうとは、諸仏しょぶつみなしゅう弟子でしあり、しばらく婆尸ばしぶつしゅう弟子でしあり、無憂むうづく。かの六仏ろくぶつみなしゅう弟子でしあり、われしゅう弟子でしあり、ぶつまたしゅう弟子でしづく。いま弥陀みだぶつもろもろのしゅうしょう大僧だいそうしゅう弟子でししゃもちゐて大僧だいそうもちゐず

侍者多少者、諸仏有↢執事弟子↡、且毘婆尸仏有↢執事弟子↡、名↢無憂↡。以↣彼六仏有↢執事弟子↡、我有↢執事弟子↡、化仏名↢執事弟子↡。於↢弥陀化仏諸執事多少、大僧執事弟子、用↢沙弥↡不↠用↢大僧↡

そうしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「りょう寿仏じゅぶつ八万はちまんせんそうあり」 となり。ぶつ相好そうごうくにせつあり。いちにはさんじゅうそうにははちじゅう随好ずいこうさんには八万はちまんせんにはりょう塵数じんじゅ。¬きょう¼ にくがゆゑに (観仏三昧経巻九本行品) いはく、「人相にんそうどうずるがゆゑにさんじゅうく。諸天しょてんすぐるるをいひてはちじゅう随好ずいこうく。もろもろのさつのためにいふがゆゑに八万はちまんせんく。 ぶつまことの相好そうごうりょうしゅなり。いま弥陀みだぶつそうくにせつあり。いちにはさんじゅうそうには八万はちまんせんいちさんじゅうそうとは、これ ¬般舟はんじゅ¼ とうならびにいま像観ぞうかんはじめのもんこれなり。八万はちまんせんとは、いまのもんこれなり

相多少者、¬経¼云、「無量寿仏有↢八万四千相↡」也。説↢仏相好↡有↢四説↡。一ニハ三十二相、二ニハ八十随好、三ニハ八万四千、四ニハ無量塵数。¬経¼説↠四云、「同↢人相↡故説↢三十二↡。勝↢諸天↡云説↢八十随好↡。為↢諸菩薩↡云故説↢八万四千↡。 仏実相好無量無数也。説↢弥陀仏↡有↢二説↡。一ニハ三十二相、二ニハ八万四千。一三十二相者、¬般舟¼等并今像観初文也。二0336八万四千者、今

じゅうこうしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「一々いちいちそうにおのおの八万はちまんせんずいぎょうこうあり」 と。 ¬観仏かんぶつきょう¼ とうこころによるに、そうこうとはどうありあり。どうとは、¬きょう¼ (観仏三昧経巻九本行品意) にいはく、「人相にんそうどうずるがゆゑににさんじゅうそうく。諸天しょてんすぐるるがゆゑにはちじゅう種好しゅこうく。もろもろのさつのためのゆゑに八万はちまんせん相好そうごうく。ぶつのまことの相好そうごう、われはじめてじょうどうときざっきょうにおいてひろくすでにく。このゆゑにいまりゃくしてかず」 といふ。いまこのもんによるに、そうこうとは同体どうたいなり。とは、どう ¬きょう¼ にそうこう格別かくべつなり。そうとはこれこうだいなるなり、こうとはそうしょうなるなり。ゆゑにこうだいなるをこれをづけてそうとなす、そうしょうなるをこれをづけてこうとなす。いま弥陀みだにつきてだいしょう相好そうごうあり、いましばらく相好そうごう別門べつもんによりて、これをわかちてとなす

多少者、¬経¼云、「一一相各有↢八万四千随形好↡。」ルニ↢¬観仏経¼等↡、相与↠好有↠同有↠異。同者、¬経¼云、「同↢人相↡故説↢三十二相↡。勝↢諸天↡故説↢八十種好↡。為↢諸菩薩↡故説↢八万四千相好↡。仏実相好、我初成道時於↢雑華経↡広已説。是今略シテ不↠説」云。依↢此↡、相与↠好同体也。異者、同¬経¼相与↠好格別之義ナリ。相好大也、好者相少也。故好大名↠之為↠相、相少名↠之為↠好付↢弥陀↡有↢大小相好↡、今且依↢相好別門↡、分↠之為↠二

じゅういちひかりしょうとは、¬きょう¼ のもん (観経) にいはく、「一々いちいちこうにまた八万はちまんせんこうみょうあり」 と。おもはからふに、相好そうごうこうみょうかずりょうしゅへん算数さんじゅしょにあらず、しばらくあるひと (要集巻中) びゃくごう一相いっそうこうみょうはからひて、「しちひゃくていろっぴゃくまんこうみょう」 と。

十一多少者、¬経¼文云、「一一好復有↢八万四千光明↡」。想計、相好之光明之数無量無数辺、非↢算数所知↡、且或人計↢白毫一相之光明↡、「七百五倶胝六百万光明。」

じゅうこうしょう遠近おんごんとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「一々いちいちこうみょう、あまねく十方じっぽうかいらして念仏ねんぶつしゅじょうを」 と。ごんありおんあり。ごんとは、極楽ごくらく近隣ごんりんかいにおいて、よく弥陀みだぶつねんずれば、これをらすにづけてごんとなす。つぎおんとは、極楽ごくらくりょうおんのところより、よく弥陀みだぶつねんずるを、すなはちこれをたしてこれをづけておんとなす

十二光照遠近者、¬経¼云、「一一光明、遍照↢十方世界↡念仏衆生。」有↠近有↠遠。近者、与↢極楽↡於↢近隣世界↡、能念↢弥陀仏↡、照↠之名為↠近。次者、与↢極楽遼遠之所↡、能念↢弥陀仏↡、即照↠之名↠之為↠遠

じゅうさんにはこうみょうしょうやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「摂取せっしゅしゃ」 と。これすなはちさきこうみょう念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅして、一切いっさいえたまはざるをづけてこうみょうやくとなす。念仏ねんぶつやくのちにこれをしゃくすべし。じょう、まさしく観相かんそうしおはりぬ

十三ニハ光明摂益者、¬経¼云、「摂取不捨」。前光明、摂↢取念仏衆生↡、一切而不↠捨名為↢光明利益↡。念仏利益之0337義、後可↠釈↠之已上、正解↢観相↡了

さんにはじゃしょうかんずとは、さき諸文しょもんじゅんずるに、仏身ぶっしんかんじてぶつる、これをづけてしょうとなす。ぶつかんじてきょうる、これをづけてじゃとなす。

ニハ観↢邪正↡者、準↢前諸文↡、観仏身見仏、名↠之為↠正。観仏見↢余境↡、名↠之為↠邪

にはやくとは、これにつきてあり。いちには現在げんざいやくには当来とうらいやく現在げんざいにつきてあり。いちには弥陀みだ一仏いちぶつやくには一切いっさい諸仏しょぶつやくさんには仏心ぶっしんやくには現前げんぜんじゅやく

ニハ利益者、付↠之有↠二。一ニハ現在利益、二ニハ当来利益。付↢現在↡有↠四。一ニハ見↢弥陀一仏↡益、二ニハ見↢一切諸仏↡益、三ニハ見↢仏心↡益、四ニハ現前授記益。

いちけん弥陀みだ一仏いちぶつとは、真仏しんぶつかんじょうによりて、現身げんしんにすなはち弥陀みだ一仏いちぶつたてまつるなり。これすなはち現身げんしんぶつやくなり。かんぜんのごとし

見弥陀一仏者、依↢真仏観成↡、現身即奉↠見↢弥陀一仏↡也。現身見↠仏之利益也。如↢感禅師等

けん諸仏しょぶつとは、このかんによるにただ弥陀みだ一仏いちぶつるにあらず、あまねく十方じっぽう諸仏しょぶつる。十方じっぽう諸仏しょぶつとは、東方とうぼう善徳ぜんとくないじょうほう広衆こうしゅとくほうみょうとくなり。弥陀みだ一仏いちぶつねんずるによりて、すなはちこれらの諸仏しょぶつることを、これをづけてけん諸仏しょぶつやくとなす。

見諸仏者、依↢此観↡唯非↠見↢弥陀一仏↡、遍見↢十方諸仏↡。十方諸仏者、東方善徳乃至上方広衆徳、下方明徳ナリ。依↠念↢弥陀一仏↡、即得↠見↢諸仏↡、名↠之為↢見諸仏之益↡。

さんけん仏心ぶっしんやくとは、このかんによりてただぶつ色身しきしんるにあらず、またよく仏心ぶっしんる。ゆゑに ¬きょう¼ (観経) にいはく、「仏身ぶっしんかんずるがゆゑにまた仏心ぶっしんる。仏心ぶっしんとはだい慈悲じひこれなり。えんをもつてもろもろのしゅじょうせっす」 と。 これすなはちけん仏心ぶっしんやくなり。

見仏心益者、依↢此観↡唯非↠見↢仏色身↡、亦能見↢仏心↡。故¬経¼云、「以↠観↢仏身↡故亦見↢仏心↡。仏心者大慈悲是。以↢無縁慈↡摂↢諸衆生↡。」 見仏心之益也。

には現前げんぜんじゅやくとは、このかんによりてただぶつ色身しきしんさつ仏心ぶっしんるにあらず、またよく三昧さんまい定中じょうちゅうにおいてじょうぶつべつこうむる。ゆゑに ¬きょう¼ (観経) にいはく、「りょう寿仏じゅぶつるは、すなはち十方じっぽうりょう諸仏しょぶつる。りょう諸仏じゅぶつることをるがゆゑに、諸仏しょぶつ現前げんぜんじゅしたまふ」 と。 これすなはち念仏ねんぶつ三昧ざんまいなかにおいて、じょうぶつべつやくなり 。もしひと現身げんしんじょうぶつべつんとほっせば、すなはちよく観仏かんぶつ三昧ざんまいしゅ

ニハ現前授記之益者、依↢此観↡唯非↠見↢仏色身・菩薩・仏心↡、於↢三昧定中↡蒙↢成仏之記莂↡。故¬経¼云、「見↢無量寿仏↡者、即見↢十方無量諸仏↡。得↠見↢無量諸仏↡故、諸仏現前授記。」 於↢念仏三昧之中↡、得↢成仏之記莂↡利益也 。若人現身欲↠得ント↢成仏之記莂↡、即能可↠修↢観仏三昧

つぎ当来とうらいやくとは、これにつきてあり。いちにはおうじょうにはとくしょうにん 。ゆゑに ¬きょう¼ (観経) にいはく、「このかんをなさば、他世たせ捨身しゃしんして諸仏しょぶつまえうまれ、しょうにん」 と。

0338来利益者、付↠此有↠二。一ニハ往生、二ニハ得無生忍 。故¬経¼云、「作↢此観↡者、捨↢身他世↡生↢諸仏前↡、得↢無生忍↡。」

思惟正受。此次観仏与↢念仏↡差別事可↠釈↠之

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 観音観

じゅう観音かんのんかんとは、さきれいせばこれにまたあり。いちには結前けつぜんしょうにはまさしく観相かんそうべんず、さんにはかんじゃしょうかす、にはやくかす、にはきょうかんだい

観音観者、例セバ↠前有↠五。一ニハ結前生後、二ニハ正辨↢観相↡、三ニハ明↢観邪正↡、四ニハ明↢利益↡、五ニハ教観次第。

第一だいいちらいとは、かみにすでにかのきょうしゅかんじおはりぬ、しゅにはかならずばんあるがゆゑに、しゅいでばんかんず。しかればかのぶつ弟子でしならびにしょうもんりょうへんなり、つぶさにこれをかんぜんとほっす、あにこれをかなふべきや。ゆゑにいまにようせんきて、さつかんず。さつなかにおいて、また観音かんのんありせいあり。観音かんのんめんせいめん左右さういであり、ゆゑにまづ観音かんのんかん。またあるいはさき仏観ぶつかんしゅせずといへども、ぎょうしたがひてまたまづ観音かんのんかん

第一来意者、上観↢彼教主↡竟、主ニハ必有↠伴故、次↠主観↠伴。然彼仏御弟子并声聞無量無辺ナリ、具欲↠観↠之可↠階↠之哉。故取↠要抜↠詮、観↢二菩薩↡。於↢二菩薩↡、有↢観音↡有↢勢至↡。観音左面、勢至右面。左右有↠次、故先観↢観音↡ 雖↢前不↟修↢仏観↡、随↢意楽先観↢観音↡

にはまさしく観相かんそうべんずとは、これにつきてじゅうあり。いちにはしんりょうだいしょうには身色しんじきどうさんには肉髻にくけいけいどうには円光えんこうだいしょうにはぶつしゃしょうろくには身光しんこうなかにあまねくどうしゅじょうげんず、しちには天冠てんがんぶつはちにはめん色身しきしんどうには毫光ごうこう転変てんぺんじゅうには身服しんぷく光瓔こうようじゅういちには宝手ほうしゅ慈悲じひゆうじゅうにはあし徳用とくゆうじゅうさんにはふびぶつおなじ、じゅうにはそうきてそく

ニハ正辨↢観相↡者、付↠此有↢十四↡。一ニハ身量大小、二ニハ身色不同、三ニハ肉髻・螺髻不同、四ニハ円光大小、五ニハ化仏侍者多少、六ニハ身光之中現↢五道衆生↡、七ニハ天冠化仏、八ニハ面色身不同、九ニハ毫光転変、十ニハ身服光瓔、十一ニハ宝手慈悲用、十二ニハ御足徳用、十三ニハ指同仏、十四ニハ二相闕居不足之地

じゅうどくありといへども、しばらくようりて少々しょうしょうこれをしゃくせば、しんりょうだいしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「このさつたけはちじゅう万億まんおく那由他なゆたじゅん」 と。あるいは ¬きょう¼ に 「那由他なゆた」 のしもに 「ごうしゃ」 のことばくわふ。これによりてひとおお観音かんのんぶつよりたかしといふ

雖↠有↢十四功徳、且取↠要少少釈↠之者、身量大小者、¬経¼云、「此菩薩身長八十万億那由他由旬。」0339¬経¼「那由他」之下加↢「恒河沙」之言↡。依↠之人多云↢観音自↠仏而高

に 「金色こんじき」 と。

「身紫金色。」

さんには肉髻にくけいけいどうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「いただき肉髻にくけいあり」 と。

ニハ肉髻・螺髻不同者、¬経¼云、「頂有↢肉髻↡。」

には円光えんこうだいしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「円光えんこうおもて、おのおのひゃくせんじゅん」 と。

ニハ円光大小者、¬経¼云、「円光面、各百千由旬。」

ぶつしゃしょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「その円光えんこうなかひゃくぶつあり、しゃ牟尼むにぶつのごとし。一々いちいちぶつひゃくさつあり、りょう諸天しょてんもつてしゃとなす」 と。

化仏侍者多少者、¬経¼云、「其円光中有↢五百化仏↡、如↢釈迦牟尼仏↡。一一化仏有↢五百化菩薩↡、無量諸天以為↢侍者↡。」

ろくには身光しんこうなかにあまねくどうしゅじょうげんずとは、善導ぜんどう (礼讃) のいはく、「観音かんのんさつだい慈悲じひ、すでにだいててしょうせず。一切いっさいどうしんちゅううちにして、ろく観察かんざつして三輪さんりんおうず」 と。

ニハ身光中普現五道衆生者、善導、「観音菩薩大慈悲、已得↢菩提↡捨不↠証。一切五道内↢身中↡、六時観察三輪応。」

しちには天冠げんがんぶつとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「りょう摩尼まにほう、もつて天冠てんがんとなす。その天冠てんがんなかいちりゅうぶつあり、たかじゅうじゅんなり」 と。

ニハ天冠之化仏者、¬経¼云、「毘楞伽摩尼宝、以為↢天冠↡。其天冠中有↢一立化仏↡、高二十五由旬。」

はちにはめん色身しきしんどうありとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「かんおんさつおもてえん檀金だんごんじきなり」 と。

ニハ面色身有不同者、¬経¼云、「観世音菩薩面、如↢閻浮檀金色↡。」

には毫光ごうこう転変てんぺんとは、「毫光ごうこう転変てんぺんしてあまねく十方じっぽうたす、化侍けじいよいよおおく、さらにれんいろす」(定善義) と。 ¬きょう¼ によりてこれをしゃくすべし。

ニハ毫光転変者、「毫光転変徧満↢十方↡、化侍弥多、更比↢紅蓮華色↡。」 依↠¬経¼可↠釈↠之。

じゅうには身服しんぷく光瓔こうようとは、かんおんころもなり。¬きょう¼ (観経) にいはく、「はちじゅうおくこうみょうあり、もつて瓔珞ようらくとなす。その瓔珞ようらくなかにあまねく一切いっさいもろもろのしょうごんげんず」 と。

ニハ身服光瓔者、観世音御衣也。¬経¼云、「有↢八十億光明↡、以為↢瓔珞↡。其瓔珞中普現↢一切諸荘厳事↡。」

じゅういちには御手みて慈悲じひゆうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「しゅしょうひゃくおくぞうれんしきをなし、じっはしに、八万はちまんせんあり。なほ印文いんもんのごとし。一々いちいち八万はちまん千色せんじきあり。一々いちいちいろ八万はちまんせんひかりあり。そのひかりにゅうなんにしてあまねく一切いっさいらし、この宝手ほうしゅをもつてしゅじょうしょういんしたまふ」 と。 善導ぜんどうの ¬さん¼ (礼讃) にいはく、「つねにひゃくおく光王こうほうみてべて、あまねくえんせっ本国ほんごくしたまふ」 と。

十一ニハ御手慈悲用者、¬経¼云、「手掌作五百億雑蓮華色、手十指端、有↢八万四千画↡。猶如↢印文↡。一一画有↢八万四千色↡。一一色有↢八万四千光↡。其光柔軟普0340照↢一切↡、以↢此宝手↡接↢引衆生↡。」 善導¬讃¼云、「恒舒↢百億光王手↡、普摂↢有縁↡帰↢本国↡。」

じゅうあし徳用とくゆうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「あしげたまふときそく千輻せんぷく輪相りんそうあり、ねんしてひゃくおくこうみょううてなとなる。あしくだとき金剛こんごう摩尼まにの、さん一切いっさいするありて、まんせざるなし」 と。

十二御足徳用者、¬経¼云、「挙↠足時、足下有↢千輻輪相↡、自然化成↢五百億光明台↡。下↠足時、有↢金剛摩尼華、布散一切↡、莫↠不↢弥満↡。」

じゅうさんゆびぶつおなじとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「その身相しんそう衆好しゅこうそくすることぶつのごとくしてことなることなし」 と。

十三指同仏者、¬経¼云、「其余身相・衆好具足如↠仏無↠異。」

じゅうにはそうきてそくすとは、¬きょう¼ にいはく、「ただ頂上ちょうじょう肉髻にくけいおよびけんちょうそうそんおよばず」 と。 善導ぜんどう (定善義) のいはく、「弟子でしべつにして、がんいまだなどかならず、そうくることありて、そくすることをあらわす」 と。

十四ニハ二相闕居不足地者、¬経¼(観経) 云、「唯頂上肉髻及無見頂相、不↠及↢世尊↡。」 善導、「師・弟子位別、果願未↠円、致↢二相有↟虧、表↠居↢不足之地↡。」

さんかんじゃしょうとは

観邪正者

やくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「まさにこのかんをなすものは、しょはず、ごっしょうじょうじょし、しゅこうしょうつみのぞく。かくのごときさつ、ただそのみなくにりょうふく。いかにいはんや諦観たいかんするをや」 と。またこれにつきて滅罪めつざいありしょうぜんあり。

利益者、¬経¼云、「当↠作↢是観↡者、不↠遇↢諸禍↡、浄↢除業障↡、除↢無数劫生死之罪↡。如↠此菩薩、但聞↢其名↡獲↢無量福↡。何況諦観。」付↠之有↢滅罪↡有↢生善↡。

にはきょうかんだいとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「もしかんおんさつかんぜんとほっするものあらば、まづ頂上ちょうじょう肉髻にくけいかんじ、つぎ天冠てんがんかんぜよ。その衆相しゅそうまただいにこれをかんずべし、また明了みょうりょうなること掌中しょうちゅうかんずるがごとくせしめよ」 と。 しばらく観仏かんぶつのごとく順逆じゅんぎゃくにこれをかんずべし。もし相好そうごうかんぜずは、あるいはみょうごうしょうすべし。ある ¬きょう¼ (荘厳宝王経巻二) にいはく、「もしひとつねにだいねんずれば」 と。 つぎぜいえんしゃくしこれとがっすべし。

ニハ教観次第者、¬経¼云、「若有↧欲↠観↢観世音菩薩↡者↥、先観↢頂上肉髻↡、次観↢天冠↡。其余衆相亦次第観↠之、亦令↢明了如↟観↢掌中↡。」如↢観仏理↡順逆可↠観↠之。若不↠観↢相好↡者、或可↠称↢名号↡。或¬経¼云、「若人恒念↢大士名↡。」 次釈↢弘誓之縁↡可↠合↠之。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 勢至観

じゅういちにはせいかんとは、これにつきてまたあり。いちには結前けつぜんしょうにはまさしく観相かんそうべんず、さんにはかんじゃしょうかす、にはやくにはゆいしょうじゅとは

十一ニハ勢至観者、付↠之亦有↠五。一者結前生後、二ニハ正辨↢観相↡、三ニハ明↢観邪0341正↡、四ニハ利益、五ニハ思惟正受者

いちらいとは

来意

しょうべん観相かんそうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「このさつしんりょうだいしょう、またかんおんのごとし」 と。 また (観経) いはく、「のもろもろの身相しんそうかんおんのごとくひとしくしてことなることあることなし」 と。

正辨観相者、¬経¼云、「此菩薩身量大小、亦如↢観世音↡。」 又云、「余諸身相如↢観世音↡等無↠有↠異。」

これをもつてこれをおもはば、せい身相しんそう大旨おおむねかんおんおなじ、しばらく観音かんのんどうそうにおいてあり。いちには円光えんこうだいしょうにはこうしょう遠近おんごんさんにはぶつしゃしょうにはへんこうみょうには大勢だいせいみょうろくには頂上ちょうじょうほうそうしちには頂上ちょうじょう肉髻にくけいほうびょうそうはちにはぎょうどうにはどうそうなり。

以↠之思↠之、勢至身相大旨与↢観世音↡同、且於↧与↢観音↡不同之相↥有↠九。一ニハ円光大小、二ニハ光照遠近、三ニハ化仏侍者多少、四ニハ無辺光之名義、五ニハ大勢至名義、六ニハ頂上宝華相、七ニハ頂上肉髻宝瓶相、八ニハ行歩不同、九ニハ座不同相ナリ

いち円光えんこうだいしょうとは、観音かんのん円光えんこうひゃくせんじゅんせい円光えんこうひゃくじゅうじゅん観音かんのん円光えんこうじゅんずるにすくな

円光大小者、観音円光百千由旬、勢至円光百二十五由旬、准↢観音円光↡少也

にはこうしょう遠近おんごんとは、観音かんのん円光えんこうすでにひゃくせんじゅんとおらすべし。いまはただしょうひゃくじゅうじゅんといふ。

ニハ光照遠近者、観音円光既百千由旬、理可↢遠照↡。今只云↢照二百五十由旬

さんぶつしゃしょうとは、¬しょ¼ にこのもんありといへども ¬きょう¼ にこのもんなし

化仏侍者多少者、¬疏¼雖↠有リト↢此文↡於↠¬経¼無↢此文↡

辺光へんこうみょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「しんこうみょう十方じっぽうこくらし、金色こんじきとなる。えんしゅじょうみなことごとくることを。ただこのさついちもうこうれば、すなはち十方じっぽうりょう諸仏しょぶつる。このゆゑにこのさつごうしてへんこうづく」 と。

無辺光名義者、¬経¼云、「挙身光明照↢十方国↡、作↢紫金色↡。有縁衆生皆悉得↠見。但見↢此菩薩一毛孔光↡、即見↢十方無量諸仏↡。是故号↢此菩薩↡名↢無辺光↡。」

には大勢だいせいみょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「智恵ちえこうをもつてあまねく一切いっさいらし、さんはなれてじょうりきしむ。このゆゑにこのさつごうして大勢だいせいづく」 と。

ニハ大勢至名義者、¬経¼云、「以↢智恵光↡普照↢一切↡、令↧離↢三塗↡得↦無上力↥。是故号↢此菩薩↡名↢大勢至↡。」

ろくには頂上ちょうじょう天冠てんがんちゅうほうそうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「このさつ天冠てんがんひゃくほうあり。一々いちいちほうひゃく宝台ほうだいあり。一々いちいちうてななかに、十方じっぽう諸仏しょぶつ浄妙じょうみょうこくこうじょうそう、みななかにおいてげんず」 と。

ニハ頂上天冠中宝華相者、¬経¼云、「此菩薩天冠有↢五百宝華↡。一一宝華有↢五百宝台↡。一一台0342中、十方諸仏浄妙国土広長之相、皆於↠中現。」

しちには頂上ちょうじょう肉髻にくけいじょういちほうびょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「頂上ちょうじょう肉髻にくけい鉢頭はず摩華まけのごとし。肉髻にくけいうえいちほうびょうあり。もろもろのこうみょうりて、あまねくぶつげんず」 と。

ニハ頂上肉髻上有一宝瓶者、¬経¼(観経) 云、「頂上肉髻如↢鉢頭摩華↡。於↢肉髻上↡有↢一宝瓶↡。盛↢諸光明↡、普現↢仏事↡。」

はちにはぎょうどうとは、「これせいさつきたまふとき十方じっぽうかい一切いっさい震動しんどうす。うごところあたりてひゃくおくほうあり。一々いちいちほうしょうごんたかあらわるること極楽ごくらくかいのごとし」 と。

ニハ行歩不同者、「是勢至菩薩行時、十方世界一切震動。当↢地動処↡有↢五百億宝華↡。一一宝華荘厳、高顕如↢極楽世界↡。」

にはどうそうとは、これはせいさつきてのちしたまふとき有様ありさまなり。¬きょう¼ (観経) にいはく、「このさつしたまふとき七宝しっぽうこくいち動揺どうようし、ほう金光こんこう仏刹ぶっせつより、ないじょうほうこうみょうおう仏刹ぶっせつ、そのちゅうげんにおいてりょう塵数じんじゅ分身ぶんしんりょう寿仏じゅぶつ分身ぶんしんかんおん分身ぶんしん大勢だいせい、みなことごとく極楽ごくらくこくうんじゅうし、くうちゅう側塞しきそくしてれんしたまふ、みょうほう演説えんぜつしてしゅじょうす」 と。

ニハ座不同相者、勢至菩薩行後、坐有様也。¬経¼云、「此菩薩坐時、七宝国土一時動揺、従↢下方金光仏刹↡、乃至上方光明王仏刹、於↢其中間↡無量塵数分身無量寿仏、分身観世音・分身大勢至、皆悉雲↢集極楽国土↡、側↢塞空中↡坐↢蓮華座↡、演↢説妙法↡度↢苦衆生↡。」

善導ぜんどう (定善義意) ひていはく、¬弥陀みだきょう¼ のなかにいはく、かのくにしゅじょうしゅあることなし。ただ諸楽しょらく と。いまなんぞ度苦どくといふや。

善導「問、¬弥陀経¼中云、彼国衆生無↠有↢衆苦↡。但受↢諸楽↡ 。今何云↢度苦↡哉。

こたふ。いまらくしゅあり。いちには三界さんがいらくにはじょうらく

答。今苦楽有↢二種↡。一ニハ三界苦楽、二ニハ浄土苦楽。

いち三界さんがいらくとは、すなはちさんとうをもつて、となし、すなはち人天にんでんよくらくをもつて、人天にんでんらくとす。らくなりといへどもじつにはこれさいなり。つひに一念いちねん真実しんじつらくあることなし。

三界苦楽者、即以↢三塗之苦等↡、為↠苦、即以↢人天五欲↡、人天之楽。雖↠楽ナリトニハ最苦也。遂無↠有ルコト↢一念真実之楽↡。

じょうらくとは、ぜんじょうのぞむるをとなす。下智げちしょうじょうしょうのぞむるをとなし、じょうしょう下智げちしょうのぞむるをらくとなす。いま度苦どくしゅじょうとは、ただ下位げいすすめてじょうのぼり、しょうてんじて上証じょうしょうしむ。そのしょしょうしてこれをづけて度苦どくといふ。もししからずは、じょうなか一切いっさいしょうにんみな無漏むろをもつてたいとなし、だいをもつてゆうとなす。きょう常住じょうじゅうにして分断ぶんだんしょうめついんはなる。なんぞづけてとなさんや」 と。

浄土苦楽者、地前望↢地上↡為↠苦。下智証望↢上智証↡為↠苦、少智証望↢大智証↡為↠楽度苦衆生者、唯進↢下位↡昇↢上位↡、転↢下証↡令↠得↢上証↡。称↢其0343求↡名↠之言↢度苦↡。若不↠然者、浄土之中一切聖人以↢無漏↡為↠体、以↢大悲↡為↠用。究竟常住離↢於分断消滅因↡。何為↠苦之哉。」

さんにはじゃしょうかんずとは

ニハ観↢邪正↡者

にはやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「りょうそうこうしょうつみのぞく。このかんをなせば、胞盤ほうたいしょせず、つねに諸仏しょぶつ浄妙じょうみょうこくあそぶ」 と。 このなかあり、滅罪めつざいおうじょうとのやく

ニハ利益者、¬経¼云、「除↢無量阿僧祇劫生死之罪↡。作↢此観↡者、不↠処↢胞盤↡、常遊↢諸仏浄妙国土↡。」有↠異、滅罪与↢往生↡二利益

ゆいしょうじゅとは つぎ (首楞厳経巻五) に 「われもといん念仏ねんぶつこころをもつてしょうにんる、いまこのかいにおいて念仏ねんぶつひとせっしてじょうせしむ」 とのもん、これをしゃくすべし

思惟正受。次「我本因地以↢念仏心↡入↢無生忍↡、今於↢此界↡摂↢念仏人↡帰↢於浄土↡」文、可↠釈↠之

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 普観

じゅうかんとは、まづらいかみにすでに極楽ごくらくほうしょうぼうしん主伴しゅはんつぶさにこれをかんじおはりて、極楽ごくらくかんぎょうすでにもつて満足まんぞくおうじょうかんしゅするゆゑに、かみいでこのかんきたる。つぎきょうもんだいおうじょうそうをなす、これをしゃくすべし

十二普観者、先来意、上極楽依報・正報、身土・主伴具観↠之竟、極楽観行已以満足修↢往生観↡故、上次此観来。次作↢経文次第・往生之相↡、可↠釈↠之

おうじょうそうとは、いはくだいしょうじゅ、いまだ来迎らいこうせずといへども、すでに来迎らいこうそうをなす。いまだ命終みょうじゅうせずといへども、すでに命終みょうじゅうそうをなす。いまだ蓮台れんだいじょうぜずといへども、蓮台れんだいじょうずるそうをなす。いまだおうじょうせずといへども、すでにおうじょうそうをなす。いまだほうなからずといへども、すでにほうなかそうをなす。いまだれんひらけずといへども、すでにれんひらそうをなす。いまだ眼目げんもくひらけずといへども、すでに眼目げんもくひらけるそうをなす。いまだこうみょうらさずといへども、こうみょうらすそうをなす。いまだぶつさつずといへども、見仏けんぶつさつそうをなす。いまだすいちょう樹林じゅりん諸仏しょぶつ説法せっぽうかずといへども、これをそうをなす。しょう作意さいのごとく、これをおうじょうかんとなす。これをもしじょうぜば現身げんしんおうじょう。これにつきてまたゆいしょうじゅ二義にぎあるべし

往生相者、謂雖↢華台・聖衆↡、未↢来迎↡、既為↢来迎想↡。雖↠未↢命終↡、既為↢命終想↡。雖↠未↠乗↢蓮台↡、為↧乗↢蓮台↡想↥。雖↠未↢往生↡、既為↢往生想↡。雖↠未↠入↢宝池之中↡、既為↧入↢宝池中↡想↥。雖↠未↢蓮華開↡、既為↢蓮華開想↡。雖↠未↢眼目開↡、既為↢眼目開想↡。雖↠未↢光明照↡、為↢光明照想↡。雖↠未↠見↢仏・菩薩↡、為↢見仏・菩薩想↡。雖↠未↠聞↢水鳥・樹林・諸仏説法↡、為↢聞↠之相↡。如↢勝解・作意↡、此為↢往生之観↡。若成者得↢現身往生↡。付↠之可↠有↢思0344惟・正受二義↡

つぎ大安だいあんぞうをもつてこれにがっすべし。つぎそうちょうにはじめてきょうきたりてのち大唐だいとうこくちゅう比丘びく比丘びく誰人たれびと誰人たれびともこのじゅうかんじょうじゅせしは、ただみょうたんほっ一人いちにんあり、つぶさには ¬僧伝そうでん¼ にづ。おうじょうほっしてかれをかんがふ。すでにじょうなり、われまたじょうなり、なんぞみだりにごうにゃくそうしょうじ、しゅじゅうこころなからん。

以↢大安寺之像↡可↠合↠之。次宋朝始経来後、大唐国中比丘・比丘尼、誰人誰人成↢就此十二観↡者、唯有↢明瞻法師一人↡、具ニハ出↢¬僧伝¼。欲↢往生↡勘↠彼。既丈夫也、丈夫也、何リニ生↢強弱之想↡、無↢修習之意↡。

いまちょうもん諸衆しょしゅなかに、真実しんじつえん穢土えどおんこころざしましまし、真実しんじつごんじょうこころざしましませば、今日こんにちよりのち、おのおのがんしたがひて、あるいは一観いっかん、あるいはかんこころしたがひてこれをしゅし、あるいはほう、あるいはほう、あるいは華座けざ、あるいは像想ぞうそうないぶつさつかんがんまかせておのおのこれをしゅじゅうし、おのおのおうじょう極楽ごくらくすべし

聴聞諸衆、真実厭離穢土御志御、真実欣求浄土之志御、自↢今日↡後、各随↠願、或一観、或二観、随↠意修↠之、或宝地、或宝池、或華座、或像想、乃至仏・菩薩観、任↠願修↢習之↡、各可↠期↢往生極楽↡

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 雑想観

じゅうさん雑想ざっそうかんとは、さきぶつさつかんこれなり。まづかの大身だいしんぶつさつ観想かんそうし、いまこの雑観ざっかんとは、しょうしんぶつさつかんず。これにさんあり。いちにはさき大身だいしんかんずるひとざいにこれをかんぜしめんがためなり。にはあるいはかんじょうひとは、またしょうにつく。さんにはあるいはぎょうしたがひこれをかん

十三雑想観者、前仏・菩薩観是。先観↢想彼土大身仏・菩薩↡、今此雑観者、観↢小身仏・菩薩↡。有↢三意↡。一ニハ前観↢大身↡人、為↠使↢自在観↟之。二ニハ観未成人者、付↠小。三ニハ或随↢意楽↡観↠之

つぎにそのしょう身相しんそうかんずる、まさに弥陀みだ如来にょらいじょうろくぞうかんずべし、あるいはすいじょうにあり、あるいはじょうろくぞうほう宝閣ほうかくなかにあるをかんずべし、あるいは宝林ほうりん宝樹ほうじゅしたにあるをかんずべし、あるいは宝台ほうだい宝殿ほうでんなかにあるをかんずべし、あるいはくう宝雲ほううんだいなかにあるをかんずべし。かくのごとくがんしたがひ、宝閣ほうかく宝林ほうりん宝樹ほうじゅ一々いちいちにおのおのこころとどめこれをおもへ。みな仏想ぶっそうのため、きょう相応そうおうし、じょうじゅはなはだやす

観↢其小身相↡日、当↠観↢弥陀如来丈六像↡、或有↢池水華上↡、或可↠観↣丈六像有↢宝宮・宝閣之中↡、或可↠観↠有↢宝林・宝樹下↡、或可↠観↠有↢宝台・宝殿中↡、或可↠観↠有↢虚空宝雲華蓋之中↡。如↠是随↠願、宝閣・宝林・宝樹、一一留↠心思↠之。皆為↢仏想↡、機境相応、成就甚

この雑想ざっそう三尊さんぞんあり、ひとぶつにあらず。ゆゑに雑想ざっそうといふ。また真仏しんぶつあり、またしょうしんあり、また大身だいしんあり。すでにじゅんだいにあらず純小じゅんしょうにあらず、ゆゑにぞうといふ。はなはだおおし、しばらくいちりょうぶ、はこれにじゅんせよ。

此雑想有↢三尊↡、独非↠仏。故云↢雑想↡。亦0345有↢真仏↡、亦有↢小身↡、亦有↢大身↡。既非↢純大↡非↢純小↡、故云↠雑。義甚多、且述↢一両↡、余准↢知之↡。

つぎにこのじゅう三観さんがん、これをしゅすることせつかぎらず、ただじょうじゅをもつてとなす。これによりてもん日数にっしゅかず、かんじょうじゅろんずることは、しゅじょうこんじょうどんによるべし。

十三観、修↠之事不↠限↢時節↡、唯以↢成就↡為↠期。依↠之文不↠説↢日数↡、論↢観成就↡事、可↠依↢而衆生根性利鈍↡。

ゆゑに善導ぜんどう (定善義) 想観そうかんしゃくしていはく、「ただ方寸ほうすんいっしゃくとうかんぜよ。あるいは一日いちにちにち三日さんにち、あるいはろく七日しちにち、あるいは一月いちがつ一年いちねんねん三年さんねんとうけんにち行住ぎょうじゅう坐臥ざがしん口意くいごうをしてつねにじょうがっせしめよ。ただまんともにて、よりてしつ聾盲ろうしゃにんのごとくならば、このじょうかならずすなはちやすし。もしかくんごとくならざれば、三業さんごう随縁ずいえんして、じょうそうつひに波飛はひせん。たとひ千年せんねん寿いのちつくすとも、法眼ほうげんいまだかつてひらけず」 と。 じょうじゅうさんじょうぜんりゃくしてもつてかくのごとし。このただしくはこの ¬きょう¼ ののごとし。¬寿じゅきょう¼ いまだこれをかず

善導釈↢地想観↡云、「唯観↢方寸・一尺等↡。或一日・二日・三日、或四・五・六・七日、或一月・一年・二年・三年等、無間日夜、行住坐臥身口意業常与↠定合。唯万事倶捨、由如↢失意・聾盲・痴人↡者、此定必即易↠得。若不↠如↠是、三業随縁、定想遂波飛。縦尽↢千年寿↡、法眼未↢会開↡。」 已上、十三定善略以如↠是。此義但説如↢此¬経¼義↡。¬寿経¼未↠説↠之

入文解釈 王宮会 正宗分 散善

には散善さんぜんとは、これにまたあり。いちにはらいには三福さんぷくぼんしゃくす。

者散善者、亦有↠二。一者来意、二者釈↢三福・九品↡。

いちらいとは、しゅじょうこんじょうあり。いちにはぜんじょうには散乱さんらん ごうちょうがくごうぜんもんをもつてこれをしゃくすべし 。これをもつてまたしんぎょうほうぎょう

来意者、衆生根性有↠二。一者禅定、二者散乱 。以↢久劫聴学・久劫座禅之文↡可↠釈↠之 。以↠之亦信行・法行

三福さんぷくぼんしゃくすとは、これにまたあり。いちには三福さんぷくにはぼん

釈↢三福・九品↡者、此↠二。一者三福、二者九品。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福

いち三福さんぷくとは、これはこれ序分じょぶんなかせつ 三福さんぷくとは、「いちにはきょうよう父母ぶも奉事ぶじちょうしんせつしゅじゅうぜんごうにはじゅさんそく衆戒しゅかいぼん威儀いぎさんにはほつだいしん深信じんしんいん読誦どくじゅだいじょう方等ほうどうきょうてん勧進かんじんぎょうじゃ」 と。

三福者、此序分。三福者、「一者孝養父母、奉事師長、慈心不殺、修十善業。二者受持三帰、具足衆戒、不犯威儀。三者発菩提0346心、深信因果、読誦大乗、方等経典、勧進行者。」

一者いっしゃきょうよう父母ぶも」 とは、ざいしゅっひと、みな父母ぶもあり、かならずきょうよういたすべし ざいきょうようむねひろく ¬ろん¼・¬こうきょう¼ にくがごとし しゅっきょうようは、ひろきょうろんくがごとし。しゃくそんちちひつぎかつぎ、目連もくれんじきおくる。これらにおいて、すなはちしゅっきょうようこころなり。しょうもんかいとは。しょうえん奉事ぶじほうあり。さつかいとは、父母ぶも孝順きょうじゅん南山なんざん (浄心誡巻巻下) いはく、「父母ぶもしちしょうとうきょうようほうないにあり、ともにこれりょうならず、もつともこれをもつておうじょうごうとなす

「一者孝養父母」者、在家・出家人、皆有↢父母↡、必可↠致↢孝養↡ 。在家孝養之旨、広如↠説↢¬論語¼・¬孝経¼↡ 。出家孝養、広如↠説↢経論↡。釈尊担↢父棺↡、目連贈↠食。於↢此等↡、即出家孝養意也。声聞戒者、有↢生縁奉事法↡。菩薩戒者、孝↢順父母↡ 。南山云、「父母七生」等 。孝養法有↢内外↡、共不↢聊爾↡、最以↠是為↢往生業↡

つぎに 「奉事ぶじちょう」 とは、ぼん智解ちげはかならずによりてしょうず。みづからさとることあたはず、そのおんまことにふかし。雪山せっせんはんとうじ、しゃくそん千歳せんざいとことなる、じょうたいずいじょくくだき、薬王やくおう億歳おくさいたきぎとなりて、浄明じょうみょう徳仏とくぶつようす。これらはすなはち奉事ぶじちょうこころなり。はっしゅうがく誰人たれびとちょうましまさざらん。なかんづくりっしゅうとは、師資ししそうじょうほうあり。真言しんごんしゅうは、けざればいっまず。自余じよしょしゅうみな師資ししそうじょうどうあり、あに奉事ぶじしょうなからんや、これをもつておうじょうごうとなす

「奉事師長」者、凡夫智解依↠師。自不↠能↠解ルコト、其恩実。雪山半偈、投↠身釈尊為↢千歳床↡、常啼砕↢髄於無濁↡、薬王為↢億歳之薪↡、供↢養浄明徳仏↡。奉事師長意也。八宗学徒、誰人不↠在↢師長↡。就↠中律宗者、有↢師資相承法↡。真言宗、不↠受↠師不↠読↢一句↡。自余諸宗有↢師資相承之道↡、無↢奉事師匠↡、以↠之為↢往生業↡

つぎに 「しんせつしゅじゅうぜんごう」 とは、じゅうあくほんしてじゅう善業ぜんごうとするなり。おうじょうこころざしあらんもの、すべからくじゅう善戒ぜんかいたもつべし。このなかしんせつとは、これに二義にぎあり。いちにはりょうにはじゅうぜんなか第一だいいちぜんなり。いちりょうとは、りょうにつきてりょうあり、いまはじめをげてのちせっ。これすなはちりょうしゅしておうじょうごうとするこころなり。じゅうぜんなか第一だいいちぜんとは、これすなはちじゅうぜんにおいて総別そうべつぐるなり。べっしてしんせつとは、じゅうあくともにつみなりといへども、せっしょうもつとも第一だいいちなり。ゆゑにべっしてじゅうぜんぐ。ただ仏法ぶっぽうのみにあらず、またこれ輪王りんのう祭法さいほうなり。げんじょうえんをもつてこれをしゃくすべし。みなすなはちじゅうぜんをもつておうじょうごうとするこころなり。

「慈心不殺修十善業」者、翻シテ↢十悪↡為↢十善業↡也。有↢往生志↡者、須↠持↢十善戒↡。而此慈心不殺者、是有↢二義↡。一ニハ慈無量、二ニハ十善第一ナリ。一慈無量者、付↢無量↡有↢四無量↡、今挙↠初接↠後 修↢四無量↡為↢往生業↡意也。二十善第一者、於↢十善↡挙↢総別0347↡也。別シテ慈心不殺者、十悪共雖↠罪、殺生最第一也。故別シテ挙↢十善↡。但非↢仏法ノミニ↡、輪王祭法也。以↢玄奘縁↡可↠釈↠之。皆即以↢十善↡為↢往生業↡意也。

にはじゅさんとうとは、仏法ぶっぽうそうするなり。これにつきて翻邪ほんじゃさんあり、かいさんあり、八戒はっかいさんあり、ないさつさんあり。これをもつておうじょうごうとするなり。

「二ニハ受持三帰」等者、帰↢仏法僧↡也。付↠此有↢翻邪三帰↡、有↢五戒三帰↡、有↢八戒三帰↡、有↢乃至菩薩三帰↡。以↠之為↢往生↡也。

つぎに 「そく衆戒しゅかい」 とは、かいにつきてかいあり、八戒はっかいあり、しゃかいあり、しょうもんそくかいあり、さつ三聚さんじゅじょうかいあり、さつ十重じゅうじゅうじゅうはちきょうかいあり。

「具足衆戒」者、付↠戒有↢五戒↡、有↢八戒↡、有↢沙弥戒↡、有↢声聞具足戒↡、有↢菩薩三聚浄戒↡、有↢菩薩十重・四十八軽戒↡。

ぼん威儀いぎ」 とは、三千さんぜん威儀いぎあり八万はちまん威儀いぎあり。もしおうじょうこころざしあれば、すべからくこれらの諸戒しょかいたもつべきなり。これすなはち戒門かいもんおうじょうこころなり。もしはっしゅうやくせば、これりっしゅうおうじょうこころなり。

「不犯威儀」者、有↢三千威儀↡有↢八万威儀↡。若有↢往生志↡、須可↠持↢諸戒↡也。即戒門往生意也。若約↢八宗↡、律宗往生意也。

つぎに 「ほつだいしん」 とは、ぜいだいだいしんおこすなり。これにつきてまたしょしゅうだいしんあり。法相ほっそうには唯識ゆいしき発心ほっしんあり、三論さんろんにはそう発心ほっしんあり、ごんには法界ほっかい発心ほっしんあり、天台てんだいにはえんにゅう発心ほっしんあり、真言しんごんには三密さんみつ発心ほっしんあり。すべからくもつてかんがふべきか。これらの発心ほっしんおのおのじょうこうしておうじょうごうとするべきなり。その発心ほっしんそう、おのおの宗々しゅうしゅうしょうしょくがごとし

「発菩提心」者、発↢四弘誓之大菩提心↡也。付↠之有↢諸宗菩提心↡。法相ニハ有↢唯識発心↡、三論ニハ有↢無相発心↡、華厳ニハ有↢法界発心↡、天臺ニハ有↢円融発心↡、真言ニハ有↢三密発心↡。須↢以考↡歟。発心各可↧廻↢向シテ浄土↡為↦往生之業↥也。其発心相、各如↠説↢宗宗章疏

つぎに 「深信じんしんいん」 とは、けんいんありしゅっいんあり。けんいんとは、これすなはち六道ろくどういんなり

「深信因果」者、有↢世間因果↡有↢出世因果↡。世間因果者、即六道因果也

しゅっいんとは、すなはちじょうさんじょういんなり。もししょしゅうやくしてこれをせば、しゃにはさんじょういんさだむ、じょうじつしゅうにはさんじょういんりっしゅうにはさんじょういん法相ほっそうだいじょうにはさんじょういん三論さんろんだいじょうにはさんじょういんごんだいじょうにはきょういん天台てんだいだいじょうにはきょういん真言しんごんだいじょうにはじょう三密さんみついんだつしゅうには一仏いちぶつじょういん。これらのしょしゅういんにおいて、おのおの深信じんしんおこして、これらのどくをもつてじょうおうじょうするなり

出世因果者、即四乗・三乗因果也。若約↢諸宗↡之解セバ↠之、倶舎ニハ定↢三乗之因果↡、成実宗ニハ三乗之因果、律宗ニハ三乗之因果、法0348相大乗ニハ三乗因果、三論大乗ニハ三乗因果、華厳大乗ニハ五教因果、天臺大乗ニハ四教因果、真言大乗ニハ五乗三密因果、達磨宗ニハ一仏乗因果。於↢諸宗因果↡、各発↢深信↡、以↢是功徳↡為↣往↢生浄土

いまちょうもん人々ひとびとおんちゅうに、あるいは法相ほっそうしゅうひとあり、あるいは三論さんろんしゅうひとあり、あるいはごんしゅうひとあり、あるいは真言しんごんしゅうひとあり、あるいはりっしゅうひとあり、あるいはしゃじょうじつがく、あるいは天台てんだいごんぎょうにん、おのおのとうしゅう深信じんしんいんどくをもつて深心じんしんこうして、おのおのおうじょうごうとするなり

今聴聞人人御中、或在↢法相宗人↡、或在↢三論宗人↡、或在↢華厳宗人↡、或有↢真言宗人↡、或有↢律宗人↡、或倶舎・成実学徒、或天臺・華厳行人、各以↢当宗深信因果功徳↡深心廻向シテ、各為↢往生業↡

つぎに 「読誦どくじゅだいじょう方等ほうどうきょうてん」 とは、もんるをどくとし、もんそむくをじゅとす。これすなはちしゅほっなかに、読誦どくじゅぎょうげ、じゅとうさんせっ。あるいは読誦どくじゅげ、つぶさに書写しょしゃとう十種じっしゅほうぎょうせっす。

「読誦大乗方等経典」者、見↠文為↠読、背↠文為↠誦五種法師、挙↢読誦二行↡、接↢受持等三↡ 。或挙↢読誦二↡、具接↢書写等十種法行↡。

だいじょう方等ほうどうきょうてんとは、だいじょうとは小乗しょうじょうえらことばなり。べっしていっきょうすにあらず、つうじて一切いっさいしょだいじょうきょうせっす。いはく じゅうぎょうばかりまた ¬しゅう¼ のじゅうしょうのごとし 方等ほうどうきょうてんとは、もろもろのだいじょうきょうす。びょうどうかすがゆゑに方等ほうどうといふ。この方等ほうどうきょうてんにつきて顕密けんみつ方等ほうどうあり。けんぎょうとは、¬ごん¼・¬般若はんにゃ¼・¬だいじゅう¼・¬浄名じょうみょう¼・¬ほっ¼・¬はん¼ とう みっきょうとは、¬ずい¼・¬そんしょう¼・¬無垢むくじょうこう¼・¬阿嚕あろりき¼・¬くうけんじゃく¼・¬こうみょう真言しんごん¼・¬弥陀みだ¼ およびりゅうじゅ所感しょかんおうじょうじょうとうじゅなり。これらは顕密けんみつもろもろのだいじょうじゅ読誦どくじゅしておうじょう極楽ごくらくごうとするなり。

大乗方等経典者、大乗者簡↢小乗↡之言也。別シテ非↠指スニ↢一経↡、通ジテ摂↢一切諸大乗経↡。謂 廿行許如↢¬集¼十二章 方等経典者、指↢諸大乗経↡。明↢平等理↡故云↢方等↡。付↢此方等経典↡有↢顕密方等↡。顕教者、¬華厳¼・¬般若¼・¬大集¼・¬浄名¼・¬法華¼・¬涅槃¼等 。密教者、¬随求¼・¬尊勝¼・¬無垢浄光¼・¬阿嚕力迦¼・¬不空羂索¼・¬光明真言¼・¬阿弥陀¼及龍樹所感往生浄土等呪也。顕密諸大乗、受持・読誦為↢往生極楽業↡也。

いまちょうもん諸衆しょしゅなかに、おのおのこれらのきょうじゅひとましませば、おのおのこのごうをもつておうじょう極楽ごくらくすべし

聴聞諸衆、各持経・持呪人御坐、各以↢此0349↡可↠期↢往生極楽↡

つぎに 「勧進かんじんぎょうじゃ」 にあり。いちにはしょうどうきょう勧進かんじんぎょうじゃにはおうじょうじょう勧進かんじんぎょうじゃいちしょうどう勧進かんじんぎょうじゃ おうじょう勧進かんじんぎょうじゃ 。また堂塔どうとう勧進かんじんぎょうじゃとうあり

「勧進行者」有↠二。一ニハ聖道教勧進行者、二ニハ往生浄土勧進行者。一聖道勧進行者 。二往生勧進行者 有↢堂塔勧進行者等↡

これをもつてこれをあんずるに、この三種さんしゅごうなかにおいて、ごん天台てんだい三論さんろん法相ほっそう真言しんごん禅門ぜんもんしゃじょうじつだいしょうりっしゅうないかいきょうよう父母ぶもじんれいとうぜんおうじょう、このなかにみなこれをおさむ。西方さいほう学者がくしゃ西方さいほうぎょうじゃ、おのおのもんたずねてこれをがくすのみ

以↠之案↠之、於↢此三種↡、華厳・天臺・三論・法相・真言・禅門・倶舎・成実・大小律宗、乃至世界孝養父母、仁・義・礼・智等世善往生、此納↠之。西方学者・西方行者、各尋↠文学↠此

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品

ぼんとは、これをしゃくするにさんとなす。いちには開合かいごうにはりゅうぼんどうさんにはもんにつきてべっしてす。

九品者、釈↠之為↠三。一ニハ開合、二ニハ立品不同、三ニハ付↠文別解。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 開合

いち開合かいごうとは、これをしゃくするにさんとなす。いまぼんさき三福さんぷくひらきてぼんとなす。ゆゑにりぬぼんぎょうごう三福さんぷくほかにさらに別体べったいなしと

開合者、釈↠之為↠三九品開↢前三福↡為↢九品。故九品行業、三福之外無↢別体↡

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 立品不同

りゅうぼんどうとは、ぼんどうつ。これまたさんとなす。いちにはほう浅深せんじんやくす、にはぎょうしょうやくす、さんにはせつじょうたんやくす。

立品不同者、立↢九品不同↡。此又為↠三。一ニハ約↢法之浅深↡、二ニハ約↢行多少↡、三ニハ約↢時節長短↡。

いちほう浅深せんじんやくすとは、しばらく念仏ねんぶついちぎょうのごとき、三品さんぼん浅深せんじんあり、読誦どくじゅ発心ほっしんとうぎょうもまたかくのごとし。れいせば三品さんぼんぼん浅深せんじんあり。

約法浅深者、且如↢念仏一行↡、有↢三品浅深↡、余読誦発心等亦復如↠是。例有↢三品・九品浅深↡。

にはぎょうしょうやくすとは、じょうぼんぎょうし、ちゅうぼんぎょうし、ぼんさんぎょうす。¬双巻そうかん¼ のせつのごとし。これすなはちぎょうしょうやくして品秩ほんちつつるなり。

ニハ約行多少者、上品具↢五行↡、中品具↢四行↡、下品具↢三行↡。如↢¬双巻¼説↡。約↢行多少↡立↢品秩↡也。

さんせつじょうたんやくすとは、いちにはかいぎょうやくし、尽戒じんかい一日いちにちじょうたんあり。これをもつて中上ちゅうじょう中々ちゅうちゅうわかちてぼんとなす、すなはちそのこころなり

約時節長短者、一ニハ約↢戒行↡、尽戒与↢一日↡有↢長短↡。以↠之分↢中上・中中↡為↢二品↡、即意也

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解

さんもんにつきてべっしてすとは、またわかちてとなす。いちにはそうじて三品さんぼんわかつ、にはもんにつきてべっしてす。

付↠文別解者、為↠二。一ニハ総分三品、二ニハ付↠文別解。

いちそうじて三品さんぼんわかつとは、じょうはい三品さんぼんあり。いちには上々じょうじょうには上中じょうちゅうさんにはじょう三品さんぼんどうなりといへども、そうじてじょうぼんとす。ちゅうはいにまた三品さんぼんあり。いちには中上ちゅうじょうには中々ちゅうちゅうさんにはちゅうなり。さんはいにまた三品さんぼんあり。いちにはじょうにはちゅうさんには下々げげ 。またじょうはいにおいて三品さんぼんありといへども、おなじくこれだいじょう善人ぜんにんなり。ちゅうはい三品さんぼんわかちてとなす。中上ちゅうじょう中々ちゅうちゅうはこれ小乗しょうじょう善人ぜんにんなり ちゅうぞく善人ぜんにんなり はい三品さんぼんは、あく軽重きょうじゅうやくしてもつて三品さんぼんとなす、修因しゅいん浅深せんじんによらず。いはくじゅうあくをもつてじょうとし、かいをもつてちゅうとし、ぎゃくをもつて下々げげとす

総分三品者、上輩有↢三品↡。一<0350sup>ニハ上上、二ニハ上中、三ニハ上下。三品雖↢不同↡、総ジテ為↢上品↡。二中輩有↢三品↡。一ニハ中上、二ニハ中中、三ニハ中下ナリ。三下輩有↢三品↡。一ニハ下上、二ニハ下中、三ニハ下下 於↢上輩↡雖↠有リト↢三品↡、同大乗善人ナリ。中輩三品為↠二。中上・中中小乗善人也 。中下世俗善人也 。下輩三品、約↢悪軽重↡以為↢三品↡、不↠依↢修因浅深↡。謂以↢十悪↡為↢下上↡、以↢破戒↡為↢下中↡、以↢五逆↡為↢下下

もんにつきてべっしてすとは、ぼんもんにつきて格別かくべつにこれをしゃくするなり。

付↠文別解者、付↢九品文↡格別釈↠之也。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 上品上生

しばらくじょうぼん上生じょうしょうもんにつきてさんあり。いちには修因しゅいんにはおうじょうさんにはおうじょう以後いご得益とくやく ぼんにつきてみなこのさんあり。しばらく上々じょうじょうぼんさんとは、いちには修因しゅいんにはおうじょうさんにはおうじょう以後いご得益とくやく

付↢上品上生↡有↢三意↡。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ往生已後得益 。付↢九品有↢此三意↡。且上上品三者、一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ往生已後得益

いち修因しゅいんとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「じょうぼん上生じょうしょうとは、もししゅじょうありて、一日いちにちない七日しちにちすなはちおうじょう」 と。このきょうもんをもつてくわしくこれをしゃくすべし

修因者、¬経¼云、「上品上生者、若有↢衆生↡、一日乃至七日即得↢往生↡。」以↢此経文↡委可↠釈↠之

にはおうじょうとは、これにまたあり。いちにはしょうじゅ来迎らいこうにはぎょうじゃおうじょういちしょうじゅ来迎らいこうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「かのくにしょうずるとき、このひとしょうじんす、ぎょうじゃ讃歎さんだんして、そのこころ勧進かんじんす」 と。にはぎょうじゃおうじょうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「ぎょうじゃおはりてかんやくし、だんきょうのごとくにかのくにおうじょうす」 と。

ニハ往生者、是亦有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生。一聖衆来迎者、¬経¼云、「生↢彼国↡時、此人精進、讃↢歎行者↡、勧進其心。」二ニハ行者往生者、¬経¼云、「行者見已歓喜踊躍、如↢弾指頃↡往↢生彼国↡。」

さんおうじょう以後いご得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「しょうこく見仏けんぶつ色身しきしんとう

往生已後得益者、¬経¼云、「生彼国已、見仏色身」等

つぎにいまちょうもん諸衆しょしゅなかに、もしじょうぼん上生じょうしょうこころざしあらんもの、もしは一日いちにちない七日しちにちあいだ、あるいはもろもろのかいぎょうたもち、あるいは方等ほうどうきょうてんじゅし、あるいは六念ろくねんしゅぎょうして、おのおのがんしたがひていちぎょうしゅおうじょう

次今聴聞諸衆、若有↢上品上生志↡者、若一日乃至七日之間、或0351持↢諸戒行↡、或誦↢方等経典↡、或修↢行六念↡、各随↠願修↢一行↡期↢往生↡

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 上品中生

つぎじょうぼん中生ちゅうしょうとは、さきれいしてまたさんあり。いちには修因しゅいんにはおうじょうさんにはしょう得益とくやくなり。

上品中生者、例↠前↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ生後得益ナリ

いち修因しゅいんとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「かならずしもじゅ読誦どくじゅせず、こうして極楽ごくらくこくしょうずることをがんす」 と。

一修因者、¬経¼云、「不↢必受持読誦↡、廻向願↣求生↢極楽国↡。」

おうじょうとはこれにまたあり。いちにはぶつ来迎らいこうにはぎょうじゃおうじょうなり。いちぶつ来迎らいこうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「このぎょうぎょうずるものいのちおわらんとほっするときせんぶついちさずく」 と。ぎょうじゃおうじょうとは、¬経¼ (観経意) にいはく、「ぎょうじゃみづかられば、こんうてなす。すなはちかのくに七宝しっぽうちゅうしょうず」 と。

往生者是有↠二。一ニハ仏来迎、二ニハ行者往生ナリ。一仏来迎者、¬経¼(観経意) 云、「行↢此行↡者命欲↠終時、与↢千化仏↡一時授↠手。」二行者往生者、¬経¼(観経意) 云、「行者自見、坐↢紫金台↡。即生↢彼国七宝池中↡。」

さんしょう得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「このこんうてな大宝だいほうのごとし」 と。

生後得益者、¬経¼(観経) 云、「此紫金台如↢大宝華↡。」

このなかにもしがんじょうぼん中生ちゅうしょう人者にんしゃ 。このなか三論さんろん法相ほっそうごん天台てんだい真言しんごん禅門ぜんもん、おのおの第一だいいちこころあり。また第一だいいちにおいてぼんしゃくすべし

願求上品中生人者 。此三論・法相・華厳・天臺・真言・禅門、各有↢解第一義之意↡。於↢解第一義↡可↠釈↢九品↡

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 上品下生

じょうぼんしょうとは、れいしてまたさんあり。いちには修因しゅいんにはおうじょうさんにはしょう得益とくやくなり。

上品下生者、例亦有↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ生後得益也。

いち修因しゅいんとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「またいんしんじ、だいじょうほうぜず、こうして極楽ごくらくこくしょうぜんとがんす」 と。

修因者、¬経¼云、「亦信↢因果↡、不↠謗↢大乗↡、廻向願↣求生↢極楽国↡。」

おうじょうとは、これにまたあり。いちにはぶつ来迎らいこうにはぎょうじゃおうじょういちぶつ来迎らいこうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「ぎょうじゃいのちおわらんとほっするとき弥陀みだぶつじょう道心どうしんおこす。われきたりてなんぢをむかふ」 と。 ぎょうじゃおうじょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「このこととき、すなはちみづかられば、すなはち七宝しっぽうちゅうおうじょうすることを」 と。

往生者、是有↠二。一ニハ仏来迎、二ニハ行者往生。一仏来迎者、¬経¼云、「行者命欲↠終時、阿弥陀仏、発↢無上道心↡。我来迎↠汝。」行者往生者、¬経¼云、「見↢此事↡時、即自見↠身、即得↣往↢生七宝池中↡。」

さんしょう得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「一日いちにちいちれんすなはちひらく」 以下いげもんこれなり

生後0352者、¬経¼云、「一日一夜蓮華乃開」已下

このなかにもしじょうぼんしょうこころざしあらん、すべからくじょうだいしんおこすべし。そうさきもうそうろふがごとし。おのおのしゅうだいしんおこして、じょうぼんしょうがんすべし 。またこのなか亦信やくしんいんさきもうそうろふがごとし。

有↢上品下生志↡、須↠発↢無上菩提心↡。相如↢前申候↡。各可↧発↢自宗菩提心↡、願↦求上品下生↥ 亦信因果之義、如↢前申候↡。

だいじょう善人ぜんにんじょうはい三品さんぼんおうじょうりゃくしてもつてかくのごとし。

大乗善人、上輩三品往生、略シテ如↠此

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 中品

つぎちゅう三品さんぼんにつきて、善導ぜんどうによらばわかちてとす。中上ちゅうじょう中々ちゅうちゅうぼん小乗しょうじょう善人ぜんにんなり。ちゅうはこれだいじょうにあらず小乗しょうじょうにあらず、いまだ仏法ぶっぽうはざるぞく善人ぜんにんなり

付↢中三品↡、依↢善導↡分為↠二。中上・中中二品小乗善人也。中下非↢大乗↡非↢小乗↡、未↠遇↢仏法↡世俗善人也

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 中品上生

しばらくこのにつきて三品さんぼんしゃくせば、ちゅうぼん上生じょうしょうれいしてまたさんあり。いちには修因しゅいんにはおうじょうさんには得益とくやくなり。

付↢此義↡釈↢三品↡者、中品上生、例有↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ得益也。

いち修因しゅいんとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「もししゅじょうありてかいじゅし、こうして西方さいほう極楽ごくらくかいしょうぜんとがんす」 と。

修因者、¬経¼云、「若有↢衆生↡受↢持五戒↡、廻向願↠求↠生↢於西方極楽世界↡。」

おうじょうとは、これにまたあり。いちにはしょうじゅ来迎らいこうにはぎょうじゃおうじょういちしょうじゅ来迎らいこうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「命終みょうじゅうときのぞんで、弥陀みだぶつしゅっ讃歎さんだんして、しゅはなるることを」 と。 ぎょうじゃおうじょうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「ぎょうじゃおはりて、しんおおきにかんす。いまだあたまげざるとき、すなはち極楽ごくらくかいおうじょうすることを」 と。

往生者、亦有↠二。一者聖衆来迎、二ニハ行者往生。一聖衆来迎者、¬経¼云、「臨↢命終時↡、阿弥陀仏讃↢歎出家↡、得↠離↢衆苦↡。」行者往生者、¬経¼云、「行者見已、心大歓喜。未↠挙↠頭頃、即得↣往↢生極楽世界↡。」

さんしょう得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「れんすなはちひらく。はなひらときあたりて」 と。

生後得益者、¬経¼云、「蓮華尋開。当↢華敷時↡。」

もしこのなかちゅうぼん上生じょうしょうこころざし

有↢中品上生

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 中品中生

つぎちゅうぼん中生ちゅうしょうとは、れいしてまたさんあり。いちには修因しゅいんにはおうじょうさんには得益とくやく

中品中生者、例有↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ得益。

いち修因しゅいんとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「もししゅじょうありて、もしは一日いちにちいち八戒はっかいさいじゅし、こうして極楽ごくらくこくしょうぜんとがんす。戒香かいこうくんじゅうし」 と。

修因者、¬経0353¼云、「若有↢衆生↡、若一日一夜受↢持八戒斉↡、廻向願↠求↠生↢極楽国↡。戒香薫修。」

ぎょうじゃおうじょうとは、これにまたあり。いちにはしょうじゅ来迎らいこうにはぎょうじゃおうじょういちしょうじゅ来迎らいこうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「かくのごときぎょうじゃいのちおわらんとほっするとき弥陀みだぶつる。ざん諸仏しょぶつきょうずいじゅんするがゆゑに、われきたりてなんぢをむかふ」 と。 ぎょうじゃおうじょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「ぎょうじゃみづかられば、れんうえす。れんすなはちがっし、西方さいほう極楽ごくらくかいしょうじてほうなかにあり」 と。

行者往生者、是有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生。一聖衆来迎者、¬経¼云、「如↠此行者、命欲↠終時、見↢阿弥陀仏↡。随↢順三世諸仏教↡故、我来迎↠汝。」行者往生者、¬経¼云、「行者自見、坐↢蓮華上↡。蓮華即合、生↢於西方極楽世界↡在↢宝池中↡。」

さんしょう得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「七日しちにちれんすなはちひらく」 と。 じょう小乗しょうじょう

生後得益者、¬経¼云、「経↢於七日↡蓮華乃敷。」 已上小乗

つぎにこのなかちゅうぼん中生ちゅうしょうこころざしあらん

有↢中品中生志↡

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 中品下生

つぎちゅうぼんしょうとは、これすなはちいまだ仏法ぶっぽうはざるぞく善人ぜんにんなり。これをもつてちゅうとし、さきがっしてちゅうはい三品さんぼんとす。これしょうしょ れいしてまたさんあり。いちには修因しゅいんにはおうじょうさんにはしょう得益とくやく

中品下生者、↠遇↢仏法↡世俗善人也。以↠此為↢中下↡、合↠前為↢中輩三品。是少異与諸師 。例↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ生後得益。

いち修因しゅいんとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「善男ぜんなんぜん女人にょにんきょうよう父母ぶも法蔵ほうぞう比丘びくじゅうはちがん」 と。

修因者、¬経¼云、「善男子・善女人、孝養父母。法蔵比丘四十八願。」

ぎょうじゃおうじょうとは、これにまたあり。いちしょうじゅ来迎らいこうとは、さきじゅんぜばのち諸品しょぼんにかならずこれあるべし。かんとうしょ、みなそのぞんず。ぎょうじゃおうじょうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「このこときおはりて、すなはち西方さいほう極楽ごくらくかいしょうず」 と。

行者往生者、是有↠二。一聖衆来迎者、准↠前諸品必可↠有。懐感等諸師、存↢其。二行者往生者、¬経¼云、「聞↢此事↡已、即生↢西方極楽世界↡。」

さんしょう得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「七日しちにちて、かんおんふ」 と。

生後得益者、¬経¼云、「経↢七日↡、遇↢観世音↡。」

ちゅうかくのごとし。もしちゅうぼんしょうこころざしあらんもの

中下如↠是。若有↢中品下生志↡者

そうじてちゅうはい三品さんぼんかくのごとし

総中輩三品如↠是

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 下品

つぎぼんさんしょうとは、このひとだいしょう善根ぜんごんおよびぞく善根ぜんごんなし、もろもろのじゅうあくかいおよびもろもろのぎゃく罪人ざいにんなり。もつてこの三品さんぼん悪人あくにん罪業ざいごう軽重きょうじゅうしたがひ、てて三品さんぼんとす。罪業ざいごう軽重きょうじゅうとは 。これにつきて三品さんぼんあり。

0354下品三生者、此人無↢大小善根及世俗善根↡、諸十悪・破戒及五逆罪人也。以此三品悪人随↢罪業軽重↡、立為↢三品↡。罪業軽重。付↠之有↢三品↡。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 下品上生

しばらくぼん上生じょうしょうとは、これじゅうあく罪人ざいにんなり。れいのごとくさんあり。いちには修因しゅいんにはおうじょうさんにはしょう得益とくやく

下品上生者、十悪罪人也。例如有↠三。一者修因、二ニハ往生、三ニハ生後得益。

いち修因しゅいんとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「あるいはしゅじょうあり、もろもろの悪業あくごうをなす。じゅう億劫おくこうしょうつみのぞく」 と。このなかぜんぎょうあくぎょうあり、わかちてこれをしゃくすべし。

修因者、¬経¼云、「或有↢衆生↡、作↢衆悪業↡。除↢五十億劫生死之罪↡。」此有↢善行・悪行↡、可↢分釈↟此。

ぎょうじゃおうじょうとは、これにまたあり。いちにはしょうじゅ来迎らいこうにはぎょうじゃおうじょうなり。いちしょうじゅ来迎らいこうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「そのときかのぶつ、」すなはちぶつつかはして、諸罪しょざいしょうめつす。われきたりてなんぢをむかふ」 と。 ぎょうじゃおうじょうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「このをなしおはりて、ぎょうじゃすなはちぶつこうみょうる。ぶつあとしたがひてほうなかしょうず」 と。

行者往生者、是有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生也。一聖衆来迎者、¬経¼云、「爾時彼仏、即遣↢化仏↡、諸罪消滅。我来迎↠汝。」行者往生者、¬経¼云、「作↢是語↡已、行者即見↢化仏光明↡。随↢化仏後↡生↢宝池中↡。」

さんしょう得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「しち七日しちにちれんすなはちひらく」 と。

生後得益者、¬経¼云、「経↢七七日↡蓮華乃敷。」

つぎにこのぼんなかにこのほんようなり。すこぶるわれらがぶん相当そうとう。もしぼん上生じょうしょうこころざしあらば

次此九品中此品華要也。頗相↢当。若有↢下品上生之志↡

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 下品中生

つぎぼん中生ちゅうしょうとは、これかい罪人ざいにんなり。れいしてまたさんあり。いちには修因しゅいんにはぎょうじゃおうじょうさんにはしょう得益とくやく

下品中生者、破戒罪人也。例亦有↠三。一ニハ修因、二ニハ行者往生、三ニハ生後得益。

いち修因しゅいんとは、これにまたあり。いちにはあくぎょうにはぜんぎょういちあくぎょうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「あるいはしゅじょうあり、かい八戒はっかいぼんし、もろもろの悪業あくごうをもつてみづからしょうごんす。かくのごとき罪人ざいにん悪業あくごうをもつてのゆゑに」 と。 ぜんぎょうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「いのちおわらんとほっするときごくしゅはちじゅう億劫おくこうしょうつみのぞく」 と。

修因者、此亦有↠二。一者悪行、二者善行。一悪行者、¬経¼云、「或有↢衆生↡、毀↢犯五戒・八戒↡、以↢諸悪業↡而自荘厳。如↠此罪人0355以↢悪業↡故。」 善行者、¬経¼云、「命欲↠終時、地獄衆火。除↢八十億劫生死之罪↡。」

おうじょうとは、これにまたあり。いちにはしょうじゅ来迎らいこうにはぎょうじゃおうじょういちしょうじゅ来迎らいこうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「ごくみょうして清涼しょうりょうかぜとなり、もろもろのてんく。じょうにみなぶつさつありて、このひとこうしょうす」 と。ぎょうじゃおうじょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「一念いちねんあいだのごとく、すなはち七宝しっぽうちゅうおうじょうすることを」 と。

往生者、是有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生。一聖衆来迎者、¬経¼云、「地獄猛火、化為↢清涼風↡、吹↢諸天華↡。華上皆有↢化仏・菩薩↡、迎↢接此人↡。」二行者往生者、¬経¼云、「如↢一念頃↡、即得↣往↢生七宝池中↡。」

さんしょう得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「れんうち六劫ろっこう」 と。 つぎにもしぼんしょうこころざしあらん

生後得益者、¬経¼云、「蓮華之内経↢於六劫↡。」若有↢下品下生志↡

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 付文別解 下品下生

つぎぼんしょうとは、これまたぎゃく罪人ざいにんなり。れいしてまたさんあり。いちには修因しゅいんにはおうじょうさんにはしょう得益とくやく

下品下生者、五逆罪人也。例有↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ生後得益。

いち修因しゅいんとは、これにまたあり。いちにはあくぎょうにはぜんぎょういちあくぎょうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「あるいはしゅじょうあり、善業ぜんごうをなして、こう経歴きょうりゃくしてくることきゅうなり」 と。にはぜんぎょうとは、¬きょう¼ (観経意) にいはく、「かくのごときにんはちじゅう億劫おくこうしょうつみのぞく」 と。

修因者、是有↠二。一ニハ悪行、二ニハ善行。一悪行者、¬経¼云、「或有↢衆生↡、作↢不善業↡、経↢歴多劫↡受↠苦無窮。」二ニハ善行者、¬経¼云、「如↠此愚人。除↢八十億劫生死之罪↡。」

おうじょうとは、これにまたあり。いちにはしょうじゅ来迎らいこうにはぎょうじゃおうじょういちしょうじゅ来迎らいこうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「命終みょうじゅうときこんれんるになほ日輪にちりんのごときそのひとまえじゅうす」 と。くわしくこれをしゃくすべし ぎょうじゃおうじょうとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、、「一念いちねんあいだのごとく、すなはち極楽ごくらくかいおうじょうすることを」 と。

往生者、是亦有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生。一聖衆来迎者、¬経¼云、「命終之時、見↢金蓮華↡猶如↢日輪↡住↢其人前↡。」可↠釈↠之行者往生者、¬経¼云、「如↢一念頃↡、即得↣往↢生極楽世界↡。」

さんしょう得益とくやくとは、¬きょう¼ (観経) にいはく、「れんなかにおいてじゅう大劫たいこうつ」 と。

生後得益者、¬経¼云、「於↢蓮華中↡満↢十二大劫↡。」

これをぼんしょうとなす。そうじてぼんさんしょうかくのごとし。

此為↢下品下生↡。総ジテ下品三生如↠此

そうじて三福さんぷくぼん散善さんぜんりゃくしてもつてかくのごとし。ちょうもん大衆だいしゅぎょうよくしたがひて、あるいはじょうぼん上生じょうしょうねがひ、あるいはじょうぼん中生ちゅうしょうないぼんしょうがんじましますか。じょう正宗しょうしゅうじょう散善さんぜんおうじょうりゃくしてもつてかくのごとし。

0356ジテ三福・九品散善、略シテ如↠此。聴聞大衆随↢楽欲↡、或願↢上品上生↡、或願↢上品中生乃至下品下生↡坐歟。已上正宗定散善往生義、略シテ如↠此

入文解釈 王宮会 流通分

つぎずうおおくの文段もんだんあり。ようりてこれをしゃくすに、¬きょう¼ (観経) にいはく、「ぶつなんげたまはく、なんぢよくこのたもて」 と。 これをしゃくするに二意にいあり。いちには善導ぜんどうにより、じょうさんしょぎょうはいしてただ念仏ねんぶつ一門いちもんす。経中きょうちゅう諸文しょもんにおいて、りゃくしてこのじょす。

流通有↢多文段↡。取↠要釈↠之、¬経¼云、「仏告↢阿難↡、汝好持↢是語↡。」 釈↠此有↢二意↡。一者依↢善導↡、廃↢定散諸行↡但帰↢念仏一門↡。二於↢経中諸文↡、略シテ輔↢助此↡。

入文解釈 王宮会 流通分 依善導

いちには善導ぜんどうによりしょぎょうはいして念仏ねんぶつ一門いちもんすとは、善導ぜんどう (散善義) の 「仏告ぶつごうなんとうもんしゃくしていはく、「仏告ぶつごうなん汝好にょこう是語ぜごより以下いげは、まさしく弥陀みだみょうごうぞくして、だいずうすることをかす。じょうらいじょうさんりょうもんやくくといへども、ぶつ本願ほんがんのぞむるに、こころしゅじょうをして一向いっこうにもつぱら弥陀みだぶつみょうしょうせしむるにあり」 と。 善導ぜんどうしゃく (玄義分意) にいはく、「しょきょうしゅうどうなり、この ¬きょう¼ 観仏かんぶつ三昧ざんまいしゅうとなす、また念仏ねんぶつ三昧ざんまいをもつてしゅうとなす」 と。

ニハ依↢善導↡廃↢諸行↡帰↢念仏一門↡者、善導釈↢「仏告阿難」等↡云、「従↢仏告阿難汝好持是語↡已下、正明↧付↢属弥陀名号↡、流↦通コトヲ於遐代↥。上来雖↠説↢定散両門之益↡、望↢仏本願↡、意在↣衆生一向専称↢弥陀仏名↡。」 善導釈云、「諸経宗旨不同、此¬経ニハ¼観仏三昧為↠宗、亦以↢念仏三昧↡為↠宗。」

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助

には諸文しょもんをもつてじょすとは、この ¬きょう¼ のこころは、じょうさん善根ぜんごんきて、しょぎょうおうじょうかすといへども、そのしょうろんずるに、まさしく念仏ねんぶつおうじょうにあり。そのもんおおしといへども、りゃくしてさんきて、もつてそのせん。

ニハ以↢諸文↡輔助者、此¬経¼意、説↢定散善根↡、雖↠明↢諸行往生↡、論ルニ↢其正意↡、正有↢念仏往生↡。其文雖↠多、略シテ引↢三五↡、以輔↢其義。

いちにはだいかんの 「こうみょうへんじょう」 のもんにはだいじゅうかんの 「りょう寿仏じゅぶつしんしゅとうもんさんにはぼん上生じょうしょうの 「しゃきょうがっしょう叉手しゃしゅしょう南無なも弥陀みだぶつ」 のもんにはおなじくぼん上生じょうしょうぶつしょうさんの 「にょしょうぶつみょう諸罪しょざいしょうめつ」 のもんにはぼん中生ちゅうしょうちょうもん弥陀みだどくおうじょうもんろくにはぼんしょうじゅうねんおうじょうもんしちには 「にゃく念仏ねんぶつしゃとう輔↢にんないしょう諸仏しょぶつ輔↢」 のもん

ニハ第九観「光明遍照」文、二ニハ第十二観「無量寿仏化身無数」等文、三ニハ下品上生「智者復教0357合掌叉手、称南無阿弥陀仏」文、四ニハ下品上生化仏称讃「汝称仏名故諸罪消滅」文、五ニハ下品中生聴聞弥陀功徳往生文、六ニハ下品下生十念往生文、七ニハ「若念仏者当知此人、乃至生諸仏家」文。

いちには 「こうみょうへんじょう (観経) とは、このもんしゃくするにさんあり。いちにはびょうどうには本願ほんがんさんには親縁しんえんとう

ニハ「光明遍照」者、釈↢此文↡有↢三義↡。一ニハ平等義、二ニハ本願義、三ニハ親縁等義。

いちびょうどうとは、そもそも弥陀みだこうみょう、ただ念仏ねんぶつしゃばかりをらしぎょうものらしたまはざるは何事なにごとぞや。およそどうおもふに、如来にょらいえん慈悲じひこうみょう一切いっさい顕密けんみつぎょうにん一切いっさい事理じりぎょうじゃらすべし。なんぞ (観経) 念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしゃ」といふ、念仏ねんぶつぎょうじゃほか一切いっさい顕密けんみつぎょうじゃ、みなもつて摂取せっしゅこうみょうらさず、えん慈悲じひるべし、そのじょうしんなり。

平等者、抑弥陀光明、唯照↢念仏者計↡不↠照↢余行者↡哉。凡思↢道理↡、如来無縁慈悲光明、可↠照↢一切顕密行人・一切事理行者↡。何 (観経) 云↢「念仏衆生摂取不捨」↡、念仏行者外一切顕密行者、不↠照↢摂取光明↡、可↠漏↢無縁慈悲↡、其条不審ナリ

はちじゅうろくじゅうの ¬ごん¼ をじゅし、事々じじえんにゅうむねさんじ、じゅんしん法界ほっかいかんずるひと、いかんぞ弥陀みだこうみょうえらてらる。¬どうぎょう¼・¬しょうてん¼・¬しゅ¼・¬金剛こんごう¼ とうじゅほっ般若はんにゃひっきょうくうむね唯言ゆいごん無二むにほうだんずるもの、なんぞ弥陀みだこうみょうこうむらざる。¬やくきょう¼ をたもちびょうどう如々にょにょり、¬円覚えんがくきょう¼ を一切いっさいこんりゅうし、¬しゅりょうごんぎょう¼ を十方じっぽうふくみ、¬大集だいじっきょう¼ をたも染浄ぜんじょう融通ゆうずうす。

誦↢八十・六十¬華厳¼↡、讃↢事々円融之旨↡、観↢純真法界之理↡人、云何被↣選↢捨弥陀光明↡。¬道行¼・¬勝天¼・¬理趣¼・¬金剛¼等受持法師、知↢般若畢竟空旨↡談↢唯言無二法↡、何不↠蒙↢弥陀光明↡也。持↢¬思益経¼↡識↢平等如如↡、受↢¬円覚経¼↡建↢立一切↡、読↢¬首楞厳経¼↡含↢十方↡、持↢¬大集経¼↡融↢通染浄↡。

あるいは ¬ほう積経しゃくきょう¼ ひゃく十巻じっかんたも根塵こんじん泯合みんごうす、あるいは ¬法華ほけきょう¼ いち八巻はっかんたも実相じっそう体達たいたつす、あるいは ¬はん¼ をぎょうぶっしょうる、あるいは ¬浄名じょうみょうきょう¼ をどうじょうさとる。かくのごときらのひと、われしかしながらこれをらさず。あるいは瑜伽ゆがどうじょう、あるいはかん縄床じょうしょう、これをらさざるはいかんぞ。

持↢¬宝積経¼百二十巻↡泯↢合根塵↡、或持↢¬法華経¼一部八巻↡体↢達実相↡、或行↢¬涅槃¼↡知↢仏性↡、或読↢¬浄名経¼↡悟↢道場↡。如↠是人、我然不↠照↠之哉。或瑜伽0358之道場、或理観之縄床、不↠照↠之者云何

まことに田猟でんろうぎょものらさず、せっしょうちゅうとうひとらさず、ぎゃくじゅうあくいえらさず、きんかいまどらさず、もつともそのゆゑあるか。

不↠照↢田猟・漁捕之者↡、不↠照↢殺生・偸盗之人↡、不↠照↢五逆・十悪之家↡、不↠照↢毀禁・破戒之窓↡、最有↢其所以↡哉。

かくのごとき仏法ぶっぽうしゅぎょうひとは、権実ごんじつろんぜず顕密けんみつをいはず、こうみょう摂取せっしゅひかりただ念仏ねんぶつしゃかぎる。

如↠此仏法修行之人、不↠論↢権実↡不↠云↢顕密↡、光明摂取光局↢唯念仏者↡。

そのゆゑはきょうろんにおいてひろくこれをたっするものこれをらさば、しゃかい愚痴ぐちのものはおお智恵ちえすくなし。事理じりにおいてじんのものこれをらさば、鈍根どんごんのものはおおこんのものはすくなし。念仏ねんぶつ法門ほうもんにおいては、にんこれをしゅし、だいしょう文殊もんじゅ師利しり念仏ねんぶつほっしょうおしにんこれをしゅし、¬かんりょう寿じゅきょう¼ のじゅうあくきょうざいかいざいぎゃくじゅうざいのものをらす。

於↢経論↡博達↠之↠之、娑婆世界愚痴智恵少。於↢事理↡深利者照↠之、鈍根利根。於↢念仏法門↡者、智人修↠之、大聖・文殊師利教↢念仏於法照↡ 。愚人修↠之、照↢¬観無量寿経¼十悪軽罪・破戒次罪・五逆重罪者↡。

あるいは (観経) 教令きょうりょう念仏ねんぶつ」 といひて念仏ねんぶつしゅせしむ、あるいは (観経意) たん当応とうおう称唱しょうしょうみょうごう」 といひてぼんしょうげんどんせんこれをどうず。ようりてこれをおもはば、にんかぎればにんるべし。ゆゑにいま摂取せっしゅこうみょうただ念仏ねんぶつしゃらす

云↢「教令念仏」↡修↢念仏↡、或云↢「但当応称唱名号」↡凡聖・賢愚・利鈍・貴賎同↠之。取↠要思↠之、局↢智人↡愚人可↠漏。故摂取光明照↢唯念仏者↡

には本願ほんがん、いはくぎょう本願ほんがんのゆゑにこれを照摂しょうしょうせず、念仏ねんぶつはこれ本願ほんがんのゆゑにこれを照摂しょうしょうす。ゆゑに善導ぜんどうしょう ¬ろく礼讃らいさん¼ にいはく、「弥陀みだ身色しんじき金山こんぜんのごとし、相好そうごうこうみょう十方じっぽうらし、ただ念仏ねんぶつもうこうしょう、まさにるべし本願ほんがんもつともこわきとす」 と。

ニハ本願義、謂余行非本願不↣照↢摂之↡、念仏本願照↢摂之↡。故善導和尚¬六時礼讃¼云、「弥陀身色如↢金山↡、相好光明照↢十方↡、唯有↢念仏蒙光摂↡、当↠知本願最為↠強。」

また所引しょいんもんちゅう (定善義) に 「自余じよしゅぎょうすいみょうぜんにゃく念仏ねんぶつしゃぜんきょう」 といふは、こころのいはく これじょうもんしょぎょうやくしてろんするところなり。念仏ねんぶつはこれすでにひゃくいちじゅうおくなかえらるところの妙行みょうぎょうなり、しょぎょうはこれすでにひゃくいちじゅうおくなかえらてるところのぎょうなり、ゆゑにぜんきょうといふ。また念仏ねんぶつはこれ本願ほんがんぎょうしょぎょうはこれ本願ほんがんのゆゑに、ぜんきょうといふ。

又所引文中 (定善義) 言↢「自余衆行雖名是善、若比念仏者全非比挍也」↡者、意云、約↢浄土門諸行↡而所↢比論↡也。念仏二百一十億所↢選取↡妙行也、諸行二百一十億0359所↢選捨↡麁行也、故云↢全非比挍也↡。念仏本願行、諸行非本願、云↢全非比挍也↡。

さんにはしんとうさん善導ぜんどうしょう (定善義) ひていはく、つぶさにしゅぎょうしゅして、ただよくこうすればみなおうじょう。なにをもつてか仏光ぶっこうあまねくらすにただ念仏ねんぶつしゃせっするは、なんのこころかあるや。こたへていはく、これにさんあり。

者親等三義。善導和尚 (定善義) 「問、備修↢衆行↡、但能廻向皆得↢往生↡。何以仏光普照唯摂↢念仏者↡、有↢何意↡哉。答曰有↢三義↡。

いちには親縁しんえんかす。しゅじょうぎょうおこくちにつねにぶつしょうすれば、ぶつすなはちこれをきたまふ。につねにぶつらいきょうすれば、ぶつすなはちこれをたまふ。こころにつねにぶつねんずれば、ぶつすなはちこれをりたまふ。しゅじょうぶつ憶念おくねんすれば、ぶつまたしゅじょう憶念おくねんしたまふ。彼此ひし三業さんごうあひしゃせず。ゆゑに親縁しんえんづく」 と。 しゅじょうぶつねんぜずは、ぶつしゅじょうようなり

ニハ明↢親縁↡。衆生起↠行口常称↠仏、仏即聞↠之。身礼↢敬レバ仏↡、仏即見↠之。心常念↠仏、仏即知↠之。衆生憶↢念仏↡者、仏憶↢念衆生↡。彼此三業不↢捨離↡。故名↢親縁↡也。」 衆生不↠念↠仏、仏与↢衆生↡遥疎也

には近縁ごんえんかす。「しゅじょうぶつんとがんずれば、ぶつすなはちねんおうじてげん目前もくぜんにまします。ゆゑに近縁ごんえんづく」 と。 しゅじょうぶつねんぜずは、ぶつしゅじょう遥遠ようおんなり。これにつきて二意にいあり。いち平生びょうしょうにはりんじゅう

ニハ明↢近縁↡。「衆生願↠見↠仏、仏即応↠念現在↢目前↡。故名↢近縁↡也。」 衆生不↠念↠仏、仏与↢衆生↡遥遠ナリ。付↠之有↢二意↡。一平生、二ニハ臨終。

いち平生びょうしょうとは、もしひとぶつねんぜば、弥陀みだぶつしゅしんかんおんだいせい、まさにきたりてこのぎょうにんところいた念仏ねんぶつ草庵そうあんしょうなりといへども、恒沙ごうじゃしょうじゅうんじゅうし、あんえん華座けざおなじ。三昧さんまいどうじょうこうなりといへども、しゅげんじょう側塞しきそくひとし。りょうじゅせんこけにわじゅう万億まんおくせつとおからず、しゃく往来おうらいのごとし、一間いっけんほうじょうしつせまからず、たいのごとく宛満えんまんす。もしひとぶつねんぜずは、恒沙ごうじゃしょうじゅ一人いちにんきたらず、しゅぶつ一仏いちぶつきたらず。さればぶつ極遠ごくおんなるがゆゑに、こうみょう摂取せっしゅせず。ぶつねんずれば、ぶつぎょうじゃちかきがゆゑに、こうみょう摂取せっしゅするなり。今日こんにち禅門ぜんもんぜん同念どうねんどうしょうひと、みなしょうぶつしてちか

平生者、若人念↠仏、阿弥陀仏無数化身・化観世音・化大勢至、当来至↢此行人之所↡ 。念仏草庵雖↠少、恒沙聖衆雲集、同↢菴羅園之華座↡。三昧之道場雖↠校、無数賢聖側塞等。霊鷲山庭、十万億刹土不↠遠、如↢咫尺往来↡、一間方丈室不↠校、如↢太虚↡宛満。若人不↠念↠仏者、恒沙聖衆一人不↠来、無数化仏一仏不↠来。レバ与↠仏極遠ナルガ、光明不↢摂取↡。念↠仏者、仏近↢行者身↡故、光明摂取也。今日禅門・禅尼、同念0360・同称之人、皆称仏近

りんじゅうとは、一切いっさい念仏ねんぶつぎょうにんいのちおわらんとほっするときぶつ来迎らいこうしたまふ。ぼんぎょうにん一人いちにんとしてむなしからずぶつ来迎らいこうしたまふ ぶつ来迎らいこうあずからんとおもはば、しょぎょうはいして念仏ねんぶつしゅせよ。

臨終者、一切念仏行人、命欲↠終ント時仏来迎。九品行人、一人不↠空仏来迎 。欲↠預↢仏来迎↡、廃↢諸行↡修↢念仏↡。

さんにはぞうじょうえんかす。「しゅじょうしょうねんすれば、すなはちこうつみのぞく。いのちおわらんとほっするときぶつしょうじゅとみづからきたこうしょうして、もろもろの邪業じゃごっよくさまたぐるものなし。ゆゑにぞうじょうえんづく」 と。 (定善義) 自余じよしゅぎょうこれぜんづくといへども、もし念仏ねんぶつすればまつたくきょうにあらず」 と。 (定善義) このもんによるに、しょぎょうはいして念仏ねんぶつすべし

ニハ明↢増上縁↡。「衆生称念レバ、即除↢多劫罪↡。命欲↠終ント時、仏与↢聖衆↡自来迎接シテ、諸邪業繋無↢能者↡。故名↢増上縁↡也。」 「自余衆行雖↠名↢是善↡、若比レバ↢念仏↡者全非↢比挍↡也。」依↢此↡、廃↢諸行↡可↠帰↢念仏↡

に、だいじゅうかん (観経) に 「りょう寿仏じゅぶつしんしゅかんおん大勢だいせいとつねにきたりてこのぎょうにんところいたる」 と。

二、第十二観「無量寿仏化身無数、与↢観世音・大勢至↡常来至↢此行人之所↡。」

善導ぜんどうしゃく (礼讃) にいはく、「もししょうらいして弥陀みだぶつねんじ、がんじてかのくにおうじょうせんとすれば、かのぶつすなはちしゅぶつしゅかんおん大勢だいせいさつつかはして、ぎょうじゃねんしたまふ。またさきじゅうさつとう百重ひゃくじゅうせんじゅうぎょうじゃにょうし、行住ぎょうじゅう坐臥ざが一切いっさいしょはず、もしはひるもしはよる、つねにぎょうじゃはなれたまはず。いますでにこのしょうやくあり、たのむべし ねがはくはもろもろのぎょうじゃ、おのおのすべからくしんくことをもとむべし」 と。 ゆゑにしょぎょうはい念仏ねんぶつ一門いちもんすべし。

善導釈云、「若称礼念↢阿弥陀仏↡、願往↢生彼国↡者、彼仏即遣↢無数化仏、無数化観世音・化大勢至菩薩↡、護↢念行者↡。与↢前二十五菩薩等↡百重千重囲↢遶行者↡、不↠問↢行住坐臥、一切時処↡、若昼若夜、常不↠離↢行者↡。今既有↢斯勝益↡、可↠馮 。願行者、各↢至心求↟往。」廃↢諸行↡可↠帰↢念仏一門↡。

さんぼんしょう (観経) に 「しゃまたがっしょう叉手しゃしゅして南無なも弥陀みだぶつしょうせしむ」 とうと。

下品下生「智者復教↣合掌叉手称↢南無阿弥陀仏↡」等

善導ぜんどうしょう (散善義) ひていはく、なんがゆゑぞ、きょうくことじゅう二部にぶ、ただつみ千劫せんこうのぞしょうぶついっしょう、すなはちつみひゃく万劫まんこうのぞくは、なんのこころや。こたへていはく、造罪ぞうざいひとさわおもし、くわふるに死苦しく来逼らいひつするをもつてす。善人ぜんにんきょうくといへども、餐受さんじゅこころさんす。こころさんずるによるがゆゑに、つみのぞくことややかるし。またぶつみょうはこれいち、すなはちよくさんせっするがゆゑにこころじゅうするをもつてす。またおしへてしょうねんにして称名しょうみょうせしむ。こころおもきによるがゆゑに、すなはちよくつみこうのぞく」 と。

善導和尚「問、何、聞↠経十二部、但除↢罪千劫↡、称仏一声、即除↢罪五百万劫↡者、何意也。答曰、造罪之人障重、加以↢死苦来逼↡。善人雖0361↠説↢多経↡、餐受之心浮散。由↢心散↡故、除クコト↠罪仏名一、即能摂↠散以↠住↠心。復教令↢正念↡称名。由↢心重↡故、即能除↢罪多劫↡也。」

かんりんじゅうにただ念仏ねんぶつもんおしべつにあり。また ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のなかぼん上生じょうしょうをもつて念仏ねんぶつおうじょうとなす、もんきょうどくらず 。このもんをもつてこれをあんずるに、もろもろのおうじょうきょうなか念仏ねんぶつさいしょうなり。ゆゑにしょぎょうはいして念仏ねんぶつすべきなり。

懐感臨終但教↢念仏門↡。在別 ¬観念法門¼中以↢下品上生↡為↢念仏往生↡、不↠取↢聞経功徳↡ 。以↢此文↡案ルニ↠之、諸往生経念仏最勝也。故廃↢諸行↡帰↢念仏↡也。

おなじきぼん上生じょうしょうぶつしょうさんぎょうじゃもん (観経) にいはく、「なんぢぶつみょうしょうするゆゑに諸罪しょざいしょうめつす。われきたりてなんぢをむかふ」 とは、善導ぜんどうしゃくして (散善義) いはく、「さんには所聞しょもんさんかすに、ただしょうぶつこうべて、われきたりてなんぢをむかふといひもんきょうことろんぜず。しかるに仏願ぶつがんこころのぞむれば、ただしょうねんぶつみょうすすむ、おうじょう雑散ぞうさんごうおなじからず。かくのごとく ¬きょう¼ およびしょなかに、処々しょしょひろたんじて、すすめて称名しょうみょうせしむ。まさに要益ようやくとするなり」 と。

同下品上生化仏称讃行者云、「汝称↢仏名↡故諸罪消滅。我来迎↠汝」者、善導釈シテ云、「三ニハ明↢所聞化讃↡、但述↢称仏之功↡、我来迎↠汝不↠論↢聞経之事↡。然望↢仏願意↡者、唯勧↢正念称名↡、往生義疾不↠同↢雑散之業↡。如↠此¬経¼及諸部、処処広ジテ、勧令↢称名↡。将為↢要益↡也。」

ぼん中生ちゅうしょう弥陀みだぶつどくくために つぎに 「このひときおはりてはちじゅう億劫おくこうしょうつみのぞく」 (観経) とうは、善導ぜんどうしゃく (散善義) していはく、「罪人ざいにんすでに弥陀みだみょうごうき、すなはちつみこうのぞくことをかす」 と。 このもんによりてしょぎょうはいすべしとう

下品中生、為↠説↢阿弥陀仏功徳↡ 。次「此人聞除↢八十億劫生死之罪↡」等者、善導釈云、「明↧罪人既聞↢弥陀名号↡、即除↦罪多劫↥。」 依↢此文↡廃↢諸行↡等

ろくぼんしょう (観経) ぜんしき種々しゅじゅあんしてためにみょうほうく」 とうとは、善導ぜんどうしゃくして (散善義) いはく、「善人ぜんにんあんしておしへて念仏ねんぶつせしむることをかす。罪人ざいにん死苦しくきたぶつみょうねんずることをるによしなきことをかす。ろくぜんくるしみて失念しつねんすとりて、 きょうてんじてくち弥陀みだみょうごうしょうせしむることをかす。しち念仏ねんぶつしょう声々しょうしょうけんなることをかす。はちつみこうのぞく。りんじゅうしょうねんかしすなはちこんきたおうず」 と。

下品下生「善知識種種安慰為説↢妙法↡」等者、善導釈シテ云、「四明↣善人安慰シテ令↢念仏↡。五明↢罪人死苦来逼無↟由↠得↠念↢仏名↡。六0362↢善友知苦失念、転教口称弥陀名号↡。七明↢念仏多少、声声無間↡。八除↢罪多劫↡。九明↢臨終正念↡即有↢金華来応↡。」

しんしゃく (要集巻下) にいはく、「ごくじゅう悪人あくにん無他むた方便ほうべん」 と。 いまこのもんによりて、念仏ねんぶつをもつてきょうようとうぜんのぞむるに、念仏ねんぶつしょうきょうようれつなり。あにぎゃくざいのもの、りんじゅうきょうようぎょうぎょうじておうじょうせん。ゆゑにきょうようとうれつぎょうはいして、しゅしょう念仏ねんぶつぎょうにつくべし

恵心釈云、「極重悪人無他方便。」 今依↢此↡、以↢念仏↡望↢孝養等善↡、念仏勝、孝養劣也。逆罪者、臨終行↢孝養行↡期↢往生↡。故廃↢孝養等劣行↡、殊勝可↠付↢念仏

しちに 「にゃく念仏ねんぶつしゃそくにんちゅうないしょう諸仏しょぶつ (観経) とうとは、善導ぜんどうしゃく (散善義) にいはく、「にゃく念仏ねんぶつしゃよりしもしょう諸仏しょぶついたるこのかたは、まさしく念仏ねんぶつ三昧ざんまいのうちょうぜつして、じつ雑善ぞうぜんるいとすることをるにあらざることをあらわす。すなはちそのあり。いちにはもつぱら弥陀みだぶつねんずることをかす。にはさん能念のうねんひとかす。さんにはもしよく相続そうぞくして念仏ねんぶつするものをかす、このひとはなはだ希有けうとす、さらにもののもつてこれにならぶべきものなし、ゆゑにふん陀利だりきてたとへとす。

「若念仏者即是人中、乃至生諸仏家」等者、善導云、「五従↢若念仏者↡下至↢生諸仏家↡已来、正顕↧念仏三昧功能超絶、実非↦雑善得↞為↢比類↡。即有↢其五↡。一ニハ明↣専念↢弥陀仏名↡。二ニハ明↢指讃能念之人↡。三ニハ明↢若能相続念仏者↡、此人甚為↢希有↡、更無↣物可↢以方↟之、故引↢分陀利↡為↠喩

ふん陀利だりといふは、にんちゅうこうづく、または希有けうづく、またはにんちゅう上々じょうじょうづく、またはにんちゅうみょうこうづく。このはな相伝そうでんしてさいづく。これもし念仏ねんぶつすれば、すなはちこれにんちゅう好人こうにんにんちゅうみょうこうにんにんちゅう上々じょうじょうにんにんちゅう希有けうにんにんちゅうさいしょうにんなり。

言↢分陀利↡者、名↢人中好華↡、亦名↢希有華↡、亦名↢人中上上華、亦名↢人中妙好華。此華相伝シテ名↢蔡華↡。是若念仏者、即人中好人、人中妙好人、人中上上人、人中希有人、人中最勝人也。

専念せんねん弥陀みだみょうかすとは、すなはち観音かんのんせいつねに随逐ずいちくようし、またはしんしきのごとくなり。こんじょうにすでにこのやくこうむることをかす、いのちててすなはち諸仏しょぶついえる。すなはちじょうこれなり。かしこにいたりて、じょうほうき、りゃくよう因円いんえんまんして、どうじょう、あにはるかならん」 と。

明↢専念弥陀名↡者、即観音・勢至常随逐影護、如↢親友知識↡也。五明↣今生既蒙↢此益↡、捨↠命即入↢諸仏之家↡。即浄土也。到↠彼、長時聞↠法、歴0363事供養因円果満シテ、道場之座、賖。」

入文解釈 王宮会 後述

わたくしにひていはく、¬きょう¼ (観経) にいはく、「にゃく念仏ねんぶつしゃ。まさにるべし、このひとは」、ただ念仏ねんぶつしゃやくしてこれを讃歎さんだんす。しゃくなんのこころありてか、(散善義) じつ雑善ぞうぜんとくるい」 といふ、雑善ぞうぜん相対そうたいしてひと念仏ねんぶつたんずるか。

、¬経¼云、「若念仏者。当↠知、此」、唯約↢念仏者↡而讃↢歎之↡。釈家有↢何意↡、云↢「実非雑善得為比類」↡、相↢対雑善↡独歎↢念仏↡乎。

こたへていはく、もんちゅうかくせりといへども、こころこれあきらかなり。るゆゑは、この ¬きょう¼ はすでにじょうさん諸善しょぜん ならびに 念仏ねんぶつぎょうくそのなかにおいてひと念仏ねんぶつひょうしてもつてふん陀利だりたとふ。雑善ぞうぜんつにあらず、いかんぞよく念仏ねんぶつこう諸善しょぜんぎょうゆることをあらわさんや。

答曰、文中雖↠隠リト、義ナリ。所↢以知↡、此¬経¼既説↢定散諸善 念仏↡而於↢其↡孤標↢念仏↡以喩↢分陀利↡。非↠待↢雑善↡、云何能顕↣念仏功超↢余諸善行↡。

しかればすなはち 「念仏ねんぶつものは、すなはちこれにんちゅう好人こうにん (散善義) とは、これあくたいしてむるところなり。 (散善義) にんちゅうみょうこうにん」 といふは、これあくたいしてむるなり。 (散善義) にんちゅう上々じょうじょうにん」 とは、これ下々げげたいしてむるところなり。 (散善義) にんちゅう希有けうにん」 といふは、これじょうたいしてむるところんり。 (散善義) にんちゅうさいしょうにん」 といふは、これ最劣さいれつたいしてむるところなり。

レバ「念仏、即人中好人」者、待↠悪而所↠美也。言↢「人中妙好人」↡者、待↢麁悪↡所↠称也。言↢「人中上上人」↡者、待↢下下↡而所↠讃也。言↢「人中希有人」↡者、是待↢常有↡而所↠歎也。言↢「人中最勝人」↡者、待↢最劣↡而所↠褒也。

ひていはく、すでに念仏ねんぶつをもつて上々じょうじょうづくは、なんがゆゑぞ上々じょうじょうぼんなかかず下々げげぼんいたりて念仏ねんぶつくや。

曰、既以↢念仏↡名↢上上↡者、何不↠説↢上上品中↡至↢下下品↡而説↢念仏↡乎。

こたへていはく、あにさきにいはずや、念仏ねんぶつぎょうひろぼんわたると。すなはちさきくところの ¬おうじょうようしゅう¼ (巻下) にいはく、「そのしょうれつしたがひてぼんわかつべし」 とこれなり。しかのみならずぼんしょうはこれぎゃくじゅうざいひとなり。しかるによくぎゃくざい除滅じょめつするは、ぎょうへざるところなり。ただ念仏ねんぶつちからのみありて、よくへてじゅうざいめっす。ゆゑに極悪ごくあくさいひとのために極善ごくぜんさいじょうほうくところなり。

答曰不↠云、念仏之行広亘↢九品↡。即所↠引¬往生要集¼云、「随↢其勝劣↡応↠分↢九品↡」也。加之下品下生五逆重罪之人也。而能除↢滅逆罪↡、所↠不↠堪↢余行↡也。唯有↢念仏之力↡、能堪滅↢重罪↡。故為↢極悪最下之人↡所↠説↢極善最上之法↡。

れいせばかのみょう淵源えんげんやまいちゅうどうぞうくすりにあらずがごときすなはちすることあたず。いまこのぎゃく重病じゅうびょう淵源えんげんは、またこの念仏ねんぶつりょうやくぞう。この薬にあらざれば、なんぞこのやまいせん。

如↣彼無明淵源之病、非↢中道府蔵之薬↡即不0364↠能↠治ルコト五逆重病淵源此念仏霊薬府蔵。非↢此↡者、何↢此↡。

ゆゑに弘法こうぼうだい ¬きょうろん¼ (巻下) に ¬ろっ波羅ぱらみつきょう¼ をきていはく、「第三だいさん法宝ほうぼうとは、いはゆる過去かこりょう諸仏しょぶつ所説しょせつしょうぼう、およびわれいまくところなり。いはゆる八万はちまんせんのもろもろのみょう法薀ほううんなり。ないえんしゅじょう調じょうぶく純熟じゅんじゅくしてなんとうしょだい弟子でしをして、ひとたびみみきてみなことごとくおくせしむ。

弘法大師¬二教論¼引↢¬六波羅蜜経¼↡云、「第三法宝者、所↠謂過去無量諸仏所説正法、及今所↠説。所↠謂八万四千妙法薀。乃至調↢伏純↣熟有縁衆生↡而令↧阿難陀等諸大弟子、一聞↢於耳↡皆悉憶持↥。

せっしてぶんとなす。いちには素呾そたらんには毘奈びなさんには阿毘あびだつには般若はんにゃ波羅はらみっには陀羅だらもんなり。このしゅぞうじょうきょうして、所応しょおうしたがひてせんがためにこれをく。

シテ為↢五分↡。一ニハ素呾纜、二ニハ毘奈耶、三ニハ阿毘達磨、四ニハ般若波羅蜜多、五ニハ陀羅尼門ナリ。此五種蔵教↢化有情↡、随↢所応↡度而説↠之。

もしかのじょう山林せんりんこのしょし、つねにげんじゃくしてじょうりょしゅせんには、しかもかれがために素呾そた纜蔵らんぞうく。

有情楽↢処山林↡、常居↢閑寂↡修↢静慮↡者、而為↠彼説↢素呾纜蔵↡。

もしかのじょう威儀いぎこのならしょうぼう護持ごじして、いちごうしてじゅうしめんには、しかもかれがために毘尼びにぞうく。

有情楽↢習威儀↡護↢持正法↡、一味和合シテ令↠得↢久住↡、而説↢毘尼耶蔵

もしかのじょうしょうぼうこのき、しょうぞう分別ふんべつして、修環しゅかん研覈けんかくきょう甚深じんじんならんには、しかもかれがために阿毘あびだつぞうく。

有情楽↠説↢正法↡、分↢別性相↡、修環研覈究竟甚深、而為↠彼説↢阿毘達磨蔵↡。

もしかのじょうだいじょう真実しんじつ智恵ちえこのならひ、ほうにおいて執着しゅうじゃくはな分別ふんべつせんには、しかもかれがために般若はんにゃ波羅はらみっぞうく。

有情楽↢習大乗真実智恵↡、離↧於↢我法↡執着↥分別、而為↠彼説↢般若波羅蜜多蔵↡。

もしかのじょうかいきょう調じょうぶく対法たいほう般若はんにゃじゅすることあたはず、あるいはまたじょうもろもろの悪業あくごうつくる。じゅうはちじゅうけんざいほう方等ほうどうきょう一闡いっせんだいとう種々しゅじゅじゅうざい、すなはちしょうめつし、すみやかだつし、とんはんさとらん、しかもかれがためにしょ陀羅だらぞうく。

有情不↠能受↢持契経・調伏・対法・般若↡、或有情造↢諸悪業↡。四重・八重・五無間罪・謗方等経・一闡提等種種重罪、便得↢銷滅↡、速解脱、頓悟↢涅槃↡、而↠彼説↢諸陀羅尼蔵↡。

このぞう、たとへばにゅうらくしょうじゅくおよびみょうだいのごとし。かいきょうにゅうのごとく、調じょうぶくらくのごとく、対法たいほうきょうはかのしょうのごとく、だいじょう般若はんにゃはなほしじゅくのごとく、そうもんとはたとへばだいのごとし。

五蔵、辟如↢乳・酪・生・熟蘇及妙醍醐↡。契経如↠乳、調伏如↠酪、対法教者0365如↢彼生穌↡、大乗般若如↢熟穌↡、総持門者辟如↢醍醐↡。

だいあじにゅうらくじゅくなかみょう第一だいいちなり。よくしょびょうのぞきもろもろのじょうをして身心しんしん安楽あんらくならしむ。そうもんとはかいきょうとうなかにもつとも第一だいいちとす。よくじゅうざいのぞきもろもろのしゅじょうをしてしょうだつすみやかはん安楽あんらく発心ほっしんしょうせしむ」 と。

醍醐之味、乳・酪・熟蘇微妙第一。能除↢諸病↡令↢諸有情ヲシテ身心安楽↡。総持門者契経等為↢第一↡。能除↢重罪↡令↧諸衆生解↢脱生死↡速証↦涅槃安楽発心↥。」

このなかに、けんざいとはこれぎゃくざいなり。すなはちだいみょうやくにあらずは、けんやまいはなはだりょうしがたしとす。念仏ねんぶつもまたしかなり。おうじょうきょうなか念仏ねんぶつ三昧ざんまいこれそうのごとし、またはだいのごとし。まは念仏ねんぶつ三昧ざんまいだいくすりにあらずは、ぎゃくじんじゅうやまいはなはだしがたしとす。るべし。

、五無間罪五逆罪也。即非↢醍醐之妙薬↡者、五無間病甚為↠難↠療。念仏ナリ。往生教念仏三昧如↢総持↡、如↢醍醐↡。亦非↢念仏三昧醍醐之薬↡者、五逆深重病甚為↠難↠治。応↠知

ひていはく、もししかればぼん上生じょうしょうはこれじゅうあくきょうざいひとなり。なんがゆゑぞ念仏ねんぶつく。

、若爾者下品上生十悪軽罪之人ナリ。何説↢念仏↡。

こたへていはく、念仏ねんぶつ三昧ざんまいじゅうざいなほめっす。いかにいはんやきょうざいをや。ぎょうはしからず。あるいはきょうめっじゅうめっせざるあり。あるいはいちせざるあり。念仏ねんぶつはしからず。軽重きょうじゅうねてめっす、一切いっさいあまねくす。たとへば阿伽あがやくのごとくあまねく一切いっさいやまいす。ゆゑに念仏ねんぶつをもつておう三昧ざんまいとなす。

答曰、念仏三昧、重罪。何軽罪哉。余行不↠然。或有↠滅↠軽而不↠滅↠重。或有↠消↠一而不↠消↠二。念仏不↠然。軽重兼、一切遍。辟如↢阿伽陀薬↡徧治↢一切↡。故以↢念仏↡為↢王三昧↡。

およそぼん配当はいとうはこれ一往いちおうなり。ぎゃくしん上々じょうじょうつうず。読誦どくじゅ妙行みょうぎょうまた下々げげつうず。じゅうあくきょうざいかいざいおのおのじょうじ、第一だいいちほつだいしんまたじょうつうず。一法いっぽうにおのおのぼんあり。もしほんやくせばすなはち九々くくはちじゅう一品いちほんなり。

九品配当一往ナリ。五逆廻心通↢於上上↡。読誦妙行通↢下下↡。十悪軽罪・破戒次罪各通↢上下↡、解第一義・発菩提心通↢上下↡。一法↢九品↡。若↠品九九八十一品也。

しかのみならずざい (浄土論巻上) のいはく、「しゅじょうぎょうすでに千殊せんじゅあり。おうじょうけんまた万別まんべつあり」 と。一往いちおうもんたいしゅうおこすことなかれ。そのなか念仏ねんぶつはこれすなはち勝行しょうぎょうなるがゆゑに、ふん陀利だりきて、もつてそのたとえとなす。たとえこころるべし。

加之迦才云、「衆生起行既有↢千殊↡。往生見土有↢万別↡。」見↢一往↡莫↠起スコト↢封執↡。其念仏即勝行ナルガ、引↢芬陀利↡、以為↢其0366↡。辟意応↠知

しかのみならず念仏ねんぶつぎょうじゃ観音かんのんせいかげかたちのごとくしばらくもしゃせず。ぎょうはしからず。また念仏ねんぶつは、いのちてて以後いごけつじょうして極楽ごくらくかいおうじょうす。ぎょうじょうなり。

加之念仏行者、観音・勢至、如↢影与↟形暫不↢捨離↡。余行不↠爾念仏者、捨↠命已後決定シテ往↢生極楽世界↡。余行不定ナリ

およそしゅ嘉誉かよながす、そんようこうむる、これはこれ現益げんやくなり。またじょうおうじょうして、ないじょうぶつす、これはこれ当益とうやくなり。

凡流↢五種嘉誉↡、蒙↢二尊影護↡、現益也。往↢生浄土↡、乃至成仏、此当益也。

またどうしゃくぜん念仏ねんぶついちぎょうにおいてじゅうりょうやくつ。¬安楽あんらくしゅう¼ (巻下) にいはく、「念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしてえたまはず、寿いのちきてひっしょうす。これをやくづく。じゅうやくといふは、¬観音かんのんじゅきょう¼ によらば、弥陀みだぶつじゅうじょうちょうさい永劫ようごうにしてまためつはつはんときあり。ただ観音かんのんせいのみありて、安楽あんらくじゅうし、十方じっぽうしょういんす。そのぶつめつまたじゅうせつ等同とうどうなり。しかるにかのくにしゅじょう一切いっさいぶつけんするものあることなし。ただ一向いっこうにもつぱら弥陀みだぶつねんじておうじょうするものありて、つねに弥陀みだげんましましてめつなるをる。これすなはちこれそのじゅうやくなり」 と。

道綽禅師於↢念仏一行↡立↢始終両益↡。¬安楽集¼云、「念仏衆生摂取シテ不↠捨、寿尽必生。此名↢始益↡。言↢終益↡者、依↢¬観音授記経¼、阿弥陀仏住世長久、兆載永劫ニシテ亦有↢滅度般涅槃時↡。唯有↢観音・勢至↡、住↢持安楽↡、接↢引十方↡。其仏滅度与↢住世時節↡等同ナリ。然ルニ衆生、一切無↠有↧覩↢見仏↡者↥。唯有↧一向専念↢阿弥陀仏↡往生者↥、常見↢弥陀現在不滅↡。此即終益也。」

いまこのもんによりてきょうようとうぎょうはいし、念仏ねんぶつすべし 。これはこれ極悪ごくあくたいして極善ごくぜんあらわこころなり。

依↢此↡廃↢孝養等麁行↡、可↠帰↢念仏対↢極悪↡表↢極善↡意也。

つぎ上々じょうじょうぼんにまた念仏ねんぶつあり。しからば ¬きょう¼ (観経) にいはく、「一者いっしゃじょうしんしゃ深心じんしん三者さんしゃこう発願ほつがんしん三心さんしんしゃひっしょうこく」 と。およそ三心さんしんまんぎょうつうずるゆゑに、善導ぜんどうしょうこの三心さんしんしゃくするに、正行しょうぎょうぞうぎょうぎょうをもつてす。いまこの ¬きょう¼の三心さんしんは、すなはち本願ほんがん三心さんしんひらく。しかるゆゑに 「しん (大経巻上) とはじょうしんなり、「しんぎょう」 とは深心じんしんなり、「よくしょうしょうこく」 とはこう発願ほつがんしんなり。

上上品有↢念仏↡。爾者¬経¼云、「一者至誠心、二者深心、三者廻向発願心。具三心者必生彼国。」凡三心通↢万行↡故、善導和尚釈↢此三心↡、以↢正行・雑行二行↡。¬経¼三心、即開↢本願三心↡。爾「至心」者至誠心也、「信楽」者深心、「欲生我国」者廻向発願心也。

これをもつてこれをあんずるに、「ひっしょうこく」 のことばじんあるべきか。ひつとはひつたいすることばなり。正行しょうぎょうしゅするものはかならずかのくにしょうじ、ぞうぎょうしゅするものはかならずしもかのくにしょうぜず。人天にんでんとうつうずるがゆゑに。またぞうぎょうしゅしておうじょうすること、ひゃくなかいちせんなかさんなり。ゆゑにひつといふなり。せんしゅするものは、ひゃくはすなはちひゃくしょうじ、せんはすなはちせんしょうず。ゆゑに 「ひっしょう」 といふなり。

以↠之案↠之、「必0367生彼国」之言可↠有↢深意↡歟。必者対↢不必也。修↢正行↡者必生↢彼↡、修↢雑行↡者不↣必生↢彼↡。通↢人天等↡故修↢雑行↡往生ルコト、百一二、千三五。故云↢不必↡也。修↠専者、百即百生、千即千生。故云↢「必生」也。

くところの三心さんしんとは、これぎょうじゃようおうじょう目足もくそくなり。ゆゑいはいかんとなれば、¬きょう¼ (観経) にすなはち 「三心さんしんしゃひっしょうこく」 といふ。あきらかにりぬ三心さんしんすればかならずしょうずることをべし。しゃくにすなはち (礼讃) 若少にゃくしょう一心いっしんそくとくしょう」 といふ。あきらかにりぬ一少いっしょうはこれさらに不可ふかなり。これによりて極楽ごくらくしょうぜんとほっするひとはまつたく三心さんしんそくすべきなり。

所↠引三心者、行者至要・往生目足也。所以ナレバ、¬経¼則云↢「具三心者必生彼国」↡。明具↢三心↡必応↠得↠生。釈云↢「若少一心即不得生」↡。明一少更不可ナリ。因↠茲欲↠生ント↢極楽↡之人全可↣具↢足三心↡也。

そのなかに 「じょうしん」 とはこれ真実しんじつしんなり。そのそうかのもんのごとし。ただし 「げん賢善けんぜんしょうじんそうない虚仮こけ (散善義) とは、ほかとはうちたいすることばなり。いはくそう内心ないしん調じょうこころ。すなはちこれ外智げちないなり。けんとはたいすることばなり。いはくほかはこれけんうちなり。ぜんとはあくたいすることばなり。いはくほかはこれぜんうちはすなはちあくなり。しょうじんとはだいたいすることばなり。いはくほかにはしょうじんそうしめし、うちはすなはちだいこころいだくものなり。もしそれほん畜内ちくないすれば、ただしゅつようそなふべし。

「至誠心」者真実心也。其相如↢彼↡。但「外現賢善精進之相、内懐虚仮」者、外者対↠内之辞也。謂外相与↢内心↡不調之意。即外智、内痴也。賢者対↠愚之言也。謂賢、内愚也。善者対↠悪之辞也。謂善、内悪也。精進者対↢懈怠↡之言也。謂ニハ示↢精進↡、内即懐↢懈怠↡者。若翻外畜内者、祇応↠備↢出要↡。

うちには虚仮こけいだとうとは、うちとはほかたいすることばなり。いはく内心ないしんそう調ととのはざるこころなり。すなはちこれないじつなり。とはじつたいすることばなり。いはくないじつのものなり。とはしんたいすることばなり。いはくないじつなり。もしそれ翻内ほんないばんとは、またしゅつようるべし。

ニハ懐↢虚仮↡等者、内者対↠外之辞也。謂内心与↢外相↡不↠調之心。即内虚、外実也。虚者対↠実之言也。謂内虚、外実者也。仮者対↠真之辞也。謂内仮、外真也。若翻内播外者、可↠足↢出要↡。

つぎに 「深心じんしん」 とは、いはく深信じんしんしんなり。まさにるべししょういえにはをもつてしょとなし、はんみやこにはしんをもつてのうにゅうとなす。ゆゑにいましゅ信心しんじんこんりゅうして、ぼんおうじょうけつじょうするものなり。

「深心」者、謂深信之心。当↠知0368生死之家ニハ↠疑為↢所止↡、涅槃之城ニハ以↠信為↢能入↡。故建↢立二種信心↡、決↢定九品往生↡者也。

またこのなか (散善義) に 「一切いっさいべつべつぎょうがくけんとうといふは、これしょうどうもんぎょう学見がくけんすなり。そのはすなはちこれじょうもんこころなり。もんにありてつべし。あきらかにりぬ善導ぜんどうこころまたもんでざるなり。こう発願ほつがんべっしゃくつべからず。ぎょうじゃこれをるべし。

言↢「一切別解・別行・異学・異見」等↡者、指↢聖道門解行学見↡也。其浄土門意。在↠文可↠見。明善導之意不↠出↢二門↡也。廻向発願之義、不↠可↠俟↢別釈↡。行者応↠知↠之

この三心さんしんとはそうじてこれをいはば、もろもろのぎょうほうつうず。べっしてこれをいはば、おうじょうぎょうにあり。いまつうげてべつせっす。こころすなはちあまねし ぎょうじゃよく用心ようじんして、あえて忽緒こっちょせしむることなかれ。

三心者総而言↠之、通↢諸行法↡。而別シテ言↠之、在↢往生↡。挙↠通摂↠別。意即周 行者能用心シテ、敢勿↠令↢忽緒↡。

入文解釈 王宮会 証定

つぎ証定しょうじょうもんまづしゅう祖師そし 云々けいして一切いっさいえんしきとうにまうさく。はすでにこれしょうぼん智恵ちえ浅短せんたんなり。しかるにぶっきょうゆう、あえてたやすく異解いげしょうぜず。つひにすなはちこころひょう結願けつがんして、ひて霊験れいげんもとむ。まさに造心ぞうしんすべし。一如いちにょきょうぼう南無なもみょうしたてまつる。るべし」 (散善義意) と。

証定文。先他宗祖師 云云 「敬白↢一切有縁知識等↡。餘生死凡夫。智恵浅短ナリ。然仏教幽微、不↣敢生↢異解↡。遂即標↠心結願、請求↢霊験↡。方可↢造心↡。南↢無帰↣命一如経法↡。応知。」

 

観無量寿経釈

寛永かんえい みずのえさる こよみせん中旬ちゅうじゅん

松屋 弥次兵衛

寛永九 暦姑洗中旬

まつ 弥次やじ兵衛べえ

 

延書は底本の訓点に従って有国が行った。
底本は龍谷大学蔵寛永九年刊本 ¬三部経私記¼。