0325◎観無量寿経釈 諸しょ師しの解げ釈しゃく多おおしといへども、 いままさしく善導ぜんどうにより、 かたはらに諸しょ師しの釈しゃくをもつて善導ぜんどうを輔ほ助じょす 云云

天臺黒谷沙門源空記

 

◎▼まさにこの ¬経きょう¼ を釈しゃくせんとするに、 略りゃくして五意ごいあり。 一いちには↓前ぜん後ごを定さだむ、 二にには↓来らい意い、 三さんには↓釈名しゃくみょう、 四しには↓二に善ぜんの義ぎを釈しゃくす、 五ごには↓入にゅう文もん解げ釈しゃく。

◎将ニ↠釈ント↢此ノ¬経ヲ¼↡、略シテ有↢五意↡。一ニハ定↢前後↡、二ニハ来意、三ニハ釈名、四ニハ釈↢二善義↡、五ニハ入文解釈。

定前後

一いちに↑定じょう前ぜん後ごとは、 ¬寿じゅ経きょう¼・¬観かん経ぎょう¼ の前ぜん後ご、 暗ひそかにもつて定さだめがたし。 いま一いち意いによるに、 先さきに ¬寿じゅ経きょう¼ 後のちにこの ¬経きょう¼、 文もんあり理りあり。

一ニ定前後ト者、¬寿経¼・¬観経¼之前後、暗ニ以テ難↠定。今依↢一意ニ↡、先¬寿経¼後此¬経¼、有↠文有↠理。

まづ文もんとは、 これにまた三さんあり。 一いちに華座けざ観かんの文もん (観経) にいはく、 「法蔵ほうぞう比丘びく願力がんりき所しょ成じょう」 と。 いまこの文もんによるに、 前さきに ¬寿じゅ経きょう¼ かの願がんを説とき、 いまかれを指さして 「願力がんりき所しょ成じょう」 といふ。 ゆゑに知しりぬ ¬寿じゅ経きょう¼ は前さき、 この ¬経きょう¼ は後のちなり。 二にに中ちゅう輩はい下げ生しょうの文もん (観経) にいはく、 「阿あ難なん白びゃく仏ぶつ、 法蔵ほうぞう比丘びく四し十じゅう八はち大願だいがん」 と。 云々 三さんに ¬双巻そうかん経ぎょう¼ (大経) の上じょうの文もんにいはく、 「阿あ難なん、 仏ぶつにまうさく、 法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつすでに成じょう仏ぶつして滅めつ度どを取とりたまへりとやせん、 いまだ成じょう仏ぶつしたまはずとやせん、 いま現げんにましますとやせんと。 仏ぶつ、 阿あ難なんに告つげたまはく、 法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつ、 いますでに成じょう仏ぶつして現げんに西方さいほうにまします。 ここを去さること十じゅう万まん億刹おくせつなり。 その仏ぶつの世せ界かいを名なづけて安楽あんらくといふ」 と。 云々

先文ト者、此ニ亦 タ有リ↠三。一ニ華座観ノ文ニ云、「▲法蔵比丘願力所成」。今 マ依↢此ノ文ニ↡、前¬寿経¼説↢彼ノ願↡、今指↠彼ヲ云↢「願力所成ト」↡。故ニ知ヌ¬寿経ハ¼前、此ノ¬経ハ¼後也。二ニ中輩下生ノ文ニ云、「阿難白仏、▲法蔵比丘四十八大願。」云云 三ニ¬双巻経ノ¼上ノ文ニ云、「▲阿難白↠仏、法蔵菩薩為↣已成仏而取↢滅度↡、為↠未↢成仏↡、為↢今現在↡。◆仏告↢阿難↡、法蔵菩薩、今已成仏現在↢西方↡。去↠此十万億刹。其仏世界名曰↢安楽↡。」云云

次つぎに理りありとは、 ¬寿じゅ経きょう¼ のなかにかの仏ぶつの発心ほっしん修しゅ行ぎょう・依え正しょう二に報ほうを説とく、 今いまの ¬経きょう¼ にかの依え正しょうの説せつにつきて、 この十じゅう三観さんがんといふ。 ゆゑに知しりぬ ¬寿じゅ¼ 前ぜん ¬観かん¼ 後ごなり。

次ニ有リト↠理者、¬寿経0326ノ¼中ニ説↢彼仏ノ発心修行・依正二報ヲ↡、今¬経¼付↢彼ノ依正之説↡、云↢此十三観↡。故ニ知ヌ¬寿¼前¬観¼後也。

来意

二にに↑来らい意いとは、 すでにかの ¬経きょう¼ は前さき、 この ¬経きょう¼ は後のちなり。 これによりて来らい意いあるべし。 かれ仏ぶつの因いん果がを説とくといへどもいまだ行ぎょう者じゃの修因しゅいん感かん果かを説とかず。 ゆゑに次つぎに仏ぶつの修因しゅいん感かん果か、 行ぎょう者じゃの修因しゅいん感かん果か来きたる。 またかの ¬経きょう¼ に三品さんぼんの往おう生じょうを説とくといへども、 いまだ九く品ぼんの義ぎを説とかず。 いま三品さんぼんを開ひらかんがために九く品ぼんとなす、 この ¬経きょう¼ 来きたるなり。 これにまた多義たぎあり 云々。 「仏ぶつ」 とは 云々。

二ニ来意ト者、既ニ彼ノ¬経ハ¼前、此ノ¬経ハ¼後也。依テ↠之可↠有ル↢来意↡。彼雖↠説クト↢仏因果ヲ↡未ダ↠説↢行者修因感果ヲ↡。故ニ次ニ仏修因感果、行者修因感果来。又 タ彼ノ¬経ニ¼雖↠説↢三品ノ往生ヲ↡、未ダ↠説↢九品義ヲ↡。今為↠開↢三品ヲ↡為↢九品↡、此¬経¼来也。此又有↢多義↡ 云云。「仏」者 云云。

釈名

三さんには↑釈名しゃくみょうとは、 ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の名なを釈しゃくするなり。 「観かん」 とは、 能観のうかんすなはち十じゅう三観さんがんに通つうず。 「無む量りょう寿じゅ」 とは、 所観しょかんの境きょうなり。 すなはち第だい九くの一観いっかんなり。 所観しょかんの境きょうに十じゅう三さんありといへども、 無む量りょう寿じゅを挙あげて余よの十じゅう二にを摂せっす。 いはく無む量りょう寿じゅとは、 これかの土どの教きょう主しゅ弥陀みだ如来にょらい正しょう報ぼうの身しんなり。 正しょう報ぼうあればかならず依え報ほうの宝樹ほうじゅ・宝ほう池ちあるべきがゆゑに、 正しょうを挙あげて依えを摂せっす。 また無む量りょう寿じゅとは、 これかの土どの教きょう主しゅ、 教きょう主しゅあればかならず眷属けんぞくの観音かんのん・勢せい至し等とうあるべきがゆゑに、 教きょう主しゅを挙あげて伴はんを摂せっす。 「経きょう」 とは 云々。

三ニハ釈名ト者、釈↢¬▲観無量寿経ノ¼名ヲ↡也。「観ト」者、能観即通↢十三観ニ↡。「無量寿ト」者、所観之境也。即第九ノ一観也。所観ノ境ニ雖↠有リト↢十三↡、挙↢無量寿ヲ↡摂↢余ノ十二↡。謂無量寿ト者、是 レ彼ノ土ノ教主弥陀如来正報之身也。有↢正報↡必可↠有↢依報之宝樹・宝池↡故ニ、挙↠正ヲ摂↠依ヲ。又 タ無量寿ト者、是 レ彼土ノ教主、有レバ↢教主↡必可↠有↢眷属之観音・勢至等↡故ニ、挙↢教主ヲ↡摂↠伴ヲ。「経ト」者 云云。

料簡定散二善

四しには↑定じょう散さん二に善ぜんを料りょう簡けんすとは、 往おう生じょうの業ごう多おおしといへども、 定じょう散さんを出いでず。 ゆゑにすべからく釈しゃくすべき文もんにいはく、 前さきにかならずこれを料りょう簡けんすと。 定じょう善ぜんに十じゅう三さんあり。 いはく日想にっそう乃ない至し雑想ざっそう観かんなり 云々。 散善さんぜんに三福さんぷくあり九く品ぼんあり。 三福さんぷくとは 云々。 九く品ぼんとは 云々。 次つぎに定じょうとはすなはち想おもいを息やめ心こころを凝こらす、 ゆゑに定じょうといふ。 これにすなはち十じゅう三さんあり。 散さんとはすなはち悪あくを廃はいしもつて善ぜんを修しゅす、 ゆゑに散さんといふ。 また三福さんぷく・九く品ぼんあり 云々。

四ニハ料↢簡スト定散二善↡者、往生ノ業雖↠多シト、不↠出↢定散ヲ↡。故ニ須↠釈文ニ云、前必料↢簡之↡。定善ニ有↢十三↡。謂日想乃至雑想観也 云云。散善ニ有↢三福↡有↢九品↡。三福ト者 云云。九品ト者 云云。次ニ定ト者則息↠想ヲ凝↠心ヲ、故ニ云↠定ト。此即有↢十三↡。散ト者0327即廃↠悪ヲ以修↠善ヲ、故ニ云↠散ト。亦 タ有↢三福・九品↡ 云云。

入文解釈

五ごには↑入にゅう文もん解げ釈しゃくとは、 善導ぜんどうの御おん意こころによるに、 この ¬経きょう¼ に両りょう処しょ二会にえの説せつとなす。 一いちには↓王おう宮ぐ会え、 二にには↓耆ぎ闍しゃ崛山くっせん会えなり。

五ニハ入文解釈ト者、依↢善導御意↡、此¬経ニ¼為↢両処二会之説↡。一ニハ王宮会、二ニハ耆闍崛山会也。

入文解釈 王宮会

↑王おう宮ぐ会えにつきて、 分わかちて四し段だんとなす。 初はじめ 「如にょ是ぜ我が聞もん」 より 「云うん何が見けん極楽ごくらく世せ界かい▲」 に至いたるこのかたは、 これ↓序分じょぶんなり。 二にに 「▲仏号ぶつごう韋い提だい汝にょ及ぎゅう衆しゅ生じょう」 より以下いげ下げ品ぼん下げ生しょうの文もんに訖いたる、 これ↓正宗しょうしゅうなり。 三さんに 「説せつ是語ぜご時じ」 より 「諸天しょてん発心ほっしん▲」 に訖いたる、 これ*得益とくやく分ぶんなり。 四しに 「阿あ難なん白びゃく仏ぶつ」 より下しも 「韋い提だい等とう歓かん喜ぎ」 に訖いたる、 これ↓流る通ずう分ぶんなり。 以い上じょう王おう宮ぐ会え

付↢王宮会ニ↡、分テ為↢四段ト↡。初自↢「▲如是我聞」↡至ル↢「云何見極楽世界ニ」已来 タ、是 レ序分也。二ニ従↢「仏号韋提汝及衆生」↡已下訖↢于下品下生之文↡▲、是 レ正宗也。三ニ従↢「▲説是語時」↡訖↢于「諸天発心ニ」↡、是 レ得益分也。四ニ従↢「▲阿難白仏」↡下訖↢于「韋提等歓喜ニ▲」↡、是 レ流通分也。已上王宮会

次つぎに↑霊りょう山ぜん会えにつきて、 また三分さんぶんあり。 つぶさには経きょう文もんのごとし。 霊りょう山ぜん会えの三段さんだんには別体べったいなし、 還かえりて王おう宮ぐ会えを述のぶ 云々。 王おう宮ぐ会えにつきて、 四し段だんあり。 一いちには序分じょぶん、 二にには正宗しょうしゅう分ぶん、 三さんには得益とくやく分ぶん、 四しには流る通ずう分ぶんなり。 得益とくやく分ぶんをもつて正宗しょうしゅう分ぶんに属ぞくす 云々。

次ニ付↢霊山会ニ↡、亦 タ有↢三分↡。具ニハ如↢経文ノ↡。霊山会三段ニハ無↢別体↡、還テ述↢王宮会↡ 云云。付↢王宮会↡、有↢四段↡。一ニハ序分、二ニハ正宗分、三ニハ得益分、四ニハ流通分也。以↢得益分ヲ↡属↢正宗分ニ↡ 云云。

入文解釈 王宮会 序分

↑序じょにつきて通序つうじょあり別序べつじょあり。 通序つうじょとは 「如にょ是ぜ」 等とうの五句ごくなり 云々。 別序べつじょとは経きょうに随したがひて各別かくべつなり。 ¬浄名じょうみょう経きょう¼ のごときは 云々。 ¬法華ほけ経きょう¼ のごときは 云々。 今こん ¬経ぎょう¼ は闍王じゃおうの造逆ぞうあく・韋い提だいの厭えん離り穢土えど欣ごん求ぐ浄じょう土どをもつて別序べつじょとしてこれを説とく。

付↠序ニ有↢通序↡有↢別序↡。通序ト者「如是」等ノ五句 云云。別序ト者随↠経ニ各別ナリ。如↢¬浄名経ノ¼↡ 云云。如↢¬法華経ノ¼↡ 云云。今¬経¼以↢闍王造逆・韋提厭離穢土欣求浄土ヲ↡為↢別序ト↡説↠之。

入文解釈 王宮会 正宗分

始はじめの↑正宗しょうしゅうにつきて、 二にあり。 一いちには↓定じょう善ぜん分ぶん、 二にには↓散善さんぜん分ぶん。

始ノ付↢正宗ニ↡、有リ↠二。一ニハ定善分、二ニハ散善分。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善

↑定じょう善ぜんにつきて、 十じゅう三さんあり。 一いちには↓日想にっそう観かん、 二にには↓水想すいそう観かん、 三さんには↓地じ想そう観かん、 四しには↓宝樹ほうじゅ観かん、 五ごには↓宝ほう池ち観かん、 六ろくには↓宝楼ほうろう観かん、 七しちには↓華座けざ観かん、 八はちには↓像想ぞうそう観かん、 九くには↓真身しんしん観かん、 十じゅうには↓観音かんのん観かん、 十じゅう一いちには↓勢せい至し観かん、 十じゅう二にには↓普ふ観かん、 十じゅう三さんには↓雑想ざっそう観かんなり。

付↢定善↡、有リ↢十三↡。一ニハ日想観、二ニハ水想観、三ニハ地想観、四ニハ宝樹観、五ニハ宝池観0328、六ニハ宝楼観、七ニハ華座観、八ニハ像想観、九ニハ真身観、十ニハ観音観、十一ニハ勢至観、十二ニハ普観、十三ニハ雑想観也。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 日想観

一いちに↑日想にっそう観かんとは、 まず経きょう文もんを讃さんじ、 次つぎに要ようを取とりてこれを釈しゃくすべし 云々。

一ニ日想観ト者、先讃↢経文↡、次ニ取↠要ヲ可↠釈↠之ヲ 云云。

問とひていはく、 なんがゆゑぞ日ひを観みるや。 答こたふ。 これに三さん意いあり。 一いちにはこれ日ひを観みるに 「冬とう夏げの両りょう時じを取とらず、 春秋しゅんじゅうの二時にじを取とる」 (定善義) 意こころ、 極楽ごくらくのまさしき方かたを知しらしめんとす。 二にには罪ざい障しょうの軽重きょうじゅうを知しらしめんとす。 罪ざい障しょうに三さんあり。 「一いちには黒こく障しょう、 黒雲こくうんの日ひを障さふるがごとし。 二にには黄おう障しょう、 黄雲おううんの日ひを障さふるがごとし。 三さんには白障びゃくしょう、 白びゃく雲うんの日ひを障さふるがごとし」 (定善義) と。 行ぎょう者じゃもしこの想そう現げんぜば、 すべからくく罪ざい障しょうを懺さん悔げすべし 云々。 三さんには極楽ごくらくの光こう明みょう等とう現げんずると知しらしめんとす 道啼どうたいのごとし。 日想にっそう観かんを修しゅするは、 食じき時じを除のぞき行住ぎょうじゅう坐臥ざがもし観想かんそうせしむれば、 始はじめの観想かんそうなんぞこれを成じょう就じゅせざらんや。

問テ曰ク、何ガ故ゾ観ルヤ↠日ヲ。答。此 レニ有↢三意↡。一ニハ此観↠日ヲ「▲不↠取ラ↢冬夏両時ヲ↡、取↢春秋二時ヲ↡」意、為↠令↠知ラ↢極楽之正方ヲ↡。二ニハ為↠令↠知↢罪障軽重↡。罪障ニ有↠三。「▲一ニハ黒障、如↢黒雲障↟日ヲ。二ニハ黄障、如↢黄雲障↟日ヲ。三ニハ白障、如↢白雲障↟日ヲ。」行者若シ此ノ想現、須ク↣懺↢悔罪障↡ 云云。三ニハ為↠令↠知↢極楽光明等現↡ 如道啼。修↢日想観↡、除↢食時ヲ↡行住坐臥若シ令↢観想↡、始観想何ゾ不↣成↢就之↡哉。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 水想観

二にに↑水想すいそう観かんとは、 まづ ¬経きょう¼ (観経) に 「水想すいそう」 とは、 上かみの日想にっそうのごとき、 閉目へいもく・開目かいもくにすなはち日輪にちりんを観みる。 いまこの水想すいそう、 すなはち行住ぎょうじゅう坐臥ざがに時じ節せつの久く近ごんを問とはず、 閉目へいもく・開目かいもくにまた水みずを観察かんざつするなり 云々。 次つぎに弘法こうぼう大だい師しの伝でんにいはく、 「入にゅう水想すいそう観かん」 と。 云々 次つぎに日想にっそうの後のちに水みずを観かんずる由よしを釈しゃくすべし。 ¬疏しょ¼ (定善義意) に 「問とひていはく、 次つぎになんがゆゑぞ水みずを観みるや。 答こたふ。 日輪にちりんを観みて、 かの界さかいの長じょう暉きを表あらわす。 いま水みずを観みてかの瑠璃るり地じの平正びょうしょうを彰あらわす」 と。 云々

二ニ水想観ト者、先¬経¼「水想ト」者、如↢上ノ日想↡、閉目・開目即観↢日輪↡。今此ノ水想、即行住坐臥ニ不↠問ハ↢時節ノ久近ヲ↡、閉目・開目亦 タ観↢察水↡也 云云。次ニ弘法大師ノ伝ニ云、「入水想観。」云云 次ニ可↠釈↢日想之後観↠水之由ヲ↡。¬疏ニ¼「▲問曰ク、次ニ何ガ故ゾ観ルヤ↠水ヲ。◆答。観↢日輪↡、表↢彼界長暉↡。今観↠水彰↢彼ノ瑠璃地平正ヲ↡。」云云

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 地想観

三さんに↑地じ想そうとは、 まづ経きょう文もん。 次つぎに ¬疏しょ¼ (定善義) に修観しゅかんの法ほうを釈しゃくす。 法ほうは 「すなはち静じょう処しょに向むかひ、 面おもてを西方さいほうに向むけて正しょう坐ざ跏趺かふす、 前さきの法ほうに一同いちどうなり。 すでに心しんを住じゅうしおはりて徐々じょじょに心しんを転てんじ、 かの宝ほう地じを想おもふ、 雑色ざっしき分ぶん明みょうなり。

三ニ地想ト者、先経文。次¬疏¼釈↢修観法↡。法「▲即向↢静処↡、面向↢西方ニ↡正坐0329跏趺、一↢同前法ニ↡。既ニ住↠心已徐徐転↠心、想↢彼宝地↡、雑色分明。

初想しょそうは多た境きょうを想おもふことを得えざれ、 すなはち定じょうを得えがたし。 ▽ただ方寸ほうすん・一いっ尺しゃく等とうなり。 あるいは一日いちにち・二に日にち・三日さんにち、 あるいは四し・五ご・六ろく・七日しちにち、 あるいは一月いちがつ・一年いちねん・二に年ねん・三年さんねん等とう、 無む間けん日にち夜や、 行住ぎょうじゅう坐臥ざが身しん口意くい業ごうつねに定じょうと合がっせよ。

◆初想不↠得↠想↢多境↡、即難↠得↠定。唯方寸・一尺等。或ハ一日・二日・三日、或ハ四・五・六・七日、或ハ一月・一年・二年・三年等、無間日夜、行住坐臥身口意業常ニ与↠定合。

ただ万まん事じともに捨すて、 よりて失しつ意い・聾盲ろうもう・痴ち人にんのごとくせば、 この定じょうかならずすなはち得えやすし。 もしかくのごとくせざれば、 三業さんごう随縁ずいえんして定じょうを転てんじ、 想おもひつひに波飛はひす。 たとひ千年せんねんの寿いのちを尽つくすとも、 法眼ほうげんいまだかつて開ひらけず。

◆唯万事倶捨、由如↢失意・聾盲・痴人↡者、此ノ定必即易↠得。若シ不レバ↠如↠是ノ、三業随縁転↠定、想遂波飛。縦ヒ尽↢千年ノ寿ヲ↡、法眼未ダ↢会テ開↡。

もし心しんに定じょうを得うる時とき、 あるいはまづあきらかに想そう現げんずることあり、 あるいはまづ宝ほう地ち等とうの種々しゅじゅ分ぶん明みょうの不ふ思議しぎなるものを見みるべし。 二に種しゅの見けんあり。 一いちには想見そうけん。 なほ知ち覚かくするがごときゆゑに、 浄境じょうきょうを見みるといへどもいまだ多おおく明了みょうりょうならず。 二ににはもし内ない外げの覚かく滅めっしてすなはち正しょう受じゅ三昧ざんまいに入いれば、 所見しょけんの浄境じょうきょうすなはち想見そうけんにあらず、 比ひ校きょうとなすことを得えず」 と。

◆若シ心得↠定時、或ハ先有↢明想現ルコト↡、或ハ先可↠見↢宝地等種種分明不思議者↡。有↢二種ノ見↡。一ニ者想見。猶如↢知覚↡故ニ、雖↠見↢浄境↡未ダ↢多明了↡。二ニ者若内外覚滅シ即入↢正受三昧↡、所見ノ浄境即非↢想見↡、得↠為↢比校↡也。」

次つぎにただこの観かんによりて往おう生じょうの旨むねあるべし 云々。 くはしくは経きょう文もんを見みよ。 上かみの日想にっそう・水想すいそうの二に観かん功く能のうなし。 次つぎに ¬双巻そうかん¼ に七宝しっぽうの地じを説とくといへども、 いまだ観かん地じ往おう生じょうの旨むねを説とかず、 ただかの相そうを見みていまだこの旨むねを知しらず。 しかるにいまこの ¬経きょう¼ に至いたる時とき、 はじめて観かん地じ往おう生じょうの旨むねを知しる 云々。 ゆゑに知しりぬ往おう生じょうの行ぎょう、 ただかの仏ぶつの名なを念ねんずるのみにあらず、 またかの地じを観かんずるにまたこれ往おう生じょう極楽ごくらくの業因ごういんなる事ことを。 次つぎに下しもの宝樹ほうじゅ・宝ほう池ち等とうをもつてまたかくのごとし。

次ニ只 ダ依↢此観↡可↢往生之旨↡ 云云。委ハ見↢経文↡。上日想・水想二観無↢功能↡。次ニ¬双巻ニ¼雖↠説↢七宝ノ地↡、未↠説↢観地往生之旨ヲ↡、唯見↢彼相↡之未ダ↠知ラ↢此ノ旨ヲ↡。然ニ今至↢此ノ¬経¼↡之時、始知↢観地往生之旨ヲ↡ 云云。故ニ知ヌ往生之行、唯非↠念↢彼仏ノ名↡、亦 タ観↢彼地↡亦 タ是 レ往生極楽業因之事。次以↢下宝樹・宝池等↡亦復如↠是ノ。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 宝樹観

四しに↑宝樹ほうじゅ観かんとは、 まづ来らい意い 云々。 次つぎに経きょう文もん。 次つぎに七しち重じゅう行樹ごうじゅの義ぎ、 次つぎに修観しゅかん逆順じゅんぎゃくの義ぎ、 次つぎに観かんの功く徳どく、 上かみの地じ想そうに例れいしてこれを知しるべし。 次つぎに ¬双巻そうかん¼ のなかに七宝しっぽうの行樹ごうじゅを説とくといへども、 いまだ樹観じゅかん往おう生じょうの旨むねを説とかず 云々。

四ニ宝樹観ト者、先来意 云云。次経文。次七重行樹ノ義、次修観逆順之義、次観功徳、例↢上地想↡可↠知↠之。次ニ¬双巻ノ¼中ニ雖↠説ト↢七宝行樹↡、未ダ↠説↢樹観往0330生之旨ヲ↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 宝池観

五ごに↑宝ほう池ち観かんとは、 まず来らい意い 云々。 「宝樹ほうじゅ精しょうなりといへども池ち水すいなくはいまだ好よからず。 一いちに不ふ空くう世せ界かいのため、 二にに荘しょう厳ごん依え報ほうのためなり。 この義ぎのためにゆゑに宝ほう渠こ観かんあり」 (定善義) と 云々。 次つぎにこの観かんのなかに池いけあり、 これに准じゅんじて由よしあり 云々。 また八はっ池ちの義ぎあり 云々。 次つぎに尋樹じんじゅ上じょう下げの義ぎ 云々。 次つぎに観かん成じょうの義ぎ 云々。 前さきに准じゅんじてまた思し惟ゆい・正しょう受じゅの二義にぎあり。 思し惟ゆいとは、 閉目へいもく・開目かいもくに思し惟ゆいしてこれを見みる、 思し惟ゆいせざれば見みず。 正しょう受じゅとは、 思し惟ゆいによらず 云々。 次つぎに観かんの功く能のう地じ観かんに準じゅんず。 次つぎに ¬双巻そうかん¼ のなかに宝ほう池ちを説とくといへども 云々。

五ニ宝池観ト者、先来意 云云。「▲宝樹雖↠精無↢池水↡未ダ↠好。◆一ニ為↢不空世界↡、二ニ為↢荘厳依報↡。為↢此義↡故ニ有↢宝渠観↡」云云。次ニ此ノ観之中ニ有↠池、有↢准↠之由↡ 云云。又有↢八池之義↡ 云云。次尋樹上下之義 云云。次観成之義 云云。准↠前ニ亦 タ有↢思惟・正受ノ二義↡。思惟ト者、閉目・開目思惟見↠之、不↢思惟↡而不↠見。正受ト者、不↠由↢思惟↡ 云云。次観ノ功能準↢地観ニ↡。次¬双巻ノ¼中ニ雖↠説クト↢宝池ヲ↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 宝楼観

六ろくに↑宝楼ほうろう観かんとは、 まづ来らい意い 云々。 「かの浄じょう土ど宝ほう池ちありといへども、 宝楼ほうろうなくは、 宮く閣かくまた無む辺へんなり」 (定善義意) と 云々。 次つぎに観かん成じょうにまた二にあり。 前さきに准じゅんじてこれを知しるべし 云々。 次つぎに観かんの功く能のう 釈しゃく文もんを見みるべし。 次つぎに ¬双巻そうかん¼ に宮く殿でん等とうを説とくといへどもなし 云々。

六ニ宝楼観ト者、先来意 云云。「▲彼ノ浄土雖↠有リト↢宝池↡、無↢宝楼↡、宮閣亦 タ無辺」云云。次観成亦有↠二。准↠前ニ可↠知ル↠之ヲ 云云。次観ノ功能 可↠見↢釈文ヲ↡。次ニ¬双巻ニ¼雖↠説↢宮殿等↡無 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 華座観

七しちに↑華座けざ観かんとは、 これにつきて五ごあり。 一いちには来らい意い、 二ににはまさしく観相かんそうを辨べんず、 三さんには邪じゃ正しょうを明あかす、 四しには利り益やくを明あかす、 五ごには思し惟ゆい正しょう受じゅ 云々。

七ニ華座観ト者、付↠此ニ有リ↠五。一ニハ来意、二ニハ正辨↢観相↡、三ニハ明↢邪正↡、四ニハ明↢利益↡、五ニハ思惟正受 云云。

一いちに来らい意い 云々。 二にあり。 一いちには上かみは通つう依え、 今いまは別べつ依え。 二にには上かみは依え報ほう、 下しもは正しょう報ぼう。

一ニ来意 云云。有↠二。一ニハ上ハ通依、今ハ別依。二ニハ上ハ依報、下ハ正報。

二にに観相かんそうを辨べんずとは、 これすなはち大宝だいほう蓮れん華げ王おうを観かんずるなり。 これにつきて ¬経きょう¼ によるに四しあり。 一いちには華け葉よう相そう、 二にには華け台だい相そう、 三さんには台だい上じょう、 四しには柱ちゅう宝幢ほうどう。 一いちに華け葉よう相そうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「その蓮れん華げの一々いちいちの葉はなびらをして百ひゃっ宝色ぽうじきをなさしめ、 乃ない至しあまねく地じ上じょうを覆おおへり」 と。 云々 二にに華け台だい相そうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「釈しゃ迦か毘び楞りょう伽が宝ほう、 もつてその台うてなとなす」 と。 云々 三さんには台だい上じょう。 四しには柱ちゅう宝幢ほうどうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「その台だい上じょうにおいて」 と。 云々

二ニ辨↢観相↡者、是 レ則チ観↢大宝蓮華王↡也。付↠之ニ依ルニ↠¬経¼有リ↠四。一ニハ華葉相、二ニハ華台相、三ニハ台上、四ニハ柱宝幢。一ニ華葉相ト者、¬経ニ¼云ク、「▲令↣其蓮華一一葉作↢百宝色↡、乃至徧覆↢地上↡。」云云 二ニ華台相ト者、¬経ニ¼云ク、「▲釈迦0331毘楞伽宝、以為↢其台↡。」云云 三ニハ台上。四ニハ柱宝幢ト者、¬経ニ¼云ク、「▲於↢其台上↡。」云云

三さんには邪じゃ正しょうを明あかすとは 云々。

三ニハ明↢邪正↡者 云云。

四しに利り益やくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「五ご万劫まんこうの生しょう死じの罪つみを滅除めつじょし、 必ひつ定じょうしてまさに極楽ごくらく世せ界かいに生しょうずべし」 と。 云々 この文もんにつきて二に益やくあり。 一いちには滅罪めつざい、 二にには往おう生じょう 云々。

四ニ利益ト者、¬経ニ¼云ク、「▲滅↢除五万劫生死之罪↡、必定当↠生↢極楽世界↡。」云云 付↢此ノ文ニ↡有↢二益↡。一ニハ滅罪、二ニハ往生 云云。

五ごに思し惟ゆい正しょう受じゅとは 云々。 次つぎに華座けざの在処ざいしょ、 善導善導ぜんどう (法事讃巻下) のいはく、 「弥陀みだ化け主しゅ心しんに当あたりて坐ざしたまふ。 華け台だい独ひとりはるかにもつとも精しょうとなす」 と。 云々 恵え心しん (六時讃) 「中ちゅう央おう最さい上じょうの地じ上じょう」 と。 云々

五ニ思惟正受ト者 云云。次ニ華座在処、善導ノ云ク、「▲弥陀化主当↠心坐。華台独廻最為↠精。」云云 恵心「中央最上地上。」云云

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 像想観

八はちに↑像想ぞうそう観かんとは、 これにつきてまた五ごあり。 一いちには来らい意い、 二にには観相かんそうを辨べんず、 三さんには邪じゃ正しょうを明あかす、 四しには利り益やく、 五ごには思し惟ゆい正しょう受じゅ。

八ニ像想観ト者、付テ↠之ニ亦有リ↠五。一ニハ来意、二ニハ辨↢観相↡、三ニハ明↢邪正↡、四ニハ利益、五ニハ思惟正受。

一いちに来らい意いとは、 上かみにすでに座ざを想観そうかんす、 いまはすべからくかの真仏しんぶつその上うえに坐ざしたまふを観かんずべし。 しかるに初心しょしんの人ひとただちに真仏しんぶつを観かんずることあたはざるがゆゑに、 まず形ぎょう像ぞうを観かんず、 あるいは人ひと初心しょしんの人ひとなりといへども、 意い楽ぎょうに随したがひてまたただちに真仏しんぶつを観かんぜよ。 ゆゑに ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ (意) のなかに 「▲じきに真仏しんぶつを観かんず」 と。 云々 その旨むね ¬観仏かんぶつ三昧ざんまい経きょう¼ 等とうに見みゆ 云々。

一ニ来意ト者、上既ニ想↢観座↡、今ハ須ク↠観↣彼ノ真仏坐↢其ノ上ニ↡。然ルニ初心之人直ニ不↠能↠観↢真仏↡故ニ、先観↢形像ヲ↡、或人雖↢初心之人リト↡、随↢意楽ニ↡亦 タ直ニ観↢真仏ヲ↡。故ニ¬観念法門ノ¼中ニ「直観↢真仏↡。」云云 其ノ旨見↢¬観仏三昧経¼等ニ↡ 云云。

二ににまさしく観相かんそうを辨べんずとは、 これにつきて三さんあり。 一いちには↓仏像ぶつぞう想そう、 二にには↓二に菩ぼ薩さつ像想ぞうそう、 三さんには↓多た身しん像想ぞうそう。

二ニ正辨↢観相↡者、付↠之ニ有リ↠三。一ニハ仏像想、二ニハ二菩薩像想、三ニハ多身像想。

一いちに↑仏像ぶつぞう想そうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「まず像ぞうを想おもふべし。 ◆目めを閉とじ目めを開ひらき、 一いちの宝像ほうぞう閻えん浮ぶ檀だん金色ごんじきのごとき、 かの華け上じょうに坐ざしたまふを見みる」 と。 云々 善導ぜんどうの (定善義意) のいはく、 「一いちの金像こんぞうにおいて、 逆順ぎゃくじゅんにこれを観想かんそうし、 頂上ちょうじょうより足そく下げ千輻せんぷく輪りんに至いたる、 これを名なづけて順じゅんとす。 千輻せんぷく輪りんより頂上ちょうじょうに至いたる、 これを名なづけて逆ぎゃく観かんとす。 かくのごとく逆順ぎゃくじゅんにこれを観かんずれば、 久ひさしからずしてかならず成じょう就じゅすることを得う」 と。 云々 これすなはち弥陀みだ像想ぞうそうなり。

一ニ仏像想ト者、¬経ニ¼云ク、「▲先当↠想↠像。閉↠目開↠目、見↧一宝像如↢閻浮檀金色↡、坐↦彼華上↥。」云云 善導ノ云ク、「▲於↢一金像↡、逆順観想之、自↢頂上↡至↢足下千輻輪↡、名↠之ヲ為↠順ト。自↢千輻輪↡至↢頂上ニ↡、名テ↠之ヲ為↢逆観↡。◆如↠是ノ逆順観↠之ヲ、不↠久カラ必得↢成就コトヲ↡。」云云 是 レ則チ弥陀像想也。

二にに↑観音かんのん・勢せい至し像想ぞうそうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「この事じを見みおはりて、 またまさにさらに一いちの大だい蓮れん華げをなして仏ぶつの左さ辺へんに在おけ。 前さきの蓮れん華げのごとく、 等ひとしくして異ことなることあることなし。 また一いちの大だい蓮れん華げをなして仏ぶつの右う辺へんに在おけ」 と。 云々 これすなはちまづ二に菩ぼ薩さつの華座けざを観かんずるなり。 また ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一いちの観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつの像ぞう、 左ひだりの華坐けざに坐ざしたまふと想おもへ。 また金光こんこうを放はなつこと、 前さきのごとく異ことなることなし」 と。 云々 これすなはち観音かんのん像想ぞうそうなり。 またいはく、 「一いちの大だい勢せい至し菩ぼ薩さつの像ぞう、 右みぎの華坐けざに坐ざしたまふと想おもへ」 と。 云々 これすなはち勢せい至し像想ぞうそうなり。 前さきの仏観ぶつかんに準じゅんじて、 二に菩ぼ薩さつにおいておのおのまず像想ぞうそう観かんを修しゅすべし、 観かん成じょうの後のちまた二に菩ぼ薩さつの形ぎょう像ぞうを観かんずべし 云々。

二ニ観音・勢至像想ト者0332、¬経ニ¼云ク、「▲見↢此事已↡、復当↧更作↢一大蓮華↡在↦仏左辺↥。如↢前蓮華↡、等無↠有↠異。復作↢一大蓮華↡在↢仏右辺↡。」云云 是 レ則チ先観↢二菩薩ノ華座ヲ↡也。又¬経ニ¼云ク、「▲想↣一観世音菩薩像、坐↢左華坐↡。亦放↢金光↡、如↠前無↠異。」云云 是 レ則チ観音像想也。又 タ曰ク、「▲想↣一大勢至菩薩像、坐↢右華坐↡。」云云 是 レ則チ勢至像想也。準↢前ノ仏観ニ↡、於↢二菩薩↡各ノ先可↠修↢像想観↡、観成之後亦 タ可↠観↢二菩薩ノ形像ヲ↡ 云云。

三にに↑多た身しん像想ぞうそうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一々いちいちの樹じゅ下げにまた三さんの蓮れん華げあり。 もろもろの蓮れん華げの上うえに、 おのおの一仏いちぶつ・二に菩ぼ薩さつの像ぞうあり、 あまねくかの国くにに満みつ」 と。 云々 この文もんをもつてこれを安あんずるに、 像想ぞうそう観かんただ一いちに限かぎらず、 三尊さんぞんに無む量りょうの三像さんぞう想そうあり。 例れいせば釈しゃ迦か像想ぞうそう観かんのごとし 云々。 その旨むね ¬観仏かんぶつ三昧ざんまい経きょう¼ に見みえたり 云々。

二ニ多身像想ト者、¬経ニ¼云ク、「▲一一樹下復有↢三蓮華↡。諸蓮華上、各有↢一仏・二菩薩像↡、徧満↢彼国↡。」云云 以↢此ノ文ヲ↡安ルニ↠之ヲ、像想観只 ダ不↠限↠一ニ、三尊ニ有↢無量ノ三像想↡。例セバ如↢釈迦像想観ノ↡ 云云。其ノ旨見タリ↢¬観仏三昧経ニ¼↡ 云云。

三さんには邪じゃ正しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「修しゅ多羅たらと合がつせしめよ。 もし合がっせずは、 名なづけて妄想もうぞうとなす。 もし合がっすることあらば、 名なづけて粗そ想そうに極楽ごくらく世せ界かいを見みるとなす」 と。 云々

三ニハ邪正ト者、¬経ニ¼云ク、「▲令↧与↢修多羅↡合↥。若不↠合者、名為↢妄想↡。若有↠合者、名為↣粗想見↢極楽世界↡。」云云

四しに利り益やくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「▲この観かんをなすものは、 無む量りょう億劫おくこうの生しょう死じの罪つみを除のぞき、 現身げんしんの中うちにおいて念仏ねんぶつ三昧ざんまいを得う」 と。 この文もんに二に益やくあり 云々。

四ニ利益ト者、¬経ニ¼云ク、「作↢是観↡者、除↢無量億劫生死之罪↡、於↢現身中↡得↢念仏三昧↡。」此ノ文ニ有リ↢二益↡ 云云。

五ごに思し惟ゆい正しょう受じゅとは 云々。 善導ぜんどう (定善義) のいはく、 「これすなはち群ぐん生じょう障さわり重おもくして、 真仏しんぶつの観かん階かなひがたし。 ここをもつて大だい聖しょう哀あわれみを垂たれて、 しばらく心こころを形ぎょう像ぞうに注そそがしむ」 と。 云々 またいはく、「十じゅう三観さんがんのなかに、 この宝ほう華け・金像こんぞう等とうの観かん最要さいようなり。 もし人ひとに教おしへんと欲ほっせば、 すなはちこの法ほうを教おしへよ。 ただ一法いっぽう成じょうじぬれば、 余よの観かんすなはち自じ然ねんにあきらかなり」 と。 云々

五ニ思惟正受ト者 云云。善導ノ云ク、「▲斯 レ乃群生障重シテ、真仏之観難↠階ヒ。是ヲ以テ大聖垂↠哀ヲ、且ク遣↠注↢心ヲ形像ニ↡。」云云 又云ク、「▲十三観ノ中ニ、此ノ宝華・金像等ノ観最要。若シ欲↠教↠人ニ、即教↢此ノ法↡。但一法成者、余観即自然0333了也。」云云

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 真身観

九くに↑仏身ぶっしん観かんとは、 これにつきて五ごあり。 一いちには結前けつぜん生しょう後ご また来らい意いと名なづく、 二ににはまさしく観相かんそうを辨べんず、 三さんには邪じゃ正しょうを明あかす、 四しには観かんの利り益やくを明あかす、 五ごには思し惟ゆい正しょう受じゅ。

九ニ仏身観ト者、付テ↠此ニ有↠五。一ニハ結前生後 亦名↢来意↡、二ニハ正辨↢観相↡、三ニハ明↢邪正ヲ↡、四ニハ明↢観利益ヲ↡、五ニハ思惟正受。

一いちに結前けつぜん生しょう後ごとは、 形ぎょう像ぞうを観かんずるは、 もとこれ真仏しんぶつを観かんぜんがためなり。 観像かんぞうすでにおはれば、 また真しんを観かんぜよ。 真像しんぞう次ついでこれありて、 像ぞうまことに来きたる 云々。 またあるいは初心しょしんより楽ねがいに随したがひてただちに真仏しんぶつを観かんぜよ、 このゆゑにまたこれを明あかす 云々。

一ニ結前生後ト者、観↢形像↡、本是為↠観↢真仏ヲ↡也。観像既ニ了バ、又 タ観↠真ヲ。真像有↢次之↡、像真来 云云。又或ハ初心随↠楽ニ直ニ観↢真仏↡、是ノ故ニ亦 タ明↠之ヲ 云云。

二ににまさしく観相かんそうを辨べんずとは、 これにつきて十じゅう三さんあり。 一いちには↓身しん量りょうの大だい小しょう、 二にには↓身色しんじきの不ふ同どう、 三さんには↓毫相ごうそうの不ふ同どう、 四しには↓眼相げんそうの大だい小しょう、 五ごには↓毛もう孔く光こうの大だい小しょう、 六ろくには↓円光えんこうの大だい小しょう、 七しちには↓化け仏ぶつの多た少しょう、 八はちには↓侍じ者しゃの多た少しょう、 九くには↓相そうの多た少しょう、 十じゅうには↓好こうの多た少しょう、 十じゅう一いちには↓光ひかりの多た少しょう、 十じゅう二にには↓光こう照しょうの遠近おんごん、 十じゅう三さんには↓光こう明みょうの摂しょう益やく 云々。

二ニ正辨↢観相↡者、付テ↠此ニ有リ↢十三↡。一ニハ身量大小、二ニハ身色不同、三ニハ毫相不同、四ニハ眼相大小、五ニハ毛孔光大小、六ニハ円光大小、七ニハ化仏多少、八ニハ侍者多少、九ニハ相多少、十ニハ好多少、十一ニハ光多少、十二ニハ光照遠近、十三ニハ光明摂益 云云。

一いちには↑身しん量りょうの大だい小しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「▲仏身ぶっしんの高たけ、 六ろく十じゅう万億まんおく」 と。 云々 諸仏しょぶつの身しん量りょう機きに随したがひて長じょう短たん不ふ同どうなり。 しばらく↓七仏しちぶつの身しん量りょうのごとし、 また長じょう短たん不ふ同どうなり。 云々

一ニハ身量大小ト者、¬経ニ¼云、「仏身高、六十万億。」云云 諸仏身量随↠機ニ長短不同也。且ク如↢七仏身量ノ↡、亦 タ長短不同也。云云

↑七仏しちぶつといふは、 はじめに毘婆びば尸し仏ぶつの身しん量りょう、 長たけ六ろく十じゅう由ゆ旬じゅん。 次つぎに尸棄しき仏ぶつの身みの長たけ四し十じゅう由ゆ旬じゅん、 前仏ぜんぶつよりいま減げんずること二に十じゅう由ゆ旬じゅん。 次つぎに拘留くる孫仏そんぶつの身みの長たけ二に十じゅう五ご由ゆ旬じゅん、 減げんずる事こと前仏ぜんぶつより十じゅう五ご由ゆ旬じゅん。 次つぎに拘耶くな含ごん牟尼むに仏ぶつの身みの長たけ十じゅう五ご由ゆ旬じゅん 毘び沙しゃ陀だこれを勘かんがふべし。 次つぎに迦か葉しょう仏ぶつの身みの長たけ十じゅう六ろく丈じょう。 次つぎに釈しゃ迦かは丈じょう六ろく。 当来とうらいの弥み勒ろくの身みの長たけ百丈ひゃくじょうのごとし 云々。 七仏しちぶつのなかに最高さいこうは毘婆びば尸し仏ぶつなり。 しかりといへどもわずかに六ろく十じゅう由ゆ旬じゅんといふなり。 これその身しん量りょうの大だい小しょうなり。

云↢七仏ト↡者、初毘婆尸仏身量、長六十由旬。次ニ尸棄仏身長四十由旬、前仏今減二十由旬。次ニ拘留孫仏身長二十五由旬、減事前仏十五由旬。次ニ拘耶含牟尼仏身長十五由旬 毘沙陀可↠勘↠之。次ニ迦葉仏身長十六丈。次ニ釈迦丈六。如↢当来弥勒身長百丈ノ↡ 云云。七仏之中ニ最高毘婆尸仏也。雖↠然ト纔ニ云↢六十由旬ト↡也。是 レ其ノ身量大小也。

二にに↑身色しんじきの不ふ同どうとは、 身しん量りょうの大だい小しょう不ふ同どうなりといへども、 七仏しちぶつ同おなじく紫し金こんの法園ほうおん珠林じゅりんなり。 道世どうせい釈しゃくして (法苑珠林巻八) いはく、 「敬うやまひて尋たずぬらく、 法身ほっしんは平びょう等どうにしてこれ優う劣れつあることなし。 ただ機きに随したがひ業ごう異ことなるがゆゑに現げん化け不ふ同どうなり。 ここをもつて釈しゃ迦か牟尼むに仏ぶつの出しゅっ世せ紫し金色こんじきにして、 もつぱら比丘びくみな赫容かくようを見みる、 十じゅう六ろく信しん士し論ろんじて灰色はいいろに視みる。 因業いんごう異ことなりと見みるも、 仏ぶつつねに一色いちじきなり。 類るい比ひしていはば、 いはく惑まどひなきものなり」 と。 云々 いま弥陀みだ如来にょらい閻えん浮ぶ檀金だんごん 云々。 閻えん浮ぶ檀金だんごんと紫磨しま金ごんと同どう異いなり 云々。

二0334ニ身色不同ト者、身量大小雖↢不同ナリト↡、七仏同ク紫金之法園珠林也。道世釈云、「敬尋、法身平等無↣是有↢優劣↡。但随↠機業異故ニ現化不同ナリ。是ヲ以テ釈迦牟尼仏出世紫金色、而専比丘咸見赫容、十六信士論視灰色。因業見↠異ナリト、仏恒ニ一色也。類比而言、謂無↠惑者焉也。」云云 今弥陀如来閻浮檀金 云云。閻浮檀金与↢紫磨金↡同異 云云。

三さんに↑毫相ごうそうの大だい小しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「眉み間けんの白びゃく毫ごう、 右う旋せん婉転えんでんすること、 五ご須しゅ弥み山せんのごとし」 と。 云々 毫相ごうそうの大だい小しょうとは随したがひて同おなじ 云々。 しばらく釈しゃ迦かの白びゃく毫ごうのごとし、 諸しょ経きょうにいはく、 「一寸いっすん、 周しゅう囲い三寸さんすん」 と。 云々

三ニ毫相大小ト者、¬経ニ¼云ク、「▲眉間白毫、右旋婉転、如↢五須弥山↡。」云云 毫相大小ト者随同 云云。且ク如↢釈迦白毫↡、諸経ニ云、「一寸、周囲三寸。」云云

四しには↑眼相げんそうの大だい小しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「仏眼ぶつげん如にょ四し大だい海水かいすい、 青白しょうびゃく分ぶん明みょう」 と。 云々 諸仏しょぶつの眼相げんそう、 随仏ずいぶつ大だい小しょう不ふ同どうなり 云々。 世せ間けんの人ひと、 眼めの大だいなるをもつて好よしとす。 ¬西遊さいゆうの記き¼ にいはく 云々。

四ニハ眼相大小ト者、¬経ニ¼云ク、「▲仏眼如四大海水、青白分明。」云云 諸仏眼相、随仏大小不同也 云云。世間ノ人眼以↠大為↠好之。¬西遊ノ記ニ¼云ク 云云。

五ごには↑毛もう孔く光こうの大だい小しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「身みのもろもろの毛もう孔くより光こう明みょうを演出えんすいす、 須しゅ弥み山せんのごとし」 と。 云々 善導ぜんどう釈しゃくして (定善義) いはく、 「これ毛もう孔く光こうの大だい小しょうを明あかす」 と。 云々 ある人ひと釈しゃくしていはく 云々。 愚ぐ案あんにいはく、 おそらくはこれ遍身へんしん光こうか。 遍身へんしん光こうにおいて、 諸仏しょぶつの大だい小しょう不ふ同どうなり。 毘婆びば尸し仏ぶつのごとし 云々。 尸棄しき仏ぶつの遍身へんしん光こう百ひゃく由ゆ旬じゅん。 かくのごとく七仏しちぶつの身光しんこう、 大だい小しょう不ふ同どうなり。

五ニハ毛孔光大小ト者、¬経ニ¼云ク、「▲身諸毛孔演↢出光明↡、如↢須弥山↡。」云云 善導釈云、「▲此明↢毛孔光大小↡。」云云 或ル人釈云 云云。愚案云ク、恐クハ是 レ遍身光歟。於↢遍身光↡、諸仏大小不同也。如↢毘婆尸仏↡ 云云。尸棄仏遍身光百由旬。如↠是ノ七仏身光、大小不同也。

六ろくに↑円光えんこう大だい小しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「かの仏ぶつの円光えんこう百ひゃく億おくの三千さんぜん大千だいせん世せ界かいのごとし」 と。 云々 これすなはちかの仏ぶつの項うなじの円光えんこうなり 云々。 もろもろの円光えんこうの大だい小しょう不ふ同どうなり。 毘婆びば尸し仏ぶつの円光えんこう百ひゃく二に十じゅう五ご由ゆ旬じゅん、 尸棄しき仏ぶつの円光えんこう四し十じゅう五ご由ゆ旬じゅん、 毘び舎しゃ婆ば仏ぶつ四し十じゅう二に由ゆ旬じゅん、 拘留くる孫仏そんぶつ三さん十じゅう二に由ゆ旬じゅん、 釈しゃ迦かの円光えんこう七しち尺しゃく 云々。

六ニ円光大小ト者、¬経ニ¼云、「▲彼仏円光如↢百億三千大千世界↡。」云云 是 レ則チ彼仏項円光也 云云。諸ノ円光ノ大小不同也。毘婆尸仏ノ円0335光百二十五由旬、尸棄仏ノ円光四十五由旬、毘舎婆仏四十二由旬、拘留孫仏三十二由旬、釈迦円光七尺 云云。

七しちに↑化け仏ぶつの多た少しょうとは、 これ円光えんこうのなかの化け仏ぶつなり。 化け仏ぶつとは、 かの真仏しんぶつの化作けさするところなり。 いはくもとこれらの諸仏しょぶつかの土どになし、 神通じんずう力りきをもつて本ほん無むを化作けさす、 たちまちにこれあるがゆゑに名なづけて化けとなす。 ¬経きょう¼ (観経) いはく、 「円光えんこうのなかにおいて、 百ひゃく万億まんおく那な由他ゆた恒ごう河が沙しゃの化け仏ぶつあり」 と。 云々 円光えんこうの大だい小しょうに随したがひて仏ぶつに多た少しょうあり 云々。 随逐ずいちく護ご念ねん、 みな化け仏ぶつなり。 また迎こう接しょうは多おおく化け身しんなり。 また造ぞう画え多おおく化け仏ぶつなり。

七ニ化仏多少ト者、是 レ円光ノ中ノ化仏也。化仏ト者、彼ノ真仏所↢化作↡也。謂本此 レ等ノ諸仏無↢彼土ニ↡、以↢神通力ヲ↡化↢作之本無↡、忽有↠之故ニ名テ為↠化ト。¬経ニ¼云ク、「▲於↢円光中↡、有↢百万億那由他恒河沙化仏↡。」云云 随↢円光ノ大小↡仏ニ有↢多少↡ 云云。随逐護念、皆 ナ化仏也。又 タ迎接多化身也。又 タ造画多化仏也。

八はちに↑侍じ者しゃの多た少しょうとは、 諸仏しょぶつみな執しゅう事じの弟子でしあり、 しばらく毘び婆尸ばし仏ぶつに執しゅう事じの弟子でしあり、 無憂むうと名なづく。 かの六仏ろくぶつみな執しゅう事じの弟子でしあるをもつて、 われも執しゅう事じの弟子でしあり、 化け仏ぶつまた執しゅう事じの弟子でしと名なづく。 いま弥陀みだの化け仏ぶつもろもろの執しゅう事じの多た少しょう、 大僧だいそう執しゅう事じの弟子でし、 沙しゃ弥みを用もちゐて大僧だいそうを用もちゐず 云々。

八ニ侍者多少ト者、諸仏皆 ナ有↢執事弟子↡、且ク毘婆尸仏有↢執事弟子↡、名↢無憂↡。以↣彼ノ六仏皆 ナ有↢執事弟子↡、我有↢執事弟子↡、化仏亦 タ名↢執事弟子↡。今 マ於↢弥陀化仏諸執事多少、大僧執事弟子、用↢沙弥↡不↠用↢大僧↡ 云云。

九くに↑相そうの多た少しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「無む量りょう寿仏じゅぶつに八万はちまん四し千せんの相そうあり」 と。 仏ぶつの相好そうごうを説とくに四し説せつあり。 一いちには三さん十じゅう二に相そう、 二にには八はち十じゅう随好ずいこう、 三さんには八万はちまん四し千せん、 四しには無む量りょう塵数じんじゅ。 ¬経きょう¼ に四しを説とくがゆゑに (観仏三昧経巻九本行品) いはく、 「人相にんそうに同どうずるがゆゑに三さん十じゅう二にを説とく。 諸天しょてんに勝すぐるるをいひて八はち十じゅう随好ずいこうを説とく。 もろもろの菩ぼ薩さつのためにいふがゆゑに八万はちまん四し千せんと説とく。 云々 仏ぶつまことの相好そうごう無む量りょう無む数しゅなり。 いま弥陀みだ仏ぶつの相そうを説とくに二に説せつあり。 一いちには三さん十じゅう二に相そう、 二にには八万はちまん四し千せん。 一いちに三さん十じゅう二に相そうとは、 これ ¬般舟はんじゅ¼ 等とうならびにいまの像観ぞうかんの初はじめの文もんこれなり。 二にに八万はちまん四し千せんとは、 いまの文もんこれなり 云々。

九ニ相多少ト者、¬経ニ¼云、「▲無量寿仏有↢八万四千相↡」也。説↢仏ノ相好↡有↢四説↡。一ニハ三十二相、二ニハ八十随好、三ニハ八万四千、四ニハ無量塵数。¬経ニ¼説↠四ヲ故ニ云、「同↢人相↡故ニ説↢三十二↡。勝↢諸天↡云説↢八十随好↡。為↢諸菩薩↡云故ニ説↢八万四千↡。云云 仏実ノ相好無量無数也。今 マ説↢弥陀仏ノ相ヲ↡有↢二説↡。一ニハ三十二相、二ニハ八万四千。一ニ三十二相ト者、是 レ¬般舟¼等并ニ今像観ノ初文是 レ也。二0336ニ八万四千ト者、今ノ文是 レ也 云云。

十じゅうに↑好こうの多た少しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一々いちいちの相そうにおのおの八万はちまん四し千せんの随ずい形ぎょう好こうあり」 と。 云々 ¬観仏かんぶつ経きょう¼ 等とうの意こころによるに、 相そうと好こうとは同どうあり異いあり。 同どうとは、 ¬経きょう¼ (観仏三昧経巻九本行品意) にいはく、 「人相にんそうに同どうずるがゆゑにに三さん十じゅう二に相そうを説とく。 諸天しょてんに勝すぐるるがゆゑに八はち十じゅう種好しゅこうを説とく。 もろもろの菩ぼ薩さつのためのゆゑに八万はちまん四し千せんの相好そうごうを説とく。 仏ぶつのまことの相好そうごう、 われはじめて成じょう道どうの時とき雑ざっ華け経きょうにおいて広ひろくすでに説とく。 このゆゑにいま略りゃくして説とかず」 といふ。 いまこの文もんによるに、 相そうと好こうとは同体どうたいなり。 異いとは、 同どう ¬経きょう¼ に相そうと好こうと格別かくべつの義ぎなり。 相そうとはこれ好こうの大だいなるなり、 好こうとは相そうの少しょうなるなり。 ゆゑに好こうの大だいなるをこれを名なづけて相そうとなし、 相そうの少しょうなるをこれを名なづけて好こうとなす。 いま弥陀みだにつきて大だい小しょうの相好そうごうあり、 いましばらく相好そうごう別門べつもんによりて、 これを分わかちて二にとなす 云々。

十ニ好ノ多少ト者、¬経ニ¼云ク、「▲一一相各有↢八万四千随形好↡。」云云 依ルニ↢¬観仏経¼等ノ意ニ↡、相ト与↠好有↠同有↠異。同ト者、¬経ニ¼云、「同↢人相↡故ニ説↢三十二相↡。勝↢諸天ニ↡故ニ説↢八十種好↡。為↢諸菩薩↡故ニ説↢八万四千相好↡。仏実ノ相好、我初成道ノ時於↢雑華経↡広已説。是ノ故ニ今略シテ不↠説」云。今 マ依↢此ノ文ニ↡、相ト与↠好同体也。異ト者、同¬経ニ¼相ト与↠好格別之義ナリ。相ト者是 レ好大也、好ト者相少也。故ニ好大名テ↠之ヲ為↠相ト、相少名↠之為↠好ト。今 マ付↢弥陀ニ↡有↢大小ノ相好↡、今且ク依↢相好別門ニ↡、分↠之ヲ為↠二ト 云云。

十じゅう一いちに↑光ひかりの多た少しょうとは、 ¬経きょう¼ の文もんに (観経) にいはく、 「一々いちいちの好こうにまた八万はちまん四し千せんの光こう明みょうあり」 と。 想おもひ計はからふに、 相好そうごうの光こう明みょうの数かず無む量りょう無む数しゅ辺へん、 算数さんじゅの所しょ知ちにあらず、 しばらくある人ひと (要集巻中) 白びゃく毫ごう一相いっそうの光こう明みょうを計はからひて、 「七しち百ひゃく五ご倶く胝てい六ろっ百ぴゃく万まんの光こう明みょう」 と。 云々

十一ニ光ノ多少ト者、¬経¼文ニ云、「▲一一好復有↢八万四千光明↡」。想計、相好之光明之数無量無数辺、非↢算数所知↡、且ク或人計↢白毫一相之光明↡、「七百五倶胝六百万光明。」云云

十じゅう二にに↑光こう照しょうの遠近おんごんとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一々いちいちの光こう明みょう、 あまねく十方じっぽう世せ界かいを照てらして念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを」 と。 近ごんあり遠おんあり。 近ごんとは、 極楽ごくらくと近隣ごんりんの世せ界かいにおいて、 よく弥陀みだ仏ぶつを念ねんずる、 これを照てらすを名なづけて近ごんとなす。 次つぎに遠おんとは、 極楽ごくらく遼りょう遠おんのところより、 よく弥陀みだ仏ぶつを念ねんずる、 すなはちこれを照てらすをこれを名なづけて遠おんとなす 云々。

十二ニ光照遠近ト者、¬経ニ¼云、「▲一一光明、遍照↢十方世界↡念仏衆生。」有↠近有↠遠。近ト者、与↢極楽↡於↢近隣世界↡、能ク念↢弥陀仏↡、照↠之名テ為↠近ト。次ニ遠ト者、与↢極楽遼遠之所↡、能念↢弥陀仏↡、即照↠之名↠之ヲ為↠遠ト 云云。

十じゅう三さんには↑光こう明みょうの摂しょう益やくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 と。 これすなはち前さきの光こう明みょう、 念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅして、 一切いっさい捨すてたまはざるを名なづけて光こう明みょうの利り益やくとなす。 念仏ねんぶつ利り益やくの義ぎ、 後のちにこれを釈しゃくすべし。 以い上じょう、 まさしく観相かんそうを解げしおはりぬ

十三ニハ光明摂益ト者、¬経ニ¼云、「▲摂取不捨」。是 レ則チ前光明、摂↢取念仏衆生↡、一切而不↠捨名テ為↢光明利益ト↡。念仏利益之0337義、後可↠釈↠之ヲ。已上、正解↢観相↡了ヌ

三さんには邪じゃ正しょうを観かんずとは、 前さきの諸文しょもんに準じゅんずるに、 仏身ぶっしんを観かんじて仏ぶつを見みる、 これを名なづけて正しょうとなす。 仏ぶつを観かんじて余よ境きょうを見みる、 これを名なづけて邪じゃとなす。

三ニハ観↢邪正↡者、準↢前ノ諸文↡、観仏身見仏、名↠之ヲ為↠正ト。観仏見↢余境ヲ↡、名↠之ヲ為↠邪ト。

四しには利り益やくとは、 これにつきて二にあり。 一いちには↓現在げんざいの利り益やく、 二にには↓当来とうらいの利り益やく。

四ニハ利益ト者、付↠之ニ有↠二。一ニハ現在ノ利益、二ニハ当来ノ利益。

↑現在げんざいにつきて四しあり。 一いちには↓弥陀みだ一仏いちぶつを見みる益やく、 二にには↓一切いっさい諸仏しょぶつを見みる益やく、 三さんには↓仏心ぶっしんを見みる益やく、 四しには↓現前げんぜん授じゅ記きの益やく。

付↢現在ニ↡有↠四。一ニハ見↢弥陀一仏↡益、二ニハ見↢一切諸仏↡益、三ニハ見↢仏心↡益、四ニハ現前授記ノ益。

一いちに↑見けん弥陀みだ一仏いちぶつとは、 真仏しんぶつの観かん成じょうによりて、 現身げんしんにすなはち弥陀みだ一仏いちぶつを見みたてまつるなり。 これすなはち現身げんしんに仏ぶつを見みる利り益やくなり。 感かん禅ぜん師じ等らのごとし 云々。

一ニ見弥陀一仏ト者、依↢真仏観成↡、現身ニ即奉↠見↢弥陀一仏↡也。是 レ則チ現身ニ見↠仏ヲ之利益也。如↢感禅師等ノ↡ 云云。

二にに↑見けん諸仏しょぶつとは、 この観かんによるにただ弥陀みだ一仏いちぶつを見みるのみにあらず、 あまねく十方じっぽうの諸仏しょぶつを見みる。 十方じっぽうの諸仏しょぶつとは、 東方とうぼう善徳ぜんとく乃ない至し上じょう方ほう広衆こうしゅ徳とく、 下げ方ほう明みょう徳とくなり。 弥陀みだ一仏いちぶつを念ねんずるによりて、 すなはちこれらの諸仏しょぶつを見みることを得う、 これを名なづけて見けん諸仏しょぶつの益やくとなす。

二ニ見諸仏ト者、依↢此ノ観↡唯非↠見↢弥陀一仏ヲ↡、遍ク見↢十方ノ諸仏ヲ↡。十方ノ諸仏ト者、東方善徳乃至上方広衆徳、下方明徳ナリ。依↠念↢弥陀一仏↡、即得↠見↢此 レ等ノ諸仏ヲ↡、名↠之ヲ為↢見諸仏之益ト↡。

三さんに↑見けん仏心ぶっしん益やくとは、 この観かんによりてただ仏ぶつの色身しきしんを見みるのみにあらず、 またよく仏心ぶっしんを見みる。 ゆゑに ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「仏身ぶっしんを観かんずるがゆゑにまた仏心ぶっしんを見みる。 仏心ぶっしんとは大だい慈悲じひこれなり。 無む縁えんの慈じをもつてもろもろの衆しゅ生じょうを摂せっす」 と。 云々 これすなはち見けん仏心ぶっしんの益やくなり。

三ニ見仏心益ト者、依↢此観ニ↡唯非↠見↢仏ノ色身↡、亦能ク見↢仏心ヲ↡。故ニ¬経ニ¼云、「▲以↠観↢仏身↡故亦見↢仏心↡。仏心者大慈悲是。以↢無縁慈↡摂↢諸衆生↡。」云云 是 レ則チ見仏心之益也。

四しには↑現前げんぜん授じゅ記きの益やくとは、 この観かんによりてただ仏ぶつの色身しきしん・菩ぼ薩さつ・仏心ぶっしんを見みるのみにあらず、 またよく三昧さんまいの定中じょうちゅうにおいて成じょう仏ぶつの記き莂べつを蒙こうむる。 ゆゑに ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「無む量りょう寿仏じゅぶつを見みるは、 すなはち十方じっぽう無む量りょうの諸仏しょぶつを見みる。 無む量りょう諸仏じゅぶつを見みることを得うるがゆゑに、 諸仏しょぶつ現前げんぜんに授じゅ記きしたまふ」 と。 云々 これすなはち念仏ねんぶつ三昧ざんまいのなかにおいて、 成じょう仏ぶつの記き莂べつを得うる利り益やくなり 云々。 もし人ひと現身げんしんに成じょう仏ぶつの記き莂べつを得えんと欲ほっせば、 すなはちよく観仏かんぶつ三昧ざんまいを修しゅす 云々。

四ニハ現前授記之益ト者、依↢此観↡唯非↠見↢仏色身・菩薩・仏心↡、亦 タ能ク於↢三昧定中ニ↡蒙↢成仏之記莂ヲ↡。故ニ¬経ニ¼云、「▲見↢無量寿仏↡者、即見↢十方無量諸仏↡。得↠見↢無量諸仏↡故、諸仏現前授記。」云云 是 レ則チ於↢念仏三昧之中ニ↡、得↢成仏之記莂ヲ↡利益也 云云。若人現身ニ欲↠得ント↢成仏之記莂ヲ↡、即能ク可↠修↢観仏三昧ヲ↡ 云云。

次つぎに↑当来とうらいの利り益やくとは、 これにつきて二にあり。 一いちには往おう生じょう、 二にには得とく無む生しょう忍にん 云々。 ゆゑに ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「この観かんをなすものは、 他世たせに捨身しゃしんして諸仏しょぶつの前まえに生うまれ、 無む生しょう忍にんを得う」 と。 云々

次ニ当0338来利益ト者、付↠此有↠二。一ニハ往生、二ニハ得無生忍 云云。故ニ¬経ニ¼云、「▲作↢此観↡者、捨↢身他世↡生↢諸仏前↡、得↢無生忍↡。」云云

五ごに思し惟ゆい正しょう受じゅとは 云云。 この次つぎに観仏かんぶつと念仏ねんぶつと差別しゃべつの事ことこれを釈しゃくすべし。

五ニ思惟正受ト者 云云。此次ニ観仏ト与↢念仏↡差別事可↠釈↠之ヲ。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 観音観

十じゅうに↑観音かんのん観かんとは、 前さきに例れいせばこれにまた五ごあり。 一いちには結前けつぜん生しょう後ご、 二ににはまさしく観相かんそうを辨べんず、 三さんには観かんの邪じゃ正しょうを明あかす、 四しには利り益やくを明あかす、 五ごには教きょう観かんの次し第だい。

十ニ観音観ト者、例セバ↠前ニ此ニ亦 タ有↠五。一ニハ結前生後、二ニハ正辨↢観相↡、三ニハ明↢観邪正↡、四ニハ明↢利益↡、五ニハ教観次第。

第一だいいちに来らい意いとは、 上かみにすでにかの教きょう主しゅを観かんじおはりぬ、 主しゅにはかならず伴はんあるがゆゑに、 主しゅに次ついで伴はんを観かんず。 しかればかの仏ぶつの御み弟子でしならびに声しょう聞もん無む量りょう無む辺へんなり、 つぶさにこれを観かんぜんと欲ほっす、 あにこれを階かなふべきや。 ゆゑにいまに要ようを取とり詮せんを抜ぬきて、 二に菩ぼ薩さつを観かんず。 二に菩ぼ薩さつのなかにおいて、 また観音かんのんあり勢せい至しあり。 観音かんのんは左さ面めん、 勢せい至しは右う面めん。 左右さう次ついであり、 ゆゑにまづ観音かんのんを観かんず 云々。 またあるいは前さきに仏観ぶつかんを修しゅせずといへども、 意い楽ぎょうに随したがひてまたまづ観音かんのんを観かんず 云々。

第一来意ト者、上ニ既ニ観↢彼ノ教主↡竟ヌ、主ニハ必有↠伴故ニ、次↠主観↠伴。然彼仏ノ御弟子并ニ声聞無量無辺ナリ、具ニ欲↠観↠之ヲ、豈 ニ可↠階↠之哉。故ニ今ニ取↠要ヲ抜↠詮ヲ、観↢二菩薩↡。於↢二菩薩ノ中ニ↡、又 タ有↢観音↡有↢勢至↡。観音ハ左面、勢至ハ右面。左右有↠次、故ニ先観↢観音↡ 云云。又 タ或ハ雖↢前不ト↟修セ↢仏観ヲ↡、随↢意楽ニ↡又 タ先観↢観音↡ 云云。

二ににはまさしく観相かんそうを辨べんずとは、 これにつきて十じゅう四しあり。 一いちには↓身しん量りょうの大だい小しょう、 二にには↓身色しんじきの不ふ同どう、 三さんには↓肉髻にくけい・螺ら髻けいの不ふ同どう、 四しには↓円光えんこうの大だい小しょう、 五ごには↓化け仏ぶつ侍じ者しゃの多た少しょう、 六ろくには↓身光しんこうのなかにあまねく五ご道どうの衆しゅ生じょうを現げんず、 七しちには↓天冠てんがんの化け仏ぶつ、 八はちには↓面おもての色身しきしんの不ふ同どう、 九くには↓毫光ごうこうの転変てんぺん、 十じゅうには↓身服しんぷくの光瓔こうよう、 十じゅう一いちには↓宝手ほうしゅ慈悲じひの用ゆう、 十じゅう二にには↓御み足あしの徳用とくゆう、 十じゅう三さんには↓指ふび仏ぶつに同おなじ、 十じゅう四しには↓二に相そう闕かきて不ふ足そくの地じに居こす 云々。

二ニハ正辨↢観相↡者、付↠此ニ有↢十四↡。一ニハ身量大小、二ニハ身色不同、三ニハ肉髻・螺髻不同、四ニハ円光大小、五ニハ化仏侍者多少、六ニハ身光之中ニ普ク現↢五道ノ衆生↡、七ニハ天冠化仏、八ニハ面色身不同、九ニハ毫光転変、十ニハ身服光瓔、十一ニハ宝手慈悲用、十二ニハ御足徳用、十三ニハ指同仏、十四ニハ二相闕居不足之地 云云。

十じゅう四しの功く徳どくありといへども、 しばらく要ようを取とりて少々しょうしょうこれを釈しゃくせば、 ↑身しん量りょうの大だい小しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「▲この菩ぼ薩さつの身みの長たけ八はち十じゅう万億まんおく那由他なゆた由ゆ旬じゅん」 と。 云々 あるいは ¬経きょう¼ に 「那由他なゆた」 の下しもに 「恒ごう河が沙しゃ」 の言ことばを加くわふ。 これによりて人ひと多おおく観音かんのん仏ぶつより高たかしといふ 云々。

雖↠有↢十四ノ功徳、且ク取↠要ヲ少少釈↠之ヲ者、身量大小ト者、¬経ニ¼云、「此菩薩身長八十万億那由他由旬。」云云0339 或ハ¬経ニ¼「那由他」之下加↢「恒河沙」之言ヲ↡。依↠之ニ人多ク云↢観音自リ↠仏而高ト↡ 云云。

二にに ↑「身みは紫し金色こんじき」 と。 云々

二ニ「▲身紫金色。」云云

三さんには↑肉髻にくけい・螺ら髻けいの不ふ同どうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「頂いただきに肉髻にくけいあり」 と。 云々

三ニハ肉髻・螺髻不同ト者、¬経ニ¼云、「▲頂有↢肉髻↡。」云云

四しには↑円光えんこうの大だい小しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「円光えんこうの面おもて、 おのおの百ひゃく千せん由ゆ旬じゅん」 と。 云々

四ニハ円光大小ト者、¬経ニ¼云、「▲円光面、各百千由旬。」云云

五ごに↑化け仏ぶつ侍じ者しゃの多た少しょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「その円光えんこうのなかに五ご百ひゃくの化け仏ぶつあり、 釈しゃ迦か牟尼むに仏ぶつのごとし。 一々いちいちの化け仏ぶつに五ご百ひゃくの化け菩ぼ薩さつあり、 無む量りょうの諸天しょてんもつて侍じ者しゃとなす」 と。 云々

五ニ化仏侍者ノ多少ト者、¬経ニ¼云、「▲其円光中有↢五百化仏↡、如↢釈迦牟尼仏↡。一一化仏有↢五百化菩薩↡、無量諸天以為↢侍者↡。」云云

六ろくには↑身光しんこうのなかにあまねく五ご道どうの衆しゅ生じょうを現げんずとは、 善導ぜんどうの (礼讃) のいはく、 「観音かんのん菩ぼ薩さつの大だい慈悲じひ、 すでに菩ぼ提だいを得えるも捨すてて証しょうせず。 一切いっさいの五ご道どう身しん中ちゅうに内いる、 六ろく時じに観察かんざつして三輪さんりん応おうず」 と。 云々

六ニハ身光中普現五道衆生ト者、善導ノ云ク、「▲観音菩薩大慈悲、已得↢菩提↡捨不↠証。一切五道内↢身中↡、六時観察三輪応。」云云

七しちには↑天冠げんがんの化け仏ぶつとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「毘び楞りょう伽が摩尼まに宝ほう、 もつて天冠てんがんとなす。 その天冠てんがんのなかに一いちの立りゅう化け仏ぶつあり、 高たかさ二に十じゅう五ご由ゆ旬じゅんなり」 と。 云々

七ニハ天冠之化仏ト者、¬経ニ¼云、「▲毘楞伽摩尼宝、以為↢天冠↡。其天冠中有↢一立化仏↡、高二十五由旬。」云云

八はちには↑面おもての色身しきしんに不ふ同どうありとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつの面おもて、 閻えん浮ぶ檀金だんごん色じきなり」 と。 云々

八ニハ面色身有不同ト者、¬経ニ¼云、「▲観世音菩薩面、如↢閻浮檀金色↡。」云云

九くには↑毫光ごうこうの転変てんぺんとは、 「毫光ごうこう転変てんぺんしてあまねく十方じっぽうを満みたす、 化侍けじいよいよ多おおく、 さらに紅ぐ蓮れん華げの色いろに比ひす」 (定善義) と。 云々 ¬経きょう¼ によりてこれを釈しゃくすべし。

九ニハ毫光転変ト者、「▲毫光転変徧満↢十方↡、化侍弥多、更比↢紅蓮華色↡。」云云 依↠¬経ニ¼可↠釈↠之。

十じゅうには↑身服しんぷくの光瓔こうようとは、 観かん世ぜ音おんの御おん衣ころもなり。 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「八はち十じゅう億おくの光こう明みょうあり、 もつて瓔珞ようらくとなす。 その瓔珞ようらくのなかにあまねく一切いっさいもろもろの荘しょう厳ごんの事じを現げんず」 と。

十ニハ身服光瓔ト者、観世音御衣也。¬経ニ¼云、「▲有↢八十億光明↡、以為↢瓔珞↡。其瓔珞中普現↢一切諸荘厳事↡。」

十じゅう一いちには↑御手みての慈悲じひ用ゆうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「手しゅ掌しょうに五ご百ひゃく億おくの雑ぞう蓮れん華げ色しきをなし、 手ての十じっ指しの端はしに、 八万はちまん四し千せんの画えあり。 なほ印文いんもんのごとし。 一々いちいちの画えに八万はちまん四し千色せんじきあり。 一々いちいちの色いろに八万はちまん四し千せんの光ひかりあり。 その光ひかり柔にゅう軟なんにしてあまねく一切いっさいを照てらし、 この宝手ほうしゅをもつて衆しゅ生じょうを接しょう引いんしたまふ」 と。 云々 善導ぜんどうの ¬讃さん¼ (礼讃) にいはく、 「つねに百ひゃく億おく光王こうおうの手みてを舒のべて、 あまねく有う縁えんを摂せっし本国ほんごくに帰きしたまふ」 と。 云々

十一ニハ御手慈悲用ト者、¬経ニ¼云、「▲手掌作五百億雑蓮華色、手十指端、有↢八万四千画↡。猶如↢印文↡。一一画有↢八万四千色↡。一一色有↢八万四千光↡。其光柔軟普0340照↢一切↡、以↢此宝手↡接↢引衆生↡。」云云 善導¬讃¼云、「▲恒舒↢百億光王手↡、普摂↢有縁↡帰↢本国↡。」云云

十じゅう二にに↑御み足あしの徳用とくゆうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「足あしを挙あげたまふ時とき、 足あしの下したに千輻せんぷく輪相りんそうあり、 自じ然ねんに化けして五ご百ひゃく億おくの光こう明みょうの台うてなとなる。 足あしを下おろしたまふ時とき、 金剛こんごう摩尼まに華けの、 布ふ散さん一切いっさいするありて、 弥み満まんせざるなし」 と。 云々

十二ニ御足徳用ト者、¬経ニ¼云、「▲挙↠足時、足下有↢千輻輪相↡、自然化成↢五百億光明台↡。下↠足時、有↢金剛摩尼華、布散一切↡、莫↠不↢弥満↡。」云云

十じゅう三さんに↑指ゆび仏ぶつに同おなじとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「その余よの身相しんそう・衆好しゅこう具ぐ足そくすること仏ぶつのごとくして異ことなることなし」 と。 云々

十三ニ指同仏ト者、¬経ニ¼云、「▲其余身相・衆好具足如↠仏無↠異。」云云

十じゅう四しには↑二に相そう闕かきて不ふ足そくの地じに居こすとは、 ¬経きょう¼ にいはく、 「ただ頂上ちょうじょう肉髻にくけいおよび無む見けん頂ちょう相そう、 世せ尊そんに及およばず」 と。 云々 善導ぜんどう (定善義) のいはく、 「師し・弟子でし、 位くらい別べつにして、 果か願がんいまだ円などかならず、 二に相そう虧かくることありて、 不ふ足そくの地じに居こすることを表あらわす」 と。 云々

十四ニハ二相闕居不足地ト者、¬経ニ¼云、「▲唯頂上肉髻及無見頂相、不↠及↢世尊↡。」云云 善導ノ云ク、「▲師・弟子位別、果願未↠円、致↢二相有↟虧、表↠居↢不足之地↡。」云云

三さんに観かんの邪じゃ正しょうとは 云々

三ニ観邪正者 云云

四しに利り益やくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「まさにこの観かんをなすものは、 もろもろの禍かに遇あはず、 業ごっ障しょうを浄じょう除じょし、 無む数しゅ劫こうの生しょう死じの罪つみを除のぞく。 かくのごとき菩ぼ薩さつ、 ただその名みなを聞きくに無む量りょうの福ふくを獲う。 いかにいはんや諦観たいかんするをや」 と。 またこれにつきて滅罪めつざいあり生しょう善ぜんあり。

四ニ利益ト者、¬経ニ¼云、「▲当↠作↢是観↡者、不↠遇↢諸禍↡、浄↢除業障↡、除↢無数劫生死之罪↡。如↠此菩薩、但聞↢其名↡獲↢無量福↡。何況諦観。」又 タ付↠之ニ有↢滅罪↡有↢生善↡。

五ごには教きょう観かんの次し第だいとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「もし観かん世ぜ音おん菩ぼ薩さつを観かんぜんと欲ほっするものあらば、 まづ頂上ちょうじょう肉髻にくけいを観かんじ、 次つぎに天冠てんがんを観かんぜよ。 その余よの衆相しゅそうまた次し第だいにこれを観かんずべし、 また明了みょうりょうなること掌中しょうちゅうを観かんずるがごとくせしめよ」 と。 云々 しばらく観仏かんぶつの理りのごとく順逆じゅんぎゃくにこれを観かんずべし。 もし相好そうごうを観かんぜずは、 あるいは名みょう号ごうを称しょうすべし。 ある ¬経きょう¼ (荘厳宝王経巻二) にいはく、 「もし人ひとつねに大だい士しの名なを念ねんずれば」 と。 云々 次つぎに弘ぐ誓ぜいの縁えんを釈しゃくしこれと合がっすべし。

五ニハ教観次第ト者、¬経ニ¼云、「▲若有↧欲↠観↢観世音菩薩↡者↥、先観↢頂上肉髻↡、次観↢天冠↡。其余衆相亦次第観↠之、亦令↢明了如↟観↢掌中↡。」云云 且ク如↢観仏理↡順逆可↠観↠之ヲ。若シ不↠観↢相好↡者、或ハ可↠称↢名号ヲ↡。或ル¬経ニ¼云、「若人恒念↢大士名↡。」云云 次釈↢弘誓之縁↡可↠合↠之。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 勢至観

十じゅう一いちには↑勢せい至し観かんとは、 これにつきてまた五ごあり。 一いちには結前けつぜん生しょう後ご、 二ににはまさしく観相かんそうを辨べんず、 三さんには観かんの邪じゃ正しょうを明あかす、 四しには利り益やく、 五ごには思し惟ゆい正しょう受じゅとは 云々

十一ニハ勢至観ト者、付テ↠之ニ亦有↠五。一ニ者結前生後、二ニハ正辨↢観相↡、三ニハ明↢観邪0341正↡、四ニハ利益、五ニハ思惟正受者 云云

一いちに来らい意いとは 云々。

一ニ来意ト者 云云。

二にに正しょう辨べん観相かんそうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「この菩ぼ薩さつの身しん量りょうの大だい小しょう、 また観かん世ぜ音おんのごとし」 と。 云々 また (観経) いはく、 「余よのもろもろの身相しんそう観かん世ぜ音おんのごとく等ひとしくして異ことなることあることなし」 と。 云々

二ニ正辨観相ト者、¬経ニ¼云、「▲此菩薩身量大小、亦如↢観世音↡。」云云 又云、「▲余諸身相如↢観世音↡等無↠有↠異。」云云

これをもつてこれを思おもはば、 勢せい至しの身相しんそう大旨おおむね観かん世ぜ音おんと同おなじ、 しばらく観音かんのんと不ふ同どうの相そうにおいて九くあり。 一いちには↓円光えんこうの大だい小しょう、 二にには↓光こう照しょうの遠近おんごん、 三さんには↓化け仏ぶつ侍じ者しゃの多た少しょう、 四しには↓無む辺へん光こうの名みょう義ぎ、 五ごには↓大勢だいせい至しの名みょう義ぎ、 六ろくには↓頂上ちょうじょう宝ほう華け相そう、 七しちには↓頂上ちょうじょう肉髻にくけい宝ほう瓶びょう相そう、 八はちに↓は行ぎょう歩ぶ不ふ同どう、 九くには↓座ざ不ふ同どう相そうなり。

以↠之ヲ思↠之ヲ、勢至身相大旨与↢観世音↡同、且ク於↧与↢観音↡不同之相ニ↥有↠九。一ニハ円光大小、二ニハ光照遠近、三ニハ化仏侍者多少、四ニハ無辺光之名義、五ニハ大勢至名義、六ニハ頂上宝華相、七ニハ頂上肉髻宝瓶相、八ニハ行歩不同、九ニハ座不同相ナリ。

一いちに↑円光えんこうの大だい小しょうとは、 観音かんのんの円光えんこうは百ひゃく千せん由ゆ旬じゅん、 勢せい至しの円光えんこうは百ひゃく二に十じゅう五ご由ゆ旬じゅん、 観音かんのんの円光えんこうに准じゅんずるに少すくなし 云々。

一ニ円光大小ト者、観音円光百千由旬、勢至円光百二十五由旬、准↢観音円光↡少也 云云。

二にには↑光こう照しょうの遠近おんごんとは、 観音かんのんの円光えんこうすでに百ひゃく千せん由ゆ旬じゅん、 理り遠とおく照てらすべし。 いまはただ照しょう二に百ひゃく五ご十じゅう由ゆ旬じゅんといふ。

二ニハ光照遠近ト者、観音円光既ニ百千由旬、理可↢遠照↡。今只云↢▲照二百五十由旬ト。

三さんに↑化け仏ぶつ侍じ者しゃの多た少しょうとは、 ¬疏しょ¼ にこの文もんありといへども ¬経きょう¼ にこの文もんなし 云々。

三ニ化仏侍者多少ト者、¬疏ニ¼雖↠有リト↢此ノ文↡於↠¬経ニ¼無↢此ノ文↡ 云云。

四しに↑無む辺光へんこうの名みょう義ぎとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「挙こ身しんの光こう明みょう十方じっぽう国こくを照てらし、 紫し金色こんじきをなす。 有う縁えんの衆しゅ生じょうみなことごとく見みることを得う。 ただこの菩ぼ薩さつの一いち毛もう孔く光こうを見みれば、 すなはち十方じっぽう無む量りょうの諸仏しょぶつを見みる。 このゆゑにこの菩ぼ薩さつを号ごうして無む辺へん光こうと名なづく」 と。 云々

四ニ無辺光名義ト者、¬経ニ¼云、「▲挙身光明照↢十方国↡、作↢紫金色↡。有縁衆生皆悉得↠見。◆但見↢此菩薩一毛孔光↡、即見↢十方無量諸仏↡。是故号↢此菩薩↡名↢無辺光↡。」云云

五ごには↑大勢だいせい至しの名みょう義ぎとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「智恵ちえ光こうをもつてあまねく一切いっさいを照てらし、 三さん塗ずを離はなれて無む上じょう力りきを得えしむ。 このゆゑにこの菩ぼ薩さつを号ごうして大勢だいせい至しと名なづく」 と。 云々

五ニハ大勢至名義ト者、¬経ニ¼云、「▲以↢智恵光↡普照↢一切↡、令↧離↢三塗↡得↦無上力↥。是故号↢此菩薩↡名↢大勢至↡。」云云

六ろくには↑頂上ちょうじょう天冠てんがん中ちゅう宝ほう華け相そうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「この菩ぼ薩さつの天冠てんがんに五ご百ひゃくの宝ほう華けあり。 一々いちいちの宝ほう華けに五ご百ひゃくの宝台ほうだいあり。 一々いちいちの台うてなのうちに、 十方じっぽう諸仏しょぶつの浄妙じょうみょう国こく土どの広こう長じょうの相そう、 みな中なかにおいて現げんず」 と。 云々

六ニハ頂上天冠中宝華相ト者、¬経ニ¼云、「▲此菩薩天冠有↢五百宝華↡。一一宝華有↢五百宝台↡。一一台0342中、十方諸仏浄妙国土広長之相、皆於↠中現。」云云

七しちには↑頂上ちょうじょう肉髻にくけい上じょう有う一いち宝ほう瓶びょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「頂上ちょうじょうの肉髻にくけい鉢頭はず摩華まけのごとし。 肉髻にくけいの上うえにおいて一いち宝ほう瓶びょうあり。 もろもろの光こう明みょうを盛もりて、 あまねく仏ぶつ事じを現げんず」 と。 云々

七ニハ頂上肉髻上有一宝瓶ト者、¬経ニ¼云、「▲頂上肉髻如↢鉢頭摩華↡。於↢肉髻上↡有↢一宝瓶↡。盛↢諸光明↡、普現↢仏事↡。」云云

八はちには↑行ぎょう歩ぶ不ふ同どうとは、 「これ勢せい至し菩ぼ薩さつ行ゆきたまふ時とき、 十方じっぽう世せ界かい一切いっさい震動しんどうす。 地じの動うごく処ところに当あたりて五ご百ひゃく億おくの宝ほう華けあり。 一々いちいちの宝ほう華け荘しょう厳ごん、 高たかく顕あらわるること極楽ごくらく世せ界かいのごとし」 と。 云々

八ニハ行歩不同ト者、「▲是勢至菩薩行時、十方世界一切震動。当↢地動処↡有↢五百億宝華↡。一一宝華荘厳、高顕如↢極楽世界↡。」云云

九くには↑座ざ不ふ同どうの相そうとは、 これは勢せい至し菩ぼ薩さつ行ゆきて後のち、 坐ざしたまふ時ときの有様ありさまなり。 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「この菩ぼ薩さつ坐ざしたまふ時とき、 七宝しっぽうの国こく土ど一いち時じに動揺どうようし、 下げ方ほう金光こんこう仏刹ぶっせつより、 乃ない至し上じょう方ほう光こう明みょう王おう仏刹ぶっせつ、 その中ちゅう間げんにおいて無む量りょう塵数じんじゅの分身ぶんしん無む量りょう寿仏じゅぶつ、 分身ぶんしん観かん世ぜ音おん・分身ぶんしん大勢だいせい至し、 みなことごとく極楽ごくらく国こく土どに雲うん集じゅうし、 空くう中ちゅうに側塞しきそくして蓮れん華げ座ざに坐ざしたまふ、 妙みょう法ほうを演説えんぜつして苦くの衆しゅ生じょうを度どしたまふ」 と。 云々

九ニハ座不同相ト者、是 レハ勢至菩薩行後、坐時 キ有様也。¬経ニ¼云、「▲此菩薩坐時、七宝国土一時動揺、従↢下方金光仏刹↡、乃至上方光明王仏刹、於↢其中間↡無量塵数分身無量寿仏、分身観世音・分身大勢至、皆悉雲↢集極楽国土↡、側↢塞空中↡坐↢蓮華座↡、演↢説妙法↡度↢苦衆生↡。」云云

善導ぜんどう (定善義意) 「問とひていはく、 ¬弥陀みだ経きょう¼ のなかにいはく、 かの国くにの衆しゅ生じょう衆しゅ苦くあることなし。 ただ諸楽しょらくを受うく 云々 と。 いまなんぞ度苦どくといふや。

善導「▲問テ曰ク、¬弥陀経ノ¼中ニ云、彼国衆生無↠有↢衆苦↡。但受↢諸楽↡ 云云。今何ゾ云↢度苦ト↡哉。

答こたふ。 いま苦く楽らくに二に種しゅあり。 一いちには三界さんがいの苦く楽らく、 二にには浄じょう土どの苦く楽らく。

◆答。今苦楽有↢二種↡。一ニハ三界ノ苦楽、二ニハ浄土ノ苦楽。

一いちに三界さんがいの苦く楽らくとは、 すなはち三さん塗ずの苦く等とうをもつて、 苦くとなし、 すなはち人天にんでん五ご欲よくの楽らくをもつて、 人天にんでんの楽らくとす。 楽らくなりといへども実じつにはこれ最さい苦くなり。 つひに一念いちねん真実しんじつの楽らくあることなし。

◆一ニ三界苦楽ト者、即チ以↢三塗之苦等↡、為↠苦ト、即以↢人天五欲ノ楽ヲ↡、人天之楽。雖↠楽ナリト実ニハ是 レ最苦也。遂ニ無↠有ルコト↢一念真実之楽↡。

二にに浄じょう土どの苦く楽らくとは、 地じ前ぜん地じ上じょうを望のぞむるを苦くとなす。 下智げち証しょうを上じょう智ち証しょうに望のぞむるを苦くとなし、 上じょう智ち証しょう下智げち証しょうに望のぞむるを楽らくとなす。 いま度苦どく衆しゅ生じょうとは、 ただ下位げいを進すすめて上じょう位いに昇のぼり、 下げ証しょうを転てんじて上証じょうしょうを得えしむ。 その所しょ求ぐを称しょうしてこれを名なづけて度苦どくといふ。 もししからずは、 浄じょう土どのなかの一切いっさいの聖しょう人にんみな無漏むろをもつて体たいとなし、 大だい悲ひをもつて用ゆうとなす。 究く竟きょう常住じょうじゅうにして分断ぶんだん消しょう滅めつの因いんを離はなる。 なんぞ名なづけて苦くとなさんや」 と。 云々

◆二ニ浄土ノ苦楽ト者、地前望↢地上↡為↠苦ト。下智証ヲ望↢上智証ニ↡為↠苦ト、少智証望↢大智証ニ↡為↠楽ト。◆今 マ度苦衆生ト者、唯進↢下位↡昇↢上位↡、転↢下証↡令↠得↢上証↡。称↢其ノ所0343求↡名↠之ヲ言↢度苦ト↡。若シ不↠然ラ者、浄土之中一切ノ聖人皆 ナ以↢無漏↡為↠体ト、以↢大悲ヲ↡為↠用ト。究竟常住離↢於分断消滅ノ因↡。何ゾ名テ為↠苦之哉。」云云

三さんには邪じゃ正しょうを観かんずとは 云々。

三ニハ観↢邪正↡者 云云。

四しには利り益やくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「無む量りょう阿あ僧そう祇ぎ劫こうの生しょう死じの罪つみを除のぞく。 ◆この観かんをなせば、 胞盤ほうたいに処しょせず、 つねに諸仏しょぶつ浄妙じょうみょうの国こく土どに遊あそぶ」 と。 云々 このなかに異いあり、 滅罪めつざいと往おう生じょうとの二にの利り益やく 云々。

四ニハ利益ト者、¬経ニ¼云、「▲除↢無量阿僧祇劫生死之罪↡。作↢此観↡者、不↠処↢胞盤↡、常遊↢諸仏浄妙国土↡。」云云 此ノ中ニ有↠異、滅罪与↢往生↡二利益 云云。

五ごに思し惟ゆい正しょう受じゅとは 云々。 次つぎ (首楞厳経巻五) に 「われもと因いん地じに念仏ねんぶつの心こころをもつて無む生しょう忍にんに入いる、 いまこの界かいにおいて念仏ねんぶつの人ひとを摂せっして浄じょう土どに帰きせしむ」 との文もん、 これを釈しゃくすべし 云々。

五ニ思惟正受ト者 云云。次ニ「我本因地以↢念仏心↡入↢無生忍↡、今於↢此界↡摂↢念仏人↡帰↢於浄土↡」文、可↠釈↠之ヲ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 普観

十じゅう二にに↑普ふ観かんとは、 まづ来らい意い、 上かみにすでに極楽ごくらくの依え報ほう・正しょう報ぼう、 身しん土ど・主伴しゅはんつぶさにこれを観かんじおはりて、 極楽ごくらくの観かん行ぎょうすでにもつて満足まんぞくし往おう生じょう観かんを修しゅするゆゑに、 上かみに次ついでこの観かん来きたる。 次つぎに経きょう文もんの次し第だい・往おう生じょうの相そうをなす、 これを釈しゃくすべし 云々。

十二ニ普観ト者、先来意、上ニ已ニ極楽ノ依報・正報、身土・主伴具ニ観↠之竟テ、極楽観行已以テ満足シ修↢往生観↡故ニ、上ニ次此ノ観来。次作↢経文次第・往生之相↡、可↠釈↠之ヲ 云云。

往おう生じょうの相そうとは、 いはく華け台だい・聖しょう衆じゅ、 いまだ来迎らいこうせずといへども、 すでに来迎らいこうの想そうをなす。 いまだ命終みょうじゅうせずといへども、 すでに命終みょうじゅうの想そうをなす。 いまだ蓮台れんだいに乗じょうぜずといへども、 蓮台れんだいに乗じょうずる想そうをなす。 いまだ往おう生じょうせずといへども、 すでに往おう生じょうの想そうをなす。 いまだ宝ほう池ちのなかに入いらずといへども、 すでに宝ほう池ちのなかに入いる想そうをなす。 いまだ蓮れん華げ開ひらけずといへども、 すでに蓮れん華げの開ひらける想そうをなす。 いまだ眼目げんもく開ひらけずといへども、 すでに眼目げんもくの開ひらける想そうをなす。 いまだ光こう明みょう照てらさずといへども、 光こう明みょうの照てらす想そうをなす。 いまだ仏ぶつ・菩ぼ薩さつを見みずといへども、 見仏けんぶつ・菩ぼ薩さつの想そうをなす。 いまだ水すい鳥ちょう・樹林じゅりん・諸仏しょぶつの説法せっぽうを聞きかずといへども、 これを聞きく相そうをなす。 勝しょう解げ・作意さいのごとく、 これを往おう生じょうの観かんとなす。 これをもし成じょうぜば現身げんしん往おう生じょうを得う。 これにつきてまた思し惟ゆい・正しょう受じゅの二義にぎあるべし 云々。

往生相ト者、謂雖↢華台・聖衆↡、未↢来迎↡、既ニ為↢来迎想↡。雖↠未↢命終↡、既為↢命終想↡。雖↠未↠乗↢蓮台↡、為↧乗↢蓮台↡想↥。雖↠未↢往生↡、既ニ為↢往生ノ想↡。雖↠未↠入↢宝池之中ニ↡、既ニ為↧入↢宝池中↡想↥。雖↠未↢蓮華開↡、既ニ為↢蓮華開想↡。雖↠未↢眼目開↡、既ニ為↢眼目開想↡。雖↠未ダ↢光明照↡、為↢光明照想↡。雖↠未ダ↠見↢仏・菩薩↡、為↢見仏・菩薩想↡。雖↠未ダ↠聞↢水鳥・樹林・諸仏説法↡、為↢聞↠之相↡。如↢勝解・作意↡、此為↢往生之観↡。此 レヲ若成者得↢現身往生↡。付↠之ニ亦 タ可↠有ル↢思0344惟・正受ノ二義↡ 云云。

次つぎに大安だいあん寺じの像ぞうをもつてこれに合がっすべし。 次つぎに宋そう朝ちょうにはじめて経きょうの来きたりて後のち、 大唐だいとう国こく中ちゅうの比丘びく・比丘びく尼に、 誰人たれびとも誰人たれびともこの十じゅう二に観かんを成じょう就じゅせしは、 ただ明みょう瞻たん法ほっ師し一人いちにんあり、 つぶさには ¬僧伝そうでん¼ に出いづ。 往おう生じょうを欲ほっしてかれを勘かんがふ。 すでに丈じょう夫ぶなり、 われまた丈じょう夫ぶなり、 なんぞみだりに強ごう弱にゃくの想そうを生しょうじ、 修しゅ習じゅうの意こころなからん。

次ニ以↢大安寺之像↡可↠合↠之ニ。次ニ宋朝始経来後、大唐国中比丘・比丘尼、誰人誰人成↢就此ノ十二観↡者、唯有↢明瞻法師一人↡、具ニハ出↢¬僧伝ニ¼。欲↢往生↡勘↠彼ヲ。既ニ丈夫也、我 レ亦 タ丈夫也、何ゾ妄リニ生↢強弱之想↡、無↢修習之意↡。

いま聴ちょう聞もん諸衆しょしゅのなかに、 真実しんじつに厭えん離り穢土えどの御おん志こころざしましまし、 真実しんじつに欣ごん求ぐ浄じょう土どの志こころざしましませば、 今日こんにちより後のち、 おのおの願がんに随したがひて、 あるいは一観いっかん、 あるいは二に観かん、 意こころに随したがひてこれを修しゅし、 あるいは宝ほう地じ、 あるいは宝ほう池ち、 あるいは華座けざ、 あるいは像想ぞうそう、 乃ない至し仏ぶつ・菩ぼ薩さつ観かん、 願がんに任まかせておのおのこれを修しゅ習じゅうし、 おのおの往おう生じょう極楽ごくらくを期ごすべし 云々。

今 マ聴聞諸衆ノ中ニ、真実厭離穢土御志御、真実欣求浄土之志御、自↢今日↡後、各ノ随↠願ニ、或ハ一観、或ハ二観、随↠意修↠之ヲ、或ハ宝地、或ハ宝池、或ハ華座、或ハ像想、乃至仏・菩薩観、任↠願ニ各ノ修↢習之ヲ↡、各ノ可↠期ス↢往生極楽↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 定善 雑想観

十じゅう三さんに↑雑想ざっそう観かんとは、 前さきの仏ぶつ・菩ぼ薩さつ観かんこれなり。 まづかの土どの大身だいしん仏ぶつ・菩ぼ薩さつを観想かんそうし、 いまこの雑観ざっかんとは、 小しょう身しんの仏ぶつ・菩ぼ薩さつを観かんず。 これに三さん意いあり。 一いちには前さきに大身だいしんを観かんずる人ひと、 自じ在ざいにこれを観かんぜしめんがためなり。 二ににはあるいは観かん未み成じょうの人ひとは、 また小しょうにつく。 三さんにはあるいは意い楽ぎょうに随したがひこれを観かんず 云々。

十三ニ雑想観ト者、前仏・菩薩観是。先観↢想彼土大身仏・菩薩↡、今此ノ雑観ト者、観↢小身仏・菩薩↡。此 レニ有↢三意↡。一ニハ前観↢大身↡人、為↠使↢自在観↟之。二ニハ或ハ観未成ノ人者、又 タ付↠小ニ。三ニハ或随↢意楽↡観↠之ヲ 云云。

次つぎにその小しょう身相しんそうを観かんずる日ひ、 まさに弥陀みだ如来にょらいの丈じょう六ろくの像ぞうを観かんずべし、 あるいは池ち水すいの華け上じょうにあり、 あるいは丈じょう六ろくの像ぞう、 宝ほう宮ぐ・宝閣ほうかくのなかにあるを観かんずべし、 あるいは宝林ほうりん・宝樹ほうじゅの下したにあるを観かんずべし、 あるいは宝台ほうだい・宝殿ほうでんのなかにあるを観かんずべし、 あるいは虚こ空くう宝雲ほううんの華け蓋だいのなかにあるを観かんずべし。 かくのごとく願がんに随したがひ、 宝閣ほうかく・宝林ほうりん・宝樹ほうじゅ、 一々いちいちにおのおの心こころを留とどめてこれを思おもへ。 みな仏想ぶっそうのため、 機き境きょう相応そうおうし、 成じょう就じゅはなはだ易やすし 云々。

次ニ観↢其小身相ヲ↡日、当↠観↢弥陀如来丈六像ヲ↡、或ハ有↢池水華上↡、或ハ可↠観↣丈六像有↢宝宮・宝閣之中ニ↡、或ハ可↠観↠有↢宝林・宝樹下↡、或ハ可↠観↠有↢宝台・宝殿中↡、或ハ可↠観↠有↢虚空宝雲華蓋之中↡。如↠是ノ随↠願ニ、宝閣・宝林・宝樹、一一ニ各ノ留↠心思↠之ヲ。皆為↢仏想↡、機境相応、成就甚ダ易 云云。

この雑想ざっそうに三尊さんぞんあり、 独ひとり仏ぶつのみにあらず。 ゆゑに雑想ざっそうといふ。 また真仏しんぶつあり、 また小しょう身しんあり、 また大身だいしんあり。 すでに純じゅん大だいにあらず純小じゅんしょうにあらず、 ゆゑに雑ぞうといふ。 義ぎはなはだ多おおし、 しばらく一いち両りょうを述のぶ、 余よはこれに准じゅん知ちせよ。

此雑想ニ有↢三尊↡、独非↠仏。故ニ云↢雑想↡。亦0345有↢真仏↡、亦有↢小身↡、亦有↢大身↡。既ニ非↢純大↡非↢純小↡、故ニ云↠雑ト。義甚多シ、且ク述↢一両↡、余准↢知之↡。

次つぎにこの十じゅう三観さんがん、 これを修しゅする事こと時じ節せつに限かぎらず、 ただ成じょう就じゅをもつて期ごとなす。 これによりて文もん日数にっしゅを説とかず、 観かんの成じょう就じゅを論ろんずる事ことは、 衆しゅ生じょう根こん性じょうの利り鈍どんによるべし。

次ニ此ノ十三観、修↠之事不↠限↢時節ニ↡、唯以↢成就↡為↠期ト。依↠之ニ文不↠説↢日数↡、論↢観成就↡事、可↠依↢而衆生根性利鈍↡。

ゆゑに善導ぜんどう (定善義) 地じ想観そうかんを釈しゃくしていはく、 「△ただ方寸ほうすん・一いっ尺しゃく等とうを観かんぜよ。 あるいは一日いちにち・二に日にち・三日さんにち、 あるいは四し・五ご・六ろく・七日しちにち、 あるいは一月いちがつ・一年いちねん・二に年ねん・三年さんねん等とう、 無む間けん日にち夜や、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがに身しん口意くい業ごうをしてつねに定じょうと合がっせしめよ。 ◇ただ万まん事じともに捨すてて、 なほ失しつ意い・聾盲ろうしゃ・痴ち人にんのごとくなれば、 この定じょうかならずすなはち得えやすし。 もしかくのごとくならざれば、 三業さんごう随縁ずいえんして、 定じょう想そうつひに波飛はひせん。 たとひ千年せんねんの寿いのちを尽つくすとも、 法眼ほうげんいまだかつて開ひらけず」 と。 云々 以い上じょう、 十じゅう三さん定じょう善ぜん略りゃくしてもつてかくのごとし。 この義ぎただ説とくはこの ¬経きょう¼ の義ぎのごとし。 ¬寿じゅ経きょう¼ いまだこれを説とかず

故ニ善導釈↢地想観↡云、「唯観↢方寸・一尺等↡。或ハ一日・二日・三日、或ハ四・五・六・七日、或ハ一月・一年・二年・三年等、無間日夜、行住坐臥身口意業常与↠定合。唯万事倶捨、由如↢失意・聾盲・痴人↡者、此定必即易↠得。若シ不↠如↠是ノ、三業随縁、定想遂波飛。縦ヒ尽↢千年ノ寿ヲ↡、法眼未ダ↢会開↡。」云云 已上、十三定善略以如↠是ノ。此ノ義但説如↢此¬経¼義↡。¬寿経¼未ダ↠説↠之ヲ

入文解釈 王宮会 正宗分 散善

二にには↑散善さんぜんとは、 これにまた二にあり。 一いちには来らい意い、 二にには三福さんぷく・九く品ぼんを釈しゃくす。

二ニ者散善ト者、此 レニ亦有↠二。一ニ者来意、二ニ者釈↢三福・九品↡。

一いちに来らい意いとは、 衆しゅ生じょうの根こん性じょうに二にあり。 一いちには禅ぜん定じょう、 二にには散乱さんらん 云々。 久く劫ごうの聴ちょう学がく・久く劫ごうの座ざ禅ぜんの文もんをもつてこれを釈しゃくすべし 云々。 これをもつてまた信しん行ぎょう・法ほう行ぎょう 云々。

一ニ来意ト者、衆生根性有↠二。一ニ者禅定、二ニ者散乱 云云。以↢久劫聴学・久劫座禅之文ヲ↡可↠釈↠之ヲ 云云。以↠之亦信行・法行 云云。

二にに三福さんぷく・九く品ぼんを釈しゃくすとは、 これにまた二にあり。 一いちには三福さんぷく、 二にには九く品ぼん。

二ニ釈↢三福・九品↡者、此ニ亦 タ有リ↠二。一ニ者三福、二ニ者九品。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福

一いちに三福さんぷくとは、 これはこれ序分じょぶんのなかの説せつ 云々。 三福さんぷくとは、 「▲↓一いちには孝きょう養よう父母ぶも、 ↓奉事ぶじ師し長ちょう、 ↓慈じ心しん不ふ殺せつ、 修しゅ十じゅう善ぜん業ごう。 ◆↓二にには受じゅ持じ三さん帰き、 ↓具ぐ足そく衆戒しゅかい、 ↓不ふ犯ぼん威儀いぎ。 ◆三さんには↓発ほつ菩ぼ提だい心しん、 ↓深信じんしん因いん果が、 ↓読誦どくじゅ大だい乗じょう、 方等ほうどう経きょう典てん、 ↓勧進かんじん行ぎょう者じゃ」 と。 云々

一ニ三福ト者、此ハ是 レ序分ノ中ノ説 云云。三福ト者、「一ニ者孝養父母、奉事師長、慈心不殺、修十善業。二ニ者受持三帰、具足衆戒、不犯威儀。三ニ者発菩提0346心、深信因果、読誦大乗、方等経典、勧進行者。」云云

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 孝養父母

「↑一者いっしゃ孝きょう養よう父母ぶも」 とは、 在ざい家け・出しゅっ家けの人ひと、 みな父母ぶもあり、 かならず孝きょう養ようを致いたすべし 云々。 在ざい家けの孝きょう養ようの旨むね、 広ひろく ¬論ろん語ご¼・¬孝こう経きょう¼ に説とくがごとし 云々。 出しゅっ家けの孝きょう養ようは、 広ひろく経きょう論ろんに説とくがごとし。 釈しゃく尊そん、 父ちちの棺ひつぎを担かつぎ、 目連もくれんは食じきを贈おくる。 これらにおいて、 すなはち出しゅっ家けの孝きょう養ようの意こころなり。 声しょう聞もん戒かいとは、 生しょう縁えん奉事ぶじの法ほうあり。 菩ぼ薩さつ戒かいとは、 父母ぶもに孝順きょうじゅんす 云々。 南山なんざん (浄心誡巻巻下) いはく、 「父母ぶもは七しち生しょう」 等とうと 云々。 孝きょう養ようの法ほう内ない外げにあり、 ともにこれ聊りょう爾じならず、 もつともこれをもつて往おう生じょうの業ごうとなす 云々。

「一者孝養父母ト」者、在家・出家人、皆有↢父母↡、必可↠致↢孝養↡ 云云。在家孝養之旨、広ク如↠説↢¬論語¼・¬孝経¼↡ 云云。出家孝養、広如↠説↢経論ニ↡。釈尊担↢父ノ棺↡、目連ハ贈↠食。於↢此等ニ↡、即出家孝養ノ意也。声聞戒ト者、有↢生縁奉事法↡。菩薩戒ト者、孝↢順父母↡ 云云。南山云、「父母七生」等 云云。孝養ノ法有↢内外ニ↡、共ニ是 レ不↢聊爾↡、最以↠是為↢往生ノ業↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 奉事師長

次つぎに 「↑奉事ぶじ師し長ちょう」 とは、 凡ぼん夫ぶの智解ちげはかならず師しによりて生しょうず。 みづから解さとることあたはず、 その恩おんまことに深ふかし。 雪山せっせんは半はん偈げに身みを投とうじ、 釈しゃく尊そんは千歳せんざいの床ゆかとなる、 常じょう啼たいは髄ずいを無む濁じょくに砕くだき、 薬王やくおうは億歳おくさいの薪たきぎとなりて、 浄明じょうみょう徳仏とくぶつを供く養ようす。 これらはすなはち奉事ぶじ師し長ちょうの意こころなり。 八はっ宗しゅうの学がく徒と、 誰人たれびとか師し長ちょうましまさざらん。 なかんづく律りっ宗しゅうとは、 師資しし相そう承じょうの法ほうあり。 真言しんごん宗しゅうは、 師しに受うけざれば一いっ句くを読よまず。 自余じよの諸しょ宗しゅうみな師資しし相そう承じょうの道どうあり、 あに奉事ぶじ師し匠しょうなからんや、 これをもつて往おう生じょうの業ごうとなす 云々。

次ニ「奉事師長ト」者、凡夫ノ智解ハ必ズ依↠師ニ生ズ。自不↠能↠解ルコト、其ノ恩実ニ深シ。雪山半偈ニ、投↠身ヲ釈尊ハ為↢千歳床↡、常啼ハ砕↢髄ヲ於無濁↡、薬王ハ為↢億歳之薪↡、供↢養浄明徳仏↡。此 レ等ハ即チ奉事師長ノ意也。八宗ノ学徒、誰人カ不↠在↢師長↡。就↠中律宗ト者、有↢師資相承ノ法↡。真言宗ハ、不↠受↠師ニ不↠読↢一句↡。自余ノ諸宗皆 ナ有↢師資相承之道↡、豈 ニ無↢奉事師匠↡、以↠之ヲ為↢往生ノ業↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 慈心不殺修十善業

次つぎに 「↑慈じ心しん不ふ殺せつ修しゅ十じゅう善ぜん業ごう」 とは、 十じゅう悪あくを翻ほんして十じゅう善業ぜんごうとするなり。 往おう生じょうの志こころざしあらんもの、 すべからく十じゅう善戒ぜんかいを持たもつべし。 このなかに慈じ心しん不ふ殺せつとは、 これに二義にぎあり。 一いちには慈じ無む量りょう、 二にには十じゅう善ぜんのなかの第一だいいちの善ぜんなり。 一いちに慈じ無む量りょうとは、 無む量りょうにつきて四し無む量りょうあり、 いま初はじめを挙あげて後のちを接せっす 云々。 これすなはち四し無む量りょうを修しゅして往おう生じょうの業ごうとする意こころなり。 二にに十じゅう善ぜんのなかの第一だいいちの善ぜんとは、 これすなはち十じゅう善ぜんにおいて総別そうべつを挙あぐるなり。 別べっして慈じ心しん不ふ殺せつとは、 十じゅう悪あくともに罪つみなりといへども、 殺せっ生しょうもつとも第一だいいちなり。 ゆゑに別べっして十じゅう善ぜんを挙あぐ。 ただ仏法ぶっぽうのみにあらず、 またこれ輪王りんのうの祭法さいほうなり。 玄げん奘じょうの縁えんをもつてこれを釈しゃくすべし。 みなすなはち十じゅう善ぜんをもつて往おう生じょうの業ごうとする意こころなり。

次ニ「慈心不殺修十善業ト」者、翻シテ↢十悪ヲ↡為↢十善業↡也。有↢往生ノ志↡者、須↠持↢十善戒ヲ↡。而此ノ中ニ慈心不殺ト者、是有↢二義↡。一ニハ慈無量、二ニハ十善ノ中ノ第一ノ善ナリ。一ニ慈無量ト者、付↢無量↡有↢四無量↡、今挙↠初ヲ接↠後ヲ 云云。是 レ即チ修↢四無量ヲ↡為↢往生ノ業↡意也。二ニ十善ノ中ノ第一ノ善ト者、此 レ即チ於↢十善↡挙↢総別0347↡也。別シテ慈心不殺ト者、十悪共ニ雖↠罪、殺生最第一也。故別シテ挙↢十善↡。但非↢仏法ノミニ↡、亦 タ是 レ輪王祭法也。以↢玄奘縁↡可↠釈↠之。皆即以↢十善↡為↢往生ノ業↡意也。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 受持三帰

「↑二にには受じゅ持じ三さん帰き」 等とうとは、 仏法ぶっぽう僧そうに帰きするなり。 これにつきて翻邪ほんじゃの三さん帰きあり、 五ご戒かいの三さん帰きあり、 八戒はっかいの三さん帰きあり、 乃ない至し菩ぼ薩さつの三さん帰きあり。 これをもつて往おう生じょうの業ごうとするなり。

「二ニハ受持三帰」等ト者、帰↢仏法僧↡也。付↠此ニ有↢翻邪ノ三帰↡、有↢五戒三帰↡、有↢八戒三帰↡、有↢乃至菩薩三帰↡。以↠之ヲ為↢往生ノ業ト↡也。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 具足衆戒

次つぎに 「↑具ぐ足そく衆戒しゅかい」 とは、 戒かいにつきて五ご戒かいあり、 八戒はっかいあり、 沙しゃ弥み戒かいあり、 声しょう聞もんの具ぐ足そく戒かいあり、 菩ぼ薩さつの三聚さんじゅ浄じょう戒かいあり、 菩ぼ薩さつの十重じゅうじゅう・四し十じゅう八はち軽きょう戒かいあり。

次ニ「具足衆戒ト」者、付↠戒ニ有↢五戒↡、有↢八戒↡、有↢沙弥戒↡、有↢声聞具足戒↡、有↢菩薩三聚浄戒↡、有↢菩薩十重・四十八軽戒↡。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 不犯威儀

「↑不ふ犯ぼん威儀いぎ」 とは、 三千さんぜんの威儀いぎあり八万はちまんの威儀いぎあり。 もし往おう生じょうの志こころざしあれば、 すべからくこれらの諸戒しょかいを持たもつべきなり。 これすなはち戒門かいもん往おう生じょうの意こころなり。 もし八はっ宗しゅうに約やくせば、 これ律りっ宗しゅう往おう生じょうの意こころなり。

「不犯威儀ト」者、有↢三千ノ威儀↡有↢八万ノ威儀↡。若有↢往生ノ志↡、須ク可↠持↢此 レ等ノ諸戒ヲ↡也。此 レ即戒門往生ノ意也。若シ約↢八宗ニ↡、是 レ律宗往生ノ意也。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 発菩提心

次つぎに 「↑発ほつ菩ぼ提だい心しん」 とは、 四し弘ぐ誓ぜいの大だい菩ぼ提だい心しんを発おこすなり。 これにつきてまた諸しょ宗しゅうの菩ぼ提だい心しんあり。 法相ほっそうには唯識ゆいしき発心ほっしんあり、 三論さんろんには無む相そう発心ほっしんあり、 華け厳ごんには法界ほっかい発心ほっしんあり、 天台てんだいには円えん融にゅう発心ほっしんあり、 真言しんごんには三密さんみつ発心ほっしんあり。 すべからくもつて考かんがふべきか。 これらの発心ほっしんおのおの浄じょう土どに回え向こうして往おう生じょうの業ごうとするべきなり。 その発心ほっしんの相そう、 おのおの宗々しゅうしゅうの章しょう疏しょに説とくがごとし 云々。

次ニ「発菩提心ト」者、発↢四弘誓之大菩提心↡也。付↠之ニ亦 タ有↢諸宗ノ菩提心↡。法相ニハ有↢唯識発心↡、三論ニハ有↢無相発心↡、華厳ニハ有↢法界発心↡、天臺ニハ有↢円融発心↡、真言ニハ有↢三密発心↡。須ク↢以テ考↡歟。此 レ等ノ発心各ノ可↧廻↢向シテ浄土ニ↡為↦往生之業↥也。其ノ発心ノ相、各ノ如↠説↢宗宗ノ章疏ニ↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 深信因果

次つぎに 「↑深信じんしん因いん果が」 とは、 世せ間けんの因いん果があり出しゅっ世せの因いん果があり。 世せ間けんの因いん果がとは、 これすなはち六道ろくどうの因いん果がなり 云々。

次ニ「深信因果ト」者、有↢世間ノ因果↡有↢出世ノ因果↡。世間因果ト者、此 レ即六道ノ因果也 云云。

出しゅっ世せの因いん果がとは、 すなはち四し乗じょう・三さん乗じょうの因いん果がなり。 もし諸しょ宗しゅうに約やくしてこれを解げせば、 倶く舎しゃには三さん乗じょうの因いん果がを定さだむ、 成じょう実じつ宗しゅうには三さん乗じょうの因いん果が、 律りっ宗しゅうには三さん乗じょうの因いん果が、 法相ほっそう大だい乗じょうには三さん乗じょうの因いん果が、 三論さんろん大だい乗じょうには三さん乗じょうの因いん果が、 華け厳ごん大だい乗じょうには五ご教きょうの因いん果が、 天台てんだい大だい乗じょうには四し教きょうの因いん果が、 真言しんごん大だい乗じょうには五ご乗じょう三密さんみつの因いん果が、 達だつ磨ま宗しゅうには一仏いちぶつ乗じょうの因いん果が。 これらの諸しょ宗しゅうの因いん果がにおいて、 おのおの深信じんしんを発おこして、 これらの功く徳どくをもつて浄じょう土どに往おう生じょうするなり 云々。

出世ノ因果ト者、即チ四乗・三乗ノ因果也。若シ約↢諸宗↡之解セバ↠之ヲ、倶舎ニハ定↢三乗之因果↡、成実宗ニハ三乗之因果、律宗ニハ三乗之因果、法0348相大乗ニハ三乗ノ因果、三論大乗ニハ三乗因果、華厳大乗ニハ五教因果、天臺大乗ニハ四教ノ因果、真言大乗ニハ五乗三密ノ因果、達磨宗ニハ一仏乗ノ因果。於↢此 レ等ノ諸宗ノ因果ニ↡、各ノ発↢深信↡、以↢是ノ功徳↡為↣往↢生浄土ニ↡ 云云。

いま聴ちょう聞もんの人々ひとびと御おん中ちゅうに、 あるいは法相ほっそう宗しゅうの人ひとあり、 あるいは三論さんろん宗しゅうの人ひとあり、 あるいは華け厳ごん宗しゅうの人ひとあり、 あるいは真言しんごん宗しゅうの人ひとあり、 あるいは律りっ宗しゅうの人ひとあり、 あるいは倶く舎しゃ・成じょう実じつの学がく徒と、 あるいは天台てんだい・華け厳ごんの行ぎょう人にん、 おのおの当とう宗しゅうの深信じんしん因いん果がの功く徳どくをもつて深心じんしんの回え向こうして、 おのおの往おう生じょうの業ごうとするなり 云々。

今聴聞ノ人人御中、或ハ在↢法相宗ノ人↡、或ハ在↢三論宗ノ人↡、或ハ在↢華厳宗ノ人↡、或ハ有↢真言宗ノ人↡、或ハ有↢律宗ノ人↡、或ハ倶舎・成実ノ学徒、或ハ天臺・華厳ノ行人、各ノ以↢当宗深信因果功徳↡深心ノ廻向シテ、各ノ為↢往生ノ業↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 読誦大乗方等経典

次つぎに 「↑読誦どくじゅ大だい乗じょう方等ほうどう経きょう典てん」 とは、 文もんを見みるを読どくとし、 文もんに背そむくを誦じゅとす。 これすなはち五ご種しゅ法ほっ師しのなかに、 読誦どくじゅの二に行ぎょうを挙あげ、 受じゅ持じ等とうの三さんを接せっす 云々。 あるいは読誦どくじゅの二にを挙あげ、 つぶさに書写しょしゃ等とうの十種じっしゅの法ほう行ぎょうを接せっす。

次ニ「読誦大乗方等経典ト」者、見↠文為↠読ト、背↠文為↠誦ト。是 レ即チ五種法師ノ中ニ、挙↢読誦ノ二行↡、接↢受持等ノ三↡ 云云。或挙↢読誦ノ二↡、具ニ接↢書写等ノ十種ノ法行↡。

大だい乗じょう方等ほうどう経きょう典てんとは、 大だい乗じょうとは小乗しょうじょうに簡えらぶ言ことばなり。 別べっして一いっ経きょうを指さすにあらず、 通つうじて一切いっさい諸しょ大だい乗じょう経きょうを摂せっす。 いはく 二に十じゅう行ぎょうばかりまた ¬集しゅう¼ の十じゅう二に章しょうのごとし 方等ほうどう経きょう典てんとは、 もろもろの大だい乗じょう経きょうを指さす。 平びょう等どうの理りを明あかすがゆゑに方等ほうどうといふ。 この方等ほうどう経きょう典てんにつきて顕密けんみつの方等ほうどうあり。 顕けん教ぎょうとは、 ¬華け厳ごん¼・¬般若はんにゃ¼・¬大だい集じゅう¼・¬浄名じょうみょう¼・¬法ほっ華け¼・¬涅ね槃はん¼ 等とう 云々。 密みっ教きょうとは、 ¬随ずい求ぐ¼・¬尊そん勝しょう¼・¬無垢むく浄じょう光こう¼・¬阿嚕あろ力りき迦か¼・¬不ふ空くう羂けん索じゃく¼・¬光こう明みょう真言しんごん¼・¬阿あ弥陀みだ¼ および龍りゅう樹じゅ所感しょかんの往おう生じょう浄じょう土ど等とうの呪じゅなり。 これらは顕密けんみつもろもろの大だい乗じょう、 受じゅ持じ・読誦どくじゅして往おう生じょう極楽ごくらくの業ごうとするなり。

大乗方等経典ト者、大乗ト者簡↢小乗↡之言也。別シテ非↠指スニ↢一経ヲ↡、通ジテ摂↢一切諸大乗経↡。謂 廿行許亦 タ如↢¬集¼十二章ノ↡ 方等経典ト者、指↢諸大乗経↡。明↢平等ノ理↡故ニ云↢方等↡。付↢此ノ方等経典ニ↡有↢顕密方等↡。顕教ト者、¬華厳¼・¬般若¼・¬大集¼・¬浄名¼・¬法華¼・¬涅槃¼等 云云。密教ト者、¬随求¼・¬尊勝¼・¬無垢浄光¼・¬阿嚕力迦¼・¬不空羂索¼・¬光明真言¼・¬阿弥陀¼及ビ龍樹所感往生浄土等ノ呪也。此 レ等ハ顕密諸ノ大乗、受持・読誦為↢往生極楽ノ業↡也。

いま聴ちょう聞もん諸衆しょしゅのなかに、 おのおのこれらの持じ経きょう・持じ呪じゅの人ひとましませば、 おのおのこの業ごうをもつて往おう生じょう極楽ごくらくを期ごすべし 云々。

今 マ聴聞諸衆ノ中ニ、各ノ此 レ等ノ持経・持呪ノ人御坐、各ノ以↢此0349ノ業ヲ↡可↠期↢往生極楽↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 三福 勧進行者

次つぎに 「↑勧進かんじん行ぎょう者じゃ」 に二にあり。 一いちには聖しょう道どう教きょうの勧進かんじん行ぎょう者じゃ、 二にには往おう生じょう浄じょう土どの勧進かんじん行ぎょう者じゃ。 一いちに聖しょう道どうの勧進かんじん行ぎょう者じゃ 云々。 二にに往おう生じょうの勧進かんじん行ぎょう者じゃ 云々。 また堂塔どうとう勧進かんじんの行ぎょう者じゃ等とうあり 云々。

次ニ「勧進行者ニ」有↠二。一ニハ聖道教勧進行者、二ニハ往生浄土勧進行者。一ニ聖道勧進行者 云云。二ニ往生勧進行者 云云。又 タ有↢堂塔勧進ノ行者等↡ 云云。

これをもつてこれを案あんずるに、 この三種さんしゅの業ごうのなかにおいて、 華け厳ごん・天台てんだい・三論さんろん・法相ほっそう・真言しんごん・禅門ぜんもん・倶く舎しゃ・成じょう実じつ・大だい小しょうの律りっ宗しゅう、 乃ない至し世せ界かいの孝きょう養よう父母ぶも、 仁じん・義ぎ・礼れい・智ち等とうの世せ善ぜん往おう生じょう、 このなかにみなこれを納おさむ。 西方さいほうの学者がくしゃ・西方さいほうの行ぎょう者じゃ、 おのおの文もんを尋たずねてこれを学がくすのみ 云々。

以↠之ヲ案↠之ヲ、於↢此ノ三種ノ業ノ中ニ↡、華厳・天臺・三論・法相・真言・禅門・倶舎・成実・大小ノ律宗、乃至世界孝養父母、仁・義・礼・智等ノ世善往生、此ノ中ニ皆 ナ納↠之ヲ。西方ノ学者・西方ノ行者、各ノ尋↠文ヲ学↠此ヲ耳 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品

二にに九く品ぼんとは、 これを釈しゃくするに三さんとなす。 一いちには開合かいごう、 二にには立りゅう品ぼんの不ふ同どう、 三さんには文もんにつきて別べっして解げす。

二ニ九品ト者、釈↠之ヲ為↠三ト。一ニハ開合、二ニハ立品不同、三ニハ付↠文別解。

一いちに開合かいごうとは、 これを釈しゃくするに三さんとなす。 いま九く品ぼんは前さきの三福さんぷくを開ひらきて九く品ぼんとなす。 ゆゑに知しりぬ九く品ぼんの行ぎょう業ごう、 三福さんぷくの外ほかにさらに別体べったいなしと 云々。

一ニ開合ト者、釈↠之ヲ為↠三ト。今 マ九品開↢前ノ三福↡為↢九品ト。故ニ知ヌ九品ノ行業、三福之外ニ更ニ無↢別体↡ 云云。

二にに立りゅう品ぼんの不ふ同どうとは、 九く品ぼんの不ふ同どうを立たつ。 これまた三さんとなす。 一いちには↓法ほうの浅深せんじんに約やくす、 二にには↓行ぎょうの多た少しょうに約やくす、 三さんには↓時じ節せつの長じょう短たんに約やくす。

二ニ立品不同ト者、立↢九品ノ不同↡。此又為↠三ト。一ニハ約↢法之浅深↡、二ニハ約↢行ノ多少↡、三ニハ約↢時節ノ長短↡。

一いちに↑法ほうの浅深せんじんに約やくすとは、 しばらく念仏ねんぶつの一いち行ぎょうのごとき、 三品さんぼんの浅深せんじんあり、 余よの読誦どくじゅ発心ほっしん等とうの行ぎょうもまたかくのごとし。 例れいして三品さんぼん・九く品ぼんの浅深せんじんあり。

一ニ約法浅深ト者、且ク如↢念仏ノ一行↡、有↢三品ノ浅深↡、余ノ読誦発心等ノ行モ亦復如↠是ノ。例有↢三品・九品浅深↡。

二にには↑行ぎょうの多た少しょうに約やくすとは、 上じょう品ぼんは五ご行ぎょうを具ぐし、 中ちゅう品ぼんは四し行ぎょうを具ぐし、 下げ品ぼんは三さん行ぎょうを具ぐす。 ¬双巻そうかん¼ の説せつのごとし。 これすなはち行ぎょうの多た少しょうに約やくして品秩ほんちつを立たつるなり。

二ニハ約行多少ト者、上品具↢五行↡、中品具↢四行↡、下品具↢三行↡。如↢¬双巻ノ¼説↡。是 レ則チ約↢行ノ多少↡立↢品秩↡也。

三さんに↑時じ節せつの長じょう短たんに約やくすとは、 一いちには戒かい行ぎょうに約やくして、 尽戒じんかいと一日いちにちと長じょう短たんあり。 これをもつて中上ちゅうじょう・中々ちゅうちゅうを分わかちて二に品ぼんとなす、 すなはちその意こころなり 云々。

三ニ約時節長短ト者、一ニハ約↢戒行↡、尽戒与↢一日↡有↢長短↡。以↠之分↢中上・中中↡為↢二品ト↡、即チ其ノ意也 云云。

三さんに文もんにつきて別べっして解げすとは、 また分わかちて二にとなす。 一いちには↓総そうじて三品さんぼんを分わかつ、 二にには↓文もんにつきて別べっして解げす。

三ニ付↠文ニ別解ト者、又 タ分テ為↠二ト。一ニハ総分三品、二ニハ付↠文別解。

一いちに↑総そうじて三品さんぼんを分わかつとは、 上じょう輩はいに三品さんぼんあり。 一いちには上々じょうじょう、 二にには上中じょうちゅう、 三さんには上じょう下げ。 三品さんぼん不ふ同どうなりといへども、 総そうじて上じょう品ぼんとす。 二にに中ちゅう輩はいにまた三品さんぼんあり。 一いちには中上ちゅうじょう、 二にには中々ちゅうちゅう、 三さんには中ちゅう下げなり。 三さんに下げ輩はいにまた三品さんぼんあり。 一いちには下げ上じょう、 二にには下げ中ちゅう、 三さんには下々げげ 云々。 また上じょう輩はいにおいて三品さんぼんありといへども、 同おなじくこれ大だい乗じょうの善人ぜんにんなり。 中ちゅう輩はいの三品さんぼんに分わかちて二にとなす。 中上ちゅうじょう・中々ちゅうちゅうはこれ小乗しょうじょうの善人ぜんにんなり 云々。 中ちゅう下げは世せ俗ぞくの善人ぜんにんなり 云々。 下げ輩はいの三品さんぼんは、 悪あくの軽重きょうじゅうに約やくしてもつて三品さんぼんとなす、 修因しゅいんの浅深せんじんによらず。 いはく十じゅう悪あくをもつて下げ上じょうとし、 破は戒かいをもつて下げ中ちゅうとし、 五ご逆ぎゃくをもつて下々げげとす 云々。

一ニ総分三品ト者、上輩ニ有↢三品↡。一0350ニハ上上、二ニハ上中、三ニハ上下。三品雖↢不同↡、総ジテ為↢上品↡。二ニ中輩ニ又 タ有↢三品↡。一ニハ中上、二ニハ中中、三ニハ中下ナリ。三ニ下輩ニ又 タ有↢三品↡。一ニハ下上、二ニハ下中、三ニハ下下 云云。又 タ於↢上輩ニ↡雖↠有リト↢三品↡、同ク是 レ大乗善人ナリ。中輩ノ三品ニ分テ為↠二ト。中上・中中ハ是 レ小乗善人也 云云。中下ハ世俗ノ善人也 云云。下輩三品ハ、約↢悪ノ軽重ニ↡以テ為↢三品ト↡、不↠依↢修因ノ浅深ニ↡。謂以↢十悪↡為↢下上ト↡、以↢破戒ヲ↡為↢下中ト↡、以↢五逆ヲ↡為↢下下ト 云云。

二にに↑文もんにつきて別べっして解げすとは、 九く品ぼんの文もんにつきて格別かくべつにこれを釈しゃくするなり。

二ニ付↠文別解ト者、付↢九品ノ文↡格別釈↠之ヲ也。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 上品上生

しばらく上じょう品ぼん上生じょうしょうの文もんにつきて三さん意いあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには往おう生じょう以後いごの得益とくやく 云々。 九く品ぼんにつきてみなこの三さん意いあり。 しばらく上々じょうじょう品ぼんの三さんとは、 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには往おう生じょう以後いごの得益とくやく 云々。

且ク付↢上品上生ノ文ニ↡有↢三意↡。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ往生已後ノ得益 云云。付↢九品ニ↡皆 ナ有↢此ノ三意↡。且ク上上品三ト者、一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ往生已後ノ得益 云云。

一いちに修因しゅいんとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「上じょう品ぼん上生じょうしょうとは、 もし衆しゅ生じょうありて、 一日いちにち乃ない至し七日しちにちすなはち往おう生じょうを得う」 と。 この経きょう文もんをもつてくはしくこれを釈しゃくすべし 云々。

一ニ修因ト者、¬経ニ¼云、「▲上品上生者、◆若有↢衆生↡、▲一日乃至七日即得↢往生↡。」以↢此ノ経文ヲ↡委ク可↠釈↠之ヲ 云云。

二にには往おう生じょうとは、 これにまた二にあり。 一いちには聖しょう衆じゅの来迎らいこう、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょう。 一いちに聖しょう衆じゅの来迎らいこうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「かの国くにに生しょうずる時とき、 この人ひと精しょう進じんす、 行ぎょう者じゃを讃歎さんだんして、 その心こころを勧進かんじんす」 と。 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「行ぎょう者じゃ見みおはりて歓かん喜ぎ踊ゆ躍やくし、 弾だん指しの頃きょうのごとくにかの国くにに往おう生じょうす」 と。

二ニハ往生ト者、是亦有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生。一ニ聖衆来迎ト者、¬経ニ¼云、「▲生↢彼国↡時、此人精進、◆讃↢歎行者↡、勧進其心。」二ニハ行者往生ト者、¬経ニ¼云、「▲行者見已歓喜踊躍、如↢弾指頃↡往↢生彼国↡。」

三さんに往おう生じょう以後いごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「生しょう彼ひ国こく已い、 見仏けんぶつ色身しきしん」 等とうと 云々。

三ニ往生已後ノ得益ト者、¬経ニ¼云、「▲生彼国已、見仏色身」等 云云。

次つぎにいま聴ちょう聞もんの諸衆しょしゅのなかに、 もし上じょう品ぼん上生じょうしょうの志こころざしあらんもの、 もしは一日いちにち乃ない至し七日しちにちの間あいだ、 あるいはもろもろの戒かい行ぎょうを持たもち、 あるいは方等ほうどう経きょう典てんを誦じゅし、 あるいは六念ろくねんを修しゅ行ぎょうして、 おのおの願がんに随したがひて一いち行ぎょうを修しゅし往おう生じょうを期ごせ 云々。

次今聴聞諸衆ノ中ニ、若有↢上品上生志↡者、若ハ一日乃至七日之間、或0351ハ持↢諸戒行↡、或ハ誦↢方等経典ヲ↡、或ハ修↢行六念↡、各ノ随↠願ニ修↢一行ヲ↡期↢往生↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 上品中生

次つぎに上じょう品ぼん中生ちゅうしょうとは、 前さきに例れいしてまた三さんあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには生しょう後ごの得益とくやくなり。

次ニ上品中生ト者、例↠前ニ亦 タ有リ↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ生後ノ得益ナリ。

一いちに修因しゅいんとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「かならずしも受じゅ持じ読誦どくじゅせず、 回え向こうして極楽ごくらく国こくに生しょうずることを願がん求ぐす」 と。

一修因ト者、¬経ニ¼云、「▲不↢必受持読誦↡、廻向願↣求生↢極楽国↡。」

二にに往おう生じょうとはこれにまた二にあり。 一いちには仏ぶつの来迎らいこう、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょうなり。 一いちに仏ぶつの来迎らいこうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「この行ぎょうを行ぎょうずるもの命いのち終おわらんと欲ほっする時とき、 千せんの化け仏ぶつと一いち時じに手てを授さずく」 と。 二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経¼ (観経意) にいはく、 「行ぎょう者じゃみづから見みれば、 紫し金こんの台うてなに坐ざす。 すなはちかの国くにの七宝しっぽうの池ち中ちゅうに生しょうず」 と。 云々

二ニ往生ト者是亦 タ有↠二。一ニハ仏来迎、二ニハ行者往生ナリ。一ニ仏来迎ト者、¬経ニ¼云、「▲行↢此行↡者命欲終↠時、◆与↢千化仏↡一時授↠手」。二ニ行者往生ト者、¬経ニ¼云、「▲行者自見、坐↢紫金台↡。即生↢彼国七宝池中↡。」云云

三さんに生しょう後ごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「この紫し金こんの台うてな大宝だいほう華けのごとし」 と。 云々

三ニ生後ノ得益ト者、¬経ニ¼云、「▲此紫金台如↢大宝華↡。」云云

このなかにもし願がん求ぐ上じょう品ぼん中生ちゅうしょう人者にんしゃ 云々。 このなかに三論さんろん・法相ほっそう・華け厳ごん・天台てんだい・真言しんごん・禅門ぜんもん、 おのおの解げ第一だいいち義ぎの意こころあり。 また解げ第一だいいち義ぎにおいて九く品ぼんを釈しゃくすべし 云々。

此ノ中ニ若シ願求上品中生人者 云云。此ノ中ニ三論・法相・華厳・天臺・真言・禅門、各有↢解第一義之意↡。又 タ於↢解第一義ニ↡可↠釈↢九品↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 上品下生

上じょう品ぼん下げ生しょうとは、 例れいしてまた三さんあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには生しょう後ごの得益とくやくなり。

上品下生ト者、例亦有↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ生後ノ得益也。

一いちに修因しゅいんとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「また因いん果がを信しんじ、 大だい乗じょうを謗ほうぜず、 回え向こうして極楽ごくらく国こくに生しょうぜんと願がん求ぐす」 と。 云々

一ニ修因ト者、¬経ニ¼云、「▲亦信↢因果↡、不↠謗↢大乗↡、廻向願↣求生↢極楽国↡。」云云

二にに往おう生じょうとは、 これにまた二にあり。 一いちには仏ぶつの来迎らいこう、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょう。 一いちに仏ぶつの来迎らいこうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「行ぎょう者じゃの命いのち終おわらんと欲ほっする時とき、 阿あ弥陀みだ仏ぶつ、 無む上じょう道心どうしんを発おこす。 われ来きたりてなんぢを迎むかふ」 と。 云々 二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「この事じを見みる時とき、 すなはちみづから身みを見みれば、 すなはち七宝しっぽうの池ち中ちゅうに往おう生じょうすることを得う」 と。 云々

二ニ往生ト者、是亦 タ有↠二。一ニハ仏来迎、二ニハ行者往生。一ニ仏来迎ト者、¬経ニ¼云、「▲行者命欲↠終時、阿弥陀仏、発↢無上道心↡。我来迎↠汝。」云云 二ニ行者往生ト者、¬経ニ¼云、「▲見↢此事↡時、即自見↠身、即得↣往↢生七宝池中↡。」云云

三さんに生しょう後ごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一日いちにち一いち夜やに蓮れん華げすなはち開ひらく」 以下いげの文もんこれなり 云々。

三ニ生後ノ得0352益ト者、¬経ニ¼云、「▲一日一夜蓮華乃開」已下ノ文是 レ也 云云。

このなかにもし上じょう品ぼん下げ生しょうの志こころざしあらん、 すべからく無む上じょう菩ぼ提だい心しんを発おこすべし。 相そう前さきに申もうし候そうろふがごとし。 おのおの自じ宗しゅうの菩ぼ提だい心しんを発おこして、 上じょう品ぼん下げ生しょうを願がん求ぐすべし 云々。 またこのなかに亦信やくしん因いん果がの義ぎ、 前さきに申もうし候そうろふがごとし。

此ノ中ニ若シ有↢上品下生ノ志↡、須↠発↢無上菩提心↡。相如↢前ニ申候↡。各ノ可↧発↢自宗菩提心↡、願↦求上品下生↥ 云云。亦 タ此ノ中ニ亦信因果之義、如↢前ニ申候↡。

大だい乗じょうの善人ぜんにん、 上じょう輩はい三品さんぼんの往おう生じょう、 略りゃくしてもつてかくのごとし。

大乗善人、上輩三品往生、略シテ以テ如↠此ノ。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 中品上生

次つぎに中ちゅう三品さんぼんにつきて、 善導ぜんどうによらば分わかちて二にとす。 中上ちゅうじょう・中々ちゅうちゅうの二に品ぼんは小乗しょうじょうの善人ぜんにんなり。 中ちゅう下げはこれ大だい乗じょうにあらず小乗しょうじょうにあらず、 いまだ仏法ぶっぽうに遇あはざる世せ俗ぞくの善人ぜんにんなり 云々。

次ニ付↢中三品↡、依バ↢善導ニ↡分テ為↠二。中上・中中ノ二品ハ小乗善人也。中下ハ是 レ非↢大乗↡非↢小乗↡、未ダ↠遇↢仏法↡世俗ノ善人也 云云。

しばらくこの義ぎにつきて三品さんぼんを釈しゃくせば、 中ちゅう品ぼん上生じょうしょう、 例れいしてまた三さんあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには得益とくやくなり。

且ク付↢此義ニ↡釈↢三品↡者、中品上生、例亦 タ有↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ得益也。

一いちに修因しゅいんとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「もし衆しゅ生じょうありて五ご戒かいを受じゅ持じし、 回え向こうして西方さいほう極楽ごくらく世せ界かいに生しょうぜんと願がん求ぐす」 と。 云々

一ニ修因ト者、¬経ニ¼云、「▲若有↢衆生↡受↢持五戒↡、廻向願↠求↠生↢於西方極楽世界↡。」云云

二にに往おう生じょうとは、 これにまた二にあり。 一いちには聖しょう衆じゅの来迎らいこう、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょう。 一いちに聖しょう衆じゅの来迎らいこうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「命終みょうじゅうの時ときに臨のぞんで、 阿あ弥陀みだ仏ぶつ出しゅっ家けを讃歎さんだんして、 衆しゅ苦くを離はなるることを得う」 と。 云々 二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「行ぎょう者じゃ見みおはりて、 心しん大おおきに歓かん喜ぎす。 いまだ頭こうべを挙あげざるあひだに、 すなはち極楽ごくらく世せ界かいに往おう生じょうすることを得う」 と。 云々

二ニ往生ト者、是 レニ亦有↠二。一ニ者聖衆来迎、二ニハ行者往生。一ニ聖衆来迎ト者、¬経ニ¼云、「▲臨↢命終時↡、阿弥陀仏讃↢歎出家↡、得↠離↢衆苦↡。」云云 二ニ行者往生ト者、¬経ニ¼云、「▲行者見已、心大歓喜。未↠挙↠頭頃、即得↣往↢生極楽世界↡。」云云

三さんに生しょう後ごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「蓮れん華げすなはち開ひらく。 華はなの敷ひらく時ときに当あたりて」 と。 云々

三ニ生後ノ得益ト者、¬経ニ¼云、「▲蓮華尋開。当↢華敷時↡。」云云

もしこのなかに中ちゅう品ぼん上生じょうしょうの志こころざし 云々。

若シ此ノ中ニ有↢中品上生ノ志 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 中品中生

次つぎに中ちゅう品ぼん中生ちゅうしょうとは、 例れいしてまた三さんあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには得益とくやく。

次ニ中品中生ト者、例亦 タ有↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ得益。

一いちに修因しゅいんとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「もし衆しゅ生じょうありて、 もしは一日いちにち一いち夜や八戒はっかい斉さいを受じゅ持じし、 回え向こうして極楽ごくらく国こくに生しょうぜんと願がん求ぐす。 戒香かいこう薫くん修じゅうし」 と。 云々

一ニ修因ト者、¬経ニ0353¼云、「▲若有↢衆生↡、若一日一夜受↢持八戒斉↡、廻向願↠求↠生↢極楽国↡。戒香薫修。」云云

二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 これにまた二にあり。 一いちには聖しょう衆じゅの来迎らいこう、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょう。 一いちに聖しょう衆じゅの来迎らいこうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「かくのごとき行ぎょう者じゃ、 命いのち終おわらんと欲ほっする時とき、 阿あ弥陀みだ仏ぶつを見みる。 三ざん世ぜ諸仏しょぶつの教きょうに随ずい順じゅんするがゆゑに、 われ来きたりてなんぢを迎むかふ」 と。 云々 二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「行ぎょう者じゃみづから見みれば、 蓮れん華げの上うえに坐ざせり。 蓮れん華げすなはち合がっし、 西方さいほう極楽ごくらく世せ界かいに生しょうじて宝ほう池ちのなかにあり」 と。 云々

二ニ行者往生ト者、是亦 タ有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生。一ニ聖衆来迎ト者、¬経ニ¼云、「▲如↠此行者、命欲↠終時、見↢阿弥陀仏↡。▲随↢順三世諸仏教↡故、我来迎↠汝。」云云 二ニ行者往生ト者、¬経ニ¼云、「▲行者自見、坐↢蓮華上↡。蓮華即合、生↢於西方極楽世界↡在↢宝池中↡。」云云

三さんに生しょう後ごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「▲七日しちにちを経へて蓮れん華げすなはち敷ひらく」 と。 云々 以い上じょう小乗しょうじょう

三ニ生後ノ得益ト者、¬経ニ¼云、「経↢於七日↡蓮華乃敷。」云云 已上小乗

次つぎにこのなかに中ちゅう品ぼん中生ちゅうしょうの志こころざしあらん 云々。

次ニ此ノ中ニ有↢中品中生ノ志↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 中品下生

次つぎに中ちゅう品ぼん下げ生しょうとは、 これすなはちいまだ仏法ぶっぽうに遇あはざる世せ俗ぞくの善人ぜんにんなり。 これをもつて中ちゅう下げとし、 前さきに合がっして中ちゅう輩はいの三品さんぼんとす。 これ少しょう異い与よ諸しょ師し 云々。 例れいしてまた三さんあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには生しょう後ごの得益とくやく。

次ニ中品下生ト者、是 レ則チ未ダ↠遇↢仏法↡世俗ノ善人也。以↠此ヲ為↢中下↡、合↠前ニ為↢中輩三品ト。是少異与諸師 云云。例亦 タ有リ↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ生後得益。

一いちに修因しゅいんとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「善男ぜんなん子し・善ぜん女人にょにん、 孝きょう養よう父母ぶも。 法蔵ほうぞう比丘びく四し十じゅう八はち願がん」 と。

一ニ修因ト者、¬経ニ¼云、「▲善男子・善女人、孝養父母。▲法蔵比丘四十八願。」

二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 これにまた二にあり。 一いちに聖しょう衆じゅの来迎らいこうとは、 前さきに准じゅんぜば後のちの諸品しょぼんにかならずこれあるべし。 懐え感かん等とうの諸しょ師し、 みなその義ぎを存ぞんず。 二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「この事じを聞ききおはりて、 すなはち西方さいほう極楽ごくらく世せ界かいに生しょうず」 と。 云々

二ニ行者往生ト者、是亦 タ有↠二。一ニ聖衆来迎ト者、准↠前ニ後ノ諸品必是 レ可↠有ル。懐感等ノ諸師、皆 ナ存↢其ノ義ヲ。二ニ行者往生ト者、¬経ニ¼云、「▲聞↢此事↡已、即生↢西方極楽世界↡。」云云

三さんに生しょう後ごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「七日しちにちを経へて、 観かん世ぜ音おんに遇あふ」 と。

三ニ生後ノ得益ト者、¬経ニ¼云、「▲経↢七日↡、遇↢観世音↡。」

中ちゅう下げかくのごとし。 もし中ちゅう品ぼん下げ生しょうの志こころざしあらんもの 云々。

中下如↠是ノ。若シ有↢中品下生志↡者 云云。

総そうじて中ちゅう輩はいの三品さんぼんかくのごとし 云々。

総中輩ノ三品如↠是ノ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 下品上生

次つぎに下げ品ぼんの三さん生しょうとは、 この人ひと大だい小しょうの善根ぜんごんおよび世せ俗ぞくの善根ぜんごんなし、 もろもろの十じゅう悪あく・破は戒かいおよびもろもろの五ご逆ぎゃくの罪人ざいにんなり。 もつてこの三品さんぼんの悪人あくにんは罪業ざいごうの軽重きょうじゅうに随したがひ、 立たてて三品さんぼんとす。 罪業ざいごうの軽重きょうじゅうとは 云々。 これにつきて三品さんぼんあり。

次0354ニ下品三生ト者、此ノ人無↢大小ノ善根及ビ世俗ノ善根↡、諸ノ十悪・破戒及ビ諸ノ五逆ノ罪人也。以此ノ三品ノ悪人ハ随↢罪業軽重ニ↡、立為↢三品ト↡。罪業ノ軽重ト者 云云。付↠之ニ有↢三品↡。

しばらく下げ品ぼん上生じょうしょうとは、 これ十じゅう悪あくの罪人ざいにんなり。 例れいのごとく三さんあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには生しょう後ごの得益とくやく。

且ク下品上生ト者、此 レ十悪罪人也。例ノ如有↠三。一ニ者修因、二ニハ往生、三ニハ生後得益。

一いちに修因しゅいんとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「あるいは衆しゅ生じょうあり、 もろもろの悪業あくごうをなす。 五ご十じゅう億劫おくこうの生しょう死じの罪つみを除のぞく」 と。 このなかに善ぜん行ぎょう・悪あく行ぎょうあり、 分わかちてこれを釈しゃくすべし。

一ニ修因ト者、¬経ニ¼云、「▲或有↢衆生↡、作↢衆悪業↡。▲除↢五十億劫生死之罪↡。」此ノ中ニ有↢善行・悪行↡、可↢分釈↟此。

二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 これにまた二にあり。 一いちには聖しょう衆じゅの来迎らいこう、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょうなり。 一いちに聖しょう衆じゅの来迎らいこうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「その時ときかの仏ぶつ、 すなはち化け仏ぶつを遣つかはして、 諸罪しょざい消しょう滅めつす。 われ来きたりてなんぢを迎むかふ」 と。 云々 二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「この語ごをなしおはりて、 行ぎょう者じゃすなはち化け仏ぶつの光こう明みょうを見みる。 化け仏ぶつの後あとに随したがひて宝ほう池ちのなかに生しょうず」 と。 云々

二ニ行者往生ト者、是亦 タ有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生也。一ニ聖衆来迎ト者、¬経ニ¼云、「▲爾時彼仏、即遣↢化仏↡、諸罪消滅。我来迎↠汝。」云云 二ニ行者往生ト者、¬経ニ¼云、「▲作↢是語↡已、行者即見↢化仏光明↡。▲随↢化仏後↡生↢宝池中↡。」云云

三さんに生しょう後ごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「七しち七日しちにちを経へて蓮れん華げすなはち敷ひらく」 と。 云々

三ニ生後ノ得益ト者、¬経ニ¼云、「▲経↢七七日↡蓮華乃敷。」云云

次つぎにこの九く品ぼんのなかにこの品ほん華け要ようなり。 すこぶるわれらが分ぶんに相当そうとうす 云々。 もし下げ品ぼん上生じょうしょうの志こころざしあらば 云々。

次此九品中此ノ品華要也。頗ル相↢当我 レ等ガ分ニ↡ 云云。若シ有↢下品上生之志↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 下品中生

次つぎに下げ品ぼん中生ちゅうしょうとは、 これ破は戒かいの罪人ざいにんなり。 例れいしてまた三さんあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょう、 三さんには生しょう後ごの得益とくやく。

次ニ下品中生ト者、此 レ破戒ノ罪人也。例亦有↠三。一ニハ修因、二ニハ行者往生、三ニハ生後得益。

一いちに修因しゅいんとは、 これにまた二にあり。 一いちには悪あく行ぎょう、 二にには善ぜん行ぎょう。 一いちに悪あく行ぎょうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「あるいは衆しゅ生じょうあり、 五ご戒かい・八戒はっかいを毀き犯ぼんし、 もろもろの悪業あくごうをもつてみづから荘しょう厳ごんす。 かくのごとき罪人ざいにん悪業あくごうをもつてのゆゑに」 と。 云々 善ぜん行ぎょうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「命いのち終おわらんと欲ほっする時とき、 地じ獄ごくの衆しゅ火か。 八はち十じゅう億劫おくこうの生しょう死じの罪つみを除のぞく」 と。 云々

一ニ修因ト者、此亦有↠二。一ニ者悪行、二ニ者善行。一ニ悪行ト者、¬経ニ¼云、「▲或有↢衆生↡、毀↢犯五戒・八戒↡、以↢諸悪業↡而自荘厳。如↠此罪人0355以↢悪業↡故。」云云 善行ト者、¬経ニ¼云、「▲命欲↠終時、地獄衆火。▲除↢八十億劫生死之罪↡。」云云

二にに往おう生じょうとは、 これにまた二にあり。 一いちには聖しょう衆じゅの来迎らいこう、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょう。 一いちに聖しょう衆じゅの来迎らいこうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「▲地じ獄ごくの猛みょう火か、 化けして清涼しょうりょうの風かぜとなり、 もろもろの天てん華げを吹ふく。 華け上じょうにみな化け仏ぶつ・菩ぼ薩さつありて、 この人ひとを迎こう接しょうしたまふ」 と。 二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一念いちねんのあひだのごとく、 すなはち七宝しっぽうの池ち中ちゅうに往おう生じょうすることを得う」 と。 云々

二ニ往生ト者、是亦 タ有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生。一ニ聖衆来迎ト者、¬経ニ¼云、「地獄猛火、化為↢清涼風↡、吹↢諸天華↡。華上皆有↢化仏・菩薩↡、迎↢接此人↡。」二ニ行者往生ト者、¬経ニ¼云、「▲如↢一念頃↡、即得↣往↢生七宝池中↡。」云云

三さんに生しょう後ごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「蓮れん華げの内うちに六劫ろっこうを経ふ」 と。 云々 次つぎにもし下げ品ぼん下げ生しょうの志こころざしあらん 云々。

三ニ生後ノ得益ト者、¬経ニ¼云、「▲蓮華之内経↢於六劫↡。」云云 次ニ若有↢下品下生志↡ 云云。

入文解釈 王宮会 正宗分 散善 九品 下品下生

次つぎに下げ品ぼん下げ生しょうとは、 これまた五ご逆ぎゃくの罪人ざいにんなり。 例れいしてまた三さんあり。 一いちには修因しゅいん、 二にには往おう生じょう、 三さんには生しょう後ごの得益とくやく。

次ニ下品下生ト者、是 レ亦 タ五逆ノ罪人也。例亦 タ有↠三。一ニハ修因、二ニハ往生、三ニハ生後得益。

一いちに修因しゅいんとは、 これにまた二にあり。 一いちには悪あく行ぎょう、 二にには善ぜん行ぎょう。 一いちに悪あく行ぎょうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「あるいは衆しゅ生じょうあり、 不ふ善業ぜんごうをなして、 多た劫こうを経歴きょうりゃくして苦くを受うくること無む窮きゅうなり」 と。 二にには善ぜん行ぎょうとは、 ¬経きょう¼ (観経意) にいはく、 「かくのごとき愚ぐ人にん。 八はち十じゅう億劫おくこうの生しょう死じの罪つみを除のぞく」 と。 云々

一ニ修因ト者、是亦 タ有↠二。一ニハ悪行、二ニハ善行。一ニ悪行ト者、¬経ニ¼云、「▲或有↢衆生↡、作↢不善業↡、経↢歴多劫↡受↠苦無窮。」二ニハ善行ト者、¬経ニ¼云、「▲如↠此愚人。▲除↢八十億劫生死之罪↡。」云云

二にに往おう生じょうとは、 これにまた二にあり。 一いちには聖しょう衆じゅの来迎らいこう、 二にには行ぎょう者じゃの往おう生じょう。 一いちに聖しょう衆じゅの来迎らいこうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「命終みょうじゅうの時とき、 金こん蓮れん華げを見みるになほ日輪にちりんのごときその人ひとの前まえに住じゅうす」 と。 くはしくこれを釈しゃくすべし 二にに行ぎょう者じゃの往おう生じょうとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一念いちねんのあひだのごとく、 すなはち極楽ごくらく世せ界かいに往おう生じょうすることを得う」 と。 云々

二ニ往生ト者、是亦有↠二。一ニハ聖衆来迎、二ニハ行者往生。一ニ聖衆来迎ト者、¬経ニ¼云、「▲命終之時、見↢金蓮華↡猶如↢日輪↡住↢其人前↡。」委ク可↠釈↠之 二ニ行者往生ト者、¬経ニ¼云ク、「▲如↢一念頃↡、即得↣往↢生極楽世界↡。」云云

三さんに生しょう後ごの得益とくやくとは、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「蓮れん華げのなかにおいて十じゅう二に大劫たいこうを満みつ」 と。 云々

三ニ生後得益ト者、¬経ニ¼云、「▲於↢蓮華中↡満↢十二大劫↡。」云云

これを下げ品ぼん下げ生しょうとなす。 総そうじて下げ品ぼんの三さん生しょうかくのごとし。

此為↢下品下生↡。総ジテ下品ノ三生如↠此ノ。

総そうじて三福さんぷく・九く品ぼんの散善さんぜん、 略りゃくしてもつてかくのごとし。 聴ちょう聞もんの大衆だいしゅ楽ぎょう欲よくに随したがひて、 あるいは上じょう品ぼん上生じょうしょうを願ねがひ、 あるいは上じょう品ぼん中生ちゅうしょう乃ない至し下げ品ぼん下げ生しょうを願がんじましますか。 以い上じょう正宗しょうしゅう定じょう散善さんぜん往おう生じょうの義ぎ、 略りゃくしてもつてかくのごとし。

総0356ジテ三福・九品散善、略シテ以テ如↠此ノ。聴聞ノ大衆随↢楽欲↡、或ハ願↢上品上生↡、或ハ願↢上品中生乃至下品下生↡坐歟。已上正宗定散善往生ノ義、略シテ以テ如↠此ノ。

入文解釈 王宮会 流通分

次つぎに↑流る通ずう、 多おおくの文段もんだんあり。 要ようを取とりてこれを釈しゃくすに、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「仏ぶつ、 阿あ難なんに告つげたまはく、 なんぢよくこの語ごを持たもて」 と。 云々 これを釈しゃくするに二意にいあり。 一いちには善導ぜんどうにより、 定じょう散さんの諸しょ行ぎょうを廃はいしてただ念仏ねんぶつの一門いちもんに帰きす。 二にに経中きょうちゅうの諸文しょもんにおいて、 略りゃくしてこの義ぎを輔ほ助じょす。

次ニ流通有↢多ノ文段↡。取↠要ヲ釈↠之、¬経ニ¼云、「▲仏告↢阿難↡、汝好持↢是語↡。」云云 釈↠此ヲ有↢二意↡。一ニ者依↢善導ニ↡、廃↢定散ノ諸行ヲ↡但帰↢念仏ノ一門ニ↡。二ニ於↢経中諸文↡、略シテ輔↢助此ノ義ヲ↡。

入文解釈 王宮会 流通分 依善導

一いちには善導ぜんどうにより諸しょ行ぎょうを廃はいして念仏ねんぶつの一門いちもんに帰きすとは、 善導ぜんどう (散善義) の 「仏告ぶつごう阿あ難なん」 等とうの文もんを釈しゃくしていはく、 「仏告ぶつごう阿あ難なん汝好にょこう持じ是語ぜごより以下いげは、 まさしく弥陀みだの名みょう号ごうを付ふ属ぞくして、 遐か代だいに流る通ずうすることを明あかす。 上じょう来らい定じょう散さん両りょう門もんの益やくを説とくといへども、 仏ぶつの本願ほんがんに望のぞむるに、 意こころ衆しゅ生じょうをして一向いっこうにもつぱら弥陀みだ仏ぶつ名みょうを称しょうせしむるにあり」 と。 云々 善導ぜんどう、 釈しゃく (玄義分意) にいはく、 「諸しょ経きょうの宗しゅう旨し不ふ同どうなり、 この ¬経きょう¼ 観仏かんぶつ三昧ざんまいを宗しゅうとなし、 また念仏ねんぶつ三昧ざんまいをもつて宗しゅうとなす」 と。 云々

一ニハ依↢善導ニ↡廃↢諸行↡帰↢念仏一門↡者、善導ノ釈↢「仏告阿難」等ノ文ヲ↡云、「▲従↢仏告阿難汝好持是語↡已下ハ、正ク明↧付↢属弥陀ノ名号ヲ↡、流↦通コトヲ於遐代↥。上来雖↠説↢定散両門之益↡、望↢仏ノ本願↡、意在↣衆生一向専ラ称↢弥陀仏名↡。」云云 善導釈ニ云、「諸経宗旨不同、▲此ノ¬経ニハ¼観仏三昧ヲ為↠宗ト、亦以↢念仏三昧↡為↠宗。」云云

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助

二にには諸文しょもんをもつて輔ほ助じょすとは、 この ¬経きょう¼ の意こころは、 定じょう散さんの善根ぜんごんを説ときて、 諸しょ行ぎょう往おう生じょうを明あかすといへども、 その正しょう意いを論ろんずるに、 まさしく念仏ねんぶつ往おう生じょうにあり。 その文もん多おおしといへども、 略りゃくして三さん五ごを引ひきて、 もつてその義ぎを輔ほせん。

二ニハ以↢諸文ヲ↡輔助ト者、此ノ¬経ノ¼意ハ、説↢定散善根↡、雖↠明↢諸行往生ヲ↡、論ルニ↢其ノ正意ヲ↡、正ク有↢念仏往生ニ↡。其ノ文雖↠多ト、略シテ引↢三五ヲ↡、以テ輔↢其ノ義。

一いちには↓第だい九く観かんの 「光こう明みょう遍へん照じょう」 の文もん、 二にには↓第だい十じゅう二に観かんの 「無む量りょう寿仏じゅぶつ化け身しん無む数しゅ」 等とうの文もん、 三さんには↓下げ品ぼん上生じょうしょうの 「智ち者しゃ復ぶ教きょう合がっ掌しょう叉手しゃしゅ、 称しょう南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつ」 の文もん、 四しには↓同おなじく下げ品ぼん上生じょうしょうの化け仏ぶつ称しょう讃さんの 「汝にょ称しょう仏ぶつ名みょう故こ諸罪しょざい消しょう滅めつ」 の文もん、 五ごには↓下げ品ぼん中生ちゅうしょうの聴ちょう聞もん弥陀みだ功く徳どく往おう生じょうの文もん、 六ろくには↓下げ品ぼん下げ生しょうの十じゅう念ねん往おう生じょうの文もん、 七しちには ↓「若にゃく念仏ねんぶつ者しゃ当とう知ち此し人にん、 乃ない至し生しょう諸仏しょぶつ家け」 の文もん。

一ニハ第九観ノ「光明遍照ノ」文、二ニハ第十二観「無量寿仏化身無数」等ノ文、三ニハ下品上生ノ「智者復教0357合掌叉手、称南無阿弥陀仏ノ」文、四ニハ同ク下品上生ノ化仏称讃「汝称仏名故諸罪消滅ノ」文、五ニハ下品中生ノ聴聞弥陀功徳往生ノ文、六ニハ下品下生ノ十念往生ノ文、七ニハ「若念仏者当知此人、乃至生諸仏家ノ」文。

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助 第九観文

一いちには ↑「光こう明みょう遍へん照じょう」 (観経) とは、 この文もんを釈しゃくするに三さん義ぎあり。 一いちには↓平びょう等どうの義ぎ、 二にには↓本願ほんがんの義ぎ、 三さんには↓親縁しんえん等とうの義ぎ。

一ニハ「▲光明遍照ト」者、釈↢此文↡有↢三義↡。一ニハ平等ノ義、二ニハ本願ノ義、三ニハ親縁等ノ義。

一いちに↑平びょう等どうの義ぎとは、 そもそも弥陀みだの光こう明みょう、 ただ念仏ねんぶつ者しゃばかりを照てらして余よ行ぎょうのものを照てらしたまはざるは何事なにごとぞや。 およそ道どう理りを思おもふに、 如来にょらい無む縁えんの慈悲じひの光こう明みょう、 一切いっさい顕密けんみつの行ぎょう人にん・一切いっさいの事理じりの行ぎょう者じゃを照てらすべし。 なんぞ (観経) 「念仏ねんぶつ衆しゅ生じょう摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」といひ、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃの外ほか一切いっさい顕密けんみつの行ぎょう者じゃ、 みなもつて摂取せっしゅの光こう明みょうを照てらさず、 無む縁えんの慈悲じひに漏もるべし、 その条じょう不ふ審しんなり。

一ニ平等ノ義ト者、抑モ弥陀光明、唯照↢念仏者計↡不↠照↢余行ノ者↡何 ニ事ゾ哉。凡ソ思↢道理ヲ↡、如来無縁ノ慈悲光明、可↠照↢一切顕密行人・一切事理行者↡。何ゾ云↢「念仏衆生摂取不捨ト」↡、念仏行者ノ外一切顕密ノ行者、皆 ナ以テ不↠照↢摂取光明↡、可↠漏↢無縁ノ慈悲ニ↡、其ノ条不審ナリ。

八はち十じゅう・六ろく十じゅうの ¬華け厳ごん¼ を誦じゅし、 事々じじ円えん融にゅうの旨むねを讃さんじて、 純じゅん真しん法界ほっかいの理りを観かんずる人ひと、 いかんぞ弥陀みだの光こう明みょうに選えらび捨すてらる。 ¬道どう行ぎょう¼・¬勝しょう天てん¼・¬理り趣しゅ¼・¬金剛こんごう¼ 等とう受じゅ持じの法ほっ師し、 般若はんにゃの畢ひっ竟きょう空くうの旨むねを知しり唯言ゆいごん無二むにの法ほうを談だんずる、 なんぞ弥陀みだの光こう明みょうを蒙こうむらざる。 ¬思し益やく経きょう¼ を持たもち平びょう等どう如々にょにょを識しり、 ¬円覚えんがく経きょう¼ を受うけ一切いっさいを建こん立りゅうし、 ¬首しゅ楞りょう厳ごん経ぎょう¼ を読よみ十方じっぽうを含ふくみ、 ¬大集だいじっ経きょう¼ を持たもち染浄ぜんじょうに融通ゆうずうす。

誦↢八十・六十ノ¬華厳¼↡、讃↢事々円融之旨ヲ↡、観↢純真法界之理↡人、云何ゾ被↣選↢捨弥陀光明↡。¬道行¼・¬勝天¼・¬理趣¼・¬金剛¼等受持法師、知↢般若ノ畢竟空ノ旨↡談↢唯言無二法↡、何ゾ不↠蒙↢弥陀光明↡也。持↢¬思益経ヲ¼↡識↢平等如如ヲ↡、受↢¬円覚経ヲ¼↡建↢立一切↡、読↢¬首楞厳経ヲ¼↡含↢十方↡、持↢¬大集経ヲ¼↡融↢通染浄↡。

あるいは ¬宝ほう積経しゃくきょう¼ 百ひゃく二に十巻じっかんを持たもち根塵こんじんを泯合みんごうす、 あるいは ¬法華ほけ経きょう¼ 一いち部ぶ八巻はっかんを持たもち実相じっそうに体達たいたつす、 あるいは ¬涅ね槃はん¼ を行ぎょうじ仏ぶっ性しょうを知しる、 あるいは ¬浄名じょうみょう経きょう¼ を読よみ道どう場じょうを悟さとる。 かくのごときらの人ひと、 われしかしながらこれを照てらさず。 あるいは瑜伽ゆがの道どう場じょう、 あるいは理り観かんの縄床じょうしょう、 これを照てらさざるはいかんぞ。

或ハ持↢¬宝積経¼百二十巻↡泯↢合根塵↡、或ハ持↢¬法華経¼一部八巻↡体↢達実相↡、或ハ行↢¬涅槃ヲ¼↡知↢仏性ヲ↡、或ハ読↢¬浄名経ヲ¼↡悟↢道場ヲ↡。如↠是ノ等ノ人、我然不↠照↠之哉。或ハ瑜伽0358之道場、或ハ理観之縄床、不↠照↠之者云何ゾ。

まことに田猟でんろう・漁ぎょ捕ほのものを照てらさず、 殺せっ生しょう・偸ちゅう盗とうの人ひとを照てらさず、 五ご逆ぎゃく・十じゅう悪あくの家いえを照てらさず、 毀き禁きん・破は戒かいの窓まどを照てらさず、 もつともそのゆゑあるか。

誠ニ不↠照↢田猟・漁捕之者↡、不↠照↢殺生・偸盗之人↡、不↠照↢五逆・十悪之家↡、不↠照↢毀禁・破戒之窓↡、最モ有↢其ノ所以↡哉。

かくのごとき仏法ぶっぽう修しゅ行ぎょうの人ひとは、 権実ごんじつを論ろんぜず顕密けんみつをいはず、 光こう明みょう摂取せっしゅの光ひかりただ念仏ねんぶつ者しゃに局かぎる。

如↠此ノ仏法修行之人ハ、不↠論↢権実↡不↠云ハ↢顕密ヲ↡、光明摂取ノ光局↢唯念仏者↡。

そのゆゑは経きょう論ろんにおいて博ひろくこれを達たっするものこれを照てらさば、 娑しゃ婆ば世せ界かい愚痴ぐちのものは多おおく智恵ちえ少すくなし。 事理じりにおいて深じん利りのものこれを照てらさば、 鈍根どんごんのものは多おおく利り根こんのものは少すくなし。 念仏ねんぶつの法門ほうもんにおいては、 智ち人にんこれを修しゅし、 大だい聖しょう・文殊もんじゅ師利しり、 念仏ねんぶつを法ほっ照しょうに教おしふ 云々。 愚ぐ人にんこれを修しゅし、 ¬観かん無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の十じゅう悪あく軽きょう罪ざい・破は戒かい次じ罪ざい・五ご逆ぎゃく重じゅう罪ざいのものを照てらす。

其ノ故ハ於↢経論ニ↡博ク達↠之者 ノ照バ↠之ヲ、娑婆世界愚痴ノ者 ノハ多ク智恵少。於↢事理↡深利ノ者照バ↠之ヲ、鈍根ノ者 ノハ多ク利根ノ者ハ少シ。於↢念仏ノ法門ニ↡者、智人修↠之ヲ、大聖・文殊師利教↢念仏ヲ於法照↡ 云云。愚人修↠之ヲ、照↢¬観無量寿経¼十悪軽罪・破戒次罪・五逆重罪ノ者↡。

あるいは (観経) 「教令きょうりょう念仏ねんぶつ」 といひて念仏ねんぶつを修しゅせしめ、 あるいは (観経意) 「但たん当応とうおう称唱しょうしょう名みょう号ごう」 といひて凡ぼん聖しょう・賢げん愚ぐ・利り鈍どん・貴き賎せんこれを同おなじくす。 要ようを取とりてこれを思おもはば、 智ち人にんに局かぎらば愚ぐ人にん漏もるべし。 ゆゑにいま摂取せっしゅの光こう明みょうただ念仏ねんぶつ者しゃを照てらす 云々。

或ハ云↢「▲教令念仏」↡修↢念仏↡、或ハ云↢「▲但当応称唱名号」↡凡聖・賢愚・利鈍・貴賎同↠之。取↠要ヲ思↠之ヲ、局↢智人↡愚人可↠漏。故ニ今 マ摂取ノ光明照↢唯念仏者↡ 云云。

二にには↑本願ほんがんの義ぎ、 いはく余よ行ぎょうは非ひ本願ほんがんのゆゑにこれを照摂しょうしょうせず、 念仏ねんぶつはこれ本願ほんがんのゆゑにこれを照摂しょうしょうす。 ゆゑに善導ぜんどう和か尚しょう ¬六ろく時じ礼讃らいさん¼ にいはく、 「弥陀みだの身色しんじき金山こんぜんのごとし、 相好そうごうの光こう明みょう十方じっぽうを照てらし、 ただ念仏ねんぶつ蒙もう光こう摂しょうあり、 まさに知しるべし本願ほんがんもつとも強こわきとす」 と。 以上

二ニハ本願ノ義、謂ク余行非本願ノ故ニ不↣照↢摂之↡、念仏ハ是 レ本願ノ故ニ照↢摂之↡。故ニ善導和尚¬六時礼讃ニ¼云、「▲弥陀身色如↢金山↡、相好光明照↢十方↡、唯有↢念仏蒙光摂↡、当↠知本願最為↠強。」已上

また所引しょいんの文もん中ちゅう (定善義) に 「自余じよ衆しゅ行ぎょう雖すい名みょう是ぜ善ぜん、 若にゃく比ひ念仏ねんぶつ者しゃ全ぜん非ひ比ひ挍きょう也や」 といふは、 意こころのいはく、 これ浄じょう土ど門もんの諸しょ行ぎょうに約やくして比ひ論ろんするところなり。 念仏ねんぶつはこれすでに二に百ひゃく一いち十じゅう億おくのなかに選えらび取とるところの妙行みょうぎょうなり、 諸しょ行ぎょうはこれすでに二に百ひゃく一いち十じゅう億おくのなかに選えらび捨すてるところの麁そ行ぎょうなり、 ゆゑに全ぜん非ひ比ひ挍きょう也やといふ。 また念仏ねんぶつはこれ本願ほんがんの行ぎょう、 諸しょ行ぎょうはこれ非ひ本願ほんがんのゆゑに、 全ぜん非ひ比ひ挍きょう也やといふ。

又所引ノ文中ニ言↢「▲自余衆行雖名是善、若比念仏者全非比挍也」↡者、意ノ云、是 レ約↢浄土門諸行ニ↡而所↢比論↡也。念仏ハ是 レ既ニ二百一十億ノ中ニ所↢選取↡妙行也、諸行ハ是 レ既ニ二百一十億ノ中0359ニ所↢選捨↡麁行也、故ニ云↢全非比挍也ト↡。又 タ念仏ハ是 レ本願ノ行、諸行ハ是 レ非本願ノ故ニ、云↢全非比挍也ト↡。

三さんには↑親しん等とうの三さん義ぎ。 善導ぜんどう和か尚しょう (定善義) 「問とひていはく、 つぶさに衆しゅ行ぎょうを修しゅして、 ただよく回え向こうすればみな往おう生じょうを得う。 なにをもつてか仏光ぶっこうあまねく照てらすにただ念仏ねんぶつ者しゃを摂せっするは、 なんの意こころかあるや。 答こたへていはく、 これに三さん義ぎあり。

三ニ者親等ノ三義。善導和尚「▲問テ曰ク、備修↢衆行↡、但能ク廻向皆得↢往生↡。何ヲ以仏光普ク照唯摂↢念仏者↡、有↢何意↡哉。◆答曰ク、此 レニ有↢三義↡。

一いちには親縁しんえんを明あかす。 衆しゅ生じょう行ぎょうを起おこし口くちにつねに仏ぶつを称しょうすれば、 仏ぶつすなはちこれを聞ききたまふ。 身みにつねに仏ぶつを礼らい敬きょうすれば、 仏ぶつすなはちこれを見みたまふ。 心しんにつねに仏ぶつを念ねんずれば、 仏ぶつすなはちこれを知しりたまふ。 衆しゅ生じょう仏ぶつを憶念おくねんすれば、 仏ぶつまた衆しゅ生じょうを憶念おくねんしたまふ。 彼此ひしの三業さんごうあひ捨しゃ離りせず。 ゆゑに親縁しんえんと名なづく」 と。 以上 衆しゅ生じょう仏ぶつを念ねんぜずは、 仏ぶつ衆しゅ生じょうと遥よう疎そなり 云々。

◆一ニハ明↢親縁↡。衆生起↠行ヲ口常称↠仏ヲ、仏即聞↠之ヲ。身ニ常ニ礼↢敬レバ仏↡、仏即見↠之ヲ。心常ニ念↠仏、仏即知↠之ヲ。衆生憶↢念仏↡者、仏亦 タ憶↢念衆生↡。彼此ノ三業不↢相 ヒ捨離↡。故ニ名↢親縁↡也。」已上 衆生不↠念↠仏、仏与↢衆生↡遥疎也 云云。

二にには近縁ごんえんを明あかす。 「衆しゅ生じょう仏ぶつを見みんと願がんずれば、 仏ぶつすなはち念ねんに応おうじて現げんに目前もくぜんにまします。 ゆゑに近縁ごんえんと名なづく」 と。 云々 衆しゅ生じょう仏ぶつを念ねんぜずは、 仏ぶつと衆しゅ生じょうと遥遠ようおんなり。 これにつきて二意にいあり。 一いちに↓平生へいぜい、 二にには↓臨りん終じゅう。

二ニハ明↢近縁↡。「▲衆生願↠見↠仏、仏即応↠念現在↢目前ニ↡。故ニ名↢近縁ト↡也。」云云 衆生不↠念↠仏、仏ト与↢衆生↡遥遠ナリ。付↠之ニ有↢二意↡。一ニ平生、二ニハ臨終。

一いちに↑平生へいぜいとは、 もし人ひと仏ぶつを念ねんぜば、 阿あ弥陀みだ仏ぶつ無む数しゅの化け身しん・化け観かん世ぜ音おん・化け大だい勢せい至し、 まさに来きたりてこの行ぎょう人にんの所ところに至いたる 云々。 念仏ねんぶつの草庵そうあん少しょうなりといへども、 恒沙ごうじゃの聖しょう衆じゅ雲うん集じゅうし、 菴あん羅ら園えんの華座けざに同おなじ。 三昧さんまいの道どう場じょう校せましといへども、 無む数しゅの賢げん聖じょう側塞しきそく等ひとし。 霊りょう鷲じゅ山せんの苔こけの庭にわ、 十じゅう万億まんおく刹せつ土ど遠とおからず、 咫し尺しゃく往来おうらいのごとし、 一間いっけん方ほう丈じょうの室しつ校せまからず、 太たい虚このごとく宛満えんまんす。 もし人ひと仏ぶつを念ねんぜずは、 恒沙ごうじゃの聖しょう衆じゅ一人いちにんも来きたらず、 無む数しゅの化け仏ぶつ一仏いちぶつも来きたらず。 されば仏ぶつと極遠ごくおんなるがゆゑに、 光こう明みょう摂取せっしゅせず。 仏ぶつを念ねんずれば、 仏ぶつ行ぎょう者じゃの身みに近ちかきがゆゑに、 光こう明みょう摂取せっしゅするなり。 今日こんにち禅門ぜんもん・禅ぜん尼に、 同念どうねん・同どう称しょうの人ひと、 みな称しょう仏ぶつして近ちかし 云々。

一ニ平生ト者、若人念↠仏ヲ、阿弥陀仏無数化身・化観世音・化大勢至、当来至↢此行人之所↡ 云云。念仏草庵雖↠少ト、恒沙ノ聖衆雲集、同↢菴羅園之華座↡。三昧之道場雖↠校、無数ノ賢聖側塞等。霊鷲山ノ苔ノ庭、十万億刹土不↠遠、如↢咫尺往来↡、一間方丈ノ室不↠校、如↢太虚↡宛満。若人不↠念↠仏者、恒沙聖衆一人不↠来、無数化仏一仏不↠来。作サレバ与↠仏極遠ナルガ故ニ、光明不↢摂取↡。念↠仏者、仏近↢行者身↡故ニ、光明摂取也。今日禅門・禅尼、同念0360・同称之人、皆称仏近 云云。

二にに↑臨りん終じゅうとは、 一切いっさい念仏ねんぶつの行ぎょう人にん、 命いのち終おわらんと欲ほっする時とき仏ぶつ来迎らいこうしたまふ。 九く品ぼんの行ぎょう人にん、 一人いちにんとしてむなしからず仏ぶつ来迎らいこうしたまふ 云々。 仏ぶつの来迎らいこうに預あずからんと欲おもはば、 諸しょ行ぎょうを廃はいして念仏ねんぶつを修しゅせよ。

二ニ臨終ト者、一切念仏行人、命欲↠終ント時仏来迎。九品行人、一人不↠空仏来迎 云云。欲↠預↢仏来迎↡、廃↢諸行↡修↢念仏↡。

三さんには増ぞう上じょう縁えんを明あかす。 「衆しゅ生じょう称しょう念ねんすれば、 すなはち多た劫こうの罪つみを除のぞく。 命いのち終おわらんと欲ほっする時とき、 仏ぶつ、 聖しょう衆じゅとみづから来きたり迎こう接しょうして、 もろもろの邪業じゃごっ繋けよく礙さまたぐるものなし。 ゆゑに増ぞう上じょう縁えんと名なづく」 と。 (定善義) 以上 「△自余じよの衆しゅ行ぎょうこれ善ぜんと名なづくといへども、 もし念仏ねんぶつに比ひすればまつたく比ひ挍きょうにあらず」 と。 (定善義) この文もんによるに、 諸しょ行ぎょうを廃はいして念仏ねんぶつに帰きすべし 云云。

三ニハ明↢増上縁↡。「▲衆生称念レバ、即除↢多劫ノ罪↡。命欲↠終ント時、仏与↢聖衆↡自来迎接シテ、諸ノ邪業繋無↢能者↡。故ニ名↢増上縁↡也。」已上 「自余ノ衆行雖↠名↢是善↡、若比レバ↢念仏↡者全ク非↢比挍↡也。」依↢此ノ文ニ↡、廃↢諸行↡可↠帰↢念仏↡ 云云。

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助 第十二観観文

二にに、 ↑第だい十じゅう二に観かん (観経) に 「無む量りょう寿仏じゅぶつ化け身しん無む数しゅ、 観かん世ぜ音おん・大勢だいせい至しとつねに来きたりてこの行ぎょう人にんの所ところに至いたりたまふ」 と。 云々

二、第十二観「▲無量寿仏化身無数、与↢観世音・大勢至↡常来テ至↢此行人之所↡。」云云

善導ぜんどうの釈しゃく (礼讃) にいはく、 「もし称しょう礼らいして阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんじ、 願がんじてかの国くにに往おう生じょうせんとすれば、 かの仏ぶつすなはち無む数しゅの化け仏ぶつ、 無む数しゅの化け観かん世ぜ音おん・化け大勢だいせい至し菩ぼ薩さつを遣つかはして、 行ぎょう者じゃを護ご念ねんしたまふ。 また前さきの二に十じゅう五ご菩ぼ薩さつ等とうと百重ひゃくじゅう千せん重じゅうに行ぎょう者じゃを囲い遶にょうし、 行住ぎょうじゅう坐臥ざが、 一切いっさい時じ処しょを問とはず、 もしは昼ひるもしは夜よる、 つねに行ぎょう者じゃを離はなれたまはず。 いますでにこの勝しょう益やくあり、 馮たのむべし 云々。 願ねがはくはもろもろの行ぎょう者じゃ、 おのおのすべからく至し心しんに往ゆくことを求もとむべし」 と。 云々 ゆゑに諸しょ行ぎょうを廃はいし念仏ねんぶつの一門いちもんに帰きすべし。

善導釈ニ云、「▲若称礼念↢阿弥陀仏↡、願往↢生彼国↡者、彼仏即遣↢無数ノ化仏、無数化観世音・化大勢至菩薩↡、護↢念行者↡。復 タ与↢前ノ二十五菩薩等↡百重千重囲↢遶行者ヲ↡、不↠問↢行住坐臥、一切時処↡、若ハ昼若夜、常ニ不↠離↢行者ヲ↡。◆今既ニ有↢斯ノ勝益↡、可↠馮 云云。願ハ諸ノ行者、各ノ須ク↢至心ニ求↟往。」云云 故ニ廃↢諸行ヲ↡可↠帰↢念仏ノ一門↡。

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助 下品上生文一

三さんに↑下げ品ぼん上生じょうしょう (観経) に 「智ち者しゃまた合がっ掌しょう叉手しゃしゅして南無なも阿あ弥陀みだ仏ぶつと称しょうせしむ」 等とうと。 云々。

三ニ下品上生「▲智者復教↣合掌叉手称↢南無阿弥陀仏↡」等 云云。

善導ぜんどう和か尚しょう (散善義) 「問とひていはく、 なんがゆゑぞ、 経きょうを聞きくこと十じゅう二部にぶ、 ただ罪つみ千劫せんこうを除のぞき、 称しょう仏ぶつ一いっ声しょう、 すなはち罪つみ五ご百ひゃく万劫まんこうを除のぞくは、 なんの意こころや。 答こたへていはく、 造罪ぞうざいの人ひと障さわり重おもし、 加くわふるに死苦しく来きたり逼せむるをもつてす。 善人ぜんにん多た経きょうを説とくといへども、 餐受さんじゅの心こころ浮ふ散さんす。 心こころの散さんずるによるがゆゑに、 罪つみを除のぞくことやや軽かるし。 また仏ぶつ名みょうはこれ一いち、 すなはちよく散さんを摂せっするがゆゑに心こころを住じゅうするをもつてす。 また教おしへて正しょう念ねんにせしめて称名しょうみょうす。 心こころ重おもきによるがゆゑに、 すなはちよく罪つみ多た劫こうを除のぞく」 と。 云々

善導和尚「▲問テ曰ク、何ガ故ゾ、聞↠経十二部、但除↢罪千劫↡、称仏一声、即除↢罪五百万劫↡者、何ニ意也。◆答曰ク、造罪之人障重、加以↢死苦来逼↡。善人雖0361↠説↢多経ヲ↡、餐受之心浮散。由↢心ノ散↡故ニ、除クコト↠罪ヲ稍 ヤ軽シ。又 タ仏名是 レ一、即能ク摂↠散ヲ故ニ以↠住↠心。復教令↢正念↡称名。由↢心重ニ↡故ニ、即能ク除↢罪多劫↡也。」云云

懐え感かん、 臨りん終じゅうにただ念仏ねんぶつ門もんを教おしふ 別べつにあり。 また ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のなかに下げ品ぼん上生じょうしょうをもつて念仏ねんぶつ往おう生じょうとなす、 聞もん経きょうの功く徳どくを取とらず 云々。 この文もんをもつてこれを案あんずるに、 もろもろの往おう生じょう経きょうのなかに念仏ねんぶつ最さい勝しょうなり。 ゆゑに諸しょ行ぎょうを廃はいして念仏ねんぶつに帰きすべきなり。

懐感臨終但教↢念仏門↡。在別 又 タ¬観念法門ノ¼中ニ以↢下品上生↡為↢念仏往生↡、不↠取↢聞経功徳↡ 云云。以↢此文ヲ↡案ルニ↠之、諸ノ往生経ノ中ニ念仏最勝也。故ニ廃↢諸行ヲ↡帰↢念仏ニ↡也。

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助 下品上生文二

四しに↑同おなじき下げ品ぼん上生じょうしょうの化け仏ぶつ称しょう讃さん行ぎょう者じゃの文もん (観経) にいはく、 「なんぢ仏ぶつ名みょうを称しょうするゆゑに諸罪しょざい消しょう滅めつす。 われ来きたりてなんぢを迎むかふ」 とは、 善導ぜんどう釈しゃくして (散善義) いはく、 「三さんには所聞しょもんの化け讃さんを明あかすに、 ただ称しょう仏ぶつの功こうを述のべ、 われ来きたりてなんぢを迎むかふとのたまひて聞もん経きょうの事じを論ろんぜず。 しかるに仏願ぶつがんの意こころに望のぞむれば、 ただ正しょう念ねん称ぶつ名みょうを勧すすむ、 往おう生じょうの義ぎ疾ときこと雑散ぞうさんの業ごうに同おなじからず。 かくのごとく ¬経きょう¼ および諸しょ部ぶのなかに、 処々しょしょに広ひろく歎たんじて、 勧すすめて称名しょうみょうせしむ。 まさに要益ようやくとするなり」 と。 云々

四ニ同下品上生化仏称讃行者ノ文ニ云、「▲汝称↢仏名↡故ニ諸罪消滅ス。我来迎↠汝」者、善導釈シテ云、「▲三ニハ明↢所聞化讃↡、但述↢称仏之功↡、我来迎↠汝不↠論↢聞経之事↡。◆然ニ望↢仏願意↡者、唯勧↢正念称名↡、往生義疾不↠同↢雑散之業↡。如↠此ノ¬経¼及ビ諸部ノ中ニ、処処広ク歎ジテ、勧令↢称名↡。将ニ為↢要益↡也。」云云

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助 下品中生文

五ごに↑下げ品ぼん中生ちゅうしょう、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの功く徳どくを説とくために 云々。 次つぎに 「この人ひと聞ききおはりて八はち十じゅう億劫おくこうの生しょう死じの罪つみを除のぞく」 (観経) 等とうは、 善導ぜんどう釈しゃく (散善義) していはく、 「罪人ざいにんすでに弥陀みだの名みょう号ごうを聞きき、 すなはち罪つみ多た劫こうを除のぞくことを明あかす」 と。 云々 この文もんによりて諸しょ行ぎょうを廃はいすべし等とう 云々。

五ニ下品中生、為↠説↢阿弥陀仏功徳↡ 云云。次ニ「▲此人聞キ已テ除↢八十億劫生死之罪↡」等者、善導釈云、「▲明↧罪人既聞↢弥陀名号↡、即除↦罪多劫↥。」云云 依↢此文↡廃↢諸行↡等 云云。

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助 下品下生文

六ろくに↑下げ品ぼん下げ生しょうは (観経) 「善ぜん知ぢ識しき種々しゅじゅに安あん慰にしてために妙みょう法ほうを説とく」 等とうとは、 善導ぜんどう釈しゃくして (散善義) いはく、 「四しに善人ぜんにん安あん慰にして教おしへて念仏ねんぶつせしむることを明あかす。 五ごに罪人ざいにん死苦しく来きたり逼せめ仏ぶつ名みょうを念ねんずることを得うるによしなきことを明あかす。 六ろくに善ぜん友ぬ苦くるしみて失念しつねんすと知しりて、 教きょうを転てんじて口くちに弥陀みだの名みょう号ごうを称しょうせしむることを明あかす。 七しちに念仏ねんぶつの多た少しょう、 声々しょうしょう無む間けんなることを明あかす。 八はちに罪つみ多た劫こうを除のぞく。 九くに臨りん終じゅう称しょう念ねんを明あかしすなはち金こん華げ来きたり応おうず」 と。 云々

六ニ下品下生ハ「▲善知識種種安慰為ニ説↢妙法↡」等ト者、善導釈シテ云、「▲四ニ明↣善人安慰シテ教テ令↢念仏↡。◆五ニ明↢罪人死苦来逼無↟由↠得↠念↢仏名↡。◆六ニ明0362↢善友知苦失念、転教口称弥陀名号↡。◆七ニ明↢念仏ノ多少、声声無間↡。◆八ニ除↢罪多劫↡。◆九ニ明↢臨終正念↡即有↢金華来応↡。」云云

恵え心しんの釈しゃく (要集巻下) にいはく、 「極ごく重じゅう悪人あくにん無他むた方便ほうべん」 と。 云々 いまこの文もんによりて、 念仏ねんぶつをもつて孝きょう養よう等とうの善ぜんに望のぞむるに、 念仏ねんぶつは勝しょう、 孝きょう養ようは劣れつなり。 あに逆ぎゃく罪ざいのもの、 臨りん終じゅうに孝きょう養ようの行ぎょうを行ぎょうじて往おう生じょうを期ごせん。 ゆゑに孝きょう養よう等とうの劣れつ行ぎょうを廃はいして、 殊しゅ勝しょうの念仏ねんぶつの行ぎょうにつくべし 云々。

恵心ノ釈云、「▲極重悪人無他方便。」云云 今依↢此ノ文ニ↡、以テ↢念仏↡望↢孝養等善↡、念仏ハ勝、孝養劣也。豈 ニ逆罪ノ者、臨終行↢孝養ノ行↡期↢往生↡。故廃↢孝養等劣行ヲ↡、殊勝ノ可↠付↢念仏ノ行ニ↡ 云云。

入文解釈 王宮会 流通分 諸文輔助 得益分文

七しちに ↑「若にゃく念仏ねんぶつ者しゃ即そく是ぜ人にん中ちゅう、 乃ない至し生しょう諸仏しょぶつ家け」 (観経) 等とうとは、 善導ぜんどうの釈しゃくに (散善義) にいはく、 「五ごに若にゃく念仏ねんぶつ者しゃより下しも生しょう諸仏しょぶつ家けに至いたるこのかたは、 まさしく念仏ねんぶつ三昧ざんまいの功く能のう超ちょう絶ぜつして、 実じつに雑善ぞうぜん比ひ類るいとすることを得うるにあらざることを顕あらわす。 すなはちその五ごあり。 一いちにはもつぱら弥陀みだ仏ぶつの名みなを念ねんずることを明あかす。 二にには能念のうねんの人ひとを指し讃さんすることを明あかす。 三さんにはもしよく相続そうぞくして念仏ねんぶつするものを明あかす、 この人ひとはなはだ希有けうとす、 さらに物もののもつてこれに方ならぶべきものなし、 ゆゑに分ふん陀利だりを引ひきて喩たとへとす。

七ニ○「若念仏者即是人中、乃至生諸仏家」等ト者、◇善導ノ釈ニ云、「五ニ従↢若念仏者↡下至↢生諸仏家↡已来ハ、正ク顕↧念仏三昧功能超絶、実ニ非↦雑善得↞為↢比類↡。即有リ↢其ノ五↡。◇一ニハ明↣専念↢弥陀仏名↡。二ニハ明↢指讃能念之人↡。三ニハ明↢若能相続念仏者↡、此ノ人甚ダ為↢希有↡、更ニ無↣物可↢以テ方↟之、故ニ引↢分陀利↡為↠喩ト。

分ふん陀利だりといふは、 人にん中ちゅうの好こう華けと名なづけ、 または希有けう華けと名なづけ、 または人にん中ちゅうの上々じょうじょう華けと名なづけ、 または人にん中ちゅうの妙みょう好こう華けと名なづく。 この華はな相伝そうでんして蔡さい華けと名なづく。 これもし念仏ねんぶつのものは、 すなはちこれ人にん中ちゅうの好人こうにん、 人にん中ちゅうの妙みょう好こう人にん、 人にん中ちゅうの上々じょうじょう人にん、 人にん中ちゅうの希有けう人にん、 人にん中ちゅうの最さい勝しょう人にんなり。

◇言↢分陀利↡者、名↢人中好華↡、亦ハ名↢希有華↡、亦ハ名↢人中上上華ト、亦ハ名↢人中妙好華ト。此ノ華相伝シテ名↢蔡華ト↡。是若念仏ノ者、即是 レ人中ノ好人、人中ノ妙好人、人中ノ上上人、人中ノ希有人、人中ノ最勝人也。

四しに専念せんねん弥陀みだ名みょうを明あかすとは、 すなはち観音かんのん・勢せい至しつねに随逐ずいちく影よう護ごし、 または親しん友ぬ知ち識しきのごとくなり。 五ごに今こん生じょうにすでにこの益やくを蒙こうむることを明あかす、 命いのちを捨すててすなはち諸仏しょぶつの家いえに入いる。 すなはち浄じょう土どこれなり。 かしこに到いたりて、 長じょう時じに法ほうを聞きき、 歴りゃく事じ供く養ようし因円いんえん果か満まんして、 道どう場じょうの座ざ、 あに賖はるかならんや」 と。 以上

◇四ニ明↢専念弥陀名↡者、即観音・勢至常ニ随逐影護、亦 タハ如↢親友知識ノ↡也。五ニ明↣今生既ニ蒙↢此益↡、捨↠命ヲ即入↢諸仏之家↡。即浄土是 レ也。到↠彼ニ、長時聞↠法、歴0363事供養因円果満シテ、道場之座、豈 ニ賖。」已上

入文解釈 王宮会 後述

わたくしに問とひていはく、 ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「若にゃく念仏ねんぶつ者しゃ。 まさに知しるべし、 この人ひとは」 と、 ただ念仏ねんぶつ者しゃに約やくしてこれを讃歎さんだんす。 釈しゃく家けなんの意こころありてか、 (散善義) 「実じつ非ひ雑善ぞうぜん得とく為い比ひ類るい」 といひて、 雑善ぞうぜんに相対そうたいして独ひとり念仏ねんぶつを歎ほむるや。

◇私ニ問テ曰ク、¬経ニ¼云、「若念仏者。当ニ↠知ル、此ノ人ハ」、唯約↢念仏者↡而讃↢歎之↡。釈家有↢何意↡、云↢「実非雑善得為比類」↡、相↢対雑善ニ↡独リ歎↢念仏↡乎。

答こたへていはく、 文もん中ちゅうに隠かくれたりといへども、 義ぎの意こころこれあきらかなり。 知しるゆゑは、 この ¬経きょう¼ はすでに定じょう散さんの諸善しょぜん ならびに 念仏ねんぶつの行ぎょうを説ときそのなかにおいて孤ひとり念仏ねんぶつを標ひょうしてもつて分ふん陀利だりに喩たとふ。 雑善ぞうぜんを待まつにあらずは、 いかんがよく念仏ねんぶつの功こう、 余よの諸善しょぜんの行ぎょうに超こゆることを顕あらわさん。

◇答曰ク、文中ニ雖↠隠リト、義ノ意是 レ明ナリ。所↢以ヘ知↡者ハ、此ノ¬経ハ¼既ニ説↢定散ノ諸善 并ニ 念仏ノ行ヲ↡而於↢其ノ中ニ↡孤リ標↢念仏↡以テ喩↢分陀利ニ↡。非↠待↢雑善↡、云何能ク顕↣念仏功超↢余ノ諸善ノ行↡。

しかればすなはち 「△念仏ねんぶつのものは、 すなはちこれ人にん中ちゅうの好人こうにん」 (散善義) とは、 これ悪あくに待たいして美ほむるところなり。 (散善義) 「人にん中ちゅうの妙みょう好人こうにん」 といふは、 これ麁そ悪あくに待たいして称ほむるなり。 (散善義) 「人にん中ちゅうの上々じょうじょう人にん」 とは、 これ下々げげに待たいして讃ほむるところなり。 (散善義) 「人にん中ちゅうの希有けう人にん」 といふは、 これ常じょう有うに待たいして歎ほむるところなり。 (散善義) 「人にん中ちゅうの最さい勝しょう人にん」 といふは、 これ最劣さいれつに待たいして褒ほむるところなり。

◇然レバ則チ「念仏ノ者ハ、即チ是 レ人中ノ好人ト」者、是 レ待↠悪ニ而所↠美也。言↢「人中妙好人」↡者、是 レ待↢麁悪ニ↡所↠称ル也。言↢「人中上上人」↡者、是 レ待↢下下↡而所↠讃ル也。言↢「人中希有人」↡者、是待↢常有↡而所↠歎ル也。言↢「人中最勝人」↡者、是 レ待↢最劣ニ↡而所↠褒ル也。

問とひていはく、 すでに念仏ねんぶつをもつて上々じょうじょうと名なづけば、 なんがゆゑぞ上々じょうじょう品ぼんのなかに説とかず下々げげ品ぼんに至いたりて念仏ねんぶつを説とくや。

◇問テ曰、既ニ以↢念仏↡名↢上上ト↡者、何ガ故ゾ不↠説↢上上品中↡至↢下下品↡而説↢念仏ヲ↡乎。

答こたへていはく、 あに前さきにいはずや、 念仏ねんぶつの行ぎょう広ひろく九く品ぼんに亘わたると。 すなはち前さきに引ひくところの ¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ (巻下) にいはく、 「その勝しょう劣れつに随したがひて九く品ぼんを分わかつべし」 とこれなり。 しかのみならず下げ品ぼん下げ生しょうはこれ五ご逆ぎゃく重じゅう罪ざいの人ひとなり。 しかるによく逆ぎゃく罪ざいを除滅じょめつするは、 余よ行ぎょうに堪たへざるところなり。 ただ念仏ねんぶつの力ちからのみありて、 よく堪たへて重じゅう罪ざいを滅めっす。 ゆゑに極悪ごくあく最さい下げの人ひとのために極善ごくぜん最さい上じょうの法ほうを説とくところなり。

◇答曰ク、豈 ニ前ニ不↠云ハ、念仏之行広ク亘↢九品ニ↡。即チ前ニ所↠引¬往生要集ニ¼云、「随↢其ノ勝劣ニ↡応↠分↢九品ヲ↡」是 レ也。◇加之下品下生ハ是 レ五逆重罪之人也。而能ク除↢滅逆罪ヲ↡、所↠不↠堪↢余行ニ↡也。唯有↢念仏之力↡、能ク堪滅↢重罪ヲ↡。故ニ為↢極悪最下之人ノ↡所↠説↢極善最上之法ヲ↡。

例れいせばかの無む明みょう淵源えんげんの病やまい、 中ちゅう道どう府ふ蔵ぞうの薬くすりにあらずがごときはすなはち治じすることあたず。 いまこの五ご逆ぎゃく重病じゅうびょうの淵源えんげんは、 またこの念仏ねんぶつ霊りょう薬やくの府ふ蔵ぞうなり。 この薬にあらざれば、 なんぞこの病やまいを治じせん。

◇例バ如↣彼ノ無明淵源之病、非↢中道府蔵之薬ニ↡即不0364↠能ハ↠治ルコト。◇今 マ此ノ五逆重病ノ淵源ハ、亦 タ此念仏霊薬府蔵。非↢此ノ薬ニ↡者、何ゾ治ン↢此ノ病ヲ↡。

ゆゑに弘法こうぼう大だい師し ¬二に教きょう論ろん¼ (巻下) に ¬六ろっ波羅ぱら蜜みつ経きょう¼ を引ひきていはく、 「第三だいさんに法宝ほうぼうとは、 いはゆる過去かこ無む量りょうの諸仏しょぶつの所説しょせつの正しょう法ぼう、 およびわれいま説とくところなり。 いはゆる八万はちまん四し千せんのもろもろの妙みょう法薀ほううんなり。

◇故ニ弘法大師¬二教論ニ¼引↢¬六波羅蜜経ヲ¼↡云ク、「第三法宝ト者、所↠謂過去無量ノ諸仏ノ所説正法、及ビ我 レ今所↠説。所↠謂ハ八万四千ノ諸ノ妙法薀。

乃ない至し有う縁えんの衆しゅ生じょうを調じょう伏ぶくし純熟じゅんじゅくして阿あ難なん陀だ等とうの諸しょ大だい弟子でしをして、 ひとたび耳みみに聞ききてみなことごとく憶おく持じせしむ。 摂せっして五ご分ぶんとなす。 一いちには素呾そた纜らん、 二にには毘奈びな耶や、 三さんには阿毘あび達だつ磨ま、 四しには般若はんにゃ波羅はら蜜みっ多た、 五ごには陀羅だら尼に門もんなり。

◇乃至調↢伏純↣熟有縁衆生↡而令↧阿難陀等諸大弟子、一聞↢於耳↡皆悉憶持↥。摂シテ為↢五分ト↡。一ニハ素呾纜、二ニハ毘奈耶、三ニハ阿毘達磨、四ニハ般若波羅蜜多、五ニハ陀羅尼門ナリ。

この五ご種しゅの蔵ぞう、 有う情じょうを教きょう化けして、 所応しょおうに随したがひて度どせんがためにこれを説とく。 もしかの有う情じょう、 山林せんりんに楽ねがひ処しょし、 つねに閑げん寂じゃくに居こして静じょう慮りょを修しゅせんには、 しかもかれがために素呾そた纜蔵らんぞうを説とく。

◇此ノ五種ノ蔵教↢化有情ヲ↡、随↢所応ニ↡度而為 メニ説↠之。若シ彼ノ有情楽↢処山林↡、常居↢閑寂↡修↢静慮↡者、而為↠彼ガ説↢素呾纜蔵ヲ↡。

もしかの有う情じょう、 威儀いぎを楽ねがひ習ならひ正しょう法ぼうを護持ごじして、 一いち味み和わ合ごうして久く住じゅうを得えしめんには、 しかもかれがために毘尼びに耶や蔵ぞうを説とく。

◇若シ彼ノ有情楽↢習威儀↡護↢持正法↡、一味和合シテ令↠得↢久住↡、而為 メニ彼ガ説↢毘尼耶蔵ヲ。

もしかの有う情じょう、 正しょう法ぼうを楽ねがひ説とき、 性しょう相そうを分別ふんべつして、 修環しゅかん研覈けんかくし究く竟きょう甚深じんじんならんには、 しかもかれがために阿毘あび達だつ磨ま蔵ぞうを説とく。

◇若シ彼ノ有情楽↠説↢正法↡、分↢別性相↡、修環研覈究竟甚深、而為↠彼ガ説↢阿毘達磨蔵ヲ↡。

もしかの有う情じょう、 大だい乗じょう真実しんじつの智恵ちえを楽ねgひ習ならひ、 我が法ほうにおいて執着しゅうじゃくを離はなれ分別ふんべつせんには、 しかもかれがために般若はんにゃ波羅はら蜜みっ多た蔵ぞうを説とく。

◇若シ彼ノ有情楽↢習大乗真実ノ智恵↡、離↧於↢我法↡執着↥分別、而為↠彼ガ説↢般若波羅蜜多蔵↡。

もしかの有う情じょう、 契かい経きょう・調じょう伏ぶく・対法たいほう・般若はんにゃを受じゅ持じすることあたはず、 あるいはまた有う情じょう、 もろもろの悪業あくごうを造つくる。 四し重じゅう・八はち重じゅう・五ご無む間けん罪ざい・謗ほう方等ほうどう経きょう・一闡いっせん提だい等とうの種々しゅじゅの重じゅう罪ざい、 すなはち銷しょう滅めつし、 すみやかに解げ脱だつし、 頓とく涅ね槃はんを悟さとらん、 しかもかれがために諸しょ陀羅だら尼に蔵ぞうを説とく。

◇若シ彼ノ有情不↠能ハ受↢持契経・調伏・対法・般若ヲ↡、或ハ復 タ有情造↢諸ノ悪業↡。四重・八重・五無間罪・謗方等経・一闡提等種種重罪、便得↢銷滅↡、速ニ解脱、頓ニ悟↢涅槃↡、而為 メニ↠彼ガ説↢諸陀羅尼蔵ヲ↡。

この五ご蔵ぞう、 たとへば乳にゅう・酪らく・生しょう・熟じゅく蘇そおよび妙みょう醍だい醐ごのごとし。 契かい経きょうは乳にゅうのごとく、 調じょう伏ぶくは酪らくのごとく、 対法たいほう教きょうはかの生しょう穌そのごとく、 大だい乗じょう般若はんにゃはなほし熟じゅく穌そのごとく、 総そう持じ門もんとはたとへば醍だい醐ごのごとし。

◇此ノ五蔵、辟バ如↢乳・酪・生・熟蘇及ビ妙醍醐↡。契経ハ如↠乳ノ、調伏ハ如↠酪ノ、対法教者0365如↢彼ノ生穌ノ↡、大乗般若ハ猶シ如↢熟穌ノ↡、総持門ト者辟バ如↢醍醐ノ↡。

醍だい醐ごの味あじ、 乳にゅう・酪らく・熟じゅく蘇そのなかに微み妙みょう第一だいいちなり。 よく諸しょ病びょうを除のぞきもろもろの有う情じょうをして身心しんしん安楽あんらくならしむ。 総そう持じ門もんとは契かい経きょう等とうのなかにもつとも第一だいいちとす。 よく重じゅう罪ざいを除のぞきもろもろの衆しゅ生じょうをして生しょう死じを解げ脱だつしすみやかに涅ね槃はん安楽あんらくの発心ほっしんを証しょうせしむ」 と。 以上

◇醍醐之味、乳・酪・熟蘇ノ中ニ微妙第一。能ク除↢諸病↡令↢諸ノ有情ヲシテ身心安楽↡。総持門ト者契経等ノ中ニ最モ為↢第一↡。能ク除↢重罪ヲ↡令↧諸衆生解↢脱生死↡速ニ証↦涅槃安楽発心↥。」已上

このなかに、 五ご無む間けん罪ざいとはこれ五ご逆ぎゃく罪ざいなり。 すなはち醍だい醐ごの妙みょう薬やくにあらずは、 五ご無む間けんの病やまいはなはだ療りょうしがたしとす。 念仏ねんぶつもまたしかなり。 往おう生じょう教きょうのなかに念仏ねんぶつ三昧ざんまいこれ総そう持じのごとく、 または醍だい醐ごのごとし。 または念仏ねんぶつ三昧ざんまい醍だい醐ごの薬くすりにあらずは、 五ご逆ぎゃく深じん重じゅうの病やまいはなはだ治じしがたしとす。 知しるべし。

◇此ノ中ニ、五無間罪ト者是 レ五逆罪也。即非↢醍醐之妙薬↡者、五無間ノ病甚ダ為↠難↠療。念仏亦 タ然ナリ。往生教ノ中ニ念仏三昧是 レ如↢総持ノ↡、亦 タハ如↢醍醐ノ↡。亦ハ非↢念仏三昧醍醐之薬ニ↡者、五逆深重ノ病甚ダ為↠難↠治。応↠知ル。

問とひていはく、 もししからば下げ品ぼん上生じょうしょうはこれ十じゅう悪あく軽きょう罪ざいの人ひとなり。 なんがゆゑぞ念仏ねんぶつを説とくや。

◇問テ曰ク、若シ爾者下品上生ハ是 レ十悪軽罪之人ナリ。何ガ故ゾ説↢念仏↡。

答こたへていはく、 念仏ねんぶつ三昧ざんまい、 重じゅう罪ざいなほ滅めっす。 いかにいはんや軽きょう罪ざいをや。 余よ行ぎょうはしからず。 あるいは軽きょうを滅めっして重じゅうを滅めっせざるあり。 あるいは一いちを消けして二にを消けせざるあり。 念仏ねんぶつはしからず。 軽重きょうじゅう兼かねて滅めっす、 一切いっさいあまねく治じす。 たとへば阿伽あが陀だ薬やくのごとくあまねく一切いっさいの病やまいを治じす。 ゆゑに念仏ねんぶつをもつて王おう三昧ざんまいとなす。

◇答曰ク、念仏三昧、重罪尚 ヲ滅ス。何ニ況ヤ軽罪ヲ哉。余行ハ不↠然ラ。或ハ有↠滅↠軽而不↠滅↠重。或ハ有↠消↠一ヲ而不↠消↠二ヲ。念仏ハ不↠然ラ。軽重兼テ滅ス、一切遍ク治ス。辟バ如↢阿伽陀薬ノ↡徧ク治↢一切ノ病ヲ↡。故ニ以↢念仏↡為↢王三昧ト↡。

およそ九く品ぼんの配当はいとうはこれ一往いちおうの義ぎなり。 五ご逆ぎゃくの回え心しん上々じょうじょうに通つうず。 読誦どくじゅの妙行みょうぎょうまた下々げげに通つうず。 十じゅう悪あく軽きょう罪ざい・破は戒かい次じ罪ざいおのおの上じょう下げに通つじ、 解げ第一だいいち義ぎ・発ほつ菩ぼ提だい心しんまた上じょう下げに通つうず。 一法いっぽうにおのおの九く品ぼんあり。 もし品ほんに約やくせばすなはち九々くく八はち十じゅう一品いちほんなり。

◇凡ソ九品ノ配当ハ是 レ一往ノ義ナリ。五逆ノ廻心通↢於上上ニ↡。読誦ノ妙行亦 タ通↢下下ニ↡。十悪軽罪・破戒次罪各ノ通↢上下ニ↡、解第一義・発菩提心亦 タ通↢上下ニ↡。一法ニ各ノ有リ↢九品↡。若シ約バ↠品ニ即チ九九八十一品也。

しかのみならず迦か才ざい (浄土論巻上) のいはく、 「衆しゅ生じょうの起き行ぎょうすでに千殊せんじゅあり。 往おう生じょう見けん土どまた万別まんべつあり」 と。 一往いちおうの文もんを見みて封たい執しゅうを起おこすことなかれ。 そのなかに念仏ねんぶつはこれすなはち勝行しょうぎょうなるがゆゑに、 芬ふん陀利だりを引ひきて、 もつてその喩たとえとなす。 辟たとえの意こころ知しるべし。

◇加之迦才ノ云、「衆生起行既ニ有↢千殊↡。往生見土亦 タ有↢万別↡。」見↢一往ノ文ヲ↡莫↠起スコト↢封執ヲ↡。◇其ノ中ニ念仏ハ是 レ即勝行ナルガ故ニ、引↢芬陀利ヲ↡、以テ為↢其ノ喩0366ト↡。辟ノ意応↠知ル。

しかのみならず念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ、 観音かんのん・勢せい至し、 影かげと形かたちのごとくしばらくも捨しゃ離りせず。 余よ行ぎょうはしからず。 また念仏ねんぶつ者しゃは、 命いのちを捨すておはりて後のち決けつ定じょうして極楽ごくらく世せ界かいに往おう生じょうす。 余よ行ぎょうは不ふ定じょうなり。

◇加之念仏ノ行者、観音・勢至、如↢影与↟形暫ク不↢捨離↡。余行ハ不↠爾ラ。又 タ念仏者、捨↠命ヲ已後決定シテ往↢生極楽世界ニ↡。余行ハ不定ナリ。

およそ五ご種しゅの嘉誉かよを流ながし、 二に尊そんの影よう護ごを蒙こうむる、 これはこれ現益げんやくなり。 また浄じょう土どに往おう生じょうして、 乃ない至し成じょう仏ぶつす、 これはこれ当益とうやくなり。

◇凡流↢五種嘉誉↡、蒙↢二尊ノ影護ヲ↡、此 レハ是 レ現益也。亦 タ往↢生シ浄土ニ↡、乃至成仏ス、此ハ是 レ当益也。

また道どう綽しゃく禅ぜん師じ念仏ねんぶつの一いち行ぎょうにおいて始し終じゅう両りょう益やくを立たつ。 ¬安楽あんらく集しゅう¼ (巻下) にいはく、 「念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうは摂取せっしゅして捨すてたまはず、 寿いのち尽つきて必ひっ生しょうす。 これを始し益やくと名なづく。 終じゅう益やくといふは、 ¬観音かんのん授じゅ記き経きょう¼ によらば、 阿あ弥陀みだ仏ぶつの住じゅう世せ長じょう久く、 兆ちょう載さい永劫ようごうにしてまた滅めつ度ど般はつ涅ね槃はんの時ときあり。 ただ観音かんのん・勢せい至しのみありて、 安楽あんらくを住じゅう持じし、 十方じっぽうを接しょう引いんす。 その仏ぶつの滅めつ度どまた住じゅう世せの時じ節せつと等同とうどうなり。 しかるにかの国くにの衆しゅ生じょう、 一切いっさい仏ぶつを覩と見けんするものあることなし。 ただ一向いっこうにもつぱら阿あ弥陀みだ仏ぶつを念ねんじて往おう生じょうするものありて、 つねに弥陀みだ現げんに在ましまして不ふ滅めつなるを見みると。 これすなはちこれその終じゅう益やくなり」 と。 以上

◇又 タ道綽禅師於↢念仏ノ一行ニ↡立↢始終両益ヲ↡。¬安楽集ニ¼云ク、「念仏衆生ハ摂取シテ不↠捨、寿尽テ必生ス。此ヲ名↢始益ト↡。◇言↢終益ト↡者、依↢¬観音授記経ニ¼、阿弥陀仏ノ住世長久、兆載永劫ニシテ亦有↢滅度般涅槃ノ時↡。唯有↢観音・勢至↡、住↢持シ安楽ヲ↡、接↢引十方ヲ↡。其ノ仏滅度亦 タ与↢住世ノ時節↡等同ナリ。然ルニ彼ノ国ノ衆生、一切無↠有↧覩↢見仏↡者↥。◇唯有↧一向専念↢阿弥陀仏↡往生者↥、常ニ見↢弥陀現在不滅↡。此即是 レ其ノ終益也。」已上

いまこの文もんによりて孝きょう養よう等とうの麁そ行ぎょうを廃はいし、 念仏ねんぶつに帰きすべし 云々。 これはこれ極悪ごくあくに対たいして極善ごくぜんを表あらわす意こころなり。

今 マ依↢此ノ文ニ↡廃↢孝養等ノ麁行↡、可↠帰↢念仏ニ↡ 云云。此 レハ是 レ対↢極悪ニ↡表↢極善ヲ↡意也。

次つぎに上々じょうじょう品ぼんにまた念仏ねんぶつあり。 しからば ¬経きょう¼ (観経) にいはく、 「一者いっしゃ至し誠じょう心しん、 二に者しゃ深心じんしん、 三者さんしゃ回え向こう発願ほつがん心しん。 具ぐ三心さんしん者しゃ↓必ひっ生しょう彼ひ国こく」 と。 およそ三心さんしんは万まん行ぎょうに通つうずるゆゑに、 善導ぜんどう和か尚しょうこの三心さんしんを釈しゃくするに、 正行しょうぎょう・雑ぞう行ぎょうの二に行ぎょうをもつてす。 いまこの ¬経きょう¼の三心さんしんは、 すなはち本願ほんがんの三心さんしんを開ひらく。 しかるゆゑに 「至し心しん」 (大経巻上) とは至し誠じょう心しんなり、 「信しん楽ぎょう」 とは深心じんしんなり、 「欲よく生しょう我が国こく」 とは回え向こう発願ほつがん心しんなり。

次ニ上上品ニ又 タ有↢念仏↡。爾ラ者¬経ニ¼云、「▲一者至誠心、二者深心、三者廻向発願心。具三心者必生彼国。」凡ソ三心ハ通↢万行ニ↡故ニ、善導和尚釈↢此ノ三心ヲ↡、以↢正行・雑行ノ二行↡。今 マ此ノ¬経ノ¼三心ハ、即開↢本願ノ三心ヲ↡。爾ル故ニ「▲至心ト」者至誠心也、「▲信楽ト」者深心、「▲欲生我国ト」者廻向発願心也。

これをもつてこれを案あんずるに、 「↑必ひっ生しょう彼ひ国こく」 の言ことばは深じん意いあるべきか。 必ひつとは不ふ必ひつに対たいする言ことばなり。 正行しょうぎょうを修しゅするものはかならずかの国くにに生しょうじ、 雑ぞう行ぎょうを修しゅするものはかならずしもかの国くにに生しょうぜず。 人天にんでん等とうに通つうずるがゆゑに。 また雑ぞう行ぎょうを修しゅして往おう生じょうすること、 百ひゃくがなかに一いち二に、 千せんがなかに三さん五ごなり。 ゆゑに不ふ必ひつといふなり。 専せんを修しゅするものは、 百ひゃくはすなはち百ひゃく生しょうじ、 千せんはすなはち千せん生しょうず。 ゆゑに 「必ひっ生しょう」 といふなり。

以↠之案↠之、「必0367生彼国」之言ハ可↠有↢深意↡歟。必ト者対↢不必ニ↡言 バ也。修↢正行ヲ↡者必生↢彼ノ国ニ↡、修↢雑行ヲ↡者不↣必生↢彼ノ国ニ↡。通↢人天等ニ↡故ニ。又 タ修↢雑行ヲ↡往生ルコト、百ガ中ニ一二、千ガ中ニ三五。故ニ云↢不必ト↡也。修↠専ヲ者、百ハ即百生ジ、千ハ即千生ズ。故ニ云↢「必生ト」也。

引ひくところの三心さんしんとは、 これ行ぎょう者じゃの至し要よう・往おう生じょうの目足もくそくなり。 ゆゑいはいかんとなれば、 ¬経きょう¼ (観経) にすなはち 「具ぐ三心さんしん者しゃ必ひっ生しょう彼ひ国こく」 といふ。 あきらかに知しりぬ三心さんしんを具ぐすればかならず生しょうずることを得うべし。 釈しゃくにすなはち (礼讃) 「若少にゃくしょう一心いっしん即そく不ふ得とく生しょう」 といふ。 あきらかに知しりぬ一少いっしょうはこれさらに不可ふかなり。 これによりて極楽ごくらくに生しょうぜんと欲ほっする人ひとはまつたく三心さんしんを具ぐ足そくすべきなり。

○所↠引三心ト者、是 レ行者ノ至要・往生ノ目足也。所以者ハ何ナレバ、¬経ニ¼則チ云↢「具三心者必生彼国ト」↡。明ニ知ヌ具↢三心ヲ↡必応↠得↠生。釈ニ則チ云↢「若少一心即不得生ト」↡。明ニ知ヌ一少ハ是 レ更不可ナリ。因↠茲ニ欲↠生ント↢極楽↡之人全ク可↣具↢足三心↡也。

そのなかに 「至し誠じょう心しん」 とはこれ真実しんじつ心しんなり。 その相そうかの文もんのごとし。 ただし 「外げ現げん賢善けんぜん精しょう進じん之し相そう、 内ない懐え虚仮こけ」 (散善義) とは、 外げとは内ないに対たいする辞ことばなり。 いはく外げ相そうと内心ないしんと不ふ調じょうの意こころ。 すなはちこれ外智げち、 内ない痴ちなり。 賢けんとは愚ぐに対たいする言ことばなり。 いはく外げはこれ賢けん、 内ないは愚ぐなり。 善ぜんとは悪あくに対たいする辞ことばなり。 いはく外げはこれ善ぜん、 内ないはすなはち悪あくなり。 精しょう進じんとは懈け怠だいに対たいする言ことばなり。 いはく外げには精しょう進じんの相そうを示しめし、 内ないはすなはち懈け怠だいの心こころを懐いだくものなり。 もしそれ翻ほん外げ畜内ちくないすれば、 ただ出しゅつ要ように備そなふべし。

◇其ノ中ニ「至誠心ト」者是 レ真実心也。其ノ相如↢彼ノ文ノ↡。◇但シ「外現賢善精進之相、内懐虚仮ト」者、外ト者対↠内ニ之辞也。謂ク外相ト与↢内心↡不調之意。即是 レ外智、内痴也。賢ト者対↠愚ニ之言也。謂ク外ハ是 レ賢、内ハ愚也。善ト者対↠悪ニ之辞也。謂ク外ハ是 レ善、内ハ即チ悪也。精進ト者対↢懈怠↡之言也。謂ク外ニハ示↢精進ノ相ヲ↡、内即懐↢懈怠ノ心ヲ↡者。若夫 レ翻外畜内者、祇応↠備↢出要↡。

内うちには虚仮こけを懐いだく等とうとは、 内ないとは外げに対たいする辞ことばなり。 いはく内心ないしんと外げ相そうと調ととのはざる心こころなり。 すなはちこれ内ない虚こ、 外げ実じつなり。 虚ことは実じつに対たいする言ことばなり。 いはく内ない虚こ、 外げ実じつのものなり。 仮けとは真しんに対たいする辞ことばなり。 いはく内ない仮け、 外げ真じつなり。 もしそれ翻内ほんない播ばん外げとは、 また出しゅつ要ように足たるべし。

◇内ニハ懐↢虚仮↡等ト者、内ト者対↠外ニ之辞也。謂ク内心ト与↢外相↡不↠調之心。即是 レ内虚、外実也。虚ト者対↠実之言也。謂ク内虚、外実ノ者也。仮ト者対↠真ニ之辞也。謂ク内仮、外真也。若シ夫 レ翻内播外ト者、亦 タ可↠足↢出要↡。

次つぎに 「深心じんしん」 とは、 いはく深信じんしんの心しんなり。 まさに知しるべし生しょう死じの家いえには疑うたがいをもつて所しょ止しとなし、 涅ね槃はんの城みやこには信しんをもつて能のう入にゅうとなす。 ゆゑにいま二に種しゅの信心しんじんを建こん立りゅうして、 九く品ぼん往おう生じょうを決けつ定じょうするものなり。

◇次ニ「深心ト」者、謂ク深信之心。当ニ↠知0368ル生死之家ニハ以テ↠疑ヲ為↢所止ト↡、涅槃之城ニハ以↠信ヲ為↢能入ト↡。故ニ今 マ建↢立二種ノ信心ヲ↡、決↢定九品往生ヲ↡者也。

またこのなか (散善義) に 「一切いっさい別べつ解げ・別べつ行ぎょう・異い学がく・異い見けん」 等とうといふは、 これ聖しょう道どう門もんの解げ行ぎょう学見がくけんを指さすなり。 その余よはすなはちこれ浄じょう土ど門もんの意こころなり。 文もんにありて見みるべし。 あきらかに知しりぬ善導ぜんどうの意こころまた二に門もんを出いでざるなり。

◇又 タ此ノ中ニ言↢「一切別解・別行・異学・異見」等ト↡者、是 レ指↢聖道門ノ解行学見↡也。其ノ余ハ即チ是 レ浄土門ノ意。在↠文可↠見。明ニ知ヌ善導之意亦 タ不↠出↢二門ヲ↡也。

回え向こう発願ほつがんの義ぎ、 別べつの釈しゃくを俟まつべからず。 行ぎょう者じゃこれを知しるべし。

◇廻向発願之義、不↠可↠俟ツ↢別釈↡。行者応↠知ル↠之ヲ。

この三心さんしんとは総そうじてこれをいはば、 もろもろの行ぎょう法ほうに通つうず。 別べっしてこれをいはば、 往おう生じょうの行ぎょうにあり。 いま通つうを挙あげて別べつを摂せっす。 意こころすなはちあまねし 矣。 行ぎょう者じゃよく用心ようじんして、 あえて忽緒こっちょせしむることなかれ。

◇此ノ三心ト者総而言↠之ヲ、通↢諸ノ行法ニ↡。而別シテ言↠之ヲ、在↢往生ノ行ニ↡。今 マ挙↠通ヲ摂↠別ヲ。意即周 矣 行者能ク用心シテ、敢テ勿↠令↢忽緒↡。

入文解釈 王宮会 証定

次つぎに証定しょうじょうの文もん。 まづ他た宗しゅう祖師そし 云々 「敬うやまひて一切いっさい有う縁えんの知ち識しき等とうにまうさく。 余よはすでにこれ生しょう死じの凡ぼん夫ぶなり。 智恵ちえ浅短せんたんなり。 しかるに仏ぶっ教きょう幽ゆう微みなれば、 あえてたやすく異解いげを生しょうぜず。 つひにすなはち心こころを標ひょうし結願けつがんして、 請こひて霊験れいげんを求もとむ。 まさに造心ぞうしんすべし。 ▼一如いちにょ経きょう法ぼうに南無なもし帰き命みょうしたてまつる。 知しるべし」 (散善義意) と。

次ニ証定ノ文。先他宗祖師 云云 「▲敬白ク↢一切有縁ノ知識等↡。餘ハ既ニ是 レ生死ノ凡夫。智恵浅短ナリ。然ニ仏教幽微、不↣敢テ輒ク生↢異解↡。遂即標シ↠心結願、請求↢霊験↡。方ニ可↢造心↡。南↢無帰↣命一如経法↡。応知。」

 

観無量寿経釈

寛永かんえい九く 壬みずのえ申さる 暦こよみ姑こ洗せん中旬ちゅうじゅん

松屋 弥次兵衛

寛永九 壬申 暦姑洗中旬

松まつ屋や 弥次やじ兵衛べえ

 

延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
底本は龍谷大学蔵寛永九年刊本 ¬三部経私記¼。
得益分 正宗分に含む。