0116黒谷上人漢語灯録巻第七

  厭欣沙門 了恵 集録

かん第一だいいちしち 当巻とうかんはんしょうあり

漢語第一之七 当巻有半章

 

一一、逆修説法

げきしゅう説法せっぽうだいじゅういち しょ七日しちにちよりさん七日しちにちいた

 

・第一七日

第一だいいち七日しちにちさんしゃくりゅうぞう弥陀みだ¬双巻そうかんぎょう¼・¬弥陀みだきょう¼。

・第一七日 仏身

きょうろんのなかに、 ぶつどくくにりょうしんあり。 あるいはそうじて一身いっしんき、 あるいはべっしてしんき、 あるいは三身さんしんき、 あるいはしんく、 ない ¬ごんぎょう¼ には十身じっしんどくけり。 いましばらく真身しんしんしんしんをもつて、 弥陀みだどく讃嘆さんだんしたてまつる。 このしんしんわかつこと、 ¬双巻そうかんぎょう¼ の三輩さんぱいもんのなかにえたり。

経論之中、説↢仏功徳↡有↢無量身↡。或ジテ↢一身↡、或シテ↢二身↡、或説↢三身↡、或↢四身↡、乃至¬華厳経ニハ¼説ケリ↢十身功徳↡。今且↢真身・化身之二身↡、奉↣讃↢嘆弥陀之功徳↡。分コト↢此真化二身↡、見タリ↢于¬双巻経¼三輩↡。

・第一七日 仏身 真身

まづ真身しんしんとは、 真実しんじつしんなり。 弥陀みだいんときざい王仏おうぶつみもとにしてじゅう八願はちがんおこしたまひてのちちょうさい永劫ようごうあいだ布施ふせかい忍辱にんにくしょうじんとうろくまんぎょうしゅしてがんじたまへるところの修因しゅいんかんしんなり。

真身トハ者、真実之身ナリ也。弥陀因位之時、於↢世自在王仏↡発シタマヒテ↢四十八願↡之後、兆載永劫之間、修シテ↢布施・持戒・忍辱・精進等之六度万行↡而所↠願0117タマヘル之修因感果之身也。

¬かんぎょう¼ にきていはく、 「そのしんろくじゅう万億まんおく由他ゆたごうしゃじゅんなり。 けんびゃくごうみぎめぐれり、 しゅせんのごとし」 と。 そのいちしゅせんたかさ、 うみよりでてうみるおのおの八万はちまんせんじゅんなり。 また 「しょうれん慈悲じひまなこだい海水かいすいのごとくして青白しょうびゃくぶんみょうなり。 のもろもろのもうよりこうみょうはなつこと、 しゅせんのごとし。 いただきめぐれる円光えんこうあり、 ひゃくおく三千さんぜん大千だいせんかいのごとし。 かくのごとくして八万はちまんせんそうあり。 一々いちいちそうに、 おのおの八万はちまんせんこうあり。 一々いちいちこうに、 おのおの八万はちまんせんこうみょうあり。 その一々いちいちこうみょう、 あまねく十方じっぽうかいらし念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしててたまはず。 色身しきしん夜摩やまてんえん檀金だんごんいろのごとし」 (観経意) と。

¬観経¼説、「其身六十万億那由他恒河沙由旬ナリ。眉間白毫、右レリ、如↢五須弥山↡。」須弥山、出↠海入↠海各オノ八万四千由旬ナリ也。又「青蓮慈悲ニシテ↢四大海水↡青白分明ナリ也。自↢身毛孔↡放コト↢光明↡、如↢須弥山↡。頂有↢旋レル円光↡、如↢百億三千大千世界↡。如シテ↠是有↢八万四千相↡。一一、各有↢八万四千好↡。一一、各オノ↢八万四千光明↡。其一一光明、遍照↢十方世界↡念仏衆生摂取シテ不↠捨タマハ。色身↢夜摩天閻浮檀金↡。」

これ弥陀みだ一仏いちぶつかぎらず、 一切いっさい諸仏しょぶつみな黄金おうごんいろなり。 諸色しょしきのなかにはびゃくしきをもつてほんとなす、 ゆゑにぶついろびゃくしきなるべしといへども、 そのいろなほそんずるいろなり。 ただ黄金おうごんのみありてへんいろなり。 このゆゑに十方じっぽうさん一切いっさい諸仏しょぶつ、 みな常住じょうじゅうへんそうあらわさんがために、 黄金おうごんいろげんじたまへるなり。 これ ¬観仏かんぶつ三昧ざんまいきょう¼ のこころなり。

不↠限↢弥陀一仏↡、一切諸仏皆黄金ナリ也。諸色ニハ↢白色↡為↠本、故雖↠可↢仏白色ナル↡、其ズルナリ也。但有↢黄金ノミ↡不変ナリ也。是十方三世一切諸仏、皆為↠顕↢常住不変↡、現タマヘル↢黄金↡也。¬観仏三昧経¼意ナリ也。

ただし真言しんごんしゅうのなかにしゅほうあり。 その本尊ほんぞん身色しんじきほうしたがひて格別かくべつなり。 しかれども而時にじざん方便ほうべんしきなり、 ぶつ本色ほんじきにはあらず。 このゆゑに仏像ぶつぞうつくりたるに、 びゃくだん綵色さいしきどくざるにあらずといへども、 金色こんじきつくるは、 すなはちけつじょうおうじょう業因ごういんなり。 「そくしょうないさんしょうにかならずおうじょう」 といへり。 これ弥陀みだ如来にょらい真身しんしんどくなり、 りゃくぞんずることかくのごとし。

真言宗有↢五種法↡。其本尊身色、随↠法格別ナリ。然ドモ而時暫時方便之化色也、非↢仏本色ニハ↡矣。是タルニ↢仏像↡、雖↠非ズト↢白檀綵色ルニ↟得↢功徳↡、造ルハ↢金色者、即決定往生業因ナリ也。「即生乃至三生ト云ヘリ↢往生↡。」是弥陀如来真身之功徳ナリ、存ルコト↠略↠斯

・第一七日 仏身 化身

つぎしんとは、 にしてたちまちなるをといふなり、 すなはちしたがときおうじてしんりょうげんずること、 だいしょうどうなり。 ¬きょう¼ (観経) にいはく、 「あるいは大身だいしんげんじてくうのなかにち、 あるいはしょうしんげんじてじょうろくはっしゃくなり」 と。 ぶつにつきてしゅあり。

化身トハ者、無ニシテ而欻ナルヲ云↠化者、則随↠機ジテ↠時ズルコト↢身量↡、大小不同ナリ。¬経¼0118云、「或ジテ↢大身↡満↢虚空↡、或ジテ↢小身↡丈六八尺ナリト」。就↢化仏↡有↢多種↡。

・第一七日 仏身 化身 円光化仏

まづ円光えんこうぶつとは、 ¬きょう¼ (観経) にいはく、 「円光えんこうのなかにおいて、 ひゃく万億まんおく由他ゆたごうしゃぶつあり。 一々いちいちぶつしゅしゅさつをもつて眷属けんぞくとなす」 と。

円光化仏トハ者、¬経¼云、「於↢円光↡、有↢百万億那由他恒河沙化仏↡。一一化仏、衆多無数化菩薩為↢眷属↡。」

・第一七日 仏身 化身 摂取不捨化仏

つぎ摂取せっしゅしゃぶつとは、 「こうみょうへんじょう十方じっぽうかい念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしゃ (観経) とは、 これ真仏しんぶつ摂取せっしゅなり。 このほかぶつ摂取せっしゅあり。 さんじゅう六万ろくまんおくぶつ、 おのおの真仏しんぶつとともに十方じっぽうかい念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしたまふ。

摂取不捨化仏トハ者、「光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨トハ」者、真仏摂取ナリ也。此有↢化仏摂取↡也。三十六万億化仏、各オノ与↢真仏↡共摂↢取シタマフ十方世界念仏衆生↡也。

・第一七日 仏身 化身 来迎引摂化仏

つぎ来迎らいこういんじょうぶつとは、 ぼん来迎らいこうにおのおのぶつあり、 ほんしたがひてしょうあり。 じょうぼん上生じょうしょう来迎らいこうには真仏しんぶつほかしゅぶつあり。 じょうぼん中生ちゅうしょうにはせんぶつあり。 じょうぼんしょうにはひゃくぶつあり。 ないかくのごとくだいげんじて、 ぼん上生じょうしょうには真仏しんぶつ来迎らいこうしたまはず、 ただぶつかんおん大勢だいせいつかわす。 そのぶつしんりょう、 あるいはじょうろくはっしゃくなり。 さつしんりょうもそれにしたがふ。 ぼん中生ちゅうしょうには、 「てんうえぶつさつありて、 来迎らいこうしたまふ」 (観経意) と。 ぼんしょうには、 命終みょうじゅうときこんれんのなほし日輪にちりんのごとくなる、 そのひとまえじゅうするをる」 (観経) と。

来迎引摂化仏トハ者、九品来迎各有↢化仏↡、随↠品有↢多少↡。上品上生来迎ニハ真仏之外↢無数化仏↡。上品中生ニハ↢千化仏↡。上品下生ニハ有↢五百化仏↡。乃至如↠是次第ジテ、下品上生ニハ真仏不↢来迎シタマハ↡、但遣↢化仏・化観世音・化大勢至↡。其化仏身量、或丈六八尺ナリ。化菩薩身量。下品中生ニハ、「天華↢化仏・菩薩↡、来迎シタマフ。」下品下生、命終之時、見↧金蓮華ナル↢日輪↡、住スルヲ↦其人前↥。」

もんのごときは、 ぶつ来迎らいこうもなきやうにえたりといへども、 善導ぜんどうおんこころは ¬かんぎょう¼ のじゅう一門いちもんによらば、 だいもんに 「命終みょうじゅうときしょうじゅ迎接らいこうしたまふどう去時こじしつあかす」 (散善義) と。 また 「いまこのじゅう一門いちもんは、 ぼんもん約対やくたいするに、 一々いちいちほんのなかにみなこのじゅういちあり」 といへり。 しかればぼんしょうのなかにも来迎らいこうあるべきなり。 しかるをぎゃく罪人ざいにん、 そのつみおもきによりて、 まさしくぶつさつることあたはず、 ただわがすべきところの金蓮こんれんばかりをるなり。 またもん隠顕おんけんあればなり。

キハ↠文者、雖↠見タリト↧無↢化仏来迎↡之様↥、善導御意ラバ↢¬観経¼十一門↡者、第九門「明↢命終之時聖衆迎接シタマフ不同、去時遅疾↡。」(散善義) 又云ヘリ↧「今此十一門義、約↢対スルニ九品↡、一一皆有↦此十一↥。」然者下品下生ニモナリ↠有↢来迎↡。而五逆罪人、依↢其罪重0119↡、不↠能↢正コト↢化仏・菩薩↡、但見ナリ↢我所↠可↠坐之金蓮華許リヲ↡。又文レバナリ↢隠顕↡也。

・第一七日 仏身 化身 本尊のための化仏

つぎにまた十方じっぽうぎょうじゃのために、 本尊ほんぞんしょうしんぶつげんじたまへることあり。 天竺てんじくけい頭摩ずまつうさつ神足じんそくをもつて極楽ごくらくもうでて、 ぶつにまふしてまふさく、 しゃかいしゅじょうおうじょうぎょうしゅせんとおもふに、 その本尊ほんぞんなし。 ぶつねがはくはために身相しんそうげんじたまへと。 ぶつすなはちさつしょうおもむきて、 じゅじょうぶつ十体じったいげんじたまへり。 さつ、 すなはちこれをしてひろむ。 けい頭摩ずまつうさつまん蛇羅だらとは、 すなはちこれなり。 またこうまん蛇羅だらとて、 けん流布るふ本尊ほんぞんあり。 その因縁いんねんひとつねにこれをる、 つぶさにぶべからず。 ¬ほんおうじょうでん¼ をるべし。

又為↢十方行者↡、本尊有↠現タマヘルコト↢小身化仏↡。天竺鶏頭摩寺五通菩薩、以↢神足↡詣↢極楽↡、白シテ↠仏言、娑婆世界衆生、欲↠修ント↢往生↡、無↢其本尊↡。仏、願クハヘト↢身相↡。仏則趣↢菩薩↡、樹上タマヘリ↢化仏五十体↡。菩薩、即模シテ↠之弘↠世。鶏頭摩寺五通菩薩曼蛇羅トハ者、則是ナリ也。又智光曼蛇羅トテ、有↢世間流布之本尊↡。其因縁、人常↠之、不↠可↢具↡。可↠見↢¬日本往生伝¼↡。

・第一七日 仏身 化身 教化説法の化仏

またしんしょうさつきょうして説法せっぽうせんがために、 してしょうしんげんず。 これはこれ弥陀みだ如来にょらいしんどくなり、 りゃくすることまたかくのごとし。

又為↧教↢化シテ新生菩薩↡而説法センガ↥、化シテ↢小身↡。此弥陀如来化身功徳ナリ、略スルコト亦如↠是矣。

・第一七日 来迎

いまこのぞうりゅうせられたまへるぶつは、 おんしょうじゃふうつたへてさんしゃくりゅうぞうし、 さいしゅうえんゆうべ来迎らいこういんじょうぞうつくれり。 およそ仏像ぶつぞうぞうりゅうするに種々しゅじゅぞうあり。 あるいは説法せっぽう講堂こうどうぞうあり、 あるいはすい沐浴もくよくぞうあり、 あるいはだいじゅじょうとうしょうがくぞうあり、 あるいはこうみょうへんじょう摂取せっしゅしゃぞうあり。 かくのごときのぎょうぞうを、 もしはつくりもしはしたてまつる。 みなおうじょうごうなりといへども、 来迎らいこういんじょうぎょうぞうは、 なほその便びんたるなり。

今此タマヘル↢造立↡仏、伝↢祇園精舎之風↡模↢三尺立像↡、期↢最期終焉之暮↡造レリ↢来迎引接↡。凡造↢立スルニ仏像↡有↢種種像↡。或有↢説法講堂之像↡、或有↢池水沐浴之像↡、或有↢菩提樹下成等正覚之像↡、或有↢光明遍照摂取不捨之像↡。如↠是形像、若タテマツル雖↢往生ナリト↡、来迎引接形像、尚獲タル↢其便宜↡也。

かのじんくうかいしょうごんてんみょう法輪ほうりんこえき、 七宝しっぽう講堂こうどうみぎりのぞみ、 はっどくはまあそび、 およそかくのごときの種々しゅじゅみょうしょうほうをまのあたりちょうすることは、 まづしゅうえんのゆふべにしょうじゅ来迎らいこうあずかりて、 けつじょうしてかのくにおうじょうしてのうへのことなり。 しかればすなはちふかおうじょう極楽ごくらくこころざしあらんひとは、 来迎らいこういんじょうぎょうぞうつくりたてまつりて、 すなはち来迎らいこういんじょう誓願せいがんあおぎたてまつるものなり。

見↢尽虚空界之荘厳↡、聞キヽ↢転妙法輪之音↡、臨↢七宝講堂↡、遊↢八功徳池之浜↡、凡↠是種種微妙依正二報視聴0120スルコトハ者、先終焉之夕↢聖衆来迎↡、決定シテ往↢生シテ↡之上ナリ也。然則深↢往生極楽之志↡人、奉↠造↢来迎引接之形像↡、則可↠仰タテマツル↢来迎引接之誓願ナリ也。

その来迎らいこういんじょうがんとは、 すなはちこのじゅう八願はちがんのなかのだいじゅうがんなり。 にんこれをしゃくするに多義たぎあり。

其来迎引接トハ者、即此四十八願第十九ナリ也。人師釈スルニ↠之↢多義↡。

・第一七日 来迎 臨終正念

まづりんじゅうしょうねんのために来迎らいこうしたまへり。 いはゆるしっめて、 まさにせんとほっするとき、 かならずきょうがいたいとうしょう三種さんしゅ愛心あいしんおこすなり。 しかるに弥陀みだ如来にょらいだいこうみょうはなちてぎょうじゃまえげんじたまふとき未曾みぞことなるゆゑに、 きょうしんほかにはねんなし。 しかれば三種さんしゅ愛心あいしんほろぼして、 さらにおこることなし。 かつはまたぶつぎょうじゃちかづきたまひて、 加持かじねんしたまふがゆゑなり。

先為↢臨終正念↡来迎ヘリ。所謂疾苦逼↠身、将欲↠死ント之時、必ナリ↢境界・自体・当生三種愛心↡也。而阿弥陀如来放↢大光明↡現タマフ↢行者↡時、未曾有ナル、帰敬ニハ↢他念↡。而レバシテ↢三種愛心↡、更↠起コト。且又仏近タマヒテ↢行者↡、加持護念タマフガナリ也。

¬しょうさんじょうきょう¼ には 「慈悲じひゆうして、 こころをしてみだれざらしめ、 すでにいのちておはりて、 すなはちおうじょうて、 退転たいてんじゅうす」 とき、 ¬弥陀みだきょう¼ には 「弥陀みだぶつもろもろのしょうじゅげんにそのまえまします。 このひとじゅうに、 しん顛倒てんどうせずして、 すなはち弥陀みだぶつ極楽ごくらくこくおうじょうすることをけり。 りょうしんらんしん顛倒てんどうとは、 すなはちしょうねんじゅうせしむるのなり。

¬称讃浄土経ニハ¼説↧「慈悲加祐シテ、令↢心ヲシテ不↟乱、既↠命已、即得↢往生↡、住スト↦不退転↥」、¬阿弥陀経ニハ¼説ケリ↫「阿弥陀仏与↢諸聖衆↡現↢其前↡。是人終時、心不シテ↢顛倒↡、即得↪往↩生コトヲ阿弥陀仏極楽国土↨。」令心不乱↢心不顛倒↡、即令ルノ↠住↢正念↡之義也。

しかればりんじゅうしょうねんなるがゆゑに来迎らいこうしたまふにはあらず、 来迎らいこうしたまふがゆゑにりんじゅうしょうねんなりといふあきらかなり。 おうじょうあいだおうじょうぎょうじょうじゅせんひとは、 りんじゅうにかならずしょうじゅ来迎らいこうべし。 来迎らいこうとき、 たちまちにしょうねんじゅうすべきなり。

然者非↢臨終正念ナルガ来迎シタマフニハ↡、来迎タマフガ臨終正念ナリト云之義明也。往生之間往生行成就セン、臨終可↠得↢聖衆来迎↡。得↢来迎↡時、忽ナリ↠住↢正念↡也。

しかるにいまのときぎょうじゃおおくそのむねわきまへずして、 じんじょうぎょうててこうにゃくしょうじて、 はるかにりんじゅうときしてしょうねんいのる、 もつとも僻胤ひがいんなり。 しかればよくよくこのむねこころるに、 じんじょうぎょうごうにおいてこうにゃくこころおこさず、 りんじゅうしょうねんけつじょうおもひをすべきなり。 これはこれようなり。 かんひとこころとどむべし。 このりんじゅうしょうねんのために来迎らいこうすといふは、 じょうりょいん静照じょうしょうほっきょうしゃくなり。

今時行者、多不シテ↠弁↢其↡、捨↢尋常↡生ジテ↢怯弱↡、遥シテ↢臨終↡祈↢正念↡、最僻胤ヒガインナリ也。然者能能意↢得↡、於↢尋常行業↡不↠起↢怯弱↡、於テハ↢臨終正念↡可↠成↢決定0121↡也。此至要ナリ。聞カン人可↠留↠心。此為↢臨終正念↡来迎スト、静慮院静照法橋ナリ也。

・第一七日 来迎 道の先達

つぎにはどう先達せんだちのために来迎らいこうしたまふなり。 あるいは ¬おうじょうでん¼ (往生浄土伝巻中) に、 沙門しゃもんほう遺書ゆいしょにいはく、

ニハ↢道先達↡来迎タマフ也。或¬往生伝¼、沙門志法遺書

「われしょうかいりてさいわいひじり船筏せんばつにまうあへり
わがあらわすところのしんしょう卑穢ひえ来迎らいこうしたまふ
もしじょうごんせんものはかならずぎょうぞうぞうすべし
りんじゅうにそのまえげんじてどうしめしんせっしたまふ
念々ねんねんつみやうやくきてごうしたがひてぼんしょう
そのあらわるるところのしょうじゅまづしんしょうともがらさんじたまふ
仏道ぶつどう増進ぞうしんしめす」 と
「我在↢生死海ヘリ↢聖船筏
↠顕真聖来↢迎シタマフ卑穢
欣↢求センモノハ浄土造↢グワスベシ形像
臨終ジテ↢其↢道路↡摂タマフ↠心
念念↠業↢九品
↠顕聖衆先讚↢新生
仏道示↢増進↡」

これすなはちこのかいにおいてぞうするところのぎょうぞう先達せんだちりてじょうおくりたまふしょうなり。 また ¬やくきょう¼ (玄奘訳) るに、 じょうねがともがらの、 ぎょうごういまださだまらず、 おうじょうみちまよふあり。 すなはちもんにいはく、 「よくはち斎戒さいかいじゅするものあれば、 あるいは一年いちねん、 あるいはまたさんがつがくしょじゅす。 この善根ぜんごんをもつて西方さいほう極楽ごくらくかいりょう寿仏じゅぶつみもとしょうじて、 しょうぼうちょうもんせんとがんず。 しかるにいまださだまらざるもの、 もしそんやく瑠璃るりこう如来にょらいみょうごうき、 命終みょうじゅうときのぞみて、 はちさつありて神通じんずうじょうじてきたりて、 そのどうしめす。 すなはちかのかい種々しゅじゅ雑色ざっしき衆宝しゅぼうちゅうにおいてねんしょうす」 と。 もしかのはちさつそのどうしめさずんば、 ひとおうじょうすることをがたきか。

是則於↢此↡所↢造画スル↡之形像、成↢先達↡送タマフ↢浄土↡之証拠ナリ也。又見↢¬薬師経¼↡、有↧欣↢浄土↡輩、行業未↠定、迷↦往生↥。則文云、「有↣能受↢持八部斎戒↡、或経↢一年↡、或三月受↢持学処↡。以↢此善根↡願↧生ジテ↢西方極楽世界無量寿仏所↡、聴↦聞セント正法↥。而↠定、若聞↢世尊薬師瑠璃光如来名号↡、臨↢命終↡、有↢八菩薩↡乗ジテ↢神通↡来、示↢其道路↡。即於↢彼種種雑色衆宝華中↡自然化生。」 若彼八菩薩不ンバ↠示↢其道路↡者、難↠得↢独往生スルコトヲ乎。

これをもつておもふにも、 弥陀みだ如来にょらいもろもろのしょうじゅとともにぎょうじゃまえげんじて来迎らいこういんじょうしたまふも、 きてどうしめしたまはんがための、 まことにいはれたることなり。 しゃかいならひも、 みちくにはかならず先達せんだちすることなり。 これによりてびょうそうじょう (九品往生義) は、 この来迎らいこうがんをば 「現前げんぜんどうしょうがん」 とづけたまへり。

↠之而思ニモ、弥陀如来与↢諸聖衆↡共ジテ↢行者↡来迎引接タマフモ、為↣引0122タマハンガ↢道路↡之義、誠被↠云事ナリ也。娑婆世界、行ニハ↠路必具スル↢先達↡事也。依↠之御廟僧正、此来迎ヲバタマヘリ↢「現前導生」↡。

・第一七日 来迎 対治魔事

つぎ魔事まじたいせんがために来迎らいこうしたまふとは、 どうさかりなればさかんなりともうして、 仏道ぶつどうしゅぎょうするには、 かならずしょうなんあひふなり。 真言しんごんしゅうのなか (発菩提心論) には 「誓心せいしんけつじょうすれば、 ぐう振動しんどうす」 といへり。 天台てんだい ¬かん¼ (巻八下) しゅ三昧ざんまいしゅぎょうするに、 十種じっしゅきょうがいすたるるなかに 「きょうきたる」 といへり。 またさつさんひゃくこうぎょうすでにじょうじてしょうがくとなふるときおうきたりて種々しゅじゅしょうせり。

↣対↢治ンガ魔事↡来迎シタマフトハ者、申シテ↢道盛リナレバ者魔盛ンナリト↡、仏道修行スルニハ、必相↢副魔障難↡也。真言宗ニハヘリ↢「誓心決定スレバ、魔宮振動スト」↡。修↢行スルニ天臺¬止観¼四種三昧↡十種境界廃ヘリ↢「魔境来」↡。又菩薩三祇百劫行既ジテ↢正覚、魔王来種種障セリ

いかにいはんやぼんばくぎょうじゃ、 たとひおうじょうぎょうごうしゅすといへども、 しょうなんたいせずは、 おうじょうかいげんことかたからん。 しかるに弥陀みだ如来にょらいしゅぶつさつしょうじゅにょうせられ、 こうみょう赫奕かくやくとしてぎょうじゃまえげんじたまふときには、 こうこれにちかづきこれをしょうすることあたはず。 しかればすなはち来迎らいこういんじょうしょうたいせんがためなり。 来迎らいこうりゃくぞんずるにかくのごとし。 これらのにつきておもふに、 おなじくは仏像ぶつぞうつくらんには、 来迎らいこうぞうつくるべきなり。 ぶつどく大概たいがいかくのごとし。

凡夫具縛行者、設雖↠修↢往生行業↡、不↣対↢治魔障難↡者、遂ゲンコト↢往生素懐↡難カラン。然阿弥陀如来被↣囲↢遶無数化仏・菩薩聖衆↡、光明赫奕トシテタマフ↢行者↡時ニハ、不↠能↣魔王近↠此障↢スルコト之↡。然則来迎引接為↣対↢治センガ魔障↡也。来迎義、存ズルニ↠略如↠斯。就↢此等↡思、同ランニハ↢仏像↡、可キナリ↠造↢来迎之像↡也。仏功徳、大概如↠斯

・第一七日 浄土三部経

つぎさんきょうとは、 いまさんきょうづくることは、 はじめてもうすにあらず、 そのしょうこれおおし。 いはゆる大日だいにちさんきょう、 ¬大日だいにちきょう¼・¬金剛こんごう頂経ちょうきょう¼・¬しつきょう¼ とうこれなり。 ろくさんきょう、 ¬上生じょうしょうきょう¼・¬しょうきょう¼・¬じょうぶつきょう¼ とうこれなり。 ちんこっさんきょう、 ¬法華ほけきょう¼・¬仁王にんのうきょう¼・¬金光こんこう明教みょうきょう¼ とうこれなり。 ほっさんきょう、 ¬りょうきょう¼・¬げんぎょう¼・¬法華ほけきょう¼ とうこれなり。 これすなはちさんきょうづくるしょうなり。

三部経者、今名コト↢三部経↡者、非↢初↡、其。所謂大日三部経、¬大日経¼・¬金剛頂経¼・¬蘇悉地経¼等是ナリ也。弥勒三部経、¬上生経¼・¬下生経¼・¬成仏経¼等是也。鎮護国家三部経、¬法華経¼・¬仁王経¼・¬金光明教¼等是也。法華三部経、¬無量義経¼・¬普賢経¼・¬法華経¼等是也。0123クル↢三部経↡証拠也。

いまこの弥陀みださんきょうも、 あるにんのいはく、 「じょうきょうさんあり。 いはゆる ¬双巻そうかんりょう寿じゅきょう¼・¬かんりょう寿じゅきょう¼・¬弥陀みだきょう¼ とうこれなり」 と。 これによりていまじょうさんきょうづくるなり。 あるいはまたは弥陀みださんきょうづく。 またある (慈恩小経義疏意) のいはく、 「かのさんきょうに ¬おんじょうきょう¼ をくわへて四部しぶづく」 と。

今此弥陀三部経、有人師云、「浄土教↢三部↡。所謂¬双巻無量寿経¼・¬観無量寿経¼・¬阿弥陀経¼等是也。」依↠之今名クル↢浄土三部経↡也。或↢弥陀三部経↡。又或師云、「彼三部経↢¬鼓音声経¼↡名クト↢四部↡」。

およそしょきょうのなかに、 あるいはおうじょうじょうほうきょうあり、 あるいはかざるきょうあり。 ¬ごんぎょう¼ にはこれをけり、 すなはち ¬じゅうごん¼ のなかのげんじゅうがんこれなり。 ¬だい般若はんにゃきょう¼ のなかにそうじてこれをかず。 ¬法華ほけきょう¼ のなかにはこれをく、 すなはち 「薬王やくおうぼん」 の 「即往そくおう安楽あんらくかい」 のもんこれなり。 ¬はんぎょう¼ のなかにはこれをかず。 また真言しんごんしゅうのなかには、 ¬大日だいにちきょう¼・¬金剛こんごう頂経ちょうきょう¼ のれんにこれをくといへども、 大日だいにち分身ぶんしんなり、 べっしてくにはあらず。 もろもろの小乗しょうじょうきょうにはすべてこれをかず。 しかるにおうじょうじょうほうくことは、 このさんきょうにはしかず。 ゆゑにじょういっしゅうには、 このさんきょうをもつてそのしょとなせり。

諸経、或↧説↢往生浄土↡経↥、或有↢不↠説経↡。¬華厳経ニハ¼説ケリ↠之、則¬四十華厳¼中普賢十願是也。¬大般若経¼中ジテ不↠説↠之。¬法華経¼中ニハ↠之、即「薬王品」「即往安楽世界」文是ナリ也。¬涅槃経¼中ニハ不↠説↠之。又真言宗ニハ、¬大日経¼・¬金剛頂経¼蓮華部雖↠説↠之、大日分身ナリ也、非↢別シテニハ↡。諸小乗経ニハ不↠説↠之。然コトハ↢往生浄土↡、不↠如↢此三部経ニハ↡。故浄土一宗ニハ、以↢此三部経↡為↢其所依↡。

・第一七日 浄土宗名

またこのじょう法門ほうもんにおいてしゅうつること、 はじめてもうすにあらず、 そのしょうこれおおし。 少々しょうしょうこれをいだせば、 がんぎょうの ¬遊心ゆうしん安楽あんらく¼ に 「じょうしゅうこころ、 もとはぼんのため、 ねてはしょうにんのため」 といへる、 そのしょうなり。 かのがんぎょうごんしゅう祖師そしなり。 またおんの ¬西方さいほう要決ようけつ¼ にいはく、 「このいっしゅうによる」 と。 またそのしょうなり。 かのおん法相ほっそうしゅう祖師そしなり。 またざいの ¬じょうろん¼ (序) にいはく、 「このいっしゅうひそかにようとなす」 と。 またそのしょうなり。 また善導ぜんどうの ¬かんぎょうしょ¼ (散善義) にいはく、 「しんしゅうひがたし」 と。 またそのしょうなり。 かのざい善導ぜんどうは、 ともにこのじょういっしゅうをもつぱらにするひとなり。 しゅうしゅうしゃくすでにかくのごとし。

又於↢此浄土法門↡立コト↢宗↡、非↢初↡、其証拠多↠之。少々出↠之者、元暁¬遊心安楽¼云ヘル↧「浄土宗意、本為↢凡夫↡、兼為スト↦聖人↥」、其証也。彼元暁華厳宗祖師也。又慈恩¬西方要決¼云、「依↢此一宗↡。」亦其証也。彼慈恩法相宗祖師也。又迦才¬浄土論¼云、「此之一宗窃↢要路↡。」亦其証也。又善導¬観経¼云、「真宗叵↠遇。」亦其証也。彼迦才・善導、倶0124スル↢此浄土一宗↡之人也。自宗・他宗釈既如↠此。

・第一七日 師資相承

しかのみならずしゅうつることは、 天台てんだい法相ほっそうとうしょしゅう、 みな師資ししそうじょうによる。 しかるにじょうしゅうにすでに師資ししそうじょうけちみゃくだいあり。 いはゆるだい流支るし三蔵さんぞうちょうほっどうじょうほっ曇鸞どんらんほっほうじょうほっどうしゃくぜん善導ぜんどうぜんかんぜんしょうこうほっとうなり。 だい流支るしよりほうじょういたるまでは、 どうしゃくの ¬安楽あんらくしゅう¼ にでたり。 自他じたしゅうにん、 すでにじょういっしゅうづく。 じょうしゅう祖師そし、 まただいそうじょうす。 これによりていま相伝そうでんしてじょうしゅうづくるなり。

加↠之立コト↢宗↡者、天臺・法相等諸宗、皆由↢師資相承↡。然浄土宗有↢師資相承血脈次第↡。所謂菩提流支三蔵・恵寵法師・道場法師・曇鸞法師・法上法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・小康法師等ナリ也。自↢菩提流支↡至マデハ↢法上↡者、出タリ↢道綽¬安楽集¼↡。自他宗人師、既名↢浄土一宗↡。浄土宗祖師、又次第相承。依↠之今相伝シテ名↢浄土宗↡也。

しかるにこのむねらざるともがら、 いまだかつてはっしゅうほかじょうしゅうあることをかずとうなんすることのさうらへば、 いささかもうひらきさうらふなり。 およそしょしゅう法門ほうもんに、 浅深せんじんありこうきょうあり。 すなはち真言しんごん天台てんだいとうしょだいじょうしゅうは、 ひろくしてふかし。 しゃじょうじつとう小乗しょうじょうしゅうは、 ひろくしてあさし。 このじょうしゅうは、 せまくしてあさし。 しかればかのしょしゅうは、 いまのときにおいてきょう想応そうおうせず。 きょうふかくしてあさし、 きょうひろくしてせまきがゆゑなり。 たとへばいんたかくしてするものすくなきがごとし。 またしょうおおきなるものるがごとし。 ただこのいっしゅうのみ、 きょう相応そうおうせる法門ほうもんなり。 ゆゑにこれをしゅせば、 かならずじょうじゅすべきなり。 しかればすなはちかの相応そうおうきょうにおいて、 ろうして身心しんしんついやすことなかれ。 ただこの相応そうおう法門ほうもんして、 すみやかにしょうづべきなり。

↠知↢此↡之輩、未↤曾聞↣八宗コトヲ↢浄土宗↡等難破スルヘバ者、聊申開候也。凡諸宗法門、有↢浅深↡有↢広狭↡。則真言・天臺等諸大乗宗者、広ニシテ而深。倶舎・成実等小乗宗者、広ニシテ而浅。此浄土宗者、狭ニシテ而浅。然者彼諸宗者、於↢今時↡機与↠教不↢想応↡。教深シテ而機浅、教広シテ機狭ナリ也。譬如↢韻高シテ而和スルモノキガ。又如↣小器↢大物↡。唯此一宗ノミ、機与↠教相応セル之法門也。故セバ↠之者、必可↢成就↡也。然則於↢彼不相応↡、莫↣労シテコト↢身心↡。唯帰シテ↢此相応法門↡、速可↠出↢生死↡也。

今日こんにち講讃こうさんせられたまへるところは、 このさんのなかの ¬双巻そうかんりょう寿じゅきょう¼ と ¬弥陀みだきょう¼ となり。

今日所タマヘル↢講讃↡者、此三部¬双巻無量寿経¼¬阿弥陀経トナリ¼也。

・第一七日 大経

まづ ¬りょう寿じゅきょう¼ に、 はじめに弥陀みだ如来にょらいいん本願ほんがんきて、 つぎにかのぶつ果位かいほうしょうごんけり。 しかればこの ¬きょう¼ には弥陀みだぶつ修因しゅいんかんどくくなり。 すなはちじょうかんのはじめにくところのじゅう八願はちがんとうは、 かのぶついん発願ほつがんなり。 同巻どうかんおくおよびかんのはじめにくところのじょうしょうごんならびにしゅじょうおうじょういんは、 かのぶつ果位かいがんじょうじゅなり。 一々いちいち本誓ほんぜい一々いちいちがんじょうじゅきょうもんにあきらかなり。 つぶさにしゃくするにいとまあらず。

¬無量寿経¼、初説↢阿弥陀如来因位本願↡、次ケリ↢彼果位二報荘厳↡。然0125¬経ニハ¼説↢阿弥陀仏修因感果功徳↡也。則上巻↠説四十八願等、彼仏因位発願ナリ也。同巻奥及下巻↠説浄土荘厳并衆生往生因果、彼果位願成就也。一一本誓、一一願成就、経文ナリ也。不↠遑アラ↢具スルニ↡。

そのなかにしゅじょうおうじょういんくは、 すなはち念仏ねんぶつおうじょうがんじょうじゅの 「しょしゅじょうもんみょうごう (大経巻下) もん、 および三輩さんぱいもんこれなり。 もし善導ぜんどうおんこころによらば、 この三輩さんぱい業因ごういんにつきてしょうぞうぎょうつべし。 正行しょうぎょうにつきてまたあり、 正定しょうじょうじょごうとなり。 三輩さんぱいともに (大経巻下) 一向いっこう専念せんねん」 といへるは、 すなはち正定しょうじょうごうなり、 かのぶつ本願ほんがんじゅんずるがゆゑに。 またそのほか助業じょごうありぞうぎょうあり。

其中↢衆生往生因果↡者、則念仏往生願成就之「諸有衆生聞其名号」文、及三輩文是也。若↢善導御意↡者、就↢此三輩業因↡可↠立↢正雑二行↡。就↢正行↡亦有↠二、正定助業トナリ也。三輩倶ヘルハ↢「一向専念」↡者、則正定業也、順ズルガ↢彼本願↡故。又其↢助業↡有↢雑行↡。

きょうもんひらくに ¬かんぎょうしょ¼ のしょうぞうぎょうあたれり。 このなかにちゅうはいもん (大経巻下) に 「りゅう塔像とうぞう」 のあり。 そのぞうとは、 きょうもんにはいづれの仏像ぶつぞうといふことへずといへども、 かんぜんの ¬ぐんろん¼ にそつ西方さいほうじゅうどうつるなかに、 造像ぞうぞうどうといふあり。 それをしゃくするに弥陀みだぎょうぞうつくしょうにこのちゅうはいりゅう塔像とうぞうもんけり。 ゆゑにりぬかのぞうとはこれ弥陀みだぎょうぞうおうじょう助業じょごうなりといふことを。

クニ↢経↡当レリ¬観経疏¼正雑二行↡。此中中輩有↢「起立塔像」句↡。其トハ者、経文ニハ雖↠不↠見↢何仏像云コト↡、懐感禅師¬群疑論¼立↢都率西方十五↡中、有↢造像同ト云之義↡。釈ルニ↢弥陀形像↡之証拠ケリ↢此中輩起立塔像↡。故トハ弥陀形像、往生助業也ト云コトヲ

およそこの三輩さんぱいのなかにおのおのだいしんとうぜんくといへども、 かみ本願ほんがんのぞむるに、 もつぱら弥陀みだみょうごうしょうねんせしむるにあり。 ゆゑに 「一向いっこう専念せんねん」 といへり。 かみ本願ほんがんとは、 じゅう八願はちがんのなかのだいじゅう八願はちがんす。 一向いっこうことばは、 こう三向さんこうたいするなり。 もし念仏ねんぶつほかにならびてぜんしゅせば、 一向いっこうそむくべきなり。 おうじょうもとめんひと、 もつぱらこの ¬きょう¼ によりて、 かならずこのむねこころべきなり。 ¬双巻そうかんぎょう¼ のたいりゃくしてかくのごとし。

三輩各雖↠説↢菩提心等余善↡、望↢上本願↡、専在↠令ムルニ↣称↢念弥陀名号↡。故ヘリ↢「一向専念↡。」上本願者、指↢四十八願第十八願↡也。一向之言、対スル↢二向・三向↡之義ナリ也。若念仏↢余善↡者、可↢一向↡也。求↢往生↡人、専↢此0126¬経¼↡、必可↣意↢得此↡也。¬双巻経¼大意、略シテ↠此。

・第一七日 小経

つぎに ¬弥陀みだきょう¼ は、 はじめに極楽ごくらくかいしょうほうき、 つぎ一日いちにち七日しちにち念仏ねんぶつしゅしておうじょうすることをき、 のち六方ろっぽう諸仏しょぶつ念仏ねんぶついちぎょうにおいてしょうねんしたまふむねけり。 すなはちこの ¬きょう¼ にはぎょうかずえらびて念仏ねんぶついちぎょうけり。

¬阿弥陀経¼者、初↢極楽世界依正二報↡、次↧修シテ↢一日七日念仏↡之往生スルコトヲ↥、後ケリ↧六方諸仏於↢念仏一行↡証拠護念シタマフ之旨↥。則此¬経ニハ¼不↠説↢余行↡而選ケリ↢念仏一行↡。

もん (小経) にいはく、 「不可ふかしょう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんとくしょうこく」 とき、 「弥陀みだぶつくをきて、 みょうごうしゅうすること、 もしは一日いちにちない七日しちにち一心いっしんらんなれば、 そのひと命終みょうじゅうときのぞみて、 弥陀みだぶつもろもろのしょうじゅとともにげんにそのまえまします。 このひとおわときこころ顛倒てんどうせず、 すなはちおうじょう」 とけり。

、説↢「不可以少善根福徳因縁得生彼国」↡、説ケリ↧「聞↠説↢阿弥陀仏↡、執↢持スルコト名号↡、若一日乃至七日、一心不乱ナレバ、其人臨↢命終↡、阿弥陀仏与↢諸聖衆↡現↢其↡。是人終時、心不↢顛倒↡、即得↦往生↥。」

ここにりぬぜんしょう善根ぜんごんなり、 念仏ねんぶつ善根ぜんごんなり。 かのしょう善根ぜんごんぎょうしゅしておうじょうすることをべからず、 この善根ぜんごん念仏ねんぶつしゅするはかならずおうじょうべしといふことを。

余善少善根也、念仏多善根也。修シテ↢彼少善根余行↡不↠可↠得↢往生スルコトヲ↡、修スルハ↢此多善根念仏↡必可ト云コトヲ↠得↢往生↡。

このゆゑに善導ぜんどうしょう (法事讃巻下) このもんしゃくしていはく、 「極楽ごくらく無為むいはんがい随縁ずいえん雑善ぞうぜんなんしょう故使こし如来にょらいせん要法ようぼうきょうねん弥陀みだせんせん」 と。 ¬弥陀みだきょう¼ のたいりゃくしてかくのごとし。

善導和尚釈シテ↢此↡云、「極楽無為涅槃界、随縁雑善恐難生、故使如来選要法、教念弥陀専復専。」 ¬阿弥陀経¼大意、略如↠斯

およそ念仏ねんぶつおうじょうは、 これ弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんぎょうなり、 きょうしゅしゃくそんえらびたまへる要法ようぼうなり、 六方ろっぽう諸仏しょぶつ証誠しょうじょうしたまへるせつなり。 ぎょうはしからず。 そのむねきょうもんおよびしょしゃくつぶさなり。 ぶっきょうどくりゃくぞんずるにかくのごとし。 あおねがはくは

念仏往生弥陀如来本願行也、教主釈尊ビタマヘル要法也、六方諸仏証誠シタマヘルナリ也。余行不↠然。其旨具ナリ↢経文及諸師↡也。仏経功徳、存ズルニ↠略↠斯。仰クハ

・第二七日

だい七日しちにち弥陀みだ¬かんぎょう¼・¬同疏どうしょ¼ いち

・第二七日 阿弥陀仏

この弥陀みだぶつとは、 これより西方さいほうじゅう万億まんおく三千さんぜん大千だいせんかい七宝しっぽうしょうごんあり、 づけて極楽ごくらくかいといふ、 これすなはちそのきょうしゅなり。 おんいろ夜摩やまてんえんだんごんいろのごとく、 おんりょうろくじゅう万億まんおく那由なゆごうじゃじゅんなり。 およそぶつどくことばをもつてつくすべからざれども、 伽陀かだじゅしてしょうよう讃嘆さんだんしたてまつるにるべし。 すなはち 「面善めんぜんえんじょうにょ満月まんがつ (十二礼) と。

阿弥陀仏トハ者、従西方過↢十万億三千大千世界↡有↢七宝荘厳0127↡、名曰↢極楽世界↡、是則其教主ナリ也。御身↢夜摩天閻浮檀金↡、御身量六十万億那由他恒河沙由旬ナリ也。凡仏功徳レドモ↣以↠言可↢演↡、誦シテ↢伽陀↡奉ルニ↢称揚讃嘆↡可↠足也。則「面善円浄如満月」。

またきょうしゃくするにぶつどくあらわし、 ぶつさんずればきょうどくあらわるるなり。 またしょきょうこころしゃくすれば、 しょしゃくせんにはきょうこころあらわるべし。 みなこれおなじきものなり、 まちまちにしゃくすることあたはず。 しかればきょうきてかたちのごとく讃嘆さんだんしたてまつるべし。

又釈スルニ↠経而仏功徳、讃ズレバ↠仏者経功徳ルヽ也。又疏スレバ↢経↡者、釈センニハ↠疏↠顕。皆是同物也、不↠能↢スルコト↡。然者就↠経如↠形↠奉↢讃嘆↡。

・第二七日 観経

振旦しんたんにんきょうしゃくするに、 たい釈名しゃくみょうにゅうもんしゃくさんあり、 いましばらくこれをりゃくすべし。 ただようりてこれをしゃくせば、 いまこの ¬かんりょう寿じゅきょう¼ にこころあり。 はじめにはじょうさんぜんしゅしておうじょうすることをかし、 つぎにはみょうごうしょうしておうじょうすることをかす。

振旦人師釈スルニ↠経、有↢大意・釈名・入文解釈三意↡、今且↠略↠之。但取↠要↠之者、今此¬観無量寿経¼有↢二意↡。初ニハ↧修シテ↢定散二善↡而往生スルコトヲ↥、次↧称シテ↢名号↡而往生コトヲ↥。

・第二七日 観経 定散二善 定善

まづじょうさんしゃくすとは、 ぶつだいにんしょうおもむきて、 光台こうだいのなかに十方じっぽうじょうげんじたまふときだい (観経)、 「こん楽生ぎょうしょう極楽ごくらくかい」 といひて、 われにかのくにしょうずることをおしへたまへともうししかば、 すなはちそのしょうおもむきて、 はじめ日想にっそうかんより雑想ざっそうかんいたるまで、 じゅう三観さんがんそうきたまへるなり。 これをじょうぜんづく。 このじょうぜんはすなはち現身げんしんぶつたてまつるなり。

↢定散↡者、仏趣↢韋提希夫人↡、光台タマフ↢十方浄土↡之時、韋提希云↢、「我今楽生極楽世界」↡、我而申シヽカバ↠教タマヘト↠生コトヲ↢彼↡者、則趣↢其↡、始↢日想観↡至マデ↢雑想観↡、説タマヘルナリ↢十三観↡也。↢定善↡。此定善即現身タテマツル↠仏也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 日想観

はじめ日想にっそうかんには八月はちがつがんのまさにらんとするとき、 まづふさぎて、 その有様ありさまおもふ、 おもうしなはればまたひらきてる。 はじめはかやうにしておもひつくれば、 のちにはもなきところにてもこころおもへばるがごとくなるを、 日想にっそうかんじょうじゅもうすなり。 じておもふにるはなほかんあさときなり。 じてもひらきても、 おなじくざいるを、 かんふかじょうじゅするともうすなり。 このかんじょうじゅするときは、 弥陀みだぶつげんじたまふありといふことそうらへども、 それはありがたことなり。 この日想にっそうかんをもつてじゅう三観さんがんのはじめにくこと、 さんあり。

ハジ日想観ニハ者二、八月彼岸ラント、先見↠日↠目、想↢其日有様↡、想レバ者又開↠目↠日。初加様ニシテ而想↢付レバ↡、後ニハ↠日ニテモ者如ナルヲ↠見、申↢日想観成就↡也。閉↠目見↠日ナリ也。閉テモ↠目開テモ↠目、同0128自在↠日、申スナリ↢観之深成就スルト↡也。此観成就スル時者、云↠有↢阿弥陀仏現ジタマフ↡事候ヘドモ↠有事也。以↢此日想観↡置クコト↢十三観↡、有↢三義↡。

いちにはこうみょうれんじゅうせしめんがためなり。 いはくかの極楽ごくらくかいこうみょう赫奕かくやくとしてぼんをもつてただちにることあるべからず。 このゆゑにまずひかりあるものかんじゅうしてのちにかのくにをばかんずべきなり。 しかるにこのかいにおいてひかりあるものえたるものなし、 ゆゑにまづこのかんもちゐるなり。

ニハ為↠令ンガ↣練↢習光明也。謂極楽世界光明赫奕トシテ而不↠可↠有↧以↢凡夫↡直コト↥。是観↢習シテ↠光物↡之後可↠観↢彼ヲバ↡也。而於↢此↡有ルモノ↠光無↢越タル↠日之物↡、故用↢此↡也。

ざいしょう軽重きょうじゅうらしめんがためなり。 いはくこのかんときつみしたがひてることどうなり。 あるいはこくしょう黒雲こくうんふるがごとく、 あるいはおうしょう黄雲おううんふるがごとく、 あるいは白障びゃくしょうびゃくうんふるがごとく、 くもおおふがごとし。 しゅじょうごっしょう所観しょかんきょうふることもまたしかなり。 しかればこのそうしたがひて、 無始むしらい三業さんごうざいしょうさんすべきりょうなり。

二為↠令ンガ↠知↢罪障軽重↡也。謂↢此観↡時、随↠罪コト↠日不同也。或黒障如↢黒雲↟日、或黄障如↢黄雲↟日、或白障如↢白雲↟日、如↢雲↟日。衆生業障之障ルコトモ↢所観↡亦爾ナリ。然者随↢此↡、可↣懺↢悔無始已来三業罪障之料也。

さんには極楽ごくらく方処ほうしょらしめんがためなり。 いはくかのくにはすなはち西方さいほうり、 日没にちもつかたもまた西方さいほうなり。 かのくに二季にきがんところあたれり。 これによりてはじめにはこのかんしゅするに、 かならず二季にきがんのまさしくひがしでてまさしく西にしらんときひらじてるべしといふなり。

ニハ為↠令ンガ↠知↢極楽方処↡也。謂則在↢西方↡、日没亦西方ナリ也。彼レリ↢二季彼岸日入↡。因↠之修スル↢初ニハ↡、必二季彼岸之日デヽ西ラン↠目↠目可↠見↠日云也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 水想観

つぎ水想すいそうかんとは、 極楽ごくらくかい瑠璃るりんとするに、 ぼんばくしゅじょうは、 無始むしよりこのかたいまだざることなれば、 ただちにんとほっすとも、 じょうじゅせんことかたきがゆゑに、 まづみずのちじてみずおもふ。 これまたさき日想にっそうかんのごとく、 かん浅深せんじんさきのごとし。 水想すいそうじょうじゅしてみずること、 ひらざいつれば、 みずへんじてこおりそうす。 こおりかんしてのちこおりへんじてまた瑠璃るりそうす、 こおり瑠璃るりたるがゆゑなり。 せんずるところは水想すいそう瑠璃るりかんあらわさんりょう方便ほうべんなり。

水想観トハ者、将ルニ↠観ント↢極楽世界瑠璃↡、凡夫具縛衆生、従↢無始↡已来未↠見事ナレバ者、欲ストモ↢直↡、成就セン事難キガ、先見↠水、後↠目想↠水亦如↢前日想観、観浅深如↠前。水想成就シテコト↠水、閉↠目開↠目得ツレバ↢自在↡者、変ジテ↠水↢氷↡。観↢作シテ氷↡後ジテ↠氷又作↢瑠璃↡、氷タルガ↢瑠璃↡故也。所↠詮ズル水想↢顕サン瑠璃0129↡之料方便也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 地想観

つぎ想観そうかんとはすなはちさき水想すいそうかんだいじょうじゅしぬれば、 想観そうかんじょうじゅすることなり。 その瑠璃るりした金剛こんごう七宝しっぽう金幢こんどうありてささげたり。 そのささげたる金幢こんどうをば、 善導ぜんどうおんこころ (礼讃意) は 「りょうしゅなり」 といへり。 他師たしこころはただひとつの金幢こんどうありてささげ、 そのどう八方はっぽうにしてはちりょうそくすとゆ。 はちりょうとはつのそばといへり、 りょうはすなはちそばなり。

地想観トハ者則前水想観次第成就シヌレバ者、地想観成就スル事也。其瑠璃地↢金剛七宝金幢↡擎タリ↠地。其擎タル金幢ヲバ、善導御意ヘリ↢「無量無数ナリト」↡。他師見↧但有↢一金幢↡擎↠地、其幢八方ニシテ八楞具足スト↥。 八楞トハ者云ヘリ↢八之ソバ↡、楞ソバ也。

ぶつ ¬法華ほけきょう¼ をきたまふときしゃてんじて瑠璃るりれり。 このかんじょうじゅときもまたしかなり。 ぶつことにらいしゅじょうのためにこのかんほうくとのたまひて、 この観想かんそうをばことにすすむるなり。

仏説タマフ↢¬法華経¼↡、娑婆地転ジテレリ↢瑠璃地↡。此観成就亦爾ナリ。仏言タマヒテ↧殊為↢未来世衆生↡説↦此観地↥、此観想ヲバ勧也。

¬かんぎょうしょ¼ の第三だいさんのはじめにこのかんしゃくするしもに、 ¬清浄しょうじょうがくきょう¼ (巻四意) しんしん因縁いんねんもんけり。 このもんこころは、 「じょうほうくをきて、 信向しんこうしていよだつものは、 過去かこにしてこの法門ほうもんきて、 いまかさねてひとなり。 いましんずるがゆゑに、 けつじょうしてじょうおうじょうすべし。 またくともかざるがごとく、 そうじて信向しんこうせざるものは、 はじめてさん悪道まくどうよりきたりて、 ざいしょういまだきざれば、 こころ信向しんこうなきなり。 いましんぜざるがゆゑに、 またしょうづることあるべからず」 とういへるなり。 せんじてはおうじょうにんのこのほうをばしんそうろふなり。

¬観経¼第三釈↢此観↡之下ケリ¬清浄覚経¼信不信因縁↡。此文意、「聞↠説↢浄土↡、信向シテ身毛竪、過去ニシテ↢此法門↡、今重人也。今信ズルガ、決定シテ可↣往↢生浄土↡。又聞トモ↠不ルガ↠聞、総ジテ↢信向↡、始自↢三悪道↡来、罪障未レバ↠尽、心無↢信向↡也。今不↠信故、又不↠可↠有↠出ルコト↢生死↡」等云ヘル也。詮ジテハ往生人之信↢此法ヲバ↡候也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 宝樹・宝池・宝楼観

つぎ宝樹ほうじゅかんつぎほうかんつぎ宝楼ほうろうかん。 これらはことごとく釈成しゃくじょうするにあたはず、 きょうもんおよびこの ¬しょ¼ につぶさなり。 かくのごとくほう讃嘆さんだんするも、 すなはち弥陀みだ仏観ぶつかん讃嘆さんだんしたてまつる

宝樹観、次宝池観、次宝楼観。此等不↠能↢悉釈成スルニ↡、経文及¬疏¼具ナリ也。如↠是讃↢嘆スルモ依報↡、則奉↣讃↢嘆阿弥陀仏観

・第二七日 観経 定散二善 定善 観音・勢至観

つぎ観音かんのんかんつぎせいかん。 かのくにりょうしょうじゅありといへども、 ようるにこの左右さうさつなり。 ゆゑにこのさつばかりをさんじて、 さつをばりゃくしていださず。

観音観、次勢至観。彼雖↠有↢無量聖衆↡、取ルニ↠要左右二菩薩也。故↢此二菩薩許リヲ↡、余菩薩ヲバシテ不↠出也。

・第二七日 観経 定散二善 定善 普観

つぎ観想かんそうとは、 これみづからのおうじょうかんなり。 いまだりんじゅうときにあらずといへども、 すでにおうじょうそうすなり。

普観想トハ者、往生之観也。雖↠未↢臨終ニアラ↡、作↢已往生想↡也。

大安だいあん勝行しょうぎょうしょうにんといふものありき、 これ輪観りんかんじょうじゅしたるひとなり。 くだんしょうにん毎日まいにち塗籠ぬりごめこもりて、 よくひさしくありてでたり。 弟子でしどもこれをあやしみてうしろかきあなよりひそかにこれをのぞむるに、 しょうにんえずしてはんじょううえにただみずたたへたるのみあり。 へきじつかをらんがために、 弟子でしていをそのみずのなかにれてれば、 まことにみずなり。 思議しぎおもいしておのおのりぬ。 しばらくありてしょうにん塗籠ぬりごめよりでて、 たちまちにふくちゅういたみて、 弟子でしらにひていはく、 われうちりたるとき、 なんぢらつるか、 また何事なにごとかありつるとうと。 弟子でしのがれがたくしてじつまかせてもうしつ。

↢大安0130勝行聖人ト云者↡、成↢就タル五輪観↡之人ナリ也。件上人毎日立↢篭塗篭ヌリゴメ↡、良久タリ。弟子共怪↠之ヨリ↠之、上人シテ↠見而半畳只有↢水タルノミ↡。為↠知↢僻事実事カヲ↡、弟子等投↢入於其↡而見レバ者、誠ナリ也。作↢不思議↡各去。暫上人従↢塗篭↡出デヽ、忽ミテ↢腹中↡、問↢弟子等↡云、我入タル↠内時、汝等見ツル歟、又有ツル↢何事↡等。弟子難シテ↠遁而任↠実シツ↠師

そのときのいはく、 われまたらんときくだん髪鬀はつているべしと。 弟子でしらこれをけて、 つぎまたればしょうにんえず、 はんじょううえにただえんゆるのみあり。 そのちゅうあり、 弟子でしらそのだす。 でてはらのなかのつうたちまちにびょうふくしぬ。

時師云、亦入ラン時可↠取↢件髪鬀砥↡。弟子等承↠之、次日又見レバ上人不↠見、半畳只有↢火焔ユルノミ↡。其火中↠砥、弟子等取↢出。師出デヽ苦痛忽平復シヌ

またつぎれば、 はんじょううえ一茎ひとくきれんしょうぜり。 これらのそうて、 弟子でしあやしみてふに、 こたへていはく、 われ水輪すいりん三昧ざんまいときみずとなり、 りん三昧ざんまいときとなり、 れん三昧ざんまいときしてれんとなるなり。 またげん極楽ごくらくかいおうじょうするなりといひき

又次日見レバ者、半畳一茎蓮華生ゼリ。見↢此等↡、弟子怪↠師、答曰、我入↢水輪三昧↡時成↠水、入↢火輪三昧↡時成↠火、入↢蓮華三昧↡時化成↢蓮華↡也。又現往↢生スルナリト極楽世界↡也云

しかればまさしくこの ¬きょう¼ のせつのごとく、 あまねくおうじょうかんしゅじゅうせずといへども現身げんしん極楽ごくらくもうずることあり、 いかにいはんや平生へいぜいおうじょうかんらすをや。 かのしょうにん真言しんごんしゅうひとなり

者正↢此¬経¼説↡、雖↠不↣遍修↢習往生↡而有↢現身詣ルコト↢極楽↡、何況平生ヲヤ↢往生観↡也。彼上人真言宗ナリ

またとうみょうたんといふひとは、 じゅう三観さんがんのなかに日想にっそうよりおうじょうかんいたるまで、 じゅうかんじょうじゅしたるひとなり。 われらがごときかんぜんとほっせば、 かならずじょうじゅすべきなり。 すなはちこの ¬経¼ (観経) にいはく、 「りょう寿仏じゅぶつしんりょうへん非是ひぜぼん心力しんりきしょぎゅうねん如来にょらい宿しゅく願力がんりき憶想おくそうしゃ必得ひっとくじょうじゅ」 と。

又唐土明胆ト云、十三観自↢日想↡至マデ普往生観↡、十二観成就シタル人也。如↢我等↡欲↠観ント者、必可↢成就↡也。即此¬経¼云、「無量寿仏身量無辺、非是凡夫心力処及。然彼如来宿願力故、有憶想0131者必得成就。」

・第二七日 観経 定散二善 定善 雑想観

つぎ雑想ざっそうかんとは、 かのぶつろくじゅう万億まんおく那由他なゆたごうしゃじゅんだいしんりょうちぢめて、 じょうろくはっしゃくしょうしん有様ありさまかんずるなり。 これはこれじゅうさんじょうぜんなり。

雑想観トハ者、縮↢彼仏六十万億那由他恒河沙由旬之大身量↡、観ズル↢丈六八尺之小身之有様↡也。此是十三之定善ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善

つぎ散善さんぜんとは、 三福さんぷくぼんなり。 ただし天台てんだいとうこころは、 じゅう三観さんがんうえぼん三輩さんぱいかんくわへて、 じゅうろく想観そうかんづく。 いまじょうさんぜんわかちてじゅうさんじょうぜんづけ、 三福さんぷくぼん散善さんぜんづくるは、 善導ぜんどういっおんこころなり。

散善者、三福九品也。天臺等、十三観↢九品之三輩観↡、名↢十六想観↡。今分↢定散二善↡而十三↢定善↡、三福九品クルハ↢散善↡者、善導一師御意ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 孝養父母

まづ三福さんぷくとは、 「いちにはきょうよう父母ぶも (観経) とは、 けんきょうようありしゅっきょうようあり。 けんきょうようとは、 俗書ぞくしょ (孝経) にいはく、 「ててどうおこなひて、 後世こうせいげて、 もつて父母ぶもあらわすは、 こうおわりなり」 ともうして、 においてめいあるにひとかな、 これはなにがしぞといはるるをもつて、 きょうようきわまりとするなり。 しゅっきょうようとは、 父母ぶもすすめてだいどうる、 これ真実しんじつきょうようなり。

三福トハ者、「一ニハ孝養父母」者、有↢世間孝養↡有↢出世孝養。世間孝養トハ者、俗書云、「立↠身行↠道、揚↢名後世↡、以顕↢父母↡、孝」申シテ、於↠世↢名誉↡而以ヒトカナ、是ゾトルヲ↠云、為↢孝養↡也。出世孝養トハ者、勧↢父母↡入↢菩提↡、是真実孝養也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 奉事師長

つぎに 「奉事ぶじちょう」 とは、 (浄信誡観巻下) 父母ぶもしちしょうそう累劫るいこう」 といひておん父母ぶもおんにもまさるなり。 しかれば雪山せっせんどうはんきし、 げてせつおんほうじ、 じょうたいさつ般若はんにゃもとめし、 きてどんかつさつようしき。

「奉事師長トハ」者、云↢「父母七生、師僧累劫」↡而師↢父母ニモ↡也。然者雪山童子之聞↢半偈↡、投↠身而報↢羅刹↡、常啼菩薩之求↢般若↡、割↠身供↢養シキ曇無竭菩薩↡。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 慈心不殺修十善業

つぎに 「しんせつしゅじゅう善業ぜんごう (観経) とは

「慈心不殺修十善業トハ」者

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 受持三帰

しゃじゅさん」 とは

「二者受持三帰トハ」者

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 具足衆戒

つぎに 「そく衆戒しゅかい」 とは、 これにだいじょうかいあり小乗しょうじょうかいあり。 小乗しょうじょうは、 そうかいひゃく十戒じっかいなり、 かいひゃくかいなり。 だいじょうは、 七衆しちしゅつうじて十重じゅうじゅうじゅうはちきょうじゅう八戒はちかいくるなり。

「具足衆戒トハ」者、此有↢大乗戒↡有↢小乗戒↡。小乗者、僧二百五十戒也、尼者五百戒也。大乗者、七衆通ジテ↢十重・四十八軽之五十八戒↡也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 不犯威儀

つぎに 「ぼん威儀いぎ」 とは、 かいにつきてきょう威儀いぎづけ、 じゅうかいづく。 だいじょうには八万はちまん威儀いぎ小乗しょうじょう三千さんぜん威儀いぎなり。

「不犯0132威儀トハ」者、付↠戒↢威儀↡、重↠戒也。大乗ニハ八万威儀、小乗三千威儀ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 発菩提心

つぎに 「ほつ提心だいしん」 とは、 しょしゅうこころどうなり。 いまじょうしゅう提心だいしんとは、 まづじょうおうじょうして、 一切いっさいしゅじょうし、 一切いっさい煩悩ぼんのうだんじ、 一切いっさい法門ほうもんさとり、 じょうだいしょうせんとほっするしんなり。

「発菩提心トハ」者、諸宗意不同也。今浄土宗菩提心者、先往↢生シテ浄土↡、欲スル↧度↢一切衆生↡、断↢一切煩悩↡、悟↢一切法門↡、証ント↦無上菩提↥之心ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 深信因果

つぎに 「深信じんしんいん」 とは、 けんいんありしゅっいんあり。 けんいんとは、 すなはち六道ろくどういんなり、 しゅっいんとは、 すなはちしょういんなり。 一代いちだい聖教しょうぎょう所説しょせつ、 この六道ろくどうしょういんでず。 このゆゑに一代いちだいせっきょう、 しかしながらこのいっせっするなり。

「深信因果トハ」者、有↢世間因果↡有↢出世因果↡。世間因果トハ者、即六道因果也、出世因果トハ者、即四聖因果ナリ也。一代聖教所説、不↠出↢此六道四聖因果↡。是一代説教、併スル↢此一句↡也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 読誦大乗

つぎに 「読誦どくじゅだいじょう」 とは、 つうじて一切いっさい顕密けんみつしょだいじょうきょうす、 べっしていちりょうきょう読誦どくじゅするにはあらず。 読誦どくじゅは、 しゅほっのなかにはさんあらわし、 十種じっしゅほっのなかには、 しゅほっだして八種はっしゅほうぎょうかすなり。 しかれば顕密けんみつ一切いっさいだいじょうにおいて、 じゅ読誦どくじゅせつ書写しょしゃするとう、 みなこれおうじょうごうなり。 小乗しょうじょう読誦どくじゅするは、 おうじょうごうにはあらず。 また ¬ちゅう辺論へんろん¼ (意) にいはく、 「十種じっしゅほうぎょうすることは、 ただだいじょうかぎる」 と。 この ¬きょう¼ (観経) こころ、 またこの 「読誦どくじゅだいじょう」 のいっしょだいじょうきょうせっするなり。

「読誦大乗トハ」者、通ジテ↢一切顕密諸大乗経↡、非↣別シテ読↢誦スルニハ一両↡。読誦、五種法師ニハ挙↠二↢余↡、十種法師ニハ、出シテ↢二種法師↡明↢余八種法行↡也。然者於↢顕密一切大乗↡、受持・読誦・解説・書写スル等、皆往生ナリ也。読↢誦小乗↡、非↢往生ニハ↡。又¬中辺論¼云、「施コトハ↢十種法行↡者、但限↢大乗↡。」 ¬経¼意、又此「読誦大乗」一句スルナリ↢諸大乗経↡也。

しかればごん般若はんにゃ方等ほうどうしょきょうほっはんみなこののなかにせっすべし。 ただけんのみにあらず、 みっきょうもまたしかなり。 ¬大日だいにちきょう¼ も ¬金剛こんごう頂経ちゅきょう¼ もない諸尊しょそん別法べっぽうも、 みなことごとくこのなかにせっす。 ¬貞元ていげんにゅうぞうろく¼ に顕密けんみつつぶさにだいじょう目録もくろくれたるなり。 しんそうの ¬おうじょうようしゅう¼ にもおうじょうぎょうもんつるに、 はじめには念仏ねんぶつおうじょうつぎにはしょぎょうおうじょうなり。 念仏ねんぶつおうじょうをばねんぎょうをもつてこれを釈成しゃくじょうし、 しょぎょうおうじょうへんにはじゅうさんかんぎょうげたり。 そのなかにすなはち 「読誦どくじゅだいじょう」 あり。

者華厳・般若・方等諸経、法華・涅槃皆可↠摂↢此↡。非↢啻顕ノミニ↡、密教又爾ナリ。¬大日経¼¬金剛頂経¼乃至諸尊別法、皆悉↢此↡。¬貞元入蔵¼顕密倶タル↢大乗目録↡也。恵心僧都¬往生要集ニモ¼往生↢二門↡、初ニハ念仏往生、次ニハ諸行往生ナリ。念仏往生ヲバ以↢五念0133↡釈↢成之↡、諸行往生ニハタリ↢十三観行↡。其即有↢「読誦大乗」↡。

また (要集巻下) おうじょうぎょうごうそうじてこれをいはば、 ¬梵網ぼんもう¼ の戒品かいぼんでず」 といへり。 これにじゅんじてこれをおもふに、 おうじょうぎょうごうこの ¬きょう¼ の三福さんぷくごうをばでず。 ¬梵網ぼんもう¼ の戒品かいぼんといふも、 すなはちそく衆戒しゅかいいっなり。 そのなかになほだいじょうかいばかりなり。 この 「読誦どくじゅだいじょう」 ののなかに一切いっさいせっするのみにあらず、 いふところの 「そく衆戒しゅかい」 ののなかにも、 「深信じんしんいん」 ののなかにも、 「じゅさん」 の、 「ほつだいしん」 の一々いちいちにみな一代いちだい聖教しょうぎょうせっし、 一切いっさいまんぎょうせっしたり。

又云ヘリ↢「往生行業、総ジテ而言↠之、不↟出¬梵網¼戒品↡。」准ジテ↠之思↠之、往生行業不↠出↢此¬経¼三福ヲバ↡矣。云↢¬梵網¼戒品↡、則具足衆戒之一句也。其猶大乗戒バカ也。非↣此「読誦大乗」句ノミニ↢一切↡、所↠言「具足衆戒」句ニモ、「深信因果」句ニモ、「受持三帰」句、「発菩提心」句、一一皆摂↢一代聖教↡、摂タリ↢一切万行↡。

この ¬きょう¼ をもつてしょきょうたずぬれば、 ¬ごんぎょう¼ ははちじゅうろくじゅうごんにはおうじょうじょうかず。 ¬じゅうごん¼ のげんじゅうがんのなかにこれをく。 ¬法華ほけきょう¼ には 「薬王やくおうぼん」 に 「即住そくおう安楽あんらくかい」 とけり。 これらはおうじょうくなり。 しかるゆゑは、 この ¬かんぎょう¼ にそうじてしょだいじょうきょうじゅ読誦どくじゅしておうじょうすといふことときに、 ¬ごん¼・¬ほっ¼ をじゅしてもおうじょうすべしといふことあらわれたるうへ、 べっしておのおののきょうのなかにくはすなはち二度にどくなり。 ¬だい般若はんにゃ¼ にはおうじょうかずといへども、 この ¬かんぎょう¼ のせつによりて、 かの ¬きょう¼ を読誦どくじゅしてもおうじょうするなり。 すなはちとうじょうびんといふひとあり、 せんもうして、 ¬だい般若はんにゃ¼ をすすめて書写しょしゃしておうじょうぐといふことそうろふなり。 のもろもろのだいじょうきょうをもこれにじゅんじてるべし。

以↢此¬経¼↡尋レバ↢諸経↡者、¬華厳経¼八十・六十華厳ニハ不↠説↢往生浄土↡。¬四十華厳¼普賢十願↠之。¬法華経ニハ¼「薬王品」説ケリ↢「即住安楽世界」。此等二度説ナリ↢往生↡也。然者、此¬観経¼総ジテ↧受↢持読↣誦シテ諸大乗経↡而往生スト云↥時、受↢持シテモ於¬華厳¼・¬法華¼↡可ト云コト↢往生↡事顕タル上、別シテ各各則二度説クナリ也。¬大般若ニハ¼雖↠不↠説↢往生↡、依↢此¬観経¼説↡、読↢誦シテモ¬経¼↡往生スル也。即唐土有↢常ビント云人↡、申シテ↢宣旨↡、勧↢¬大般若¼↡書写シテ↢往生↡云事候也。余大乗経ヲモ↠之可↠知

・第二七日 観経 定散二善 散善 三福 勧進行者

つぎに 「勧進かんじんぎょうじゃ (観経) とは、 しょうどうじょうもん勧進かんじんあり。 じょうしゅうこころ一代いちだいしょきょうしょしゅう法門ほうもん、 このしょうどうじょうもんでず。 はっしゅうしゅうはすなはちしょうどうもんなり、 いまわがおうじょうじょう法門ほうもんはすなはちじょうもんなり。 しかればこのもんにつきて、 おのおのぎょうじゃあるべし。 いはくしょうどうぎょうじゃじょうぎょうじゃなり。 かれをもこれをもすすめんは、 みな勧進かんじんぎょうじゃなり。 ただし小乗しょうじょうかい勧進かんじんしては、 おうじょうがたきか。 じょうすすむれば、 いますこしきおうじょう便たよりあるべきか。

「勧進行者トハ」者、有↢聖道・浄土二門勧進↡。浄土宗意、一代諸教・諸宗法門、不↠出↢此聖道・浄土二門↡。八宗・九宗則聖道門ナリ也、今我往生浄土法門則浄土門ナリ也。然者就↢此二門↡、各可0134↠有↢行者↡。謂聖道之行者、浄土行者也。勧メンハ↢彼ヲモヲモ↡、皆勧進行者也。但勧進シテハ↢小乗戒↡、難↠得↢往生↡歟。勧レバ↢浄土↡、今少可↠有↢往生便↡歟。

房翥ぼうしょといふひとありき、 一人いちにんすすめて念仏ねんぶつしゅせしめ、 そのひとその念仏ねんぶつちからによりておうじょうぐ。 しかるあひだ房翥ぼうしょりんじゅうして、 えんちょうにおいて善悪ぜんあくはんぜられしときに、 この勧進かんじんどくによりてすなはちえんにわよりおうじょうしたりといふことそうろふなり。 三福さんぷくごうりゃくぞんずるにかくのごとし。

リキ↢房翥ト云人↡、勧メテ↢一人↡令↠修↢念仏↡、其人依↢其念仏↡遂↢往生↡矣。然間房翥臨終シテ、於↢閻魔↡被↠判↢善悪↡之トキ、依↢此勧進功徳即自↢閻魔之庭↡往生シタリト云事候ナリ也。三福業、存↠略如↠斯。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 上品上生

つぎぼんとは、 まづじょうぼん上生じょうしょうとは、 はじめに (観経) 三心さんしんしゃひっしょうこく」 とき、 つぎ (観経) に 「三種さんしゅしゅじょう当得とうとくおうじょう」 とけり。

次九品トハ者、先上品上生トハ者、初説↢「具三心者必生彼国」↡、次ケリ↢「又三種衆生当得往生」↡。

三心さんしんとは、 善導ぜんどうしょうおんこころべつぎょうごうにあらず、 そうじておうじょう法則ほうそくなり。 もん上上じょうじょうりといへども、 下下げげつうずべし。 ただし三心さんしん浅深せんじんしたがひて、 ぼんかいあるべきなり。 しかればはじ上上じょうじょうぼんよりおわ下下げげぼんいたるまで、 三心さんしんそくして、 かならずおうじょうすることを。 ゆゑに (礼讃) 若少にゃくしょう一心いっしんそくとくしょう」 といへり。 ただし天台てんだいとうしょこころはしからず。

三心トハ者、善導和尚御意、非↢別行業↡、総ジテ往生法則ナリ也。文雖↠在↢上上↡、義↠通↢下下↡。但随↢三心浅深↡、可↠有↢九品階位↡也。然者始自↢上上品↡終マデ↢下下品↡、具↢足シテ三心↡、必得↢往生スルコトヲ↡。故ヘリ↢「若少一心即不得生」↡。但天臺等諸師不↠爾矣。

三種さんしゅしゅじょうとは、 ¬きょう¼ (観経) にいはく、 「いちにはしんにしてころさず、 もろもろのかいぎょうす。 にはだいじょう方等ほうどうきょうてん読誦どくじゅす。 さんには六念ろくねんしゅぎょうす」 と。

三種衆生トハ者、¬経¼云、「一ニハ者慈心ニシテ不殺、具↢諸戒行↡。二ニハ者読↢誦大乗方等経典↡。三ニハ者修↢行六念↡。」

善導ぜんどう (玄義分意) これをしゃくしていはく、 「いちはただよくかいたもしゅす。 かいすることしゅすることあたはざれども、 ただよくだいじょう読誦どくじゅするなり。 さんかいどくきょうにあたはざれども、 ただよく仏法ぶっぽうそうねんずるなり。 この三人さんにんおのおのおのがごうをもつてこころはげまして、 一日いちにちいちない七日しちにちしちゆうみょうごんぎょうすれば、 かならずじょうぼん上生じょうしょうしょうず。 これぶつめつだいじょう極善ごくぜんじょうぼんぼんなり。 日数にっしゅすくなしといへども、 しゅごうせつはげしきがゆゑなり。」 かの三種さんしゅごう一人いちにんしてみなぎょうずべきにはあらず、 おのおのひとひとぎょうずべきなり。 そのむねこのしゃくにあきらかなり。

善導釈シテ↠之、「一但能↠戒↠慈。二レドモ↠能↢持スルコト↠戒コト↟慈、但能読↢誦スル也大乗↡。三レドモ能↢持戒・読経↡、但能念↢仏法僧↡也。此之三人各オノ↢己↡励シテ↠心、一日一夜乃至七日七夜勇猛勤行スレバ者、必生↢上品上生↡。仏滅後大乗極善上品凡夫ナリ。日0135数雖↠少、修業時節ハゲシキガ故也。」 三種非↢一人シテ皆可ニハ↟行、各一一可↠行也。其旨此ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 上品中生

つぎじょうぼん中生ちゅうしょうとは、 ¬きょう¼ (観経) に「ぜんしゅ第一だいいちしんきょうどう深信じんしんいんほうだいじょう」 とく、 これすなはちかんおうじょうなり。 しょしゅうかんそのどうなり。 天台てんだいしゅうには一心いっしん三観さんがん真言しんごんしゅうには阿字あじほんしょう法相ほっそうしゅうにはじゅう唯識ゆいしき三論さんろんしゅうにはしょう皆空かいくうなり。 しかればおのおのしゅうしたがひてかんしゅするもの、 おうじょうぐべきなり。

上品中生トハ者、¬経¼説↢「善解義趣、於第一義、心不驚動、深信因果、不謗大乗」↡、是則理観往生也。諸宗理観其義不同也。天臺宗ニハ一心三観、真言宗ニハ阿字本不生、法相宗五重唯識、三論宗ニハ勝義皆空也。然者各随↠宗↢理観、可↠遂↢往生↡也。

いましばらく善導ぜんどうおんこころによらば、 ただよくぜんしていまだそのぎょうろんぜず、 かならずしもかんしゅすべしとはえず、 ただだいじょうくうをよくこころたるばかりなり。 すなはちそのしゃく (散善義) にいはく、 「だいじょうくうす。 あるいは諸法しょほう一切いっさい皆空かいくうなり、 しょう無為むいもまたくうなり、 ぼんしょうみょうあんもまたくうなり、 けん六道ろくどうしゅっけん三賢さんげんじっしょうとうも、 もしそのたいしょうのぞむればひっきょう不二ふになりとちょうもんせんに、 このせつくといへども、 そのこころ怛然こうねんとしてたいしょうぜずとなり。」 また (散善義) ふかしゅっらくしゅいんしんじ、 およびもろもろのどうにおいてほうしょうぜず」 といへり。

今且↢善導御意↡者、但能善解シテ未↠論↢其↡、不↠見↢必シモトハ↟修↠観、但大乗空能得タル↠意許リナリ也。即其、「善解↢大乗空↡。或聴↧聞ンニ諸法一切皆空ナリ、生死無為亦空ナリ、凡聖明闇亦空ナリ、世間六道、出世間三賢・十聖等、若望レバ↢其体性畢竟不二ナリト↥、雖↠聞↢此説↡、其カウタントシテ↠生↢疑滞↡也。」 又云ヘリ↧「深↢世出世苦楽二種因果↡、及道理ニヲイテ↠生↢疑謗↡。」

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 上品下生

つぎじょうぼんしょうとは、 ¬きょう¼ (観経) に 「但発たんほつじょう道心どうしん」 とけり、 これだいしんおうじょうなり。 だいしんにつきて、 しょしゅうしょりゅうまたどうなり。 天台てんだいにはぞうつうべつえんきょうだいしんあり、 真言しんごんにはぎょうがんしょうさん摩地まじ三種さんしゅだいしんあり、 三論さんろん法相ほっそうごんだつ、 みなおのおのだいしんあり。

上品下生トハ者、¬経¼説ケリ↢「但発無上道心」↡、菩提心往生也。就↢菩提心↡、諸宗所立又不同也。天臺ニハ有↢蔵・通・別・円四教菩提心↡、真言ニハ有↢行願・勝義・三摩地之三種菩提心↡、三論・法相・華厳・達磨、皆各有↢菩提心↡。

善導ぜんどうおんこころ (散善義意) は、 「まづじょうしょうじて、 さつだいがんぎょうててのちかえりてしょうり、 あまねくしゅじょうせんとほっす。 このしんだいしんづく」 と。

善導御意、「先生ジテ↢浄土↡、満↢菩薩大悲願行↡之後、還↢生死↡、欲↣遍0136度↢衆生↡。此クト↢菩提心↡。」

このじょうぼんさんしょうだいじょう善人ぜんにんなり。 つぎちゅうぼんさんしょうとは、 小乗しょうじょう善人ぜんにんなり。

上品三生大乗善人ナリ也。次中品三生トハ者、小乗善人ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 中品上生

まづちゅうぼん上生じょうしょうとは、 (観経) じゅかい八戒はっかい八斎はっさいかいしゅぎょう諸戒しょかいぞうぎゃくしゅげん」 とけり、 これ小乗しょうじょうかいひとなり。

中品上生トハ者、説ケリ↢「受持五戒、持八戒・八斎戒、修行諸戒不造五逆、無衆過患」↡、小乗持戒人也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 中品中生

つぎちゅうぼん中生ちゅうしょうとは、 (観経) にゃく一日いちにちいちじゅ八戒はっかいさいにゃく一日いちにちいちしゃかいにゃく一日いちにちいちそくかい威儀いぎけつ」 とけり、 これ一日いちにちいちかいなり。

中品中生トハ者、説ケリ↢「若一日一夜受持八戒斎、若一日一夜持沙弥戒、若一日一夜持具足戒、威儀無欠」↡、一日一夜持戒也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 中品下生

つぎちゅうぼんしょうとは、 (観経) きょうよう父母ぶもぎょうにん」 とけり、 これけんじんれいしんぎょうずるひとなり。 ざいしょうあいだ仏法ぶっぽうはざるひとりんじゅうときぜんしきひておうじょうするなり。

中品下生トハ者、説↢「孝養父母行世仁慈」↡、ズル↢世間仁・儀・礼・智・信↡人也。在生之間未↠遇↢仏法↡人、臨終↢善知識↡往生スル也。

つぎぼんさんしょうとは、 悪人あくにんおうじょうなり。

下品三生トハ者、悪人之往生ナリ也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 下品上生

まづぼん上生じょうしょうとは、 すなはちじゅうあくきょうざいぼんなり。 ¬きょう¼ (観経) にいはく、 「わくしゅじょうしゅ悪業あくごうすいほう方等ほうどうきょうてんにょにんぞう衆悪しゅあく無有むうざんみょうよくじゅうぐうぜんしきさんだいじょうじゅう二部にぶきょう首題しゅだいみょうもんにょしょ経名きょうみょうじょきゃく千劫せんごうごくじゅう悪業あくごうしゃきょうがっしょう叉手しゃしゅしょう南無なも弥陀みだぶつしょうぶつみょうじょじゅう億劫おくこうしょうざい」 と。

下品上生トハ者、即十悪軽罪凡夫ナリ也。¬経¼云、「或有衆生、作衆悪業、雖不誹謗方等経典、如斯愚人、多造衆悪無有慚愧、命欲終時、遇善知識為讃大乗十二部経首題名字。以聞如是諸経名故、除却千劫極重悪業。智者復教合掌叉手、称南無阿弥陀仏。称仏名故除五十億劫生死之罪。」

衆悪しゅあくとはじゅうあくすなり。 無有むうざんとは、 てんにもじず、 にんにもじざるなり。 じゅう二部にぶきょうとはだいじょうするなり。 小乗しょうじょうには九部くぶけっするなり。 首題しゅだいみょうさんずとは、 天台てんだいにてこころれば、 みょうたいしゅうゆうきょうじゅうげんをもつてしゃくかするか。 これすなはちざいしょうあいだ、 ひとへにじゅうあくつくりていまだ仏法ぶっぽうはざる罪人ざいにんなり。 りんじゅうときはじめてぜんしきひて、 きょうぶつねんじておうじょうするなり。

衆悪トハ者指↢十悪↡也。無有慚愧トハ者、不↠慚↠天ニモ、不↠愧↠人ニモ也。十二部経トハ者大乗具也。小乗ニハスル↢九部↡也。讃トハ↢首題名字↡者、天臺ニテレバ↠意者、以↢名・体・宗・用・教之五重玄義↡釈カスル歟。則在0137之間、偏↢十悪↡未↠遇↢仏法↡罪人ナリ也。臨終時始↢善知識↡、聞↠経ジテ↠仏而往生スル也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 下品中生

つぎぼん中生ちゅうしょうとは、 すなはちこれかいざいぼんなり。 ¬きょう¼ (観経) にいはく、 「わくしゅじょうぼんかい八戒はっかいぎゅうそくかいにょにんちゅうそうもつとう現前げんぜん僧物そうもつじょう説法せっぽう無有むうざんしょ悪業あくごうしょうごんにょ罪人ざいにん悪業あくごうおうごくみょうよくじゅうごくしゅいち倶至くしぐうぜんしきだい慈悲じひせつ弥陀みだぶつじゅうりきとく広説こうせつぶつこうみょう神力じんりきやくさんかいじょうだつだつけんにんもんじょはちじゅう億劫おくこうしょうざいごくみょう化為けい清涼しょうりょうふうすいしょてんじょうかいぶつさつこうしょうにん」 と。

下品中生トハ者、即破戒次罪凡夫ナリ也。¬経¼云、「或有衆生、毀犯五戒・八戒及具足戒。如斯愚人、偸僧祗物、盗現前僧物、不浄説法無有慚愧、以諸悪業而自荘厳。如斯罪人、以悪業故応堕地獄。命欲終時、地獄衆火、一時倶至、遇善知識以大慈悲為説阿弥陀仏十力威徳、広説彼仏光明神力、亦讃戒・定・慧・解脱・解脱知見。此人聞已除八十億劫生死之罪。地獄猛火、化為清涼風、吹諸天華。華上皆有化仏・菩薩、迎摂此人。」

そもそも近来きんらいそうをば、 かいそうかいといふべからず。 かいかいせいすることはしょうぼう像法ぞうぼうときなり。 末法まっぽうにはかいなし、 ただみょう比丘びくなり。 でんぎょうだいの ¬末法まっぽうとうみょう¼ にいはく、 「末法まっぽうのなかにかいのものありとは、 これ怪異けいなり、 いちのなかにとらあらんがごとし。 たれかこれをしんずべし」 と。 またいはく、 「末法まっぽうのなかには、 ただごんきょうのみありて行証ぎょうしょうなし。 もし戒法かいほうあらんにはかいあるべし。 すでに戒法かいほうなし、 いづれのかいをかし、 なにによりてかなほかいあらん。 かいすななほなし、 いかにいはんやかいをや」 と。

抑近来僧尼ヲバ、不↠可↠云↢破戒僧・破戒之尼↡。制スルコト↢持戒・破戒↡者正法・像法之時ナリ也。末法ニハ無↠戒、只名字比丘ナリ也。伝教大師¬末法灯明記¼云、「末法之中トハ↢持戒↡者、是怪異也、如↢市ランガ↠虎。誰可↠信↠之。」 又云、「末法之中ニハ、但有↢言教ノミ↡無↢行証↡。若ランニハ↢戒法↡可↠有↢破戒↡。既↢戒法↡、破↢何ヲカ↡、何テカ尚有↢破戒↡。破戒スラ尚無、何持戒ヲヤ耶。」

まことに受戒じゅかいほうちゅうごくにはかいそうじゅうにんしょうじてかいとし、 へんにはにんしょうじてかいとして、 かいくるなり。 しかるに近来きんらいは、 かいそう一人いちにんもとださんにもがたし。 しかればこれをけてのうへにこそといふことばもあるべきものなれ、 末代まつだい近来きんらいかいすならほなし、 ただかい比丘びくなりともうすなり。 この ¬きょう¼ にかいくことは、 しょうぞうやくしてきたまへるなり。

受戒作法、中国ニハジテ↢持戒僧十人↡為↢戒師↡、辺地ニハジテ↢五人↡為↢戒師↡、受↠戒也。而近来、求↢出サンニモ持戒僧一人↡難↠得也。然テノ↠之0138ニコソ↢破ト云之語↡者ナレ、末代近来破戒スラ尚無、唯無戒之比丘也也。此¬経¼説コト↢破戒↡者、約シテ↢正像↡而説タマヘル也。

・第二七日 観経 定散二善 散善 九品 下品下生

つぎぼんしょうとは、 すなはちぎゃくじゅうざいぼんなり。 ¬きょう¼ (観経) にいはく、 「わくしゅじょう善業ぜんごうぎゃくじゅうあくしょぜんにょにん悪業あくごうおう悪道あくどう逕歴きょうりゃくこうじゅぐうにょにんりん命終みょうじゅうぐうぜんしき種々しゅじゅあんせつみょうほう教令きょうりょう念仏ねんぶつにんひつおう念仏ねんぶつぜん告言ごうごんにょにゃく能念のうねんしゃおうしょうりょう寿仏じゅぶつにょしん令声りょうしょうぜつそくじゅうねんしょう南無なも弥陀みだぶつしょうぶつみょう念々ねんねんちゅうじょはちじゅう億劫おくこうしょうざい命終みょうじゅうけんこんれん猶如ゆうにょ日輪にちりんじゅう人前にんぜん」 と。

下品下生者、即五逆重罪之凡夫也。¬経¼云、「或有衆生、作不善業五逆・十悪、具諸不善。如此愚人、以悪業故応堕悪道、逕歴多劫受苦無窮。如此愚人臨命終時、遇善知識種種安慰為説妙法、教令念仏。此人苦逼不遑念仏。善友告言、汝若不能念者、応称無量寿仏。如是至心、令声不絶、具足十念称南無阿弥陀仏、称仏名故、於念念中除八十億劫生死之罪。命終之時、見金蓮華猶如日輪住其人前。」

これすなはち散善さんぜんなり。 三福さんぷくぼんとはおなじものなり。 三福さんぷくぼんはいするなり。 じょうさんぜんりゃくしてかくのごとし。

則散善義也。三福九品トハ物也。三福支↢配スル九品↡也。定散二善、略シテ↠此

・第二七日 観経 念仏往生

つぎみょうごうしょうしておうじょうすることをかすとは、 ¬きょう¼ (観経) にいはく、 「仏告ぶつごうなんにょこう是語ぜご是語ぜごしゃそくりょう寿じゅぶつみょう」 と。 善導ぜんどう (散善義) これをしゃくしていはく、 「仏告ぶつごうなん汝好にょこう是語ぜごより以下いげは、 まさしく弥陀みだみょうごうぞくして、 だいずうすることをかす。 じょうらいじょうさんりょうもんやくくといへども、 ぶつ本願ほんがんのぞむれば、 こころしゅじょうをして一向いっこうにもつぱら弥陀みだぶつみなしょうせしむるにり」 と。

明↧称シテ↢名号↡往生スルコトヲ↥者、¬経¼云、「仏告阿難、汝、好持是語。持是語者、即是持無量寿仏名。」 善導釈シテ↠之云、「従↢仏告阿難汝好持是語↡已下、正↧付↢属シテ弥陀名号↡、流↦通スルコトヲ於遐代↥。上来雖↠説↢定散両門之益↡、望レバ↢仏本願↡、↣衆生ヲシテ一向ムルニ↢弥陀仏名↡。」

およそこの ¬きょう¼ のなかにはじょうさんしょぎょうくといへども、 そのじょうさんをもつてぞくせず、 ただ念仏ねんぶついちぎょうをもつてなんぞくしてらいずうす。

¬経¼中ニハ雖↠説↢定散諸行↡、不↧以↢其定散↡付属↥、但以↢念仏一行↡付↢属シテ阿難↡流↢通未来↡也。

だいずうすとは、 法滅ほうめつひゃくさいはるかとす。 すなはち末法まっぽう万年まんねんのち仏法ぶっぽうみなめっして三宝さんぼうみょうをもかざるとき、 ただこの念仏ねんぶついちぎょうのみとどまりてひゃくさいるべし。 しかればしょうどう法文もうもんもみなめっし、 十方じっぽうじょうおうじょうもまためっし、 上生じょうしょうそつもまたしっし、 しょぎょうおうじょうもまたしっしたらんとき、 ただこの念仏ねんぶつおうじょう一門いちもんのみとどまりて、 そのときなりといへども一念いちねんにかならずおうじょうすべし。 ゆゑにこれをしてだいとはいふなり。 これすなはちおんげてごんせっするなり。

0139↢通ストハ遐代↡者、遙トス↢法滅百歳↡。即末法万年後、仏法皆滅シテ↠聞↢三宝名字ヲモ↡之時、唯此念仏一行ノミ百歳可↠在。然者聖道法文皆滅、十方浄土往生亦滅、上生都率亦失、諸行往生亦失シタラン之時、唯此念仏往生一門ノミ、雖↢其ナリト↡一念必可↢往生↡。故シテ↠之云↢遐代トハ↡也。則挙↠遠スル↠近也。

望仏もうぶつ本願ほんがんとは、 弥陀みだ如来にょらいじゅう八願はちがんのなかのじゅう八願はちがんすなり。 いまきょうしゅしゃくそんじょうさんぜんしょぎょうてて念仏ねんぶついちぎょうぞくしたまふことも、 弥陀みだ本願ほんがんぎょうなるゆゑなり。

望仏本願トハ者、指↢弥陀如来四十八願十八願↡也。今教主釈尊、捨テヽ↢定散二善諸行↡付↢属シタマフ念仏一行↡事、弥陀本願ナルナリ也。

一向いっこうせんしょうとは、 ¬双巻そうかんぎょう¼ (巻下) くところの三輩さんぱいもんのなかの 「一向いっこう専念せんねん」 をすなり。 一向いっこうことばは、 つることばなり。 この ¬きょう¼ には、 はじめにはひろじょうさんくといへども、 のちには一向いっこう念仏ねんぶつえらびてぞくずうしたまへるなり。 しかればとおくは弥陀みだ本願ほんがんしたがひ、 ちかくはしゃくそんぞくけんとほっするものは、 一向いっこう念仏ねんぶつぎょうしゅしておうじょうもとむべきなり。

一向専称トハ者、指↧¬双巻経¼所↠説三輩「一向専念」↥也。一向之言、捨↠余之詞也。此¬経ニハ¼、初ニハ雖↠説↢定散↡、後ニハ一向↢念仏↡付属流通ヘルナリ也。然欲↧遠クハ↢弥陀本願↡、近クハケント↦釈尊付属、一向シテ↢念仏↡可↠求↢往生↡也。

およそ念仏ねんぶつおうじょうしょぎょうおうじょうすぐれたること、 多義たぎあり。

念仏往生之勝ルコト↢于諸行往生↡、有↢多義↡。

いちにはいん本願ほんがん。 いはく弥陀みだ如来にょらいいん法蔵ほうぞうさつときじゅう八願はちがんおこしてじょうもうけてぶつにならんとがんじたまへるときしゅじょうおうじょうぎょうてんとせんじょうしたまふときぎょう撰捨せんしゃしてただ念仏ねんぶついちぎょうせんじょうしておうじょうぎょうてたまへり。 このせんじゃくがんは、 ¬だい弥陀みだきょう¼ のせつなり。

ニハ者因位本願。謂弥陀如来因位、法蔵菩薩時、願タマヘル↧発シテ↢四十八願↡設ケテ↢浄土↡成ント↞仏之時、立ント↢衆生往生↡撰定タマフ時、撰↢捨余行↡撰↢定シテ唯念仏一行↡而立タマヘリ↢于往生↡。此撰択願者、¬大阿弥陀経¼説也。

にはこうみょう摂取せっしゅなり。 これはこれ弥陀みだぶついん本願ほんがん還念げんねんして、 相好そうごうこうみょうをもつて念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅてたまはずしておうじょうせしめたまふなり。 ぎょうのものを摂取せっしゅしたまはず。

二者光明摂取ナリ。此是阿弥陀仏還↢念シテ因位本願↡、以↢相好之光明↡摂↢取念仏衆生↡而不シテ↠捨タマハタマフ↢往生↡也。不↣摂↢取余行0140↡矣。

さんには弥陀みだみづから (一巻本般舟経問事品意) のたまはく、 「これはこればつ陀和だわさつ極楽ごくらくかいもうでらんには、 いづれのぎょうしゅしてかのくにおうじょうすべきと、 弥陀みだぶつひたてまつりしかば、 ぶつこたへてのたまはく、 わがくにらいしょうせんとおもはば、 まさにわがねんじてそくすることなかるべし、 すなはちおうじょうすることをん」 と。 ぎょうすすめたまはず。

ニハ者弥陀自言、「跋陀和菩薩詣ランニハ↢極楽世界↡、修シテ↢何↡可キト↣往↢生彼↡、奉シカ↠問↢阿弥陀仏↡者、仏答言ハク、欲↣来↢生我国↡者、当↧念ジテ↢我名↡莫↦休息スルコト↥、即得ント↢往生コトヲ↡。」 不↠勧タマハ↢余行↡。

にはしゃぞく。 いはくいまこの ¬きょう¼ にくところぞくずうなり。 ぎょうをばぞくせず。

ニハ者釈迦付属。謂今此¬経¼所↠説付属流通也。不↣付↢属余行ヲバ↡。

には諸仏しょぶつ証誠しょうじょう。 これはこれ ¬弥陀みだきょう¼ にくところの、 しゃぶつえらびて念仏ねんぶつおうじょうむねきたまへば、 六方ろっぽう諸仏しょぶつおのおのおなじくさんじて、 おなじくすすめて、 こうじょうしたべて、 あまねく三千さんぜん大千だいせんかいおおひて証誠しょうじょうしたまへり。 これすなはち一切いっさいしゅじょうをして念仏ねんぶつおうじょうけつじょうしてうたがいなかるべしとしんぜしめんためなり。 ぎょうをばかくのごとく証誠しょうじょうしたまはず。

ニハ者諸仏証誠。此¬阿弥陀経¼所↠説、釈迦仏撰タマヘ↢念仏往生↡者、六方諸仏各同讃ジテ、同勧、舒↢広長↡、遍覆↢三千大千世界↡而証誠タマヘリ則為↠令↣一切衆生ヲシテ信↢念仏往生決定シテ可↟無↠疑也。余行ヲバ如↠是不↢証誠↡

ろくには法滅ほうめつおうじょう (礼讃) いはく 「万年まんねん三宝さんぼうめつ ¬きょう¼ じゅうひゃくねん爾時にじもん一念いちねん皆当かいとうとくしょう」 と。 末法まっぽう万年まんねんのち、 ただ念仏ねんぶついちぎょうのみとどまりて、 おうじょうすべしといへることなり。 ぎょうはしからず。

六者法滅往生。謂「万年三宝滅、此¬経¼住百年、爾時聞一念、皆当得生彼。」 末法万年後、唯念仏一行ノミ、可↢往生↡云事也。余行不↠爾。

しかのみならずぼん上生じょうしょうじゅうあく罪人ざいにんりんじゅうときもんきょうしょうぶつとのぜんをこれをならべたりといへども、 ぶつ来迎らいこうしてさんじたまふには (観経) にょしょうぶつみょう諸罪しょざいしょうめつ来迎らいこうにょ」 といひて、 いまだもんきょうことをばさんじたまはず。

加↠之下品上生十悪罪人、臨終之時聞経↢称仏↡之二善雖↠並タリト↠之、化仏来迎シテ而讃タマフニハ (観経) ↢「汝称仏名故諸罪消滅。我来迎汝」↡、未↠讃タマハ↢聞経之事ヲバ↡。

また ¬双巻そうかんぎょう¼ に三輩さんぱいおうじょうごうくなかに、 だいしんおよびりゅう塔像とうぞうとうぎょうくといへども、 ずうところいたりて、 (大経巻下) 其有ごう得聞とくもんぶつみょうごうかんやくない一念いちねんとうにんとくだいそくそくじょうどく」 とさんじて、 ぎょうしてじょうどくとはさんじたまはず。 念仏ねんぶつおうじょうむねようることここにあり。 あおねがはくは

又¬双巻経¼説↢三輩往生↡之中、雖↠説↢菩提心及起立塔像等之余行↡、至↢流通↡、讃↢「其有得聞彼仏名号、歓喜踊躍乃至一念。当知、此人為得大利。則是具足無上功徳」↡、不↧指↢余行↡讃タマハ↦無上功徳トハ↥。念仏往生旨、取コト↠要在↠之。仰0141クハ

・第三七日

第三だいさん七日しちにち弥陀みだぶつ¬双巻そうかんぎょう¼・¬弥陀みだきょう¼。

・第三七日 阿弥陀仏

それぶつどくひゃくせん万劫まんごうあいだちゅうくともじんすべからず。 これによりてきょうしゅしゃくそんこの弥陀みだぶつどくしょうようしたてまつりたまひしにも、 ようがなかのようりて、 りゃくしてこのさんみょうでんきたまへり。 ぶつすでにりゃくしたまへり、 そういかんがくわしくするにらん。 ただ善根ぜんごんじょうじゅのために、 かたちのごとくしょうようしたてまつるべし。 弥陀みだぶつないしょうゆうどくりょうなりといへども、 ようるにみょうごうどくにはしかず。 このゆゑにすなはちかの弥陀みだぶつ、 ことにわがみょうごうをもつてしゅじょうさいし、 しゃだいも、 おおくかのぶつみょうごうさんじてらいずうしたまへり。

夫仏功徳百千万劫之間、昼夜トモ不↠可↢窮尽↡。因↠茲教主釈尊奉タマヒシニモ↣称↢揚阿弥陀仏功徳↡、取↢要之要↡、略シテタマヘリ↢此三部妙典↡。仏既ヘリ、愚僧何ンガ足↠委スルニ。但↢善根成就↡、如↠形↠奉↢称揚↡。阿弥陀仏内証外用功徳雖↢無量也ト↡、取↠要不↠如↢名号功徳ニハ↡。是即彼阿弥陀仏、殊以↢我名号↡済↢度衆生↡、釈迦大師、多讃↢彼名号↡流↢通タマヘリ未来↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳

しかればいまそのみょうごうにつきて讃嘆さんだんしたてまつれば、 弥陀みだとはこれ天竺てんじくぼんなり。 ここにはほんじてりょう寿仏じゅぶつといひ、 またはりょう光仏こうぶつともいひ、 またへん光仏こうぶつ無礙むげ光仏こうぶつたい光仏こうぶつ炎王えんのう光仏こうぶつ清浄しょうじょう光仏こうぶつかん光仏こうぶつ智恵ちえ光仏こうぶつだん光仏こうぶつなん光仏こうぶつしょう光仏こうぶつちょう日月にちがっ光仏こうぶつともいふ。 ここにりぬみょうごうのなかにこうみょう寿じゅみょうとのふたつのそなへたりといふことを。 かの弥陀みだぶつ一切いっさいとくのなかには、 寿じゅみょうほんとしこうみょうすぐれたるがゆゑなり。 しかればまたこうみょう寿じゅみょうとくさんじたてまつるべし。

者今付↢其名号↡奉↢讃嘆↡者、阿弥陀トハ者是天竺梵語也。此ニハジテ曰↢無量寿仏↡、又曰↢無量光仏トモ↡、又曰↢無辺光仏・無光仏・無対光仏・炎王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智恵光仏・不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏トモ↡。是名号タリト↧光明与↢寿命↡之二↥云事。彼阿弥陀仏一切徳ニハ、寿命為↠本而光明勝タルガ故也。然者亦可↠奉↠讃↢光明・寿命二徳↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 無量光

まづこうみょうどくかさば、 はじめにりょうこうとは、 ¬きょう¼ (観経) にいはく、 「りょう寿仏じゅぶつ八万はちまんせんそう一々いちいちそうかく八万はちまんせんずいぎょうこう復有ぶう八万はちまんせんこうみょう一々いちいちこうみょうへんじょう十方じっぽうかい念仏ねんぶつしゅじょう摂取せしゅしゃ」 と。 しん (要集巻中) これをかんがへていはく、 「一々いちいちそうのなかにおのおのしちひゃくていろっぴゃくまんこうみょうして、 ねん赫奕かくやくたり」 と。 一相いっそうよりだすところのこうみょうかくのごとし、 いはんや八万はちまんせんそうをや。 まことに算数さんじゅおよぶところにあらず。 ゆゑにりょうこうといふ。

↢光明功徳↡者、初無量光者、¬経¼云、「無量寿仏有八万四千相0142。一一相、各有八万四千随形好。復有八万四千光明。一一光明、遍照十方世界念仏衆生、摂取不捨。」 恵心勘↠之云、「一一中各具シテ↢七百五倶テイ六百万光明↡、熾燃赫奕タリト。」 従↢一相↡所↠出光明如↠斯、況八万四千ヲヤ乎。誠非↢算数↟及。故云↢無量光↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 無辺光

つぎ辺光へんこうとは、 かのぶつこうみょう、 そのかずかくのごとし。 ただりょうなるのみにあらず、 らすところもまた辺際へんざいあることなし。 ゆゑに辺光へんこうといふ。

無辺光トハ者、彼仏光明、其数如↠此。非↢啻無量ナルノミニ↡、所↠照亦無↠有コト↢辺際↡。故云↢無辺光↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 無礙光

つぎ無礙むげこうとは、 このかい日月にちがつとうそくとうひかりのごとくんばひとなりといへども、 ものへだつればそのひかりとおることなし。 もしかの仏光ぶっこうものへらるれば、 このかいしゅじょう、 たとひ念仏ねんぶつすといへども、 そのこうしょうこうむることをべからず。

次無光トハ者、如ンバ↢此日月・灯燭等光↡者雖↢一ナリト↡、隔ツレバ↠物者其光無↠徹ルコト。若仏光被↠↠物者、此界衆生、設雖↢念仏スト↡、不↠可↠得↠蒙↢其光摂↡。

そのゆゑはかの極楽ごくらくかいとこのしゃかいとのあいだに、 じゅう万億まんおく三千さんぜん大世だいせんかいへだてたり。 その一々いちいち三千さんぜん大千だいせんかいにおのおのじゅうてっせんあり。 いはくまずいちてんかこめるてっせんあり、 たかしゅせんひとし。 つぎしょう千界せんかいかこめるてっせんあり、 たか第六だいろくてんいたる。 つぎちゅう千界せんかいかこめるてっせんあり、 たか色界しきかい初禅しょぜんいたれり。 つぎだい千界せんかいかこめるてっせんあり、 たかだいぜんいたれり。 しかればすなはちもし無礙むげこうにあらずんばいちかいなほとおるべからず、 いかにいはんやじゅう万億まんおくかいをや。

彼極楽世界↢此娑婆世界↡之間、隔タリ↢十万億三千大世界↡。其一一三千大千世界各有↢四重鉄囲山↡。謂有↧囲メル↢一四天下↡之鉄囲山↥、高↢須弥山↡。次有↧囲メル↢小千界↡之鉄囲山↥、高↢第六天↡。次有↧囲メル↢中千界↡之鉄囲山↥、高レリ↢色界初禅。次↧囲メル↢大千界↡之鉄囲山↥、高レリ↢第二禅↡。然則若非ンバ↢無光↡者一世界尚不↠可↠徹、何十万億世界ヲヤ耶。

しかるにかのぶつこうみょう、 かれこれそこばくのだいしょう諸山しょせんてっしょうして、 このかい念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしたまふにしょうあることなし。 十方じっぽうかい照摂しょうしょうしたまふことも、 またかくのごとし。 ゆゑに無礙むげこうといふ。

彼仏光明、徹↢照シテ大小諸山↡、摂↢取シタマフニ此界念仏衆生↡無↠有コト↢障↡。照↢摂シタマフ十方世界↡事、亦如是。故云↢無光↡。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 清浄光

つぎ清浄しょうじょうこうとは、 にんしゃくして (述文賛巻中意) いはく、 「とん善根ぜんごんしょしょうひかりなり」 と。

清浄光トハ者、人0143師釈シテ云、「無貪善根所生ナリ也。」

とんあり、 婬貪いんとん財貪ざいとんなり。 清浄しょうじょうとは、 ただ汚穢わえじょうじょきゃくするのみにあらず、 そのふたつのとん断除だんじょするなり。 とんじょうづくるがゆゑなり。 もしかいやくせば、 婬戒いんかい慳貪けんどんかいとにあたれり。 しかれば法蔵ほうぞう比丘びくむかしいん慳貪けんどんしょしょうひかりなり。

有↠二、婬貪・財貪也。清浄トハ者、非↣但除↢却スルノミ汚穢不浄↡、断↢除スル↡也。貪↢不浄↡故ナリ也。若↠戒者、当レリ↢不婬戒不慳貪戒トニ↡。然者法蔵比丘不婬・不慳貪所生之光ナリ

ゆゑにこのひかりるるものは、 貪欲とんよくつみめっす。 もしひとありて、 貪欲とんよくさかんにしていん慳貪けんどんかいたもつことをずといへども、 しんにもつぱらこの弥陀みだぶつみょうごうねんずれば、 すなはちかのぶつとん清浄しょうじょうひかりはなちてしょうそく摂取せっしゅしたまふゆゑに、 婬貪いんとん財貪ざいとんじょうのぞき、 かいかいざいけんめっして、 とん善根ぜんごんとなりて、 かい清浄しょうじょうひとひとしきなり。

触↢此、滅↢貪欲之罪。若↠人、貪欲盛ニシテ雖↠不↠得↠持コトヲ↢不婬・不慳貪↡、至心レバ↢此阿弥陀仏名号↡者、即彼仏放↢無貪清浄之光↡照触摂取タマフ、除↢婬貪・財貪之不浄↡、滅シテ↢無戒・破戒之罪↡、成↢無貪善根↡、均シキ↢持戒清浄↡也。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 歓喜光

つぎかんこうとは、 これはこれしん善根ぜんごんしょしょうひかりなり。 ひさしくしんかいたもちて、 このひかりたまへるゆゑに、 しんしょしょうひかりといふ。 このひかりるるものは、 しんつみめっす。 しかればしんぞうじょうなるひと、 もつぱら念仏ねんぶつしゅすれば、 かのかんこうをもって摂取せっしゅしたまふがゆゑに、 しんつみめっして、 忍辱にんにくひとおなじ。 これまたさき清浄しょうじょうこう貪欲とんよくつみめっするがごとし。

次歓喜光トハ者、此無瞋善根所生ナリ也。久持↢不瞋恚戒↡、得タマヘル↢此光↡故、云↢無瞋所生↡。触ルヽ↢此、滅↢瞋恚↡。然者雖↢瞋増盛ナルヒト、専修スレバ↢念仏↡者、以↢彼歓喜光↡摂取タマフガ、瞋恚罪滅シテ、同↢忍辱↡。亦如↣前清浄光スルガ↢貪欲↡矣。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 智恵光

つぎ智恵ちえこうとは、 これはこれ無痴むち善根ぜんごんしょしょうひかりなり。 ひさしく一切いっさい智恵ちえしゅして、 愚痴ぐち煩悩ぼんのう断尽だんじんして、 このひかりたまふゆゑに、 無痴むちしょしょうひかりといふ。 このひかりはまた愚痴ぐちつみめっす。 しかれば無智むち念仏ねんぶつしゃなりといへども、 かの智恵ちえひかりをもつててらして摂取せっしゅしたまふゆゑに、 すなはち愚痴ぐちとがめっして、 しゃしょうれつあることなし。 またこのひかりのごとくるべし。

智恵光トハ者、此無痴善根所生光也。久シテ↢一切智恵↡、断↢尽シテ愚痴之煩悩↡、得タマフ↢此↡故、云↢無痴所生。此亦滅↢愚痴之罪↡。然者雖↢無智念仏者ナリト↡、照シテ↢彼智恵ヲ以↡摂取シタマフ、即滅シテ↢愚痴↡、与↢智者↡無↠有コト↢勝劣↡。又如↢此↡可↠知。

かくのごとくしてじゅうこうましますといへども、 ようることこれにあり。

シテ↠是而雖↠有マス↢十二光名↡、取コト↠要↠斯

大方おおかたかのぶつこうみょうどくのなかには、 かくのごとくのそなふるなり。 こまかにあかさばしゅあるべし。 おおきにわかちてあり。 いはくいちにはじょうこうには神通じんずうこうなり。

0144彼仏光明之功徳ニハ、備ナリ↢如↠是義↡。細カニ者可↠有↢多種↡。大有↠二。謂ニハ常光、二ニハ神通光ナリ也。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 常光

はじめにじょうこうとは、 諸仏しょぶつじょうこう、 おのおのぎょうしたがひて、 遠近おんごんじょうたんあり。 あるいは (金光明疏巻四本蓮華喩品) じょうこう面各めんかく一尋いちじんそう」 といへり。 しゃぶつじょうこうのごとき、 これなり。 あるいはしちしゃくらし、 あるいはいちらし、 あるいはいちじゅんらし、 あるいはさんないひゃくせんじゅんらし、 あるいはいちてんらし、 あるいは一仏いちぶつかいらし、 あるいはぶつ三仏さんぶつないひゃく千仏せんぶつかいらす。

常光トハ者、諸仏常光、各オノ↢意楽↡、有↢遠近・長短↡。或ヘリ↢「常光、面各一尋相」↡。如↢釈迦仏常光↡、是ナリ也。或照↢七尺↡、或↢一里↡、或照↢一由旬↡、或照↢二・三・四・五乃至百千由旬↡、或照↢一四天下↡、或照↢一仏世界↡、或照↢二仏・三仏乃至百千仏世界↡。

この弥陀みだぶつじょうこうは、 八方はっぽうじょう央数おうしゅ諸仏しょぶつこくにおいてらさざるといふところなし。 八方はっぽうじょう極楽ごくらくにつきて方角ほうがくすなり。 このじょうこうにつきてせつあり。 すなはち ¬びょう等覚どうがくきょう¼ にはべっしてこうす。 ¬かんぎょう¼ にはそうじて 「身光しんこう」 といふ。 かくのごとくせつ、 ¬おうじょうようしゅう¼ にこれをかんがへたり、 るべし。 じょうこうとは、 長照じょうしょうだんらすひかりなり。

此阿弥陀仏常光、於↢八方上下無ワウ諸仏国土↡無↠所↠不ト云↠照。八方上下付↢極楽↡指↢方角↡也。就↢此常光↡有↢異説↡。則¬平等覚経ニハ¼別シテ↢頭光↡。¬観経ニハ¼総ジテ云↢「身光」↡。如↠是異説、¬往生要集¼勘タリ↠之、可↠見矣。常光トハ者、長照不断光也。

・第三七日 阿弥陀仏 名号功徳 光明功徳 神通光

つぎ神通じんずうこうとは、 これべつらすひかりなり。 しゃ如来にょらいの ¬法華ほけきょう¼ をかんとほっしたまひしとき東方とうぼうまん八千はっせんらせしがごときは、 すなはち神通じんずうこうなり。 弥陀みだぶつ神通じんずうこうは、 摂取せっしゅしゃこうみょうなり。 念仏ねんぶつしゅじょうあるときらし、 念仏ねんぶつしゅじょうなきときらしたまふことなきがゆゑなり。

神通光トハ者、別時光也。如↧釈迦如来タマヒシ↠説↢¬法華経¼↡之、照シガ↦東方万八千土↡者、則神通光ナリ也。阿弥陀仏神通光者、摂取不捨光明ナリ也。有↢念仏衆生↡之時、無↢念仏衆生↡之時↠照タマフコト故也。

善導ぜんどうしょう ¬かんぎょうしょ¼ (定善義) にこの摂取せっしゅこうみょうしゃくしたまふしたに、 「こうしょう遠近おんごんかす」 といへり。 これ念仏ねんぶつしゅじょうしょ遠近おんごんにつきて、 摂取せっしゅこうみょう遠近おんごんあるべしとのなり。 たとひ一房いちぼうのなかにじゅうしたりとも、 ひがしりてたらんひと念仏ねんぶつもうさんには、 摂取せっしゅこうみょうとおらし、 西にしりてたらんひと念仏ねんぶつもうさんにはこうみょうちからすべし。 これをもつてじゅんじてこころれば、 いちじょううち一国いっこくうちいちえんだいうち三千さんぜんかいうちないほう各別かくべつかい、 かくのごとくるべし。

善導和尚¬観経¼釈タマフ↢此摂取光明↡下、云ヘリ↠「明↢光照遠近↡。」付↢念仏衆生所居遠近↡、摂取光明トノ↠有↢遠近↡之義也。設タリトモ↢一房↡、寄↠東タラン人念仏申ンニハ、摂取光明遠照、寄↠西ラン念仏申ンニハ光明近↠照。以↠此準0145、一城内、一国内、一閻浮提内、三千世界内、乃至他方各別世界、如↠是↠知

しかれば念仏ねんぶつしゅじょうにつきてこうみょう遠近おんごんありとしゃくしたまへること、 ことにいはれたることとこそおぼそうらへ。 これすなはち弥陀みだぶつ神通じんずうこうなり。

者付↢念仏衆生↡釈タマヘル↠有↢光明遠近↡事、殊タル↠云事トコソ則阿弥陀仏神通光ナリ也。

諸仏しょぶつどくはいづれのどくもみな法界ほっかいへんすといへども、 どくはそのそうあらわれたることなし。 ただしこうみょうのみありて、 まさしく法界ほっかいへんせるそうあらわせるどくなり。 ゆゑにもろもろのどくのなかにこうみょうをもつてもつともすぐれたりとしゃくしたまふなり。

諸仏功徳功徳皆雖↠遍↢法界↡、余功徳相無↢顕タル事↡。但↢光明ノミ↡、正セル↧遍↢法界↡之相↥功徳也。故功徳↢光明↡最タリト也。

また諸仏しょぶつこうみょうのなかには弥陀みだ如来にょらいこうみょうなほすぐれたまへり。 このゆゑにきょうしゅしゃくそんさんじて (大経巻下) いはく、 「りょう寿仏じゅぶつじんこうみょう最尊さいそん第一だいいちにして、 諸仏しょぶつこうみょうおよぶことあたはざるところなり」 と。 また (大経巻下) いはく、 「せつりょう寿仏じゅぶつこうみょうじん巍々ぎぎしゅみょうちゅう一劫いっこうしょうのうじん」 と。 これはこれ、 かのぶつこうみょうぶつこうみょうとを相対そうたいしてそのしょうれつ校量きょうりょうせんに、 かのぶつおよばざるぶつかぞへんに、 ちゅう一劫いっこうすともそのかずつくすべからずとべたまふなり。

又諸仏光明ニハ弥陀如来光明ヘリ。是故教主釈尊讃、「無量寿仏威神光明、最尊第一、諸仏光明所不↠能↠及コト。」 又云、「我説無量寿仏光明威神巍巍殊妙、昼夜一劫、尚未能ジン。」 、彼光明↢与仏光明↡相対シテ校↢量センニ其勝劣↡、計エンニ↧不↠及↢彼↡之仏↥、昼夜一劫ストモ不↠可↣知↢尽其数↡宣給也。

かくのごときしゅしょうひかりたまふことは、 すなはちいんがんぎょうむくひたり。 いはくかのぶつ法蔵ほうぞう比丘びくむかしざい王仏おうぶつみもとにおいて、 ひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつこうみょうたてまつりて、 せんじゃくゆいしてがんじて (大経巻上) のたまはく、 「もしわれぶつんに、 こうみょうよくげんりょうありて、 しもひゃく千億せんおく由他ゆたしょ仏国ぶっこくらさざるにいたらば、 しょうがくらじ」 と。 このがんおこしてのちちょうさい永劫ようごうあいだこうとくかさねて、 がんぎょうともにあらわして、 このひかりたまへり。

タマフ↢如↠是殊勝↡事、則酬タリ↢因位願行↡。謂仏、法蔵比丘昔、於↢世自在王仏↡、奉↠見↢二百一十億諸仏光明↡、撰択思惟シテジテハク、「設ンニ↠仏、光明有↢能限量↡、下至↠不ルニ↠照↢百千億那由他諸仏国↡者、不↠取↢正覚↡。」 シテ↢此↡後、兆載永劫之間積↠功累↠徳、願行倶シテ、得タマヘリ↢此↡。

ぶつざいとう比丘びくといふひとありき。 うまれしときゆびよりひかりはなちてじゅうらすことあり。 のちぶつ弟子でしとなりて、 しゅっしてかんたり。 ゆびよりひかりはな因縁いんねんによりて、 づけてとう比丘びくといへり。 過去かこじゅう一劫いっこうむかし婆尸ばしぶつときふる仏像ぶつぞうゆびそんじたまへるをしゅうしたてまつりしどくによりて、 すなはちゆびよりひかりはなほうたるなり。

仏在世↢灯指比丘ト云人↡。生時有↣従↠指放↠光照コト↢十里↡。後↢仏弟子↡、出家シテタリ↢羅漢果↡。依↢従↠指放↠光0146之因縁↡、名ヘリ↢灯指比丘↡。過去九十一劫昔、毘婆尸仏↧奉↣修↢理仏像ジタマヘルヲ↡之功徳↥、則得タル↢従↠指放↠光之報↡也。

またぼん比丘びくといふひとあり。 よりひかりはなちていちじゅんらせり。 これ過去かこぶつとうみょうたてまつりしゆゑなり。

又有↢梵摩比丘ト云人↡。従↠身放↠光セリ↢一由旬↡。是過去リシ↢仏於灯明↡故ナリ也。

またぶつ弟子でし阿那あなりつは、 仏法ぶっぽうにおいて睡眠すいめんしたりしことありき。 ぶつこれを種々しゅじゅたんしたまふ。 阿那あなりつ、 すなはちさんしんおこして睡眠すいめんつ。 七日しちにちのち、 そのひらけながらそのまなこえずなりぬ。 これを医師いしふに、 医師いしこたへていはく、 ひとじきをもつていのちとす、 まなこねむりをもつてじきとす。 もしひと七日しちにちじきせざらんに、 いのちあにきざらんや。 しかればすなはちいのちりょうおよぶところにあらず。 いのちきぬるひとりょうよしなきがごとしと 。 そのときぶつこれをあわれみて、 天眼てんげんほうおしへたまふ。 すなはちこれをしゅしてかえりて天眼てんげんたり。 すなはち天眼てんげん第一だいいち阿那あなりつといへるこれなり。

又仏御弟子阿那律、於↢仏法↡有↢睡眠シタリシ事↡。仏是種々タン。阿那律、即発シテ↢懺悔↡断↢睡眠↡。経↢七日↡後、其目乍↠開リヌ↢其眼不↟見。問↢之医師↡、医師答曰、人↠食為↠命、眼↠睡為↠食。若人七日不ンニ↠食、命豈ンヤ↠尽乎。然則命非↢医療之所↟及。如シト↢命尽ヌル医療無 。爾時仏哀↠之、教タマフ↢天眼之法↡。即修シテ↠之タリ↢天眼↡。則云ヘル↢天眼第一阿那律↡是ナリ也。

過去かこ仏物ぶつもつぬすまんとほっしてとうのなかにりて、 とうみょうすでにえなんとほっするをて、 ゆみはずをもつてこれをかきあぐ。 そのとき忽然こつねんとしてかいしんおこして、 あまつさへじょう道心どうしんおこしたりき。 それよりこのかた、 生々しょうしょう世々せせりょうふくたり。 いましゃしゅっとき、 つひに得脱とくだつして、 またかくのごとく天眼てんげんたり。 これすなはちかのとうみょうかかげたりしどくによるなり。

過去シテ↠盗↢仏物↡入↢于塔中↡、見↢灯明既スルヲ↟消ナント、以↢弓ハズ↡挑↠之。爾時忽然トシテシテ↢改悔↡、剰タリキ↢無上道心↡。従以来、生生世世タリ↢無量↡。今釈迦出世時、遂得脱シテ、亦如↠是タリ↢天眼↡。則由↧挑タリシ↢彼灯明↡之功徳↥也。

しかればぶつとうみょうたてまつるは、 あるいはこうみょうごうなり、 あるいは天眼てんげんごうなり。 これらの因縁いんねんおもふにも、 弥陀みだぶつこうみょうどくに、 法蔵ほうぞう比丘びくちょうさい永劫ようごう修因しゅいん、 いかばかりかはかられそうらひけんとそうろふなり。

ルハ↢仏於灯明↡、或光明之業也、或天眼之業也。思ニモ↢此等因縁↡、阿弥陀仏之光明功徳、法蔵比丘之兆載永劫之修因、リカケント被↢押計↡候也。

いまこのだいほっ禅門ぜんもんじゅうはちとうみょうかかげて、 じゅうはち願王がんおうたてまつりたまへる、 すなはちこうみょうごうなり、 また天眼てんげんごうなり。 しかるにそうじて念仏ねんぶつごうじょうじゅして、 かの仏国ぶっこくしょうずることをつれば、 べっして相好そうごう神通じんずうとういんしゅせずとも、 かのぶつ願力がんりきによりて、 さんじゅうそうして神通じんずう。 そのさんじゅうそうのなかにこうみょうそうあり、 その神通じんずうのなかに天眼てんげんつうあり。 しかればいたはしくそのごうしゅせずといへども、 べっしてまたかくのごとくとうみょうをもようしたらんひとは、 いかでかそのしるしなからんや。 おなじくそくするこうみょうなりともしょうれつそうらひぬとおぼそうろふ。 こうみょうどくぞんりゃくかくのごとし。

今此大法主禅門、挑↢四十八灯明↡、奉↢四十八之願王↡給ヘル、即光明業也、亦天眼ナリ也。然ジテ念仏業成0147シテ、得ツレバ↠生コトヲ↢彼仏国↡、別シテトモ↠修↢相好神通等↡、依↢彼願力↡、具シテ↢三十二相↢五神通↡。其三十二相有↢光明相↡、其神通有↢天眼通↡。然雖↢労シク↟修↢其業↡、別シテ又供↢養シタラン↠此灯明ヲモ↡之人、争デカンヤ↡乎。同具足スル光明ナリトモ勝劣候イヌト候。光明功徳、存略如↠此。

・第三七日 寿命功徳

つぎ寿じゅみょうどくは、 諸仏しょぶつ寿じゅみょうぎょうしたがひてじょうたんあり。 これによりてしんそう (小経略記意) 四句しくつくりたまへり。 「あるいはぶつ寿じゅみょうながく、 しょしゅじょういのちみじかきあり。 こう如来にょらいのごとき、 ぶついのちじゅうしょうこうしゅじょういのちはちしょうこうよりなり。 あるいはのうぶついのちみじかく、 しょしゅじょういのちながきあり。 月面がつめん如来にょらいのごとき、 ぶついのち一日いちにちいちしゅじょういのち十歳じっさいなり。 あるいはのうしょともにいのちみじかきあり。 しゃ如来にょらいのごとき、 ぶつしゅじょうもともにはち十歳じっさいなり。 あるいはのうしょともにいのちながきあり。 弥陀みだ如来にょらいのごとき、 ぶつしゅじょうもともにりょうさいなり」 と。

寿命功徳者、諸仏寿命随↢意楽↡有↢長短↡。依↠之恵心僧都作タマヘリ↢四句↡。「或↢仏寿命、所化衆生命短↡。如↢花光如来↡、仏十二小劫、衆生八小劫ヨリ也。或有↢能化命短、所化衆生命長。如↢月面如来↡、仏一日一夜、衆生五十歳也。或有↢能化・所化倶命短↡。如↢釈迦如来↡、仏衆生八十歳也。或有↢能化・所化倶命長↡。如↢阿弥陀如来↡、仏衆生無量歳ナリ也。」

ゆゑに ¬きょう¼ (大経巻上) にいはく、 「仏告ぶつごうなんりょう寿仏じゅぶつ寿じゅみょうじょう不可ふかしょう汝寧にょねい知否ちひ仮使けし十方じっぽうかいりょうしゅじょう皆得かいとく人身にんじんしつりょうじょうじゅしょうもん縁覚えんがく都共とぐ推算すいさんぜん一心いっしんげつりきひゃくせん億劫おくこうしつ推算すいさん寿じゅみょうじょうおんしゅのうじん知其ちご限極げんごくしょうもんさつ人天にんでんしゅ寿じゅみょうじょうたんやくにょ算数さんじゅ譬喩ひゆ所能しょのう知也ちや」 と。

¬経¼云、「仏告阿難、無量寿仏寿命長久不可勝計。汝寧知否。仮使十方世界無量衆生、皆得人身、悉令成就声聞・縁覚、都共推算計、禅思一心竭其智力、於百千億劫悉共推算計其寿命長遠之数、不能窮尽知其限極。声聞・菩薩・人天之衆寿命長短亦復如是。非算数・譬喩所能知也。」

ただしもし神通じんずうだいさつとうかぞへたまはんには、 一大いちだい恒沙ごうじゃこうなり。 ¬大論だいろん¼ のこころをもつてしんこれをかんがへたまへり。 このかずじょうぼんかぞるべきところにあらず。 ゆゑにりょうといふなり。

神通之大菩薩0148等計ハンニハ、一大恒沙劫也。以↢¬大論¼意↡恵心勘タマヘリ↠之。此数非↢二乗凡夫所↟可↢数知↡。故云↢無量↡也。

そうじてぶつどくろんずるに、 のうしょ二義にぎあり。 寿じゅみょうをもつてのうといひ、 自余じよとしてもろもろのどくをことごとくしょといふなり。 寿じゅみょうはよくもろもろのどくす。 一切いっさい万徳まんどくは、 みなことごとく寿じゅみょうせらるるゆゑなり。 これはとうどう私義しぎなり。 すなはちかのぶつ相好そうごうこうみょう説法せっぽうしょうとう一切いっさいどく、 およびこく一切いっさいしょうごんとうのもろもろのらくとう、 ただかのぶつ寿じゅみょうなくは、 かれらのどくしょうごんとうなにによりてかとどまるべき。

ジテルニ↢仏功徳↡、有↢能持・所持二義↡。以↢寿命↡云↢能持↡、自余トシテ功徳云↢所持↡也。寿命持↢諸功徳↡。一切万徳、皆悉寿命ルヽ↠持故也。此当座導師私義也。即彼相好・光明・説法・利生等一切功徳、及国土一切荘厳等快楽事等、只無クハ↢彼仏寿命↡者、彼等功徳・荘厳等依テカ↠何↠留

しかればじゅう八願はちがんのなかにも、 寿じゅみょうりょうがん自余じよのもろもろのがんをばおさめたるなり。 たとひだいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんひろしょせっしてさいするにたりといへども、 仏寿ぶつじゅもしみじかくは、 そのがんなほひろからず。 そのゆゑは、 もしはひゃくさい千歳せんざい、 もしは一劫いっこうこうにしてぞんじましまししかば、 いまのときしゅじょうはことごとくそのがんるべし。 かのぶつじょうぶつのち十劫じっこうぎたるがゆゑなり。 これをもつてこれをおもへば、 さいしょう方便ほうべん寿じゅみょうじょうおんなるにぎたるはなく、 だいだい誓願せいがん寿じゅみょうりょうなるにあらわるるゆゑなり。

然者四十八願ニモ、寿命無量タル↢自余ヲバ也。設雖↧第十八念仏往生タリト↦広摂シテ↢諸機↡而済度スルニ↥、仏寿若短者、其願猶不↠広カラ。其者、若百歳千歳、若一劫二劫ニシテマシマシシカバ者、今時衆生↠漏↢其願↡。彼仏成仏之後、過タルガ↢十劫↡故也。以↠之ヘバ↠之、済度利生之方便無↠過タルハ↢寿命長遠ナルニ↡、大慈大悲之誓願ルヽ↢于寿命無量ナルニ↡故也。

このしゃかいひとも、 寿いのちをもつて第一だいいちたからとす。 七珍しっちん万宝まんぼうくらうちつるも、 りょうきんしゅうはこそこたたへたるも、 いのちきたるほどぞわがたからにてはあれ、 まなこじぬるのちにはみなひとものなり。

此娑婆世界、以↠寿為↢第一↡。七珍万宝之満↢倉↡、綾羅錦繍之湛タルモ↢箱↡、命キタルニテハ、眼閉ヌル之後ニハ皆人物也。

しかればげんじょう三蔵さんぞうほうのために天竺てんじくわたりたまひしとき、 あるさんちゅうにおいて盗人ぬすびとへり。 あらゆる財宝ざいほうしんじょうしょういたるまでことごとくうばられぬ、 弟子でしども散々ちりぢりりぬ。 三蔵さんぞうあるいえうちのがりて蓮葉れんようかくれたまへり。 かくのごとくして盗人ぬすびとりてのちに、 弟子でしどもひがしのかた西にしのかたよりきたあつまりてひたり。 三蔵さんぞういけのなかよりでたまひて、 さらになげきたまはず、 あまつさへよろこびたまへり。

者玄奘三蔵為↢求法↡度タマヒシ↢天竺、於↢或山中↡遇ヘリ↢盗人↡。諸有財宝至マデ↢身上衣装↡悉レヌ↢奪取↡、弟子共散散リヌ。三蔵逃↢入↡隠タマヘリ↢蓮葉↡。如シテ↠是盗人去、弟0149子共自↢東西↡来タリ。三蔵自↢池中↡出給、更不↠歎タマアマツサ悦給ヘリ

弟子でしあやしみてひたてまつりてもうすやうは、 これあさざりきことひたまへり、 何事なにごとよろこびたるしきにてはましますぞと。 三蔵さんぞうこたへていはく、 われ盗人ぬすびとのために第一だいいちたからられず、 なんぞよろこばずんやと。 弟子でしらまたもうすやうは、 すでにぎょうおよぶまでられおはりぬ、 またなん残物ざんもつあるやと。 またこたへたまふやうは、 このにおいていのちぎたるたからなし、 いのちもしきばまたほかたからべきがゆゑなり。 わがちょう俗書ぞくしょにも 「せい大宝だいほうとす」 といへり。 われいまかの盗人ぬすびとのためにこのいのちうばはれず、 これにぎたるよろこびやあるべきとこたへたまへり。

弟子等怪ミテ↠問申様、遇タマヘリ浅猿↡、何事タル気色ニテハゾト乎。三蔵答曰、↢盗人↡不↠被↠取↢第一↡、何ンヤト↠慶耶。弟子等又申様、既マデ↢裸形↡被↢取↡畢、亦有ルヤ↢何残物↡乎。又答タマフ、於↢此↡無↢過タル↠命宝↡、命若活キバ者又可↠得↢他之宝↡故也。我朝俗書ニモヘリ↣「生↢大宝↡。」我今為↢彼盗人↡不↠奪↢此↡、可↠有↢過タル↠之悦↡答タマヘリ

そののちりゅうじゃこのきて、 十方じっぽうだんすすめて種々しゅじゅ財宝ざいほうあつめてげんじょう三蔵さんぞうもとおくつかはす。 そのたから前々まえまえぎたることきょうにあらず、 たちまちに三蔵さんぞうことばかなへり。 さほどのほんぎょう三蔵さんぞうあながちにいのちおしむべきにあらずといへども、 けんほうしたがひてしかのごとくべたまへけるにやとぞおぼそうろふ。

後龍智阿闍梨聞↢此↡、勧↢十方旦那↡集↢種種財宝↡送↢遣玄奘三蔵↡。其宝過タルコト↢前前↡非↢比校↡、忽ヘリ↢三蔵↡。左程翻経之三蔵強チニ雖↠非↠可キニ↠惜↢身↡、随↢世間↡如↠然宣給ケルニヤトゾ耶覚候。

弥陀みだ如来にょらい寿じゅみょうりょうがんおこしたまひけんも、 おんのためにちょう寿じゅほうもとめたまふにはあらず。 さいしょうひさしかるべきため、 またしゅじょうをしてごんしんおこさしめんがためなり。 一切いっさいしゅじょうはみな寿いのちながことねがふゆゑなり。 およそかのぶつどくのなかには、 ただ寿じゅみょうりょうとくそなへたまふにぎたることそうらはず。

弥陀如来シタマヒケンモ↢寿命無量↡、非↧為↢御身↡求タマフニハ↦長寿之果報↥。↢済度利生↟久カル、又為ナリ↠令ンガ↣衆生ヲシテ↢欣求之心↡也。一切衆生皆願↢寿長事↡故ナリ也。凡彼功徳ニハ、只過タル↠備タマフニ↢寿命無量↡事不↠候也。

このゆゑに今日こんにち講讃こうさんせられたまへる ¬双巻そうかんぎょう¼ のだいにも 「りょう寿じゅきょう」 といへり。 おなじくかのぶつみょうごうなりとはいへども、 りょうこうきょうとはいはず。 ずいちょうよりさきやくには、 みなきょうのなかにしゅうとあることえらびて、 せんきてりゃくぞんじてその題目だいもくとなす。 すなはちこの ¬きょう¼ のせんには弥陀みだ如来にょらいどくくなり、 そのどくのなかにはこうみょうりょう寿じゅみょうりょう二義にぎそなへたり。 そのなかにはまた寿じゅみょうなほさいしょうなり、 ゆゑに 「りょう寿じゅきょう」 とづくるなり。

今日被タマヘル↢講讃↡¬双巻経¼題ニモヘリ↢「無量寿経」↡。同雖↢彼名号ナリトハ↡、不↠云↢無量光経トハ↡。従↢隋朝↡前旧訳ニハ、皆撰↢経有↠宗↡、抽↠詮ジテ↠略為↢其題目↡。則此¬経¼詮ニハ↢阿弥陀如来功徳↡也。其功徳之中ニハタリ↢光明無量・寿命無量二義↡。其ニハ又寿命猶最勝ナリ也、故0150↢「無量寿経」↡也。

またしゃ如来にょらいどくのなかには、 おんじつじょうむねあらわせるをもつてしゅしょう甚深じんじんこととなせり。 すなはち ¬法華ほけきょう¼ に 「寿じゅりょうぼん」 とてかれたり。 じゅう八品はちぼんのなかには、 このほんをもつてしょうとす。 まことにるべし、 諸仏しょぶつどくにも寿じゅみょうをもつて第一だいいちどくとす、 しゅじょうたからにもいのちをもつて第一だいいちたからとすといふことを。

又釈迦如来之功徳ニハ、以↠顕セルヲ↢久遠実成之旨↡而為セリ↢殊勝甚深↡。則¬法華経¼タリ説↢「寿量品トテ」↡。二十八品ニハ、以↢此↡為↠勝。誠ベシ、諸仏功徳ニモ↢寿命↡為↢第一功徳↡、衆生之宝ニモ↠命為↢第一↡云事

それ寿いのちながほうることは、 しゅじょう飲食おんじきあたへ、 またものいのちころさざるを業因ごういんとするなり。 いんとはみな相応そうおうすることなれば、 じきしてすなはちいのちつづくるがゆゑに、 じきあたふるはすなはちいのちあたふるなり。 せっしょうかいたもつもまたしゅじょういのちたすくるなり。 ゆゑに飲食おんじきをもつてしゅじょう施与せよし、 慈悲じひじゅうしてせっしょうかいたもてば、 かならず長命じょうみょうほうるなり。

コトハ↢寿長果報↡者、与↢衆生飲食↡、又不ルヲ↠殺↢物↡為↢業因↡也。因↠果皆相応スルナレバ者、食シテ則続↠命故、与ルハ↠食則与↠命也。持↢不殺生戒↡亦助↢衆生↡也。故↢飲食↡施↢与衆生↡、住シテ↢慈悲↡持↢不殺生戒↡者、必得↢長命果報↡也。

しかるにかの弥陀みだ如来にょらいは、 すなはちがんぎょうあひたすけてこの寿じゅみょうりょうとくじょうじゅしたまへるなり。 がんとは、 じゅう八願はちがんのなかのだいじゅうさんがん (大経巻上) にいはく、 「もしわれぶつんに、 寿じゅみょうよくげんりょうありて、 しもひゃく千億せんおく由他ゆたこういたらば、 しょうがくらじ」 と。 ぎょうとは、 かのがんてたまひてのち央数おうしゅこうあいだ、 またせっしょうかいたもてり。 また一切いっさいぼんしょうにおいて、 飲食おんじきやくよう施与せよしたまへるなり。 これはこれ弥陀みだ如来にょらい寿じゅみょうどくなり。

彼阿弥陀如来、則願行相助成↢就タマヘル此寿命無量↡也。願トハ者、四十八願第十三、「設ンニ↠仏、寿命有↢能限量↡、下至↢百千億那由他劫↡者、不↠取↢正覚↡。」 トハ者、立タマヒテ↢彼↡之後無央数劫之間、又持↢不殺生戒↡。又於↢一切凡聖↡、供↢養施↣与飲食・医薬↡給ヘル也。阿弥陀如来寿命功徳也。

ゆゑにりぬこのげきしゅうじっにちあいだぶつそういとなみには、 しかしながら寿じゅみょうじょうおんごうなり。 たとひその業因ごういんしゅせずともかのくにしょうずることをるは、 ただぶつ願力がんりきによりてりょういのちそなふ。 いかにいはんやかくのごとくかさねて業因ごういんしゅしましまさんをや。 しかればすなはちすでにじゅう八灯はっとうかかげてまたじゅう八種はっしゅそなふること、 ねんじょう寿いのちうえにかさねてりょう寿いのちへ、 任運にんうんとくしょうひかりうえになほさいしょうひかりさんとなり。

逆修五十箇日供仏施僧之営ニハ、併寿命長遠業也。設トモ↠修↢其業因↡得↠生コトヲ↢彼国↡者、唯由↢仏願力↡備↢無量↡。何況↠是重↢業因↡坐ヲヤ。然レバ則既ゲテ↢四十八灯↡亦備コト↢四十八種↡、自然長久寿↢無量之寿↡、任運得生猶増サント↢最勝之光↡也0151

弥陀みだ如来にょらいこうみょう寿じゅみょうどくりゃくぞんずるにかくのごとし。

弥陀如来光明・寿命之功徳、存↠略如↠斯

・第三七日 弥陀入滅

かのぶつかくのごとく寿じゅみょうりょうなりといへども、 またはん隠没おんもつまします。 これにつきてあわれなることとこそそうらへ。 どうしゃくぜん念仏ねんぶつしゅじょうにおいてじゅうりょうやくありとしゃくしたまへり。 そのじゅうやくかすに、 すなはち ¬観音かんのんじゅきょう¼ (意) きていはく、 「弥陀みだぶつじゅう寿じゅみょうちょうさい永劫ようごうのちめつしたまひて、 ただ観音かんのんせいしゅじょういんじょうしたまふことあるべし。 そのときに、 一向いっこうにもつぱら念仏ねんぶつしておうじょうしたるしゅじょうのみ、 つねにぶつたてまつること、 めっしたまはざるがごとし。 ぎょうおうじょうしゅじょうは、 たてまつらず」 といへば、 おうじょうてんうへには、 そのときまでのことはあまりのことぞ、 とてもかくてもありなんとおぼえぬべくそうらへども、 そのときのぞみては、 かなしかるべきことにてこそそうらへ。

彼仏如↠是雖↢寿命無量ナリト↡、又有マス↢涅槃隠没之期↡。付↠之ナルコソ矣。道綽禅師釈↧於↢念仏衆生↡有リト↦始終之両益↥給ヘリ。明スニ↢其終益↡、則引↢¬観音授記経¼云、「阿弥陀仏、住世寿命、兆載永劫後滅度シタマヒテ、可↠有↣但観音・勢至引↢摂シタマフコト衆生↡。爾時、一向念仏シテ往生シタル衆生ノミ、常ルコト↠見↠仏、如↠不ルガ↠滅タマハ。余行往生衆生、不↠奉↠見」云ヘバ者、得テン↢往生↡之上ニハ者、其マデノリノ左右トテモカクテモナント↠覚ヘドモ、臨テハ↢其↡、可↠悲カルニテコソ

かのしゃくそんにゅうめつ有様ありさまにても、 はからるべくそうろふなり。 しょうかんじんだいも、 めつ現滅げんめつりながら、 とうべつかなしみへずして、 てんあおして、 哀哭あいこくきゅうしき。 いはんやしょうしゅじょうをや、 浅識せんしきぼんをや、 ないりゅうじんはちじゅうるいも、 およそはんいちたんないだながさずといふことなし。 しかのみならずしゃりんこずえ抜提ばつだいみずすべせん渓谷けいこく草木そうもく樹林じゅりんも、 みなあいしょういろあらわしき。

釈尊入滅有様ニテモ、可↢推ラル↡候也。証果羅漢・深位大士、乍↠知↢非滅・現滅之理↡、不シテ↠堪↢当時別離↡、仰↠天シテ↠地、哀哭悲泣シキ。況未証衆生ヲヤ乎、浅識凡愚ヲヤ乎、乃至龍神八部五十二類、凡涅槃之一会無↠不ト云コト↠流↢悲歎之涙↡。加之沙羅林、抜提河之水、山河・渓谷・草木・樹林、皆顕シキ↢哀傷之色↡。

しかればすなはち過去かこきてらいおもひ、 穢土えどなぞらへてじょうるに、 かの弥陀みだぶつ衆宝しゅほうしょうごんこくかくれ、 はんじゃくめつどうじょうりたまひてのち八万はちまんせん相好そうごうふたたびげんずることなく、 りょうへんこうみょうながらすことなからんとき、 かのしゅじょう人天にんでんとうあいおもいれんこころざし、 いかばかりかはそうろふべき。 七宝しっぽうねんはやしなりとも、 はっにょみずなりとも、 みょう軟草なんそういろも、 がん鴛鴦えんおうこえも、 いかにかそのときらざらんや。 じょうことなりといへども、 そんめつすでにことなることなし。 めいこころかはれりといへども、 しょれんなんぞかわることあらんや。

然則聞↢過去↡思↢未来↡、ナゾラヘテ↢穢土ルニ↢浄土↡、彼阿弥陀仏之隠↢衆宝荘厳国土↡、入タマヒテ↢涅槃寂滅道場↡之後、八万四千之相好無↢再現コト↡、無量無辺之光明無ラン↢永コト↡之、彼衆生人天等、悲哀之思、恋慕之志、何許カハ↠候。七宝自然之林ナリトモ、八功如意之水0152ナリトモ、名花・軟草之色ガン・鴛鴦之音、何ニカラン↠知↢其時↡耶。浄穢雖↢土異リト↡、世尊滅度既↠異コト↡。迷悟雖↢心カハレリト↡、所化悲恋何ンヤ↠易ハルコト乎。

このしゃかいぼんばくひとことこころ相応そうおうせず。 ぎょう格別かくべつにしてつねにはいし、 たがひにえんするにだにも、 あるいは父母ぶもとなりあるいはていともなり、 あるいはさいちぎりをもむすび、 あるいはぼうことばをもして、 しばらくもひ、 またれぬれば、 遠近おんごんさかいへだて、 ぜんしょうあらためて、 かくのごとくきてもしても、 わかれぐるときには名残なごりおしこころたちまちにもよおし、 かなしみへずしてなみだおさへがたきことにてこそそうらへ。

此娑婆世界凡夫、具縛之事与↠心不↢相応↡。意楽格別ニシテ而常違背、互厭悪スルニダモ、或↢父母↡或成↢師弟トモ↡、或↢夫妻之契ヲモ↡、或シテ↢朋友之語ヒヲモ↡、暫、亦馴ヌレバ者、隔↢遠近之境↡、改↢前後↡、如↠是生キテモ矣死テモ矣、告グル↠別レヲ之時ニハ↢名残↡之心忽、不シテ↠堪↠悲之涙難↠押ニテコソ

いかにいはんやかのぶつは、 うちには慈悲じひ哀愍あいみんこころをのみたくわへてましませば、 れたてまつるにしたがひていよいよむつまじく、 ほかには見者けんじゃえんとくそなへましませば、 たてまつるごとにいやめづらなるをや。 まことにりょう永劫ようごうあいだ朝夕あさゆう万徳まんどく円満えんまんかおはいしたてまつり、 ちゅうべんぐうこえれたてまつりて、 ぎょう讚仰さんごうし、 随逐ずいちくきゅうして、 ぎたらんここながたてまつらざらんことになりたらんばかり、 かなしかるべきことそうろふべき。 無有むうしゅさかひしょ妄想もうぞうところなりといへども、 いちはさこそおぼそうろふらめ。

、内ニハヘテ↢慈悲哀愍之心ヲノミ↡坐セバ者、随↠奉ルニ↠馴弥昵ジク、外備↢見者無厭之徳マシマセバ者、毎↠奉↠見長珍哉イヤメヅラナルヲヤ。実無量永劫間、朝夕奉↠拝↢万徳円満カホ↡、昼夜↠馴↢四弁無窮之御音↡、恭敬讚仰、随逐給仕シテ、過タラン之心地タラン↢永不↠奉↠見事バカリ、可↠悲カル↠候。雖↢無有衆苦、離諸妄想之所也ト↡、一事コソラメ矣。

それにもとのごとくたてまつりてはることのなからんことは、 まことにあわれりがたきこととこそおぼそうらへ。 これすなはち念仏ねんぶついちぎょうはかのぶつ本願ほんがんなるがゆゑなり。 さればおなじくはおうじょうねがはんひと専修せんじゅ念仏ねんぶつ一門いちもんよりるべきなり。

レニ↠本↠見無ラン↢改ハル↡事、実難↠有事トコソ覚候。是則念仏一行彼仏本願ナルガナリ也。爾者サレバクハハン↢往生↡人、従↢専修念仏一門↡可↠入也。

・第三七日 大経

つぎに ¬双巻そうかんりょう寿じゅきょう¼ は、 じょうさんきょうのなかにはなほこの ¬きょう¼ を根本こんぽんとするなり。 そのゆゑは一切いっさい諸善しょぜんがん根本こんぽんとす。 しかるにこの ¬きょう¼ には弥陀みだ如来にょらいいんがんくにいはく、 乃往ないおう過去かこおんりょうしゅこうぶつましまして、 ざい王仏おうぶつもうしき。 そのとき一人いちにん国王こくおうありき。 ぶつ説法せっぽうきて、 じょう道心どうしんおこして、 くにおうてて、 しゅっして沙門しゃもんとなれり。 づけて法蔵ほうぞう比丘びくといひき。 すなはちざい王仏おうぶつみもともうでて、 みぎめぐること三帀さんぞうして、 じょうがっしょうしてぶつさんじたてまつりてまうしてまうさく、 われじょうもうけてしゅじょうせんとおもふ。 ねがはくはわがためにきょうぼうきたまへと。

¬双巻無量寿経¼者、浄土三部経ニハ猶此¬経¼為↢根本↡也。其一切諸善為↠根本↡。然此¬経ニハ¼説↢弥陀如来因位↡謂、乃往過去久遠無0153量無数劫シテ↠仏、申シキ↢世自在王仏↡。其時有リキ↢一人国王↡。聞↢仏説法↡、発シテ↢無上道心↡、捨↠国テヽ↠王、出家シテレリ↢沙門↡。名↢法蔵比丘↡。即詣デヽ↢世自在王仏↡、右コト三帀シテ、長跪合掌シテ↠讃↠仏白シテ、我設↢浄土↡欲↠度ント↢衆生↡。願↠我タマヘト↢経法↡。

そのときざい王仏おうぶつ法蔵ほうぞう比丘びくのためにひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつじょう人天にんでん善悪ぜんあくこくみょうき、 またこれをげんじてあたへたまふ。 法蔵ほうぞう比丘びくぶつ所説しょせつき、 またごんじょうこくおはりてのちこうあいだゆい取捨しゅしゃして、 ひゃくいちじゅうおくじょうのなかより摂取せっしゅしてじゅうはち誓願せいがんもうけたまへり。

世自在王仏、為↢法蔵比丘↡説↢二百一十億諸仏浄土人天善悪、国土麁妙↡、又現ジテ↠之与。法蔵比丘↢仏所説↡、又見↢厳浄国土↡已、五劫間思惟取捨シテ、従↢二百一十億浄土中↡摂取シテ而設↢四十八誓願↡給ヘリ

ひゃくいちじゅうおくくにのなかより、 善悪ぜんあくのなかにはあくててぜんり、 みょうのなかにはててみょうり、 かくのごとく取捨しゅしゃせんじゃくして、 このじゅう八願はちがんおこしたまふがゆゑに、 この ¬きょう¼ の同本どうほんやく¬だい弥陀みだきょう¼ には、 このがんをばせんじゃくがんかれたり。

↢二百一十億之国中↡、善悪之中ニハ↠悪取↠善、麁妙之中ニハ↠麁↠妙、如↠是取捨撰択シテ、発タマフガ↢此四十八願↡故、此¬経¼同本異訳¬大阿弥陀経ニハ¼、此願ヲバタリ↠説↢撰択↡。

そのせんじゃくのやう、 ほぼもうひらそうらへば、 まづはじめのさん悪趣まくしゅがんは、 かの諸仏しょぶつこくのなかに、 さん悪道まくどうあらば撰捨せんしゃして、 さん悪道まくどうなきを撰取せんしゅしてわががんとなせり。 つぎきょう悪趣あくしゅがんとは、 かのしょ仏国ぶっこくのなかに、 たとひくにのなかにはさん悪道まくどうなしといへども、 かのくにしゅじょうほうさん悪道まくどうかえすることあるくにをば撰捨せんしゃして、 そうじてさん悪道まくどうかえらざるくに撰取せんしゅしてわががんとなせり。 つぎ悉皆しっかい金色こんじきがんつぎ無有むう好醜こうしゅがん、 およそ一々いちいちがんみなかくのごとくるべし。

撰択之様、ホヾ申開候者、先初無三悪趣願者、彼諸仏国土、撰↣捨シテヲバ↢三悪道↡、撰↣取↢三悪道↡而為↢我↡。不更悪趣トハ者、撰↧捨彼諸仏国、設ニハ雖↠無↢三悪道↡、彼衆生、有↣更ヘリ↢堕ルコト他方三悪道↡之国ヲバ↥、撰↧取ジテ不↠更↢三悪道↡之国↥而為↢我↡也。悉皆金色願、次無有好醜願、凡一一願皆如↠此↠知

だいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんとは、 かのひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつこくのなかにあるいは布施ふせをもつておうじょうごうとするくにあり、 あるいはかいおよびぜんじょう智恵ちえとうないほつだいしんきょうじゅとうきょうよう父母ぶも奉事ぶじちょう、 かくのごとき種々しゅじゅぎょうをもつて、 おのおのおうじょうぎょうとするくにあり、 あるいはまたもつぱらそのくにきょうしゅみょうごうしょうねんするをもつて、 おうじょうぎょうとするくにあり。 しかるにかの法蔵ほうぞう比丘びくぎょうをもつておうじょうぎょうとするのくに撰捨せんしゃして、 みょうごうをもつておうじょうぎょうとするのくに撰取せんしゅして、 わがおうじょうぎょうもかくのごとくならんとてたまへるなり。

第十八念仏往生トハ者、彼二百一十億諸仏国土有↧以↢布施↡為↢往生0154↡之国↥、或有↧持戒及禅定・智恵等、乃至発菩提心、持経・持呪等、孝養父母・奉事師長、以↢如↠是種種↡、各為↢往生行↡之国↥、或又有↧以↣専称↢念スルヲ其国教主名号↡、為↢往生↡之国↥。然法蔵比丘、撰↧捨テヽ↢余行↡為↢往生行↡之国↥、撰↧取以↢名号↡為↢往生↡之国↥、立タマヘル↢我土往生之行也トナラント↟是也。

つぎ来迎らいこういんじょうがんねんおうじょうがん、 みなかくのごとく摂取せっしゅしてがんじたまへり。 およそはじさん悪趣まくしゅがんよりおわとくさん法忍ぼうにんいたるまで、 ゆいせんじゃくするのあいだこうたまへるなり。 かくのごとくせんじゃく摂取せっしゅしてのちに、 ぶつみもともうでて一々いちいちにこれをきたまふ。

来迎引摂願、繋念往生願、皆如↠此摂取シテヘリ。凡自↢無三悪趣願↡終マデ↢得三法忍↡、思惟撰択スルノ之間タマヘル↢五劫↡也。如↠是撰択摂取シテ、詣デヽ↢仏所↡一一キタマフ↠之。

そのじゅう八願はちがんきおはりてのち、 また (大経巻上) をもつてのたまはく、 「われちょうがんつ、 かならずじょうどういたらん。 このがん満足まんぞくせずんば、 ちかひてしょうがくをならじ。 このがんもしこっせば、 大千だいせん感動かんどうすべし、 くうしょ天人てんにん、 まさにちんみょうはなあめふらすべし」 と。

↢其四十八願↡已後、又以↠偈ハク、「我建↢超世↡、必ラン↢無上道↡。此願不ンバ↢満足↡、誓不↠成↢正覚↡。願若剋果セバ、大千応↢感動↡、虚空諸天人、当↠雨↢珍妙。」

かの比丘びくこのきおはるに、 ときおうじてあまねく六種ろくしゅ震動しんどうし、 てんよりみょうあめふらしてそのうえさんず、 ねん音楽おんがくくうちゅうきこゆ。 またくうちゅうさんじて (大経巻上) いはく、 「けつじょうしてかならずじょうしょうがくをなるべし」 と。

比丘説↢此↡竟ルニ、応ジテ↠時普地、六種震動、天ヨリシテ↢妙華↡散↢其↡、自然音楽聞↢于空中↡。又空中ジテ曰、「決定シテ必成ベシ↢無上正覚↡。」

しかればかの法蔵ほうぞう比丘びくじゅう八願はちがん一々いちいちじょうじゅしてけつじょうしてじょうぶつすべしといふことは、 その初発しょほつがんとき世自せじ在王ざいおうぶつみまえにおいて、 しょりゅうじんはち一切いっさい大衆だいしゅのなかにして、 かねてあらわれたることなり。

者言コトハ↣彼法蔵比丘四十八願一一成就シテ決定シテ↢成仏↡者、其初発、於↢世自在王仏御前↡、諸魔・龍神八部、一切大衆中ニシテ、兼レタル事也。

しかればかの世自せじ在王ざいおうぶつほうのなかには、 法蔵ほうぞうさつじゅう八願はちがんきょうとてこれをじゅ読誦どくじゅし、 いましゃほうのなかなりといへども、 かのぶつ願力がんりきあおぎて、 かのくにしょうぜんとねがはんものは、 この法蔵ほうぞうさつじゅう八願はちがん法門ほうもんるべきなり。 すなはちどうしゃくぜん善導ぜんどうしょうとうもこの法蔵ほうぞうさつじゅう八願はちがん法門ほうもんりたまふなり。

者彼世自在王仏之法ニハ、法蔵菩薩四十八願経トテ受↢持読↣誦↡、今雖↢釈迦法ナリト↡、仰↢彼願力↡、願ハン↠生ント↢彼0155、入ルベキ也↢此法蔵菩薩四十八願法門↡也。即道綽禅師・善導和尚等↢此法蔵菩薩四十八願法門↡給也。

かのごんしゅうひとは ¬ごんぎょう¼ をたもち、 あるいは三論さんろんしゅうひとは ¬般若はんにゃ¼ とうたもち、 あるいは法相ほっそうしゅうひとは ¬瑜伽ゆが¼・¬唯識ゆいしき¼ をたもち、 あるいは天台てんだいしゅうひとは ¬ほっ¼ をたもち、 あるいはぜん無畏むいは ¬大日だいにちきょう¼ をたもち、 また金剛こんごうは ¬金剛こんごう頂経ちょうきょう¼ をたもつ。 かくのごとくおのおのしゅうしたがひてきょうろんたもつなり。

彼華厳宗持↢¬華厳経¼↡、或三論宗持↢¬般若¼等↡、或法相宗持↢¬瑜伽¼・¬唯識¼↡、或天臺宗持↢¬法華¼↡、或善無畏持↢¬大日経¼↡、又金剛智持↢¬金剛頂経¼。↡如↠是各随↠宗持↢依経・依論↡也。

いまじょうしゅうとせんひとはこの ¬きょう¼ によりてじゅう八願はちがん法門ほうもんたもつべきなり。 この ¬きょう¼ をたもつとは、 すなはち弥陀みだ本願ほんがんたもつなり。 すなはち法蔵ほうぞうさつじゅう八願はちがん法門ほうもんなり。

今宗トセン↢浄土↡人↢此¬経¼↡可↠持↢四十八願法門↡也。持トハ↢此¬経¼↡者、則持↢弥陀本願↡者也。即法蔵菩薩四十八願法門也。

そのじゅう八願はちがんのなかに、 だいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうがんをもつて本体ほんたいとするなり。 ゆゑに善導ぜんどう (法事讃巻上) のいはく、 「ぜいもんじゅうはちへんひょう念仏ねんぶつさいしん」 と。 念仏ねんぶつおうじょうとは、 みなもとこの本願ほんがんよりおこれり。

四十八願、以↢第十八念仏往生↡而為↢本体↡也。故善導、「弘誓多門四十八、偏標念仏最為親」。 念仏往生トハ者、↢此本願↡起レリ

しかれば ¬かんぎょう¼・¬弥陀みだきょう¼ にくところの念仏ねんぶつおうじょうむねも、 ないしょきょうのなかにくところも、 みなこの ¬きょう¼ にくところの本願ほんがんをもつて根本こんぽんとするなり。 なにをもつてかこれをるとならば、 ¬かんぎょう¼ にくところのこうみょう摂取せっしゅ善導ぜんどう (礼讃) しゃくしたまふに、 「ゆい念仏ねんぶつもうこうしょうとう本願ほんがんさいごう」 と。 このしゃくこころは、 本願ほんがんのゆゑにこうみょう摂取せっしゅすときこへたり。

者¬観経¼・¬弥陀経¼所↠説念仏往生、乃至余諸経↠説、皆以↢此¬経¼所↠説本願↡為↢根本↡也。何テカナラバ↠之者、¬観経¼所↠説光明摂取善導釈、「唯有念仏蒙光照、当知本願最以強。」 者、本願光明摂取ストヘタリ矣。

またこの ¬きょう¼ のぼん上生じょうしょうにならべてもんきょうしょうぶつとをくに、 しょうぶつこうのみをさんじてもんきょうさんじたまはざるところを善導ぜんどうしゃくして (散善義) いはく、 「もう仏願ぶつがんしゃ唯勧ゆいかんしょうねん称名しょうみょうおうじょうしつ雑散ぞうさんごうおなじからず」 と。 これまた本願ほんがんのゆゑに、 しょうぶつをばさんじたまふときこえたり。

又此¬経¼下品上生ベテ↢聞経称仏トヲ↡、讃ジテ↢称仏之功ノミヲ↡不↠讃タマハ↢聞経↡之所善導釈シテ云、「望仏願意者、唯勧正念称名。往生義疾不↠同↢雑散之業↡。」 亦本願故、讃タマフト↢称仏ヲバ↡聞ヘタリ矣。

また (散善義) どう ¬きょう¼ のぞくもんしゃくしたまふにも、 「もうぶつ本願ほんがんざいしゅじょう一向いっこうせんしょう弥陀みだぶつみょう」 と。 これまた弥陀みだ本願ほんがんなるがゆゑに、 しゃくそんぞくし、 ずうしたまふときこえたり。

又釈シタマフニモ↢同¬経¼付属↡、「望0156仏本願、意在衆生一向専称弥陀仏名。」 亦弥陀本願ナルガ故、釈尊付属、流通ヘタリ矣。

また ¬弥陀みだきょう¼ にくところの一日いちにち七日しちにち念仏ねんぶつ善導ぜんどう (法事讃巻下) さんたまふに、 「ただちに弥陀みだぜいじゅう致使ちしぼんねんそくしょう」 と。 これまた一日いちにち七日しちにち念仏ねんぶつも、 弥陀みだ本願ほんがんなるがゆゑにおうじょうすときこえたり。

又¬阿弥陀経¼所↠説之一日七日念仏善導讃、「直為弥陀弘誓重、致使凡夫念即生。」 亦一日七日念仏、弥陀本願往生ストタリ矣。

ない ¬双巻そうかんぎょう¼ のなかにも、 三輩さんぱい以下いげ説文せつもんはみな本願ほんがんによる。 およそこの 「さんきょう」 のつにかぎらず、 一切いっさいしょきょうのなかにくところの念仏ねんぶつおうじょうは、 みなこの ¬きょう¼ の本願ほんがんのぞみてくなり。 これにれいしてるべし。

乃至¬双巻経¼中ニモ、三輩已下説文皆由↢本願↡也。凡不↠限↢此「三部経」三ツニ↡、一切諸経↠説之念仏往生、皆望↢此¬経¼本願↡説ナリ也。例↠之↠知矣。

そもそも法蔵ほうぞうさつ、 いかなればぎょうてて、 ただ称名しょうみょう念仏ねんぶついちぎょうをもつて本願ほんがんてたまへるぞといふに、 これに二義にぎあり。 いちには念仏ねんぶつしゅしょうどくなるがゆゑに、 には念仏ねんぶつぎょうじやすきがゆゑにしょにあまねきがゆゑに。

抑法蔵菩薩、何ナレバ者捨テヽ↢余行↡、唯以↢称名念仏一行↡而立↢本願↡給ヘルゾト、此↢二義↡。一ニハ者念仏殊勝功徳ナルガ故、二ニハ者念仏↠行↢于諸機↡故

はじめにしゅしょうどくのゆゑとは、 かのぶついん総別そうべつ一切いっさい万徳まんどく、 みなことごとくみょうごうあらわるるがゆゑに、 一度ひとたび南無なも弥陀みだぶつとなふれば、 だい善根ぜんごんるなり。 これをもつて ¬西方さいほう要決ようけつ¼ にいはく、 「諸仏しょぶつがんぎょうはこのみょうじょうず、 ただよくみなねんずるに衆徳しゅとくほうす、 ゆゑに大善だいぜんじょうじておうじょうはいせず」 と。 またこの¬ きょう¼ (大経巻下) にすなはち一念いちねんして 「じょうどく」 とさんじたり。 しかればしゅしょうだい善根ぜんごんなりゅゑに、 これをえらびて本願ほんがんとしたまへるなり。

殊勝功徳故トハ者、彼因果・総別一切万徳、皆悉名号、一度レバ↢南無阿弥陀仏↡、得↢大善根↡也。是以¬西方要決¼云、「諸仏願行成↢此果名↡、但能念↠号具↢包衆徳↡、故成大善不↠廃↢往生↡。」 又此¬経¼即指シテ↢一念タリ↢「無上功徳」↡。然者殊勝大善根ナル、撰↠之為↢本願↡給ヘル也。

しゅしやすきがゆゑにとは、 南無なも弥陀みだぶつもうすことは、 いかなる愚痴ぐちのものもおさなきもおいたるも、 やすくもうさるるがゆゑに、 びょうどう慈悲じひおんこころをもつて、 そのぎょうてたまへり。

易修故者、申コトハ↢南無阿弥陀仏↡者、何ナル愚痴キモタルモ、易↠申故、以↢平等慈悲御意↡、立↢其之行↡給ヘリ

もし布施ふせをもつて本願ほんがんとしたまはば、 びん困乏こんもうともがらおうじょうのぞみつ。 もしかいをもつて本願ほんがんとしたまはば、 かいのもの・かいたぐいはまたおうじょうのぞみつべし。 もしぜんじょうをもつて本願ほんがんとしたまはば、 散乱さんらんどうともがらおうじょうすべからず。 もし智恵ちえをもつて本願ほんがんとしたまはば、 愚痴ぐち下智げちのものはおうじょうすべからず。 自余じよしょぎょうもこれにじゅんじてるべし。 しかるに布施ふせかいとうしょぎょうへたるものはきはめてすくなく、 びんかい散乱さんらん愚痴ぐちともがらははなはだおおし。 しかればかみしょぎょうをもつて本願ほんがんとしたまはば、 おうじょうるものはすくなく、 おうじょうざるものはおおからまし。

↢布施↡為タマハヾ↢本願↡者、貧窮困乏断↢往生↡。若以0157↢持戒↡為タマハヾ↢本願↡、破戒・無戒亦可↠断↢往生。若↢禅定↡為↢本願↡者、散乱麁動之輩不↠可↢往生↡。若以↢智恵↡為↢本願↡者、愚痴下智不↠可↢往生↡。自余之諸行ジテ↠之↠知。然タリル ↢布施・持戒等諸行、貧窮・破戒・散乱・愚痴甚多。爾者以↢上諸行↡為↢本願↡給ハヾ者、得↢往生↡、不↠得↢往生↡カラマシ矣。

これによりて法蔵ほうぞうさつびょうどう慈悲じひもよおされて、 あまねく一切いっさいせっせんがために、 かのしょぎょうをもつておうじょう本願ほんがんとせずして、 ただ称名しょうみょう念仏ねんぶついちぎょうをもつてその本願ほんがんとしたまへるなり。

↠茲法蔵菩薩、被↠催↢平等慈悲↡、為↣遍ンガ↢一切↡、不シテ↧以↢彼諸行↡為↦往生本願↥、唯以↢称名念仏一行↡為↢其本願↡給ヘル也。

ゆゑにほっしょうぜんのいはく、

らいあくしゅじょうにおいては西方さいほう弥陀みだみなしょうねんせよ
ぶつ本願ほんがんによりてしょう直心じきしんをもつてのゆゑに極楽ごくらくしょうず」 と

故法照禅師云、

「於↢未来世悪衆生↡称↢念西方弥陀号↡
依↢仏本願↡出↢生死↡以↢直心↡故生↢極楽↡」

またいはく、

「かのぶついんちゅうぜいてたまへりきてわれをねんぜばすべて来迎らいこうせん
びんふうとをえらばず下智げち高才こうざいとをえらばず
もんじょうかいとをえらばずかい罪根ざいこんふかきとをえらばず
ただしんしておお念仏ねんぶつしむればよくりゃくをしてへんじてこがねとならしむ」 と

又云、

「彼仏因中立弘誓聞↠名念↠我総来迎
不↠簡↢貧窮将富貴↡不↠簡↢下智与高才↡
不↠簡↢多聞持浄戒↡不↠簡↢破戒罪根深↡
但使レバ↢廻心多念仏↡能令↢瓦礫ヲシテジテ成↟金」

かくのごとく誓願せいがんてりといへども、 そのがんじょうじゅせずは、 まさしくたのむべきにあらず。 しかるにかの法蔵ほうぞうさつがんは、 一々いちいちじょうじゅしてすでにじょうぶつしたまへり。 そのなかにこの念仏ねんぶつおうじょうがんじょうじゅもん (大経巻下) にいはく、 「しょしゅじょうもんみょうごう信心しんじんかんない一念いちねんしんこうがんしょうこく即得そくとくおうじょうじゅう退転たいてん」 と。

0158↠立↢如↠此誓願↡、其願不↢成就↡者、非↢正可キニ↟憑。然法蔵菩薩、一一成就シテ成仏シタマヘリ。其中念仏往生願成就云、「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心回向、願生彼国、即得往生、住不退転。」

つぎ三輩さんぱいおうじょうは、 みな 「一向いっこう専念せんねんりょう寿仏じゅぶつ (大経巻下) と。 このなかにだい心等しんとう諸善しょぜんありといへども、 かみ本願ほんがんのぞむれば、 一向いっこうにもつぱらかのぶつみょうごうねんずるなり。 たとへばかの ¬かんぎょうしょ¼ (散善義) しゃくしていふがごとし、 「じょうらいじょうさんりょうもんやくくといへども、 ぶつ本願ほんがんのぞむれば、 こころしゅじょうをして一向いっこうにもつぱら弥陀みだぶつみなしょうせしむるにあり」 と。 望仏もうぶつ本願ほんがんとは、 かの三輩さんぱいのなかの一向いっこう専念せんねんすなり。

三輩往生、皆「一向専念無量寿仏。」 此中雖↠有↢菩提心等諸善↡、望ムレバ↢上本願↡者、一向念↢彼仏名号↡也。例↢彼¬観経¼釈シテ↡、「上来雖↠説↢定散両門之益↡、望↢仏本願↡、在↣衆生ヲシテ一向ムルニ↢弥陀仏↡。」 望仏本願トハ者、指↢此三輩一向専念↡也。

つぎずう (大経巻下) いたりて 「其有ごう得聞とくもんぶつみょうごうかんやくない一念いちねんとうにんとくだいそくそくじょうどく」 といふ。 善導ぜんどう (礼讃意) おんこころは、 「じょうじんいちぎょう下至げし一念いちねん」 のじょうどくなり。 余師よしこころによらば、 「ただしょうげてきょうするなり」 と。

↢流通↡云↢「其有得聞彼仏名号、歓喜踊躍乃至一念。当知、此人為得大利。即是具足無上功徳」↡ 。善導御意、「上尽一形下至一念」之無上功徳也。依↢余師↡者、「但挙↠少而況スルナリ↠多也。」

つぎに 「当来とうらい之世しせきょうどう滅尽めつじん我以がい慈悲じひ哀愍あいみんどくきょうじゅうひゃくさい其有ごうしゅじょう値此ちしきょうしゃずい所願しょがんかいとく」 と。 この末法まっぽう万年まんねんのち三宝さんぼう滅尽めつじんときおうじょうをもつておもふに、 一向いっこう専念せんねんおうじょうあらわすなり。

「当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳。其有衆生値此経者、随意所願皆可得度。」 ↢此末法万年後三宝滅尽往生↡而思、顕↢一向専念往生↡也。

そのゆゑはだいしんけるきょうみなめっしなば、 なにによりてかだいしんぎょうそうらん。 だいしょうかいきょうみなしっせなば、 なにによりてかひゃく十戒じっかいをもたもたん。 仏像ぶつぞうにあるまじければ、 造像ぞうぞうとう善根ぜんごんもあるべからず。 ないきょうじゅとうもまたかくのごとし。 そのときなほ一念いちねんするにおうじょうすと。

↢菩提心↡経ナバ者、依テカ↠何ラン↢菩提心之行相↡。大小戒経皆失ナバ、依テカ↠何タン↢二百五十戒ヲモ↡。不ジケレバ↠有↢仏像↡者、造像起塔0159善根不↠可↠有。乃至持経・持呪等亦如↠此。爾一念スルニ往生スト

すなはち善導ぜんどう (礼讃) いはく、 「爾時にじもん一念いちねん皆当かいとうとくしょう」 と。 かれをもつていまをおもふに、 念仏ねんぶつぎょうじゃはさらに善根ぜんごんにおいて一塵いちじんせず、 けつじょうしておうじょうすべきなり。

即善導云、「爾時聞一念、皆当得生彼。」 ↠彼↠今、念仏行者於↢余善根↠具↢一塵↡、決定シテ可↢往生↡也。

しかればだいしんおこさずしていかでかおうじょうすべき、 かいたもたずしてはいかが往生おうじょうすべき、 智恵ちえなくしてはいかがおうじょうすべき、 妄念もうねんしずめずしてはいかがおうじょうすべきと。 かくのごとくもう人々ひとびとそうろふは、 この ¬きょう¼ をこころざるまでにそうろふなり。 かんぜん (群疑論巻三意) このもんしゃくするに、 「説戒せっかい受戒じゅかいもみなじょうずべからず、 甚深じんじんだいじょうるべからず。 ゆゑにさきだちて隠没おんもつしておこなはれず。 ただ念仏ねんぶつのみさとりやすし、 浅識せんしきぼんなほよくしゅじゅうしてやくべし」 といへり。

者不シテ↠発↢菩提心↡争↢往生↡、不シテハ↠持↠戒何可↢往生↡、無シテハ↢智恵↡者何可↢往生↡、シテハ↠静↢妄念↡何可キト↢往生↡。如↠此人人候者、不ルマデ↣意↢得此¬経¼候也。懐感禅師釈ルニ↢此↡、云ヘリ↧「説戒・受戒皆不↠可↠成、甚深大乗不↠可↠知。故ダテ隠没シテ不↢世ナハレ↡。但念仏ノミ↠覚、浅識凡愚修習シテ↞得↢利益↡。」

まことに戒法かいほうめっしなばかいあるべからず、 だいじょうみなめっしなばほつだいしん読誦どくじゅだいじょうもあるべからずといふことあきらかなり。 すでに浅識せんしきぼんといふ、 まさにるべし智恵ちえにあらずといふことを。 かくのごときともがらの、 ただ称名しょうみょう念仏ねんぶついちぎょうしゅして、 いっしょういたるまでおうじょうすべしといふなり。 これまた弥陀みだ本願ほんがんのゆゑなり。 すなはちかの本願ほんがんとお一切いっさいせっするなり。

戒法滅シナバ者不↠可↠有↢持戒↡、大乗皆滅ナバ不↠可↠有↢発菩提心・読誦大乗↡云事明カナリ也。既云↢浅識凡愚↡、応↠知↢智恵↡云事。如↠此輩、但修シテ↢称名念仏一行↡、至マデ↢一声↡可↢往生↡云ナリ也。亦弥陀本願故也。即彼本願之遠スル↢一切↡義ナリ也。

・第三七日 小経

つぎ¬弥陀みだきょう¼ とは、 「しょう善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねんをもつてかのくにしょうずることをべからず。 しゃほつ、 もし善男ぜんなんぜん女人にょにんありて、 弥陀みだぶつくをきて、 みょうごうしゅうすること、 もしは一日いちにちない七日しちにち」 と。

次¬阿弥陀経トハ¼者、「不↠可↧以↢少善根福徳因縁↡得↞生コト↢彼国↡。舎利弗、若有↢善男子・善女人↡、聞↠説↢阿弥陀仏↡、執↢持ルコト名号↡、若一日乃至七日」。

善導ぜんどうしょうしゃくして (法事讃巻下) いはく、 「随縁ずいえん雑善ぞうぜんおそらくはしょうじがたし。 ゆゑに如来にょらいをして要法ようぼうえらばしむ」 と。

善導和尚釈云、「随縁雑善恐難↠生。故使↣如来ヲシテ↢要法↡。」

ここにりぬ雑善ぞうぜんをもつてしょう善根ぜんごんづけ、 念仏ねんぶつをもつて善根ぜんごんといふべきといふことを。 この ¬きょう¼ はすなはちしょう善根ぜんごんなる雑善ぞうぜんてて、 もつぱら善根ぜんごんなる念仏ねんぶつくなり。

↢雑善↡名↢少善根↡、以↢念仏↡可↠云↢多善根↡云事。此¬経¼則捨テヽ↢少善根ナル雑善↡、専0160説↢多善根ナル念仏↡也。

近来きんらいわたりたる唐書とうしょに ¬りゅうじょじょうもん¼ ともうもんそうろふ。 それに ¬弥陀みだきょう¼ の脱文だつもんもうして、 じゅういちあるもんいだせり。 「一心いっしんらん」 のしも (龍舒浄土文巻一) にいはく、 「せんみょうごう称名しょうみょう諸罪しょざいしょうめつそく善根ぜんごん福徳ふくとく因縁いんねん」 と。 すなはちかのもんのみにこのもん (龍舒浄土文巻一) いだしていはく、 「いまのつたふるところのもん、 このじゅういちだっせり」 と。 この脱文だつもんなしといへども、 ただをもつておもふにしょうありといへども、 まさしく念仏ねんぶつして善根ぜんごんといふもん、 まことに大切たいせつなり。

近来度タル唐書¬龍舒浄土文¼申候。シテ↢¬阿弥陀経¼脱文↡、出セリ↧有↢二十一字↡之文↥。「一心不乱」下、「専持名号、以称名故諸罪消滅、即是多善根福徳因縁。」 即彼ノミニシテ↢此↡云、「今↠伝文、脱セリト↢此二十一字↡。」 雖↠無↢此脱文↡、只以↠義雖↠有↢多少義↡、正シテ↢念仏↡云↢多善根↡文、実大切也。

つぎ六方ろっぽう諸仏しょぶつ証誠しょうじょうせつ。 かの六方ろっぽう諸仏しょぶつ証誠しょうじょう、 ただこのいっきょうのみにかぎりて証誠しょうじょうしたまふにたりといへども、 じつをもつてあんずれば、 この ¬きょう¼ にかぎらず。 そうじて念仏ねんぶつおうじょう証誠しょうじょうす。

次六方諸仏証誠説。彼六方諸仏証誠、雖↠似↧但限↢此一経ノミニ↡而証誠タマフニ↥、以↠実ズレバ者、不↠限↢此¬経¼。総ジテ証↢誠念仏往生↡也。

しかれどももし ¬双巻そうかんぎょう¼ につきて証誠しょうじょうせば、 かの ¬きょう¼ に念仏ねんぶつおうじょう本願ほんがんくといへども、 三輩さんぱいのなかだい心等しんとうぎょうあるがゆゑに、 念仏ねんぶついちぎょう証誠しょうじょうするむねあらわるべからず。 もし ¬かんぎょう¼ を証誠しょうじょうせば、 かの ¬きょう¼ にのち念仏ねんぶつくといへども、 またはじめにじょうさんぎょうあり、 ゆゑに念仏ねんぶつ証誠しょうじょうするあらわるべからず。 これをもつてただ一向いっこう念仏ねんぶつきたるこの ¬きょう¼ を証誠しょうじょうしたまふなり。

ドモ而若付↢¬双巻経¼↡而証誠セバ者、彼¬経¼雖↠説↢念仏往生本願↡、三輩之中有↢菩提心等行↡故、証↢誠スル念仏一行↡旨不↠可↠顕。若証↢誠セバ¬観経¼↡者、彼¬経¼雖↣後↢念仏↡、亦初↢定散行↡、故証↢誠スル念仏↡義不↠可↠顕。爰以証↧誠唯一向タル↢念仏↡此¬経¼↥給也。

ただし証誠しょうじょうことばはこの ¬きょう¼ にありといへども、 証誠しょうじょうはかの ¬双巻そうかん¼・¬かんぎょう¼ にもつうずべし。 ただ ¬双巻そうかん¼・¬かんぎょう¼ のみにあらず、 もし念仏ねんぶつおうじょうむねかんきょうをば、 ことごとく六方ろっぽう如来にょらい証誠しょうじょうあるべきとこころべきなり。

但証誠之言雖↠在↢此¬経¼↡、証誠之義↠通↢彼¬双巻¼・¬観経ニモ¼。非タヾ¬双巻¼・¬観経ノミニ¼、若↢念仏往生↡之経ヲバ、悉↠有↢六方如来証誠↡可↠得↠意也。

ゆゑに天台てんだいの ¬じゅうろん¼ にいはく、 「¬弥陀みだきょう¼・¬だいりょう寿じゅきょう¼・¬おんじょう陀羅尼だらにきょう¼ とうにいはく、 しゃぶつきょうきたまふときに、 十方じっぽうかいにましますおのおのごうしゃ諸仏しょぶつ、 その舌相ぜっそうべてあまねく三千さんぜんかいおおひ、 一切いっさいしゅじょう弥陀みだぶつ大願だいがんだい願力がんりきねんずるゆゑに、 けつじょうして極楽ごくらくかいしょうずることを証誠しょうじょうしたまへり」 と。 ぶっきょうどくたいりゃくかくのごとし。 あおねがはくは

天臺¬十疑論¼云、「¬阿弥陀経¼・¬大無量寿経¼・¬鼓音声陀羅尼経¼等、釈迦仏説↢給↡時、有↢十方世界↡各恒河沙諸仏、舒↢其舌相↡遍覆↢三千世界↡、証0161↧誠シタマヘリト一切衆生ズル↢阿弥陀仏大願大悲願力↡故、決定シテ↞生コトヲ↢極楽世界↡。」 仏経功徳、大略如↠此。仰クハ

黒谷上人語灯録巻第七

写本しゃほんは、 ざんこう三輪さんりんより一本いっぽんいだし、 ふたたび尊院そんいん蔵本ぞうほんをもつてこれをきょうす。 いまかのきょうほんをもつてこれをうつしおはりぬ。 元禄げんろくじゅう一年いちねん八月はちがつこのかんうつきょうす  くう

写本者、義山公自↢三輪↡借↢出一本↡、再以↢二尊院之蔵本↡校↠之。今以↢彼校本↡写↠之畢。元禄十一年八月写此巻校  恵空

 

延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
底本は大谷大学蔵江戸時代末期恵空本転写本。