0230黒谷上人漢語灯録巻第十

  厭欣沙門 了恵 集録

 

かん第一だいいちじゅう 当巻とうかんへんあり

 りゃく要文ようもんだいじゅう
 初学しょがくしょうだいじゅう
 しょしょうもんだいじゅうろく 三通さんつう
 北国ほっこくしょじょうだいじゅうしち
 諸方しょほう返報へんぽうだいじゅうはち つう

漢語第一之十 当巻有五篇

 略要文第十四
 初学抄第十五
 諸起請文第十六 三通
 北国書状第十七
 諸方返報第十八 二通

 

(274)谷上人語灯録巻第十

応永おうえい八年はちねん かのとのみ づきじゅうはちにち根本こんぽん書写しょしゃにん専覧せんらん御房おんぼうじゅうちょういたるまで書写しょしゃ、 そのおくのこしてすでにおうじょうげおはりぬ。 ゆゑに相伝そうでんによりてひとあつらふでつづけしめおはりぬ。

ひつけんしょう

0275応永八年 卯月廿八日、根本書写人専覧御房、至十二丁目書写、其奥残已遂往生畢。故依相伝人誂令続筆畢。

右筆賢照

 

みぎこのろくは、 ほん来迎らいこうよりおんしゃくせしめたてまつりてこれを書写しょしゃす。 ねがはくはとお末代まつだいつたひろ諸人しょにんおよ自他じたおなじく極楽ごくらくかいしょうじ、 かならずこれをけんせんことを。 せんあおぎたてまつりてじゅうねんこうするものなり。
とき明応めいおう元年がんねんじゅうがつ一日ついたち 南无なも阿弥陀あみだぶつ えんじょうしょう

右此録者、古本従来迎寺令恩借奉書写之矣。願遠伝末代広及諸人自他同生極楽世界、必披見之。貴賎奉仰十念回向者也。
于時明応元年十二月一日 南无阿弥陀仏 円定和尚

 

このかん書写しょしゃ元禄げんろく七年しちねんいぬ極月ごくげつ九日ここのかよるこうおはりぬ。 根本こんぽんしゅう三輪みつのわほん書写しょしゃのちそんいん蔵本ぞうほんをもつてこれをきょうごうす。 いま写本しゃほんりょうてんしょうほんなり。

  墨付すみつけさんじゅうちょう

しゅくう得岸とくがん

此巻書写、元禄七年戌極月九日之夜功畢。根本ハ和州三輪之本書写之後以↢二尊院之蔵本↡校↢合之↡。今写本ハ良点和尚ノ本也。

  墨付三十九丁

主恵空得岸

 

およそかんは、 ぜんしゅう十巻じっかんしゅう一巻いっかんなり。 いまぜんしゅう十巻じっかんしゅう一巻いっかんく、 もつともあはれなるところなり。 後学こうがくたずもとめてすべてをしてしゃせしめよ

凡漢語、前集十巻拾遺一巻也。今得前集十巻、闕拾遺一巻、尤所哀也。後学尋求而補写令全

 

延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
底本は大谷大学蔵江戸時代末期恵空本転写本。