0900選択註解鈔第二

  第三 本願章

一 かみしょうしょうぞうぎょう分別ふんべつして、 しかぞうぎょうえらびてゝ正行しょうぎょうえらびとるゆえに、 いましょうには正行しょうぎょうなかに、 しょうごう念仏ねんぶつ弥陀みだ本願ほんがんとし、 往生のしょうごうとするあらわすなり。 およそこのしょさんぎょう要文ようもんあげいっしゅうしゅあかせり、 そのなかとうしょう以下いげ四段よんだんは、 ¬だいきょう¼ のもんけり。

一 「弥陀如来↧以↢余行↡為まは↦往生本願↡、 唯以↢念仏たまへる↢往生本願↡之文」 というは、 ¬だいきょう¼ のじゅうはちがんさすなり

これよりて、 かの願文がんもんひくなり。 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のせっしょうぞうじょうえんもんならびに ¬礼讃らいさん¼ のじょもんおなじくかの願文がんもんしゃくするもんなるがゆえに、 これくわへらる。

じゅうろくしょうだんなかには、 このしょう正宗しょうしゅうなり。 「せんじゃく本願ほんがん念仏ねんぶつしゅう」 とへる題目だいもくこのしょうこころあらはすがゆえなり。 所談しょだんみなこのしょうじょじょうするなり。

一 ¬だいきょう¼ (巻上) もんに 「十方じっぽうしゅじょう」 というは、 善人ぜんにん悪人あくにん有智うち無智むちざいざい男女なんにょろうしょう一切いっさいじょうせっすることばなり

しんしんぎょうよくしょう」 という三信さんしんなり。 ¬かんぎょう¼ にとく0901ところの三心さんしんすなわちこれなり所謂いわゆるしんこれじょうしんこれ真実しんじつしんなり。 しんぎょう深心じんしん、 これ深信じんしんしんなりよくしょうこう発願ほつがんしん、 これがんおうじょうしんなり。

ないじゅうねん」 というぎょうたいあらはす。 みょうごうしょうすることかみいちぎょうつくしもじゅうねんにいたるまで、 みなおうじょういんなり。

因願いんがんにはかくのごとくじゅうねんときたるを、 がんじょうじゅもんには 「ない一念いちねん」 ととけり。 これぎょうなかぎょうあらはすことばなりゆえしょうこのこころて 「下至げしじっしょういっしょうとう (礼讃) しゃくし、 しょうにんまたとうしょうしゃくに 「ない」 のことばりょうけんするに、 「じょうじんいちぎょう下至げしじっしょういっしょうとう」 のなりしゃくせり。

さればおうじょうためにはまたべついんなし、 しんしんぎょうよくしょうこころない一念いちねんせんものみなことごとくおうじょうすべし。

一 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のもんなかに、 「しょうみょうごう」 のと 「じょう願力がんりき」 のとはほんぎょうえざることばなりしかるこれくわへらるゝことは、 ¬きょう¼ (大経巻下) に 「ない一念いちねん」 とへるは隠顕おんけんあれども、 けんには称名しょうみょう念数ねんじゅなりすなわち次上つぎかみじゅうしちがんに 「しつしゃしょうみょうしゃ (大経巻上) へるはみょうごうなるがゆえに、 いまないじゅうねん」 とへるはみょうごう法体ほったいなることあらはして、 しょうみょうごうひかるゝなり

じょう願力がんりきいうは、 しんしんぎょうよくしょうへるはりきしんあらず、 りき真実しんじつ信心しんじんなることあらわことばなり罪悪ざいあくしょうぼんいっしょう一念いちねんほうおうじょうとぐことは、 仏願ぶつがん強縁ごうえんたくするがゆえなりとしるべし。

0902 ¬おうじょう礼讃らいさん¼ のもんにも 「しょうみょうごう」 のあり、 これ ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のしゃくおなじ。

ぶつこん現在げんざいじょうぶつ」 とへる以下いげは、 がんじょうじゅひきしゃくせらるゝなりないじゅうねんぎょうじゃおうじょうせずはしょうがくとらじとちかいたまいしに、 すでしょうがくじょうたまいぬるは、 しゅじょうおうじょうけつじょうするがゆえなりとあらわすなり。

一 「誓願」 というは、 一切いっさい諸仏しょぶつみなつうじてこのよつがんおこすがゆえに 「そう」 というなり一にはしゅじょうへん誓願せいがん、 二には煩悩ぼんのうへん誓願せいがんだん、 三には法門ほうもんじん誓願せいがん、 四にはじょうだい誓願せいがんしょうなりこのよつなかに、 はじめひとつ利他りたがんのちみつ自利じりがんなりこのがんじょうじゅすれば、 自利じり々他りた円満えんまんしてじょうだいうるなり

この総願そうがんうえいんがんぎょうよりて、 仏々ぶつぶつ各々おのおのおこしましますところがん別願べつがんいうなり

一 「じゅう三仏さんぶつ」 というは、 一々いちいち ¬だいきょう¼ のじょうとくごとし。

一 「↠国てゝ↠王、 行じて沙門↡。 号して↢法蔵」 というは、 弥陀みだ如来にょらいいん法蔵ほうぞう比丘びく法蔵ほうぞう比丘びくさき国王こくおうなりゆえくにをすておうをすて沙門しゃもんなるとなり。

沙門」 というは梵語也、 此には勤息と云。 勤善息悪の義なり。

一 ¬だい弥陀みだきょう¼ は ¬だいきょう¼ の同本どうほんやくきょうなり。 「せんじゃく」 ということばかの ¬きょう¼ よりいでたり、 これとりいましょ題目だいもくとせらるゝなり

じゅうがんきょう」 というは、 の ¬だい弥陀みだ0903きょう¼ をさすなりじゅうはちがんうちがん一段いちだんときて、 じゅうがんときたるなり

一 「ひは↧以布施↡為↢往生↡之土↥。 或ひは↧以持戒↢往生↡之土↥。 或ひは有↧以忍辱↡為↢往生行↡之土↥。 或ひは有↧以精進↡為↢往生行↡之土↥。 或ひは↧以禅定↡為↢往生↡之土↥。 或ひは↧以般若信↢第一義↡等是也 ↢往生↡之土」 というは、 如↠次ついでのごとくろくぎょうなり。

所謂いわゆる布施ふせ」 というとんしょうとす。 ものひとあたうなり

かい」 という放逸ほういつしょうとす。 しん口意くいまもりあくせいするなり

忍辱にんにく」 というは無瞋をしょうとす。 はいさかいおい安忍あんにんするなり

しょうじん」 というは、 善法ぜんぽうぎょうじてだいなきをしょうとす。 波羅はらみつぎょうずることゆうみょうにして間断けんだんなき、 すなわちこれなり

ぜんじょう」 というじょうりょなり。 こころ散乱さんらんなきをしょうとす。

般若はんにゃ」 という智恵ちえなり無痴むちしょうとす。 しゅあり、 ちゅうに 「しん第一だいいち」 というは、 そのひとつあぐるなり第一だいいちくうなり。 さればひっきょうくうじゃくたっするくうさすなり

一 「ひは↢菩提心↢往生↡之土↥」 というは、 だいしんおいしょしゅう所談しょだん各別かくべつなるがゆえに、 種々しゅじゅどうあり。 しかれどもたいしゅじょうがんぶつこころなり。 すなわちさきいうところの 「四弘しぐ誓願ぜいがん」 なり。

だいしんそうしも念仏ねんぶつぞくしょうこれあかせり。

一 「ひは↧以↢六念↡為↢往生↡之土↥」 というは、 六念ろくねんいうは、 一には念仏ねんぶつ、 二に0904念法ねんぼう、 三には念僧ねんそう、 四には念戒ねんかい、 五には念捨ねんしゃ、 六には念天ねんてんなり

このなかに、 はじめみつつねごとこれねん三宝さんぼうなり念戒ねんかいいうは、 諸仏しょぶつかいねんずるなり。 念捨ねんしゃいうは、 諸仏しょぶつさつなしがたきをよくし、 しゃがたきよくしゃたまへるこころねんずるなり念天ねんてんいうは、 さいしんさつねんずるなりさいしんさついうは、 しょさつなりしょさつ率天そつてんじゅうするがゆえ念天ねんてんいうなり

一 「↠是往生行種々不同して↠可↢具↡。 即今は選↢捨てゝ布施ふせかいない孝養父母等諸行↡、 選↢取専称仏号↡。 かるがゆへ↢撰択↡也」 というは、 まさしせんじゃく本願ほんがんあらわすなり

されば弥陀みだ本願ほんがんせんしょう仏号ぶつごうなりせんしょう仏号ぶつごうほかおうじょうしょういんあらず。 このじょうずるを、 このしゅう所詮しょせんとするなり

一 「弥陀一仏所有四智・三身・十力・四无所畏一切内証功徳、 相好・光明・説法・利生等一切外用功徳、 みな摂↢在阿弥陀仏名号之中」 というは、 「四智しち」 というは、 一には大円だいえんきょうだいよりてはつねしゅじょうえんじ、 だいよりてはつねほっしょうじゅんずるなり。 二にはびょうどうしょう一切いっさいほう自他じたびょうどうなるをかんずるなり。 三にはみょう観察かんざつ諸法しょほうそうそうかんずるなり。 四にはじょうしょじょうして種々しゅじゅ三業さんごうへんするなり。

三身さんしん」 というは、 一には法身ほっしん真如しんにょ法界ほっかいみょうぎょうねんへんどくなり。 二0905には報身ほうじん修因しゅいんかんみょうきょうみょうごう真身しんしんなりこれまたしゅあり。 受用じゅゆうしん受用じゅゆうしんなり。 じゅ法楽ほうらくゆえしょうきわまれるを受用じゅゆうしんいい化他けたためたい説法せっぽうするを受用じゅゆうしんごうするなり。 三には応身おうじん随縁ずいえん感見かんけんしんぼんどうたいなり。 これまたしゅあり。 八相はっそうじょうどうするを応身おうじんいい無而むにこつなるをしんいうなり。

じゅうりき」 というは、 一にはしょしょりき、 二にはごうじゅくりき、 三にはじょうりょだつりき、 四にはこんじょうりき、 五には種種しゅじゅしょうりき、 六には種々しゅじゅかいりき、 七には遍趣へんしゅぎょうりき、 八には宿住しゅくじゅう随念ずいねんりき、 九にはしょうりき、 十にはじんりきなり

無畏むい」 というは、 一にはとうしょうがく無畏むい、 二には永尽ようじん無畏むい、 三にはせつしょうほう無畏むい、 四にはせつしゅつどう無畏むいなり

とう」 というは、 だい三念さんねんじゅう等取とうしゅするなりだいいうだい慈悲じひなり三念さんねんじゅういうは、 一にはじて↢順境↠生↢歓喜↡念住、 二にはじて↢違境↡不↠生↢憂戚↡念住、 三にはならべじて↢順違境↡不↠生↢歓しゃく↡念住なり

じょう十力じゅうりき无畏むいだい三念さんねんじゅうあわせぶつじゅうはち不共ふぐほういうこのじゅうはちほうは、 じょうさんじょう不↠具↠之これをぐせずただぶつのみこれたまうゆえ不共ふぐほういうなり諸仏しょぶつみなこのどくせり。 しかる弥陀みだ如来にょらいたまうところこれどくことごとくみょうごうなかしょうざいすというなり

一 「極楽界↢三悪趣↡。 当↠知、 是則成↢就する無三悪趣之願」 というは、 「さん悪趣まくしゅ0906」 というは、 ごく餓鬼がきちくしょうなり

この三悪さんまくほうは、 じゅうあくいんよりこれかんず。 しかる極楽ごくらくにはじゅうあく悪因あくいんごうなきゆえに、 三悪さんまく苦果くかをばをだにもきかざるなり。 されば三悪さんまくどうなからんとちかいたまいがんじょうじゅして、 いまごく餓鬼がきちくしょう諸難しょなんなきなり

一 「さんじゅうそう」 というぶつそうなり¬おうじょうようしゅう¼ に明すがごとし。

一 「念仏ひと皆以往生。 以てか↠何↠知ことを。 即念仏往生じょうじゅ、 云へる諸有あらゆる衆生、 ゝて↢其名号信心歓喜乃至一念至心廻向したまへりずれば↠生ぜんと↢彼↡、 則↢往生↡住すと↦不退転↥是也」 というは、 じゅうはちがんじょうじゅせるそうなり。 念仏ねんぶつおうじょうやくこのもんごくせり。

しょしゅじょう」 というは、 十方じっぽうしゅじょうなり。 「もんみょうごう」 というは、 南无なも弥陀みだぶつきくなり。 「信心しんじん」 というしんなり。 「かん」 というしんぎょうなり

ない一念いちねん」 というは、 ないじゅうねんがんなほ一念いちねんごくすることあらはすなり。 「しんこう」 という 如来にょらいりきこうなり。

がんしょうこく」 というは、 よくしょうしんなり。 この三信さんしんほっすれば、 如来にょらい利他りたこうよりすなわちおうじょういうなり

一 「四十八願荘↢厳浄土↡。 花池・宝閣無↠非ずといふこと↢願力↡。 何↢其↡独↣疑↢惑念仏往生」 というは、 じゅうはちがんみないたずらおこしたまはず。 一々いちいちがんことごとくじょうじゅすれば、 だいじゅうはちがんひとりじょうじゅせざるべきにあらず。 したがい弥陀みだぶつじょうぶつらいすで十劫じっこうなれば、 如来にょらいがんすでじょうぜり。 しゅじょうおうじょううたがうべからずとなり

じゅうはちがんしょうごんじょう」 というは、 「こんじょう界道かいどう0907しょう」 なるがゆえ巧匠ぎょうしょうしょあらず。 じゅうはちがんしょうごんよりなるがゆえ願力がんりきこんりゅうせるなりゆえ七宝しっぽうれんいけ有様ありさまひゃっぽうしょうごん楼閣ろうかくしつらいしかしなががんこたえじょうじゅせるなり

一 「↠是五神通及以および光明・寿命なか、 一々↢下至之言↡。 是則従↠多至↠少、 以↠下対↠上之義なり。 例するに↢上八種之願↡、 今此願乃至者即是下至なり」 というは、 「神通じんずう」 のがんは、 だい宿命しゅくみょうつうがん第六だいろく天眼てんげんつうがんだい七の天耳通のがん第八だいはちしんつうがんだい神足じんそくつうがんなり

こうみょう寿じゅみょうがん」 というは、 だいじゅうこうみょうりょうがんだいじゅうさん寿じゅみょうりょうがんなり。 「とう」 というは、 だいじゅうしょうもんりょうがん等取とうしゅするなり

これそうじて八種はっしゅがんいうなりこの八種はっしゅがんみな下至げしことばあり、 この下至げしことばは、 じゅうはちがんないことばおなじいうなり。

  第四 三輩章

一 かみしょうには、 念仏ねんぶついちぎょうおうじょうしょうごうなるじょうじおはりぬ。 いまのしょうには、 さんぱいこん、 ともにかの念仏ねんぶつ一向いっこう専念せんねんしておうじょうすることをあかすなり。

一 じょうはいもんに 「しゃよく」 というは、 「しゃ」 はしゅっ遁世とんせいするなり、 「よく」 というは、 よくを離るゝなりよくいうは、 しきしょうこうそくじゃくするこころなり。

ちゅうはいもんに 「0908斎戒さいかい」 というは、 さいかいとをたもつなり、 「さい」 という不過ふかちゅうじきなり、 「かい」 という八戒はっかいなり。 八戒はっかいいうは、 一にはせっしょう、 二にはちゅうとう、 三には邪婬じゃいん、 四にはもう、 五には飲酒おんじゅ、 六には↠得↢ふん↟身、 七には↠得↢歌舞かぶしょうかんちょうすることを、 八には不↠得↠のぼることを高広大牀なり

りゅう塔像とうぞう」 というは、 塔婆とばりゅう仏像ぶつぞうぞうりゅうするなり。 とうことばなかにはぞうあるべし。 造像ぞうぞうことばなかにはぞうあるべし。

飯食ぼんじき沙門しゃもん」 というは、 飯食ぼんじきそうようするなり。

懸繒けんぞう燃灯ねんとう」 というは、 堂塔どうとう幡蓋ばんがいかけ仏前ぶつぜんとうみょうそなふるなり

さんしょうこう」 というは、 いっはな仏壇ぶつだんし、 一捻いちねんこうどうじょうこんずるなり

はいもんに 「仮使けしのうしょどく」 というは、 かみ上中じょうちゅうはいいうところ諸善しょぜんつくることあたはずというなり

にゃくもん深法じんぼう」 というは、 みょうごうどくさすなり。

かんしんぎょうしょうわく」 というは、 三信さんしんそくみょうしんぶっしんなり。 せんずところ様々さまざまぎょうたいみなしょどうなり。 おうじょうぎょうさんぱいとも念仏ねんぶつなり

一 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のもんかみさんぱいもんひくなりこころは、 さんぱいわかつことはこんじょうどうにして、 じょうちゅう差別しゃべつあることをしめすなり。 ぶつすすたまうことは専修せんじゅいちぎょうにありということあらわすなり。

一 「此等三義殿最難↠知」 というは、 「殿最でんさい」 というしょうれつなり

0909 「今善導↡以↠初↠正」 というは、 はいりゅうじょしょうぼうしょうさんなかに、 はいりゅうしょうとすとなり。 これすなわちしょぎょうはいして念仏ねんぶつりゅうする一向いっこう専修せんじゅなり。

一 ¬おうじょうようしゅう¼ のもんに 「↠説ずるは、 当れり上々」 というは、 観念かんねん念仏ねんぶつもととして、 ふかきじょうとしてだいあさきちゅうとするこころなり。

  第五 利益章

一 かみしょうには、 さんぱいとも念仏ねんぶつもておうじょうすることあかす。 いましょうには、 その念仏ねんぶつやくじょうしゅしょうなることあらわすなり

一 所引ひくところいまもんずうもんなり。

ぶつみょうごう」 というは、 南無なもあみだぶつなり。 「かんやく」 というは、 しんしんぎょうこころなり

ない一念いちねん」 というは、 じゅうねんしょうのなほぎょうごくするところあらわすなり。 これじゅうはちがんじょうじゅもんいうところの 「一念いちねん」 なり。 すなわちしもわたくししゃくに、 「↣上念仏願成就之なか↠云一念↢下輩之中↠明一念↡なり」 とへる、 そのこころなり。

しかるにもんともどくそうをとかざるを、 いまずうもんに 「」 とたんじ 「じょうどく」 とさんずるなりすなわちおなじきがんじょうじゅもんには 「即得そくとくおうじょう (大経巻下) へるを、 いまじょうどくとけり。

さればおうじょういうみえたり。 おうじょうへるそのことばせまし、 ただとくしょう一益いちやくあらわすがゆえなり。 へるはそのことばひろし、 おうじょうじょうぶつこの0910ことばにこもるべきなり、 ないげんやくまでもこのなかしょうざいすべきなり。

この ¬きょう¼ (大経) じょうかんしゃくそんしゅっがんとくに、 「恵以えい真実しんじつ之利しり」 ととく念仏ねんぶつことなり。 すなわちいまそのおなじかるべし。 真実しんじつなるがゆへになり、 なるがゆえじょうどくなり、 じょうどくなるがゆへにちょうぜつほういうなり

一 所引ひくところ¬礼讃らいさん¼ のしゃくしょもんなり。 文言もんごんいまきょうもんおなじ。 ただし 「皆当かいとうとくしょう」 のもんきょうもんし。 「とくそくそくじょうどく (大経巻下) もんあたれり。

さればおうじょうすなわちなりこころべきなりしたがいてさきいうごとく、 いまの 「一念いちねん」 というがんじょうじゅの 「一念いちねん (大経巻下) すがゆへに、 かの願文がんもんに 「即得そくとくおうじょう (大経巻下) ときたれば、 そのがんこころなることあらわさんがため皆当かいとうとくしょうしゃくするなり

一 「して↢念仏↡分↢別せば三輩↡、 此↢二↡。 一には↢観念浅深↡、 而分↢別之↡、 二には↢念仏多少↡而分↢別之」 というは、 おなじ念仏ねんぶつぎょうずれども、 観念かんねんふかきをばじょうはいとし、 だいあさきをばちゅうはいはいとするなり。 二にはおなじ念仏ねんぶつしょうすれども、 おおとなえるをばじょうぼんごうとし、 だいすくなきをばちゅうぼんぼんごうとするなり。

このりょう一往いちおう観念かんねん浅深せんじんよりぎょうごうしょうつきさんぱいぼんたつるなり。

しかれども 「にゃくしょうじゃしゅしょうがく (大経巻上) へる願文がんもんには、 ぼん差別しゃべつもなし。 「善悪ぜんあくぼんとくしょうしゃ (玄義分) へる0911しゃくごときは、 善人ぜんにん悪人あくにんともとくしょうやくことおなじかるべし。

しかれば、 かみひくところの ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のしゃくにも 「根性不同にして↢上・中・下↡」 といいて、 さんぱいはたゞ差別しゃべつなり。 じょうにはさんぱいあるべからずとみえたり。 さんぱいぼんとは開合かいごうなれば、 さんぱいなくはぼんあるべからざるなり

¬ちゅうろん¼ (巻下) にも 「ほん三々之ほむなれども、 今無↢一二之しゅ」 とへる、 このこころなり。

しゃにしては、 善悪ぜんあくありぎょうごうにゃくあるがゆえ差別しゃべつたてたれども、 おうじょうのちは、 じゅんいつほうにしてしょうしょうるときは、 しゅあるべからずとこころべきなり。

一 「浅深↟引。 若↠説ぜば、 理当れりといふ↢上々」 というは、 かみさんぱいおうじょうしょうひくところの ¬おうじょうようしゅう¼ のもんさすなり

一 「多少、 下輩↢十念乃至一念かず↡。 上中両輩准じて↠此がいてぞうすべし」 というは、 「ない」 ととくゆえに、 「一念いちねん」 をぼんとしてだい辺数へんじゅぞうするをちゅうぼんじょうぼんともたつこころなり。

一 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のもんは、 「日別にちべつ念仏ねんぶつ一万いちまんべん」 というより 「かいじょうぼん上生じょうしょうにん」 というまでなり。 「↠知、 三万じょうじょうぼん上生じょうしょう」 という已下いげは、 わたくししゃくなり。

如此かくのごとく観念かんねん浅深せんじん念数ねんじゅしょうつきほんこうたつことは、 じょうこんおうじょうおいて、 こころざしふかくはおなじ念仏ねんぶつ0912とも、 弥陀みだしょうほうしょうごんをもこころかけつねごんこころおこし、 また行住ぎょうじゅう坐臥ざが称名しょうみょうこころいれだいなからんは、 仏法ぶっぽうぎょうずるほんなるべきにより如是かくのごとくしゃくせらるゝなり

雖然しかりといえどもこんじょうれっにして観念かんねんこころけられず、 称名しょうみょうだいこころあれども、 念々ねんねん相続そうぞく信心しんじんえずして一心いっしんみょうこころざしまことらば、 おうじょうやくかのじょうこんひとにも差別しゃべつあるべからざるなり。

  第六 特留念仏章

一 上のしょうには、 一念いちねんもてじょうどくとすることあかしつ。 いま一念いちねんやく法滅ほうめつひゃくさいときまでおよことあかして、 いわん法滅ほうめつぜん末法まっぽう最初さいしょしゅじょうかならこのほうよりおうじょうやくべきことをあかなり

一 「末法万年余行悉して、 特↢念仏↡之文」 というは、 しょうぞう千年せんねんのち末法まっぽうなり。 万年まんねんのちしょきょうみなめっして、 かいじょう三学さんがくをだにもきくべからず。

しかる万年まんねんのちひゃくさいあいだなお念仏ねんぶつとどめしゅじょうやくすべきなり

一 「当来とうらい之世しせ」 というは、 末法まっぽう万年まんねんのちなり。

きょうどう滅尽めつじん」 というは、 諸教修行の道ことごとく滅尽めつじんすというなり

↢慈悲↡哀愍」 というは、 しゃくそん慈悲じひたれたまうとなり。

どくきょう」 というは、 ただの ¬だいきょう¼ ばかりをとどむるとなり。 ¬だいきょう¼ をとどむるとなり。 ¬だいきょう¼ をとどむというは、 念仏ねんぶつとどむなりしも0913しゃくに 「止住いうは、 念仏止住なり」 とへる、 そのこころなり

じゅうひゃくさい」 というは、 万年まんねんのちひゃくさいとどむべしというなり

其有ごうしゅじょう」 というは、 法滅ほうめつひゃくさいときすなり。

値此ちしきょうしゃ」 というは、 この ¬だいきょう¼ にあわものはというなりこれ念仏ねんぶつかんものいうこころなり。 ¬礼讃らいさん¼ に 「爾時にじもん一念いちねん」 とへる、 こころなり

↢意所願↡皆可↢得度」 というは、 おうじょうべしとなり。 ¬礼讃らいさん¼ のもんに 「皆当かいとうとくしょう」 とへる、 そのあらわすなり

一 「所詮全有↢念仏↡。 旨見たり↠前」 というは、 このきょう所説しょせつ文言もんごんおおしへども念仏ねんぶつもてきょうしゅうとすとなり

其旨見たり↠前」 というは、 かみ本願ほんがんしょうさんぱいしょうやくしょうさすなり本願ほんがんしょうには念仏ねんぶつ本願ほんがんとすとひ、 さんぱいしょうにはさんぱいとも念仏ねんぶつおうじょうすと やくしょうには一念いちねんじょうどくへる、 みなこれこのきょう所詮しょせんまったく念仏ねんぶつあるなり

一 「しかる説↢菩提心行相↢菩提心経等」 というは、 ¬しょうごんだいしんぎょう¼ ならびに ¬しんかんぎょう¼・¬やくきょう¼ とうだいしんきょうさすなり。

一 「又説こと↢持戒行相↢大小戒律」 というは、 だいじょうかいとけるは ¬梵網ぼんもうきょう¼ なり。 小乗しょうじょうかいあかせるは ¬じゅうじゅりつ¼・¬ぶんりつ¼ とうなり

一 じゅう相対そうたいしゃくは、 一々いちいち総別そうべつ対判たいはんして、 しょきょう滅尽めつじんのちどく念仏ねんぶつやくある0914ことじょうずるなり

所謂いわゆるしょうどうじょうたいすれば、 しょうどうじょうぶつきょうまずめっして、 じょうおうじょうきょうこととどまる。

おうじょうにおひて十方じっぽうじょうおうじょうあり、 西方さいほうじょうおうじょうあり。 そのなか十方じっぽうじょうおうじょうきょうまずめっして、 西方さいほうおうじょうきょうこととどまる。

十方じっぽうおうじょうきょううちそつおうじょうもこもりたれども、 こんぎょうじゃそつ西方さいほうをば一双いっそうとしてともごんするがゆえべっして西方さいほうたいしろんするなり所謂いわゆるそつきょうまずめっして、 西方さいほうきょうこととどまる。

おうじょうぎょうおいて、 またしょぎょうおうじょう念仏ねんぶつおうじょう二義にぎあり。 そのなかしょぎょうまずめっして、 念仏ねんぶつこととどまる。

されば 「このきょうじゅういうただ念仏ねんぶつじゅうなり」 というなり

一 「せば↧彼¬観無量寿経¼中して↣付↢属定散之行↡、 たゞ付↦属したまふが念仏之行」 というは、 ¬かんぎょう¼ のずうもんに 「仏告たまはく↢阿難↡、 汝好↢是↡。 持てと↢是語↡者、 即てとなり↢无量寿仏みな」 というもんさすなりこのもんこころは、 念仏ねんぶつぞくしょうえたり。

一 「↠通↢於正像末法↡。 挙↠後勧↠今」 というは、 「のち」 とはひゃくさいときなり。 「いま」 というまさしくは末法まっぽうさして、 そのなかしょうぞう二時にじせっするなり

一 「善導のしゃくに云、 弘誓多門にして四十八なることはして↢念仏↡最しん人能ずれば↠仏仏還たまふ。 専心へば↠仏仏知たまふ↠人」 とへるは、 ¬ほうさん¼ のじょうかんしゃくなり。

ぜいもんじゅうはち」 という」 は、 弥陀みだ本願ほんがんさすなり

へんひょう念仏ねんぶつさいしん」 というは、 じゅうはちがんなかだいじゅうはち0915念仏ねんぶつおうじょうがん、 これ本願ほんがんなればもっとしたしいうなり

人能にんのう念仏ねんぶつぶつ還念げんねん専心せんしん想仏そうぶつぶつにん」 というは、 ぎょうじゃぶつねんずればぶつまたぎょうじゃねんたまふ。 これすなわち、 「彼此ひし三業さんごうそうしゃ」 のなり。

  第七 摂取章

一 とうしょうよりはじめしも念仏ねんぶつぞくしょういたるまでのだんは、 ¬かんぎょう¼ のこころなり。 ただしちゅうげんしゅしょうは ¬かんぎょう¼ のもんあらず。 しかれども三心さんしんしゅ安心あんじんぎょうなるがゆえに、 一双いっそう法門ほうもんなるにより三心さんしんつぎおかるゝなり

一 所引ひくところ¬かんぎょう¼ のもん真身しんしんかんもんなり。 ¬しょ¼ のしゃくこれおなじき当所とうしょしゃくなりきょうしゃくとをひきあわせこころべし。

¬しょ¼ のもんいまきょうもんしゃくするに、 「↢無量寿仏↡↢摂取不捨↡已来、 正↧観別相することを↦有縁」 というは、 弥陀みだこうみょう念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅたまうことあかす。 「えん」 というは、 弥陀みだえんしゅじょうなり。 これすなわち念仏ねんぶつぎょうじゃなり

日想にっそう水想すいそうよりはじめほう宝樹ほうじゅほう宝楼ほうろうとうほうかんじ、 そののちしょうぼうかんずるにとりぎょうぞうかんずるを像観ぞうかんといひ、 つぎじょう真実しんじつ仏相ぶっそうかんずるを真身しんしんかんなづくこれ観仏かんぶつ三昧ざんまいいう。 さればじょうぜんなかにはこのかん正宗しょうしゅうなり。

しかるに如此かくのごとくかんいれ弥陀みだ相好そうごうこうみょうかんずれば、 そのこうみょうとく念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしてすてたまはざるやくしるなりこれ0916観仏かんぶつ所詮しょせんなり。

一に 「↢相多少」 というは、 「无量寿仏↢八万四千相↡」 というもんさすなり

二 「多少」 というは、 「一々復有↢八万四千随形好↡」 というもんさすなり

三に 「↢光多少」 というは、 「一々復有↢八万四千光明↡」 というもんこころなり。

四に 「↢光照遠近」 というは、 「一々光明遍照十方世界」 のもんでっするなり。

五に 「↢光↠及ところ、 偏ことを↢摂益」 というは、 「念仏ねんぶつ衆生、 摂取して不↠捨たまは」 のもんあたれり。

といていわ 弥陀みだ相好そうごうこうみょうみな八万はちまんせんかずとすることそのゆえりや。

こたえていわ ありおよぶつ相好そうごうこうみょうかぎらず、 ほうしょうごんまでもみな八万はちまんせんなりいわゆる弥陀みだ如来にょらいそう八万はちまんせんなりこう八万はちまんせんなりこうみょう八万はちまんせんなり

地下じげ七宝しっぽう金幢こんどうひゃっぽうしょじょうなり。 一々いちいちの宝珠に千のこうみょう有、 一々いちいちひかり八万はちまんせんじきなり。

願力がんりきしょじょう華座けざには八万はちまんせんはなびらあり。 一々いちいちはなびら八万はちまんせんすじあり、 一々いちいちすじよりはなつところのこうみょう八万はちまんせんなり。

華座けざへにちゅう法幢ほうどうあり、 そのはたぼこうえ宝幔ほうまんあり、 またひゃくおく宝珠ほうしゅあり。 その宝珠ほうしゅ八万はちまんせんひかりあり、 そのひかりまた八万はちまんせんしゅ金色こんじきせり。

観音かんのんそうとくに、 けんこうみょう八万はちまんせんなり。 じっはしにも八万はちまんせんあり、 また八万はちまんせんいろあり、 そのいろまた八万はちまんせんひかりあり。

如此かくのごとくみな八万はちまんせんなることは、 しゅじょう煩悩ぼんのう八万はちまんせんなるによりて、 しょ煩悩ぼんのうたいせんがため0917に、 のうきょうもん八万はちまんせんなり。

いま弥陀みだ相好そうごうこうみょう八万はちまんせんなることは、 かの八万はちまんせんきょうもんやく弥陀みだ一仏いちぶつどくそなへて、 八万はちまんせん塵労じんろうもんたいすることをひょうするなり。

一 三縁さんえんしゃくとも念仏ねんぶつとくあぐなり

親縁しんえん」 という親近しんごんなり。 されば 「近縁ごんえん」 もおなじことなれども、 三業さんごうぶつねんじて、 ぶつ三業さんごうぎょうじゃ三業さんごうあいせざるを親縁しんえんとし、 このねんより見仏けんぶつやくうる近縁ごんえんいうなり

所↠云いうところ見仏けんぶつは、 三昧さんまい発得ほっとくせばこのやくあるべし、 三昧さんまい発得ほっとくせずは見仏けんぶつやくがたし。 ただ肉眼にくげんずとへども、 がんぎょうこころまことあらばぶつかたよりはねんおうじて来現らいげんたまふべし。 ¬きょう¼ (観経) には 「じょうらいぎょうにんしょ」 とときしゃくには 「篭々ろうろうじょうざいぎょうにんぜん (法事讃巻上) ともいうごとし。

ぞうじょうえん」というぞうしょうなりまさしおうじょうやくなり。

一 「諸経処々↢念仏功徳」 というは、 そうじていうはゞ 「しょきょう所讃しょさんざい弥陀みだ (輔行巻二) なるがゆえに、 ひろ一代いちだいしょきょうわたるべし。 べっしていうはゞじょうしょきょうさすなり。 いままさしさんぎょうひくこのなり。

此例非ざる↠一つになり」 というは、 しょきょうにもつうずるなり

一 さんぎょうひくおいて、 ¬りょう寿じゅきょう¼ のもんに 「ゆいみょう専念せんねんみょうごうとくしょう」 というは、 じゅうはちがんこころなり。

¬弥陀みだきょう¼ のもんじゅうあり。 はじめに 「一日七日専念じて↢弥陀名号↠生ずることを」 という0918は、 しゃくそん弥陀みだみょうごう讃嘆さんだんたまへるをさすなり。 「↢是ゆへ↢此言 (小経) へる、 これなり。

つぎに 「又十方恒沙諸仏証↢誠したまふ不虚↡也」 というは、 諸仏しょぶつ同心どうしんしゃ所説しょせつしょうたまへるをさすなり。 「諸仏等称↢讃不可思議の功徳」 とへる、 これなり

¬かんぎょう¼ のもんに 「じょうさんもんちゅう」 とへるは、 じょうぜんもんには真身しんしんかん所説しょせついまの 「摂取せっしゅしゃ」 のせつもっぱらこれゆいひょう専念せんねん」 のせつなり散善さんぜんもんには三品さんぼん念仏ねんぶつならびまたずうもんこれなり。 これもんさして 「ゆいひょう専念せんねんみょうごうとくしょう」 というなり。

一 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ のもんは、 これかみきょうもんこころなり。

前の如く身相とうひかり」 といふは、 さきの真身しんしんかんくところの相好そうごうこうみょうさすなり

心光常して↢是」 というは、 弥陀みだだいしゅじょう摂取せっしゅたまふなり。 「仏心大慈悲これなり (観経) いうゆえに、 仏心ぶっしんたい慈悲じひなり。 その慈悲じひよりしゅじょうせっせんがためはなところこうみょうなれば、 「心光しんこう」 というなりこの心光しんこうつねぎょうじゃてらたまうを 「常照じょうしょうにん」 というなり

じて↠論↣照↢摂することを雑業行者」 とへることばは、 ¬きょう¼ (観経) もんかくれたりとへども、 「念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅす」 とへば、 摂取せっしゅあずからざることその顕然けんねんなるがゆえに、 ぶんみょうしゃくあらわしてこうしょうやく念仏ねんぶつかぎこと釈成しゃくじょうするなり。

一 ¬礼讃らいさん¼ のしゃくにっちゅうもんなり。 「唯有↢念仏のものゝみ↡蒙ぶる↢光摂」 というは、 「ただ」 のことば0919しゃするがゆえに、 こうしょうやくぞうぎょうこうぶらしめざることあらわすなり。

↠知、 本願最↠強」 というは、 念仏ねんぶつぎょうじゃ本願ほんがん強縁ごうえんしょうやくあずかことあらわすなり。

また ¬般舟はんじゅさん¼ に 「相好いよいよにして八万四なり、 一々光明照すに↢十方↡、 ↧為↢余縁↥、 唯覓↢念仏往生」 というも、 そのこころあいおなじ。 「雑業ぞうごう」 とへると、 「ぜん」 とへると、 ことばことにしてこころおなじ。 これ念仏ねんぶつほかしょぎょうさすなり

また ¬礼讃らいさん¼ に 「光明無量にしてすに↢十方↡無↠所↢障する↡。 唯みそなは↢念仏衆生↡、 摂取して↠捨たまは」 というおなじことなりへ ¬かんぎょう¼ には摂取せっしゅしゃやくき、 ¬弥陀みだきょう¼ には弥陀みだみょうけり。

しかる摂取せっしゅやくとくは、 ¬かんぎょう¼ にも弥陀みだみょうあらわこころあり。 「念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅす」 とときたるこうみょうは、 十方じっぽうこくてらししょうするところなければ、 無むげ光仏こうぶつかなへるゆえなり。 ¬弥陀みだきょう¼ に 「↢十方↡無所障」 とときたるこうみょうは、 念仏ねんぶつしゅじょうてらすは摂取せっしゅふくめり。 ようりゃくけんなり。 ゆえに 「¬弥陀みだきょう¼ および ¬かんぎょう¼ いわく」 といいいましゃくもうけたり。

されば弥陀みだいう仏号ぶつごうは、 念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしてすてたまはざるやくあらわことばなり。 ぎょうぎょうじゃをば摂取せっしゅせず。 摂取せっしゅせざればそのとき弥陀みだじょうずべからずとえたり。

といていわ いまもんをばなんこのしょこれひかざるや。

こたえていわ まず ¬礼讃らいさん¼ のもん両経りょうきょうこころひくゆえに、 の ¬かんぎょう¼ のこころいういま真身しんしんかんもんなれば、 べつひくおよばず。 ¬0920きょう¼ のこころひくも、 いまの ¬かんぎょう¼ の摂取せっしゅしゃやくつきて ¬弥陀みだきょう¼ のもんこころあわすもんなれば、 きょうはなれてべつこれひかざるなり。

つぎに ¬般舟はんじゅさん¼ のしゃくひかれざることは、 かのしょしょうにんざいしょうときいまだ流布るふせざりしによりて、 高覧こうらんなかりけるゆへなり。

一 「所引のもんなかに、 ↧自余衆善雖↠名くと↡、 若すれば↢念仏↡者全ずと↦比挍↥也いふは、 意、 是して↢浄土門の諸行↡而↢比論するなり」 というは、 念仏ねんぶつぎょう真言しんごんかんとう事理じり諸善しょぜんたいしてしょうれつろんずるにあらず。

ただおうじょうじょうもんおいそのしゅぎょういうに、 しょぎょう念仏ねんぶつとを相対そうたいするとき念仏ねんぶつちょうぜつせりというこころなりとしめすなり。 これすなわちかれなんぎょうなり、 これぎょうなり。 かれ本願ほんがんあらず、 これ本願ほんがんなるがゆえなり

本云

康暦元年 七月十一日書写之了

 

此本以賢意本写之。 故存覚聖人御草にて仍悦尋出感得、 此本間加書写了。

応永廿二年六月七日写功了。

松下隠士 光覚(花押)

 一交了

初条写置本以外文言点等無元条間、 以或本重而来合候処、 則其謬多之悉改写了。

 

底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完しているˆ表記は現代仮名遣いにしたˇ。