0900◎選せん択じゃく註ちゅう解げ鈔しょう第だい二に

  ◎第三 本願章

(40)

一 上かみの章しょうに正しょう雑ぞう二に行ぎょうを分別ふんべつして、 而しかも雑ぞう行ぎょうを選えらび捨すてゝ正行しょうぎょうを選えらび取とるが故ゆえに、 ▲今いまの章しょうには其その正行しょうぎょうの中なかに、 正しょう業ごうの念仏ねんぶつを以もて弥陀みだの本願ほんがんとし、 往おう生じょうの正しょう業ごうとする義ぎを顕あらわすなり。 凡およそ此この書しょに三さん経ぎょうの要文ようもんを挙あげて一いっ宗しゅうの義ぎ趣しゅを明あかせり、 其その中なかに当とう章しょう以下いげの四段よんだんは、 ¬大だい経きょう¼ の文もんを引ひけり。

(41)

一 「▲弥陀如来不ず↧以↢て余行↥を為↦ まは往生◗の本願↡と、 唯以↢て念仏↡を為し↢  たまへる往生◗の本願↡と之文」 と云いうは、 ¬大だい経きょう¼ の十じゅう八はちの願がんを指さす也なり。

-是これに依よりて、 彼かの願文がんもんを引ひく也なり。 ▲¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の摂せっ生しょう増ぞう上じょう縁えんの文もん、 并ならびに ▲¬礼讃らいさん¼ の後ご序じょの文もん、 同おなじく彼かの願文がんもんを引ひき釈しゃくする文もんなるが故ゆえに、 是これを加くわへらる。

-十じゅう六ろくの章しょう段だんの中なかには、 この章しょう正宗しょうしゅうなり。 「選せん択じゃく本願ほんがん念仏ねんぶつ集しゅう」 と云いへる題目だいもく、 此この章しょうの意こころを顕あらはすが故ゆえなり。 余よの所談しょだんは皆みな此この章しょうを助じょ成じょうするなり。

(42)

一 ¬大だい経きょう¼ (巻上) の文もんに 「▲十方衆生」 と云いうは、 善人ぜんにん悪人あくにん・有智うち無智むち・有う罪ざい無む罪ざい・男女なんにょ老ろう少しょう、 一切いっさい有う情じょうを摂せっする言ことば也なり。

-「▲至心信楽欲生」 と云いうは三信さんしんなり。 ¬観かん経ぎょう¼ に説とく0901ところの▲三心さんしん則すなわち是これ也なり。 所謂いわゆる至し心しんは是これ至し誠じょう心しん、 是これ真実しんじつ心しんなり。 信しん楽ぎょうは深心じんしん、 これ深信じんしんの心しん也なり。 欲よく生しょうは廻え向こう発願ほつがん心しん、 これ願がん往おう生じょうの心しんなり。

-「▲↓乃至十念」 と云いうは行ぎょう体たいを顕あらはす。 名みょう号ごうを称しょうする事こと、 上かみ一いち形ぎょうを尽つくし下しも十じゅう念ねんにいたるまで、 みな往おう生じょうの因いんなり。

-因願いんがんにはかくのごとく十じゅう念ねんと説ときたるを、 願がん成じょう就じゅの文もんには 「▲↓乃至一念」 (大経巻下) と説とけり。 是これ易い行ぎょうの中なかの易い行ぎょうを顕あらはすことば也なり。 故ゆえに和か尚しょう此この意こころを得えて 「▲下至十声一声等」 (礼讃) と釈しゃくし、 聖しょう人にん又また当とう章しょうの私し釈しゃくに 「乃至」 の言ことばを料りょう簡けんするに、 ▲上じょう尽じん一いち形ぎょう下至げし十じっ声しょう一いっ声しょう等とうの義ぎ也なりと釈しゃくせり。

-されば往おう生じょうの為ためには又また別べつの因いんなし、 至し心しん・信しん楽ぎょう・欲よく生しょうの心こころを以もて乃ない至し一念いちねんせん者もの、 皆みな悉ことごとく往おう生じょうすべし。

(43)

一 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の文もんの中なかに、 「▲称我名号」 の句くと 「▲↓乗我願力」 の句くとは本ほん経ぎょうに見みえざる言ことば也なり。 而しかるに是これを加くわへらるゝ事ことは、 ¬経きょう¼ (大経巻下) に 「↑乃至一念」 と云いへるは隠顕おんけんの義ぎあれども、 顕けんには称名しょうみょうの念数ねんじゅ也なり。 則すなわち次上つぎかみの十じゅう七しちの願がんに 「▲不悉咨嗟称我名者」 (大経巻上) と云いへるは名みょう号ごうなるが故ゆえに、 今いま 「↑乃至十念」 と云いへるは名みょう号ごうの法体ほったいなる事ことを顕あらはして、 称しょう我が名みょう号ごうと引ひかるゝ也なり。

-「↑乗我願力」 と云いうは、 至し心しん・信しん楽ぎょう・欲よく生しょうと云いへるは自じ力りきの信しんに非あらず、 他た力りき真実しんじつの信心しんじんなる事ことを顕あらわす言ことば也なり。 罪悪ざいあく生しょう死じの凡ぼん夫ぶ、 一いっ称しょう一念いちねんに報ほう土どの往おう生じょうを遂とぐる事ことは、 仏願ぶつがんの強縁ごうえんに託たくするが故ゆえなりと知しるべし。

(44)

一0902 ¬往おう生じょう礼讃らいさん¼ の文もんにも 「▲称我名号」 の句くあり、 是これも其その義ぎ ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の釈しゃくに同おなじ。

-「▲彼仏今現在成仏」 と云いへる以下いげは、 願がん成じょう就じゅの義ぎを引ひき釈しゃくせらるゝ也なり。 乃ない至し十じゅう念ねんの行ぎょう者じゃ、 往おう生じょうせずは正しょう覚がくを取とらじと誓ちかい給たまいしに、 既すでに正しょう覚がくを成じょうじ給たまいぬるは、 衆しゅ生じょうの往おう生じょう決けつ定じょうするが故ゆえなりと顕あらわすなり。

(45)

一 「▲総者とは四弘誓願是 れ也 り」 と云いうは、 一切いっさいの諸仏しょぶつ皆みな通つうじて此この四よつの願がんを発おこすが故ゆえに 「総そう」 と云いう也なり。 ▼一には衆しゅ生じょう無む辺へん誓願せいがん度ど、 二には煩悩ぼんのう无む辺へん誓願せいがん断だん、 三には法門ほうもん无む尽じん誓願せいがん知ち、 四には无む上じょう菩ぼ提だい誓願せいがん証しょう也なり。 此この四よつの中なかに、 初はじめの一ひとつは利他りたの願がん、 後のちの三みつは自利じりの願がん也なり。 此この四し弘ぐ願がん成じょう就じゅすれば、 自利じり々他りた円満えんまんして无む上じょう菩ぼ提だいを得うる也なり。

-是この総願そうがんの上うえに因いん位にの願がん楽ぎょうに依よりて、 仏々ぶつぶつ各々おのおのに発おこしまします所ところの願がんを別願べつがんと云いう也なり。

(46)

一 「▲五十三仏」 と云いうは、 一々いちいちの名な ▲¬大だい経きょう¼ の上じょうに説とくが如ごとし。

(47)

一 「▲棄↠て国◗を捐↠ てゝ王、を 行 じて作な↢る↓沙門↡と。 号 して曰↢ふ法蔵↡と」 と云いうは、 弥陀みだ如来にょらいの因いん位には法蔵ほうぞう比丘びく、 法蔵ほうぞう比丘びくの前さきは国王こくおう也なり。 故ゆえに国くにをすて王おうをすて沙門しゃもんと成なるとなり。

-「↑沙門しゃもん」 と云いうは梵ぼん語ご也なり、 此ここには勤息ごんそくと云いふ。 勤ごんツトメ善ぜん息そくヤム悪あくの義ぎなり。

(48)

一 ▲¬大阿弥陀経¼ は ¬大だい経きょう¼ の同本どうほん異い訳やくの経きょうなり。 「▲選択」 と云いう言ことば◗は彼かの ¬経きょう¼ より出いでたり、 是これを取とりて今いまの書しょの題目だいもくとせらるゝ也なり。

-「▲二十四願経」 と云いうは、 彼かの ¬大だい阿あ弥陀みだ0903経きょう¼ を指さす也なり。 四し十じゅう八はち願がんの内うち二に願がんを一段いちだんに説ときて、 二に十じゅう四し願がんと説ときたる也なり。

(49)

一 「▲或 ひは有↧り以↢て↓布施↡を為↢る往生◗の行↡と之土↥も。 或 ひは有↧り以↢て↓持戒↡を為す↢る往生◗の行↡と之土ど↥も。 或 ひは有↧以↢て↓忍辱↡を為↢る往生行↡と之土↥も。 或 ひは有↧以↢て↓精進↡為↢往生行↡之土ど↥。 或 ひは有↧り以↢て↓禅定↡を為↢る往生◗の行↡と之土ど↥も。 或 ひは有↧り以↢て↓般若↡を ↓信↢第一義↡等是也 為す↢る往生◗の行↡と之土ど↥も」 と云いうは、 如↠次ついでのごとく六ろく度どの行ぎょうなり。

-所謂いわゆる 「↑布施」 と云いうは無む貪とんを性しょうとす。 物ものを以もて人ひとに与あたうる也なり。

-「↑持戒」 と云いうは不ふ放逸ほういつを性しょうとす。 身しん口意くいを守まもりて悪あくを制せいする也なり。

-「↑忍辱」 と云いうは無む瞋しんを性しょうとす。 違い背はいの境さかいに於おいて安忍あんにんする也なり。

-「↑精進」 と云いうは、 善法ぜんぽうを行ぎょうじて懈け怠だいなきを性しょうとす。 余よの五ご波羅はら蜜みつを行ぎょうずる事こと勇ゆう猛みょうにして間断けんだんなき、 則すなわち是これ也なり。

-「↑禅定」 と云いうは静じょう慮りょなり。 心こころの散乱さんらんなきを性しょうとす。

-「↑般若」 と云いうは智恵ちえ也なり。 無痴むちを以もて性しょうとす。 智ちに多た種しゅあり、 註ちゅうに 「↑信第一義」 と云いうは、 其その一ひとつを挙あぐる也なり。 第一だいいち義ぎは空くうなり。 されば畢ひっ竟きょう空くう寂じゃくの理りを達たっする空くう智ちを指さす也なり。

(50)

一 「▲或 ひは有↧り以も↢て菩提心↡を為す↢る往生◗の行↡と之土ど↥」 と云いうは、 菩ぼ提だい心しんに於おいて諸しょ宗しゅうの所談しょだん各別かくべつなるが故ゆえに、 種々しゅじゅの不ふ同どうあり。 然しかれども大たい意いは度ど衆しゅ生じょう・願がん作さ仏ぶつの心こころなり。 則すなわち前さきに云いう所ところの 「四弘しぐ誓願ぜいがん」 なり。

-菩ぼ提だい心しんの相そうは下しもの▲念仏ねんぶつ付ふ属ぞくの章しょうに是これを明あかせり。

(51)

一 「▲或 ひは有↧り以↢て六念↡を為↢る往生◗の行↡と之土ど↥」 と云いうは、 六念ろくねんと云いうは、 一には念仏ねんぶつ、 二に0904は念法ねんぼう、 三には念僧ねんそう、 四には念戒ねんかい、 五には念捨ねんしゃ、 六には念天ねんてん也なり。

-此この中なかに、 初はじめの三みつは常つねの如ごとく是これ念ねん三宝さんぼう也なり。 念戒ねんかいと云いうは、 諸仏しょぶつの戒かいを念ねんずるなり。 念捨ねんしゃと云いうは、 諸仏しょぶつ・菩ぼ薩さつの作なし難がたきを善よく作なし、 捨しゃし難がたきを善よく捨しゃし給たまへる意こころを念ねんずる也なり。 念天ねんてんと云いうは、 最さい後ご身しんの菩ぼ薩さつを念ねんずる也なり。 最さい後ご身しんの菩ぼ薩さつと云いうは、 補ふ処しょの菩ぼ薩さつ也なり。 補ふ処しょの菩ぼ薩さつは都と率天そつてんに住じゅうするが故ゆえに念天ねんてんと云いう也なり。

(52)

一 「▲如 と↠く是◗の往生◗の行種々不同◗にして、 不ず↠可↢ら具◗に述↡ぶ。 ◆即◗ち今は選↢び捨 てゝ前◗の布施ふせ・持じ戒かい、 乃至孝養父母等◗の諸行↡を、 選↢び取◗る専称仏号↡を。 故かるがゆへ◗に云↢ふ撰択↡と也」 と云いうは、 正まさしく選せん択じゃく本願ほんがんの義ぎを顕あらわす也なり。

-されば弥陀みだの本願ほんがんは専せん称しょう仏号ぶつごう也なり。 専せん称しょう仏号ぶつごうの外ほかは往おう生じょうの正しょう因いんに非あらず。 此この義ぎを成じょうずるを、 此この宗しゅうの所詮しょせんとする也なり。

(53)

一 「▲弥陀一仏◗の所有◗の四智・↓三身・↓十力・↓四无所畏↓等◗の一切◗の内証◗の功徳、 相好・光明・説法・利生等◗の一切◗の外用◗の功徳、 皆悉◗く摂↢在◗す阿弥陀仏◗の名号之中なか↡に」 と云いうは、 「四智」 と云いうは、 一には大円だいえん鏡きょう智ち、 大だい悲ひに依よりては常つねに衆しゅ生じょうを縁えんじ、 大だい智ちに依よりては恒つねに法ほっ性しょうに順じゅんずる智ち也なり。 二には平びょう等どう性しょう智ち、 一切いっさいの法ほうの自他じた平びょう等どうなるを観かんずる智ち也なり。 三には妙みょう観察かんざつ智ち、 諸法しょほうの自じ相そう・共ぐ相そうを観かんずる智ち也なり。 四には成じょう所しょ作さ智ち、 有う情じょうを利りして種々しゅじゅに三業さんごうを変へん化げする智ちなり。

-「↑三身」 と云いうは、 一には法身ほっしん、 真如しんにょ法界ほっかいの妙みょう理り、 凝ぎょう然ねん不ふ変へんの功く徳どく也なり。 二0905には報身ほうじん、 修因しゅいん感かん果かの妙みょう智ち、 境きょう智ち冥みょう合ごうの真身しんしん也なり。 此これに又また二に種しゅあり。 自じ受用じゅゆう身しん・他た受用じゅゆう身しんなり。 自じ受じゅ法楽ほうらくの故ゆえに自じ証しょうの極きわまれるを自じ受用じゅゆう身しんと云いい、 化他けたの為ために対たい機き説法せっぽうするを他た受用じゅゆう身しんと号ごうするなり。 三には応身おうじん、 随縁ずいえん感見かんけんの身しん、 凡ぼん夫ぶ示じ同どうの体たいなり。 此これに又また二に種しゅあり。 八相はっそう成じょう道どうするを応身おうじんと云いい、 無而むに忽こつ有うなるを化け身しんと云いうなり。

-「↑十力」 と云いうは、 一には処しょ非ひ処しょ智ち力りき、 二には業ごう異い熟じゅく智ち力りき、 三には静じょう慮りょ解げ脱だつ智ち力りき、 四には根こん上じょう下げ智ち力りき、 五には種種しゅじゅ勝しょう解げ智ち力りき、 六には種々しゅじゅ界かい智ち力りき、 七には遍趣へんしゅ行ぎょう智ち力りき、 八には宿住しゅくじゅう随念ずいねん智ち力りき、 九には死し生しょう智ち力りき、 十には漏ろ尽じん智ち力りき也なり。

-「↑四無畏」 と云いうは、 一には等とう正しょう覚がく無畏むい、 二には漏ろ永尽ようじん無畏むい、 三には説せつ障しょう法ほう無畏むい、 四には説せつ出しゅつ苦く道どう無畏むい也なり。

-「↑等」 と云いうは、 大だい悲ひ・三念さんねん住じゅうを等取とうしゅする也なり。 大だい悲ひと云いうは大だい慈悲じひ也なり。 三念さんねん住じゅうと云いうは、 一には順境じゅんきょうに縁えんじて歓かん喜ぎを生しょうぜざる念ねん住じゅう、 二には違い境きょうに縁えんじて憂う戚しゃくを生しょうぜざる念ねん住じゅう、 三には双ならべ◗て順じゅん違い境きょうを縁えんじて歓かん戚しゃくを生しょうぜざる念ねん住じゅうなり。

-已い上じょう十力じゅうりき・四し无畏むい・大だい悲ひ・三念さんねん住じゅうを合あわせて仏ぶつの十じゅう八はち不共ふぐ法ほうと云いう。 此この十じゅう八はちの法ほうは、 二に乗じょう・三さん乗じょうはこれを具ぐせず、 只ただ仏ぶつのみ是これを具ぐし給たまうが故ゆえに不共ふぐ法ほうと云いう也なり。 諸仏しょぶつ皆みな此この功く徳どくを具ぐせり。 而しかるに阿あ弥陀みだ如来にょらいの具ぐし給たまう処ところ◗の是これ等らの功く徳どく、 悉ことごとく名みょう号ごうの中なかに摂しょう在ざいすと云いう也なり。

(54)

一 「▲極楽界◗の中 ち◗に既◗に無↢し三悪趣↡。 当↠に ベ シ知、る 是 れ則◗ち成↢就 する無三悪 く趣之の願◗を也 り」 と云いうは、 「三さん悪趣まくしゅ0906」 と云いうは、 地じ獄ごく・餓鬼がき・畜ちく生しょう也なり。

-此この三悪さんまくの果か報ほうは、 十じゅう悪あくの因いんに依よりて是これを感かんず。 而しかるに極楽ごくらくには十じゅう悪あくの悪因あくいん、 其その業ごう無なきが故ゆえに、 三悪さんまくの苦果くかをば名なをだにも聞きかざるなり。 されば三悪さんまく道どう無なからんと誓ちかい給たまいし願がん成じょう就じゅして、 今いまは地じ獄ごく・餓鬼がき・畜ちく生しょうの諸難しょなん無なき也なり。

(55)

一 「▲三十二相」 と云いうは仏ぶつの相そう也なり。 ▲¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ に明あかすが如ごとし。

(56)

一 「▲念仏之の人ひと皆 な以◗て往生。す ◆以↠ てか何◗を得↠る知。 ことを即◗ち念仏往生◗の願成就◗の文、に 云↧ へる↓諸有あらゆる衆生、 ↓聞き↢ ゝて其◗の名号↡を↓信心↓歓喜、し ↓乃至一念◗し↓至心◗に廻向。  したまへり↓願↠ ずれば生↢ ぜんと彼◗の国↡に、 則◗ち得え↢往生↡を住↦ すと不退転↥に是 れ也 り」 と云いうは、 十じゅう八はちの願がんの成じょう就じゅせる相そうなり。 念仏ねんぶつ往おう生じょうの益やく、 此この文もん◗に至し極ごくせり。

-「↑諸有衆生」 と云いうは、 十方じっぽう衆しゅ生じょうなり。 「↑聞其名号」 と云いうは、 南无なも阿あ弥陀みだ仏ぶつを聞きく也なり。 「↑信心」 と云いうは至し心しん也なり。 「↑歓喜」 と云いうは信しん楽ぎょう也なり。

-「↑乃至一念」 と云いうは、 乃ない至し十じゅう念ねんの願がんなほ一念いちねんに至し極ごくする事ことを顕あらはす也なり。 「↑至心廻向」 と云いう、は 如来にょらい他た力りきの廻え向こうなり。

-「↑願生彼国」 と云いうは、 欲よく生しょうの心しんなり。 此この三信さんしんを発ほっすれば、 如来にょらい利他りたの廻え向こうに依よりて即すなわち往おう生じょうを得うと云いう也なり。

(57)

一 「▲凡◗そ↓四十八願荘↢厳◗す浄土↡を。 花池・宝閣無↠し非↢   ずといふこと願力↡に。 何◗ぞ於↢て其◗の中 ち↡に独◗り可↣き疑↢惑◗す念仏往生◗の願↡を乎や」 と云いうは、 四し十じゅう八はち願がん皆みな徒いたずら◗に発おこし給たまはず。 一々いちいちの願がん悉ことごとく成じょう就じゅすれば、 第だい十じゅう八はちの願がん孤ひとり成じょう就じゅせざるべきに非あらず。 随したがいて阿あ弥陀みだ仏ぶつ成じょう仏ぶつ已い来らい既すでに十劫じっこうなれば、 如来にょらいの願がん既すでに成じょうぜり。 衆しゅ生じょうの往おう生じょう疑うたがうべからずと也なり。

-「↑四十八願荘厳浄土」 と云いうは、 「▲金縄界道0907非工匠」 (礼讃) なるが故ゆえに巧匠ぎょうしょうの所しょ作さに非あらず。 四し十じゅう八はち願がん荘しょう厳ごんより起おこるなるが故ゆえに願力がんりきを以もて建こん立りゅうせる也なり。 故ゆえに七宝しっぽう蓮れん花げの池いけの有様ありさま、 百ひゃっ宝ぽう荘しょう厳ごんの楼閣ろうかくの拵しつらい、 併しかしながら願がんに答こたえて成じょう就じゅせる也なり。

(58)

一 「▲如↠く是◗の五神通及以をよび↓光明・寿命↓等◗の願◗の中なか、に 一々◗に置↢く下至之言↡。 是則従↠多至↠少、 以↠下対↠上之義也。 例↢ するに上八種之願↡に、 今此願乃至者即是下至なり」 と云いうは、 「五神通の願がん」 は、 第だい五ごの宿命しゅくみょう通つうの願がん、 第六だいろくの天眼てんげん通つうの願がん、 第だい七の天てん耳に通つうの願がん、 第八だいはちの他た心しん通つうの願がん、 第だい九くの神足じんそく通つうの願がん也なり。

-「↑光明寿命の願がん」 と云いうは、 第だい十じゅう二にの光こう明みょう无む量りょうの願がん、 第だい十じゅう三さんの寿じゅ命みょう无む量りょうの願がん也なり。 「↑等」 と云いうは、 第だい十じゅう四しの声しょう聞もん无む量りょうの願がんを等取とうしゅする也なり。

-是これを総そうじて八種はっしゅの願がんと云いう也なり。 此この八種はっしゅの願がんに皆みな下至げしの言ことばあり、 此この下至げしの言ことばは、 十じゅう八はちの願がんの乃ない至しの言ことばと其その義ぎ同おなじと云いうなり。

 

  第四 三輩章

(59)

一 上かみの章しょうには、 念仏ねんぶつの一いち行ぎょう、 往おう生じょうの正しょう業ごうなる義ぎを成じょうじおはりぬ。 ▲いまの章しょうには、 三さん輩ぱいの機き根こん、 ともにかの念仏ねんぶつを一向いっこう専念せんねんして往おう生じょうすることをあかすなり。

(60)

一 上じょう輩はいの文もんに 「▲捨家棄欲」 と云いうは、 「捨家」 は出しゅっ家け遁世とんせいするなり、 「棄欲」 と云いうは、 五ご欲よくを離はなるゝ也なり。 五ご欲よくと云いうは、 色しき・声しょう・香こう・味み・触そくに著じゃくする心こころなり。

-中ちゅう輩はいの文もんに 「▲奉0908事斎戒」 と云いうは、 斎さいと戒かいとを持たもつなり、 「斎さい」 と云いうは不過ふか中ちゅう食じきなり、 「戒かい」 と云いうは八戒はっかいなり。 八戒はっかいと云いうは、 一には不ふ殺せっ生しょう、 二には不ふ偸ちゅう盗とう、 三には不ふ邪婬じゃいん、 四には不ふ妄もう語ご、 五には不ふ飲酒おんじゅ、 六には不ず↠得w↢脂し粉ふん◗を身み◗に塗ぬる ことを↡、 七には不ず↠得w↢歌舞かぶ唱しょう伎ぎ◗し及およ◗び往ゆき◗て観かん聴ちょう することを↡、 八には不ず↠得w↢高広こうこう大だい牀しょう◗に上のぼ ることを↡也なり。

-「▲起立塔像」 と云いうは、 塔婆とばを起き立りゅうし仏像ぶつぞうを造ぞう立りゅうするなり。 起き塔とうの言ことばの中なかには造ぞう寺じも有あるべし。 造像ぞうぞうの言ことばの中なかには画え像ぞうも有あるべし。

-「▲飯食沙門」 と云いうは、 飯食ぼんじきを以もて僧そうに供く養ようするなり。

-「▲懸繒燃灯」 と云いうは、 堂塔どうとうに幡蓋ばんがいを懸かけ、 仏前ぶつぜんに灯とう明みょうを備そなふる也なり。

-「▲散花焼香」 と云いうは、 一いっ枝しの花はなを仏壇ぶつだんに供くし、 一捻いちねんの香こうを道どう場じょうに献こんずる也なり。

-下げ輩はいの文もんに 「▲仮使不能作諸功徳」 と云いうは、 上かみの上中じょうちゅう二に輩はいに云いう所ところの諸善しょぜんを作つくること能あたはずと云いう也なり。

-「▲若聞深法」 と云いうは、 名みょう号ごうの功く徳どくを指さすなり。

-「▲歓喜信楽不生疑惑」 と云いうは、 三信さんしん具ぐ足そく、 明みょう信しん仏ぶっ智ちの心しんなり。 詮せんずる所ところ、 様々さまざまの行ぎょう体たいは皆みな諸しょ機きの不ふ同どうなり。 往おう生じょうの行ぎょうは三さん輩ぱい共ともに念仏ねんぶつ也なり。

(61)

一 ▲¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の文もんは上かみの三さん輩ぱいの文もんを引ひく也なり。 意こころは、 三さん輩ぱいと分わかつことは根こん性じょうの不ふ同どうにして、 上じょう・中ちゅう・下げの差別しゃべつあることを示しめすなり。 仏ぶつの勧すすめ給たまうことは専修せんじゅ一いち行ぎょうにありと云いう事ことを顕あらわすなり。

(62)

一 「▲此等◗の三義殿最難↠し知」 と云いうは、 「殿最でんさい」 と云いうは勝しょう劣れつの義ぎ也なり。

(63)

一0909 「▲依↢ば若も◗し今善導↡に以↠て初◗を為↠す正◗と」 と云いうは、 廃はい立りゅう・助じょ正しょう・傍ぼう正しょうの三さん義ぎの中なかに、 廃はい立りゅうの義ぎを以もて正しょう義ぎとすとなり。 是これ則すなわち、 諸しょ行ぎょうを廃はいして念仏ねんぶつを立りゅうする一向いっこう専修せんじゅの義ぎなり。

(64)

一 ¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ の文もんに 「▲若◗し如↠く説◗の行、 ずるは当↢ れり理り上々↡に」 と云いうは、 観念かんねんの念仏ねんぶつを本もととして、 深ふかきを上じょうとして次し第だいに浅あさきを中ちゅう下げとする意こころなり。

 

  第五 利益章

(65)

一 上かみの章しょうには、 三さん輩ぱい共ともに念仏ねんぶつを以もて往おう生じょうする事ことを明あかす。 ▲今いまの章しょうには、 其その念仏ねんぶつの利り益やくの无む上じょう殊しゅ勝しょうなる事こと◗を顕あらわす也なり。

(66)

一 所引ひくところの▲今いまの文もんは流る通ずうの文もんなり。

-「▲彼仏名号」 と云いうは、 南無なもあみだ仏ぶつなり。 「▲歓喜踊躍」 と云いうは、 至し心しん信しん楽ぎょうの意こころ也なり。

-「▲乃至一念」 と云いうは、 十じゅう念ねんの利り生しょうのなほ易い行ぎょうに至し極ごくする所ところを顕あらわすなり。 是これ十じゅう八はちの▽願がん成じょう就じゅの文もんに云いう所ところの 「▲一念」 なり。 則すなわち下しもの私わたくしの釈しゃくに、 「▲是 れ指↣す上◗の念仏◗の願成就之中なか◗に所↠の↠云◗ふ一念◗と与と↢を下輩之中◗に所↠の↠明◗す一念↡也なり」 と云いへる、 其その意こころなり。

-而しかるに彼かの文もん共ともに功く徳どくの相そうをとかざるを、 今いま流る通ずうの文もんに 「▲大利」 と嘆たんじ 「▲無上の功徳」 と讃さんずる也なり。 則すなわち同おなじき▽願がん成じょう就じゅの文もんには 「▲即得往生」 と云いへるを、 今いまは 「大利无上の功徳」 と説とけり。

-されば往おう生じょうを大だい利りと云いうと見みえたり。 往おう生じょうと云いへる其その詞ことば狭せまし、 只ただ得とく生しょうの一益いちやくを顕あらわすが故ゆえなり。 大だい利りと云いへるは其その詞ことば広ひろし、 往おう生じょうも成じょう仏ぶつも此この0910詞ことばにこもるべきなり、 乃ない至し現げん世ぜの利り益やくまでも此この中なかに摂しょう在ざいすべきなり。

-此この ¬経きょう¼ (大経) の上じょう巻かんに釈しゃく尊そん出しゅっ世せの元がん意いを説とくに、 「▲恵以真実之利」 と説とくは念仏ねんぶつの事ことなり。 則すなわち今いまの大だい利りと其その義ぎ同おなじかるべし。 真実しんじつの利りなるがゆへに大だい利りなり、 大だい利りなるが故ゆえに無む上じょうの功く徳どくなり、 無む上じょうの功く徳どくなるがゆへに超ちょう絶ぜつ法ほうと云いう也なり。

(67)

一 所引ひくところの ▲¬礼讃らいさん¼ の釈しゃくは初しょ夜やの文もんなり。 文言もんごん今いまの経きょう文もんに同おなじ。 但ただし 「▲皆当得生彼」 の文もんは経きょう文もんに無なし。 「▲為得大利則是具足無上功徳」 (大経巻下) の文もんに当あたれり。

-されば往おう生じょうは則すなわち大だい利り也なりと意こころ得うべき也なり。 随したがいて前さきに云いうが如ごとく、 今いまの 「▲一念」 と云いうは△願がん成じょう就じゅの 「一念」 を指さすがゆへに、 △彼かの願文がんもんに 「即得そくとく往おう生じょう」 と説ときたれば、 其その願がんの意こころなる事ことを顕あらわさんが為ために皆当かいとう得とく生しょう彼ひと釈しゃくする也なり。

(68)

一 「▲若◗し約↢ して念仏↡に分↢別 せば三輩↡を、 此◗に有↢り二◗の意 ろ↡。 一 には随 が↢て観念◗の浅深↡に而◗も分↢別◗し之↡、 二 には以↢て念仏◗の多少↡を而◗も分↢別之↡を」 と云いうは、 同おなじく念仏ねんぶつを行ぎょうずれども、 観念かんねんの深ふかきをば上じょう輩はいとし、 次し第だいに浅あさきをば中ちゅう輩はい・下げ輩はいとする義ぎなり。 二には同おなじく念仏ねんぶつを称しょうすれども、 多おおく唱となえるをば上じょう品ぼんの業ごうとし、 次し第だいに少すくなきをば中ちゅう品ぼん・下げ品ぼんの業ごうとする義ぎなり。

-此この両りょう義ぎは一往いちおう観念かんねんの浅深せんじんに依より、 行ぎょう業ごうの多た少しょうに付つきて三さん輩ぱい九く品ぼんを立たつるなり。

-然しかれども 「▲若不生者、 不取正覚」 (大経巻上) と云いへる願文がんもんには、 九く品ぼんの差別しゃべつもなし。 「▲善悪凡夫得生者」 (玄義分) と云いへる0911釈しゃくの如ごときは、 善人ぜんにんも悪人あくにんも共ともに得とく生しょうの益やくを得うる事ことは同おなじかるべし。

-然しかれば、 上かみに引ひくところの ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の釈しゃくにも 「▲根性不同 にして有↢り上・中・下↡」 と云いいて、 三さん輩ぱいはたゞ機きの差別しゃべつなり。 浄じょう土どには三さん輩ぱいあるべからずと見みえたり。 三さん輩ぱいと九く品ぼんとは開合かいごうの異いなれば、 三さん輩ぱいなくは九く品ぼんも有あるべからざる也なり。

-¬註ちゅう論ろん¼ (巻下) にも 「▲本ほん◗は則◗ち三々之品ほむ、  なれども今無↢し一二之殊しゅ↡」 と云いへる、 此この意こころなり。

-娑しゃ婆ばにしては、 機きに善悪ぜんあくあり行ぎょうに強ごう弱にゃくあるが故ゆえに差別しゃべつを立たてたれども、 往おう生じょうの後のちは、 純じゅん一いつの報ほう土どにして無む生しょうの証しょう悟ごを得うるときは、 其その殊しゅ異い有あるべからずと意こころ得うべきなり。

(69)

一 「▲浅深◗と者は如↢し上◗に所↟の引。く 若◗し如↠く説◗の行、 ぜば理当↢  れりといふ上々↡に是 れ也 り」 と云いうは、 上かみの三さん輩ぱい往おう生じょうの章しょうに引ひくところの ▲¬往おう生じょう要よう集しゅう¼ の文もんを指さす也なり。

(70)

一 「▲次◗に多少◗と者は、 下輩◗の文◗の中 か◗に既◗に有↢り十念乃至一念◗の数かず↡。 上中両輩准↠ じて此◗に随 が いて増ぞう すべし」 と云いうは、 「乃至」 と説とくが故ゆえに、 「一念」 を下げ品ぼんとして次し第だいに辺数へんじゅの増ぞうするを以もて中ちゅう品ぼん、 上じょう品ぼんとも立たつる意こころなり。

(71)

一 ¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の文もんは、 「▲日別念仏一万遍」 と云いうより 「皆是上品上生人」 と云いうまでなり。 「▲当↠にシ知、 三万已上は是 れ上品上生◗の業」 と云いう已下いげは、 私わたくしの釈しゃくなり。

-如此かくのごとく観念かんねんの浅深せんじん、 念数ねんじゅの多た少しょうに付つきて品ほん位いの高こう下げを立たつる事ことは、 上じょう根こんの往おう生じょうに於おいて、 志こころざし深ふかくは同おなじく念仏ねんぶつす0912とも、 弥陀みだの依え正しょう二に報ほうの荘しょう厳ごんをも意こころに懸かけて常つねに欣ごん求ぐの心こころを発おこし、 又また行住ぎょうじゅう坐臥ざがに称名しょうみょうを心こころに入いれて懈け怠だい無なからんは、 仏法ぶっぽうを行ぎょうずる本ほん意いなるべきに依よりて如是かくのごとく釈しゃくせらるゝ也なり。

-雖然しかりといえども、 根こん性じょう劣れっ機きにして観念かんねんも心こころに懸かけられず、 称名しょうみょうも懈け怠だいの心こころ有あれども、 念々ねんねん相続そうぞくし信心しんじん絶たえずして一心いっしん帰き命みょうの志こころざし実まこと有あらば、 往おう生じょうの益やくは彼かの上じょう根こんの人ひとにも差別しゃべつ有あるべからざるなり。

 

  第六 特留念仏章

(72)

一 上の章しょうには、 一念いちねんを以もて無む上じょう大だい利りの功く徳どくとする事ことを明あかしつ。 ▲今いまは一念いちねんの利り益やく、 法滅ほうめつ百ひゃく歳さいの時ときまで及およぶ事ことを明あかして、 況いわんや法滅ほうめつ以い前ぜん、 末法まっぽう最初さいしょの衆しゅ生じょう、 必かならず此この法ほうに依よりて往おう生じょうの益やくを得うべきことを明あかす也なり。

(73)

一 「▲末法万年◗の後 ち余行悉◗く滅、 して特◗に留↢む念仏↡を之文」 と云いうは、 正しょう像ぞう二に千年せんねんの後のちは末法まっぽうなり。 其その万年まんねんの後のちは諸しょ経きょう皆みな滅めっして、 戒かい定じょう慧えの三学さんがく名なをだにも聞きくべからず。

-而しかるに万年まんねんの後のち百ひゃく歳さいの間あいだ、 尚なお念仏ねんぶつは留とどめて衆しゅ生じょうを利り益やくすべき也なり。

(74)

一 「▲当来之世」 と云いうは、 末法まっぽう万年まんねんの後のちなり。

-「▲経道滅尽」 と云いうは、 諸しょ教きょう修しゅ行ぎょうの道どう悉ことごとく滅尽めつじんすと云いう也なり。

-「▲我 れ以↢て慈悲↡を哀愍◗す」 と云いうは、 釈しゃく尊そん慈悲じひを垂たれ給たまうとなり。

-「▲特留此経」 と云いうは、 唯ただ此この ¬大だい経きょう¼ ばかりを留とどむるとなり。 ¬大だい経きょう¼ を留とどむるとなり。 ¬大だい経きょう¼ を留とどむと云いうは、 念仏ねんぶつを留とどむる也なり。 下しも0913の釈しゃくに 「▲此◗の経◗の止住◗はと云いうは、 念仏◗の止住なり」 と云いへる、 其その意こころ也なり。

-「▲止住百歳」 と云いうは、 万年まんねんの後のち百ひゃく歳さい留とどむべしと云いう也なり。

-「▲其有衆生」 と云いうは、 法滅ほうめつ百ひゃく歳さいの時ときの機きを指さすなり。

-「▲値此経者」 と云いうは、 此この ¬大だい経きょう¼ に値あわ◗ん者ものはと云いう也なり。 是これも念仏ねんぶつを聞きかん者ものと云いう意こころ也なり。 ¬礼讃らいさん¼ に 「▲爾時聞一念」 と云いへる、 其その意こころ也なり。

-「▲随↢て意◗の所願↡に皆 な可↢し得度↡す」 と云いうは、 往おう生じょうを得うべしと也なり。 ¬礼讃らいさん¼ の文もんに 「▲皆当得生彼」 と云いへる、 その義ぎ◗を顕あらわす也なり。

(75)

一 「▲此◗の経◗の所詮全◗く有↢念仏↡に。 ↓其◗の旨見↠ たり前◗に」 と云いうは、 此この経きょうの所説しょせつ、 文言もんごん多おおしと云いへども念仏ねんぶつを以もて経きょうの宗しゅう致ちとすと也なり。

-「↑其旨見↠ たり前◗に」 と云いうは、 上かみの本願ほんがんの章しょう・三さん輩ぱい◗の章しょう・利り益やくの章しょう等らを指さす也なり。 本願ほんがんの章しょうには念仏ねんぶつを本願ほんがんとすと云いひ、 三さん輩ぱいの章しょうには三さん輩ぱい共ともに念仏ねんぶつを以もて往おう生じょうすと云い、い 利り益やくの章しょうには一念いちねんを无む上じょう大だい利りの功く徳どくと云いへる、 皆みな是これ此この経きょうの所詮しょせん全まったく念仏ねんぶつに有ある義ぎ也なり。

(76)

一 「▲而しかる◗に説↢菩提心◗の行相↡を者は広◗く在↢り菩提心経等↡に」 と云いうは、 ¬荘しょう厳ごん菩ぼ提だい心しん経ぎょう¼ 并ならびに ¬心しん地じ観かん経ぎょう¼・¬思し益やく経きょう¼ 等とうの菩ぼ提だい心しんを説とける経きょうを指さすなり。

(77)

一 「▲又説↢ こと持戒◗の行相↡を者は広◗く在↢り大小◗の戒律↡に」 と云いうは、 大だい乗じょう戒かいを説とけるは ¬梵網ぼんもう経きょう¼ なり。 小乗しょうじょう戒かいを明あかせるは ¬十じゅう誦じゅ律りつ¼・¬四し分ぶん律りつ¼ 等とう也なり。

(78)

一 ▲四し重じゅうの相対そうたいの釈しゃくは、 一々いちいちに総別そうべつを対判たいはんして、 諸しょ経きょう滅尽めつじんの後のち、 特どく留る念仏ねんぶつの益やく有あるべ0914き事ことを成じょうずる也なり。

-▲所謂いわゆる聖しょう道どう・浄じょう土ど◗を対たい比ひすれば、 聖しょう道どう成じょう仏ぶつの教きょうは先まず滅めっして、 浄じょう土ど往おう生じょうの教きょうは特ことに留とどまる。

-▲往おう生じょうにおひて十方じっぽう浄じょう土どの往おう生じょうあり、 西方さいほう浄じょう土どの往おう生じょうあり。 其その中なかに十方じっぽう浄じょう土ど往おう生じょうの教きょうは先まず滅めっして、 西方さいほう往おう生じょうの教きょうは特ことに留とどまる。

-▲十方じっぽう往おう生じょうの教きょうの内うちに都と率そつの往おう生じょうもこもりたれども、 古こ今こんの行ぎょう者じゃ、 都と率そつ・西方さいほうをば一双いっそうとして共ともに欣ごん求ぐするが故ゆえ、 別べっして西方さいほうに対たいし◗て比ひ論ろんする也なり。 所謂いわゆる都と率そつの教きょうは先まず滅めっして、 西方さいほうの教きょうは特ことに留とどまる。

-▲往おう生じょうの行ぎょうに於おいて、 又また諸しょ行ぎょう往おう生じょう、 念仏ねんぶつ往おう生じょうの二義にぎあり。 其その中なかに諸しょ行ぎょうは先まず滅めっして、 念仏ねんぶつは特ことに留とどまる。

-されば 「▲此経の止住と云は只念仏の止住なり」 と云いう也なり。

(79)

一 「▲例 せば如 と↧し彼◗の¬観無量寿経◗の¼中 か、に 不ず↣ して付↢属◗せ定散之の行↡を、 唯たゞ孤◗り付↦属 したまふが念仏之の行↥を」 と云いうは、 ¬観かん経ぎょう¼ の流る通ずうの文もんに 「▲仏告↢  たまはく阿難↡に、 汝好◗く持↢て是◗の語ご↡を。 持↢ てと是語↡を者、 即是 れ持↢  てとなり无量寿仏◗の名みな↡を」 と云いう文もんを指さす也なり。 此この文もんの意こころは、 念仏ねんぶつ付ふ属ぞくの章しょうに見みえたり。

(80)

一 「▲広◗く可↠し通↢ず於正像末法↡に。 挙↠て後◗を勧↠今◗を」 と云いうは、 「後のち」 とは百ひゃく歳さいの時とき也なり。 「今いま」 と云いうは正まさしくは末法まっぽうを指さして、 其その中なかに正しょう像ぞうの二時にじを摂せっする也なり。

(81)

一 「▲善導の釈しゃくに云、 ↓弘誓多門 にして四十八、  なることは↓偏ヘニ標↢ して念仏↡を最◗も為す↠親しん。と ↓人能◗く念↠ ずれば仏◗を仏還◗て念。 たまふ専心◗に想↠ へば仏◗を仏知↠ たまふ人◗を」 と云いへるは、 ¬法ほう事じ讃さん¼ の上じょう巻かんの釈しゃくなり。

-「↑弘誓多門四十八」 と云いう」 は、 弥陀みだの本願ほんがんを指さす也なり。

-「↑偏標念仏最為親」 と云いうは、 四し十じゅう八はち願がんの中なかに第だい十じゅう八はち0915の念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がん、 これ本願ほんがんなれば尤もっとも親したしと云いう也なり。

-「↑人能念仏々還念専心想仏々知人」 と云いうは、 行ぎょう者じゃ仏ぶつを念ねんずれば仏ぶつ又また行ぎょう者じゃを念ねんじ給たまふ。 是これ則すなわち、 「▲彼此三業不相捨離」 の義ぎなり。

 

  第七 摂取章

(82)

一 ▲当とう章しょうより始はじめて下しもの念仏ねんぶつ付ふ属ぞくの章しょうに至いたるまでの五ご段だんは、 ¬観かん経ぎょう¼ の意こころなり。 但ただし中ちゅう間げんの四し修しゅの章しょうは ¬観かん経ぎょう¼ の文もんに非あらず。 然しかれども三心さんしん・四し修しゅは安心あんじん・起き行ぎょうなるが故ゆえに、 一双いっそうの法門ほうもんなるに依よりて三心さんしんの次つぎに置おかるゝ也なり。

(83)

一 所引ひくところの ▲¬観かん経ぎょう¼ の文もんは真身しんしん観かんの文もんなり。 ▲¬疏しょ¼ の釈しゃくも是これ同おなじき当所とうしょの釈しゃく也なり。 経きょうと釈しゃくとを引ひき合あわせて意こころ得うべし。

-¬疏しょ¼ の文もんに今いまの経きょう文もんを釈しゃくするに、 「▲従↢り無量寿仏↡下 も至↢る摂取不捨↡に已来、は 正◗く明↧す観↢じ身み◗の別相↡を光 り益↦  することを有縁↥を」 と云いうは、 弥陀みだの光こう明みょう、 念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅし給たまう事ことを明あかす。 「有縁」 と云いうは、 弥陀みだ有う縁えんの衆しゅ生じょうなり。 是これ則すなわち念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ也なり。

-日想にっそう・水想すいそうより始はじめて宝ほう地じ・宝樹ほうじゅ・宝ほう池ち・宝楼ほうろう等とうの依え報ほうを観かんじ、 其その後のち正しょう報ぼうを観かんずるに取とりて形ぎょう像ぞうを観かんずるを像観ぞうかんといひ、 次つぎに浄じょう土どの真実しんじつの仏相ぶっそうを観かんずるを真身しんしん観かんと名なづく。 是これを観仏かんぶつ三昧ざんまいと云いう。 されば定じょう善ぜんの中なかには此この観かん正宗しょうしゅうなり。

-而しかるに如此かくのごとく観かんじ入いれて弥陀みだの相好そうごう・光こう明みょうを観かんずれば、 其その光こう明みょうの徳とくは念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅして捨すて給たまはざる利り益やくを知しる也なり。 是これ0916観仏かんぶつの所詮しょせんなり。

-一に 「▲明↢す相◗の多少↡を」 と云いうは、 「▲无量寿仏◗に有↢り八万四千◗の相↡」 と云いう文もんを指さす也なり。

-二 「▲明↢す好◗の多少↡を」 と云いうは、 「▲一々◗の*相◗に復有↢り八万四千随形好↡」 と云いう文もんを指さす也なり。

-三に 「▲明↢す光◗の多少↡を」 と云いうは、 「▲一々◗の好◗に復有↢り八万四千◗の光明↡」 と云いう文もんの意こころなり。

-四に 「▲明↢す光照◗の遠近↡を」 と云いうは、 「▲一々光明遍照十方世界」 の文もんを牒でっするなり。

-五に 「▲明↣す光 り◗の所↠の及◗ぶ処ところ、 偏 ヘ◗に蒙↢ ことを摂益↡を」 と云いうは、 「▲念仏ねんぶつ◗の衆生、を 摂取 して不↠捨 たまは」 の文もんに当あたれり。

-問といて云いわ、く 弥陀みだの相好そうごう・光こう明みょう、 皆みな八万はちまん四し千せんを以もて数かずとする事こと、 其その故ゆえ有ありや。

-答こたえて云いわ、く 故ゆへ有あり。 凡およそ仏ぶつの相好そうごう・光こう明みょうに限かぎらず、 依え報ほうの荘しょう厳ごんまでも皆みな八万はちまん四し千せん也なり。 謂いわゆる弥陀みだ如来にょらいは相そうも八万はちまん四し千せん也なり、 好こうも八万はちまん四し千せん也なり、 光こう明みょうも八万はちまん四し千せん也なり。

-地下じげの七宝しっぽうの金幢こんどうは百ひゃっ宝ぽうの所しょ成じょうなり。 一々いちいちの宝珠ほうしゅに千せんの光こう明みょう有あり、 其その一々いちいちの光ひかりは八万はちまん四し千せん色じきなり。

-願力がんりき所しょ成じょうの華座けざには八万はちまん四し千せんの葉はなびらあり。 一々いちいちの葉はなびらに八万はちまん四し千せんの脈すじあり、 一々いちいちの脈すじより放はなつところの光こう明みょうも八万はちまん四し千せんなり。

-其その華座けざの上うへに四し柱ちゅうの法幢ほうどうあり、 其その幢はたぼこの上うえに宝幔ほうまんあり、 又また五ご百ひゃく億おくの宝珠ほうしゅあり。 其その宝珠ほうしゅに八万はちまん四し千せんの光ひかりあり、 其その光ひかり又また八万はちまん四し千せんの異い種しゅの金色こんじきを成なせり。

-観音かんのんの相そうを説とくに、 眉み間けんの光こう明みょうも八万はちまん四し千せんなり。 十じっ指しの端はしにも八万はちまん四し千せんの画えあり、 其その画えに又また八万はちまん四し千せんの色いろあり、 其その色いろに又また八万はちまん四し千せんの光ひかりあり。

-如此かくのごとく皆みな八万はちまん四し千せんなる事ことは、 衆しゅ生じょうの煩悩ぼんのう八万はちまん四し千せんなるに依よりて、 所しょ治じの煩悩ぼんのうに対たいせんが為ため0917に、 能のう治じの教きょう門もんも八万はちまん四し千せんなり。

-今いま弥陀みだの相好そうごう・光こう明みょう八万はちまん四し千せんなる事ことは、 彼かの八万はちまん四し千せんの教きょう門もんの利り益やくを弥陀みだ一仏いちぶつの功く徳どくに備そなへて、 八万はちまん四し千せんの塵労じんろう門もんを対たい治じすることを表ひょうするなり。

(84)

一 ▲三縁さんえんの釈しゃくは共ともに念仏ねんぶつの徳とくを挙あぐる也なり。

-「▲親縁」 と云いうは親近しんごんの義ぎ也なり。 されば 「近縁」 も同おなじ事ことなれども、 三業さんごうに仏ぶつを念ねんじて、 仏ぶつの三業さんごうを行ぎょう者じゃの三業さんごうと相あい離りせざるを親縁しんえんとし、 ▲此この念ねんに依よりて見仏けんぶつの益やくを得うるを近縁ごんえんと云いう也なり。

-所↠云いうところの見仏けんぶつは、 三昧さんまい発得ほっとくせば此この益やく有あるべし、 三昧さんまい発得ほっとくせずは見仏けんぶつの益やくを得えがたし。 但ただし肉眼にくげんを以もて見みずと云いへども、 願がん楽ぎょうの心こころ、 実まことあらば仏ぶつの方かたよりは念ねんに応おうじて来現らいげんし給たまふべし。 ¬経きょう¼ (観経) には 「▲常来至此行人之所」 と説とき、 釈しゃくには 「▲篭々常在行人前」 (法事讃巻上) とも云いうが如ごとし。

-「▲増上縁」と云いうは増ぞう勝しょうの義ぎ也なり。 是これ正まさしき往おう生じょうの益やくなり。

(85)

一 「▲是◗の故◗に諸経◗の中◗に処々◗に広◗く讃↢ず念仏◗の功徳↡」 と云いうは、 総そうじて云いうはゞ 「諸教所讃多在弥陀」 (輔行巻二) なるが故ゆえに、 広ひろく一代いちだいの諸しょ経きょうに亘わたるべし。 別べっして云いうはゞ浄じょう土ど所しょ依えの経きょうを指さすなり。 今いま正まさしく三さん経ぎょうを引ひくは此この義ぎなり。

-「▲此例非↠ ざる一 つ◗に也なり」 と云いうは、 諸しょ経きょうにも通つうずる義ぎ也なり。

(86)

一 三さん経ぎょうを引ひくに於おいて、 ¬無む量りょう寿じゅ経きょう¼ の文もんに 「▲唯明専念名号得生」 と云いうは、 十じゅう八はちの願がんの意こころなり。

-¬弥陀みだ経きょう¼ の文もんに二に重じゅうあり。 初はじめに 「▲一日七日専念↢ じて弥陀◗の名号↡を得う↠生 ずることを」 と云いう0918は、 釈しゃく尊そん弥陀みだの名みょう号ごうを讃嘆さんだんし給たまへるを指さすなり。 「▲我 れ見↢る是◗の利り↡を故ゆへ◗に説↢く此言↡を」 (小経) と云いへる、 是これなり。

-次つぎに 「▲又十方恒沙◗の諸仏証↢誠 したまふ不虚↡を也」 と云いうは、 諸仏しょぶつ同心どうしんに釈しゃ迦かの所説しょせつを証しょうし給たまへるを指さす也なり。 「▲彼◗の諸仏等◗も亦 た称↢讃◗す我 が不可思議の功徳↡を」 (小経) と云いへる、 是これ也なり。

-¬観かん経ぎょう¼ の文もんに 「▲定散文中」 と云いへるは、 定じょう善ぜんの文もんには真身しんしん観かんの所説しょせつの今いまの 「摂取せっしゅ不ふ捨しゃ」 の説せつ、 専もっぱら是これ 「唯ゆい標ひょう専念せんねん」 の説せつ也なり。 散善さんぜんの文もんには下げ三品さんぼんの念仏ねんぶつ并ならびに又また流る通ずうの文もん、 是これなり。 是これ等らの文もんを指さして 「▲唯標専念名号得生」 と云いうなり。

(87)

一 ▲¬観念かんねん法門ぼうもん¼ の文もんは、 是これも上かみの経きょう文もんの意こころなり。

-「▲前の如く身相等とうの光ひかり」 といふは、 さきの真身しんしん観かんに説とくところの相好そうごう・光こう明みょうを指さす也なり。

-「▲彼◗の仏◗の心光常◗に照↢ して是◗の人↡を」 と云いうは、 弥陀みだの大だい慈じを以もて衆しゅ生じょうを摂取せっしゅし給たまふなり。 「▲仏心者は大慈悲是なり」 (観経) と云いうが故ゆえに、 仏心ぶっしんの体たいは慈悲じひなり。 其その慈悲じひに依よりて衆しゅ生じょうを摂せっせんが為ために放はなつ所ところの光こう明みょうなれば、 「心光」 と云いう也なり。 此この心光しんこうを以もて常つねに行ぎょう者じゃを照てらし給たまうを 「常照是人」 と云いう也なり。

-「▲総 じて不ず↠論↣照↢摂 することを余◗の雑業◗の行者↡を」 と云いへる言ことばは、 ¬経きょう¼ (観経) に其その文もん隠かくれたりと云いへども、 「▲念仏の衆生を摂取す」 と云いへば、 其その余よは摂取せっしゅに預あずからざる事こと、 其その義ぎ顕然けんねんなるが故ゆえに、 分ぶん明みょうに釈しゃくし顕あらわして光こう照しょうの益やく、 念仏ねんぶつに限かぎる事ことを釈成しゃくじょうするなり。

(88)

一 ▲¬礼讃らいさん¼ の釈しゃくは日にっ中ちゅうの文もんなり。 「▲唯有↢て念仏↡  のものゝみ蒙 ぶ↢る光摂↡を」 と云いうは、 「唯ただ」 の言ことばは余よ0919を遮しゃするが故ゆえに、 光こう摂しょうの益やく、 雑ぞう行ぎょうに蒙こうぶらしめざる事ことを顕あらわすなり。

-「▲当↠にシ知、る 本願最◗も為↠す強◗と」 と云いうは、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ、 本願ほんがんの強縁ごうえんを以もて摂しょう益やくに預あずかる事ことを顕あらわすなり。

-又また ¬般舟はんじゅ讃さん¼ に 「▲相好弥いよいよ多 にして八万四、 なり一々◗の光明照↢ すに十方↡を、 不ず↧為↢に余縁↡の光 り普◗く照↥さ、 唯覓↢む念仏往生◗の人↡を」 と云いうも、 其その意こころ相あい同おなじ。 「雑業ぞうごう」 と云いへると、 「余よ善ぜん」 と云いへると、 詞ことば異ことにして意こころ同おなじ。 是これ念仏ねんぶつの外ほかの諸しょ行ぎょうを指さす也なり。

-又また ¬礼讃らいさん¼ に 「▲彼◗の仏◗の光明無量 にして照↢ すに十方◗の国↡を無↠し所↢障↡。する 唯観みそなは↢す念仏◗の衆生↡を、 摂取 して不ず↠捨 たまは」 と云いうも同おなじ事こと也なり。 其その故ゆへ ¬観かん経ぎょう¼ には摂取せっしゅ不ふ捨しゃの利り益やくを説とき、 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ には阿あ弥陀みだの名みょう義ぎを説とけり。

-而しかるに摂取せっしゅの益やくを説とくは、 ¬観かん経ぎょう¼ にも阿あ弥陀みだの名みょう義ぎを顕あらわす意こころあり。 「▲念仏の衆生を摂取す」 と説ときたる光こう明みょうは、 十方じっぽう国こくを照てらして障しょうげする所ところなければ、 無むげ光仏こうぶつの義ぎに叶かなへる故ゆえなり。 ¬阿あ弥陀みだ経きょう¼ に 「▲照↢て十方◗の国↡を無所障」 と説ときたる光こう明みょうは、 念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを照てらすは摂取せっしゅの義ぎを含ふくめり。 影よう略りゃく互ご顕けんの義ぎなり。 故ゆえに 「▲¬弥陀経¼ 及 ¬観経¼に 云」く と云いいて今いまの釈しゃくを設もうけたり。

-されば阿あ弥陀みだと云いう仏号ぶつごうは、 念仏ねんぶつの衆しゅ生じょうを摂取せっしゅして捨すてたまはざる利り益やくを顕あらわす言ことばなり。 余よ行ぎょうの行ぎょう者じゃをば摂取せっしゅせず。 摂取せっしゅせざれば其その時ときは阿あ弥陀みだの義ぎも成じょうずべからずと見みえたり。

-問といて云いわ、く 今いまの二に文もんをば何なんぞ此この書しょに是これを引ひかざるや。

-答こたえて云いわ、く 先まず ¬礼讃らいさん¼ の文もんは両経りょうきょうの意こころを引ひく故ゆえに、 其その ¬観かん経ぎょう¼ の意こころと云いうは今いまの真身しんしん観かんの文もんなれば、 別べつに引ひくに及およばず。 ¬弥み0920陀だ経きょう¼ の意こころを引ひくも、 今いまの ¬観かん経ぎょう¼ の摂取せっしゅ不ふ捨しゃの利り益やくに付つきて ¬弥陀みだ経きょう¼ の文もんを意こころ得え合あわする文もんなれば、 二に経きょうを離はなれて別べつに是これを引ひかざるなり。

-次つぎに ¬般舟はんじゅ讃さん¼ の釈しゃくを引ひかれざる事ことは、 彼かの書しょ、 聖しょう人にん在ざい生しょうの時とき未いまだ流布るふせざりしに依よりて、 高覧こうらんなかりけるゆへなり。

(89)

一 「▲所引の文もんの中なかに、 言い↧ふ自余◗の衆善雖 ど↠も名↢ くと是 れ善↡と、 若◗し比↢ すれば念仏↡に者全◗く非↦ ずと比挍↥に也者いふは、 ◆意◗の云、く 是 れ約↢ して浄土門の諸行↡に而所 ろ↢比論↡ する也なり」 と云いうは、 念仏ねんぶつの行ぎょうを真言しんごん・止し観かん等とうの事理じりの諸善しょぜんに対たい比ひして勝しょう劣れつを論ろんずるに非あらず。

-只ただ往おう生じょう浄じょう土どの門もんに於おいて其その修しゅ行ぎょうを云いうに、 諸しょ行ぎょうと念仏ねんぶつとを相対そうたいする時とき、 念仏ねんぶつは超ちょう絶ぜつせりと云いう意こころなりと示しめすなり。 是これ則すなわち、 彼かれは難なん行ぎょうなり、 此これは易い行ぎょうなり。 彼かれは本願ほんがんに非あらず、 此これは本願ほんがんなるが故ゆえ也なり。

本云

康暦元年 己巳 七月十一日早朝書写之了

 

此本以賢意本写之。 故存覚聖人御草にて仍悦尋出感得、 此本間加書写了。

応永廿二年六月七日写功了。

松下隠士 光覚(花押)

 一交了

初条写置本以外文言点等無元条間、 以或本重而来合候処、 則其謬多之悉改写了。

 

底本は龍谷大学蔵室町時代初期書写本。 ただし訓(ルビ)は対校註を参考に有国が大幅に補完し、 表記は現代仮名遣いとした。
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相 底本では「好」。