光闡百首

 

ちかごろびょうおかされ、 人間にんげんしょういたむ。 うんおおいてしゃたいしんなやまし、 みょうあんほっしょう覚月かくげつかくす。 冥々みょうみょうとしてひとりしんしょうして、 身心しんしん東西とうざいべんぜず、 あたかも室穴しっけつなかするにたり。 ここにげんふう徳風とくふうありて、 誘引ゆういんらいしてたちまちにうんはらふがごとく、 しん日月にちげつやうやくしゅつときいたりて、 無礙むげこう耀ほがらかにせんとほっす。

近曽被↠犯↢病霧、傷人間浮生之身。疑雲立 ひて娑婆有待之心、無明闇夜法性之覚月。冥々 としてして寝床、身心不↠辨東西、宛たり↢ するに室穴之。爰厳師慈愍之徳風、 ありて誘引来化ふが於雲、真智之日月漸出期時至りて か↢  にせむと無光耀

-これによりてあんしてすなはち本心ほんしんかえり、 もつて法楽ほうらくけて、 ざい重病じゅうびょうす、 かんむねち、 渇仰かつごうきもめいず。 よりて暁鐘ぎょうしょうけばたんすみやかにめん。 こころみにかんいっしょうていし、 白居はっきょあいおうおもふ。 りょう鐘声しょうしょうまくらそばだててき、 しんちゅうしょがんしょひらきてる。

-依りて安慰 して本心、以けて法楽、治多罪・重病、歓喜満渇仰銘 りてけば暁鐘短夢速 めん矣。試 みに漢和之一章、憶白居易遺愛寺往事霊寺鐘声てて心中所願きて

 ゞしく うき世の夢を おどろかす 法のおしへや あかつきの鐘

おなじくいはく、 聖廟しょうびょうじん楽天らくてんそんおなじくその高韻こういんいでにはかにつくる。

、聖廟之神、同じく天之尊詩いで其高韻頓作。

遥仰↢霊場↡看↢瓦色↡ 唯帰↢於仏↡称↢名声↡ 栄名自是心永絶 深念↢仏恩↡口不↠言

身のあれば 又いかならん いつはりの なき世にん 命をぞおもふ
弥陀たのむ 心はたえぬ 慈に 世のよしあしも 忘れはてぬる

また蟄居ちっきょじょうにおいて、 ほんたい 「十七ヶじょう憲法けんぽう」 をうつす。 今日こんにちかのにゅうめつしょうにちあたりて右筆ゆうひつのついでに、 かんりょうへんかいべて、 かのそんりょうけんし、 して慈悲じひ加護かごはん。

又於蟄居之机上、得古本太子「十七ヶ条憲法」。今日当りて御入滅之正日右筆之次 でに和漢之両篇べて卑懐、奉↢尊霊、伏 してはん慈悲加護焉。

至心信楽従↠何発 皆是弥陀廻向相 今日更思↢弘興徳↡ 和朝教主上宮王

たえせじと あふぐ仏の 法の道 まもらざらめや きみがめぐみに
身をすてゝ 法のためにと おもひ入 心のみちは あめつちもしる

弥陀智願首↢廻向↡ 太子来応慈愍明 観自在尊同勢至 艤↢船苦海↡度↢衆生↡

くるしみの 海をもわたす 法の船 弥陀の誓を たゞたのめ人

つぎりゅうかんりっほうてこれを書写しょしゃす。 奥書おくがき (一念多念分別事) にいはく、 「けんちょう七歳しちさいきのとのうがつじゅう三日さんにち禿とく善信ぜんしんはちじゅう三歳さんさいこれを書写しょしゃす」 と。 則日そくじつしょこうへおはんぬ。 今日こんにちはまた祖母そぼにょりょうぜん逝日せいにちなり。 今年こんねんはまた永禄えいろくひのとのうとしせずはからず、 ねんいたすところなり。

日得隆寛律師法語書↢写。奥書建長七歳乙卯四月廿三日、愚禿善信八十三歳書写之 則日んぬ今日祖母如了禅尼之逝日也。今年永禄丁卯歳、不↠期不↠自然所↠致也。

そもそもこんしょうにんたんじょうは、 天文てんぶんじゅうねんしょうがつ七日しちにちみずのとのうにして、 当年とうねんもまたとしなり。 このときいたりてしょ勧誘かんゆう懇誠こんかいあらわし、 しゅじょう得脱とくだつ要道ようどうらくしめす。 これしかしながら末代まつだいみょうやく仏法ぶっぽうはんじょう根源こんげんなるものか。 いはんやげっちゅううさぎそんいんおうのそのいちなるものをや。

今師上人御誕生天文十二年正月七日癸卯、 にして当年又卯歳也。りて于↢此時↡顕諸徒勧誘之懇誠、示衆生得脱之要道絡。是併末代奇妙之化益、仏法繁昌之根源 なる者乎。況月中兎、世尊因位応化之其 なる乎。

-寿算じゅさんもまた当年とうねん同暦どうれきにして、 せつ相応そうおうひょうなるものか。 かねてまた憲法けんぽう書写しょしゃほんには、 「明応めいおうねんきのとのう三月さんがつじゅうにちこれをく」 と。 われしょうぜん写本しゃほんたりといへども、 今年こんねんりて拝覧はいらんすることをげるは、 もつともかん順熟じゅんじゅくなるものか。 しずかにけんしょうたいして、 もうあんしょううつし、 たい哀憐あいりんあにこれなからんや。

-御寿算又当年同暦、 にして時節相応之表示 なる者乎。兼亦憲法書写之古本には「明応四年乙卯三月廿九日書之 吾雖りと未生以前之写本↡、今年入りて↢ げるは拝覧↡、 することを機感順熟 なる者歟。閑して憲章、写愚朦安慰之少解、太子哀憐 に↠ からん之乎。

-なかんづく今日こんにちは、 当山とうざんかいびゃくそん兼寿けんじゅ法印ほういんえんじゃくしんとうりゅうちゅうこう明哲めいてつなり。 下愚げぐかのざいひたてまつらずといへども、 そのゆいきょうしんじゅんし、 もはらかのぎょうあおぐ。 これすなはち弥陀みだしゃそん矜哀こうあい代々だいだいそうじょうしき厚恩こうおんなり。 これによりてまた卑詞ひししる筆端ひったんていす。

-就中今日者、当山開闢之尊師兼寿法印円寂之忌辰、当流中興之明哲也。下愚雖在世↡、信↢順遺教、専行化。是則弥陀・釈迦二尊之矜哀、代々相承知識之厚恩也。りて亦記卑詞筆端矣。

老釈・弥陀二仏因 真茲唯仰下愚身 無明雲霧随↠風散 法性月輪耀新

廿あまり 五の年に あひにあふ 法のちぎりを たのむ今日哉

¬かんぎょう¼ (散善義) にいはく、 「あおぎてしゃ発遣はっけんしてして西方さいほうむかはしむることをこうむり、 また弥陀みだしんをもつてしょうかんしたまふによりて、 いまそんこころしんじゅんして、 すい二河にがかえりみず、 念々ねんねんわするることなくかの願力がんりきどうじょうず」 と。 ただこの真説しんせつたのむのみ。 古語こご (韓非子) にいはく、 「せんじょうつつみろうあなよりついゆ」 と。

¬観経義¼ ぎて釈迦発遣 して して しめ たる ことを西、又籍りて弥陀悲心 をもて招喚↡、した まふに今信↢ して二尊之、不↠顧水火二河、念々 るる ことずと願力之道。」 唯憑 のみ真説。古語(韓非子)「千丈之堤螻蟻穴↡而潰。」ゆと

-しかれば近日きんじつあくありてさいまねれんものひとつけいをなせり、 邪見じゃけん放逸ほういつくわだて、 これしかしながら仏法ぶっぽうめつもといなり。 かのちゅうつちなかにありて明闇めいあんべんぜず、 たまたまりくあそぶも、 坐臥ざがやすからず、 たちまちにじゅんたくくわへそのあくして、 じょくすいちょうらいし、 いますでにしゅっぽんするも、 ごんひとにあらざれば、 これどうどんしょ天罰てんばつみょうばつ、 そのにあるものか。

-然 れば近日りて悪徒↡招螻才 れん者為せり諆計、邪見放逸之企、是併仏法破滅之基也。彼螻虫在りて不↠辨明闇、適ぶも陸地、坐臥不↠安潤沢して、濁水漲来今既出奔、 するも言語非↠ ざれば是外道痴鈍之所為、天罰冥罰、在者乎。

-どうしょう二河にが譬喩ひゆにそのしょう明白めいはくなるものか。 ぶるところのどくちゅうはこのたぐいか、 ざん無愧むぎはこれをちくしょうとなす、 なんぞ仏法ぶっぽうしゅぎょううつわとするや。

-導和尚二河譬喩其証明白 なる者乎。所 ぶる毒虫類歟、無慚無愧畜生、何仏法修行之器乎。

-かのもん (散善義意) にいはく、 「まさしくいたかえらんとほっすれば、 群賊ぐんぞくあくじゅう漸々ぜんぜんきたむ。 まさしく南北なんぼくはしらんとほっすれば、 あくじゅうどくちゅうきおひてわれにむかふ。 まさしく西にしむかひてみちたずねてかんとほっすれば、 またおそらくはこのすい二河にがせんと。 ときあたりてこうすることまたいふべからず。 このひとすでにここにつかはしかしこにばふをきてすなはち身心しんしんしょうとうにしてけつじょうしてただちにすすみて、 疑怯ぎこ退心たいしんしょうぜず。 一心いっしんにただちにすすみてみちねんじてけば、 しゅにすなはち西岸せいがんいたりて、 ながくもろもろのなんはなる、 ぜんあひまみえてきょうらくすることぬことなし」 と。

-彼 しく↢ すれば↡、 らむと群賊・悪獣漸々 しく↢ すれば南北↡、 らむと悪獣・毒虫競 ひて しく↢ すればひて西ねて而去↡、 かむと復恐 くは↢ せむと水火二河りて惶怖 すること不↢復可から 人既きて↡ ばふを正↢当 にして身心、決定 してみて不↠怯退心 一心 みてじて而行けば須臾りて西岸、永、善友相見 えて慶楽 することしと。」 むこと

-そんしょうれっおん、 それあにうとからんや。 よりて悲喜ひきなみだおさえて報謝ほうしゃねんしるすのみ。

-二尊之摂護、列祖之慈恩、夫 に からん乎。仍 りてえて悲喜之涙報謝之愚念而已。

永禄えいろくじゅうねんじゅうがつじゅう八日はちにちそうちょうこころうかぶにまかせてこれをしる

永禄拾年十月廿八日早朝任せてぶに

をのづから 心にうかむ ことのはを かく水茎の あとぞおかしき
身につとめ 心にさとる 法ならば なにとたのまん 弥陀の誓を
かゝる世の ためにときをく 法なれば この比ことに 弥陀ぞたふとき
定なき うき世はつねの ならひにも ことはりすぎて つらきころかな
かねて聞 弥陀のちかひに まかすれば 世のうきふしも 身にはなげかず
みだれゆく 世をこそなげゝ 心には みだたのむ身の たのしみやこれ
法の師の かねてをしへし 道ならで 又おもふべき 心ともなし
生死の みちはのがれぬ 世をさらに なにとたのまん 弥陀たのむ身は
おさめとる 弥陀の光の うちにすむ 身のあかつきを 待ぞうれしき
たのもしな うき世の雲の あともなく さとりひらけん あかつきの空
とにかくに 弥陀のちかひを あふぐぞよ おろかなる身も たへぬたふとさ
いかにして おろかなる身に おもはまじ 弥陀のあたふる 恵ならずは
あふぎみば なをはかりなき めぐみかな 弥陀のちかひも 祖師のおしへも

今日こんにち反古ほごなかよりえい一首いっしゅこれを捜得そうとくす。 これはるころ清水きよみずてい庭前ていぜんいけにはるかにこれをれば、 れん初開しょかい境節おりふしあり、 門主もんしゅ仏書ぶっしょ拝覧はいらんみぎりなり。 座下ざげはべりてこれをめて、 すなはちそのへんいた希奇けきおもいをなしてにはかにつくる。 「としをへてはなさかざりしはちすも いまぞひらくるのりのにほひに」 読詠草どくえいそうなり。

今日従反古之中↡愚詠一首捜↢得。是者比清水之花亭、庭前之池れば花初開境節あり門主仏書拝覧之砌也。豫侍りて座下めて于其池辺して希奇之思年をへて花さかざりし蓮葉も いまぞひらくる法のにほひに」読詠草也。

-翌日よくじつ 二十九 またぞんきょう筆跡ひっせき古詩こし一篇いっぺんこれをる。 よりてかの風景ふうけいならひそのいんげり。 かのことばいはく、 「倒風深菊、荒雪池蓮」 と。 したがひてとう寓居ぐうきょつぼね庭前ていぜんきくる。 なつぎょうのついでに、 すいはちすみてそのきょうとして愛玩あいがんせり。 いまさらにれんおもいまず、 かねてまたこの数年すうねんようはんすといへどもいまだいっをもひらけず。 今年こんねんはじめてれんかいし、 みょうしるし心肝しんかんめいず。 よりておうおもひてこれをむ。

-翌日廿九又存鏡筆跡之古詩一篇看 りて風景げり。彼、「倒風深菊、荒雪池蓮 ひて而当時寓居之亭、庭前歩行之次、 いでに池水みて愛玩せり今更恋慕之思不↠休亦此数年、荷葉雖繁茂すと一花↡。おも今年初 めて而蓮華開奇妙之瑞銘心肝。仍 りてひて往事

丹心帰↠仏仰↢哀憐↡ 深院独居更精専 近見↢寒庭載霜菊↡ 遠思↢夏日発風蓮↡
仏日・祖風化益遐 欲↠明↢長夜↡法薫加 一心専念↢無量徳↡ 本是如来正覚

玄冬げんとうつごもりあかつき仏恩ぶっとんこれを憶念おくねん称名しょうみょうす。 かいするにこころなぐさめるごうなり。 このじゅう八日はちにちじゅうにちりょうじつあいだとうりゅうの ¬本書ほんしょ¼ いち六巻ろっかん拝読はいどくをたてまつり、 翌日よくじつ ¬じょう文類もんるいじゅしょう¼ 拝覧はいらんげ、 いよいよもつてぶっ広徳こうとく報恩ほうおんおもいきわまりなく、 よりてまたにはかにぎんず。

玄冬晦暁、仏恩憶↢念称↣名 するにめるなり廿八日廿九日両日之間、当流之¬本書¼一部六巻奉拝読、翌日¬浄土文類聚鈔¼遂拝覧仏祖之広徳、報恩之思無 りて

なぐさみも 外にもとめず 弥陀たのむ 心ぞしるべ 御名をとなへて
いやましに あふげばたかき 法の師の をしへの外は なにかたづねん

同年どうねんじゅう一月いちがつ四日よっかおもひつゞけゝる。

二なき 御法のみちを たづねゆく 心のすゑは 弥陀まもらん
みだれゆく 人の心は さもあらばあれ われはすぐなる みちを訪ん
にごる世の 人の心は すみやらぬ 水になづめる われぞかなしき
なき名にて しばししづみし 苦の 海にもうかむ 舟はあらずや
いにしへも なき名にしづむ 跡はあれど ひろまる法の 道はたえせず
たえせじと たのむ御法を さまたぐる 人の心は さていかにせん
釈迦・弥陀の 誓はいまも あきらけき 御法をたのむ 道はかはらじ

六日むいかあかつきゆめさめてのち開山かいさんしょうにんえい
ありがたやたふとやとこそいはれしは みだたのむ身のひとりごとには」 とあそばされとをもひいでゝ、

ありがたや 老のねざめも 弥陀たのむ その嬉しさの ひとりごとして
法の道 君をおもひの へだてなき 心は弥陀ぞ みそなはすらん
法の師の めぐみをおもひ あけくれば 君につかふる こゝろのみして

どう七日なのかけふはぼう卒逝そっせいなりさる文明ぶんめいころしんしょういん法印ほういん北国ほっこくぎょうのとき、 安芸あき法眼ほうげん光業みつなりいいしものちょうウツをゑクシミ て、 真俗しんぞくみちもうしすかして、 しゅうみだれがはしかりしを、 そのけんには、 はゞかりいさむるひともなかりしに、 法印ほういん康兼やすかねきょう兼祐かねすけ法印ほういんにあひだんじ、 がんじょうじゅ法印ほういんをよびくだしたてまつり、 きょうだいさんにんもろともに、 ひそかにしんしょういん法印ほういんもうしあげたてまつりしかば、

-おどろきおぼしめし、 にはかに光助こうじょ法印ほういん便船びんせんをまち、 じゅんぷうをゑたまひ、 一日いちにちのうちに若狭わかさばまちゃくがんありて、 それよりみやこにのぼりましまし、 かのもうじゃ退しりぞけられしのちそういちりゅうしょうあらはし、 仏法ぶっぽうはんじょうのもとゐになりき。 もとより法印ほういんは、 をろかなはぢてよろづつゝしみありといへども、 ほうのためにはわすれけるむねを、 つねにかたりはべりことおもいいでゝ、

たらちねの をしへし道も 法の師の 恵みわすれぬ 跡をしぞおもふ
をろかなる 身にもおもひの 法の道 まもらざらめや 神もほとけも
ひるがへす 心ひとつに ゆく道を なをわけまよふ ひとぞかなしき
末の世に なをさかゆべき 弥陀の法 よしさまたぐる 人はありとも
まもれなを こゝろひとつの 法の道 尋ねゆくゆく 身をぞよろこぶ
ぬるがうちも 目ざめてみるも 夢なれば 何か常なる うつゝなの世や
かゝる世も ひとつまことの 道とては 弥陀のちかひを たのむばかりぞ

このころつけをかれしさむらいの中に、 河上かわかみなにがしといへるひとは、 瑞泉ずいせん賢心けんしんにわかきときよりなれむつびしひとなれば、 そのゆかりなどもうしいでて、 おりおりこころをなぐさめはべりし。

-かの賢心けんしん実如じつにょしょうにんにしたしみたてまつり、 ほうにおひて他事たじなくはべりしかば、 法印ほういんもことにもてあつかひしうへ、 そのしょうしんけんじゅんしゅくてつのあひだにはべれば、 まじはりもよのつねならず、 ちかくは賢心けんしんあとをゆづり修誓しゅせいぼうけんじょうとぞもうしける。 つねにむかしのことなどかたりたまいし、 いにしへをもてきこえし、 ふるきことさんもちきたりはべりし、 そのことばかのいんをつぎ、 ふとおもひつゞけける。 古語こごにいはく、 「学道がくどう参禅さんぜん渡世どせけいにょへいそう残年ざんねん」 と。

物いはで 心にをくる 年月も 法の道ぞ またるゝ

  絵賛
痩尽風相四十図 春光曽不到寒枝 莫教淪落西湖去 羞被官梅御柳知
  和韻
莫謂風光不到図 朝々映日照梅枝 仲冬薫馥遇時樹 周世昭王盛歳知
  同賛
可期無定両悠々 昏底黄沙日夜流 望断暮雲残照外 青楓吹落海門秋
  和韻
可期定裏意悠々 仏化自然法爾流 末世相応一称徳 弥陀本誓是春秋

河上や 法のこゝろの 玉椿 みれどもあかぬ 花の色香は
うれしくも 今夜あひみる 夢の友 ゑをすゝめし 春の盃
おもひ出る 心はたえぬ いにしへの 人やあはれむ 法の契を

のちしゅうたは、 このあかつき、 むかしのともとてたるをいだきたずねきたりて、 ともにさかずきをめぐらしはべるとおぼえて、 ゆめさめてよめる。 しかもけふはみょうゆうぜんまかりはべりなり、 かたがたふでにあらはしかきつけはべる。

ことの葉も たえてうれしき 心かな 弥陀のたすくる 法をきく身は
罪ふかく 愚なる身を おもひしる 心も弥陀の 恩としられて
きく事も 心にうるも はかりなき 弥陀の誓の ふかき慈み
きけばなを わがはからひの 尽はてゝ 弥陀のたすくる 法の貴さ
いく度か 身をかへりみて 法を思 我はからひの ありやなしやと
われといふ 迷もなしや 六の道 よこびる弥陀の 法に任て
よしあしと われにとまりし 道もなし 弥陀たのむ身は うさもわすれて
一すぢに 弥陀たのむ身は をのづから うき世の道も それにまかせて

閑居かんきょのつれづれのあまり、 ぶっめぐりはべさつかん喜地ぎじよりじゅうしょとうがくくらいにいたりはべかいをみるにも、 りきしゅぎょうじょうじがたきことをきくに、 いま弥陀みだ本願ほんがんだいじゅうしちがんみょうごう信受しんじゅするだいじゅうはち念仏ねんぶつおうじょうは、 すなはちだいじゅういちがんじゅう正定しょうじょうじゅやくひっめつをうるよし、 祖師そししゃくりきおう本誓ほんぜい、 いととうとくぞおぼはべる。

-今朝けさおきいではべれば、 寒風かんぷうはげしくみずこほりゆきふりて、 とおくがいざんもみなしろたへにみえはべるに、 かの越王えつおう勾践こうせんのむかし会稽かいけいはじきよめしふるごとおもひいでゝよめる。 しかもけふはじゅう一日いちにちになりはんべりける。

手にむすぶ 水もこほりて うちむかふ 外山のみねの ふれる初雪
ふる雪も 恥をきよむる ためしとや 十地を越る ひとつさとりは

けふはじゅうにちなり、 よのつねに弥陀みだしゃそん感応かんのうもうしならはしはべる。 さればしゃくそんいでたまことも、 ひとへに弥陀みだ本願ほんがんをときのべましますべきためとみえはべれば、 すえのわれらまでも、 このおんちかいにあひたてまつる、 仏恩ぶっとんかたじけなくぞおぼえはべる。

-またへん増院ぞういんそうおん家兄いえあにちゅうごんきょう光円こうえんもうせしは、 法印ほういんにしたしくおおせあはせられはべりし、 そのおんゆかりをわすれず、 としどし極月ごくげつじゅうにちにはこころざしいたたまうをも、 おもひつげずはべりしを、 さるえいしょうじゅうろくころも、 ちちいさゝかふうびょうをわづらひしおりふし、 かたりはべる。 かやうのこころづかひまでも、 ねんごろなりしことまでおもひいではべる。

-ことさらすぎにし姉公あねぎみ誓賢せいけんまえとしのしはすの二日ふつかまかりはべる、 光円こうえんにさきだちてまいらせはべりしとなり。 そのきはにも蓮如れんにょしょうにんあそばされし 「ふみ」 (五帖十四) に 「かくのごとくやすきことをいまゝでしんじたてまつらざることのあさましさよとおもひて、 なをなをふかく如来にょらいをたのみたてまつるべきものなり」 とのおんことばもうしいだし念仏ねんぶつもうし、 そのまゝいきたえはべるとなん。

-いまだとおあまりのひとこころばせにたぐひなきよしもうしつたへはべことなど、 いまおもひいでゝよめる。

釈迦・弥陀の 恵あまねき 法の道 ひろまる末の 世をばなげかじ
かりそめの 法の契も 忘ぬや そのたらちねの 残すことの葉
をろかなる 身をおもふにも いやましに ふかくぞたのむ 弥陀の誓を

こんつきのことにくまなかりければ、

さやかなる 月にたぐへて 思やる 弥陀の御国の きよき光を
いかなれば 月はくもらぬ 中天に なにとうき世の 雲かゝるらん
慈の 光をうけて 法道 きくも仏の ちからなりけり
たゞたのめ あふげばたかき 法の道 心にたゑぬ 弥陀のひかりを
となふるも 弥陀のもよほす 御名なれば げにぞまことの 心とはしる
四十地あまり 八の誓も あきらけき こよひの月は 雲もかゝらず

かんがへはべれば、 さるがつ廿にじゅう七日しちにちより今日こんにちまで、 じゅうにちになんなりはべる。 これによりて弥陀みだ本願ほんがんなぞらへてかくもうしはべる。

-またげつ仲旬ちゅうじゅんだい七日しちにち当初とうしょ岡崎おかざきちゅうごんもうせしひとけんりゃく元年がんねんころちょくめんせんをうけたまはり、 黒谷ころだにしょうにんらくありしおうをおもひで、 げんちゅうごんもうしけるばかりしょうそくのついでひとりごちしはべる。

法の道 おもふばかりに すぎし身の なにとうき世に まよう心ぞ
世のためと おもひしかども 身のうへに かゝる涙の つもる月日は
いかにせん をろかなる身を かこちても 老行末の 世のならひをば
ひたすらに 弥陀たのむ身の 心をば 法の師徳の 恵あらずや
世の浪も しづまる法の 海づらに うかぶ誓の 舟をしぞ思ふ

むかしだいたいもうせしひと貧人びんにんをあはれみすくはんとの大願だいがんをおこし、 にょ宝珠ほうしゅをもとたまいを、 りゅうじんおしみたてまつりしかば、 ゑんしのかいもってかいをくみつくし、 つゐに宝珠ほうしゅをゑたまふとなり。

-こころざしふかきをば仏神ぶっしん感応かんのうあるためしにもうしつたはべる、 もっかんうかがてんもっはかうみはをろかなることもうしはべれども、 ぶっしょうらんあおぎ、 いさゝかのりみちのみだれゆくべきことをなげき、 朋友ほうゆうたがひ意旨いしのべ、 おなじくごううみいり ひとつのりのうしほのあじわいせんことをねがひはべりしに、 ときのいたらざるとこころのつたなきゆへ、 かやうになりゆくことこころざしのおろそかなるところをよる・ひるかへりみるにも、 らくをもとめずしんしんじゃくするおもひもなし、 たゞ祖師そし遺訓ゆいくんをしたひ、 ぶっ本誓ほんぜいをたのみたてまつるばかりなり。

-しかれど邪見じゃけん放逸ほういつさかりなるときなれば、 かへり仏法ぶっぽう瞋毒しんどくのたくみとも、 見聞けんもんにつけてるいにむせび、 いとゞむかしこいしく、 にわこずえ枇杷びわなかはなのつぼみのまじはるをみて、 きつのうたがひまで、 そのよせありて、 かくもうしはべる。

こぼすとも 人やみるらん 昔おもふ はなたち花の 袖のなみだは
いにしへも 管にてそらを はかりみつ 貝にて海を くみ尽しけん
愚なる 身にも御法の そのために 心をつくす 道はかわら

ふるに、 白梅はくばいきつさめてかうばし、 ゆめはめぐきゃくげつろうといへることおもいいでて、

むかしたれ 月にかへりし 夢の間も とくさく梅の 花のにほひに
古も 冬ごほりせし 難波津に さくやこの花 香にほふらん

此歌このうた仁徳にんとく天皇てんのうのむかしをおもひ、 こんしょうにんほうりゅう再興さいこうによそへたてまつる。

-かねてはさる文明ぶんめいすえとし、 椿ちんにょぜん 従三位雄子  にわかしゅっ発心ほっしんたまひ、 ぜんこうへまうでたまいしが、 せんをたづねこしうちくににいたり、 をのづから法門ほうもんちょうもんみみにとゞまり、 康兼こうけん法印ほういんのをしへをうけて、 そのまゝ此寺このてらにやどりたまひ、 但信たんしん念仏ねんぶつぎょうにんとなりたまいぬ、 それよりこのかたしゅうへともなひたてまつり、 まいおなじくすみたまへば、 いとけなかりしとき、 「とくさけよ千代ちよこめたるはるなれば」 とうめはなをよみはべりし、 そのことのをあはれみ、 敷嶋しきしまみちにすゝめいれたまう

-それよりはじめて三十みそひともじのことのこころをかけ、 いまおいのちのなぐさみとなりはべるゆかりのつゆもかうばしく、 むかしのかぜもなつかしうおぼえはべるうへ、 おんおとゞぐらだいごんしゆきょうに ¬ろん¼ の訓説くんせつをうけたてまつり、 和歌わかみちまでもかたりいでたまひ、 しょうよういんない御点ぎょてんなどもうしうけはべりいにしえことまで、 ひとりごとしてかきつけはべるならん。

-けふはまた祖母そぼにょりょうぜん卒逝そっせいにあたりたまふ。 すぎしにこうしょうむかしぼう出生しゅっしょうののち、 ちゅうとうじゅんまかりたまいけるとなん。 しかれば毎年まいとしこのつきじゅう三日さんにちに、 とりこし、 こころざしのつとめをなしたまいこといまさらのやうにおもひいではべる。 はやすでにももとせあまりとおせにすぎはべれども、 ことしうへにしられて、 あはれにおぼはべる。

-ちちたいら貞牧ていぼくもうせしひとなり、 きょう恩院おんいん法印ほういんにょこうすなわちかのまいこうにてましましければ、 ようしょうよりおなじはくおんいつくしみにて、 ひとゝなりたまいしかば、 康兼こうけん実如じつにょとことにしたしく、 きょうだいなかにもとりわき法友ほうゆうにてましましける。

-せんはもとごんだいごん持李もちすえきょうすえむすめなりしが、 ことえんありてこしくにへくだり、 をのづから真俗しんぞくみちともにかしこく見物けんぶつたまへば、 しんしょういん法印ほういんもつねにほうしましましき。

-さればかのこうあとをとぶらひ、 そのみちをまもるべきむね、 実如じつにょ9につねにをしへきかせられしことを、

たらちねの したひし道も 法の門 思いでゝも ぬるゝ袖かな

廿にじゅう四日よっかそうちょう和泉いずみくに法友ほうゆういちにん、 このやどをたづねてきたれり。 ちかきあたりのひとさへ、 たへをはゞかり、 をとづれもなきところに、 はるばるのこころざし、 あわれにおぼへて、

心ざし ふかきや色に いづみなる 信太のもりの 木々のこずゑも

すぎにしきょうろくころしゅうみだれにより、 こしさきくにへこゑ廿にじゅうとせばかり、 こころをつくはべとき和泉いずみ祐念ゆうねんといひしものと、 出雲いずものかみ正家まさいえといへるあおざむらいつきそひはべり、 そのほかのものはちりぢりになりぬ。

-しかるにこのあひだも、 かの和泉いずみそくじゅんしんしんしゅうふたり、 母子もしよりほかはわれにしたがふものなし。 さればふたたびのなんこころかはらぬこゝろざし、 ちちのあとをわすれみちあはれにおもひはべる。

-ことにおとうとしんしゅうがやまひにおかされ是非ぜひをわかざるおりふし、 ちからをそへはべこと、 たぐひなくぞおぼえし。 さすがあるあおざむらいのしるしとかんすくなからず、 この母子もしのなさけ、 ことにつくしがたくて、 おいこころにおもひつゞける。

身は老ぬ われひとりなる 後の世を たのむは法の ちぎりなるらん
かくてわれ さきだつとても かへり来て すくはん弥陀 誓たのもし

また土佐とさにゅうどうりょうせいといへるものは、 法印ほういんにひさしくつかへしものなり。 この大坂おおさかどうこんりゅうときも、 つかひとしてのぼり、 そのときたまわりしほうみょうりょうせい実如じつにょ御筆ぎょひつをくだしましましける。

-ぼう入寂にゅうじゃくのちは、 にしたがひとうさんときも、 こころをつくせしほうなりき。 つゐにこのやまにしておうじょうほんをとげしことも思議しぎ宿しゅくえんにこそ、 そのゆかりのものしのびてきたれり。

-かのほうみょうによせて、

まことある 誓の末や 今さらに 忘ぬ法を とふもなつかし
まことある 誓をたのむ 弥陀の名の 世にきこへたる 跡おしぞおもふ

けふは、 当山とうざんかい蓮如れんにょしょうにんめいにちなり おなじく法然ほうねんしょうにんえんじゃくしょうにちなれば、 いれもじょうこうめいにてましませば、 ふともひいではべる。

たゞたのめ 弥陀の誓を 世におもふ 恵はおなじ すみぞめの袖
末の世に 生くる身も 弥陀の名の ひろまる道を 猶あふぐなり

ぼうかきをけるふるき要文ようもんなど、 むかしこいしくてひとりひらきみるに、 六歳ろくさいのとき、 妙照みょうしょうぜんにいざなはれ、 松岡まつおかへこえはべるに、 蓮如れんにょしょうにんつくらせおはします 「ふみ」 (五帖一 ) 「末代まつだい无智むちざいじゅう男女なんにょたらんともがらは」 とあそばれしおんことばを、 そらによみはべれば、 「しょうにんいちりゅうかんのおもむきは信心しんじんをもてほんとせられそうろうとのべたまうふみ」 (五帖一〇) ををしへさせたまいしを、 こうきょうへかへりて、 せんこうにそらにかたりもうししかば、 くちづからかきとゞめさたまいことあとなり。

今さらに 思ぞ出る 法の道 をろかなるをも すてぬ昔を
愚なる 身にも忘ぬ ことの葉を いまみるからに ぬるゝ袖かな
むかしより ふかき恵の つもる身や わすれずのりの 道おまもらん

去年きょねん霜月しもつき廿にじゅう六日ろくにちこんしょうにん ¬さん¼ (正像末和讃 ) のことおほせいださる、 「像末ぞうまつじょくとなりて しゃゆいきょうかくれしむ 弥陀みだがんひろまりて 念仏ねんぶつおうじょうさかりなり」 ともうすとを、 明日あすひきはじめたてまつるべきよしなり。

-そのむね堂衆どうしゅもうすべきか、 助言じょごんいかゞとうかゞひもうしはべれば、 もうすべからず、 いっしゅわれこゝろえにてそうろうとおほせられしまゝ、 みなみなけいもうし、 あくそのしゅ同音どうおんもうしあはせはんべり、 さいさらにわきまへはべらず、 今朝けさそのことおもいいだしたてまつり、 ひそかにひとりじゅしたてまつりて、

思いでゝ ことしも袖を しぼるかな 君がをしへし 法のことのは
さかりなる 御法の花を 心なく 誘うあらしよ さていかにせん
みだりゆく 世にもさはらぬ 弥陀の名の 猶あらはれん 時や来らん

大唐だいとう念仏ねんぶつこうぎょう祖師そし善導ぜんどうしょうは、 えいりゅうねん三月さんがつ廿にじゅう七日しちにちにゅうめつしたまふ。 そのとくをほめていはく、 「仏法ぶっぽうとうぎょうしてよりこのかた、 いまだぜんのさかんなるとくのごとくなるはあらず」 (端応伝) 云々らんしょうにんは、 「善導ぜんどうひとりぶつしょうをあきらかにせり」 (行巻) ほめさせたまふ。 その法譚ほうたんによせたてまつりて、

さまざまに ひろめし法 中になを よくみちびける 君ぞたへなる
たらちめの 残す言葉の 露うけて 昔の袖を いましぼるかな

のちうたは、 せん如専にょせんぜんさんぬるえいしょうじゅういちのとしじゅうがつ廿にじゅう七日しちにちまかりける、 そのきわに、 かたりていはく、 真俗しんぞくともにうちやわらぎ、 法友ほうゆうかたりあはすべし、 談合だんごうするときはひとりのあやまりにはならぬものなり。 しょう一大いちだいなり、 仏法ぶっぽうをもつぱらたしなみ、 ことさら仏前ぶつぜんをまづゆだんなくこころにかくべきよし、 ねんごろに遺言ゆいごんせしことを、 そのころはいとけなかりしかば、 こころにわきまへはべらざりしが、 このごろとうにまいり、 ひとしほこのことのをあけくれおもひいだしはべる、 けふもかいきゅうなみだそでをうるほしける。

-ことに今年ことしはとしどし影前えいぜん通夜つやせしめ、 朋友ほうゆうまじはりいりて、 たがひにしんしん報恩ほうおんこころざしをのべはべことおうよりりゅうれいたり。 しかるにおもはざることによりて、 このやどにとゞまりて、 ひとりおもいやりたてまつるばかりなり。

心のみ かようはしるや 今夜なを 法の筵を しきしのぶ身に
晴にけり 天満星の 光まで 法の御空の かげくもりなく

ひるのほどは、 あめふりはべるが、 くれにかゝりくもはれて、 ほしのひかりかゞやき、 一天いってんくもなくみゑはべれば、 かくもうしはべり。 おりふし法友ほうゆうとひきたり、 のことぐさなどかたりきこえけるも、 かたがたおんありがたくぞおぼえはべる。

-あけゝれば、 まさしく報恩ほうおんこう結願けちがんじょうじゅしょうにてはべる。 しかるざんしゃまたげにより、 つゐに法席ほうせきムシロにまうではべらざるかなしさ、 もうしてもつきがたし。 しかれどもぶっしょうらんこん愛隣あいりんにより、 いまゝでいのちながらへて、 このしょうにちあいたてまつることかたじけなくて、

めぐみありて けふに逢あふ うれしさは なにゝつゝまん 法の衣手

きゅうとう朔日さくじつ、 なべていとなみしげきころはべれども、 いたづらにををくり、 ひとりかんしょうにむかひしおりから、 ふけひとしづまりはべりさけをすゝめのことぐさなどかたいでゝなぐさめはべりき。

-やがてうちふしはべれども、 おいならいねぶりはやくさめて、 あけたつくづくおうをおもふに、 けふは実如じつにょ命日めいにちまた誓賢せいけんこうしょうなり、 ひそかにねんぶつのつとめをなしはべる。

さん¼ (浄土和讃) に 「みょうたいあわれみて」 とひきはじめたてまつれば、 六首ろくしゅは 「びょう等心どうしんをうるときを いっ子地しじとなづく」 とのべましますおんことばにあたり、 これしょきょうこころよりてあらはしたまところなり今年ことし 天王てんのうにて ¬しょうさんじょうきょう¼ と ¬はんぎょう¼ 感得かんとくして拝見はいけんせしことまでいもいいだしはべる。

-はじめ法身ほっしん光輪こうりんきはもなく、 あんにょうかい影現ようげんましまし、 またしゃぶつとしめし、 迦耶がやじょう応現おうげんたまふ、 ほうほうおう三身さんしんのことはりもあらはれ、 おうにんじょうしんうたがふともがら、 みょう眼人げんにんみょう無耳むににんとときまします金言きんげんしんだつにいたりあい無疑むぎとあらはるゝところ、 あんにょういたりてさとるべしとあきらかにのべたまおんことの心肝しんかんめいじありがたくおぼはべる。

-ときもんをたゝくものあり、 らくよりのつてなり。 尊書そんしょをひらき、 えつきわまりなし。

-かねてはまたいにしとし霜月しもつきころじょうけんやまいにより報恩ほうおんこうちゅうしゅっとうをこたれり。 しかれども ¬でん¼ をばのぞみてよみたまいぬ、 しかるにとうしゅん元日がんじつしゅっこれなし。 二日ふつかあさ門主もんしゅぜんへまいりしおりふし、 どうものがたりしたまひしは、 じょうけんびょうこころよからざるよしもうされしとき、 こんしょうにん、 それはきょすべきむねのたまひしかば、 そのひとことのなくしてたちさりぬ。

-けさふとこころにうかびおもひあはすることはべり、 そのほかたびたびおほいだしたまさん、 しづかにあんをめぐらしはべば、 しょのたよりなるべきを、 たゞなにとなくきゝすぐしたてまつりける、 をろかなるこころをかへりみるばかりなり。 さりながらつたなきまことをばすてたまはぬだいだい、 たのもしくおぼえはべる。

をろかなる 身にも忘ぬ 弥陀の名の 誓をたのむ 法のまことは

もとよりけんじゅんは、 つたなくこころをろかにして、 真俗しんぞくみちをわきまへず、 ことにともすれば、 やまいにおかされ、 そのちからたらざれば、 ぞくみちにもたづさはこともなく、 しゅうのまじはりをもこのまず。

-しかれどもちゃく蓮能れんのうほっさんぬるぶん第三だいさん しょうがつ廿にじゅうにち廿にじゅうさいにしてまかりぬ。 いまだせいもなかりしかば、 そのけつによりてしばらく妙照みょうしょう母子もしのなぞらへにて、 松岡まつおか兼祐けんゆう真弟しんてい兼玄けんげん法印ほういんともにしたしくなれむつびはべる。

-兼玄けんげんは、 かしこくげいこころをかけ、 きくみちでも、 家々いえいえふうをまなびたまいねつのよしみあれば、 たがひにまじはりうとからざりし。

-これによりて大永だいえいねんしょうがつ廿にじゅう八日はちにち、 ¬六要ろくようしょう¼ 読書どくしょののぞみもおなじく実如じつにょもうしあげ、 恩恕おんじょあずかり、 いち十巻じっかん伝授でんじゅせしめをはりぬ。 そもそもようときより先考せんこうおしへをうけたてまつり、 じゅう一歳いっさいときじょうさんみょうでん」・¬せんじゃくしゅう¼ じゅのゝち、 かんりょうちょう祖師そしせんどくしょしゃくとうならひつたへ、 廿にじゅう三歳さんさいにいたるまで、 じょうずいきゅうつとをこたらず、 じゅう八歳はっさいときしゅっとくほんをとげ、 貴寺きじにをひて、 ¬じょう文類もんるいじゅしょう¼・¬禿とくしょう¼ りょう きょうもんぼうりゅうげんにしたがひ伝授でんじゅ、 おなじ廿にじゅうさいにして本書ほんしょ ¬教行きょうぎょうしんしょう¼ いち六巻ろっかん誓願せいがんりょうゆう相伝そうでん、 いづれも実如じつにょしょうにん恩許おんきょにあづかりたてまつるゆへなり

-また念仏ねんぶつ勤修ごんしゅ法門ほうもんだんごう余暇よかりゅういんぼんちょう蔵王ぞうおう万年まんねんさんよりくだりたまひ、 だんのつゐでおもひよるふしをつらねはべりし。 もとよりたしかにならびつたふるみちもなければ、 ねんこころにうかぶばかりを、 ことのにのべ、 ふでにしるすのみなり。 これけんのためにあらず、 みづからのなぐさみとするばかりにこそ。

-さても今般こんぱんはからざる横難おうなんにあひて、 身心しんしんいたましむ。 われひとりのあんりゅう衆人しゅにん讒言ざんげんひつにもつくしがたし。 しかれども、 こんしょうにん厚恩こうおんぶっしょうらんましましけるにや、 せつやうやくあらはれゆくこと、 かつはまた三公さんこう労功ろうこうおんべっしてはりょうくん哀憐あいりんほうじょうなり。 古語こごに、 「いえにわざはいあるときは、 おやにあらざればすくはず」 と 云々このことばまことなるかな。

-真俗しんぞくこう蓮如れんにょしょうにん曾孫そうそん法印ほういんじゅんはおなじき玄孫げんそんにこそ。 かのそう祖師そし光真こうしん法印ほういんは、 せんこうにことなる法友ほうゆうなりき、 その孫弟そんていこうそうは、 じゅうなりしかば、 々の芳契ほうけいたえず、 なかにもとりわきをくだきこころつくしたまおんこころざし、 たぐひすくなくぞおぼはべる。

-そのほか親昵しんじつあまたありといへども、 かたえにはゞかりくちをとぢ、 かへりてざんのともがらにともなたぐひおほし。 こゝにいまだがくばかりなるどうのよしみをつうじ、 おなじくちからをくわえ真俗しんぞくたいのたすけをなしたまふ。

-このほかこころざしつうずる信男しんなん信女しんにょあはせて七仁しちにんしん七賢しちけん竹林ちくりん交遊こうゆうにもまさりはべるべし。 まこと現在げんざい聞法もんぼうしん 当来とうらい倶会くえ一処いっしょ法楽ほうらくうたがひなくぞおぼゆる。

これしかしながらこんしょうにんじゅうがつじゅうにちにん使せつ法侶ほうりよ二人ふたりをくわへたまふ、 りょよりをこれり。 かのじょうらく法印ほういんこうそう真弟しんてい教行きょうぎょうえいは、 兼詮けんせんほういん真弟しんていなり この詮公せんこうは、 じゃくねんころよりたがひにむかしかたり、 真俗しんぞくのたゞしきみちをともにしたひし法友ほうゆう id="l1167-3"なり。

-ればこのたび門主もんしゅもわきておほせあはせられしにこそ、 ちちみちをたがへず、 ちからくわへたまふこと、 ことのにものべつくしがたし、 かくようやくしょうもあらはれ、 こうぞく仁政じんせいみちをも、 よりよりかたりいだしましますにより、 かみやはらぎしもむつまじくして、 是非ぜひことはりたれかわきまへざらんや。

-その日々にちにち月々げつげつかはり、 たゞまん邪見じゃけんむねとして、 ないりょうてんもにたづさはらざるひとなり。 ある ¬しょ¼ (序分義) にいはく、 「ことてんにあづからざるは、 くんのはづるところなり」 と。 しかればざん無愧むぎのやからにたいしては、 真俗しんぞくしょう、 ことばをつくしこころをつゐやしても、 その所詮しょせんなきものをや。 すでに篭居ろうきょ数日すうじつひとのまじはりをたえて、 しちゆうりしころ便たよりをもとめ、 あるひとのかたへ、 よみてつかはしける。

老が身の かゝる思の 露涙 くち行袖に つもる日かずは
もろくちる 庭の木の葉の 色みても 老のなみだの 袖おもひやれ
なにとかく へだつる道ぞ 法の師の 教のまゝと おもふわが身を
法の師の 心の月ぞ 照しみん 世のいつはりの 雲おほふとも
ふたつなき 心は君も みそなはせ 法の恵を 弥陀にまかせて
法の師の をしへのまゝと たのむぞよ 世のよしあしぞ 道もわすれて
いつまでぞ まよう心の 雲霧も 法の恵の かぜにはれずや

すなはちこのこんしょうにんはじめたずねなされ、 翌日よくじつ清水きよみずつぼねへうつりはべりぬ。 いにしへぼう毎朝まいあさ念仏ねんぶつごんぎょうのちつねいえにかへり、 しばらくぶつにむかひ、 あんすることたえず、 ほくにしては南方なんぽうにむかふ。 いまとうぼうにむかひたてまつる。

-われまたおなじくれいじょうしんきょうれんのおもひは、 かはらざるものをや、 しかれば東南とうなんくもおさまり、 西北せいほくかぜしづかにして、 真如しんにょ月光がっこうかゞやき、 ほっしょうみずかげをやどす、 これえん相応そうおう真俗しんぞく繁栄はんえいずいなるをや。

-法然ほうねんしょうにんいわく、 「じょうきょう時機じきをたゝきて、 ぎょううんにあたれり、 ねんぶつぎょう水月すいがつかんじてしょうこうり」 (選択集) と。 いままさしくときいたれるかな。

ながらへて すむ御法の 水からも くもらぬ月の かげうつるかに

 

しかるに、 そしればいよいよあくきおきたりてころさんとほっす、 たとへばあくじゅうどくちゅうはしむかふにたり、 われもまたすいなんおそれず、 ただ願力がんりきどうじょうずるのみ。 ことさらに、 こうすくはんがために、 げんおもいくわへて、 あたかもそんようのごとく、 一心いっしんしょうねんにしてひとへにそのみちたずね、 再興さいこうちて、 悲喜ひききょうす。 かねてまたひゃくしゅえいは、 人寿にんじゅたとえじゅんじて、 ぎょう一分いちぶんぶんするは、 歳月さいげつにちくらぶ。 よりてひとりすずりむかひてふでり、 なみだとともにこれをしるしおはりぬ。

るに れば者弥 りて、 さむと へばたり獣・毒虫↡、ふに亦不↠恐火之難 るのみ願力之道。殊更保公為 むが師加へて二尊之影、一心正念 にしてちて再興之期、悲喜交流又百首之詠者、准じて人寿之譬、行事一分二分 する者、歳月日時。仍 りてひて与↠涙共 りぬ

永禄十載十二月廿二日書之

欣求浄土沙門顕誓

于時天正拾四 九月下旬奉写⊂⊃

⊂⊃法橋

 

底本は◎龍谷大学蔵天正十四年書写本。 ◎の湮滅箇所は ¬仏教古典叢書¼ によって補われており、 で示した。
延書は底本の訓点にしたがって有国が行った。 また、 地の文 (字下げ部分) のルビも有国により、 表記は現代仮名遣いとした。