◎▲光闡百首
◎近ごろ病霧に犯され、 人間浮生の身を傷む。 疑雲立ち覆いて娑婆有待の心を悩まし、 無明の闇夜は法性の覚月を隠す。 冥々としてひとり寝床に坐して、 身心に東西を弁ぜず、 あたかも室穴の中に居するに似たり。 ここに厳師慈愍の徳風ありて、 誘引来化してたちまちに雲霧を払ふがごとく、 真智の日月やうやく出期の時至りて、 無礙の光耀を朗にせんと欲す。
◎近曽被↠犯◗↢病霧↡、傷↢人間浮生之身↡。疑雲立◗覆 悩↢娑婆有待之心↡、無明◗闇夜◗隠↢法性之覚月↡。冥々 独◗坐↢ 寝床↡、身心◗不↠辨↢東西↡、宛◗似↠ 居↢ 室穴之中↡。爰◗厳師慈愍之徳風、 誘引来化◗而忽◗如↠払↢ 於雲霧↡、真智之日月漸◗出期◗時至、 欲↠朗↢ 無◗光耀↡。
-これによりて安慰してすなはち本心に復り、 もつて法楽を受けて、 多罪・重病を治す、 歓喜胸に満ち、 渇仰肝に銘ず。 よりて暁鐘を聞けば短夢すみやかに醒めん。 試みに漢和の一章を呈し、 白居易遺愛寺の往事を憶ふ。 霊寺の鐘声は枕を欹てて聴き、 心中の所願は書を披きて看る。
-依↠ 此◗安慰 即◗復↢本心↡、以◗受↢ 法楽↡、治↢多罪・重病↡、歓喜満↠胸、渇仰銘↠肝。仍 聞↢ 暁鐘↡短夢速◗醒 矣。試 呈↢漢和之一章↡、憶↢白居易遺愛寺◗往事↡。霊寺◗鐘声◗欹↠ 枕◗聴、心中◗所願披↠ 書◗看。
いとゞしく うき世の夢を おどろかす 法のおしへや あかつきの鐘
同じくいはく、 聖廟の神、 楽天の尊詩に同じくその高韻を賡いでにはかに作る。
同曰、聖廟之神、同↢ 楽天之尊詩↡賡↢ 其高韻↡頓作。
遥仰↢霊場↡看↢瓦色↡ 唯帰↢於仏↡称↢名声↡ 栄名自是心永絶 深念↢仏恩↡口不↠言
身のあれば 又いかならん いつはりの なき世にきえん 命をぞおもふ
弥陀たのむ 心はたえぬ 慈に 世のよしあしも 忘れはてぬる
また蟄居の机上において、 古本を得て太子 「十七ヶ条憲法」 を写す。 今日かの御入滅の正日に当りて右筆のついでに、 和漢の両篇を綴じ卑懐を述べて、 かの尊霊を奉献し、 伏して慈悲の加護を乞はん。
又於↢蟄居之机上↡、得↢古本↡写↢太子「十七ヶ条憲法」↡。今日当↢ 彼◗御入滅之正日↡右筆之次、 綴↢和漢之両篇↡述↢ 卑懐↡、奉↢献◗彼◗尊霊↡、伏 乞↢ 慈悲◗加護↡焉。
至心信楽従↠何発 皆是弥陀廻向相 今日更思↢弘興徳↡ 和朝教主上宮王
たえせじと あふぐ仏の 法の道 まもらざらめや 君がめぐみに
身をすてゝ 法のためにと おもひ入 心のみちは あめつちもしる
弥陀智願首↢廻向↡ 太子来応慈愍明 観自在尊同勢至 艤↢船苦海↡度↢衆生↡
くるしみの 海をもわたす 法の船 弥陀の誓を たゞたのめ人
次の日隆寛律師の法語を得てこれを書写す。 奥書 (一念多念分別事) にいはく、 「建長七歳乙卯四月二十三日、 愚禿善信八十三歳これを書写す」 と。 云々 則日に書の功を終へおはんぬ。 今日はまた祖母如了禅尼の逝日なり。 今年はまた永禄丁卯の歳、 期せず測らず、 自然の致すところなり。
次◗日得↢隆寛律師◗法語↡書↢写◗之↡。奥書◗云、「▲建長七歳乙卯四月廿三日、愚禿善信八十三歳書写之。」云々 則日◗終↢書◗功↡訖。 今日◗又祖母如了禅尼之逝日也。今年◗又永禄丁卯◗歳、不↠期◗不↠測、自然之所↠致◗也。
そもそも今師上人御誕生は、 天文十二年正月七日癸卯にして、 当年もまた卯の歳なり。 この時に至りて諸徒勧誘の懇誠を顕し、 衆生得脱の要道絡を示す。 これしかしながら末代奇妙の化益、 仏法繁昌の根源なるものか。 いはんや月中の兎、 世尊因位の応化のその一なるものをや。
抑◗今師上人御誕生、天文十二年正月七日癸卯、 当年◗又卯◗歳也。至↠ 于↢此◗時↡顕↢諸徒勧誘之懇誠↡、示↢衆生得脱之要道絡↡。是併◗末代奇妙之化益、仏法繁昌之根源 者乎。況◗月中◗兎、世尊因位◗応化之其◗一 者◗乎。
-御寿算もまた当年と同暦にして、 時節相応の表示なるものか。 かねてまた憲法書写の古本には、 「明応四年乙卯三月二十九日これを書く」 と。 云々 われ未生以前の写本たりといへども、 今年豫の手に入りて拝覧することを遂げるは、 もつとも機感順熟なるものか。 閑かに憲章に対して、 愚朦安慰の少解を写し、 太子の哀憐あにこれなからんや。
-御寿算◗又当年◗同暦、 時節相応之表示 者乎。兼◗亦憲法書写之古本、 「明応四年乙卯三月廿九日書之。」云々 吾雖↠為↢ 未生以前之写本↡、今年入↢ 豫◗手↡遂↢ 拝覧↡、 尤◗機感順熟 者歟。閑◗対↢ 憲章↡、写↢愚朦安慰之少解↡、太子◗哀憐豈無↠ 之乎。
-なかんづく今日は、 当山開闢の尊師兼寿法印円寂の忌辰、 当流中興の明哲なり。 下愚かの在世に遇ひたてまつらずといへども、 その遺教に信順し、 もはらかの行化を仰ぐ。 これすなはち弥陀・釈迦二尊の矜哀、 代々相承知識の厚恩なり。 これによりてまた卑詞を記し筆端を呈す。
-就中今日者、当山開闢之尊師兼寿法印円寂之忌辰、当流中興之明哲也。下愚雖↠不↠奉↠遇↢彼◗在世↡、信↢順◗其◗遺教↡、専◗仰↢彼◗行化↡。是則◗弥陀・釈迦二尊之矜哀、代々相承知識之厚恩也。因↠ 茲◗亦記↢卑詞↡呈↢筆端↡矣。
老釈・弥陀二仏因 真茲唯仰下愚身 無明雲霧随↠風散 法性月輪光耀新
廿あまり 五の年に あひにあふ 法のちぎりを たのむ今日哉
¬観経義¼ (散善義) にいはく、 「仰ぎて釈迦発遣して指して西方に向はしむることを蒙り、 また弥陀悲心をもつて招喚したまふによりて、 いま二尊の意に信順して、 水火の二河を顧みず、 念々に遺るることなくかの願力の道に乗ず」 と。已上 ただこの真説に憑むのみ。 古語 (韓非子) にいはく、 「千丈の堤も螻蟻の穴より潰ゆ」 と。 云々
¬観経義¼云、「▲仰 蒙↣釈迦発遣 指 向↢ 西方↡、又籍↢ 弥陀悲心 招喚↡、 今信↢順 二尊之意↡、不↠顧↢水火◗二河↡、念々◗無↠遺 乗↢ 彼◗願力之道↡。」已上 唯憑↢ 此◗真説↡。古語◗(韓非子)云、「千丈之堤◗自↢螻蟻◗穴↡而潰。」云々
-しかれば近日悪徒ありて螻才を招き入れん者一の諆計をなせり、 邪見放逸の企、 これしかしながら仏法破滅の基なり。 かの螻虫土の中にありて明闇を弁ぜず、 たまたま陸地に遊ぶも、 坐臥安からず、 たちまちに潤沢を加へその悪を増して、 濁水漲来し、 いますでに出奔するも、 言語人にあらざれば、 これ外道痴鈍の所為、 天罰冥罰、 その身にあるものか。
-然 近日有↢ 悪徒↡招↢螻才↡入 者為↢ 一◗諆計↡、邪見放逸之企、是併◗仏法破滅之基也。彼◗螻虫在↢ 土◗中↡不↠辨↢明闇↡、適◗遊↢ 陸地↡、坐臥不↠安、忽◗加↢潤沢↡増↢ 其◗悪↡、濁水漲来、今既◗出奔、 言語非↠ 人、是外道痴鈍之所為、天罰冥罰、在↢其◗身↡者乎。
-導和尚の二河の譬喩にその証明白なるものか。 述ぶるところの毒虫はこの類か、 無慚無愧はこれを畜生となす、 なんぞ仏法修行の器とするや。
-導和尚◗二河◗譬喩◗其証明白 者乎。所↠述 毒虫◗此◗類歟、無慚無愧◗是◗為↢畜生↡、何◗為↢仏法修行之器↡乎。
-かの文 (散善義意) にいはく、 「まさしく到り回らんと欲すれば、 群賊・悪獣漸々に来り逼む。 まさしく南北に避り走らんと欲すれば、 悪獣・毒虫競ひてわれに向ふ。 まさしく西に向ひて道を尋ねて去かんと欲すれば、 またおそらくはこの水火の二河に堕せんと。 時に当りて惶怖することまたいふべからず。乃至 この人すでにここに遣はしかしこに喚ばふを聞きてすなはち身心を正当にして決定してただちに進みて、 疑怯退心を生ぜず。乃至 一心にただちに進みて道を念じて行けば、 須臾にすなはち西岸に到りて、 永くもろもろの難を離る、 善友あひ見えて慶楽すること已ぬことなし」 と。 已上
-彼◗文◗云、「▲正 欲↢ 到◗回↡、 群賊・悪獣漸々◗来◗逼。正 欲↢ 南北◗避◗走↡、 悪獣・毒虫競 向↠我。正 欲↢ 向↠ 西◗尋↠ 道◗而去↡、 復恐 堕↢ 此◗水火◗二河↡。当↠ 時◗惶怖 不↢復可↟ 言。乃至 ▲此◗人既◗聞↢ 此◗遣◗彼◗喚↡ 即◗正↢当 身心↡、決定 直◗進、 不↠生↢疑怯退心↡。乃至 ▲一心◗直◗進 念↠ 道◗而行、 ◆須臾◗即◗到↢ 西岸↡、永◗離↢諸◗難↡、善友相見 慶楽 無↠ 已。」 已上
-二尊の摂護、 列祖の慈恩、 それあに疎からんや。 よりて悲喜の涙を抑えて報謝の愚念を誌すのみ。
-二尊之摂護、列祖之慈恩、夫◗豈疎 乎。仍 抑↢ 悲喜之涙↡誌↢報謝之愚念↡而已。
永禄拾年十月二十八日早朝心に浮ぶに任せてこれを記す
永禄拾年十月廿八日早朝任↠ 浮↠ 心◗記↠之◗
をのづから 心にうかむ ことのはを かく水茎の あとぞおかしき
身につとめ 心にさとる 法ならば なにとたのまん 弥陀の誓を
かゝる世の ためにときをく 法なれば この比ことに 弥陀ぞたふとき
定なき うき世はつねの ならひにも ことはりすぎて つらきころかな
かねて聞 弥陀のちかひに まかすれば 世のうきふしも 身にはなげかず
みだれゆく 世をこそなげゝ 心には みだたのむ身の たのしみやこれ
法の師の かねてをしへし 道ならで 又おもふべき 心ともなし
生死の みちはのがれぬ 世をさらに なにとたのまん 弥陀たのむ身は
おさめとる 弥陀の光の うちにすむ 身のあかつきを 待ぞうれしき
たのもしな うき世の雲の あともなく さとりひらけん あかつきの空
とにかくに 弥陀のちかひを あふぐぞよ おろかなる身も たへぬたふとさ
いかにして おろかなる身に おもはまじ 弥陀のあたふる 恵ならずは
あふぎみば なをはかりなき めぐみかな 弥陀のちかひも 祖師のおしへも
今日反古の中より愚詠一首これを捜得す。 これは去るころ清水の花亭、 庭前の池にはるかにこれを見れば、 蓮花初開の境節あり、 門主仏書を御拝覧の砌なり。 豫座下に侍りてこれを褒めて、 すなはちその池辺に至り希奇の思をなしてにはかに作る。 「年をへて花さかざりし蓮葉も いまぞひらくる法のにほひに」 読詠草なり。
今日従↢反古之中↡愚詠一首捜↢得◗之↡。是者去◗比清水之花亭、庭前之池◗遥◗見↠ 之、蓮花初開◗境節、 門主仏書◗御拝覧之砌也。豫侍↢ 座下↡褒↠ 之、則◗至↢于其◗池辺↡為↢ 希奇之思↡頓◗作。「年をへて花さかざりし蓮葉も いまぞひらくる法のにほひに」読詠草也。
-翌日 二十九 また存鏡筆跡の古詩一篇これを看る。 よりてかの風景に效ひその韻を賡げり。 かの語にいはく、 「倒風深菊、荒雪池蓮」 と。 云々 随ひて当時寓居の亭、 庭前に菊を見る。 去る夏に歩行のついでに、 池水に蓮を詠みてその興として愛玩せり。 いまさらに恋慕の思休まず、 かねてまたこの数年、 荷葉繁茂すといへどもいまだ一花をも発けず。 今年初めて蓮華開敷し、 奇妙の瑞心肝に銘ず。 よりて往事を憶ひてこれを詠む。
-翌日廿九又存鏡筆跡之古詩一篇看↠之。仍 效↢彼◗風景↡賡↢ 其◗韻↡。彼◗語◗云◗、「倒風深菊、荒雪池蓮。」云々 随 而当時寓居之亭、庭前◗見↠菊。去◗夏◗歩行之次、 池水◗詠↠ 蓮◗為↢其◗興↡愛玩。 今更◗恋慕之思不↠休、兼◗亦此数年、荷葉雖↢繁茂↡ 未↠発↢一花↡。今年初 而蓮華開敷、奇妙之瑞銘↢心肝↡。仍 憶↢ 往事↡詠↠之。
丹心帰↠仏仰↢哀憐↡ 深院独居更精専 近見↢寒庭載霜菊↡ 遠思↢夏日発風蓮↡
仏日・祖風化益遐 欲↠明↢長夜↡法薫加 一心専念↢無量徳↡ 本是如来正覚華
玄冬晦の暁、 仏恩これを憶念し称名す。 愚懐するに心を慰める号なり。 この二十八日二十九日両日の間、 当流の ¬本書¼ 一部六巻拝読をたてまつり、 翌日 ¬浄土文類聚鈔¼ 拝覧を遂げ、 いよいよもつて仏祖の広徳、 報恩の思極りなく、 よりてまたにはかに吟ず。
玄冬晦◗暁、仏恩憶↢念◗称↣名◗之↡。愚懐 慰↠ 心◗号。 此廿八日廿九日両日之間、当流之¬本書¼一部六巻奉↢拝読↡、翌日¬浄土文類聚鈔¼遂↢拝覧↡、弥◗以◗仏祖之広徳、報恩之思無↠極、仍 又頓◗吟。
なぐさみも 外にもとめず 弥陀たのむ 心ぞしるべ 御名をとなへて
いやましに あふげばたかき 法の師の をしへの外は なにかたづねん
同年十一月四日おもひつゞけゝる。
二なき 御法のみちを たづねゆく 心のすゑは 弥陀ぞまもらん
みだれゆく 人の心は さもあらばあれ われはすぐなる みちを訪ん
にごる世の 人の心は すみやらぬ 水になづめる われぞかなしき
なき名にて しばししづみし 苦の 海にもうかむ 舟はあらずや
いにしへも なき名にしづむ 跡はあれど ひろまる法の 道はたえせず
たえせじと たのむ御法を さまたぐる 人の心は さていかにせん
釈迦・弥陀の 誓はいまも あきらけき 御法をたのむ 道はかはらじ
六日暁、 夢さめて後、 開山聖人の御詠歌に
「▼ありがたやたふとやとこそいはれしは みだたのむ身のひとりごとには」 とあそばされしことをおもひいでゝ、
ありがたや 老のねざめも 弥陀たのむ その嬉しさの ひとりごとして
法の道 君をおもひの へだてなき 心は弥陀ぞ みそなはすらん
法の師の めぐみをおもひ あけくれば 君につかふる こゝろのみして
同七日けふは亡父卒逝の日也。 去文明の比信証院法印北国行化のとき、 安芸法眼光業と云しもの寵ウツをゑクシミ て、 真俗の道を申すかして、 加州みだれがはしかりしを、 其権威には、 はゞかりいさむる人もなかりしに、 故法印康兼・阿兄兼祐法印にあひ談じ、 願成就法印をよびくだし奉り、 兄弟三人もろともに、 ひそかに信証院法印に申あげ奉りしかば、
-おどろきおぼしめし、 にはかに光助法印の便船をまち、 順風をゑ給ひ、 一日のうちに若狭の小浜に著岸ありて、 それより都にのぼりましまし、 かの佞者を退られし後、 僧都一流の正意あらはし、 仏法繁昌のもとゐになりき。 もとより故法印は、 をろかなる身のはぢてよろづつゝしみありといへども、 法のためには身を忘れけるむねを、 つねにかたり侍し事を思いでゝ、
たらちねの をしへし道も 法の師の 恵みわすれぬ 跡をしぞおもふ
をろかなる 身にもおもひの 法の道 まもらざらめや 神もほとけも
ひるがへす 心ひとつに ゆく道を なをわけまよふ ひとぞかなしき
末の世に なをさかゆべき 弥陀の法 よしさまたぐる 人はありとも
まもれなを こゝろひとつの 法の道 尋ねゆくゆく 身をぞよろこぶ
ぬるがうちも 目ざめてみるも 夢なれば 何か常なる うつゝなの世や
かゝる世も ひとつまことの 道とては 弥陀のちかひを たのむばかりぞ
この比つけをかれし侍の中に、 河上のなにがしといへる人は、 故瑞泉寺賢心にわかき時よりなれむつびし人なれば、 そのゆかりなど申出て、 おりおり心をなぐさめ侍し。
-かの賢心は実如上人にしたしみ奉り、 法義におひて他事なく侍しかば、 故法印もことにもてあつかひしうへ、 その子証心は兼順と叔姪のあひだに侍れば、 まじはりもよのつねならず、 ちかくは賢心跡をゆづり修誓坊兼乗とぞ申ける。 つねにむかしの事などかたり給し、 いにしへをもてきこえし、 古きこと葉、 絵賛もち来侍し、 その語かの韻をつぎ、 ふとおもひつゞけける。 古語にいはく、 「学道参禅渡世計、 不如閉口送残年」 と。
物いはで 心にをくる 年月も 法の道ぞ またるゝ
絵賛 云
痩尽風相四十図 春光曽不到寒枝 莫教淪落西湖去 羞被官梅御柳知
和韻
莫謂風光不到図 朝々映日照梅枝 仲冬薫馥遇時樹 周世昭王盛歳知
同賛云
可期無定両悠々 昏底黄沙日夜流 望断暮雲残照外 青楓吹落海門秋
和韻
可期定裏意悠々 仏化自然法爾流 末世相応一称徳 弥陀本誓是春秋
河上や 法のこゝろの 玉椿 みれどもあかぬ 花の色香は
うれしくも 今夜あひみる 夢の友 ゑいをすゝめし 春の盃
おもひ出る 心はたえぬ いにしへの 人やあはれむ 法の契を
後の二首の歌は、 この暁、 むかしの友とて樽をいだき尋来りて、 ともに盃をめぐらし侍ると覚て、 ゆめさめてよめる。 しかもけふは妙祐禅尼身まかり侍し日なり、 かたがた筆にあらはし書つけ侍る。
ことの葉も たえてうれしき 心かな 弥陀のたすくる 法をきく身は
罪ふかく 愚なる身を おもひしる 心も弥陀の 恩としられて
きく事も 心にうるも はかりなき 弥陀の誓の ふかき慈み
きけばなを わがはからひの 尽はてゝ 弥陀のたすくる 法の貴さ
いく度か 身をかへりみて 法を思 我はからひの ありやなしやと
われといふ 迷もなしや 六の道 よこびる弥陀の 法に任て
よしあしと われにとまりし 道もなし 弥陀たのむ身は うさもわすれて
一すぢに 弥陀たのむ身は をのづから うき世の道も それにまかせて
閑居のつれづれのあまり、 仏陀を遷侍る菩薩歓喜地より十地を経て補処等覚の位にいたり侍る階次をみるにも、 自力修行の成じがたきことをきくに、 今弥陀の本願、 第十七の願の名号を信受する第十八の念仏往生の機は、 すなはち第十一の願、 住正定聚の益、 必至滅度の果をうるよし、 祖師の解釈、 他力易往の本誓、 いと尊くぞ覚え侍る。
-今朝おき出侍れば、 寒風はげしく水こほり雪ふりて、 遠の外山もみなしろたへにみえ侍るに、 かの越王勾践のむかし会稽の恥を雪めしふるごとおもひいでゝよめる。 しかもけふは十一日になりはんべりける。
手にむすぶ 水もこほりて うちむかふ 外山のみねの ふれる初雪
▼ふる雪も 恥をきよむる ためしとや 十地を越る ひとつさとりは
けふは十五日の日なり、 よのつねに弥陀・釈迦二尊感応の日と申しならはし侍る。 されば釈尊世に出給ふ事も、 ひとへに弥陀の本願をときのべましますべきためとみえ侍れば、 末の世のわれらまでも、 この御誓にあひ奉る、 仏恩かたじけなくぞ覚侍る。
-又偏増院僧都の御家兄中納言公光円と申せしは、 故法印にしたしく仰あはせられ侍し、 その御ゆかりを忘れず、 としどし極月十五日には志をいたし給をも、 おもひつげず侍しを、 去永正十六の比も、 父いさゝか風病をわづらひし折ふし、 豫にかたり侍る。 かやうの心づかひまでも、 ねんごろなりしことまでおもひ出侍る。
-ことさらすぎにし姉公誓賢は前のとしのしはすの二日身まかり侍る、 光円にさきだちてまいらせ侍しとなり。 そのきはにも蓮如上人あそばされし 「御文」 (五帖十四) に 「▲かくのごとくやすき事をいまゝで信じたてまつらざる事のあさましさよとおもひて、 なをなをふかく弥陀如来をたのみ奉べきものなり」 との御詞を申いだし念仏申、 そのまゝいきたえ侍るとなん。
-いまだ十あまりの人の心ばせにたぐひなきよし申つたへ侍る事など、 いまおもひいでゝよめる。
釈迦・弥陀の 恵あまねき 法の道 ひろまる末の 世をばなげかじ
かりそめの 法の契も 忘ぬや そのたらちねの 残すことの葉
をろかなる 身をおもふにも いやましに ふかくぞたのむ 弥陀の誓を
今夜の月のことにくまなかりければ、
さやかなる 月にたぐへて 思やる 弥陀の御国の きよき光を
いかなれば 月はくもらぬ 中天に なにとうき世の 雲かゝるらん
慈の 光をうけて 法道 きくも仏の ちからなりけり
たゞたのめ あふげばたかき 法の道 心にたゑぬ 弥陀のひかりを
となふるも 弥陀のもよほす 御名なれば げにぞまことの 心とはしる
四十地あまり 八の誓も あきらけき こよひの月は 雲もかゝらず
かんがへ侍れば、 去九月廿七日より今日まで、 四十九日になんなり侍る。 これによりて弥陀の本願になぞらへてかく申侍る。
-又子月仲旬第七日当初岡崎中納言と申せし人、 建暦元年の比勅免の宣旨をうけたまはり、 黒谷聖人御帰洛ありし往事をおもひ出で、 源中納言と申ける許へ消息のついでひとりごちし侍る。
法の道 おもふばかりに すぎし身の なにとうき世に まよう心ぞ
世のためと おもひしかども 身のうへに かゝる涙の つもる月日は
いかにせん をろかなる身を かこちても 老行末の 世のならひをば
ひたすらに 弥陀たのむ身の 心をば 法の師徳の 恵あらずや
世の浪も しづまる法の 海づらに うかぶ誓の 舟をしぞ思ふ
むかし大施太子と申せし人、 貧人をあはれみすくはんとの大願をおこし、 如意宝珠をもとめ給しを、 龍神おしみ奉りしかば、 ゑんしの貝を以巨海をくみ尽し、 つゐに宝珠をゑ給ふとなり。
-志の深きをば仏神も感応あるためしに申つたへ侍る、 以↠管◗窺↠天◗以↠蠡◗測↠海◗はをろかなる事に申侍れども、 仏祖の照覧を仰ぎ、 いさゝか法の道のみだれ行べき事をなげき、 朋友たがひに意旨をのべ、 おなじく和合の海に入、 ひとつ御法のうしほの味に帰せん事をねがひ侍りしに、 時のいたらざると心のつたなきゆへ、 かやうに成ゆく事身の志のおろそかなる所をよる・ひるかへりみるにも、 自楽をもとめず我身自心に著するおもひもなし、 たゞ祖師の御遺訓をしたひ、 仏智の本誓をたのみ奉るばかりなり。
-しかれども邪見放逸さかりなる時なれば、 かへりて仏法瞋毒のたくみとも、 見聞につけて悲涙にむせび、 いとゞむかし恋しく、 庭の梢に枇杷の葉の中に花のつぼみのまじはるをみて、 盧橘のうたがひまで、 そのよせありて、 かく申侍る。
こぼすとも 人やみるらん 昔おもふ はなたち花の 袖のなみだは
いにしへも 管にてそらを はかりみつ 貝にて海を くみ尽しけん
愚なる 身にも御法の そのために 心をつくす 道はかわらじ
古き詩に、 白梅盧橘さめてかうばし、 夢はめぐる却月廊といへる事を思出て、
むかしたれ 月にかへりし 夢の間も とくさく梅の 花のにほひに
古も 冬ごほりせし 難波津に さくやこの花 香にほふらん
此歌は仁徳天皇のむかしをおもひ、 今師聖人法流御再興の嘉地によそへ奉る。
-かねては去文明の末のとし、 椿如禅尼 従三位雄子 俄に出家発心し給ひ、 善光寺へまうで給しが、 先妣をたづね越の中津国にいたり、 をのづから法門聴聞耳にとゞまり、 康兼法印のをしへをうけて、 そのまゝ此寺にやどり給ひ、 但信念仏の行人となり給ぬ、 それよりこのかた加州へともなひ奉り、 姉妹おなじくすみ給へば、 豫いとけなかりし時、 「とくさけよ千代をこめたる春なれば」 と梅の花をよみ侍し、 そのことの葉をあはれみ、 敷嶋の道にすゝめ入給。
-それよりはじめて三十一もじのことの葉に心をかけ、 いま老の後のなぐさみとなり侍ゆかりの露もかうばしく、 むかしの風もなつかしう覚侍うへ、 御おとゞ小倉大納言李種卿に ¬論語¼ の訓説をうけ奉り、 和歌の道までもかたり出たまひ、 逍遙院内府の御点など申うけ侍し古の事まで、 ひとりごとしてかきつけ侍るならん。
-けふは又祖母如了禅尼の卒逝の日にあたり給ふ。 すぎしに康正の昔亡父出生ののち、 仲冬下旬身まかり給けるとなん。 しかれば毎年この月十三日に、 とりこし、 志のつとめをなし給し事、 今さらのやうにおもひ出侍る。 はやすでに百とせあまり十とせにすぎ侍れども、 ことし身のうへにしられて、 あはれに覚え侍る。
-父は平の貞牧と申せし人なり、 教恩院法印の女公も即かの御妹公にてましましければ、 幼少より同く伯母の御いつくしみにて、 ひとゝなり給しかば、 康兼は実如とことにしたしく、 御兄弟の中にもとりわき法友にてましましける。
-先妣はもと権大納言持李卿の末女なりしが、 事の縁ありて越の国へくだり、 をのづから真俗の道ともにかしこく見物し給へば、 信証院法印もつねに褒美しましましき。
-さればかの考妣の跡をとぶらひ、 その道をまもるべきむね、 実如豫につねにをしへきかせられし事を、
たらちねの したひし道も 法の門 思いでゝも ぬるゝ袖かな
廿四日早朝、 和泉の国の法友一、 二人、 このやどをたづねて来れり。 ちかきあたりの人さへ、 かたへをはゞかり、 をとづれもなきところに、 はるばるの志、 あわれにおぼへて、
心ざし ふかきや色に いづみなる 信太のもりの 木々のこずゑも
過にし享禄の比、 加州みだれにより、 越の前◗州へこゑ廿とせばかり、 心をつくし侍る時、 和泉祐念といひしものと、 出雲守正家といへる青侍、 つきそひ侍り、 其外のものはちりぢりになりぬ。
-しかるにこのあひだも、 彼和泉が息順信・信秀ふたり、 母子より外はわれにしたがふものなし。 されば二たびの難に心かはらぬこゝろざし、 父のあとをわすれぬ道あはれにおもひ侍る。
-ことに弟信秀豫がやまひにおかされ是非をわかざるおりふし、 ちからをそへ侍る事、 たぐひなくぞ覚し。 さすが名ある青侍のしるしと感気すくなからず、 この母子のなさけ、 事につくしがたくて、 老の心におもひつゞける。
身は老ぬ われひとりなる 後の世を たのむは法の 契なるらん
かくてわれ さきだつとても かへり来て すくはん弥陀の 誓たのもし
又土佐入道良誓といへるものは、 故法印にひさしくつかへしものなり。 この大坂御堂御建立の時も、 つかひとしてのぼり、 そのとき給りし法名良誓と実如御筆をくだしましましける。
-亡父入寂の後は、 豫にしたがひ当寺帰参の時も、 心をつくせし法徒也き。 つゐにこの御山にして往生の本意をとげしことも不思議の宿縁にこそ、 其ゆかりのものしのびて来れり。
-かの法名によせて、
まことある 誓の末や 今さらに 忘ぬ法を とふもなつかし
まことある 誓をたのむ 弥陀の名の 世にきこへたる 跡おしぞおもふ
けふは、 当山開基蓮如上人御命日也。 おなじく法然聖人御円寂の正日なれば、 いづれも浄土弘興の明師にてましませば、 ふとおもひ出侍る。
たゞたのめ 弥陀の誓を 世におもふ 恵はおなじ すみぞめの袖
末の世に 生くる身も 弥陀の名の ひろまる道を 猶あふぐなり
亡父かきをけるふるき要文など、 むかし恋しくてひとりひらきみるに、 豫六歳のとき、 妙照禅尼にいざなはれ、 松岡寺へこえ侍るに、 蓮如上人つくらせおはします 「御文」 (五帖一 ) 「▲末代无智の在家止住の男女たらんともがらは」 とあそばれし御詞を、 そらによみ侍れば、 「▲聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもて本とせられ候」 とのべ給 「御文」 (五帖一〇) ををしへさせ給しを、 光教寺へかへりて、 先孝にそらにかたり申しかば、 口づからかきとゞめさせ給し事の跡なり。
今さらに 思ぞ出る 法の道 をろかなるをも すてぬ昔を
愚なる 身にも忘ぬ ことの葉を いまみるからに ぬるゝ袖かな
むかしより ふかき恵の つもる身や わすれずのりの 道おまもらん
去年霜月廿六日、 今師聖人 ¬和讃¼ (正像末和讃 ) の事おほせいださる、 「▲像末五濁の世となりて 釈迦の遺教かくれしむ 弥陀の悲願ひろまりて 念仏往生さかりなり」 と申とを、 明日引はじめ奉るべきよしなり。
-そのむね御堂衆に申べきか、 助言いかゞとうかゞひ申侍れば、 申べからず、 一家衆には我等こゝろえにて候とおほせられしまゝ、 みなみな稽古申、 あくる日その衆同音に申あはせ侍べり、 子細さらにわきまへ侍らず、 今朝その事を思出たてまつり、 ひそかにひとり誦したてまつりて、
思いでゝ ことしも袖を しぼるかな 君がをしへし 法のことのは
さかりなる 御法の花を 心なく 誘うあらしよ さていかにせん
みだりゆく 世にもさはらぬ 弥陀の名の 猶あらはれん 時や来らん
大唐念仏興行の祖師善導和尚は、 永隆二年三月廿七日に入滅したまふ。 その徳をほめていはく、 「仏法東行してよりこのかた、 いまだ禅師のさかんなる徳のごとくなるはあらず」 (端応伝) と 云々。 鸞聖人は、 「▲善導ひとり仏の正意をあきらかにせり」 (行巻) とほめさせ給ふ。 其法譚によせ奉りて、
さまざまに ひろめし法の 中になを よくみちびける 君ぞたへなる
たらちめの 残す言葉の 露うけて 昔の袖を いましぼるかな
後の歌は、 先妣如専禅尼、 去ぬる永正十一のとし十月廿七日身まかりける、 そのきわに、 豫に語ていはく、 真俗ともにうちやわらぎ、 法友とかたりあはすべし、 談合するときはひとりのあやまりにはならぬものなり。 後生一大事なり、 仏法をもつぱらたしなみ、 ことさら仏前の義をまづゆだんなく心にかくべきよし、 ねんごろに遺言せし事を、 其比はいとけなかりしかば、 心にわきまへ侍らざりしが、 このごろ当寺にまいり、 一しほ此ことの葉をあけくれ思ひいだし侍る、 けふも懐旧の涙袖をうるほしける。
-ことに今年はとしどし御影前に通夜せしめ、 朋友まじはり入て、 たがひに信不信の報恩の志をのべ侍る事、 往昔より流例たり。 しかるにおもはざる事によりて、 このやどにとゞまりて、 ひとり思やり奉るばかりなり。
心のみ かようはしるや 今夜なを 法の筵を しきしのぶ身に
晴にけり 天満星の 光まで 法の御空の かげくもりなく
ひるのほどは、 雨ふり侍るが、 暮にかゝり雲はれて、 ほしの光かゞやき、 一天くもなくみゑ侍れば、 かく申侍。 おりふし法友とひきたり、 世のことぐさなど語りきこえけるも、 かたがた慈恩ありがたくぞおぼえ侍る。
-夜あけゝれば、 まさしく報恩講御結願成就の御正忌にて侍る。 しかるに讒者のさまたげにより、 つゐに法席ムシロにまうで侍らざる悲さ、 申てもつきがたし。 しかれども仏祖の照覧、 今師の御愛隣により、 いまゝで命ながらへて、 此御聖日に逢たてまつる事かたじけなくて、
めぐみありて けふに逢あふ うれしさは なにゝつゝまん 法の衣手
窮冬朔日、 なべていとなみしげき比に侍れども、 いたづらに日ををくり、 ひとり閑床にむかひしおりから、 夜ふけ人しづまり侍、 秀き酒をすゝめ世のことぐさなど語りいでゝなぐさめ侍りき。
-やがてうちふし侍ども、 老の習ねぶりはやく覚て、 暁がたつくづく往事をおもふに、 けふは実如御命日、 又誓賢尼公の正忌なり、 ひそかに念仏のつとめをなし侍る。
-¬和讃¼ (浄土和讃) に 「▲無明の大夜をあわれみて」 と引はじめ奉れば、 六首は 「▲平等心をうるときを 一子地となづく」 とのべまします御詞にあたり、 是諸経の意によりてあらはし給ふ所也。 今年、 天王寺にて ¬称讃浄土経¼ と ¬涅槃経¼ を感得して拝見せし事まで思出侍る。
-はじめに法身の光輪きはもなく、 安養界に影現しましまし、 又釈迦仏としめし、 迦耶城に応現したまふ、 法・報・応の三身のことはりもあらはれ、 易往無人、 浄信うたがふともがら、 名無眼人名無耳人とときまします金言、 真解脱にいたり無愛無疑とあらはるゝところ、 安養にいたりてさとるべしとあきらかにのべ給ふ御ことの葉、 心肝に銘じありがたく覚え侍る。
-時に門をたゝくものあり、 花洛よりのつてなり。 尊書をひらき、 喜悦きわまりなし。
-かねては又いにし年霜月の比、 乗賢病により報恩講中出頭をこたれり。 しかれども ¬御伝¼ をばのぞみてよみ給ぬ、 しかるに当春元日の出仕これなし。 豫二日の朝御門主の貴前へまいりしおりふし、 家童物がたりしたまひしは、 乗賢病気快よからざるよし申されしとき、 今師上人、 それは死去すべき旨のたまひしかば、 その人ことの葉なくして立さりぬ。
-けさふと心にうかびおもひあはする事侍り、 そのほかたびたびおほせいだし給ふ和讃、 しづかに思案をめぐらし侍れば、 所解のたよりなるべきを、 たゞなにとなくきゝすぐし奉ける、 をろかなる心をかへりみるばかりなり。 さりながらつたなき誠をばすて給はぬ大慈大悲、 たのもしくぞ覚侍る。
をろかなる 身にも忘ぬ 弥陀の名の 誓をたのむ 法のまことは
もとより兼順は、 身つたなく心をろかにして、 真俗の道をわきまへず、 ことにともすれば、 病におかされ、 その力たらざれば、 世俗の道にもたづさはる事もなく、 衆のまじはりをもこのまず。
-しかれども家嫡蓮能法師、 去ぬる文亀第三 正月廿二日、 廿二歳にして身まかりぬ。 いまだ世子もなかりしかば、 その欠によりてしばらく妙照尼と母子のなぞらへにて、 松岡寺兼祐・真弟兼玄法印ともに親しくなれむつび侍る。
-兼玄は、 かしこく世芸に心をかけ、 歌鞠の道までも、 家々の風をまなび給、 豫も婭熱のよしみあれば、 たがひにまじはりうとからざりし。
-これによりて大永五年正月廿八日、 ¬六要鈔¼ 読書ののぞみもおなじく実如に申あげ、 恩恕に預り、 一部十巻伝授せしめをはりぬ。 抑幼稚の時より先考の教へをうけ奉り、 十一歳のとき 「浄土三部妙典」・¬選択集¼ 授与のゝち、 和漢両朝の祖師先徳の所釈等ならひつたへ、 廿三歳にいたるまで、 常随給仕の勤めをこたらず、 十八歳の時出家得度の本意をとげ、 貴寺にをひて、 ¬浄土文類聚鈔¼・¬愚禿鈔¼ の両部、 慶聞坊龍玄にしたがひ伝授、 おなじく廿五歳にして本書 ¬教行信証¼ 一部六巻、 誓願寺了祐相伝、 いづれも実如上人恩許にあづかり奉るゆへ也。
-又念仏勤修法門談合の余暇、 龍花院梵朝蔵王、 万年山よりくだり給ひ、 談話のつゐでおもひよるふしをつらね侍りし。 もとよりたしかにならびつたふる道もなければ、 自然と心にうかぶばかりを、 ことの葉にのべ、 筆にしるすのみなり。 これ他見のためにあらず、 みづからのなぐさみとするばかりにこそ。
-さても今般はからざる横難にあひて、 身心を痛ましむ。 我ひとりの案立、 衆人の讒言、 口筆にもつくしがたし。 しかれども、 今師上人の厚恩、 仏祖の照覧ましましけるにや、 虚説やうやくあらはれゆくこと、 かつは又三公労功の恩致、 別しては両君哀憐の芳情なり。 古語に、 「家にわざはいある時は、 親にあらざればすくはず」 と 云々。 此言まことなるかな。
-真俗二公は蓮如上人の曾孫、 法印純恵はおなじき玄孫にこそ。 彼曾祖師光真法印は、 先考と他にことなる法友なりき、 其孫弟光恵僧都は、 豫と従父なりしかば、 世々の芳契たえず、 中にもとりわき身をくだき心をつくし給ふ御志、 たぐひすくなくぞ覚え侍る。
-そのほか親昵あまたありといへども、 かたえにはゞかりて口をとぢ、 かへりて讒訴のともがらにともなふ類ひおほし。 こゝにいまだ志学ばかりなる奇童のよしみを通じ、 おなじくちからを加て真俗二諦のたすけをなし給ふ。
-このほか志を通ずる信男・信女あはせて七仁、 晋の七賢が竹林の交遊にもまさり侍るべし。 誠に現在聞法の親友、 当来倶会一処、 法楽うたがひなくぞ覚る。
これしかしながら今師上人十月十五日、 五人の使節に法侶二人をくわへ給ふ、 御智慮よりをこれり。 かの常楽寺法印は光恵僧都の真弟、 教行寺佐栄は、 兼詮法印の真弟也。 この詮公は、 豫若年の比よりたがひに昔をかたり、 真俗のたゞしき道をともにしたひし法友 id="l1167-3"なり。
-さればこのたび門主もわきておほせあはせられしにこそ、 父の道をたがへず、 力をくわへたまふ事、 ことの葉にものべ尽しがたし、 角て漸正理もあらはれ、 保公世俗の仁政の道をも、 よりよりかたり出ましますにより、 上やはらぎ下むつまじくして、 是非のことはり誰かわきまへざらんや。
-その余は日々月々かはり、 たゞ我慢邪見をむねとして、 内外の両典ともにたづさはらざる人なり。 ある ¬疏¼ (序分義) にいはく、 「▲事典にあづからざるは、 君子のはづる所なり」 と。 しかれば無慚無愧のやからに対しては、 真俗の正義、 ことばをつくし心をつゐやしても、 その所詮なきものをや。 すでに篭居数日を経、 人のまじはりをたえて、 二七有余なりし比、 便りをもとめ、 ある人のかたへ、 よみてつかはしける。
老が身の かゝる思の 露涙 くち行袖に つもる日かずは
もろくちる 庭の木の葉の 色みても 老のなみだの 袖おもひやれ
なにとかく へだつる道ぞ 法の師の 教のまゝと おもふわが身を
法の師の 心の月ぞ 照しみん 世のいつはりの 雲おほふとも
ふたつなき 心は君も みそなはせ 法の恵を 弥陀にまかせて
法の師の をしへのまゝと たのむぞよ 世のよしあしぞ 道もわすれて
いつまでぞ まよう心の 雲霧も 法の恵の かぜにはれずや
すなはちこの日、 今師上人はじめて御尋をなされ、 翌日に清水の亭へうつり侍りぬ。 いにしへ亡父毎朝念仏勤行の後、 常の屋にかへり、 しばらく仏場にむかひ、 安座する事たえず、 北地にしては南方にむかふ。 今は東方にむかひ奉る。
-我も又おなじく霊場信敬恋慕のおもひは、 かはらざるものをや、 しかれば東南に雲おさまり、 西北に風しづかにして、 真如の月光かゞやき、 法性の水に影をやどす、 これ機縁相応真俗繁栄の嘉端なるをや。
-法然聖人の云、 「▲浄土の教時機をたゝきて、 行運にあたれり、 念仏の行、 水月を感じて昇降を得たり」 (選択集) と。 今まさしく時いたれるかな。
ながらへて すむ御法の 水からも くもらぬ月の かげうつるかに
しかるに、 讒ればいよいよ悪を増し競ひ来りて殺さんと欲す、 たとへば悪獣・毒虫の走り向ふに似たり、 われもまた水火の難を恐れず、 ただ願力の道に乗ずるのみ。 ことさらに、 保公救はんがために、 厳師思を加へて、 あたかも二尊の影護のごとく、 一心正念にしてひとへにその道を尋ね、 再興の期を待ちて、 悲喜交流す。 かねてまた百首の詠は、 人寿の譬に准じて、 行事を一分二分するは、 歳月日時に比ぶ。 よりてひとり硯に対ひて筆を上り、 涙とともにこれを記しおはりぬ。
然、 讒 者弥◗増↠悪◗競◗来 欲↠殺、 譬 似↢ 悪獣・毒虫◗走◗向↡、吾◗亦不↠恐↢水火之難↡、唯乗↢ 願力之道↡。殊更、保公為↠救、 厳師加↠ 思、宛◗如↢二尊之影護↡、一心正念 偏◗尋↢其◗道↡、待↢ 再興之期↡、悲喜交流。兼◗又百首之詠者、准↢ 人寿之譬↡、行事◗一分二分 者、比↢歳月日時↡。仍 独◗対↠ 硯◗上↠筆、与↠涙共◗記↠之◗畢 。
永禄十載十二月廿二日書之
欣求浄土沙門顕誓
于時天正拾四 丙戌 九月下旬奉写⊂⊃
⊂⊃法橋
延書は底本の訓点にしたがって有国が行った。 また、 地の文 (字下げ部分) のルビも有国により、 表記は現代仮名遣いとした。