浄土三部経について
 釈尊によって明らかにされた教えは、 次第に文字化され経典として後世に伝えられた。 その過程で数多くの経典が生れたが、 源空 (法然) 聖人はそれらの中から法華の三部や大日の三部、 弥勒の三部等にならって、 阿弥陀仏の本願力によってすべての衆生が往生することのできる教えを説いた 「浄土三部経」 を選定された。 すなわち、 ¬選択集¼ 「二門章」 に 「初正明↢往生浄土↡之教者、謂三経一論是也。三経者、一¬無量寿経¼、二¬観無量寿経¼、三¬阿弥陀経¼也。一論者、天親¬往生論¼是也。或指↢此三経↡号↢浄土三部経↡也」 と示されたのがそれである。 以後、 これら 「浄土三部経」 は、 浄土教において 「正依の経」 として用いられるようになり、 それぞれを ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ と略称して示されるので、 以下の解説では適宜この略称を用いた。
 「浄土三部経」 については、 曇鸞大師が撰述された ¬往生論註¼ にまで遡ることができる。 題号の 「無量寿」 を解釈して 「釈迦牟尼仏在↢王舎城及舎衛国↡、於↢大衆之中↡説↢无量寿仏荘厳功徳↡。即以↢仏名号↡為↢経体↡」 と釈され、 曇鸞大師は天親菩薩が優婆提舎したのは、 舎衛国で説かれた ¬大経¼ と ¬小経¼、 王舎城で説かれた ¬観経¼ の三部の経典であると見られたのである。 ここに阿弥陀仏を讃える経典として、 ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ の三部を一つのまとまりとして重視する姿勢がうかがえる。 また、 善導大師の ¬観経四帖疏¼ 深心釈では、 ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ それぞれの法義を深心する旨が勧められるなど、 曇鸞大師以降の祖師方においても ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ を拠りどころとして勧信される例が見える。 源空上人は、 これら祖師方の姿勢を承け、 ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ を 「浄土三部経」 と名付けられたと考えられる。
 源空上人は 「浄土三部経」 のなかで ¬大経¼ を根本とするといい、 宗祖は ¬教行信証¼ 「教文類」 に 「夫顕↢真実教↡者則¬大无量寿経¼是也」 と示され、 ¬大経¼ には第十八願の真実の法義が説かれているので真実教であると顕示された。 ¬大経¼ には方便の願があるが、 真仮の分斉は明確になっており、 胎生と化生の得失を示して真実のみが明かされているのである。 これに対して 「化身土文類」 では ¬観経¼ ¬小経¼ について 「有↢顕彰隠密義↡」 と示され、 その説相に顕説と隠彰との両義があるとされた。 ここにいう 「顕彰隠密」 の 「顕」 (顕説) とは表面に顕著に説かれた方便の教えであり、 「隠彰」 とは裏側に微かに説かれた真実の教えである。 なお、 「密」 についての宗祖の解釈はないが、 顕説と隠彰との両義をもって説く釈尊の密意であるとされる。
 ¬観経¼ の顕説とは、 正宗分に述べられた定善と散善の自力諸行 (要門) であり、 宗祖はそれを第十九願意を開説したものとされた。 また、 ¬小経¼ の顕説とは、 因果段において多善根・多福徳の自力念仏 (真門) の法を説かれたものであり、 宗祖はそれを第二十願を開説したものとされた。 このように、 ¬観経¼ ¬小経¼ の表面にはそれぞれ自力諸行往生と自力念仏往生の法門が説かれているとみられた。
 次に、 ¬観経¼ ¬小経¼ の隠彰とは、 ¬大経¼ と同じ第十八願の他力念仏の法である。 つまり、 ¬観経¼ の隠彰とは、 華座観や真身観、 下下品などにみられる他力念仏を顕したものであり、 また、 ¬小経¼ の隠彰とは、 「難信之法」 と示されている他力の法が明かされているものである。 このように ¬観経¼ ¬小経¼ の裏側には、 ¬大経¼ と同じく他力念仏の法が示されているとみられた。
 このように、 宗祖は ¬観経¼ と ¬小経¼ には隠顕の両義があるとされたので、 「浄土三部経」 には差別門と一致門の両様の見方があるとされる。 両経の顕説からいえば、 ¬大経¼ は第十八願、 ¬観経¼ は第十九願、 ¬小経¼ は第二十願の教えが説かれているとみることができるので、 これを三経差別門という。 また隠彰の側からいえば 「浄土三部経」 はともに ¬大経¼ に明かされる第十八願の他力念仏往生を説かれたとみることができるので、 これを三経一致門という。 この一致門のなかで、 覚如上人は ¬口伝鈔¼ において、 「¬大無量寿経¼ は、 法の真実なるところをときあらはして、 対機はみな権機なり。 ¬観無量寿経¼ は、 機の真実なるところをあらはせり。 これすなはち実機なり。 …… ¬小阿弥陀経¼ はさきの機法の真実をあらはす二経を合説して、 ……ここを証誠する諸仏の実語を顕説せり」 と示される。 つまり、 ¬大経¼ は法の真実をあらわし、 ¬観経¼ は機の真実をあらわし、 ¬小経¼ はこの機法を合説して証誠されたものとされ、 三経それぞれの特性を見た上で、 それらが深く関係しながら真実義を示すと見られたのである。
 ところで、 「浄土三部経」 を成立史的にみると、 当初から三部経としてまとまって編纂されたわけではなく、 はじめに ª無量寿経º と ª阿弥陀経º が成立し、 その後かなり遅れて ¬観経¼ が成立したとされる。 ¬大経¼ と ¬小経¼ とについては、 異訳が存在し、 それらをふくめて表記する場合には ª無量寿経º ª阿弥陀経º と表記するのが学会の通念となっている。 なお、 異訳経典の詳細については 「異訳大経・異訳小経」 の解説を参照されたい。