ぜしんさぶつぜしんぜぶつ 是心作仏是心是仏;このしんぶつす、 このしんこれぶつなり ¬観経¼ に出る語で 「なんぢら心に仏を想ふ時、 この心すなはちこれ三十二相・八十随形好なれば、 この心作仏す、 この心これ仏なり (汝等心想仏時是心即是三十二相八十随形好是心作仏是心是仏)」 と説かれている。 ¬論註¼ では、 衆生の心がを観想すること (是心作仏)、 その心のほかに仏はないこと (是心是仏) とし、 「定善義」 では、 観仏する心に仏が現われること (是心作仏)、 その心のほかに仏はないこと (是心是仏) としている。 親鸞は、 「信巻」 に ¬論註¼ 「定善義」 を引用して、 「是心作仏」 を如来回向信心によって仏になるという意に、 「是心是仏」 を如来回向の信心の本質は仏心であるという意に転じている。