しょうじそくねはん 生死即涅槃 生死がそのまま涅槃であるという意。 生死とは迷いの果、 涅槃とはさとりの果を表す。 仏智、 仏のさとりから見れば、 かけ離れた世界である生死と涅槃であっても、 その体性は一つであるということ。 仏のさとりに至れば、 あらゆる差別の相を超えた絶対の境地にいたることから、 このようにいう。 なお、 大乗仏教では煩悩即菩提と対にして用いられる場合が多い。 浄土真宗において生死即涅槃は、 阿弥陀仏の浄土で得る証果であるが、 信心を獲得する一念に当来の往生・成仏が定まることから、 信心にそなわる法徳としても説かれる。 これは獲信のところで難思議往生が確約されるということであって、 現生において証果を部分的に得るということではない。 「正信偈」 に 「惑染の凡夫、 信心発すれば、 生死すなはち涅槃なりと証知せしむ」、 ¬高僧和讃¼ に 「悲願の信行えしむれば 生死すなはち涅槃なり」 等とある。