おうじょう 往生 他の世界へ往き生まれること。 浄土教においては阿弥陀仏浄土に往き生まれることをいう。 往生浄土の略。 曇鸞は、 浄土への往生は消滅を完全に超えたほっしょう無生のことわりにかなった生 (無生の生) であって、 凡夫の認識するような実体的な生とはまったく異なるとする。 一般的には、 浄土は成仏のための修行がしやすい場所とされ、 往生した後も仏道修行を積まなければならないと考えられている。 これに対して親鸞は、 阿弥陀仏の浄土を完全に煩悩寂滅した無為涅槃界とし、 現生の命を終え阿弥陀仏の浄土に往生すればただちに阿弥陀仏と同体の仏果を得るとする往生即成仏 (難思議往生) を説いた。 「信巻」 には 「念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、 臨終一念の夕、 大般涅槃を超証す」、 「大願清浄の報土には品位階次をいはず、 一念須臾のあひだに、 すみやかに疾く無上正真道を超証す、 ゆゑに横超といふなり」 等とある。 また、 「証巻」 には 「しかるに煩悩成就の凡夫、 生死罪濁の群萌、 往相回向の心行を獲れば、 即の時に大乘正定聚の数に入るなり。 正定聚に住するがゆゑに、 かならず滅度に至る」 とあり、 現生に正定聚についたものが必ず滅度に至ることが述べられている。 →即得往生補註2七補註2