にきょうたい 二教対 念仏と諸善とを対比し、 念仏の法が勝れていることをあらわすもの。 「行巻」 には四十七対を挙げ、 「しかるに本願一乗海を案ずるに、 円融満足極速無礙絶対不二の教なり」 とある。 ①難易対 (念仏は行じ易く、 諸善は行じ難い)、 ②頓漸対 (念仏はすみやかにさとりをひらき、 諸善は長い時をついやしてさとりをひらく)、 ③横竪おうじゅ対 (念仏はただちに迷いを離れ、 諸善は次第に迷いを出る)、 ④超渉対 (念仏は迷いを跳び超え、 諸善は迷いを歩いて渡るかのようである)、 ⑤順逆対 (念仏は本願に順じ、 諸善は本願にそむく)、 ⑥大小対 (念仏は功徳が大きく、 諸善は功徳が小さい)、 ⑦多少対 (念仏は功徳が多く、 諸善は功徳が少ない)、 ⑧勝劣対 (念仏は勝れた法であり、 諸善は劣った法である)、 ⑨親疎対 (念仏は阿弥陀仏に親しく、 諸善は阿弥陀仏に疎遠である)、 ⑩近遠ごんおん対 (念仏は阿弥陀仏に近く、 諸善は阿弥陀仏に遠い)、 ⑪深浅対 (念仏は深い法であり、 諸善は浅い法である)、 ⑫ごうにゃく対 (念仏は強い法であり、 諸善は弱い法である)、 ⑬重軽じゅうきょう対 (念仏は重い法であり、 諸善は軽い法である)、 ⑭広狭対 (念仏はやくするところが広く、 諸善は利益するところが狭い)、 ⑮純雑対 (念仏は純一な往生の行であり、 諸善は雑多な行である)、 ⑯きょう対 (念仏はさとりを得る近道であるが、 諸善はまわり道である)、 ⑰しょう対 (念仏ははやく成仏できる法であるが、 諸善はおそい法である)、 ⑱通別対 (念仏は特別の法であり、 諸善は普通の法である)、 ⑲不退退対 (念仏は不退転の法であり、 諸善は退転の法である)、 ⑳直弁じきべんいんみょう対 (念仏は往生の要行として直ちに説かれたものであるが、 諸善は自力の機に応じて因みに明かされた法である)、 ⑴名号定散対 (念仏は他力回向名号に即した行であり、 諸善は自力定善散善の行である)、 ⑵理尽非理尽対 (念仏は道理を尽くすが、 諸善は道理を尽くさない)、 ⑶勧無勧対 (念仏は諸仏が勧めるが、 諸善は勧めない)、 ⑷無間間対 (念仏は間断のない法であり、 諸善は間断がある)、 ⑸断不断対 (念仏は断絶せず、 諸善は断絶する)、 ⑹相続不続対 (念仏は相続し、 諸善は相続しない)、 ⑺無上有上対 (念仏の利益には限りがなく、 諸善の利益には限りが有る)、 ⑻上上下下対 (念仏は最もすぐれた法であり、 諸善はすぐれた法ではない)、 ⑼思不思議対 (念仏は衆生の思いが及ばない尊い法であり、 諸善はそうではない)、 ⑽因行果徳対 (念仏は阿弥陀仏の果位の徳が収まり、 諸善はまだ仏になっていないものの行である)、 ⑾自説他説対 (念仏は仏がみずから往生行として説いた法であるが、 諸善は仏が衆生に応じて説かれた法である)、 ⑿回不回向対 (念仏は衆生から回向する行ではないが、 諸善は衆生から回向する行である)、 ⒀護不護対 (念仏は仏に護られる法であり、 諸善は護られない)、 ⒁証不証対 (念仏は諸仏が証明し、 諸善は証明しない)、 ⒂讃不讃対 (念仏は諸仏にほめたたえられ、 諸善はほめたたえられない)、 ⒃付嘱不嘱対 (念仏は後の世に伝えよとたくされた法であり、 諸善はそうではない)、 ⒄了不了教対 (念仏は仏の真意が完全に説き明かされた教えであり、 諸善はそうではない)、 ⒅機堪不堪対 (念仏は衆生の素質や能力に適するが、 諸善は適しない)、 ⒆選不選対 (念仏は阿弥陀仏が選び取った行であり、 諸善はそうではない)、 ⒇真仮対 (念仏は真実の法であり、 諸善は方便の法である)、 ⒈仏滅不滅対 (念仏は浄土で不滅の仏を見、 諸善は入滅する仏を見る)、 ⒉法滅利不利対 (念仏は法滅の時代にも利益があるが、 諸善は利益がない)、 ⒊自力他力対 (念仏は他力の行であり、 諸善は自力の行である)、 ⒋有願無願対 (念仏は本願の行であり、 諸善は本願の行ではない)、 ⒌摂不摂対 (念仏は阿弥陀仏におさめ取られ、 諸善はそうではない)、 ⒍入定聚不入対 (念仏は正定聚に入る法であり、 諸善はそうではない)、 ⒎報化対 (念仏は真実報土に往生する法であるが、 諸善は方便化土に往生する法である) の四十七。 なお、 ¬愚禿鈔¼ にも二教対があるが、 対比する内容や順序等に異同がある。