ねんかんりょうしゅう 念観両宗 「念」 とは念仏三昧、 「観」 とは観仏三昧の意で、 ¬観経¼ には念仏三昧と観仏三昧との二つがあることをいう。 善導は、 聖道諸師が ¬観経¼ の中心を観仏三昧としたことに対し、 「玄義分」 に 「いまこの ¬観経¼ はすなはち観仏三昧をもつて宗とす、 また念仏三昧をもつて宗とす」 (化身土巻引文) と述べ、 念仏三昧と観仏三昧とがあるとした。 しかしながら 「散善義」 にはずうぶんの文を解釈して、 「仏告阿難汝好持是語より以下は、 まさしく弥陀の名号を付嘱して、 遐代に流通することを明かす。 上よりこのかた定散両門の益を説くといへども、 仏の本願の意を望まんには、 衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称するにあり」 (化身土巻引文) と述べ、 観仏三昧ではなく念仏三昧である称名念仏釈尊の本意であるとする。 →古今楷定