ぶっせつかんむりょうじゅきょう 仏説観無量寿経 1巻。 劉宋の畺良きょうりょうしゃ訳。 ¬無量寿仏観経¼ ともいい、 ¬観経¼ ¬十六観経¼ などとも呼ばれる。 浄土三部経の一。
 この経は釈尊在世当時、 王舎城におこった事件を契機として説かれたもので、 その事情は序分に示されている。 あくだいだっにそそのかされたじゃ太子が、 父のびんしゃ王を幽閉し、 その王のために食物を運んだ母のだい夫人をも宮殿の奥に閉じ込めた。 夫人はしゃ崛山くっせんに滞在していた釈尊を心に念じ、 説法を求めて仏弟子の派遣を請うたところ、 これに応じて釈尊みずからが王宮の夫人の前に現われた。 そこで夫人は、 この濁悪の世をいとい、 苦悩なき世界を求め、 とくに阿弥陀仏極楽浄土を選んで、 そこに往生するための観法を請うた。 こうして、 正宗分にはまず定善十三観が説かれる。 定善観法というのは精神を統一して浄土しょうじゅを観想することである。 これらのうち第七の華座観が説かれる前に、 「苦悩を除く法を説こう」 という釈尊の声に応じて阿弥陀仏が空中に住立する。 この定善観の中心は第九の真身観である。 さらに、 みずから精神を統一しない散心のままで修する善である散善三福が、 ぼんに分けて説かれる。 三福とは世・戒・行の三であり、 上品には行福、 中品の上生と中生には戒福、 中品下生には世福が説かれ、 下品には三福を修し得ない悪人のために念仏の法が説かれるのである。 ところが、 流通分にいたって、 念仏一行が阿難付属される。
 親鸞は、 釈尊の本意は定散二善の法を廃して、 他力念仏の一行を勧めることにあるとして、 この経には隠顕があると見た。 →顕彰隠密住立空中十六観