いのほうべん 異の方便 特別な方法・手段ということ。 ¬観経¼ には 「諸仏如来に異の方便ましまして、 なんぢをして見ることを得しむ」 と説かれている。 善導は 「玄義分」 に 「次下の日想・水想・氷想よりすなはち十三観に至るこのかたをことごとく異の方便と名づく」 といい、 定善十三観のこととする。 親鸞は、 隠顕の意により、 衆生弘願真実へと導く方便の法と理解した。 「化身土巻」 には 「顕といふは、 すなはち定散諸善を顕し、 三輩・三心を開く。 しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。 諸機の三心は、 自利各別にして利他の一心にあらず。 如来の異の方便、 欣慕浄土の善根なり。 これはこの ¬経¼ の意なり」 とある。