ぎょうしん 行信 さとりを得るためのをいう。 浄土真宗では、 第十七願で誓われた行と第十八願で誓われた信とをいう。 「行巻」 には 「おほよそ誓願について真実の行信あり、 また方便の行信あり。 その真実の行の願は、 諸仏称名の願なり。 その真実の信の願は、 至心信楽の願なり。 これすなわち選択本願の行信なり」 とある。 この行と信とが阿弥陀仏より回向されることを、 「信巻」 に 「しかれば、 もしは行、 もしは信、 一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまふところにあらざることあることなし」 と述べられている。 なお、 方便の行信とは第十九・二十願で示された行と信をいい、 「化身土巻」 には 「これによりて方便の願を案ずるに、 仮あり真あり、 また行あり信あり」 「いま方便仮門の誓願について、 行あり信あり」 とある。 →大行真実信心