だいぎょう 大行 第十七願に誓われた諸仏称讃の名号をいう。 称名はこの名号の活動体であるので、 称名を指して大行ともいう。 大行の大には大、 多、 勝の三義がある。 すなわち広大、 多量、 最勝の意味で、 行の徳用とくゆうを表している。 「行巻」 に大行と名づけられる理由を明かしており、 「この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、 もろもろの徳本を具せり」 とあるのは無量の徳で多の義、 「極速円満す」 とあるのは勝れた用徳で勝の義、 「真如一実の功徳宝海なり」 とあるのは広大無辺真如にかなう性徳で大の義にあたる。
 すなわち、 大行とは、 真如にかない、 無量の徳をもち、 衆生をすみやかに涅槃に至らしめるすぐれた行業のことであり、 このことから 「真実行」 ともいわれる。
 「行巻」 冒頭には大行の行体を明かし、 「大行とはすなはち無礙光如来の名を称するなり」 とある。 これは ¬論註¼ 讃嘆門釈に示される名号破満の釈によったものであり、 名義に相応しない自力念仏に対して、 無礙光如来光明智相にかない、 名義と相応している如実行であることを顕している。 その名義とは、 名号に衆生の無明を破り、 往生成仏の志願を満たす力用りきゆうがそなわっているということで、 この名号のもつあん満願の力用こそが衆生を涅槃に進趣せしめる行としての徳義である。 すなわち、 称名を大行として顕されているが、 称えたはたらきによって行となるのではなく、 称えられている名号が大行としての徳をもち、 この名義にかなって称えているから称名もまた大行といわれる徳がある。 このような能所不二の大行の義趣を示すのが出体出願の釈である。 もともと、 信心、 称名といっても名号の活動相のほかにないので、 「称名即名号」、 「信心即名号」、 「称名即信心」 という。 このように信心、 称名となって活動する名号大行を顕すのが 「行巻」 である。 「信巻」 は、 この法体としての大行が衆生の上にとどいて大信となり、 衆生の往生成仏のしょういんとなっていくという機受の要義を顕すことから、 行と信とは、 との関係にあるとされる。 →補註10