0400一、 三部経釈

さんきょうしゃく 第一だいいち  黒谷くろだにさく

¬双巻そうかんぎょう¼・¬かんぎょう¼・¬弥陀みだきょう¼、 これをじょうさんきょうといふ。

一、 三部経釈 双巻経

¬双巻そうかんぎょう¼ には、 まづあみだほとけのじゅう八願はちがんをとく、 のちにがんじょうじゅをあかせり。

そのじゅう八願はちがんといふは、 法蔵ほうぞう比丘びくざい王仏おうぶつおんまえにしてだいしんをおこして、 じょうぶつこくじょうじゅしゅじょうがんをたてたまふ。 およそそのじゅう八願はちがんに、 あるいはさん悪趣まくしゅともたて、 あるいはきょう悪趣あくしゅともとき、 あるいは悉皆しっかい金色こんじきともいふは、 みなだいじゅうはちがんのためなり。

せつ得仏とくぶつ十方じっぽうしゅじょうしんしんぎょうよくしょうこくないじゅうねんにゃくしょうじゃしゅしょうがく (大経巻上) といへるは、 じゅう八願はちがんのなかに、 このがんことにすぐれたりとす。 そのゆえは、 かのくにゝもしむまるゝしゅじょうなくは、 悉皆しっかい金色こんじき无有むう好醜こうしゅとうがんも、 なにゝよてかじょうじゅせん。 おうじょうするしゅじょうのあるにつきてこそ、 のいろも金色こんじきに、 好醜こうしゅあることもなく、 つうをもし、 宿命しゅくみょうをもさとるべけれ。

これによて、 善導ぜんどうしゃくしてのたまはく、 「法蔵ほうぞう比丘びくじゅう八願はちがんをたてたまひて、 願々がんがんにみな、 にゃく得仏とくぶつ十方じっぽうしゅじょうしょうみょうごうがんしょうこく下至げしじゅうねんにゃくしょうじゃしゅしょうがく じゅう八願はちがん一一いちいちにみなこのこころあり」 (玄義分意) しゃくたまへり。

およそ諸仏しょぶつがんといふは、 じょう0401だい下化げけしゅじょうこころなり。 だいじょうきょうにいはく、 「さつがんしゅいちじょうだい下化げけしゅじょうしんじょうだいほんやくさいしゅじょう」。 しかれば、 たゞほん下化げけしゅじょうがんにあり。

いま弥陀みだ如来にょらいこくじょうじゅたまふも、 しゅじょういんじょうせんがためなり。 そうじていづれのほとけも、 じょうぶつ已後いごないしょうゆうどくさいしゅじょう誓願せいがん、 いづれもいづれもみなふかくして、 しょうれつあることなけれども、 さつどうぎょうたまひしときぜんぎょう方便ほうべんのちかひ、 みなこれまちまちなることなり

弥陀みだ如来にょらいいんとき、 もはらわがみょうごうねんぜんものをむかえんとちかひたまひて、 ちょうさい永劫ようごうしゅぎょうしゅじょうこうたまふ。 じょくのわれらが依怙えこ末代まつだいしゅじょうしゅつ、 これにあらずは、 なにをかせんや。

これによて、 かのほとけも、 「ごんちょうがん (大経巻上) となのりたまへり。 さん諸仏しょぶつも、 いまだかくのごとくのがんをばおこしたまはず。 十方じっぽうさっも、 いまだこれらのがんはましまさず。がんにゃくこっ大千だいせんおう感動かんどうくうしょ天人てんにんとうちんみょう (大経巻上) とちかひたまひしかば、 だい六種ろくしゅ震動しんどうし、 てんよりはなふりて、 なんぢまさにしょうがくをなりたまふべしとつげたりき。

法蔵ほうぞう比丘びくいまだじょうぶつたまはずとも、 このがんうたがふべからず。 いかにいはんや、 じょうぶつ已後いご十劫じっこうになりたまへり、 しんぜずはあるべからず。 「ぶつこん現在げんざいじょうぶつとう本誓ほんぜいじゅうがん不虚ふこしゅじょうしょうねん必得ひっとくおうじょう (礼讃) しゃく0402たまへるはこれなり。

しょしゅじょうもんみょうごう信心しんじんかんない一念いちねんしんこうがんしょうこく即得そくとくおうじょうじゅう退転たいてん唯除ゆいじょぎゃくほうしょうぼう。」 (大経巻下) これはだいじゅうはちがんじょうじゅもんなり。 がんには 「ないじゅうねん (大経巻上) とゝくといへども、 まさしくがんじょうじゅのなかには一念いちねんにありとあかせり。

つぎに三輩さんぱいおうじょうもんあり。 これはだいじゅうりんじゅう現前げんぜんがんじょうじゅもんなり。 ほつだいしんとうごうをもて三輩さんぱいをわかつといえども、 おうじょうごうつうじてみな 「一向いっこう専念せんねんりょう寿仏じゅぶつ (大経巻下) といえり。 これすなはちかのほとけの本願ほんがんなるがゆえなり。

ぶつ本願ほんがんりきもんみょうよくおうじょう皆悉かいしつとうこく自致じち退転たいてん (大経巻下) といふもんあり。

かんちょう玄通げんつうりっといふ­も½のありき、 しょうかいをたもてるものなり。 おんぎょうして野寺やじ宿しゅくしたりけるに、 隣房りんぼうひとありてこのもんじゅす。 玄通げんつうこれをきゝて、 いちりょうへんじゅしてのち、 おもひいだすこともなくてわすれにけり。 そのゝちこの玄通げんつうりっかいをやぶれり。 そのつみによてえんちょうにいたるときえん法王ほうおうたまはく、 なんぢ仏法ぶっぽう流布るふのところにむまれたりき。 所学しょがくほうあらば、 すみやかにとくべしとて、 こうにのぼせたまひき。 そのとき玄通げんつうこうにのぼりておもひめぐらすに、 すべてこころにおぼゆることなし。 野寺やじ宿しゅくしてきゝしもんあり、 これをじゅせんとおもひいでゝ、 「ぶつ本願ほんがんりき」 といふもんじゅしたりしかば、 えん法王ほうおう、 たまのかぶり0403をかたぶけて、 これはこれ、 西方さいほう極楽ごくらく弥陀みだ如来にょらいどくをとくもんなりといひて、 礼拝らいはいたまひき。

願力がんりき思議しぎなること、 このもんえたり。

ぶつろく其有ごう得聞とくもんぶつみょうごう信心しんじんかんない一念いちねんとうにんとくだいそくそくじょうどく。」 (大経巻下意) ろくさつ、 この ¬きょう¼ をぞくたまふには、 ない一念いちねんするをもてだいじょうどくとのたまへり。 ¬きょう¼ のたい、 これらのもんにあきらかなるものなり。

一、 三部経釈 観経

つぎに ¬かんぎょう¼ には、 じょうぜん散善さんぜんをときて、 念仏ねんぶつをもてなんぞくたまふ。 「汝好にょこう是語ぜご (観経) といえるはこれなり。

だい真身しんしんかんに、 「こうみょうへんじょう十方じっぽうかい念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしゃ (観経) といふもんあり。 さいしゅじょうがんびょうどうにして差別しゃべつあることなけれども、 えんしゅじょうやくをかうぶることあたはず。 このゆえに、 弥陀みだ善逝ぜんぜいびょうどう慈悲じひにもよほされて、 十方じっぽうかいにあまねくこうみょうをてらして、 一切いっさいしゅじょうにことごとくえんをむすばしめんがために、 こうみょうりょうがんをたてたまへり。 だいじゅうがんこれなり。

みょうごうをもていんとして、 しゅじょういんじょうたまことを、 一切いっさいしゅじょうにあまねくきかしめんがために、 だいじゅうしちがんに 「十方じっぽうかいりょう諸仏しょぶつ、 ことごとくしゃして、 わがしょうせずといはゞ、 しょうがくをとらじ」 (大経巻上) といふがんをたてたまひて、 つぎじゅうはちがんに 「ないじゅうねんにゃくしょうじゃしゅしょうがく (大経巻上) とたてたまへり。

これによて、 しゃ如来にょらいこの0404にしてときたまふがごとく、 十方じっぽうにもおのおのごうしゃのほとけましまして、 おなじくこれをしめしたまへるなり。

しかれば、 こうみょうえんはあまねく十方じっぽうかいをてらしてもらすことなく、 また十方じっぽうりょう諸仏しょぶつみなみょうごうしょうさんたまへば、 きこえずといふところなし。 「じょう仏道ぶつどう名声みょうしょうちょう十方じっぽうきょう所聞しょもんせいじょうしょうがく (大経巻上) とちかひたまひしは、 このゆえなり。

しかれば、 こうみょうえんみょうごういんごうせば、 摂取せっしゅしゃやくをかうぶらんことうたがふべからず。

このゆえに、 ¬おうじょう礼讃らいさん¼ のじょにいはく、 「諸仏しょぶつしょしょうびょうどういちにゃくがんぎょうらいしゅう因縁いんねんねん弥陀みだそん本発ほんほつじんじゅう誓願せいがんこうみょうみょうごうせっ十方じっぽう」 といへり。

またこのがんひさしくしゅじょうさいせんがために、 寿じゅみょうりょうがんをたてたまへり。 だいじゅうさんがんこれなり。 そうじては、 こうみょうりょうがんは、 おう一切いっさいしゅじょうをひろく摂取せっしゅせんがためなり。 寿じゅみょうりょうがんは、 しゅ十方じっぽうかいをひさしくやくせんがためなり。

かくのごとくの因縁いんねんごうすれば、 摂取せっしゅこうみょうのなかにまたぶつさつましまして、 このひとしょうして百重ひゃくじゅうせんじゅうにょうたまふに、 信心しんじんいよいよぞうじょうし、 しゅことごとくしょうめつす。

りんじゅうとき、 ほとけみづから来迎らいこうたまふに、 もろもろのじゃごっよくさふるものなし。 これはしゅじょうのいのちおはるときにのぞみて、 ひゃっきたりせめて身心しんしんやすきことなく、 悪縁あくえんほかにひき、 妄念もうねんうちにもよをして、 きょうがい0405たいとうしょう三種さんしゅ愛心あいしんきおひおこる。 第六だいろくてんおう、 このときにあたりてせいをおこして、 もてさまたげをなす。

かくのごときの種々しゅじゅのさはりをのぞかんがために、 かならずりんじゅうときにはみづからさつしょうじゅにょうせられて、 そのひとのまえにげんぜんとちかひたまへり。 だいじゅうがんこれなり

これによて、 りんじゅうときいたれば、 ほとけ来迎らいこうたまふ。 ぎょうじゃこれをたてまつりて、 こころかんをなして、 ぜんじょうにいるがごとくして、 たちまちに観音かんのん蓮台れんだいじょうじて、 あんにょうほうにいたるなり。 これらのやくあるがゆえに、 「念仏ねんぶつしゅじょう摂取せっしゅしゃ (観経) といふなり。

またこの ¬経¼ (観経) に 「三心さんしんしゃひっしょうこく」 ととけり。 「三心さんしん」 といは、 一にはじょうしん、 二には深心じんしん、 三にはこう発願ほつがんしんなり。 三心さんしんはまちまちにわかれたりといへども、 ようをとりせんをえらんでこれをいえば、 深心じんしんにおさめたり。

善導ぜんどうしょうしゃくたまはく、 「といはしんなり、 じょうといはじつなり。 一切いっさいしゅじょうしん口意くいごうしゅするところのぎょう、 かならず真実しんじつしんのなかになすべきことをあかさんとす。 ほかに賢善けんぜんしょうじんそうげんじて、 うちに虚仮こけをいだくことをえざれ」 (散善義) といえり。

その 「ぎょう」 といは、 罪悪ざいあくしょうぼん弥陀みだ本願ほんがんによて、 じっしょういっしょうけつじょうしてむまると、 真実しんじつにさとりてぎょうずる、 これなり。 ほかには本願ほんがんしんずるそうげんじ、 うちにはしんをいだく、 これは0406真実しんじつこころなり。

深心じんしんはふかくしんずるこころなり。 けつじょうしてふかくしんげんにこれ罪悪ざいあくしょうぼんなり、 広劫こうごうよりこのかたつねにてんして、 しゅつえんなしとしんじ、 けつじょうしてふかくこの弥陀みだ如来にょらいじゅう八願はちがんをもてしゅじょう摂取せっしゅたまこと、 うたがひなくおもんぱかりなければ、 かの願力がんりきじょうじてさだめておうじょうすることをうとしんずべし」 (散善義) といへり。

はじめに、 まづ 「罪悪ざいあくしょうぼん広劫こうごうよりこのかたしゅつえんあることなしとしんぜよ」 といへるは、 これすなはち断善だんぜん闡提せんだいのごとくなるものなり。 かゝるしゅじょう一念いちねんじゅうねんすれば、 无始むしよりこのかた、 いまだいでざるしょうりんをいでゝ、 かの極楽ごくらくかい退たいこくにむまるといふによりて、 信心しんじんはおこるべきなり。

およそほとけの別願べつがん思議しぎは、 たゞこころのはかるところにあらず、 ぶつぶつとのみよくしりたまへり。 弥陀みだぶつみょうごうをとなふるによて、 ぎゃくじゅうあくことごとくむまるといふ別願べつがん思議しぎのちからまします、 たれかこれをうたがふべき。

善導ぜんどうの ¬しょ¼ (散善義) にいはく、 「あるいはひとありて、 なんぢしゅじょう広劫こうごうよりこのかたおよびこんじょうしん口意くいごうに、 一切いっさいぼんしょうのうゑにおいて、 つぶさにじゅうあくぎゃくじゅう謗法ほうぼう闡提せんだいかいけんとうのつみをつくりて、 いまだのぞきつくすことあたはず。 しか0407も、 これらのつみは三界さんがい悪道あくどうぞくす。 いかんぞ、 いっしょう修福しゅふく念仏ねんぶつをもてすなはちかの无漏むろしょうのくにゝいりて、 ながく退たいのくらゐをしょうすることをえんやといはば、 いふべし。

諸仏しょぶつ教行きょうぎょうは、 かず塵沙じんじゃにこへたり。 稟識ほんしきえんずいじょうひとつにあらず。 たとへばけんひとのまなこにつべくしんじつべきがごときは、 みょうよくあんし、 くうよくをふくむ、 よく載養さいようし、 みづよくしょうにんし、 よくじょうするがごとし。 かくのごときらのこと、 ことごとく待対たいたいほうとなづく。 すなはちみづからるべし、 千差せんしゃ万別まんべつなり。 いかにいはんや、 仏法ぶっぽう思議しぎのちから、 あに種々しゅじゅやくなからんや」 といへり。

極楽ごくらくかいすいちょう樹林じゅりんみょうほうをさやづるは思議しぎなれども、 これらはほとけの願力がんりきなればとしんじて、 なんぞたゞだいじゅうはちの 「ないじゅうねん (大経巻上) といふがんをのみうたがふべきや。

そうじて仏説ぶっせつしんぜば、 これも仏説ぶっせつなり。 ごんさん差別しゃべつ般若はんにゃじんじょうゆうほっ実相じっそう真如しんにょはんしつぶっしょう、 たれかしんぜざらんや。 これも仏説ぶっせつなり、 かれも仏説ぶっせつなり。 いづれをかしんじ、 いづれをかしんぜざらんや。

それさんみょうごうはすくなしといへども、 如来にょらいしょないしょうゆうどく万億はんおく恒沙ごうじゃ甚深じんじん法門ほうもんを、 このうちにおさめたり。 たれかこれをはかるべきや。

¬しょ¼ の 「げんぶん (意) にこのみょうごうしゃくしていはく、 「弥陀みだぶつといは、 これ天竺てんじく0408しょうおん。 こゝにはほんじてりょう寿覚じゅかくといふ。 りょう寿じゅといはこれほうかくといはこれにん人法にんぽうならべてあらはす。 かるがゆえに弥陀みだぶつといふ。 人法にんぽうといは所観しょかんきょうなり。 これについてほうあり、 しょうぼうあり」 といへり。

しかれば、 はじめ弥陀みだ如来にょらい観音かんのんせいげんもんじゅぞうりゅうじゅより、 ないかのさつしょうもんとうにいたるまでそなへたまへるところの事理じりかんぎょうじょうりきないしょう智恵ちえゆうどくそうじて万徳まんどく无漏むろしょしょう法門ほうもん、 みなことごとくさんのなかにおさまれり。 そうじて極楽ごくらくかいにいづれの法門ほうもんかもれたるところあらん。

しかるを、 このさんみょうごうをば、 しょしゅうおのおのわがしゅうしゃくしいれたり。 真言しんごんには阿字あじほんしょうじゅう二字にじ出生しゅっしょうせり。 一切いっさいほう阿字あじをはなれたることなきがゆえに、 どく甚深じんじんみょうごうといえり。 天臺てんだいしゅうにはくうちゅう三諦さんたいしょうりょうえんさんほうほうおう三身さんしん如来にょらいしょどくこれをいでざるがゆえに、 どく莫大ばくだいなりといへり。 かくのごとくしょしゅうにおのおのわがぞんずるところのほうについて、 弥陀みださんしゃくせり。

いまこのしゅうこころは、 真言しんごん阿字あじほんしょうも、 天臺てんだい三諦さんたいいちほうも、 三論さんろんはっちゅうどうのむねも、 法相ほっそうじゅう唯心ゆいしんこころも、 そうじてしん万法ばんぽうひろくこれをせっすとならふ。 極楽ごくらくかいにもれたる法門ほうもんなきがゆえに。 たゞしいま弥陀みだがんこころは、 かくのごとくさとるに0409はあらず。 たゞふかく信心しんじんをいたしてとなふるものをむかえんとなり。

耆婆ぎばへんじゃくまんびょうをいやすくすりは、 もろもろのくさ・よろづのくすりをもて合薬ごうやくせりといえども、 びょうじゃこれをさとりて、 その薬種やくしゅ何分なんぶん、 その薬草やくそうなんりょうごうせりとしらず。 しかれども、 これをふくするにまんびょうことごとくいゆるがごとし。 たゞしうらむらくは、 このくすりをしんぜずして、 わがやまひはきはめておもし、 いかゞこのくすりにてはいゆることあらんとうたがひてふくせずんば、 耆婆ぎばじゅつも、 へんじゃくほうも、 むなしくしてそのやくあるべからざるがごとく、 弥陀みだみょうごうもかくのごとし。

それ煩悩ぼんのう悪業あくごうのやまひ、 きわめておもし、 いかゞこのみょうごうをとなえてむらるゝことあらんとうたがひてこれをしんぜずは、 弥陀みだ誓願せいがんしゃくそん所説しょせつ、 むなしくてそのしるしあるべからず。 たゞあふいでしんずべし、 りょうやくをえてふくせずしてすることなかれ。 崑崙こんりんのやまにゆきてたまをとらずしてかえり、 栴檀せんだんのはやしにいりてえだをよぢずしていでなば、 後悔こうかいいかゞせん、 みづからよくりょうすべし。

そもそもわれら広劫こうごうよりこのかた、 ぶつしゅっにもあひけん、 さつどうにもあひけん。 過去かこ諸仏しょぶつも、 現在げんざい如来にょらいも、 みなこれ宿しゅく父母ぶもなり、 しょうぼうなり。 かれはいかにしてだいしょうたまへるぞ、 われはなにゝよてしょうにはとゞまるぞ、 は0410づべしはづべし、 かなしむべしかなしむべし。

ほんしゃ如来にょらいの、 大罪だいざいのやまにいりて、 邪見じゃけんのはやしにかくれて、 三業さんごう放逸ほういつろくじょうまったからざらんしゅじょうを、 わがこくにはとりおきてきょうだつせしめんとちかひたまひたりしは、 そもそもいかにしてかゝるしゅじょうをばだつせしめんとちかひたまふぞとたづぬれば、 弥陀みだ如来にょらいいんときじょう念王ねんおうもうしてだいしんをおこし、 しょう過度かどせしめむとちかひたまひしに、 しゃ如来にょらい宝海ほうかいぼんもうして、 じょう念王ねんおう、 くにのくらゐをすてゝだいしんをおこし、 摂取せっしゅしゃがんをおこしたまひしときに、 この宝海ほうかいぼんがんをおこして、 「われかならず穢土えどにしてしょうがくをなりて、 罪業ざいごうしゅじょう引導いんどうせん」 (悲華経巻三本授記品意) とちかひたまひて、 このがんをおこしたまなり

広劫こうごうよりこのかた、 諸仏しょぶつしゅっして、 えんにしたがひ、 をはかりて、 おのおのしゅじょう化度けどたまこと、 かず塵沙じんじゃにすぎたり。 あるいはだいじょうをとき小乗しょうじょうをとき、 あるいはじっきょうをひろめごんきょうをひろむ。 えんは、 みなことごとくそのやくをう。

こゝにしゃくそん八相はっそうじょうどうじょくあくにとなえて、 放逸ほういつ邪見じゃけんしゅじょうしゅつ、 そのなきをあはれみて、 「これよりにしに極楽ごくらくかいあり、 ぶつまします、 弥陀みだとなづけたてまつる」 (小経意)。 このほとけは 「ないじゅうねんにゃくしょうじゃしゅしょうがく (大経巻上) とちかひたまひて、 ぶつになりたまへり。 すみやかにねんぜよ。 しゅつしょうのみちお0411ほしといえども、 悪業あくごう煩悩ぼんのうしゅじょうの、 とくしょうをはなるゝこと、 このもんにすぎたるはなしとおしえて、 ゆめゆめうたがふことなかれ。

六方ろっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ証誠しょうじょうたまふなり」 (小経意) と、 ねんごろにおしへたまひて、 「われもしひさしく穢土えどにあらば、 邪見じゃけん放逸ほういつしゅじょう、 われをそしりわれをそむきて、 かへりて悪道あくどうにおちなん」 (法華経巻五寿量品意)

じょくにいでたることは、 ほんたゞこのことしゅじょうにきかしめんがためなりとて、 なん尊者そんじゃに、 「なんぢよくこのことだいずうせよ」 (散善義意) と、 ねんごろに約束やくそくしおきて、 跋提ばつだいのほとり、 しゃりんのもとにして、 はちじゅうはるてんがつじゅうはんに、 ほく面西めんさいにしてめついりたまひき。 そのときに、 日月にちがつひかりをうしなひ、 草木そうもくいろをへんじ、 りゅうじんはちきんじゅうちょうるいにいたるまで、 てんにあふぎてなき、 にふしてさけぶ。

なん目連もくれんとうのもろもろのだい弟子でしとうきゅうのなみだをおさへて、 あひしていはく、 しゃくそんおんになれたてまつりてはちじゅう春秋しゅんじゅうをおくりき。 えんこゝにつきて、 がねのはだえ、 たちまちにへだゝりたまひぬ。 あるいはわれらそんといたてまつるに、 こたたまへることもありき、 あるいはしゃくそんみづからつげたまこともありき。 さいしょう方便ほうべん、 いまはたれにむかひてかといたてまつるべき。

すべからく如来にょらいことばをしるしおきて、 らいにもつたへ、 おんかたみともせんといひて、 多羅たらよう0412ひろいてことごとくこれをしるしおきしを、 三蔵さんぞうたちこれをやくしてとうへわたし、 ほんちょうへつたへたまふ。 しょしゅうにつかさどるところの一代いちだい聖教しょうぎょうこれなり

しかるに弥陀みだ如来にょらい善導ぜんどうしょうとなのりて、 とうにいでゝ、 「如来にょらいしゅつげんじょくずい方便ほうべん群萌ぐんもう或説わくせつもんとく或説わくせつしょうしょうさんみょうわくきょうふく双除そうじょしょうわくきょう禅念ぜんねんりょう種種しゅじゅ法門ほうもんかいだつ无過むか念仏ねんぶつおう西方さいほうじょうじんいちぎょうじゅうねん三念さんねんねんぶつ来迎らいこうじき弥陀みだぜいじゅうきょう使ぼんねんそくしょう (法事讃巻下) とのたまへり。 しゃくそんしゅっ本懐ほんかい、 たゞこのことにありといふべし。

しんきょう人信にんしんなんちゅうてんきょうなんだいでん普化ふけしんじょうほう仏恩ぶっとん (礼讃) といへば、 しゃくそんおんほうずるは、 これたれがためぞや、 ひとえにわれらがためにあらずや。 このたびむなしくてすぎなば、 しゅついづれのときをかせんとする。 すみやかに信心しんじんをおこしてしょう過度かどすべし。

つぎこう発願ほつがんしんといは、 ひとことにしつべきことなり。 こくらくをきゝて、 たれかねがはざらんや。 そもそも、 かのこくぼん差別しゃべつあり、 われらいづれのほんをかすべき。 善導ぜんどうしょうこころは、 「極楽ごくらく弥陀みだ報仏ほうぶつほうなり断惑だんわくぼん、 すべてむまるべからずといへども、 弥陀みだ別願べつがん思議しぎにて、 罪悪ざいあくしょうぼん一念いちねんじゅうねんしてむまる」 (玄義分意) しゃくたまへり。

しかるをじょうよりこのかた、 「おほく0413ぼんといふともたりぬべし」 (和漢朗詠集) といひて、 じょうぼんをねがはず。 これは悪業あくごうのおもきをおそれてこころじょうぼんにかけざるなり。 もしそれ悪業あくごうによらば、 そうじておうじょうすべからず。 願力がんりきによてむまれば、 なんぞじょうぼんにすゝまんことをかたしとせん。

そうじては弥陀みだじょうをまうけたまうことは、 願力がんりきじょうじゅするゆえなり。 しかれば、 また念仏ねんぶつしゅじょうのむまるべきくになり。 「ないじゅうねんにゃくしょうじゃしゅしょうがく (大経巻上) とたてたまひて、 このがんによて感得かんとくたまふところなるがゆえなり。

いままた ¬かんぎょう¼ のぼんごうをいはば、 ぼんぎゃくじゅうあく罪人ざいにんりんじゅうとき、 はじめてぜんしきのすゝめによて、 あるいはじっしょう、 あるいはいっしょうしょうねんして、 むまるゝことをえたり。 われら罪業ざいごうおもしといへども、 ぎゃくをばつくらず。 ぎょうごうおろそかなりといへども、 いっしょうじっしょうにすぎたり。 りんじゅうよりさきに弥陀みだ誓願せいがんききて、 随分ずいぶん信心しんじんをいたす。 しかれば、 ぼんまでくだるべからず。

ちゅうぼん小乗しょうじょうかいぎょうじゃきょうようじんれいしんとうぎょうにんなり。 このほんには中々なかなかにむまれがたし。 小乗しょうじょうぎょうにんにもあらず、 たもちたるかいもなければ、 われらがぶんにあらず。

じょうぼんだいじょうぼんだいしんとうぎょうなり。 だいしんしょしゅうおのおのこころえたりといふ。 じょうしゅうこころは、 じょうにむまれんとねがふをだいしんといふ。 念仏ねんぶつこれだいじょうぎょうなり、 じょうどくなり。 しかれば、 じょうぼんおうじょうをひく0414べからず。

また本願ほんがんに 「ないじゅうねん (大経巻上) とたてたまひて、 りんじゅう現前げんぜんがんに 「大衆だいしゅにょうせられてそのひとのまえにげんぜん」 (大経巻上) とたてたまへり。 ちゅうぼんしょうもんしゅ来迎らいこうぼんぶつ三尊さんぞん、 あるいはこんれんとう来迎らいこうなり。 しかるを大衆だいしゅにょうしてげんぜんとたてたまへる本願ほんがんしゅは、 じょうぼん来迎らいこうをまうけたまへり。 なんぞあながちにあひすまはんや。

また善導ぜんどうしょう、 「三万さんまんじょうじょうぼん上生じょうしょうごう (観念法門意) とのたまへり。 数遍しゅへんによてじょうぼんにむまるべし。 また三心さんしんについてぼんあるべし。 信心しんじんによてじょうぼんにむまるべしとみえたり。 じょうぼんをねがふことは、 わがのためにはあらず。 かのくにゝむまれおはりて、 かえりてとくしゅじょうせんがためなり。 これあにほとけのこころにかなはざらんや。

一、 三部経釈 弥陀みだきょう

つぎに ¬弥陀みだきょう¼ は、 まづ極楽ごくらくしょうどくをとく。 これしゅじょうがんぎょうこころをすゝめんがためなり。

のちにおうじょうぎょうをあかすに、 「しょう善根ぜんごんをもてはむまるゝことをうべからず。 弥陀みだぶつみょうごうしゅうして、 一日いちにち七日しちにちすればおうじょうすることをう」 (小経意) とあかせり。

しゅじょうこれをしんぜざらんことをおそれて、 六方ろっぽうにおのおのごうしゃ諸仏しょぶつましまして、 大千だいせん舌相ぜっそうをのべて証誠しょうじょうたまへり。 善導ぜんどうしゃくしていはく、 「このしょうによてむまるゝことをえずは、 六方ろっぽう如来にょらいのゝべたまへるした、 ひとたびくちよりいでをはりて0415、 ながくくちにかえりいらずして、 ねんらんせん」 (観念法門) とのたまへり。

しかれば、 これをうたがはんものは、 弥陀みだ本願ほんがんをうたがふのみにあらず、 しゃくそん所説しょせつをうたがふなり。 しゃくそん所説しょせつをうたがふは、 六方ろっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ所説しょせつをうたがふなり。 すなはちこれ大千だいせんにのべたまへる舌相ぜっそうらんするなり

もしまたこれをしんぜば、 たゞ弥陀みだ本願ほんがんしんずるのみにあらず、 しゃくそん所説しょせつしんずるなり。 しゃくそん所説しょせつしんずるは、 六方ろっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつ所説しょせつしんずるなり一切いっさい諸仏しょぶつしんずるは、 一切いっさいほうしんずるになる。 一切いっさいほうしんずるは、 一切いっさいさつしんずるになる。

このしんひろくして広大こうだい信心しんじんなり。 善導ぜんどうしょうのいはく、 「だんぼんけんしゅう皆舒かいじょ舌相ぜっそう三千さんぜんしょう七日しちにちしょうみょうごうひょうしゃ言説ごんせつしん (法事讃巻下)。 「六方ろっぽう如来にょらい舒舌じょぜつしょうせんしょうみょうごう西方さいほうとうかいもんみょうほうじゅうがんぎょうねんしょう (礼讃)。 「心々しんしん念仏ねんぶつまくしょう六方ろっぽう如来にょらいしょう不虚ふこ三業さんごう専心せんしん雑乱ぞうらんひゃっぽうれんおうげん。」 (法事讃巻下)