十六(548)、 黒田の聖へつかはす御返事

くろしょうにんへつかはすおんふみ だいじゅうろく

末代まつだいしゅじょうおうじょう極楽ごくらくにあてゝみるに、 ぎょうすくなしとてうたがふべからず、 一念いちねんじゅうねんにたりぬべし。

罪人ざいにんなりとてうたがふべからず。 罪根ざいこんふかきをもきらはず。

ときくだれりとてうたがふべからず、 法滅ほうめつ已後いごしゅじょうなをおうじょうすべし、 いはんやこのごろをや。

わがわろしとてうたがふべからず、 しんはこれ煩悩ぼんのうそくせるぼんなりといへり。

十方じっぽうじょうおほけれども、 西方さいほうをねがふはじゅうあくぎゃくしゅじょうもむまるゝゆへなり

諸仏しょぶつのなかに弥陀みだしたてまつるは、 三念さんねんねんにいたるまで、 みづからきたりてむかへたまふがゆへなり

しょぎょうのなかに念仏ねんぶつをもちゐるは、 かのほとけの本願ほんがんなるがゆへなり

いま弥陀みだ本願ほんがんじょうじておうじょうしてんには、 がんとしてじょうぜずといふことあるべからず。 本願ほんがんじょうずることは、 たゞ信心しんじんのふかきによるべし。

うけがたき人身にんじんをうけて、 あひがたき本願ほんがんにあひて、 おこしがたき道心どうしんをおこして、 はなれがたきりんのさとをはなれて、 むまれがたきじょうおうじょうせんことは、 よろこびがなかのよろこびなり

つみをばじゅうあくぎゃくのものなをむまるとしんじて、 しょう0549ざいをもおかさじとおもふべし。 罪人ざいにんなをむまる、 いかにいはんや善人ぜんにんをや。

ぎょう一念いちねんじゅうねんむなしからずとしんじて、 けんしゅすべし。 一念いちねんなをむまる、 いかにいはんやねんをや。

弥陀みだは、 しゅしょうがくことばじょうじゅしてげんにかのくにゝましませば、 さだめていのちおはらんときには来迎らいこうたまはんずらん。 しゃくそんは、 よきかなや、 わがおしへにしたがひて、 しょうをはなれんとすとけんたまふらん。 六方ろっぽう諸仏しょぶつは、 よろこばしきかな、 われらが証誠しょうじょうしんじて、 退たいじょうおうじょうせんとすとよろこびたまふらんと。

てんにあふぎにふしてもよろこびつゝ、 このたび弥陀みだ本願ほんがんにあへることを、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがにもほうずべし。 かのほとけの恩徳おんどくを、 たのみてもなをたのむべきはないじゅうねんことばしんじてもなをしんずべきは必得ひっとくおうじょうもんなり。