二十(561)、 十二問答

○十じゅう二にの問答もんどう 第だい二に十じゅう

一

◇問といて曰いはく、 八はっ宗しゅう・九く宗しゅうのほかに浄じょう土ど宗しゅうをたつる事こと、 自由じゆの条じょうかなと、 余よ宗しゅうの人ひとの申もうし候そうろうをば、 いかんが申もうし候そうろうべき。

◇答こたう。 宗しゅうの名なをたつる事ことは仏ぶつの説せつにあらず、 みづから心こころざすところの経教きょうきょうにつきて、 おしふる義ぎをさとりきわめて、 宗しゅうの名なをば判はんずる事こと也なり。 諸しょ宗しゅうの習ならいみなもてかくのごとし。 いま浄じょう土ど宗しゅうの名なをたつる事ことは、 浄じょう土どの正しょう依え経きょうにつきて、 往おう生じょう極楽ごくらくの義ぎをさとりきわめておはします先達せんだつの、 宗しゅうの名なをばたて給たまへる也なり。 宗しゅうのおこりをしらざるものゝ、 左さ様ようの事ことをば申もうし候そうろう也なり。

二

◇問といて曰いはく、 法ほっ華け・真言しんごん等とうをば雑ぞう行ぎょうにはいるべからずと人人ひとびとの申もうし候そうろうをば、 いかゞこたへ候そうろうべき。

◇答こたう。 恵え心しん先徳せんどく、 一代いちだい聖教しょうぎょうの要文ようもんをあつめて往おう生じょう要よう集しゅうをつくり給たまへるなかに十じゅう門もんをたつ。 その第だい九くの往おう生じょう諸業しょごう門もんに、 法ほっ華け・真言しんごん等とうの諸しょ大だい乗じょう経きょうをいれ給たまへり。 諸しょ0562行ぎょうと雑ぞう行ぎょうと、 言ことば異ことにして心こころおなじ。 いまの難者なんじゃは、 恵え心しんの先徳せんどくにまさるべからざるもの也なり。

三

◇問といて曰いはく、 余よ仏ぶつ・余よ経きょうにつきて善根ぜんごんを修しゅせん人ひとに、 結縁けちえん助じょ成じょうし候そうらはん事ことは雑ぞう行ぎょうと申もうし候そうろうべきか。

◇答こたう。 わが心こころ、 弥陀みだほとけの本願ほんがんに乗じょうじ、 決けつ定じょう往おう生じょうの信しんをとるうゑには、 他たの善根ぜんごんに結縁けちえん助じょ成じょうせん事ことは、 またく雑ぞう行ぎょうになるべからず、 わが往おう生じょうの助業じょごうとなるべき也なり。 他たの善根ぜんごんを随ずい喜き讃嘆さんだんせよと釈しゃくし給たまへるをもて、 心こころべき事こと也なり。

四

◇問といて曰いはく、 極楽ごくらくに九く品ぼんの差別しゃべつの候そうろう事ことは、 阿あ弥陀みだほとけのかまへさせ給たまへる事ことにて候そうろうやらん。

◇答こたう。 極楽ごくらくの九く品ぼんは弥陀みだの本願ほんがんにあらず、 四し十じゅう八願はちがんのなかにもなし。 これは釈しゃく尊そんの巧ぎょう言ごん也なり。 善人ぜんにん・悪人あくにん一所いっしょにむまるといはゞ、 悪業あくごうのものども慢心まんしんをおこすべきがゆへに、 九く品ぼんの差別しゃべつをあらせて、 善人ぜんにんは上じょう品ぼんにすゝみ、 悪人あくにんは下げ品ぼんにくだると、 とき給たまへる也なり。 いそぎまいりてみるべし。

五

◇問といて曰いはく、 持じ戒かいの行ぎょう者じゃの念仏ねんぶつの数遍しゅへんのすくなく候そうらはんと、 破は戒かいの行ぎょう人にんの念仏ねんぶつの数遍しゅへんのおほく候そうらはんと、 往おう生じょうのゝちの位くらいの浅深せんじんいづれかすゝみ候そうろうべきや。

◇答こたう。 居いてまします畳たたみをおさへての給たまはく、 この畳たたみのあるにとりてこそ、 やぶれたるかやぶれざるかといふ事ことはあれ。 つやつやなからんたゝみをば、 なにとか論ろんずべき。

◇「末法まっぽうの0563中ちゅうには持じ戒かいもなく、 破は戒かいもなし、 たゞ名みょう字じの比丘びくばかり」 ありと、 伝でん教ぎょう大だい師しの ¬末法まっぽう灯とう明みょう記き¼ にかき給たまへるうゑには、 なにと持じ戒かい・破は戒かいの沙汰さたをばすべきぞ。 かゝるひら凡ぼん夫ぶのためにおこし給たまへる本願ほんがんなればとて、 いそぎいそぎ名みょう号ごうを称しょうすべし。

六

◇問といて曰いはく、 念仏ねんぶつの行ぎょう者じゃ等ら、 日別にちべつの所しょ作さにおいて、 こゑをたてゝ申もうす人ひとも候そうろう、 又また心こころに念ねんじてかずをとる人ひとも候そうろう、 いづれかよく候そうろうべき。

◇答こたう。 それは口くちにてとなふるも名みょう号ごう、 心こころにて念ねんずるも名みょう号ごうなれば、 いづれも往おう生じょうの業ごうとはなるべし。 たゞし仏ぶつの本願ほんがんは称名しょうみょうの願がんなるがゆへに、 声こえをたてゝとなふべき也なり。

◇このゆへに ¬経きょう¼ (観経) には 「令声りょうしょう不ふ絶ぜつ具ぐ足そく十じゅう念ねん」 とゝき、 釈しゃくには 「称しょう我が名みょう号ごう下至げし十じっ声しょう」 (礼讃) との給たまへり。 耳みみにきこゆる程ほどは、 高こう声しょう念仏ねんぶつにとる也なり。 さればとて、 譏き嫌げんをしらず、 高こう声しょうなるべきにはあらず、 地じ体たいは声こえを出いださんとおもふべき也なり。

七

◇問といて曰いはく、 日別にちべつの念仏ねんぶつの数遍しゅへん、 相続そうぞくにいる程ほどはいかんがはからひ候そうろうべき。

◇答こたう。 善導ぜんどうの御おん釈しゃくによるに、 一万いちまん已い上じょうは相続そうぞくにて候そうろうべし。 たゞし一万いちまん遍べんをもいそぎ申もうして、 さてその日ひをくらさん事ことはあるべからず。 一万いちまん遍べんなりとも、 一日いちにち一いち夜やの所しょ作さとすべき也なり。 総そうじては一食いちじきのあひだに三み度たびばかり思おもひいださんは、 よき相続そうぞくにてあるべし0564。 それは衆しゅ生じょうの根こん性じょう不ふ同どうなれば、 一いち準じゅんなるべからず。 心こころざしだにふかければ、 自じ然ねんに相続そうぞくはせらるゝ也なり。

八

◇問といて曰いはく、 ¬礼讃らいさん¼ の深心じんしんのなかには 「十じっ声しょう一いっ声しょう、 必得ひっとく往おう生じょう、 乃ない至し一念いちねん、 无有むう疑ぎ心しん」 と釈しゃくし給たまへり、 又また ¬疏しょ¼ (散善義) の深心じんしんのなかには 「念念ねんねん不ふ捨しゃ者しゃ、 是ぜ名みょう正定しょうじょう之し業ごう」 と釈しゃくし給たまへり。 いづれかわが分ぶんにはおもひさだめ候そうろうべき。

◇答こたう。 「十じっ声しょう一いっ声しょう」 の釈しゃくは念仏ねんぶつを信しんずる様よう、 「念念ねんねん不ふ捨しゃ者しゃ」 の釈しゃくは念仏ねんぶつを行ぎょうずる様よう也なり。 かるがゆへに、 信しんをば一念いちねんにむまるとゝりて、 行ぎょうをば一いち形ぎょうにはげむべしとすゝめ給たまへる也なり。 又また大たい意いは、 「一いっ発心ぽっしん已後いご、 誓畢せいひつ此し生しょう无有むう退転たいてん。 唯ゆい以い浄じょう土ど為期いご」 散善義 の釈しゃくを本ほんとすべき也なり。

九

◇問といて曰いはく、 本願ほんがんの一念いちねんは、 尋じん常じょうの機きにも臨りん終じゅうの機きにもともに通つうじ候そうろうべきか。

◇答こたう。 一念いちねんの願がんは、 いのちつゞまりて二に念ねんにおよばざる機きのため也なり。 尋じん常じょうの機きに通つうずべくは、 「上じょう尽じん一いち形ぎょう」 の釈しゃくあるべからず。 この釈しゃくをもて心こころうるに、 かならずしも一念いちねんを本願ほんがんといふべからず。

◇「念念ねんねん不ふ捨しゃ者しゃ、 是ぜ名みょう正定しょうじょう之し業ごう、 順じゅん彼ぴ仏願ぶつがん故こ」 (散善義) と釈しゃくし給たまへり。 この釈しゃくは、 数遍しゅへんつもらんも本願ほんがんとはきこへたるは、 たゞ本願ほんがんにあふ機きの遅ち速そく不ふ同どうなれば、 「上じょう尽じん一いち形ぎょう下至げし一念いちねん」 (散善義意) とおこし給たまへる本願ほんがん也なりと心こころべき也なり。 かるがゆへに念仏ねんぶつ往おう生じょうの願がんとこそ、 善導ぜんどうは釈しゃくし給たまへ。

0565十

◇問といて曰いはく、 自じ力りき・他た力りきの事ことは、 いかんが心こころえ候そうろうべき。

◇答こたう。 源空げんくうは殿でん上じょうへまいるべき器き量りょうにてはなけれども、 上かみよりめせば二度にどまでまいりたりき。 これはわがまいるべきしなにてはなけれども、 上かみの御おんちから也なり。 まして阿あ弥陀みだほとけの御おんちからにて、 称名しょうみょうの願がんにこたへて来迎らいこうせさせ給たまはん事ことは、 なんの不ふ審しんかあるべき。

◇わが身みつみおもくて无智むちなれば、 仏ぶつもいかにしてかすくひ給たまはんなんどおもはん物ものは、 つやつや仏ぶつの願がんをもしらざる物もの也なり。 かゝる罪人ざいにんどもを、 やすやすとたすけすくはん料りょうに、 おこし給たまへる本願ほんがんの名みょう号ごうをとなへながら、 ちりばかりもうたがふ心こころかあるまじき也なり。 十方じっぽう衆しゅ生じょうのことばのなかに、 有智うち・无智むち、 有う罪ざい・无む罪ざい、 善人ぜんにん・悪人あくにん、 持じ戒かい・破は戒かい、 男なん子し・女人にょにん、 三宝さんぼう滅尽めつじんのゝちの百ひゃく歳さいまでの衆しゅ生じょう、 みなこもる也なり。

◇かの三宝さんぼう滅尽めつじんの時ときの念仏ねんぶつ者しゃと、 当とう時じの御房おんぼう達たちとくらぶれば、 当とう時じの御房おんぼう達たちは仏ぶつのごとし。 かの時ときの人ひとのいのちはたゞ十歳じっさい也なり。 戒かい定じょう慧えの三学さんがく、 たゞ名なをだにもきかず、 総そうじていふばかりなき物ものどもの来迎らいこうにあづかるべき道どう理りをしりながら、 わが身みのすてられまいらすべき様ようをば、 いかにしてか案あんじ出いだすべき。

◇たゞ極楽ごくらくのねがはしくもなく、 念仏ねんぶつの申もうされざらん事ことのみこそ、 往おう生じょうのさわりにてはあるべけれ。 かるがゆへに他た力りき本願ほんがんともいひ、 超ちょう世せの悲ひ願がんともいふ也なり。

0566十一

◇問といて曰いはく、 至し誠じょう等とうの三心さんしんを具ぐし候そうろうべき様ようをば、 いかんがおもひさだめ候そうろうべき。

◇答こたう。 三心さんしんを具ぐする事ことは、 たゞ別べつの様ようなし。 阿あ弥陀みだほとけの本願ほんがんに、 わが名みょう号ごうを称しょう念ねんせば、 かならず来迎らいこうせんとおほせられたれば、 決けつ定じょうして引いん接じょうせられまいらせんずるぞとふかく信しんじて、 心こころに念ねんじ口に称しょうするに物ものうからず、 すでに往おう生じょうしたる心こころちして最さい後ご一念いちねんにいたるまでたゆまざるものは、 自じ然ねんに三心さんしんは具ぐ足そくする也なり。

◇又また在ざい家けの物ものどもはこれ程ほどまでおもはざれども、 たゞ念仏ねんぶつ申もうす物ものは極楽ごくらくにむまるなればとて、 つねに念仏ねんぶつをだにも申もうせば、 そらに三心さんしんは具ぐ足そくする也なり。 さればこそ、 いふにかひなきものどものなかにも、 神じん妙みょうなる往おう生じょうをばする事ことにてあれ。

十二

問といて曰いはく、 臨りん終じゅうの一念いちねんは百ひゃく年ねんの業ごうにすぐれたりと申もうすは、 平生へいぜいの念仏ねんぶつのなかに、 臨りん終じゅうの一念いちねんほどの念仏ねんぶつをば申もうしいたし候そうろうまじく候そうろうやらん。

答こたう。 三心さんしん具ぐ足そくの念仏ねんぶつは、 をなじ事こと也なり。 そのゆへは、 ¬観かん経ぎょう¼ にいはく、 「具ぐ三心さんしん者しゃ必ひっ生しょう彼ひ国こく」 といへり。 「必ひつの」 文もん字じのあるゆへに、 臨りん終じゅうの一念いちねんとおなじ事こと也なり。

この問答もんどうの問といをば、 ¬進しん行ぎょう集しゅう¼ には禅ぜん勝しょう房ぼうの問といといへり。 ある文もんには隆りゅう寛かん律りっ師しの問といといへり。 たづぬべし。