恵信尼消息

 

(1)

 *去年こぞ十二月しわす一日ついたち御文おんふみおなじき二十日はつかあまりに、 たしかにみそうらひぬ。 なによりも殿との (親鸞)おうじょう、 なかなかはじめてもうすにおよばずそうろふ。

去年の十二月一日の御文 弘長二年十一月二十八日に親鸞聖人がじゃくし、 十二月一日付で、 そのことを覚信かくしんこうから母の恵信尼公に伝えたその書状。

 *やまでて、 *六角ろっかくどうひゃくにちこもらせたまひて、 後世ごせをいのらせたまひけるに、 じゅうにち*あかつき*しょうとくたいもんむすびて、 げんにあづからせたまひてそうらひければ、 やがてそのあかつきでさせたまひて、 後世ごせのたすからんずる*えんにあひまゐらせんと、 たづねまゐらせて、 法然ほうねんしょうにんにあひまゐらせて、 また六角ろっかくどうひゃくにちこもらせたまひてそうらひけるやうに、 またひゃっにちるにもるにも、 いかなる*たいふにも、 まゐりてありしに、 ただ後世ごせのことは、 よきひとにもあしきにも、 おなじやうに、 *しょうづべきみちをば、 ただひとすぢにおおせられそうらひしを、 うけたまはりさだめてそうらひしかば、 「しょうにんのわたらせたまはんところには、 ひとはいかにももうせ、 たとひ悪道あくどうにわたらせたまふべしともうすとも、 世々せせ生々しょうじょうにも*まよひければこそありけめ、 とまでおもひまゐらするなれば」 と、 やうやうにひともうそうらひしときもおおそうらひしなり。

 えいざん
六角堂 現在の京都市中京区六角通東洞院西入ルにあるちょうほう。 聖徳太子の創建と伝えられ、 当時は観世音菩薩の霊験所として知られていた。
あか月 あかつき
聖徳太子の文を… この時の示現の文について、 「聖徳太子廟窟偈」 とする説、 「行者宿報…」 の偈 (¬御伝鈔¼ 1044頁13行以下参照) とする説などがある。
 底本は仮名であり、 「上人」 と読む説がある。
たいふ 大風。 「だい事」 (大事) と読む説がある。
生死出づべき道 生死の迷いから出ることのできる道。
迷ひければこそ… 迷ってきたからこそ (悪道におもむくしか道のない) こんな私なのであったのだろうとさえ思っている身ですから。

 さて常陸ひたち下妻しもつまもうそうろふところに、 *さかい・・・ごうもうすところにそうらひしとき、 ゆめをみてそうらひしやうは、 どうようかとおぼえて、 ひんがしきにどうはたちてそうろふに、 *しんがくとおぼえて、 どうのまへには*たてあかししろくそうろふに、 たてあかしの西にしに、 どうのまへに、 とりのやうなるによこさまにわたりたるものに、 ほとけけまゐらせてそうろふが、 一体いったいは、 *ただほとけかおにてはわたらせたまはで、 ただひかりのまなかほとけ*こうのやうにて、 まさしきおんかたちはみえさせたまはず、 ただひかりばかりにてわたらせたまふ。 いま一体いったいは、 まさしきほとけかおにてわたらせたまひそうらひしかば、 「これはなにほとけにてわたらせたまふぞ」 ともうそうらへば、 もうひとはなにびとともおぼえず、 「あのひかりばかりにてわたらせたまふは、 あれこそ法然ほうねんしょうにんにてわたらせたまへ。 せいさつにてわたらせたまふぞかし」 ともうせば、 「さてまた、 いま一体いったいは」 ともうせば、 「あれは観音かんのんにてわたらせたまふぞかし。 あれこそ善信ぜんしん御房おんぼう (親鸞) よ」 ともうすとおぼえて、 うちおどろきてそうらひしにこそ、 ゆめにてそうらひけりとはおもひてそうらひしか。 さはそうらへども、 さやうのことをばひとにももうさぬとききそうらひしうへ、 あま (恵信尼) がさやうのこともうそうろふらんは、 *げにげにしくひとおもふまじくそうらへば、 *てんせい、 ひとにももうさで、 しょうにん (法然)おんことばかりをば、 殿とのもうしてそうらひしかば、 「ゆめには*しなわいあまたあるなかに、 これぞじつにてある。 しょうにんをば、 所々しょしょせいさつしんと、 ゆめにもみまゐらすることあまたありともうすうへ、 せいさつ*智慧ちえのかぎりにて、 *しかしながらひかりにてわたらせたまふ」 と*そうらひしかども、 *観音かんのんおんこともうさずそうらひしかども、 こころばかりはそののち*うちまかせてはおもひまゐらせずそうらひしなり。 かくおんこころえそうろふべし。

さかいの郷 現在の茨城県下妻市坂井とされる。 また 「境」 「幸井」 の字を充てる説もある。
しんがく 覚如かくにょ上人の ¬口伝鈔¼ (12) に 「がく」 とあり、 舞楽の予行演習のこと。 転じて宵祭りのことか。
たてあかし たいまつ。
ただ仏の御顔にては… 普通の仏様のお顔ではあらせられず。
頭光 頭部より放たれる円形のこうみょう
げにげにしく人も… 本当のことのように人も思うはずがないでしょうから。
てんせい 全く。 全然。
しなわい 品別。 種類。
智慧のかぎり 智慧ばかり。 智慧そのもの。
候ひしかども観音の御こと 一説に 「候ひしか、 殿との観音の御こと」 と読む。
観音の御こと 親鸞聖人が観世音菩薩のしんであるという夢のこと。
うちまかせては… ありふれた普通のお方とは思い申し上げないでおりました。

 さればりんず(臨終)はいかにもわたらせたまへ、 うたがおもひまゐらせぬうへ、 おなじことながら、 益方ますかたりんず(臨終)にあひまゐらせてそうらひける、 おやちぎりともうしながら、 ふかくこそおぼえそうらへば、 うれしくそうろふ、 うれしくそうろふ。

 *またこのくには、 去年こぞつくりもの、 ことにそんそうらひて、 あさましきことにて、 おほかたいのちくべしともおぼえずそうろふなかに、 ところどもかはりそうらひぬ。 ひとところならず、 益方ますかたもうし、 またおほかたはたのみてそうろひとりょうども、 みなかやうにそうろふうへ、 おほかたのけんそんじてそうろふあひだ、 なかなかとかくもうしやるかたなくそうろふなり。 かやうにそうろふほどに、 としごろそうらひつる*やつばらも、 おとこふたしょうがつ*うせそうらひぬ。 なにとして、 ものをもつくるべきやうもそうらはねば、 いよいよけんたのみなくそうらへども、 いくほどくべきにてもそうらはぬに、 けんこころぐるしくおもふべきにもそうらはねども、 ひとにてそうらはねば、 これらが、 あるいはおやそうらはぬ*ぐろのにょうぼうおんなおのこ、 これにそうろふうへ、 益方ますかたどもも、 ただこれにこそそうらへば、 なにとなくははめきたるやうにてこそそうらへ。 いづれもいのちもありがたきやうにこそおぼえそうらへ。

また… 以下、 原本では紙が切ってあるが、 第三通の後に続くことを数字で示している。 一説には、 別の断簡として文明元年 (1264) のものとする。
奴ばら 使用人。
うせ 「失せ (逃亡)」 とも 「亡せ (死亡)」 とも解釈される。
小黒女房 親鸞聖人としんこうの間に生れた息女 (日野一流系図)。 「小黒」 は地名で、 現在の新潟県東くび郡安塚町小黒であろうといわれる。

 *このもんぞ、 殿とのえいやま*堂僧どうそうつとめておはしましけるが、 やまでて、 六角ろっかくどうひゃくにちこもらせたまひて後世ごせのこといのりまうさせたまひけるじゅうにちのあかつきげんもんなり。 らんそうらへとて、 きしるしてまゐらせそうろふ。*

この文ぞ… 第一紙の前部の余白に書かれていて、 現存しないが第一通と一具にして送られた 「御示現の文」 の添書である。 また 「文ぞ」 は、 一説に 「文書」 と読む。
堂僧 えいざん常行じょうぎょう三昧ざんまいどうにつとめる不断念仏衆のことを当時一般に 「堂僧」 「山の堂僧」 などと呼んだ。
ª第一通の端裏書に 「恵信御房御筆」 とあり、 覚如かくにょ上人の筆と推定されているº

 

(2)

 「*ゑちごの御文おんふみにてそうろふ」

ゑちご… 下に 「此御表書は覚信御房御筆也」 また別行に 「此一枚は端の御文のうへにまき具せられたり」 とあり、 今日では、 共にかくにょ上人の筆かと見られている。

 *このもんきしるしてまゐらせそうろふも、 きさせたまひてそうらひしほどは、 もうしてもようそうらはねばもうさずそうらひしかど、 いまはかかるひとにてわたらせたまひけりとも、 おんこころばかりにもおぼしめせとて、 しるしてまゐらせそうろふなり。 よくそうらはんひとによくかせて、 もちまゐらせたまふべし。

この文 第一通にいう 「御示現の文」 のことか。

 またあの*えい一幅いっぷく、 ほしくおもひまゐらせそうろふなり。 おさなく、 *おんつにておはしましそうらひしとし四月うづきじゅうよっかのひより、 *かぜだいにおはしましそうらひしときのことどもをきしるしてそうろふなり。

御影 親鸞聖人の肖像画。
御身の八つにて… 寛喜三年 (1231) の出来事を記した第三通を指していう。 かくしんこうはこの年に八歳であるから、 その生年が元仁元年 (1224) であることが判明する。
かぜ 風邪。

 としはちじゅうになりそうろふなり。 一昨年おととし十一月しもつきより去年こぞ五月さつきまでは、 いまやいまやとときそうらひしかども、 今日きょうまではなで、 としかつにや飢死うえじにもせんずらんとこそおぼえそうらへ。 かやうの便たよりに、 なにもまゐらせぬことこそこころもとなくおぼえそうらへども、 ちからなくそうろふなり。

 益方ますかた殿どのにも、 このふみをおなじこころおんつたそうらへ。 ものくことものうくそうらひて、 べつもうそうらはず。

 「*こうちょう三年さんねんみずのとのい

弘長三年癸亥 1263年。 別筆であり、 覚如上人の筆かと見られている。

   二月きさらぎとおかのひ

 

*(3)

ª第三通のはじめに 「此一紙ははしの御文にそへられたり」 と別筆の書込みがあり、 覚如上人の筆かと見られているº

 善信ぜんしん御房おんぼう (親鸞)*かん三年さんねん四月うづきじゅうよっかのひ*うまときばかりより、 かざごこすこしおぼえて、 そのゆうさりよりして、 だいにおはしますに、 こしひざをもたせず、 *てんせい、 かんびょうにんをもよせず、 ただおともせずしてしておはしませば、 おんをさぐれば、 あたたかなることのごとし。 *かしらのうたせたまふこともなのめならず。

寛喜三年 1231年。 親鸞聖人五十九歳。
午の時 正午頃。
頭のうたせ… 頭痛のはげしさも並ひととおりではありません。

 さてしてよっもうすあかつき、 くるしきに、 「*まはさてあらん」 とおおせらるれば、 「なにごとぞ、 *たはごととかやもうすことか」 ともうせば、 「たはごとにてもなし。 してふつもうより、 ¬だいきょう¼ をよむことひまもなし。 たまたまをふさげば、 きょうもんいちのこらず、 きららかにつぶさにみゆるなり。 さてこれこそこころえぬことなれ。 念仏ねんぶつ信心しんじんよりほかには、 なにごとかこころにかかるべきとおもひて、 よくよくあんじてみれば、 この*じゅう七八しちはちねんがそのかみ、 *げにげにしく*さんきょうせんよみて、 *すざう(衆生)やくのためにとて、 よみはじめてありしを、 これはなにごとぞ、 ª*しんきょう人信にんしん なんちゅうてんきょうなんº (礼讃) とて、 みづからしんじ、 ひとおしへてしんぜしむること、 まことの仏恩ぶっとんむくひたてまつるものとしんじながら、 みょうごうのほかにはなにごとのそくにて、 かならずきょうをよまんとするやとおもひかへして、 よまざりしことの、 さればなほもすこしのこるところのありけるや。 ひとしゅうしんりきのしんは、 よくよくりょあるべしとおもひなしてのちは、 きょうよむことはとどまりぬ。 さてしてよっもうすあかつき、 ªまはさてあらんº とはもうすなり」 とおおせられて、 やがてあせりて、 よくならせたまひてそうらひしなり。

まはさてあらん まあそうであろう。 他に 「真はさてあらん」 (本当はそうであろう) などとする説がある。
たはごととかや… うわごととか申すことでしょうか。 一説に 「ただごととにや」 と読む。
十七八年がそのかみ 十七年前は健保二年 (1214) に相当する。
げにげにしく 誠実に。 もっともらしくとする説もある。
三部経 ¬大経¼ ¬観経¼ ¬小経¼ の浄土三部経のこと。
すざう利益 生きとし生けるものの苦を抜き、 楽を与えること。
自信教人信… 「みづから信じ、 人を教へて信ぜしむること、 難きがなかにうたたまた難し」 (信巻訓)

 さんきょう、 げにげにしくせんよまんとそうらひしことは、 信蓮しんれんぼうつのとし武蔵むさしくにやらん、 上野かんずけくにやらん、 *ぬきもうすところにて、 よみはじめて、 四五しごにちばかりありて、 おもひかへして、 よませたまはで、 常陸ひたちへはおはしましてそうらひしなり。

佐貫 上野こうずけ佐貫。 現在の群馬県おう郡明和町大佐貫。

 信蓮しんれんぼうひつじとし三月やよいみっかのひひるうまれてそうらひしかば、 としじゅうさんやらんとぞおぼえそうろふ。

  こうちょう三年さんねん二月きさらぎとおかのひ                 しん*

ª第三通の終りに別筆で 「徳治二年 (1307) ひのとのひつじ四月十六日 この御うはがきは故上 (かく) の御て也 覚如かくにょしるす」 「上人の御事ゑちごのあまごぜんの御しるし文」 とあり、 前者は覚如上人の自筆、 後者は覚恵法師の筆であるº

 

(4)

 *御文おんふみのなかに、 先年せんねんに、 かん三年さんねん四月うづきよっかのひよりませたまひてそうらひしときのこと、 きしるして、 ふみのなかにれてそうろふに、 そのときの日記にきには、 四月うづきじゅう一日いちにちのあかつき、 「きょうよむことは、 まはさてあらん」 とおおそうらひしは、 やがて四月うづきじゅう一日いちにちのあかつきとしるしてそうらひけるにそうろふ。 それをかぞそうろふにはようかのひにあたりそうらひけるにそうろふ。 四月うづきよっかのひよりはようかのひにあたりそうろふなり。

御文 弘長三年 (1263) 二月十日付の第三通を指す。

  *わかさ殿どのもうさせたまへ               ゑしん

わかさ殿申させたまへ わかさを覚信かくしんこうの侍女とみる説 (「申させたまへ」 は侍女への披露依頼文)、 わかさを覚信尼公とみる説 (「申させたまへ」 は敬愛の意の慣用表現) がある。

 

(5)

 もし便たよりやそうろふとて、 *ゑちう・・・へこのふみはつかはしそうろふなり。 さても*一年ひととせはちじゅうもうそうらひしとし*だいそらう(所労)をしてそうらひしにも、 *はちじゅうさんとし*いちじょうと、 ものしりたるひとふみどもにも、 おなじこころもうそうろふとて、 としはさることとおもひきりてそうらへば、 きてそうろふとき、 *卒都婆そとばをたててみそうらはばやとて、 じゅうそうろいしとうを、 たけしちさく(尺)にあつらへてそうらへば、 とうつくるともうそうらへば、 いできてそうらはんにしたがひてたててみばやとおもそうらへども、 *去年こぞかつに、 なにも、 益方ますかたのと、 *これのと、 なにとなくおさなきものども、 上下かみしもあまたそうろふを、 *ころさじとしそうらひしほどに、 ものもずなりてそうろふうへ、 しろきものをひとつもそうらへば、 (以下欠失)

ゑちうへこの文 「ゑちう」 を国名 「えっちゅう」 とする説と、 人名とみる説とがある。 また一説に 「ゑちごの文」 (越後の手紙) と読む。
一年 先年。
大事のそらう 生命にかかわる大病。
八十三の歳 この消息に日付はないが、 しんこうの年齢から弘長四年 (1264) のものであることがわかる。 なお、 同年は二月二十八日に文永と改元。
一定 確定していること。 ここでは死ぬことが定まっているという意。
卒都婆 梵語ストゥーパ (stūpa) の音写。 ここでは墓標のこと。 卒都婆は親鸞聖人のためのものとする説と、 しんこうがみずからの寿塔じゅとうとして建てたとする説とがある。
去年 弘長三年 (1263)。
これの 小黒女房の子どもたちと思われる。
殺さじ 「こころざし」 と読む説がある。

 ひとそうろふ。 またおと・・ほうもうそうらひしわらわをば、 とう・・ろうもうそうろふぞ。 それへまゐれともうそうろふ。 さおんこころえあるべくそうろふ。 けさ・・むすめじゅうしちになりそうろふなり。 さて、 ことり・・・もうおんなは、 ひとそうらはぬときに、 ななつになりそうろならわをやしなはせそうろふなり。 それはおやにつきてそれへまゐるべくそうろふなり。 よろづつくしがたくて、 かたくて、 とどめそうらひぬ。 *あなかしこ、 あなかしこ。

 

(6)

 便たよりをよろこびてもうそうろふ。 たびたび便びんにはもうそうらへども、 まゐりてやそうろふらん。

 としはちじゅうさんになりそうろふが、 去年こぞとし死年しにどしもうそうらへば、 よろづつねにもうしうけたまはりたくそうらへども、 たしかなる便たよりもそうらはず。

 さてきてそうろふときとおもそうらひて、 じゅうそうろとうの、 しちしゃくそうろいしとうをあつらへてそうらへば、 このほどはいだすべきよしもうそうらへば、 いまはところどもはなれそうらひて、 にんどもみなげうせそうらひぬ。 よろづたよりなくそうらへども、 きてそうろふとき、 たててもみばやとおもそうらひて、 このほどいだしてそうろふなれば、 これへつほどになりてそうろふとききそうらへば、 いかにしてもきてそうろふとき、 たててみばやとおもそうらへども、 いかやうにかそうらはんずらん。 そのうちにもいかにもなりそうらはば、 どももたてそうらへかしとおもひてそうろふ。

 なにごとも、 きてそうらひしときは、 つねにもうしうけたまはりたくこそおぼえそうらへども、 *はるばるとくものよそなるやうにてそうろふこと、 まめやかにおやちぎりもなきやうにてこそおぼえそうらへ。 ことにはおとにておはしましそうらへば、 いとほしきことにおもひまゐらせてそうらひしかども、 みまゐらするまでこそそうらはざらめ。 つねにもうしうけたまはることだにもそうらはぬこと、 *よにこころぐるしくおぼえそうろふ。

はるばると… 娘の覚信かくしんこうは京都にいて、 えちにいるしんこうから余りにも遠く隔たっているから、 きめ細やかな親子の情を心ゆくまで交すことが出来ないように思えるという意。
よに 非常に。

 「*文永ぶんえい元年がんねんきのえ

文永元年甲子 1264年。 覚信尼公の筆かと見られている。

   五月さつきじゅう三日さんにち

 *ぜんあく、 *それへの殿人とのびとどもは、 もとそうらひしけさ・・もうすも、 むすめうせそうらひぬ。 いまそれのむすめひとそうろふ。 *ははめもそらう(所労)ものにてそうろふ。 さて、 おと・・ほうもうそうらひしは、 *おとこになりて、 とう・・ろうもうすと、 またわらわふたば・・・もうわらわとしじゅうろくになりそうろわらわは、 それへまゐらせよともうしてそうろふなり。 なにごとも御文おんふみつくしがたくそうらひてとどめそうらひぬ。 また*もとよりのことり・・・*ななやしなはせてそうろふもそうろふ。

ぜんあく いずれにせよ。 ともかく。 ª「ぜんあく」 以下の一段は、 前段に続く追伸であるº
それへの殿人ども そちらへ参りお使いいただく人たち。
母めも… 母親 (けさ) も病身です。
男になり 成人して。
もとよりの もとからいました。
七つ子やしなはせて候ふも候ふ 七歳の子供を養わせております者もおります。 従来 「七つ子やしなはせて候ふ」 と読まれてきたが、 原本は 「七つ子やしなはせて候ふも候ふ」 と判断される。

   五月さつきじゅう三日さんにち (花押)

 これはたしかなる便たよりにてそうろふ。 ときに、 こまかにこまかにもうしたくそうらへども、 ただいまとて、 この便たよりいそぎそうらへば、 こまかならずそうろふ。 またこのゑもん・・・にゅうどう殿どのおんことばかけられまゐらせてそうろふとて、 よろこびもうそうろふなり。 この便たよりはたしかにそうらへば、 なにごともこまかにおおせられそうろふべし。 あなかしこ。

 

(7)

 便たよりをよろこびてもうそうろふ。

 さては*去年こぞ八月はづきのころより、 *とけはらのわづらはしくそうらひしが、 ことにふれてよくもなりそうろふばかりぞ、 わづらはしくそうらへども、 そのほかはとしにてそうらへば、 いまは*れてさうたい(正体)なくこそそうらへ。 としはちじゅうろくになりそうろふぞかし、 *とらとしのものにてそうらへば。

去年 文永二年 (1265)。
とけ腹 下痢と吐き気を伴った胃腸病かと思われる。
耄れて… もうろくして、 わけがわからなくなっています。
寅の年のもの この記述からしんこうが寿永元年 (1182) みずのえとらの誕生であることがわかる。

 またそれへまゐらせてそうらひしやつばらも、 とかくなりそうらひて、 ことり・・・もうそうろとしごろのやつにて、 三郎さぶろうもうそうらひしがあひしてそうろふが、 にゅうどうになりそうらひて、 さい・・しん・・もうそうろふ。 にゅうどうめには*ちあるもののなかの、 むまの・・・ぜう・・とかやもうして*にんにてそうろふもののむすめの、 としとおやらんになりそうろふを、 はは*よにおだしくよくそうらひし、 かが・・もうしてつかひそうらひしが、 一年ひととせ*うんびょうとしにてそうろふ。 おやそうらはねば、 ことり・・・なきものにてそうろふ。 ときにあづけてそうろふなり。

ちあるもの 血縁関係のある者という意味か。
御家人 一般には鎌倉幕府から本領安堵された武士のことだが、 ここでは武家に仕えている人というほどの意味であろう。
よにおだしくよく候ひし 本当におだやかでよい性格の者でありました。 「よく」 を 「かく」 「うく」 「うへ」 等と読む説がある。
温病 熱病。 はやりやまい。

 それまた、 けさ・・もうそうらひしむすめの、 なでし・・・もうそうらひしが、 よによくそうらひしも、 うんびょうにうせそうらひぬ。 そのははそうろふも、 としごろ、 かしら腫物はれものとしごろそうらひしが、 それも*とう*だいにて、 たのみなきともうそうろふ。 そのむすめひとそうろふは、 とし二十はたちになりそうろふ。 それとことり・・・、 また*いとく・・・、 また*それにのぼりてそうらひしとき、 おと・・ほうとてそうらひしが、 *このごろ、 とう・・ろうもうそうろふはまゐらせんともうそうらへば、 父母ちちははうちすててはまゐらじと、 こころにはもうそうろふともうそうらへども、 それはいかやうにもはからひそうろふ。 *かくゐなか*ひとにみをれてかわりをまゐらせんとも、 栗沢くりさわ (信蓮房)そうらはんずればもうそうろふべし。 ただしかわりはいくほどかはそうろふべきとぞおぼえそうろふ。 これらほどのおとこ*すくなくもうそうろふなり。

当時 いま。 現在。
大事 底本は湮滅いんめつして読めない。 ここでは 「大事」 (重い病気のこと) とする説に従った。
いとく 底本は 「い」 に続く二字が不明で、 他に 「こく」 「さく」 「とへ」 等と読む説がある。 使用人の名前と思われる。
それに 京都の覚信かくしんこうのもとへ。
このごろ 底本は 「ろ」 に続く一字が不明。
かく 底本では不明。 「かく」 かと思われる。
 底本では不明。 「人」 かと思われる。
すく 底本は湮滅いんめつして読めない。 「すく」 かと思われる。

 またそでたびたびたまはりてそうろふ。 うれしさ、 いまは*よみぢそでにてきぬそうらはんずれば、 もうすばかりそうらはず、 うれし*そうろふなり。 いまは*あま (恵信尼)そうろふものは、 さいのときのことはなしてはおもはずそうろふ。 いまはときにてそうらへば。

よみぢ小袖 死に装束のこと。 「よみぢ」 は黄泉。
く候 底本は湮滅して読めない。 「く候」 かと思われる。
尼が 「あまり」 と読む説がある。

 またたしかならん便びんに、 そでぶべきよしおおせられてそうらひし。 このゑもん・・・にゅうどう便たよりは、 たしかにそうらはんずらん。 また*さいしょう殿どのは、 ありつきておはしましそうろふやらん。 よろづ*公達きんだちのことども、 みなうけたまはりたくそうろふなり。 つくしがたくてとどめそうらひぬ。 あなかしこ、 あなかしこ。

宰相殿 覚信かくしんこう日野ひのひろつなとの間に生れた娘で、 実悟師の 「日野一流系図」 に 「字光玉」 とある女性にあたるとされる。
公達 子どもたち。

  九月ながつきなぬ

 またわかさ・・・殿どのも、 いまはとしすこしりてこそおはしましそうろふらめ。 あはれ、 *ゆかしくこそおもそうらへ。 としりては*いかがしくみてそうろひとも、 ゆかしくみたくおぼえそうらひけり。 かこの・・・まへ・・のことのいとほしさ、 じょうれん・・ばう・・のことも*おもひいでられて、 ゆかしくこそそうらへ。 あなかしこ、 あなかしこ。

ゆかしく 何となく慕わしく。 逢いたい。
いかがしくみて候ふ人 あまり感心しないように思っていた人。 どうかと思っていた人。
思ひいでられて 一説に 「とはせられて」 と読む。

                    *ちくぜん

ちくぜん しんこうの呼び名であろう。

  わかさ殿もうさせたまへ            *とひたのまきより

とひたのまき 恵信尼公の手紙の発信地。 現在の新潟県なかくび郡内で、 諸説があって確定しない。

 

(8)

 「*わかさ殿どの

わかさ殿 端裏書。 下部は欠失している。

 便たよりをよろこびてもうそうろふ。

 さては*としまであるべしとおもはずそうらひつれども、 としはちじゅうしちやらんになりそうろふ。 とらとしのものにてそうらへば、 はちじゅうしちやらんはちやらんになりそうらへば、 いまは*ときちてこそそうらへども、 としこそおそろしくなりてそうらへども、 *しはぶくことそうらはねば、 つわきなどくことそうらはず。 こしひざたするともうすこともとうまではそうらはず。 ただいぬのやうにてこそそうらへども、 としになりそうらへば、 あまりにものわすれをしそうらひて、 れたるやうにこそそうらへ。

今年 文永五年 (1268)。 恵信尼公八十七歳。
時日を待ちてこそ候へ 浄土へ往生させていただく時を待っているばかりです。
しはぶく せきをする。

 さても去年こぞよりは、 よにおそろしきことどもおほくそうろふなり。

 また*すかい・・・のものの便たよりに、 あやきぬびてそうらひしこと、 *もうすばかりなくおぼえそうろふ。 いまはときちてそうらへば、 これをやさいにてそうらはんずらんとのみこそおぼえそうらへ。 とうまでもそれよりびてそうらひしあやそでをこそ、 さいのときのとおもひてもちてそうらへ。 よにうれしくおぼえそうろふ。 きぬおもても、 いまだもちてそうろふなり。

すかい 一説に 「すりい」 と読む。 地名と考えられる。
申すばかりなくおぼえ候ふ お礼の申しようもありません。

 また公達きんだちのこと、 よにゆかしく、 うけたまはりたくそうろふなり。 *かみ公達きんだちおんことも、 よにうけたまはりたくおぼえそうろふ。 あはれ、 このにていまいちみまゐらせ、 またみえまゐらすることそうろふべき。 わが極楽ごくらくへただいまにまゐりそうらはんずれ。 *なにごともくらからず、 みそなはしまゐらすべくそうらへば、 *かまへておん念仏ねんぶつもうさせたまひて、 極楽ごくらくへまゐりあはせたまふべし。 なほなほ極楽ごくらくへまゐりあひまゐらせそうらはんずれば、 なにごともくらからずこそそうらはんずれ。

上の公達 覚信かくしんこうの娘宰相か、 長男かくほっのことであろう。
なにごともくらからず… どんなことも明らかにご覧になることができますから。
かまへて 必ず。

 またこの便びんは、 これにちかくそうろ*みこのおいとかやともうすものの便びんもうそうろふなり。 あまりにくらくそうらひて、 こまかならずそうろふ。 またかまへてたしかならん便たよりには、 綿わたすこしそうらへ。 *をはり・・・そうろふ、 ゑもん・・・にゅうどう便たよりぞ、 たしかの便たよりにてそうろふべき。 それもこのところに*まゐることのそうろふべきやらんとききそうらへども、 いまだろうせぬことにてそうろふなり。

みこ 巫女か。
をはりに候ふ 「これが最後です」 と解釈する説、 「わりにおります」 と解釈する説などがある。
まゐる 底本では上の二字が不明。 他に 「かかる」 「かへる」 等と読む説がある。

 また*くわうず(光寿)ぜんしゅぎょうくだるべきとかやおおせられてそうらひしかども、 これへはみえられずそうろふなり。

くわうず御前 覚信尼公の長男で、 後の覚恵法師。 かくにょ上人の父。

 またわかさ・・・殿どののいまはおとなしくとしりておはしそうろふらんと、 よにゆかしくこそおぼえそうらへ。 かまへて、 念仏ねんぶつもうして極楽ごくらくへまゐりあはせたまへとそうろふべし。

 なによりもなによりも公達きんだちおんこと、 こまかにおおそうらへ。 うけたまはりたくそうろふなり。 *一昨年おととしやらんうまれておはしましそうらひけるとうけたまはりそうらひしは、 それもゆかしくおもひまゐらせそうろふ。

一昨年やらん生れて… 一昨年は文永三年 (1266) にあたる。 この年に覚信尼公の次男唯善ゆいぜんが生れている。

 またそれへまゐらせそうらはんともうそうらひしわらわも、 一年ひととせおおうんびょうにおほくうせそうらひぬ。 ことり・・・もうそうろわらわも、 はやとしりてそうろふ。 ちちにんにてむまの・・・ぜう・・もうすもののむすめそうろふも、 それへまゐらせんとて、 ことり・・・もうすにあづけてそうらへば、 *よにとうげにそうらひて、 かみなども、 よにあさましげにてそうろふなり。 ただのわらわべにて、 いまいましげにてそうろふめり。

よに無道げに候ひて 非常に無作法なようすでありまして。

 けさ・・むすめわかば・・・もうわらわの、 としじゅういちになりそうろふがはらみて、 この三月やよいやらんにむべくそうらへども、 おのこならばちちそうらはんずらん。 さきにもいつつになるおのこみてそうらひしかども、 ちち相伝そうでんにて、 ちちりてそうろふ。 これもいかがそうらはんずらん。 わかば・・・ははは、 かしらになにやらんゆゆしげなる腫物はれもののいできそうらひて、 はやじゅうねんになりそうろふなるが、 いたづらものにて、 ときつやうにそうろふともうそうろふ。

 それにのぼりてそうらひしをり、 おと・・ほうとてわらわにてそうらひしが、 それへまゐらすべきともうそうらへども、 妻子めこそうらへば、 よもまゐらんとはもうそうらはじとおぼえそうろふ。 あま (恵信尼)りんず(臨終)そうらひなんのちには、 栗沢くりさわ (信蓮房)もうしおきそうらはんずれば、 まゐれとおおそうろふべし。

 また栗沢くりさわはなにごとやらん、 *のづみともう山寺やまでらに、 だん念仏ねんぶつはじめそうらはんずるに、 なにとやらんせんじまうすことのそうろふべきとかやもうすげにそうろふ。 *じょう殿どのおんためにともうそうろふめり。

のづみと申す… 「のづみ」 は、 現在の新潟県なかくび郡板倉町にある山寺薬師を指すという説と、 同県三島郡寺泊町野積であろうとする説とがある。 山寺薬師には、 栗沢信蓮しんれんぼうが不断念仏を行ったという伝承を持つ 「ひじりいわ」 がある。 なお、 不断念仏とは特定の日時を定めて昼夜不断に行う念仏修行のことをいう。
五条殿 親鸞聖人のことか。 ¬御伝鈔¼ (1057頁1行) に、 聖人が京都五条西洞院に居住していた旨の記述がある。

 なにごとももうしたきことおほくそうらへども、 あかつき便たよりのそうろふよしもうそうらへば、 よるそうらへば、 よにくらくそうらひて、 よもらんそうらはじとて、 とどめそうらひぬ。

 また、 はりすこしそうらへ。 この便びんにてもそうらへ。 御文おんふみのなかにれてぶべくそうろふ。 なほなほ公達きんだちおんこと、 こまかにおおせたびそうらへ。 うけたまはりそうらひてだになぐさみそうろふべくそうろふ。 よろづつくしがたくそうらひて、 とどめそうらひぬ。

 またさいさう(宰相)殿どの、 いまだ姫君ひめぎみにておはしましそうろふやらん。

 あまりにくらくそうらひて、 いかやうにそうろふやらん、 よもらんそうらはじ。

  三月やよいじゅうにち*とき

亥の時 午後十時頃。