高 僧 和 讃

愚禿親鸞作

 

龍樹菩薩 釈文に付けて 十首

 

(1)

 *りゅうじゅさつは、 ¬*だい智度ちどろん¼ や ¬十住毘婆娑論¼ など多くの書物を通して、 西方の浄土をほめたたえ、 念仏をわたしたちに勧めてくださった。

 

(2)

やがて南インドに龍樹菩薩という名の僧が現れ、 *有無うむ邪見じゃけんを打ち破るであろうと、 釈尊は説き示された。

 

(3)

龍樹菩薩は、 この上なく尊い*だいじょうの法を説き、 *かんの位にあって、 ひとすじに念仏を勧められた。

 

(4)

龍樹菩薩は、 この世に現れて*なんぎょうどう*ぎょうどうの違いを教え、 迷いの世界を生れ変り死に変りし続けているわたしたちを、 大いなる*本願ほんがんの船に乗せてくださる。

 

(5)

龍樹菩薩の教えを聞き信じた人は、 阿弥陀仏の本願を心に思い、 常にその*みょうごうを称えるがよい。

 

(6)

*退転たいてんの位を速やかに得ようと思う人は、 みなあつく敬う心から阿弥陀仏を疑いなく信じ、 その名号を称えるがよい。

 

(7)

苦しみに満ちた迷いの海はどこまでも果てしなく続いている。 その海に長い間沈んでいるわたしたちを、 阿弥陀仏の本願の船だけが、 必ず乗せて浄土に渡してくださる。

 

(8)

¬大智度論¼ に、 「仏はこの上なく尊い法の王である。 菩薩は王に仕える臣下であり、 もっとも重んじなければならないのは仏である」 といわれている。

 

(9)

すべての菩薩がたは、 「わたしたちがかつてさとりを求めていた時、 はかり知れないほどの長い年月をかけて、 さまざまな善い行いを修めてきたが…

 

(10)

…親しいものへの情愛を断ち切ることも、 生れ変り死に変りし続ける苦しみを取り除くこともできなかった。 *りきの念仏を修めてはじめて罪のさわりを滅し、 迷いの世界を抜け出すことができたのである」 といわれている。

 

以上、 龍樹菩薩

 

天親菩薩 釈文に付けて 十首

 

(11)

釈尊の教えは数多くあるけれども、 *天親てんじんさつは心をこめて、 *煩悩ぼんのうにまみれたわたしたちに、 阿弥陀仏の本願の教えを勧めてくださった。

 

(12)

阿弥陀仏の浄土のうるわしいすがたを見ることができるのは、 ただ仏がただけである。 その果てしないことは大空のようであり、 広大できわまりがない。

 

(13)

本願のはたらきに出会ったものは、 むなしく迷いの世界にとどまることがない。 あらゆる功徳をそなえた名号は宝の海のように満ちわたり、 濁った煩悩の水であっても何の分け隔てもない。

 

(14)

阿弥陀仏の浄土の聖者がたは、 さとりの花からおのずと生れ、 あらゆる願いが速やかに満たされる。

 

(15)

ゆるぎない心をそなえた浄土の聖者がたは、 本願の*智慧ちえの海から生れる。 その心のはたらきは清らかで、 大空のように分け隔てがない。

 

(16)

天親菩薩は一心に*無礙むげこう如来にょらい*みょうされた。 本願のはたらきにおまかせすることで、 真実の浄土に*おうじょうするといわれている。

 

(17)

その光がすべての世界に到り届いている無礙光如来に一心に帰命することこそ、 仏になろうと願う心すなわち願作仏心であると、 天親菩薩はいわれている。

 

(18)

仏になろうと願う心すなわち願作仏心は、 そのままあらゆるものを救おうとする心すなわち度衆生心である。 この度衆生心は、 阿弥陀仏のはたらきによる真実の信心である。

 

(19)

真実の信心は、 すなわち一心である。 一心は、 決して壊れることのない心すなわち金剛心である。 金剛心は、 さとりを求める心すなわち菩提心である。 この心が、 そのまま阿弥陀仏のはたらきすなわち他力である。

 

(20)

阿弥陀仏の浄土に往生すると、 速やかにこの上ない*はんのさとりを開き、 そのまま大いなる慈悲の心をおこすのである。 このことを阿弥陀仏のはたらきによる*こうというのである。

 

以上、 天親菩薩

 

曇鸞和尚 釈文に付けて 三十四首

 

(21)

*曇鸞どんらんだいは、 *だい流支るしに教え導かれ、 *せんぎょうをすべて焼き捨てて、 浄土の教えに深く帰依された。

 

(22)

曇鸞大師は、 *ろんの教えを捨てて本願他力の教えを説き示され、 煩悩に縛られた*ぼんを涅槃に到る道へと導き入れてくださった。

 

(23)

*とう*孝静こうせいていは、 曇鸞大師のもとを訪れ、 浄土への往生を願う理由について、 「あらゆる仏がたの国々はみな清らかである。 なぜ西方にある阿弥陀仏の浄土に限るのか」 と問うた。

 

(24)

曇鸞大師は、 「私は智慧が浅い凡夫であり、 いまだ不退転の位に至っていないので、 あらゆる浄土を等しく念じるには力がとうてい及ばない」 と答えられた。

 

(25)

出家のものも在家のものも、 みな帰依するところをもたずに迷っている中で、 曇鸞大師はただ一人、 阿弥陀仏に帰依し、 その浄土への往生を願うよう勧められた。

 

(26)

 曇鸞大師は、 東魏の孝静帝の勅命を受け、 *へいしゅう*大巌だいがんに住まわれていたが、 晩年に至り、 *ふんしゅう*げんちゅうに移られた。

 

(27)

 東魏の孝静帝は、 曇鸞大師を深く尊んで*神鸞じんらんとお呼びになり、 お住まいになっていたところを*鸞公らんこうがんと名づけられた。

 

(28)

曇鸞大師は、 玄中寺にお住まいになり、 本願他力の念仏を盛んに勧めてくださった。 *とうこう四年に、 平遥の山寺に移られた。

 

(29)

曇鸞大師は、 六十七歳で臨終の時を迎え、 浄土に往生をとげられた。 その時、 *尊く不思議な出来事がおこり、 出家のものも在家のものも、 みな帰依し敬った。

 

(30)

孝静帝は深い敬いの思いから勅命を下し、 速やかに汾州*汾西ふんせいたいりょうにある名勝に曇鸞大師の廟を建てられた。

 

(31)

天親菩薩の ¬*じょうろん¼ の教えを、 曇鸞大師が ¬*おうじょうろんちゅう¼ に詳しく示してくださらなかったなら、 広大ですぐれた功徳をそなえた他力の信心と念仏を、 どうして知ることができたであろう。

 

(32)

すべてのものを速やかに完全なさとりに至らせる唯一最上の本願は、 *ぎゃく*じゅうあくのものも摂め取ってくださると信じるところに、 煩悩とさとりは別のものではないと速やかにさとらせてくださる。

 

(33)

*しゅ不可ふか思議しぎの中で、 仏法力の不可思議に及ぶものはない。 その不可思議とは、 阿弥陀仏の本願のはたらきをいわれたものである。

 

(34)

阿弥陀仏による回向が成就して、 浄土に往生して成仏するという往相と迷いの世界に還って人々を救うという還相とが、 わたしたちの上にあらわれる。 これらの回向によってこそ、 信心と念仏をともに得させていただくのである。

 

(35)

往相の回向として説かれているのは、 阿弥陀仏の巧みな手だてが時機を得て、 本願の信心と念仏を与えられ、 迷いとさとりを等しく見るという仏のさとりを開かせていただくということである。

 

(36)

還相の回向として説かれているのは、 わたしたちに思いのままに人々を教え導くというさとりを与えられ、 ただちに迷いの世界に戻って、 大いなる慈しみの心からあらゆるものを救わせていただくということである。

 

(37)

天親菩薩が ¬浄土論¼ に説かれた一心を、 曇鸞大師は、 煩悩にまみれたわたしたちがいただく他力の信であるといわれている。

 

(38)

すべての世界に到り届いている阿弥陀仏の*無礙むげこうは、 *みょうの闇を明るく照らし、 信心を得て阿弥陀仏の救いを喜ぶ人に、 必ず仏のさとりを開かせるのである。

 

(39)

阿弥陀仏の無礙光のはたらきにより、 広大ですぐれた功徳をそなえた信心を得ることで、 必ず煩悩の氷が解けてさとりの水となる。

 

(40)

罪のさわりは、 そのまま転じられて功徳となる。 それは氷と水にたとえられ、 氷が多いと解けた水も多いように、 罪のさわりが多いと転じた功徳も多い。

 

(41)

思いはかることのできない功徳をそなえた名号の海水には、 五逆のものや*謗法ほうぼうのもののしかばねは残らない。 さまざまな川も海に流れこめば一つの味になるように、 あらゆるものが犯した悪の川が流れこむと、 功徳の海水と一つの味になる。

 

(42)

*じん十方じっぽう無礙むげこう如来にょらいの大いなる慈悲の本願の海に、 あらゆる煩悩の川が流れこむと、 智慧の海水と一つの味になる。

 

(43)

阿弥陀仏の浄土に生れるということは、 間違いなくさとりを開く道であり、 この上なくすぐれた手だてであるので、 あらゆる仏がたが浄土への往生をお勧めになった。

 

(44)

仏がたの身・口・意の行いが清らかでまったく平等であるのは、 あらゆるものの嘘いつわりに満ちた身・口・意の行いをすべて治してお救いになるためであるといわれている。

 

(45)

阿弥陀仏の浄土に往生するには、 この上ない宝玉にたとえられる名号と、 そのはたらきによる真実の信心の他に、 別の道は何一つないと説かれている。

 

(46)

阿弥陀仏の清らかな本願による浄土への往生は、 生ずることも滅することもないさとりの生であるから、 もとの世で*ぼんの違いがあっても、 そこではもはや何の違いもない。

 

(47)

無礙光如来の名号とその智慧のすがたである光明とは、 無明煩悩の暗く長い闇を破り、 あらゆるものの願いを満たしてくださる。

 

(48)

名号のいわれの通りに行を修めないということを、 曇鸞大師は、 「一つには疑いがあって信心が篤くない。 ある時は往生できると思い、 ある時はできないと思うからである。 だから…

 

(49)

…二つには信心が一つでない。 信が決定していないからである。 だから、 三つには信心が相続しない。 他の思いがまじるからである」 といわれている。

 

(50)

これら三つの信は、 互いに関わりあって成り立っている。 往生を願う行者は、 心しなければならない。 信心が篤くないから決定の信がない。

 

(51)

決定の信がないから信心が相続しない。 信心が相続しないから決定の信を得ない。

 

(52)

決定の信を得ないから信心が篤くないといわれている。 名号のいわれの通りに行を修めるということは、 真実の信心一つによる他はない。

 

(53)

さまざまな善い行いを*りきで修めるという劣った小路から、 唯一信心の本願というすぐれた大道に入ったなら、 速やかに涅槃のさとりが開かれる。

 

(54)

*りょうていは、 曇鸞大師を深く敬い、 常にお住まいになっている方に向かって、 鸞菩薩と礼拝されていた。

 

以上、 曇鸞和尚

 

道綽禅師 釈文に付けて 七首

 

(55)

 *どうしゃくぜんは、 さまざまな行を説く*しょうどうもんではなく、 ただ*じょうもんだけがさとりに至ることができる道であると説かれている。

 

(56)

道綽禅師は、 ¬*はんぎょう¼ の教えを説くことを止め、 阿弥陀仏の本願他力の教えを疑いなく信じて自らの道とし、 さまざまな濁りに満ちた世のすべての人々に勧めてくださった。

 

(57)

*末法まっぽうというさまざまな濁りに満ちた世に生きるものは、 聖道門の行を修めても、 一人としてさとりを得ることはないと、 釈尊は説き示された。

 

(58)

曇鸞大師の教えを受け継いだ道綽禅師は、 この世でさとりを求める心を起して行を修めることは自力であると明らかにされた。

 

(59)

さまざまな濁りに満ちた世で悪事を犯し罪をつくることは、 まるで襲い来る暴風や豪雨のようである。 あらゆる仏がたはこのようなものを哀れんで、 浄土の教えに帰依するようお勧めになっている。

 

(60)

たとえ生涯悪をつくり続けたとしても、 ひたすら阿弥陀仏を心に思い、 常に念仏する身となったら、 すべてのさわりはおのずと除かれる。

 

(61)

阿弥陀仏は、 生涯悪をつくり続けるものであっても必ず摂め取ろうと、 本願に 「わが名を称えて、 もし生れることができないようなら、 さとりを開かない」 とお誓いになっている。

 

以上、 道綽大師

 

善導大師 釈文に付けて 二十六首

 

(62)

海のように大いなる阿弥陀仏の慈悲の心によって、 *善導ぜんどうだいはこの世にお出ましになった。 さまざまな濁りに満ちた末法の世のもののために ¬*かんぎょうしょ¼ を著し、 その内容が仏のおこころにかなっていることの証明をすべての世界の仏がたに請われた。

 

(63)

善導大師は何度もこの世にお出ましになり、 *ほっしょう*しょうこうとして姿を現し、 この上ない功徳をそなえた名号のはたらきを説き示すことで、 あらゆる仏がたの本意を明らかにしてくださった。

 

(64)

阿弥陀仏の本願名号によらなければ、 どれほど長い時をかけたとしても、 五つの障りから離れられない女性は、 どうしてその身をさとりの身へと転じることができるであろう。

 

(65)

釈尊は*要門ようもんの教えを開き示すことで、 さまざまな行を修めるものを教え導いて、 *正行しょうぎょう*ぞうぎょうの違いを明らかにし、 ただひとすじに本願の名号を称えるようお勧めになる。

 

(66)

*正定しょうじょうごう*助業じょごうをともに往生の因として修めるものは、 *雑修ざっしゅの人といわれている。 これは真実の信心を得ていない人であるから、 仏のご恩に報いようとする心もおこらない。

 

(67)

専ら阿弥陀仏の名号を称えていても、 この世の利益をいのり求める行者であれば、 之も雑修といわれ、 往生できるのは千人に一人もいないと退けられた。

 

(68)

その意味するところは同じではないが、 雑行と雑修はよく似ている。 浄土に生れる行でないものを、 すべて雑行といわれている。

 

(69)

善導大師は、 あらゆる仏がたに証明を請い、 自力のこころをひるがえさせるために、 *貪欲とんよく*しん二河にがたとえを説き、 第十八願の信心を護ってくださった。

 

(70)

さとりへの道を説くすべての教えが失われても、 釈尊がこの世にお出ましになった本意として説かれた阿弥陀仏の本願の教えに出会ったなら、 凡夫であっても真実の信心を得てさとりを開くことができる。

 

(71)

思いはかることのできない阿弥陀仏のはたらきは、 迷いの世界につなぎとめるどのような悪い行いにもさまたげられないので、 その大いなる本願のはたらきを*ぞうじょうえんといわれている。

 

(72)

本願のはたらきによって成就された浄土には、 自力の信と行では往生できないので、 大乗や*小乗しょうじょうの聖者であっても、 みな本願のはたらきにおまかせするのである。

 

(73)

煩悩を身にそなえたものであると知らされて、 本願のはたらきにおまかせする身となったら、 命を終える時、 煩悩にまみれたこの身を捨て去って、 浄土で変ることのない真実のさとりを開かせていただくのである。

 

(74)

釈尊と阿弥陀仏は慈悲深い父母である。 巧みな手だてをさまざまに施し、 わたしたちにこの上ない真実の信心をおこさせてくださった。

 

(75)

真実の信心をその身に得た人は、 決して壊れることのない心をそなえているので、 *三品さんぼんのそれぞれに応じた*さんをする人に等しいと、 善導大師はいわれている。

 

(76)

さまざまな濁りと悪に満ちた世に生きるわたしたちこそ、 決して壊れることのない信心ただ一つで、 永遠に迷いの世界を離れ去って、 真実の浄土に往生させていただくのである。

 

(77)

決して壊れることのない信心が定まるまさにそのとき、 阿弥陀仏の光明はわたしたちを摂め取り、 永遠に迷いの世界を離れさせてくださる。

(78)

善導大師は、 真実の信心を得ていないことを、 一心が欠けていると教えられた。 そのような人は、 みな*三信さんしんと示された真実の信心を得ていないと思うがよい。

 

(79)

阿弥陀仏のはたらきによって真実の信心を得た人は、 本願のおこころにかなっているので、 釈尊の教えと仏がたのお言葉に従うのであり、 外からのさまざまなさまたげを受けることはない。

 

(80)

他力の念仏のいわれを聞いて疑いなく信じている人こそ、 もっともすぐれてたぐいまれな人であるとほめ、 その身に真実の信心を得ていると善導大師は明らかにされた。

 

(81)

本願のおこころにかなっていないので、 行者の心はさまざまなさまたげを受けて乱れるのである。 このような心には真実の信心はない、 と善導大師はいわれている。

 

(82)

真実の信心は阿弥陀仏の本願から生じるので、 おのずと念仏によって仏のさとりが開かれる。 そのはたらきは真実の浄土にそなわっているので、 間違いなくこの上ないさとりを開くのである。

 

(83)

さまざまな濁りに満ちた時代には、 多くのものが阿弥陀仏の本願を疑い謗るようになり、 出家のものも在家のものも互いに憎みあい、 行を修める人を見てはさまたげようとする。

 

(84)

本願を謗り滅ぼそうとするものたちは、 物事を正しく見ることができず、 さとりを開くことができないといわれている。 それらのものは果てしなく長い間、 *ごく餓鬼がきちくしょうという迷いの世界に沈み続けるのである。

 

(85)

これまでも西方浄土への道を教え示されていたが、 自他ともに信じることをさまたげてきたために、 はかり知ることのできない遠い昔から、 いたずらに迷いの世界でむなしく時をすごしてきたのである。

 

(86)

阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなければ、 はたしていつ*しゃ世界を出ることができるであろう。 仏のご恩を遠く思い、 常に阿弥陀仏の名号を称えるがよい。

 

(87)

娑婆世界での果てしなく長い間の苦を捨て、 浄土でさとりを得ると期することができるのは、 釈尊のお力によるのである。 いつもその大いなる慈悲の恩に報いるがよい。

 

以上、 善導大師

 

源信大師 釈文に付けて 十首

 

(88)

*源信げんしんしょうは、 「私はもと仏であり、 人々を救うためにこの世に現れてきたのであるが、 その縁が尽きたので浄土にかえるのである」 といわれた。

 

(89)

源信和尚は心をこめて、 釈尊がお説きになった教えの中からただ念仏の教えを説き示し、 さまざまな濁りに満ちた末法の世のものを教え導かれた。

 

(90)

かつて*りょうじゅせんで釈尊の教えを聞いておられた源信和尚は、 真実の浄土と*方便ほうべんの浄土の違いを教え示し、 念仏をもっぱら修めることが、 さまざまな行を修めることよりも、 はるかにすぐれていると明らかにされた。

 

(91)

源信和尚は、 *かん禅師が ¬*ぐんろん¼ に引用された ¬*さつ処胎しょたいきょう¼ によって、 さまざまな行を修めたものの往生する方便の浄土が*まんがいであると明らかにされた。

 

(92)

源信和尚は、 念仏をもっぱら修める人をほめ、 真実の浄土に往生できないものは千人に一人もいないと教え、 さまざまな行を修める人を嫌い、 真実の浄土に往生できるものは万人に一人もいないといわれた。

 

(93)

源信和尚は、 念仏一つをもっぱら修めて真実の浄土に往生するものは多くなく、 さまざまな行を修めて方便の浄土に生れるものは少なくないと教え示された。

 

(94)

男女や貴賎などの分け隔てなく、 阿弥陀仏の名号を称えることは、 歩いていても、 とどまっていても、 座っていても、 臥していても問われることはなく、 どのような時、 どのようなところ、 どのような状況であってもさまたげにならない。

 

(95)

煩悩に眼をさえぎられて、 あらゆるものを摂め取るという阿弥陀仏の光明を見ることはできないが、 その大いなる慈悲は見捨てることなく、 常にわたしを照らしてくださっている。

 

(96)

阿弥陀仏の真実の浄土に生れようと願う人は、 その姿や身の振る舞いはさまざまであっても、 本願の名号を疑いなく信じ、 寝ても覚めても忘れることがあってはならない。

 

(97)

源信和尚は、 「きわめて深く重い罪悪をかかえているものが救われるには、 他の手だては何一つない。 ただひとすじに阿弥陀仏の名号を称えることで、 浄土に生まれることができる」 といわれている。

 

以上、 源信大師

 

源空聖人 釈文に付けて 二十首

 

(98)

*源空げんくうしょうにんがこの世に現れて、 あらゆるものをさとりに至らせる阿弥陀仏の本願の教えを説き示し、 日本全土に浄土の教えが広まる*えんがあらわれた。

 

(99)

阿弥陀仏の智慧光のはたらきにより、 源空聖人がこの世に現れて浄土の真実の教えを説き示し、 往生の行として念仏を選び取られた阿弥陀仏の本願を説いてくださった。

 

(100)

善導大師や源信和尚が勧められても、 源空聖人が説きひろめてくださらなかったなら、 インドから遠く離れた日本で、 さまざまな濁りに満ちた世に生きるものたちは、 どうして真実の教えを知ることができたであろう。

 

(101)

果てしなく長い間、 生れ変り死に変りし続けてきたものは、 迷いの世界を離れさせる本願のすぐれたはたらきを知らなかった。 もし源空聖人がおられなければ、 このたびの生涯もむなしくすごしたことであろう。

 

(102)

源空聖人は、 十五歳の時、 *じょうの道理に気づいて迷いの世界を厭い離れようという思いを明らかにし、 さとりへの道に入られた。

 

(103)

源空聖人の智慧や修められた行はこの上なく、 かつて聖人の師であった聖道門の方々もみなそろって敬い、 *一心いっしん金剛こんごうかいかいと仰がれた。

 

(104)

源空聖人はご在世の時、 その身から金色の光を放たれた。 *じょう兼実かねざね公が、 そのお姿をまのあたりに拝見されたのである。

 

(105)

世間の人々がいい伝えるところによると、 源空聖人の*ほんを道綽禅師であるとたたえ、 また、 善導大師としてお姿を示されたとたたえている。

 

(106)

源空聖人は、 勢至菩薩として、 あるいは阿弥陀仏として、 人々の夢にそのお姿を現された。 そのために、 上皇や大臣をはじめ都や地方の庶民に至るまで、 みな敬い仰いだのである。

 

(107)

*高倉たかくらいんは、 源空聖人を深く敬われた。 僧侶や学者達も、 みなひとしく真実の教えに帰してその道に入った。

 

(108)

あらゆる仏がたは、 すべてのものを救うための時機が熟したので、 源空聖人としてそのお姿を現され、 この上ない真実の信心を教えて、 涅槃に到る道を開いてくださった。

 

(109)

真実の*ぜんしきに出会うのは、 難しいことの中でも特に難しい。 迷いの世界を果てしなく生れ変り死に変りし続けるのは、 まさしく本願を疑うというさまたげによるのである。

 

(110)

源空聖人は、 その身から光明を放って、 その姿を日頃から門弟たちにお見せになり、 賢いものも愚かなものも区別することなく、 貧富や身分の違いによって分け隔てをすることもなかった。

 

(111)

源空聖人は、 命を終えようとする時が近づくと、 浄土に往生するのは三度目となったが、 このたびの往生は特にとげやすい、 とおっしゃった。

 

(112)

源空聖人は、 かつて霊鷲山で釈尊の教えを受けていた時、 仏弟子たちとともに*頭陀ずだの行を修め、 多くのものを教え導いた、 と自らおっしゃった。

 

(113)

源空聖人は、 インドから遠く離れた日本という辺境にお生まれになり、 念仏して往生するという教えをひろめてくださった。 迷いの世界のあらゆるものを教え導くために、 この世に何度も現れてくださった。

 

(114)

阿弥陀仏は、 まさに源空聖人としてそのお姿を現された。 人々を教え導く縁が尽きたので、 浄土におかえりになったのである。

 

(115)

源空聖人が命を終えようとする時、 紫色の雲がたなびくように光明が輝き、 やさしくうるわしい音色が響きわたり、 妙なる香りがあたりに満ちわたった。

 

(116)

出家のものも在家のものも、 男も女も早くから集まり、 また公卿や殿上人もむらがるように集まっていた。 源空聖人は、 頭を北に、 顔を西に向け、 右脇を下にして横たわり、 釈尊*にゅうめつのお姿にしたがって命を終えられた。

 

(117)

源空聖人が命を終えられたのは、 *けんりゃく二年正月二十五日のことであり、 この日をもって浄土におかえりになった。

 

以上、 源空聖人

 

以上、 七高僧和讃 一百十七首

 

(118)

さまざまな濁りと悪に満ちた世で、 往生の行として念仏を選び取られた本願を信じるものには、 たたえ尽すことも、 説き尽すことも、 思いはかることもできない功徳が満ちているのである。

 

インド 龍樹菩薩

    天親菩薩

中 国 曇鸞和尚

    道綽禅師

    善導禅師

日 本 源信和尚

    源空聖人

     以上七人

 

聖徳太子 敏達天皇元年 正月一日に誕生したまう。

仏滅後千五百二十一年に相当する。

 

(119)

南無阿弥陀仏の名号には、 あらゆる功徳が海のように満ちていると説き示してくださった。 その清らかな功徳を供える身となったいま、 ひとしくすべてのものにその功徳を伝えていこう。

 

大陵 原文は、 「秦陵」 であるが、 これは 「大陵」 の誤伝と考えられている。 ¬俗高僧伝¼ には、 曇鸞大師の霊廟の建てられた場所を 「汾西泰陵文谷」 と示しているが、 この 「泰陵」 の 「泰」 の字は、 「大陵」 の 「大」 の字と音通字であり、 その 「泰」 の字が字形の似ている 「秦」 と誤って伝承されたものと考えられている。
ただちに迷いの世界に戻って 原文は、 「すなはち所有に回入して」 であるが、 このなか 「すなはち」 について 「即座に・ただちに」 とみる解釈と、 「そのまま」 とみる解釈がある。 前者によれば 「浄土で利他教化の果を得れば、 ただちに生死の世界に戻りあらゆるものを救う」 という意となり、 後者によれば 「浄土で利他教化の果を得るということは、 それはそのまま生死の世界に戻りあらゆるものを救うということである」 という意となる。 本現代語訳では、 前者にしたがって訳しておいた。
これら三つの…立っている 原文は、 「三信展転相成す」 であるが、 このなか、 「三信」 について、 「淳心・一心・相続心」 の他力の三信であるとみる解釈と、 「不淳・不一・不相続」 の自力の三不信であるとみる解釈がある。 前者は、 三信が展転相成することを表しているとみる解釈であり、 後者は、 この語の前後の和讃の文が三不信について示されていることから、 ここも自力の三信のことを表しているとみる解釈である。 本現代語訳では、 前者にしたがって訳しておいた。
さまざまな善い行い…大道に入ったなら 原文は、 「万行諸善の小路より本願一実の大道に、 帰入しぬれば」 であり、 「万行諸善」 「本願一実」 を 「小路」 「大道」 として比喩的に示されたものであるが、 教法の権実を表したものとみる解釈と、 せっの広狭を表したものとみる解釈がある。 前者は、 ¬教行信証¼ 「信文類」 に、

「道」 はすなはちこれ本願一実の直道、 大般涅槃、 無上の大道なり。 「路」 はすなはちこれ二乗・三乗、 万善諸行の小路なり。

とあり、 また、 ¬愚禿鈔¼ に、

「白道」 とは、 白の言は黒に対す、 道の言は路に対す、 白とは、 すなはちこれ六度万行、 定散なり。 これすなはち自力小善の路なり。

とあることから、 「小路」 は聖道門並びに浄土門の自力仮門を表し、 「大道」 は弘願他力を表したものであるとして教法の権実を示されたものとみる解釈である。 後者は、 ¬観経疏¼ 「散善義」 の回向発願心釈に、 「中間に一の白道を見るも、 きはめてこれ狭小なり」 とあり、 また、

「中間の白道四五寸」 といふは、 すなはち衆生の貪瞋煩悩のなかに、 よく清浄の願往生心を生ずるに喩ふ。 すなはち貪瞋強ききによるがゆゑに、 すなはち水火のごとしと喩ふ。 善心微なるがゆゑに、 白道のごとしと喩ふ。

とあって、 「白道」 が狭小に見えるのは、 煩悩に覆われて善心が微少であるからと示しているが、 同時にそれは、 そうした衆生を摂取する 「大道」 であることを示されたものである。 したがって、 「万行諸善」 は衆生の善悪・利鈍を選ぶ 「小路」 であり、 弘願他力は衆生を選ばず斉しく摂取する 「大道」 であることを表したものであるとして、 摂機の広狭を示されたものとみる解釈である。 本現代語訳では、 前者にしたがって訳しておいた。
二河の譬え 二河びゃくどう貪瞋とんじん二河の譬喩ともいう。 浄土往生を願うものが、 信を得て浄土に至るまでを譬喩によって表したもの。 善導大師の ¬かんぎょうしょ¼ 「散善さんぜん」 に説かれる。
 ある人が西に向かって独り無人の原野を進んで行くと、 忽然として水火の二河に出会う。 火の河は南にあり、 水の河は北にあって、 河の幅はそれぞれわずかに百歩ほどであるが、 深くて底がなく、 また南北に果てしなく続いている。 ただ二河の中間に一筋の白道があるが、 幅四、 五寸ほどであり、 水と火とが常に押し寄せている。 そこに南からも北からも、 群賊や悪獣がその人を殺そうと後ろから迫ってくる。 その人は、 往くも還るも止まるも、 どれ一つとして死を免れることができない。 思い切って二河の間の白道を進んで行こうと思った時、 東の岸から 「このみちたずねてけ」 と勧める声が、 また西の岸から 「ただちにきたれ、 われよくなんぢをまもらん」 と呼ぶ声がする。 東の岸の群賊たちは危険だから戻れと誘うが、 その声を顧みることなく、 一心に疑いなく進むと西の岸に到達し、 諸難を離れ善友とあいまみえることができたという。
 火の河は衆生の瞋憎しんぞう、 水の河は貪愛とんない、 無人の原野は真のぜんしきに遇わないこと、 群賊はべつべつぎょうがくけんの人、 悪獣は衆生の六識ろくしき六根ろっこんうんだいにたとえる。 白道は浄土往生を願う清浄の信心であり、 また本願力をあらわす。 東岸の声はしゃ世界における釈尊の発遣はっけんの教法、 西岸の声は浄土の阿弥陀仏の本願のしょうかんにたとえる。
物事を正しく見ることができず 原文は、 「生盲」 であり、 物事を正しく見ることができない人という意味であるが、 それらの人々を 「生盲」 とたとえることにより、 身心に障がいをもつ人を差別して傷つけ痛めつけることになるのなら、 大きな誤りといわねばならない。
阿弥陀仏の名号を称えるがよい 原文は、 「弥陀を念ずべし」 であるが、 このなか、 「念ずべし」 について、 「心に阿弥陀仏を念ずる」 とみる解釈と、 「口に名号を称える」 とみる解釈がある。 本現代語訳では、 後者にしたがって訳しておいた。
東魏 せん族の拓跋たくばつけい (道武帝) がへいじょう (現在の山西さんせい大同だいどう) を都にして建てた国を魏といい、 534年、 内紛によって東魏、 西魏に分裂した。
孝静帝 (524-552) 東魏の皇帝。
并州 現在の山西さんせい太源たいげん付近。
汾州 現在の山西省汾陽ふんよう
神鸞 不思議な徳をもっている曇鸞大師の意。
東魏の興和四年 542年。
尊く不思議な出来事 伝記 (¬俗高僧伝¼) には、 美しい花のばんがいなどのしょうごんが建物の中に映り、 かぐわしい香気やうるわしい音楽があたりに満ちわたったと記されている。
汾西 汾州を流れる汾水ふんすいの西という意。
機縁 教えを信受する衆生、 また教えを説くにふさわしい状況のこと。
一心金剛戒の戒師 天台宗に相伝する菩薩戒 (円頓えんどんかい) を授ける師
建暦二年 1212年。 源空上人80歳。