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一 当流安心のをもむきといふは、 たとへば在家の身ならば一心一向に阿弥陀仏をたのみて、 我身の罪障深重なることをばうちすてゝ、 ふかく弥陀如来にまかせまひらせて、 かゝるあさましき機をたすけまします本願なりと信じて、 たのむこゝろの一念もうたがひなくは、 やがて我往生は一定とおもふべし。 これを ¬経¼ (大経巻下) には 「即得往生住不退転」 ととき、 また釈には 「一念発起入正定之聚」 (論註巻上意) ともいへり。 かくのごとくこゝゑえてののちは、 弥陀如来の御恩のありがたさたふとさのうへには、 行住座臥に称名念仏をまうすべきばかりなり。 このほかには当流にをひておくふかきことはなきものなり。

あなかしこ、 あなかしこ。