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当流安心のをもむきは、 なにのわづらひもなく在家止住の身は一心一向に阿弥陀仏に帰命したてまつりて、 我身の罪障の深重なることをもこゝろにかけず、 たゞふかく弥陀如来にまかせまひらせて、 かゝるあさましき機を本とたすけまします本願なりと信じて、 ふかくたのむ心の一分もうたがひなきこゝろの一念をこるとき、 やがてわが往生はさだまるなり。 さればこれを ¬大経¼ (巻下) には 「即得往生住不退転」 ともとき、 また釈には 「入正定之聚」 (論註巻上意) とも釈したまへり。 かくのごとくこゝろえてののちは、 一心に弥陀如来のやすくたすけまします御恩のありがたさたふとさのうへには、 昼夜朝暮に称名念仏申すべきばかりこそ、 当流の真実信心の行者とはいふべけれ。 このほかにはさらにおくふかき安心とてはあるべからざるものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

光徳(別紙)寺御坊

(花押)