しょうみょうはまん 称名破満 称名によって衆生の無明の闇が破られ (破闇)、 往生成仏の志願が満たされる (満願) ことをいう。 曇鸞は ¬論註¼ 讃嘆門釈に 「かの無礙光如来の名号は、 よく衆生の一切の無明を破す、 よく衆生の一切の志願を満てたまふ」 (信巻引文) といい、 その後、 名号には破闇満願のはたらきがあるのに、 称名憶念しても破満しないのはなぜかと問い、 二知 (実相身・為物身を知ること)・三信 (淳心・一心・相続心) の如実修行相応でなければならないと答える。 これをうけて親鸞は、 その名号が衆生の上にあらわれ出た他力の称名念仏にも破闇満願のはたらきがあることを示し、 「行巻」 に 「名を称するに、 よく衆生の一切の無明を破し、 よく衆生の一切の志願を満てたまふ。 称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。 正業はすなはちこれ念仏なり。 念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり」 と述べている。