しょうじょうじゅ 正定聚 必ずさとりを開いて仏になることが正しく定まっているともがらのこと。 一般には菩薩五十二位の修道階位のうちの初地もしくは八地をいう。 あるいは一生補処の位とすることもある。 ¬大経¼ 第十一願文には 「定聚に住し、 かならず滅度に至らずは」、 第十一願成就文には 「かの国に生るるものは、 みなことごとく定聚の聚に住す」 と説かれている。 曇鸞は、 龍樹の ¬十住毘婆娑論¼ で説かれた阿毘跋致 (不退転) を正定聚と理解し、 それは五果門の中の近門・大会衆門に当たるとした。 ¬論註¼ には 「仏力住持してすなはち大乗正定の聚に入る。 正定はすなはちこれ阿毘跋致なり」 (行巻引文) とある。 親鸞は、 「行巻」 に 「いかにいはんや十方群生海、 この行信に帰命すれば摂取して捨てたまはず。 ゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。 これを他力といふ。 ここをもつて龍樹大士は即時入必定といへり。 曇鸞大師は入正定之数といへり」 等といい、 正定聚は他力信心の行者が平生の信の一念に与えられる利益であるとし、 これを現生正定聚という。 なお、 親鸞は ¬論註¼ 妙声功徳の文を 「もし人ただかの国土の清浄安楽なるを聞きて、 剋念して生ぜんと願ぜんものと、 また往生を得るものとは、 すなはち正定聚に入る」 (証巻引文) と読みかえ、 剋念願生する者 (此土) と浄土に往生した者 (彼土) との2種の正定聚があるとし、 彼土での正定聚をも示している。 彼土での正定聚は、 浄土に往生して仏のさとりを開いた者が示現する相 (広門示現相) とされる。 →現生十種の益、 補註6。