ねんしょうぜいち 念声是一 「念」 と 「声」 とは同一であるということ。 善導が第十八願文の 「乃至十念」 を 「下至十声」 と解釈したことをうけて、 法然は ¬せんじゃくしゅう¼ に 「経には十念といふ、 釈には十声といふ。 念・声の義いかん。 答へていはく、 念・声は是一なり」 と示している。 →十念念仏