もんそくしん 聞即信 浄土真宗における聞と信との関係のことで、 聞くことがそのまま信心であり、 聞のほかに信はないということ。 第十八願成就文に 「その名号を聞きて信心歓喜せんこと、 乃至一念せん (聞其名号信心歓喜乃至一念)」 とある中の 「聞」 と 「信」 について、 親鸞は 「信巻」 に 「聞といふは、 衆生、 仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、 これを聞といふなり。 信心といふは、 すなはち本願力回向の信心なり」 と述べ、 また ¬一多文意¼ に 「聞其名号といふは、 本願の名号をきくとのたまへるなり。 きくといふは、 本願をききて疑ふこころなきを聞といふなり。 またきくといふは、 信心をあらわす御のりなり。 信心歓喜乃至一念といふは、 信心は如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり」 と述べている。 →仏願の生起本末聞信義相