じかいさんぜん 自開散善 ¬観経¼ 十六観すべてがだいの請いにより説かれたとする聖道諸師の説に対して、 善導は、 韋提希の請いにより説かれたのは定善のみ (致請定善) で、 散善釈尊自らがすすんで説き開いたとしたこと (自開散善)。 「玄義分」 には 「問ひていはく、 定散二善はたれの致請による。 答へていはく、 定善の一門は韋提の致請にして、 散善の一門はこれ仏の自説なり」 とある。 なお、 この善導の説は、 定善を行じ得ない者に応じて散善が示されたとするもので、 「序分義」 には 「もし定行によれば、 すなはち生を摂するに尽きず。 これをもつて如来方便して三福を顕開して、 もつて散動の根機に応じたまへり」 (化身土巻引文) と述べている。