いっぴゃくばんのぎ 一百番の義 善導が ¬観経¼ の九品を解釈するにあたって各品を十一の内容に分類したこと。 九品それぞれを十一に分類したため正確には九十九であるが、 大数に約して一百番という。 「散善義」 には 「いまこの十一門の義は、 九品の文に約対するに、 一々の品のなかにつきてみなこの十一あり。 すなはち一百番の義となす」 とある。 なお、 九品それぞれの文についてみると、 上品上生釈のみ十一の内容すべてが説かれ、 他の品ではすべて説かれていない。 これについて 「散善義」 には 「隠顕ありといへども、 もしその道理によらばことごとくみなあるべし」 とあり、 善導は文の表に顕れたものと隠れたものがあるという隠顕の義によって、 九品それぞれに十一の分類があるとする。