いがくいけんいしゅう 異学異見異執 異なった教えを学び、 異なった見解を持ち、 正しい理に異なる思想・見解に執着すること。 「散善義」 に深心を解釈して 「一切の別解・別行・異学・異見・異執のために退失傾動せられざるなり」 (化身土巻引文) とある。 これについて、 法然は ¬選択集¼ において「一切の別解・別行・異学・異見等といふは、 これ聖道門の解・行・学・見を指す」 と述べ、 浄土門とは異なる聖道門の思想・見解のこととする。 親鸞は ¬一多文意¼ において、 真実の信心を得た念仏者について 「異学・異見のともがらにやぶられず」 と述べ、 「異学・異見」 に 「ことごとをならひまなぶひとなり」 と左訓を施しており、 また、 「異学といふは、 聖道・外道におもむきて、 余行を修し、 余仏を念ず、 吉日良辰をえらび、 占相祭祀をこのむものなり。 これは外道なり、 これらはひとへに自力をたのむものなり」 とも述べ、 仏教以外の外道をも含めた自力の者と解釈している。 →別解別行。