ひしさんごう 彼此三業 仏 (彼) の三業と衆生 (此) の三業という意。 「定善義」 に 「衆生行を起して口につねに仏を称すれば、 仏すなはちこれを聞きたまふ。 身につねに仏を礼敬すれば、 仏すなはちこれを見たまう。 心につねに仏を念ずれば、 仏すなはちこれを知りたまふ。 衆生仏を憶念すれば、 仏もまた衆生を憶念したまふ。 彼此の三業あひ捨離せず」 とある。 これをうけた蓮如は ¬御文章¼ 3帖目第7通に 「これによりて、 衆生の三業と弥陀の三業と一体になるところをさして、 善導和尚は彼此三業不相捨離と釈したまへるも、 このこころなり」 と述べている。