十九0560、 禅勝房にしめす御詞

ぜんしょうぼうにしめすことば だいじゅう

弥陀みだぶつは、 一念いちねんとなふるに一度ひとたびおうじょうにあてがひておこしたまへる本願ほんがんなり。 かるがゆへにじゅうねんたびむまるゝどくなり一向いっこう専修せんじゅ念仏ねんぶつしゃになるよりして、 りんじゅうときにいたるまでもうしたるいち念仏ねんぶつをとりあつめて、 一度ひとたびおうじょうはかならずすることなり

またいはく念仏ねんぶつもうは、 むまれつきのまゝにてもうなり。 さきののしわざによりて、 こんじょうをばうけたることなれば、 このにてはえなをしあらためぬことなり。 たとへば女人にょにんなんにならばやとおおへども、 こんじょうのうちにはなんにならざるがごとし。 しゃしゃにてもうし、 しゃしゃにてもうし、 慈悲じひしゃ慈悲じひありてもうし、 邪見じゃけんしゃ邪見じゃけんながらもうす、 一切いっさいひとみなかくのごとし。 さればこそ弥陀みだほとけは十方じっぽうしゅじょうとて、 ひろくがんをばおこしてましませ。

またいはく一念いちねんじゅうねんにておうじょうすといへばとて、 念仏ねんぶつそうもうせば、 信力しんりきぎょうをさまたぐるなり。 「念念ねんねんしゃ (散善義) といへばとて、 一念いちねんじゅうねんじょうにおもへば、 ぎょうしんをさまたぐるなり。 かるがゆへにしんをば一念いちねんにむまるととり、 ぎょうをばいちぎょうはげむ0561べし。

またいはく一念いちねんじょうにおもふものは、 念念ねんねん念仏ねんぶつごとにしん念仏ねんぶつになるなり。 そのゆへは、 弥陀みだぶつ一念いちねん一度ひとたびおうじょうをあておきたまへるがんなれば、 念念ねんねんごとにおうじょうごうとなるなり