(441)、 念仏往生要義抄

念仏ねんぶつおうじょうようしょう だい  黒谷くろだにさく

それ念仏ねんぶつおうじょうは、 じゅうあくぎゃくをえらばず、 こうしょうするにじっしょういっしょうをもてす。 しょうどうしょしゅうじょうぶつは、 じょうこんじょうをもととするゆへに、 しょうもんさつとす。 しかるに0442すでに末法まっぽうになり、 ひとみな悪人あくにんなり。 はやくしゅしがたきおしえがくせんよりは、 ぎょうじやすき弥陀みだみょうごうをとなへて、 このたびしょういえをいづべきなり

たゞしいづれのきょうろんも、 しゃくそんのときおきたまへる経教きょうきょうなり。 しかれば、 ¬ほっ¼・¬はん¼ とうだいじょうきょうしゅぎょうして、 ほとけになるになにのかたきことあらん。

それにとりて、 いますこし ¬法花ほけきょう¼ は、 さん諸仏しょぶつもこのきょうによりてほとけになり、 十方じっぽう如来にょらいもこのきょうによりてしょうがくをなりたまふ。 しかるに ¬法花ほけきょう¼ なんどをよみたてまつらんに、 なにのそくかあらん。 かようにもうは、 まことにさるべきことなれども、 われらがりょうは、 このおしえにおよばざるなり。 そのゆえは、 ¬ほっ¼ にはさつしょうもんとするゆへに、 われらぼんはかなふべからずとおもふべきなり

しかるに弥陀みだほとけの本願ほんがんは、 末代まつだいのわれらがためにおこしたまへるがんなれば、 やくいまのときけつじょうおうじょうすべきなり。 わが女人にょにんなればとおもふことなく、 わが煩悩ぼんのう悪業あくごうなればといふことなかれ。

もとより弥陀みだぶつは、 罪悪ざいあくじんじゅうしゅじょうの、 さん諸仏しょぶつも、 十方じっぽう如来にょらいも、 すてさせたまひたるわれらをむかえんとちかひたまひけるがんにあひたてまつれり。 おうじょううたがひなしとふかくおもひいれて、 南無なも弥陀みだぶつ南無なも弥陀みだぶつもうせば、 善人ぜんにん悪人あくにんも、 なん女人にょにんも、 じゅうにんじゅうにんながらひゃくにんひゃくにんながら、 み0443おうじょうをとぐるなり

といていはく、 称名しょうみょう念仏ねんぶつもうひとは、 みなおうじょうすべしや。 こたえていはく、 りき念仏ねんぶつおうじょうすべし、 りき念仏ねんぶつはまたくおうじょうすべからず。

といていはく、 そのりきよういかむ。 こたえていはく、 たゞひとすぢにわが善悪ぜんあくをかえりみず、 けつじょうおうじょうせんとおもひてもうすを、 りき念仏ねんぶつといふ。 たとへばりんにつきたるはえの、 ひとはねにせんをかけり、 輪王りんのうゆきにあひぬるひっの、 一日いちにちてんをめぐるがごとし。 これをりきもうなりまたおほきなるいしをふねにいれつれば、 ときのほどにむかひのきしにとづくがごとし。 またくこれはいしのちからにはあらず、 ふねのちからなり。 それがやうに、 われらがちからにてはなし、 弥陀みだほとけのおんちからなり。 これすなはちりきなり。

といていはく、 りきといふはいかん。 こたえていはく、 煩悩ぼんのうそくして、 わろきをもて煩悩ぼんのうだんじ、 さとりをあらはしてじょうぶつすとこころえて、 ちゅうにはげめども、 无始むしより貪瞋とんじんそくなるがゆえに、 ながく煩悩ぼんのうだんずることかたきなり。 かくだんじがたきみょう煩悩ぼんのうを、 三毒さんどくそくこころにてだんぜんとすること、 たとへばしゅはりにてくだき、 大海たいかい芥子けしのひさくにてくみつくさんがごとし。 たとひはりにてしゅをくだき、 0444のひさくにて大海たいかいをくみつくすとも、 われらが悪業あくごう煩悩ぼんのうこころにては、 広劫こうごうしょうをふとも、 ほとけにならんことかたし。 そのゆえは、 念々ねんねん歩々ふぶにおもひとおもことは、 さん八難はちなんごう、 ねてもさめてもあんじとあんずることは、 六趣ろくしゅしょうのきづななり。 かゝるにては、 いかでかしゅぎょう学道がくどうをしてじょうぶつはすべきや。 これをりきとはもうなり

といていはく、 しょうにんもう念仏ねんぶつと、 ざいのものゝもう念仏ねんぶつと、 しょうれついかむ。 こたえていはく、 しょうにん念仏ねんぶつと、 けんもの念仏ねんぶつと、 どくひとしくして、 またくかわりめあるべからず。

うたがいていはく、 このじょうなをしんなり。 そのゆへは、 女人にょにんにもちかづかず、 じょうじきもせずしてもうさん念仏ねんぶつは、 たとかるべし。 朝夕あさゆうにょきょうにむつれ、 さけをのみじょうじきをしてもうさん念仏ねんぶつは、 さだめておとるべし。 どくいかでかひとしかるべきや。

こたえていはく、 どくひとしくしてしょうれつあるべからず。 そのゆへは、 弥陀みだぶつ本願ほんがんのゆえをしらざるものゝ、 かゝるおかしきうたがひをばするなり

しかるゆえは、 むかし弥陀みだぶつひゃくいちじゅうおく諸仏しょぶつじょうの、 しょうごん宝楽ほうらくとう誓願せいがんやくにいたるまで、 ざい王仏おうぶつまへにしてこれをたまふに、 われらごときの妄想もうぞう顛倒てんどうぼんのむまるべきことのなきなり

されば善導ぜんどうしょうしゃくしていはく、 「一切いっさいぶつかいごんじょうぼん0445乱想らんそうなんしょう (法事讃巻下) といへり。 このもんこころは、 一切いっさいぶつはたえなれども、 乱想らんそうぼんはむまるゝことなしとしゃくたまなり。 おのおのおんをはからひて、 らんずべきなり。

そのゆへは、 くちにはきょうをよみ、 にはぶつ礼拝らいはいすれども、 こころにはおもはじことのみおもはれて、 いちもとゞまることなし。 しかれば、 われらがをもて、 いかでかしょうをはなるべき。 かゝりけるときに、 広劫こうごうよりこのかた、 さん八難はちなんをすみかとして、 洞燃どうねんみょうをこがしていづるなかりけるなり。 かなしきかなや、 善心ぜんしんはとしどしにしたがひてうすくなり、 悪心あくしん日々にちにちにしたがひていよいよまさる。 さればじんのいへることあり、 「煩悩ぼんのうにそへるかげ、 さらむとすれどもさらず。 だいみずにうかべるつき、 とらむとすれどもとられず」 と。

このゆへに、 弥陀みだほとけこうゆいしてたてたまひしじんじゅう本願ほんがんもうすは、 善悪ぜんあくをへだてず、 かいかいをきらはず、 ざいしゅっをもえらばず、 有智うち无智むちをもろんぜず、 びょうどうだいをおこしてほとけになりたまひたれば、 たゞりきこころじゅうして念仏ねんぶつもうさば、 一念いちねんしゅのあひだに、 弥陀みだほとけの来迎らいこうにあづかるべきなり

むまれてよりこのかた女人にょにんず、 酒肉しゅにくしんながくだんじて、 かい十戒じっかいとうかたくたもちて、 やんごとなきしょうにんも、 りきこころじゅうして念仏ねんぶつもうさんにおきては、 ぶつ来迎らいこうにあづからんこと0446千人せんにん一人いちにん万人まんにんいちにんなどやそうらはんずらん。 それも善導ぜんどうしょうは、 「せんちゅういち (礼讃) とおほせられてそうらへば、 いかゞあるべくそうろうらんとおぼへそうろう

およそ弥陀みだぶつ本願ほんがんもうことは、 やうもなくわがこころをすませとにもあらず、 じょうをきよめよとにもあらず、 たゞねてもさめても、 ひとすじに御名みなをとなふるひとをば、 りんじゅうにはかならずきたりてむかへたまふなるものをといふこころじゅうしてもうせば、 いちのおはりには、 ぶつ来迎らいこうにあづからんことうたがひあるべからず。 わが女人にょにんなれば、 またざいのものなればといふことなく、 おうじょういちじょうとおぼしめすべきなり

といていはく、 こころのすむとき念仏ねんぶつと、 妄心もうしんなか念仏ねんぶつと、 そのしょうれついかむ。 こたえていはく、 そのどくひとしくして、 あえて差別しゃべつなし。

うたがいていはく、 このじょうなをしんなり。 そのゆへは、 こころのすむとき念仏ねんぶつは、 ねんもなく一向いっこう極楽ごくらくかいことのみおもはれ、 弥陀みだ本願ほんがんのみあんぜらるゝがゆへに、 まじふるものなければ清浄しょうじょう念仏ねんぶつなり。 こころ散乱さんらんするときは、 三業さんごう調ちょうにして、 くちにはみょうごうをとなへ、 には念誦ねんじゅをまはすばかりにては、 これじょう念仏ねんぶつなり。 いかでかひとしかるべき。

こたえていはく、 このうたがひをなすは、 いまだ本願ほんがんのゆへをしらざるなり弥陀みだぶつ悪業あくごうしゅじょうをすくはんために、 しょう大海たいかいぜいのふねをうかべ0447たまへるなり。 たとへばふねにおもきいし、 かろきあさがらをひとつふねにいれて、 むかひのきしにとづくがごとし。 本願ほんがんしゅしょうなることは、 いかなるしゅじょうも、 たゞみょうごうをとなふるほかは、 べつことなきなり

といていはく、 いっしょう念仏ねんぶつと、 じっしょう念仏ねんぶつと、 どくしょうれついかむ。 こたえていはく、 たゞおなじことなり

うたがいていはく、 このことまたしんなり。 そのゆへは、 いっしょうじっしょうすでにかずのしょうあり、 いかでかひとしかるべきや。

こたう。 このうたがひは、 いっしょうじっしょうもうことさいときことなり。 するときいっしょうもうすものもおうじょうす、 じっしょうもうすものもおうじょうすといふことなり。 おうじょうだにもひとしくは、 どくなんぞれつならん。

本願ほんがんもんに、 「せつ得仏とくぶつ十方じっぽうしゅじょうしんしんぎょうよくしょうこくないじゅうねんにゃくしょうじゃしゅしょうがく (大経巻上)。 このもんこころは、 法蔵ほうぞう比丘びく、 われほとけになりたらんとき十方じっぽうしゅじょう極楽ごくらくにむまれんとおもひて、 南無なも弥陀みだぶつと、 もしはじっしょう、 もしはいっしょうもうさんしゅじょうをむかへずは、 ほとけにならじとちかひたまふ。 かるがゆへにかずのしょうろんぜず、 おうじょう得分とくぶんはおなじきなり本願ほんがんもん顕然けんねんなり、 なんぞうたがはんや。

といていはく、 さい念仏ねんぶつ平生へいぜい念仏ねんぶつと、 いづれかすぐれたるや。 こたえていはく、 た0448ゞおなじことなり。 そのゆへは、 平生へいぜい念仏ねんぶつりんじゅう念仏ねんぶつとて、 なんのかはりめかあらん。 平生へいぜい念仏ねんぶつぬればりんじゅう念仏ねんぶつとなり、 りんじゅう念仏ねんぶつののぶれば平生へいぜい念仏ねんぶつとなるなり

なんじていはく、 さい一念いちねんひゃくねんごうにすぐれたりとえたり。 いかむ。 こたえていはく、 このうたがひは、 このもんをしらざるなんなり。 いきのとゞまるとき一念いちねんは、 悪業あくごうこはくして善業ぜんごうにすぐれたり、 善業ぜんごうこはくして悪業あくごうにすぐれたりといふことなり。 たゞしこのもうひと念仏ねんぶつしゃ­に½て­は½なし、 もとより悪人あくにん沙汰さたをいふことなり平生へいぜいより念仏ねんぶつもうしておうじょうをねがふひとことをば、 ともかくもさらに沙汰さたにおよばぬことなり

といていはく、 摂取せっしゅやくをかうぶることは、 平生へいぜいりんじゅうか、 いかむ。 こたえていはく、 平生へいぜいときなり。 そのゆへは、 おうじょうこころことにて、 わがをうたがふことなくて、 来迎らいこうをまつひとは、 これ三心さんしんそく念仏ねんぶつもうひとなり。 この三心さんしんそくしぬればかならず極楽ごくらくにうまるといふことは、 ¬かんぎょう¼ のせつなり。 かゝるこころざしあるひとを、 弥陀みだぶつ八万はちまんせんこうみょうをはなちててらしたまなり平生へいぜいときてらしはじめて、 さいまですてたまはぬなり。 かるがゆへにしゃ誓約せいやくもうなり

とい0449ていはく、 しゃ念仏ねんぶつと、 しゃ念仏ねんぶつ­と、 いづ½れも差別しゃべつなしや。 こたえていはく、 ほとけの本願ほんがんにとづかば、 すこしの差別しゃべつもなし。 そのゆへは、 弥陀みだぶつ、 ほとけになりたまはざりしむかし、 十方じっぽうしゅじょうわがをとなへば、 ないじっしょうまでもむかへむと、 ちかひをたてたまひけるは、 しゃをえらび、 しゃをすてんとにはあらず。

されば ¬五会ごえほうさん¼ (巻本) にいはく、 「けんもんじょうかいけんかい罪根ざいこんじんたん使しん念仏ねんぶつのうりょうりゃくへんじょうこん」。 このもんこころは、 しゃしゃも、 かいかいも、 たゞ念仏ねんぶつもうさば、 みなおうじょうすといふことなり。 このこころじゅうして、 わが善悪ぜんあくをかえりみず、 ほとけの本願ほんがんをたのみて念仏ねんぶつもうすべきなり

このたびりんのきづなをはなるゝこと念仏ねんぶつにすぎたることはあるべか­らず½。 このかきおきたるものをて、 そしりほうぜんともがらは、 かならずぼんのうてなにえんをむすび、 たがひに順逆じゅんぎゃくえんむなしからずして、 一仏いちぶつじょうのともたらむ。

そもそもをいへば、 ぎゃくじゅうざいをえらばず、 女人にょにん闡提せんだいをもすてず、 ぎょうをいへば、 一念いちねんじゅうねんをもてす。 これによて、 しょうさんしょうをうらむべからず。 このがんをたのみ、 このぎょうをはげむべきなり念仏ねんぶつのちからにあらずは、 善人ぜんにんなをむまれがたし、 いはんや悪人あくにんをや。 ねんしょうし、 三念さんねんさんしょうめっして、 一念いちねんりんじゅう来迎らいこうをか0450うぶらんと、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがみょうごうをとなふべし、 しょ諸縁しょえんにこのがんをたのむべし。

あなかしこ、 あなかしこ。

南無なも弥陀みだぶつ 南無なも弥陀みだぶつ