(450)、 三心義

三心さんしん 第五

¬かんりょう寿じゅきょう¼ には、 「にゃくしゅじょうがんしょうこくほつ三種さんしゅしん即便そくべんおうじょうとうさん一者いっしゃじょうしんしゃ深心じんしん三者さんじゃこう発願ほつがんしん三心さんしんしゃひっしょうこく」 といへり。

¬礼讃らいさん¼ には、 三心さんしんしゃくしおはりて、 「三心さんしんしゃ必得ひっとくおうじょう若少にゃくしょう一心いっしんそくとくしょう」 といへり。 しかれば、 三心さんしんすべきなり。

いちじょうしんといふは、 真実しんじつしんなり。 礼拝らいはいぎょうじ、 くちに­みょう½ごうをとなへ、 こころ相好そうごうをおもふ、 みな真実しんじつをもちゐよ。 すべてこれをいふに、 穢土えどをいとひ、 じょうをねがひて、 もろもろのぎょうごうしゅせんもの、 みな真実しんじつをもてつとむべし。

これを勤修ごんしゅせんに、 ほかには賢善けんぜんしょうじんそうげんじ、 うちにはあくだいこころをいだきてしゅするところのぎょうごうは、 にちじゅう二時にじにひまな­くこ½れをぎょう­ず½とも、 おうじょうをえず。 ほかにはあくだいのかたちをあらわして、 うちには賢善けんぜんしょうじんのおもひにじゅうして、 これをしゅぎょうするもの、 いち一念いちねんなり­と½も、 そ0451ぎょうむなしからず、 かならずおうじょうをう。 これをじょうしんとなづく。

深心じんしんといふは、 ふかくしんずるこころなり。 これについてあり。

いちにはわれはこれ罪悪ざいあくぜん无始むしよりこのかた六道ろくどうりんして、 おうじょうえんなしとしんじ、

には罪人ざいにんなりといへども、 ほとけの願力がんりきをもて強縁ごうえんとして、 かならずおうじょうをえんこと、 うたがひなくうらもひなしとしんず。

これについてまたあり。 ひとつにはひとにつきてしんをたつ、 ふたつにはぎょうにつきてしんをたつ。

ひとにつきてしんをたつといふは、 しゅつしょうのみ­ちお½ほしといへども、 おおきにわかちてあり。 いちにはしょうどうもんにはじょうもんなり。

しょうどうもんといふは、 このしゃかいにて、 煩悩ぼんのうだんだいしょうするみちなり。

じょうもんといふは、 このしゃかいをいとひ、 かの極楽ごくらくをねがひて善根ぜんごんしゅするもんなり。

もんありとへども、 しょうどうもんをさしおきてじょうもんす。

しかるにもしひとありて、 おほくきょうろんをひきて、 罪悪ざいあくぼんおうじょうすることをえじといはん。 このことばをきゝて、 退心たいしんをなさず、 いよいよ信心しんじんをますべし。

ゆへいかんとなれば、 ざいしょうぼんじょうおうじょうすといふことは、 これしゃくそんじょうごんなり、 ぼんもうしゅうにあらず。 われすでにぶつことばしんじて、 ふかくじょうごんす。 たとひ諸仏しょぶつさつきたりて、 ざいしょうぼんじょうにむまるべからずとのたまふとも、 これをしんずべからず。

ゆへいかんとなれば、 0452さつぶつ弟子でしなり。 もしまことにこれさつならば、 仏説ぶっせつをそむくべからず。 しかるにすでに仏説ぶっせつに­たが½ひて、 おうじょうをえずとのたまふ。 まことさつにあらず。

またぶつはこれ同体どうたいだいなり。 まことぶつならば、 しゃせつにたがふべからず。

しかればすなはち ¬弥陀みだきょう¼ (意) に、 「一日いちにち七日しちにち弥陀みだみょうごうねんじて、 かならずむまるゝことをう」 ととけり。 これを六方ろっぽう恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつしゃぶつにおなじく、 これを証誠しょうじょうたまへり。

しかるにいましゃせつをそむきて、 おうじょうせずといふ。 かるがゆへにしりぬ、 まことのほとけにあらず、 これてんへんなり。 このをもてのゆへに、 ぶつさつせつなりともしんずべからず、 いかにいはんやせつをや。

なんぢがしゅうするところのだいしょうことなりといへども、 みなぶっする穢土えどしゅぎょうしょうどうもんこころなり。 われらがしゅするところは、 しょうぞうどうなれども、 ともに極楽ごくらくをねがふおうじょうぎょうごうは、 じょうもんこころなり。 しょうどうもんはこれなんぢがえんぎょうじょうもんといふはわれらがえんぎょう、 これをもてかれをなんずべからず、 かれをもてこれをなんずべからず。

かくのごとくしんずるものをば、 就人じゅにん立信りっしんとなづく。

つぎにぎょうにつきてしんをたつといふは、 おうじょう極楽ごくらくぎょうまちまちなりといへども、 しゅをばいでず。 いちには正行しょうぎょうにはぞうぎょうなり正行しょうぎょうといふは、 弥陀みだぶつにおきてしたしきぎょうなり。 ぞうぎょうといふは、 弥陀みだぶつにおき0453てうときぎょうなり。

まづ正行しょうぎょうといふは、 これにつきてあり。 いちにはいはく読誦どくじゅ、 いはゆる 「さんきょう」 をよむなり。 には観察かんざつ、 いはゆる極楽ごくらくしょうかんずるなりさんには礼拝らいはい、 いはゆる弥陀みだぶつ礼拝らいはいするなりには称名しょうみょう、 いはゆる弥陀みだみょうごうしょうするなりには讃嘆さんだんよう、 いはゆる弥陀みだぶつ讃嘆さんだんようするなり

このをもてあはせてとす。

いちには一心いっしんにもはら弥陀みだみょうごうねんじて、 行住ぎょうじゅう坐臥ざがせつごんをとはず念々ねんねんにすてざる、 これを正定しょうじょうごうとなづく、 かのほとけのがんじゅんずるがゆへに。

にはさきのなか、 かの称名しょうみょうのほかの礼拝らいはい読誦どくじゅとうをみな助業じょごうとなづく。

つぎにぞうぎょうといふは、 さきのしゅしょうじょごうをのぞきて已外いげのもろもろの読誦どくじゅだいじょうほつだいしんかい勧進かんじんとう一切いっさいぎょうなり。

このしょうぞうぎょうにつきて、 しゅ得失とくしつあり。

いちにはしんたい、 いはゆる正行しょうぎょう弥陀みだぶつにしたしく、 ぞうぎょうはうとく、

には近遠ごんおんたい、 いはゆる正行しょうぎょう弥陀みだぶつにちかく、 ぞうぎょう弥陀みだぶつにとをし。

さんにはけんけんたい、 いはゆる正行しょうぎょうはおもひをかくるにけんなりぞうぎょうおもいをかくるに間断けんだんあり。

にはこうこうたい、 いはゆる正行しょうぎょうこうをもちゐざれどもおのづからおうじょうごうとなる、 ぞうぎょうこうせざるはおうじょうごうとならず。

にはじゅんぞうたい、 いはゆる正行しょうぎょうじゅん極楽ごくらくごうなりぞうぎょうはしからず、 十方じっぽうじょうない人天にんでんごうなり

かく0454のごときしんずるを、 じゅぎょう立信りっしんとなづく。

さんこう発願ほつがんしんといふは、 過去かこおよびこんじょうしん口意くいごうしゅするところの一切いっさい善根ぜんごんを、 真実しんじつこころをもて極楽ごくらくこうして、 おうじょうごんするなり。 これをこう発願ほつがんしんとなづく。 この三心さんしんしぬれば、 かならずおうじょうするなり