(708)、 禅勝房との十一箇条問答

あるとき遠江とおとうみくにれんじゅうそうぜんしょうぼうさんじょうしてしょうにん種々しゅじゅことひたてまつるに、 しょうにん一々いちいちこたふるなり。

或時、遠江国蓮花寺住僧禅勝房、参上上人奉問種種事、上人一々答也。

一にひていはく、 けん難者なんじゃありていはく、 はっしゅうしゅうほかじょうしゅうつるこれなり、 いかんがこのなんたいすべくそうろふと。

一問曰、世間有難者云、八宗・九宗立↢浄土宗↡是自由也、如何可↣対0709↢治此難↡候。

こたへていはく、 りっしゅうことはさらに仏説ぶっせつにあらず、 みづからがくするところのきょうろんにつきて、 そのさときわむるなり。 しょしゅうならいみなもつてかくのごとし。 いまじょうしゅうつることじょうしょうきょうにつきて、 おうじょう極楽ごくらくさとたる先達せんだつしゅうつるなり。 しゅうおこりらずは、 かくのごときなんいたすなり、 なんずることにあらざるなりと。

答云、立宗事者更非仏説、付自所学経論、覚↢極其義↡也。諸宗習皆以如此。今立↢浄土宗↡事、付↢浄土正依経↡、解得往生極楽義之先達、立宗名也。不知宗起者、致↢如此之難↡也、非難事也。

二にひていはく、 ほっ真言しんごんにおいてはぞうぎょうのなかにるべからずといふ、 いかんがこのなんなんすべくそうろふと。

二問云、於法花・真言者不↠可↠入↢雑行中↡云、如何可↣難↢治此難↡候。

こたへていはく、 しん先徳せんどく一代いちだい聖教しょうぎょうあつめて ¬おうじょうようしゅう¼ をつくじゅうもんつ。 そのなかのだいもんは、 これおうじょう諸業しょごうなり。 すでにほっ真言しんごんとうしょだいじょうきょうしょぎょうれらる。 しょぎょうぞうぎょうと、 ことばことにしてそのこころおなじ。 いま難者なんじゃしん先徳せんどくまさるべからざるかと。

答云、恵心先徳、集一代聖教造↢¬往生要集¼↡立↢十門↡。其中第九門、是往生諸業也。已法花・真言等諸大乗経被↠入↢諸行↡。諸行与雑行、言異ニシテ其意同。今難者、不可勝恵心先徳歟。

三にひていはく、 ぶつきょうにつきて結縁けちえんじょじょうせんことは、 ぞうになるべくそうろふかと。

三問云、付↢余仏・余経↡結縁助成セム、可成雑候歟。

こたふ。 わがぶつ本願ほんがんじょうじてのちけつじょうおうじょうしんおこらんうへは、 ぜん結縁けちえんすること、 まつたくぞうぎょうとなすべからず、 おうじょう助業じょごうとはなるべきなり。 善導ぜんどうしゃくのなか、 すでに 「善根ぜんごんしたがひてもつて自他じた善根ぜんごんじょうこうす」 と。 このしゃくをもつてるべきなりと。

答。我身乗↢仏本願↡之後、決定往生信起ラム之上、結↢縁他善↡事、全不可為雑行、可↠成↢往生助業トハ↡也。善導釈中、已「随↢他善根↡以自他善根廻↢向浄土↡。」 以此釈可知也。

四にひていはく、 極楽ごくらくぼん差別しゃべつあること弥陀みだ本願ほんがんかなひとすべきかと。

四問云、極楽有↢九品差別↡事、可↠為↢弥陀本願称↡歟。

こたへていはく、 極楽ごくらくぼんは、 弥陀みだ本願ほんがんにあらず、 さらにじゅうはちがんのなかになし、 これしゃくそんぎょうごんなり。 もし善人ぜんにん悪人あくにん一所いっしょしょうずとかば、 悪業あくごうのものひとしく慢心まんしんおこすべきゆゑに、 ほん差別しゃべつをあらしめ、 善人ぜんにんじょうぼんすすみ、 悪人あくにんちゅうぼんくだるとくなり。 いそぎてまいりてるべしと

答云、極楽九品、非↢弥陀本願↡、更无↢四十八願↡、是釈尊巧言也。若説カバ↣善人・悪人生↢一所↡者、悪業者可起等慢心故、令↠有↢品位之差別↡、説↧善人進↢上品0710↡、悪人ルト↦々品↥也。急可↠見

五にひていはく、 かいのものは念仏ねんぶつ数遍しゅへんすくなきとかいのものの念仏ねんぶつ数遍しゅへんおおきと、 おうじょうのち浅深せんじんいかんと。

五問云、持戒念仏数遍与↢破戒念仏数遍多↡、往生浅深如何。

しょうにんたまへるたたみしてこたへていはく、 たたみのあるにつきてこそやぶれたるとやぶれたらずとはろんずれ、 まつたくたたみのなきにおいてはいかんぞやぶれたるやぶれたらずをろんぜんや。

上人指↢所居ヘル↡答云、就テコソ↠有↠畳ズレ↣破↢不破↡、全於↠无↠畳者云何論↢破不破↡哉。

そのやうに 「末法まっぽうのなかにはかいなくかいなし、 ただみょう比丘びくのみあり」 と。 でんぎょうだいの ¬末法まっぽうとうみょう¼ にくはしくこのむねあかせり。 そのうへはかいかい沙汰さたあるべからず。 かくのごときぼんのために、 おしふるところの本願ほんがんなれば、 いそぎいそぎみょうとなふべきなりと。

其様「末法ニハ無↢持戒↡无↢破戒↡、但有↢名字比丘ノミ↡。」伝教大師¬末法灯明記¼委明↢此旨↡。其上不↠可↢持戒・破戒沙汰↡。為↢如此之凡夫↡、所↠教本願ナレバ者、急々可↠称↢名字↡也。

六にひていはく、 念仏ねんぶつぎょうじゃ毎日まいにちしょに、 こえやさざるひとあり、 またこころねんじてかずひとあり、 いづれをかほんとしそうろふと。

六問云、念仏行者、毎日所作、有↢不↠絶↠声之人↡、又有↢心取↠数之人↡、何ヲカ為↠本候。

こたへていはく、 くちとなふるもこころねんずるもことごとくみょうごうなれば、 いづれもみなおうじょうごうとなるべし。 ただぶつ本願ほんがん称名しょうみょうなるがゆゑに、 こえだすべしと。

答云、口唱名号ナレバ、何皆可↠成↢往生↡。唯仏本願為↢称名↡故、可↠出↠声

ゆゑに ¬きょう¼ (観経) には 「令声りょうしょうぜつそくじゅうねん」 とき、 しゃく (礼讃) にはいはく、 「しょうみょうごう下至げしじっしょう」 となり。 わがみみきこえんずるほどなるを、 こうしょう念仏ねんぶつとす。 ただしげんらずしてこうしょうなるべきにはあらず、 たいこえだすとおもふべきなりと。

故¬経ニハ¼説↢「令声不絶具足十念」↡、釈ニハ云、「称我名号下至十声」也。聞ズル↢我耳↡程ナルヲ、為↢高声念仏↡。但不↠知↢譏嫌↡而非↠可↢高声ナル↡、地体可↠思↠出↠声也。

七にひていはく、 日別にちべつ念仏ねんぶつ数遍しゅへん相続そうぞくるほどのことは、 いくばくとさだむべくそうろふと。

七問云、日別念仏数遍入相続之程、可定幾候。

こたへていはく、 善導ぜんどうしゃくによらば、 まんじょう相続そうぞくぶんとなすべし。観念かんねん法門ぼうもん¼ のなかにづ) ただし一万いちまんべんといへども、 いそもうしてむなしせつすごすべからず。 たとひ一万いちまんべんといへども、 一日いちにちいちしょとなすべし。 そうじて一食いちじきあいださんばかりこれをとなふれば、 よく相続そうぞくするものなり。 ただししゅじょうこんじょうどうなれば、 いちじゅんにこれをさだむべからず。 もしこころざしふかくば、 ねん相続そうぞくことなりと。

答云、依↢善導者、万已上可↠為↢相続分↡。 (出¬観念法門¼中) 但雖↢一万反↡、急申虚不↠可↠過↢時節↡。設雖↢一万反↡、可↠為↢一日一夜之所作↡。総ジテ一食之間三度許唱之者、能0711相続者也。但衆生根性不同ナレ者、一准不↠可↠定↠之。若志深者、自然相続事也。

八にひていはく、 ¬礼讃らいさん¼ の深心じんしんのなかに 「じっしょういっしょう、 さだめておうじょうない一念いちねんうたがいあることなし」 と。 また ¬しょ¼ (散善義) のなかの深心じんしんには 「念々ねんねんてざれば、 これを正定しょうじょうごうづく」 と。 いかんが分別ふんべつすべくそうろふと。

八問云、¬礼讃¼深心「十声一声、定往生、乃至一念无有疑。」 又¬疏¼中深心ニハ「念々不捨者、是名正定之業。」 云何可分別候。

こたへていはく、 じっしょういっしょうしゃく念仏ねんぶつしんずるやうなり。 しんをば一念いちねんおうじょうすとりて、 ぎょうをばいちぎょうはげむべきなり。 また (散善義) いち発心ほっしん以後いご」 のしゃくほんとなすべきなりと。

答云、十声一声信↢念仏↡之様也。信ヲバ↢一念往生スト↡、行ヲバ一形可励也。又「一発心已後」釈可為本意也。

九にひていはく、 本願ほんがん一念いちねんは、 じんじょうりんじゅうつうずべきか。

九問云、本願一念者、可↠通↢尋常機・臨終機↡歟。

こたへていはく、 一念いちねんがんねんおよばざるのためなり。 じんじょうつうずべくは、 「じょうじんいちぎょう」 のしゃくあるべからず。 このしゃくこころべし。 かならず一念いちねん本願ほんがんとなすにはあらずといふこと顕然けんねんなり。

答云、一念為↧不↠及↢二念↡之機↥也。可↠通↢尋常機↡者、不↠可↠有↢「上尽一形」之釈↡。此釈可↠得↠意。必一念非↠為↢本願↡云事顕然也。

すでに (散善義) 念々ねんねんてざれば、 これを正定しょうじょうごうづく、 かの仏願ぶつがんじゅんずるがゆゑに」 としゃくして、 ただこのしゃくこころは、 念々ねんねんてざればすなはち本願ほんがんじゅんず、 ただ本願ほんがんそくどうなれば、 「じょうじんいちぎょう下至げし一念いちねん (散善義意) おこしたまへるなり。 ゆゑに善導ぜんどう念仏ねんぶつおうじょうがんるなりと

↢「念々不捨者、是名正定之業、順彼仏願故」↡、唯此釈、可↠云↣念々不捨者即順↢本願↡、但値↢本願↡遅速不同者、発↢「上尽一形下至一念」↡給也。故善導得↢念仏往生願↡也

十にひていはく、 りきりきもうこと、 いかやうにこころべくそうろふやと。

十問云、自力・他力申事、何様可↠得↠心候乎。

こたへていはく、 源空げんくう殿でんじょうまいるべきりょうにあらずといへども、 かみよりせば二度にどまで殿でんじょうまいる。 これわれまいるべきしきにあらず、 かみおんちからなり。 いかにいはんや弥陀みだぶつおんちから称名しょうみょうがんむくひて来迎らいこうしたまふことなんしんかあらんや。

答云、源空雖↠非↧可↠参↢殿上↡機量↥、自上召者二度マデ参↢殿上↡。此非↢我可↠参之式↡、上御力也。何況阿0712弥陀仏御力、酬↢称名願↡来迎事、有↢何不審↡。

しんつみおもく、 無智むちのもの、 いかんしてかおうじょうげんとうたがふべからず。 もしかくのごとくうたがふは、 一切いっさい仏願ぶつがんらざるものなり。 かくのごとき罪人ざいにんせんがために、 おこしたまふところの本願ほんがんなり。 このみょうごうとなへながら、 ゆめゆめしんあるべからず 十方じっぽうしゅじょうがんのなかに、 有智うち無智むちざいざい善人ぜんにん悪人あくにんかいかいなん女人にょにんない三宝さんぼう滅尽めつじんのち十歳じっさいしゅじょうまでもるることなし。

自身罪、无智者、云何シテカ不↠可↠疑↠遂↢往生↡。若如此疑者、一切不↠知↢仏願↡者也。為↠度↢如此之罪人↡、所↠発之本願也。乍↠唱↢此名号↡、努力努力不↠可↠有↢疑心↡ 。十方衆生、有智・无智、有罪・无罪、善人・悪人、持戒・破戒、男子・女人、乃至三宝滅尽之後十歳衆生マデモ无↠漏コト

かの三宝さんぼう滅尽めつじんとき念仏ねんぶつしゅじょうとうぎょうじゃとこれをくらぶるに、 当世とうせいひとぶつのごときなり。 かのとき人寿にんじゅ十歳じっさいなり。 かいじょう三学さんがくだにもかず 。 これらのしゅじょう来迎らいこうあずかるべきことをりながら、 わがてらるべしといふこと、 いかんぞこころだすべけんや。

彼三宝滅尽之時念仏衆生与↢当時行者↡比↠之、当世如↠仏也。彼時者人寿十歳也。戒定慧三学不↠聞↠名ダニモ 。此等衆生乍↠知↠可↠預↢来迎↡、我身可↠被↠捨云事、云何可得心出哉。

ただし極楽ごくらくねがはれず、 念仏ねんぶつしんぜられざることぎょうじゃおうじょうさわりとなるべし。 ゆゑにりきがんといひ、 ちょうがんといふなりと。

但極楽不↠被↠欣、念仏不↠被↠信事、行者可↠成↢往生↡。故云↢他力↡、云↢超世願↡也。

十一にひていはく、 「じょうとう三心さんしんすべし」 と。 三体さんたいいかやうにこころべくそうろふやと。

十一問云、「可具至誠等三心。」 三体如何様可得意候歟。

こたへていはく、 三心さんしんすることべつのやうなし。 弥陀みだぶつ本願ほんがんに、 わがみょうごうしょうねんすれば、 かならず来迎らいこうせんとちかひたまへるゆゑに、 けつじょうしてふかしんじ、 いんじょうせらるべきなり。 心念しんねんしょうおこたらず、 すでにおうじょうたるここしてさい一念いちねんいたりて退転たいてんせずば、 ねん三心さんしんそくするなり。

答云、具↢三心↡事无↢別様↡。阿弥陀仏本願、称↢念我名号↡者、必来迎セムト誓給故、決定シテ深信、可↠被↢引接↡也。心念・口称不↠倦、已タル↢往生↡之心地シテ而至↢最後一念↡不↢退転↡者、自然具↢足三心↡也。

ざいものどものなかに、 かくのごとき分別ふんべつなしといへども、 ただ念仏ねんぶつすれば極楽ごくらくしょうずとりて、 つねに念仏ねんぶつするやからねん三心さんしんし、 おおおうじょうぐるなり。 このゆゑに一文いちもんつうのもののなかにもじんみょうなるおうじょうなり。 じょうじゅういち問答もんどうおわりぬ

在家、雖↠无↢如此分別↡、只念仏者知↠生↢極楽に↡、常念仏スル之輩、自然具↢三心↡、多遂↢往生↡也。此故一文0713不通者中ニモ神妙往生也。 已上十一問答了